キューバ、ラウル指導下の500日 Cuba, 500 days under the Raul`s

『アジア・アフリカ研究』2007 年第 3 号 Vol.47 No.3 号(通巻 385 号)掲載
キューバ、ラウル指導下の500日
Cuba, 500 days under the Raul’s direction
新藤通弘
SINDO Michihiro
(Abstract)
It has passed 500 days after the announcement of the President Fidel Castro on July
31 of 2006 in which he provisionally delegated his powers to Raul Castro and other
government leaders because of his surgical operation.
It is the first time that Fidel
Castro who led the Revolution during 47 years after the triumph of the struggle against
Batista’s dictatorship does not appear front and center of a political stage in Cuba
during such long time.
Cuba which Fidel entrusted to Raul confronts with the very complicated and difficult
social and economic problems such as foods, transport, housing etc. which have been
produced in the process of the economic reform executed after the collapse of the Soviet
Unions and the East European countries. The economic reform also caused serious
social problems such as the increase of income gap, corruption and so on in the Cuban
society.
It calls the world wide attentions how Raul tackles with them and to which
direction a post-Fidel Cuba will go on.
The author in this article wants to facilitate
some explanations on these very common questions.
目次
I.
はじめに
II. フィデル・カストロの委託
III. ラウルが引き継いだ諸問題
IV. ラウル、順調に内外政策を遂行
V.
原則的かつ柔軟な外交
VI. 委託されたことは実行されたか?
VII. 人事のラウルの真髄
VIII. 構造的改革をめざして
IX. 激化する米玖対決
X. フィデルの実質的指導
1
I.
はじめに
昨年 7 月 31 日、フィデル・カストロ議長(1927 1 -)が、4 日前の手術後の病状を考慮して 2 、
権限をラウル・カストロ(1931-)他の人々に委譲してから、500 日が経過した(以下、それ
ぞれフィデル、ラウルと略)。1959 年 1 月 1 日に反バチスタ独裁闘争が勝利を収めて以後
の 47 年間、フィデルが、長期にわたり、政治の表舞台に姿を現さなかったことははじめて
のことである。近年経済の高度成長が報告されているとはいえ、依然として食料、交通、
住宅面で経済困難を抱えるキューバは、経済改革の過程で新たな格差問題、汚職・腐敗問
題などの社会問題も抱えるようになっている。新たなラウル政権下で、それらがどのよう
に取り組まれるのか、ポスト・フィデルのキューバはどこに向かうのか、キューバ内外で
大きな関心を呼んでいる。筆者は、本稿において、ラウル指導下の 500 日をたどってこれ
らの関心事をいささかでも解明したいと思う。
II. フィデル・カストロの委託
2.
フィデルのラウルへの委託
06 年 7 月 31 日にフィデルが、ラウルに暫定的に委譲した権限は、次の 3 権であった。
①キューバ共産党第一書記
②革命軍最高司令官
③国家評議会議長・閣僚評議会議長
この権限の暫定的委譲は、特にフィデルの恣意的な選択ではなく、それぞれ、現行の共
産党規約、軍の階級制度、憲法によって規定されていることである。
フィデルが、党の書記長を真っ先に挙げたのは、「キューバ共産党は、キューバ国民の前
衛組織であり、社会と国家の最高指導勢力である」と憲法第 5 条に規定しており、また、
キューバ共産党の規約にも「キューバ共産党は、社会の最高の指導勢力」であると規定し
ている(キューバ共産党規約、第 1 章)からである 3 。さらに、「基礎機関および基礎組織
は、規約、規則、合意、決議、上級機関・組織の指導や指示、また中央委員会第一書記、
フィデル・カストロ同志の指導、提起に導かれて活動を行う」と同規約第 1 章で述べられ
ている。つまり、キューバ共産党は、キューバ社会の最高指導勢力であり、党の第一書記
は、その最高指導勢力を指導することから、論理上は、党の第一書記がキューバ社会の最
高指導者となるのである 4 。
さらに、党規約第 47 条では、「党大会と党大会の間の中央委員会が党指導の最高機関で
ある。中央委員会総会は、政治局員の人と数を決定し、第一および第二書記、その他の政
治局員を選出する」と第二書記まで決定することとなっている。ラウルは、1975 年の第 1
回党大会以来、第二書記を務めている。従って、ラウルがキューバ共産党の第一書記を代
行するのは、規定の路線である。
また、党規約第 57 条は、「革命軍および内務省における党活動は、キューバ共産党第一
書記によって指導される」と規定している。革命軍の階級制も、最高司令官(フィデル)、
革命軍将軍(ラウル 1 名のみ)、軍団将軍(9 名)の順番 5 となっている 6 。さらに、憲法第
93 条g)項は「国家評議会議長は、武力諸機関の最高指揮権を有する」として、国家評議会
議長が、軍と警察の最高司令官であると規定している。従って、革命軍最高司令官もラウ
ルが継承することは、既に決まっていることである。
2
国家評議会議長・閣僚評議会議長は、憲法第 93 条により、国家および政府を代表すると
規定されている。そして、第 94 条で「国家評議会議長の不在、病気、死亡の場合は、第一
副議長が交代する」と決められている。第一副議長は、ラウルであり、ラウルへの権限の
委譲も憲法に則ったものである。
2. フィデルが病床で考えたこと
このように、フィデルが、党、軍、立法・行政の権限をラウルに委譲したのは規定の路
線で当然であった。それは、あえて新たな内容を含むものでも、ポスト・フィデル問題を
詮索する内容をもつものでもなかった。しかも、手術後 4 日間にフィデルが病床で考えた
ことは、自らが率いてきたキューバ革命を、自分がいなくなったときに、どのように後継
者たちが維持するのか、そのシミュレーションの機会であろう。そして不備があれば、自
分の指示ができる間に修正してその体制を作り上げておきたいと、フィデルはこの機会を
捉えたのではなかったか。このようなことを、フィデルの 7 月 31 日の声明を読みながら筆
者は考えた。筆者は、06 年 8 月初頭のキューバ訪問の際に、この見解をキューバ人研究者
たちと意見を交換した。研究者の中には同意するものもいたが、フィデルは、実際には、
裏で指導しているという意見が多かった。
筆者がこのように考えた理由は、実は、フィデルが、2001 年 6 月 24 日に昼間演説中に
疲労で一瞬気を失い、演説を中断し、数時間後記者会見を行ったとき、「私をどのように埋
葬するのかみるために、私が死んだふりをしたのだというものもいるのではないか」と語っ
た 7 ことがあったからである。フィデルは、熟達した政治家であり、近年、彼が出す政策は、
多面的な目的が多いことから、権限の委譲の声明ではいわれていない、別な側面も考慮す
る必要があると筆者は考えている。
ポスト・フィデルの後継者は、上記のようにラウルに制度上決まっているが、公式の場
では、共産党の党大会後の中央委員会総会による第一書記の選出か、新国会(人民権力全
国議会)での国家評議会議長の選出によって、ラウルが選出されることが必要である。党
第一書記は中央委員会総会で選出されるので、必ずしも党大会を必要としないが、新たな
第一書記を選出するという重要な案件は、党大会で新指導部を選出してからの方が好まし
いことはいうまでもない。
党中央委員会総会は、最後に開催されたのは、2006 年 7 月に第四回総会が開催されてい
る。しかし、党大会は、1997 年の第 5 回大会以後、10 年間開催されていない。党の規約で
..
は、第 44 条で「党大会は、通常 5 年に 1 回開催され」とされており(傍点筆者)
、党大会
が 10 年間開催されていないことは、規約違反ではないが、10 年間もキューバで「通常でな
い」時期が継続しているとは言いがたい。国会議員選挙は、前回は 2003 年 1 月に行われた。
そこでは、後継問題は議論されなかった。次回国会選挙は来年初頭に行われる予定である。
一極主義外交、単独行動主義で、予防戦争論を振り回す危険なブッシュ政権と対峙するた
めか、党大会が開催されず、後継者へのバトンタッチの機会を逃した感がなくもないフィ
デルにとって、この長期療養は、実質的なラウルへのバトンタッチ、自分が退いた場合に
どのように政権運営が行われるか観察する、絶好の機会であったともいえよう。
3.
ラウルの人物像
3
それでは、一般には、常にフィデルの影にあったラウルとはどのような人物であろうか。
フィデルは、第 5 回党大会で後継者問題に言及して、ラウルを次のように述べている。
「わが党、わが革命、私にとって、ラウルのような同志がいることは実際に幸運であっ
た。その長所については述べる必要はない。彼の経験、能力、革命への貢献については述
.........
べる必要はない。彼の疲れを知らない活動、軍隊と党における系統的・組織的作業は(傍
点筆者)、良く知られているところである」 8 。
ラウル・カストロの人物像で、キューバ・ウオッチャーに共通しているのは、優れたオー
ガナイザー、プラグマティスト、効率主義者、規律遵守という性格である。その点を裏書
している 2-3 の実例を上げてみよう。
94 年といえば、キューバが、貿易の 85%を占めていたソ連圏の旧体制の崩壊のあと、未
曾有の経済困難に陥り、89 年からの 5 年間で食料生産が 95 年には 68%も激減したときで
ある 9 。農村や街中では農産物の闇市場があふれていた。農産物の自由市場の承認が待望さ
れていたが、80 年~85 年に存在した農産物の自由市場は、投機業者が支配し、フィデルに
より激しく批判されて閉鎖された経緯があり、この問題をフィデルに強く進言するものは
いなかった。しかし、「もし、国民のために食料が必要なら、リスクは問題ではない」とし
て、国民が要求していた農産物の自由市場の再開を主張したのは、ラウルであった 10 。
また、昨年 12 月の第 8 回第 6 期人民権力全国議会をラウルは、フィデル不在のもとに主
宰したが、農業生産の不振の議論の中で、ラウルは、「この革命で、もう言い訳にはうんざ
りしている。今後は言い訳なくして議論を行おう。革命は、決して嘘をつかないものだ」
と述べて、率直な議論を行うように訴えた 11 。この国会で、ラウルは、農業生産不振の原
因の一つが、農産物の 65%を生産している個人農、協同組合農に対して購買した農産物の
支払を著しく遅れて支払っていることにあるとして、それを次期国会までに一掃すると同
時に、現農業大臣は、前から引き継いだので直接の責任はないとして、すぐれたオーガナ
イザーとしての一つの側面を見せた 12 。国会で、ラウルは、フィデルのように途中で長時
間発言することはせずに、各担当大臣に発言、回答させて、かなり自由な討議が行われて、
清新な印象を与えた。
今年の 7 月 26 日モンカダ兵営襲撃記念演説は、フィデルに代わってラウルが行ったが、
ラウルは、「問題や課題が大きければ大きいほど、だれも自らの犠牲や他人の犠牲の上で問
題を解決しようとせずに、一層、組織的活動、系統的・効率的活動、研究、明確に確定さ
れた優先順位に従った計画を基盤とした対策が必要である」と述べて、オーガナイザーと
しての性格を明確に示している 13 。
4.
フィデルが委託した人たちと課題
フィデルは、さらに当面の三つの重要課題の遂行を 6 人の政府幹部に委託した。それは、
① 国内・国際的医療の推進を共産党政治局員・保健相のホセ・ラモン・バラゲール(1932-)
に
② 国内・国際的教育の推進を共産党政治局員のホセ・マチャード・ベントゥーラ(1930-)
及びエステバン・ラソ(1944-)に
③ 国内・国際的エネルギー革命の推進を共産党政治局員・閣僚評議会執行書記のカルロ
ス・ラヘ・ダビラ(1951-)に
4
というものであった。そして、上記の医療、教育、エネルギー革命に国の資金を優先する
こと、またカルロス・ラヘ、フランシスコ・ソベロン(1944-)中央銀行総裁、フェリーペ・
ペレス・ロケ(1965-)外相の 3 名で資金運営委員会を結成して、資金を運用することを委託
した。
①は、「奇跡計画」の名の下に、ベネズエラ、ボリビアなど中南米諸国と白内障患者の手
術を行っている課題であり 14 、②は、「私もできる」という 2006 年UNESCO表彰の視聴
覚識字教育システムに基づく識字運動をベネズエラ、ブラジル、ボリビアなどの中南米諸
国で推進している課題であり、③は、省エネ蛍光灯、小規模発電システムの採用などによ
る省エネ・システムの普及で、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグアなどで実施している課
題である 15 。これら①、②、③のいずれも、国際協力とともに、サービス輸出として重要
な外貨収入源となっており、近年は外貨収入の 70%近くを占めるようになっている 16 。
フィデルが託した人々は、これまでこの問題の担当責任者として携わってきた人々であり、
特に抜擢されたものではなく、順当な指名であった。
5.
フィデルは、何を残したかったのか?
以上の医療、教育、省エネの三つの課題は、これまでキューバが行ってきた具体的な実
務的な課題であった。それでは、こうした課題の遂行によって、フィデルは、声明の中で
どういう革命の理念を継続してほしいと願ったのであろうか。それは、次の三つの原則的
な理念であった。
① 米国との関係で キューバの民族主権 ・独立を堅持する。
② 教育、医療、文化・スポーツの成果を維持する。
③ 「思想のたたかい」を継続する(経済改革から生じた歪みを正す)。
上記の①は、フィデルがこれまでに遂行してきたキューバ革命の真髄に当たるものであ
る。フィデル・カストロ思想の骨格は、キューバ独立の父といわれるホセ・マルティから
引き継いだものであることを、自ら何度も語っている 17 。
マルティは、1985 年 5 月 18 日、彼の死の前日に記されたメキシコの友人マヌエル・メル
カドにあてた未完の書簡で、つぎのように書いている。
「米国が、アンティル諸島に手をのばし、さらにより強大な力で、アメリカのわれらの
国ぐにを支配しようとすることを、キューバの独立でもって適時に阻止するのが、私の
義務です。そして、わが国とその義務のために、私は、生命をささげる危険に連日さら
されているのです。
・・・私は怪物の中に住んだことがありますので、その胎内を知っています。私の投
石器はダビデと同じものです」 18 。
また、フィデル自身も、自らの真の長期にわたる戦いが米国支配との戦いであることを、
すでにバチスタとの反独裁闘争の勝利以前に、的確に見抜いていた。1958 年 6 月、フィデ
ルは、キューバ東部のシエラ・マエストラ山中で、ゲリラを支援していた農民のマリオ・
サリオルの家がバチスタ軍を支援した米国の空軍の飛行機で爆撃されたことに怒りを示し、
次の手紙を同志のセリア・サンチェスに送っている。
「シエラ・マエストラ
58 年 6 月 5 日
セリア:
5
マリオの家にロケット砲が打ち込まれるのを見たとき、アメリカ人に、彼らが行って
いることに高い代償を払わせてやると私は誓った。この戦争が終わった時、私にとって、
はるかに長期にわたる大きな戦争が始まるであろう。その戦争を、私は彼らに対して行
うつもりだ。それが、私の真の運命となることが私にはわかっている。
フィデル」 19
こうした、キューバ国民の強い自立意識は、キューバの独立が、他のラテンアメリカ諸
国の独立と違って、キューバ人としての国民意識が形成される中で行われ、国民国家とし
ての独立をめざして、独立闘争が闘われたことによると筆者は考えている。しかし、アメ
リカ帝国主義の野望により憲法にプラット修正条項という米国のキューバ干渉を正当化す
る条項が追加された結果、キューバは、その後、米国の半植民地として半世紀余、痛恨の
歴史をおくらざるをえなかった。このことは、また一層、独立意識、国民意識を強化する
ものであった。こうしたキューバの国民意識の強さを見誤ると、カストロ政権さえ崩壊す
れば、簡単にキューバは米国支配下に入るだろうという誤った考えに陥ることになる。
III. ラウルが引き継いだ諸問題
1. ラウルが引き継いだもの: 「平和時の非常時」
しかし、ラウルがひきついだキューバ社会は、さまざまな困難を抱えている。ひとつは、
90 年代のマクロ経済全体の諸困難である。
東欧のいわゆる「社会主義国」が崩壊し、ソ連経済が混迷に陥った 1990 年 8 月、石油を
初めとするソ連・東欧からの輸入物資が激減した結果、フィデルは、キューバが、「平和時
の非常時」にあることを宣言し、国民の間の分配の平等性を強化しつつ、各種の緊縮政策
を打ち出した。
しかし、外貨収入の激減から、輸入資材が激減し(94 年度は 89 年度の 5 分の 1)
、90 年
から 93 年の 4 年間で経済は 40.1%後退した 20 。しかし、フィデルは、経済危機の中で、
社会主義政策の成果である医療、教育、社会保障については、ほぼ予算を堅持した(表1
参照)。これは、当時、ラテンアメリカ諸国で進められていた新自由主義政策の「ショック
療法」と対照的であり、
「反ショック療法」と呼ばれた。
(表 1)主要部門予算経費
4500
4000
3500
3000
2500
2000
1500
1000
500
0
(単位 100 万ペソ)
(100 万ペソ)
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005
教育
国防
住宅・公共サービス
医療
社会保障
6
出所:Omar Everleny Pérez Villanueva, “Situación actual de la economía cubana y sus
retos futuros” en Omar Everleny Pérez Villanueva ed., Reflexiones sobre economía
cubana, Editorial de Ciencias Sociales, La Habana, 2006, p.12.
(表 2)国内総生産(GDP)(1997 年再評価 GDP 比の成長率%)
A precios de 1997 Revaluado
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
0
-5
-10
-15
1990
15
10
5
a precios 97
(注)2001 年より左側は再評価された 97 年 GDP 数値に基づく。右側は、旧 97 年 GDP
数値比。
出所:IPS, Enfoques Especial: En la Encrucijada de la Economía Cubana, La Habana,
2007, p.4.
2. 非常時の中での経済回復
非常時の中で、急速な経済改革による国内の政治・社会混乱を避けるため、フィデルは、
1993 年からかなり市場機能を限定した経済改革政策を打ち出した 21 。その結果、GDPは、
回復基調に入り(表2参照)、2005 年以降高度成長を続けている(表3参照)。
さらに、経常収支は、近年サービス輸出の好調により、2003 年度より黒字(61 年以降、
黒字は 1 度だけ)を計上したが、06 年には輸入の増大により、再び赤字を記録した 22 。食
料生産は、依然として不十分ではあるが、なんとか回復し、国民は、所得の 75%以上を食
費に支払わなければならないが、ともかく食べることができるようになった 23 。医療と教
育は、設備・機械の荒廃や不足が広範にみられるものの基本的な無料制度も維持された。
3. 2006 年の経済状況
2006 年 12 月国会報告の経済報告では、次のように経済報告が行われた。これは、ラウ
ル政権下での成果というよりも、こうした経済状況をラウルは引き継いだということがで
きるであろう。
① 06 年度のキューバの経済成長は GDP 換算で 12.5%。前年度の 11.8%を上回った。こ
れは、革命後キューバで最も高い数字であり、06 年度のラテンアメリカ全体の経済成
長率 5.3%を上回るものであった。
7
② マクロ経済を見ると、財政赤字は GDP の 3.4%で、前年の 4.2%より改善した。流通
貨幣量は、6%増加、インフレは、5.5%(05 年 4.2%)、失業率は、1.9%と健全であっ
た。成長を引っ張ったのは、電力、運輸、住宅建設(30%)部門。住宅建設には 2 億
9200 万ドルが投資され 11 万戸が建設された。厳しい住宅事情で一定の改善がみられ
た。これまでの住宅建設の最高は、96 年の 5 万 7,318 戸であった。
③ 104 億ドルに達した好調な輸出(輸入は 103 億ドル)を反映して少額ではあるが初め
て累積債務額が減少した。
④ 国際収支では、約 1 億 4000 万ドルの黒字であったが、経常移転収支・資本移転を加
算すれば、6 億 4100 万ドルの黒字となり、04 年度から続いている国際収支の黒字基
調を維持した 24 。
(表3) 国内総生産
2001-2006 年、単位:百万ペソ、1977 年継続価格比
経済部門
2001
2002
2003
2004
2005
2006
1,924.1
1,875.7
1,920.6
1,924.6
1700.5
1,597.7
412.3
463.6
471.8
449.8
450.4
459.0
4,780.6
4,787.8
4,692.9
4,809.3
4864.7
4,956.9
577.9
591.9
610.5
595.2
585.4
605.5
5. 建設
1,658.1
1,618.7
1,689.6
1,858.4
2209.1
3,042.0
6. 商業・レストラン・ホテル
7,633.3
7,788.7
8,175.1
8,232.8
8627.3
10,581.5
7. 運輸・倉庫・通信
2,715.6
2,716.6
2,791.0
2,925.9
3166.2
3,458.6
8. 金融・不動産・企業向けサービス
2,076.1
2,101.2
2,104.6
2,207.7
2229.2
2,332.3
9. 地域・社会・個人サービス
9,333.6
9,730.1
10,395.8
11,567.9
14806.5
16,373.3
335.3
338.6
377.5
452.2
528.6
657.0
31,446.9
32,012.9
33,229.4
35,023.8
39,167.9
44,063.8
3.0%
2.0%
3.8%
5.4%
11.8%
12.5%
1. 農業、狩猟、林業、漁業
2. 鉱業・砕石
3. 製造業
4. 電気・ガス・水道
10. 輸入税
GDP合計
GDP成長率
出所:Anuario Estadístico de Cuba 2005, Oficina Nacional de Estadísticas, La Habana,
2006; Anuario Estadístico de Cuba 2006, Oficina Nacional de Estadísticas, La Habana,
2007 より筆者作成。
4. しかし、非常時は、国民生活の中で、依然として継続
しかし、マクロ経済の成果と裏腹に、国民経済は依然として多大な困難を抱えている。
長時間停電は解決したものの、食料、交通 25 、住宅問題 26 は依然として解決されず、国民
の生活は、80 年代の水準を回復していない。そのため、ラウルは、
「国民の多大の努力で経
済成長がみられるが、非常時は未だ終わっていない」と、16 年継続している非常時が終わっ
ていないことを明らかにした 27 。キューバは、未だ非常時を脱出していないという認識は、
8
閣僚評議会執行書記のカルロス・ラヘも同じように述べている。彼は、国会の事前討議で、
「この 3-4 年、重要な前進が見られたが、キューバは依然として完全には危機(非常時)
から脱出していない、食料と石油の値上がりという国際的逆境と立ち向かわなければなら
ない。一層の繁栄を実現するには、一層の節約、生産効率、労働規律、経済効率、資源の
管理が必要である。医薬品、病院・診療所の医療機器の状況の改善、学校の修理、住宅計
画の推進が必要である」と述べた 28 。
ラウルは、1 年の指導の下でも非常時を脱していない
ことを再確認した。ラウルは、「16 年経過しても非常
時を脱出していないので、その困難を克服するため努
力を続けなければならない」と 7・26 記念演説で述べ
表(4)家計収入・生活費
1 カ月の生活費
ペソ(4 人家族) ペソ(4 人家族)
1,400 ペソ程度、
ている 29 。GDPの成長率は、90 年から 93 年までのマ
賃金表に記載さ
イナス成長が累計で 40.1%であったが、94 年からプラ
ス成長に転じ、06 年までに累計で 65.3%に達しており
30
、差し引き 25.2%成長したように見える。しかし、
この 17 年間の人口増加分 30%余を考えると、未だ 89
れない。全員受
140 ペソ、食料、
給:配給食糧、教
配給を通じて購買
育・医療無料、交
通費・光熱費・文
年の水準を回復しているとはいえない。
化・スポーツ観覧
むしろ、国民の生活は、非常時の中で困難を一層極
料補助、年金・社
めているのが実情である。80 年代、キューバ経済はい
ろいろ問題があったものの、国民の生活を一応保障す
るものであった。80 年代平均賃金は 190 ペソ程度で
あったが、国民は、この賃金レベルで、配給だけでは
会保障補助など。
700 ペソ、食料、
1,500
自由市場で購買。
(USD60.00)。
貯蓄もできた。各家庭とも 3000~4000 ペソの貯蓄を
もっていた。国民の間の収入の差も 4 倍程度で、電気
製品など不足するものもあったが、格差の少ない落ち
着いた社会であった。
しかし、現在は、国民の生活は、賃金収入(平均月
額 390 ペソ)は、毎月一人当たり生活費の 2-3 割を満
たすに過ぎず 31 、残りの不足分 7-8 割を合法的であ
れ、非合法であれ、なんらかの方法で稼がなければな
ペ
ソ
何らかの方法で
不十分な食料を闇市場などのなんらかの市場で買うこ
とができたし、
1 カ月の収入
取得。
1,250 ペソ、日用
770 ペソ、賃金(共
必需品、食料、外
稼ぎ)収入。
貨市場で購買
180 ペソ程度、光
通貨収入合計
熱費、電話、交通
2,270 ペソ
費など
合計 2,270 ペソ
実質合計 3,670 ペ
ソ
らない(表4参照 32 )。不足分を解決する方法は、①海外に家族や親戚がいれば、送金を受
ける 33 、②外国企業や観光業に勤務しているものは賃金以外の特別支払やチップを取得す
る、③重要な職場で支給される外貨奨励金 34 、④特技をもっているものは、本来は禁じら
れているが、専門職の英語や、音楽などの家庭教師、大工などのアルバイト収入。ここま
では半ば合法的である。しかしこうした条件がないものは、⑤小売店や、レストランなど
のサービス現場で資材をごまかし、横流しする、倉庫や工場に勤務しているものは、資材
を横流しする、事務現場では事務の優先処理のための袖の下を要求する 35 、⑥どこにも就
職しておらず、これらも行うことができないものたちは、街で窃盗をおこなう 36 。
経済活動人口は、475 万人で、賃金労働者 390 万人である。そのうち、上記の①に属す
9
人々は、100 万人余、②に属する人々は、10 万人程度、③に属する人々は 84 万人、④に属
する人々は 10 万人程度、⑤に属する人々は 100 数 10 万人程度と推測される。そして、個
人営業者 15 万人、一部の自営農、上記の①-⑤の中の①から③に属する人々が高額所得(相
対的)者層を構成している。キューバ社会の実際の所得格差を示すジニ計数は発表されて
いないが、非常時になって、所得格差がかなり開いたことは、いろいろな研究者が指摘し
ているところである 37 。
非常時の中で、どうして経済がこのように歪んでしまったのか。その理由は、①工業製
品の配給がなくなり、キューバペソでの販売もなくなったこと、②格安で供給されていた
並行市場でのペソによる食料の販売がなくなったこと、③配給以外に市民が買わざるをえ
ない外貨市場の食料、工業製品の価格が、政府により一方的に 100%以上値上げされたこと、
④ペソの価値が 89 年の 1 ドル 6 ペソから 1 ドル 25 ペソと 400%以上下がったこと、⑤消
費者物価が 89 年から 06 年の 17 年間に 348.4%上昇したこと 38 などによる。ペソの購買力
はかつての 5 分の 1 に下がったのである。このような歴史的な流れの中で、国民は、食料
の配給を除いて、すべて自由市場・外貨市場で買わなければならない。このことから、表 4
に示すように、賃金は、1 カ月の生活費の 20~30%をカバーできるに過ぎないのである。
ラウルも、さすがにこのような異常な事態を認識しており、「賃金は、明らかに生活費を満
たすには不足しており、そのことは、実際に社会主義の原則を保障する役割を果たさなく
なっている」と問題点を簡潔に指摘している 39 。
現在、こうした国民生活の困難を反映した次のような小話がキューバで流行していると、
スペインの有力紙「エル・パイス」は伝えている 40 。
「革命の最大の成果の三つとは?
医療、教育、文化・スポーツである。
それでは、革命の最大の失敗の三つとは?
朝食、昼食、夕食である」。
実際、ハバナ市などでは、賃金のほとんどが食費で占められ、エンゲル係数は、極めて
高いものとなっている 41 。こうした非常時の歪んだ経済のもとで、困難な生活は、すでに
17 年になる。
5.
非常時の中で歪んだ社会現象
以上述べたように、非常時が 1990 年から進む中で、次第に賃金が生活費をカバーできな
くなり、現在では賃金所得が、生活費の中で 20-30%程度しか占めなくなっている。その
ため、人々は、生活費の残りの 70-80%を別の所得でカバーするように懸命になって探さ
なければならない 42 。こうした事実が、勤労意欲をそいだり、汚職、横領、横流しの原因
となっていることは、政府指導者が一様に認めているところである 43 。
フィデルも、05 年 11 月、悪習、横流し、汚職、不平等、不公正が社会にはびこっている
と批判した。ハバナではガソリンスタンドに青年労働者を新たに投入したところ、売り上
げが倍になったという。つまり、半分以上で横流しされていたのである。
また、06 年 9 月の調査では、ハバナ市の国営サービス業 22,700 店のうち 11,700 店が不
正行為を行っていることが明らかにされた。青年共産同盟機関紙の「フベントゥ・レベル
デ」は、カフェテリア、タクシー運転手、靴修理職人など具体例をあげてハバナ市内の不
10
正行為を、厳しく批判した 44 。
本年になると、再び「フベントゥ・レベルデ」は、飲食店での不正、食料品(ビール、
ラム、コーヒー)、葉巻、化粧品の私製粗製品、偽物が大量に製造されていると告発した 45 。
また、キューバが誇る医療面でも、医療資材の不足、医療資材・薬の横流し、診察に当たっ
ての医者への金品の供与、闇の歯科医の存在なども報告されている 46 。
6.
非常時の否定的な状態への警告
こうした歪んだ社会状況を、政府指導部は、腐敗や、労働規律の弛緩は、賃金が労働の
対価として正確に支払われていないことから生じていると認識している。そして、海外送
金を受ける高額所得者とそれを受けない低額所得者に同じ社会福祉サービスを提供するの
は不公平であり、賃金体系の是正が必要であると、ソベロン中央銀行総裁は指摘している 47 。
また、ラウルも、キューバ労働者センター(CTC)第 19 回大会で、腐敗、不正、非規律
などを厳しく批判し、それらを各職場で是正する必要性を強調した 48 。
フィデルは、さらに「(悪習、資材の横流し、盗難など、このまま状態を放置すれば)
米国によらなくても、われわれ自身の責任で革命が倒壊する」 と述べて、事態は革命の継
続そのものを危うくするほど深刻であることを警告している 49 。
7.
非常時の中で歪んだ経済構造
キューバ経済は、非常時に経済改革を進める中で、所得格差が大きくなり、社会的否定
的現象が増大した 50 。また外貨管理の分権化により、中央銀行の外貨管理が弛緩した。そ
のため、03 年より再び中央指令型経済システムを強化した。外貨管理が中央銀行により一
元化され、厳密な管理に置かれている。しかし、このことは、経済の各部門で硬直化を産
み出し、生産・サービス活動の大きな障害となっている。観光産業は、優先された産業部
門であり、迅速な資材の供給が必要であるが、その部門さえも輸入に時間がかかり、しば
しば資材不足が見られる。07 年 7 月の国会では、この制度に批判が集中したといわれてい
る。
前述した賃金制度の矛盾、配給制度の矛盾、海外送金生活者の裕福な生活、企業間取引
の非効率性、生産の非効率、コスト計算の不備、など、経済システム全体の構造的問題と
なっている。ラウル政権は、こうした歴史的大問題を引き継いでいるのである。
IV. ラウル、順調に内外政策を遂行
1.
第 14 回非同盟諸国首脳会議
ラウル指導下で、大きな内外の行事がどのように遂行されるか、内外の大きな注目を呼
んだ。次の 4 つの大きな行事が催された。その一つは、第 14 回非同盟諸国首脳会議( 9
月 11 日-16 日)の開催であった。会議には過去最高の 118 カ国から、50 カ国の国家元首・
政府首班、90 カ国の外相が参加した。会議は、ハバナ宣言、最終文書を満場一致で採択し
た。閉会あいさつは、ラウルが行い、非同盟運動が再活性化され、新たな段階に踏み出し
たことを強調した。
2.
新鮮な国会運営
11
二つ目の重要な行事は、12 月 22-23 日に開催された第8回第6期人民権力全国議会(国
会であった。開会のあいさつは、アラルコン国会議長(1937―)が行い、オズワルド・マル
ティネス経済問題委員長が世界経済について、ラヘ閣僚会議執行書記が、住宅問題を、ロ
ドリゲス経済相が国内経済を、バレイロ財政・価格相が、財政報告を行った。
国会討論の中で、ラウルは、問題の透明性、厳格性が必要であることを強調し、言い訳
はもうあきたと述べて、問題への解決への厳しい姿勢を示した。
また、ラウルは、農業生産が停滞しており、問題の重大さを指摘し、国の農産物の 65%
を供給している協同組合、農民に国が買い上げ農産物代の支払を怠っていることを批判し、
次期国会で徹底して審議することを指示した 51 。ラウルは、 問題ごとに政府幹部に発言さ
せ、議会運営において民主的かつ新鮮な印象を与えた。
本年、6 月 28-29 日には、第 9 回第 6 期人民権力全国議会(国会)定例会議が開催され、
交通問題でシエラ輸送相、砂糖産業の問題でウリセス・デ・トロ砂糖産業相が報告した。
農業部門の未払い問題解決されたと、ヘオルヒーナ・バレイロ財政相が報告し、約束した
ことは実行する姿勢を示した。 また、04 年 2 月から中央銀行による外貨管理が強化された
結果、輸入手続きに時間がかかり、資材の取得に時間がかかって生産やサービスに支障を
きたしていることが各分野から批判され、ラウルもこの批判を支持した。ここでも、ラウ
ルは、問題の議論にタブーがないことを示し、問題の解決に理解を示し、実務的な姿勢を
示した。
3.
高い投票率の地方選挙
さらに、本年 7 月にはラウルは、7 月 9 日、憲法と各種の規定にしたがって、人民権力
全国議会(国会、議席 614、5 年任期)、人民権力県議会( 5 年任期) 、人民権力基礎行政区
議会の実施(2.5 年任期)の総選挙実施を通達し、全国選挙管理委員会を任命した。基礎行
政区議会は 10 月 21 日に 13,865 の選挙区で第一回投票が行われた。有権者数 830 万人が
投票し、投票率は、96,49%であった 52 。10 月 28 日には、未決定の 3,028 議席を争って、
決戦投票が行われた。ラウル指導下の選挙は、通常通り行われたのである。
V. 原則的かつ柔軟な外交
1.
し烈な外交戦①、米国の経済封鎖とたたかう
一方で、ラウルは、カストロ政権打倒の好機とみて、キューバへの圧力を一層強化して
いる米国のブッシュ政権とし烈な外交戦を展開せざるをえない。その第一は、国連総会に
おける米国の経済封鎖非難決議の採択であった。92 年から毎年問題が議論され、ラウル指
導下でどのような決議結果となるか注目された。
06 年 11 月 8 日、第 61 回国連総会で、決議「米国の対キューバ経済封鎖・通商・金融封
鎖を解除する必要性」は、賛成 183 カ国、反対 4 国、棄権 1 カ国、欠席 4 カ国という圧倒
的大差で採択された。新たに加盟国となったモンテネグロも賛成し、賛成国が前年より 1
カ国増えた。反対は前年同様、米国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオの 4 カ国、棄
権はミクロネシア。圧倒的多数で、15年連続、米経済封鎖解除が決議されたのであった 53 。
米国との外交戦で、キューバが重視している第二の問題は、キューバの人権問題の国連
における討議である。これは、キューバの人権状況を調査するため、キューバに国連人権
12
高等弁務官を派遣するという決議であるが、人権問題がないとするキューバにとって屈辱
的な決議である。87 年以来 20 年間続いた措置であるが、07 年 6 月 19 日、ジュネーブの
国連人権理事会で、47 カ国の賛成を得て、キューバへの国連人権高等弁務官の派遣を停止
することが決定された。議長国のメキシコが賛成に回り、キューバは、その役割を積極的
に評価した。その後、フォックス前政権との間に冷却していたメキシコとの関係が修復に
向かった。ラウル指導下での大きな成果であった。
さらに、07 年 10 月、第62回国連総会において、決議 A/RES/62/3「米国の対キューバ
経済封鎖・通商・金融封鎖を解除する必要性」が、賛成184カ国、反対4国(米国、イ
スラエル、マーシャル諸島、パラオ)、棄権1カ国(ミクロネシア)という圧倒的大差で採
択された。16 年連続の採択であった。本年は、アルバニアが棄権に回ったものの、新にニ
カラグア、コートジボワールが賛成に回り、賛成が1カ国増え、国連加盟国192カ国の
95.8%が賛成した。
本年は、特に、一週間前の 10 月 24 日、ブッシュ米大統領が、激しいキューバの現体制
批判を行うとともに、「自由キューバ」を実現するためにキューバ市民、政府職員、軍隊・
警察に決起するように呼びかけたり、各国に決議に賛成しないように猛烈な巻き返しを
図ったりしただけに、キューバにとっては大きな成果であった。
2.
し烈な外交戦②、柔軟な外交
他面で、ラウルは、柔軟な外交姿勢も示している。本年 6 月コロンビアの政府と反政府
武装勢力、コロンビア革命軍(FARC)との対話を仲介し、FARCの外交面での責任者ロド
リゴ・グランダの釈放後のキューバ滞在を、コロンビア政府とFARC双方が合意すればとし
て、これを受け入れた 54 。
2 月には、02 年に国交を回復するも領事レベルであったホンジュラスと双方が大使を任
命した。10 月には同国のセラヤ大統領がキューバを訪問し、両国関係が大きく改善された。
前述したように、メキシコとの関係も改善に向かっている。
4 月には、ラウルは、スペインのミゲル・アンヘル・モラティーノス外相と会談し、人権
問題も含め話し合い、2年前から冷却していた関係が正常化された 55 。スペインとの関係
は、その後も改善し、10 月には、スペイン政府は、2000 万ユーロをキューバの農業、サー
ビス業、環境計画用にクレジットを供与し、今後も計画が提示されれば増大すると発表し
た 56 。11 月 8 日のイベロ・アメリカ首脳会議におけるスペインのフアン・カルロス国王、
サパテーロ首相とベネズエラのチャベス大統領の間の議論の応酬には、フィデルは、抑制
した調子で、原則的にチャベス大統領の発言を支持した。
3.
し烈な外交戦③、同盟国との関係を強化
現在、ラテンアメリカでは左派政権が相次いで登場しているが、キューバは、これらの
左派政権と手を携えて、米国の圧力をはねつけるだけでなく、反対に米国をこの地域で少
数派に追い込んでいる。ラウル政権は、これまでと同じく、米国が推進する米州自由貿易
圏構想(FTAA、スペイン語で ALCA)に対抗して、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグアと、
ボリーバル的米州統合対案構想(ALBA)を進めている。また、四カ国で 07 年度中に ALBA
銀行を設立することで合意している。
13
また、外交では、ベネズエラ、中国、ベトナムと緊密な政治・経済協力関係を結んでい
る。チャベス大統領は、年数回キューバを訪問し、またフィデルとは数日おきに電話で話
し合っている。キューバは、現在 3 万人にのぼる医療・スポーツ・文化・経済関係者をベ
ネズエラに派遣している。これらの対価は、04 年 12 月に締結された協定により、ベネズエ
ラの石油、日産 9 万 5000 バレル(年間約 470 万トン)とのバーターとなっている 57 。
5 月には、中国の曹剛川国防相が、訪問し、ラウルと会談して、経済、軍事関係について
関係を強化した。中国との貿易は、往復年間 20 億ドル程度で 58 、ベネズエラの 32 億ドル
に続いて第 2 位となっている。
ベトナムとは、6 月マン共産党書記長がキューバを訪問し、ラウル、フィデルと会談した。
その際、キューバは、ベトナム国営石油企業、ペトロベトナムと合弁企業を設立し、リス
ク契約でメキシコ湾の海底油田開発することで合意した。
ロシアとの関係も、緊密なものとなってきている。06 年 9 月フラドコフ首相がキューバ
を訪問した際、260 億ドルと推計される旧ソ連との債務は棚上げにされ討議されず、逆に新
に 3 億 5500 万ドルのクレジットが供与された 59 。2006 年には 3 億ドルであった貿易額も、
07 年 60%増大し、ロシアのオイル・メジャー、ルコイル社がキューバにベネズエラのPDVSA
と合弁で石油製油所を建設することを検討していると伝えられている 60 。
4.
し烈な外交戦④、対米外交、原則と柔軟性
ラウルは、政権継承後、米国との関係改善を三度呼びかけた。フィデル手術直後の 06 年
8 月 61 、06 年 12 月 62 、07 年 7 月 26 日 63 の発言である。いずれの発言でも、米国の対キュー
バ干渉政策を批判するととともに、双方の平等、互恵、内部問題不干渉、相互尊重を基礎
として米国との関係改善を希望するという原則的立場を繰り返しているのが特徴である。
問題は、キューバが現在の国内政策を変更することを、両国の関係改善の条件とするとい
う米国の立場は、自らの政策を他国に受け入れることを押付ける覇権主義以外のなにもの
でもないことである。当然のことながら、現代の国際社会の原則では、二国間の対立は、
無条件で、平等、互恵、内部問題不干渉、相互尊重を基礎として話し合いで解決されなけ
ればならない。
VI. 委託されたことは実行されたか?
1.
国内・国際的医療の推進
フィデルが託した、国内・国際的医療の推進は、どのように達成されたであろうか。国
内・国際的医療の推進は、共産党政治局員・保健相のホセ・ラモン・バラゲール(1932-)
に委託された。現在、海外への医師の派遣は、76 カ国で 3 万 2,000 人に達している 64 。ベ
ネズエラとの関係も変化なく継続されている。チャベス大統領は、ベネズエラの国会の年
次報告で「現在、ベネズエラには 1 万 5900 人のキューバ人医師、3,000 人の歯科医、1,700
人の看護師、274 人の電子医療機技師等、合計 26,819 人のキューバ人が医療サービスに従
事している」と報告している 65 。キューバのラテンアメリカ医学校(ELAM)は、シエンフ
エゴスにELAM新校舎を建設した。新校舎には、現在までにアフリカ 7 か国を含む計 29 か
国から 3,300 人を受け入れている。
視覚障害者を治療する「奇跡計画 66 」は、ベネズエラ、 ボリビア、ニカラグア、パナマ、
14
ホンジュラス、グアテマラなどで積極的に推進されている。中国では、白内障病院が中国
=キューバにより合弁で建設された。
2006 年、乳児死亡率は、1000 人につき、5.3 人で、05 年 6.2 人を上回った 67 。07 年 9
月、キューバでは、医者、歯科医、医療関係学士、看護師、合計 8,884 名が卒業した 68 。
2.
医療サービス輸出の増大
医療サービスによる外貨収入は、引き続き増加している。06 年にはほぼ 50 億ドルに達し、
貿易収入の 51%を占めている。下記を参照こう。今や、キューバ経済を支えているのは、
医療サービス輸出であるといっても過言ではない。
国際収支(2006 年 単位百万㌦)
輸出
財
2,448
輸入
財
9,357
貿易(財)収支
輸出サービス
医療
-6,909
7,283
5,000
輸入 サービス
700
サービス収支
6,583
貿易収支(財・サービス)
-326
所得収支
-650
経常移転収支
経常収支
資本・金融収支
外貨準備増減
660
-316
400
84
出所:IPS, Enfoques Especial: En la Encrucijada de la Economía Cubana, La Habana,
2007.
3.
国内・国際的教育の推進
国内・国際的教育の推進は、共産党政治局員のホセ・マチャード・ベントゥーラ(1930-)
及びエステバン・ラソ(1944-)に委託された。キューバで開発された視聴覚識字教育システ
ム「私もできる(Yo sí puedo)」は、06 年ユネスコ(UNESCO)により表彰を受けた。現在世
界の 17 カ国でこのシステムを使用して、216 万人が識字化されている 69 。それらの国は、
ベネズエラ、パラグアイ、アルゼンチン、メキシコ、エクアドル、ボリビア、ブラジル、
ペルー、ホンジュラス、ニカラグア、ドミニカ共和国、ニュージーランド、モザンビーク、
エルサルバドル、コロンビア、ギネア・ビソウである。
教育予算も優先的に組まれている。07 年度は、教育と医療分野でGDPの 22.6%が割り
当てられている 70 。これは、ラテンアメリカの平均の 4 倍である。全教育レベルを含む生
徒数は、史上最高の 300 万人に達している。また、高等教育には 60 万人の生徒が学んでい
る。
しかし、現在、全国で学校施設の老朽化が進んでいる。07 年 7 月国会で、学校の修理が
提案された。
15
4.
国内・国際的エネルギー革命の推進
国内・国際的エネルギー革命の推進は、カルロス・ラヘ・ダビラ(1951-)に託された。現
在、エネルギー革命のノウハウは、ベネズエラ、ボリビア、ニカラグアに委譲されている。
基本は、小規模発電網の整備、省エネ蛍光灯の使用である。キューバは、ベネズエラから、
節約エネルギー金額の半分に相当する指導料を受け取っている。
長期間、キューバ国民は、長時間停電に苦しんできたが、2 年間に渡り 2 億 6,200 万ドル
が集中して投資され、全国に 120 グループの小規模発電所が設置された。その結果、本年
度、発電能力は、400 メガワットとなり 71 、長時間停電問題は克服された。
VII.
1.
人事のラウルの真髄
信賞必罰の人事
ラウルは、人事面では、信賞必罰、適材適所の政策を進めている。ラウルの最初の重要
人事は、06 年 8 月 31 日イグナシオ・ゴンサーレス・プラーナス情報・通信相を解任、ラ
ミーロ・バルデス元内務相(1932-)を就任させたことである 72 。10 月 20 日には、交通問題
を抱える、カルロス・マヌエル・パソ・トラード運輸相を解任、若手の有能な指導者、ホ
ルヘ・ルイス・シエラ(1961-)、キューバ共産党政治局員、書記局員を運輸相に任命した。3
月 24 日には、ロベルト・ディアス・ソトロンゴ法務相を解任、マリア・エステル・レウス・
ゴンサーレス次官を、また、ホルヘ・ルイス・アスピオレア水力資源庁大臣を解任し、レ
ネ・メサ・ビジャファーニャ建設省次官を大臣に任命した。いずれも信賞必罰の人事であっ
た。
2.
ラウル、軍・警察を完全に掌握
ラウルの組織力、指導力は、彼が、軍・警察を完全に掌握していることから来ている。
キューバ革命軍の階級は次のようになっている。軍団将軍 9 名はすべてラウルの子飼いで
ある。
…
最高司令官:
フィデル・カストロ、党中央委第一書記、国家評議会議長
…
革命軍将軍:
ラウル・カストロ、 党中央委第二書記、国防相
…
革命司令官(名誉称号):
フアン・アルメイダ、 キューバ革命戦士全国協会会長
ギジェルモ・ガルシア、元運輸相
ラミーロ・バルデス、情報・通信相、党中央委員
…
軍団将軍:
• アベラルド・コロメ、 内務相、党政治局員
• ウリセス・ロサーレス・デル・トロ、 砂糖産業相、党政治局員
• フリオ・カーサス・レゲイロ、 国防相第一次官、党政治局員
• レオポルド・シンタス・フリアス、 西部方面軍司令官、党政治局員
• ラモン・エスピノサ・マルティン、 東部方面軍司令官、党政治局員
16
• ホアキン・キンタス・ソラー、 中部方面軍司令官、党中央委員
• アルバロ・ロペス・ミエラ、 国防次官、参謀本部長、党中央委員
• リゴベルト・ガルシア・フェルナンデス、青年労働部隊司令官
• シクスト・バチスタ・サンターナ、退役、元政治局員
VIII.
1.
構造的改革をめざして
蓄積された社会問題との取り組み
それでは、蓄積された社会問題と、ラウルはどう取り組んでいるのであろうか。ラウル
は、07 年 4 月、キューバ経済研究者、知識人を対象に政府指導部に、キューバ社会の現状
の問題点とその対策を提言するように指示を出し、問題点を検討した。ラウルは、この報
告を見て、「これでは別なキューバを作らなければならない」と驚いたという 73 。
政府は、職場や、地域で不正、汚職、横領などのキャンペーンを進めるいっぽう、07 年
8 月には、政令第 251 号を制定し、国と政府の幹部、指導部、役員の作業システムについて
の修正を発表した。これにより、政府の幹部、指導部は、部下の不正、汚職、横領につい
ては、連座して責任が問われることとなった。しかし、こうした法律による規制では、問
題は根本的に解決できないことをラウルは、良く知っていた。
07 年 6 月、ラヘ閣僚会議執行書記は、国会準備作業で、
「この3-4年、重要な前進が見
られたが、キューバは依然として完全には危機(非常時)から脱出していない。食料と燃
料の値上がりという国際的逆境と立ち向かわなければならない。より繁栄を達成するには、
一層の節約、生産効率、労働規律 74 、経済効率、資源の管理が必要。医薬品、病院・診療
所の医療機器の状況の改善 75 、学校の修理、住宅計画の推進が必要である。7 月から、牛
乳、牛肉の政府買付価格を 2.5 倍に引き上げる」と、今後の改革の方向性を述べた 76 。
7 月の国会では、昨年 12 月の国会で問題とされた、国の買付機関による協同組合、農民
に対する農産物買付代金の未払いが一層されたことが報告された。また、農産物の生産を
刺激するため、7 月から、牛乳、牛肉の政府買付価格が 2.5 倍に引き上げられた 77 。
交通については、本年ハバナ市にさらに中国製ユートン社のバス 1148 台が、到着予定で
ある。09 年までに 6,350 台購入される予定となっている 78 。これによって、都市交通は、
若干緩和されることであろう。
しかし、住宅建設は、07 年の 70,300 戸計画に対し、資材や人材不足で 5 月末まで 16,241
戸しか建設されず、著しく遅れている。
2. 構造的変革を提起
本年 7 月、ラウル・カストロ副議長は、キューバ社会の問題点を総点検して、次のよう
に指摘した。
「賃金は、生活費のすべてを満足させるには明らかに不足しており、賃金は、各人は能
力に応じて働き、労働に応じて受け取るという社会主義の原則を保障する役割を失ってい
る。このことは、社会的不規律の要因となっている。現在、党と政府は、これらの複雑で
困難な諸問題を徹底して検討している。すべての指導者、労働者がこの問題を正確に把握
し、それぞれの問題を徹底して分析し、それぞれの分野で最も適切な方法でそれらに対処
しなければならない。
17
すべての問題が直ちに解決できるというものではない。現実を反映するように賃金の増
加や価格の値下げをするにしても、より多くの所得を受け取ることができるためには、生
産やサービスの増大や効率の向上をはからなければならない。生産を増大させ、輸入を削
減し、自給できていない食料生産を増大しなければならない。そのためには、構造的変革 79
が必要である。
工業生産を回復し、新たな品目で輸入をやめ、輸出するようにしなければならない。ま
た、そのために過去の過ちを犯すことなく外国投資を再活性化しなければならない」。
そして、実践的といわれるラウル副議長は、広範な国民的討議を呼びかけた 80 。この呼
びかけを受けて、8 月から、国民各層の中で、職場や住民組織で討議が進められている。
3. 移行期と市場
理論的には、現在、キューバ社会は、科学的社会主義の観点からどう位置づけられるか
という議論が研究者の間で行われている。これは、80 年代末以来久しぶりのことである 81 。
92 年の第四回党大会で綱領が廃止されて以来、現在、キューバ共産党は、97 年の第五回党
大会で改正、採択された規約を持っているが、綱領はもっていない。
議論されている中心点は、キューバは、はたして移行期(過渡期)にあるのかどうか、
その移行期とはどのようなものか。生産手段の社会的所有の意味、市場の社会主義建設の
役割などである。そこでは様々な立場から議論が行われているが、
「旧ソ連・東欧諸国と違っ
て、現在のキューバの移行期(過渡期)は、資本主義から社会主義への移行期、つまり社
会主義的移行期であり、それは学習と建設的な議論の段階である」と把握することでは一
致している。また。市場の問題では、「市場は、社会主義建設の段階でも存在すべきである
が、市場には暴走する本性もあるので、これを規制し、生産性、イノベーション、生産を
刺激する要素を利用する必要がある。市場を完全に否定すると生産を阻害するという重大
な危険を冒すことになる」という点でも、シンポジウム参加者の意見は一致している 82 。
IX. 激化する米玖対決
1.
継続する米国の圧力
ブッシュ政権は、フィデルの死亡によりキューバ国民は、反政府活動に立ち上がると考
えていたようである。しかしラウル体制が、無難に政治運営を行っているのをみて、歪ん
だ報道や、反体制派への資金供与、キューバ国民への反政府活動への決起をよびかけるな
ど、様々な策謀を行っている。
06 年 12 月には、ネグロポンテ(当時、国家情報長官)は、ワシントンポスト紙にフィデ
ルは、重病で、数ヶ月の命と述べた。3 月にはトーマス・シャノン国務省ラテンアメリカ担
当が、
「フィデルは、依然としてキューバ政府の政策に関与している。フィデルが病気になっ
て以来、キューバの人権状況は悪化している」と、根も葉もないことを述べた。
07 年 6 月、ブッシュ大統領は、チェコのプラハで、
「私は、世界の独裁制国家、べラルー
シ、ビルマ、キューバ、北朝鮮、スーダン、ジンバブエの反体制・民主主義活動家と個人
的に会っている。キューバ人は自由に絶望しており、キューバは(資本主義への)移行期
に入っている。キューバでの自由選挙、自由言論、自由議会を主張しなければならない。
暴政のもとで苦しんでいる人々に、『われわれは、圧政者を決して許さない、われわれは、
18
常にあなた方の自由を支持している』とメッセージを送る」 83 と、内政干渉を強めた。
7 月ライス国務長官は、
「キューバで独裁者から独裁者への交代を許さない。キューバ国
民がそれを決めるように」、と述べ、キューバ国民が反政府行動に立ち上がるよう扇動した。
米国は、94 年に合意している年間 2 万人以上の移民ビザをキューバ人に発給することに
なっているが、常にキューバ国内の不安や不満が高まったりしたときに行ったように、ビ
ザの発給を極端に抑制し、06 年 10 月 1 日から 07 年 6 月 30 日までで、10,724 人の移民ビ
ザしか発給しなかった 84 。それは、一方でメキシコ経由での米国への不法移住の大幅な増
加として現れている。昨年キューバから 7,693 名が不法に海路米国に向かい、2,868 名が米
国の沿岸警備隊により捕捉され、4,825 がフロリダに到着した。さらに約 1 万人が不法にメ
キシコ経由で米国に到着した。昨年は米国に 7,083 名、メキシコに 2,810 名が不法移住し
た 85 。
2. 対キューバ政策の一層の強化
ブッシュ大統領は、今年下半期に入り、一層キューバ政府批判を強めた。9 月ブッシュ大
統領は、国連総会で、「キューバでは、残忍な独裁者の長期支配がほぼ終わりに近づいてい
る。キューバ国民は、自由のための準備ができている。この国は(資本主義への)移行期
に入っているので、国連は、自由な意見、自由な集会、最後に自由で競合的な選挙を主張
しなければならない」と演説した 86 。10 月には、ブッシュ大統領は、「キューバ国民や、
兵士、警察、政府職員、青年に決起を呼びかける」とともに、『自由キューバ基金』への拠
金を第三国に提唱し、干渉主義的なキューバ政策を発表した。また、米国政府は、各国政
府に決議案に賛成しないように、強力なキャンペーンを行った 87 。
しかしながら、フィデルが、自分のあとにも維持したいと思った二つのこと、アメリカ
との関係で キューバの民族主権・独立を守ってほしいということは、堅持されている。し
かし、もう一つの課題、
「思想のたたかい」を継続する(経済改革から生じた歪みを正す)
という課題は、社会・経済システム全体も関わる複雑な問題であり、継続して追及されて
いるが、解決されず、これからの重大な課題となっている。しかし、フィデルでなく、ラ
ウルが、積年の課題に取り組むということから、フィデル自身が直接指導するよりも 88 、
より広範に、より徹底して議論と改革が行われるのではないかと筆者は考えている。
X. フィデルの実質的指導
1.
フィデルは、500 日をどのように過ごしたか?
それでは、フィデルは、この 500 日をどのように過ごしたのであろうか。昨年 10 月 8 日
の 米国タイム誌は、カストロはガンだと報道し、イギリスのインデペンデント紙は、カス
トロは、ガンではないが病状は深刻で、クリスマスまでもたないと報道し、本年 1 月コロ
ンビアの有力な筆跡鑑定家は、カストロのサインは偽物と鑑定して、すでに死亡している
と述べるなどのうわさが流れた。しかし、スペインのエル・パイス紙によると、
「カスロ議
長は昨夏前から憩室炎と呼ばれる腹部の持病が悪化し、腸内の炎症と大量出血を招いた。
1回目の手術では、腸の一部を摘出し、大腸と直腸を結合する方法が取られたが失敗し、
病状が拡大。新たに人工肛門をつける手術を行った。しかし、その後、炎症は胆のう部分
にも及び、人工器官を埋め込む手術を行ったが失敗し、別の人工器に交換した」というこ
19
とである 89 。
その後、フィデルは、長期間姿を見せず、世論が騒ぎ出すとテレビに現れてくる。しか
し、さすがにその姿は、往時のはつらつとした顔色、表情は見られない。
実際には、フィデルは、ALBA の盟友、チャベス、モラーレス、オルテガ大統領、パナ
マのトリホス大統領、マン、ベトナム共産党書記長、アンゴラ大統領などと会談している。
また、3 月 28 日からフィデルは、世界のニュース、エネルギー問題、環境問題などの現
在の世界的な課題、歴史的事件について「考察」を発表している 90 。
2.
実質的な指導
これらをまとめれば、フィデルの日常生活は、次のようになる。
• 常に、電話でラヘ、フェリーペ、秘書室グループなどに内外政策の指示を出している。
• ラウルなどの相談を受け、ラウル、ラヘ、ラソ、フェリーペなどと会議をもっている。
• チャベス、モラーレス、オルテガなどの訪問を受け、ラテンアメリカ情勢について意見
を交換する。チャベスには毎週のように電話や、メモ、書簡を送っている。
• 国内外のニュースに目を通し、
「考察」を書く。11 月 18 日現在で 62 編を発表している。
4 日に 1 回の割りである。
XI. 結論に代わって
1. ポスト・フィデル・カストロは?
それでは、ポスト・フィデル・カストロはどうなるのであろうか。ポスト・フィデル・
カストロは、これまで見てきたように、問題はない。問題は、ポスト・ラウル・カストロ
である。
しかし、本稿は、後継者を予測することが目的ではないので、現在の指導部を紹介する
にとどめたい。現在の指導者は、次の通りである。前述の革命軍指導部と以下の指導部以
外からは、当面の後継者が現れるとは思われない。
¾国家評議会:
• 議長:フィデル・カストロ
• 第一副議長:ラウル・カストロ
• 副議長:フアン・アルメイダ、アベラルド・コロメ、カルロス・ラヘ(閣僚評議会執行
書記)、マチャド・ベントゥーラ、エステバン・ラソ、
• 国会議長:リカルド・アラルコン、
¾共産党政治局員:ホルヘ・ルイス・シエラ、ウリセス・ロサーレス・デル・トロ、フリ
オ・カーサス・レゲイロ
¾ 若手の指導者としては次の人たちがいる。
• 国家評議会員、党中央委員、外相:フェリーペ・ペレス・ロケ(1965-)
• 国家評議会員、党中央委員、カストロ議長室長:カルロス・マヌエル・バレンシアーガ
(1973-)
• 国家評議会員、閣僚評議会副議長、「思想のたたかい」責任者:オットー・リベーロ・
トルレス(1968-)
• キューバ共産主義青年同盟書記長:フアン・マルティネス(?)
20
2. 集団的指導をめざして
フィデル・ラウル後の体制については、一般的な見方として次のようなものがある。
フィデルの姪( ラウルの娘)、マリエラ・カストロは、こう述べている。
「フィデルは元気で回復 しつつあり、元通りになりつつある。フィデルの一時的な離任
は、彼がいなくなったときに国がどうなるかを試すこととなった。彼の後は集団指導が
行われるであろうことをこの間の経験は示している」 91 。
1959 年、フィデル・カストロ率いる 7・26 運動は、バチスタ独裁政権を倒すとともに、
60 年にわたる米国の半ば植民地状態から脱して、真の民族主権を確立した。そしてその後、
帝国の干渉と経済封鎖を受けながらも、ソ連圏との協調のもとで 40 年、ソ連圏が崩壊して、
世界の一極支配を確立した最強の帝国の干渉と圧力を受けてきた 15 年、フィデル・カスト
ロ政権は、民族の独立と自主的立場を維持してきた。このことは特筆してもよいであろう。
(2007 年 11 月 19 日記)
1
フィデル・カストロの誕生日については、1926 年 8 月 13 日と 1927 年 8 月 13 日と二通
り の 説 あ る が 、 革 命 初 期 の キ ュ ー バ で 出 版 さ れ た 本 は 、 1927 年 生 ま れ と し て い る
(Pensamiento Político, Económico y Social de Fidel Castro, Editorial Lex, La Habana,
1959, p.5; Gerardo Rodríguez Morejón, Fidel Castro: Biografía, P. Fernández y Cía, La
Habana, 1959, p.1)。しかし、その後キューバ共産党、キューバ政府などの公式文書では、
1926 年生まれとなっている(Partido Comunista de Cuba Sitio Web, Julio 15, 2006; Fidel
Castro, Fidel y Religión: Conversación con Frei Betto, Oficina de Publicaciones del
Consejo de Estado, La Habana, 1985, p.96; Katiuska Blanco, Todo el tiempo de los
cedros: paisaje familiar de Fidel Castro, Casa Editorial Abril, La Habana, 2003, p.84)。
しかし、フィデルの兄ラモンや姉のアンヘリータは、いずれもフィデルが 1927 年に生ま
れたとのべている(Lionel Martín, The Early Fidel: Roots of Castro’s Communism, Lyle
Stuart Inc., 1978, p.23; Claudia Furiati, Fidel Castro: La historia me absolverá, Plaza
Janés, Barcelona, 2003, pp.48-59)。
実際は、フィデルが中学校を終え、ベレン高校に入学するとき、父アンヘルは 1941 年 5
月 10 日、証明書を作成する際、1 年早く生まれた証明書を作るため、地区の裁判所の書記
に、以前の文書のデータを書き直し、誕生日を 1926 年にするように依頼したのであった
(Claudia Furiati, op.cit., p.81)。フィデル自身もこのことを知っているようで、最新のイ
...........
ンタビューでは、
「私は、言われているところでは、1926 年 8 月 13 日早朝 2 時に生まれた」
(傍点、筆者)と述べている(Iganacio Ramonet, Fidel Castro: Biografía a dos voces,
Debate, Barcelona, 2006, p.44)。
フィデルは、自分が 8 月 13 日の倍数である 1926 年に生まれ、彼が 26 歳のときの 52 年
にバチスタがクーデターを起こしたと、26 にまつわる数の偶然を気に入っているようであ
る(Frei Betto, op.cit., p.96)。さらに、バチスタ独裁闘争は、1953 年 7 月 26 日のモンカダ
兵営襲撃から 5 年 5 ヶ月 5 日経過した 1959 年 1 月 1 日に勝利を収めたのも数の偶然とし
て、折に触れて述べている(Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los
Consejos de Estado y de Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, Granma, Julio
21
27, 2007)。
キューバでは、手術が 7 月 27 日に行われたとは正式には発表されていないが、本年 1 月
半ばから、海外の通信社は、手術が 7 月 27 日に行われたと報道するようになった(AP, AFP
January 17, 2007)。フィデルは、前日の 7 月 26 日に午前と午後 2 度にわたり、2・26 革
命記念日の演説をバヤモとオルギンで行っている。その演説を放送したテレビからは健康
状態が異常であることは、筆者にはまったく伺えなかった。
2
Estatutos del Partido Comunista de Cuba, Partido Comunista de Cuba Sitio Web,
3
Mayo 5, 2006, http://www.pcc.cu/pccweb/documentos/estatutos/
4 筆者は、共産党がキューバ社会で指導勢力であるかどうかは、大多数の国民が共産党の
活動に対して支持を寄せることであり、憲法で規定することではないと考えている。また、
同様に共産党の規約で自らを、キューバ社会の最高指導勢力であると規定するのも、キュー
バ社会で党の活動を通じて、大きな支持を得るという目標は理解するものの、適切ではな
いと考えている。キューバの憲法、共産党の規約、政治制度には、長期にわたるアメリカ
帝国主義の干渉から、民族自決を守るためのたたかいを行うための総動員体制をとらざる
をえないことから、独特の規定があることも認識しておかなければならない。
Grados Militares, Ministerio de las Fuerzas Armadas Sitio Web, Octubre 29, 2006,
5
http://www.cubagob.cu/otras_info/minfar/default.htm
6
この他に最高司令官フィデル直属の革命司令官と呼ばれる革命の元勲であるフアン・ア
ルメイダ、ギジェルモ・ガルシア、ラミーロ・バルデスがいるが、下に部下を持っていな
い名誉称号である。
AP, June 24, 2001.
8 Granma, Octubre 11, 1997.
9 新藤通弘「キューバにおける都市農業・有機農業の歴史的位相」
、『アジア・アフリカ研
7
究』2007年第2号 Vol.47 No.2 通巻384号所収、参照。
Granma, Septiembre 17, 1994。この時の詳細な議論の経過は、拙著『現代キューバ経
済史』(大村書店、2000 年)102-104 ページ参照。
11 Granma, Diciembre 23, 2006.
12 Ibid.
13 Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los Consejos de Estado y de
Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, Granma, Julio 27, 2007.
14 詳細は、拙稿「中南米の白内障患者 600 万人を無料で治療」雑誌『いつでも元気』
2006.9,No.179 所収、参照。
15 詳細は、拙稿「キューバ発エネルギー革命」雑誌『いつでも元気』2007.4,No.186 所収、
参照。
16 Anuario Estadístico de Cuba 2006, Oficina Nacional de Estadísticas, La Habana,
2007.
17 53 年 7 月 26 日のモンカダ兵営襲撃の罪状を裁くバチスタ政府の法廷で、フィデルは、
彼の歴史的な弁明の中で、
「マルティは、7 月 26 日の知的著者である。私は、私の心の中に
マルティの教義を、私の思想の中に諸国民の自由を擁護したすべての人たちの高潔な思想
をもっている」と述べた(Fidel Castro, La historia me absolverá, Oficina de Publicaciones
del Consejo de Estado, La Habana, 1993, pp.34-35. フィデル・カストロ「歴史は私に無罪
を宣告するであろう」、池上幹徳訳『わがキューバ革命』(理論社、1961 年)35 ページ)。
18 José Martí, Carta a Manuel Mercado, Antología Mínima, Tomo 1, Editorial de
Ciencias Sociales, La Habana, 1972, p.209.
19 Rolando E. Bonachea and Nelson P. Valdés ed., Revolutionary Struggle 1947-1958:
Volume 1 of the Selected Works of Fidel Castro, The MIT Press, Cambridge, 1972. p.
379.
20 この時のキューバ経済の危機的な状況は、拙著『現代キューバ経済史』
(大村書店、2000
10
22
年)217-233 ページ参照。
詳細は、拙稿「キューバにおける経済改革」2005 年経済理論学会大会発表論文参照。
22 Comisión Económica para América Latina y el Caribe (CEPAL), Anuario estadístico
de América Latina y el Caribe 2006, Santiago, 2007.
23 Patricia Grogg, Agricultura-Cuba: Asignatura pendiente, IPS, Agosto 7, 2007.このエ
ンゲル係数が 75%以上というのは異常な数字で、先進諸国では 30%以下、ラテンアメリカ
諸国でも通常 40%以下である。
24 キューバ統計局(ONE)発表によれば、06 年国際収支は黒字であったが、経常収支は、
再び赤字を記録した(Oficina Nacional de Estadísticas, Anuario Estadístico de Cuba 2006,
La Habana, p.126.)。
25 交通の中でも、人口 220 万人のハバナ市の交通問題は深刻である。80 年代は 2400 台の
21
バスが運行されていたが、現在では 400 台(17%)に激減している(Omar Everleny, El
transporte en Cuba: Situación actual y necesidades futuras, inédito, 2007)。毎日の通
勤・通学にはそれぞれのバスが運行され、労働者や学生を集結場所でピックアップするが、
一般の利用者には大変な困難な状況である。
26
住宅建設については、07 年の 70,300 戸計画に対し、5 月末まで 16,241 戸しか建設され
ず、著しく遅れていることが指摘されている(IPS, Cuba a la mano, No.26, 2007)。05
年 12 月には 05-06 年の 2 年間で 15 万戸の住宅の建設が提案された(Informe sobre los
resultados económicos del 2005 y las perspectivas económicas y sociales para el 2006
presentado por José Luis Rodríguez Ministro de Economía, Trabajadores, Diciembre 28,
2005)。
27
28
Granma, Diciembre 23, 2006.
Cuba a la mano, No.26, IPS, 2007.
Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los Consejos de Estado y de
Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, Granma, Julio 27, 2007.
30 Comisión Económica para América Latina y el Caribe (CEPAL), op.cit.
31筆者とは別の方法で、キューバ経済研究所のパーベル・ビダル・アレハンドロ氏は、現
29
在の実質賃金が 1989 年(一般の勤労者は、賃金のみで一応の生活が可能だった)と比較し
て、4 分の 1 に下がったと指摘している(Pavel Vidal Alejandro, Esquema actual de la
política monetaria en Cuba, Seminario del Centro de Estudio de la Economía Cubana,
2007, La Habana, inédito)。
32 この表は、ハバナ市の夫婦共稼ぎで 2 人の子供をもつ家庭という一般的な労働者を想定
して、筆者の調査によって作成したものである。日用必需品などについては、月 50-60 ド
ルでは納まらないという意見もあるが、ここでは控え目な見積もりを行った。一方、地方
では、ハバナ市ほど状況は困難でないことも考慮しなければならない。
33 ある調査によれば、
米国にいるキューバ人の 67%がキューバに送金していると報告があ
る(Silvia Pedraza, Political Disaffection in Cuba’s Revolution and Exodus, Cambridge
University Press, New York, 2007, pp.301-302)。2004 年度の米国統計局人口調査による
と、米国にはキューバ系米国人が 161 万 4000 人住んでいる。
34 平均月額 14.5CUC(IPS, Enfoques Especial: En la Encrucijada de la Economía
Cubana, La Habana, 2007, p.26.)、しかし、30CUC 支給されているものもいる。
35 キューバ社会での汚職、横流し、腐敗状況については、フィデル・カストロの演説
(Discurso pronunciado por Fidel Castro Ruz, en el acto por el aniversario 60 de su
ingreso a la universidad, efectuado en el Aula Magna de la Universidad de La Habana,
el 17 de noviembre de 2005, Granma, Diciembre 4, 2005)、キューバ共産主義青年同盟
(UJC)の機関誌、
『フベントゥ・レベルデ』
(Juventud Rebelde, Octubre 1, 2006; Febero 25,
23
2007)を参照。
筆者が、キューバ人の友人のエコノミストにこの 6 通りの対処方法を話すと、複数のエ
36
コノミストが、⑦として、米国に移住する方法があると述べた。06 年 10 月から 07 年 9 月
まで、1 万 4000 人のキューバ人が米国に不法入国した。同時に 1994 年の米玖間の移民協
定により昨年合法的に移民したキューバ人は 1 万 5000 名であったので約 2 万 9000 名が米
国に移住したことになる(El Nuevo Herald: La Jornada, Octubre 2, 2007)。これは、キュー
バの人口の 0.25%に相当し、日本の人口に直すと 30 万人余となり、小さい数字ではない。
37 現在、国民の 72%が、外貨を取得しているが、銀行の個人外貨預金において、13%の
口座主が、預金の 87%を占めているという報告がある(IPS, Enfoques Especial: En la
Encrucijada de la Economía Cubana, La Habana, 2007, p.28.)。
38 Pavel Vidal Alejandro, Esquema actual de la política monetaria en Cuba, Seminario
del Centro de Estudio de la Economía Cubana, 2007, La Habana, inédito.
39 Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los Consejos de Estado y de
Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, Granma, Julio 27, 2007. この演説でラ
ウルが初めて政府指導部として賃金が生活費を満足していないことを明確に認めたと一般
に言われているが、すでにフィデルは、05 年 3 月(Granma, Marzo 18,2005)、05 年 11 月
(Granma, Diciembre 4, 2005)の演説で、賃金改革、価格改革が必要なことを述べているこ
とを忘れてはならない。
40 El País, Julio 14, 2007.
41 キューバ経済研究所のノバ教授、アニシア教授は、賃金の中での食費の割合が 75%と
計算しているが(El País, Julio 14, 2007)、極めて控え目な数字で、賃金だけからすれば、
100%を超える。しかし、賃金収入だけで生活してはいず、これはありえないことで、筆者
の調査では 4 人家族で共稼ぎの場合、
(表4)のように全所得に占めるエンゲル係数として
は 37%で途上国一般の数字となる。
42 拙稿、
「年金・賃金改革を進めるキューバ」、
『経済』2005年10月号参照。
43
Discurso de Fidel Castro Luz, en el acto por el aniversario 60 de su ingreso a la
universidad, efectuado en el Aula Magna de la Universidad de La Habana, el 17 de
noviembre de 2005, Granma, Diciembre 4, 2005; Intervención del Co. Francisco Soberón
Valdés, ministro presidente del Banco Cental de Cuba en la Asamblea Nacional,
Granma, 23 de diciembre de 2005.
44 Juventud Rebelde, Octubre 1, 2006.
45 Juventud Rebelde, Febrero 25, 2007.
46 Juventud Rebelde, Octubre 28, 2007.
Intervención del Co. Francisco Soberón Valdés, ministro presidente del Banco
Cental de Cuba en la Asamblea Nacional, Granma, 23 de diciembre de 2005.
48 Granma, Septiembre 27, 2006.
49 Discurso de Fidel Castro Luz, en el acto por el aniversario 60 de su ingreso a la
universidad, efectuado en el Aula Magna de la Universidad de La Habana, el 17 de
noviembre de 2005, Granma, Diciembre 4, 2005.
50 詳細は、拙稿『歴史的岐路にたつキューバ経済』雑誌「経済」2007 年 1 月号参照。
51 全体的な農業生産の不振の中でのキューバの都市農業・有機農業・の実態は、拙稿、
「キューバにおける都市農業・有機農業の歴史的位相」、
『アジア・アフリカ研究』2007 年
第 2 号、通巻 384 号を参照。
52白票は 3,93% 、無効票は 3,08%であった(Granma, Octubre 28, 2007)
。これらの性格
から仮に反対票とみれば、およそ 1 割前後の人々が強い反政府派であることがうかがわれ
る。これは、これまでの傾向と同じである。
53 キューバ政府によれば、62 年以来の経済封鎖によって 06 年までキューバが被った損害
47
24
は、890 億ドルに達する(Granma, September 18, 2007)。
54 Milenio, Junio 10, 2006.
55 Granma, Abril 3, 2007.
56
Cuba a la mano No. 39.
Granma, Diciembre 16, 2004. この協定でキューバは、石油価格が 1 バレル当たり 27
ドルを下回った場合、その差額を支払うこととなっている。キューバ側の医療関係などの
専門職派遣額(一人一日 300 ドルとして、年間 32 億ドル)は、明らかにベネズエラの 500
万トンの石油供給額(1バレル 50 ドルとした場合、約 25 億ドル)を上回るものであろう。
従って、ベネズエラが安い価格でキューバを支援しているという批判は当たらない。
58 Cuba News, July 2007, Vol.15 No.7.
59 Patricia Grogg CUBA-RUSIA: Relaciones oxigenadas, IPS, Octubre 2, 2006.
60 Cuba News, October, 2007, Vol.15, No.10.
61 Entrevista a Raul Castro por Lázaro Barredo Medina, Granma, Agosto 18, 2006.
62 Discurso de Raul Castro en ocasión del Aniversario 50 del desembargo de los
expedicionarios del yate Granma, Granma, Diciembre 2, 2006.
63 Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los Consejos de Estado y de
Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, Granma, Julio 27, 2007.
64 Granma Internacional, Junio 16, 2007.
65 Presentación del mensaje anual del presidente de la República Bolivariana de
Venezuela, Hugo Rafael Chávez Frías, ante la Asamblea Nacional Palacio Federal
Legislativo Sábado 13 de enero de 2007, Ministerio de Comunicación e Información.
66 奇跡計画は、スペイン語で Operación Milagro であるが、この場合、Operación は手術
の意味でなく、一つの戦略的計画の意味で使用されていることを誤解してはならない。
67 Granma, Enero 3, 2007.
68 Granma, Julio 18, 2007.
69 Granma, Marzo 22, 2007.
70 キューバ、教育、医療、文化,スポーツ,社会保障で予算の 69%を占める。ちなみに日本
は、33%である。
71 IPS, Cuba a la mano, Julio 14, 2007.
72 ラウルとラミーロ・バルデスが長い間、激しいライバル関係にあるという説が少なから
ずある。例えば、“Benigno” (Dariel Alarcón Ramírez), Memorias de Un Soldado Cubano:
vida y muerte de la Revolución, Rabula TusQuets, Barcelona, 2003, p.243.しかし、筆者
の調査では、そういう確たる事実はない。なによりも今回の任命が、重要部門を信頼でき
る人物で固めるというラウルの従来のやり方で進められたことが、そのことを物語ってい
る。
73 07 年 8 月の複数のキューバ人研究者との筆者のインタビューによる。
74 キューバでは、しばしば労働規律の低さ、社会規律の低さがいわれるが、ウーゴ・ポン
ス教授は、「国への依存主義によって、キューバでは、国民の第一の権利は、義務をもたな
いという権利である。義務は国家に属し、権利は市民に属するという考え方がある」と問
題を面白く指摘している(Juventud Rebelde, 3 de diciembre de 1995)。
75 吉田太郎氏は、著書『世界がキューバ医療を手本にするわけ』
(築地書館、2007 年)で、
キューバ医療サービスが世界でも模範的だと情熱的に語っており、マイケル・ムーアもド
キュメンタリー映画『シッコ』で、キューバでは外国人も医療が無料だと紹介しているが、
有機農業の場合と同じように、キューバの医療事情を美化することなく、客観的に事実を
伝える必要がある。
キューバでは外国人は、特別な場合を除き一般には有料であるし、入院患者はベッドシー
ツや扇風機や食べ物を持参しなければならず、処方された医薬品がない場合も少なくない。
多くの病院の医療機器は、部品不足で故障中であり、患者は適切な治療を受けられない場
合もある。ホーム・ドクターも海外に派遣されて人数が少ない結果、早朝から並ばなけれ
ばならない。キューバの医療事情については、別稿を期したい。
医療サービスは、国民へのヒューマンな医療理念と、理念の実現を可能とする経済環境
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により決定されるが、小論で述べているように、キューバでは経済環境が困難で、せっか
くのヒューマンな医療理念が十分に実現されていないのが実情である。
76 IPS, Cuba a la mano, No.26, 2007.
77 価格が 250 倍引き上げられたことになるが、これは、いかにそれまでの方針が間違って
いたかを示すものである。
78 これは、10 億ドル近い巨額な投資である。
79 この構造的変革は、表面的な変革でなく、徹底した変革であるとキューバ人研究者たち
には理解されている(Reuters, September 20, 2007)。
80 Discurso pronunciado por el Primer Vicepresidente de los Consejos de Estado y de
Ministros, General de Ejército Raúl Castro Ruz, el 26 de julio del 2007, "Año 49 de la
Revolución", Granma, Julio 27, 2007.
81 80 年代末のキューバの過渡期についての議論は、拙著『現代キューバ経済史』
(大村書
店、2000 年)255-276 ページ参照。
82 Rafael Hernández y otros, ‘Simposio Sobre la transición socialista en Cuba’ en la
revista “Temas” La Habana, No.50-51, abril-septiembre 2007, pp.126-162.
83 President Bush Visits Prague, Czech Republic, Discusses Freedom, White House
Web Site.
84 Granma, Julio 17, 2007.
85 Miami Herald, October 2, 2007.
86 President Bush Addresses The United Nations General Assembly, The United
Nations Headquarters, White House Web Site.
87 President Bush Discusses Cuba Policy, U.S. Department of State, October 24, 2007.
88 ガルシア・マルケスは、
「キューバを説明すれば、フィデルが政府首班であると同時に、
反対のリーダーでもあるということだ」とフィデルの役割を指摘しているのは面白い
(Intervención de Felipe Pérez Loque, Granma, Diciembre 30, 2005)。
89 El País, Enero 15, 2007.
90 詳細については、岡部廣治『フィデル・カストロは「省察」で何を語るか?』
、
「日本と
キューバ」日本キューバ友好協会機関紙 No.266, 2007-10-30 を参照。
91 La Nueva España, Marzo 23, 2007.
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