Fate/in UK ID:49981

Fate/in UK
ニコ・トスカーニ
︻注意事項︼
このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にP
DF化したものです。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作
品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁
じます。
︻あらすじ︼
■Fate/in UK
主にロンドンを舞台にした、凛ルート、トゥルーエンド後のアフ
ターストーリーです。
主人公はオリジナルキャラで、ストーリーもオリジナル、主人公以
外にもバンバンオリキャラが出てきますが、原作キャラもバンバン出
てきます。
■幕間の物語 二本立てで運営中。こちらはFate/Grand Order
のネタ短編です。
Fate/in UKとは内容的に全く関係ありません。
・Fate/in UKあらすじ
ロンドンを拠点に活動する万屋の魔術使い、アンドリュー・マクナ
イトは寝床の確保に
失敗した或る晩、小さな親切を施した衛宮士郎と遠坂凛に一晩の宿
を提供され、
交流を持つようになる。
以降、彼らは行動を共にするようになり魔術に関わる事件を解決し
ていく。
。
各章はゆるく繋がっていますが、基本的には章ごとの1話完結で
す。
﹃空の境界﹄﹃Fate/Zero﹄のキャラクターも出てきます。
全話、オリ主が語り手となり、各世界をつなぐ狂言回し的存在にな
ります。
・幕間の物語 あらすじ
ぐだーずと鯖たちが楽しくおしゃべりしてるだけ。
マシュと男鯖の登場割合が多いです。
ぐだ子とぐだ男が両方存在している設定です。
pixiv、Arcadiaにも改稿しながら同じものを載せてま
す。
注・直接的な性描写は一切ありませんが、回によっては下ネタが多
いです。
筆者の思うブリティッシュジョークを表現するためです。苦手な
方は注意して読み進めてください。
海外ハードボイルド小説の翻訳みたいな文体にしています。
抵抗ある方はご注意ください。
更新情報は折に触れて、twitterやブログでも流します。
←
https://twitter.com/FuttariHar
etari
目 次 邂逅 │││││││││││││││││││││││││
ロンドンの1夜
生業 │││││││││││││││││││││││││
1
異能 │││││││││││││││││││││││││
教授 │││││││││││││││││││││││││
検証 │││││││││││││││││││││││││
探索 │││││││││││││││││││││││││
依頼 │││││││││││││││││││││││││
マンハッタンの小聖杯
設定│英国の風物について │││││││││││││││
設定│2
来訪 │││││││││││││││││││││││││
往訪 │││││││││││││││││││││││││
旧友 │││││││││││││││││││││││││
Tokyo revisited
共闘 │││││││││││││││││││││││││
喰種 │││││││││││││││││││││││││
London magus hunt
設定まとめ │││││││││││││││││││││
設定
追憶 │││││││││││││││││││││││││
夜半 │││││││││││││││││││││││││
晩餐 │││││││││││││││││││││││││
再会 │││││││││││││││││││││││││
7
13
18
25
31
41
44
49
58
65
75
82
86
115 108 101 96
聖杯 │││││││││││││││││││││││││
追悼 │││││││││││││││││││││││││
設定│3
設定│ニューヨークおよびアメリカ風物 │││││││││
21世紀の切り裂きジャック
殺人 │││││││││││││││││││││││││
検索 │││││││││││││││││││││││││
発見 │││││││││││││││││││││││││
最期 │││││││││││││││││││││││││
設定│4
設定│英国の風物について2 ││││││││││││││
ロンドンの休日
休日 │││││││││││││││││││││││││
設定│5
設定│英国の風物について3 ││││││││││││││
過去からの使者
変形 │││││││││││││││││││││││││
起源 │││││││││││││││││││││││││
因縁 │││││││││││││││││││││││││
決着 │││││││││││││││││││││││││
設定│6
設定│英国の風物について4 │││││││││││││
アルトリアを偲んで
巡礼 │││││││││││││││││││││││││
設定│7
127 121
137
162 157 149 142
166
170
182
206 201 195 185
218
220
設定│英国の風物について5 ││││││││││││││
未完成ロマンスの結末
使者 │││││││││││││││││││││││││
捜索 │││││││││││││││││││││││││
発見 │││││││││││││││││││││││││
真相 │││││││││││││││││││││││││
対決 │││││││││││││││││││││││││
結末 │││││││││││││││││││││││││
設定│8
設定│英国の風物について6 │││││││││││││
東京奇譚
出発 │││││││││││││││││││││││││
到着 │││││││││││││││││││││││││
調査 │││││││││││││││││││││││││
解明 │││││││││││││││││││││││││
冬木 │││││││││││││││││││││││││
設定│9
設定│英国の風物について7 ││││││││││││││
Oxford Ghost Story
亡霊 │││││││││││││││││││││││││
探偵 │││││││││││││││││││││││││
思念 │││││││││││││││││││││││││
設定│10
設定│英国の風物について8 ││││││││││││││
夜叉の島
231
267 258 252 247 240 234
272
301 294 289 282 274
311
327 321 314
336
出立 │││││││││││││││││││││││││
彼女 │││││││││││││││││││││││││
香港 │││││││││││││││││││││││││
兄妹 │││││││││││││││││││││││││
決意 │││││││││││││││││││││││││
遭遇 │││││││││││││││││││││││││
澳門 │││││││││││││││││││││││││
夜叉 │││││││││││││││││││││││││
後日 │││││││││││││││││││││││││
設定│香港、マカオ編 │││││││││││││││││
幕間の物語
オルレアンの大英雄 ││││││││││││││││││
星1同盟の絆 │││││││││││││││││││││
G殺しの英雄 │││││││││││││││││││││
ロード・エルメロイⅡ世との事件簿
失踪 │││││││││││││││││││││││││
永久 │││││││││││││││││││││││││
設定│英国の風物について9 ││││││││││││││
幕間の物語│2
マスターの秘密 ││││││││││││││││││││
サーヴァントの相性 ││││││││││││││││││
レオニダスVS大自然 │││││││││││││││││
闇に潜むもの
要求 │││││││││││││││││││││││││
古都 │││││││││││││││││││││││││
396 392 384 376 369 364 355 349 343 339
405 402 399
432 418 408
442 439 435
457 449
旅人 │││││││││││││││││││││││││
設定│エストニア紀行 ││││││││││││││││
ハードボイルドワンダーランド
襲撃 │││││││││││││││││││││││││
473 463
475
ロンドンの1夜
邂逅
ロンドンは今日も曇天だった。
ケープタウンから直行便に揺られて12時間。
長時間の禁煙から至福の1本を味わうため、喫煙所に出ると、
いつもの曇り空が見えた。
私の頭は時差ボケとエコノミーシートの洗礼でぼやけ、夢と現のは
ざまを行き来して
いたが、早朝のロンドンの乾いた空気といつもの曇天が私を現へと
引き戻した。
私は1年の半分を国外で過ごすが、この曇り空を見ると
帰って来たということを実感させられる。
ヒースローエクスプレスに乗り、パディントンに向かう。
1
パディントン駅から歩いて5分。
今まで何度も使っている安ホテルのエントランスに着いた。
エドワード朝の頃からあるというその建物は、歴史を感じさせはす
るが、
ただ古臭いというだけで、優雅さなど欠片ほどもない。
その風貌は古き良き伝統を守っているというよりは、変わらないで
いることに
意固地になっているという趣だ。
観光客に不人気なのも無理はない。
ヒビの入った古いドアを開け、中に入る。
いつもの通り、オーナーのエミールが温顔とロシア語訛りの英語で
迎えてくれた。
﹂
宿帳に記入する私にエミールが話しかける。
﹁朝食はどうする
﹁いただくよ﹂
無いに等しい荷物を部屋に置くと、ダイニングに向かう。
?
フライドエッグ、ベイクドビーンズ、マッシュルーム、トマト、ソー
セージ、
ベーコン、薄いトースト。
オーナーのエミールはシェフも兼任しているが、ロシア人の彼が作
る
フルイングリッシュ・ブレックファストはかなりイケる。
ロシア人の彼がなぜこんなに完璧なイングリッシュブレックファ
ストを
作れるのか不思議だ。
濃くて旨いブラックティーで朝食を流し込む。
カロリーと塩分過多な朝食の味は改めて私を英国へと引き戻して
いた。
朝食を終え、仮眠をとる。
起きると昼を過ぎていた。
私は香港で10代の半ばまでを過ごし、それ以降はロンドンに根を
下ろしている。
体が都会のリズムに馴れきっているせいか、
手持無沙汰になると、どうしても都会の喧騒へと足が向いてしま
2
この稼業について以来ずっと夜型生活だ。
もう慣れたが、昼過ぎに起きると時々情けない気分になる。
﹂
外に向かおうとレセプションに行く。
﹁お出かけかい
をした。
私がそう言うと、エミールは眼の端で微笑し、奇妙なサムズアップ
朝食、旨かったよ﹂
﹁いや、チェックアウトする。
そう言った。
目を向け、
イブニングスタンダードに目を通していたエミールが私の存在に
?
私の足はピカデリーサーカスへと向かっていた。
×××××
う。
例の件の連絡はまだない。
私のモバイルフォンは死んだように押し黙ったままだ。
私は遅いランチに中華のテイクアウェイを買い、脂ぎったその固体
を胃に流し込み
ながら、このロンドン有数の繁華街を行き交う往来を眺めていた。
ピカデリーサーカスは今日も雑多な人々で込み合っていた。
方々から色々な国の言語が聞こえてくる。
英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、北京語、
広東語、韓国語、日本語。
イングランドは基本的にはアングロサクソンとケルトの国だが、ロ
ンドンは例外だ。
エミールもそうだが、ここではBBC英語よりも訛りのある英語を
聞く機会の方が
﹂
3
ずっと多い。
行きかう人々を何とは無しに眺めていると、私の視線はある日本語
を話す2人の姿に
引き寄せられた。
腰まで伸びた黒髪の少女と、小柄な赤毛の少年だった。
2人とも年のころは10代の後半というところだろうか。
2人は地図を片手に何か探している様子だった。
ロンドンで日本語を聞くことなど特に珍しくもない。
いつもなら、日常の光景として意識の片隅に追いやってしまうとこ
ろだが、
﹂
その2人の若者の存在はなぜか私の注意をひいてやまなかった。
﹁何を探しているんだい
﹁あなた、日本の人なの
幸い、僕は今、暇だ。案内しよう﹂
﹁ああ、ブルーアーストリートだね。
黒髪の少女が﹁ここを探しているんですが﹂と地図の一点をさした。
私は、2人の若者に歩み寄るとフランクな口調で話しかけた。
?
?
黒髪の少女が言った。
﹁4分の1だけね。母方の祖父が日本人で、生前の祖父が頑なに日本
語以外の言葉を
拒んだから強制的に覚えさせられた。
日本語は久しぶりだが、通じているようで安心したよ﹂
﹁いいえ。とてもお上手ですよ﹂
彼女は良くできた外向きの笑顔でそう言った。
きっと育ちがいいのだろう。
﹂
﹁ブルーアーストリートを目指しているっていうことは、
早速イギリス料理の洗礼をうけたってところか
﹁ええ、そうなんです﹂
黒髪の少女が苦笑してそう言った。
﹁日本風に言えば﹃センパイ﹄としてアドバイスしよう。
朝食以外のイギリス料理は避けろ。
外食するなら中華料理とインド料理がいい。
どこで食べてもそこそこイケる﹂
﹁なるほど﹂
黒髪の少女はそう言って笑った。
聡明でまっすぐな眼をしている。
ブルーアーストリート、通称ジャップストリートはピカデリーサー
カスから
歩いて5分ほどだ。
私に恨みでもあるのか、ロンドン
﹂
ほんの短い旅だが、その道すがら、怪しい雲行きだった空からポツ
リポツリと
もう
﹁Welcome.This is United Kingdom
4
?
ここは﹁センパイ﹂の英国市民として一言言うべきだろう。
!
雨が降って来た。
﹁今日も雨
!
﹁落ち着けよ﹂と少年がなだめる。
?
<ようこそ。これが英国だ>﹂
×××××
ほどなくして目的地にたどり着いた。
赤毛の少年と黒髪の少女は私に日本式の丁寧なお礼を言った。
﹁お安い御用だよ﹂と私は言い、その場を辞去しようとすると
黒髪の少女が言った。
﹁では。また縁があったら﹂
彼女は私の眼を見てそう言い、去って行った。
私はマーマイトを初めて食べた時のような釈然としない気持ちに
襲われた。
そして、今更になって彼女たちに注意をひかれた理由がわかった。
私もとんだ鈍感だ。
時差ボケと疲労で勘が鈍っていたのだろうか。
私とあの2人は縁に繋がれている。
あの赤毛の少年は気づいていなかったようだが、黒髪の少女は気づ
いていたようだ。
言った。
﹁やあ、エミリー。待っていたよ。
迎えに行くわ﹂
その口ぶりだと見つけたようだね﹂
﹁ええ。今どこ
﹁オーケー。待ってて﹂
私はパブの場所を伝えた。
?
5
魔術という私たちの縁に。
﹁そうだな。縁がありそうだ﹂
去っていく2人の後姿を目に捕えながら私はひとりそうごちた。
私のモバイルフォンが鳴った。
液晶画面の名前を見る。
目的の名前だった。
?
電話の主が微かにハンプシャー訛りの残るいつもの明るい口調で
﹁アンドリュー。もうロンドンには戻ってる
﹂
夕暮れのパブでパイントのエールを飲んでいると
電話はまだ来ない。
×××××
電話を切り、窓の外を見る。
夕暮れのロンドンには夜の闇が迫ってきていた。
これから私の時間が始まる。
魔術師の時間が。
6
生業
﹁ここよ﹂
エミリーの運転するルノーがたどり着いたのはハムステッドの瀟
洒な豪邸だった。
魔術回路を全開にし、探索を始める。
﹁エミリー、お手柄だ。ここで間違いない﹂
首都警察の刑事、エミリー・オースティンは
ロンドン北部で起きる子供ばかりを狙った不可解な連続誘拐事件
を捜査していた。
誘拐犯からの要求はなく、ただ子供が親元から消失、しかも人通り
の多い昼日中に
消えるという事件の奇怪さに不審を感じ、彼女は私に協力を依頼し
ていた。
このロンドンは街中に監視カメラが設置されている。
そんなロンドンで目撃者もなく子供が消えるなどただ事であるは
ずがない。
私は彼女の案内で事件現場を回った。
はたしてそこには、魔術を行使した痕跡が微かに残されていた。
私は万屋の魔術使いだ。
万屋業務の一環として、首都警察とシティ警察の非公式な
consultant detective<顧問探偵>を務め
ている。
いわば魔術のシャーロック・ホームズだ。
貧弱ながらも魔術回路を持つエミリー・オースティン刑事は首都警
察の窓口だ。
エミリーは私に話を持ちこむ前に刑事の目線で独自に調査に着手
しており、
不可解な誘拐事件の発生した箇所を点でつなぐと円になるという
簡潔な事実を
7
×××××
私に示していた。
その円の中心部がこのハムステッドだった。
﹁ここだ﹂
﹂
私が地図でロンドン北部のこのエリアを指すと彼女は言った。
﹁単純すぎない
﹁単純でいいんだよ。エミリー。
相手は典型的な魔術師の思考の持ち主だ。
犯行に使ったのは認識阻害に暗示。
﹂
痕跡など魔術で隠せばいいという典型的魔術師の思考が犯行から
読み取れる﹂
﹁ホシの目的は何だと思う
た。
﹁これは
﹂
私は彼女に、糸でつるした球状の物体に針がついたオブジェを渡し
これを君に渡しておこう﹂
﹁すまないが、所要で数日南アフリカに行く必要がある。
張り込みを頼んだ。
間を使って、
私は当たりをつけたハムステッドの住宅街に、エミリーに空いた時
子供ばかりを狙うのは魔力の材料に﹃鮮度﹄が必要だからだ﹂
代償を用いて魔力を生成する類いの魔術だろうね。
﹁これだけ材料がそろっていれば自ずと答えは出る。
?
る﹂
フーチは香港時代の数少ない思い出の品だ。
既に没落し、魔術回路もほとんど失った父が教えてくれた数少ない
魔術。
微弱な魔力の持ち主でも機能する。
相手もそれなりの魔術師だ。
魔術師相手の対策ぐらいはしているだろう。
だが、反応できる魔力には閾値がある。
8
?
﹁フ ー チ。簡 易 的 な 魔 力 探 知 機 だ。君 の 貧 弱 な 魔 術 回 路 で も 機 能 す
?
おそらく、エミリーのような微弱な魔力な持ち主が近づいても
脅威に感じないどころか探知すらできないだろう。
﹂
﹁了解。じゃあ、あなたの指定したエリアでこれが反応する場所を探
せばいいのね
﹁その通りだ。反応が出たら、場所だけ記憶してすぐにその場を離れ
ろ。
相手はおそらく大した敵じゃないが、君では手に余る﹂
そして1度ロンドンを離れた私は、別件と並行して収集した情報を
もとに敵の正体を
探った。
魔術師という奴は神秘の秘匿にはやたらと五月蠅いくせに法の順
守とプライバシー
の保護には恐ろしく鈍感だ。
高度に情報化された現代社会に生きる人間がそれでいいのかと不
安になってくる。
敵の正体はかなり早くに割れた。
ナサニエル・コーエン。
パッとしない魔術家系の跡取りだが、アフリカのダイヤモンド鉱山
で一発当てた
コーエン家は、金に飽かせた魔術の研究をしている。
コーエンの一族は穏健的な人物が多いと聞いていたが、
最近家督を受け継いだナサニエルは過去に例を見ないほどの野心
家だという噂を
耳にした。
外道な行いを辞さずに、魔術師としての名を上げようとしても不思
議ではない。
しかし、阿呆だ。
材料を調達するのならば資金力に任せて遠方から調達すればいい
のに。
こういう魔術師的思考は全く理解不能だ。
だからこそ私のような輩に良いようにやられるのだ。
9
?
更に調べを進めると、幸いにして攻撃魔術はあまり得意ではないら
しい。
﹂
私はケープタウンから戻る道すがら作戦をシュミレートし、備えて
いた。
﹁で、私はどうすればいい
私はヒップホルスターから愛用のH&K USPを引き抜くと、
魔の群れだった。
私という歓迎されない来客を迎えたのはコーエンが生成した使い
﹁ゴーレムか﹂
邸宅に突入した。
ンリのごとく
私はオフサイドラインを一気に飛び出しゴールに迫るティエリ・ア
信管を設置したC4が爆風を上げ、ドアを吹き飛ばす。
いる。
典型的な魔術師相手には一番効果のある作戦だと経験から学んで
表から堂々と入って一気にカタをつける。
必要なのは速攻。
そんなことは想定済みだ。
どうせとっくに私の存在は探知されている。
仕掛けた。
C4をドアに
魔術回路を開き、身体能力を強化した私は、素早くコンポジション
﹁Bon Voyage<良い旅を>﹂
出してくれた。
私がほどなく動き出すと、エミリーがエスプリの効いた一言で送り
私は自分の持ち物を再確認し、作戦を頭の中で反芻した。
すぐにカタをつける﹂
﹁ここで待っていてくれ。
私に﹁お手柄だ﹂と称賛を受けたエミリーが言った。
?
ロングマガジンに装填した魔術で強化済みの9mmパラベラム弾
10
×××××
を掃射した。
入念に強化を施した銃弾は効果覿面だった。
次々と使い魔たちを土くれへと戻していく。
キース・リチャーズのギターのごとく轟音を奏でる弾丸のロックン
ロールをBGMに
魔力を探知する。
上階奥から強い魔力。
そこが工房か。
2階まで一気に駆け上がり、奥の部屋のドアを全力で蹴破る。
ドアが開いた瞬間、魔術を起動させようとする人影が視界に飛び込
んできた。
が、もう遅い。
魔術の発動よりも私のトリガーの一押しの方が早い。
銃口から放たれた9mmパラベラム弾はその人物の膝を的確にブ
捕 え ら れ た 子 供 た ち が 巨 大 な 試 験 管 の よ う な オ ブ ジ ェ の 中 に 納
まっていた。
どうやら私は間に合ったらしい。
協会の執行者か
﹂
﹁君のようなゲス野郎を地獄に送る死神だ﹂
﹁どういう意味だ
?
誰に雇われている
?
﹁自惚れるなよ。君のような3流に魔術協会が興味を示すわけがない
?
11
チ抜いた。
激痛に男は体制を崩す。
﹂
私は一気に駆け寄ると、男の動きを封じ至近距離で銃口を向けた。
﹂
﹁ナサニエル・コーエンだな
﹁誰だ、お前は
?
コーエンに注意を向けつつ、周囲を見渡す。
男は憎々しくそう言った。
?
賞金稼ぎか
?
だろう﹂
﹁では、何だ
?
まあ、落ち着け。お前も魔術師ならばここは等価交換といこうじゃ
ないか
?
私を捕えればいくら貰えるんだ
その倍額払ってやる﹂
﹁子供たちをさらったことに関して弁明しなくていいのか
﹂
魔力が足りないなら余所から持ってくる。
コーエンは訳が分からない、という眼で私を見た。
そう言うと、私は乾いた発砲音を轟かせた。
﹁一緒にするなよ。このゲス野郎﹂
││やれやれだ。
等価交換は魔術の原則だ。お前も魔術師ならわかるだろう
﹁何を言ってる
?
?
﹁コーエンは
﹂
友人ならば少しぐらい心配する様子も見せてほしい。
﹂
それだけ私の仕事ぶりを信用しているいうことなのだろうが、
いた。
外に出ると、エミリーはリラックスしきった様子で紫煙を燻らせて
?
?
﹁気にするな。善良なる市民の義務だ﹂
﹁オーケー。ありがとう。アンドリュー﹂
あとは好きにしてくれ。誘拐の証拠も十分にそろってる﹂
魔力を封じたうえで拘束しておいた。
自分の屁で飛び上がるようなとんだ小心者だ。
﹁奥でノビてるよ。空砲で撃ったら音で失神した。
?
私は愛飲しているリッチモンドに火をつけ、現場を後にした。
12
×××××
再会
まさかこんなことになろうとは。
ど う せ 今 日 は 戻 る ま い と ホ テ ル を チ ェ ッ ク ア ウ ト し た の は 迂 闊
だった。
予想以上に早くハムステッドでの仕事を終えた私は、今夜の寝床を
探すべく、
ロンドン中の安ホテルに電話をかけまくっていた。
そしてすべて空振りに終わった。
私はまだ英国領だった香港で生まれ、10代でロンドンに移った
れっきとした
英国民だ。
しかし、1年の半分を国外で過ごすため、この国に住居を持ってい
ない。
13
ホテルに空きがないということは、つまり、私にはこの街での今夜
の寝床がないということだ。
ロンドンにホテルがいくつあるのかわからないが、目ぼしい安ホテ
ルが全滅とは、
まったく運がない。
こんなことは初めてだ。
とはいえ、この事態はそこまでクリティカルではない。
どうせ明日の昼にはまた機上の人になり、翌日には国外に居る。
店の人間には嫌がられるだろうが、24時間営業の店に居座るとし
よう。
さて、さしあたってはどうするか。
ここハムステッドは静かな郊外だ。
大都市の騒音に馴れきった私に、この静かさは心地悪い。
ひとまず地下鉄のゾーン1のエリアまで移動することにした。
24時間営業の店を探すにしてもその方が効率いいだろう。
ハムステッドから地下鉄で20分。
×××××
私はテムズの河畔に佇んでいた。
眼の前ではロンドンの新名所、ロンドンアイがファンシーな輝きを
放ち、
テムズを挟んだその対岸で時計塔が怪しげに光っていた。
歴史的建造物と現代建築が同居する、この街ならではの光景だ。
││なぜここに足が向いてしまったのだろうか。
││時計塔、通称ビッグベン。
観光客にとっては唯の名所の一つだが、我々魔術師にとっては特別
な意味を持つ。
魔術協会。
魔術師たちによって作られた自衛・管理団体。
その総本部がここにある。
魔術を学ぶものにとっての最高学府でもあり、私もほぼ形だけでは
あるがここに在籍していたことがある。
私は魔術を使いはするが、魔術を学術的に研究する﹁まっとうな﹂魔
術師とは違う。
碌に講義にも出ず、出ても惰眠を貪っていたのは必要な基礎を実地
で学び終えていたからというのもあるが、それ以上にとにかく肌に合
わなかったからだ。
ロンドンはさほど広い街ではないが、いつもここに来るのは自然と
避けてしまう。
にも関わらず、何かの不思議が作用して私はここに足を向けてい
た。
﹁││行くか﹂
中年に片足を突っ込みかけたいい大人が、夜風に吹かれながら黄昏
ているのはあまりにも虚しすぎる。
私は自分がここに足を向けた奇妙に眼をそむけ、ウエストミンス
ター駅へと歩を
進めようとした。
﹁こんばんは﹂
幾分か幼い響きの女性の声で、しかも英語の母国であるこの国の首
14
都にいながら
日本語で。
突如後ろから声をかけられた。
振り向くと、昼間小さな親切を施した黒髪の少女と赤毛の少年が
立っていた。
少年は両手に袋を持って少女の後ろに立ち、少女はじっと私を見て
いた。
この時間に魔術教会の総本部の近くに居て、
2人からは魔力│少年の方は微弱だが│を感じる。
この2つの事実から、2人の身の上を推理するのはシャーロック・
ホームズなら
欠伸の出る作業だろう。
﹁⋮⋮君たち、時計塔の学生か﹂
隣の少年が一瞬、デヴィッド・ベッカムのフリーキックを初めて目
難き表情を
していたが、やがて気を取り直したらしく口を開いた。
﹁昼間はありがとう。助かったわ﹂
﹁感心だね。素直に礼を言える。
僕の10歳の姪っ子にも見習わせたいよ。
僕に姪っ子はいないがね﹂
私の渾身のジョークは2人の心を素通りしたらしい。
まるで何の反応も帰ってこなかった。
﹂
私はまるで何もなかったかのように澄ました表情で続けた。
﹁ロンドンの治安はそう悪くはないが、あまり遅い時間に外出するの
は感心しないな。
用があって外出するなら昼間にした方が良い。
15
の当たりにした
遠坂、お前、気づいてたのか
新人ゴールキーパーのようにポカンとしていたが、やがて口を開い
あんた魔術師なのか
?
た。
﹁え
?
少女は﹁仕方ない﹂と﹁呆れた﹂がないまぜになったなんとも曰く
?
﹂
日本ほど治安の良い国はないと一歩国外に出るとわかるものだぞ﹂
﹁そういうあなたはこの夜遅くに何をしてるのかしら
黒髪の少女が言った。
んだ、君は
﹂
﹂
僕が見かけに寄らぬ極悪人で君たちを害しようとしたらどうする
﹁僕は見知らぬ他人で、魔術師だ。無警戒すぎる。
私は大人として少年を諭すことにした。
めるなど無警戒にもほどがある。
小さな親切の恩ぐらいはあるだろうが、出会ったばかりの他人を泊
当たり前の反応だ。
いた。
ちょっと、シロウ││少年の名前だろうか││と少女が少年を小突
﹁あんたさえよかったら家にこないか
決してありえないと思われることを言った。
シティでは
すると赤毛の少年が、誰もがお互いに無関心なこの欧州随一のメガ
私はそう言うと、踵を返した。
さ﹂
﹁とはいえ、明日の昼には機上の人になる身だ。まあ、なんとかなる
正直に話した。
たことを
私がロンドンに住居を持っていないこと、今夜の寝床を見つけ損ね
?
そう言って立ち去ろうとする私の背に、思いがけぬ言葉がかけられ
た。
﹁一晩、あなたを招待するわ﹂
私はハイドンの94番の交響曲を初めて聞いた聴衆のごとく驚い
て振り向いた。
16
?
﹁少年、彼女は聡明だな。君も今後は気をつけろよ﹂
物わかりのいい子だ。
黒髪の少女はそう言った。
﹁その通りね。じゃあ、決まり﹂
?
少女は大きな眼で私を見据えている。
﹂
明らかに人をかつごうとか、からかおうという人間の眼ではない。
彼女は本気だ。
﹁もう1度言うが、僕は見知らぬ他人で魔術師だ。
大人として改めて忠告する。やめた方がいい﹂
﹁そういうことを言う人が悪い人だと思えないわ。どう
私を見据える少女の眼は実に聡明そうだった。
﹁まったくだ。君は聡明だな。わかったご相伴にあずかろう﹂
﹁じゃあ、行きましょう﹂と言って少女が歩き出す。
日用品だろうか、袋を両手に持った少年もごく自然に少女に寄り
添って歩き出した。
微笑ましい光景だ。
このままこの光景を額縁に収めれば、ナショナルギャラリーかテー
トブリテン
に並べられる日が来るかもしれない。
﹂
タイトルは﹃恋人たち﹄というところだろうか。
﹁なあ、あんた夕飯は済ませたのか
﹁俺たち、夕飯まだなんだ。あんたもどうだ
あなたは
﹂
あなたの好きに呼んでいいわ。
私は遠坂凛、こっちは衛宮士郎。
﹁││ところで
今度は少女が振り返って言った。
﹂
﹁ありがとう。いただくよ。一宿の恩が一宿一飯の恩になるな﹂
?
よろしく。リン、シロウ﹂
17
?
﹁いや。ケバブでもかじって済ませようかと思っていたところだ﹂
少年が歩きながらこちらを振り返って言った。
?
君たちの好きに呼んでくれていい。
﹁僕はアンドリュー・マクナイト。
?
晩餐
彼らの住居はシティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジョン
ズ・ウッド地区にあった。
物件はロンドンの街並みに調和した小奇麗なタウンハウスだった
が、
リン﹂
アンドリュー﹂
越してきたばかりとあって、部屋の中はまだ荷物が散乱していた。
﹁このフラットは魔術協会の手配かい
﹁ええ、そうよ。あなたも時計塔にいたことがあるの
﹁ああ。いかにも優等生風な君と違い、不良学生だったがね。
それに、僕はこんないいところには住んでいなかった。
幽霊の1体ぐらいは出てきそうな小汚いフラットで
毛むくじゃらでむさ苦しいユアン伯父さんと同棲生活だったよ。
青春を台無しにしたな。今となっては良い思い出だがね﹂
凛は少し困った顔をしていた。
英国式のユーモアは日本人には解されないらしい。
私も4分の1とはいえ日本人なのだが。
異文化理解とは難しい。
﹁待っててくれ。すぐ準備するから﹂
士郎は必要な材料以外を冷蔵庫にしまうと、
ベテランの専業主夫のように手際よく献立を整えはじめた。
﹁まるで魔術師らしくないな﹂
私はそんなことを思った。
士郎が調理に勤しんでいる間に、私は凛とロンドンのどんよりした
天候や
初対面同士のお互いに深入りしない程度の身の上話など、あたり障
りのない
会話をしていた。
﹁トオサカ﹂という名前にはすぐに記憶から行き当った。
遠坂家はアイツンベルン、間桐と並ぶ魔術の始まりの御三家で
遠坂凛は遠坂家の若き当主だった。
18
?
?
成程、その横溢する魔力から並の魔術師ではないと思っていたが、
そういうことならば納得だ。
魔術師の能力は基本的に血統で決まる。
私のように秀才と言える程度に優秀だが、没落した家系の出身とい
う方が珍しい。
﹁エミヤ﹂という名前にも私は聞き覚えがあったが、
私の知るその人物は衛宮士郎とは似ても似つかない。
衛宮はそれほどよくある苗字ではないが、きっと偶然の一致なのだ
ろう。
あの﹁エミヤ﹂の血筋ならば、ここまで魔力がヘボなはずがない。
私はてっきり2人とも時計塔の学生なのかと思っていたが
時計塔の学生は凛の方で、士郎はその助手として渡英したとのこと
だった。
﹁なるほど。道理て魔力がヘボすぎるわけだ﹂
シェフなど知る
19
私は自分にだけ聞こえる小声でそう言った。
しかし、なぜか凛に睨まれた。
女の勘は超常現象だ。
﹁アンドリュー、イエローカード1枚だな﹂
私はもう一度、自分にだけ聞こえる小声でそう囁いた。
今度は凛に哀れなものを見るような目で見られた。
凛の表情にようやく気付いた士郎には不思議な顔で見られた。
﹁気にするな。独り言は中年に片足を突っ込みかけた大人の悲しい性
だ﹂
用意できる精一杯の賛辞を士郎に送った。
?
ついこの前まで日本にいた2人がモダン・ブリティッシュのスター
しかし、2人の顔は明らかに﹁誰だそれは
﹂という顔だった。
私は久しぶりに使うチョップスティックに少し苦戦しながら、
士郎の用意した晩餐は純和風だった。
﹁とても旨いよ。ゴードン・ラムゼイでも敵わないだろうね﹂
×××××
はずもない。
私が迂闊だった。
私が英国式ユーモアを披露するのを自粛したからか、
愛しのダーリン││恐らくそうなのだろう。1つ屋根の下に居る
いい年の男女なのだから││が調理を終えて談話に戻って来たから
か、
凛は当初よりもだいぶ饒舌になっていた。
おそらくこっちが彼女の素なのだろう。
しかし、名門出身の凛がぽっと出で3流もいいところの士郎と一緒
になったのが
不思議だ。
まあ、その問題には踏み込むまい。
初対面の相手のプライバシーに必要以上に踏み込む文化はこの国
にはない。
2人は自分のことを話す以上に、私の話を聞きたがった。
1周りも年下の相手に2人がかり迫られると私もさすがに虚栄心
をくすぐられる。
私は少し迷ったが、結局、
﹁どうにでもなれ﹂と腹を決めて自分の稼
業について
特にお気に入りのエピソードを語った。
外道魔術師を捕えてきた話は思いのほか好評だった。
士郎はともかく、凛は名家の家督を継ぐ跡取りだ。
外道とはいえ一応は同胞ともいえる魔術師を捕縛して回っている
私の話はいかがなものかと思ったが、
凛は相槌を打ちながらクルクルと表情を変えつつ、
士郎はまっすぐな眼でこちらを見据えて
私の話を聞いていた。
特に士郎は私の話に嫌に熱心に聞き入っていた。
私の話のどこかが彼の心の琴線に触れたようだ。
話し過ぎた私は、食後のグリーンティーを啜りつつ││グリーン
ティーは久しぶりだ││話の振り先を凛に向けた。
20
﹂
﹁リン。君は家督を継いだんだったね。
﹂
では、幼いころから魔術を
﹁ええ、そうよ。あなたは
案の定、まっとうな魔術師にはなれなかった。
ならなかったと言った方がいいかもしれないが﹂
﹁ねえ、アンドリュー。あなたも楽しかったんでしょ
﹁何がだ、リン﹂
?
かったわ﹂
嫌みのない良い笑顔だ。
﹁じゃあ、どうして魔術師になったの
凛の表情が険しいものに変わった。
﹁魔術を楽しいと思ったことなど1度もない﹂
私は士郎が淹れてくれたグリーンティーを一口すすり、言った。
﹁ねえ、あなたはどうなの
﹂
高校生活も魔術師になるってことを考えれば余計だったけど楽し
家督を継ぐのは義務だけど、新しいことを覚えるのって楽しいし。
﹁私ね。基本的に快楽主義者なの。
差がある。
エリオットぐらい
19世紀文学でいえばヘンリー・ライダー・ハガードとジョージ・
魔術師。
私は裏街道を行くヤクザな魔術使い、彼女は表街道を歩く正統派の
その一言で我々の歩んできた足跡の違いが浮き彫りになる。
﹁魔術の修行よ﹂
﹂
まっとうな魔術師になるにはかなり遅いなと当時思っていたが
﹁僕が本格的に魔術を学び始めたのは14の時だ
?
よね
﹂
まさか悪党を捕まえて正義の味方になるためだなんて言わないわ
?
彼らの間だけで通用する符丁か何かなのだろうか。
21
?
?
聡明な彼女からそんな幼げな言葉が出てきたのは驚きだ。
﹁セイギノミカタ﹂
?
﹁まあ、落ち着いて聞いてくれ。
まず、僕は正義の味方になどなれない。
なれてせいぜい悪党の天敵ぐらいだろう﹂
そこで1度言葉を切ると、凛の眼は今までにないほど険しいものに
なっていた。
士郎も私を見ている。その眼は狂気すら感じさせるほど真剣だっ
た。
どうやら私は、この2人の若者にとっては
スコットランドがunited kingdom<連合王国>か
ら離脱するかどうかと同等な
レベルで重要な問題にクビを突っ込もうとしているようだった。
努めて冷静になり答える。
﹁僕が魔術を身に着けた理由は、それが手段として必要だったからだ。
僕は世界中を駆け回って外道を捕まているが、そんな面倒なことを
22
やる理由は簡単だ。
││僕は人間の好き嫌いが激しい方でね。なぜかたまたま嫌いな
奴に外道が多い。
││嫌いな奴を懲らしめるんだ。正直、スカっとする。
それに、僕は子供のころから旅が好きで、大きくなったら世界中を
旅しようと
思っていた。
﹂
大人になったら夢は叶ったよ、経費を貰って世界中タダで旅行でき
るんだからな。
人生ハレルヤだ﹂
﹁⋮⋮じゃあ、あなたが魔術を学んだのは自分のため
﹁一片の曇りなくその通りだ﹂
凛はチラっと士郎の方を見やった。
何の意味があるのだろう。
出会ったばかりの私には知る由もないが。
そして、しばらく沈黙が続いた。
しかし、凛の表情が徐々に和らいでいくのもわかった。
?
﹁あなたのこと。少しわかった気がするわ﹂
少なくとも悪感情は感じられない目で彼女はそう言った。
ここまで来ると魔術の話をしないわけにはいかない。
凛はどうやらある程度私に襟を開いてくれたらしい。
どんどん突っ込んだ魔術の話へと話題は移っていった。
彼女の知識は大したものだった。
1周りは長く生きている私でも時々ついていけなくなるほどのも
のだった。
士郎はまったく話についてくることができないらしく
なにかわからないことを凛に聞く度に﹁このへっぽこ﹂と罵られて
いた。
その若さで夫婦喧嘩とは。
まあ、微笑ましい光景ではある。
話についてこられない士郎を尻目に、私と凛の魔術談義はすすん
からね。
﹂
│それに僕は君たちに一宿一飯の恩に預かっている。このぐらい
の情報開示はどうということないさ﹂
﹂
凛は深く溜息をつくと、自分は5大元素使いで、得意なのは宝石魔
術だと渋々
話し始めた。
﹁君こそそんなことを話して良いのか
?
23
だ。
しかし、私が自分は没落した家系の出身だが魔術回路が先祖返りを
起こし、
一族でも最優の才能を持って生まれたこと。
﹂と割り
刻印はなく、特別得意とする魔術がないこと、属性は火と土の二重
属性であることを話し始めると
そんなこと私に話して良いの
それまで聞き入っていた凛が﹁ちょ、ちょっとストップ
込んできた。
﹁あなたも魔術師なんでしょ
!
?
﹁君たちが僕と敵対するなら問題だが、どうもその可能性は低そうだ
?
と言うと彼女は﹁仕方ない﹂という表情をして││コロコロと良く
表情が変わる││
答えた。
﹁あなたが話したのに、私が話さないなんて不公平じゃない。
私、そういうの嫌なのよね﹂
実は、彼女の亡き父上、遠坂時臣には生前にわずかながらつながり
がある。
会ったのはユアン伯父さん││私の伯父で魔術の師匠だ││で、
私は直接会っていないが、話に聞く遠坂時臣は良くも悪くも典型的
な魔術師だった。
己の目的にしか興味がなく、魔術の外の世界を﹁凡俗﹂と切り捨て
るようなタイプ│
│決して誰とも腹を割って話さないようなタイプの人種だ。
ユアン伯父さんは﹁典型的な魔術師だな、あの父っちゃん坊や﹂と
評していた。
私が対面してもきっと同じ感想を持ったことだろう。
だが、彼女は驚くほどサッパリとして気持ちの良い性格をしてい
る。
﹁僕も君のことが少しわかった気がするよ﹂
私は遺伝子の不思議に思いを馳せつつそう言った。
24
夜半
対面当初よりもだいぶ打ち解けてきた我々の間には
だいぶ和やかなムードが流れ始めていた。
主に凛と私が話し、士郎は聞き役に徹していた。
感じの良い若者たちだと私は思った。
話は主に魔術の話だったが、
魔術の話をしていてこれほど楽しいと感じたのは初めてだった。
元々、私は決して人嫌いなわけではない。
彼らのような気持ちの良い若者が相手ならば、
本来、饒舌な部類だ。
もうこんな時間
﹂
彼らさえよければ、辞去するまで話し込んでいてもよかったが、
﹁あ、いけない
という凛の一言でウィットにとんだ団らんはお開きとなった。
!
午前2時。
まともな人間ならば夢の中にいてしかるべき時間だ。
就寝の支度を済ませた士郎と凛はそれぞれのベッドルームに引っ
こんでいた。
もう、とうに夢の中だろう。
人の家をニコチンとタールで汚すことに抵抗があったが
家主は寝ている。
せめてもの気遣いとして窓を開け、リッチモンドに火をつけた。
半分ほどが灰になったところで、部屋の1つのドアが開き、
背後に気配を感じた。
振り返ると、この家居住者である2人のうちの1人、衛宮士郎が
立っていた。
士郎は初めてポルノ雑誌を買う精通が来たての少年のようにそわ
そわしていた。
﹁何か聞きたいことがあるという様子だな。少年﹂
25
!
完全なる夜型人間の私は時差ボケもあって眠れないでいた。
×××××
私は若者に優しい大人であろうと極力務め、
可能な限り柔らかい口調でそう話を向けた。
﹂
﹂
﹁⋮⋮あんたの仕事って、人を傷つけたり殺したりした魔術師を
捕まえることなんだよな
﹁ああ。その解釈で概ね正しい﹂
﹂
﹁⋮⋮つまり、あんた。人助けをして回ってるってことだよな
﹁結果としてはそうなる﹂
﹁結果としてはってどういう意味だ
﹁晩餐の席でリンにも話した通り、僕が悪党を捕まえて回るのは奴ら
のことが
嫌いだからだ。
人助けの心が微塵もないとは言わないが、それはあくまで二次的な
ものさ。
それに、僕はちゃんと報酬をもらっている。
﹂
それで人助けを自称するのは傲慢に過ぎるよ﹂
﹁あんたが捕まえた悪党はどうなるんだ
﹁極力殺さないようにはしている。
いかな理由があれ、殺人は殺人だ。
それで
どちらにしても気持ちの良いものじゃない。
法的には故殺とか正当防衛とか、呼び名は変わるが
?
まい﹂
士郎はまだ何かそわそわとして落ち着かない様子だった。
短い沈黙の後、ようやく私の問いかけに対して口を開いた。
﹁⋮⋮俺が目指しているのものの答えがあんたに聞けるんじゃないか
と思ったんだ﹂
﹂
?
﹁参考までに聞こう。
﹂
君が目指しているものとは何だ
﹁⋮⋮笑わないか
﹁男の約束だ。笑わないと誓うよ﹂
?
26
?
?
?
貴重な睡眠時間を使って聞きたいことがそれだけという事はある
?
﹁⋮⋮正義の味方になりたいんだ﹂
晩餐の席で凛の口から出たのと同じ言葉だった。
普通の状況ならば一笑にふすような子供じみた言葉だが、
あの時の凛の真剣な眼差しを考慮するととても笑い飛ばす気にな
れなかった。
だが、私は如何ともしがたい皮肉屋だ。
真剣な場でもウィットを忘れられない。
﹁正義の味方というのはバットマンかスーパーマンか
僕ならばロールシャッハを選ぶね。
男の憧れだな﹂
士郎は何も言わなかった。
﹁⋮⋮分かっているよ。
君はこの上なくシリアスに言っているとね。
話してみてくれないか
君の言う正義の味方というヤツについて﹂
決めたこと。
を受け継ぐと
養父が残した﹁全てを救う正義の味方になりたかった﹂という理想
こと。
誰かのためになりたいという一心で渋る養父から魔術を教わった
死にかけた自分を助けてくれた人物の養子になったこと。
火災による被害者の唯一の生き残りであること。
その時に目にした悲惨な光景。
幼いころに、故郷で起きた大火災で命以外のすべてを失ったこと。
私の半生もそれなりに悲惨だが、士郎の物はもっと過酷だった。
語りだした。
自らの半生を
私がそう言うと、この朴訥として控えめな少年は、絞り出すように
?
人助けが生きがいであり、人のために何かをすることが自分のため
であるという
気持ち。
27
?
語り口事態は極めて静かで穏やかなものだったが、言葉の1つ1つ
から確固たる意志の強さを感じた。
私は士郎の言葉を時間をかけて咀嚼すると、こう答えた。
﹂
﹁そうか、要約すると、君が魔術を学ぶ理由はいつか誰かのためになる
かも
しれないから、そういうことか
﹁そうだ﹂
存在である。
合っているか
﹁そうだ﹂
が誰かのためになるのだとしたら実行するか
﹁絶対に御免だ。
﹁あんたならどうするんだ
﹂
士郎は考えた末に答えた。
の場を全裸で走り抜ける行為のことだ﹂
⋮⋮通じていないようだから注釈するが、ストリーキングとは公共
?
君は真冬のオックスフォードストリートをストリーキングするの
﹁では、聞くが。
私は少し考えてから、こう水を向けた。
空気が重い。
﹂
﹁そして、君の言う﹃正義の味方﹄とはすべての人を分け隔てなく救う
?
彼が何も言えないでいるので、私はさらに続けた。
受け身というか主体がないというか、そのような印象を受けた。
凛はかなり饒舌だったが、この少年はどちらかというと寡黙だ。
士郎はじっと考え込んでいた。
それに、そんな恥ずかしい行為、僕は御免だ﹂
けられたら、その日は人生最大の厄日だ。
考えてもみろ。中年に片足を突っ込みかけた男のナニなど見せつ
絶対に不利益を被る人間がもう一方に存在する。
間がいたとしても、
僕には想像もつかないが、仮に僕のストリーキングで利益を得る人
?
28
?
﹁つまり、僕が言いたいことは2つだ﹂
ここで、5歳の子供に基礎的算数を教えるように私は分かりやすく
指を立てた。
﹁1つは、すべての人の利益になることを為すのは不可能だというこ
と。
もう1つは自分を大事にしろ、ということだ﹂
﹁⋮⋮それでも、俺は全てを救いたい﹂
堂々巡りだった。
彼の目指す理想はひどく歪んでいる。
人は自分が肩入れした側しか救うことが出来ない。
世界から貧困がなくならないのは貧する者がいなければ、
富める者が存在できないからだ。
そういう常識は彼ぐらいの年齢になれば備わっていて当然のはず
なのだが。
29
それに、善人であれ悪人であれ、人間は基本的に自分が1番大事な
生き物だ。
だが、どうも彼の目指す﹁全てを救う正義の味方﹂の中には
彼自身を救うという思想が含まれていないらしい。
全うな大人ならば諭してやるべきだろう。
今度は私が考え込む番だった。
そしてしばし考えた末に言った。
﹁⋮⋮これから先は独り言だ。
ルールも知らずに見るインド代表対パキスタン代表のクリケット
の試合ぐらい退屈な話だから、聞き流してくれて一向に構わない﹂
士郎はまっすぐ私を見て言った。
﹁話してくれ。アンドリュー﹂
﹂
私は﹁そうか﹂と言うと、おもむろに立ち上がった。
﹁どこに行くんだ
私は出会ったばかりのこの2人の若者、衛宮士郎と遠坂凛に少なか
賢者は歴史に学び、愚か者は経験に学ぶと言う。
﹁素面じゃとても話せない。スコッチを買ってくる﹂
?
らず好感を
抱き始めていた。
愚かな私は経験から大事なことを学んだ。
人に話すのは少々気が重い話だが、話してやろうと私は腹を決め
た。
﹁僕も存外におせっかいだな﹂
そう独りごちて、アルコールを求めリカーストアに向かった。
30
追憶
私が14歳の時、両親が亡くなった。
不慮の事故だった。
交通事故。
慢性的な渋滞と決して良いとは言えない香港の交通マナーに
幼いながらも不安を感じていた私だったが、
まさか不安が現実になってしまうとは思ってもみなかった。
両親は小さな飯店<レストラン>を経営していたが、店と一緒に借
金も残していた。
店は人手に渡り、私は生まれ育った場所を永遠に失った。
私にとっては二重の悲劇だった。
既に祖父母は他界しており、私は残った唯一の血縁者であり
それまで碌に面識のなかった伯父、
ユアン・マクナイトの元に引き取られることになった。
﹁なあboy<坊主>﹂
伯父は私のことを﹁坊主﹂と呼んでいた。
﹁運がなかったな。お前にはただただ同情するしかねえ﹂
両親の葬儀を終え、香港の実家を引き払い、
ロンドンへと向かう飛行機の中。
狭いエコノミーシートに巨体を押し込みながら伯父は粗野な口調
ながらも
努めて優しく私に話しかけた。
﹁心配するな。生きてりゃ意外と何とかなるものさ﹂
伯父は魔術回路をほとんど失った父の家系で唯一のまともに魔術
を使える人物で、
ロンドンを拠点とする万屋の魔術使いだった。
得意分野が攻撃魔術に偏っていたため、荒事を専門に引き受け、
法では裁けない外道魔術師を、法執行機関から秘密裏に雇われて始
末していた。
最初のうち、私は伯父がしばしば海外に出かけていくのをただ見て
31
いたが、
黙っていられずそのうち伯父の稼業を手伝うようになった。
伯父は私が稼業を手伝うことに常に難色を示していたが、
いやいや伯父が私に手ほどきをするうち、私には魔術の才能がある
ことが分かった。
私はとっくに没落した家系の出身だっだが、私の代で魔術回路が先
祖返りを起こしていたのだ。
魔術回路をほとんど失っていた父にはそれが分からず、疎遠だった
伯父に引き取られてようやく判明したことだった。
いつしか私は伯父の優秀なパートタイムの助手になり、中学を卒業
すると
専業の助手になっていた。
我々、魔術師狩りをするハンターは荒くれ者の集まりだ。
御多分に漏れず、伯父も荒っぽい人物だった。
宵越しの金は持たず、眼の前に快楽があれば貪る。
仕事で金が入ると、まずボイラーメーカーを盛大にあおって泥酔
し、
夜の街に繰り出した。
マクナイト家はスコットランドにルーツを持つが、伯父は
ロバート・バーンズの詩と並ぶスコットランド名物であるハギスが
大嫌いで
パブでハギスを食している人間を見るたびこう言っていた。
﹁よくあんなもの食えるな。
あれは、皿に乗っけて人間の前に出すものじゃねえ。
ゲロと一緒に下水道に流すものだ﹂
10代半ばの多感な少年の保護者としては明らかに不適切だ。
だが、私はそんな伯父のことが嫌いになれなかった。
理由は簡単だ。
伯父と生活を共にするうち、根はやさしい人物だということが分
かっていたからだ。
確かに不摂生で破天荒な生活こそしていたが、いつも伯父の視界に
32
はちゃんと
私の存在が入っていた。
誕生日は覚えていたし、クリスマスプレゼントは毎年必ず送ってく
れた。
プレゼントのセンスこそズレていたが、それは彼の生い立ちを考え
れば仕方がない。
それに何より気に入っていたのは、外道魔術師に対する処遇だっ
た。
伯父は対象を極力殺さないようにしていた。
依頼主からは﹁生死に関わらず﹂捕縛するように言われている案件
でもそれは
変わらなかった。
﹁坊主、殺しってのは極力避けるべき行為だ。
相手の未来も過去も奪っちまう。
たとえそいつがゲロ以下のゲス野郎だったとしてもな。
それとこれも大事な話だが﹂
伯父はリッチモンドに火をつけ、紫煙を吐き出すと言った。
﹁俺の業界に、﹃魔術師殺し﹄と呼ばれていた奴がいたが、
そいつは標的を例外なく全員ぶっ殺してた。
毎日がこの世の終わりみたいな死んだ眼をした奴だった。
坊主、つまりな、
殺しっての殺す側のメンタルヘルスの上でも最悪なんだよ。
だから、テメエの身を守るためにも極力殺しは避けろ﹂
時計塔に籍を置くようになってからも、
昼間は時計塔の講義に出席だけして、主に惰眠をむさぼり、
夜の稼業に力を注いだ。
2年も経つと、時に1人で仕事をこなすケースも出てきた。
﹁こんなヤクザ稼業に就いちまってることは、保護者としちゃ遺憾だ
が﹂
伯父は誇らしさと残念さが入り混じった表情で言った。
﹁お前は相当に優秀だ。天才とまでは言えんが、秀才を自称できるぐ
33
らいにはな﹂
そんな日々がが何年か続き、そしてあの運命の日がやって来た。
我々が追っていたのはペーター・ヴァント。
蛾の使い魔を使役し、使い魔を媒介にした毒で暗殺稼業を経営して
いた
外道魔術師だ。
身の安全のため、名前は伏せるが、とある諜報機関からヴァントの
始末
を依頼された我々はいつもの通り仕事を準備していた。
ロンドンはいつものように曇天で、道路は混んでいた。
完全なる予定調和な1日の始まりだ。
準備を整えた我々は連れ立って空港に向かった。
伯父はヒースロー空港から、フランクフルト空港に。
私は香港国際空港に向かった。
34
我々は、ドイツで仕事を終えたヴァントが、次の仕事のために香港
向かっている
という情報をつかんでいた。
伯父が機内でヴァントを秘密裏に始末し、香港で車を調達した私が
伯父を迎えに行き、遺体を依頼者に引き渡す手はずだった。
その日の香港は蒸し暑かった。
故郷の蒸し暑い気候にノスタルジーに浸りながら、
私は現地で車を調達し、無線機を片手に伯父からの連絡を待ってい
た。
何かが起こるような胸騒ぎは何一つなかった。
待機し始めてから何時間経っただろうか、
ヴィクトリアハーパー付近で、手配した車に待機していた私の元
に、
﹂
定時連絡用に用意していた無線機経由で伯父から連絡がきた。
﹁よう。坊主。
今、大丈夫か
それともヒマ潰しにマスカキでもしてたか
?
?
伯父はいつもこんな調子だった。
口調もいつものままだった。
﹁マスカキ中に襲撃されて死ぬなんて最悪の最期だ。
冗談じゃない﹂
出がけの予定調和なやり取りが済んだところで、
私は違和感を覚えた。
﹁どうしたんだい、ユアン伯父さん。
定時連絡はもう少し後だったはずだけど﹂
﹂
﹂
受信機の向こうからは、明らかに計器類と思われる音が聞こえてい
た。
私の心に胸騒ぎのさざ波が立ち始めていた。
﹁ユアン伯父さん、まさかと思うけど自分で操縦してるのか
﹁セスナとそう大きくは変わらん﹂
自分で操縦している
けどよ。
もうすぐそこまでヤツの使い魔が近づいてる。
35
緊急事態であることを予想するに十分な事実だった。
伯父は大きく1度息を吐くと言った。
﹁昔のダチのことを思い出してた。
ナタリア・カミンスキー。良い女だったが
人生折り返しに行く前に逝っちまった﹂
そこで1度言葉が途切れた。
何のことかさっぱりわからなかった。
﹁ナタリアと同じ状況に追い込まれるとは思わなかったぜ﹂
僕にもわかるように説明してくれないか
乗員、乗客、あいつの使い魔の毒で全員あの世行きだ。
気付いたときはもう時すでに遅しだ。
あの野郎、自分の体内に使い魔を隠してやがった。
﹁ヴァントを仕留めるところまでは良かったんだがな。
伯父は自分がおかれた状況について淡々と話し始めた。
﹁⋮⋮どういうことだ
?
どうにかコクピットにまでたどり着いて、操縦桿を握ったのはいい
?
?
?
結界を張って閉じこもったまではいいが、どうにも結界は苦手だ。
とても空港まで持ちそうにねえ﹂
誰がどう見ても絶体絶命だった。
そして私は、伯父が万が一の時のため、奥歯に青酸カリ、
﹂
体内にC4爆弾を隠し持っていることを思い出した。
﹁⋮⋮伯父さん、まさか、アレを使うつもりか
﹁大正解だ。
どうせ俺は助からねえ。
あの小汚い使い魔どもと一緒に地獄にランデヴーしてやるよ
まあ、なんだ。このままヴァントの使い魔を放っておいたら
墜落した飛行機に近づいてきた事故調査委員会だかが犠牲になる
だろ。
どうせ助からねえんだから、誰かを守ってカッコよく死なせてくれ
や﹂
頭が真っ白になった。
私は呆然としながらも、何とか思考を保とうと努め、
それまで1度としてなかったほどに頭脳を回転させた。
しかし、状況は完全に詰みだ。
どうやっても打開策は浮かんでこなかった。
﹁っ て わ け だ か ら よ。優 し い ユ ア ン 伯 父 さ ん か ら 最 後 の ア ド バ イ ス
だ﹂
何かもっと良い手があるはずだ
﹂
こんなのじゃなくて
﹁⋮⋮止めてくれよ。まるでこれが最後みたいじゃないか﹂
﹁みたいじゃなく、これが最後だ。
ん。
﹂
だからよく聞け、坊主﹂
﹁嫌だ
36
?
もう悠長に考えてる時間はないし、どうせ考えても妙案は浮かば
!
いいか、だからよく聞け﹂
﹁嫌だ
考えてくれよ
!
﹁言った通り結界を破られるのは時間の問題だ。
!
!
!
﹁アンドリュー
﹂
伯父が私のことをアンドリューと呼んだのはそれが初めてだった。
そして最後だった。
﹁いいか。お前は絶対にこのことを気に病むな。
俺がここでくたばるのは俺の自己責任だ。
こんなヤクザな稼業だ。ブランコの順番が回って来たってだけな
んだよ﹂
私はもはや嗚咽以外を口から漏らすことが出来なかった。
﹁アンドリュー、1日でも長く生きろ。
何よりもまずテメエ自身を守れ﹂
私は嗚咽を漏らしながら、ようやく一言だけ絞り出した。
﹁もうハギスは食べられないね﹂
﹁食わないで済むの間違いだ。せいせいするぜ﹂
車の窓の外を見る。
香港の夜空に一瞬、小さな閃光が走り、そして消えた。
私はほどなくして、伯父と過ごしたハックニーのフラットを引き
払った。
国外に居る時間が長いから、という実際的な理由もあったが、
最後の血縁者を失った場所に居続けるのは私には辛すぎた。
私は1度足を突っ込んだこの稼業から足を洗えなかったが、
可能な限り無謀な行為は避けるようにしている。
それが伯父の最後の望みだったから。
私は全身に重々しい疲労を感じつつ時計をみた。
午前3時を大きく回っていた。
私が話している間、士郎はほぼ聞き役に徹していた。
1時間以上もひたすら1人で話していたわけだ。
これでは本当に独り言だな。
カティーサークを瓶から直接一口あおり、
タバコに火をつけると私は言った。
37
!
一体どれほどの時間話し込んでいただろう。
×××××
﹁僕の長い独り言の教訓はだな│﹂
相変わらず士郎は黙り込んでいる。
﹁ハギスはマズいから食うな、ということさ﹂
すでに、夏のロンドンの空は白み始め、カティーサークの瓶は半分
まで減っていた。
﹁⋮⋮話してくれてありがとう。アンドリュー﹂
1時間以上も黙り込んでいた士郎は、ようやくそう1言だけ絞り出
した。
私が話し終えても、士郎は眠ろうとしなかったが、
私に強く促されて、午前4時を回ったところでようやくベッドルー
ムに戻って言った。
結局、私は朝まで一睡もしなかった。
まったく眠る気が起きず、
イアン・マキューアンの文学史的価値について考えているうちに朝
になっていた。
先にベッドルームを出てきたのは士郎だった。
どうも顔色を見る限り彼も、結局眠れなかったらしい。
﹁おはよう、アンドリュー﹂
と私に一言、挨拶をすると
朝食を食べるかどうかを私にたずねた。
﹁いただくよ。
一宿一飯の恩が、一宿二飯の恩になるな﹂
しばらくして、凛が起きてきた。
﹁やあ、おはよう。
昨夜にも増して麗しいね、リン﹂
と私がウィットに富んだ挨拶をすると、
哀れなものを見るような眼で見られた。
24時間以内に2度も同一人物からそんな目で見られたのは初め
てだった。
そしてその哀れなものを見るような眼のまま、何も言わずにバス
38
×××××
ルームに消えて
言った。
士郎は
﹁ごめん、アンドリュー。
あいつ、朝弱いんだ﹂
と私をフォローしてくれたが、
どうもそれだけが理由ではない気がする。
士郎の用意してくれたヘルシーな朝食を食べ終え、
食後のグリーンティーを飲み干すと、礼の言葉と共に2人の住居を
辞した。
2人は丁寧に私を外まで見送ってくれた。
私は並んで立つ2人に、モバイルフォンの番号を記載した
ビジネスカードを手渡して言った。
﹁これでも君たちより一回りは長く生きている大人だ。
﹂
!
39
何か困ったら連絡してくれ。
力になれるかどうかは保証しないがな﹂
凛が私のビジネスカードをあらためながらクスリと笑って言った。
﹁あなたって全然魔術師らしくないのね﹂
﹁自覚はしてるさ。だが、君たちもたいがいだ﹂
私は踵を返しながら、半身だけ振り返って言った。
﹁⋮⋮ああ、それと一晩も居座ってしまって済まない。
若い2人なら色々とシタいこともあっただろう。
僕も無神経だったな﹂
﹁な⋮⋮﹂
と呟くと、凛は茹でたてのスカンピのように顔を真っ赤にして言っ
た。
﹁ちょ、ちょっと
あなた
一晩も居座っておいて、最後に言うのがソレ
一体どういう性格してるのよ
アンドリュー
!
﹁もう行くよ。飛行機に乗り遅れる﹂
!?
!?
!
﹁ま、待ちなさいよ
!
私たちはそんなのじゃないって
﹂
なおも続く抗議を背に私は言った。
﹁ありがとう。リン、シロウ。
またな﹂
私の背後では凛の怒号と
﹁落ち着けよ、遠坂﹂という士郎のなだめる声が交差していた。
40
!
設定
設定まとめ
・アンドリュー・マクナイト
香港生まれ イングランド、スコットランド、香港、日本の混血で、
英語、広東語、日本語のトリリンガル。
30歳前後
没落した魔術家系の出身だが彼の代で魔術回路が先祖返りを起こ
し、
一族きっての天与の才能を持って生まれた。
10代の頃の不慮の事故で両親を亡くし、祖父母もすでに他界して
いたため
残った唯一の親族で、まともに魔術を使えた伯父の元で育ち、実地
で魔術を学ぶ。
時計塔に長く在籍していたが、不良学生で、ダラダラと在籍した末
に辞めている。
ロンドンを拠点に魔術関連の万屋稼業を開業。
首都警察とシティ警察の非公式な顧問。
特別に得意とする魔術はないが、一通りのメジャーな魔術を高いレ
ベルで操れる。
戦闘時は近代兵器を使うことを辞さない。
H&K USPを愛用。フルオートでロングマガジンを使用する
ことを好む。
住所不定でロンドンの安宿を転々としながら生活している。
・エミリー・オースティン
首都警察の刑事
アンドリューの友人
貧弱ながら魔術回路を持ち、アンドリューの首都警察への窓口に
なっている。
41
・原作キャラ
これから新しいオリキャラがバンバン出てきますが、原作キャラも
バンバン出てきます。
オリジナルストーリーにしてはいますが、あくまでも同人誌である
ことを前面に出していきたいので、名前だけ触れる原作キャラも頻繁
にでてくる予定です。
・設定について
fateの設定を知ったうえでお読みになった方は、お気づきと思
いますが、
独自設定や独自解釈をかなり多分に含んでいます。
・主人公は法執行機関や諜報機関の依頼で悪徳魔術師を捕縛してい
る設定ですが、
これは完全なる独自解釈です。
fate/zeroに登場した、ナタリア・カミンスキーは成果を
魔術教会に売り渡して報酬を得ている設定でしたが、なんかしっくり
こなかったので独自設定にしてしまいました。
とはいえ、筆者はfate/zeroの原作小説を読んでいないの
で、この設定だったか正直自信がありません。
・独自解釈
魔術に関しての独自の解釈や、fateの世界では登場していない
理論がバンバンこれから出てきます。fateの世界観からちょっ
とハミ出してますが勘弁してください。
・時代設定
fate/stay nightが2004年設定なので、その2
年後とし、2006年のつもりで書いています。
筆者の癖で実在の人物の名前が頻繁に出てきますが、2006年の
想定であるとご容赦ください。
前書きにも書いていますが、前提は凛ルートのトゥルーエンド︵セ
イバーが残らない方︶です。
今後、本編にセイバーを出す予定はありませんが、セイバーの存在
については触れる予定です。
42
・タグ
タグに﹁空の境界﹂がついていますが、これはただつけたわけでな
く、今後空の境界のキャラクターを出す予定があるからです。
あと3、4話先で登場させる予定です。
・地理関係
筆者は大学院まで無駄に通い、英米文学を専攻していました。
イギリスには3度行ったことがあり、ロンドンの地理はそこそこ正
確にわかります。
あやふやな部分は地球の歩き方を見ているので、地理はすくなくと
も出鱈目ではありません。
また、原作設定だと魔術協会内部は大英博物館にあることになって
いますが、アニメで登場した時計塔の外観が明らかにビッグベンだっ
たので、魔術協会は大英博物館のあるブルームズベリーではなく、ウ
エストミンスターにあるという解釈で書いています。
43
London magus hunt
喰種
ロンドンは珍しく晴れていた。
こんな日は、ケンジントン・ガーデンズあたりで日光浴と洒落込み
たい。
私は、エミールのホテルを出ると、実際にそれを実行しようとした。
エミールのホテルがある、パディントンからケンジントン・ゲーデ
ンズは
十分に歩ける範囲内にある。
しばし日光浴を楽しんだら、ロイヤル・アルバート・ホールで適当
なコンサートでも聴くか。
楽しい1日のプランに思いを巡らせていると、私のモバイルフォン
が鳴った。
私の眼前では、ローストビーフにされた男性のものと思われる遺体
が静かに横たわっていた。
隣のエミリーが、淡々と事情を説明する。
﹁ガイシャの名前は、スコット・ウィギンズ。
ブリクストンの路地裏で通行人が発見して通報。
44
ディスプレイには、我が友であり、首都警察の刑事として日夜、犯
罪と闘う
エミリー・オースティンの番号が表示されていた。
﹁Oh dear<全く>﹂
そうつぶやくと私は通話ボタンをプッシュし、電話に出た。
﹁ハイ、こちらはアンドリュー・マクナイト。
﹂
ロンドン1ハンサムな万屋の魔術使いだ。
ご用件は何かな
?
私は薄暗くて寒い遺体安置所に通されていた。
1時間後。
×××××
違法薬物所持の前科有りで、身元はHolmesでDNAがヒット
し判明﹂
男は実によく焼けていた。
私は、遺体を検めると、一言つぶやく。
﹁よく焼けている。
ウェルダンってところだな﹂
エミリーは私の発言を無視して続けた。
﹂
﹁同様のケースはもう今月だけで5件目よ﹂
﹁同様のケース
エミリーは手帳を手に続けた。
﹂
﹁ガイシャの眼と口の中。
よく見てみてくれる
││やれやれだ
﹁この遺体だが、生前、人を襲撃していないか
?
﹁ええ。
﹁人に噛みついた
﹂
死亡推定時刻に発見場所場所付近で人を襲ってる﹂
﹁ええ、そうよ。
﹂
眼は赤く変色し、口にはキバのようなものが生えていた。
瞼を押し開け、口を開け、確認すると、
そう言うと私は、再び遺体を検めた。
失礼するよ﹂
﹁気は進まんが。レディの要望なら仕方ない。
?
ねえ、どう考えても、異常だと思わない
それであなたを呼んだの﹂
私は大きく溜息すると言った。
││大体見当がついたよ﹂
﹁こいつはグール、正確にはそのなり損ないだ﹂
?
危険ドラッグの使用が疑われたけど、検出されず。
?
45
?
﹁グールは死徒、本物の吸血鬼のなり損ないだ。
×××××
あのガイシャが生前使ったのはドラッグじゃない。
魔術的な工程を経て作られた薬だ。
遺体から微かだが魔力の残滓を感じた。
恐らくだがこの事件のホシは魔術的な工程を施したドラッグを通
常のドラッグに混ぜて流通させ、
ドラッグのヘビーユーザーで実験をしてるんだ﹂
ニュースコットランドヤードのエミリーのデスクに通された私は、
﹂
出涸らしのような薄いコーヒーを口にしながら言った。
﹁実験
﹁吸血鬼化だよ。こいつが怪しい﹂
私は愛用のPDAに1枚の写真を写し、彼女に見せた。
﹂
﹁アーベル・ミケルセン。コペンハーゲンで大々的に吸血鬼化の実験
をやらかして、姿をくらませた。
そっちも何か分かっていることはないか
﹁最近、この男が出所してる﹂
を作ってた﹂
﹁なぜその男だと思う
それだけでは根拠に乏しいように思うが﹂
大学時代は化学専攻。その知識を基に高純度のメタンフェタミン
﹁レナード・グールド。違法薬物製造、売買の前科あり。
そこに映る男の写真を指さした。
彼女はラップトップのディスプレイをこちらに向け、
?
時期が重なってる。
これが偶然だと思う
﹂
しかも、メタンフェタミン流通の時期と、グール化した遺体の発見
通。
それからほどなくして、出所不明の高純度なメタンフェタミンが流
名目は薬品製造会社。
ナントになってる。
﹁グールドは出所して間もなく、カナリーワーフのオフィスビルのテ
そう言って彼女は手帳を取り出した。
﹁あなたに声をかける前にこっちでも調べたの﹂
?
?
46
?
﹁そのオフィスビルは調べたか
﹂
その映像は
﹂
カメラがあるはずだ。
﹂
念のため、聞くが、近代的なオフィスビルなら、オフィス内に監視
夢に思わない。
誰もオフィス街のど真ん中でヤクを作っているなどとは
中々賢いな。
認識阻害魔術を使っているならその問題も解決だ。
ドラッグを生成すれば強烈な匂いが発生するはずだが、
﹁ということは、そこでドラッグも精製しているのか。
﹁それと、オフィスの規模の割に電力消費量が多いことも分かってる﹂
幻影を見せる結界を併用しているのだろうな﹂
﹁強力な認識阻害魔術に
その代わり、あなたにもらったフーチに反応があったわ﹂
グールドは3フロアを借りているけど、3フロア全部ね。
﹁普通のオフィスワークだった。
﹁結果は
﹁ええ、任意で話を聞きに行った﹂
?
﹂
?
﹂
?
非公式なコンサルタントとして首都警察に協力して欲しいと言っ
﹁そんなことは言ってないわ。
結界を解いて欲しいと言っている訳だな
﹁つまり、君は僕にこのオフィスに不法侵入して、
そうすると、取れる方法は限られている。
今の状況では、どう考えても令状を取るに足る根拠がない。
私はエミリーの情報を頭の中で整理し始め、案を練った。
﹁一理ある﹂
﹁そこまで調べる給料はもらってないって﹂
﹁システム担当者は何て
システムをハックされたのね﹂
変に思って良く調べてみたらループ映像だったわ。
﹁見たけど、これもただのオフィスワーク。
?
47
?
てるの﹂
﹂
彼女はにっこりとほほ笑むと、そう言った。
女は魔性だ。
﹁で、もちろん協力してくれるんでしょ
﹁仕方がない。
まずは偵察だな。
すぐに始めよう﹂
何、簡単な仕事さ。
﹁ちょうど良い。パートタイムジョブをしないか
た。
私は尚もモゴモゴと婉曲的表現を続ける彼女の話を打ち切り、言っ
英国紳士としてその誇るべき伝統は守りたい。
この国にはレディーファーストの習慣がある。
ろう。
年若いレディにこれ以上のことを言わせるのは無礼というものだ
中々に面白かったが
モゴモゴと口ごもり、尚も婉曲的表現を続ける彼女の話しぶりは
なるほど、彼女の得意とする宝石魔術は金がかかる。
││要約すると、金に困っているという話をした。
彼女は婉曲的な表現を使いながら、彼女の問題
それで、あなたのことを思い出したの﹂
﹁⋮⋮ちょっと困ったことになって。
彼女、遠坂凛は私のウィットを無視すると、続けた。
また君の可憐な声が聞けて嬉しいよ﹂
﹁やあ、リン。
私、遠坂凛よ﹂
﹁⋮⋮あ、えっと、アンドリュー
﹁Andrew McKnight<アンドリュー・マクナイトだ>﹂
そう言って私が立ち上がるとモバイルフォンが鳴った。
?
少しゴミ掃除の手伝いをしてもらうだけだ﹂
?
48
?
共闘
エミリーに教えられた住所はカナリーワーフにある30階建ての
高層ビルだった。
こんな場所で堂々とヤクを作るとは確かに誰も考えないだろう。
あの電話の後、運よく凛の都合がつき、即座に合流した。
凛に結界の解析を依頼した私は、
目的の建物の隣にある40階建て高層ビル屋上に陣取り、偵察を開
始した。
﹂
私は、貸倉庫から取り出してきたお宝をバッグから取り出した。
﹁それは
私が取り出した、近未来的形状の物体を見て、凛が疑問を呈する。
﹁サーモグラフィーカメラだ。
物体の持つ熱エネルギーが拡散する赤外線を捉え、
赤外線の波長分布を画像化してくれる﹂
凛は分かりやすすぎるほどにポカンとしていた。
本当に表情が豊かだ。
彼女は明らかに私の言ったことを1インチたりとも理解できてい
ない。
私が先日話した印象では、遠坂凛という少女はかなり聡明な人物
だったが、
やはり魔術師らしい。
魔術師には電子機器に関する理解力が乏しい人間が多い。
彼女も御多分にもれず、機器の話をされるとアイルランド人並みに
阿呆になってしまうようだ。
﹂
﹁⋮⋮never mind<⋮⋮忘れてくれ>﹂
﹁⋮⋮ええ、そうね
それで、私は結界を解析すればいいのね
﹁ああ。
こちらはこちらの方法で偵察する﹂
私は気を取り直し、カメラを覗き込んだ。
?
49
?
認識阻害魔術で、人間の知覚は狂わされている。
魔術を使って五感を強化しても結果は変わらない。
だが、機械は違う。
認識阻害魔術では生物の発する熱エネルギーまで遮断することは
できない。
サーモグラフィーカメラで壁越しに調べられるのは人数と、大まか
な動作ぐらいだが
熱探知の効果は数100フィート程度まで及ぶ。
偵察にはもってこいだ。
15階に10数人、座り仕事。
動きからして金勘定をしている。
16階に数人、座り仕事。
ドラッグの精製と思われる。
││そして、17階に1人。
僕なら術の解析だけでも君の倍は時間がかかっているだろう﹂
一通り必要な情報をそろえた我々はオフィスビルを後にした。
た。
昨日に続き、珍しく天候は麗しく、陽射しが気持ちよかった。
私は凛とテラス席でブラックティーを飲みながらサンドイッチを
かじり、
彼女から解析結果を聞いていた。
50
﹁リン、熱探知の結果はミケルセンがビル17階を工房にしているこ
﹂
とを示唆している。
そっちはどうだ
﹁もうか
大体解析も出来た。﹂
結界の起点は17階。
﹁あなたの見立て通りだと思うわ。
?
やはり君の魔術師としての性能はケタが違うようだね。
?
オフィスビルを出た私と凛は、カナリーワーフ駅近くのカフェにい
×××××
計画に支障なし、天気も完璧。
パーフェクトな昼下がりだ。
ただ1つの問題はそのサンドイッチが恐ろしく不味かったことだ。
スモークサーモンとオニオンのサンドイッチだったが、
オニオンからは、石畳の隙間に生えている雑草のような味がし、
サーモンからはサーモンではなく死んだ子供の指のような味がし
た。
凛も同じものを注文していたが、彼女は半分を残し、それ以上の挑
戦を諦めていた。
﹂
﹁⋮⋮何これ。どう味付けしたらサンドイッチをこんなに不味く作れ
るの
﹁リン。
この国には料理の味付けに対する概念が2種類しか存在しない。
味があるか、無いかだ﹂
﹁⋮⋮食材に対する冒涜ね﹂
<終わりかい>﹂
私は我が国の食文化の貧困さを遺憾に思いながら、尚も挑戦を続け
ていた。
﹁finished
m trying<頑張っているところだ>﹂
﹁私、中途半端って嫌いなのよね﹂
張した。
しかし、彼女は私に同行し、自分で結界を解除することを強硬に主
私はそう言うと、報酬の話に移ろうとした。
後は任せてくれ﹂
君の迅速な解析のおかげで仕事が迅速に済みそうだ。
﹁リン、ありがとう。
私は実務的な話の締めくくりを凛にすることにした。
短いウィットに富んだスモールトークが終わると、
││不味いという自覚があるらしい││去って行った。
私がそう言うと、男は豪快に笑いながら私の背中をバンバン叩き
﹁I
50がらみの男の店員が、手の進まない私を見て声をかけた。
?
51
?
'
﹁君が極めて優秀な魔術師で、身を守る程度の術を備えていることぐ
らいは分かってる。だが、僕の稼業はそれなり以上に危険なものだ。
大人として忠告する。
止めておけ﹂
尚も私は彼女の説得に努めたが、
同行することを強硬に主張する凛の説得を結局あきらめた。
﹁ねえ、アンドリュー。
一般人に被害を出すなんて素人のやることよ。
そんなことをする奴は問答無用でぶっ倒してやらないと気が済ま
ないわ﹂
﹁⋮⋮わかった。ただし、荒事は僕が引き受ける。
﹂
戦闘の必要が仮に発生したとしても、君は自分の身を守ることに徹
しろ、いいな
彼女は微笑むと言った。
﹁分かってるわよ。
私、そんなにバカでも無謀でもないわ﹂
﹁まったく。
君は魔術師らしいのか、らしくないのかよくわからない人物だな﹂
私は、凛とこの後の手はずについて話し、解散した。
私と凛は全日に張り込んだオフィスビルの屋上にいた。
英国は1日に四季を感じられるほど昼夜の寒暖差が激しい。
高層ビルの屋上には夏の深夜の冷たい空気がビル風に乗って吹き
すさんでいた。
眼前には眠らないこのヨーロッパ随一の大都市が煌々と光を放っ
﹂
?
ている。
﹁このこと、シロウには言ったのかい
﹁ええ、勿論﹂
アンドリュー。
﹁良く彼が君を行かせたな﹂
﹁あら
?
52
?
翌日、深夜。
×××××
あなた、士郎が私に勝てると思ってたの
女は魔性だ。
﹁いいや。
男は女に口喧嘩では勝てない。
真理だな﹂
高さを調節し、
﹂
私が弾丸でぶち破った窓から突入する。
││着地成功だ。
﹂
いつもこんな危険なことしてるの
体制を直しながら凛が言う。
﹁これが、あなたの仕事
荒事はすべて僕が引き受ける﹂
﹁リン、君は結界を解くことに専念してくれ。
下のテナントたちはいい迷惑だろう。
こんなものがオフィスビルの最上階に潜んでいるとは。
グールの大群だ。
分かった。
﹂
のワンシーンがごとく、吐き気を催すような物体が近づいてくるのが
しかし、フラッシュライトを当てると、奥からラヴクラフトの小説
?
フリーフォールと加速の衝撃を全身に感じながら、重力制御魔術で
隣のビルめがけて飛び出した。
オーウェンのごとく
セ ン タ ー サ ー ク ル か ら ド リ ブ ル で 一 気 に ゴ ー ル に 迫 る マ イ ケ ル・
私たちは身体能力をギリギリまで強化すると助走をつけ、
グールド名義のオフィスはビルの中層階にある。
まっとうな魔術師相手の戦いは速攻が一番よく効く。
﹁ええ。行きましょう﹂
﹁準備はいいかい
私は手持ちの装備を改めて確認すると言った。
?
目的のオフィスは真っ暗で、完全なる闇が広がっていた。
││どうやら、お出迎えのようだ﹂
﹁体が慣れてしまってね。
?
53
?
そう言い終わるや否や、私は9mmパラベラム弾を掃射した。
しかし、数が多い。
しかも、思いのほか頑丈だ。
強化した9mm弾の効きがあまりよくない。
﹁肉体に強化を施したか﹂
私はラリー・マレン・ジュニアのドラムプレイのごとく、
フルオートで弾丸をばら撒き、空になったロングマガジンをマガジ
﹂
ン自体の重みを利用して振り落すと、変えのマガジンをポケットから
引き抜こうとした。
もう、じれったい
その時、
﹁ああー
﹂
!
高価な宝石を使って
?
散していた。
﹁いいのか
﹂
赤い閃光が走ったその1瞬の後、私の眼前にいたグールの群れは霧
咄嗟に障壁を展開させて衝撃に備えた。
を踏むと
続けて発せられたその一言で事態を把握した私は、バックステップ
﹁アンドリュー、下がって
という怒声と共に、私の頭上を投擲された何かが通過していった。
!
今、結界を解くわ﹂
彼女はそう言うと、床に手を当て、何節か詠唱をした。
オフィスを覆っていた真っ暗闇が晴れていく。
﹂
暗闇の奥から金髪に長身の大男が現れ、こちらを鋭い眼光で睨みつ
けていた。
私は銃口を向け、言った。
﹁アーベル・ミケルセンだな
﹁下賤な魔術使いめ﹂
ミケルセンは憎々しげに言った。
﹁ヤク中のゴミを実験台にして何が悪い
?
﹁何が下賤かは立場によって変わるものだと思うがね、僕は﹂
?
54
!
﹁そう思うなら、後でもっといいのを買って。
?
﹂
魔術の発展とゴミの命、貴様にはその程度の天秤の傾きもわからな
いのか
││このゲス野郎め。
私が、一発お見舞いしてやろうと足を踏み出すと、すでに別の人物
が私より早く飛び出していた。
その人物、遠坂凛はミケルセンの鳩尾に拳を叩き込み││
哀れミケルセンは反吐を吐いて蹲った。
﹁八極拳か。
﹂
│遠坂家の家訓は﹃常に余裕をもって優雅たれ﹄だと聞いた覚えが
あるが、
﹂
その伝統は君の代で途絶えたのか
﹁見損なった
?
彼女は一人そうごちた。
﹁⋮⋮心の贅肉ね﹂
だ﹂
﹁見 直 し た よ。ゲ ス 野 郎 に 怒 り を 露 わ に で き る の は 君 が 正 常 な 証 拠
?
だ。
エミリーは既に応援を要請しており、現場は防護服に身を包んだ鑑
識員で埋まっていた。
﹁もういいだろう、出よう﹂
私はそう、凛に声をかけビルを降りた。
再開発の進むカナリーワーフはテムズ川に面している。
19世紀には垂れ流しにした汚物で異臭が発生したいわくつきの
場所だが、夏の夜風は中々に気持ちよかった。
私は報酬を渡す手はずを彼女に伝え、見送った。
﹁それじゃあ﹂という彼女の背に私は声をかけた。
﹂
﹁そうだ。リン、この前、言い損ねたことがある﹂
﹁何かしら
﹁シロウから目を離すな。
?
55
?
凛はミケルセンの魔力を封じて身体を拘束し、私はエミリーを呼ん
×××××
彼の行動原理は危うい。
彼には君が必要だ﹂
﹁ええ、わかってるわ﹂
そう言うと彼女は、私が呼んだブラックキャブに乗り込み、現場を
後にした。
オフィスからは予想通り大量のメタンフェタミンが押収された。
グールドは不在だったが、彼名義のオフィスからこんなものが見つ
かればどんな判事でも逮捕状を出すだろう。
ミケルセンも共犯扱いになるに違いあるまい。
私はテムズ川の夜風に吹かれながら紫煙を燻らせていた。
手の空いたらしいエミリーが彼女もタバコを片手に建物を出て歩
み寄って来た。
﹁お疲れ様﹂
﹁どうも﹂
56
彼女はブラックコーヒーのカップを私に手渡して言った。
﹁気が利くね。そういう女性とはぜひ、一晩を共にしたい﹂
﹂
エミリーは曰くありげな微笑みを浮かべるだけで、何も言わずコー
ヒーを一口啜った。
﹁ねえ、アンドリュー﹂
エミリー﹂
彼女は私に視線を向け直し言った。
﹁何だ
﹂
﹁あなた、今回の顧問料、全額彼女に渡すつもりでしょう
﹁何を根拠にそう言ってる
﹁女の勘﹂
﹂
そうだ。必要経費以外すべて渡す気でいる﹂
﹁君の勘は超常現象だな。
私は諦めて言った。
││やはり女は魔性だ。
彼女の眼はしっかりと私を見据えている。
?
﹁あの子のことが気に入った
﹁概ね正解だ﹂
?
?
?
私は紫煙を吐き出すと言った。
﹁やはり前言は撤回だ。
勘の良すぎる女性は苦手だ﹂
エミリーはクスクスと笑いながら言う。
﹁最初からそんな気、無いくせに﹂
﹁君は良い相棒だが、
君のそういうところはどうにも苦手だな。エミリー﹂
私は、根元まで吸い尽くしたリッチモンドを足元でもみ消し言っ
た。
﹁さすがに眠い。
お暇するよ﹂
そう言うと、私は踵を返す。
その背中にエミリーが声をかけた。
﹁お休み、アンドリュー﹂
﹂
57
﹁ああ、君もな、エミリー﹂
﹁冗談、私はこれから仕事よ
﹁そうだったな。
私は踵を返すと足早に今夜の寝床へと歩みを進めた。
では、go for it<頑張れ>、エミリー﹂
?
Tokyo revisited
旧友
早朝、ロンドン。
いつものように空はどんよりと曇り、視界には霧がかかっていた。
時刻は午前7時。
人の家を訪ねていくには非常識な時間だが、
私がこれから訪ねようとしている人物は早起きだ。
問題はあるまい。
私は身支度を整えると、古くて小汚いエミールのホテルを後にし
た。
﹁やあ、シロウ。
﹂
ソーホーにとても素晴らしいストリップパブを見つけたんだ。
今から一緒に行かないか
目的
﹂
﹁⋮⋮で、そのズレたセンスのジョークで士郎をからかいに来たのが
とても残念だ。本当にいい店なのに﹂
﹁その顔は﹃ノー﹄だな。
思い切りにらまれた。
士郎は困り顔で顔を赤くし、奥の机で何か考え事に興じていた凛に
ると、私はとびきりのウィットで言った。
ドアを開けた目的の人物2人の内の1人、衛宮士郎に招き入れられ
?
﹁いや、違う。どちらかというとからかうと面白いのは君の方だ、リ
クセになってしまいそうだ。
彼女にそんな顔で見られるのはこれで3度目だった。
変わっていた。
凛の表情は今、怒った顔から、何か哀れなものを見るような表情に
ブラックティーを口に運びながら言った。
彼女、目的の人物のもう1人、遠坂凛は士郎の用意してくれた朝の
?
58
×××××
ン。
僕は喜怒哀楽に対して1つずつしか表情を持ち合わせていないが、
君は実に表情豊かだ。
僕にもいくらか分けてもらいたいね﹂
﹂
凛は、今度は、しかめつらに僅かに怒りの籠った表情に変わって
言った。
﹁⋮⋮で、何の用なの
﹁え
いいの
女は現実的だ。
そう、私が本題を切り出すと、凛の表情が突如緩んだ。
たわけだ﹂
何か買ってきて欲しいものがあるのではないかとご用聞きに参じ
僕は寛容だからね。
﹁実は小用があって、日本に行くことになった。
?
製品などどうだ
﹁そうだ、主にドラッグストアで売っているCの文字から始まるゴム
私はさえぎって言った。
それじゃあ⋮⋮﹂
?
﹂
?
言った。
﹁⋮⋮面白いこと言うのね
?
ウエストミンスターの路上を歩いていた。
だって早朝の
士郎と凛もこれから時計塔に向かうとのことで、我々3人は連れ
スを出ることにした。
30分後、2人からご用聞きを終えた私は、2人の住むタウンハウ
アンドリュー﹂
凛はにっこりと笑うと、宝石を頭の上まで掲げて投擲体制に入り
凛の隣に座る士郎はまたしても顔を赤くした。
1ダースほど買ってこようか
若い君たちなら消費量も相当なものだろう。
日本製はとてもすばらしい品質だと聞いている。
?
59
?
×××××
﹁ねえ、ところで、アンドリュー﹂
﹁どうした、リン﹂
﹁この前、気づいたんだけど。
あなたって、銃を持つときは右手なのね﹂
﹁ああ。銃というやつは基本的に右利き用にしか作られていない。
僕のようにフルオートを多用する人間が、左手で銃を持つと
﹂
空薬莢が顔の前を通過して邪魔で仕方がないからね。
それが、どうした
﹁見てみるか
﹂
﹁そう、それで、あなたの腕なんだけど⋮⋮﹂
?
これ、本当に義手なの
﹂
?
特別性だ。
予備のマガジンを収納することもできる﹂
凛は私の右腕をまじまじと見て言った。
﹁これ、相当なものよね
﹁そうなの
﹂
ここ数年、連絡が取れていなくてね﹂
﹁実は、これから日本に行くのもそれが目的だ。
1度会ってみたいわ﹂
ねえ、アンドリュー。この義手を作ったのってどんな人なの
?
気まぐれな人物だから、最初は特に気にしていなかったが、
さすがに不安になってね。
探しに行ってみようと思い立ったわけだ﹂
凛は残念そうだった。
魔術師らしいのからしくないのかよくわからない人物だ。
﹁ミフネシティ、トーキョーだ﹂
﹁あんたが行くのって日本のどこなんだ
﹂
残念そうに黙り込んでしまった凛に代わって士郎が口を開いた。
?
﹁ああ。魔力を通すと継ぎ目がなくなり、霊体をつかむこともできる
﹁ウソ
私は、上着とシャツをまくり上げると凛に差し出した。
?
﹁ああ。気づけば、最後に会ったのはもう7年前だ。
?
?
60
!
3時間後。
成田国際空港行きのブリティッシュ・エアウェイズの狭いエコノ
ミーシートの中で、
私の頭は過去へと旅立っていた。
││蒼崎橙子。
魔術協会から封印指定を受けた最高位の人形遣い。
そして、私がかつて微妙な距離を保ちながら交友を持った友人。
彼女と出会ったのはもう10年以上も前のことになる。
当時、ユアン伯父さんはまだ存命中で、私はまだ血気盛んな10代
の少年だった。
その当時、夜な夜なユアン伯父さんとヤクザな稼業に精を出し、昼
間は講義で惰眠を貪る生活をしていた私はアントニー・ホープやライ
ダー・ハガードの小説のような冒険を求めていた。
その時に、耳にしたのが魔術協会がその身柄を欲しながら逃亡を許
している彼女のことだった。
魔術協会の追跡を巧みかわす、ミステリアスな美女。
若く愚かだった私の冒険心は嫌というほどにくすぐられていた。
私は、数日に渡り、時計塔の講義をエスケープすると調査を開始し
た。
すると、当時、ユアン伯父さんと首都警察との窓口になっていたベ
テラン刑事から
天啓としか言いようのない事実を入手することが出来た。
彼が人材交流で知り合った秋巳という東京の観布子市を管轄とす
る刑事が、
蒼崎橙子の風貌と一致した容貌の持ち主とたびたび不思議な情報
を交換しているという話だった。
││なんという幸運だろうか。
ユアン伯父さんの助手稼業にもだいぶ慣れ、力試しがしたい気持ち
もあった私は、
碌に下調べもせず、不確かな情報を手に東京、観布子市へと向かっ
61
×××××
ていた。
観布子市に降り立った私は探索を始めた。
逃亡中の魔術師ならば、少なくとも人目の多い場所を根城にしない
はず。
そう踏んだ私は、父から教わった唯一の魔術、フーチを片手に町は
ずれを中心に
彼女の姿を探った。
探索を始めて3日目。
ついにフーチに反応があった。
<やった
>﹂
街はずれの廃ビルだった。
﹁Yes
私は残った左手でガンドに術式を載せて撃ち出す。
プランBを思い出す。
近距離で喰らったような激痛を感じながら、とっさに無い頭で絞った
かつて右腕のあった場所にロベルト・カルロスのフリーキックを至
かつて私の右腕があった場所はむなしい空白が広がっていた。
をかわしたが、
とっさにその巨大な体躯の真っ黒で厚さのない影絵のような魔物
橙子はすでに準備万端で私を待ち構えていたわけだ。
そこに待っていたのは彼女の使い魔による暴力的な歓迎だった。
ションC4でぶち破って突入した。
私は通りから視覚になるビル側面に回り込み廃墟の壁をコンポジ
私は完全に虚をついたつもりでいた。
いつも通り、速攻でカタをつける。
私は、武器と爆薬を手に件の廃ビルに向かっていた。
その日の深夜。
殴ってやりたいところだ。
当時の私に出会うことが出来たら、お叱りの言葉と共に2、3発
結論から言うと私は浅はかだった。
私はそう一言つぶやくと、即座に突入の準備を開始した。
!
はたしてその一撃は││不意打ちを食らわせてわずかに油断した
62
!
橙子に命中していた。
﹂
橙子は右腕を抑えながら言った。
﹁何をした
﹁痛覚共有の呪い﹂
私はありったけの魔力で治癒魔術をかけ、右腕の付け根を止血しな
がら言った。
﹁それも一方的な隷属の呪いだ。仮に僕がこのまま出血多量で失血死
﹂
すれば君も死ぬ。
試してみるか
思考を巡らせる彼女に対し、私はさらに続けた。
﹁このまま放っておくと、敗血症になり
ショック状態に陥る可能性がある。
さあ、どうする
までもない。
﹂
付け加えると、帰国後、ユアン伯父さんにきつく叱られたのは言う
なぜそんな関係になったのかは今もわからない。
そして、なぜか私たちは友人になり、再会の約束を交わした。
││その後、橙子は私に義手を、私は呪いの解呪をした。
あんな邪悪な微笑みは後にも先にも見たことがない。
私に歩み寄り、静かに微笑みを浮かべた。
思考を巡らせていた彼女は、やがて使い魔を引っこめると
?
時間をおけば私の術式などすぐに解析されてしまうだろう。
こちらはせいぜいが秀才だ。
そして、向こうは封印指定を受けるほどの超一級品の魔術師、
死まで伝えることはできない。
痛覚共有で伝えられる痛みには閾値がある。
もちろんハッタリだ。
?
僕と一緒に苦しみながら地獄にランデヴーするか
?
のアナウンスが
63
?
過去に思考を巡らせる私を間もない着陸を知らせる英語と日本語
×××××
現在に引き戻した。
エコノミーシートに体を押し込んだ周りの乗客たちは、
やっとこの窮屈さから解放される安堵の空気を漂わせていた。
私は、窓の外を見やる。
眼下には日本列島の端がその姿を現し始めていた。
目的地は近い。
64
往訪
早朝の東京。
成田国際空港に降り立った私を迎えたのは真夏の東京の強烈な熱
気だった。
湿気を含んだ空気が熱気と共にねっとりと私の肌にへばりつく。
亡き私の祖父母はこの東京に居を構えていた。
香港、ロンドンと共に私にとっては第三の故郷と言える。
もっとも、私の血縁者はもはやこの街にも国にも1人もいないが。
もはや遠い記憶だったが、祖父母のことは好きだった。
具体的な記憶はほとんど消え失せてしまったが、夏休みに東京に来
るたびに
感じていたこの熱気は私にノスタルジーを感じさせた。
空港の出口までたどり着くと、東京に来るたび公共交通機関の混雑
65
ぶりに
うんざりさせられていた私はタクシーを使うことにした。
タクシーの運転手は50がらみの初老の男性だった。
この国の国民には白人を見ると急に緊張してしまうという不思議
な習性があるが、
どうやら運転手は私のような﹁ガイジン﹂に馴れているらしく、
まったく物怖じすることなく日本語で行き先を聞いた。
私が日本語で︵祖父を亡くして以来、あまり話さなかったが、士郎
と凛のおかげでかなり高水準を保っている︶行き先を告げると、
﹁はい
よ﹂という短い一言と共に車は走り出した。
﹁お客さん、日本語上手いね﹂
初老の運転手がフランクに話しかける。
﹁亡くなった祖父が日本人でね﹂
﹂
私は今まで何度も日本に来るたびに聞かれてきた質問に答える。
﹁おじいさんの墓参りか何かかい
﹁そんなところだ﹂
そこで会話は途切れた。
?
目的地はすぐに分かった。
そして、すぐにたどり着けたという事実は橙子がすでに不在である
ことを知るには十分だった。
彼女がいた頃この廃墟ビル、伽藍の堂は強固な結界が張り巡らされ
ていた。
その結界は人から意識を逸らせる効果を持っていた。
私は初めて蒼崎橙子に対面した時、このビルをすぐに見つけること
ができたが、
それは彼女に手のひらで踊らされていたからだ。
全く持って当時の私は愚かだった。
彼女がもうここにいないことはほぼ確かだったが、一応の可能性を
信じ、
ビル内に向かう。
そこに住んでいたのはやはり橙子ではなかった。
現在の住人である瓶倉光溜という青年は、いかにも﹁ガイジン﹂風
の私が突如訪ねてきたことに面喰っていた。
彼は明らかに何も知らない。
僅かな可能性に賭け、彼に橙子の風貌を告げたが、やはり彼は橙子
のことを知らなかった。
予想はしていたが落ち込む。
彼女は何も言わずに私の前から姿を消したわけだ。
このままロンドンに引き返そうかという考えがちらと私の頭を掠
めたがそれではあまりにもそっけなぎる。
親友とまで言えずとも、友人の消息だ。
もう少しぐらい探すのが友情というものだろう。
私は、何かの手掛かりになるのではないかと思い、建物の所有権を
持っている人物を聞いてみた。
瓶倉青年が恐怖に顔を青ざめさせながら出した名前は、私にとって
も恐怖を想起させられる人物だった。
﹁とにかくありがとう﹂
66
×××××
私はそう告げると建物を辞し、記憶を頼りの目的の場所を目指し
た。
﹁はい﹂
記憶を頼りにたどり着いた巨大な日本家屋のインターフォンを鳴
らすと、
低くいかつい響きの男性の声が応答した。
﹂
私は恐怖で乱れた呼吸を整えると言った。
﹁突然の訪問失礼するが、
﹂
リョウギシキさんはご在宅だろうか
﹁どちら様でしょうか
﹁ご在宅なら
?
﹁アキタカだったね
﹂
││見覚えがある。確か
迎えは長身で鋭い眼光をした30代後半と思しき男性だった。
名前を告げると、すぐに迎えが来て、私はあっさりと中に通された。
﹁⋮⋮お待ちください﹂
アンドリュー・マクナイトが来ていると伝えていただきたい﹂
?
やしていた。
女は和服を体の一部のように着こなし、凛とした佇まいで少女をあ
話しかけ、
少女は黒いワンピースを着て、主人と戯れる子犬のように無邪気に
戯れていた。
物憂げな、そしてただならぬ気配を漂わせた黒髪の美女が、少女と
恐る恐るドアを開け、中に入る。
私は物々しいこの建物の中でも特に風格ある1室に通された。
﹁こちらです﹂
帰りたい。切にそう思った。
それが会話の終わりだった。
﹁ええ、そうです。マクナイト様﹂
?
67
×××××
朝の光が差しこむ部屋で戯れる物憂げな美女と見目麗しい童女。
まるでモネのジャポニズム絵画のようだ。
彼女の内面を知らなければ小1時間ほど見惚れていたかもしれな
い。
彼女は私の姿を認めると少女に言った。
﹁外で遊んできなさい。未那﹂
﹁はい、お母様﹂
少女は残念そうに彼女から離れると、私に歩み寄り言った。
﹁それでは、御機嫌よう、おじ様。
ごゆっくりどうぞ﹂
﹁ああ、御機嫌よう。お嬢さん﹂
少 女 は 私 を 部 屋 ま で 連 れ て き た 秋 隆 に 連 れ ら れ ど こ か に 去 っ て
行った。
屈強な目つきの悪い大男といたいけな幼女。
68
事情を知らない人間が見たらまるで誘拐犯と被害者だ。
部屋で2人きりになった私と座ったまま正対し、彼女は言った。
﹁よお。アンドリュー。
お前、生きてたのか﹂
﹁ああ、この通りだ。
君は相変わらず気怠そうだな。シキ﹂
││両儀式。
彼女は私がこの世で最も殴り合いのケンカをしたくない相手だ。
橙子と初めて対面してから2年ほど後。
突如、橙子から﹁見てほしいものがある﹂と連絡があった。
彼女の暮らす伽藍の堂を再び訪れた私は、紫煙の立ち込める部屋に
立っていた。
﹁マズそうな匂いのタバコだな﹂
出会い頭に私が言うと彼女は答えた。
﹂
﹁台湾の職人が作ったマズいタバコだ。
お前も試してみるか
﹁遠慮する。
?
マズいものなど我が国の料理だけで十分だ﹂
﹂
彼女は例の邪悪な微笑みを浮かべ、言った。
﹁やはりお前は面白いな﹂
﹁それで、僕に見てほしいものとは
﹁ついて来い﹂
今月ピンチでな﹂
金、貸してくれないか
﹁ところで、アンドリュー。
半ば拉致されたような気分だった。
私は嫌な予感しかしなかった。
橙子は変わらず邪悪な微笑みを湛えている。
リングの車に乗せられていた。
私は何の情報も与えられないまま、橙子の運転する悪趣味なカラー
?
﹂
﹂
いただけませんでしょうか
というのはどうだ
﹂
﹄
﹂
﹃旦那さま。この生活能力のカケラほどもないブタにいくらか恵んで
﹁そうだな。
﹁面白い。言ってみろ﹂
恵んでもらうなら、それなりの頼み方というものがあるはずだ﹂
﹁トウコ、君のような人間に金を貸すのは恵むのと一緒だ。
尚も懇願する彼女に私は言った。
﹁なあ、頼むよアンドリュー﹂
﹁それは返さない人間の決まり文句だ﹂
私は溜息交じりに答えた。
﹁必ず返すさ﹂
私がそう答えると彼女は言った。
﹁返す保証は
ハンドルを握りながら助手席の私に彼女が話しかける。
?
?
﹁その旦那さまというのはお前で、ブタは私か
﹁他に誰がいる
﹂
?
?
69
?
﹁アンドリュー、お前、命は惜しくないのか
?
?
橙子から殺気が発せられるのを感じた。
﹁⋮⋮いいや。許してくれ。僕が悪かった。
僕は旦那さまではないし、君はブタではない﹂
﹁わかってるじゃないか﹂
﹁そのかわり、今度からブタを見たらトウコと呼ぶことにしよう﹂
そうして橙子に連れられやって来たのがこの屋敷だった。
私は、この凶暴の権化、両儀式と無情にも対面することになった。
初めて会った時、式はまだ10代の少女だった。
今と同じように体の1部のように和服を着こなし、
性格を知らなければ見惚れてしまうような凛とした存在感を漂わ
せていた。
その隣には黒髪の、いかにも人畜無害そうな少年が居た。
﹁式、紹介しよう。
こいつはアンドリュー・マクナイト。
アンドリュー、彼女は両儀式だ﹂
﹁はじめまして﹂と私は式に手を差し出し、
彼女はいかにもつまらなそうに手を出して我々は初対面の握手を
した。
﹁それとこっちは黒桐幹也だ﹂
﹁よろしく﹂
少年はいかにも感じ良さそうな笑顔で私に手を差し出した。
﹁よろしく﹂と私も彼の手を取って答えた。
﹁それで、僕に見せたいものとは何だ、トウコ﹂
その疑問にトウコは応えて言った。
﹁式、見せてやれ﹂
そう言われると式は、いかにも気怠そうに縁側に出ると、
舞い落ちる緑の新緑に指を一閃した。
次の瞬間は、まぶしい新緑の葉は真っ二つに切れていた。
私は驚きと共に言った。
﹁⋮⋮直死の魔眼か﹂
﹁ご名答だ、アンドリュー﹂
70
﹁それで、僕にこれを見せてどうする
﹂
私の疑問に橙子は、例の邪悪な微笑みを浮かべて答えた。
﹁いや、私はいい友人を持った。
魔術と武術、両方の心得がある人間なんて他にアテがなくてな﹂
30分後。
私は胴着を着せられ、両儀家の道場で両儀式と対面していた。
嫌な予感は大当たりだった。
私は、式の持つ異能の体の良い実験台として呼ばれたわけだ。
﹁式、手加減はしてやれよ。
こいつは殺すには惜しい男だ﹂
式はまたしてもいかにもつまらなそうに言った。
﹁⋮⋮努力はする﹂
そう言うと彼女はゆっくりと立ち上がり、真剣を無形の位に構え
た。
﹂
その瞬間、私は死を覚悟した。
﹁お前、殺したことがあるのか
道場の冷たい床に大の字になって寝そべっていた。
私を見下ろし、静かにそう言う彼女に息も絶え絶えに私は答えた。
﹂
﹁⋮⋮何度か。止む無くね﹂
﹁何を感じた
﹁銃の反動﹂
﹁お前、面白いな﹂
こうして、なぜか私は彼女に気に入られた。
そして時折、便りを送りあう仲になった。
﹁⋮⋮さて、先ほどの少女だが│﹂
今や大人の女性となった彼女に私は言った。
﹁彼女は両儀家が新たに始めた誘拐ビジネスの被害者か
﹂
彼女は少しも面白くなさそうに、眉ひとつ動かさずに言った。
?
71
?
ほんの10分、彼女と打ち合っただけで、心身とも疲れ果てた私は
?
彼女はようやくほんの少しだけ興味を交えた口調で言った。
?
﹁⋮⋮面白い。続けてみろ﹂
﹂
﹁⋮⋮待てよ、以前、君にもらった便りだが、あれはエイプリルフール
﹂
のジョークではなかったのか
﹁⋮⋮それで
トライアングル級の謎だ。
﹂
﹁お前のその命知らずのユーモア、オレは結構好きだぜ。
言ってみろよ
﹁いや、君とミキヤの間にあの少女が生まれたということは、
その、君とミキヤは小子作り、つまりナニをしたわけだよな
彼女は微笑みを浮かべたまま何も言わずに私を見ていた。
恐ろしい。だが、私の軽口はとまらない。
﹁女性の中には暴力的な性癖を持つものがいると聞くが、
凶暴の権化のような君のことだ。
﹂
式と幹也が惹かれあったことは今もって、私にとってはバミューダ
ことになる。
ということは、式と幹也は結婚して子供をもうけたのは事実という
いない。
彼女はジョークを言うような側面などただの1つも持ち合わせて
便りの筆跡は明らかに両儀式のものだった。
しかし、その写真はどう見ても合成ではなく、
﹁良くできた合成写真だ﹂
私は写真の同封された便りを見て、思わず1人ごちた。
︵私は住所不定だが、郵便物は私書箱に届くようになっている︶
便りが届いたことだ。
設けていたという
人畜無害もいいところの黒桐幹也が結婚し、あろうことか子供まで
女、両儀式と
だが、私が今までに他の何よりも驚いたのは、凶暴の権化である彼
驚くような出来事に遭遇することは少なくない。
私はこんな稼業をしている。
?
例えば、カマキリみたいに交尾した後に男性を食べてしまうのでは
?
?
72
?
﹂
ないかと思っていたが、どうやらミキヤはまだ存命中らしい。
という事は君はミキヤを食べていない
﹂
彼女は微笑みを湛えたまま言った。
﹂
﹁⋮⋮食べてない﹂
﹁本当に
﹁本当だ﹂
﹂
﹁人間以外のオスも食べない
﹁⋮⋮削ぐぞ
﹁分かった分かった。
ない。
?
君とミキヤの子だ﹂
﹂
あの子は誘拐してきたわけでも、木の股から生まれてきたわけでも
?
﹁お前に出した便りにそう書いたはずだけど
﹁⋮⋮そうだな。
では、ここまでの話をまとめよう。
﹂
君はミキヤを食べていない
合ってる
﹁⋮⋮ああ﹂
?
﹂
命拾いした。
グリーンティーと茶菓子を置いて去って行った。
そこで、両儀家の召使いだか家政婦だかが現れ、
﹁冴えない遺言だったな﹂
⋮⋮﹂
││だが、念のため、あの子と君のDNAテストによる親子鑑定を
﹁了解だ。
どうしても止まらない。
だが、私は口から生まれたような人間だ。
彼女は明らかに苛立ち始めている。
﹁⋮⋮最初からそう言ってるだろ﹂
合ってる
﹁そして、先ほどの少女は君とミキヤの子だ。
?
?
73
?
?
?
人をからかうのは私の習性だが、彼女はからかうだけで命がけだ。
74
来訪
﹁それで││﹂
﹂
彼女、両儀式は供されたグリーンティーを啜りながら静かに言っ
た。
﹂
﹁お前、トーコを探しに来たんだろう
﹁君は読心術まで身に着けたのか
私が驚きと共にそう言うと、
﹁さて、どうするかな
ようにセクシーだ。
﹂
﹂
どうか僕にトウコの居場所を教えてほしい﹂
﹁⋮⋮それで褒めたつもりか
﹁最大限にね﹂
彼女は変わらず微笑を浮かべたまま、静かに言った。
﹂
その姿はまるで、サタンが女装して地獄から這い上がってきたかの
特に刃物を持った時の君。
﹁シキ、君はこの世の万物全ての何よりも麗しく、そしてセクシーだ。
﹁面白い。試してみろよ﹂
彼女は微笑のまま言った。
﹁ふむ。ここは、日本式に﹃オセジ﹄で君から答えを引き出すとするか﹂
﹁皮肉を言ってる自覚あったのか、お前﹂
﹂
君ならば何か知っているのではないかと思ったんだ﹂
﹁ああ。伽藍の堂が両儀家の所有物になっていると聞いてね。
簡単な話だろ﹂
オレが目的じゃないなら、目的はトーコだ。
オレと茶飲み話しに来たんじゃないことぐらいわかる。
﹁莫迦かお前。
彼女は私をあざ笑うように﹁フン﹂と鼻を鳴らして言った。
?
?
﹁お前、トーコを探しに来たのか、殺されに来たのか、どっちなんだ
?
?
75
?
﹁僕の普段の皮肉に対する意趣返しか
彼女は微笑を浮かべて言った。
?
しばらく同じようなやり取りが続いた後、私の皮肉に飽きたらしい
式が
ようやく本題に戻ってくれた。
﹁それで、トーコの居場所だけど││
││オレも知らない。
その変わり│﹂
その変わり、繁華街の裏道で占い師をしている
観布子の母なる人物のことを教えてくれた。
彼女曰く、﹁本物の予知能力者﹂らしい。
その後、式は観布子の母なら人物の居所を私に伝えると、直々に玄
関まで見送りに
来てくれた。
式の夫である黒桐幹也││今は婿養子に入り両儀幹也となってい
るが││
﹂
76
の居場所を聞くと、彼は用事があるらしく、今日は帰ってこないと
のことだった。
﹁では、ミキヤによろしく伝えてくれ﹂と式に言うと、
﹁そんなの自分
で言え﹂と言われた。
感じの良い女性だ。
﹁また来いよ。
昔話ぐらい付き合ってやる。
お前ももうオッサンに片足突っ込みかける年だろ
オッサンなら昔話はするよな﹂
?
﹁じゃあ、君はババアに片足を突っ込みかける年だな﹂
﹁⋮⋮お前、やっぱり削がれたいんだろ
﹁とんでもない。
ババアになっても君は美しい。
そう言おうとしたのさ﹂
﹁ありがとう。シキ。
私は靴を履きながら言った。
シキはただ﹁フン﹂と鼻を鳴らしただけだった。
?
再会できて思いのほか楽しかった﹂
﹁ああ。オレもお前と話すのは結構楽しいぜ﹂
﹁ようやく意見の一致を見たな﹂
靴を履き、立ち上がると私は言った。
﹁今度は事前にアポイントを取ってから茶菓子持参で来るよ。
﹃トモダチ﹄としてね﹂
私がそう言うと、彼女は顔をほんのり赤らめて、視線を背けると、
﹁フン﹂と鼻を鳴らして言った。
﹁用が済んだんなら。さっさと行け。
オレは暇じゃないんだ﹂
両儀邸を背に、繁華街へと歩みを進める私の脳裏には先ほどの式の
赤ら顔が浮かんでいた。
顔を赤らめるうら若い美女の姿は普通であれば、可愛らしいものと
して認識されるはずだが、両儀式の赤ら顔が私に想起させたものは赤
銅色の鬼だった。
﹁⋮⋮恐ろしいものを見てしまった﹂
私はそう1人ごち、歩みを進めた。
30分後。
私は式に教えられた住所を頼りに、繁華街を歩いていた。
式の話が本当であれば、この辺の裏道のどこかに観布子の母なる本
物の予知能力者が居るはずだった。
しかし、横道を1本ずつ検めてみても、どこにもそれらしき姿は見
受けられなかった。
どうやら道に迷ったらしい。
平日の昼間だというのに、観布子市の繁華街は人通りが絶えなかっ
た。
ロンドンの人口過密ぶりも相当なものだが、東京はその比ではな
い。
77
×××××
×××××
大都市に慣れている私でも、あまりの人だかりに酔ってしまいそう
だった。
それから、さらに30分。
薄情ではあるが、そろそろ諦めてロンドンに戻ろうかと思った頃、
突如、あらぬ方向から声をかけられた。
﹁もし﹂
声の方向を見る。
﹁もし、そこの兄さん﹂
薄暗い路地裏の奥から年のころは50ほどの初老の婦人が声を発
していた。
私は声の方向にゆっくり歩み寄ると言った。
﹁明らかに﹃ガイジン﹄風の見た目の僕に日本語で話しかけるとはタダ
事じゃないな﹂
婦人はカラカラと笑うだけだった。
﹁もっと近くへ来なさい﹂
そう言われた私は老婆に更に歩み寄った。
婦人は私が1フィートほどの距離まで近づくと、水晶を覗き込ん
だ。
そして、またしてもカラカラと笑って言った。
人類に理解可能な言語で話してもらいたいね﹂
﹁あんた、無駄足を踏んだよ﹂
﹁どういう意味だ
78
﹁あなたがミフネの母か﹂
﹂
またしても婦人はカラカラと笑った。
肯定の意のようだった。
婦人は笑いを止めると言った。
﹁あんた、人を探しているんだろ
推測するのは妥当な判断だな﹂
?
﹁⋮⋮コールドリーディングというわけではなさそうだな﹂
﹁その性格は亡くなった伯父さん譲りだね
﹂
﹁街中でキョロキョロしている人間を見て、何かを探しているものと
?
﹁あんたが探さずとも、向こうからやってくるということさ﹂
?
皮肉屋な私だが、私の直感がこの婦人の言っていることは正しいと
告げていた。
私はその言葉をしばらく反芻すると言った。
﹁ありがとう。ご婦人﹂
もうここに用はない。
私は直感に従うことにした。
またしてもブリティッシュエアウェイズの狭いエコノミーシート
に押し込められ、
12時間。
私はホームタウンであるロンドンに戻っていた。
相変わらずロンドンは曇天で、人が多く、エミールのホテルはなん
の趣もなくただ
古臭いだけだった。
私はまず、荷物を持って最近できた若い友人、衛宮士郎と遠坂凛の
フラットに向かった。
2人は、私が東京で購入した彼らの望みの品物を見ると素直に喜ん
でくれた。
しかし、私が気を利かせて購入しておいた1ダースの主に避妊に使
われるゴム製品を見せると、凛にこっぴどく叱られた。
私の厚意は伝わり辛いらしい。
私は凛の怒声を背に、2人のフラットを出るとパディントンのエ
ミールのホテルに向かった。
エミールのホテルになけなしの荷物を置いた私は、近所のパブで2
パイントのエールの流し込み、部屋へ戻ろうと歩みを進めた。
ここ、ロンドンにも禁煙の波は押し寄せてきている。
全室が禁煙のエミールのホテルでは部屋で吸えない。
そろそろ部屋に戻って寝ようかと思ったが、その前に一服しようと
思い立ち
私はホテルエントランス前に設置された灰皿の前に立った。
リッチモンドのロングを1本取り出し、火をつける。
79
×××××
紫煙を燻らせていると、誰かが近づいて来て、
﹁excuse me<失礼>﹂と言い、灰皿にトントンと灰を落とし
た。
私はよくある光景として、それを認識の片隅に追いやっていたが、
その声、その匂いが私の認識を眼前のものへと呼び戻していた。
﹁⋮⋮相変わらずマズそうな匂いのタバコだな。
トウコ﹂
そこに居たのは、真っ赤な長髪に赤い眼をした長身の女性だった。
彼女だった。
私のこの旅路の目的。
そして、旧友。
蒼崎橙子。
彼女は紫煙を吐き出すと言った。
﹁老けたな。アンドリュー﹂
80
それが7年ぶりの再会の最初の1言だった。
﹁中年に片足を突っ込みかけるような年だ。
老いもするさ。
﹂
君はまったく変わらないな。
どんな魔術を使ってるんだ
彼女は紫煙を吐き出し言った。
﹁アンドリュー。良いことを教えてやる。
﹂
世界はお前が思ってるよりもずっと狭い﹂
﹁それはどういう意味だ
﹁本当に必要ならまた会えるということだ﹂
﹁君が僕に会いに来てくれるのはいいとして、
﹂
僕が好きなタイミングで君に会いに行ける可能性は
﹁そんなのは分かってるだろう
﹂
なぜだろう。不思議とどうでも良くなってしまった﹂
﹁君に色々と聞きたいことがあったはずだったが。
だった。
彼女はその質問には答えず、例のあの邪悪な微笑みを浮かべるだけ
?
?
?
?
﹁そうだな。トウコは何でもお見通しだ﹂
﹂
彼女はほぼ燃えさしと変わらぬタバコを灰皿に捨てると背を向け
て言った。
﹁じゃあ、またな﹂
﹂
﹁貸した金を返しに来てくれたんじゃないのか
﹁返ってくると思ってたのか
誰もいない、真っ暗闇に私はそう1人ごちた。
﹁いいや﹂
夜の闇に溶けてなくなっていた。
の姿は
そう、素っ気なくいうと、次の瞬間、確かにそこにいたはずの橙子
?
後にはただ、彼女の残して言った紫煙の残り香が漂っているだけ
だった。
81
?
設定│2
設定│英国の風物について
いつもお読みくださっている皆様、ありがとうございます。
感想へのレスでちょいちょい書いていますが、大学院まで英文学専
攻だった私は、翻訳ものミステリを愛読していた時期があり、これは
翻訳ものを意識して書いています。
海外ものっぽさを出すため、あまり一般的でない風俗や、横文字を
使っていますが、
これは﹁それっぽさ﹂を出すための苦肉の策です。
・ロンドンの警察
・首都警察 = metropolitan police se
rvice = ロンドン警視庁 = スコットランドヤードです。
作中で首都警察と表記されている組織は日本だとロンドン警視庁
下を招き入れるという儀式です。
82
と訳されることが多いですが、響きがカッコいいので首都警察と表記
することにしました。
また、作中に登場した﹁Holmes﹂は首都警察が使用している
犯罪データベースの名前です。
・シティ警察= City of London Police = ロンドン市警察
首都警察がグレーター・オブ・ロンドンほぼ全域を管轄とするのに
対し、こちらは金融街であるシティを管轄とする組織。
シティは自治権が強く、かつてはその周りに壁が張り巡らされ、国
王すら市長の許可がないと立ち入りが出来ませんでした。
その名残がこのシティのみを管轄とする警察組織です。
というものがあります。
ちなみに現在でも、シティの周囲に壁があったころの名残の儀式と
Royal entry
して
"
これは、市長が壁にかかった鍵を開けるパントマイムをして女王陛
"
・アイルランド人並にアホウ
イギリスはイングランド、ウェールズ、スコットランド、北部アイ
ルランドの4つのカントリーで成り立っており、お互いがお互いを嘲
笑しあうという不思議な文化があります。
代表例として
アイルランド人=アホウ
スコットランド人=ケチでセコい
ウェールズ人=羊を溺愛
コックニー︵イーストエンド生まれの生粋のロンドンっ子︶=口の
減 ら な い 上 に 安 ピ カ で 自 慢 屋。ロ ン ド ン 以 外 は イ ン グ ラ ン ド だ と
思ってない。
ジョーディ︵ニューキャッスル人︶=オヤジギャグと痛飲と喧嘩が
趣味。
というのがあります。
83
・下ネタ
自分で書いててどんどん下ネタが増えている自覚があるのですが、
これは確信犯です。
イギリスには婉曲表現した下ネタを言う伝統があり、たとえばシェ
イクスピアは下ネタの宝庫です。
﹃ロミオとジュリエット﹄のマキューシオは出てくると下ネタばっか
り言ってます。
﹂の﹁魚屋﹂
﹃ハムレット﹄のセリフ、
﹁尼寺に行け﹂は﹁売春婦にでもなってしま
え﹂という意味。
また、同じくハムレットのセリフ﹁お前は魚屋だろう
は売春を仲介する人のことです。
・イギリス料理
すいません。それだけです。
者は皮肉と下ネタばかり言ってました。
﹃ボーンズ﹄のイギリス編エピソードに出てきた英国人の文化人類学
言ってる奴というイメージがあるらしく、アメリカのテレビドラマ
また、どうもアメリカ人からみた英国人は皮肉と下ネタばっかり
?
﹁味があるか無いかの2種類しかない﹂と書きましたが、これは個人的
感想です。
以前、オックスフォード大学の食堂で食事をする機会を頂いたこと
があるのですが、
茹でただけの野菜が出てきました。
その傍らにはテーブルソルトとコショウ。
自分で味付けて食えということでしょうか。
また、3年ほど前にパブでスープを頼んだら、味がついてませんで
した。
なの
はアメリカ英語で
仕方ないのでテーブルソルトをかけて食いました。
言うまでもないですが、不味かったです。
・横文字について
・ブラックティー
black tea = 紅茶です。
apartment
いのでリカーストアと書いてしまいました。
・主人公のルックス
本作は終始、オリ主のアンドリューの視点で進むため、主人公の
ルックスについて言及がありません。
脳内設定を書いておきます。
身長5フィート9インチ︵およそ175cm︶ぐらい。
細マッチョな体型。
84
red teaではないんですね。
・フラット
flat = アパート
学校で習ったであろう
す。
・リカーストア
"
off license
liquor store = 酒屋
本当はイギリス英語だと酒屋は
ですが、
"
オフライセンスと表記するのは微妙だし、酒屋と書くと雰囲気でな
"
"
安物のタイトなブラックスーツにボタンダウンのシャツでノーネ
クタイ。
首から聖クリストファーのメダルをかけている。
栗色の髪と瞳。
顔はジェームズ・マカヴォイみたいなルックスをイメージしていま
す。
以上です。
85
﹂
マンハッタンの小聖杯
依頼
﹁ニューヨーク
﹂
割のいい案件とは言ったが、こんな物件に住んでいること、
凛は尚も難しい顔をして考え込んでいた。
私はとても好感を持った。
ティーンエイジャーらしい嫌みのない笑顔だ。
士郎が爽やかな笑みで応える。
﹁そうか。良い中抽出具合だ。とても美味しいよ、ありがとう﹂
﹁ああ、貰い物だけどな。良いのが手に入ったから﹂
士郎が凛の隣に腰を下ろし私のつぶやきに答える。
﹁ダージリンのセカンドフラッシュか﹂
マスカットのような爽やかな香り。
やや濃いめのオレンジ色、それに渋みとコク
そして私は供されたブラックティーを1口、口にした。
強くさせた。
その所作は私が彼と初めて邂逅した時から抱く率直な感想をより
おおよそ魔術師らしくない。
逆にアンソニー・ホプキンスは嫉妬に駆られるかもしれない。
きっとカズオ・イシグロもこの光景を見たら喜ぶ事だろう。
抜け出して来たように完璧だった。
彼の仕草はまるで﹃日の名残り﹄のスティーブンス執事がそのまま
士郎が熱いブラックティーを供してくれた。
洒落たダイニングテーブルで向かい合い話している私と凛に
か
君たちのどちらか1人、僕の助手ということで同行してもらえない
性があるので
﹁そうだ、中々割のいい案件があってね。だがそれなりに難儀な可能
?
それに彼女が使う宝石魔術は金銭的にとても燃費が悪い。
86
?
それらを勘案すれば金は欲しいはずだ。
そうすると渋っている理由は長期間ロンドンを離れることか。
私はコロコロ変化する凛の表情ととても自然な仕草で寄り添う士
郎の仲睦まじい姿を
観察しながら現実的な⋮主に金銭面に関する思索にふけった。
彼らの住居はシティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジョン
ズ・ウッド地区にある。
セント・ジョンズ・ウッド地区はウェストミンスターの中でもEx
tremely Expensive<都心超高級住宅地>であるメイフェアに次
ぐVery Expensive<高級住宅地>だ。
3ベッドルームの2部屋を凛が寝室と工房に、
残りの1部屋を士郎が使用している。
やはり、女は強い。
知己を頼るが生憎と
めぼしいアテは先約ありでな﹂
凛は申し訳なさそうに返答した。
﹁私は時計塔の研究があるし、士郎も助手としてそう簡単に、しかも国
外に送るわけには⋮﹂
﹁そうか、残念だよ。本当に良い案件だったんだがな。﹂
凛は本当に申し訳なさそうな表情で答えた。
87
私は部屋の調度品を1つ1つ、つぶさに観察し
この物件の賃貸価格に思いを巡らせていた。
﹂
﹁最低でも月額2000ポンドというところか﹂
﹁何か言った
受けるか受けないか
?
ガとして聞き逃してくれ。
それでどうだ
?
僕は基本的に一匹狼でな、相棒というものを持たない。必要な時は
しい。
できれば受けて貰えると嬉
﹁いや、ただの独り言だ。中年に片足を突っ込みかけた男の悲しいサ
凛が不思議そうな表情で尋ねる。
?
米国ドルで。もちろん経費別でな﹂
凛が目を大きく見開いて私の言葉を小さく反芻した。
そして指を折って暗算を始めた。
心配そうな表情で士郎が凛を覗き込む。
やがてその儀式が終わるとリンははっきりと明瞭な声でこう言っ
た。
﹁士郎、行きなさい﹂
その後、凛と士郎の小競り合いがあった。
結果はもちろん凛の圧勝だった。
口喧嘩で男は女に絶対に勝てない、この世の真理だ。
﹁いいから、行きなさい。士郎。
アンドリューはあなたが思ってるよりもずっと優秀よ。
勉強してきなさい﹂
私は士郎に行程についてや案件内容についての事務連絡をし
彼らの愛の巣を後にすることにした。
去り際、大人として彼らに1つ忠告することにした。
﹁ところで君たち﹂
凛と士郎は何か実務的なことだと思ったのだろう。
真剣な面持ちで私の言葉の続きを待った。
私は躊躇いがちにこう告げた。
﹁欲望にはある程度忠実であるべきだが、避妊はちゃんとした方がい
い。
特に女性は妊娠によって行動が大きく制限されることになる。
この間の僕の﹃オミヤゲ﹄はちゃんと活用してくれているものと信
じているよ﹂
言葉の意味がすぐには飲み込めず、しばし固まっていた二人だが
だから、私と士郎はそんなんじゃない
やがて凛が顔を真っ赤にして反論してきた。
﹁ちょっと、何勘違いしてるの
わよ
!
!
88
﹁⋮参考までに補足しておくが、今回の報酬は1人あたり6000だ。
××××××××××××××××××××××××××××××××××
﹂
生憎と僕の記憶容量は限られていてね。必要のない
前も言ったでしょ
今日8本目の紫煙を味わった。
私はリッチモンドのロングにオイルライターで火を点け、
歩める。大人の特権だな﹂
﹁ま、これぐらいは構うまい。真っ黒ではないグレーゾーンを選んで
本来の金額はもう少し、ほんの少しだけ高いものだ。
実は報酬の6000というのは私の仲介手数料を引いた金額だ。
セント・ジョンズ・ウッド駅へと向かう。
さらに彼らに伝えなかった事実の一部に軽い罪悪感を感じながら
尚も続く抗議の声を背にしながら私は去った。
次からは気をつけるから今回は聞き流してくれ﹂
人なら余計な勘ぐりをしたくなる物だ。
しかし年頃の男女が1つ屋根の下となれば、僕でなくても全うな大
情報はメモリから揮発してしまうんだ。
﹁そうだったか
!
ヴァージン・アトランティック航空16:00出立便のアッパーク
ラス︵ビジネスクラス︶シートに身を横たえていた。
やはりいつものエコノミーとは快適さがまるで違う。
足を伸ばして眠れる事を旅の守護聖人セント・クリストファーに感
謝しながら
およそ8時間弱の旅路の間、私は士郎と実務的な会話をした。
﹁君が使える魔術について知っておきたい。
前に話した時は、君のパーソナルな事しか聞けなかったからね﹂
その会話で私が知った士郎に関しての情報は
使える魔術は強化と投影だけということだった。
その情報について私は簡潔に感想を述べた。
﹁なんとも地味な特技だな﹂
﹁ああ、よく言われるよ﹂
﹁しかし、強化はともかく投影などおよそ実戦の役にはたつまい。
89
?
依頼から3日後、私と士郎はヒースロー空港発JFK空港行きの
×××××
とはいえ、今回は君の戦闘能力を披露することにはならないと踏ん
でいる。
概要だけ聞いただけだが穏やかなものさ﹂
﹁ああ、そう願ってるよ﹂
士郎は何か難しい表情をしながらそう答えた。
それから、私は彼の緊張をほぐすため、スモールトークに興じるこ
とにした。
﹂
しかし、その結果判明したのは驚きの事実だった。
﹂
﹁何、君の養父はエミヤキリツグなのか
﹁俺、前に話さなかったか
﹂
?
すぐに時計を現地時間に合わせろ。
﹁シロウ、センパイとして時差ボケへの対処法を教えよう。まずは今
彼にアドバイスをした。
として、
気まずい空気を打破するために私は年の半分を国外で過ごす旅人
どうやら私が意図的に情報を隠したことに気づいていないらしい。
士郎は少し残念そうだった。
﹁そうか﹂
それなりに優秀な魔術師だったからね﹂
﹁いや。知っているのは名前だけだ。
私は思案の末、こう答えた。
何より眼の前にいるのは血縁がないとは言ってもその息子だ。
しかし、私は本人を直接知っているわけではないし、
だった。
特に悪名高い存在で、﹁魔術師殺し﹂の異名をとった真正の殺し屋
士郎の父、衛宮切嗣は荒くれ者揃いの魔術師狩りの中でも
その質問にどうこたえるか私は迷った。
﹁アンドリュー、あんた親父のことを知ってるのか
﹁養父に育てられたことは聞いたが、名前までは聞いていない﹂
?
2つ目に水分はたっぷり取り、機内食は完食しろ。
90
?
寝ておく事だ﹂
その言葉を口にすると私は早速それを実践した。
夢1つ見ない深い眠りだった。
翌日、現地時間18:45分、我々2人はニューヨークシティの玄
関口
JFK空港に降り立った。
ニューヨークは寒暖の差が大きい街だ。
真冬のニューヨークは凍えるように寒いが、真夏のニューヨークは
溶けるように
熱い。
な ぜ こ の よ う な 過 ご し づ ら い 土 地 が 世 界 有 数 の ビ ッ グ シ テ ィ に
なったのか
現代史における大きな謎の1つだ。
私はGood Beer Monthだかメイシーズファイアー
ワークス︵独立記念日花火大会︶
のためにでも訪れたのであろう観光客を横目に、﹁Ground Transportation﹂のデスクへ向かう。
途中、illegal taxi<白タクシー>の客引きが声をか
けてきたが、
私は脇目もふらず一直線にデスクに向かい、チケットを購入して乗
り合いシャトルバスへと乗り込んだ。
道すがら車窓から見えるミッドタウン5番街やロックフェラー・セ
トウキョウのシンジュクあたり
ンター、タイムズ・スクエアといった観光名所をとても興味深そうに
士郎は眺めていた。
﹁シロウ、君は日本のどこの出身だ
﹃フユキ﹄魔術に関わる人間でその名を知らない者はいない。
だ﹂
﹁俺は⋮言って分かるか知らないけど、冬木っている地方都市の出身
ならこんな光景は見飽きているだろう﹂
?
91
そして3つ目に⋮これが最も重要なことだが⋮とにかくたっぷり
××××××××××××××××××××××××××××××××
かの大儀式によって魔術の結晶、聖杯が降りる地。
聖杯戦争の場。
これは偶然なのか、それとも士郎は聖杯戦争に関わったのか。
士郎は続けて言った。
﹁冬木でも新都は高層ビルもあるけどこんなに密集はしてなかったか
らな﹂
彼はティーンらしい無邪気は表情を浮かべると車窓からの光景に
没頭した。
とても心温まる光景だ。
なので私もそれ以上追求する事をやめた。
およそ1時間後、我々は目的地であるアッパー・イースト・サイド
の
ニューヨーク市警察19分署にいた。
レセプションは我々2人を見ると怪訝な表情を浮かべたが
アポイントメントを取った人物の名前を挙げるとすぐに待合室に
通してくれた。
ここアッパー・イースト・サイドは富裕層の住宅街として知られ、
﹃セックス・アンド・ザ・シティ﹄あたりを観てシティライフに憧れた
カンザス出身のそばかす面の少女なら気絶するぐらい憧れる地域だ。
供されたインクを溶かしたような味のコーヒーを啜って待つ事1
0分。
目的の人物2人が現れた。
1人はがっしりした体格のクセ毛で眠たそうな眼をした30過ぎ
の男。
もう1人は燃えるような赤毛の長身の女性。
このような状況でなければvogueの専属モデルだと紹介され
ても信じるに違いない。
男の名はパトリック・ケーヒル。
ニューヨーク市警の刑事で元海兵隊員。
アフガニスタン紛争の際の負傷が原因で眠っていた魔術回路が開
いた
92
魔術使いの刑事。
女の名はアンナ・ロセッティ。
マンスターのジェラルド伯の血筋を引き、かつて短い時計塔在籍期
間に
5大元素使いの﹃天才﹄の名を冠されながら典型的な魔術師の世界
からは距離を置き
父、マシューと同じハンターとしての道を選んだ戦闘のプロフェッ
ショナルだ。
﹁ハイ、アンドリュー﹂
アンナが私に手を差し出し言った。
私は彼女の、麗しい⋮訂正。戦闘と訓練でゴツゴツした逞しい手を
握り返し答えた。
﹂
﹁やあ、元気そうでなによりだアンナ。ところで今日はマシューの旦
那はどうした
君たちはいつもツーマンセルじゃなかったのか
﹁親父なら今、ルーマニアで人外の何かを狩っているよ﹂
彼女は控えめに言って物騒なことをいかにもつまらなそうに口に
した。
いつものことだ、なので私もそれについて特に感想を口にはしな
かった。
続いてパトリックが手を差し出し口を開いた。
﹂
﹁相変わらずシケた面してるな。アンディ。いつもウナギのゼリー寄
せとか食ってるからじゃないのか
彼なりのユーモアだ。
士郎の存在を気にかける。
通り一遍のsmall talk<時候の挨拶>が終わり、2人が
﹁確かにその通りだ﹂
パトリックは笑って答えた。
われたくないね﹂
﹁チップスとピザソースを﹃野菜だ﹄と称して口にしている人種には言
私は彼の鍛え上げられた手を握り返して答える。
?
93
?
?
私は言った。
﹁こ っ ち は エ ミ ヤ シ ロ ウ。電 話 で も 話 し た が 僕 の 助 手 と し て 来 て も
らった。
未熟だが今回は荒事にならないと聞いているし、マンパワーにはな
るだろう。
仮に足を引っ張ることになっても、彼の面倒は僕が見ると約束しよ
う。
⋮⋮ちなみにだが、血の繋がりこそないが、あのエミヤキリツグの
忘れ形見だ﹂
その瞬間、アンナの表情には様々な感情が浮かんでは消えた。
生前のエミヤキリツグと彼女の間には交流があったと聞いている。
彼女はきっと今、過去の残滓に思いを馳せているに違いない。
やがて、大きく息を吐くと彼女は言った。
﹂
﹁そうか、ところで私は日本語は﹃アリガトウ﹄と﹃カローシ﹄ぐらい
しかわからないよ。その坊や。英語は分かるのかい
﹂
注釈するとアンナ・ロセッティは英語にしか興味を持たない典型的
な米国人
とは違う。
私が知る限り彼女は少なくとも6カ国以上を操る。
ただ、その中に日本語が含まれないだけだ。
横でパトリックが疑問を投げかける。
﹂
?
うだった。
当然だ。4分の1が日本人の私にだって理解できないのだから。
我々の会話に士郎が入り込む。
﹁それなりにロンドンでの生活にも慣れて来た。今ぐらいの会話なら
問題ないぞ、俺﹂
少々、拙い発音ではあったが明瞭な響きでシロウは答えた。
94
?
﹁﹃アリガトウ﹄はわかるが﹃カローシ﹄ってのはなんだ
東洋の神秘か
﹁働きすぎが原因で死ぬことさ﹂
﹁なんだそりゃ
?
彼には仕事を神聖な物として崇める日本の文化が理解できないよ
?
これなら問題なさそうだ。
アンナが士郎に手を差し伸べる。
﹁よろしくな。坊や﹂
士郎は彼女を真っすぐ見据えて、その手を握り返した。
95
探索
﹁とりあえず、着いてきてくれ﹂
先導役を務めるパトリックによるなんとも大ざっぱな指示に従い
19分署を出た我々は連れだって目的地不明のまま、
徒歩移動でレキシントン・アベニューを南下していた。
時刻は21時を回っている。
夜にも関わらず、外はこの街の夏特有の蒸し暑い熱気が充満してい
た。
だが、この不快としか例えようのない空気が私は嫌いではない。
なぜならこの蒸し暑さは私に故郷を思い出させるからだ。
私が生まれ育った香港の夏の蒸し暑さはニューヨークの比ではな
いが
冷涼な気候のロンドンにいると時にこの熱気が懐かしくなること
がある。
住んでいるときは不快以外の何の感情も湧かなかったが⋮
人生とは不思議なものだ。
道中、アンナとパトリックが交互に今回のあらましに
ついて説明してくれた。
事件の概要はこうだ。
Fifth Avenue<五番街>とLexington A
venue<レキシントン街>
に挟まれたエリア周辺で、ここ数週間﹁亡霊を見た﹂
という目撃談が多く寄せられていた。
道すがらパトリックが私に資料として提示してくれた新聞
││我が国でいえば﹁ザ・サン﹂のような高級紙と同じくらい格調
高いであろう││
には﹁ヤンキー・スタジアム上空に複数のUFOが出現﹂や
﹁今日テレビで見ることができるヌード﹂といった重要で貴重な情報
とともに
アッパー・イースト・サイドで白く光る亡霊を見たという目撃談が
96
載っていた。
私は一通り、記事を流し読みすると、1面をかざっている自称ロシ
アの女スパイの
ヌード写真を見返して感想を述べた。
﹁素晴らしい体だ。中年男なら尻の毛まで引き抜かれるな﹂
﹂
士郎が呆れた様子で抗議の言葉を口にする。
﹁アンドリュー
﹁
寂
﹂
﹂
あ
れ
ist﹂
静
そう呟くとパトリックは1節の詠唱を口にした。
﹁このあたりだな﹂
私の質問には答えず、先導しているパトリックが歩みを止めた。
んだ
それに、僕に解析を依頼したいと聞いているが何を解析すればいい
い。
関わっているとは思うが、君たちが動くほどのケースとは思えな
﹁ここまでの話は電話でも聞いたよ。確かに何らかの神秘が
話題を戻すため私は続けて話した。
苦手なようだ。
彼は年齢よりも幼い印象を持たせる顔立ちだが、こういった話題も
私の言葉に士郎は赤面した。
れか
それとも彼女の扇情的な体を自分ももっと見たいという欲求の現
﹁シロウ、ジョークは英国紳士の嗜みだ。これぐらい許してくれ
!
る自己暗示としての効果もある。
パトリックの詠唱は後者だ。
彼がまともに使える魔術は感覚強化に限られているがその一芸に
関してはなかなかに優秀であり、今回のような探し物の水先案内人と
してその能力は重宝されている。
自己暗示により集中力を高めた彼は言った。
﹁さあ、行こうか﹂
97
?
?
呪文詠唱は魔術を起動させる動作であると同時に、自身を作り替え
É
パトリックが尚も探知を続ける。
そして、彼は目的の場所を探し当てた。
数分後、我々はレキシントン・アヴェニュー59丁目駅に
ほど近い路上のマンホールを開き地下へと下り立っていた。
﹁話には続きがあるんだ﹂
アンナが薄暗い地下へと歩みを進めながら言った。
﹁その亡霊が目撃されるようになってから、丁度目撃情報があった
エリアの周辺で時折、爆発的な魔力が検知されるようになった。
それこそ、ここ一帯を吹っ飛ばせるくらいの魔力量だ﹂
全くの初耳だ、私は抗議のため口を開いた。
知らない方が良いことも世の中には
﹁⋮⋮その話、呆れるくらいに聞いていないぞ﹂
﹁言ったら来たくなくなるだろ
かい
﹂
あるって、キャンプでマシュマロ焼きながらパパに教わらなかった
?
しろと
﹂
﹁それで、その得体の知れない魔力の時限爆弾みたいな物を僕に解析
たいにね﹂
探知できないほど微弱な時があるんだ。丁度凪の状態に入ったみ
﹁日にちや時間帯によって、パトリックが強化を全開にしないと
後ろからそんな士郎のつぶやきが聞こえてきた。
﹁俺、酷い言われようだな⋮﹂
3流以下のシロウが探知できないのは分かるが⋮﹂
﹁しかしそれほど巨大な魔力を何故、僕やアンナが探知できない。
気を取り直して続ける。
﹁生憎、僕は父とキャンプに行ったことはないよ。﹂
私は抗議を諦め答えた。
どうにも金額が良すぎると思った
事態の大きさを考えると、市からも予算が出ているのだろう。
今回の依頼主はニューヨーク市警と聞いていたが
?
﹁そうだ﹂
?
98
×××××××××××××××××××××
﹁君がやるという選択肢は
﹂
私はそっと彼女の前に腰を下し頭に手を置くと、
赤い瞳があるはずだ。
ように
眼は閉じられているがきっとそこには彼女たちの特徴である血の
彼女たちは精製された時点で完成されており成長することはない。
ない。
見た目の年の頃は10歳ほど、もっともホムンクルスに年齢は関係
対象に近づき観察を始める。
い。
士郎の発言は気になったが、まずは目的を果たさなくてはならな
士郎がそんなように聞こえる短い言葉をつぶやいたのが聞こえた。
人の名前なのか、私の知らない何かの単語なのか。
﹁⋮⋮イリヤ﹂
布生地を纏い膝を抱えて眠るホムンクルスの少女だった。
雪を思わせる真っ白な肌に服とも言えないような
全員が認識した﹁それ﹂は
徐々にその全貌が明らかになる。
淡い光が前方に見える、きっと目的の物だ。
全員が魔術回路を開き、不測の事態に備える。
後ろで士郎が息を飲む音がした。
﹁近いぞ﹂
トーチを掲げて、先頭を行くパトリックが口を開く。
﹁これが君なりの友情の示し方か。嬉しくて涙がでるよ﹂
私は深くため息をつき言った。
後ろで士郎が引き攣った力ない笑い声をあげた。
もし、解析中に爆発でもしたら一緒にくたばってやるよ﹂
人情ってものだろ
大きな事態なんだ、できるだけ精度の高い方法を選びたくなるのが
﹁私は魔力の扱いなら得意だが解析は得意じゃない。
?
集中力を高めるために1節の詠唱を口にした。
99
?
糸
を
手
繰
﹁tharraingt sa t
れ
ad﹂
魔力を細く穿ち、ほんの微量づつ全身に行き渡るよう対象の内部に
流し込む。
額に脂汗が滲んでくる。
解析の内容は実施した私自身を驚かすような物だった。
手を下し、一息つく。
パトリックとアンナは私の発言を待っている。
士郎の視線は私ではなくホムンクルスの少女に向いている。
何かホムンクルスとの間に因縁があるのか⋮⋮
だが今はそれよりも解析した驚きの事実を彼らに伝えなくてはい
けない。
私は立ちあがり、できるだけ簡潔に事実を口にした。
﹁彼女は聖杯だ、極小のな﹂
100
é
検証
﹁とりあえず今はこの場から離れよう﹂
私がそう言うと、
アンナが地上から少女の位置を捕捉するために手早くルーンの仕
掛けを刻んだ。
そして、我々4名は彼女をできるだけ刺激しないようにそっとその
場を辞去した。
地上に出ると安堵感からか皆空腹を覚えた。
M
の黄色い看板の店を主張するパトリックと
店探しの過程で私とパトリックの間にささやかな議論が起こった。
﹂
﹁あれが豚の餌なら、お前ら英国人が普段食っているものはなんだよ
と主張したが、それに対して彼はささやかな疑問を呈した。
はな﹂
﹁駄目だ、あの豚の餌で空腹を満たすのは避けたい。少なくとも今日
私は、
た。
人間の食物を求める私との間にはゆるやかな敵対関係が確立され
"
た。
﹁あれは、豚でも食べ残す餌だ﹂
およそ20分後、我々はミッドタウンイーストの深夜営業している
ハンバーガーショップに入り、夏の蒸し暑い夜のテラス席で
陰気な顔で額を寄せ合いハンバーガーとチップスを貪っていた。
入店の際、店員は我々を見てあからさまに嫌そうな顔をしていたが
︵下 水 を 通 っ て き た ば か り の 人 間 な ど 世 界 中 ど こ の 店 も 歓 迎 す る ま
い︶
アンナが話すとあっさり入店できた。
彼女は﹁とびっきりのスマイルでお願いしただけだよ﹂
と嘯いていたが⋮⋮魔術を使ったな。
101
"
我が国の貧弱な食文化に深い遺憾の意を覚えながら私はこう返し
?
テラス席を選んだのは他の客に対するせめてもの気遣いだった。
﹁簡潔に解析して分かった事実だけを言おう﹂
ジューシーでフレッシュなバーガーを砂糖の塊のようなドリンク
で流し込んで
私は解析内容を話した。
彼女の体、おそらく心臓が魔力をくべる炉として働いていること。
精製されておよそ2年から3年ほどで、その間マンハッタン中のマ
ナを
少しずつ取り込んでいったこと。
容量が満たされる直前だが入れ物としての完成度が低く、
早く魔力を充填させて完成させないと中身が溢れだして惨事を引
き起こす
可能性があること。
眠っている間は、回路自体が閉じてしまい外からだとわずかにもれ
102
だしてくる
極めて微弱な魔力しか感知できないこと。
私が話終わるとパトリックが質問した。
﹁つまり⋮1言で要約するとin deep shit<クソ溜まり
中級の小奇麗なホテルだった。
私と士郎があてがわれた宿泊場所はセントラルパークにほど近い
いた。
その間もずっと士郎は何かについて思いつめたような表情をして
サーチを担当することにし、その日は解散となった。
何故居住しているのか情報収集を、私は聖杯を理解するためのリ
ムンクルスが
その後、解決のためパトリックとアンナはマンハッタンの地下にホ
﹁僕は中卒だが、君よりは語彙が豊富な自信があるぞ﹂
﹁当然だろ。何せ俺は大学中退だからな﹂
﹁君は本当に語彙が豊富だな﹂
に深く突っ込んでる>ってとこか﹂
×××××××××××××××××××××××××××
7月、ハイシーズンのニューヨークでこのクラスのホテルとなれば
1泊200ドル以上というところか。
今回は自分の懐が痛まないとはいえ、
ニューヨークの宿泊施設の高さはいつも私をうんざりさせる。
JFKからホテルに送っておいた荷物をほどき熱いシャワーを浴
びる。
時刻は午前0時を示すところだった。
完全に夜型の私にとってこれからが最も活動的になる時間だ。
まずは身近な気になることから解決だ。
私は隣の部屋をノックした。
﹂
隣の部屋の主、士郎はまだ起きていた。
﹂
﹁もう寝るところだったか
﹁いや、大丈夫だ﹂
﹁ならば少しいいかい
﹁俺、未成年だぞ
﹂
私の一緒に飲もうという提案に士郎は当然のごとく反対した。
合計16ドル、安上がりな買い物だ。
バドワイザーで流し込んでいた。
油とチリソースの味しかしないバッファローウィングを
10分後、私と士郎は共に帰りにデリで買ってきた
?
﹂
炭酸入りの小便でも飲んでいるんだと思えば問題あるまい﹂
﹁そんな表現をされて飲みたくなると思うか、普通
結局士郎は諦めて私に付き合うことにした。
やはり人間は素直が一番だ。
目的を果たすために、私から会話を展開させる。
﹁2人とも、陽気で気さくな人だと思ったよ﹂
についての感想などを尋ねていた。
最初はあまり当たり障りのない話、たとえば今日初めて会った2人
私は良い聞き手に徹することで彼の言葉を引き出すようにした。
もともと、この少年はそれほど饒舌な方ではない。
?
103
?
﹁シロウ、安心しろ。バドワイザーはビールであってビールではない。
?
﹁野卑で無遠慮だとも言うな﹂
﹁あんた、そんなことばかり言ってて悲しくないのか
﹂
﹁全然。参考までに、僕が最近最も悲しいと思ったのは
ケイティ・プライスが豊胸手術を受けていたという事実に対してだ
ね﹂
そんな風にして我々は話をした、初めて訪問したニューヨークの
事。
士郎の日本でのスクールライフ、亡き養父の想い出話⋮⋮。
彼の養父、衛宮切嗣は荒くれ者がひしめく我々の業界でも特に悪名
高い、
﹁魔術師殺し﹂と呼ばれたとびきりの荒くれ者だったが、
士郎の記憶の中の衛宮切嗣は家を空けている時間が多いことを除
けば、
少し頼りないが優しいごく普通の父親だった。
衛宮切嗣の風評について彼に話そうかどうか私は再び迷っていた
が、
結局話すのをやめた。
思い出は美しすぎるぐらいがちょうどいい。
アルコールの力も手伝ってか彼はいつも以上に饒舌だった。
しかし、私はしばらくして彼の話が巧妙にある1点に向かうことを
避けているという事実に気が付いた。
﹂
士郎が2本目のビールを飲み干したところで私は意を決して
そこに切り込むことにした。
﹁シロウ、君はホムンクルスとの間に何か因縁があるのか
私の問いかけに、彼は一瞬驚いた表情を浮かべ
﹁救えなかったんだ⋮⋮﹂
やがて士郎は絞り出すようにこう答えた。
現場に同行させるわけにはいかない﹂
らわないと
﹁答えてくれ。こいつを答えてもらった上で態度をはっきりさせても
││やがてその表情は苦悩を帯びたものへと変化していった。
?
104
?
﹁ホムンクルスをか
﹂
﹂
﹂
士郎は私の言葉をうつむいたまま聞いていた。
﹁なあ
﹁なんだ
泥棒というのと同じぐらい確かだ﹂
?
な﹂
﹁⋮⋮
なら彼女は⋮⋮
﹂
活動している以上、ホムンクルスでも排泄するし食事もとるから
﹁空腹で生ゴミでも漁っていたんだろう。
あまり愉快ではない推測を私は話した。
私はヤクザな魔術使いの便利屋だ。
しかし、相手はもうすぐ20歳になろうという若者で
相手が団体見学の小学生なら間違いなくそう言うだろう。
いい質問だ、私がナショナルギャラリーの学芸員で
﹁あの子は地上に出て何してたんだ
﹂
﹁ああ、間違いないな。Scousers<リヴァプール人>が全員
﹁目撃された白い亡霊ってきっとあの子のことなんだよな
﹂
あの規模では願望器としての機能など皆無に等しいだろうがな﹂
もっとも聖杯として完成させたところで、
どの道長生きはできんし、そもそも自我があるかすらわからん。
たところで
儀式のために作られた道具だ、たとえ聖杯としての機能をどうかし
﹁そうか。だがあれは人間ではない。
年も背格好もあの子と丁度同じくらいだった﹂
﹁そうだ、俺の目の前で命を落とした。
?
?
弾みたいなもので
魔力を満たして降ろす事が誰にとっても最善だ。わかるな
﹁だけど⋮⋮﹂
﹁違う、答えはイエスかイエスだ。﹂
﹂
自我があるのとは違う。もう1度言うが、あれは破裂する寸前の爆
﹁違う、君は誤解している。それはあくまで本能に基づいた行動だ。
!
105
?
?
?
!
﹁ああ﹂
そう一言彼は言葉を返した。
その後、また彼とは他愛のない話をした。
日本のスクールライフのこと、凛のslipped︵うっかり︶エ
ピソード
どれもティーンらしい無邪気な話だった。
士郎の様子にはもう暗い影は見られなかった。
││これで目的は果たしたか││
6パックのビールを空にすると私は辞去することにした。
部屋に戻ると私は同じくデリで購入してきた
フォアローゼズをロックグラスに注ぎ、煙草に火を点けた。
私はバーボンを好まないがフォアローゼズは好きだ。
なによりもその安い値段が気にっている。
味はともかく。
時刻は午前3時。
ロンドンは午前8時か、起きているかは微妙だな。
私は件の人物の安眠を妨害してしまう可能性を知りながらも、
モバイルフォンを手に取った。
6コール目││
丁度人が掛け直すことを覚悟し始める段階で通話がつながった。
﹁はい<Hello>﹂
明らかに起きたての声で目的の人物は電話にでた。
私 は 彼 の 目 覚 め を 良 好 な も の と す る た め 飛 び き り の ウ ィ ッ ト で
言った。
﹁ロ ン ド ン に い る 万 屋 の 魔 術 使 い の 中 で 一 番 の ハ ン サ ム ガ イ は 誰 だ
﹂
いつも不機嫌そうな表情を顔に張り付けている彼だが、きっと今こ
の瞬間
106
念押しで付け加えた私の言葉を反芻し
××××××××××××××××××××××××××××××××××
電話口の向こうから小さな唸り声が聞こえる。
?
いつも以上に不機嫌そうな表情をしているに違いない。
﹁⋮⋮アンドリュー・マクナイト﹂
﹁大正解﹂
電話口から大きなため息が1つ聞こえた。
﹁⋮⋮いったい何の用だ﹂
電話の主、ウェイバー・ベルベット改め
ロード・エルメロイⅡ世は続けて短くそう答えた。
107
教授
ロード・エルメロイⅡ世。
時計塔の名物講師で前々回、第四次聖杯戦争に参加したマスター
陣、
唯一の生き残り。
私が彼と知己を得たのは10年以上前、丁度聖杯戦争が起こった年
だった。
時計塔では通常、全体基礎を5年ほど学び、
それから各人の適正や家系を考慮して12ある学部のどこかに
進むことになる。
入学前から実地で基礎を学んでいた私は全体基礎の行程を免除さ
れ、
最も歴史が浅く、古典的な魔術師からは軽んじられていた﹁現代魔
術論﹂
へと進んだ。
魔術師であっても、現代科学に特に抵抗のない私にとっては最適に
思えた。
しかし、大抵の生徒は一つの学部ではなく補佐、発展のため
サブとして別の学部へも籍を置く事が多い。
私もその中の1人で、サブとして﹁降霊﹂のクラスにも籍を置いて
いた。
彼を知ったのはそこでだった。
彼とまともに関わりを持つ事になったのは
聖杯戦争終結後、各地で見聞を広めた彼が帰還してからのことだっ
た。
そのため、いつが出会いだったのかはっきりと分からない。
私にとって彼はクラスのなかの大勢の1人に過ぎなかったし
彼にとってもそうだったはずだ。
聖杯戦争がまたも不完全な形で終結し、
マスター陣唯一の生き残りとして時計塔に帰還した彼は
108
色々な意味で話題の人物となった。
当時の私にとって聖杯戦争は遠い世界の話であり
日銭を稼ぐためにむさ苦しいユアン伯父さんと夜な夜な
ヤクザな仕事に精をだして、昼は時計塔で惰眠を貪り
成果を発表する際には出来損ないの論文を講師に突き返されると
いう
冴えない日々を送っていた。
そんなある日、不真面目な姿勢に対して何度目になるかわからない
有り難いお説教を講師からくらった昼下がり
私は遅いランチをとるため憩いの場である中庭に足を進めていた。
いつものベンチに向かうと、そこには先客がいた。
貧弱な体格に女と見間違うような容姿の先客はランチボックスを
広げ
大判サイズの学術書らしき物を読みふけっていた。
だれか、プロゲーマーの師でもいるのか
109
その人物に背後からそっと近寄り、興味本位で本を覗き込む。
彼が読んでいたのはおよそ魔術師とはかけ離れた内容のものだっ
た。
﹃アドミラブル大戦略IV hints and tips︵攻略︶﹄
私のようなヤクザな魔術使いならいざ知らず
彼のような普通の生徒がそのような本を所有していることに軽い
驚きを
﹂
覚えつつ読書の邪魔にならぬようそっと声をかけた。
﹁君もそのビデオゲームの愛好家か
相当にやり込んでいるらしく、彼は非常に手強い対戦相手だった。
ゲームをする同好の士となった。
││主に下ネタと人種に関するジョークに辟易しつつ
時折、私の住む小汚いフラットでユアン伯父さんの高尚な
それから、私が時計塔を辞するまでの短い間彼とは
それが、私と彼が初めてまともな会話をした瞬間だった。
?
私が勝てるのは10回に1回かせいぜい2回程度の確率だった。
﹁君の強さの秘密はなんだ
?
﹂
﹁アレクサンダー大王だ﹂
当時、私はそれを彼なりのハイセンスなジョークだと捉えていたが
後にそれが事実であった事を知る事になる。
私が時計塔を辞してから、彼は大出世を果たし時折フリーランスで
ある私に
実験の資材調達などの雑事を依頼してくるようになった。
それなりに交流のあった元クラスメートで雇い主と雇われの便利
屋。
それが我々の関係だ。
三
﹁さて、最初の問題に見事正解したところで、2つ目の問題にいこう。
そのロンドンいちのハンサムな魔術使いが今いるのはどこだ
択で答えてくれ﹂
電話口の向こうの人物は明らかに苛立っている。
私は特に気にせず、続けた。
れば
あった事と、魔力を満たして降ろせば後は意図的に破壊でもしなけ
臓が聖杯の器で
彼は、第四次の際にもアインツベルンの用意したホムンクルスの心
聖杯という物に対する自分の見立てに誤りがないかを尋ねた。
私は数時間前の解析結果を簡潔に説明し、
﹁話してみろ﹂
電話口の向こうの人物に小さな緊張が走る。
聖杯についてなんだが⋮﹂
とがあってな。
﹁待て待て。1つ時計塔随一の偉大な講師にレクチャーを受けたいこ
﹁⋮⋮切るぞ﹂
つめは⋮﹂
﹁1.モルディブで優雅なバカンス、2.サハラ砂漠で心躍る冒険、3
?
中身が溢れ出す事もないというありがたい情報を提示してくれた。
最後に重要な事を確認する。
110
?
か
﹂
﹁いいや、これは聖杯というよりもはやただの魔力タンクといった方
が適切だろう。
願望器としての機能も皆無に等しいとあっては、誰も興味は示さな
いだろうな﹂
﹁それが聞きたかった。ではこちらでこのまま処理するぞ﹂
﹁⋮⋮好きにしろ﹂
そう言うと、彼は﹃Good│bye﹄も﹃see you﹄も言
わずに電話を切った。
﹁相変わらず君は﹃とても感じの良い﹄奴だな。ウェイバーくん﹂
どことも繋がっていない電話口に向かって私はそう呟いた。
グラスに残った甘ったるいアルコールの固まりを飲み干し、窓の外
に目をやる。
眼下にはしんと静まり返ったセントラルパークが広がっていた。
翌日、昼過ぎに目を覚ますと私のモバイルフォンにアンナからの
メッセージが届いている事に気がついた。
内容はニューヨークの地下にホムンクルスがいる理由について
リサーチの結果と考察を伝えるからこちらに来いという
極めて事務的なものだった。
私は士郎を伴い、彼らの待つ19分署に向かった。
およそ20分後
我々4人は空調の良く効いた快適な署のコンファレンスルームの
座り心地が最悪なカウチに腰を下ろし話合っていた。
﹁調べてわかったことだがな﹂
パトリックがいつものように眠たそうな目で
││きっと昨日は録に眠らず仕事に勤しんでいたのだろう││
調査内容について語った。
﹁2年前の冬にホーエンハイムっていう貴族みたいな名前のやつが
プラザホテルの1フロアを貸し切って2ヶ月ほど滞在してた﹂
111
﹁今回の事だが、魔術協会が直接手を下してくる可能性はあると思う
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
?
ホーエンハイム。確かアインツベルンの遠縁で錬金術を専門にし
アインツベルンと同じく、第三魔法成就のためホムンクルスの鋳造
に
精を出していた一族だったはずだ。
﹂
﹁妙だな。ホーエンハイムは500年続く名門だ。何故ニューヨーク
のような
魔術に向かない土地に滞在していた
アンナが私の疑問に答える。
﹁あんたの疑問は当然だ。滞在してたのはそのホーエンハイムのドラ
息子でね。
修行と称して、マンハッタンに滞在し適当にホムンクルスを鋳造し
て真面目にやってる
そぶりだけ見せ、親の金で豪遊してたのさ﹂
そのままアンナが続けて言う。
﹁ところがだ、ちょうどその最中に5回目の聖杯戦争が起こった﹂
││横にいる士郎の表情が明らかに変わった。
やはり何か聖杯戦争と関わりがあるのか。
だが今はそれを追求している時ではない。
私は問題を先送りにすることにした。
﹁またしても第三魔法の成就にアインツベルンが失敗したことに
ホーエンハイムの当主は深く落胆した。そしてドラ息子を自分の
手元に戻す事にしたのさ﹂
﹁で、その録でなしはニューヨークの地下に出来損ないのホムンクル
スを遺棄していったと﹂
﹁ああ、急いでいたんだろうね。それと、ここから先は私の推測だけ
ど﹂
アンナが一度言葉を切り、話を続ける。
﹁遺棄されたホムンクルスは魔力の粒子になって消えて行った。
ただし1体だけ例外があった。
そ れ が 私 た ち が あ の 地 下 で 見 た 物 の 正 体 だ。よ ほ ど こ の ニ ュ ー
ヨークのマナが合ったんだろうね。
112
?
彼女は作り手さえ予想にしなかった変貌を遂げ、出来損ないのホム
ンクルスから出来損ないの聖杯へと進化したってわけだ﹂
彼らの話はそれで終わりだった。
次は私の番だ。
私は彼らに聖杯を降ろすためには核となる心臓を引き出し
﹂
魔力を注入すれば済む事を告げ、アンナにその役割を担ってくれる
よう
依頼した。
﹁私を選んだ理由は
﹂
﹁⋮H&Kを毎日のようにぶっ放してる﹃真摯な﹄英国人が言う事かね
彼女は私のウィットに軽く眉をひそめこう返した。
だろう
それにこういった野蛮な行いは君たち米国人が得意とするところ
﹁君が一番魔力量が大きい。適任だ。
?
で、他に気をつける事は
光に当てちゃいけないとか、
﹂
水に濡らしちゃいけないとか、
そういう決まり事はないかい
﹂
?
パトリックが﹁ハハッ
違いねえ
﹂と私の意見に同意すると、
﹃レデイー﹄とは呼べないと判決が下るだろうな﹂
リラを
﹁800ポンドのベンチプレスを魔術無しで軽々ホールドするメスゴ
この国じゃセクハラは裁判になるんだよ
﹁レディーに対するアドバイスじゃないね、それ。
教えてやれば少しは安心してくれるかもな﹂
﹁特には無いが⋮そうだな﹃痛いのは初めての時だけだ﹄とでも
?
!
きっと数秒は本当のHeavenを体験できたに違いない。
パトリックは﹁ウッ﹂と小さく唸ると、しばらく悶絶していた。
アンナの見事なボディブローがパトリックの腹部に突き刺さった。
!
113
?
夜中に食事を与えちゃいけないとか、
?
?
﹁あんた大丈夫か
﹂
士郎がパトリックに駆け寄り背中を優しく撫でながら言った。
﹂
﹁ああ、ありがとうよ。坊主﹂
﹁どれぐらい痛む
﹁10段階で言うと150ってとこだな﹂
士郎はパトリックに強いシンパシーを感じたらしい。
万感の思いを込めてこう言った。
﹁わかるよ⋮。俺も遠坂によくやられるからな⋮﹂
私は最大限の憐れみを込めて言った。
﹂
﹁君が新たな性的嗜好に目覚めないことを祈るよ﹂
﹁で、決行はいつにする
﹂
?
﹁大体深夜0時から1時の間ぐらいだね﹂
﹁君の魔力が最大になる時間帯はいつだ
我々男3人の不毛なやり取りに呆れながらアンナが口にした。
?
﹁では決行は今日の0時としよう﹂
114
!
?
異能
今回の聖杯⋮いや﹃聖杯のできそこない﹄についてその後私はさら
に
時計塔の名講師から受けたありがたいレクチャーを伝えた。
本来聖杯は何十年もその土地のマナを吸い取り、さらに英霊という
巨大な魔力の固まりを7つ焼べることで初めて正しく成立する。
この土地、移民によって形成されたニューヨークは
その成り立ちから、神秘が極めて薄く霊地としての価値は限りなく
低い。
そんな土地の││それもマンハッタン一帯だけに限られた貧弱な
マナを、
ほんの2年吸い取ったところでたかが知れているが、あのホムンク
ルスの少女は
器の小ささ故にそれだけでほぼ魔力が満たされた状態にある。
あとは平均以上の魔力の持ち主がありったけ、保有魔力を注いでや
れば
完成するわけだ。
彼女、アンナ・ロセッティの魔力量は並の魔術師を遥かに凌駕して
いる。
うってつけだ。
対して、私に聖杯のレクチャーをしてくれた、時計塔随一のカリス
マ講師は
魔術師として自身が凡庸である事にコンプレックスを感じている。
きっと彼女の持つ才覚を羨ましく思うだろう。
その1方でアンナは魔術の研究になんの価値も見出していない
物質主義者で徹底的なリアリストだ。
求める者に才能を与えず、そうでない者に才能を与える
神とは実に気まぐれなものだ。
私はレクチャーを続けながら
そのような考察を同時進行させていた。
115
我ながら意外と器用な真似ができるものだ。
これなら半世紀後も、その日の朝に何を食したかぐらいは
覚えていられるかもしれない。
それより大きな問題はそれまで私の命が続くかなのだが。
その後短い質疑応答があり深夜0時に昨日地下に潜った
レキシントン・アヴェニュー59丁目で落ち合うこととなった。
私と士郎は仮眠をとるため一旦ホテルに戻ることにした。
途中空腹を覚えたため、ハドソンストリートまで歩いて評判のベン
ダーに行き、
ロブスターロールとクラムチャウダーを購入した。
1本16ドルはベンダーで購入する飲食物としては
法外に高いが、味は確かだ。
それに大きなヤマを踏む前なのだ。
これぐらいの贅沢はしておかないときっと後悔することになる。
116
私と士郎は、ワシントンスクウェアパークのベンチで並んで
ロブスターロールとクラムチャウダーを食した。
夏のニューヨークは昼間焼けるように熱い。
コンクリートの照り返しが容赦なく肌を焼く。
我々の隣のベンチでは、体重300ポンドは軽く超えていそうな
暑苦しい二人組がダイエットの話をしながら
﹂
ポークチョップを貪り、ダイエットコークを飲んでいた。
その2人をみて私は呟いた。
﹁米国人は共食いをする習慣があるのか﹂
﹂
士郎が不思議そうな顔をして尋ねた。
﹁なんの話だ
﹁いや、なんでもない。それより味はどうだ
﹁シンプルな味付けだけどうまいぞこれ﹂
いく
﹁そうだな、僕は戻って毎晩エミールのホテルの前に立ち小便をして
﹁縁起でもないこと言うなよ⋮﹂
﹁そうか、それは良かった。最後の食事になりかねんからな﹂
?
?
不届き物を捕まえるという重要な任務をこなさなければならない。
捕まえたらエミールから10ポンド貰えるんだ。
﹂
﹂
それに君も五体満足で帰って早く凛とベッドの上で裸のアマチュ
アレスリングに興じたいだろう
昼間からなに言ってんだよ、あんた
士郎は赤くなって言った。
﹁な⋮
体に良くないぞ﹂
﹁するわけないだろ
﹂
待っていてやるからその辺で一回ヌいてくるといい。溜めすぎは
﹁なんだ、赤くなって。それとも彼女を思い出してエレクトしたか
!
?
た。
﹁シロウ、最終確認だ。
君は今日の件について納得していると思っていいんだな
士郎は私の眼を真っ直ぐ見据えて言った。
﹁ああ、もう迷いはない﹂
そこに昨晩見せた苦悩の面影はなかった。
﹂
30分ほど士郎の話を堪能した後、最後の念押しとして私は尋ね
﹁なるほど。一理ある﹂
﹁あんたが捻くれすぎなんだよ﹂
僕から見れば、君もリンも素直でいい子だぞ﹂
﹁しかし、シロウ。リンが素直でないというのは僕にはよく解らんな。
微笑ましい惚気話にしか聞こえなかった。
の
を聞かされることとなったが私にはそれらの話はただの恋人同士
たが
││主にその暴力的な行動や素直でない性格についてのものだっ
その後、士郎からは凛に対する愚痴
!
ジジュース
そう言うとカップの底にわずかに残った溶けた氷の味しかオレン
んは嬉しいよ﹂
﹁そうか、なら安心だ。君が大人になってくれてアンドリューおじさ
?
117
?
!
で喉をうるおし、我々2人はそこを立ち去った。。
午前0時ちょうどに私と士郎が集合場所につくと、すでにアンナと
パトリックが
待っていた。
それから我々4人は一言も口にせず目的地に向かった。
今回はアンナが先導した。
自ら仕掛けた探知用ルーンの発する魔力のビーコン信号を
たどり彼女は迷いなく我々を目的の場所に誘導した。
少女は変わらず眠っていた。
﹁さ、やるか﹂
彼女はいかにも気の進まない様子で
││当然だ、人の形をしたものを切り開こうというのだから││
ファイティングナイフに強化を施して少女の前に屈みこんだ。
﹁悪いな。あんたには何の罪もないが⋮怨むならあんたを作った造物
主を怨むんだね。
次はディズニーのマスコットキャラにでも生まれてこられる事を
祈るよ﹂
そう言うと彼女はナイフの切っ先を少女の体の中央に突き立て│
│
飛び出してきた人物によってはじかれた。
アンナは距離を取って言った。
﹁何のつもりだ坊や﹂
士郎は少女の前に立ちふさがり私が念のために持たせた長さ24
インチの
モリブデン鋼製スティックに強化を施し構えていた。
﹁ロセッティさん。どうしてもこの方法をとるっていうなら、
俺はあんたを止めるしかない﹂
その時私は理解した。
今日の昼見た士郎の表情は﹁我々の方針に従う事を納得した﹂表情
ではなく
118
×××××××××××××××××××××××××
﹁我々の方針に従わない事を決意した﹂表情だったということに。
﹁時間がないんだ、力づくでもそこをどいてもらうよ﹂
アンナはそう言うと両腕から胸に広がる巨大な刻印を解放させた。
彼女の体を巨大な魔力の奔流が覆う。
士郎との距離はおよそ20フィート、彼女なら一足飛びで飛びこめ
る距離だ。
身体強化を施し、士郎の間合いに飛び込む。
士郎は得物のリーチを活かして防戦に回る。
よほど良い師に恵まれてきたのか、相当な修羅場をくぐり抜けたか
それともその両方なのか。
﹂
士郎は受けに徹することで、アンナの嵐のような斬撃を受け流して
いた。
﹁止めなくていいのか、あれ
呆気にとられていたパトリックが我に返り私に尋ねる。
﹁メイウェザーを1ラウンドでマットに沈められるような怪物の戦い
に割って入る勇気は
僕にはないね﹂
﹁いや、でもよ﹂
﹁下手に手を出せば逆にシロウを傷つけかねない。ここは彼女に任せ
よう﹂
健闘を見せていた士郎だが彼我の実力差はあまりにも大きい。
やがて彼はアンナの攻撃を捌ききれなくなり、体の各所に傷を作り
はじめた。
そして何十合目かの斬り合いで、士郎は得物をアンナに真っ二つに
され││
鳩尾と顎に強烈な連打を食らった。
士郎は吹っ飛び、床にうずくまって悶絶した。
それを見ていたパトリックは小さく悲鳴を上げた。
パトリック、君には心の底から同情するよ。
﹁坊や、なんのつもりか知らないがこれ以上邪魔するなら
もっと荒っぽい手を使わざるを得ないよ﹂
119
?
アンナはそう忠告すると、ホムンクルスへと近づいて行った。
士郎の目はまだ死んでいない。
私は彼の本質を読み違えていたことに後悔しつつ言った。
﹁シロウ、もうよせ。前にも言ったが時には何かを切り捨てなければ
いけないこともある。
君が今やっていることは無駄でしかない﹂
士郎が歯をくいしばり立ちあがる。
明らかに彼は諦めていない。
彼の醸しだす空気が明らかに変わった。
ト レ ー ス・ オ ン
アンナが身構える。
﹁⋮⋮投影、開始﹂
士郎が詠唱する。
彼が使えるたった2つの魔術の内の1つ│投影をするつもりらし
い。
繰り広げられていた。
士郎が振るった
││信じがたいことに宝具としか思えない巨大な神秘が込められ
た││
白と黒の中華風の剣は強化を施したアンナのファイティングナイ
フを
粉々に砕いていた。
120
投影品を手に彼はアンナに突っ込む。
││まさか投影品で戦うつもりか
?
次の瞬間私の目の前には想像を遥かに超えた事態が
││それとも武器を失って血迷ったのか
?
聖杯
﹁Jesus Christ︵なんてことだ︶⋮﹂
私が目の前の少年の投影魔術によって作り出された代物を目にし
て
最初に口にしたのはそのひと言だった。
私は英国人だが、生まれも育ちも香港だ。
それ故、ロンドンに渡ってからも
東洋の伝説についてひとかたならぬ興味を抱いてきた。
﹃干将・莫耶﹄
中国における名剣、その製作者である夫婦の名を冠した
﹃呉越春秋﹄や﹃捜神記﹄などに語られる伝説の武具││
私の見立てが間違いでないのならば彼、衛宮士郎の両手にあるもの
は
その伝説の武具そのものだった。
異常な事はそれだけではない。
通常投影品は世界の修正力によってその形を長く保つことはでき
ない。
しかも大抵中身は空っぽの張りぼてで、
とても実用に足るような物にはなりえない。
魔術の基礎的知識に乏しいパトリックは目の前の事態を1インチ
たりとも
理解できていないようだったが、アンナが思わぬ反撃を受けたこと
に対しては
動揺を隠せないでいた。
1番立ち直りが早かったのはアンナだった。
徹底的なリアリストである彼女はまず目の前の異常事態について
の思考を遮断し
使い物にならなくなった自らの得物を投げ捨てると
早駆けのルーンを刻んで剣の間合いから離脱した。
離されまいと突っ込んでくる士郎に対して
121
彼女は愛用のSIG P229を取り出し照準を合わせると
ダブルタップで正確に四肢めがけて発射した。
しかしその特製の強化が施された9mmパラベラム弾が
4計8発発射された弾丸を
士郎に届くことはなかった。
両手足に向けて2
士郎は人間業とは思えない体さばきによって
両手の双剣で弾き落とした。
そして、そのまま標的に向けて剣を振るうと
次の瞬間にはSIG P229はただの鉄塊と化していた。
彼は宝具を投影するのみならず
その武具の持つ膨大な戦闘の経験値までをも
読み込んでいるようだった。
主要な得物を失ったアンナはまだ諦めない
魔力を充填させると右腕から砲弾として発射し││
それも士郎の一閃によって無効化された。
尚も双剣を構えたまま彼は言った。
﹁もうやめてくれロセッティさん。あんたの攻撃は俺には届かない﹂
士郎の発言は紛れもなく事実だ。
アンナだけでなくあの神秘を突破できる魔術師など
そうそういるわけがない。
彼女はまだ戦意を失っていない。
2人の間には張り詰めた空気が流れていた。
││その時ホムンクルスの少女が眠りから目覚めた。
全員の視線が少女に注がれる。
﹂
器自体が綻び始めている
﹁シロウ、いい加減にしろ
るぞ
すぐにでも心臓を取り出せ
!
このままじゃ噴出した魔力で大惨事にな
!
彼はそのまま姿勢を変えず言った。
!
122
×
少女の体の輝きが徐々に増大していく。
﹁ま ず い ぞ
﹂
!
士郎は尚も戦う姿勢を緩めない。
!
君が使える魔術は強化と投影だけではなかっ
﹁大丈夫だ。結界を展開する﹂
どういう事だ
﹁結界
?
ons, 剣の丘で鉄を鍛つ waiting for one
ならば我が生涯に意味は不要ず s arrival. W i t h s t o o d p a i n t o c r e a t e w e a p
担い手はここに独り Nor aware of gain. ただ一度の勝利もなし Unaware of loss. ただ一度の敗走もなく、 d blades. I h a v e c r e a t e d o v e r a t h o u s a n
幾たびの戦場を越えて不敗 y blood. Steel is my body,and fire is m
血潮は鉄で心は硝子 I am the bone of my sword. 体は剣で出来ている それはある男の半生を語る詩のように聞こえた。
士郎は私の質問には答えず詠唱を始めた。
﹂
たのか
?
only path. この体は、 My whole life was unlimited blade works
"
無限の剣で出来ていた 世界が塗り替えられる。
炎が翻り、無限の荒野にはまるで墓標のように
I h a v e n o r e g r e t s.T h i s i s t h e
'
123
?
"
数えきれないほどの剣が突き刺さっている。
どこまでも続く殺伐とした地上に対して、
雲間からは青い空が覗いていた。
﹁Jesus Christ︵なんてことだ︶⋮﹂
あまりに異常な出来事の連続に
私の思考回路はショートする寸前だった。
固有結界││魔法に限りなく近い大禁呪。
術者の心象風景で現実世界を塗りつぶし、
内部の世界を変容させる結界。
この結界の主、士郎が指示する。
﹁3人とも俺の後ろに﹂
さすがのアンナも初めてフランク・ランパードのフリーキックを
目にした新人ゴールキーパーのように唖然としていたが
素直に指示には従った。
イ
ア
ス
﹂
124
意識を現実的な問題に戻す。
問題の元凶である少女はもう破裂寸前だ││
ア
それに対するため士郎はさらなる投影を実施する。
ロ ー・
﹁熾天覆う七つの円環
い。
そうだ、このような人の身に余る大魔術をそう長く保てるわけがな
やがて盾にも結界に綻びが見え始める。
どれぐらいの時間がたったか││
盾がそれを阻む。
││トロイア戦争の英雄アイアスが使用した
士郎によって投影された伝説の武具
少女の体から巨大な真っ白い魔力が間欠泉のように噴出してくる。
なっている。
間違いなく士郎とアンナの戦いが少女の危うい均衡を破る一因に
もはや士郎を責めている場合ではないが
予想よりもかなり早い決壊だ。
次の瞬間、器についに限界が生じた。
!
まだ少女の魔力は尽きない。
﹂
逆に結界の綻びはさらに大きくなってくる。
アンナが言った。
﹁アンドリュー、あんたナイフ持ってるかい
私にはアンナが何をするつもりか見当もつかなかったが
その言葉に従い、彼女に愛用のアーミーナイフを渡した。
彼女はメインブレードを取り出し
自分の掌に切れ込みを入れるように刃を当てた。
そのまま士郎に語りかける。
﹁坊や、いいかよく聞け。これからあんたの背中に傷をつける。
そしたら、私の掌とあんたの背中を接触させて体液交換と接触を同
時にする。
そのまま、簡易的にパスをつないであんたの体に
ありったけ私の魔力を送ってやる﹂
士郎は大きく頷いた。
﹁よし、やるぞ﹂
彼女は彼のシャツを捲りあげるとこう言って
むき出しになった背中に刃を当てた。
接
続・
ロー
ド
﹂
﹁なに、痛いのは最初の時だけだ。優しくシてやるから安心しな﹂
実にらしい品の良い台詞と共に
彼女は自らの発言を実行に移した。
動・
士郎の背に手を当て詠唱を開始する。
起
﹁⋮satus│sursu⋮mnexu⋮iniectio
アンナの巨大な魔力が接触を通じて注がれる。
!
﹂
器 か ら 放 出 さ れ る 魔 力 は ま る で 波 が 引 く よ う に 静 か に 収 ま っ て
そしてやがて││
1枚目の花弁を失ったが盾も未だ健在だ。
縫われていく。
魔力の供給源を得たことで結界の綻びが
私の魔力なら尻の毛1本残さず持っていけ
﹁坊や、あんたは結界とその盾を維持することだけに集中しろ。
!
125
?
!!
いった。
光が晴れると、輪郭はぼやけ、体を構成する粒子が零れ落ちながら
まだ少女はかろうじて形を保っていた。
士郎は盾をしまい、少女へと歩み寄る。
そして、彼女の前に膝を突くと
消えゆくその存在をそっと抱きしめた。
やがて彼女の体は光の粒子になり霧散していった。
消え去る直前、私は彼女がほほ笑みを浮かべたように見えた。
もしかしたら、彼女には本当に自我があったのかもしれない。
そ し て 出 来 そ こ な い の │ │ そ れ も 完 成 さ せ る こ と す ら か な わ な
かったが││
願望器としての役割を果たした。
きっと少女はこう願ったのだろう。
﹁誰かに認めてもらいたい﹂そして
﹁触れて抱きしめてもらいたい﹂と。
彼女は聖杯として自らの願いを叶えたのだ。
自らを構成する魔力を失いながらも
最後にわずかな時間、形を保てていたのはそれ故だ。
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
だが、そんなほんの少しの救いでもなければ
⋮⋮あまりにもやるせないではないか。
気が付くと、あの無限の荒野も大地を覆う武器も消え
元の薄暗い臭気を含んだ空気が充満した下水道に我々はいた。
士郎はそれから暫く膝をついたまま
彼女が消えた虚空を胸に抱き続けていた。
126
追悼
翌日の昼過ぎ、目が覚めると私は自分が酷いハングオーバーになっ
ている事に
気が付いた。
ベッドを下りると這うようにしてバスルームに行き、熱いシャワー
を浴びながら
野生のチンパンジーかオラウータンにかなてこでしこたま叩かれ
たように痛む頭で、
薄く霧のかかった昨晩の記憶を辿った。
投影の連発と固有結界の展開に加えてアンナからもらった傷でボ
ロボロの士郎に
私が。
魔力が空っぽで足元が覚束ないアンナにパトリックが。
それぞれ肩を貸し、まるで総入れ歯で眼ヤニを垂らしながら終始ず
れた脱腸帯を
直している老人のようにゆっくりと帰路についた。
パトリックに肩を貸されているアンナは飼育員に世話される屈強
なメスゴリラのよう に私には映った。
私が彼らに﹁君たちはお似合いだ﹂と伝えるとアンナはこう答えた。
﹁﹃メスゴリラと飼育員みたいにな﹄とでも言いたいんだろう﹂
わかってるじゃないか。
地上にでるとパトリックは﹁明日事後処理をするから連絡を待って
くれ﹂と伝えた。
﹁他にも言いたいことは色々あるが││﹂
そこで彼が言葉を切ると
﹁とにかく今日は疲れた。帰って泥のように眠りたい﹂
とアンナが後を引き取った。
私も全くもって同意見だった。
ホテルまでは徒歩でも十分の距離だったがタクシーを捕まえるこ
127
とにした。
捕まえたインド系と思われるイエローキャブの運転手は我々2人
が乗り込もうとすると
あからさまに嫌な顔をした。
当然だ。下水道を通ってきたばかりの人間など誰も乗せたくある
まい。
なので、私はとびきりのスマイルと共に魔術を使って運転手に暗示
を与えた。
これではアンナの事を言えないな。
士郎はホテルに着くまで一言も口にしなかった。
ホテルに到着し、ロビーから宿泊フロアまで上がる短い間に私は彼
に言った。
﹁シロウ、君はなぜ││﹂
││宝具の投影と固有結界について黙っていたのか││
料の
私は宝具が投影できて固有結界が展開できます
ホルマリン漬けだ。
しかし表情を読み取ったのか、
士郎は私が何を言おうとしたのか分かったようだった。
などと
彼はただ﹁すまなかった﹂とだけ口にし、自室へと戻って行った。
その背中を見送ると私は部屋に戻り、昨日1ショットしか口にしな
かった
フォアローゼスの残りを1時間かけて10本の煙草を灰にしなが
ら飲み干した。
そして、胃がその琥珀色の甘ったるい液体で満たされるとシャワー
も浴びずに
ベッドに入った。
128
と続けようとしてその質問は全くの無意味である事に気が付いた。
当然だ、
"
どちらも協会に知れたら間違いなく封印指定を飛び越して実験材
回るのはよほどの異常者だろう。
わざわざ吹聴して
"
夕方になってパトリックから連絡があった。
﹁事後処理が終わった、特に問題はない﹂
﹂
という極めて事務的な連絡だった。
﹁何か質問は
﹂
?
誰だそりゃ﹂
?
か
﹂
﹁誰だそれは
?
レキシントン・アヴェニュー沿いにある悪く言えば古びた、
マディソン・アベニュー、パーク・アヴェニューを超え、
東に進む。
抜け今度は
メトロポリタン・ミュージアム、グッゲンハイム・ミュージアムを
セントラルパークに面するミュージアムマイルを北上する。
時刻は16時半、私は早めのディナーのためにホテルを出た。
を思い出した。
そして私は二日酔いの痛みから朝食も昼食も摂っていなかった事
通話を終えると、空腹を覚えた。
通話を終えた。
またデレク・ジーターなる人物が何者かについて思考を巡らしつつ
を遺憾に思い、
私はニュースを知った際の残念な気持ちを彼と共有できないこと
﹁なるほど、一理ある﹂
﹁じゃあ、お互い様だな﹂
ンピオンか何かか
﹂
ニューヨーク名物、ホットドッグ早食い競争のチャ
﹁ならよ、アンディ。お前、デレク・ジーターって言われてピンとくる
ケイティ・プライスの米国での知名度は低いようだ。
﹁ケイティ・プライス
というニュースを知ってるか
﹁パトリック、君はケイティ・プライスが豊胸手術を受けていた
ひと通り連絡事項を告げると彼はそう言った。
?
?
良く言えば趣のあるダイナーに私は入った。
129
××××××××××××××××××××
?
早い時間帯だが、客席は7割がた埋まっていた。
人気店なのかもしれない。
私が通されたカウンター席では、5歳ほどの少女が無邪気な笑い声
を挙げて椅子で
遊んでいた。
きっと昔ながらの回転椅子が珍しいのだろう。
いつもの光景なのか、店員たちは誰も気にしていないようだった。
私は魔術回路を開き、少女に近寄ると耳元で優しく囁き暗示を与え
た。
﹂
﹁パパとママのところに戻って大人しくしていなさい。
こう見えても僕は悪い魔法使いなんだ。
ここで遊んでいると君をカエルに変えてしまうよ
少女は﹁Okay︵うん、わかった︶﹂と答えるとボックス席の両親
のところに
戻って行った。
よろしい、子供は素直が一番だ。
その光景を不思議そうな目で太った黒人のウェイトレスが見てい
た。
私は彼女に英国式ウィンクを捧ぎ、オーダーを依頼した。
パストラミビーフとチェダーチーズ、大量のオニオンスライスが挟
まった
バーガーを砂糖の味しかしない大量のミルクシェークで飲み干す
と、
口直しにコーヒーを注文した。
加者で、
イリヤ
はきっとアインツ
について思考を巡らせた。
イリヤ
130
?
色つきの水と形容した方が正しいその液体を啜りながら私は士郎
が救えなかったと
語ったホムンクルス
ここ数日に得た情報を基に考えると
ベルンのホムンクルス
"
"
で、5回目の聖杯戦争における器、そして士郎はその聖杯戦争の参
"
"
イリヤ
何
ゆっ
か
く
﹁What
り
問
が今日のように心臓を引き抜かれるのを目の当たりに
題
か
s up
であった。
﹁違う﹂
﹂
﹁ひょっとしてあれが無いと話せない
﹂
﹁⋮⋮今日はいつもの長い前置きは無しか
﹁君に訊ねたい事があってな﹂
?
﹁人の話を聞け﹂
?
﹁いらん。早く本題に入れ﹂
﹁話さなくて良い
﹂
﹂
﹁ならば話すが、昔僕が住んでいたフラットの隣人が⋮⋮﹂
?
?
?
最 初 の 一 言 は ﹁H i﹂ で も ﹁H e l l o﹂ で も な く
3コール目で彼は電話にでた。
連絡を取るためモバイルフォンを操作し、耳にあてた。
がら件の人物に
ホテルまでの帰路、今度はレキシントン・アヴェニューを南下しな
い店を出た。
ある人物に電話をするため22ドルの会計と3ドルのチップを払
私は2杯めのコーヒーを飲み干すと、
時刻は17時半を過ぎ、さらに店内は混み合ってきた。
中々気持ちの良い店だ。
そうぶっきらぼうに告げると彼女は去って行った。
﹁Enjoy﹂
ご
注ぎにきてくれた。
が
注文すると、さきほどの不機嫌そうな顔をした黒人のウェイトレス
代わりを
代わりにコーヒー豆をケチっているとしか思えないコーヒーのお
我がホームタウン、ロンドンと同じく押し寄せていた。
無性にタバコが吸いたかったが禁煙の波はここニューヨークにも
したのだろう。
"
'
131
"
﹂
私はとっておきのエピソードをお披露目することを諦め、こう言っ
た。
﹁ウェイバーくん、君は5回目の聖杯戦争についても調べていたな
翌日、私と士郎は帰国の途に就くため昼にホテルを出た。
﹂
帰りの便までにはかなりの時間がある。
﹁寄って行きたい場所がある﹂
私は士郎のその言葉に従った。
﹁君は聖杯戦争に関わっていたのか
?
持っていた。
その人物アンナ・ロセッティとパトリック・ケーヒルの2人も花を
発言する前に意外な人物が現れた。
暇しよう﹂と
どれほどの時間そうして立ちつくしていたか││私が﹁そろそろお
﹁そうだったな。僕の祖父が亡くなった時も菊を供えた﹂
﹁日本ではこれが一般的なんだ﹂
私が何故菊なのかと尋ねると彼はこう答えた。
士郎は途中で購入した菊をマンホール上に献花した。
の前だった。
あるマンホール
我々が向かった先はレキシントン・アヴェニュー59丁目の路上に
らば納得だ﹂
聖杯戦争で共闘したなんていうドラマチックな出来事があったな
一体どういう事情があったのかと思ったが││
を結ぶなど、
リンのような名門の当主が君のようなポッと出の3流と深い交流
﹁どうにもおかしいと思っていたが、納得がいった。
マスターだった凛と共闘したという驚きの事実を教えてくれた。
ターで同じく
道すがら、私がそう水を向けると、士郎は自分が聖杯戦争のマス
?
アンナは持参した白い花をマンホールに献花しこう言った。
132
×××××××××××××××××××××××××
輪
廻
転
生
﹁ノースポールの花だ。花言葉は﹃誠実﹄﹃高潔﹄
それと、﹃reincarnation﹄。
私からあのお譲ちゃんにせめてもの手向けだ﹂
﹁ロセッティさん、すまなかった。でも俺⋮⋮﹂
アンナは手を挙げそこから先を制した。
﹁ああ、確かに怒ってる。だがあんな物を見せられたらもう何も言え
ないよ。
しかしな坊や、あんた無鉄砲にもほどがある。私やパトリックが典
型的な魔術師だったらあんた今頃協会に連れ去られて試験管の中だ﹂
彼女の言葉に私が答える。
﹁いや、それについては全くもって面目ない﹂
﹁まったくだ、あんたもとんでもないパートナーを連れてきてくれた
な﹂
﹁返す言葉もない。これで、僕も君たちからの依頼は貰えなくなるな﹂
彼女はアンナほど下品でも粗暴でもないぞ﹂
133
パトリックが頭をかきながら答えた。
﹁ああ、流石にこっちも考えなきゃならねえな。だが⋮⋮﹂
そこで彼が言葉を切ると続けてアンナが言った。
﹂
﹁友人として美味い酒を一緒に飲むためならいつでも歓迎するよ﹂
私は2人の友情に感謝しながらこう答えた。
﹁﹃小便みたいに薄いビールを﹄の間違いだろう
﹁あんたはニューヨークのラガーを知らないな﹂
な﹂
﹁トオサカ
﹂
﹁俺 に は 良 い 師 匠 が い た か ら な。そ れ よ り あ ん た 少 し 遠 坂 に 似 て る
﹁魔術は別として⋮⋮坊や中々良い腕してるな﹂
別の案件のため、2人が立ち去る前アンナが士郎に言った。
顔をして眺めていた。
そうして立ちつくす我々4人の姿を行き交う人々が不思議そうな
?
﹁その少年のガールフレンドだ。⋮⋮待てシロウ。
彼女の疑問には私が答えた。
?
﹁誰が下品で粗暴だ。
だが私のような絶世の美女に似た女を捕まえるとは、坊やいい目し
てるな。
﹂
坊主お前も苦労するな
﹂
せいぜい大事にしてやるんだね﹂
﹁ハハ
﹁そりゃどういう意味だい
﹁アンドリュー、怒ってるか
﹂
JFK発ヒースロー行きの直行便の機上で士郎は私に尋ねた。
そう言うとアンナはパトリックを引きずって去って行った。
!
﹁何だ
﹂
﹁あの固有結界、どういうカラクリだ
ろか展開すらままならないだろう
?
アンナ以外にも誰か他の人間の魔力を君は利用していたのか
﹂
君の保有魔力では維持はお
﹁ところで、気になっていた事があるんだが⋮⋮﹂
士郎は飼い主に叱られた小型犬のように小さくなって頷いた。
もらうことにしよう﹂
﹁僕にとっては大問題だ。とにかく君は帰ったらリンに厳しく叱って
﹁イマイチ怒りの伝わりづらい表現だな⋮⋮﹂
てボンベイサファイアが使われていた時と同じくらいにな﹂
ビーフィーターでもゴードンでもタンカレーでもなくよりによっ
﹁ああ、怒っている。ジン・トニックを注文したらベースのジンに
?
想像して顔を青くしていた。
の楽しい時間を
士郎はその小柄な体をさらに小さくして、この先のーきっと彼女と
だ。手間が省けたな﹂
﹁と い う こ と は 僕 が 告 げ ず と も 既 に 事 態 は 彼 女 の 知 る と こ ろ な わ け
﹁遠坂の魔力だ⋮⋮﹂
言った。
いくつか口にすると続けて小鳥がささやくような小さな声でこう
らない短い音を
私がそう言うと士郎は何か大変な事を思い出したらしく、言葉にな
?
?
134
?
!
?
この状態の彼に話すのは憚られる気もしたが私は昨日、時計塔の偉
大な講師から
入手した情報を伝えるため続けて口を開いた。
﹁ついでといってはなんだが、もうひとつ質問がある。
君が言っていた﹃イリヤ﹄だが、前回の聖杯戦争でバーサーカーの
﹂
マスターとして参戦していたイリヤスフィール・フォン・アインツベ
ルンの事で間違いないな
彼は私の言葉に驚きの表情を浮かべると小さく頷いた。
﹁これは君に伝えるべきか迷ったが││﹂
そこで一旦言葉を切ると続けて私は言った。
﹁彼女は前々回の聖杯戦争でアインツベルンが外来のマスターとして
迎え入れた衛宮切嗣とアインツベルンが聖杯の器として用意したホ
ムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルンとの間に生
まれた。
士郎はさらなる驚きの表情を浮かべるとそれから下を向いて何か
を考え始めた。
﹁僕の話はそれだけだ﹂
私がそう言うと、士郎は答えた。
﹁ありがとう、教えてくれて﹂
それから我々はヒースローに到着するまで一言も言葉を交わさな
かった。
帰国して数日後、私はリンに呼び出され彼女たちの住むタウンハウ
スでお手製の中華を味わっていた。
﹁僕は生まれも育ちも香港で、実家は飯店を経営していた﹂
私は口元を拭い続けて言った。
﹁その僕の経験から言ってもとても美味だ﹂
﹁どうも﹂
彼女は笑ってそう答えた。
嫌みのない爽やかな笑顔だった。
135
?
君にとっては姉のようなものと言えなくもない存在だった﹂
××××××××××××××××××××××××××××
食後、供されたチャイニーズ・ティーを飲み干すとリンがこう言っ
た。
﹁アンドリュー、ごめんなさい。アイツ⋮⋮士郎には厳しく言ってお
いた﹂
﹁⋮⋮そうか。
シロウは無鉄砲すぎる、前にも言ったが彼から目を離さない事を勧
めるよ﹂
私はそうささやかな忠告をすると、立ち上がり彼女に1通の封筒を
差し出した。
﹁これは食事のお礼だ﹂
﹁そんなのいいわよ﹂
﹁いいから取っておけ﹂
私は凛にそれを押しつけると彼らの住居を去った。
彼女の事だ。
中身を見たら私に返してくるかもしれない。
1食の礼としてはいささか以上に大きすぎる金額││封筒には私
が手元に入れる
つもりだった仲介手数料が入っていた。
遠くから私を呼ぶ凛の声と足音が聞こえた。
ここで彼女に追いつかれるのは無粋だな。
私は歩を速めてフィンチリー・ロードに出ると
ブラックキャブを呼びとめ乗り込んだ。
たまにはこれぐらいの贅沢をしても構うまい。
私は運転手に目的地としてエミールのホテルを告げると、
束の間の眠りにつくことにした。
136
設定│3
設定│ニューヨークおよびアメリカ風物
・ニューヨーク
﹁世界一エキサイティングな街﹂と評されるアメリカ最大のメガシ
ティにして、
ロンドンと並ぶ世界都市。
やたら治安の悪いイメージがありますが、それは1970年代から
80年代までの話で、
1990年代以降、治安は劇的に向上しています。
とある調査によると、人口50万人以上のアメリカの都市では、安
全度ベスト5に入るそうです。
・マンハッタン
ニューヨーク市のマンハッタン島、もしくはマンハッタン島が大部
分を占めるマンハッタン区のこと。
5番街やタイムズスクエアといった繁華街に、ロンドンのシティと
並び称される金融街であるウォール街を併せ持つ。
ニューヨーク=マンハッタンと言っても過言ではありません。
・アッパー・イースト・サイド
ニューヨーク・マンハッタン区の1地区。
その名の通り、マンハッタン区の上の東側の地区。
高級住宅街。
2000年代だと﹃セックス・アンド・ザ・シティ﹄﹃ゴシップ・ガー
ル﹄の舞台になった場所です。
2006年設定なのでまだ﹃ゴシップ・ガール﹄は放送してません
でした。
なので﹃セックス・アンド・ザ・シティ﹄を劇中例では出していま
す。
このエリアに19分署は本当にあります。
137
・ニューヨーク市警察
北米最大の警察組織。
正 式 名 称 は N e w Y o r k C i t y P o l i c e D e p
artment。通称NYPD
テレビや映画でしょっちゅう出てくるアメリカの捜査機関ですが、
意外と明確に描写されていないのが、分署の存在。
分署とは日本でいうところの所轄署みたいなもので、本部所属の特
殊な組織やお偉いさん以外の現場捜査官はニューヨーク市内のいず
れかの分署に所属します。
余談ですが、分署の存在が明確に示されていたのが、20年続いた
米国テレビシリーズ史上の名作﹃Law&Order﹄で、Law&
Orderの刑事たちはハーレムにある架空の分署に所属している
ことになっていました。
現在も継続中のスピンオフ作品、
﹃Law&Order:Speci
al Victims Unit﹄の刑事たちも
分署の所属です。
・アンナとパトリック
アンナ・ロセッテイ⋮⋮ニューヨークをホームタウンにする魔術使
いのハンター。野生のメスゴリラ。
パトリック・ケーヒル⋮⋮元海兵隊員でニューヨーク市警の刑事。
アフガニスタン紛争で負傷した際に閉じていた魔術回路が開く。
別サイトで連載中の自作オリジナルss﹁magus hunte
r 紐育魔術探偵事件簿﹂の主人公コンビですが、話を運びやすくす
るため出しました。
気分を害された方は本当にすみません。ちなみに同作から今後も
何人か設定を1部変更してキャラクターを出す予定です。
すみません。やりたいんです。書かせてください。
ちなみにアンナがイタリア系の名前を名乗っているのは、ニュー
ヨークの白人には
イタリア系が多いから。
パトリックがいかにもアイルランド的な名前を名乗っているのは、
138
ニューヨークの白人にはアイルランド系も多いから。
特に警察官にはアイルランド系の人が多いからです。
テレビシリーズ、
﹃ブルーブラッド NYPD家族の絆﹄の主人公は
アイルランド系で一族代々警察官という設定でしたが、ニューヨーク
のアイルランドの家系には代々警察官というところが多いそうです。
・ウナギのゼリー寄せ
ロンドン・イーストエンドの名物。
かつてテムズ川ではウナギがよく獲れたため、庶民の貴重なタンパ
ク源になっていたそうです。
その頃に生み出されたのがこのウナギのゼリー寄せ。
ぶつ切りにしたウナギを水とレモン汁、ローリエで煮込み、その後
冷やすことで溶け出したゼラチン質を凝固させて完成する。 調理において臭み消しが全くされていないため、口に入れた瞬間強
烈な生臭さが鼻孔を襲う。
139
英国でも最高クラスのゲロ不味料理として有名。
本当はチリソースをかけて食べるそうで、ソースをかければ臭さも
我慢できなくないようです。
・キャンプでマシュマロ焼きながらパパに教わらなかったかい
アメリカ人がマシュマロ焼いて食うのはマジ。
アメリカの牛角にはメニューに焼きマシュマロがあります。
・ベンダーとロブスターロール
ベンダー=ニューヨークで良く見かける屋台。
す。
お手軽な値段で高級食材を味わえるという事で人気があるそうで
ロブスターロールを売ってるベンダーも本当にあります。
その一方で個性的なメニューで人気を集めるベンダーもあり、
ニューを出しています。
グ、チキンオーバーライスなどで、大抵のベンダーは似たようなメ
ベンダーおなじみのメニューと言えば、プレッツェル、ホットドッ
はお手軽な値段です。
デリとベンダーの飲食物は物価が極めて高いニューヨークの中で
?
ちなみに、私、今年はじめてNYに行きました。
チ キ ン オ ー バ ー ラ イ ス と チ リ ド ッ グ を 食 べ ま し た。結 構 お い し
かったです。
・地理関係でウソつきました。
士郎とアンドリューはホテルから歩いてベンダーでテイクアウト
を買い、ワシントンスクウェアパークで食していましたが、
ホテル︵私の想定は以前に宿泊したミッドタウンのホリデイイン︶
から、
ベンダーとワシントンスクウェアパークがあるグリニッジビレッ
ジはかなり離れています。︵歩いたら、30分以上普通にかかります︶
グリニッジビレッジは古い建物が多く、趣があるので無理やりグリ
ニッジビレッジまで行かせました。
また、アンドリューがホテルの部屋からセントラルパークを見てい
る描写がありましたが、これもウソ。
140
私が泊まったホテルの部屋から見えたのは隣のビルだけでした。
・レキシントン・アベニュー/59丁目
ニューヨーク市営地下鉄の中でも利用者の多いレキシントン・アベ
ニュー/59丁目駅の入り口付近。
レキシントン・アベニューは大通りなので本当にマンホールがある
かは不明ですが、見栄えが良かったので。
・ホーエンハイム
ホムンクルスを鋳造した逸話を持つ、ルネサンス期の錬金術師、
テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム︵通称パラケルスス︶か
ら命名。
スイス生まれでオーストリアで没しています。
ちなみに、スイス人て結婚してスイスに在住している友人に聞いた
﹂と不思議な顔で理由を問われま
ところ、スイスでのパラケルススの知名度はあまり高くないそうで
す。
﹁なんでそんなこと知りたいの
した。
・プラザホテル
?
プラザ合意という歴史的事件の舞台になったニューヨークの老舗
高級ホテル。
宿泊となるとかなりハードル高いですが、ホテル地下のフードコー
トは出入り自由。
ニューヨーク滞在中に何度かプラザホテルのフードコートは利用
しましたが、
ここで出してるメニューは中々に美味でした。
・ノースポール
キク科の多年草。
12月から翌6月にかけ、白い花を咲かせる。
花言葉は﹁誠実﹂﹁愛情﹂﹁輪廻転生﹂﹁冬の足音﹂など。
キリスト教の供花ではバスケットフラワーを送ることが多いです
が花の種類については白いユリやカーネーション、バラなどが好ま
れ、仏式の和菊などは敬遠されるようです。
・あんたはニューヨークのラガーを知らないな
ブルックリンラガーという大変美味な地ビールがあります。
ブルックリンラガーはボストンの地ビール、サミュエル・アダムス
と並んで、
アメリカン・ビールでは特に美味だと思います。
両者とも日本でも簡単に手に入るので、是非1度お試しあれ。
今日は以上です。
評価や感想お待ちしています。
141
21世紀の切り裂きジャック
殺人
シティ・オブ・ロンドン。
英国経済の中心地。
そして、ニューヨークのウォール街と並ぶ世界経済の中心。
乱立する近代的な高層ビルに交じって、18世紀の遺物であるセン
ト・ポール大聖堂が屹立する
光景は、この街ならではのものだ。
近代的高層ビルが隙間なく立つこのエリアだが、1本路地を入る
と、小さな古い建物や、細くて暗い、人通りの少ない場所がある。
夜遅く、私が呼び出されたのはその暗がりの1つだった。
﹁マクナイト。
急に呼び出して済まない﹂
シティ警察の警察車両と防護服を着た鑑識員の隙間から、6フィー
ト5インチの巨体を窮屈そうに滑り出させ、40がらみの浅黒い肌を
したスーツの男が歩み寄って来た。
﹁あなたたち警察の呼び出しが急でなかったことなど1度もない。
別に構わんさ、エルバ﹂
男の名はジェームズ・エルバ。
シティ警察の刑事で、シエラレオネ移民の父と、没落した魔術家系
出身のイングランド人の母を持ち、私が非公式に顧問を務めるシティ
警察の窓口となっている人物だ。
エルバは私を立ち入り禁止のテープの内側に招き入れると、血まみ
れで倒れている1000ポンドはしそうなスーツを着た男について
淡々と話し始めた。
﹁ガイシャはアシフ・アフマド。
パキスタン系英国人で債券のブローカーだ﹂
私は、血まみれの遺体に一瞥くれて言った。
﹁せっかくのスーツが台無しだな﹂
142
生真面目なエルバは私のユーモアを無視して言った。
﹁ガイシャは脇の下を複数回にわたって刺されている。
検視官の見立てでは、死因は失血性ショック死。
凶器は刃渡り3インチの刃物だ﹂
﹁そうか﹂とおざなりな返事をしようとしたところで、
私は1つのことに気づいた。
﹁待て、確か新聞で読んだ。3日前に同じような事件が起きてるな﹂
﹁ああ。その通りだ﹂
3日前、エミールが読み終えたイブニング・スタンダードを貰った
私は、
その紙上で同様の手口の犯行が同じくこのシティで、同じ時間帯に
起きたことを知っていた。
1件目の被害者はインド系英国人で、株式のブローカー。
首筋を複数回に渡って鋭利な刃物で刺されて失血死していた。
︶﹂
最後についたクエスチョンマークは消えることだろう。
﹁しかし、なぜ僕を呼んだ
じゃないだろ
﹂
お誘いが目的なら大歓迎だが、あなたはそういう事をするタイプ
うという
これから一緒にソーホーのストリップパブに繰り出して泥酔しよ
難事件だが、特に神秘は感じない。
?
﹁見て欲しいものがある﹂
143
監視カメラには犯人と思しき人物が帽子を目深にかぶっているの
が映っていたが、
特定には至らず、こうして2度目の犯行は実現に至ってしまった。
︵21世紀の切り裂きジャックか
メディアは﹁Jack The Ripper in 21st Century
?
と騒ぎ立てていたが、2件目の犯行が明らかになった今、見出しの
?
その疑問に対して、エルバはただ一言シンプルに答えた。
?
私はビショップスゲートの署にある、エルバのデスクに誘われた。
×××××
エルバはデスクのPCを起動させると、私に防犯カメラの映像を見
せた。
ロンドンは街中監視カメラだらけだ。
完全な死角に入るのは難しい。
﹁1件目の犯行の後、現場の監視カメラ映像を徹底的に調べてみた。
こいつを見てくれ﹂
見せられた映像は、わき目もふらず足早に歩いていた1件目の被害
者
││こちらは3000ポンドはしそうなスーツを着ている││が
突如何かに引っ張られるようにフラフラと路地裏に入っていく姿
だった。
﹁どう見ても暗示だな﹂
﹁ああ。これは君の管轄だろ。マクナイト﹂
私は再度、監視映像を検め、思考を巡らせると言った。
144
﹁やはりどう見ても暗示だ。
だが、それだけでは難しいな。
暗示は極めてありふれた魔術だ。
3流魔術師でも、一般人に暗示を投げかけて行動を操るのは難しく
ない。
実際、現場には神秘の痕跡がほぼ感じられなかった﹂
﹁他にも分かってることはある。
このホシの手口について調べた。
新聞を読んだのなら君も知っていると思うが、
1件目のガイシャは首筋、今回の被害者は脇の下を集中的に何度も
刺されている。
このやり口について調べてみたが、これは特殊工作員が用いるメ
﹂
ソッドだそうだ﹂
﹁特殊工作員
﹁ああ。
何度も刺すと、効果的に大量に出血させることが出来る。
首筋も脇の下も体表近くを太い静脈が流れている個所だ。
?
大量に出血させることで見たものに恐怖心を植え付ける演出だ﹂
私は彼の提供してくれた情報を頭の中で反芻すると言った。
﹂
﹁ということは、魔術を使えるプロの殺し屋、或は元プロの殺し屋を探
せばいいということだな
だろう
調べてみてくれないか
ゲイジーパイだか、
?
﹁違えねえ
﹂
には言われたくないね﹂
﹁ダイエットと称してダイエットコークを大量摂取してるような連中
よくわからん不味そうなもん食ってるのか
﹂
﹁おう。アンディか。相変わらずヨークシャープディングだかスター
﹁やあ。マシュー。アンドリューだ﹂
目的に人物が電話に出た。
地獄の底からサタンが呼びかけるような凶悪なドスの利いた声で
﹁Hello<はい>﹂
こちらは真夜中だが問題ないはずだ。
現地との時差はマイナス5時間。
この手の分野に詳しい大西洋の向こうの知人に電話をかけた。
エルバから依頼を受けた私は、エミールのホテルに戻ると
﹂
﹁ああ。そうだ。君なら知り合いにそういう分野に詳しい人間もいる
?
?
?
魔術の腕は特別優れているわけではないが、野生のオスゴリラが
馳せている。
娘のアンナ・ロセッティと共に荒事を得意とする腕利きとして名を
ターで、
マシュー・ロセッティはニューヨークを拠点にするベテランのハン
嘲笑うような凶悪な笑い声を響かせた。
親玉が自分を捕まえられない捜査官を
そう言って、電話の相手、マシュー・ロセッティは麻薬カルテルの
!
145
×××××
アームレスリングをしたら悲鳴をあげそうなほどのバカ力を持ち、そ
の特技を生かした荒っぽい手口を好むため、外道魔術師の間では﹁何
が何でも捕まりたくない相手﹂と恐れられている。
外道魔術師を捕まえるハンターに専念する前は、傭兵として世界各
地の紛争地帯を回っていたこともあり、魔術師というよりも、魔術を
使う殺し屋と言った方が適当と思われる今回の犯人像に迫るには、ア
ドバイスを受けるに適切な相手だ。
私がエルバから協力を依頼された件についてかいつまんだ情報を
伝えると、マシューは言った。
﹁魔術師と言うより、魔術を使えるプロの殺し屋だな﹂
﹁ああ。そうだ。あなたならそういう人物に心当たりがあるんじゃな
いかと思ってね﹂
マシューは便秘に悩み続ける野生のオラウータンのような唸り声
を上げると言った。
﹂
マシューの娘のことを思い出し、近況を聞いた。
﹂
﹁実は喧嘩しちまってな﹂
﹁今度は何が原因だ
﹁俺の体重が増えすぎて、ついにバスルームの便器を壊しちまった﹂
?
146
﹁そういう奴らなら何人か知ってるが、全員、死んだか引退してる。
心当たりはねえな﹂
﹁そうか﹂
﹁ああ、悪いな。まだ現役で傭兵やってるロバート兄貴なら何か知っ
てるかもしれねえが、兄貴は今、電波の届かねえ南米の山奥だ﹂
﹁タイミングが悪かったな﹂
﹁⋮⋮CIAだかMI6だかのデータベースにアクセスできれば簡単
なんだろうがな﹂
そう言われて、私は1人の人物の存在を思い出した。
こんな情報でいいのか
﹁ありがとう。マシュー。助かったよ﹂
﹁何
?
そう礼を言うと私は電話を切ろうとしたが、先日、仕事を共にした
﹁ああ、大いに助かった﹂
?
﹁それはあなたが悪いな﹂
﹁なあ、アンディ、お前仲裁しに来てくれねえか
口八丁で人を煙に巻くの、得意技だろ﹂
きの列車に乗っていた。
﹁バーミンガムに何があるの
﹂
ロンドン ユーストン駅初、バーミンガム ニューストリート駅行
る遠坂凛とともに、
翌日、私は若い友人であり、助手として協力してもらったこともあ
そして朝を待ち、2人の人物に電話をかけた。
私はそう言うと再度の﹁ありがとう﹂と共に電話を切った。
たりまで吹き飛ばされる自信があるよ﹂
あなたたち2人に殴られたら僕はニューヨークからヨンカーズあ
行為だ。
と握力計をクラッシュするオスゴリラの喧嘩に割って入るのは自殺
﹁断る。800ポンドのベンチプレスを余裕で成功させるメスゴリラ
?
﹁アラン・ホイルだ﹂
﹂
封印指定の魔術師じゃない
私をそんな人に会わせていいの
﹁アラン・ホイル⋮⋮って
ちょ、ちょっと
!
私はその質問に1人の人物の名前を回答として提示した。
彼女は私の隣で当然の疑問を口にした。
?
そうだろ
﹂
君は魔術の発展を理由に人を売るようなタイプじゃない。
?
!
﹁問題ないと判断したから連れて来たんだ。
!
ぐ存在でありながら彼女の事を懇意にしている理由はそういった人
典型的な魔術の世界とは距離を置いている私だが、名家の家督を継
が、彼女はそうしなかった。
まっとうな魔術師ならば、即、魔術協会に引き渡しているところだ
封印指定を受けてしかるべき異能の持ち主だ。
彼女の同居人であり、ボーイフレンドで助手でもある衛宮士郎は、
﹁⋮⋮そうだけど﹂
?
147
×××××
格にある。
﹁私を連れてきた理由は
﹂
﹂
想像を巡らせるのも当然だろう。
﹁奴は僕が知る限りこの世で最も下品な生き物だ﹂
凛の表情がまた変わった。
彼女はコロコロと表情が変わる。
今度は明らかに拍子抜けした顔だった。
﹁⋮⋮えっと、わざわざ忠告するぐらい下品って、どのくらい
﹂
列車は長閑なイングランドの田園風景を抜け、近代的で無個性な集
凛の表情とともに、車窓から見える光景も変化していた。 ている表情に変わっていた。
彼女の表情は、今度は与えられた情報をどう処理していいか困惑し
これから会うのはそれぐらい下品な生き物だ﹂
﹁思い浮かべたらそれを3倍にしてくれ。
﹁⋮⋮浮かんだわ﹂
﹁君が今までに会ったもっとも下品な人物を思い浮かべてみろ﹂
?
対面するうえで気を付けることとなれば、どんな恐ろしい相手かと
相手は封印指定を受けるほどの魔術師だ。
凛の顔に緊張が走った。
﹁それともう1つ、こっちはもっと重要だ﹂
﹁ええ、わかっているわ﹂
無用だ﹂
﹁まず1つ目。分かっているとは思うが、今日、見聞きしたことは他言
﹁何かしら
﹁リン。2つ忠告しておくことがある﹂
やはり、魔術の見分を広めることには興味があるらしい。
彼女は少し嬉しそうだった。
君なら興味を示すのではないかと思ってね﹂
﹁ホイルの魔術は見物だ。
?
合住宅が立ち並ぶエリアに差し掛かっていた。
目的地は近い。
148
?
検索
マンチェスターと並ぶ英国第2の都市、バーミンガム。
その市街にたち並ぶ無個性な近代的集合住宅の1室の前に我々は
いた。
私は分厚いドアをノックして言った。
後にしやがれ﹂
﹁ホイル、開けてくれ。アンドリューだ﹂
﹁マスカキ中だ
と、品の欠片もない返事が品の欠片もない声で返って来た。
私は毅然として言った。
﹁いいから開けろ﹂
﹁冗談だよ﹂
ドスンドスンといういかにも重たそうな足音が近づき、
目的の人物、アラン・ホイルはドアを開けた。
彼いつものように目ヤニだらけの目を見開き、周囲1フィートに唾
をまきちらしながら言った。 ﹂
﹁よう。元気か、アンディ
ダチ公よ
?
親しい者の中にはアンディと呼ぶのもいるが、
君と友達になった憶えはない﹂
﹁つれねえな、親友。
秘密を共有する仲だろうよ﹂
﹁秘密の共有などしていない。
そうだったけか
﹂
僕が君の秘密を一方的に守っているだけだ﹂
﹁あ
?
わせておどけ、
私と凛を部屋の中に招き入れた。
部屋の中はおよそ半分が情報機器で占められており、残り半分をポ
ルノ雑誌が占めていた。
149
!
﹁僕の名前はアンドリューだ。
!
ホイルはそう言うと、体重250ポンドはあろうその巨体の肩を震
?
部屋の主がどんな人物なのか容易に想像のつく生活空間だ。
﹁ホイル、紹介しよう。
彼女はトオサカリン。
リン、彼はアラン・ホイル。
この地上でもっとも下品な生き物だ﹂
凛はいかにも不快さを我慢しているといった風情の作り笑顔で﹁初
めまして﹂と言ってホイルの手を取った。
﹁よろしく、嬢ちゃん。
⋮⋮いい足してるな﹂
凛の英語力はかなりのレベルになっている。
意味が分かったらしく、彼女の顔が不快感で引き攣るのが分かっ
た。
私はまたしても毅然として言った。
﹁⋮⋮バーミンガム市警に通報するぞ﹂
150
﹁分かった分かった。
冗談だって﹂
私はそう言うホイルが手の中の小型モニターをチラチラ見ている
ことに気づいた。
﹁いいや、分かってない。
﹂
床に仕掛けたCCDカメラでリアルタイムピーピングするのを今
バレたか。
すぐ止めろ﹂
﹁ッチ
味気ないパンティー履いてんな、嬢ちゃん
話している君は醜悪だが、食べながら話している姿はもっと醜悪だ
﹁ああ、待つよ。
﹁ちょっと待て。飯の途中だ﹂
やがて満足したらしく、今度はごく実務的に言った。
ていた。
ない下品な満面の笑顔を浮かべ、彼女の表情を嘗め回すように観察し
凛の表情を見たホイルは﹁下品な﹂以外の形容詞を当てはめようの
小さく声を上げると、凛は羞恥で顔を赤くした。
!
!
からな﹂
﹁ハハハ
違えねえや
﹂
ホイルはそんなありきたりなゲス野郎の次元を超えている。
世の中には、女性を性行の対象としか思っていない男がいるが、
として有名だった。
彼は桁の違う天才として名を馳せたが、それ以上に次元の違う変態
しかし神は長所だけの人間を創ったりしない。
一目おいていた程だった。
ホイルの成果発表は常に革新的であり、古典的な魔術師たちですら
現代魔術論は古典的な魔術師たちからは軽んじられているが、
ら革新的な研究成果を発表し続けた。
既に独学で魔術を学び、全体基礎を免除されたホイルは入学早々か
流れだった。
そのため、ホイルが最も歴史の浅い現代魔術論に進んだのは当然の
師でありながら科学に明るい。
ケンブリッジ大学から情報工学の学位を受けており、ホイルは魔術
歳で
魔術界最高の学び舎である時計塔に入学する前に、飛び級の末18
としては異色だ。
アラン・ホイルは封印指定を受けた魔術師だが、その経歴は魔術師
君も一緒に肺を汚せ﹂
僕1人では御免だ。
奴と同じ部屋の空気を吸うと、肺が汚染される。
﹁駄目だ。
私は彼女を連れてきてしまったことに後悔を感じつつも言った。
と凛がつぶやいた。
﹁⋮⋮私、帰っていいかしら﹂
ボトルのコーラで流し込み始めた。
を貪り、
そう言うとホイルは、特大サイズのケバブサンドとポテトクリスプ
!
彼にとって世の中のすべての女性はズリネタだ。
151
!
日ごろからこう豪語していた。
﹁マーガレット・サッチャーでもズリネタにできるぜ
その度、私はこう言ったものだ。
﹁いいから黙れ﹂
私が彼と知己を得た理由は簡単だ。
﹂
ホイルは病的な変態であると同時に度を越えておしゃべりだった
からだ。
私はホイルと同じ現代魔術論に籍を置いていたが、時計塔での彼は
耳と口のある人間を見れば片端から話しかけ、講義中でも構わず卑
猥なジョークを飛ばしていた。
相手が自分の話を聞いているかどうかは関係ない。
自分の卑猥な言葉で相手の鼓膜が震えればそれで十分だった。
その結果彼は、魔術師としてはあまりにもふさわしくない
﹁ヨークシャーのマスカキ男﹂
の2つ名を頂戴していた。
﹂
私は一度、戯れにこう聞いたことがある。
﹁君の頭は何で構成されているんだ
ホイルはこともなげに言った。
﹁まず1パーセントは魔術だな﹂
残りは
﹂
残り4パーセントは何だ
﹂
封印指定を受けたことに特に驚きはしなかった。
しかし、彼は病的な変態であると同時に天才でもあった。
﹁⋮⋮エロいケツだ﹂
散々考えた末に、彼はいつになく真剣な表情で言った。
らしい。
その4パーセントはホイルにとって悩みに悩む価値のある重要事
それから数秒間、彼は真剣な表情で考え込んだ。
?
152
!
﹁君が1パーセントも魔術のことを考えていたとは意外だ。
?
﹁答えなくてもいいが、一応、聞こう。
﹁95パーセントはパイオツ⋮⋮﹂
?
驚いたのは封印指定をうけた彼から私に連絡が来たことだった。
驚きと共に電話に出た私に彼は、
﹁お前、あの件誰にも言うんじゃね
えぞ﹂という念押しと共に
困ったら時々は協力してやるとありがたい言葉をくれた。
﹃あの件﹄という言葉で、彼がわざわざ連絡をよこしたことに合点が
いった私は言った。
﹂
﹁封印指定はある意味名誉なことだ。大人しく捕まってやる気はない
か
﹁冗談じゃねえ。ネットでポルノも漁れない生活なんて死んだも同然
だぜ﹂ そして、彼は姿をくらまし、魔術の表舞台から消えた。
余談だが、これは周囲1フィートに唾をまきちらしながらホイルに
何度も聞かされた話だ。
ロンドン中の監視カメラを掌握し、封印指定執行者の動きを察知し
ていたホイルは、
余裕を持ってその手から逃れたが、逃げる前に自分のフラットに
メッセージを残していた。
協会の執行者バゼット・フラガ・マクレミッツが彼にフラットにた
どり着いたとき、当然、既にそこはもぬけの殻だったが、
残されたPCのディスプレイには満面の笑顔で大胆に下半身を露
>﹂
出したホイルの写真が表示されており、その、この上なく上品な画像
<俺のナニでもしゃぶってな
にはこうメッセージが合成されていたそうだ。
﹁Suck my dick
!
﹁んで、何を探せば良い
﹂
術師は後にも先にもホイルだけだろう。
自分を捕まえに来た封印指定執行者をズリネタにした封印指定魔
て不快感を露わにする姿を見て興奮し、彼女をズリネタにした。
ホイルは部屋に残したウェブカメラでバゼットが自分のナニを見
!
少なくとも暗示の魔術が使え、
﹁魔術を使える殺し屋だ。
口の周りに食べかすをつけたまま食事を終えたホイルは言った。
?
153
?
恐らく特殊工作員としての経験があり、英国に在住。
その条件でデータベースを片っ端から横断検索してくれ。
あと、ヘイト・クライムではないと思うが、被害者は2人とも有色
人種だった。
被害者選びにも何か意味があるのかもしれない﹂
ホイルはコーラの炭酸が残っていたのか、出荷直前のブタのような
ゲップをすると言った。
﹂
﹁パリス・ヒルトンの流出動画を探すより簡単だぜ
見てろよ、クソッタレ
力されては消えていく。
ら最優の手を選び出す。
コンピュータは無駄な手を含めてすべての手を洗い出し、その中か
す。
人間は経験から無駄な手を捨て、有効な手から最優の手を選び出
両者は考え方が全く違う。
となくあるが、
﹁人間とコンピュータソフトがチェスをして勝負を争ったことは何度
﹁⋮⋮ええ﹂
⋮⋮チェスを思い浮かべてみてくれ﹂
﹁説明しよう。
﹁⋮⋮ええ、ごめんなさい﹂
君が機械に疎いのを忘れていた﹂
﹁⋮⋮済まない。
凛はさっぱり分かっていないようだった。
﹁コンピュータの演算能力と脳の演算能力の直結だ﹂
凛は当然の疑問を口にした。
﹁⋮⋮一体何をしてるの
﹂
ディスプレイに次から次へとウィンドウが飛び出し、コマンドが入
がるキーボードもマウスもついていないUSBケーブルを握った。
そう言うとホイルは魔術回路を開き、彼特製のサーバーマシンに繋
!
経験による効率は人間だが、単純な計算能力はコンピュータの方が
154
!
?
遙かに優秀だ。
││ホイルの魔術回路は特殊でね。
魔力と電気信号を相互変換できるんだ。
奴は自分の脳の演算能力とCPUの演算能力を直結できる﹂
凛は私の説明を咀嚼し││ようやくホイルの能力の大枠を理解し
たらしい。
﹂
ただひたすらポカンとしていた姿から、いつもの利発で活動的な顔
に戻ると
驚きと共に言った。
﹁⋮⋮はぁ
何よ、その出鱈目な魔術
﹁そう出鱈目だ。
だから封印指定を受けた﹂
彼女が驚くのも無理はない。
魔術と科学は相容れない。
魔術が時代と共に廃れているのは、科学で叶えることが出来る分野
が増えたことで、
それまで魔術が担っていた領域を侵食されたからだ。
だが、ホイルは科学と魔術を互いの代替行為ではなく協力者として
扱うことが出来る。
科学を積極的に取り入れているアトラス院ですら、ホイルの域に到
達している者は1人もいない。
﹁この魔術を実現させたことで、奴はその規格外の演算能力を利用し、
リーマン予想が正しいことを証明した﹂
凛はまたしても明らかに分かっていない顔に戻っていた。
﹁結果だけかいつまんで言うと、奴に破れないコンピュータセキュリ
ティは存在しない﹂
ポカンとしている凛と彼女の理解度に合わせて必死に説明する私
を尻目に、
ホイルの作業はヒートアップしていた。
ホイル特製のサーバーにはマウスとキーボードがない。
155
!
!
魔術回路を通して脳とCPUを直結でき、すべてのコンピュータ言
語を解釈できる彼にはただ邪魔なだけだからだ。
UNIXをベースにホイルが組み上げた特製OSには次から次へ
とコマンドが表示され、
﹂
ウィンドウが立ち上がってはまたコマンドが打ち込まれる作業が
続いていた。
その間、ホイルは
﹁ションベンみてえなファイアウォール組みやがって
﹂
この、玉無しのフニャチン野郎
彼女からは何の反応も返ってこなかった。
耳が腐るぞ﹂
﹁リン。聴覚を遮断した方が良い。
と創意工夫に満ちた卑猥な発言をただひたすらに繰り返していた。
その可愛いケツの穴に指突っ込んでヒイヒイ言わせてやる
﹁中々おもしれえじゃねえか
これでも喰らいな
!
凛は私が忠告する前にすでにそれを実行していた。
156
!
!
!
!
発見
﹁見つけたぜ
ファック野郎
﹂
!
﹂
﹁どういうこと
﹂
これで有色人種ばかりを狙った理由が分かった﹂
﹁なるほど。恐らくヘイト・クライムではないだろうと思っていたが、
標的はテロ組織の資金源と目されていたパワーエリートだった。
タン。
モーティマーの任地は、パキスタン、シリア、イラク、アフガニス
私はディスプレイに表示されたモーティマーの経歴を見た。
﹁監視カメラに映っていた帽子を目深にかぶった男と一致するな﹂
﹁身長5フィート11インチ、体重180ポンドだ﹂
﹁体格は
そこで記録が途絶えてる﹂
1か月前に重度の統合失調症と診断されてロンドンの病院に入院。
除隊後にMI6に雇われて非合法な任務に携わってたが、
AS。
ケント州カンタベリー出身。パッとしない魔術家系の3男で、元S
﹁ケネス・モーティマー。1971年4月15日生まれ。
それを読み上げた。
人事ファイルらしきそのデータには経歴が記されており、ホイルが
の30代半ばほどの男の写真が映し出された。
そうホイルが絶叫すると、ディスプレイに金髪碧眼で精悍な顔立ち
!
写真が映し出された。
今度はディスプレイに夥しい数の血を流して倒れている男たちの
お払い箱になっても奴の中で任務は続いているんだ﹂
けている。
このモーティマーという男は、今も愚直に指定された標的を狙い続
だ。
﹁い か に も 金 を 持 っ て い そ う な 有 色 人 種 が 立 て 続 け に 殺 さ れ た 理 由
隣の凛が疑問を投げかけた。
?
157
?
モーティマーが担った任務の証拠写真らしい。
﹂
男たちは全員が有色人種で、全員がいかにも高級な身なりをしてい
た。
﹁⋮⋮酷い。
どうしてこんなことを
﹄と言っちまう奴だっているだろうな﹂
して壊れてしまったんだな。
ホイル、モーティマ│が入院していた病院の記録は
?
お利口だな
﹁暗示を使って抜け出したのね﹂
﹁だろうな
パイオツ小せえが、いい脚した嬢ちゃんよ
﹂
﹁最初の事件が4日前。モーティマーの失踪時期とほぼ一致するな﹂
﹁謎の失踪を遂げてるな。ちょうど1週間前だ﹂
た。
ホイルがそう言うと今度は別の記録がディスプレイに映し出され
﹁ちょっと待ってろ﹂
﹂
愛国心に突き動かされて取った行動の重さに耐えきれなくなり、そ
たんだ。
﹁思うに、このモーティマーという男はあまりに真面目で忠実に過ぎ
つい﹃ご命令は
中には﹃愛国心﹄って言葉を出されたら、興奮でアレがおっ勃って、
﹁ああ、そうだな。
ホイルも同意見らしく言った。
なりに強い﹂
日本人の君にはピンと来ないだろうが、僕ら英国人の愛国心はそれ
﹁愛国心だよ。リン。
私は自らの私見を述べた。
惨さは堪えるらしい。
聖杯戦争というこの上なく物騒な代物を経験した彼女でもこの凄
?
!
私は言った。
﹁リン、止めておけ。触ったさきから腐るぞ。
158
?
凛が顔を真っ赤にし、震えながら拳を振り上げようとしたのを見て
!
!
││ホイル。これだけわかれば十分だ。ありがとう﹂
﹂
私がそう言うとホイルはエサをねだるブタのように下品な笑顔を
張り付けてサムズアップをした。
﹁さて、ところでだが。
録画データを消してもらおうか
﹁何の話か分からねえな
﹂
││おどけた顔で言った。
ホイルは下品な││この男は不思議とどんな表情をしても下品だ
?
んだろ
﹂
?
シャーリーン
シャーリーン﹂
﹂
﹁こっちはデボラで、こっちはキャサリンか
もう2,3枚やっておこうか
﹁キャロラインとエリザベスに触るんじゃねえ
﹂
!
?
?
私は残ったハードディスクを指さして言った。 彼はハードディスク1枚1枚に名前を付けていたらしい。
﹁ああ
ホイルは残骸になったハードディスクに縋り付きながら言った。
ハードディスクは火花を散らしてクラッシュした。
電子レンジに放り込み、加熱ボタンを押した。
クを引き抜いて、
私はそう言うとホイルのサーバーマシンから適当なハードディス
﹁そうか。じゃあ仕方ないな﹂
今頃シンガポールあたりに転送されてるんじゃねえか
﹁仮にだな、仮に俺が録画してたとしたらデータはここには置かねえ。
ホイルはまたしてもおどけた表情で言った。
データはどこだ
﹂
リアルタイムピーピングだけでは飽き足らず、どうせ録画もしてた
﹁とぼけるなよ。君のことだ。
私はまたしても毅然として言った。
?
!
ことに成功した。
159
?
?
!
私はどうにかホイルが録画した凛のピーピング動画を消去させる
×××××
ホイルはこの世の終わりが来たような悲愴な表情で消去を実行し
た。
﹂
辞する私と凛を、ホイルは入り口の前まで見送って言った。
﹁ところで、アンディよ。
﹂
お前、ケイティ・プライスが豊胸してたこと、どう思う
﹁実に残念だ。心底遺憾に思うよ。⋮⋮君は
﹂
﹁嬢ちゃん、ブラは自分に合ったヤツをしろよ
歳喰うとパイオツが垂れてくるぞ
﹁⋮⋮アンドリュー、やっぱりあいつ殴っていいかしら
﹂
集合住宅を背にし、立ち去る我々にホイルは下卑た声で言った。
﹁では、またいつか﹂
トに吐き出された吐しゃ物を見るそれと全く同じだった。
ホイルを見る凛の表情は、金曜日の夜にオックスフォードストリー
そう言われたホイルはなぜか頬を赤らめ、照れくさそうにした。
﹁流石だな﹂
私は9割の心底呆れた感情と1割の心底の敬意を持って言った。
ツだ﹂
﹁シリコンが入ってようがいまいが、デケえパイオツはデケえパイオ
の上なくシリアスな表情で言った。
ホイルは人が一生のうちで数え切れるほどしかしないであろうこ
?
でいいのよね、あれ﹂
感染すると厄介だ﹂
⋮⋮えっと、魔術
ロンドンに戻る車内、凛はそう感想を述べた後も主に﹁納得いかな
い﹂と﹁信じられない﹂という
趣旨の独り言をつぶやき続けていた。
160
?
凛は怒りと羞恥に顔を真っ赤にしながら言った。
!
﹁止めておけ。ホイルは治癒不可能な変態病に罹患している。
?
!
﹁ああ。信じがたいことに奴は魔術師だ﹂
?
﹁すごい魔術ね。
×××××
しかし、やがて何かに気づいたらしく、こちらに向き直って言った。
﹂
﹁ねえ、ところでアンドリュー﹂
﹁何だ、リン
﹁あの人、封印指定を受けてるのよね
﹂
あなたに会うのってすごく危険なことじゃない
どうして協力してくれるの
﹁良いところに気付いたな。リン。
││ホイルの得意分野は科学と魔術の融合だが、彼には余技があっ
てね。
認識阻害と人除けの結界が異常なほど得意なんだ。
その第2の特技を主に悪用して、時計塔の女子学生たちを君たちの
国でいう﹃デバガメ﹄していた。
ある日、僕はホイル秘蔵のお宝写真を偶然見つけてしまってね。
それで弱みを握ったというわけだ。
││ああ、ちなみに写真はすべて破棄させた﹂
凛は心底呆れた表情で大きく溜息をつくと、あまりに妥当と思われ
る感想を述べた。
﹁⋮⋮男って馬鹿なのね﹂
﹁それが分かる君は聡明だな﹂
電車は集合住宅の集まるエリアを抜け、長閑なイングランドの田園
光景に差し掛かっていた。
161
?
?
?
?
最期
ロンドンに戻る車内、凛は研究の空き時間を使って協力することを
自ら提案してくれた。
﹁正直、心強い。
﹂
士郎では暗示への耐性に疑問が残るが、君なら問題ない。
自分の身を守る術も持ち合わせているしね﹂
私が素直にその提案を受けると彼女は言った。
﹁あなた、最初からそのつもりだったんじゃない
﹁やはり君は聡明だな﹂
私はエルバに凛を紹介し、犯人の動機と正体について推理を交えた
説明をした。
﹁犯人の名前はケネス・モーティマー。パッとしない家系出身の魔術
使いだ。
元SASで、名前は伏せるがとある情報機関に雇われて中東各地で
非合法な暗殺活動に従事していた。標的はテロ組織の資金源と目さ
れていたパワーエリートだ。
統合失調症を患って入院していたが、1週間前になぜか失踪してい
る。
入院と共に情報機関をお払い箱になっていたが、精神が摩耗した今
もモーティマーは愚直に標的を狙い続けている。
次もまた、身なりの良い中東系の男を狙うはずだ﹂
私から説明を受けたエルバはすぐに人員を集め、作戦を立案した。
エルバが車両内で監視カメラをモニタリング、
私と凛に加え、私服捜査員が過去2件の事件が発生したエリアで張
り込み。
私か凛がモーティマーを発見した場合は、そのまま確保。
捜査員がモーティマーを発見した場合は、暗示に耐性のある私か凛
を呼ぶ手筈となった。 連 絡 用 に 警 察 の 通 信 機 を 渡 さ れ た 凛 は や は り 使 い 方 が 分 か ら な
かった。
162
?
私は代案として用意していた小ぶりな宝石を彼女に渡して言った。
﹂
﹁これに君の魔力を込めてくれ﹂
﹁込めてどうするの
⋮⋮まさか飲み込むつもり
﹁エルバ、奴の標的と思しき人物を視認した。
スーツを着た男が入っていくのが見えた。
指示された方向を見やると、小道にフラフラといかにも高級そうな
﹁10時の方向。およそ200フィート先の路地裏に入って行った﹂
﹁距離と方角を教えてくれ﹂
﹁マクナイト、捜査員の1人がモーティマーを視認した﹂
エルバの低くいかつい声が響いて来た。
そろそろ引き上げの合図が来るかと思ったその時、私のインカムに
今夜も何もなしか。
ていた。
は煌々と輝きを放ち、セントポール大聖堂は変わらぬ威光を放ち続け
深夜のシティは昼間と違い人影はまばらだが、ロイズの高層ビル群
時刻は午前1時を回る。
かった。
込む夜風と自分の足が石畳を叩くコツコツという乾いた音が心地よ
深夜のシティは流石にいくらか人通りも少なく、テムズ川から吹き
そして作戦を開始した3日目の夜。
なく、静かな夜が続いた。
しかし、1日目、2日目とモーティーマーの姿が視認されることは
作戦は開始された。
凛は申し訳なさそうに渡された宝石に魔力をこめ、私に戻した。
るのは不可能と判断した。やむを得ない﹂
できれば宝石を飲み込むのはご免だが、君に通信機の使い方を教え
僕の知覚を通して、捜査員の声も聞こえるはずだ。
﹁そうだ。簡易的にパスをつないで知覚を共有する。
?
?
リン、君は来なくていい。後は僕1人で大丈夫だ﹂
163
×××××
私は全力で駆け出し、男が入って行った路地裏を目指す。
そこはレンガ造りの建物に囲まれた小道だった。
私の視界に、がっしりした体型で目深に帽子をかぶった男が手に鋭
く光るファイティングナイフを持ち、4000ポンドはしそうなスー
﹂
ツを着た中東系の男にその切っ先を向けている光景が飛び込んでき
た。
﹁ケネス・モーティマー
私はヒップホルスターからH&K USPを引き抜き、モーティ
マーに銃口を向けて言った。
モーティマーは振り下ろしかけていたナイフを止めた。
私は努めて穏やかに言った。
﹁君は十分やった。もう戦わなくていいんだ﹂
モーティマーの手に光るナイフはまだ動きを止めている。
私は続けて言った。
﹁ケネス。君は疲れてるんだ。さあ、病院に戻ろう。
││大丈夫、きっと時が癒してくれる﹂
私がそう言うと、標的に顔を向けていたモーティマーがこちらを振
り向いた。
﹁リン、見ない方が良い﹂
私の銃口からは硝煙が立ち上り、100フィート先には血に濡れた
モーティマーの遺体が横たわっていた。
4000ポンドのスーツの男は恐怖にガタガタと震えている。
﹁⋮⋮救いたかった。だが無理だった。
││あれはもう終わった人間の目だった﹂
捜査員たちと野次馬が近づいてくる音が聞こえる。
だが、私にはそれがどこか遠くで起きている出来事のように感じ
た。
私に確かな感触として残ったのは発砲した銃の反動と、立ち上る硝
164
!
私は背後の凛を振り返ることなく言った。
﹁アンドリュー⋮⋮﹂
×××××
煙の匂い。
そして、また血を流してしまったことへの後悔だけだった。
165
設定│4
設定│英国の風物について2
・切り裂きジャック︵Jack the Ripper︶
1888年にロンドンで連続発生した猟奇殺人事件の犯人の通称。
少なくとも5人の娼婦を惨殺したと言われていますが、いまだに犯
人の正体は不明。
恐らく世界で最も有名な連続殺人鬼でしょう。
2 0 1 4 の 9 月 に、デ イ リ ー・メ ー ル 紙 が﹁D N A か ら 切 り 裂 き
ジャックの正体が判明した﹂と報道をしましたが、その後、誤報であっ
たことが発覚。
現在も犯人が何者だったか分かっていません。
・イヴニング・スタンダード
ロンドンの地方紙でタブロイド紙。
レストランや演劇などのエンターテイメント情報が中心で、ロンド
ン市民の貴重な情報源となっています。
しかし、政治的スタンス皆無と言うわけではなく、ロンドンの地方
紙らしくロンドン市政の問題に積極的に踏み込むため、ロンドン市長
には目の敵にされているとか。
もちろん大事件であれば、真面目なニュースも1面になります。
ちなみに、新聞大国のイギリスはタブロイド紙も多種多彩で、代表
的なのに他に下記のようなものがあります。
ザ・サン⋮⋮老舗低俗紙。よくヌード写真が載ってる。実は日刊紙
としては国内最大の発行部数を誇る。
私が2010年に渡英したとき1部買いましたが1面は﹁チーズ転
がし祭りが中止に﹂でした。
デイリー・メール⋮⋮中産階級の奥様向けタブロイド紙。1896
年創刊。
サタデー・スポート⋮⋮世の中で何が起きようとセレブのオッパイ
やオシリの方が大事という頭の下がるスタンスを維持し続ける低俗
166
﹂
﹁タイタニックの生き残りが氷山で
紙の中でも格段に低俗なタブロイド紙。
﹁行方不明の飛行機が月で発見
﹂などのわが国の東京スポーツを思わせるような創意に満ちた
もっとも個人的にバーミンガムに恨みがあるわけではありません。
ン・サウスワース曰く﹁世界最大規模の便所﹂
その光景は母親がバーミンガム生まれの英国人音楽評論家、イア
ます。
風の風情のある家ではなくコンクリート造りの建物が立ち並んでい
しかし、その都市景観は美しいとは言えず、街路樹や庭のある英国
マンチェスターと並ぶ英国第2の都市。
・バーミンガム
こちらは意外なことに中々美味でした。
うミートパイも有名ですが
ちなみにコーンウォールのパイだと、コーニッシュパスティーとい
ようだという事でこの名が付きました。
パイ生地から魚がニョキニョキと飛び出し、まるで星を眺めている
直訳すると﹁星を眺めるパイ﹂
イングランドのコーンウォールで生まれた伝統料理。
・スターゲイジーパイ
ちなみに不味い。
く、機内食でも出てきます。
ローストビーフなど肉料理の付け合わせとして供されることが多
に流し込んで焼いて作る。
小麦粉と卵に少量の塩を加え、牛乳と水で溶いて生地としそれを型
イングランドのヨークシャーで生まれた英国の家庭料理のひとつ。
・ヨークシャープディング
程度の陽動記事が載っていることがあります。
ごくまれに﹁アルカイダの工作員、英国に極秘侵入﹂という申し訳
ガセネタもよく取り上げられています。
発見
!
ただ、調査の結果これが英国人のバーミンガムに対する一般的なイ
メージだという話です。
167
!
・アラン・ホイル
このエピソードのために作ったオリキャラ。
地上でもっとも下品な生き物。
結果的にextraの霊子ハッカーみたいな設定になりました。
名 前 の 由 来 は ア ラ ン・チ ュ ー リ ン グ︵イ ギ リ ス の 数 学 者。コ ン
ピュータの基礎を作った人物︶
とフレッド・ホイル︵イギリスの天文学者︶
・リーマン予想
1859年にベルンハルト・レーマンによって発表された近代数学
史上における超絶難問です。
ゼータ関数の零点分布に関する予想で、私が理解できた範囲でかい
つまんで言うと、
これが証明されると、今まで出鱈目と思えた素数の分布に規則性が
あることが証明されるというものです。 現代のコンピュータセキュリティーは十分に大きな値の素数を掛
け合わせて複素数を作ると事実上、素因数分解は不可能という現時点
での数学の常識に従っており、リーマン予想が正しいと証明されると
世界中のコンピュータセキュリティが脅かされると考えられていま
す。
なお、数学の証明と言うのは精緻に組み上げられた論理の構成物な
ので、計算能力が上がっただけではおそらく解けません。
決まり文句的に言うなら、この物語はフィクションです。
・クラッキング
悪意を持った侵入行為の通称。
ハッキングは本来、悪い意味で使われる言葉ではないので、ここで
はクラッキングと表記しました。
・MI6
007シリーズでお馴染みの英国の情報機関。
MI6は実は正式名称ではなく、正式にはSIS︵Secret Intelligence Service︶
・SAS
168
イギリスの陸軍特殊部隊、Special Air Servic
eの通称。
・シティ
グレーター・ロンドンの中心に位置する約1マイル四方のエリア。
︵1マイル=およそ1.6km︶
イギリス経済の中心地で、ニューヨークのウォール街と並ぶ世界最
大級の金融センターがあります。
ロイズの高層ビルはじめ、巨大な近代的建築物が立ち並んでいます
が、古い建物も多く、それらが調和する光景はロンドンならでは、と
訪問時は感じました。
ちなみにロンドンっ子はみんな歩くのが速いですが、特にここを歩
いてる人たちは歩くスピードが格段に速いような気がします。
169
ロンドンの休日
休日
﹁リン、奇遇だな﹂
私は久方ぶりの荒事ではないお使いを頼まれ、チェルシーの高級住
宅街を歩いていた。
その道すがら。
﹂
見慣れた人物の後姿を認めて話しかけると、やはりその人物は私の
年若い友人
遠坂凛だった。
﹁士郎を迎えに行くところなの、あなたは
﹁ちょっとしたお使いだ﹂
私はいつものマークス&スペンサーの量産品のスーツにノーネク
タイではなく、
奮発してアクアスキュータムで購入したスリーピーススーツにネ
クタイを締めていた。
その結果、私はいつもの憎たらしいほどのハンサムから、まるでG
Qから飛び出してきたかのような食べたいほどの良い男に変身して
いた。
﹂
凛は正装した私の姿を見て言った。
﹁正装なのね。どこのお使いなの
﹁あるフィンランドの名家だ。
その言葉に凛の表情が歪んだ。
﹂
﹁ひょっとして、そのフィンランドの名家ってエーデルフェルトのこ
と
に在籍し、どうやら犬猿の仲らしい。
士郎はエーデルフェルト家でパートタイムジョブをしており、凛は
170
?
いつもの格好で訪問するのは無礼と思ってね﹂
?
彼女の話によると、凛とエーデルフェルト家のお嬢様は同じ鉱石科
﹁そうだ﹂
?
仕事終わりの士郎を迎えに行くところだった。
エーデルフェルト家はかなり金払いがいいとのことだったが、それ
でも凛は気に入らない様子だった。
﹂
﹁大体、何で私の助手が他の魔術師の家で召使いまがいのことしてる
のよ
﹁この世で最も強いのはお金様だ、ということだろう﹂
エーデルフェルト邸はいかにも高級そうな瀟洒な邸宅が並ぶこの
エリアの中でも、一層豪奢な作りだった。
ヴィクトリア朝風の優雅なデザインに、広い庭園。
庭いじりは英国人の習性だが、これほど広い庭だと多くの人間は扱
いに困ってしまうだろう。
私と凛はこの屋敷でパートタイムジョブをしている士郎に迎えら
れた。
時代がかったモーニングコートを着させられた彼は私と凛を応接
室まで案内すると、私と凛にブラックティーを供してくれた。
その姿はやはり﹃日の名残り﹄のスティーヴンスが抜け出してきた
かのように完璧で、ブラックティーの抽出具合も完璧だった。
供されたブラックティーを飲みながら待っていると、ほどなくして
目的の人物が現れた。
﹁ようこそ。ミスター・マクナイト。⋮⋮それにトオサカリン﹂
﹁ミス・エーデルフェルト﹂
私はそう言うと彼女、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの差し
出した手を取り、握手した。
彼女は時代がかった、というよりは個性的に過ぎるブルーのドレス
を纏い、
金色の長髪を大胆にカールさせていた。
﹂
その姿は私にあるものを想起させ、大人げなく思い出し笑いをして
しまった。
﹁どうされました、ミスター・マクナイト
﹁いや、失礼。
ミス・エーデルフェルトは不思議そうな表情で私に問いかけた。
?
171
!
あなたの極めて個性的な服装だが⋮⋮
実は、昨日、ソーホーのゲイ専門店の近所でよく似た格好をした初
老の男を見たのを思い出してね。禿げ散らかした小汚い初老だった
が、足は綺麗だった﹂
﹂
﹁⋮⋮随分と無礼な方なのですわね。あなた。
それがこの国の紳士の礼儀なのかしら
ミス・エーデルフェルトの不思議そうな表情は当然の帰結として、
怒りを含んだものに変わっていた。
隣の凛はミス・エーデルフェルトが入って来た瞬間から彼女に睨み
を利かせていたが、今の彼女は明らかに吹き出しそうになるのを我慢
していた。
士郎はいつものように困り顔で私を見ていた。
﹁いや、申し訳ない。
中年に片足を突っ込みかけた男の戯言と思い、どうか寛大な心で許
して頂きたい。
ところで、僕にどのような用件が
余る﹂
隣で聞いていた凛が、ついに堪えきれず吹きだす音が聞こえた。
困った顔をしていた士郎は、今度はとても困った顔をしていた。
ミス・エーデルフェルトの依頼は私の知己でダイヤモンド鉱山を
持っている人物を紹介してほしいとのことだった。
私はごく実務的に私の知己と彼女の間を取り持つことを約束し、仕
事を終えた士郎と凛を伴ってエーデルフェルト邸を辞した。
チェルシーの路上を共に歩きながら、士郎がやはりとても困った顔
で言った。
﹂
﹁⋮⋮アンドリュー。あんた、あんなことばっかり言ってて悲しくな
いのか
イスが豊胸手術を受けていたという事実に対してだ﹂
対照的に凛は腹を抱えて苦しそうに笑いながら言った。
172
?
もし、あなたのファッションセンスの矯正が依頼なら、僕には手に
?
﹁全然。前にも言ったが僕が最近悲しいと思ったのはケイティ・プラ
?
﹁⋮⋮アンドリュー、あなたって最高ね﹂
﹁君がそんなに喜ぶとは思わなかった。
どうやら君とミス・エーデルフェルトは犬猿の仲のようだが、彼女、
意外と好人物かもしれないぞ。僕があれほど無礼なことを言ったに
もかかわらず許してくれた。
││彼女は非常に優秀な魔術師のようだし、ひょっとしたら君と彼
やめてよ。冗談じゃないわ﹂
女が背中を預けあうなどという日が来るかもな﹂
﹁え
凛は尚もそんなことはあり得ないという趣旨の発言を繰り返して
いた。
士郎はそんな凛をいつものように宥めていた。
﹂
彼らと出会って以来、何度となく見てきた光景だ。 ﹁ところで、君たち。完全にオフの日はないのか
何、また何かの依頼
﹂
﹁明後日なら、私も士郎も特に予定はないけど⋮⋮
していたが、私の発言に対して、士郎と顔を見合わせて言った。
凛は引き続き、そんなことはあり得ないという趣旨の発言を繰り返
?
﹁その曲は
﹂
ング・グローリーが流れていた。
エミリーから借りたルノーのスピーカーからはオアシスのモーニ
いた。
私は士郎と凛を伴い、渋るエミリーから車を借りてドライブに出て
翌々日。
﹁違うよ。人生には娯楽も必要だ。僕にも君たちにもね﹂
?
同じ不良学生だった、ロビンとリアムと3人でソーホーでしこたま
││あのころは実に楽しかった。特にあの晩は最高だったな。
エイジャーだった頃があった。
﹁ああ、今では自分でも信じられないが、僕にも君たちと同じティーン
﹁あなたにも青春があったのね﹂
﹁オアシス。僕の青春だ﹂
?
173
?
×××××
エールを飲んで、
仲良くオックスフォードストリートで立ち小便をし、コールガール
を呼んで⋮⋮﹂
﹁アンドリュー﹂
バックミラー越しに凛の表情を伺うと、彼女は満面の笑みを湛えて
いた。
﹂
しかし、その笑顔は明らかに愉快な時の人間がするものではなかっ
た。
﹂
﹁その話はまだ続くのかしら
﹁聞きたくないのか
﹂
﹁聞きたくない﹂
﹁本当に
﹁本当に﹂
?
﹁アンドリュー
﹂
﹁この先が面白いのに。⋮⋮ところで、話の続きだが﹂
?
た。
緑からあふれ出る風は心地よく、珍しく気持ちよく晴れた一日だっ
パーラメント・ヒルへと向かった。
の小道をそぞろ歩きすると、
私は士郎と凛を伴って網の目のように張り巡らされた雑木林の中
大都市ロンドンから出ることなく小旅行をした気分になれる。
ほとんどが雑木林のままで、
ハムステッド・ヒースには庭園やテニスコートや動物園があるが、
然に近い公園だ。
ロンドン郊外に位置するこの公園は、ロンドン特別区の中で最も自
をまず、ハムステッド・ヒースに連れて行った。
2人はまだロンドンの郊外に行ったことがないと聞いた私は彼ら
﹁そんなに嫌がるとは夢にも思わなかった﹂
がら言った。
私は自分のユーモアが受け入れられなかったことを遺憾に思いな
?
高台に位置するパーラメント・ヒルからはシティに高層ビル群を臨
174
?
むことが出来るが、
長年この街に根を下ろしている私でもなかなか経験できないほど
気持ちの良い景色が見えた。
﹁ロンドンにこんな場所があったのね﹂
士郎も凛もとてもリラックスして心地よさそうだった。
日光浴と素晴らしい眺望を心行くまで堪能した我々はハムステッ
ド を 背 に し イ ー ス ト エ ン ド の オ ー ル ド ス ピ タ ル フ ィ ー ル ズ マ ー
ケットに向かった。
ロンドンのマーケットといえば、マーケットポートベロー、カムデ
ン・ロック、グリニッジなどがかねてより有名だが、このオールドス
ピタルフィールズマーケットはいい掘り出し物があると、ロンドンっ
子の間で最近評判になりつつある。
屋
台
1 9 世 紀 に 建 て ら れ た ヴ ィ ク ト リ ア 調 の 建 物 で 開 催 さ れ る こ の
マーケットはいたるところにstallsが出て生鮮食品や加工食
品が販売され、それと並んでヴィンテージものの衣服やアンティーク
品が売られている。
日本にはないこのマーケットというものに2人はまだ参加したこ
とが無いらしく、珍しい品々に目を輝かせていた。
ティーンエイジャーらしい無邪気な反応だ。私は2人に改めて好
感を持った。
店を練り歩きながら、凛は主にヴィンテージものの衣服に興味を示
し、品物をあてがってはその姿を士郎に見せていた。
士郎はその度に顔を赤くしていた。この少年は本当に純朴だ。
とはいえ、凛は人目を引く魅力的な容貌の持ち主だ。私が19歳
だったら士郎と同じ反応を示していただろう。
店から店へと回りひやかしていた凛だったが、1つの店の前で足を
止めた。
どうやら本命を見つけたらしい。
彼女が目をとめたものを見ると、1940年代風のデザインの赤い
ジャケットだった。
中々いい品だ。
175
英国は1日の気候の変化が激しく、朝夕は冷える。
実用的にも羽織れるものを一着持っているのは良い判断だろう。
凛は本格的にその品が欲しくなったらしく、店員と値段の交渉を始
めた。
主に日本式のお世辞による値段交渉だった。
凛の英語力はかなりのレベルに達している。日本人には難事と言
われるLとRの発音の違いもマスターしていた。
しかし、旗色はあまり良く無いようだ。
恰幅の良い、よく通る声をした初老の女性店員は30ポンドと主張
して譲らなかった。
私はセンパイとして、彼女に助け舟を出してやることにした。
﹁リン、そのやり方では駄目だ。
日本とこの国では﹃オセジ﹄の風習が違う。僕が見本を見せよう﹂
そう言うと、私は初老の店員にとびっきりのスマイルで話しかけ
た。
﹁やあ、ご婦人。あなたはとても素晴らしい声をしているね﹂
恰幅の良い店員はやはりとても良く通る声で言った。
﹁あら、ありがとう。お若い人﹂
﹁あなたの声、そのふくよかな姿。どちらもまるでルチアーノ・パヴァ
ロッティのようだ﹂
婦人はしばらく私の発言を咀嚼すると、私の背中をバンバン叩きな
がら豪快な笑い声をあげた。
そして、30ポンドと主張していたジャケットを27ポンドに値下
げしてくれた。
凛とその隣でいつも通り困り顔をしていた士郎の表情は、当然の帰
結として明らかに﹁納得いかない﹂という物に変化していた。
﹁これがこの国の流儀だ。納得いかないだろうが馴れることだな﹂
マーケットで買い物を済ませると、予約していたフォートナム・ア
ンド・メイソンのティーサロンに誘った。
良く訓練された愛想の良い店員に席まで案内されると、私はアッサ
ムとアフタヌーンティーのセット一式を注文した。
176
運ばれてきたのは3段重ねのクラシカルなケーキスタンド。
下からフィンガーサンドイッチ、スコーン、ケーキが並んでいる。
﹁イギリス料理⋮⋮よね。これ﹂
﹁ああ、紛れもなくイギリス料理だ。まあそう警戒するな。試してみ
る価値があるから連れて来たんだ﹂
英国料理の洗礼をすでに受けていた士郎と凛は、恐る恐るその料理
を口に運び⋮⋮そして表情を一変させた。
﹁⋮⋮ウソ。美味しい﹂
﹁ああ、変わった味付けだけど旨いぞ。これ﹂
﹁それはコロネーション・チキンだ。士郎。
インドから持ち込まれたカレー料理が英国風にアレンジされたも
のだ﹂
フィンガーサンドイッチを平らげると、2段目のスコーンにかかっ
た。
ナイフで2つに裂き、たっぷりのクロテッドクリームとジャムを塗
る。
やはりスコーンはこうでなくてはならない。
私 か ら 正 式 な ス コ ー ン の 作 法 を 伝 授 さ れ た 2 人 は ス コ ー ン を 頬
張った。
﹁⋮⋮ウソ。これも美味しい﹂
しかし、最上段のケーキに取り掛かると風向きが変わった。
﹁⋮⋮甘いわね﹂
﹁⋮⋮ああ甘いな。甘すぎるぐらいに﹂
﹁⋮⋮すまない。これがイギリス料理の限界だ﹂
私はすべての支払いを自分で持った。
彼らは気持ちに良い若者だ。
当然のように彼らは折版を主張したが、私が支払いを強硬に主張す
ると折れてくれた。
そしてとても気持ちの良い笑顔でお礼を言ってくれた。
外に出る。時刻は15時を回ったところだったが英国の日の入り
は早い。
177
すでに夜の足音が聞こえ始めていた。
この時間帯なら完璧だ。
私は車を走らせるとシティに向かい、セントポール大聖堂に向かっ
た。
聖堂の上まで登ると夕暮れのロンドンがその優雅な姿を眼前に現
していた。
﹁私たち、本当にロンドンにいるのね﹂
﹁そうだな﹂
﹂
﹂と
﹁ああ、紛れもなくここはロンドンだ。便利さは東京に一歩譲るが、こ
の街もなかなか悪くないだろう
さて、時刻はアフターファイブだ。
やることは一つしかない。
私は一緒に飲もうと2人を誘った。
﹂という
私の提案に士郎はいつぞやと同じように﹁俺たち未成年だぞ
から最近人気になっている。
3パイントのエールとステーキアンドキドニーパイを注文した。
悪名高いイギリス料理だが、このパブは料理を売りにした最近流行
のビストロパブでここのパブミールは中々イケる。
臭みのある食材の処理が苦手な英国人だが、ここのステーキアンド
キドニーパイは下処理を丁寧に行っている。
茶色一色で見た目はけっしてよろしくないが、2人とも難色を示す
ことなく平らげていた。
窓の外からは夕暮れのシティが見える。
人々は足早に往来を行き来し、遠くでは高層ビル群に囲まれたセン
トポール大聖堂が歴史を感じさせる存在感を放っていた。
パブの中ではスーツ姿のオフィスワーカーたちが楽しそうに談笑
178
難色を示したが﹁まあいいんじゃないの
凛の一声に結局折れた。
よろしい。人間素直が一番だ。
我々は大聖堂を下りると、パブに向かった。
?
そこは古い銀行を改装したパブで歴史を感じさせる優雅な佇まい
?
?
をし、食器やグラスの触れ合う音が心地よく響いていた。
癖の強い英国のエールだが凛は気に入ったらしく、士郎の﹁ほどほ
どにしておけよ﹂という忠告を無視して3パイント目に
手を付けていた。
アルコールに顔を赤くした凛はいつも以上に饒舌なって私に話し
かけ、士郎にはしきりに肩を触れ合わせていた。
その度に士郎は顔を赤くしていた。きっとアルコールのせいだけ
ではあるまい。
私は運転することを考慮して1パイントのエールをちびちびと貧
相にやっていたが、こんな酒の飲み方もたまには悪くない。
そう、素直に思えた。
﹂
﹁アンドリュー、あんた、なんだかんだ言いながら良くしてくれてるよ
な。
どうしてなんだ
﹁何よその﹃それなりに﹄って
﹂
後部座席で凛がクスクスと笑いながら言った。
││まず1つに、僕はそれなりに君たちのことを気に入っている﹂
﹁⋮⋮今、思いついただけで3つ理由がある。
そこで私は一度言葉を切った。
れるのはどうにも妙だが⋮⋮﹂
﹁会ったばかりの僕に宿を提供した君たちに、無償の愛の理由を問わ
の士郎が言った。
すっかり出来上がってしまった凛に寄りかかられながら後部座席
?
信はないが、僕なりに好意を示したかった﹂
君たちは僕にとって貴重な存在だ。良いやり方だったかどうか確
も難しい。
それに、魔術師同士で打算なく付き合える相手を見つけるのはとて
人に率直さを求むなら、ドーバー海峡を渡ることだな。
恥ずかしくて死んでしまうからね。
﹁照れ隠しだ。この国には気持ちを素直に表現する文化がない。
?
179
×××××
まだ酒が残っているのだろうか。凛が顔を赤らめながらカラカラ
﹂
と笑いつつ言った。
﹁2つ目はなに
だろう。
﹂
しばらくすると会話が途切れた。馴れない酒に酔ってしまったの
もう少し人を疑うことを憶えろ。特に君だ。シロウ﹂
君たちのような素直な子を生み出すわけがないだろ。
そもそも、僕のような皮肉屋を代々生み出してきたマクナイト家が
そろ慣れろ。
﹁そんな顔するな。ブラックジョークは紳士の嗜みだ。君たちもそろ
いた。
2人の表情は、憐憫を含んだものから呆れを含んだものに変わって
﹁ちなみに3つ目は嘘だ﹂
少々の罪悪感を覚えながら私は言った。
やはり彼らは気持ちいい若者だ。
うに誠実な眼で私を見ていた。
笑い上戸になっていた凛は深刻な顔で黙り込み、士郎はいつものよ
バックミラーを見る。
情けない話だが、亡くした弟と妹の姿を君たちに投影させている﹂
どちらもうこの世にはいない。
君たちのような素直でとても良い子たちだった。
﹁僕には歳の離れた弟と妹がいた。
﹁3つ目は
今度は士郎が言った。
僕は極力後者になりたいと努めている﹂
なんだから勘弁してやろうよ﹄と言える中年だ。
1つは﹃最近の若い者は﹄と言ってしまう中年、もう1つは﹃年下
ると思う。
﹁││僕は中年に片足を突っ込みかけた大人だが、中年には2種類い
?
士郎と凛は後部座席で肩を寄せ合いながら静かに寝息を立ててい
た。
180
?
﹁君たちの夢にブギーマンが出てこないことを祈ってるよ﹂
私はそう一人ごちると、通り過ぎていく反対車線の車両が発する
ヘッドライトの閃光に照らされながら、ハンドルを握りなおした。
181
設定│5
設定│英国の風物について3
・チェルシー
メイフェアと並ぶロンドンの高級エリア。
高級品店、高級レストランが軒を並べる。
ゲーム内でルヴィアがどこに住んでいるか明確な描写がなかった
ので勝手に決めました。
・ソーホー
ロンドンのナイトスポット。そして最大級のおピンク街。
ポルノ映画に大人のオモチャ、さらにはぼったくりバーまで何でも
あり。
・オックスフォードストリート
ウエストミンスター地区にある大通り。
300以上の店が軒を並べ、年間2億人以上が訪れる世界最大級の
ショッピングストリート。
・モーニンググローリー
英国の人気バンド︵すでに解散︶オアシスの代表作にして、90年
代ブリットポップ時代の英国音楽シーン代表する名盤。
アルバムジャケットの写真はロンドンで撮影されている。
・ハムステッド・ヒース
ロンドン郊外のハムステッドにある巨大な公園。ほとんどが雑木
林で自然に近い状態が保たれている。
・マーケット
スーパーやデパートでは買えない、珍しい料理、個性的なデザイン
の装飾品、生鮮食品、アンティークなどが手に入る。
定期的に開催されているマーケットは数多く、ポートベロ、カムデ
ンロック、グリニッジ、コヴェントガーデンなどは特に有名。
今回、オールドスピタルズフィールドマーケットにした理由は、手
元にあった英会話教材に載ってたから。
182
すいません。ただそれだけです。
・ルチアーノ・パヴァロッティ
旧三大テノールの一人に数えられたイタリアの名歌手。2007
年没。
音楽で使われる最高音域であるハイCを難なく出したことから、キ
ング・オブ・ハイCと呼ばれていた。
とてもふくよかな体型だった。
ちなみにこういうブラックジョークで英国人が本当に笑うかどう
かは謎です。さすがに試す勇気無いので。
・フォートナム・アンド・メイソン
Fortnum & Mason。
ロンドンの老舗百貨店。本店はピカデリーで最上階はティーサロ
ンになっています。
実際に一度ここでアフタヌーンティーを頂きました。
︶
183
紅茶と3段重ねのケーキスタンドのセットでお値段しめて40ポ
ンド︵高え
です。
ようになりましたがこれ、元になったのは恐らくはイギリス英語の
sweets
てっぺんからの眺望は最高ですが、音響効果もよく。度々コンサー
画に関わったクリストファー・レンによって再建されたもの。
現在の物はロンドン大火︵1666年︶の後に、ロンドンの都市計
近代的建築物が並ぶシティで異彩を放つ歴史的建造物。
・セント・ポール大聖堂
sweetsは本来﹁キャンディ﹂の意味です。
"
"
今日、誰が流行らせたのか甘いもの全般のことをスウィーツと呼ぶ
ちなみにですが。
でも、最上段のケーキはとにかくただひたすらに甘ったるかった。
2度喰いました。
ケーキスタンドの中身はお代わり自由だったので、サンドイッチを
当に美味でした。
悪名高いイギリス料理ですが、ここのサンドイッチとスコーンは本
!
トが催されています。
ロ ン ド ン に は ロ ン ド ン 交 響 楽 団 は じ め 優 秀 な オ ー ケ ス ト ラ が そ
ろっているので機会があればぜひお試しを。
ちなみに個人的に一番好きなのはエサ=ペッカ・サロネンが首席指
揮者を努めるフィルハーモニア管弦楽団。
このコンビは現代における世界最高のオーケストラ演奏だと私は
思います。
・ステーキアンドキドニーパイ
ステーキ肉とキドニー︵腎臓︶をエールで煮込み、パイ生地に包ん
で焼いた伝統料理。パブの定番。
世間では認知度が低いようですが、ステーキとローストビーフはイ
ギリス発祥の料理。
イギリス家庭料理はパイ料理が多いです。
コーニッシュパスティー︵ミートパイ︶とコテージパイ︵ポテトと
牛肉のパイ︶を試しましたがどっちも意外と美味でした。
大学院時代の指導教授は﹁イギリスの家庭料理は美味しい﹂と言っ
ていましたが、実際家庭料理のカテゴリーに入るものは
︵見た目はともかく︶案外悪くなかった覚えがあります。
・ブギーマン
恐らくスコットランドが発祥と言われる民間伝承の怪物。
悪いことをした子供を誘拐すると言われている。
184
過去からの使者
変形
セント・メリルボーン教会。
ロンドンにおける名所のひとつであり、所在地であるメイルボーン
には
こじんまりとしてはいるが個性的なショップが立ち並んでいる。
その正面入り口の前にグレーヴィーソースのような血だまりがあ
り、
1人の若い男がつっぷして倒れていた。
神の家の前に堂々とこんなものを遺棄するとは。神の裁きのつも
りだろうか。
﹁ハイ、アンドリュー﹂
5フィート4インチ程の小柄な体格で金髪に碧眼の若い女性が私
﹂
185
に話しかけた。
﹁やあ、ソフィー。エミリーはどうした
﹁別件で手一杯で。今日は私が﹂
のガイシャ、魔術回路がある﹂
﹁ところがこの先が問題。ガイシャからは微弱だけど魔力を探知。こ
﹁神秘を微塵も感じさせない事件だな﹂
れたことによる失血死﹂
﹁そう。賢いあなたの言う通り。直接の死因は銃撃で動脈を傷つけら
﹁どう見てもGSR<銃創>だな﹂
そう淡々と説明するするソフィーの横で私は遺体を検めた。
死亡推定時刻は午前2時ごろ﹂
﹁ガイシャはギャレス・ダルトン。21歳。通行人が発生して通報。
伝うことがある。
普段はとある人物と首都警察の連絡役を担っているが、時折私を手
得た魔術使いの刑事だ。
彼女はソフィー・エヴァンズ。ある特殊な要因によって魔術回路を
?
﹁それで僕の出番という事か﹂
﹂
﹁それ以上に、この遺体の状態が妙で﹂
﹁妙とは
﹁銃弾は1発。ガイシャの胸部を貫通し、近くの地面に着弾。
空薬莢も弾丸もホシが持ち去ったみたいだけど、恐らく凶器は大口
﹂
径のライフル弾﹂
﹁それで
﹂
﹁撃たれたのは一発だけど、このガイシャは全身から出血してる﹂
﹁君の所見は
﹂
﹁何だこれは
﹂
私は遺体の前にかがみこむと解析を始めた。
尋常ならざる事態が起きているのだろう。
ある程度の解析も自分でこなせる。その彼女が妙というからには
ると魔術師としてはかなり優秀だ。
ソフィーは私のいつもの相棒であるエミリー・オースティンに比べ
﹁見ればわかる﹂
﹁妙とは
﹁自分でも解析してみたんだけど、何か妙で﹂
?
﹂
?
彼女は少し考え込むと言った。
?
﹁私も同感。こんなのありえないわ﹂
こんな形はありえない。君はどう思う﹂
したかのような歪な形だ
﹁魔術回路があり得ない形になっている。まるで子供が粘土遊びでも
﹁アンドリュー。あなたはどう思う
﹂
しかし、解析した彼女もまた困惑し私と同じ感想を述べた。
彼女は運よく手隙で、すぐに駆けつけてくれた。
遠坂凛を呼び出していた。
私は自分の解析結果が信じられず、友人であり優秀な魔術師である
?
186
?
?
?
﹁何なのこれ
×××××
凛は極めて優秀な魔術師だ。彼女よりも魔術に長けた存在はこの
ロンドンにもそうはいない。
そしてこの異常な状況。この状況の異常さは私に、とても気の進ま
ない人物に連絡を取らせることを促した。
﹁奴に聞いてみるしかないか﹂
﹂
隣のソフィーは意味が分かったらしく言った。
﹁アンドリュー。彼に会いに行くつもり
﹁止むをえまい﹂
﹂
ともに言った。
﹁サマセット・クロウリー
実在するの
﹂
彼女は私が出した名前を一度反芻すると大きく目を見開き驚きと
﹁サマセット・クロウリーだ﹂
﹁誰なの
凛は当然我々の会話に見当がつかないらしく疑問を呈した。
?
!?
﹁君は同行してくれないのか
﹂
﹁わかった。じゃあ、私から連絡しておく﹂
ソフィーが言った。
いる﹂
﹁ああ、紛れもない実在の人物だ。戸籍もあるし、恐らく税金も払って
?
﹁ごめん。ここを離れるわけにはいかないから﹂
?
その中でも一層豪奢な造りの邸宅。そこに目的の人物はいる。
呼び鈴を鳴らすと、この家の執事が迎えに来た。
まるでヴィクトリア女王の時代に時間が止まってしまったような
古風な物腰と出で立ちの初老の男性だった。
客間に通されるとほどなくして目的の人物が現れた。
短くまとめられた豊かな黒髪に翡翠色の瞳。
6フィートのほっそりとした体躯に長い手足と小さな頭が奇蹟的
なバランスで収まっている。
既に30歳は過ぎているはずだが黒々とした髪は艶やかで白い肌
187
?
私と凛はメイフェアの高級住宅街に居た。
×××××
は皺ひとつなく、翡翠色の瞳は宝玉のような輝きを放っている。
私がこの人物、サマセット・クロウリーに初めて会った時、彼はま
だ10代だった。
その時の印象は﹁この世にこれほど美しい生き物が存在するのか﹂
だったがその印象は現在も変わらない。
仮にドリアン・グレイが実体を持ったらこのような肉体を得るので
はないだろうかと思えるほどだ。
凛は顕現したその美しい姿に見とれていた。
初対面なら老若男女だれでもその反応を示すのは当然だ。
クロウリーは我々の姿を認めると、芝居がかった調子で言った。
﹂
﹁やあ。アンドリュー・マクナイト。我が友人にしてお気に入りの道
化。
そして君はミス・トオサカ・リンだね
﹁ええ、そうです。クロウリーさん﹂
﹁初めまして。僕はサマセット・クロウリー。君たち若い魔術師の間
では都市伝説と思われているそうだが。
﹂
実際はつまらぬ世の中に飽いたハーレクインだ﹂
﹁今のはユーモアなのか
だろうがね﹂
そう言うとクロウリーはキューガーデンでも散策するかのような
優雅な足取りで歩きよって来た。
そして、凛の正面2フィートほどまでの距離に近づくと彼女の姿を
再び検めて言った。
クロウリーさん﹂
﹁ふむ。微かにだがトキオミ氏の面影があるな﹂
﹁父をご存じなんですか
﹁ああ、実に退屈な男だった。
あまりの退屈さに彼を作りたもうた全能の造物主を呪いたくなっ
たほどだ。
第4次聖杯戦争で鬼籍に入ったと聞いているが、
この世から余計なスペースが空いたことに喜ばしさを感じたぐら
188
?
﹁紛れもなくユーモアだ。君の豆粒のような脳みそでは理解できない
?
?
いだ﹂
凛はあまりの発現にしばし呆然とした後、悔しさに歯噛みを始め
た。
当然だ。初対面の相手に実の父のことをそんな風に言われて悔し
くないはずがない。
私は抗議の声を挙げようとしたが、それを制して彼女が言った。
﹁それは、生前の父が大変失礼しました。
父の粗相は現当主である私の責任。
どうかお許しください﹂
﹁⋮⋮ほう﹂
クロウリーはそう感嘆の声をあげた。
﹁君は魅力的なレディだな。あのような退屈な人物がこれほど魅力的
な忘れ形見を残しているとは。
面白い﹂
そう言うクロウリーの顔にはいつものような人を見下したニヤケ
面が張り付いていた。
サマセット・クロウリーという人物を一言で評するとそれは﹁怪物﹂
だ。
その言葉が唯一彼にふさわしく、それ以外の言葉はふさわしくな
い。
侯爵の爵位を持つ名門ドラモント家の末裔の母と、アレイスター・
クロウリーの血縁者の父を持つ由緒正しい血統の持ち主。
彼の家系は優秀な魔術師を幾人も生み出していたが、その中でもサ
マセット・クロウリーは5大元素に架空の2元素を加えた7元素を操
る桁の違う天才として早くから名を馳せた。
不良学生だった私が彼と知己を得たのは意外なことに向こうから
の働きかけだった。
ある日、私がいつものように時計塔の中庭で惰眠をむさぼっている
とクロウリーが近づいて来た。
﹁君は僕に媚びを売らないんだな﹂
クロウリーは名門中の名門の出身だ。そういう人物に媚びをうっ
189
ておくのは全うな魔術師なら悪い判断ではない。
それなら喜んで靴の裏でも舐める
だが、私はヤクザな魔術使いだ。
﹁売ったらいい仕事を貰えるのか
さ﹂
私がそう素っ気なく言うと彼は言った。
﹁面白い﹂
﹁君こそ僕のようなヤクザな魔術使いと交流してどうする
僕は魔法の成就や根源の渦には無縁な存在だぞ﹂
こんな退屈な世の中
﹁そんなのは問題ではない。僕も全く興味がない。
そもそも根源とはこの世の真理なんだろう
だ。その真理だって退屈に決まっている。
しに欠伸をし続けていた。
お決まりに高慢な語り口の講義が進む中、クロウリーはこれ見よが
おり、その日、気まぐれな彼は降霊の講義に姿を見せていた。
クロウリーはすべての学科に出入りすることを特別に許可されて
トはいつもの通り高慢な語り口で講義を行っていた。
当時、時計塔随一の講師だったケイネス・エルメロイ・アーチボル
私がサブとして籍を置いていた降霊科でのことだ。
のエピソードはすべてが強烈だ。
だが、その短い間に見聞きしたサマセット・クロウリーという人物
私の在学期間とクロウリーの在学期間が重なっていた時期は短い。
物像が出来上がっていた。
当然の帰結として、自分以外のすべてを侮蔑の対象とする歪んだ人
彼は桁の違う能力と桁の違う破綻した人格を持ち合わせている。
に時計塔の講師陣を凌駕する能力を身に着けていた。
先んじて時計塔に在籍していたクロウリーは10代の若さですで
私が時計塔に籍を置くようになったころ。
それは決して友好的は言い切れないものだが、現在も続いている。
こうして私とクロウリーは交流を持つようになった。
血眼になって到達しようとする者の気がしれないね﹂
?
プライドの高いアーチボルトがそのような態度を看過できるはず
190
?
?
がない。
クロウリー君﹂
当然の結果としてアーチボルトは言った。
﹁私の話はそんなに退屈かね
﹁ええ、とても退屈です。アーチボルト先生。
あなたの退屈な人間性がよく反映されている。自分の足の裏の匂
いでも嗅いでいた方がまだマシだ。
先生、退屈でない話とはこうやるものですよ﹂
そう言うとクロウリーは壇上に上がり、それまでアーチボルトが講
義していた血統と魔術の関係性についてアーチボルトの説明以上に
詳細でありながら簡潔な講義を披露して見せた。彼が話し終える
と感嘆の拍手が起きるほどの完璧な講義だった。
その間、クロウリーは見下したようなニヤケ面でアーチボルトを冷
たく見つめ、アーチボルトは怒りに震えていた。
その時のアーチボルトの反応が気に入ったらしく、彼は再びクロウ
リーの諧謔心を満たす犠牲になった。
ほどなくして。クロウリーは人工の魔術回路を作り出し、まったく
回路を持たない人間に無理なく移植するという
異常な術式を完成させていた。
クロウリーは造り出した極めて良質な人工の魔術回路を自分の召
使いに移植すると
自ら魔術の手ほどきをし、アーチボルトの工房に侵入させて彼の魔
術礼装を盗み出させるというパフォーマンスをやってのけた。
アーチボルト先生﹂
翌日、怒りに震えるアーチボルトに自ら礼装を返却しに行ったクロ
ウリーはこう言ったそうだ。
﹁良いセキュリティー会社を紹介しましょうか
権力争いに明け暮れる名家の魔術師にとっては不快以外の何物で
うということだ。
つまり、クロウリーの気分一つで突然優秀な魔術師が生まれてしま
1度に造る数こそ多くなかったが、1本の質が極めて高かった。
魔術としての価値が貴重というだけではない。 彼の魔術回路は
そんな異常な魔術の存在を勿論、魔術協会が無視する筈がない。
?
191
?
もなかった。
そして、魔術協会が懸念した通りクロウリーは気の赴くままに術式
を使った。
ソフィー・エヴァンズ刑事はその哀れな犠牲者の一人だ。
彼女は職務中に重傷を負い、近くを通りがかったクロウリーに助け
られ、何の許可もなく魔術回路を埋め込まれた。
聡明な彼女の事を気に入ったクロウリーはソフィーを強引に自分
の相棒に指名し、気の向いた時だけ捜査に協力している。
こういった出来事の当然の帰結としてサマセット・クロウリーは封
印指定を受けた。
執行を依頼されたのが当時最強の執行者と言われていた風宮和人
だった。
風宮は化け物じみた魔力と人間離れした身体能力をもち、神の血を
引く系譜の出身でわずかながら神性も持ち合わせる規格外の存在
192
だった。
ク ロ ウ リ ー は 逃 げ も 隠 れ も せ ず。邸 宅 で 堂 々 と 待 ち 構 え て い た。
しかし風宮はクロウリーに指一本触れることが出来なかった。 風宮は現在、執行者を辞し、先祖代々の土地を守ることに専念して
いる。
﹂
万屋として時折仕事を受け、知己である私は以前にその時のことを
彼から聞いた。
﹁矛盾と言う言葉の意味を知っているか
クロウリーは時計塔を放逐され、やがてその存在は都市伝説と同義
てふるまうことを決めた。
そもそもサマセット・クロウリーという人物は存在しないものとし
はや自分たちの手に負えない存在であると判断し、
こうして切り札による執行に失敗した魔術協会はクロウリーはも
﹁それだけだ。私と彼が争うことに何の意味もない﹂
﹁それで﹂
﹁私が最強の矛。ミスター・クロウリーは最強の盾だ﹂
﹁ああ。韓非が儒家批判のため持ち出したたとえ話だな﹂
?
になった。
だが今も確固たる存在感を持って彼は存在している。
﹂
﹁大海の水を傾けてもこの血をきれいに洗い流せはしまい。
緑の大海原もたちまち朱に染まろう﹂
クロウリーが気取った口調で突如言った。
﹁今の﹃マクベス﹄の引用には何の意味がある
﹁すでに使い魔を通して現場を見た。エリザベス朝演劇のような血ま
みれの舞台だったな。
それと、ソフィーはまた香水を買えたようだ。ロール・デュ・タン
からクレール・ド・ラ・リューンにね﹂
凛が不思議な表情で疑問を呈する。
﹁現場に使い魔の気配などありませんでしたが﹂
﹁当然だ。使い魔の多くは動物の亡骸を用いたものだが、僕の使い魔
は精神エネルギーの一種でね。
魔力を発していないので探知が出来ない。また、クロウリーの家系
の人間以外には知覚できないので
視認することも不可能だ。彼がどこからやって来たのかは誰も知
らないが、僕ら一族は彼のことをエイワスと呼んでいる﹂
今度は私が尋ねた。
﹁ガイシャは生前魔術師だったようだが、魔術回路があり得ない形を
していた。
君の意見を聞きたい﹂
クロウリーは悠然として言った。
﹁まず、1つ。
ここに来たという事は、僕があみだした例の術式が使われた可能性
を疑っているものと思うが
仮に僕の術式を盗み、誰かが流用したとしてもあんな歪な回路は生
まれない﹂
﹁もう1つは﹂
﹁下手人は分からないが、関わった人間の名前ならわかる﹂
﹁誰なんだ。それは﹂
193
?
彼の口から出たのは思いもよらない名前だった。
﹁エミヤキリツグだ﹂
194
起源
﹂
﹁さて、アンドリュー。僕が今や都市伝説と化している理由は何だっ
たかな
﹂
クロウリーはいかにも高級そうなアンティークチェアに腰かけな
がら言った。
﹁協会が封印指定に失敗したからだろう
﹁それで
話の続きは
﹂
エイミヤキリツグがすでに没してしまったのと同じようにね﹂
完璧だった。彼も鬼籍に入ってしまったが実に残念だ。
﹁うむ。素晴らしい。最晩年のギュンター・ヴァントはいつ聞いても
ン・フィルの合奏に耳を欹てつつ言った。
クロウリーはブラックティーを啜りながら精緻に絡み合うベルリ
からは長大なブルックナーの9番のシンフォニーが流れていた。
ブラックティーは実に完璧な抽出具合だった。巨大なスピーカー
私と凛にダージリンのファーストフラッシュが供されていた。
クロウリー邸の応接室には3セットのティーセットが運び込まれ、
﹁そうだ。表向きはね。だが、その話には続きがある﹂
?
持っているのは驚き以外何物でもあるまい。
父 親 と し て の 側 面 だ け だ。魔 術 殺 し な ど と い う 物 騒 な 二 つ 名 を
理の息子である士郎を通じて聞いた、頼りないが優しい
凛が驚きの表情で私を見た。彼女が知っている衛宮切嗣はその義
魔術師殺しの異名をとったエミヤキリツグだった﹂
頼みの封印指定執行者も退けられた魔術協会が最後に頼ったのが
指定する方針から抹殺に方向転換していた。
僕の予想は大当たりだった。封印指定に失敗した協会は僕を封印
探った。
そう睨んだ僕はエイワスを時計塔に放ち、その後の協会の動向を
会がそれで手打ちにするわけがない。
﹁おっと。失礼。魔術協会は僕の封印指定に失敗したが、執念深い協
?
195
?
?
衛宮切嗣の名前をだすとクロウリーの表情は綻び、やがて高笑いを
始めた。
﹁彼 と の 思 い 出 は ⋮⋮ 実 に 楽 し い。思 い 出 す と 気 分 が 高 揚 し て し ま
う。
最高にハイってやつだ。
││その年は聖杯戦争の前年でエミヤキリツグは聖杯戦争に向け
て着々と準備を進めていた。
忙しかろうと思ってね。自分から赴いてやったよ。彼が逗留して
いたアインツベルン城にね﹂
こうしてクロウリーの長い思い出話が始まった。
﹁アインツベルン城の入口、アインツベルンの森に立った僕はまず、森
に張り巡らされた結界の解析を始めた。
実に寒い1日だったが、その寒さも僕のこの高度な能力を鈍らせる
ことはなかった。
を突破できるはずがない。
>﹄
悠々と入り口を通過した僕は、城内にエイワスを放ち、キリツグの
居場所を探した。
すぐに見つかったので、そのまま一直線に彼の元に向かった││
││彼の元に向かう間も様々なトラップが襲いかかって来た。
C4にクレイモア地雷。確実に奴は僕を殺しにかかっていた。
感心したよ。犯罪者でもない僕をこれほど強い意志を持って殺し
にかかれるんだ。
もともと、わざわざアインツベルン城まで赴いてやったのはエミヤ
196
解析を終えた僕はアイツベルンの森の結界を突破、アイツベルン城
の扉の前に立った。
扉の前に立つと僕は、ハムレットを演じるケネス・ブラナーのよう
に朗々と響き渡る声でまずこう言った。
<小豚さんたち入れておくれ
﹃Pigs, pigs, little pigs. Let me
come in
?
その瞬間グレネードが炸裂したが、そんなものが僕の物理保護障壁
返答がなかったので、勝手に扉を開けた。
?
キリツグという人間に興味があったからでも
あったが、ますます彼に興味を持った﹂
クロウリーは尚も続けた。
﹄
﹁いくつかのトラップを突破し、僕はエイワスが探知したキリツグの
近くまでたどり着いた。
﹃エミヤキリツグ。お客人だ。もてなしはこれだけか
﹄の1言もなく、
アンドリュー、君ならばその意味が分かるよな
﹂
││奴はサブマシンガンを左手に持っていたんだ。
﹁僕の灰色の頭脳はすぐにその違和感の正体に気づいたよ││
クロウリーは私の感想には何の反応も示さず続けた。
物理保護障壁を9mm弾の掃射ぐらいで貫けるはずもない﹂
﹁確かにそうだな。クレイモア地雷やC4でも突破できなかった君の
私は同意して言った。
﹃おかしい。簡単すぎる﹄とね﹂
よぎった。
悠々と奴の急襲をかわした僕だが、その1瞬後に僕の頭に違和感が
出来なかった。
奴の掃射した9mm弾丸は僕の障壁に僅かな綻びすら作ることが
ない。
サブマシンガンを掃射してきた。だが、勿論そんなものは僕に通じ
たを殺してもよろしいですか
僕がそう言い終わるや否や、彼は物陰から飛び出してくると﹃あな
?
近代兵器に精通したキリツグがクレイモア地雷やC4で突破でき
当たりもしないサブマシンガンの掃射はなぜだ
いることに気づいた。
﹁そうだ。そして僕は、奴が右手に巨大な競技用の中折れ銃を持って
空薬莢が顔の前を通過して邪魔で仕方ない﹂
﹁フルバーストで火を噴くサブマシンガンを左手に持っていたら、
?
?
なかった僕の障壁を貫けると思っているはずがない。
では、なぜ奴はサブマシンガンを掃射した
僕に障壁を張らせるためだ。
?
197
?
障壁を突破するためじゃない。
右手にもったコンテンダーが切り札。サブマシンガンは止めに移
る前の布石だ。
そう判断した僕は、奴が弾切れしたサブマシンガンを捨てて、右手
の中折れ銃を引き上げた瞬間、障壁を解除してすべての魔力を身体強
化に回した。
銃口の角度からある程度の弾道は推測できる。
奴が引き金に指をかけた瞬間に弾道を計算した僕は、見事に奴の切
り札をかわした。
切り札を見切られたこと、魔術師の僕に接近戦を挑まれたこと。
2重の想定外の事態に虚を突かれて唖然とする奴に全力のレバー
ブローをお見舞いしてやった。
カウントの必要もない完璧なノックアウト勝ちだった﹂
クロウリーは一度息をつき、ブラックティーを一口飲むとさらに続
﹄
⋮⋮そんなつまらん嘘が僕に通じる
?
?
も感じさせない戦い方をする君が典型的な魔術師の
勘弁してくれ
﹄
アインツベルンの雇われになってまで聖杯を欲する理由は何だ
ケリィ
﹄
!
198
けた。
﹁僕は奴の意識を刈り取ると、ファイトの相手からチャット相手へと
切り替えるために治癒魔術を施した。
﹄
﹄
僕の高度な治癒魔術はもちろん効果覿面だった。すぐに目を覚ま
した奴に僕は言った。
﹄
﹃おはよう。キリツグ。ケリィと呼んでもいいかな
奴はいぶかしげな表情で言った。
﹃お前は、僕のことをどこまで知ってる
僕は言った。
﹃その気になれば何もかも﹄
﹃僕にご丁寧に治癒魔術までかけて目を覚まさせた理由は何だ
?
﹃君に興味がある。キリツグ。このような魔術師の誇りを欠片たりと
?
?
﹃僕は魔術師だ。魔法の成就を願うのは当然だろう
﹃おお
!
と本気で思っているのか
?
!
奴は観念したらしく言った。
﹃その呼び方だけはやめろ﹄
││そのあとは⋮⋮ああ、本当に最高だった
初恋の人を眼前で失い、自分の父を止むえず殺し、母親代わりだっ
た人物もやむを得ず殺した凄惨な少年時代。
﹃魔術師殺し﹄として悪名を馳せたそのルーツ。そして、やがて世界の
恒久平和を望むようになり、聖杯に求めていること。
シェイクスピアが全力で通俗小説を書いたかのような実にドラマ
チックで美しい物語だった﹂
凛の表情は明らかに険しいものになっていた。切嗣の義理の息子
の士郎は、凛の大事なパートナーだ。
そ し て 彼 も ま た す べ て の 人 の 幸 せ を 願 う 歪 な 思 想 を 持 っ て い る。
そのルーツは父にあったわけだ。
﹁結局僕は、キリツグと握手してその場を離れ。最後の切り札も通じ
﹂
なかった魔術協会は僕と相互不干渉の契約を交わすことになった﹂
﹁エミヤキリツグの願いについて君はどう思ったんだ
た﹂
﹁それで、エミヤキリツグとこの事件はどう関係している
﹁これだ﹂
クロウリーは懐から1発のライフル弾を取り出した。
﹂
それに、まがい物の聖杯でそんな願いが到底かなうとも思えなかっ
でいいじゃないか。
だが、それでもいいと思った。全人類が等しく退屈するんだ。公平
ものに違いあるまい。
﹁願い自体は退屈だな。恒久平和が叶った世界など退屈きわまりない
?
魔術回路がズタズタに引き裂かれ、出鱈目につなぎ合わされるん
断と結合﹄が効果を発揮する。
これが着弾すると被弾者の魔術回路にはキリツグの起源である﹃切
成分はキリツグの肋骨をすり潰したもの。
てもらった。思い出にね。
﹁キリツグが生前に使っていた礼装だ。紳士的にお願いして1発譲っ
?
199
!
だ。
君が追っている事件の被害者は魔術回路があり得ない形に変形し
ていたが、
彼の礼装、本人は﹃起源弾﹄と名付けていたそうだが、それが効果
を発揮すればこうなる。
犯人は起源弾を入手したか、あるいは解析し、複製して犯行に使っ
た。
生前のキリツグはごく限られた人間にしか礼装の正体を明かして
﹂
いなかったそうだから、犯人は生前の切嗣と何らかの因縁があったの
だろう﹂
﹁そういう人物の見当はつくか
﹁僕には見当がつかんが、知っていそうな人物なら知っている。
君も良く知っている人物だ﹂
200
?
因縁
クロウリーが固定電話の通話ボタンを押すと、5コールで相手が受
話器を取る音がした。
クロウリーは相手の返事を待たずにいつもの私には理解不能なセ
ンスのユーモアを披露した。
﹁やあ、新大陸の友人。
こちらは万能の造物主が創りたもうたこの世で最も美しい生命体
だ﹂
スピーカーに設定された電話機の向こうから、私の聞き慣れた声が
明らかな怒りを纏って応答した。
﹁⋮⋮何の用だ。この変態野郎﹂
﹁君たち親子は本当に上品だな。アンナ﹂
アンナ・ロセッティ。彼女はニューヨークを拠点に荒事を主に扱う
魔術使いで、私とは友人だ。
クロウリーと私とアンナは同時期に時計塔に在籍していた。その
頃からの知己だ。
彼女は長年に渡りまともでは無い側の魔術の世界に深く関わって
いる。彼女と私は同年代だが、その経歴は私よりも長い。
確かに彼女ならば何か知っているかもしれない。
私は早朝に︵こちらは昼間だが、時差マイナスのニューヨークは早
朝だ︶突然連絡した非礼を詫びると、今回の事件のあらましと
特徴を伝えた。
﹁その話、聞き覚えがある。少し待っててくれ﹂
彼女の声が電話から遠ざかると、別の声が電話に出た。
その声はルシフェルが地獄の底から神々に罵詈雑言を投げかける
ようなドスの効いた響きだった。
アンナの父でビジネスパートナーのマシュー・ロセッティ。こちら
も私の知己だ。
私は再度、事件のあらましと犯行の特徴を説明した。
﹁アンディ。確認するが、ガイシャは微弱だが魔力を帯びていて、遺体
201
﹂
は教会前に遺棄されてた。
間違いないな
私が﹁間違いない﹂と答えると、マシューは史上最悪の二日酔いに
苦しむ200歳のドワーフのような唸り声を上げて言った。
﹁││箱舟の船団だ﹂
マシューの話が始まった。
事件が起きたのは20年以上前。
イングランドの名門メイザース家の嫡男だったジョナサン・メイ
ザースは一家の中でも特に優秀だった。
やがて彼は、魔術の世界でも能力的に劣った人間が存在することが
許せないと感じる歪んだ価値観に支配され始めた。
メイザースは自分の意見に同意する者︵マシュー曰く﹃テメエのク
ソが人のより良い匂いがすると思ってるような連中﹄︶
を集めて﹁箱舟の船団﹂を名乗り自らの選民思想を歪んだ形で実現
させ始めた。
その手口はいつも同じで、最後は必ず被害者の遺体を教会前に遺棄
していた。
突然変異や歴史の浅い家系とはいえ、同胞の魔術師を片っ端から亡
き者にしていく思想をさすがの魔術協会も危険視して、
箱舟の船団はお尋ね者になった。
協会は封印指定執行者にも命を下したが、フリーランスの魔術使い
のところにもお尋ね者の情報は届いていた。
﹁それなりにデカい組織だったんでな。
お互いのダチ同士を頼って、手を組むことにした。
ナタリアとキリツグ、それにユアンと俺だ﹂
ユアンこと、ユアン・マクナイトは私の伯父で魔術の師匠だ。
この事件、私にも因縁があったらしい。
﹁奴らはスコットランドのド田舎にあるそびえたつクソみてえな古城
に拠点を構えてた。
土地勘のあるユアンが先導し、俺たちは奴らを一掃した。
そのとき奴らの親玉にとどめを刺したのがキリツグだ﹂
202
?
﹂
﹁マシュー、被害者にはエミヤキリツグの礼装が使われた痕跡があっ
た。
亡き人物の礼装を使うことが出来た理由は何だ
﹁犯人がキリツグの礼装を使えた理由だが、それは奴らが使う特異な
魔術の力だろう。
あの家系は特殊でな。刻印ではなく、当主から当主へとその持てる
力のすべてをコピーさせて
伝えるんだ。特殊な起源の宿るキリツグの弾丸でも時間をかけれ
ば解析して再現できる。
完璧に起源をコピーするなんてことはさすがに不可能だろうが、同
﹂
様の効果をある程度の精密さで再現することは出来るはずだ﹂
﹁ということは犯人はメイザース家の血を引くものか
﹁ああ、おそらくな。
﹁地脈と霊脈から、新たな魔術回路の発現はある程度予測できる。
そして、その策は非人道的なものだった。
サマセット・クロウリーはすでに策を考えていたらしい。
﹁気をつけろよ、アンディ﹂
﹁ありがとう、マシュー﹂
亡き親父の思想を引き継いで実行に移せるぐらいにはな﹂
う成熟している見ていいだろうな。
娘の方は、20代の半ばぐらいになってるはずだ。術者としてはも
え。
となれば、娘に歪んだ価値観の教育を吹き込んでてもおかしくね
奴の妾も魔術師で、メイザースの思想にはある程度共感していた。
たらしい。
奴らの拠点にはいなかった。だが、メイザースは存在を認知してい
正妻の娘じゃなく、妾の子供だったらしくてな。
イザースには幼い娘がいたらしい。
メイザース家のことを更に調べて分かったんだが、ジョナサン・メ
キリツグがジョナサン・メイザースにとどめを刺した後、
?
僕ならば、翌日の天気予報程度の確率で予測できるが、
203
?
﹂
もっと確実な方法があるならばそれを選択するべきだ﹂
﹁どんな手を考えているんだ
﹁囮を使う﹂
そう、物騒なことをセイズベリーのカウンターでタバコでも注文す
るみたいにあっさりと言った。
﹁召使いの一人にわざと粗雑に作った魔術回路を埋め込み、
人目に付く場所で魔術を使わせる。
神秘の漏えいの防止をあえて行わず、
魔力の扱いが下手過ぎて暴走したように見せかける。
目撃情報に、タブロイド紙の記事も乗れば完璧だ。
向こうから勝手に殺しにやってくるだろう﹂
サマセット・クロウリーの倫理観は理解不能だ。
あるいは、そもそも倫理観などと言う概念に興味すらないのかもし
れな。
私は人道的観点からその召使いの護衛につくことを申し出た。
﹁良いだろう。僕が同行する以上、不要だと思うがね﹂
﹂
﹁君のことだ、積極的に害する気はなくとも積極的に助ける気もない
んだろう
だな﹂
クロウリーはいつものように人を見下したニヤケ面を張り付けて
言った。
人 の 知 性 を お 利 口 な 犬 と 比 較 す る と は ま っ た く 感 じ の 良 い 奴 だ。
その不快感ともに話が進む中、私は湧き上がって来た主に感情的な
面での疑問を口にした。
﹁しかし、君がこの事件に協力を申し出るとは意外だ﹂
クロウリーはニヤケ面を消して真剣な表情に戻り言った。
﹁エミヤキリツグは僕の美しい思い出だ。
奴らは下らん選民思想で僕の思い出を汚した。
罰を受けさせる﹂
204
?
﹁良く分かっているじゃないか。君はグルミットよりはお利口なよう
?
そう言うクロウリーの表情からは、真剣さと共に何か諧謔とでも言
えそうなものが感じ取れた。
この男は何をやらかすか全く想像のつかない人物だ。
碌なことを考えていないのは間違いないだろう、と私は踏んだ。
そしてその予想は大正解だった。
205
決着
﹁準備がある﹂というクロウリーの言で、囮作戦の結構は2日後の深
夜からということになった。
いつもは積極的に協力を申し出てくれる凛だが、起源弾の特徴を聞
いた彼女は﹁今回は大人しくしておくわ﹂と引き下がった。
起源弾は強力な魔力をもつ相手へのカウンターパンチだ。
凛は魔術師として極めて優秀であり、そして正統派だ。相性が悪す
ぎる。賢明な判断だ。
メイフェアーからブラックキャブを拾い、ウエストミンスターに戻
る道すがら、彼女は何か考え込み黙っていた。
沈黙が数分続くと、後部座席と運転席の間の虚空に向かい呟いた。
﹁士郎のお父さんがそんな人だったなんて﹂
そう、一人ごちると今度は私に向き直り、少々ためらいがちに私に
﹂
206
問いかけた。
﹁ねえ、あなた知ってたんでしょ
﹁全然、魔術師らしくないと思った。来るならどうぞって感じ。きっ
私は彼女に顔を向け、聞く姿勢を整えた。
﹁士郎の家に初めて行ったときなんだけど﹂
が、また何か言うべきことを思いついたらしく言った。 またしばらく沈黙が続いた。凛の視線は宙を暫くさまよっていた
﹁そうね﹂
思い出は美しすぎるぐらいでちょうどいい。僕はそう思う﹂
実だったんだろう。
息子から見たキリツグがただの父親だったのならば、それもまた事
直接知っている訳じゃない。
話すのは健全じゃないと思ったのさ。それに、僕はキリツグの事を
だが、シロウの話に聞くエミヤキリツグはただの父親だった。
ンター業界でもとびきりの荒くれ者だ。
﹁エミヤキリツグは僕らの業界では有名人だった。荒くれ者揃いのハ
私もまた、ためらいがちに答えた。
?
と衛宮切嗣って本当はそう言う人だったのね﹂
このやり取りの後、今回の件については凛は協力しない、士郎にも
今日あったことは話さないと、私の彼女の間で合意が成立した。
賢明な判断だと思った。凛の能力と起源弾はあまりに相性が悪す
ぎる。また、士郎に話したら彼がどんな無茶をやらかすかわからな
い。
私は有望の協力者である彼らの存在は頭から排除し、作戦を練り始
めた。
2日後。私は結局1人でことに臨むことにした。
協力してくれるアテがあり、今回の件に最適な能力を持つ知己が全
員先約ありだった。
まったく運がない。
私はこの2日間の徒労を思い溜息をつくと、クロウリーの邸宅に向
かった。
﹁やあ、アンドリュー﹂
ニヤケ面を浮かべたクロウリーに私は迎えられた。
クロウリーは一人ではなく、傍らに私も良く知っている人物を従え
ていた
前回の面談の時から碌な事を考えていないであろうことはクロウ
リーの表情から予想済みだったが、大当たりだった。
衛宮士郎。衛宮切嗣の義理の息子。
彼に今回の件は話していない。教えれば無茶をするであろうこと
は明白だったからだ。
切嗣の義理の息子がここロンドンに居ること、そして彼と私が知り
合いであることはクロウリーに話していない。
凛も話していないはずだ。話せば碌なことになるまいと分かって
いるからだ。
私はそれなりに才能もあり、経験も積んでいる。凛は恐らく魔術の
歴史に名が残るレベルの天才だ。
だが、クロウリーの魔術師としての能力は現代の魔術師では太刀打
207
×××××
ち出来る者がいないレベルに到達している。
彼にとって他の魔術師は全員格下の存在だ。魔術師の防壁を突破
して頭の中を覗くこと
などクロウリーにとっては﹃ドクター・フー﹄を予約録画するより
も簡単だったに違いあるまい。
困惑と自分の迂闊さをないまぜにした目線をクロウリーに向ける
シケた面をして。
と、クロウリーは変わらぬニヤケ面のまま私に言った。
﹁どうしたんだ、アンドリュー
きたんだ。
事実が残念でならない﹂
﹂
﹁君のお父上はとても楽しい人物だった。亡くなってしまったという
クロウリーはニヤケ面を引っ込め、士郎に言った。
││それと、ミスター・エミヤ﹂
あればすぐに行けるようにはしておこう
心配するな、エイワスを通じて君たちの同行は逐一見ている。何か
﹁﹃同行する﹄とは言ったが常に一緒に居るつもりはない。
私が彼の背中に疑問を投げかけるとクロウリーは言った。
﹁君も来るんじゃないのか
そう言うとクロウリーは私に車のキーを渡し、踵を返した。
君たち、紳士として彼女の事を身を挺して守ってやってくれ﹂
特別手当を払うと言ったら、自ら志願してくれた。
ミラ・ホロヴィッツ。ウクライナ生まれの13歳だ。
﹁こちらにおわすのが今回の君たちの護衛対象。
そして、年のころ12,3歳の金髪、碧眼の少女の手を引いて来た。
クロウリーはそう言うと、一度、別室に引っこんだ。
さて││﹂
﹁悪趣味ね。悪趣味だって退屈よりはマシだと僕は思うがね。
﹁君は本当に悪趣味な奴だな﹂
少しは喜んだらどうだ
﹂
君の方の協力者探しが思わしくないようだったから、僕が見つけて
?
士郎はその一言をなんとも曰く難い表情で聞いていた。
208
?
?
私と士郎は少女ミラを連れてクロウリー邸を出ると、まずはロンド
ン1の繁華街ライセスタースクウェアを目指した。
クロウリーのコレクションから借り受けたジャガーを駆り、夜のロ
ンドンを走る。
私が運転席、士郎が助手席、ミラが後部座席だ。
私は、後部座席で不安げに震えるミラに﹁君の身は守るから安心し
てくれ﹂とウクライナ語で優しく話しかけた。
彼 女 は 母 国 の 言 葉 で 優 し い 言 葉 を 変 え て も ら え た こ と を が 気 に
入ったらしい。少し穏やかな表情になった。
続けて私は隣の士郎に声をかけた。
﹁まず、黙っていて済まない。が、僕も凛も君に無茶をしてほしくな
かった。
どうか理解してほしい﹂
ここに来てから一言も話さない士郎に私はまず、そう言った。
209
士郎はいつもの温顔で﹁わかってるよ﹂とただ一言答えた。
短い沈黙ののち、私は更に言った。とても重要なことだ。 ﹁シロウ、君の性格と異能を考慮したうえで忠告しておく。
クロウリーと敵対しようなどとは絶対に考えるな。
君の愛しのリンは歴史に名が残るような存在になれるレベルだが、
それでもクロウリーの足元にすら及ばない。
凛が重量挙げの世界記録保持者だとしたら、
クロウリーは小指1本でその記録を破るレベルのバケモノだ。
おまけに奴は何をやらかすかわからない気まぐれな人物だ。十分
に気を付けてくれ﹂
士郎はただ黙って頷いた。
せるパフォーマンスをミラに行わせ、
私と士郎は炎によるボヤ騒ぎや、オフィス街に突如氷の塊を出現さ
範囲内でミラに魔術を使わせた。
我々3人は、夜の繁華街を歩き回りながら、わざとらしくならない
1日目の夜は何も起きなかった。
×××××
少し離れたところから反応をうかがった。
2日目の夜もやはり何も起きなかった。
そして3日目。
ま た し て も オ ッ ク ス フ ォ ー ド ス ト リ ー ト で ボ ヤ 騒 ぎ を 起 こ し た
我々だったが。
やはり何も起き無かった。
いつものようにわずかな野次馬が集まり、そしてすぐに興味をなく
して立ち去って行った。
それそろ引き返そうかと思った時だった。
突然、士郎が立ち止まり、言った。
﹂
﹁誰かが結界を張った﹂
﹁何
﹂
話によると士郎は結界の探知だけは得意らしい。
﹁結界の起点は分かるか
と、身を挺して弾丸を受け止めていた。
その人物、衛宮士郎は数10フィート離れたミラの前に飛び出す
を起こしていた。
が、私がマズルフラッシュを認識するより早く、1人の人物が行動
しまった、と思った。
ている。
マズルフラッシュが光ったという事はもう音速の弾丸が発砲され
誰かが潜んでいても少しもおかしくない。
人が身を潜め、さらに逃げるに絶好の場所だ。
広場を過ぎるとその先はメリルボーンストリートだ。
広場になっている。
この細い道の向こうにはセントクリストファーズプレースという
私はこの光が何だか知っている。マズルフラッシュだ。
走った。
オックスフォードストリートに繋がる細い小道の1本から、閃光が
私がそう言った次の瞬間だ。
?
私もまた、すぐに行動を起こした。
210
?
マズルフラッシュを確認した方向に、身体能力を全開にして飛び出
す。
敵の銃は連射が利くアサルトライフルではないらしい。
となるとスプリングフィールド弾を装填できるものは中折れ式の
競技銃だ。
中折れ式の銃は再装填に時間がかかる。
マズルフラッシュから推定される距離は、身体能力の強化を全開に
すれば再装填前に詰められる。
はたして私は、発砲された小道に一気に入り込むと、虚を突かれた
らしい人物をたやすく発見した。
手には予想通り中折れ式の競技銃を構え、新たな弾丸の装填を試み
ていた。
だが、もう遅い、
﹂
私は銃を持った人物の腕をひねりあげると、地面に叩き伏せた。
﹁シロウ、大丈夫か
士郎はうめき声を発したが、出血はなかった。
意識もはっきりしているようだ。
備えあれば憂いなしだ。士郎には今回の対策としてグレードⅣの
防弾ベストに強化のルーン刻んだ特注品を渡していた。
起源弾は魔術回路に干渉し、それを破壊する礼装だ。よって、自ら
の魔術回路を使わず物理的に防げばいい。
レベルⅣの防弾ベストならば.30│06スプリングフィールド
弾を物理的に防げるし、起動済みのルーンであれば、
術者本人の魔術回路を使う必要はない。当初は一人でこの護衛を
やるつもりだったが、予備として2着誂えておいて正解だった。
私は腕をつかみ叩き伏せた人物を検めた。年のころは20代の半
ばほど。
金髪に碧眼、身長は5フィート5インチ程。若い女だった。
話に聞いた、ジョナサン・メイザースの娘の風貌と一致する。
私がこの女をどうしようか思案していると、暗闇から拍手の音が響
いてきた。
211
?
﹁ブラボー。2人とも見事な動きだった﹂
ただの転移魔術だぞ
どこからともなく姿を現したサマセット・クロウリーの物だった。
私は驚きと共に言った。
﹁どこから現れた﹂
﹁何をそんなに驚いている
なたでも許さない﹂
﹁そうか。では、どうする
品を汚したことが許せない。
君は僕の邪魔が許せない。ならば決闘でもするか
ふらふらと立ち上がった女の足がすくんだ。
﹂
僕は君が下らん選民思想で僕の思い出の
﹁サマセット・クロウリー⋮⋮。我らが一族の大願を邪魔するならあ
﹁初めまして、ミス・シャーロット・メイザース。僕は⋮⋮﹂
クロウリーは女に悠然と歩きよると言った。
た。
まるで妖精王オベロンに命じられた下々の妖精のような気分だっ
私は女の腕を話すとふらふらと立ち上がり、その場を離れた。
そう言われた瞬間、私の手足から力が抜けた。
﹁いいから下がれ。2度も言わせるな﹂
私が皮肉を込めてそう言うと、クロウリーは毅然として言った。 ﹁断る。君のことだどうせ碌なことを考えていないんだろう﹂
あとは任せてくれ﹂
さて、アンドリュー、ミスター・エミヤ。ご苦労だった
転移可能な仕掛けぐらいしているさ。
このロンドンのマナは熟知しているし、この街は僕の庭だ。
?
して君にハンデをやろう。
﹁そうきたか。よろしい。では、高貴なるものの立場として、決闘に際
手にもった中折れ式の競技銃を引き上げた。
それでも、シャーロット・メイザースは毅然とした態度を崩さず、右
嫌と言うほど分かっているはずだ。
マセット・クロウリーという人物がどれほど化け物じみた存在か
メイザースは優秀な魔術師の家系だ。今、目の前に立っている、サ
?
212
?
?
まってやるから再装
君のトンプソン・コンテンダー・アンコールは中折れ式で1発ずつ
装填するタイプだ。
さっき1発撃ったから再装填が必要だろう
填しろ﹂
から弾丸を取り出すと、銃に装填し、
やってみ
装填するまで待ってやったんだ。チャンスだぞ
クロウリーに鼻先に銃口を突きつけた。
﹁どうした
を引けば僕を殺せるかもしれない。
そうすれば君の邪魔をする者は当分いなくなる。さあ
?
れる。自分の攻撃も無効化してしまうので、
僕の固有結界の前ではありとあらゆる攻撃という概念が無効化さ
﹃われ思う故にわれあり﹄だな。
合、自分のもつ絶対性という概念を具現化できる。
﹁固有結界だ。本来、術者の心象風景を具現化する魔術だが、僕の場
た。
その場に居る全員の驚愕を背に、クロウリーはこともなげに言っ
しかし、クロウリーはいともたやすくそれをやってのけた。
でも至近距離から放たれた弾丸をかわすことなど不可能だ。
信じられない光景だった。どのような熟練の戦闘に長けた魔術師
光の前に霧散した。
ラッシュとともに発射された弾丸は
詠唱が終わった瞬間、クロウリーの体を青白い光が包み、マズルフ
︽我、真実の力によりて生きながらに万象に打ち克てり︾﹂
﹁| V i V e r i V n i v e r s u m V i v u s V i c i
その刹那、クロウリーが一節の詠唱を口にした。
た。
クロウリーが顔色1つ変えずにそう言うと、女は引き金に指をかけ
ろ﹂
引き金
女はクロウリーのあまりに鷹揚過ぎる態度に面喰ったが、ポケット
?
真に優れた相手には防御にしか使えないが、君のような格下ならば
結界を展開したままでも害する方法がある。
213
?
?
││こんな風にね﹂
そう言って、クロウリーが女を一睨みすると、次の瞬間、女が全身
を緊張させて苦しみ始めた。
私には何をしたのかさっぱりわからなかった。今夜は驚愕の連続
だ。
ただの暗示だぞ
私の驚きの対し、クロウリーはまたしてもこともなげに言った。
﹁何をそんなに驚いている
?
﹂
殺す必要なんかないはずだ
﹁やめてくれ、クロウリーさん
もういいだろ
﹂
!
!
そう言って踵を返したクロウリーの背に1人の人物が声をかけた。
﹁待ってくれ
では、行こう。諸君﹂
を穢したことを後悔するんだな。
﹁君の命はもってあと30分と言うところだ。苦しんで、僕の思い出
サマセット・クロウリーのバケモノぶりは私の予想以上だった。
暗示を強めにかけて心肺機能をマヒさせたんだ﹂
?
どうやって僕を止める
?
私は何もできずにただただずんでいた。 ﹁それで、どうする
﹂
恐らく頭の中を読もうとしているのだろう。
クロウリーは声の方向に振り返ると、士郎をにらんだ。
!
なぜ、助けようとする
自分より人の方が大事など、そんなものは偽善にすぎん。
全ての人間に幸せであってほしいなどという君の願いは絵空事だ。
?
そもそも、このレディは殺人犯で君とは何の所縁もないはず。
裂きにするには十分な時間だ。
この結界の展開時間は限られているが、君の武器を無力化し、八つ
だが、僕の固有結界の前では、法具級の武器も無意味だ。
﹁面白い。本当に宝具の投影が出来るのか。実に興味深い。
士郎の手には以前にみた陰陽の中華剣が握られていた。
士郎はしばしのためらいの後、一節の詠唱を口にした。
クロウリーがいつものニヤケ面に戻って静に言うと、
?
214
!
﹂
﹂
それに、君の願いはすべてエミヤキリツグからの受け売りだ。君自
身の願いですらあるまい
なぜそんなものにこだわる
﹁そんなものが偽善だなんて俺も分かっている。
でも、その願いが美しいと思ったから憧れた
それだけは間違いじゃない。間違いなんかじゃないんだ
士郎の叫びが夜の街道に響く。
叫びは虚空に吸い込まれ、長い沈黙があった。
に響かせると言った。
女はクロウリーをにらむと、踵を返し、夜の闇に消えて行った。
今度は足先から1インチ単位で刻んでやる﹂
だが、念のために言っておく。また同じことをやってみろ。
事でも読んでいた方がまだマシだ。
君の退屈なツラを見るぐらいなら、デイリー・テレグラムの3面記
﹁さっさと失せろ。
らんだ。
女はうめき声をあげながらゆっくりと立ち会がり、クロウリーをに
君はさっさと僕の視界から消え失せろ﹂
美しい理想を汚してしまいそうなのでね。
﹁この少年に免じて見逃してやる。ここで君を殺してしまうと、彼の
崩れ落ちた。
次の瞬間、全身がこわばっていた彼女の体は緊張から解き放たれ、
そう言うと、クロウリーは女の方を向いた。
﹁面白い。君は最高だ
﹂
沈黙ののち、クロウリーはわざとらしいほど愉快に笑い声を高らか
!
!
?
?
た。
今回の件に報告のためだ。
士郎は軽傷とは言え、防弾ベスト上からライフル弾をくらって負傷
215
!
私はセント・ジョンズ・ウッドにある士郎と凛の愛の巣を訪れてい
数日後。
×××××
していた。
結果的にとはいえ、巻き込んでしまった私が事情を話すべきだろ
う。
私が事情を話すと、
﹂
士郎がまたしても無茶な行為に及んだ咎で凛にお説教を受けた。
どうして止めてくれなかったの
今回は私にも矛先が向いた。
﹁アンドリューも
た。
﹁一体、どこから入った
﹂
いつの間にかサマセット・クロウリーが窓際に立って我々を見てい
だから、生きるのは止められない﹂
見がやはり最高に愉快な存在とは。
最高に愉快な存在だったエミヤキリツグの血の繋がらない忘れ形
なレディが生まれ、
退屈の権化のようなトオサカトキオミの種から君のような魅力的
実に面白い。
﹁シェイクスピアを信じるならば、この世はまさに舞台だな。
に居ないはずの4人目の人物の声が聞こえた。
凛のありがたい、そしてごもっともなお説教が続く中、突如、部屋
私は首を垂れ、力なく言った。
﹁面目ない。僕の力不足だ。今回ばかりは何もできなかった﹂
!
﹂
﹁では、失礼する。友人たちよ﹂
そう言うと、クロウリーは優雅なステップを踏んで踵を返した。
何かの役にも立つかもしれないしね﹂
う。
﹁エミヤキリツグとの思い出の品だが、君が持っている方が良いだろ
クロウリーは懐から1発の弾丸を取り出し、士郎の前においた。
﹁これを私に来た﹂
﹁一体、何の用だ
﹁正面からだ。おっと失礼、ノックを忘れていた﹂
私が言うとクロウリーがこともなげに言った。
?
216
!
?
﹁人格破綻者の君にそんなセンチメンタルな1面があったとはな﹂
私がそう言うと、彼は言った。
﹁アンドリュー、君は無礼な奴だな。
﹂
僕をそんなつまらんものに定義づけるとは﹂
﹁では、何なんだ
﹁僕は人格破綻者ではない。
高機能社会不適合者だ﹂
﹁社会不適合という自覚はあるのか﹂
﹁当然だ。
こんなつまらん社会に適合などしてたまるか﹂
クロウリーはドアを開け、ごく来た時とは対照的にごく当たり前の
やり方で部屋から出て行った。
後にはただ、クロウリーの纏っていたコロンの香りと、一発の弾丸
だけが残っていた。
217
?
設定│6
設定│英国の風物について4
・セント・メリルボーン教会
本編中にある通り、ロンドンの名所の一つ。
メリルボーンは閑静でおしゃれな一画。
メインストリートの、メリルボーン・ハイストリート︵ハイストリー
トはアメリカ英語のダウンタウンにあたる言葉︶は、おしゃれで個性
的なショップが立ち並び、マーケットも出る。
・メイフェアー
資産10億円以上の金持ちがニューヨークの次の多い金持ちの街、
ロンドン。
その中でも最も高級なエリアがメイフェアです。こういうエリア
にはスポーツバーはありません。
・ドクター・フー
イギリスの長寿SFテレビドラマ。主人公を交代しながら長年に
わたって放送されている。アメリカでも人気のあるプログラム。な
ぜか日本ではマイナー。
スピンオフ作品の﹃トーチウッド﹄も人気作。
・グルミット
クレイアニメシリーズ﹃ウォレスとグルミット﹄に出てくる犬。
可愛い。そして賢い
・デイリー・テレグラフ
イギリスの伝統あるタブロイド紙。
実は一般サイズの新聞では発行部数1位。
・セントクリストファーズプレース
イギリス最大の繁華街、オックスフォードストリートから人が1人
は入れるほどの小道の先にある小さな広場。
隠れたおしゃれエリア。オックスフォードストリートの喧騒が嘘
のように静か。
218
・サマセット・クロウリー
都市伝説と化した怪物魔術師。
愉悦部名誉部員。
あまりにチートキャラすぎるため出そうかどうか迷ったのですが、
話を進めやすくするために出しました。
名前の由来はサマセット・モーム︵作家︶とアレイスター・クロウ
リー︵魔術師︶から。
使い魔のエイワスの名前はアレイスター・クロウリーの逸話から。
魔術の詠唱もアレイスター・クロウリーの逸話からの引用。︵クロ
ウリーが生前に編み出したという魔法の一つらしいです︶
初出は別所で掲載中の自作SS﹃magus hunter 紐育
魔術探偵事件簿﹄で、本編でわき役として1回、番外編で主役として
登場させています。
敵にも味方にもならないチートキャラで、zeroとstay n
ightの世界のつなぎ役として考えた末、初出から設定を大幅変更
し、パワーアップさせて登場させることとなりました。
不快にh思われた方すいません。
ちなみに、作中のオリキャラを含めた魔術師番付ですが
クロウリー﹀人類の壁﹀凛﹀ただの天才と真の天才の壁﹀アンナ﹀天
才と秀才の壁﹀アンドリュー
という序列で考えています。
短いですが今回は以上です。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
219
アルトリアを偲んで
巡礼
ロンドンの短い夏は過ぎ、さらに短い秋がやってきた。
急激に気温の下がった10月の半ば、私は身をすくめながらウェス
トミンスター地区を歩いていた。
曇天続きのこの時期には珍しく晴れ渡った気持ちの良い日だった。
いつも観光客でごった返しているこの地区だが、今日はいつも以上
に人が多かった。
目的地のほど近く、聖マーガレット通りからほんの小さな寄り道の
つもりでウェストミンスター宮殿に
寄っていくことにした。
宮殿も観光客でごったがえしていた。
割合として東洋人の観光客が多かった。
私は香港で生まれ育ち、日本人の血も混ざっているため分かるが一
般的にヨーロピアンが
東洋人を判別することは難しい。
確かに中国人も韓国人も日本人も見た目には大差なく見える。
しかし、私は簡単に判別する方法を知っている。
大声で喚いていて80年代風のファッションを身にまとっている
のが中国人。
声が大きくて90年代風のファッションを身にまとっているのが
韓国人。
そして、物静かで小奇麗な身なりをしていて、写真に映る時は必ず
間抜け面を浮かべてピースサインするのが日本人だ。
私の視線の先にいるのは中国人の団体だった。
彼らは北京語でなにやらを喚きながら、宮殿に突入を試みていた。
私は広東語しか解しないので、彼らが何を言っているのかはわから
なかった。
会話の内容は﹃英国料理は不味い﹄といった至極当然の物かもしれ
220
ないし、﹃ハリー・ポッターは中国人だ﹄
といった不当な内容の物かもしれないがそれは私のあずかり知ら
ない問題であった。
そのうち彼らの中の1人が悪ふざけしてウェストミンスター宮殿
の近衛兵にちょっかいを出し始めた。
近衛兵は彼らの行動に対して微動だにしなかった。
その光景は私にルネ・マグリットのシュルレアリスム絵画を想起さ
せた。
﹃彷徨える中国人と不動の英国近衛兵﹄といったタイトルでテート・
モダンあたりに展示されていてもおかしくなさそうだ。
彼らの観察を続けていると、中国人の男は不動の兵をからかうのに
飽きたのかその場を辞そうとして考えたようだ。
男は近衛兵に一瞥をくれると、去り際その肩に手を置こうと試み│
│近衛兵に大声で威嚇された。
思わぬ反撃に驚いた男は飛びのいて北京語で何か言葉を発すると
団体客の海に帰って行った。
近衛兵は何事もなかったかのようにいつもどおりの姿勢でじっと
立っていた。
あまり知られていないが近衛兵は身に危険が及んだ場合、相手を威
嚇することが許される。
しかしながら、私もロンドンに渡ってから15年近くの在住期間で
このような光景を目にしたのは初めてだった。
時
計
塔
気まぐれの寄り道で珍しい物を見られた事を喜ぶべきが迷いつつ、
私は目的を果たすため ビッグベンに歩みを進めた。
目的の人物を訪問するため長い回廊を行く。
私はやがて瀟洒な作りの執務室の前に辿り着いた。
私は自らの来訪を彼に知らせるためノックの音と共にこう言った。
﹁ウェイバー君⋮⋮いや失礼、ロード・エルメロイ。君の友人、ロンド
ンいちハンサムな万屋の魔術使いが馳せ参じたぞ﹂
中からはぶっきらぼうに短い返事が返ってきた。
﹁開いている。勝手に入れ﹂
221
相変わらず感じの良い奴だ。
﹂
私は念のため確認の言葉を口にした。
﹁開けたら爆発しない
﹂
﹁しない﹂
﹁本当に
﹁本当だ﹂
﹁信じてもいい証拠は
﹂
﹁⋮⋮いいからさっさと入れ﹂
全く、ユーモアを解しない奴だ。
私は彼の言葉に従いドアを開けた。
大量の書物と奇妙な匂いの薬品に鉱石の数々。
それらに埋もれるように時計塔の名物講師、ロード・エルメロイⅡ
世は簡素な回転いすに腰掛けていた。
彼は座ったまま、体の向きだけを変えて私を迎える。
部屋に入って最初の言葉を彼が発する前に私が口を開いた。
﹁今 日 の 呼 び 出 し の 目 的 だ が ⋮⋮ 例 の 研 究 資 材 の 調 達 に つ い て か な
﹂
﹁では僕のこの素敵なバリトンボイスを聞きたくなった
明日からカーテン閉めておいてくれないか
﹄
﹂
どれぐらい素敵かというと覗きに来たピーピングトムが﹃ちょっと
ても素敵な女性が住んでいてね。
君も何度が来たことがあるあの昔住んでいたフラットだが、隣にと
しよう。
﹁そうか、では僕と至福のお喋りの時間を過ごしたくて呼んだと仮定
はとっておきのエピソードを語りはじめた。
そこで彼が私の言葉を遮ろうと試みたのが分かったが無視して私
?
の窓に投げつけることだった。そんな彼女がある日⋮⋮﹂
﹃これも使える、これも使える﹄と大声で喚きたてつつウチのフラット
毎朝近くのゴミ捨て場から使えそうなゴミを拾ってきては
と頼みに来るくらい素敵な女性だった。彼女はのライフワークは
?
222
?
?
?
﹁違う。それならいつも通りに進めればいい。別の話だ﹂
?
﹂
た
だ
の
少
し
も
﹂
私がそこまで口にすると彼が短く言葉を挟んだ。
﹁その話はまだ続くのか
く
﹁もちろん。⋮⋮ひょっとして聞きたくない
全
﹁聞きたくない﹂
﹁本当に﹂
﹁本当だ。 not one bit ﹂
彼がそこまで言うのであれば仕方がない。
私はとっておきのエピソードを披露することを諦め、彼の言葉を
待った。
﹁リン・トオサカと親しくしているそうだな﹂
意外な人物の名が彼の口から出たことに小さな驚きを覚えつつ私
はこう返した。
﹁向こうはどう思っているか知らないが、僕は歳の離れた友人と思っ
て接している﹂
﹁そうか﹂
その言葉をどう受け止めたのか、彼は顎に手を当てしばし考えると
こう言った。
﹁困っているようなら面倒を見てやれ。私からも頼む﹂
﹁意外だな。君は日本人嫌いだと思っていたが﹂
﹁一応、後見人なのでな。名前だけだが。それにだ││﹂
彼はそこで一旦言葉を切るとこう続けた。
﹁彼女も私も聖杯戦争の生き残りだ。聖杯戦争に参加するというのが
どういう事なのか体験したものでなければわからない。
少なくとも時計塔の老人たちには一生わからんさ﹂
﹁なるほど﹂
彼の言葉の真意を理解した私は納得の言葉と共に自らの意思を表
明しその場を去ることにした。
﹁僕はこれからも彼女に力を貸すつもりだ。
だが、それは君に言われてやることじゃない。彼女に好感を持って
いるから勝手にやることだ。
少なくとも彼女が僕を必要としなくなるまでは力になるつもりさ﹂
223
?
?
彼の執務室を出て長い回廊を行く。
現代魔術論の学部棟を出て、鉱石科の学部棟に足を踏み入れると件
の人物にはち合わせた。
こんなところで
﹂
彼女、遠坂凛は私を認識すると驚きの表情と共にこう口にした。
﹁アンドリュー、どうしたの
﹁ここの名物講師から呼び出しを受けてね﹂
﹁ふーん﹂
こんなところで
彼もまた驚きの表情と共に凛と同じ言葉を口にした。
﹁アンドリュー、あんたどうしたんだ
﹂
?
それは供されたミートパイが災厄と言っても良いほどに不味かっ
間になるはずだったが1つ大きな問題があった。
オープンテラス席で麗らかな日差しの中での優雅な昼下がりの時
で昼食を摂っていた。
30分後私は彼ら2人を伴ってウェストミンスターのレストラン
﹁なんだ、君まで。僕はここでは犯罪者扱いか
﹂
そこに遅れて彼女の愛しのダーリン、衛宮士郎が現れた。
?
?
?
言葉を告げた。
﹁⋮⋮もうあなたと外食には行かないわ﹂
﹁いや、これは失礼。ミートパイは比較的外れが少ないんだがね﹂
食後、ブラックティーを啜りながら話題は時計塔の話になった。
私はロード・エルメロイⅡ世と旧友であり、時折彼の依頼を受けて
実験資材の調達を請け負っているという事実を簡潔に述べた。
彼から凛についての話をされた事は伏せ、近いうちにコーンウォー
ルに資材調達に赴くという話をした。
私の話が終わると凛と士郎は顔を寄せ合って何かを相談し始めた。
親密でキュートな光景だ。
﹂
相談を終えると彼女は私にこう尋ねた。
﹁コーンウォールのどこに行くの
?
224
?
半分ほどを残して完食を諦めた凛が、口元を拭いながら私に抗議の
たということだ。
×××××××××××××××××××××××××××××××
1週間後、私は依頼主が用意したランドローバー ディフェンダー
90 PUのハンドルを握っていた。
後部が解放荷台になっているこのピックアップトラックなアメリ
カ的ゲテモノ車で士郎が窓側
一番小柄な凛が真ん中の狭いシートに身を屈めて座っていた。
彼
1週間前の最低な味のランチの際に彼らは聖杯戦争でセイバーの
彼
女
サーバントとしてアーサー王︵驚くべきことにアーサー王はheでは
なくsheだった︶
を 召 喚 し た と い う 事 実 を 私 に 伝 え セ イ バ ー 巡 礼 の 旅 を し よ う と
思っていると私に言った。
﹁もうグラストンベリーには行ったの。だから今度はコーンウォール
かなって﹂
私の目的地はこの国の文字通り端、ランズエンドだ。
ス
エ
リ
ア
彼らが向かおうとしているアーサー王所縁の地、ティンタジェルに
ビ
225
寄っていくことは可能だった。
サー
私は途中まで彼らを乗せていくことを快諾した。
早 朝 に 出 発 し た 我 々 は 途 中 の ウェルカムブレイク に あ る バ ー ガ ー
キングで腹ごなしをしていた。
バーガーキングはどこで食べてもバーガーキングの味がする。
素晴らしいことだ。
﹁しかし、本物のアーサー王と会えたとはなんとも羨ましい限りだ﹂
私はラージサイズのワッパーをほおばりながらこう口にした。
﹂
凛は紙ナプキンで口元を拭って答えた。
﹁そう
﹁ああ、アーサー王はチャーチル、ビートルズ、ハリー・ポッター、デ
彼らを眺めつつ私は言った。
景だ。
私がティーンエイジャーだったら思わず赤面してしまいそうな光
実に自然な仕草だった。
を取ると彼の口元を拭った。
彼女は士郎の口元にソースが付いているの気が付き別のナプキン
?
ビット・ベッカムの右足にケイティ・プライスの胸に並ぶ英国人の誇
りだ。
﹂
失礼、最後のは豊胸手術だったが⋮⋮とにかく羨ましい限りだ。彼
⋮⋮いや彼女はどんな人物だったんだ
凛は人さし指を口にあてるとしばし思案しこう返した。
﹂
﹁そうね。⋮⋮でも今話すのはやめておく。ほら、そういうのって知
らないほうが色々想像できて楽しいじゃない
地である近隣のB&Bに向かった。
私は死体のように重たい鉱石の入った籠を荷台に乗せ今日の宿泊
とりあえずこれでノルマは終わりだ。
気が付くと陽が沈みかけていた。
当てるとまた崖を上って車に戻った。
私はたっぷり3時間ほどかけて質の良いコーンウォール石を掘り
魔術で秘匿されたその場所は一般人が足を踏み入れる事はない。
に向かった。
その作業が終わるとまた崖を下り、依頼人が所有する天然の採石場
せた。
私は荷台からバケツを下すと崖を下り海水をたっぷり汲み上げ乗
イングランド特有の原風景は健在だ。
ここ、ランズ・エンドもかなり観光地化が進んだがまだ荒涼とした
およそ70マイルの道のりを私は一時間半で走破した。
そこからA39道路からA30道路を南下しランズ・エンドまでの
じてくれという言葉を残し、彼らの返事を待たずに車を発進させた。
今夜はベットの上で裸でするアマチュアレスリングにたっぷり興
と
このヴィレッジでの移動はタクシーをつかった方がいいという忠告
私は彼らをティンタジェルの中心部にある観光案内所で降ろすと、
ティンタジェルに到着した。
セントクレザー、ホールワーシ│、デイビッドストウを経由して
A30道路を南下し分岐でA395道路に乗る。
?
その夜、シャワーを浴びバス・ペールエールの瓶を口にしながら部
226
?
屋のテレビでディスカバリーチャンネルの世界の戦車特集を視聴し
ていると
私のモバイルフォンが鳴った。
電話の主は士郎だった。
﹂と
﹁あ、アンドリューちょっとこのまま待ってくれ。今変わるから﹂
電話口の向こうから快活な声で﹁これ、このまま話せばいいの
いう言葉が聞こえてきた。
なるほど、どうやら携帯からかけてきたようだが使い方の分からな
い彼女のために士郎がサポートしたのか。
数秒後、私の想定通り士郎に代わって凛が電話に出た。
私がティンタジェルについての感想を尋ねると、彼女はティンタ
ジェル城は美しかったが
カムランの丘だと言われているスローター・ブリッジは殺風景なた
エ
ク
ス
カ
リ・
バー
だの石橋だったということを教えてくれた。
彼女はさらに﹁Excali│Bar﹂というハイセンスな名前の
バーがあったという情報を提供してくれた。
ありがとう、これで1つ私もお利口になれたわけだ。
﹂
話が終わると彼女は逆に私に尋ねた。
﹁ねえ、いつまでそっちにはいるの
たちはどうするんだ
﹂
ら一緒にどうかなって﹂
﹁ふむ﹂
私はしばし思案し彼らに候補としてセント・マイケルズ・マウント
の名前を挙げた。
翌日私は彼らをペンザンス駅まで迎えにいった。
セント・マイケルズ・マウントは英国のモン・サン=ミシェルと呼
ばれている風光明媚な観光地だ。
モン・サン=ミシェルほど観光客が多くない点も素晴らしい。
私 は 彼 ら を 伴 い 干 潮 で 出 来 た 道 を 通 っ て 修 道 院 の あ る 小 島 へ と
227
?
﹁もう用は済んだからね。明日あさって中にはロンドンに戻るさ。君
?
﹁もっと南の方にも寄って行こうと思っているの。だから時間あるな
?
渡った。
10月の太陽は弱々しく、辿り着いた時には陽がくれ始めていた。
小島の丘の上にある修道院に入ると島全体を見渡す事ができる。
そこに広がっているのは私が昨日ランズエンドで目にしていたの
と同じ
コーンウォール地方特有の荒涼とした海岸線と美しい海だった。
凛と士郎は肩を寄せ合い海をじっと眺めていた。
﹂
少し離れて彼らの様子を観察していた私に凛が尋ねた。
﹁ねえ、ここもアーサー王伝説所縁の場所なんでしょ
﹁そうだ。円卓の騎士トリスタンの伝説が伝わっているが⋮⋮それだ
?
グラストンベリーじゃないの
﹂
けではなくここがアヴァロンなのではないかとも言われている﹂
﹁ウソ
﹁何
﹂
﹁すごく負けず嫌いだったわ﹂
彼女はしばらく私の言葉を咀嚼するとこう言った。
﹁グラストンベリーが最も有力と言われているがね﹂
?
かったらしい。
彼は彼女の言葉に補足するように言った。
﹁それに食い意地が張ってたな﹂
﹁そうそう。いつも自分の分を食べ終わったら士郎の分を物欲しそう
に見てたっけ﹂
の話をしているのだと。
そこまで聞いて私にも合点がいった。
セイバー
彼らは
"
珍しくないと聞く。
2人の様子を見る限りきっと彼らと
築けたのだろう。
彼女
はよほど良い関係を
"
しないかな、セイバーに﹂
﹁なんか話してたら懐かしくなっちゃったな。またどこかで会えたり
"
聖杯戦争ではマスターが召喚したサーバントの裏切りにあう事も
の話を続ける凛の瞳に小さく光るものが見えた。
彼女
"
"
228
!
私は彼女が何の話をしているのか分からなかったが、士郎には分
?
"
﹁アーサー王はアヴァロンで眠りにつき国難の際には目覚めるとも伝
えられている。案外ここから叫んだら彼女に聞こえるかもしれない
な﹂
私はそう心にも無い事を言うと、﹁先に戻る﹂と告げ修道院を辞し
た。
私の背中越しに彼らの思いのたけを込めた言葉が聞こえてきた。
自分で焚きつけたとは言えとても見ていられない。
海に向かって叫ぶことができるのはティーンエイジャーの特権だ。
私は彼らを待つ間、荒涼とした海を眺める事にした。
海岸線に夕陽が沈んでいく。
タバコに火を点けその光景を眺める。
美しい光景だが、かのアーサー王にとって海とは外敵の押し寄せる
象徴であったに違いない。
今の平和な英国において同じ風景を見たら彼女はどのような感想
229
を抱くのであろうか。
そのような思索に耽っていると私はいつの間にか自分の目の前に
見知らぬ少女が立っていることに気が付いた。
身長およそ5フィート強の小柄な少女は時代がかった青いドレス
を身に纏っていた。
金砂を散らしたような髪、頭には強い癖っ毛が1本立っている。
青磁のような肌、翡翠の瞳、小さな唇のパーツで構成された顔はこ
の世のものとは思えないほど美しく神秘的だった。
どれほどの時間が経ったか。
彼女は短い言葉を発した。
英語にドイツ語を混ぜたような固い響きの独特の言葉。
恐らく古英語だ。
古英語は失われた言語であり聞いたところで意味など分かるはず
がない。
あなたに神のご加護があらんことを
"
しかし不思議と私には彼女がなんと言ったのか理解できた。
彼女はきっとそう言ったのだ。
"
気が付くと彼女は消えていた。
私は彼女の残像を目に焼き付け、その存在が立っていた空間に向
かって言った。
﹁ええ、あなたにも。アーサー王﹂
そこにはただ、オレンジ色に照らされる海と荒涼とした海岸線が広
がるばかりだった。
230
設定│7
設定│英国の風物について5
・アーサー王伝説
この小説を読んでいる方は全員、fateが好きな方だと思います
ので、アーサー王について全く知らないという方はいらっしゃらない
でしょう。
アーサー王は6世紀の初めごろにケルト系の土着民族であるブル
トン人を率いてサクソン人の侵攻を退けたと語られている人物です。
しかし、その存在は眉唾物で実在したかどうかはかなり怪しく、複
数の人物をモデルとして創作された人物と一般的には考えられてい
ます。
なんていう事は常識だと思いますので、本編の蛇足ついでに一つ。
ア ー サ ー 王 が 実 在 し た か ど う か は 歴 史 家 の 間 で 長 年 議 論 の 的 と
なっていますが、そのモデルとしてもっとも有力と言われているの
が、ルキウス・アルトリウス・カストゥスです。
アルトリウスは古代ローマの軍人でしたが、ハドリアヌスの長城
︵イングランド北部にあるローマの遺物。現在は世界遺産として観光
名所になっている︶で警備につき、現在の英国に滞在していた時期が
あったと考えられています。
比較的近年の学説に﹁アーサー王=アルトリウス・カストゥスであ
る﹂というものもあり、アントワーン・フークワ監督の﹃キング・アー
サー﹄はこの学説に基づいて構成されています。
そのため、アーサー王伝説を下敷きにした映画は、魔術や聖剣の登
場するファンタジックなものが多いのですが、
﹃キング・アーサー﹄は
歴史ものっぽい作りになっています。
マーリンも出てきますが、マーリンは魔術を使いません。
ちなみに、セイバーの本名であるアルトリアはアルトリウスをも
じったものと考えられます。
・B&B
231
Bed & Breakfastの略。
文字通り、ベッドと朝食が提供される宿泊施設。
家族経営など小規模で経営されていることが多く、日本で言うとペ
ンションにあたる。
ロンドンなどの都会にはあまりなく、田舎に多いのが特徴。
当たり外れがありますが、あたりを引くと料理自慢のお母さんが
作った美味しいイングリッシュ・ブレックファストにありつけること
があります。
・古英語
古英語=Old English
アングロ・サクソン人がかつて操っていた言語で、現在の英語の原
型になった言葉。
アングロ・サクソンは6世紀ごろにブリテン島にやって来たアング
ル、サクソン、ジュードの三民族の総称です。
アングロ・サクソン人は現在のドイツがあるあたりからやって来た
ゲルマン系の民族で、当然、彼らが操っていた言語もゲルマン系の言
語でした。
古英語はもはや失われた言語ですが、古英語で書かれた文書は残っ
ており、現存する最古のものが北欧発祥の伝承を基にした長編叙事詩
﹃ベオウルフ﹄です。
私は大学院時代に古英語を半年だけかじったことがあります。
授業で﹃ベオウルフ﹄の朗読CDを聞いたことがありますが、とて
も堅い響きで、予備知識なく聴いたらドイツ語と誤認しそうなくらい
ドイツ語によく似た響きでした。
文法も名詞の性・数一致があるなど英語よりドイツ語に近いです。
その後のノルマン・コンクエスト︵1066年︶で今度は、フラン
ス系のノルマン人がブリテン島の支配者となり、英国の公用語はフラ
ンス語になります。
しかし、情報伝達の遅い中世、一般市民まではフランス語が広まる
ことはなく、やがて古英語とフランス語はまじりあい、中英語︵Mi
ddle English︶へと変化。
232
さらに時代を経てシェイクスピア︵1564│1616︶の時代に
は現代とさほど変わらない近代英語︵Modern Englis
h︶に変化し、ここに英語の原型が完成します。
ちなみに、作中でセイバーが古英語を話したと書いてしまいました
が、よく考えたらアーサー王伝説はウェールズが発祥で、アーサー王
はケルト系のブルトン人という言い伝えでした。
ということは、仮にアーサー王が実在したら、古英語ではなくケル
ト系言語であるウェールズ語を話したはず⋮⋮
申し訳ない。ここまで書いたところで気づいてしまいました。
233
未完成ロマンスの結末
使者
11月に入り、ロンドンは冷え込み始めていた。
オックスフォードストリートには気の早いクリスマスのイルミ
ネーションが煌めき始めている。
私はストックホルムで仕事を終え、帰国するとその足でこのヨー
ロッパ最大のショッピングストリートに赴いていた。
クリスマスは家族で過ごすのがヨーロッパの流儀だが、私に家族は
いない。
それでもクリスマスは楽しいものだという意識が文化レベルで染
みついている。
ストックホルムの簡素な飾りつけに比べるとロンドンのクリスマ
スは華やかだ。
234
見ているだけで中々に楽しかった。
そう。今年はあの日本人の友人たちを誘ってささやかな祝杯でも
あげようか。
それも悪くない。そう思った。
地下鉄に乗り、パディントンのエミールのホテルに向かう。
住居を持たない私のこの街での仮の我が家だ。
エミールのホテルは古臭く、薄汚れていて、観光客に人気がない。
そこがとても気に入っている。
ホテルはやはり古臭く、薄汚れていて、観光客らしき姿がなかった。
エミールはいつもの温顔とロシア語訛りの英語で私を迎えてくれ
た。
いつもの光景だ。
しかし、いつもと違うことがあった。
﹁アンドリュー。あんたにお客が来てる﹂
﹂
私に部屋のキーを渡しながらエミールが言った。
﹁客
?
あ
り
が
と
う
﹁ああ、2人組の若いお嬢さんだ。いつもの部屋で待ってもらってる
よ﹂
﹁そうか、スパシーバ。エミール﹂
私がそう素直に礼を述べるとエミールは奇妙なサムズアップをし
た。 いつもと同じ粗末で埃っぽく狭い部屋に入る。
ピーター・クラウチが寝そべったらはみ出しそうなその狭い部屋に
2人の女が立って私を待っていた。
女たちは両親にペアルックを強要された双子のようにまったく同
じデザインの漆黒のドレスを着ていた。
2人とも眼は赤く、髪は銀色だった。
背格好も風貌も瓜二つだった。
彼女たちを隔てているのはただひとつ。髪の長さだけだった。
だ。
﹂
500年続く名門で、同じく錬金術を得意とするアインツベルン家
の後塵を拝しているが、
戦闘用ホムンクルスに限定すれば、彼らの精製するホムンクルスは
アインツベルン
より強力と言われている。
その特性を生かし、スイスの主産業が傭兵だった時代に多くの戦闘
235
髪の長い方の女が恭しく古風なお辞儀をし、口を開いた。
﹂
ホーエンハイム
?
﹁突然の訪問失礼いたします。ヘル・アンドリュー・マクナイトでい
らっしゃいますね
﹁⋮⋮どう見てもホムンクルスだな﹂
またしても髪の長い女が言った。
アインツベルン
﹁左様でございます。ヘル・マクナイト﹂
﹁君たちはどこのお使いだ
﹁後者の方です﹂
?
ホーエンハイム家は錬金術を得意とするオーストリアの魔術家系
?
こういう風貌の人種を私は1種類しか知らない。
﹁いかにも。そう言う君たちは⋮⋮﹂
?
現在はオーストリアに拠点を移している。
この素敵なホテルをわざわざ訪問してきた理由は
﹂
嘘か誠かあのパラケルスス直系の家系にあたると言われている。
﹁それで
?
﹂
﹁どうしてあんたに依頼が来たんだ
﹂
今度は私に指名を受けた当の本人、シロウが言った。
い﹂
シロウは結界の探知が得意だっただろう。ぜひとも頼まれてほし
るものと思う。
恐らく、高級ホテルなり高級フラットなりに結界を張って潜んでい
術師だ。
僕の知る限り、ギュンター・フォン・ホーエンハイムは典型的な魔
だが、
ホーエンハイムの工房からホムンクルスを連れて失踪した魔術師
﹁シロウの手を借りたい。
いた。
私が事の次第を説明すると、難しい顔で考え込んでいた凛が口を開
﹁それで
そう言う人物を私はこの街に他に知らない。
彼らは魔術師で、しかも信用できる人物だ。
理由は言うまでもない。彼らに協力してもらうためだ。
トを訪れていた。
私はセント・ジョンズ・ウッドにある、衛宮士郎と遠坂凛のフラッ
﹁というわけだ﹂
可能な限り内密に﹂
﹁あなたに探し出していただきたい人物がいます。
が一切ない模範的なほど事務的な回答だった。
﹁今日もロンドンは曇っていますね﹂というような事項の挨拶の類
今度も長い髪の方の女が答えた。
私は部屋に1脚しかない椅子に腰かけて言った。
?
?
?
236
用ホムンクルスを傭兵として出荷して巨万の富を築いた。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
﹁ジェラール・アントルモンという僕の知己でフランスの魔術使いが
偶然にも、
パリ発ロンドン行きのユーロスターに乗る2人を目撃している。
ジェラールは顔の広い男でね。ギュンター・フォン・ホーエンハイ
ムとも面識があり、本人の事を知っている。
﹃日がな一日工房に籠って研究をズリネタにマスカキしてそうな男が
ホムンクルスを連れて外出とは珍しい﹄
と方々で話して回り噂になった。
当のホーエンハイムは見間違えだと否定して回っているようだが、
噂が広まったことで動きづらくなったらしくてね。
ロンドンを拠点にする寡黙で口が堅くとびきりハンサムな僕に探
報酬はもちろん払うし、助手をつけることをホーエン
してほしいと依頼に来たわけだ。
どうだろう
ハイムの使者にも了解してもらっている﹂
237
考え込んでいた凛がまたしても口を開いた。
﹂
﹁ホーエンハイム家のホムンクルスって大抵が戦闘用でしょ
見つけたとして乱暴なことにならない
うむ。彼女の懸念はもっともだ。
人は経験から学ぶ生き物だ。
がら荒事になってしまった苦い経験がある。
ふむ。それもそうか。以前に﹁荒事にはならないだろう﹂と言いな
士郎の反応も芳しくない。
やはり凛は難しい顔をしている。
荒事にはならないと踏んでいる﹂
魔術師だ。
そして、ギュンター・フォン・ホーエンハイムも典型的な学究肌の
いらしい。
﹁ホーエンハイムの使者の話では、そのホムンクルスは戦闘用ではな
然だろう。
士郎の愛しの人としてそのような事態を避けたいと考えるのは当
私が同行を依頼している衛宮士郎は無茶をするタイプだ。
?
?
?
ただ﹁報酬は払うので手伝ってほしい﹂ではイエスとは言わないか。
﹂
﹁ちなみに提示された報酬は1人5000ユーロだ。経費別でね﹂
凛は私の言葉を反芻すると、指折り暗算を始めた。
これで彼女は篭絡した。次は士郎だ。
﹁シロウ。君はアインツベルンのホムンクルスと因縁があったね
士郎の表情が悔恨に沈み﹁⋮⋮ああ﹂と小さく呟いた。
﹁ギュンター・フォン・ホーエンハイムは典型的な魔術師だ。
出した。
︵そもそも名前などないのかもしれない︶
礼儀として名前を聞いたが彼女たちは名前を名乗らなかったので
今度も髪の長い方が答え、短い方は一言も発さなかった。
せる許可を得た。
私はホーエンハイムの使者2人に士郎を紹介し、助手として同行さ
まったく。金持ちめ。
彼女たちはサヴォイホテルに滞在していた。
向かった。
士郎と凛の了解を得た私は、その足でホーエンハイムの使者の元に
﹁わかった。あんたを手伝うよ。アンドリュー﹂
士郎はまたしてもしばし逡巡したがやがて力強く答えた。
ホムンクルス当人にとっても恐らくその方がマシだろう﹂
房に連れ戻されることになるだろうが、
僕らが2人を見つければ当のホムンクルスはホーエンハイムの工
自分の家の工房ですらできないような類いのイケない研究を。
使ってよほどイケないことをしようとしているのだろうな。
﹁何 を や ろ う と し て い る の か は わ か ら な い が、そ の ホ ム ン ク ル ス を
私は自分なりの推測を交えた回答を提示した。
士郎はしばしの黙考の後﹁さあ﹂とだけ答えた。
これが何を意味すると思う
﹂
その典型的な魔術師が人目を避けて工房からホムンクルスを連れ
?
私は便宜上、髪の長い方を﹁アイン﹂、短い方を﹁ツヴァイ﹂と呼ぶ
ことにした。
238
?
我ながらなかなかハイセンスなネーミングだ。
こうしてめでたく正式に依頼を受けた私は、この大都会のどこに居
るともしれない2人││1人と1体と言った方がいいのかもしれな
い││
を探しに、ロンドンへと繰り出した。
﹁さあ、行こうか。グルミット﹂
﹂
﹂
私がそう、ウィットに富んだ言葉をかけると、士郎は困った顔をし
て言った。
﹁誰だそれ
﹁グルミットを知らない
﹁知らない﹂
グルミットの日本での知名度は低いらしい。
私は言った。
﹂
﹁グルミットはこの世で最も賢くてかわいい生き物だ﹂
﹁⋮⋮人間じゃないのか
士郎は深く溜息をついて言った。
﹁あんた、一体どういう性格なんだ
に未だによくわからないよ﹂
あんたとは結構話したはずなの
﹁ああ、グルミットはアニメに出てくるビーグル犬だ﹂
?
ね﹂
﹁そ れ は 残 念 だ。僕 は そ れ な り に 君 の こ と を 気 に 入 っ て い る ん だ が
?
239
?
?
捜索
私が士郎と共に消えた魔術師とホムンクルスを探し始めて1週間。
すでに我々は彼らを捕らえ、ホーエンハイムに引き渡していた││
と言いたいところだが実際のところ経過は思わしくなかった。
私と士郎はロンドン中の高級なエリアを歩き回っていた。
チェルシー、メイフェア、ナイツブリッジ。
高級ホテルやフラットを私はフーチを片手に、士郎は魔術回路を全
開にして結界の痕跡を探った。
しかし、結界はおろか魔力のカスすら探知できなかった。
高級エリアばかり回ったのはそれが効率的方法と考えたからだ。
私が伝え聞いた第4次聖杯戦争の話だ。当時、時計塔最高の講師で
あり名門の一流魔術師だったケイネス・エルメロイ・アーチボルトは
高級ホテルのスイートを貸切り、そこに結界を張って拠点としてい
240
た。
私のような人種からすれば、そのような目立つ場所に隠れるのは実
に愚かに思えるがそれが名門魔術師という人種だ。 ギュンター・フォン・ホーエンハイムの人となりについても私は調
査していた。
ホーエンハイム家の遠縁にあたるドイツの家系からやって来た養
子。
幼いころから魔術がすべての世界でその価値観を調教され、魔術以
外の物を凡俗と切り捨てる典型的な魔術師。
﹂
ニューヨークではた迷惑な騒ぎを起こした義兄の快楽主義者ハン
スとは対称的な人物。
私が伝え聞いた人物像はほぼその様相で一致していた。
私は人物像を見誤ったのか
﹁アンドリュー。さすがにやり方を変えた方がいいんじゃないか
士郎からの提案はもっともだった。
ンドイッチのランチを頬張りながらしばしの休息をとっていた。
午前中の探索がまたしても空振りに終わった私と士郎は、パブでサ
?
?
﹁そうだな。午後は少し調べものといこう﹂
私は鉄道警察のツテから交通局の監視カメラ映像を入手する手配
をした。
幸いにして2人がいつユーロスターに乗ったかは分かっている。
そして、このロンドンは監視カメラだらけだ。
高度な魔術師でもその目を欺くのは不可能だったらしい。
パリ北駅発のユーロスターでロンドンのセントパンクラス駅にに
たどり着いた2人の姿を監視カメラが捉えていた。
2人はセントパンクラス駅から地下鉄に乗り換え、ウエストミンス
ター駅発の最終列車に乗った。
しかし、それが2人の姿を捉えた最後だった。
2人が乗った列車が隣のセントジェームズパークに到着したこと
は映像で確認できたが、その車両に2人の姿はなかった。
ちょっとした、いや、相当なミステリーだった。
私は凛を連れて行ったときと同じ注意、すなわちこれから会いに行
く人物が訳ありの人物で彼の居場所は他言無用にしてほしい旨、この
世で最も下品な生き物である旨を説明した。
マンチェスターと並ぶ英国第2の都市、バーミンガム。
その市街にたち並ぶ無個性な近代的集合住宅の1室の前に我々は
いた。
私は分厚いドアをノックして言った。
241
私はその映像を検め、そして頭を抱えた。
﹂
?
彼は私の隣で当然の疑問を口にした。
﹁バーミンガムに何があるんだ
ニューストリート駅行きの列車に乗っていた。
翌日、私は士郎を伴い、ロンドン ユーストン駅初、バーミンガム
﹁視点を変えてみよう。奴に協力を仰ぐ﹂
私は思考を巡らせ、こう一言、実に気の進まない提案をした。
士郎が不安そうな表情で私を見ている。
×××××××××××× ××××××××××××
後にしろ
﹂
﹁ホイル、開けてくれ。アンドリューだ﹂
﹁今、取り込み中だ
碌な理由じゃないことは分かってるが一応聞こう﹂
!
﹁隣の女子大生の着替えをピーピング中だ
﹂
ちょうどブラを外したところだ
いいパイオツしてやがる
私は毅然として言った。
﹁いいから開けろ﹂
﹁冗談だよ﹂
!
﹂
﹁よう。元気か、アンディ
ダチ公よ
?
をまきちらしながら言った。 彼いつものように目ヤニだらけの目を見開き、周囲1フィートに唾
目的の人物、アラン・ホイルはドアを開けた。
ドスンドスンといういかにも重たそうな足音が近づき、
!
!
すると品の欠片もない返答が品の欠片もない声で返って来た。
﹁どういう用だ
!
親しい者の中にはアンディと呼ぶのもいるが、
君と友達になった憶えはない﹂
﹁つれねえな、親友。
秘密を共有する仲だろうよ﹂
﹁秘密の共有などしていない。
そうだったけか
﹂
僕が君の秘密を一方的に守っているだけだ﹂
﹁あ
?
わせておどけた。
﹂
﹁おい。ところでそっちの坊主は⋮⋮﹂
ホイルは士郎を見て言った。
﹁この間来た、嬢ちゃんの男か
私は驚きと呆れと共に言った。
﹁君はどうして変なところだけ勘が良いんだ
?
?
242
?
﹁僕の名前はアンドリューだ。
!
ホイルはそう言うと、体重250ポンドはあろうその巨体の肩を震
?
その質問にはイエスとだけ言っておこう。彼はエミヤシロウ、僕の
友人で時々仕事を手伝ってもらっている。
シロウ、彼はアラン・ホイル。限りなくブタに近いが一応、人類だ﹂
私が両者を紹介すると士郎は愛想よく手を出し、
﹁よろしく﹂と言っ
た。
﹂
ホイルは士郎の手を取ると││鼻毛が勢いよく飛び出した鼻に近
づけ匂いを嗅ぎ始めた。
士郎は例によって困惑していた。
﹁おい。何をしている。ついにブタの領域に両足を突っ込んだか
私が疑問を呈するとホイルは言った。
﹁駄目だ。石鹸の匂いしかしねえ。
嬢ちゃんの男なら指を突っ込んだ時に嬢ちゃんのアソコの匂いが
残ってるんじゃねえかと思ったが
期待外れだったな﹂
そう残念そうに言うと、彼は私と士郎を部屋の中に招き入れた。
﹂と私に疑問を投げかけた。
士郎はスラングを多分に含んだホイルの発言が分からなかったら
しい。
﹁一体あの人は何を言ったんだ
﹁それで
俺のピンク色の頭脳に何の用だ
﹂
?
とポテトクリスプをむさぼりながら言った。
注釈すると﹁ピンク色の頭脳﹂は彼なりのユーモアだ。
私は事件のあらましをホーエンハイムの名前を省いて説明し、新た
な視点が欲しいとの説明をした。
﹁アンディ、いい考えだな。スティーブ・ジョブスも言ってる。﹃th
ink different﹄ってな﹂
﹁君がそんなまともな人物の言葉を引用するとは意外だ﹂
﹂
﹁俺が尊敬してる4人の内の1人だからな﹂
﹁参考までに聞こう、あとの3人は誰だ
﹁キャプテンクランチ、ラリー・フリント、それとサタデースポートの
?
243
?
私は﹁知らなくても何の問題もない。忘れろ﹂と簡潔に答えた。
?
ホイルは巨体を簡素な回転椅子に押し込めるとダイエットコーク
?
編集長だ﹂
私は交通局から入手した監視映像のフッテージを持参したパソコ
ンでホイルに見せた。
ホイルは監視映像を見ると言った。
﹁このホムンクルス中々可愛い顔してるな。⋮⋮パイオツのハリも悪
くねえ。
ちょっと待ってろ﹂
そう言うとホイルの手が下半身に伸びた。
﹂
私は不安と共に当然の疑問を呈した。
﹁おい。ナニをする気だ
﹁マスカキに決まってんだろ
バカかテメエは
今すぐ止めろ
いい女を見たらズリネタにする
﹁そんな常識は知らん
!
!
﹁なーんてな
冗談だよ﹂
ホイルは満腹状態のブタのようにおどけて言った。
!
﹂
常識だろ
!
﹂
!
するとホイルは極めてシリアスな表情で一喝した。
?
士郎はスラングを多分に含んだホイルの発言がよくわからなかっ
たらしくただ困った顔をしていた。
ホイルは再び真剣な表情に戻り、映像に目を戻した。
2人が地下鉄の車両から忽然と姿を消したところまで確認すると、
愛用のサーバーマシンに向かい魔力を解放した。
どうやらどこかのコンピュータセキュリティを破るつもりらしい。
ズ
コ
ズ
コ
ズ
コ
コ
ズ
ズ
コ
コ
ズ
ズ
コ
コ
ズ
ズ
コ
コ
ズ
ズ
コ
かの図面がウィンドウに現れた。
コ
ズ
コ
ズ
コ
ホイルが9回目のdick︵ズコズコ︶を言い終えたところで、何
﹂
dick dick dick dick ズ
テメエの臭えアソコに俺の特
ディスプレイにはウィンドウが現れては消え、ホイルは創意工夫に
コ
!
満ちた卑猥な言葉を連発していた。
ズ
コ
﹁チンカスみてえなセキュリティだな
コ
ズ
大のナニぶちこんでやるぜ
ズ
こ れ で も 喰 ら い な
コ
!!!!!!!
!
dick dick dick dick dick
ズ
!
244
!
﹁冗談だったとは意外だ﹂
!
﹁一体何をしたんだ
﹂
﹂
﹁交通局のシステムをクラックした。アンディ、こいつを見ろ﹂
私は改めて図面を見た。
﹁駅の図面のように見えるが
につく頃には車両から姿を消してた。
?
坊主
左手も時々は使えよ
アランおじさんからのアドバイスだ
辞する私と士郎の背にホイルは言った。
﹁おい
マスかく時は右手だけでするな
﹂
!
用が済んだ私は改めてホイルに礼を言い、その場を辞した。
﹁ありがとう。ホイル﹂
なのでただ一言、こう言った。
思いつかなかった。
う男に世界の複雑さ思い知らされ、何も気の利いた言葉が
私はその相反するものが同居してしまっているアラン・ホイルとい
この男は底なしの変態だが天才でもある。
私はホイルの明晰な頭脳に改めて感嘆した。
隠れ場所としちゃ絶好だと思わねえか
﹂
発の最終電車に乗ったが隣のセントジェームズパーク
いいパイオツしたホムンクルスと魔術師はウエストミンスター駅
の間。
建設予定地はウエストミンスター駅とセントジェームズパーク駅
こいつは建設途中で破棄された地下鉄の駅の図面だ。
﹁ああ、その通りだ。お前はなかなかお利口なファック野郎だな
?
なかったらしい。
私に﹁あの人は何を言ってるんだ
﹂と聞いた。
﹁よくわからなかったんだけど、つまり破棄された地下鉄の駅を探せ
にした。
士郎は今一つ納得のいかない顔をしたが、従い、そして別の事を口
私はやはり﹁知らなくても何の問題もない。忘れろ﹂とだけ答えた。
?
245
!
?
ナニが曲がってくるぞ
!
!
士郎はやはりスラングを多分に含んだホイルの発言がよくわから
!
!
!
ばいいんだな
﹂
私はまたしても簡潔に答えた。 ﹁それだけわかっていれば十分だ﹂
士郎は再び疑問を呈した。
ス
カ
キ
マ
ス
カ
キ
覗
き
魔
﹂
﹁と こ ろ で、 あ の 人 が 言 っ て た peeping tom と か
マ
toss offとかwankって言うのはどういう意味なんだ
﹂
﹁君が中学生ぐらいのころに夢中になっていたものだ。
君は中学生の時、何に夢中になっていた
﹁正義の味方になることだ﹂
﹁そうか。ではそれでいい﹂
246
?
?
?
発見
深夜。
私と士郎はバーミンガムから戻ると、終電車の出発を待ちウエスト
ミンスター駅に降り立った。
何か感じるか
﹂
ホームを降り、図面を頼りに廃棄された駅へと向かう。
﹁どうだ、シロウ
十分に警戒してくれ﹂
﹁わかった﹂
﹁結界の起点はどの辺だ
﹁向こうだ﹂
﹂
荒事になっても問題はないと思うが
﹁シロウ、この先は魔術師の工房だ。君の戦闘能力から考えて万が一
私は手元のフーチを見た。フーチにも反応があった。
リュー﹂
﹁ああ、感じる。誰かが大きな結界を張ってる。間違いないよ、アンド
?
女も男も、そして我々もしばらく一言も発さなかった。
よう警戒心を保ちながら立ち止まった。
30フィートの距離を保ち、私と士郎はいつでも戦闘行為を行える
た。
銀髪の女と金髪の男との距離は30フィートほど前に縮まってい
魔術回路を開き、最大限の警戒を持ちながら進む。
いた。
目を凝らすとその先に、銀髪に赤い眼の女と金髪碧眼の男が立って
前方に微かに見えてきた。 レンガ作りの地下道を更に進む。やがて、駅らしきオブジェクトが
﹁行こう。繰り返すが十分に気を付けてくれ﹂
ホイルの推理は大当たりだったらしい。
図面を見ると廃棄された地下鉄の駅の方向を指していた。
そう言って士郎は一点を指さした。
?
銀髪の女は無表情だった。金髪の男はずっと難しい顔をしていた。
247
?
私の斜め後ろで士郎は不安そうな顔をしている。
︵ドイツ語はお分か
しばらくこの奇妙なにらみ合いが続いた後、銀髪の女が口を開い
た。
︶﹂
﹁Sprechen sie Deutsch
りになりますか
prechen sie Englisch
︵ああ。だが相棒は駄目でね。君は英語を話せるか
女は国籍不明の訛りの英語で応えた。
﹁その前に話を聞いてはいただけませんか
﹂
﹂
﹁ああ。ホーエンハイムのお迎えが待っている一緒に来てもらおう﹂
?
?
﹁あなた方はホーエンハイムから依頼を受けた方でしょうか
﹂
k a n n n i c h t D e u t s c h s p r e c h e n. S
﹁Ja. Aber, leider, mein Partner どうやら私に話しかけたようだ。私は言った。
?
?
﹁Warum
nter.︵駄目です。ギュンター︶﹂
︵何故だ︶﹂
﹁Nein. G
ホーエンハイムのホムンクルスに名前があるとは意外だった。
ディアーヌ。どうやらホムンクルスの名前らしい。
echen︵ディアーヌ。私が話そう︶﹂
﹁Diane. Ich werde mit ihnen spr
すると、今度は隣の金髪碧眼で気難しそうな顔の男が言った。
した。
私はホルスターにしまったH&K USPにゆっくりと手を伸ば
またしても緊迫した沈黙が続いた。
だ﹂
﹁断る。意志すらないかもしれないホムンクルスとの対話など無意味
?
2人の言い争いが始まった。
その姿は魔術師とホムンクルスが切羽詰まった真剣な話をしてい
る様子とは明らかに違った。
﹁あなたは人当たりが悪すぎます。話を聞いてもらうつもりなもう少
248
?
ü
その一言をきっかけに追跡者である私と士郎をそっちのけにして
?
し態度を考えてください﹂
﹁ですから、それでは駄目です。そんな皮肉な言い方では悪く思われ
るだけです﹂
と、主に女の方が一方的に押し切っていた。
隣の士郎はドイツ語がまったく分からず、ただ困惑していた。
私はその言い争う姿から凡その事件の真相の見当がついてしまっ
た。
それは些か以上に意外なものだった。
私は長くこの稼業をしている。危険な稼業はその場がどういう場
であるかを読み間違えると惨事になりかねない。
おかげで、人の心の機微には敏くなった。
この2人の関係は魔術師のマスターとホムンクルスという無味乾
燥なものではない。
その真相は相当に意外なものだった。
﹁紆余曲折あったが、きっかけになったのは目撃談だ。
君たちがロンドン行きのユーロスターに乗るところをジェラール・
アントルモンという魔術使いが偶然目撃していてね﹂
249
私は尚も言い争いを続ける2人に言った。
﹂
?
ドイツ語訛りが微かにあるが綺麗な英語だった。
﹁どうしてここがわかった
ター・フォン・ホーエンハイムが会話の口火を切った。
私と士郎は椅子を勧められ、腰を落ち着けると、金髪の男、ギュン
質素ながら生活空間が拵えられていた。
内に足を踏み入れると
しかし、強力な認識阻害の結界が張られており、プラットフォーム
表向きは。
そこは破棄されたコンクリートと金属の塊で出来た駅だった。
しくなる﹂
││そういう喧嘩は他所でやってくれ。聞いているだけで恥ずか
﹁先刻も証明した通り僕はドイツ語が分かる。
××××××××××××
﹁⋮⋮ジェラール・アントルモン。あの軽薄なフランス男か﹂
そう言って、ギュンターは深く溜息をついた。
私はリッチモンドに火をつけ、深く煙を吸い込んで一服すると言っ
た。
﹁僕は当初、君が一方的に彼女を連れ出し、実験台にしようとしている
ものと思っていたが
││どうやら違うようだな﹂
﹁ああ。私自身も遺憾なことだがな﹂
﹁察するに││﹂
﹂
もう一服煙を吸い、考えをまとめると私は言った。
﹁君と彼女はお互いを懸想しているのか
金髪の男、ギュンターは銀髪のホムンクルス、ディアーヌと目を合
わせた。
あんた何に気付いたんだ
士郎は││私が﹁懸想﹂などという遠回しな言い方をしたせいか、ま
だよくわかっていないらしい。
やはり困惑した表情で私を見た言った。
﹁なあ、どういう事なんだ、アンドリュー
﹂
?
がやがてあきらめたようにして言った。
﹁⋮⋮どうして君たち英国人はそう遠回しな言い方しかできないんだ
﹂
﹁君たちドイツ人がやたらと規則にうるさいのと同じさ﹂
表情を伺うに、私の答えは正鵠を射たらしい。
私はさらに言った。
﹂
﹁しかし、君のような典型的な名門の魔術師がこのような場所に隠れ
ているとは意外だった。
人は変われば変わるものだな。愛の力というやつか
ギュンターは何も答えなかった。
ンターとディアーヌを見回した。
士郎はようやく分かったらしい。驚きと共に私を見、それからギュ
?
250
?
ギュンターとディアーヌはしばらくお互いの顔を見合わせていた
?
?
代わりに今度はディアーヌが口を開いた。
﹁ヘル・マクナイト。あなたのお噂は聞いています。
現実主義者でも、話の分かるお方だと。
﹂
状況をお察しなのであればどうか話だけでも聞いていただけませ
んでしょうか
﹁勿論聞こう。そもそもその気がないなら力ずくで君たちをここから
引きずりだしている。
ただし、正直に話してくれ。君たちには不運なことに僕とこの少年
は荒事が得意でね。
ウソだと判断したら強硬策に出る。
だが一方で幸運なことに、僕だけでなく││﹂
私は隣に座った士郎を指さして言った。
﹁この少年も話は分かる方だ。事情によっては悪いようにはしない。
﹂
シロウ、ここまで来たんだ。
君も話を聞きたいよな
始めたようで力強く、短く答えた。
士郎はまだ驚きを隠せないでいたが、ようやく落ち着きを取り戻し
?
﹁ああ、俺も是非、聞かせてもらいたい﹂
251
?
真相
﹁ホーエンハイム家はアインツベルンの遠縁の親戚であり、ライバル
ともいえる存在だ﹂
ギュンターはゆっくりと事の次第について話し始めた。
﹁第5次聖杯戦争でアインツベルンがまたしても第三魔法の成就に失
敗したことに、
ホーエンハイム当主のトマス翁は落胆しつつも欲を出した。自分
にもチャンスがあるのではないかと﹂
そこで一度言葉を切り、そして隣のディアーヌを見て言った。
﹁彼女は・・・・・・ディアーヌは第6次聖杯戦争に向け優秀なマスター
を生み出すための母体。そのプロトタイプだ。
彼女は本番の聖杯戦争に向けて更なる優秀な母体をつくるための
足掛かりであり、実験材料。
それが彼女の一生だ﹂
士郎が今日、何度目になるかわからない驚きと共に私を見た。
何という因果だろうか。第5次聖杯戦争の当事者だった衛宮士郎
が、聖杯戦争への妄執に取り付かれた魔術師の創造物と相対すると
は。
﹁運命とは地獄の機械だ﹂という詩人の言葉が私の頭でリフレイン
していた。
ギュンターの話はさらに続いた。
﹁兄のハンスが快楽主義に忠実に生きる一方、私は愚直にホムンクル
スの生成に取り組んだ。
そして、試行錯誤の末、ほぼ計算通りにディアーヌが誕生した。ト
マス翁も結果には満足していた。
しかし、唯一、計算外の出来事として、彼女に自我が目覚めてしまっ
た﹂
重々しくそういうと、ギュンターとディアーヌはお互いを見合わせ
た。
﹁当初は破棄を考えたが、精製には多大な時間と手間がかかった。
252
仕方なく、そのまま調整を始めた﹂
話はまだ序盤らしい、私は2本目の煙草に火をつけた。ギュンター
の話は続いた。
﹁彼女は何というか・・・・・・好奇心の亡者だった。
私の工房にはありとあらゆる種類の図鑑と辞書がある。
ディアーヌは暇を見つけては図鑑と辞書をひっくり返し、そこに書
かれているありとあらゆる種類の物ついてありとあらゆる種類の質
問を浴びせてきた。
聞かれるたびに面倒と思いながら答えていた﹂
﹂
﹁面倒に思いながらイチイチ答えてやるとは。君も案外最初から彼女
に気があったのでないか
私がそう聞くと、ギュンターは気難しい顔をさらに気難しくして答
えた。
﹁面倒くさがって答えないとへそを曲げるからだ。余計面倒だ﹂
﹁へ そ を 曲 げ た の で は あ り ま せ ん。あ な た の 意 地 悪 を 窘 め た だ け で
す﹂
ディアーヌの返しは見事だった。
男は女に口げんかで勝てない。その心理は人間とホムンクルスの
カップルでも変わらないらしい。
﹁・・・・・・そんな日々が1年続いた。
ある日だ。
別の魔術師がディアーヌの調整を行った日があった。
鬱陶しい思いから解放されると朝起きた時点では思った。
だが、昼が過ぎると物足りなくなり、夜になると彼女の声が聞けな
いことを寂しいと感じていることに気づいた。
い つ の 間 に か 彼 女 と の 面 倒 な や り 取 り は・・・・・・彼 女 の 存 在
は・・・・・・私の一部になっていた﹂
ギュンターはいかにも無念といった具合にそう白状した。男には
年 貢 の 納 め 時 が あ る。彼 の 場 合 は そ の 瞬 間 が そ れ だ っ た の だ ろ う。
ただ相手がホムンクルスだっただけだ。
﹁その日は私もとても寂しかったです。
253
?
ギュンターのお話が聞けなくて、つい1日黙って過ごしてしまいま
した﹂
ディアーヌはそう言った。皮肉屋でリアリストな私は言った。
﹁それは不幸中の幸いだな。
おかげで君とギュンターの気持ちが通じ始めていることが悟られ
ずに済んだ。
1日黙っていたことで、感情のある生き物ではなく、ただの生きた
実験対象と思われたんだろう﹂
ギュンターは尚も苦しげに言った。
﹁だが、私はその気持ちの持って行き所が分からなかった。
このままでいいのか、何かを変えるべきなのか。私はこの感情をど
うしていいかわからず、
今まで通りに魔術師として行動しながら、常に心にささくれた何か
が引っかかるような気持ちを抱えながら過ごしていた。
できれば一緒に﹄
典型的な堅物だ。堅物の見本市に並んでいそうな人物の口からそん
な言葉が飛び出したとは。聖書にもあるがやはり﹁最も強きものは
254
そうして、1年が経ったある日だ。
ディアーヌがいつもの図鑑でも辞書でもなく、一冊の雑誌を持って
きた。
兄のハンスがおいて言った通俗的な雑誌だ。ロンドンの行楽につ
いての通俗的な特集だった。
彼女はそれに興味を示し、いつものように質問を浴びせてきた。い
つものように質問に答えながら、
﹄と。
私の口から、自分でも思いがけない言葉が飛び出していた。
﹃そんなに気になるなら一緒に行ってみないか
そう、私は言っていた﹂
い別の人生を生きてみたくはないか
﹃この邸宅の外にも人生はある。どこか別の場所で、実験材料ではな
くべきものだった。
彼女は当然、驚いたが、私の口から次に飛び出した言葉はさらに驚
?
今度は私が驚く番だった。ギュンター・フォン・ホーエンハイムは
?
愛﹂なのだろう。
﹂
私は彼の隣に佇むディアーヌに聞いた。
﹁それを聞いて君はどう思った
﹁愚かすぎると窘めました。
主人の愚行を窘めたホムンクルスは長い魔術の歴史でも私が初め
てでしょうね﹂
ギュンターはディアーヌに一度目線を向け、言った、
﹁そして、私とディアーヌは人目を忍んでザルツブルグの邸宅から抜
け出した。
﹂
兄が馬鹿をやらかすのは昔からだが典型的な魔術師の私がそんな
真似をするとは露ほども思わなかったらしい。
あっさり抜け出せた﹂
私は聞いた。
﹁それで、ディアーヌ、実際にロンドンに来た感想は
彼女は微笑んで言った。
﹁僕は旅人だ。旅人として保証する。
世界には色々な美しい風景や、心躍る体験がある。
だが、一緒に歩く相手は本当にギュンターでいいのか
する。
心が揺れる可能性は
﹂
世界には僕のような憎たらしいほどのハンサムも少なからず存在
?
他にも色々行ってみたいです。叶うなら、ギュンターと一緒に﹂
世界には他にもいろいろな国や街があるのでしょう
かった。
空気もザルツブルグと全然違います。最初は戸惑ったけど来てよ
﹁本当に沢山の人がいるのですね。高い建物もいっぱい。
?
?
﹁確かにあなたは魅力的だけど、私は人生のほぼすべての時間を彼と
過ごしました。
今更、他の人の隣は歩けません。
それに、ギュンターは私に人生をくれました。
255
?
彼女はまたしても微笑んで言った。
?
だから私の人生は彼に捧げたい。
等価交換です﹂
﹁君は実に魅力的だな。少々、いや、些か以上にギュンターが妬ましい
な﹂
驚くべき話だ。そして、正直心を動かされた。
だが、私は皮肉屋なリアリストだ。まだ聞かねばならないことがあ
る。
﹁ギュンター。彼女はホムンクルスだ。ホムンクルは概して短命。
彼女の余命は持って10年と言うところだろう。
﹂
長い人生のほんの10年と引き換えに、ホーエンハイムの家を捨て
ることができるのか
私がそう水を向けると、ずっと難しい顔をしていたギュンターは何
かを悟ったような楽な表情になり、静かに語った。
﹁ここ1ヶ月ずっと魔術から離れていた。
不思議なことに工房が懐かしく思えない。
魔術の世界で名を成すことがすべてと教えられてきたが
・・・・・・今、私にとって一番大事なことはディアーヌの幸せだ。
彼女は私の価値観を変えた。
魔術しか知らなかった視野狭窄な過去25年の時間よりも、彼女と
過ごしたこの1年の方が私にとっては尊い。
私のような堅物がこんな気持ちになるとは想像もしなかったが、今
は何より、彼女に実験材料などではない本物の人生を生きさせたい﹂
彼 の 言 葉 が 消 え る と、し ば ら く 沈 黙 が 続 い た。や が て、と な り で
ずっと黙って会話を聞いていた士郎が、私を懇願するように見て言っ
た。
﹁なあ、アンドリュー⋮⋮﹂
彼の言いたいことはその懇願する目でわかった。
そして、驚くことに私も同じ気持ちだった。
﹁シロウ、僕にはこの世に2つだけ許せないものがある。
ボンベイサファイアをジントニックのベースに使うバーテンダー
256
?
と
愛し合う男女の仲を裂こうとする輩だ﹂
私 自 身 に と っ て も 意 外 な そ の 発 言 は 士 郎 に と っ て も や は り 意 外
だったらしい。
彼は大きく目を見開いて言った。
﹁アンドリュー、あんた⋮⋮﹂
﹁シロウ、僕は今まで何度か君の無鉄砲を窘めてきたが、今度は僕が馬
鹿をやらかす番だ。
君も僕の馬鹿に付き合え﹂
腹は決まった。
最後に一つ質問だ。
﹁一つ、大事なことを聞きたい。とても大事なことだからちゃんと答
えてほしい﹂
私はこのうえなくシリアスな話題を切り出すにふさわしい、このう
﹂
﹂
短い沈黙の後、士郎が困り顔で呆れながら言った。
﹁真面目な顔して何言ってるんだよ、あんた
﹁何を言っている。これは真剣な問題だ。
愛し合う男女ならシタいものはシタいだろう
﹁知らん﹂
私の問いに短く答えた。
真剣な顔で考え込んでいたギュンターは心底呆れた顔に切り替え、
それができないのは不憫以外何物でもあるまい﹂
?
!
257
えなくシリアスな表情でギュンターどディアーヌに問いかけた。
﹁彼女の体はナニが出来るようになっているのか
けた。
﹁ナニ
﹂
ディアーヌが明らかに﹁わからない﹂という表情で私に短く問いか
?
﹁主に男女がベッドの上で性的快楽を貪りあう行為だ﹂
私はシリアスな表情を継続させたまま言った。
?
対決
私は彼らの逃亡に手を貸すことにした。彼らは驚き、私の正気を
疑ったが、最終的には私のことを信用してくれた。
﹁まず、君たちを秘密裏にこの街から逃がす。ホーエンハイムは君た
ちがロンドンに向かったことまでは知っているが
それ以降の動きを知らない。この街から出て以降は、話の分かる人
間に保護してもらう。
準備するから2,3日待ってくれ﹂
私の提案に彼らは首を縦に振り、礼の言葉を述べた。
﹁あんたがあんなこと言うなんて思わなかった﹂
2人の隠れ家からの帰り道、士郎は実に意外という調子で私に言っ
た。
﹁僕の両親は国際結婚だった﹂
258
私は言った。
﹁母方の祖父は絵にかいたような昔ながらの日本の頑固親父でね。
当時、国際結婚する日本人は珍しかったら相当反対されたそうだ。
僕の両親と彼ら2人の困難さは比べ物にならないだろうが、
﹂
率直に言って両親の姿を2人に投影して同情している。それが僕
が彼らを助ける理由だ﹂
││君が彼らを助ける理由も聞いていいか
絡を取った。
彼らの元を後にすると、私はまず2人を匿ってくれそうな人物に連
﹁良い答えだ﹂
私は短く感想を述べた。
彼の理想は歪ではあるが美しい。
私はこの少年に好感を持った理由を思い出していた。
だから俺は2人を助けたい﹂
頑張った奴が報われないなんて間違ってる。
してるんだ。
﹁あの2人は必死の思いで逃げ出して、必死の思いで一緒になろうと
?
パリに拠点をもつ1人目の人物は簡単に捕まった。
気
か
ava
元
﹂
い
﹁ジェラール。アンドリューだ﹂
﹁アンディ
隊後に荒事を専門にした魔術使いになった。
ガールフレンドにフラれたショックでフランス外人部隊に入隊し、除
ジェラールはそれなりに有名な魔術家系の次男だったが、最愛の
そして、大事な点だが、彼はロマンチストだ。
ることだろう。
ギュンターとディアーヌに目立たずに暮らす生活を提供してくれ
さらに彼は身分を偽装する術を心得ている。
唯一の目撃者である彼は最適だ。
限定する必要がある。
ギュンターをディアーヌを逃がすには関係する人物を可能な限り
まず、この件についての唯一の目撃者だ。
てつけの人物だ。
ジェラール・アントルモンは今回に件についてあらゆる意味でうっ
にしないタイプの人種だ。
必要なのは話の分かる人間で、尚且つ、事情によっては金銭など気
まずはギュンターどディアーヌを匿ってくれる人物が必要だ。
?
アンディ
なんて悲劇だ
まるで無実の罪で引き裂かれたエ
そんな人物がこの件の真相を話せば悪いようにするはずがない。
﹁オー
!
﹂ 僕にできることならなんでもするよ
で引き受けるさ
彼は二つ返事で引き受けてくれた。
次は移動する足の手配だ。
2人を匿えと言うなら喜ん
凛が最近車を購入したと聞いているが、彼女に頼んだら事実を話さ
持っていない。
私は運転は出来るが地元を留守にしていることが多いため、車を
が最適と判断した。
私は不測の事態に備え、公共交通機関を使わずに陸路で移動するの
!
259
!
ç
ドモン・ダンテスとメルセデスじゃないか
!
!
!
!
ざるを得なくなる。
私と士郎はこれから連れ立ってバカな行為をしようとしていると
ころだ。
素直に事情を話したらお説教程度では済まないだろう。
数日を要するためレンタカーも避けたい。
私は警察関係者の2人、エミリー・オースティンからソフィー・エ
ヴァンズのどちらかに協力を仰ぐことにし、
ソフィーを選択した。
彼女を選んだ理由は簡単だ。
ソフィーは半分フランス人でロマンチストだからだ。
あなたは2人を助けなきゃ駄目
私が事情を話し、車の借用を頼むと彼女は熱のこもった調子で言っ
た。
﹁アンドリュー
!
﹂
の声が聞こえた。
﹁これはどういう事でしょうか
ヘル・マクナイト﹂
私がそうギュンターとディアーヌに言うと、背後から招かれざる客
1秒も早くここを出よう﹂
に信じているか疑問だ。
﹁急ごう。ホーエンハイムには虚偽の調査進捗を伝えているが、本当
た。
ると士郎を連れて2人の隠れ潜む廃棄された地下鉄の駅へと向かっ
準備を終えた私は貸倉庫から万一に備えた装備をピックアップす
女は納得したようだった。
彼女は聡明で勘のいい女性だ。正直説明は冷や汗ものだったが、彼
士郎を連れて行く許可を得た。
と最もらしい理由を並べ、
私は凛に士郎を連れて2,3日調査のためにスコットランドに行く
こうして準備は整った。
てるんだよ
英国人のジェーン・オースティンですら最後はハッピーエンドにし
!
ホーエハイムのお使いのホムンクルス、アインとツヴァイだった。
?
260
?
迂闊だった。慎重かつ迅速に行動したつもりだったが後をつけら
れていたらしい。
﹁英国人は天邪鬼でね。やれと言われたことを放棄したくなり、やら
なくていいことをやる気分になってしまう時があるのさ﹂
私は余裕をもって答えたが、状況はかなりまずい。
﹂
私の隣に佇む士郎が緊迫感を露わにして言った。
﹁アンドリュー。どうする
私は、ダッフルバッグから用心のために用意していた装備を取り出
し短く答えた。
﹁言うまでもないだろう﹂
士郎は私の言葉に力強く頷くと、あの詠唱とともに2振りの中華剣
を投影して構えた。
﹁どうやら契約は破棄ということのようですね。
承知いたしました。こちらも相応の手段を取らせていただきます﹂
彼女たちの懐の空間が歪み、2体のホムンクルスの手には彼女たち
の身長ほどもあるロングソードが握られていた。
﹁シロウ、奴らは戦闘用ホムンクルスだ。
ホーエンハイムは戦闘用に限ればアインツベルンを上回る精度の
ホムンクルスを作ることが出来る。
十分に用心してくれ﹂
﹁ああ。あんたもな。アンドリュー﹂
﹁よし、やるぞ。後でリンからのお叱りを受ける覚悟をしておけ﹂
﹁⋮⋮どっちかっていうとその方がキツいな﹂
﹁心配するな。今回は僕も一緒にお叱りを受けてやる﹂
明らかに芳しくない状況だった。
私が髪の長いアインを、士郎が髪の短いツヴァイを相手していた
が、
ホーエンハイムの戦闘用ホムンクルスの戦闘能力は想像以上だっ
た。
261
?
私はそう言い終わるや否や、FN P90を掃射した。
×××××××
私は取って置きのFN P90から5.7x28mm弾を派手に
先制攻撃でばら撒いていた。
P90は人体を貫通して真っ二つにすることが出来るほどの強力
な兵器だ。
しかし、弾丸は全て叩きおとされて接近戦にもちこまれ、その度に
強化したナイフでギリギリロングソードをかわしては空いた手で殴
打を食らうというパターンを繰り返し、私は5ラウンド戦った後のう
だつの上がらない3流ボクサーのようにボロボロになっていた。
私が何発目になるかわからない殴打をくらって吹き飛ばされて膝
をついていると、士郎が私のそばに吹きとばされてきた。
﹁そっちも状況は芳しく無いようだな﹂
﹁あいつ、とんでもない力だ。まるでサーヴァントと打ち合ってるみ
たいだ﹂
もうやめてくれ
元々私の愚かな行いが起こした結果だ、私が受け入れれば済む﹂
﹁そうです。もうやめてください。あなたたちの命には代えられませ
ん﹂
ギュンターとディアーヌの悲痛な叫びが聞こえる。
私は紳士然とした落ち着きはらった態度で言った。
﹁お断りだ。勝てる見込みがあるのに勝負を捨てるなどごめんだね﹂
実際に勝機は見えてきていた。
不利な戦いの中、私は戦術を練りつづけていた。それはようやく形
になりつつあった。
私は治癒魔術を自分と士郎に交互にかけながら思考を巡らせ言っ
た。
﹁シロウ、聞いてくれ。
あの銀髪に赤い眼の美女にさんざん殴られているうちに、
イケない趣味に目覚めてしまいそうになりながら、
262
士郎もやはりボロボロだった。彼の特異な魔術をもってしても相
シロウ
!
手は難敵らしい。
﹁アンドリュー
!
私とディアーヌが罰を受ければ済む話だ。
!
ひらめいた﹂
﹁聞かせてくれ。アンドリュー﹂
﹁まず、僕があの2人組を挑発する。
﹂
奴らの思考は画一的だ。挑発すれば2人同時に突っ込んでくるは
ずだ﹂
﹁それから
﹁計算通りにあの2人が突っ込んで来たらあの盾を投影してくれ。
そして、僕の合図と同時に投影を解除する。
﹂
上手くいけばこれでまず1体だ﹂
﹁もう1人は
﹁僕を信じるか
シロウ﹂
彼の眼はまだ死んでいない。いつものまっすぐな眼だった。
私は士郎の眼を正面から見据えた。
動きの止まったところを狙撃だ﹂
止めている間に、君は弓矢を投影してくれ。
﹁もう1人はどうにか僕が動きを止める。
?
戦闘中止が賢明な判断と思いますが﹂
﹂
私は荒い息を押し殺しながら言った。
﹂
﹁パーティーの趣向を変えないか
﹁どういう意味でしょうか
﹁いや、なに。
1対1ではなく、2対2で戦うのはどうかと思ってね。
?
ベッドでも、2人でするより4人でした方が楽しいだろう
﹂
ヘル・マクナイト、ヘル・エミヤ。
?
このまま続けてもあなた方に勝機はありません。
﹁まだ続けるおつもりですか
アインが留守電の応答メッセージのような無機質な口調で言った。
﹁ああ、あんたを信じるよ。アンドリュー﹂
彼は力強く答えた。
?
彼女は表情一つ変えずに言った。
らしい。
ホーエンハイムのホムンクルスにはユーモアを解する機能がない
?
?
263
?
﹁よく意味は分かりませんが、戦闘続行ということですね。
では、お2人をまとめてお相手いたします﹂
そう言い終わるや否や、2人の戦乙女は地面を力強く蹴り、
﹂
弾丸のような勢いで我々のもとに突っ込んできた。
﹁シロウ
ア
イ
ア
ス
﹂
私が叫ぶと、背後の士郎から魔力が迸るの感じた。
ロー
﹁熾天覆う七つの円環
!
﹁今だ
﹂
ロングソードを振り下そうとしたその刹那、私は再び叫んだ。
の障害物を破壊しようと試み始めた。
戦闘用に意識を作られた2体は、ロングソードを振り上げて目の前
そして、そのあとの行動も計算通りだった。
計算通りだ。
れた盾にぶつかって止まった。
突っ込んできた2体は行く手を突如現れた障害物に遮られ、投影さ
7つの巨大な花弁が地下道いっぱいに広がる。
!
目の前の障害物が突如消えたことに2体のホムンクルスは思考が
追い付かなかったらしい。
振り下ろそうとしたロングソードは力の行き先を失い、前のめって
バランスを崩した。
私 は 懐 か ら 取 っ て お き の 礼 装 を 装 填 し た ト ン プ ソ ン・コ ン テ ン
ダー・アンコールを取り出すとバランスを崩して倒れかけたツヴァイ
に向かって発砲した。
ツヴァイは人間離れした反射神経ですでに事態を把握していた。
しかし、もう遅い。その体勢から回避は不可能だ。
ツヴァイ自身もそのことを理解しているに違いない。
彼女は回避行動をとる代わりに瞬時に障壁を展開して防御を選択
した。
計算通りだ。
私が放ったのはただの銃弾ではない。
264
!
士郎が盾の投影を解除する。
!
起源弾。
衛宮士郎の父で魔術師殺しの異名を取った衛宮切嗣が生前に用い
ていた礼装。
被弾者の魔術回路に干渉し、術者の肉体を破壊する。
サマセット・クロウリーから士郎が思い出の品として受け取ったこ
の礼装を
私は万一の事態に備えて士郎から譲り受けていた。
放たれた起源弾は予想通り、ツヴァイの障壁を通して魔術回路に干
渉し、彼女の肉体に影響を及ぼした。
全身から体液を流した彼女は、やがて機能を停止した。
││これでまずは1体。
私はツヴァイの機能停止を確認すると、アインの行動に意識を向け
た。
彼女はすでに体勢を立て直し、私をサシミにするためにロングソー
265
ドを振り上げてこちらに向かってきていた。
私は全魔力を身体強化に回すと、突っ込んでくる彼女に向かって
チャージした。
アインとの距離がゼロになる。
ロングソードが振り下ろされる。
私は、空になった銃を投げ捨てると両手でロングソードを振り下ろ
そうとする彼女の懐につっこみ、
ロングソードをもった両手をがっしりとホールドした。
身体強化に全魔力を回していてもその力の差は明らかだった。
アインの怪力に私は押し込まれ、膝をつく。
もう何秒ももたないだろう。
だが、時間稼ぎとしては十分だった。 全身に力を込めたまま背後を振り返ると士郎はすでに弓矢の投影
を終えていた。
﹂
竪琴のような形をした優美な形状の弓だった。
フェ イ ル ノー ト
真名の解放とともに矢が放たれる。
﹁痛哭の幻奏
!
!
フェイルノート。
円卓の騎士が1人、トリスタンが担った伝説の武具だ。
﹁無駄なしの弓﹂と呼ばれ、
人間でも獣でも狙った場所に 必ずあたる言われた伝説の武具だ。
矢は神秘的正確さをもってアインに命中し、アインは機能を停止し
た。
私は身震いするほどの完璧なウィットで倒れた彼女に言った。
﹁パーティーはお終いだ。中々楽しかったよ。
だが、愛し合う男女の仲を引き裂こうとするとは無粋すぎるぞ、君
たち﹂
266
結末
重たい体を引きずり、ソフィーから借りたルノーを走らせ我々はま
ず士郎と凛のフラットに向かった。
この傷だらけの体だ。潔く凛に事情を説明したほうがいいと判断
したからだ。
凛はボロボロの私と士郎の姿を見ると、何があったか察したらしく
あなたたち、私に隠れてどんなおバカなことをしたのかし
日本式の正座をさせた。
﹂
﹁それで
ら
る前に行きなさい
﹂
﹁あなたたちのバカを見逃してあげるって言ってるの
私の気が変わ
意外な展開に目を丸くする私と士郎に彼女は言った。
﹁行きなさい﹂
羽毛のように軽くなっていた。
のように重たくなっていた私の体は
魔術師として桁の違う彼女の治癒魔術は効果覿面で、コールタール
癒だった。
しかし実際にはじまったのは激怒のお説教ではなく、魔術による治
説教の始まりを覚悟した。
凛はそれをじっと黙って聞いていた。話し終えると私は楽しいお
情を説明した。
私と士郎は主人に怒られる小型犬のように体を小さくし、詳細に事
?
!
パリの大渋滞に辟易としながら、目的地を目指す。
ンに彩られていた。
11月も下旬に入ったパリは絢爛なクリスマスのイルミネーショ
休憩をはさみながらたっぷり8時間をかけてパリに向かった。
と士郎はドーバー海峡を渡り、
フラットを後にし、ギュンターとディアーヌをピックアップした私
な﹂
﹁あ り が と う。リ ン。君 は 本 当 に 素 敵 な 女 性 だ。シ ロ ウ は 幸 せ 者 だ
!
267
?
初めて来るパリの街に生まれてまだ2年にもならないディアーヌ
は眼を輝かせ、ありとあらゆる初めて見るものに対し、
ギュンターに質問をしていた。ギュンターは世界中の不機嫌の7
割ほどを背負ったような仏頂面で答えていた。
心温まる光景だ。彼らを助けてよかったと思った。助手席の士郎
も2人の姿を微笑みを浮かべて見ていた。 大渋滞のパリの街を30分かけてゆっくり走行し、パリ15区にあ
る小奇麗なアパルトマンに我々はたどり着いた。
そのアパルトマンを拠点にする魔術使い、ジェラール・アントルモ
ンはいかにもラテン系らしい明るい笑顔で我々を迎えてくれた。
ロマンチストのジェラールは2人の愛の逃避行の詳細をやたらと
聞きたがり、
ギュンターは渋い顔で渋々答えていた。
ジェラールは思いのほか嬉しそうだった。彼は嬉々として言った。
268
﹁ボクは荒事は得意だけど他の魔術は苦手でね。キミたちのことはこ
れからボクが保護するけど、仕事を手伝ってほしい。
キミたちは2人とも素晴らしい腕を持った魔術師だ。色々サポー
トしてくれよ﹂
ギュンターはいかにも不機嫌そうに﹁ああ、分かった﹂と短く答え
た。ディアーヌはギュンターの感じの良い態度を窘めていた。
私は2人のその仲睦まじい姿を見て言った。
﹁君たちはお似合いだな﹂
ギュンターはやはり不機嫌そうに言った。
﹁余計なお世話だ﹂
我々は今後の話を終えると、なけなしのギュンターとディアーヌの
荷物をジェラールのアパルトマンに運び込み、再び車に戻った。
ギュンター﹂
ギュンターとディアーヌはそろって私と士郎を見送りに出てきて
くれた。
﹁パリの生活にはなじめそうか
考えただけでも気が重い﹂
﹁軽薄なフランス男の世話にならなければならないんだ。
?
﹁では、ホーエンハイムの邸宅に帰るか
﹁絶対に御免だ﹂
﹂
私とギュンターのとても感じの良いやり取りを見ていたディアー
ヌが言った。
﹁アンドリュー、シロウ。本当にありがとうございます。
私はホムンクルスです。後、何年生きられるか分かりませんが、あ
なたたちのことは決して忘れません。
必ず彼と幸せになってみせます﹂
そう言って彼女は古風なお辞儀をした。
ギュンターは相変わらずの不機嫌な表情だったが、
﹁ほら、あなたも
御礼を言ってください﹂とディアーヌにうながされ、
渋々手を差し出して言った。
﹁アンドリュー、シロウ、世話になった。
あまり人に言ったことのない言葉だが。
ありがとう﹂
パリの街はすでにクリスマスムード一色だった。
私はあたりの光景を見渡し、彼の手を握って言った。
﹁いけないな、ギュンター。こういう時はこう言うのさ。
メリークリスマス﹂
ギュンターは不機嫌そうな表情を少しだけ緩ませて言った。
﹁メリークリスマス﹂
再び車を駆り、アパルトマンを後にする。
バックミラーごしに振り返ると、ギュンターとディアーヌはまだ
我々の姿を見送っていた。
そして、その手はしっかりと繋がれていた。
パリを離れ、1時間。
私と士郎を乗せた車はパリの洒脱な街並みを抜け、北フランスの長
閑な田園光景に差し掛かっていた。
良く晴れた気持ちのいい日だった。最高の気分だった。
269
?
彼らはきっと大丈夫だ。私はそう思った。
××××××
﹂
ずっと黙っていた士郎が口を開いた。
﹁なあ、あの2人。大丈夫だよな
﹁ああ、それで
﹂
﹂
ルンはキリツグとアイリスフィールの間に生まれた子供だ﹂
そして、君が救えなかったイリヤスフィール・フォン・アインツベ
ルンのホムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルンだ。
﹁ニューヨークの一件の時、話したと思うが、キリツグの妻はアイツベ
﹁ああ、そうだけど。それが
彼が不思議そうな顔で尋ねる。
いたが⋮⋮﹂
﹁シロウ。君の父上、エミヤキリツグはよく家を留守にしていたと聞
だった。
言おうかどうか少し迷ったが、言った方がいい。私はそんな気分
私はふとあること思い出した。
再び車内に沈黙が訪れた。
彼の顔には笑みが浮かんでいた。
﹁そうだよな﹂
﹁勿論さ。前途は多難だろうが、切り抜けるだろう﹂
?
フィールを連れ戻しに行っていたのではないかな。
だが、聖杯を持ち帰らなかったキリツグに対し、アインツベルンは
森の結界を開かず、また衰えたキリツグは結界を突破できなかった﹂
士 郎 は 私 が 何 を 言 わ ん と し て い る か ま だ よ く わ か ら な い ら し い。
不思議そうな表情で黙って私を見た。
私はさらに続けた。
﹁それでも諦めず、彼はイリヤスフィールを連れ戻そうと試みた。何
度もな。
││それだけ娘のことを強く想っていたんだ。
案外、アイリスフィールのことも聖杯戦争のための道具ではなく本
当に妻として想っていたのかもしれない。
そう。人間のキリツグとホムンクルスのアイリスフィールの間に
270
?
﹁僕の推測だが、エミヤキリツグは家を留守にしていた時、イリヤス
?
本物の愛情が芽生えたんだ。
ならば、ギュンターとディアーヌも大丈夫だ。僕はそう思う﹂
士郎は私の発言が意外だったらしい。ポカンとしていたが、やがて
微笑みを浮かべて言った。
﹁皮肉屋のあんたがそんなこと言うなんて意外だな﹂
﹁皮肉屋だってたまにはロマンチストになりたくなることもある。
ロンドンだって時には気持ちよく晴れる日がある。
それと同じさ﹂
士郎は満足そうに見えた。
車はまだ北フランスの田園地帯を走り続けている。先は長い。
﹁シロウ。先はまだ長い。君は寝ていても構わないぞ﹂
﹁いや、いいんだ、アンドリュー。
それより、もっと話を聞かせてくれないか
その、親父とアイリスフィールさんの話。
﹂
それだけ色々知ってるんだから、まだほかにも調べたことがあるん
だろ
するよ﹂
私はエミヤキリツグとアイリスフィールについて調べたことを頭
の中でまとめ上げ、語り始めた。
ロンドンまではあと7時間というところだろう。
旅はまだ続く。
私の話もまた、まだまだ続く。
271
?
││長旅のパートナーからのリクエストだ。可能な限り答えると
﹁わかった。推測を交えた話にはなるが││
?
設定│8
設定│英国の風物について6 ・イギリスのクリスマス
とても華やかです。イギリスに限らずヨーロッパではクリスマス
はアジア圏のお正月のようなもので国民的な祝日であり、イベントで
す。日本に年賀状があるようにヨーロッパにたクリスマスカードが
あり、日本にお歳暮があるようにヨーロッパにはクリスマスプレゼン
トがあります。
クリスマスムードの始まりの早さや高まりに日本の非ではありま
せん。
劇中に登場したオックスフォードストリートでは11月初頭にイ
ルミネーションの点灯が行われます。ナイツブリッジ、スローンスク
ウェア、リージェントストリートなどのショッピング街は例外なくき
らびやかなイルミネーションで彩られ、見ているだけでもとても楽し
いです。
私 は 1 2 月 半 ば の ク リ ス マ ス ム ー ド 最 高 潮 の 時 期 に ロ ン ド ン に
行ったことがありますが、特にハロッズ︵ロンドンの老舗デパート︶の
装飾のド派手さには驚かされました。
・ホーエンハイム
ホムンクルスの精製に成功したという逸話を持つパラケルススこ
とテオフラストゥス・︵フォン︶・ホーエンハイムから命名。
オーストリアの家系という設定は、パラケルススがスイスで生まれ
てオーストリアで没しているため。
最初はアインツベルンからホムンクルスが失踪する設定にしよう
かと思ったのですが、アインツベルンがホムンクルスの逃走を許した
らちょっと変かなと思いオリジナルの魔術家系を登場させることに
しました。
・ウエストミンスターとセントジェームズパーク
どっちも実在する地下鉄の駅。この2つの駅の間に建設途中で破
272
棄された地下鉄の駅が本当に存在するかどうかは不明。
ネタ元はBBC制作のテレビドラマ﹃Sherlock﹄より
・ロンドンからパリへ
ロンドンは英国の首都。パリはフランスの首都。
この2か国はドーバー海峡で隔てられていますが、海底にトンネル
が通っているため、陸路で行き来が可能。
劇中でアンドリューと士郎は8時間かけて車で行きましたが、ユー
ロスター︵ヨーロッパを横断する特急電車︶だとロンドン│パリ間は
2時間ちょっとです。
・このエピソード自体
実は自作のセルフリメイクです。
別所掲載中の﹃magus hunter 紐育魔術探偵事件簿﹄
の1エピソード、
﹁ピグマリオンの願い﹂をセルフリメイクしました。
お気に入りのエピソードだったのに加え、元々同人誌のネタとして
考えたエピソードだったので、思い切り同人誌的にアレンジしてみた
くなりここにお披露目となりました。
気分を害された方はすいません。
273
東京奇譚
出発
12月半ば、凍てつくように冷える一日。
いつものように私は深夜のイケない仕事を終えエミールの小汚い
ホテルの
小汚いベッドに潜り込んだ。
翌日、やはりいつものように惰眠をむさぼり昼過ぎに目を覚ました
私は昼食を摂るために外出した。
外は、前日の夜から降り続いた雪で一面銀世界だった。
ロンドンは寒さの割にそれほど雪は降らないが一度まとまった積
雪があると地上の交通網に大きな混乱が生じる。
案の定、ロンドン市内のバスはほぼ全線が運転を中止していた。
274
私は地上の混乱を横目にエジウェアロードにあるインド料理店で
ベジタブルカレーとサモサをテイクアウェイすると
寄り道せずそのままエミールのホテルに戻ることにした。
合わせて6.5ポンド、まあこんなものだろう。
ホテルのレセプションには珍しくアジア人女性の観光客がいた。
ホテルがあるここパディントン駅周辺は安価な宿と安価なレスト
ラン︵主にファストフード店︶が多い高級なエリアだ。
そのなかでも特にエミールのホテルはネコの小便のような臭いの
たちこめる素敵な宿泊施設であり
あまりの格調高さから観光客に全く人気がない。
その物珍しい光景を横目に部屋に戻ろうとすると彼らのやり取り
が聞こえてきた。
< 私 を タ ク
?
観光客らしきアジア人女性はこう言った。
>﹂
﹁C o u l d y o u c a l l m e t a x i
シーと呼んでいただけますか
エミールは戸惑いながら答えた。
?
﹁Yes⋮⋮, Ms.Taxi. Madam.<はい⋮⋮、ミス・
タクシー。マダム>﹂
彼女は自分の言葉が通じていないのを感じ取ったのか続けてこう
言った。
t i t
﹁N o. P l e a s e c a l l m e t a x i.< 違 い ま す。
私をタクシーと呼んでください>﹂
エミールは困り顔でこう答えた。
>﹂
<はい⋮⋮、あなたはミス・タクシー
﹁Y e s, Y o u a r e M s.T a x i. I s n
enough yet '
﹁日本語話せるんですか
﹂
彼女は驚きの表情でこう答えた。
渋滞がひどいからね﹂
﹁お譲さん。今日はタクシーを呼ぶのは止めておいた方がいい。雪で
私は彼女に日本語で声をかけた。
その上、エミールの生真面目な性格が状況をこう着させていた。
あるいはヨーロッパからのバックパッカーだ︶
手とする人間が宿泊することはあまりない。︵得意客の多くは英国、
だがエミールはロシア人であり、そしてこのホテルには英語を不得
間はいないだろう。
自分をタクシーと呼んでくれなどという奇妙な要求をしてくる人
の冠詞の抜けなどさして気にはしないし、そもそもこの状況で
我々英語を母語とする人間にとって非英語圏の人間が話す英語で
そして、それは冠詞の概念がない日本人がしがちな間違いだった。
は明白だった。
そのヘビージャパニーズアクセントから彼女が日本人であること
です。まだ不十分でしょうか
?
ういう反応をする。
彼女の行き先はケニントンパークだった。私はパディントン駅か
らサークルラインに乗り
ムーアゲート駅でノーザンラインに乗り換えれば良い事を伝えた。
275
?
もう何度も聞いた言葉だ。日本人は白人が日本語を話すと必ずこ
!?
彼女は感謝の言葉と共にこう言った。
﹁日本語お上手なんですね﹂
﹁なに、君の英語ほどじゃないよ。では気をつけて﹂
彼女が私の言葉をどう受け止めたのかは分からなかったが、とにか
く彼女は日本式にお辞儀し
ホテルから出て言った。
彼女を見送り、自分の部屋へと戻る私の背中にエミールがこう声を
かけた。
﹁構わないさ。それより異文化コミュニケーションというのは難しい
な。エミール﹂
30分後、私はBBCチャンネル1で﹁ドクターズ﹂の第10シー
ズンを視聴しながら
なかなかイケるサモサとベジタブルカレーを頬張っていた。
番組が終わりに近づいたころ私のモバイルフォンが鳴った。
国際電話だ。局番は+81、つまり日本からの電話ということにな
る。
私に日本から電話をかけてくる人物は思い当たる限り2人しか存
在しない。
どちらもあまり話すのに気が進まない相手だ。
﹂
だがフリーランスは仕事を選べない。私はしぶしぶ3コール目で
電話にでた。
﹁よお、アンドリュー。まだ生きてたか
私は気が進まない気持ちを一言で表現した。
私が最もこの世で苦手とする人物の一人だ。
着物を着た美しいブルネットの日本刀が似合う鬼。
通話口から若い女性の声が聞こえてきた。
?
t speak japanese<日本語わかりま
'
t h a n g u p t h e p h o n e , i f y
﹁I don
せん>﹂
﹁D o n
'
276
﹁助かったよ。アンドリュー﹂
××××××××××××
ou don
t wanna die.<電話を切るな、死にたく
表情を浮かべているに違いない│
は一言こう返した。
﹁この一言だけだ。ウチの困った海外の
うんでな﹂
お客
を追い込む時につか
s fan│bloody│tastic
子猫
m gonna f
. Y o u p u s s y c a t.< 全 く、ク ソ 最 高 だ な
'
t fuck with me.I
ちゃん>﹂
﹁Don
!
﹁Oh dear.It
全くなんて素晴らしい家業なんだ。私は皮肉をこめて言った。
"
電話の相手両儀式│きっと遠い海の向こうの島国で気だるそうな
﹁シキ、君は英語が話せたのか⋮﹂
相手の思わぬ返答に私は驚きをこめて言った。
なければな>﹂
'
すぞ>﹂
﹁⋮そんな素敵なフレーズをどこで覚えてきたんだい、シキ
﹂
﹂
君の用件はなんだ、シキ まさか僕の素敵なバリトン
﹁通じたようで良かったぜ﹂
﹁それで
か
出来る範囲で
か
a s s o o n a s y o u
or as soon as
お前に頼みたい仕事があるんだ﹂
ボイスが聞きたくなったというわけではないだろう
﹂
﹁当たり前だろ。莫迦かお前
﹁急ぎの用件かい
?
?
とにかくすぐ
o r ASAP
﹁ああ、出来るだけ早く来てほしい﹂
﹁You mean p r a c t i c a l
か
﹁Oh dear.<やれやれだ>﹂
?"
可及的速やかに
"
"
"
私は頭の中のスケジュール表を確認した。
"
can
< >﹂
"
?"
?
?
"
?
"
?"
"
﹁五月蝿い。とにかく早く来い﹂
どれだ
"
?
u c k i n g k i l l y o u.< オ レ を な め て ん の か。ぶ っ 殺
'
?
?
277
"
'
!
誠に遺憾ながら直近1週間、私にはスケジュールの空きがあった。
フリーランスの仕事は不安定だ。
録画しておいた﹃ヘルズ・キッチン∼地獄の厨房﹄を楽しむ余裕す
らない時もあれば今日のように日がな一日
惰眠を貪りテレビ番組を片っ端からザッピングしているような暇
な一日もある。
﹂
私は運命の皮肉を呪いながらも抵抗を試み、まず尋ねた。
﹁アザカでは駄目なのか
私が呼ばれたということは魔術に関連する何らかの事態が発生し
ているということだ。
式の義理の妹、黒桐鮮花は優秀な魔術師だ。彼女の能力は荒事寄り
だがそれ以外の事態でもまったく対応不可能ということはないはず
だ。
﹁鮮花は別件で手一杯だ。生憎な﹂
返ってきたのは素気ない事実だった。なるほど。彼女が手すきな
らわざわざ遠い英国の私に連絡など寄越さないか。
オレの立場は知ってるだろ
﹂
そんなに簡単に前線に
君が出張れば大抵の事態はハーフタ
私は短くうなると尚も抵抗を試み聞いた。
﹂
﹁では、君が出張るというのは
イム前に解決すると思うが
?
彼女はまたしても素気なく答えた。
﹁莫迦か、お前
出られると思うか
?
?
うが
﹂
﹁じゃあ、どういう理由ならオレは出張らなくていいんだ
彼女の語気はわずかに怒りを帯び始めていた。
﹂
ニングについて語る中年主婦のように言わなくてもいいことををペ
ラペラと口走っていた。
﹁・・・・・・そうだな。君が娘が一人っ子では寂しかろうと思い立ち、
昼夜を問わずに弟か妹を作る行為に励んで疲れきっている、というな
278
?
﹁それは君が前線に出ない理由の必要十分条件を満たしていないと思
?
?
恐怖が私の背筋を走った。しかし、私の軽口は習性だ。私はガーデ
?
?
らば仕方ないな﹂
沈黙があった。やがて、電話口から怒気の混ざった嘆息が聞こえて
きた。
そして彼女は言った。
﹁わかった。じゃあ、こうしよう。半殺しにして無理やり連れてこら
れるか、五体満足で自分から来るか。好きな方を選べ﹂
恐怖に私は息を飲んだ。そして諦めて言った。
﹁・・・・・・飛行機の空き状況を調べる。わかったら連絡する﹂
﹁それでいい。トモダチのお願いは聞いてやるもんだぜ﹂
﹂
﹁・・・・・・君にとって﹃トモダチ﹄とは恐怖で傅かせる対象のこと
を言うのか
彼女はまたしても怒気の混ざった嘆息とともに言った。
ie
<いいから来い。死にたいのか
てくれた。
>﹂
私がその知人達のフラットを訪問すると、彼らは快く私を迎え入れ
灯っていた。
時刻は15時、すでに辺りは薄暗くビッグベンの明かりが煌々と
途中、ウェストミンスターに住む年若い友人たちの元を訪問した。
翌日、私はブッキングしたフライトのためヒースロー空港に向かう
﹁君は本当に素敵なフレーズばかり知っているんだな。シキ﹂
?
士郎も凛も温かいブラックティーを薦めてくれたが長居するほど
今日は何の用かしら
﹂
の時間はなかったため私は辞退した。
﹁それで
?
る。
こういう時男はなんといえば良いか、いつだって私はわかってい
とてもシンプルな組み合わせだかとても良く似合っていた。
赤いタートルネックのセーターと黒いスキニートルーザーという
凛はいつもの快活な声で私に尋ねた。
?
279
?
﹁・・・・・・Just come. Do you wanna d
××××××××××××
?
﹁リン、その服はとても君に似合っているな。その燃え上がるような
﹂
﹂
真っ赤な色は君の財政状態が極めて厳しい状況にあるという比喩的
表現か
﹁⋮⋮それ褒めてるつもり
﹁もちろんだ﹂
凛はあきれ顔でこう返した。
﹂
﹁またそのよくセンスのわからないジョークで私たちをからかいにき
たわけ
﹁いいや、これから日本に行くんでね。君たちなにか欲しい物は無い
かと思ってね。例えば⋮⋮﹂
﹁Cから初まるゴム製品ならいらないわ﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
凛は明らかに苛立っていた。隣に立つ士郎は困り顔で私たちを見
ている。
彼女をからかうのはこれくらいにしておいた方がいいか。
﹁ま、とにかく何でも好きな物をいいたまえ。時間と金額が許す限り
の物を購入してくるさ﹂
彼らの希望は日本のスナック菓子と調味料の類いだった。
私の懐事情を鑑みてくれたのだろうか。
だがそんな安価な商品でもロンドンのジャパンセンターあたりで
購入するより遥かに日本で買った方が安いはずだ。
﹂
彼らのフラットを辞去する前に士郎が私の尋ねた。
﹁なあ、今回行くのは東京だけか
彼の助力を仰ぐ可能性もあるな﹂
﹁そこからなら冬木もそんなに遠くないだろ
今は藤ねえと桜が
?
?
その⋮⋮なんという名前か聞き漏らしたが2人に伝えておいてくれ﹂
﹁わかった。確約はできないがね。なら僕が行くかもしれないことを
定期的に手を入れてくれているみたいなんだけどさ﹂
冬木の俺の家の様子を見に行ってくれないか
もし時間があったら
﹁いや、西日本。三重にも行くかもしれないな。知人がいるものでね。
私は彼の質問を反芻しいくつかの可能性に思いを巡らせた。
?
280
?
?
?
﹁ああ﹂
﹁さて、では行くか﹂
私は空調のよく効いた彼らのフラットから底冷えのする外界へと
その身を進めた。
19時15分発のJAL便がヒースローで私を待っている。
281
到着
日本を訪れる際はブリティッシュ・エアウェイズでもヴァージン・
アトランティックでもなく極力日本の航空会社を利用することにし
ている。
日本の航空会社は最高だ。
その過剰なまでのサービス品質でエコノミークラスの搭乗者まで
王族のように扱ってくれる。
シートピッチも広い。
私はエコノミーシートに体を横たえ、日本人の奴隷的奉仕精神に感
謝しながら眠りについた。
﹂
その晩、私が見た夢は筆舌に尽くしがたい恐ろしいものだった。
﹁よお、お前その目要らないだろ
真っ赤な着物を身に纏った両儀式が日本刀の切っ先を私の目に押
し当てそう問いかける。
全身から脂汗がにじみ出る。
式は地獄から這い上がってきたサタンのような世にも恐ろしい微
笑を浮かべながら刃先に力を込め⋮⋮。
目が覚めて、私が真っ先にした事は自分の目があるべき場所にある
ことを確認することだった。
そして両目が問題なく機能していることを確かめると安堵のため
息をついた。
式、君は夢の中でまで私を支配するのか。
夢診断では夢に知人女性が登場した場合、その人物との付き合いか
たを見直すべきとの見解が示されていたはずだ。
﹁なるほど、一理ある﹂
私はそう呟き、今度はもう少し穏やかな夢を見られる事を祈りつつ
もう一度眠りつくことにした。
翌日現地時間15時35分、追い風の影響で定刻よりも早く私の
282
?
私は声を上げることすらできない。
××××××××××××××××××××××××××××××
乗った飛行機は東京の玄関口成田国際空港に到着した。
今回は都心まで電車を利用することにした。
時間帯からそれほどの混雑はないものと見込んだからだ。
それに東京のタクシー料金は高すぎる。
物価の高い事で知られる我が国だがそれと比べてもビールとタク
シー、それに映画の観賞料金に限れば日本は不当に高価だ。
都心へと向かう電車の車内は明らかにピークの時間を外れている
にも関わらずそれでも7割方埋まっていた。
日本は基本的に単一民族の国だ。
世界有数のグローバルシティである東京でさえも﹃ガイジン﹄はそ
れほど多くない。
しかし、幸か不幸か私の乗り合わせた車両は国際色豊かだった。
小声の広東語で話す香港人3人組と控えめな声量の台湾訛りの北
京語の台湾人カップル、
かがでしょう>﹂
可以
私はそう告げると彼らの返事を待たず違う車両に移動するため歩
みを進めた。
ヴィクトリアステーションが田舎の無人駅に思えるほど人でごっ
た返した東京のターミナル駅を経由して1時間。
283
そして本土中国人と思われる5人組の中国人がワーグナーの歌曲
ジェッ ト ラ グ
のような爆音を轟かせながら大声で会話していた。
私は小さくため息をつき時差ぼけでぼんやりした頭を抱えながら
知っている数少ない
北京語のフレーズからこの場に最もふさわしいものを彼らに投げ
かけることにした。
﹁你好<こんにちは>﹂
中国人はメンツを重んじる民族だ。
小声点儿
??
私は敵意が無い事を示すためそうにこやかに挨拶してから続けて
的声音太大了,
?
こう言った。
﹁你
?
<あなたの声は少し大きすぎますね、もう少し小さい声で話してはい
?
私は依頼主の待つそびえ立つクソのような立派な日本家屋の前に
立っていた。
インターフォンを鳴らすとまるで人を2、3人切ってきたばかりの
ようなドスのきいた声で返事が返ってきた。
私が無機質な通話口に向かって自分の名前と要件を告げると暫く
して迎えに
﹂
長身で痩せぎすの明らかにその筋の人間といった風体の男が現れ
た。
﹁確か、アキタカだったね
﹁はい。マクナイトさま﹂
そ れ だ け 短 く 返 事 を 返 す と 硯 木 秋 隆 は 私 を 主 人 の 元 へ と 連 れ て
いった。
﹂
通された客間では今回のボス、両儀式が10歳ほどの童女と共に日
本式に正座して私を待っていた。
﹁その少女は⋮⋮﹂
そこまで私が口にするとその先を式が引き取って続けた。
﹁誘拐してきたわけじゃない。私の娘だ。前にも話したよな
﹁⋮⋮なるほど﹂
﹁はい。そうですわ、おじさま﹂
﹁こんにちは、お姫様。確かマナだったね
﹂
べている童女に女王陛下にするよう恭しくお辞儀をして言った。
母親とは一片たりとも共通点を見いだせない無邪気な笑顔を浮か
覚えつつ私はそう返し、
とびきりのユーモアを披露する機会を奪われたことに軽い落胆を
?
私がそうお願いすると彼女、両儀未那は顎に指をあて真剣な表情で
なんでも構わないから名前で呼んでくれると嬉しいね﹂
とか、
という名前がある。マクナイトさんとかアンドリューとかアンディ
﹁⋮⋮おじさま。良い響きだ。だが僕にはアンドリュー・マクナイト
?
﹂
しばし思考を巡らせてから満面の笑顔を浮かべて言った。
﹁ではアンディさんと呼びます
!
284
?
私が10歳だったら間違いなくハートを打ち抜かれていたな。
﹂
私の頭上から冷たい声でボスが言い放つ。
﹁本題に入っていいか
﹁⋮⋮ならこの場で死んでみるか
﹂
式は私のユーモアに対して懐から短刀を覗かせ答えた。
でも御免だ﹂
﹁冗談だ。確かにマナは最高に魅力的だが、君と家族になるなど死ん
﹁⋮⋮削ぐぞ﹂
になってもらう﹂
﹁駄目だ。これからこの子を口説くからね。10年後に僕のお嫁さん
?
だけだと。
││これは何か超自然的な力によるものではないのか
ごくありふれた出来事だ。
この話だけで到底判断がつくはずがない。
﹂
私は式にささやかな依頼をする事にした。
﹁﹃被害者﹄に直接会う事は可能か
﹁ああ﹂
﹁そうか。それと調査に誰か日本人を同行させて貰えるか
この国で﹃ガイジン﹄が1人で行動するといろいろ面倒だろう
つけてやるよ﹂
﹂
﹁ああ、いいぜ。最近使い勝手の良いのを1人見つけたんだ。お前に
?
?
魔術に関わる人間にとって医学的に不可解な意識の消失、混濁など
いった類の事件に明るいという噂を聞き依頼に来た。
その子の母親がどこから聞きつけたのか知らないが両儀家がそう
?
医学的には体のどこにも変調は見られずただただ眠り続けている
る。
未那の通う学校のクラスメートが1週間ほど前から眠り続けてい
話はこういうものだった。
﹁⋮⋮すまない。すぐに本題に入ってくれ﹂
?
?
285
これはいけない。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
﹁では頼むよ﹂
﹂
事務的な会話が済むと私は未那に質問した。
﹁その子とは親しいのかい
﹁はい﹂
﹁⋮⋮なんだと
﹂
﹂
どういう意味だ
?
﹁理由は
﹂
﹁⋮⋮断る﹂
た﹂
﹁文 字 通 り だ。調 査 中 は ウ チ に 泊 ま れ。お 前 の た め に 部 屋 も 用 意 し
?
﹁なんだ。泊っていかないのか
そう言って去ろうとする私に式は思いもよらない提案をしてきた。
ルでも飲みながら衛星放送でディスカバリーチャンネルを見たい﹂
﹁さて、これで僕は失礼するよ。ホテルに戻ってシャワーを浴び、エー
の大豪邸からお暇することにした。
ヘルハウス
英国式にウィンクしベストを尽くすよと付け加えると、私は早速こ
﹁勿論だ。お姫様﹂
﹁ありがとう、アンディさん﹂
﹁そうか、アンドリューおじさんは全力をつくすよ﹂
?
﹂
にミキヤと励んでいたりするとしよう﹂
﹁⋮⋮それで
私はホールドアップして言った。
まずい、マナがいるというのに一人称が本来の式に戻っている。
浮く。今はそういうこと考える必要があるんだ、オレもな﹂
﹁いいから泊っていけ。お前がウチに滞在してくれればその分経費が
ラつかせた。
ため息を漏らして懐からまたしても未那に見えないよう短刀をチ
捨てて言ったケパブの包み紙を見るような表情で私を見ると
式はまるでピカデリーサーカスの路上にインド人観光客の団体が
たら気まずいことこの上ない﹂
﹁その時の君の声が思っていた以上に大きくて聞こえてしまったりし
?
286
?
﹁例えば僕が滞在中に夜な夜な、君がマナのために弟か妹を作る行為
?
﹁⋮⋮ホテルにキャンセルの連絡を入れよう﹂
式の厳しい視線を受けながらホテルに1本連絡を入れると、誰かの
足音が近づいてくるのが聞こえた。
﹂
足音の主はいつのも人畜無害な笑顔を浮かべ、襖を開けると言っ
た。
﹁アンドリュー﹂
﹁ああ、ミキヤ﹂
﹁久しぶりだね。元気だったかい
﹂
﹁ああ、こうして立って呼吸ができている。見ての通り絶好調だ。君
は変わりなさそうだね﹂
﹂
黒桐幹也は私の問いかけに頷くと、こう続けた。
﹁ウチに泊っていくんだって
﹁誠に遺憾ながらな﹂
﹁はは。よくそんな難しい日本語知ってるね。式、もう話は済んだ
式はぶっきらぼうに﹁ああ﹂と答える。
﹁じゃあ、君の部屋に案内するよ。アンドリュー﹂
﹁助かるよ﹂
私は立ち上がり地獄の部屋を後にすることにした。
とに気が付いた。
﹂
﹁⋮⋮ミキヤ。君がいてくれて本当によかったよ﹂
﹁どうしたんだい。アンドリュー
﹁なんでもない。忘れてくれ﹂
事に呼ばれた。
たっぷり塗ったトースト。
く
最
高 だ。
スターゲイジーパイにウナギのゼリー寄せ、ハギスとマーマイトを
﹁......Gimme a break. <⋮⋮勘弁してくれよ>﹂
するような豪華な料理の数々が用意されていた。
ショーグンの居室のような豪華なダイニングルームにはめまいの
食事まで提供してくれるというのか。 全
Fanta│bloody│stic
部屋に案内され、熱いシャワーを浴びた後荷ほどきをしていると食
?
287
?
長い廊下をミキヤと歩きながら、私は心から自分が安堵しているこ
?
?
我が国の誇る最高の料理の数々が不機嫌な5歳児のような表情を
お前のために特別に用意した
浮かべて食卓を主に黒と茶色に彩っていた。
呆然とした表情の私に式が告げる。
﹁お前の国ではこれがご馳走なんだろ
﹂
>﹂
288
?
<なんてこった
!
んだ。嬉しいだろ
﹁What the Fxxk !
?
調査
翌朝、昨夜の豪勢なディナーの洗礼を受けた私は胃袋に鈍痛を覚え
ながら両儀家の客間に
式立ち合いの元、彼女の連れてきた私の今回の相棒との対面を果た
した。
細面の20代半ばほどに見える青年。見覚えのある顔だ。
確か1年前、橙子を探しに行った時に会った、元伽藍の堂の現住民。
﹁ミツルだったね。確か。よろしく﹂
そう言って私が手を差し出すと、無言で瓶倉光溜は私の手を握り返
した。
その後、私から今回の事件の簡単な説明をし早速アポが取れた﹃被
害者﹄と対面に行くことにした。
ここ、両儀邸は郊外の小高い丘の上にありどこに行くにも不便だ。
私と光溜は式が用意したブルーの日産GT│Rに乗りこみ目的地
を目指した。
光溜は両儀家にいる間、常にライオンの前に立たされた春の子ウサ
ギのような表情を浮かべていたが
彼女が視界から消えるとその表情は心底安堵したものに変わった。
これほどまでに人を意識する理由は2つしかない。
恋に落ちているか、恐怖しているかだ。
どう見ても彼が恋に落ちているようには見えなかったので正解は
後者だろう。
﹁君には心底同情するよ﹂
私はそういって彼の肩に手を置くと車を発進させた。
目的の家はドブネズミ色をした無個性な低層住宅が立ち並ぶ住宅
街の一角にあった。
﹃被害者﹄の名前は高浜陽子と言った。
訪問から通り一遍の事情を聞くまですべて光溜が対応し、私は得体
の知れない﹃ガイジン﹄として
彼の隣で話を聞いていた。
289
陽子の母、礼子からは特に有益な情報は得られなかった。
私は光溜の肘をつつくと彼に囁いた。
﹁ミツル。﹃被害者﹄の様子を見させてもらえるか聞いてくれ﹂
彼は分かったと言って頷くと礼子に至極丁寧な言葉遣いで丁重に
お願いをした。
見た目はどことなく胡散臭い人物だが、こういった際の立ち回り方
は心得ている人物のようだ。
私は今回得た相棒が悪くない物件であることに感謝した。
﹁こちらです﹂
そう言うと礼子は我々2人を少女の眠る寝室へといざなった。
彼女は文字通り死んだように眠っていた。
栄養補給がかなわないため点滴のチューブと尿取りチューブが刺
さっていることを除けば
ただ眠っているだけのようにしか見えなかった。
私は少女の外見をつぶさ観察すると、体の中心部に手を当て解析を
開始することにした。
怪しげなガイジンが娘の腹部に直接触れようとするのに、礼子は抗
議の表情を浮かべたが
光溜が説明すると納得したのか部屋を出ていってくれた。
ありがたい。解析は私の唯一得意とする魔術だが集中できる環境
を用意してもらるに越したことはない。
解析を初めてすぐに少女の身に起きている事態が把握できた。
少女の体からは霊体が抜けていた。
次に私は魔力を込めて彼女の体を霊視した。
カーパーク
そしてその体の腹部、臍のあたりから細いクモの糸のようなヒモが
どこかに向かって伸びているのを私は発見した。
この糸を辿って行けば目的の霊体を発見できるはずだ。
﹁ミツル、わかったぞ﹂
我々2人は家人に簡単に挨拶を済ますと、近くの狭苦しい駐車場に
停めた車に乗り目的地を目指した。
今度は私が先導するため光溜がハンドルを握った。
290
しばらく事務的な会話を続けていた我々だが糸が直進方向に入っ
てしばらくしてから光溜が私に尋ねた。
僕が本物のハンサムガイかという意味であればそ
﹁あんたは本物なんだな﹂
﹁本物とはなんだ
の通りだ﹂
持っていたんだろうなとか。
詳細は分からないが何か時間に関係する力だったんだろう
光溜は驚きの表情を浮かべて言った。
﹂
?
﹂
﹂
伸びている糸は1本だけではなかった。
正確に言えばそこに伸びている糸たちが。
糸はその空き地の中心部あたりでぷっつりと切れていた。
色が広がっていた。
開発途中の地区らしく、空き地と高層集合住宅しかない殺風景な景
糸の先が続いていたのは埋立地にある空き地だった。
﹁簡単だ。僕もシキが怖いからね。君と同じように﹂
﹁どうしてわかった
光溜はまたしても驚きの表情を浮かべて言った。
﹁なるほど、それが君がシキを恐れる理由か﹂
そしてそんな異常な真似ができる人物は私が知る限りただ1人。
た││そのように私には見える。
あの目の光、眼球を傷つけられたのではなく瞳のもつ能力を断たれ
た。
││失った理由はと尋ねようとして1つの推論が私の頭をよぎっ
﹁遠い昔だ﹂
はいつだ
﹁それなり以上の魔術師なら観察すれば誰にでもわかるさ。失ったの
﹁どうしてわかった
﹂
﹁例えばその君の右目だが、その目は視力だけじゃなく何か他の力も
私は光溜の光を失った右目に視線をやりこう続けた。
﹁なんだ。そんなことか。確かに見えるし感じるよ﹂
﹁違う。さっきのあの霊視だ﹂
?
?
?
291
?
私が見る限り同じ空き地の中心部に向かって5本の糸が伸びてい
た。
私は注意深くその場所を観察したが中心に何があるのか仕掛けが
わからないままでいた。
外周を何度か周り、地面の様子を観察していると突如として背後に
強烈な悪寒を感じた。
そこには長身の東洋人が立っていた。
落ち窪んだ目、苦悩の刻まれた顔、筋骨隆々とした体││そして嘔
吐感に似た重圧を感じさせるその存在。
信じがたいことに我々魔術師にとって一般的にはサマセット・クロ
ウリーと同じく都市伝説とされている人物が立っていた。
﹁⋮⋮アラヤソウレン﹂
瞬きすると次の瞬間その影は消えていた。
そ し て 続 い て 体 の 中 心 を 何 か に 引 っ 張 ら れ る よ う な 感 覚 が 私 を
﹂
水を四方にまき散らしミツルの体を抱えて全力で車まで戻った。
車に乗り込み急発進させる。
走り始めて数分が立ち、体の中心に重さはあったがまだ霊体は私の
体を離れていなかった。
それにこの体の重みと手の甲のこれはな
しばらくして光溜が私に尋ねた。
﹂
﹂
﹁何だったんだ、あの男は
んだ
﹁手の甲だと
?
両
儀
邸
すると左の甲に梵字と思しき魔術のタトゥーが刻まれている事に
気が付いた。
﹁ミツル、一度ベースキャンプに戻って体制を立て直そう﹂
そう言うと私はアクセルを踏み込み目的地に車を走らせた。
292
襲った。
すぐにここを出るぞ
まずい、ここは結界だったのか。
﹁ミツル
!
私は身体強化を全開にすると足しになればと、懐のフラスコから聖
!
私は慌てて自分の手の甲を確認した。
?
?
両儀家に戻った私と光溜は今日のあらましを式に説明した。
式はいつもの通りアンニュイな表情を浮かべて我々の話を聞いて
いたが、私の口から荒耶宗蓮の名前が出ると表情に変化が現れた。
﹁⋮⋮アラヤ。あいつまだ⋮⋮﹂
﹂
﹂
﹁違う、あれは残留思念のようなものだ。少なくとも本体ではない﹂
﹁⋮⋮場所は何処だ
﹁ミツル、あの場所の住所がわかるか
うだったな﹂
﹁⋮⋮茅見浜
﹂
﹁正確には分からないが、茅見浜の埋め立て地区だ。何かの跡地のよ
?
?
﹂
た事に驚き言った。
私は思いもよらない人物の口から、思いもよらない人物の名前が出
カゼノミヤって言うんだけど﹂
ふたつめ、オレの遠縁に心当たりがある。関西だから遠いけどな、
いた上でどうするかはお前たちで考えろ。
﹁ひとつめ、これからあそこで何があったか教えてやるよ。それを聞
こう言った。
式はいつもの表情を取り戻し、気だるそうな表情でしばし考えると
に明るくない。誰か詳しい人物を知っていたら紹介してくれ﹂
次に、アラヤソウレンは東洋の術者だ。そして僕はあまりその方面
えてくれ。
﹁シキ2つ頼みがある。まず、何か今回の件に心当たりがあるなら教
私は式に2つの提案をした。
式は明らかに何か知っている様子だ。
無言で頷いた。
ときのように体を硬直させると
光溜は5歳児が﹃ホーンテッドマンション﹄の一番怖い場面を見た
式の鋭い目が光溜を捕える。
?
﹁カゼノミヤだと
!?
293
××××××××××××××××××××××××××××
解明
翌朝、私は式から紹介のあった件の人物の助言を請うため名古屋行
きの新幹線に乗っていた。
式の口から風宮という名前が出た事にも驚いたが、遠いとはいえ2
人が親類縁者であることは尚私を驚かせた。
さらに言うなら、こうも簡単にあの男が人の要求に応えたこともい
ささか以上の驚きだった。
私はこれまで何度か彼からの依頼で仕事を受けたことがあるため、
かの人物の人となりを多少は知っているが
彼は常に徹底した利益追及主義者で自分の利にならない事には目
もくれない人物だった。
式の何が彼を動かしたのかも気になったが、それ以上に気になった
のは彼女から聞いた荒耶宗蓮の最後だった。
式の魔眼を持って死の線を正確に断たれたのであればあの怪物と
いえど消滅は免れまい。
となると私と光溜が体験したのは荒耶宗蓮の置き土産ということ
になるが、
本人がこの世に存在しない以上もはやあの結界がなんなのか問い
ただすことも不可能ということになる。
﹁カゼノミヤであれば何か知っているはずだが﹂
私は左手に刻まれた梵字のタトゥーに目をやりそう呟いた。
名古屋から特急に乗り換えおよそ2時間後。
レセプション
私は日本最大の神霊地である巨大な神宮の敷地内へと足を踏み入
れていた。
広大な敷地内を迷いながら受 付へ辿り着き風宮の名前を告げると
私は赤を基調にした待合室へと通された。
供されたグリーンティーをすすり、待つ事10分。
身長おおよそ5フィート5インチ、小柄で痩せぎすの神職者とは思
えないような凶悪な目つきの男が現れ
嫌みな響きの完璧なBBCアクセントでこう挨拶した。
294
﹁M r.M c k n i g n t , i t
s b e e n a l o n g
>﹂
t i m e. H o w h a v e y o u b e e n < マ ク
かぜのみやかずと
ナイト君、久しぶりだな。元気だったかね
?
答えた。
>﹂
﹁Not bad. How about yourself それなりです。あなたはいかがですか
<
?
何もしなくても押し寄せてくる彼の威圧感に気押されながら私は
今はこの巨大な神霊地の管 理 者に収まっている。
セカンドオーナー
の後男系の後継者が途絶えた風宮家の要請に応えて日本に戻り
もっともそれが彼のキャリアの中で唯一の執行失敗となったが、そ
風宮だけは無傷で帰ったきた。
命を落とすか、瀕死の重傷を負ったにも関わらず
サマセット・クロウリーの捕縛に行った際にも追った術者の全員が
に変えてきた。
け物じみた魔力量から作りだす風の刃で執行対象を例外なくミンチ
彼は風の神を祖とする由緒正しい家系の末裔で、任務にあたれば化
クラスと評された怪物だった。
風宮和人は元封印指定執行者で在任中は歴代執行者の中でも最強
?
>﹂
.< 見 て の 通 り だ、マ ク ナ イ ト 君。
s g e t d o w n t o b u s i n e
﹁君は七人ミサキを知っているか
﹂
﹂
話が終わり、しばし考え込むと風宮はこう言った。
た。
彼が話に聞き入るとその凶悪なご面相はさらに凶悪な物に変化し
に刻み込むように集中して聞いていた。
彼は時折私の話に対して、質問を返しながらまるで一字一句を石板
に説明した。
私は今回のあらましと昨日見たものについて彼に出来るだけ詳細
さて⋮それでは早速本題に入ろうか
s s , s h a l l w e t h e n l e t
﹁A s y o u s e e M r.M c k n i g n t. W e l l...
?
怪 か何かでしょうか
Apparition
﹁いえ。それは日本の 妖
?
?
295
'
?
?
'
﹁ああ、七人ミサキは生前咎を犯した7人の死霊の集合体だ。
奴らは誰か1人を取り殺すと成仏するが、代わりに取り殺した相手
を取りこんで必ず人数を7人に戻す。
そうやって永遠に終わらないパレードを続ける。
この術式はそういう類の物だ。君の話を基にすれば既に5人が取
り込まれた。つまり君たち2人が取り込まれればこの術式は完成す
る。
そして術式の一部となり半永久的に君たちの霊体はこの世を彷徨
あなたなら何か知っているでしょう、ミスター・カゼ
い続けることになる。荒耶宗蓮の││狂人の考え付きそうな術式だ
な﹂
﹁止める方法は
ノミヤ﹂
風宮は感情の感じられない鉄面皮のまま懐に手を入れると
字 が書かれた2枚の紙を取り
カンジキャラクター
﹄と尋ねると彼は質問にこう答えた。
達筆過ぎて私にも判別不可能な 漢
だした。
私が﹃それは
﹂
﹁私の作った呪符だ。﹃祓う﹄効果がある。急ごしらえなのであまり出
来は良くないがな。何が言いたいかわかるかね
なるほど、全くわからん。
していただけないだろうか
﹂
﹁ミスター・カゼノミヤ、すまないがもう少し僕でも分かるように説明
私はバカにされることを覚悟しながらさらに訊ねた。
ないのか。
クロウリーといいどうしてこういう連中は言葉が多すぎるか足り
?
この符を使って原因になっている霊気を祓えば霊体はやがて持ち
認させられている。
酩酊した状態で結界の張られた場所が自分のあるべき場所だと誤
今結界に囚われている霊体はいわば酔ったような状態になっている。
﹁結界の詳細は分からないが、要は7人揃えなければ完成はしない。
と答えた。
風宮は私の質問に対して特に何の感想も持たなかったらしく、淡々
?
296
?
?
2枚しか用意できなかったから、2体分しか祓えんが時間稼ぎには
なるだろう。その間に私が結界を解析し解体の方法を探す。
﹂
生憎私はここを簡単に離れられんのでそれには時間が必要だ。こ
れで理解できたかね
でにはまだ猶予があることと呪符の使い方を教授してくれた。
とはいえ早く済ませてしまうにことに越したことはない。
私はすぐに東京に戻る事にし、その場を辞去した。
そして去る前に私は1つにの質問を彼にぶつけた。
ケー ス
﹁ミスター・カゼノミヤ。なぜ協力してくれる気になったのですか
﹂
?
﹁一 番 良 い の は 幽 霊 屋 敷 に す る こ と だ な。本 物 だ か ら ク オ リ テ ィ ー
ホーンテッドハウス
その情報に対して私は一言感想を述べた。
更地のままになっているということだった。
その度に事故が起こるためやがて計画もとん挫しその後はずっと
設計画が持ち上がったが実際に工事に入ろうとすると
住宅の需要が見込める立地であるため、その後何度か集合住宅の建
主人亡きあと取り壊され更地になっていた。
荒耶宗蓮によって建物全体を結界化されていた小川マンションは、
に調査していた。
私が東京を離れていた今日一日の間に彼はあの場所について独自
地に向かった。
私と光溜は元伽藍の堂の前で落ち合い、光溜の運転で茅見浜の目的
東京に戻った時には完全に陽が落ちていた。
﹁なるほど、よくわかりました﹂
強いものには敬意を払う。ただそれだけの理由だ。おかしいかね
﹁両儀式の魔眼はあらゆる魔術師にとっての天敵だ。そして私は常に
この事件に協力することがあなたの特になるとは思えないのですが﹂
?
その後、風宮は私と光溜は抵抗力があるので結界に飲み込まれるま
﹁はい。理解できました﹂
?
は完璧だし、人件費もかからない。
297
主の元に戻るはずだ。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
ホーンテッドハウス
問題は命の保証が出来ない事だがな﹂
﹁その冗談。全く笑えないな﹂
15分後、我々2人は天然の幽 霊 屋 敷の前に立っていた。
夜の闇の中でこの場所だけが異様な冷気を放ち、怪しい光を発して
いるように見えた。
敷地内に入り霊視する。
昨日見たときと同じ、5体の生霊が苦悶の表情を浮かべ漂ってい
た。
私は手近な2体の霊体に狙いを定めると、風宮から受け取った呪符
を取りだし魔力を込めて鍵になる言葉を口にした。
﹁淨﹂
その一言と共に呪符は光り輝き、狙いを定めた2体の霊体に纏わり
つくとやがて音もなく霊体をこの地と結び付けていた紐がぷつりと
切れた。
298
上手くいったようだ。胸を撫で下ろし、踵を返そうとしたその刹那
強烈な悪寒を感じ私は振り返った。
そこには先日見たのと同じ人物の巨大な影が立っていた。
﹁⋮⋮これで事は成った﹂
影は一言そう告げると消えうせ、次の瞬間私の体の中心部がなにか
巨大な渦に引っ張られるような感覚を覚えた。
気が付くと、先ほど解放した2体の霊体と傍らにいた光溜の霊体も
渦に飲み込まれていた。
何故だ
呆然自失としている私に、結界に完全に囚われた6体の生霊が迫っ
使わせるための罠だったのか││
昨日私の霊体を奪わなかったのは、もう一度ここに来させて魔術を
人数が揃い、私が中心部近くで魔術を使った事で結界が起動した。
この結界は魔術師を起点とするものだったのだ。
そして1つの結論に行きあたった。
必死に思考を巡らせる。
予想だにしなかった状況に私は酷く狼狽していた。
?
てくる。
││このまま私を飲み込むつもりか。
私は、効果に期待できないことを理解した上で懐からフラスコを取
りだし残った聖水を全て振りまいた。
││効果なし。
ならば、頼りにすべきは信仰心だ。
私は慣れ親しんだ詠唱を口にした。
見よ
﹂
主はみ声を發したまう。
﹁地のもろもろの国よ、神の前に謳え。主をほめ謳え、古よりの天の天
にのりたま者にむかいて謳え
﹁シキ⋮⋮
﹂
のように見えた。
着物姿の短刀を持った彼女の姿が今日の私にはまるで地獄の聖母
かべた式が月明かりを浴びて立っていた。
声のした方を振り返ると、そこにはいつもの気だるそうな表情を浮
した。
その一言と共に一陣の風が吹き、私に迫る幾つかの霊体が雲散霧消
﹁よう、楽しそうなことやってるな。お前﹂
﹁父なる神とイエスキリストと精霊の名において命ず⋮⋮﹂
私はもはや自棄になってそのまま効果のない詠唱を続けた。
││効果は見られない。
力ある声をいだしたまう。汝ら力を神に帰せよ
!
る﹂
彼女はそう言い放つと、いつもの無形の位のまま結界の中心部に向
かい何かを断ち切るように手にした短刀を一振りした。
次の瞬間、私を引っ張っていた全ての力が消え失せあたりには完全
な静寂が戻っていた。
傍らに倒れていた光溜を確認すると、まだ意識は無かったが顔に生
気が戻っていた。
安堵した私の体からは力が抜けその場に崩れ落ちた。
式が私の元に歩み寄ってくる。
299
!
!
﹁よお、良かったぜ。まだ生きてて。今、この辛気臭い場所を殺してや
!
地べたに腰を下ろしたまま彼女を見上げて私は言った。
﹁まるで今日は君が民衆を導く自由の女神のように見えるよ。ありが
とう、お陰で助かった﹂
私の感謝の言葉に対して特に彼女は何の反応も返さなかった。
今夜ここに
同時に私の中に1つの疑問が湧きあがってきた、その疑問を勢いに
任せて彼女にぶつける。
﹂
﹁ところで、どうして僕たちがここにいるのがわかった
向かうことは伝えていなかったはずだが
彼女は私の疑問に目を細めるとこう返答した。
﹁実はさ││お前達のことずっと監視させてたんだ。
私は少しでも彼女に素直に感謝したことを後悔し一言吐き捨てた。
彼女がどういう人物か理解してはいたが、やはりなんて奴だ。
のが少し面白くて眺めてたら遅くなっちまった﹂
だからもっと早く助けにも入れたんだけどさ││お前苦戦してる
?
﹁You bastard⋮⋮<このクソッたれめ⋮⋮>﹂
300
?
冬木
翌朝、午前8時に目を覚ました私は両儀家のショーグンのようなダ
イニングで
マーマイトがたっぷり塗られたトーストを3枚、涙を流しながら平
らげた。
朝食を終えた私はこの特定暴力団の城を辞するため、パッキングを
始めた。
そこにようやく、我が仮初めの相棒、瓶倉光溜が起きてきた。
一度、霊体を抜かれた身だ。相当に消耗が激しかったのだろう。
私は、もう少し寝ていたらどうかと進言したが、彼は恐怖に頬を引
きつらせながらその進言を断った。
肉体的消耗の激しさよりも両儀家にいることの精神的消耗の方が
堪えるのだろう。
その気持ちを表情から察した私は心からの一言を彼に贈った。
﹁君には同情するよ﹂
この数日の間に我々の間にはささやかなシンパシーが生まれてい
た。
私はこの哀れな青年と幾ばくかの談笑をすると、連絡先を交換し合
い、再会を約束した。
光溜が去ると、入れ違いで式が私の元にやって来た。
﹁都 合 の 良 い と こ ろ ま で 送 ら せ る ぜ。お 前 に 報 告 す る こ と も あ る し
な﹂
そう言って式は私を便の良い近くのハブ駅まで送ることを提案し
た。
昨日の疲労から抵抗する気力すら失っていた私はその有難すぎる
申し出を受けることにした。
幸運なことにこの家の数少ない良心、幹也も同行することを申し出
た。
15分後、私は絵にかいたようなマフィア専用車、ベンツSクラス
W221の後部座席に
301
素敵な夫婦に挟まれる形で押しこまれていた。
道中、マンションの跡地は両儀家が買い取って処置をすること、
私の今回の報酬といった事務的な話を夫妻が交互に話した。
﹂
事務的な話しが終わると今度は私が彼らに尋ねた。
﹁今日はマナはどうしたんだ
﹂
﹁そうか。ならしょうがないね。で、どこに寄っていく予定なんだい
ミスターカゼノミヤのお礼にいくついでだ﹂
﹁残念だが帰国する前に他に寄りたいところがあるんだ。
﹁もう1日いれば良いじゃないか﹂
幹也がいつもの人畜無害な笑顔を浮かべて私に提案した。
﹁そうか、それは残念だったな。お別れが言いたかったんだがね﹂
﹁学校だ。お前が起きる前に出ていったぜ﹂
?
﹁フユキだよ﹂
彼はその地名に特にこれといった感想は抱かなかったようだ。
そこで会話は暫く途切れた。
私は目的地に着くまでの時間、黒い棺桶のような車内で英国歴代首
相の名前を暗唱する作業に没頭した。
*****************************
******************************
************
私の﹁作業﹂がデイヴィッド・ロイド・ジョージまで到達したころ、
車が駅に到着した。
私は素敵な夫妻と交互に握手を交わし、別れの挨拶をした。
﹁では、元気で。またいつか﹂という私の形式的な挨拶に対し、式は
言った。
﹁そ う だ な。オ レ は こ れ で け っ こ う お 前 の こ と が 気 に 入 っ て る か ら
⋮⋮また会うことになるさ。
そう遠くないうちにな﹂
車を降り、夫妻に挨拶を済ませた私は移動前にニコチンの摂取をす
ることとし視界の端に移った喫煙場所へと歩みを進めた。
302
?
我がホームタウン・ロンドンと同じく禁煙の波はアジア随一の先進
都市東京にも押し寄せていた。
私は駅前の小さな禁煙スペースで魂を入れられたばかりの素体の
ような表情を浮かべた紳士たちと肩をならべ、紫煙を燻らせていた。
﹂
2本目の煙草に火を点けた所で背中越しに声をかけられた。
﹁失礼、火を貸していただけます
私は紳士らしくにっこり笑う準備をしてから振り返り
﹁ええ、もちろんです﹂
と言葉を発しようとして驚きのあまりその言葉を飲み込んだ。
そこに立っていたのは私の信用できない古い友人、赤い髪の人形遣
いの魔女だった。
その女、蒼崎橙子はいつもの胡散臭い笑顔ナンバー31を浮かべた
まま
小首を傾げて私の手に持った安物のオイルライターを取りいつも
の不味そうなタバコに火を点けた。
一筋最悪な臭いの煙を吐き出すと私にライターを返し彼女は言葉
を発した。
﹂
彼女はそう言うとタバコをもみ消し、私に背を向けると言った。
﹁やはりお前は面白いな﹂
シッド・ハレーでも遠からず結論に達するさ﹂
シ ャ ー ロ ッ ク・ホ ー ム ズ な ら あ く び が で る よ う な 推 理 だ ろ う し、
行動くらい容易に想像がつく。
﹁類推だよ。魔力は探知できなくても君のような素敵な人格者が取る
葉の続きを待った。
橙子はいつもの胡散臭い笑顔をナンバー17に切り替えて私の言
を探知できるはずがない﹂
僕のようないいところ一流半の半端者が君のような超一流の監視
?
303
?
﹁久しぶりだな、アンドリュー。元気にしてたか
﹂
気付いてたのか﹂
﹁いつから見ていたんだ
﹁なんだ
?
﹁気付いていたわけがないだろう。
?
﹁じゃあ、またどこかでな﹂
﹂
﹁貸した金を返しに来たんじゃないのか
﹁返ってくると思ったのか
﹂
気が付くと橙子の姿は人の海の中へと消えていた。
﹁いいや﹂
私は彼女の残して行った不味そうな臭いの煙草の残り香に向けて
そう一言口にした。
*****************************
******************************
************
東京から名古屋を経由して3時間以上の道のりを前日と同じ手順
でたどり
レセプション
昼過ぎに私は風宮のいる巨大な神殿の前に辿り着いていた。
今度は迷わず受 付に辿りつき風宮の名前を告げると
件の人物はすぐに現れた。
風宮直々に案内された彼の格調高い居室で私は事件の結末と協力
への礼を簡潔に述べた。
彼はいつもの鉄面皮のまま私の話を聞いていた。
一通り話が終わると私は一言断り彼に質問をぶつけた。
﹂
疑問にはなにかしら根拠が
﹁本当はあなたにはあの術式がすでに解析できていたのではないです
か
風宮は表情を変えず答えた。
﹁なぜそう思うのかね、マクナイトくん
あるはずだ﹂
﹁あなたほどの人が分かっていなかったとは思えないからです﹂
彼は私の言葉を数秒反芻するとこう言った。
﹁荒耶宗蓮は狂人だが術者としては最高だ。この目で術式の発動を見
たくてね。だが赴くにはまだ時間が必要だったから
君を使って結界内に溜まった魔力を祓い、発動までの時間を稼ごう
としたのさ。呪符を作ったのはそのためだ。
││だが1つ誤算があったな﹂
304
?
?
?
?
﹁なんです
﹂
Shit magnet ︵全くどいつも
?
?
最高のインスタント食品
POT NOODLE
"
に見せた。
運転手は
の私を見て動揺したのか
"
t s p e a k E n g l i s h. ︵私 は 英 語 を 話
'
﹂
やむをえまい、不機嫌な双子のような住宅が立ち並ぶこのエリアで
どうやら道に迷ったようだ。
﹁お兄さん、すいませんね。この辺なのは間違いないんですが⋮﹂
運転手は困り顔で口にした。
日本らしい無個性な住宅街の広がるエリアを徐行しながら初老の
駅周辺に広がるダウンタウンから車で走ることおよそ10分、
だけますか
﹁日本語はわかりますので安心してください。この住所に行っていた
した。
私それに対して何度目になるかわからないお決まりの文句を口に
というお決まりの文句を口にした。
すための能力がありません︶﹂
﹁I c a n
ガイジン
私は駅前でタクシーを拾うと士郎に書いてもらったメモを運転手
現地に着いた頃には日が暮れかけていた。
冬木への特 急に乗車した。
エクスプレス
していたチケットで
600円払って店を後にした私は駅までのタクシーを捕まえ購入
帝の晩餐と豚の餌ほどの違いがあった。
のように歯ごたえがなかったが味は皇
真っ黒なスープに浸かった極太のヌードルはまるで我が国が誇る
ドルを注文した。
風宮との会談を済ませた私は昼食を摂るため近くの店に入りヌー
こいつも⋮⋮︶
What am I
てしまった。少々残念だよ﹂
﹁君が思った以上に術者として優秀だったことだ。お陰で術が発動し
?
"
?
305
"
目的の住宅を探し当てるのは
誰にとっても難しいだろう。
私は小さくため息をつき、その間も無慈悲に上昇していくメーター
を見て徒歩での探索を決意した。
夕闇が迫る中私は目的地を目指し同じエリアを何度も周回してい
た。
周囲に人影も見当たらず、諦めて駅前に戻るという選択肢が頭に浮
かび始めた時
1台のスクーターが私の横で停まった。
or You それに合わせて私が歩みを止めると、車上の人物は英語で私に尋ね
た。
﹁Excuse me.Are you lost
るだけ
>﹂
<道をお探しですか
それともその地図でどこにいるか確かめてい
e right now on the map
a r e j u s t c h e c k i n g w h e r e y o u a r
?
?
﹁ああ、日本語話せるんですね﹂
車上の人物は20代の半ばから後半ほどに見える若い女性だった。
﹂
彼女は一言断ると、私の手にしたメモを見てこう言った。
﹁ああ、お兄さんひょっとしてマクナイトさん
私が頷くと彼女は続けて言った。
くと主張したが
私は様子を見に来ただけなので少し飲んだら予約したホテルに行
つくづく日本での私はこの手の人種に縁があるらしい。
女の家のジャパニーズ・ヤクザと思しき人物たちと摂取していた。
その夜、衛宮邸で私は藤村大河の持ってきた大量のアルコールを彼
************
******************************
*****************************
﹁士郎から話は聞いてます。案内しますね。⋮⋮私、藤村大河です﹂
?
306
?
﹁はい。道に迷いまして。あと日本語で構いませんよ﹂
?
彼女は私の主張を無視し宿泊を一方的にキャンセルさせると矢継
ぎ早にロンドンでの士郎と凛についての質問を浴びせてきた。
私は求められるまま、凛のうっかりエピソードや士郎の無鉄砲ぶり
について
魔術に関する部分はぼかして答えた。
彼女はどれも興味深げに聞いていた。
暫くしてもう一人、若い女性が衛宮邸にやってきた。
﹂
色白で紫色の髪をした20前後に見える年若い女性だった。
﹁桜ちゃん、こっちこっち
﹂
﹁さ あ
桜ちゃんも来たし今日は士郎を肴にとことんいきましょー
起させた。
間桐桜と名乗った彼女は私にいくつかの違和感と年若い友人を想
隣に腰かけた。
大河にうながされるままその女性はこちらに向かってくると私の
!
﹁サクラ﹂
桐桜が腰かけていた。
酔い覚ましに庭に出ようと歩みを進めると、縁側に静かに1人、間
剣道場や倉庫、離れの居室まで存在していた。
敷地内には
この衛宮邸は無個性な現代住宅とは違う趣のある武家屋敷で広い
ことにした。
アルコールで高められた自然の欲求を済ますと家の中を探索する
私はトイレに向かい
深夜0時を過ぎ、床に転がる酔いつぶれた死体の群れを跨ぎながら
************
******************************
*****************************
ルコールを摂取した。
大河はそう号令をかけると私と桜に酒を勧め、自分は勧めた倍のア
!
私がそう声をかけると彼女は振り向き私を見上げた。
307
!
﹁アンドリューさん。どうしました
﹂
﹂
﹁君が嫌ならばこの質問には答えなくて構わないが││﹂
つけることとした。
話が途切れたタイミングで私は主に大きな2つの疑問を彼女にぶ
物に対するイメージが鮮明となってきた。
そして彼女と話せば話すほど最初に感じた違和感と彼女に似た人
なった。
彼女の話は特に士郎の人間性について私が再確認する良い材料と
主に我々の共通の話題、士郎と凛のことについてだ。
なので私は彼女の話を引きだすように心掛けて話した。
快活な大河と違い彼女はあまり多弁では無いようだった。
﹁はい﹂
﹁そうか。少し話でもしないか、君が良ければ﹂
﹁なんだが変に目が冴えてしまって﹂
﹁屋敷内を探索していてね。君は
?
﹁⋮⋮どうしてそう思ったんですか
ないのが不思議で仕方がない﹂
Yes
桜は私の分析に沈黙で答えた。
だがその表情から答えが
﹂
であることは明白だった。
そして2つ目。君とリンはそっくりだ、僕からしたら誰も気が付か
れば筋が通る。
君のその紫の髪が何か無理やりに大きな変換をさせた代償だと考え
﹁まずは1つ目。微弱だが魔力を感じる。トオサカの物とは違うが、
?
"
君の体から終始例えようのない違和感を感じるんだ。││それで
ね。
いくらか上程度の能力しか持ち合わせない。しかし解析だけは別で
﹁⋮⋮質問ついでに、僕は一通りの魔術が扱えるが、どれも並か並より
"
308
?
それにリンの││トオサカの血縁者ではないの
そう前置きして私は尋ねた。
﹂
﹁君は魔術師なのか
か
?
私の疑問に対して彼女は驚きの表情を浮かべると静かに答えた。
?
だ。少し君に触れて解析しても構わないかい
糸
を
手
繰
れ
ad﹂
﹂
土蔵の床には当時の召喚陣が残されていた。
話に聞いたセイバーを召喚した場所だ。
アー サー 王
ととし、まだ見ていなかった土蔵を覗きに行った。
私は帰る前に昨日桜との話で中断した屋敷の散策の続きをするこ
国は平和だ。
英国ではよほどの田舎でなければありえない行為だが、やはりこの
きっと大河が書いたのであろう。
英語で書かれていた。
トに入れて欲しい旨が
枕元にはメモ書きとともに鍵が置かれ、帰るときに閉めて鍵をポス
翌朝、私が目を覚ますと既に皆は帰った後だった。
それは僕ではないようだ﹂
﹁⋮⋮いつか君を解放する人物が現れる。きっとね。ただ残念ながら
た。
私には分からない、私は今自分に言える数少ない言葉を選び口にし
どこまで自分の体のことを知っているのか。
彼女は黙って足元の一点を見続けていた。
ことなど到底不可能だ。
これほど体の奥深くに巣食った蟲を心臓だけ傷つけずに取り出す
だが私にはどうする事も出来ない。
誰かが彼女をバックアップの体とするためにだ。
││彼女の心臓には蟲が巣食っていた。
こんなことを人にしでかす外道とはどのような人物なのか。
その結果は驚くべきものだった。
慣れ親しんだ詠唱と共に対象の解析を始める。
﹁tharraingt sa t
私は彼女の頭にそっと手を伸ばし魔術回路を開くと解析を始めた。
彼女はやはり何も答えなかったが、拒否もしなかった。
?
ここから我が国最高の英雄の1人が召喚されたと思うと感慨深い
ものがある。
309
é
そうして佇んでいると昨日の桜の解析結果に対する1つの解決策
が浮かんできた。
そうか、出来ないのであれば出来る物を作れば良い。
私のすぐ身近には常識外れの投影魔術師がいたことを忘れていた。
私は帰路につくためタクシーを呼び、待つ間それを可能とするいく
つかの武具を想像する思考に埋没した。
310
設定│9
設定│英国の風物について7
まず、エピソード完結までえらく間が空いてしまいすいません。
前にも書いたとおり、制作に関わっているインディ映画の撮影が佳
境に入っており時間が取れませんでした。
現在ポスプロ段階に入ったため今はFate/Grand Or
derをプレーする余裕すらあります。
このシリーズ自体は﹃アルトリアを偲んで﹄で一端終わりにしてお
り、現在はセカンドシーズンとも番外とも言えない形で続いています
がネタも溜まってきたのでちょいちょい更新します。
例によって劇中に登場する風物です。
・パディントン
アンドリューが常宿にしているエミールのホテルがある設定の場
311
所。
特に何もないエリア。パディントンベアの生まれ故郷。
ヒースロー空港とロンドン市内を往復する特急列車、ヒースロー・
エクスプレスが発着するところ。
﹂が正解。
エミールのホテルのモデルは筆者が以前に止まった安宿。
汚くて古くて狭くて安くて朝食が美味しかったです。
フロント係の人がロシア人︵多分︶でした。
・Could you call me taxi
冠詞の概念が分からない日本人がよくやる間違い。
﹁タクシーを呼んでください﹂と言いたい場合は
﹁Could you call me a taxi
・マーマイト
もの︶で作った黒いペースト状の何か。トーストやクラッカーに塗っ
ビールの醸造過程で沈殿堆積した酵母︵行ってみれば酒粕みたいな
?
?
Love it or hate it ︵大
"
て食べる。
キャッチコピーは
"
好きか大嫌いのどちらか︶
マーマイトは残念ながら食したことがありませんが、オーストラリ
ア版マーマイトであるベジマイトは食べたことがあります。
私、これ結構好きです。
・日産GT│R
おなじみメードインジャパンの車。
﹃ワイルドスピード﹄シリーズでポール・ウォーカーが乗ってた車。
生前のポール・ウォーカーは普段から日産GT│Rに乗っていたら
しいです。
・シャーロック・ホームズ、シッド・ハレー
シャーロック・ホームズは説明不要でしょう。
コナン・ドイルが創造したキャラクターで世界一有名な探偵ではな
いでしょうか。
シッド・ハレーは元ジョッキーで作家に転身してジョッキー引退後
にも成功をおさめたディック・フランシスの想像したキャラクターで
す。
フランシスの競馬シリーズは毎回登場人物が交代していましたが、
シッド・ハレーはシリーズのなかでも抜群の人気を誇り、4度にわた
り登場しています。
元ジョッキーの隻腕調査員で、不屈の精神をもつハードボイルドな
キャラクターとして人気を博しました。
・風宮和人
劇中に登場するオリキャラでサマセット・クロウリーと並ぶチート
キャラ。
初出は前作﹃Fate/NY﹄及び、それをいじくった﹃magu
s hunter﹄ですが、話を進めやすくするために出しました。
不快に思った方は申し訳ありません。
あと、書いて気付いたのですが彼の前職は封印指定執行者というよ
り代行者にちかいですね。設定ミスです。
ちな、名前の由来は伊勢神宮の外宮にある境内別宮。風宮という名
前自体は元寇の際に神風をおこし国を救ったという逸話が由来で、風
312
宮の祭神は風雨を司る神とされる級長津彦命と級長戸辺命。
さらについででいうと、この風宮は私の母方の祖先と強い関わりが
あるらしく︵私自身も詳しくはしりませんが︶私の母方の祖母は旧姓
が風宮でした。
遠い親戚には今も風宮姓を名乗っているひとがいるらしいです。
ご先祖さまこんなところでお名前をつかってすいません。
・POT NOODLE
通称﹁世界一マズいカップラーメン﹂
不味い料理を大量生産してきたイギリスのインスタント業界でも
特に不味いと悪名高い商品。
真っ黒なス│プの中に大量のプラスチックのような触感の麺が沈
んだ現代美術的醜悪さのゲロ不味料理で、慣れない人が食べると体調
を崩す生物兵器。
ちなみにアンドリューが伊勢で食していたのは伊勢うどん。
柔い麺と黒いツユが特徴です。
・桜の秘密
かつてないほど原作キャラをたくさん出しました。
アンドリューが桜の解析をするシーンですが桜が不憫すぎると日
頃から感じていたため救いが欲しくこうしました。
今後のエピソードでも桜のその後については触れたいと思います。
313
Oxford Ghost Story
亡霊
年が明けたある日。
私は衛宮士郎と遠坂凛に彼らのフラットでのささやかな新年会に
呼ばれていた。
新年は日本に里帰りした2人だったが独り身で身内も居ない私の
ことを気にかけてくれていたらしい。
やはり気持ちの良い若者たちだ。
私は心ばかりの手土産を片手に彼らのフラットを訪れた。
往訪した私をいつものように士郎が温顔で私を迎えてくれた。
﹁やあ、シロウ。こういう時日本語では何という言うんだったか⋮⋮
ああ、そうだ。
明けましておめでとう﹂
314
﹁ああ、おめでとう。アンドリュー﹂
私たちのやり取りを聞いていたのか奥にいる凛も﹁おめでとう﹂の
一言で迎えてくれた。
﹁これは手土産だ﹂
フラットに招き入れられた私は我ながら気の利いた手土産を真な
よく手に入ったわね﹂
る部屋の主である凛に渡した。
﹁森伊蔵
囲内ですむように調整しているので
祈祷の結果、客の身に訪れた幸運や奇跡的な病気の治癒は偶然の範
が耐えない。
お抱えの術者たちによる治癒魔術と祈祷はよく効くと評判で客足
魔術師は資産の運用には気を使うがあの男は金儲けも得意だ。
風宮は資産家で唸るほどの金を持っている。
だ。
実際、譲ってくれた風宮和人は友人ではないが気前のいいのは事実
﹁気前のいい友人が譲ってくれてね﹂
?
魔術協会の掲げる神秘の秘匿にも抵触しない。
風宮は﹁恵まれない知人に施しをするのは高貴な者の務めだ﹂と宣
い毎年新年に高価な何かを送ってくれる。
純粋な厚意なのか純粋な嫌味なのか、それとも毎年の贈り物に50
0年分の呪いでも詰まっているのか解らないが厚意でも嫌味でも商
品の価値は変わらないし、仮に500年分の呪いが詰まっていたとし
てもどうせ500年後には私はとっくに死んでいる。
とにかくそのありがたい贈り物を士郎手製の正月料理と共に我々
は楽しんだ。
私が桜や大河と対面したこともあり我々の間には共通の話題も増
えて会話は弾んだ。
だいぶ迷ったが私は間桐桜の問題の事を凛と士郎に話していた。
凛と桜は姉妹だがその間には魔術師の世界特有の深くて重い問題
が横たわっていた。
315
凛は私からその事実を聞くと激しく狼狽し憔悴するほど悩んだ。
そして何日も迷った挙句、ある結論に達し以前よりも快活になって
いた。
話して良かったと思った。 風宮から譲ってもらった森伊蔵が空になり。
サマセット・クロウリーから貰った30年物のマッカランが空にな
り。
藤村大河が日本から送ってくれた安酒に手を付け始めるころ。
なぜか怪談話をする流れになっていた。
日頃から神秘に嫌と言うほど接している我々魔術師が怪談話とは
妙だが、
特に凛が乗り気だった。
﹂
日頃から饒舌で聡明な彼女は色々な話を仕込んでおり、酔いも手
伝ってかいつも以上に饒舌だった。
﹁アンドリュー。あなたは何かないの
イギリスの人ってそういう話、好きなんでしょ
午前2時ごろ凛が私にそう水を向けた。
?
?
ふむ。さすがいいところをついてくる。
私は何秒か思考を巡らせこの場に取って置きの話があることを思
い出した。
﹁2年ほど前のことだ﹂
どんよりした曇り空が広がる冬のある日。
そう、確か年があけてそろそろ1ヶ月という頃だった。
いつものようにエミールの小汚いホテルで惰眠を貪っていた私の
モバイルフォンが鳴った。
﹂
ディスプレイに表示されたのはよく知っている番号だった。
私は電話を取ると言った。
﹁やあ、ソフィー。クリスマスはどうだった
﹁ところで、仕事しない
﹂
サマセット・クロウリーは唯一の例外だ。
彼女が誰かの悪口を言うのを聞いたことがない。
物だ。
勘違いのないように言っておくが、ソフィーはさっぱりとした好人
愛好を崩してそう言った。
電話の相手、首都警察の女刑事、ソフィー・エヴァンズはいつもの
﹁災難だったな﹂
ングデーまで台無しにされた﹂
﹁最悪。クロウリーの気まぐれに強引につき合わさせられて、ボクシ
?
しょ
﹂
﹁どうして暇だと思う
﹂
﹂
﹁﹃ヘルズ・キッチン∼地獄の厨房﹄の再放送を見てるでしょ
かる。
暇なときに真っ先にやることだって前に言ってたよね
音でわ
﹁場所がオックスフォードなんだけど、アンドリュー、あなた今、暇で
﹁ものによるが、一応聞こう﹂
?
まことに遺憾ながらそのとおりだった。
?
?
?
?
316
×××××
しかしそのような習慣を口走ってしまうとは。
まったく私のお喋りも度し難い。
ベルリンで過酷な仕事を終えたばかりの私はサボタージュを決め
込みたかったが、
暇なことを見破られている上に、最近、荒事続きで消耗した装備を
一新したため、
懐具合が少々さびしかった。
そしてソフィーは友人だ。無碍に断れない。
私は電話の相手に聞こえないよう小さくため息をつくと言った。
﹁現場を見せてもらうよ。手回しを頼む﹂
﹁オーケー。ありがとう。私は同行できないけどよろしくね﹂ チ
私はことのあらましをソフィーから聞くと、荷物をまとめ、ヴィク
コー
トリアコーチステーション発の
オックスフォード行き長距離バスに乗り込んだ。
事件のあらましはこうだ。
その日、大学一年生のアレクサンドラ・ジェイムズは
寮の自室で浅い午睡を取っていた。
時間のある時の彼女の習慣だ。
アレクサンドラは仲の良かった姉、シャーロットを一ヶ月前に事故
で亡くしていた。
外はイングランド特有の小雨が降り屋根に跳ね返った雨粒が心地
よいプレリュードを奏でていた。
うとうとし始めていた彼女だったが不穏な気配に気が付き、目を覚
ますと
窓の外に誰か立っていた。
アレクサンドラの部屋は5階にある。
ベランダに誰かが立っているとすれば、それはルームメイトのジェ
シカか
あるいは5階に住んでいる悪党を成敗しに来たロールシャッハの
他にはあり得ないはずだった。
陽は落ちかけ、空は薄暗闇に覆われていた。
317
そして薄暗闇の中には、その人物の着ていた
目の覚めるような鮮やかなイエローのスプリングコートがくっき
りと浮かび上がっていた。
奇妙なことにそのコートは他ならぬ亡くなったシャーロットが好
んで着ていたものだった。
なによりもそんな悪趣味なコートをエレガントに着こなせるのは
亡き姉以外には存在しない。
少なくともアレクサンドラはそう確信していた。
どの程度の時間が経っただろうか。
﹂
アレクサンドラは絞り出すように一言口にした。
﹁⋮シェリー
いつもの呼びなれた愛称でアレクサンドラは姉の名を呼んだ。
するとその人物は部屋の中を振り返るようなそぶりを見せ││
カーテンの陰に隠れてしまった。
しばし、呆然としていたアレクサンドラだが
やがて立ちあがりまだ覚醒しきっていない頭のまま窓際まで歩い
て行った。
しかし、そこには誰も立っていなかった。
そして、彼女はベランダの外壁に奇妙な物があることに気が付い
た。
それは、いくつかの人間の手形と
﹁Adieu Alex︵さようなら、アレックス︶﹂
というメッセージだった。
彼女は気が動転し、とにかく誰かを呼ぼうと部屋を駆け出して行っ
た。
そして、ちょうど部屋に戻ってくるところだった。
ルームメイトのジェシカを廊下で捕まえ再び自室のベランダに出
た時には
手形もメッセージもまるで魔法使いのバア様が放った屁のように
跡形もなく消えていた。
アレクサンドラは姉をなくしたことでやや精神的に不安定になっ
318
?
ていた。
その事件以来気持ちが落ち着かなくなった彼女は遠縁の親戚であ
るソフィーが刑事をしていることを
思い出し、かくして私は夢見る尖塔の街を訪れることになった。
確かにただ事ではない。
幽霊とは死後もこの世に姿を残す卓越した能力者の残留思念ある
いはその空間の記憶のことだ。
亡くなったシャーロット・ジェイムズは前者の例に当てはまらな
い。
彼女の家系は魔術とはまったく無縁だ。彼女は魔術使いであるソ
フィーの親戚にあたるが
そもそもソフィーの魔術回路はサマセット・クロウリーによって後
天的に埋め込まれたものであり
彼女も彼女の親戚も魔術とはまったく縁がない。
後者は純粋な記録で、魔眼憑きか血縁関係などの近しい者にしか視
ることはできない。
条件さえそろえば近親者の彼女が姉の霊を見ても不思議ではない
が、彼女が
霊を見たと主張している場所はオックスフォード、シャーロットが
事故で亡くなったのは海の向こうのロサンゼルスだ。
正直皆目検討のつかない事態だった。ソフィーは私に頼む前に自
分でも解析をしたが理由がわからず。
次にクロウリーに協力を依頼したがすげなく断られ、かくしてロン
ドン1男前な魔術使いの私の出番となったわけだ。
バ ス は 空 い て い た。当 然 だ。月 曜 日 の 朝 に ロ ン ド ン 発 オ ッ ク ス
フォード行のコーチに乗るのは暇人かオックスフォードに向かう
ゴーストバスターぐらいだろう。
乗客は私を含め6人だった。
そのうち2人はフランス人のカップルで私の左後方の席で愛を囁
きあっていた。
そのうち2人はイタリア人のカップルで私の右後方の席で愛を囁
319
きあっていた。
のこる私を除いた1人はアフリカ系の男性で一番後ろの席で居心
地悪そうに車内トイレの扉を眺めていた。
私はその男性にいくばくかのシンパシーを感じた。
バスは2時間ほど走るとイングランドの田園光景を抜け︵実際のと
ころこの国は一部を除いて田園風景ばかりだ︶
古めかしい尖塔が立ち並ぶ景色が見えてきた。
さて、仕事だ。
320
探偵
私の依頼主は様々だ。魔術協会、聖堂教会、個人、政府機関⋮⋮
魔術に対する信念を特に持たない私は自分が遂行可能と判断した
依頼はなんでも受ける。
特定暴力団の両儀家からの依頼も女王陛下からの依頼も私にとっ
ては等価だ。
今回の形式上の依頼主は組織。それも魔術協会でも聖堂教会でも
ない別の組織だった。
表向きの依頼主のニュー・ソサエティはオックスフォードに本拠を
置く中世後期に発足した後発の魔術組織だ。
魔 術 協 会 が あ く ま で も 魔 術 自 体 の 発 展 を 目 的 と す る の に 対 し、
ニュー・ソサエティは
魔術を使って利益を生み出すことを目的とする俗世的な発想の魔
術集団だ。
かつてはエドウィン・ハッブルやルイス・キャロルも所属していた
と伝えられている。
ニュー・ソサエティ近代科学に強みを持ち、荒事以外の実益的問題
に日夜取り組んでいる。
両者は相容れず、また、ニュー・ソサエティは魔術協会から軽く見
られている。
ニューソサエティは魔術協会と違い、新興の家系やソフィーのよう
な突然変異で魔術回路を得た魔術使いにも寛容だ。
サマセット・クロウリーの紹介でニュー・ソサエティの会員となっ
たソフィーは
刑事という立場から相談を受けることがあり、私も彼女経由で依頼
を受けることがある
今回はソフィーの親戚という個人からの相談が発端だったが、気の
利くソフィーは
私が無報酬で仕事をせずに済むよう、手を回してニュー・ソサエ
ティからの依頼という形で仕事にしてくれたらしい。
321
やはり持つべきものは友だ。
現 場 は オ ッ ク ス フ ォ ー ド を 構 成 す る カ レ ッ ジ の ひ と つ ハ ー ト
フォードカレッジの寮だった。
時代を感じさせる古ぼけた木製の門に立ち、ソフィーから預かった
﹂
連絡先に電話すると20代前半の無垢さを感じさせるほっそりした
﹂
若い女性が迎えに来てくれた。
﹁マクナイトさん
﹁ああ。ということは君がアレクサンドラだね
私立探偵アンドリュー・マクナイト。
いい響きだ。
﹁早速だけど部屋を見せてもらえるかな
﹂
ソフィーからは友人の私立探偵と紹介されていたようだ。
念の入ったことに名刺と社員証まで用意されていた。
調査員というものだった。
今回、用意された身分はニュー・ソサエティが運営する調査会社の
れる。
コンサルタント業を主軸としているが、その中には調査会社も含ま
をあげているのはニュー・ソサエティの運営する企業だ。
ニュー・ソサエティという名前が表に出ることはなく、表面上利益
を使っている。
ニュー・ソサエティはオープンな組織だが、神秘の秘匿にだけは気
?
?
高い大学であり、当然ながら学生生活にかかる費用も高い。
わが国最古の大学であるオックスフォード大学はもっとも格式の
シャワールームとトイレは寮内のものを共有しているらしい。
それに洗面台とヒーター。
ベッドと机が二つにクローゼットが一つ。
部屋は簡素な作りだった。
アレクサンドラは私を寮の部屋に案内してくれた。
﹁よろしくお願いします﹂
私が問いかけると彼女は期待と不安の混ざった声で言った。
?
322
××××××××××××
本当に優秀であれば奨学金を得ることもできるが奨学金を勝ち取
る競争はきわめて激しく、実際のところオックスフォードに入学を許
可されるほどの学力を持つには親の財力は強力な助けになる。
アレクサンドラの父もご他聞にもれずシティで株だか債権だかを
転がしているエリートらしい。 ルームメイトのジェシカは本物の貴族の家系の出身だそうだ。 まったく。ポール・ウィリスの言うことはつくづく正しいらしい。
そのルームメイトのジェシカには留守にしてもらっているという。
彼女はボドリアン図書館で大量の宿題と格闘中だそうだ。
﹂
さすがはわが国が誇る最高学府だ。
﹁君のほうは大丈夫なのか
私がそう問うと彼女は言った。
﹁大丈夫じゃないですよ、勿論。⋮⋮でも気になって手につかないん
です。よろしくお願いします﹂
﹁わかった手早く済ませよう﹂ 解析は器用貧乏な私が唯一得意と言える魔術だ。
ベランダに出るといつもの詠唱を不審がられないように小声で口
にし魔術回路を起こす。
││そして。
││私の魔術回路は何も捉えなかった。
オックスフォードは歴史が深くマナの濃い土地だ。
ニュー・ソサエティが大都市ロンドンではなくこの地を本拠として
いるのは魔術協会との競合を避けるためでもあるが、この土地が魔術
に向いた土地であることも無論関係がある。
オックスフォード自体のマナとこの場所のマナが混ざりあって解
析が困難になっているのかもしれない。
私はそう推論をたて、再度解析を実行した。
いつもの解析方法だけでなくフーチにダウジング、さらにはわが友
アンナ・ロセッティからの借り物である探知のルーンも試した。
しかし、いくら調べても不審な魔力を探知できなかった。
依頼主アレクサンドラの様子を見やる。
323
?
彼女は明らかな不審物を出した私のことを怪しい者を見る目で見
ていた。
当然の結果だ。
私はあせる気持ちを抑え思考をめぐらせた。
そして気の進まないプランBに踏み出すことにした。
マクナイトさん﹂
私はため息と情けない気持ちをないまぜにして彼女に言った。
﹁この事件にはホームズが必要だな﹂
﹁あなたがホームズじゃないんですか
﹁確かか
﹂
ニュー・ソサエティの理事は常識人ぞろいだ。
あくまでも私の助手としての参画という形で落ち着いた。
せることは最悪のアイディアであると判断したらしい。
女子大生の部屋にホイルのような思考回路の持ち主を一人で入ら
人格をよく知るニュー・ソサエティの理事は
ホイルは自分ひとりで仕事を請け負うことを主張したが、ホイルの
報酬は折半ということにした。
た。
私はニュー・ソサエティ経由でホイルに助手としての協力を依頼し
る。
柄の秘匿と報酬の引き換えにニュー・ソサエティの研究に協力してい
魔術協会から封印指定を受けているホイルは魔術協会に対する身
立てられるが、中産階級出身のホイルはそうはいかない。
莫大な財産をもつサマセット・クロウリーは何もしなくても生計を
﹁チンカスほどの魔力も感じねえな﹂
が凡庸なるワトソンくんだ﹂
﹁残念ながらね。僕はホームズじゃない。憎たらしいほどハンサムだ
?
﹂
?
フランスの血がまざるアレクサンドラはフランス語が話せる。
﹁女は勃起しねえってのと同じぐらい確かだ﹂
﹁もう少しマシなものにたとえられないのか
﹁確かだ。男に生理はこねえってのと同じぐらい確かだ﹂
?
324
××××××××××××
彼女は目の前にいるブタによく似た二足歩行する謎の生き物を警
戒しているらしい。
私がマルチリンガルであることをソフィーから聞いていたらしく、
内緒話を試みるためにフランス語で言った。
︵この方は何の専門家なんですか
︶﹂
﹁Quel type de professionnel est
│il
もいかない。
﹁Eh bien⋮⋮︵そうだな︶﹂
é
﹁アンディ。隣の部屋も調べるぞ
﹂
そしてしばし沈思黙考した末に行った。
当のホイルは珍しく真剣に考えていた。
不快さを抑えた作り笑いを浮かべていた。
の存在がとりあえず不快だったらしい。
アレクサンドラはその発言をどうとったのかわからないがホイル
ademoiselle︵俺はただの超天才だ。お嬢ちゃん︶﹂
﹁Je suis just un super g
nie. M
私は迷った。まさかトリュフ探しが得意なブタと紹介するわけに
?
﹁変な目的じゃないだろうな
﹂
何しろこの生物は底なしの変態だ。
ホイルの表情は真剣そのものだったが安心できない。
?
実を言うとな、大体見当がついた﹂
﹁まあ、待てよ。冗談だって
ジェラルドに報告して君を案件から外してもらおう﹂
﹁この案件のイニシアチブは僕が握っている。理事のミス・フィッツ
﹁おい、どうしたよ。ダチ公﹂
私はモバイルフォンを取り出すと番号をプッシュした。
ちょいとブラとパンティーを何着か拝借するだけだ﹂
だったんでな。
﹁そう警戒するなよ。隣の部屋のブルネットが中々のかわいこちゃん
言った。
私 が 最 大 限 の 警 戒 心 で 問 い か け る と ホ イ ル は 真 剣 な 表 情 の ま ま
?
!
325
?
﹁本当か
﹂
﹁ああ。俺のケツにできたイボ痔に誓って本当だ﹂
そんなものに誓われて信用できるものかと言おうとしたがこの生
き物の発言にいちいち反応するのは純粋なる時間とエネルギーの無
駄遣いだ。
そんなことをしていたら時の翁が激怒するに違いあるまい。
﹂
私はその上品極まりないたとえを無視し、ホイルの次の言葉を待っ
た。
﹂
﹁それでな、アンディ。ちょいと聞き込みに行ってくれねえか
﹁君は行かないのか
?
うにかしたらどうだ
﹂
﹁アンディ。俺は超天才だぜ
?
が﹂
スティーブ・ジョブズを見てみろ。いつも同じ格好してるだろう
にしてる余裕はねえんだよ。
超天才は身なりなんて細けえことを気
まウォッカを飲んだ後のサンタクロースみたいな身なりと体型をど
﹁自覚があったとは意外だな。だったらそのストリップパブでしこた
がないとはタチが悪い。
しかし、自分が明らかな不審者の外見だと分かっているのに直す気
ホイルの口から出たのは意外にも正論だった。
まうだろうが﹂
目的を果たす前にセントオルデイツ市警察のごやっかいになっち
キャンパスなんかウロウロしてたら
﹁バカ言え。俺みたいな明らかな不審者が天下のオックスフォードの
?
?
326
?
思念
あの時
と同じなにか妙な感覚だった。
習慣になっているシエスタから目覚めた時に
感じたものは
そして私が逡巡している間にその背中は
かの背中だった。
│あの日と同じ鮮やかなイエローのスプリングコートを着た何者
のは薄闇と
覚醒しきっていない視界で半分閉じたカーテンの向こうに見えた
"
私はその背中を追ってベランダに出た。
そこにはあの時と同じようにいくつかの赤いメッセージと手形が
残されていた。
﹁誰かに知らせなくちゃ﹂
まっさきに浮かんだのはマクナイトさんのことだった。
私はルームキーを手に取り、部屋を出た。
部屋を出るとそこにはでっぷりした体型の30がらみの男が私の
事を待ち構えたように立っていた。
アレクサンドラが事件当時と同じ動きをしてくれるかは
不確定要素だったが実験は完璧にプラン通り成功した。
部屋から出たアレクサンドラはホイルの醜悪な姿を不思議そうな
表情で見上げていた。
ホイルはいつもの品のない声で彼女に
﹁部屋に戻ろうぜ、お嬢ちゃん。これからこの超天才がシャーロック・
マザーファッキン・ホームズ
みてえにクールに謎解きをしてやる﹂
と言い、彼女を連れて部屋に入ってきた。
アレクサンドラをつれて部屋に入ってきたホイルはベランダでな
んとも不本意な格好をさせられている
私に言った。
327
"
揺らめくカーテンの陰に消えていった。
×××××××××××××××××××××××××××××××××
﹁アンディ、もう入ってきていいぞ﹂
私はベランダのカーテンの陰から不本意極まりない気分で2人の
前に現れ
シャーロック﹂
黄色いスプリングコートとブロンドのウィッグを外して言った。
﹁これでいいのか
﹁ああ、完璧だぜ。ジョン﹂
我々のやり取りを見てアレクサンドラが尋ねた。
﹁あの⋮マクナイトさん、これは一体⋮﹂
﹁ああ、そうだったな。順を追って説明しよう。﹂
私はあの日行われたであろう出来事を推測を交えながら語った。
﹁ま ず、あ の 日 窓 の 外 に 立 っ て い た の は 亡 く な っ た 君 の お 姉 さ ん の
シャーロットじゃない。
黄色いスプリングコートを着た全くの別人だ﹂
﹁でも、確かにあの時は姉だと⋮﹂
ホイルがその後を引き継いで言った。
﹁お嬢ちゃん。人間の心理ってのはな。
何か強い印象のあるポイントがあると、そいつに意識がいって思い
こみが働いちまうもんだ。
黄色いスプリングコートなんて目立つモノ着てれば思いこみで錯
覚するのも当然って話だ。
ましてや、薄暗闇のなかで目覚めたばかりの寝ぼけ眼でみたんだろ
ディだ。
アンディは野郎にしちゃ小柄な部類だが、筋肉質で立派なナニのつ
いたれっきとした野郎だ。
生理はこねえし妊娠もしねえし母乳も出ねえ。
でも、お嬢ちゃんにはあんたの姉ちゃんに見えた。間違いねえな
﹂
アレクサンドラは頷き、続けてこう尋ねた。
﹁でも、マクナイトさんは今までどこにいたんですか
?
328
?
現に、今さっきベランダに立ってたのは間違いなくそこにいるアン
?
?
それにあのベランダにあった赤字のメッセージは
セージの完成ってわけだ﹂
﹂
君 が 部 屋 を 出 て い っ た タ イ ミ ン グ で 剥 が せ ば そ れ で 消 え る メ ッ
だ。
それとメッセージはセロファン紙に書いて貼り付けてあっただけ
ただそれだけのことだ。
てたのさ。
ベランダの仕切りを乗り越えて隣の部屋のベランダに屈んで隠れ
だろ
﹁それも単純なことだ。ここは角部屋だが⋮となりの部屋は空き部屋
?
私は右手に握ったセロファン紙を広げて彼女に見せて言った。
誰がそんな事を
﹂
彼女はそこに書かれた文字を確認して言った。
﹁そんな⋮でもなんで
?
普通にやったら、不出来なセレブのヌードコラージュを50ポンド
だ。
﹁実はな、誰がやったのかもわかってる。こんなおざなりなトリック
ホイルが後を継いでいった。
?
騙せねえだろうが、今みてえに薄暗闇で寝ぼけた人間なら騙せる可
能性もあるわけだ。
お嬢ちゃんをターゲットにするなら、あんたが昼寝から起きるタイ
ミングを見図らうのがベスト。
そうすると犯人はあんたが昼寝する生活習慣を知っている奴って
ことになる。
﹂
お嬢ちゃん。あんたはお利口なマザーファッカーだ。こんだけヒ
ントがあればもうわかるだろ
アレクサンドラには成績優秀で背が高く、ボート競技をやっていて
││恋愛がらみだ。
犯行の動機は実にティーンエイジャーらしかった。
犯人はアレクサンドラのルームメイト、ジェシカだった。
?
329
?
払って買うようなアホぐらいしか
××××××××××××××××××××××××××××××
﹃トワイライト﹄シリーズに程よい存在感の脇役で出てきそうな
絵に描いたようなジョックのボーイフレンドがいるが
彼に好意を抱いているのはアレクサンドラだけではなかった。
当然のことだがそこまで揃っていれば大抵のティーンエイジャー
は気絶するくらい憧れる。
ジェシカもその1人だった。
そんなわけでジェシカは失恋したわけだがその後が良くなかった。
失恋の痛みの癒しかたは人それぞれだがジェシカはそれをルーム
メイトへのいたずらという形で実行した。
﹁ただちょっと怖がってくれればいいと思った﹂
そんな軽い気持ちでその計画は実行された。
アレクサンドラからシャーロットの事はよく聞いていた。
イエローのスプリングコートを着たのは二人の写真を見て印象に
残っていたから。
330
ただそれだけのことだった。
あれだけ杜撰な計画だ。
彼女はすぐにばれると思っていた。
ばれたらばれたですぐに謝るつもりだった。
しかし、外部から調査員が入ってくるなど事態が深刻化していくの
を見て言いだせなくなってしまったようだ。
ジェシカがアレクサンドラに謝罪しこの件は終わった。
アレクサンドラは彼女を訴えようとはしなかった。
?
け、そしてさらに言った。
﹁奢ってくれるならコールガールを呼んで3Pしねえか
﹂
ホイルは﹁奢るから飲みに行こう﹂と私が誘うと2つ返事で引き受
彼の知恵を借りたかったからだ。
このブリテン島一下品で醜悪な生き物を誘った理由は1つ。
不本意ながらホイルを誘ってパブに繰り出した。
報告を済ませると、
私はニュー・ソサエティの理事と仕事を紹介してくれたソフィーに
×××××
私は言った。
﹁絶 対 に ご め ん だ。君 が ナ ニ し て い る 姿 な ど 見 た ら 一 生 の ト ラ ウ マ
だ﹂
パブは厳かな雰囲気の建物だった。かつてJ・R・R・トールキン
やルイス・キャロルも常連だったという。
そのような格調ある場所でもホイルはいつもどおりだった。
エ ー ル を 飢 え 死 に 寸 前 の ブ タ の よ う に 飲 み 干 し、運 ば れ て き た
フィッシュアンドチップスやミックスグリルを
やはり餓死寸前のブタのように食らっていた。
そして料理が運ばれてくるたびに女性のウェイターに﹁いいパイオ
ツしてるな﹂と﹁いいケツしてるな﹂
というフレーズをロングボール戦略に頑なにこだわるベテランの
フットボール監督のように繰り返していた。
私は他人のフリをしたい欲求を我慢し、彼の口から食べカスと一緒
331
に飛び出す下品極まりない猥談
にしばし辛抱して付き合うと話の切れ目のタイミングで私の中に
残った疑問をぶつけた。
﹁ところでだ。今回の件だがまだ不明な点がある﹂
ホイルはツバを周囲1フィートに撒き散らしながら言った。
﹁何だ言ってみろ﹂
﹁君の推理したとおり、集積所からセロファン紙が見つかったわけだ
が
﹂
いくつか妙な点があったんだ﹂
﹁妙な点
アレクサンドラ自身も日ごろから﹃アレックスだと男の子の名前み
い。
そもそも彼女はアレクサンドラの事をサンドラと呼んでいたらし
﹃こんな文章を書いた覚えはない﹄とね。
ジェシカが不思議がっていた。
セージ、
﹁ああ、まずメッセージだがな﹃Adieu Alex﹄というメッ
?
たいで嫌だ﹄と周囲に頼んでいたそうで
その他の大学の友人もみなサンドラと呼んでいたそうだ。
それと手形についてだが、警察の友人に頼んで照合してもらったと
ころ一つだけジェシカ以外の人物の掌紋が見つかった。
アレクサンドラから聞いたんだが、その掌紋の持ち主は彼女のこと
をアレックスと呼んでいたそうだ。
﹂
⋮誰だと思う
﹂
つまりこの件は神秘と無関係だ。この事実、君ならどう理屈付ける
して魔力を探知できなかった。
﹁今回の件だが。ソフィーと僕と君。それなり以上の術者3人が解析
思っただけだ﹂
﹁驚 い て る ぜ。俺 も。た だ、話 の 流 れ か ら し て ほ か に 回 答 は ね え と
││驚かないんだな﹂
﹁ああ、そうだ。
彼はこの驚くべき事実に特に驚くこともなく答えた。
﹂
﹁シャーロットか
?
ホイルは飲食の手を止め、珍しく真剣な顔で考え込んだ。
そして、しばし沈思黙考した後に口を開いた。
﹂
﹁アンディよ。幽霊ってのは俺たち魔術師の間でどう定義づけられて
る
﹂
?
わず椅子から転げ落ちそう
ホイル口からあまりに似つかわしくない言葉が飛び出し、私はおも
﹁そうだな。﹃愛﹄じゃねえか
﹂
彼女がなくなったのは大西洋の向こう側だ。それはどう説明する
は能力者ではないし、
﹁だが、この件はどちらに当てはまらない。亡くなったシャーロット
﹁大正解だ。お利口なマザーファッカーだな、お前は﹂
間の記憶のことだ﹂
﹁死後もこの世に姿を残す卓越した能力者の残留思念あるいはその空
?
332
?
?
?
になった。
しかし、ホイルの表情はいつになく真剣だった。
ホイルは真剣な││しかしやはり下品な││表情で言葉を続けた。
﹁ちょいと気になってネットで調べてみた。
便利な時代だな。SNSからプライベートがダダ漏れしてる。
俺みたいな不審人物の変態にはありがたい時代だ。
そんで、あのお嬢ちゃんとそのお友達たちのSNSを漁ったら色々
わかった。
ジェイムズ姉妹は片親で、いけ好かないエリートの親父さんはいつ
も留守がちだったらしい。
ベビーシッターは雇ってたそうだが、亡くなったシャーロットは年
の離れた妹を溺愛してたらしい。
﹂
妹のことは心残りだっただろうな。つまりだ││﹂
﹁つまり
﹁死して尚、妹を思う強烈な思いがが一時的にシャーロットを能力者
に変え
﹂
その残留思念が大西洋を越えてお別れの挨拶に来た。
ありえなくはないと思わねえか
﹁なに。別に構わねえさ﹂
な﹂
﹁││そうだったのか。すまない。今回は辛い思いをさせてしまった
う会う手立てはねえがな﹂
﹁俺にも年の離れた妹がいる。俺がこんな立場になっちまった今、も
が飛び出した。
私がそう感想を述べるとホイルの口からはまたしても意外な言葉
││しかし、君の口からそんな言葉が飛び出すとは。実に意外だ﹂
確かに。そんなものがあるとしたらそれは﹃愛﹄ぐらいだろうな。
﹁能力と空間を超越する程の思いか。
つの感想に至った。
私は驚きで言葉が見つからず、しばらく無言の空間を漂いやがて一
ホイルの推論は色々な意味であまりにも意外だった。
?
333
?
﹁やはり妹が壮健かどうか、気になるか
﹁よくわかってるじゃないか﹂
﹂
﹁ちなみにこの話はウソだって続くんでしょ
﹂
私が静かにそう言うと彼女はクスリと笑って言った。
20年近く経った今も一日たりとも彼女の事を忘れた日はない﹂
僕の妹は7歳にしてその儚い命を不慮の事故で散らした。
﹁ああ。僕にもよくわかる。
彼女の事情を物語るような重い言葉だった。
﹁それだけ妹のことを思ってたのね﹂
無言がしばらく空間を支配したあと凛が一言こう言った。
当然だが思うところがあるのだろう。
でいた。
この長話の忠実な聞き手である衛宮士郎と遠坂凛はしばらく無言
冬の空は明るくなりはじめ酒瓶はあらかた空になっていた。
私の話が終わるころ。
寄れねえ。残念だ﹂
回収してえんだが、魔術協会の手が回ってるかもと思うと迂闊に近
存在しねえからな。
﹁ああ。俺の妹は実家において来たPCのハードディスクの中にしか
?
予報では昼からは晴れるらしい。今日はそれほどは寒くならない
ていた。
イングランドの冬は底冷えする。朝のロンドンには霧が立ち込め
﹁ああ。こちらこそよろしく﹂
﹁アンドリュー。今年もよろしくね﹂
そして辞去の挨拶をした私に言った。 彼らは初めて会った時のように私を外まで送ってくれた。
私は士郎と凛の片づけを手伝うと2人の愛の巣を辞去した。
ましょうと号令をかけた。
彼女はまたクスリと笑うと立ち上がって伸びをし、もうそろそろ寝
?
334
×××××
な。
そんなことを考えながら私はブッラクキャブを呼び止めて乗り込
んだ。
335
設定│10
設定│英国の風物について8
・オックスフォード
天下に名高いオックスフォード大学がある街。人口およそ15万
人。
古めかしい建物が立ち並び歴史の匂いがする古都。
英国の首都ロンドンは第二次大戦中にドイツ軍の空爆を受け、被害
を受けましたが
オックスフォードには空爆は無く古い建物が非常に良好な保存状
態で残っている。
・英国人と幽霊話
英国人は幽霊話が大好き。
それなり以上に歴史のある街、建物には必ず幽霊談があります。
というツアーに参
であり、数多くの劇場が存在しますが、格式ある劇場にはかならず幽
霊談があります。
というより、幽霊話の一つや二つはないと格式高い劇場と認められ
ないらしいです。
また、呪われた芝居と言うのも存在し、シェイクスピアの﹃マクベ
ス﹄は上演に関わった関係者に不幸が訪れる事態が続出したため、芝
居関係者のあいだではあえて作品名をださず﹁あのスコットランドの
336
ロ ン ド ン に は ロ ン ド ン の 血 塗 ら れ た 歴 史 を 案 内 し て も ら え る
ウォーキングツアーがありますし、オックスフォードにはオックス
フォ│ドのいわくつきの場所を案内してもらえるウォーキングツ
アーがあります。
Oxforad Ghost Story
私はオックスフォードに3週間滞在したことがありますが、その時
に
"
ちなみに英国と言えば大劇作家ウィリアム・ウェイクスピアの故郷
中々興味深い体験でした。
加しました。
"
芝居﹂
︵﹃マクベス﹄の舞台はスコットランド︶という習わしがあるそ
うです。
・コーチ
長距離バスのこと。
名前の由来はかつて長距離移動手段が馬車だったため。
ロンドンのヴィウトリア駅のすぐ隣にあるヴィクトリアコーチス
テーションから英国各地への長距離バスが出ています。
電車に比べ料金が安いため貧乏旅行には最高です。
︵私も使いました︶
・オックスフォード大学
英語圏最古の大学にして、ハーバードやケンブリッジと並ぶ世界の
頭脳。
ただし、ハーバードなどのアメリカの名門と違い公立大学︵と一般
的には認識されているが実際はちょっと微妙︶
私は大学3年の時に初めて渡英しましたが、その時の滞在先がオッ
クスフォード大学ハートフォードカレッジの寮でした。
私の通っていた大学がオックスフォード大学と提携しており短期
語学研修と言うかたちでオックスフォードに滞在し、語学の授業を受
けました。
そのため、寮内部の描写はかなり正確です。
オックスフォード大学は夏休みになると寮生活の学生が里帰りす
ることが多いため、その期間は一般に部屋の貸し出しも行っているそ
うです。︵安くはないみたいですが︶
ちなみに相部屋というのはフィクション。
相部屋もあることにはあるらしいですがあまり一般的ではないよ
うです。
劇中でオックスフォードの生活費は高いと書きましたが、イギリス
の大学は大半が公立校であり授業料は平均して日本の大学の10分
の1程度。
カレッジ費用。いわば寮費のようなものがかかりそれが高いらし
337
いです。
・ポール・ウィリス
高名なイギリスの文化社会学者。
代表作﹃ハマータウンの野郎ども﹄は、学校に反抗的な少年たち がいかに労働階級の仕事についてゆくか、なぜ自ら労働階級を再生産
してしまうことになるかということを考察した本。
・J・R・R・トールキンやルイス・キャロルが通っていたパブ
実 在 し ま す。T h e E a g l e a n d C h i l d と い う パ
ブです。
︵トールキンもキャロルもオックスフォード大学で教鞭をとってい
た︶
﹃ナルニア国物語﹄のC・S・ルイスも常連だったそうです。
・SNS
このSSの舞台は2006年。このエピソードは本編の2年前な
ので2004年。
2004年はfacebookがサービスを開始。その前年の2
003年にはMySpaceがサービス開始され既に広まっていた
のでまあいっかと思いこの設定にしました。
・オリキャラばっかり
オリキャラばっかりになってしまいました。
すいません。
338
夜叉の島
出立
この国らしい曇天の空の下。
冷え込む2月のある日。
私はある重要な問題についてアドバイスを求めるべくメイフェア
の豪邸に向かっていた。
豪奢な門の前に立ちチャイムを鳴らす。
時代ががかった格好をしたこの家の執事が時代がかった所作で私
を応接室へと案内した。
運ばれてきたダージリンのファーストフラッシュを飲みながら待
つ。
ほどなくして目的の人物があらわれた。
その人物、サマセット・クロウリーはいつものように完璧に仕立て
339
られたスリーピーススーツを
完璧に着こなし、一分の隙もない所作で颯爽とあらわれ私の向かい
に座った。
﹂
いかにも高級そうなアンティークチェアに腰掛けたクロウリーは
その長い足を組むとダージリンを
一口すすり一息ついて言った。
﹁用件はわかっている。トウコに会いたいんだろう
クロウリーは現代の魔術界における怪物だ。
一足飛びで踏み込んでくれた本題に踏み込むこととした。
クロウリーがありがたくも
この男に隠し事はできない。私は時候の挨拶もジョークも言わず
ら抹消される天才だ。
遠坂凛が歴史に名を残す天才ならクロウリーは優秀すぎて歴史か
だがクロウリーの優秀さには彼女すらかなわない。
を残す存在にいずれなるだろう。
私の友人、遠坂凛はきわめて優秀な魔術師でありおそらく歴史に名
?
﹁居場所を知っているのか
﹂
﹂
のように微笑みながら言った。
﹂
先の苦労を思いやって濁った私の表情を見たクロウリーがいつも
そして私はその人物が苦手だ。 能な術者は一人しか知らない。
私はこの業界ではかなり広い人脈を持っているがそんな芸当が可
大手術の必要も考え得る。
場合によっては欠損した組織をその場で即時に練成して移植する
取り出す際にどのような問題が起きるかわからない。
しかし、その対象の箇所は心臓だ。
衛宮士郎の異能を用いれば蟲を取り出すこと自体は可能だ。
だが、これも簡単ではない。
そうなると取るべき手段は一つになった。
やはり蒼崎橙子は蒼崎橙子だった。
予想通りの答えだった。
﹁﹃頑張れ。アンドリュー。友人として見守っている﹄﹂
﹁それで彼女はなんと
後者の芸当をできる人間は一人しかいない。それが蒼崎橙子だ。
彼女の中身を移し変えることだ。
あるいは思い切って体を破棄し本物と寸分違わぬ人形に
心臓を可能な限り傷つけず蟲を排除すること。
彼女を救う方法は2つ。
それゆえに彼女は決して自由になることができない。
彼女の心臓には蟲が巣くっている。
間桐桜のためだ。
私が信用できない旧友、蒼崎橙子の行方を捜している理由は一つ。
││それで彼女から伝言だ﹂
﹁高貴な者同士だから分かり合えるのさ。
﹁変質者同士、気が合うんだな﹂
﹁ああ。知っている。昨日もチャットした﹂
?
﹁答えはもう出ているのだろう
?
340
?
﹁ああ。気の進まない回答だがね﹂
私がそう答えるとクロウリーが一通の封筒を差し出した。
﹁僕から友人たちへのささやかな援助だ。帰ったら開けてみてくれ﹂
豪奢な門を抜けて外に出る。
渡された封筒の中身を検めると香港行きのフレキシブルチケット
が入っていた。
橙子といいクロウリーといい優秀な人物はなぜ皆言葉を省こうと
するのだろうか。
一週間後。
私と遠坂凛は香港国際空港行きキャセイパシフィック航空の
アッパークラス︵ビジネスクラス︶シートに身を横たえていた。
以前に衛宮士郎とアッパークラスに登場した際、彼は落ち着かない
様子だったが
凛は違った。
育ちの言い彼女のことだ。高級なサービスを受けるのに慣れてい
るのだろう。
士郎は頼み込んでアメリカの友人に割りのいい案件を紹介しても
らった。
これから相談に行く人物は特に好きなものが二つあるがその一つ
が金だからだ。
少々危険な案件だったが桜のためと話すと士郎は二つ返事で引き
受けた。
いつもは士郎の無茶を嗜める凛も今回は反対しなかった。
私は仕事を紹介してくれたアメリカの友人、アンナ・ロセッティに
連絡を取り
くれぐれも彼のことを頼むと付け加えた上で丁重に礼を言うと彼
女は言った。
﹁私 も あ の 坊 や の こ と は そ れ な り に 気 に 入 っ て る。無 茶 は さ せ な い
よ。
341
×××××
×××××
あの坊やはこれから多くの人の役に立つ。
封印指定くらってホルマリン漬けにされるなんて結末。まともな
神経してたら望まないさ﹂
﹂
﹁そうか。君がそう言ってくれるなら安心だ﹂
﹁ところでアイツに会いに行くんだって
﹁ああ。実に気が進まないがな﹂
﹂
それが会話の終わりだった。私はアンナとお互いの無事と健康を
祈りあうと電話を切った。
就寝の時間になり機内は暗くなっていた。 リン﹂
凛は眠れない様子だった。
﹁眠れないのか
彼女は不安そうに言った。
ひ の さ き み か げ
﹁日御碕御影⋮⋮名前は知ってるけど、どんな人なの
342
?
﹁おおよそ魔術師らしくない人物だ。悪い意味でね﹂
?
?
彼女
日御碕御影に初めて会ったのは時計塔に在籍していた頃だ。
彼女は日本の名家の三女で上に二人の兄がいる。
時計塔に送られたのは将来的に家督を継ぐためではなく、どこかの
名家に嫁いだときのための教養を
身につけさせるためでいわば花嫁修業の一環であった。
しかし誤算が起きた。
彼女は上の二人の兄よりもはるかに優秀だったのだ。
時計塔でその才能を開花させた彼女は瞬く間に有名人となり、日御
碕家の当主は
彼女に家督を継がせることを考え始めた。
上の二人の兄にとって当然これは由々しき事態であった。
彼らは結託し、妹を亡き者にしようと画策し始めていた。
日御碕自身は家督に興味はなく、継ぐ遺志のないことを再三訴えて
いたが上の兄たちはそのことを信じていない様子だった。
そんなある日のことだ。
私がいつものように中庭で惰眠をむさぼっていると挨拶すらろく
に交わしたことのない彼女が
近づいてきて私に﹁こんにちわ﹂と挨拶をした。
その日は秋のとても麗しい天候の日で昼寝には最高の気候だった。
邪魔されるのは心外だったが、彼女のような有名人が接触を試みて
来たことに興味を持ち私は狸寝入りをやめて目を開けた。
付け加えると彼女は中身はともかく見た目はきわめて麗しい女性
だ。
艶やかな黒髪はまるで日本の和歌に歌われる美女のように美しく、
その瞳は魅了の魔術を使っているの
ではないかと思えるほどの求心力があった。
当時の私は10代の少年だ。仕方のない事態だった。
目を開けた私に彼女は言った。
﹁助けてほしいんだけど﹂
343
﹁どのような種類の助けだ
﹂
﹂
﹂
?
私は軽い衝撃とともに言った。
﹁申し分ない額だが本当に払えるのか
彼女はにっこり笑って言った。
?
その数日後。
私は彼女と握手を交わし2人のアメリカの友人に仕事を依頼した。
は筋金入りだった。
魔術師とは俗世のことに興味を示さないものだが彼女の拝金主義
故に神秘の秘匿にも抵触しない。
口外されることはない。
患者たちは人に言えない事情を抱えた人間なので日御碕の治療が
報酬を得ていた。
彼女は医者に言えない事情の人間を相手取った闇医者でかなりの
の街には人に言えない仕事をしている人間もいる。
ロンドンはおおむね安全な街だがヨーロッパ最大の都市であるこ
魔術を使った闇医者だ。
ムジョブ﹂に勤しんでいたらしい。
後で知ったことだが彼女は当時からその才覚を活かし﹁パートタイ
﹁じゃあ、交渉成立だね﹂
﹂
名家とはいえ学生の身分が払えるとは思えないような額だった。
した。
彼女はポケットからメモ帳を取り出すと何かを書き込み私に提示
﹁紹介するのはいいが僕に見返りは
日御碕といい橙子といい変質者同士は惹きつけ合うようだ。
いつの間にかクロウリーと日御碕は仲良くなっていたらしい。
けど
﹁それで、あなたに怖いお友達がいるってサマセットから聞いたんだ
を説明した。
家督争いをする2人は結託し妹をどうにかしようとしていること
上の2人の兄が妹の才能を恐れていること。
?
私はアメリカの友人マシューとアンナのロセッティ親子を連れて
344
?
日御碕と共に日本の彼女の本家を
訪れていた。
ショーグンの居室のような応接室に通された私は日御碕の隣に座
ひのさきせいどう
ひのさきせいうん
り、私と日御碕をロセッティ親子がはさむ形でいかにも高級そうなタ
タミの上に陣取った。
やがて日御碕の二人の兄、日御碕青道と日御碕青雲がやってきた。
二人は入ってきた瞬間からすでにおびえていた。
当然だ。
ほっそりとした体型で少なくとも見た目はモデルにしか見えない
アンナと優男の私はともかく、
マシューはヨコヅナのスモウレスラーすら一瞬でサシミに出来そ
うな体格の持ち主だ。
とりあえず先制攻撃は成功したらしい。 日御碕は向かいに座った二人の兄に我々のことを紹介し、我々は形
345
式的な挨拶を交わした。
青道と青雲は時計塔に在籍していた経験があり綺麗な英語を話し
た。
挨拶が終わるとマシューがその凶悪なご面相に精一杯の愛想笑い
を浮かべて言った。 ﹁妹さんから事情は聞いてます。俺たちはこう見えて話し合いの達人
でしてね。
俺としちゃいつものように穏便に話を済ませたい。
﹂
んで、友好の証として手土産がわりといっちゃ何ですが。
手品を披露したいんですがいいですかね
マ シ ュ ー は 噴 出 し た 黒 い 砂 糖 の 塊 を ワ イ ル ド に 口 に 放 り 込 む と
出した。
缶に穴が開き中身がトラファルガースクウェアの噴水のように噴
コーラの缶をマシューが握った次の瞬間。
﹁このコーラをプルトップを空けずに飲みます﹂
から缶のコーラを取り出した。
そう言うとマシューは脱ぎ捨てたフライトジャケットのポケット
?
言った。
﹁うめえ
魔法の液体だ
﹁脅迫する気か
﹂
﹂
恐怖に声を震わせながら上の兄、青道は言った。
顔面が蒼白になっていた。
優秀な術者である日御碕の二人の兄はそのことに気付いたらしく
説明しておくが彼らは身体強化の魔術を使っていない。
ジュースは絞りたてが一番だ﹂
﹁うん。ジャパンのアップルも悪くないね。
しぼりのアップルジュースで満たされていた。
グラスをテーブルに置き彼女がリンゴを握るとグラスは見事な粗
ラスを取り出した。
そう言うとアンナはレザージャケットのポケットからリンゴとグ
﹁そうだね。じゃあ私もドリンクタイムとさせてもらおうかな﹂
おい、アンナ。お前も喉かわいただろう
!
我々は手品をお見せしただけですよ
?
が言った。
﹁脅迫
﹂
ニコニコと春の日差しのような笑顔を浮かべる日御碕に変わり私
?
た。
日御碕は兄たちに家督を継ぐ気が一切ないことを改めて明言し、最
セルフ・ギアス・スクロール
終的には
自 己 強 制 証 明を交わして決着がついた。
﹂
﹂
ギアスを交わし内容を精査すると日御碕は上の兄たちに言った。
﹁ところでまだ謝罪の言葉を聞いてないんだけど
下の兄青雲が不快さをあらわにして言った。
﹁もうギアスまで交わしたんだ。これ以上何が必要なんだ
?
?
﹂
﹂
﹁だ か ら、謝 罪 だ よ。悪 い こ と を し た ら 謝 る。大 人 な ら 当 た り 前 で
しょ
﹁どうして欲しいんだ
?
346
?
!
ロセッティ親子の見事なパフォーマンスのおかげでことは片付い
?
?
﹁土下座﹂
アメリカ人のロセッティ親子は土下座の意味がわかっていないよ
うだったが、
日本の血が混ざる私にはわかった。
土下座は日本文化における最大限の恥辱だ。
﹂
しかも相手は名家の魔術師でありその例にもれずプライドが高い。
屈辱以外の何物でもないはずだ。
最大限の謝罪をすることって
﹁土下座だよ。土下座。額を地面にこすり付けて謝るヤツ。
ギアスにも書いたでしょ
悪意の欠片も感じられない
それって私の存在が怖いって認めたようなものだよね
﹁かよわい妹の安全を脅かそうとしたんだよ
満面の笑顔のまま彼女は続けた。
調だった。
││まるで5歳児がピーター・ラビットの人形でもねだるような口
?
の甲斐性は見せたら
明白なことだけどクズはクズなりに誠意を持って謝罪するぐらい
さんたちより優秀なのも
謝罪しても兄さんたちがクズなことは変わりないし私のほうが兄
怖いものは排除ってはっきり言ってクズの発想だと思うよ。
?
?
ギアスを破ることは契約者の死を意味する。
二人の兄は屈辱に肩を震わせながら││平伏して頭を床にこすり
付けた。
日御碕はその姿を最高の笑顔で見おろしていた。
何の悪意も感じられない最高の笑顔だった。
隣で見ていたアンナがこっそり私に耳打ちした。
﹁恐ろしい女だね⋮⋮﹂
その一年後に彼女は時計塔を去った。
優 秀 な 彼 女 は 誘 い が 引 き も き ら な か っ た が そ れ を 彼 女 は す べ て
断った。
347
?
ちょっとは見直すかもよ﹂
?
実家にも母国にも嫌気が差した彼女は
今は実家と距離を置くためマギー・ラウという極めてありきたりな
偽名を使い香港に身を潜めている。
﹄
﹂
なぜ香港なのかと私が聞くと彼女は言った。
﹁﹃お前の神は何だ
﹃お金様だ﹄
﹂
って誰のセリフか知ってる
﹁ジャッキー・チェンだろ
﹁正解。よくわかったね﹂
﹁ジャッキーは僕ら香港人の誇りだからな﹂
香港にわたった彼女は尖沙咀で表向きは日本料理店を経営し、裏で
事情があって医者にいけない人物を相手にした闇医者と
魔術の世界にかかわる万屋を開業している。
かつての縁により私も時々仕事を請け負っている。
広東語の話せる私は仕事を依頼する上で都合がいいらしくお得意
様の部類である。
私が日御碕の人となりについて一通り説明を済ませると凛は頭を
抱えた。
ごく妥当な反応だった。
話し終えると私は言った。
﹁とにかくこれから恐ろしく消耗する行為をするんだ。たっぷり寝て
おいたほうがいい﹂
そう言うと私はその発言を実行に移した。
途切れ途切れの浅い眠りだった。
やがて機内が明るくなり、まもなく着陸態勢に移行するというアナ
ウンスが英語と広東語で流れた。
目的地は近い。
348
?
?
?
香港
││香港。
極東アジア最大級の都市にして
レストラン
東京と並び称される金融センターを擁するメガシティ。
そして私の生まれ故郷。
私 は 飛 行 機 を 降 り る と 凛 を 伴 い ま ず は 空 港 の 飯 店 で 食 事 を 取 っ
た。
私は雲呑麺を頼み凛は魚生粥を注文した。
典型的な広東料理だ。
私は広東語で注文をしたがウェイターはまったく驚かなかった。
この街で私のようなアジアと白人の混血は珍しくない。
凛は香港の食事を喜んでいた。
世界最高の美食都市を訪れた人間の自然な反応だ。
ロンドンのチャイナタウンで注文したら倍は取られるであろう美
味な料理を平らげるとシステマチックに整備された空港内を移動し
エアポートエクスプレス
鉄道の駅を目指した。
機 場 快 線に乗り九龍駅に向かう。
九龍駅からシャトルバスに乗り換え尖沙咀のホテルに荷物を置く
と、徒歩で
彌敦道をまっすぐ進みわき道に入る。
まだ冬だというのに香港の空気は湿気を含んで蒸し暑く、ぬるま湯
を含んだスポンジを地肌に押し付けられたような熱気が絡み付いて
きた。
私と凛は示し合わせたように上着を脱ぎ、額の汗をぬぐいながら道
を進んだ。
香港は洗練と雑然が同居した都市だ。
尖沙咀は香港最大級の商業地区でもっとも洗練されたエリアだが
一本わき道に入ると雰囲気がまったく異なる。
厚福街はこの街を形作る雑然側の一部で、ギラギラした色合いの香
349
港式看板の下に多くの日本料理店が軒を連ねている。
木を隠すには森と言う諺が日本にはあるらしいが彼女はそれを実
践しているわけだ・
彼女の店を訪れるのは久しぶりだったがすぐに見つかった。
﹁日本料理 吉﹂という目立たない名前の目立たない看板を掲げた
扉を開け中に入る。
昼時は過ぎていたはずだったが店内は込み合っていた。
なかなかに繁盛しているらしい。
店内には広東語を話す客のほかに日本語を話す客も相当数いた。
私と凛が中に入ると和服を着た若い男の店員が広東語で話しかけ
てきた。
日本料理店は香港では極めてありふれた存在だ。
恐らくウェイターだけでなく料理人も香港人なのだろう。
店長のマギー・ラウさんに会いにきたと話すと、若い男は我々を厨
350
房の奥に通し、
とりあえずアポイントメントを守ってくれたことに感謝しつつ私
きく異なる存在だ。
彼女は気まぐれで約束を守り謙虚でまじめな日本人の典型とは大
れていた。
そのもう1人の知人、日御碕御影は約束どおり私のことを待ってく
のもう1人となる。
そうするとこの不味そうな紫煙をくゆらせる人物はその2人の内
だ。
2人の内の1人、我が信用できない旧友蒼崎橙子は目下行方不明
う人間を私は2人しか知らない。
憶えのある紫煙の匂い。こんな不味そうな匂いのするタバコを吸
の部屋に紫煙が漂っていた。
ありとあらゆる種類の人体模型で埋め尽くされたすばらしい趣味
言った。
厨房の奥にある階段を指し示して﹁お上がりください﹂と笑顔で
××××××××××
は言った。
﹁医者の不養生とはまさにこのことだな﹂
日御碕は言った。
﹁煙草を吸うといつも考えるんだ││人間について﹂
そう言うと彼女は立ち上がり我々に近づいてきた。
彼 女 と の 付 き 合 い は 長 い が そ の 姿 は 出 会 っ た 1 0 代 の 頃 か ら 変
わっていない。
私と同世代のはずだが相もかわらず少女と自称しても違和感ない
ような可憐な姿を保っていた。
﹁平和が一番だとわかっていながら戦争をする。
健康が一番だとわかっていながらつい健康に悪い煙草を吸う。
人間って矛盾した生き物だよね﹂
そして我々の前数フィートの位置で立ち止まり、私の隣にたたずむ
凛を見やった。
351
そのまま日御碕は凛の肢体をじっと検めるように見つめていた。
凛はその行動に困惑していた。
PK戦が2、3本は終わりそうなほどの時間じっとそうした後、日
御碕が口を開いた。
﹁何かスポーツ・・・いや違うな。武術かな
たしなむ程度じゃなくて結構な達人だね﹂
凛は答えて言った。
﹁はい。八極拳を嗜んでいます﹂
汗をかく運動ならウォーキングにしなきゃ﹂
せっかくきれいなシンメトリーの体が台無しになっちゃうよ。
だ。
﹁もったいないなあ。はげしい運動って言うのは体をゆがめちゃうん
?
彼女、日御碕御影は呼吸と歩行以外の運動を決してしないポリシー
を守っている。
さらに日御碕は凛に言った。
﹁昔、一度会ってるんだけど⋮⋮覚えてる
美人さんになったね。しかもすごい魔力。
?
﹂
亡くなった時臣さんも鼻が高いだろうね﹂
﹁父をご存知なんですか
﹁うん。知ってるよ。キミなら知ってると思うけど日御碕家も名家だ
からね。
私は父さんと時臣さんが話してるのを横で聞いてただけだから結
局一言も話してないんだけどね。
そうだな、あの人はなんていうか⋮⋮﹂
この流れは良くない。
クロウリーといい日御碕といい、こういうタイプの人間が故人の話
をするとたいてい碌なことにならない。
私は話の流れをせき止めようとしたがもう遅かった。
ラ フ ァ エ ラ の 聖 母 の よ う な 穏 や か な 微 笑 み を 湛 え な が ら 彼 女 は
言った。 ﹁パッとしない死に方をするんだろうなって思ったな。
たぶん、そこそこに優秀だったんだろうけど何かが足りなくて高み
に至れないタイプ
んだってね
さ
ごめん
キミも気をつけなよ。
悪いんだけどわりとまじめにマヌケな最後だよね
えっと、凛ちゃんだっけ
!
人たちに話のネタにされちゃうよ﹂
この人物は好きなものが二つあるが。
二つ目が立場の弱い人間を弄ることだ。
日御碕は兄たちに土下座させたときのように屈託なく笑っていた。
やはりあの時と同じように悪意を欠片たりとも感じさせないすば
らしい笑顔だった。
││まったく、クロウリーといい日御碕といい。
どうして私の知っている天才は皆こうなのか。
352
?
そしたら風の噂に聞いたんだけど、お弟子さんに背中から刺された
?
││それ聞いたとき、不謹慎なのは解ってるんだけど笑っちゃって
?
魔術師の世界は狭いからね。マヌケな死に方したら根性曲がった
?
!
!
その無礼極まりない発言を聞いた凛は││
彼女はまるで紛糾する暴徒の前に立ったマリー・アントワネットの
ように微笑し
静々と頭を下げると、まるで生まれてから怒りなど感じたことが一
度もないかのような
調子で言った。
﹁貴重なご忠告痛み入ります。
どうかこの出来そこないを見限らず今後とも何卒ご助言ください﹂
日御碕はその発言に対し﹁へえ﹂と呟くと笑顔で言った。
﹁よろしい。人間謙虚で素直が一番だね
ひ の さ き み か げ
││おっと失礼。そう言えば自己紹介してなかったね。
もしれない存在だ。
まあ、とりあえず座って話そうか
ようなことをしたいんだって
﹂
お茶でも出させるよ﹂
﹁で、アンドリュー。サマセットに聞いたけどさる高貴な家に楯突く
?
ですが、あなたは話の分かる方だと聞いています。
す。
﹁日御碕さん。私たちが無茶なお願いをしていることは分かっていま
隣の凛が口を開いた。
ほら、私もさ。自分の身はかわいいからね﹂
恨み買ったら500年ぐらい呪われそうだし。
あそこのお爺ちゃんしつこそうだからなあ。
いけど、
﹁うーん。マキリの術なんて滅びようがどうなろうが別にどうでもい
﹁言い方の問題だが、最終的にはそうなるな﹂
ければもっと楽しく味わえたことだろう。
鷄蛋巻もジャスミンティーはかなり美味だった。こんな状況でな
を齧り冷たいジャスミンティーを啜っていた。
我々は日御碕に勧められるまま簡素な椅子に座り、供された鷄蛋巻
?
353
改 め ま し て。私 は 日御碕御影。キ ミ の 妹 ち ゃ ん の 救 世 主 に な る か
××××××××××
どうか話を聞いていただけませんか
﹂
私は話の分かる人だからね。
﹂
それが成功したらこの額が対価としてもらえるんだ。
実はちょっと難しいお仕事をもらっててね。
﹁吹っかけるなんて人聞きが悪いな。
と私が言うと彼女は言った。
﹁また、これは随分と吹っかけてきたな﹂
とても用立てできる額ではない。
予想と0の数が一つ違っていた。
そして彼女は数字を書いた紙を我々に差し出した。
やはりそうきたか。
な
うん。じゃあね、凛ちゃん。地獄の沙汰も金次第って諺知ってるか
﹁話の分かる方ね。そんなこと言われると照れちゃうな。
日御碕はまたしても﹁へえ﹂と呟くと言った。
事だろう。
上手い話の持って行き方だ。確実に日御碕の自尊心をくすぐった
?
あなたたちがこのお仕事を無事にやり遂げたらあなたたちの依頼
も受けていいよ﹂
354
?
兄妹
私と凛は日御碕の運転するトヨタ・プリウスのシートに身を沈めて
いた。
私が助手席、凛が後部座席だ。
その道すがら日御碕が事件の概要について説明してくれた。
ここ最近││3カ月ほどの間だが││次々と人が昏睡する事件が
起きていた。
最初の犠牲者は7歳の少年で3カ月たった今も目覚めていないそ
うだ。
それから3カ月の間同じような症例の﹁犠牲者﹂は増え続け今では
15人にのぼる。
被害者に共通していることは、全員が年端のいかない子供であるこ
と、保護者が目を離したほんの短い間にいなくなったこと
355
すぐに見つかるがその時には文字通り抜け殻の状態になっている
こと、の3つだった。
これから会いに行くのは記念すべき10人目の犠牲者の母にして、
﹂
幸か不幸か日御碕に解決を依頼した今回のクライアントだ。
﹁リン、今の話どう思う
と日御碕が言った。
﹁もうすぐだよ﹂
眼前には中環の高層ビル群が見える。
車は九龍を抜け、香港島にさしかかっていた。
隣でハンドルを握る日御碕は我々のやり取りを笑顔で聞いていた。
そういい終えると彼女はまた難しい顔をして黙り込んだ。
わ﹂
﹁そ れ も ひ ど い 素 人。一 般 人 に 被 害 を 出 す な ん て 3 流 の や る こ と だ
﹁ああ。僕も同意見だ﹂
﹁魂食いでしょうね﹂
後部座席で難しい顔をして聞いていた凛が答えた。
事件の概要を聞き終えた私は後部座席の相棒にそう水を向けた。
?
目的地は近いらしい。
クライアントであり、そして10番目の犠牲者の母親でもある女は
ケリー・ウォンと名乗った。
彼女は綺麗な英語を話した。
香港が中国に返還されて10年近く経った。
私の感覚値では香港人の平均的英語力は落ちている気がするが、香
港の大学では今も英語で授業が行われていると聞く。
どうやら彼女はかなり育ちがいいらしい。
ウォン一家の住まい半山區の高層マンションだった。
敷地内には住人専用のフィットネスクラブやプールまであるらし
い。
聞けばウォン一家の家長は中環で株だか債権だか私の理解の範疇
を超えた何かを転がしているエリートらしい。
なるほど、この一家ならば日御碕の提示した額を払えても不思議で
はない。
その家長はどうしているのかと聞くと、家長は別の専門家のところ
に相談に行っているらしい。
必要経費は成否の如何にかかわらず払うが成功報酬は先に解決し
たものに払うとのことだった。
これは急がなければいけなくなった。
憔悴しきった表情のケリーに日御碕は一見すると裏表のない││
私からすればいかにも胡散臭い笑顔で││
﹁心中お察しします﹂とかいうような慰めの言葉をかけた。
ケリーは日御碕のことを信頼しきっている様子だった。
私からすれば日御碕ほど信用できない人間もそうはいないと思う
のだが、
とにかく彼女はクライアントからは絶大な信頼をおかれているよ
うだった。
一方で、ケリーは私と凛の顔を見るといかにも不安げな表情を浮か
べた。
356
××××××××××
﹁ところでそちらの方は
﹂
この手の事件に詳しい
は事実だが
﹁この手の事件に詳しい私の友人です。力になってくれます﹂
バー17に切り替えて言った。
日御碕は30種類ほどあるクライアント用の胡散臭い笑顔をナン
?
"
は事実と明らかに反している。
"
ケリーは玄関まで見送りに来た。
そう伝え我々はその家を後にすることにした。
﹁直ちに調査を開始します﹂
とのことだった。
すぐに病院に連れていったが、原因不明のまま今も眠り続けている
気が付くと先ほどまでいた場所で我が子が昏倒していた。
そんな妙な感覚に捉われた。
たところ突然眼前のものが知覚できないような
公園で娘を││娘は8歳で名前はサミーと言った││遊ばせてい
ケリーの話から大した情報は得られなかった。
そして我々と交互に握手を交わした。
﹁よろしくお願いします﹂
彼女はにっこり笑うと我々に手を差し出し言った。
凛のよそ向きの笑顔はケリーを安心させたらしい。
﹁安心してください、奥様。お子さんは必ず助けて見せます﹂
でいった。
隣の凛が初めて出会ったときのような良く出来たよそ向きの笑顔
すばらしい。これこそ真の友情だ。
表情だけで通じ合う。
彼女も同じ気持ちらしい。
隣の凛の表情を見やる。
その程度の常識は弁えている。
私も大人だ。
だが、反論して無闇に不安感を煽っても誰も得はしない。
友人です
"
その時奥の部屋から10歳に少し届かないほどと思われる少年が
357
"
﹂
少年は私が見ていることに気が付くと顔を引っ込めた。
私は尋ねた。
﹁マダム、あの少年は
﹁この件どう思う
﹂
﹁長男のショーンです。サミーの双子の兄なんです﹂
?
その健全な霊体を何かに
喰わせた
そんなところだろう。
"
︵英語はわかるかい
︶﹂
?
⋮⋮I mean, yes.︵オッケー
⋮⋮えっ
私は広東語が解らない相棒のことを思い、少年に尋ねた。
﹁唔該︵すいません︶﹂
が立っていた。
少年││ショーンといったか││
音の主の方を振り向くと、先ほど家で奥の部屋から我々を見ていた
何者かが私たちの方に走り寄ってきた。
駐車場所にたどり着き日御碕の愛車に乗り込もうとした時だった。
概ね彼女の想像の範囲内だったのだろう。
日御碕は我々の推論に何も言葉を返さなかった。
一般人に違和感を感じさせるなんて術者として未熟な証拠だわ﹂
﹁ええそうね。それも酷い素人。
凛も私に同意して言った。
正体も目的も不明だがな﹂
"
何者かが健全な児童たちから霊体を抜き取り
が││
人払いの結界に認識阻害の魔術、どうやったのか方法はわからない
﹁どうもこうもないね。この事件は間違いなくこちら側の領分だ。
尋ねた。
車を停めた路肩までの短い道のりを歩きながら日御碕は私にそう
?
﹁你識唔識講英文呀
﹁OK,la
と、はい︶﹂
!
?
日御碕は例の胡散臭い笑顔をナンバー8に切り替えると、少年のそ
!
358
こちらの様子を伺っていることに私は気が付いた。
×××××××××××××××××××××××××××××××××
﹁どうしたの坊や﹂
﹂
﹁お姉さんたち、妹のことを助けてくれるんですか
額縁に入れて飾っておきたいぐらいだ。
実に心温まる光景だ。
どちらが先に発見できるか競争していたらしい。
バーを探していた。
あの事件の日、ショーン少年と妹のサミーは、公園で四葉のクロー
ショーン少年の話はこうだった。
礼儀正しい少年だ。
も申し訳なさそうに答えていた。
ショーンは凛に対して﹁そうなんですか。ごめんなさい﹂とこちら
し訳なさそうに答えていた。
凛は﹁ごめんなさい。最近日本には帰っていないから﹂と本当に申
立てた。
凛が日本人だと知ると日本のあのアニメを知っているかとまくし
ショーン少年は日本のアニメが好きらしい。
のような店を気に入ったことだろう。
仮にトーマス・エジソンが生きていたらこの大量生産均質化の権化
世界中どこに行っても同じ味の物が出てくる。
この店は偉大だ。
を注文した。
ショーンはフルーツジュースを我々3人は無個性な味のコーヒー
中どこにでもあるコーヒーショップのチェーン店に入った。
私と凛と日御碕、そしてショーン少年の4人は、緑色の看板の世界
﹁サミーは⋮妹は⋮妖怪に食べられたんです﹂
そして、僅かな逡巡を浮かべた後、意を決してこう言った。
﹂
﹁うん。そうだよ。何かお姉さんたちにお願いかな
?
少年はかぶりを振った。
?
運が良ければテート・ブリテンあたりに展示される日が来るかもし
359
ばにかがみこみこう言った。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××
れない。
しばらくたつと少年は自然の欲求を催した。
だが、残念ながら近くにトイレはなかった。
やむを得ず、彼は奥の草むらまで行き、用を足すことにした。
あまり褒められた行為ではないが仕方があるまい。
8歳にもなって粗相をしてしまうことは少年のプライドが許さな
かったのだろう。
草むらに隠れて用を足し1息付くと少年は妹の元に戻ろうと考え、
そして妙な光景を目にした。
妹の傍らにはカンフー映画に出てくるような時代がかった格好の
男と緑色の巨人が立っていた。
もう1つさらに奇妙だったのは、いつの間にか周りから人がいなく
少年はとっさに木陰に身を隠し、様子を伺い続けた。
男が何か呪文のようなものを唱えると妹の体がボウッと光ったよ
うに見え、淡く光る﹁何か﹂が体から飛び出していった。
何か
を巨人はつまみ丸呑みにした。
そして妹は││糸が切れた人形のように倒れこんだ。
妹の体から飛び出した
"
だが﹁お疲れさん。じゃあ僕はこれで﹂というわけにもいくまい。
れ以上はないほどに点滅させていた。
私の第6感は﹁この先危険、侵入注意﹂というハザードランプをこ
ビンゴだ。
霊体喰い、そして双子のシンクロニシティ。
うな何か││少年は妖怪と呼んでいたが││
人払いの結界、認識阻害の魔術、怪しげな術者、緑色の召喚獣のよ
ショーン少年はそう確信した。
﹁妹はあの巨人の中にいる﹂
自分の半身が引きちぎられて遠ざかっていくような感覚を。
その時ショーン少年は感じた。
全てが終わると2人は音もなく去って行った。
"
360
なっていたということだ。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××
仮に私がよくとも凛が納得しないだろう。
それに、今の話には特に気になる点が2つあった。
まずはそいつを確認してみよう。
隣の凛を見ると凛もやはり同様のことが気になっている様子だっ
た。
ふむ。相手は8歳の少年だ。
触れられるなら中年に片足を突っ込みかけたアンドリューおじさ
んより麗しい凛お姉さんのほうが
安心できるだろう。
私が凛に﹁どうぞ﹂とジェスチャーで指し示した。
﹁坊や。ちょっとごめんね﹂
凛は優しくそう告げると少年の頭に手を置き解析を始めた。
彼女は破格の性能を持った魔術師だ。
解析は私もかなり得意だが凛には及ばない。
少年は頷いた。
﹁まず、妹さんのとつながってるその感覚だけど│
361
すぐに解析は済んだらしい。
凛は少年に﹁ありがとう﹂というと私に耳打ちした。
彼女の解析によるとこの少年は突然変異で魔術回路をもち、未発達
で魔力量も少ないが魔力を生成できているとのことだった。
これで1つ疑問は解けた。
魔 術 に 対 す る 抵 抗 力 が あ っ た か ら こ の 子 は 結 界 の 影 響 を 受 け な
かったのか。
﹂と聞いた。
私たちのひそひそ話を聞いた少年は不思議そうな顔で﹁どうしたん
ですか
素直ないい子だ。
?
今度は私が口を開いた。
﹁さて、聞いていいかな
﹂
﹁どういたしまして﹂と答えた。
ショーン少年はほんのり顔を赤くして
﹁ありがとう。色々わかったわ﹂と凛が笑顔で答えると
?
知覚できる範囲はどれくらいだい
﹂
﹁わかりません。⋮でもそんなに遠い距離は無理だと思う。あの時も
姿が見えなくなってからちょっとして
妹の感覚も消えたから⋮﹂
なるほど、探査機としての性能は﹁無いよりはマシ﹂といった程度
か。
だがそんな程度のものでも、あるに越したことはない。
警察関係の相棒であるエミリーもエルバもソフィーも術者として
は大したことはないが
それでもそれなりの助けにはなっている。
今日もロンドンのどこかで職務に勤しんでいるであろう彼らに思
いを巡らしつつ私はもう一つの
││こちらは事件とは関係ないことだが││疑問を少年にぶつけ
た。
﹁ショーン。君の英語はなかなかだな﹂
﹁ありがとう。お兄さんも広東語上手ですね﹂
学校の授業だけではそこまで話せる
お兄さんとはありがたい。8歳の少年にお兄さんと呼んでもらえ
るとは私もまだまだらしい。
﹁英語はどうやって覚えたんだ
ようにはならないだろう﹂
リー・アンとも英語で話してます﹂
なるほど、子供は柔軟だ。
﹂
そういえば私も8歳の頃には3ヶ国語を自然に覚えていた。
﹁質問は終わりですか
私は一度会話を切り沈思黙考した。
人払いの結界に怪しげな術者、緑色の召喚獣のような何か││少年
は妖怪と呼んでいたが││
霊体喰い、そして双子のシンクロニシティ。
私の経験は赤信号の警告を発していた。
362
?
﹁家 庭 教 師 の ミ ス・ケ ン ト ン に 教 え て も ら い ま し た。メ イ ド の メ ア
?
﹁ああ、上等だ。とても役に立ったよ﹂
?
凛も同じらしい。
しかしビジネスライクになりきれない私はまた義侠心をくすぐら
れてもいた。
表情から察するに凛もまた同じようだった。
子供は敏感だ。
我々の表情を察して不安になったらしい。
ショーンは今までより一層懇願するような口調で言った。
﹁お姉さん、お兄さん。お願いです。サミーを助けて。僕に出来るこ
となら何でも手伝います﹂
日御碕の表情を見やる。
彼女は黙ったままニコニコして我々のやり取りを見ていた。
この性悪め。
今度は凛を見やる。
凛は私を目を見合わせると言った。
﹁見 捨 て ら れ な い わ よ ⋮⋮ 私 だ っ て 妹 の 人 生 が か か っ て る ん だ か ら
⋮⋮﹂
﹁⋮⋮そうだな。囚われのお姫様を助けよう﹂
363
決意
30分後、我々4人は10番目の犠牲者の
﹁犯行現場﹂に来ていた。
現場は郊外にある公園だった。
事件の影響か人影はまばらで空模様が怪しいことを除けば
緑に溢れ、静かな心安らぐ場所と言えなくもなかった。
感覚を研ぎ澄ませ、魔力の解析を始める。
わずかだが魔力の残滓が感じられた。
﹁リン、君の方はどうだ ﹂と有能なる我が相棒に聞くと、彼女もや
はり魔術の痕跡を発見していた。
﹁痕跡が隠しきれてない。はっきりいって2流の術者ね﹂というの
が彼女の評だった。
さらに凛によると魔術使用の痕跡だけでなく、人ならざる何かの魔
力痕もあるとのことだった。
おめでとう少年。
魔術も妖怪も実在することが証明できた。
その後、今後の計画を議論した結果、我々はショーン少年を小さな
ワトソンとして従えることになった。
いや、それは正確ではないな。私がワトソンで凛がホームズ。少年
﹂
はベイカー街遊撃隊というところか。
﹁ヒノサキ、君は同行しないのか
私は当然の疑問を投げかけた。
日御碕は言った。
﹁私は他にも仕事があるから。
ごめんね。貧乏暇なしなんだ。
あ、報告はちょうだいね﹂
た。
日御碕は別の金稼ぎに精を出す前に我々に置き土産を残して行っ
後三人でパトロールに出ることになった。
結果、私と凛はショーン少年を探査機として従え、毎日学校の放課
?
364
?
今 ま で 起 き た 1 5 件 の 事 件 の 発 生 場 所 に つ い て の 情 報 の ま と め
だった。
新聞やテレビやネットからも入手可能な情報ではあったがニュー
スソースとして扱いが小さいこれらの事件の断片を
つなげ合わせるのはかなりの骨であったろう。
その点は素直に感謝することにした。
また日御碕は事件の起きた場所を線で結ぶと円形になるというご
く簡単だが
非常に興味深い事実を導きだしていた。
実にわかりやすい。
相 手 は 凛 に よ る と 大 し た 術 師 で は な い ら し い が 犯 罪 者 と し て も
パッとしないらしい。
この円の範囲内を探索すればその内、感動の初対面を果たせる可能
性が高いわけだ。
我々はショーンに翌日学校の放課後に迎えに行くことを約束し、宿
泊しているシティホテルに戻った。
ホテルの建物は最新とはいえないがよく手入れが行き届いており
香港流の強烈によく効いた冷房を除けばなかなか快適だった。
私は一度部屋に戻ると凛と合流し食事をとった。
デパートのフードコートで手早く済ませたがかなり美味だった。
又焼飯と菜心のオイスターソース掛けのセットが一人50HK$。
ロンドンなら倍は取られているだろう。
凛は品質の高い料理が安価な値段で出てくることに感動していた。
食事がてら私は凛といくばくかの雑談に興じた。
主に初めて訪れた香港に対する感想だ。
彼女は﹁ここに来ることになった理由を考えると不謹慎だけど﹂と
前置きしたうえで
﹁正直楽しいわ﹂と一言感想を述べた。
セカンドオーナー
彼女によると幼いころからあまり旅行をした経験がないらしい。
そう考えてみれば当然だ。
彼女は冬木という重要な霊地の管 理 者であり気安く土地を離れら
365
れない。
それこそ時計塔留学という重要な理由でもなければ。
﹁初めて会ったときに言ったと思うけど⋮⋮私、基本的に快楽主義者
なの。
あなたの仕事を手伝うのは魔術の本流からは離れているのかもし
れないけど、士郎との生活は楽しいし
あなたと色々なところに行って仕事をするのも好きだわ。
あの子の⋮⋮桜の事を思うと心苦しいけどね﹂
やはり魔術師らしくない思考だ。
だからこそ私は色々と彼女におせっかいを焼いているわけだが。
私はその素直な感想に対して言った。
﹁人生を楽しむのは大事なことだ。確かにサクラは今苦しんでいるが
それと君が今楽しいかどうかは別問題だ。
それに、この仕事を完遂すればサクラを解放してあげることが出来
る。
その時は君がサクラに人生の楽しみ方を教えてあげればいい。君
ならできるよ﹂
凛はただ﹁そうね﹂とだけ答えた。
食事を終えると尖沙咀東部海濱公園に向かった。
観光が目的でこの街に来たわけではないが初めてこの街を訪れる
訪問者が一緒だ。
100万ドルの夜景を見逃すのはもったいなすぎる。
尖沙咀東部海濱公園はオフシーズンにも関わらず多くの観光客で
ごった返していた。
途中、我々が日本語で会話していることに気付いた学生と思しき日
本人の5人組がら
写真を頼まれた。
凛は快くそれに対応していた。
時間になりアナウンスとともにショーが始まる。
ウォーターフロントの向こう側で高層ビル群に光のシャワーが浴
びせられる。
366
その光景は来るたびに記憶にあるものと少しづつ違っている。
だが、夜景の美しさだけはいつも同じだ。
凛はその光景に見入っていた。
﹁今度はシロウと一緒に来るといい﹂
私がそう言うと凛はほんのり頬を赤らめて﹁そうね﹂と笑顔で答え
た。
素朴ないい笑顔だった。
私は改めて彼女に好感を持った。
ショーが終わるとまっすぐホテルに帰った。
凛は﹁お休み﹂とだけ言って自分の部屋に消えて行った。
翌日、14時50分きっかりに私はショーンの通う小学校の正門前
で待っていた。
小学校は閑静な住宅街の1角にあった。
チャイムが鳴り児童たちが校舎を出てくる。
10分ほど待っているとショーンが出てきた。
彼は2人の少年││おそらく友達なのだろう││と連れだって出
てきた。
﹂
そして我々の姿に気がつくと2人の友達から離れ小走りで我々の
もとにやってきた。
﹁やあ。ショーン。良い子にしてたかい
いします﹂
礼儀正しい少年だ。
私は言った。
リン﹂
﹁敬称付きで呼んでもらえるのは嬉しいが、それ疲れないか
気安く呼んでもらって構わないよ。いいだろ
凛は私の提案に小さく頷いて答えた。
ショーンは少し困った顔していたがやがて再び口を開いた。
?
?
﹁マクナイトさん、トオサカさん。お待たせしました。よろしくお願
少年は﹁はい﹂と返事を返したうえさらに続けた。
?
367
香港は移り変わりの激しい街だ。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
﹁じゃあ⋮⋮よろしくお願いします。アンドリュー、リン﹂
368
遭遇
その後我々は日御碕の情報をもとに円の範囲内の探索を始めた。
しかしながら何の成果も得られないまま3時間が過ぎた。
日差しも弱まり陽が傾き始めたころ、私とショーンは住宅街にある
小さな公園のベンチに座り
コンビニエンスストアで購入した冷たいソーダでのどを潤してい
た。
もう時間も時間だからか園内は閑散としており我々以外の利用者
はゴミ箱を漁っているホームレスと
ベンチでランチボックスを安酒で流し込む中年の男だけだった。
私は世界中どこで飲んでも同じ味のする黒いドリンクを飲み干し
空き缶を20フィートほど離れたダストボックスに投げ込むと
﹂
ショーンと凛に今日はこれまでにしようと提案した。
﹁待って
その瞬間、凛が叫んだ。
一呼吸遅れて私も気づいた。
││この感覚は誰かが結界を張った感覚だ。
気が付くとホームレスも哀愁漂う中年男も姿を消していた。
ショーンも何かを感じ取ったのか体を震わせこういった。
﹁来る⋮サミーを食ったやつが⋮﹂
公園の入り口を見るとそこには身長7フィートを超える細長い体
躯の緑色の巨人と
モノトーンの時代がかった漢服に身を包んだ男が立っていた。
男は切れ長の目を見開いて驚いていた。
無理もあるまい。
人避けの結界を張ったのに目的の少年以外の異物が結界内にいる
のだから。
そして男は何かに気づいたように広東語で言った。
﹁そうか⋮お前たちもこちら側の人間か﹂
奴らをけん制しつつ凛がショーンに聞いた。
369
!
﹁ショーン、まだ妹の存在をあの化け物の中から感じる
我々は少年の表情を確認した。
ショーンは震えながらも大きく頷いた。
ところがこのよそ見が余計だった。
あれは霊体を吸いだす詠唱か
││しまった
かが飛び出していった。
﹂
するとショーンの体が硬直しボウッと光ると淡く白い光を放つ何
その時、モノトーンの男が小さく広東語で何か詠唱した。
?
こっちは任せてくれ﹂
銀で鋳造し、強化を重ねがけした特別だ。
ルタップで銃弾を放つ。
ホルスターから愛用のH&K USPを抜き後退しながらトリプ
覚悟を決めて、戦闘態勢に入った。
い。
叩き潰されてテッシュペーパーみたいにペラペラになるに違いな
体はジェリーの罠にはまったトムのごとく
ゴールラインを超えるまでに1度でもタックルを貰えば││私の
わずか15ヤードが限りなく遠い。
だかっている。
しかし、私と凛に抱えられた少年の肉体の間には緑の巨人が立ちは
距離にしてわずか15ヤード。
あとは少年の体にこの右手でトライを決めるだけだ。
ショーン少年の体は凛がしっかりとキープしていた。
私は霊体が飛び出し、抜け殻になった少年の体に視線を移す。
キャッチは見事成功、流石は蒼崎製の義手だ。
霊体をそっと優しく掴んだ。
私は対象に向かって全力でチャージし、右手を差出して││少年の
彼女はすぐに意図を理解したらしい。
﹁リン
少年の霊体は飛び出すと速度を速めて術者のもとに飛行する。
!
!
だがその結果は貴金属の無駄遣いに終わった。
370
!
異形の巨人は委細構わず近づいてくる。
まずい。
そう思ったとき巨人の背中に赤い光が続けざまに着弾した。
凛からの援護射撃、彼女の得意とする魔術ガンドだ。
ガンドは並の魔術師が使えば地味な呪いに過ぎないが、けた違いの
性能を誇る凛が使うと話が違う。
物理的破壊力を帯びたそれは﹁フィンの一撃﹂と呼ばれ、呪いに加
えて重火器並みの物理的ダメージを伴う。
強烈な魔力の塊が続けざまに巨人に着弾し煙を上げる。
攻撃が止み煙が消え││巨人にはわずかな煤がついただけだった。
巨人は尚も近づいてくる。
凛はガンドでかすり傷すらつかなかったことに狼狽していたが、す
ぐに思考を切り替えたらしい。
今度は手持ちの宝石を手に投擲体制に入っていた。
しかし巨人はすでに私の眼前に迫ってきている。
やむを得ない。
こうなったら物理的攻撃だ。
私はフランク・ランパード相手のPK戦に臨む新人ゴールキーパー
のごとき絶望感を感じながら
愛用のアーミーナイフを抜くと魔術で強化しデカブツの体のど真
中めがけて思い切りナイフを突き立てた。
││やはりと言うべきか
砕けたのはナイフの方だった。
工業用ダイヤモンド並みの硬度があったはずだが奴の体には掠り
傷1つついていなかった。
安物のステーキ肉みたいに固い皮膚だ。
私の間合いまで肉薄した巨人は、巨体に似合わない俊敏な動きで長
い手を伸ばし私の体をがっちりホールドした。
とっさに体の周囲に障壁を張り、人体の押し花になることは逃れた
が
なんて馬鹿力だ。
371
体を巨大な万力で締め付けられているようだ。
﹂
酸欠を起こし、意識が遠のいていく。
﹁アンドリュー
凛の叫ぶ声が聞こえ我に返る。
ここで気絶するわけにはいかない。
文字通りこの少年の命運は私の手の中にある。
もう少し耐えれば凛が少年の霊体をサルベージして何とかしてく
れるかもしれない。
だが気持ちは頑張れても体は正直だ。
徐々に遠のいていく意識の中││夢か現か、ピクニックにでも来た
ような
誰かたちの賑やかな声が聞こえた気がした。
夢にしてもこいつは酷い悪夢だ。
そんな感想が浮かび、そして私の意識はブラックアウトした。
目覚めた私の視界に最初に飛び込んできたのは凛の邪心の欠片も
気分はどう
﹂と問う彼女に私は﹁うん﹂と﹁ああ﹂の中間
感じられない人を気遣う表情だった。
﹁大丈夫
?
﹂というさらなる問いが投げかけられるころ
?
あたりを見回し、自分がどこにいるのか確認する。
行った。
﹁ちょっと待ってて日御碕さんを呼んでくるわ﹂と言って部屋を出て
さ ら に 穏 や か に 笑 う と │ │ い つ も 思 う が 彼 女 は 表 情 豊 か だ │ │
﹁良かった。正常みたいね﹂
情を浮かべて言った。
私の渾身のジョークに凛はいつものように苦笑し、そして安堵の表
ガーだ﹂
﹁ああ、わかるよ。ここはエルトン・ジョンの豪邸で僕はミック・ジャ
になると私の意識も覚醒していた。
﹁ここがどこか分かる
のようななんとも締まりのない返事を返していたが、
?
372
!
右手で握ったショーンの霊体を意識する。
×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××
どうやらここは日御碕のオフィスで、私が寝ているのは日御碕のオ
フィスのビーフジャーキーのように固い
ソファのようだった。
となりのこれまた寝心地が最悪に違いないソファではショーンが
小さな寝息を立てて寝ていた。
見た目は問題なさそうだ。
私はショーンの状態を確認するため体を起こした。
ハードタックルをしこたま食らった試合後のフルバックのように
体が痛んだが
這うようにして少年の元までたどり着き解析を開始した。
体のどこにも問題はないようだ。
私は安堵の息をもらし、少年の柔らかい髪をすいた。
﹁お目覚めみたいだね﹂
この部屋の主││日御碕が凛に連れられコーヒーカップを持って
オー ト マ タ
他に協力者でもいるのか
﹂
?
373
現れた。
私はヒノサキからコーヒーカップを受け取り彼女が淹れてくれた
﹂
濃くて美味なコーヒーを1口すすり尋ねた。
﹁君が助けてくれたのか
だ
﹁あの時、意識を失う前に何人かの声が聞こえた気がしたが、あれは誰
私はいくつかの疑問を日御碕にぶつけた。
しかし心の底からの感謝にいたるにはまだ早い。
実に癪だが彼女には感謝しなければなるまい。
そんな大けがをこんな短時間に直せる術師は他にいない。
よかったね私がいて﹂
しかも一本が肺に刺さってちょっと危ないところだったんだよ。
の肋骨5本ばかり折れてたよ。
││ああ、もう少し寝てた方が良いよ。治療は済んでるけどあなた
こまで連れてくるのは結構大変だったよ。
﹁凛ちゃんも手伝ってくれたけどね。あなたたち2人を女手だけでこ
?
﹁あれは私の作った自動人形、疑似人格を入れて人間らしく振舞える
?
ようにした人形だよ。
知ってると思うけど東洋の術師はね、西洋の術師以上に神秘の秘匿
に敏感なんだ。
賑やかな一般人の集団が近くにいるように装えば、自分から逃げて
行ってくれるっていうわけ﹂
なるほど暗示を与えた一般人でも使ったのかと思ったが
感心だ。無関係の人間をあんな修羅場に巻き込むのは気が引けた
か。
ヒノサキにもそれぐらいの良心はあるらしい。
それに魔術師の習性を良く理解している。
素晴らしい、ここまでは文句のつけようがない。
私はさらに続けた。
﹂
﹁そうか。それで、もう1つ確認だが、
どうして僕らの居場所が分かった
﹁簡単だよ。
服にこっそり発信器を仕込んでおいたんだ。
トモダチの身は心配だからね﹂
﹁心配﹂は明らかに方便だ。
彼女の性格は長年の付き合いからある程度把握している。
自分以外の人間を信用していないのだ。彼女はそう言う人物だ。
しかし、助けてもらったことに違いはない。
私は感謝の念を込めつつ、もう一つの疑問をぶつけた。
﹁発信器を仕込むやり方は友人を気遣う一般的な方法とは思えないが
⋮⋮まあ、とにかく助かった。
でも、わかっていたなら、もう少し早く助けに来て欲しかったとこ
ろだね﹂
日御碕の回答はある意味では予想外であり、またある意味は予想通
りのものだった。
﹁ごめんね。あなたたちが苦戦している姿が面白くって││
ついつい助けに入るのが遅れちゃった﹂
ごめんと言いつつも、少しも悪びれることなく満面の笑顔で日御碕
374
?
はそう言った。
横で聞いていた凛は呆気にとられていた。
全く妥当な反応だ。
私はほんの少しでも日御碕に感謝の気持ちを持ったことを後悔し
た。
375
澳門
その後、まず我々はショーンの起きるのを待った。
ショーンは幸い外傷は一つもなく霊体を抜かれた後遺症もなかっ
た。
彼は起きるとまず我々に対して数々の気遣いの言葉をかけてくれ
た。
礼儀正しい子だ。
私と凛は彼の妹を助けなければというより強い使命感を持った。
日御碕と凛がショーンの状態を確認し何の問題もないことを確認
すると
まずはショーンを自宅まで送り届けた。
ショーンを見送ると日御碕が愛車で私と凛をホテルまで送り届け
てくれた。
日御碕に親切にされると何か裏でもあるのではないかと勘繰りた
くなるが幸いにして
何の見返りも求められなかった。 車中、私と凛は交互に起こったことを日御碕に説明した。
日御碕はただただ﹁ふうん﹂という気のない相槌を打つだけだった。
凛はその態度に対して不快感を露わにしていたが⋮⋮日御碕の事
だ。
きっと何か考えがあるのだろう。
私のような凡人には及びもつかないような考えが。
ホテルに着いた我々はまずシャワーを浴びて着替えると近くの店
で叉焼飯のテイクアウェイを購入し、私の部屋に陣取って経験したこ
との分析と今後の対策について話し合った。
﹁とんでもないものに当たったわね⋮⋮﹂
食事を終え口元をナプキンで拭いながら彼女はまずそう言った。
﹁ああ。まったく同感だ﹂と私も同意した。
そして彼女の言葉の続きを待った。
彼女は続けて言った。
376
﹁サーヴァントの戦いを初めてみた時⋮⋮私何もできなかった。
ううん。何もさせて貰えなかったというべきかしら
﹂私がそう尋ねると彼
││それにあの術師いかにも小物って感じ。魔力も小さいけどそ
てないんだと思う。
あのバケモノも主人の魔術師がヘッポコなせいで力を制御しきれ
ど
サーヴァントもマスターがヘッポコだと能力を発揮しきれないけ
てない。
﹁あくまで私の印象だけど、あのバケモノ多分本来の力を発揮しきれ
実に心強い││さらに言葉を続けた。
彼女は力強くそう否定し││聖杯戦争を勝ち抜いた猛者の一言だ
﹁いいえ。そこまでではないと思う﹂
女は言った。
﹁あの怪物は英霊クラスの強さということか
気づいたらもう何もかもが終わってた⋮⋮そんな感じ﹂
街が一つ崩壊するような大地震が何の前触れもなく起きて、
?
それとも女の勘というやつか
﹂
聖杯戦争でも敵サーヴァントの真名が分かるかどうかは大事なこ
﹁まずは敵が何者か知らなくちゃ。
うんうんと頷くとその口が動いた。
何秒かして考えがまとまったようだ。
わっていた。
当然ながら表情は悪戯っぽい若者の笑顔から魔術師のそれへと変
何か沈思黙考しているらしい。
彼女は頷き、そして長い脚を組んで顎に手を当てた。
若者の成長は早い。
大人びた顔をするようになった。
彼女と知り合ってから1年にも満たないが知り合った当初よりも
?
377
?
れ以上にあんな強力な妖魔を使役できるような器じゃないと思う﹂
﹂
﹁それは魔術師としての分析か
﹁両方よ。わかるでしょ
?
彼女は悪戯っぽく笑ってそう言った。
?
とだったしね﹂
妥当な判断だ。
﹂
﹁敵を知り己を知れば百戦殆うからず﹂と孫子は言った。
当然だが孫子は実にいいことを言う。
﹁そうだな。一応聞くが、君に何か見当は
彼女は申し訳なさそうに目線を下げた。
﹂
香港の日は長いが外は真っ暗だ。
だが確証はない。そこでだ││﹂
た覚えもある。
﹁東洋の化生の類だということはわかる。何かの記録で似た記述を見
ねえ、あなたはどう
西洋魔術に偏ってるの。
から私の知識は
﹁ごめんなさい。遠坂家の始祖はシュヴァインオーグに弟子入りした
?
翌日。
私と凛はマカオ行きのフェリーに乗っていた。
私はこれから会いに行く人物のこととフェリー内ではスリに気を
付けることを
凛に説明するとあまり清掃が行き届ているとは言えないフェリー
の椅子に座った。
フェリーに揺られること1時間。
アウターハーパーに到着した我々はパスポートチェックを受ける
とタクシーを駆り、
観光客でごった返すマカオ歴史地区を目指した。
聖ポール天主堂跡近くでタクシーを降りると徒歩で目的地を目指
す。
観光客の群れをかき分けながらカラフルなセナド広場を歩くこと
378
?
行動は明日になるだろう。
﹂
?
﹁明日は調べものと行こう﹂
﹁そこで
××××××××××
数分。
そろそろ目的地が見えてくるはずだ。
﹁もうすぐだ﹂と隣を歩く凛に声をかけようとすると初めて見るマ
カオの街にこの若い同行者は興味津々の様子だった。
﹂
私が聖ローレンス教会や民政総署について解説してやると興味深
そうに聞いていた。
微笑ましい光景だ。
仕事よね。仕事。アンドリュー、目的地はまだ
私は改めて彼女に好感を持った。
﹁っといけない
興味津々な若者から魔術師の顔に戻っていた。
私の話に聞き入っていた凛だったが基本的には真面目な彼女だ。
?
久しぶりだな。
s Eggtart
︵アンドリュー
Fernando
﹁もう見えている。あの店だ﹂
私が指さした先には
見、你好
'
手を差し出した。
私が凛を紹介するとそのほっそりした温顔で彼女とも握手を交わ
した。
彼女は日本人だと私が教えると彼は言った。
﹂
﹁ようこそ。日本人は大事なお得意さんだ。何でも聞いてくれ﹂
凛は驚いて言った。
﹁日本語話せるんですか
彼女が遠坂の名前を名乗るとありし日の遠坂時臣││凛の父親で
フェルナンドは遠坂の家にも情報を提供したことがあるらしい。
日本人のお客さんは多いから使う機会には事欠かないしね﹂
大体わかる。
﹁ああ。話せるよ。ウチは学究肌の家系でね。アジア系の主要言語は
?
379
の文字が躍っていた。
好耐
!
︶﹂
﹁Andrew
元気か
?
"
?
"
!
!
年の頃50ほどの色白でほっそりしたその人物はそう言って私に
?
前家長だ││と会談した時のことを話した。
ビジネスライクで決して楽しい思い出では無かったようだがフェ
ルナンドの語り口は穏やかそのものだった。
凛の様子をうかがうに彼女はフェルナンドに好感を持ったようだ。
フェルナンド・ホーは没落した魔術家系の末裔だ。
現 在 の 当 主 で あ る フ ェ ル ナ ン ド に は 申 し 訳 程 度 の 魔 術 回 路 し か
残っていないが彼の家系は典型的な学者肌であり蓄積されてきた知
恵は健在だ。
西洋魔術にも無知と言うわけではないが東洋、特に東アジアの神秘
に強い。
表向きは美味と評判のエッグタルト店を経営し、裏では知恵を提供
する
魔術の情報屋として家業を引き継いでいる。
気安い性格の人物で没落した魔術家系の末裔同士という共通点か
380
ら生前の私の父と
親しく、私にとっても気心の知れた間柄だ。
﹁とりあえずあがってくれ。自慢のタルトを振舞おう﹂
店の奥に通された我々にフェルナンドはプーアル茶とエッグタル
トを振舞ってくれた。
濃厚で味わい深いエッグタルトを頬張りながら幾ばくかの雑談を
すると私と凛は本題を切り出した。
フェルナンドは話を聞き始めた時点ではエッグタルト専門店の店
主の顔だったが││
話が終わるころには魔術師の顔になっていた。
﹁あんたらとんでもないものに出くわしたな﹂
﹂という凛の問いに
我々の話が終わると開口一番彼はいかにも不穏なことを言った。
﹁教えてください。一体アレは何物なんですか
フェルナンドは重々しく答えた。
﹁夜叉だ﹂
││やはりか。
?
ある程度予想通りの答えだったが気になることがある。
それが確信に至らなかった理由だ。
私は疑問を口に乗せる。
﹂
﹁僕が知る限り夜叉は本来、幻想種にも数えられる極めて気位の高い
妖魔だ。
人間が従えられるような代物なのか
﹂と小さく驚きをもらす。
お前さんたちの話だと、ソイツは霊体を食うんだろ
もな。
モノもいる。勿論、何かしらの理由で人間の術師に使役される種類
神のような
邪知暴虐の限りをつくす残虐なモノもいれば、宝物を守護する守護
東アジアにおける夜叉と呼ばれる妖魔も一種類ではない。
在だし、
ヤクシャ、ヤクシニーと呼ばれる妖魔は南アジアにおける近似の存
﹁モノによってはな。夜叉にも色々な種類がいる。
に対する回答をゆっくりと語り始めた。
フェルナンドは温くなってきたプーアル茶を一口啜ると私の疑問
隣の凛が﹁幻想種
?
力も器もあると思えませんでした。
﹁主に2つの理由が考えられる。
そう言ってフェルナンドは穏やかな眼で凛を見据え続けた。
﹁それはなお嬢さん﹂
んだ。
驚きの声を漏らしていたがすぐに落ち着いたらしい凛が疑問を挟
2流の術者にそんなものを使役させられるんですか
﹂
﹁私の印象ですけど、あの術者にそんな高等なモノを従えるような魔
私が知る限り夜叉だけだ﹂
魂喰いをするのは
魂喰いをする妖魔は他にもいるがお前さんの話に合致する風貌で
る。
夜叉は鬼神を喰うと言われているが、鬼神には霊体って意味もあ
?
?
381
!?
1つ目はその術者が従えているのが夜叉の中でも格の低い部類の
モノだからだ。
それともう1つ。
夜叉は水に関わりの強い妖魔で水の豊富な地ならば
完全ではないにしても使役している術者の能力によるランクダウ
ンをいくらか補うことが出来る。
香港は四方を海に囲まれた島だから、この土地そのものが能力の低
下に歯止めをかけ使役する術者の負担を軽減しているんだ。
流石に幻想種としての本来の力は発揮できないだろうがそれなり
に格の高い死徒ぐらいの力はあると思った方が良い﹂
これは思ったよりも難事だったようだ。
頭を抱えて黙り込む。
しかし神は我々を見捨てていなかった。
﹁で、夜叉はそんな強力な妖魔なわけだがもちろん弱点はある。
382
1つは言った通りその妖魔固有の格の低さだ。
そしてもう1つが重要だ。
狙うのは容易くないが夜叉には決定的な弱点がある。
││それはな﹂
フ ェ ル ナ ン ド の 言 葉 は こ の 困 難 な 状 況 に 慈 悲 の 光 を 当 て る も の
だった。
無言で歩いていると突如、隣の頼れる相棒が言った。
﹁││いいじゃない。やってやろうじゃないの﹂
遠坂凛と言う破格の性能を持った魔術師がいてもだ。
やらを突くのは明らかに容易ではない。
フェルナンドの情報は貴重だったが彼の教えてくれたその弱点と
我々の足取りは重かった。
のもと、その優雅な姿を露わにしていた。
尖沙咀のフェリー乗り場にもどるとヴィクトリアハーパーは夕陽
行きとは逆の道をたどりフェリーに乗って香港に戻る。
││もっともその光は微かなものだったが。
××××××
﹁綺 麗 に 勝 と う な ん て 思 わ な い。余 裕 を も っ て 優 雅 た れ は 一 時 封 印
よ﹂
尖沙咀を仕事帰りのビジネスマンたちがきびきびとした足通りで
過ぎ去っていく。
﹁││あの娘はずっと苦しんで来たんだもの。
私が楽したらあの娘に合わせる顔がないわ﹂
彼女はそう言った。
その言葉は私にかけられたのかもしれない。
だが私には彼女の言葉が彼女自身にかけられているように感じた。
彼女の視線は宙を待っている。
私はただ一言﹁ああ、そうだな﹂と答えた。
││さあ、決着をつけよう。
383
夜叉
まず日御碕に報告に向かった。
彼女の方は彼女の方で独自に調べを進めていたらしい。
﹂
あの怪物の正体が夜叉であることの見当をすでにつけていた。
﹁他に何か気付いたことはない
彼女の言に対し私は頼りない推測を一言だけ述べた。
﹁一言二言しか言葉を交わしていないので確信はないが。
あの術者の男、恐らく広東語のネイティヴではない。北京語か福建
語か別の言語圏の出身者だ﹂
日御碕はただ﹁ふうん﹂と気のない返事を返しただけだった。
恐らく彼女なりの考えがあるのだろうが全く感じの良い人物だ。
私の側も準備を進めた。
こちらには遠坂凛という破格の性能を持った仲間がいる。
彼女は前回遭遇した際に相手に悟られないよう自分の魔力でマー
キングをしていた。
彼女曰く私が気絶した後に宝石の破片を媒介に使ったそうだ。
流石だ。これで奴らを見つけるのが容易になった。
ショーンには大人しく家で待ってもらうことにした。
最初のうちは同行を主張していたが術者を追う方法をすでに見つ
けていることと
同行することの危険性を説明すると納得してくれた。
聡い子だ。
我々は観塘区の工場地帯にあたりをつけここを決戦の場所とする
ことにした。
人口過密な香港だが低所得者層と高齢者が多いこのエリアにはこ
の街に珍しい閑散とした一画がある。
これから最高度の魔術師の宝石魔術とヤクザな魔術使いの重火器
をフルオーケストラの規模でブッ放そうと目論んでいるところだ。
人通りは少ない方が良い。
384
?
凛と私は手分けして防音、人除け、認識阻害の結界を張るとうだつ
のあがらない2流魔術師とそのペットのビッグフットをおびき寄せ
るべく
使い魔を放った。
待つこと数日。
凛が放った使い魔が戻って来た。
我々は相手は戦闘に関しては素人と踏んでいた。
まだ邪魔する意思を持つものがいると知れば間違いなく潰しにか
かってくるだろう。
更に奴は前回の戦いをへて我々を過小評価してくれている。
こちらは準備万端ですでに簡易的な工房まで誂えてあるが
その目論見どおり奴らはおびき出されてきた。 ﹁懲りない奴らだな﹂
漢服の男は奇妙な訛りの広東語でそう言った。
初めてのまともな会話だ。
相手はこれまでの行動から判断するに典型的な魔術師で利己的ゲ
ス野郎だがひょっとしたら話しあいの余地があるかもしれない。
とりあえず気になることを聞くことにした。
﹁なぜ子供ばかりを狙う﹂
男は口の端を少し歪めこう言った。
﹁別に誰でも良かったのだがな。私のこの蒼月︵ツァンユエ︶はグルメ
でな。子供の霊体しか喰おうとせんのだよ﹂
広東語を解さない凛に私は男の言葉を出来るだけ忠実に訳して伝
えた。
凛はうんうんと頷いて凡そ私の頭に浮かんだものと同じ感想を述
べた。
﹁ありがとう。これではっきりしたわ。
あの可愛げの欠片も無いデカブツのペットの名前はツァンユエで
飼い主は最低のゲス野郎だっていうことがね﹂
日本語を解さない漢服の男は我々のやり取りをただ静観していた。
異文化コミュニケーションは難しい。
385
││が、もはや対話の必要な局面は去った。
この先に言葉は必要ない。
我々は魔術回路を開くと戦闘態勢に移った。
相手は各上。まずは先制攻撃だ。9mm弾丸もガンドも効かない
事が分かっている。
ならば次に試すのは更なる火力だ。
私は取って置きの装備、FN P90と最強のゲテモノ兵器S&W
M500ハンターモデル。
そしてわが友、アンナ・ロセッティからの借り物のいくつかのルー
ン。
﹂
有能なる相棒、遠坂凛は半べそをかきながらなけなしの貯金を崩し
て宝石を揃えていた。
﹁さて、とりあえずぶちかましましょうか
彼女の手から赤いルビーが放たれ一筋の閃光となった。
向こうに致命的なチャンスを与えずに済んでいるが致命的な手傷
を負わせる見込みがない。
元より相手は格の高い妖魔でありご主人様が2流でも本来魔術師
程度が相手になるようなモノではない。
腕利きの封印指定執行者や代行者でも手古摺るような相手だ。
魔力の高さから漢服の男は凛を特に警戒し、怪物にはおもに凛を狙
わせていた。
ならばと私は私でご主人の2流魔術師を何度か狙ってみたが怪物
の文字通り人間離れした敏捷性に阻まれ隙をつけずにいた。
もう何度目になるか、私が重火器とルーンで可能な限り気をそらし
凛の宝石で攻撃する。
そろそろ弾丸も宝石も残弾が心許無い││そう懸念し始めたころ、
その懸念は懸念から対処しなければならない重要な問題へと格上げ
になっていた。
386
!
こちらの攻撃は足止め程度にはなるがそれ以上にならない。
不味い状況だった。
××××
凛の宝石が切れたらしい。
漢服の魔術師もその事態に気付いたようだ。
可愛いデカブツペットを突進させる。
凛は後退しつつガンドで応戦する。
私も半ばヤケクソになって手持ちのマグナム弾を連射する。
それらの攻撃は怪物の視線を逸らすことすらできず││
凛の肢体は化け物の巨大な手の中に納まっていた。
とっさに身体強化をかけて押し花になるのは回避したらしい。
しかし相手は人ならざる化け物だ。
凛の顔が苦悶に歪む。
とっさに至近距離からガンドを連射するがやはり効き目は見られ
ず。
私も引き続き重火器で援護するがこちらも効き目は見られない。
化け物が凛を捕まえた腕を更に強く締め上げたようだ。
彼女は悲痛なうめき声をあげ、そして力なくうつむいた。
﹁くっ⋮⋮ここまでか﹂
漢服姿の男は日本語は分からずとも凛が何を言ったか察したらし
い。
その顔には可逆の喜びが浮かんでいた。
﹁蒼月︵ツァンユエ︶、ソイツを喰らえ。どうやら格の高い魔術師らし
い。よき糧となるだろう﹂
怪物は小さくうなり声をあげると大きく口を開けた。
どう見ても絶体絶命だ。
怪物は凛の肢体に喰らいつこうとする。
その時彼女の顔に浮かんでいたのは││微かな笑みだった。
﹁なんてね﹂
すべては計算済み。宝石切れは演技だ。
そう発するや否や彼女の手から複数の宝石が放たれる。
宝石は喰らいつこうとした化け物の口に収まり││強烈な閃光を
発した。
9番 8番 7番
387
﹁Neun,Acht八番,Sieben││││
全財投入、敵影、 一片、塵も残さず⋮⋮
!
ung││一││
﹂
Stil,sciest,BeschiesenErscieSs
!
点だ。
漢服の男の﹁いかん
離れろ
﹂という声が聞こえたがもう遅い。
!
﹂
││その瞬間。
照準を定めた。
私は痛む体を起こし、愛用のH&K USPを取り出すと男の膝に
逃がすか。
視界の端に写った。
姿が
凛の視線の先を見ると我に返った漢服の術者が逃げていく後ろ
﹁いいえ、それよりアレが先よ﹂
す﹂
﹁待っていろ。残りカスのような魔力だがありったけの治癒魔術を試
﹁痛たた⋮⋮。内臓がはみ出すかと思ったわ﹂
凛がうめき声をあげて上半身を持ち上げる。
だった。
なく崩れ落ちてうめき声をあげる彼女に歩み寄るのが精いっぱい
紳士らしく落ちる寸前に助けたかったが、そのような余力は私には
﹁リン
怪物の腕から力が抜け、凛の肢体が重力に従って落下する。
凛の魔力が込められたルビーが強く光り、怪物は爆散した。
!
それがフェルナンドから教わった狙うのは容易くはない決定的弱
こし一気に崩壊する。
体内にある魔力炉心に一撃を打ち込むと魔力のメルトダウンをお
しかしその効果は内側までは及ばない。
夜叉は己の魔力で全身をコーティングしている。
夜叉に致命的打撃を与える方法。それは体内への攻撃だ。 !
﹁捕まえた﹂という声と共に鮮血が迸った。
388
!
鮮血と共に男の膝から下は元々そうであったかのように綺麗に胴
体と泣き別れをしていた。
男は逃げようと尚ももがいたが、文字通りの無駄な努力だった
足ならあとでくっつけてあげるか
尚ももがく男の元に両足切断という残虐行為を行った下手人が歩
み寄って来た。
﹁ほらほら泣かないの。男でしょ
らさ﹂
に言うとさらに何かに気付いたらしい。
すごい偏平足
これ、偏平足じゃないね。
なにこれ
今度は目を輝かせた。
﹁うわ
⋮⋮ん
﹂
へえ面白い
その下手人、日御碕御影は公園で転んだ5歳児でもあやすかのよう
?
!
土踏まずが発達した筋肉でおおわれてるんだ
ねえ、陸上でもやってたの
﹂
?
聞いた。
煎じ詰めるとたった一言で終わる。そんな理由だった。
﹁あの大物が夜叉だって推測が出来たあたりであたりをつけてね。
該当する家系を調べたんだ。そしたらビンゴ。
台湾のとある家系でちょっとした小競り合いが起きてね。
あのすごい土踏まずのお兄さんはパッとしない自分の使い魔を魂
喰いで成長させて
他の継承者を殺そうとしてたんだ。上の3人の兄弟をね
!
﹂
ヒドいねー。私も褒められた性格じゃないけど兄弟は殺してない
よ
今のところはね
!
389
この変態め。
﹁何なんだこれは
﹁よくある家督争いだよ﹂
!
!
?
冷房のよく効いた日御碕の事務所で治療を受けなら我々は事情を
!
?
!
﹁それはこれから説明するよ﹂
××××××
?
隣で凛が引き攣った笑い声をあげた。
彼女も日御碕の性格がつかめてきたらしい。
日御碕のほうは自分でも仕事をすすめその台湾の家系に不届き者
を引き渡す話までつけていた。
本来の依頼主であるウォン家だけでなくその家系からも安くない
礼が出るとのことだった。
なるほどそれは結構なことだ。
だが我々にとっての本題はそこではない。
我々は本来の目的について切り出そうとした。
﹁それで、協力なんだけど。うん、いいよ。約束だからね﹂
あまりに意外な反応だった。
彼女と付き合いが浅い凛は勿論、私も驚いた。
﹁あと、これあげる﹂
日御碕は凛に歩み寄り何かを手に握らせた。
﹂
390
気になった私もその物を検める。
﹂私が言うと彼女は言った。
その手中に会ったのは大ぶりの立派なルビーだった。 ﹁君が人にものを恵むなんて正気か
引き寄せてくれたんだからね。
商売人としてはこれ以上のことはないよ。
││だからそれは親切じゃなくて手付金ってとこかな
?
ウォン家の依頼だけでも私一人じゃ難しかったのに別の報酬まで
﹁キミとアンドリューが私に稼がせてくれたからだよ。
凛の疑問は妥当だ。私も同意見だ。
うしてそれを私にくださるんですか
﹁あの、日御碕さん。手元に置いておかない理由は分かりましたがど
礼より先に口に出たのは疑問だった。
凛は当然嬉しいものと思ったが嬉しい以上に驚いたようだ。
ろうと思ったから﹂
換金できる見込みがなくてね。それにね、凛ちゃんキミに似合うだ
まともルートの品じゃないから
﹁手持ちの現金がないっていうお客がおいて行ったんだけど、どうせ
?
?
││これからもどうぞ儀贔屓にってね﹂
日御碕はにっこり笑うと紫煙を燻らせた。
391
後日
計画は思いのほかスムーズに進んだ。
私と凛は日御碕を伴い冬木で士郎と合流した。
ア ン ナ か ら 紹 介 を 受 け た 案 件 で 士 郎 は 悪 く な い 額 の 報 酬 を 受 け
取っていたが
日御碕は﹁約束だから﹂と士郎からの支払いは受け取らなかった。
何をおいてもまずやらなければいけないことは間桐桜の同意を得
ることだ。
我々は揃って学校帰りの桜を捕まえ、間桐臓硯の眼を欺くために前
もって用意しておいたセーフハウスに彼女を連れ込んだ。
桜はただ困惑していたが凛がすべての事情を悟り助けに来たこと
を説明すると今度は呆然とした。
しばし無言が空間を支配したあと桜の口から一言の言葉が零れ落
﹂
392
ちた。 ﹁││どうして
処置が終わり桜が目を覚ました。
だが日御碕が見事な手管で心臓を修復し事なきを得た。
蟲を取り出す際に心臓に傷がついてしまった。
も﹁精度がイマイチ﹂と言っていた││
しかし伝承によるイメージのみで投影を行ったため││士郎本人
本来ならば悪しき部分のみに干渉するらしい。
不動明王の担った悪鬼を亡ぼす剣だそうだ。
だった。
士 郎 が 桜 の 心 臓 か ら 蟲 を 取 り 出 す の に 選 択 し た の は 東 洋 の 武 具
何の問題もなくとは行かなかったが処置は無事に終わった。
桜の頬をとめどなくあふれ出る涙が濡らしていた。
﹁││ありがとう。姉さん﹂
﹁││あなたは私の妹だから﹂
その疑問に凛は力強く答えた。
?
目を覚ました彼女は胸に手を当て││自分の体に起こった変化を
悟った。
そして大粒の涙を流した。
凛は桜を優しく抱き寄せた。
美しき姉妹は抱き合って喜びを分かち合った。
こうして間桐桜の肉体は解放された。
施術が終わると私は辞去した。
理由は言うまでもあるまい。
﹁他人の僕が居てはお邪魔だろう﹂と言うと士郎に引き留められた。
﹁遠坂も桜も俺にとっては家族みたいなものだけど、あんただってそ
うだ。もう少しいてくれよ﹂などと嬉しいことを言ってくれたが
そうもいかない。
士郎が良くとも凛と桜が良くないだろう。
日御碕は経過を見るためにもう2、3日残るという。
日頃の彼女をを知る私からすると信じがたいサービスの良さだ。
セーフハウスをでて踵を返す。
凛と桜は揃って去る私の背に言った。
﹁ありがとう﹂
振り返って2人の姿を見る。
きっとこれから多くの苦難が彼女たちを襲うだろう。
だが仲良く肩を寄せ合う美しき姉妹の姿は幸福な未来を私に予感
させた。
ロンドンには直行せず香港に寄った。
フェリーに乗ってマカオを目指しフェルディナンドに事の結末を
報告する。
その足で香港に戻りウォン家を訪ねる。
10人目の被害者サミー・ウォンは元気に回復しショーン少年とは
元の仲良し兄妹に戻っていた。
ショーン少年は私の訪問に気付くと妹をつれて私に礼の言葉を述
393
××××××××××××
××××××××××××
べた。
礼儀正しい子だ。
私は﹁困ったら相談してくれ﹂という言葉と共にビジネスカードを
残しその場を辞去した。
これで必要なことは済ませた。
もうこの街に用はない。
時刻はまだ16時前で今はオフシーズンだ。
空港に直行すればまだ便もあるだろう。
しかし、私はその選択肢を取らなかった。
代わりにとある場所に赴いていた。
││金巴利道と彌敦道の交わる交差点。
その雑踏が行きかう地に私は佇んでいた。
今から10数年前、この交差点で一台の乗用車が大型車と衝突し
た。
クラクションが鳴り響き人々が足早に行きかう。
香港は止まらない街だ。
そんな街のど真ん中で老人でもない二人組が佇んでいる。
傍目からすると奇怪な光景だろう。
橙子は私の腕に視線を落とした。
394
乗用車には私以外の私の家族が乗っていた。
私の両親。そして生まれてくることのなかった私の年の離れた弟
と妹が。 ﹁やはり見ていたのか﹂
﹂
気配を感じ後方に声をかける。
﹁得意の推論か
﹂
?
﹁ないな。これでもお前のことは評価しているんでな﹂
﹁助けに入るという選択肢はないのか
特別な星の元に生まれたわけでもないのに本当に大したものだ﹂
る。
﹁毎度のことだがお前は大したものだな。苦戦しながらも最後は達す
信用できない旧友、蒼崎橙子は口の端を持ち上げて微笑した。
?
﹁その右腕。相当酷使してるだろ
﹂
見てやる。特別サービスだ﹂
﹁貸した金を返しに来たんじゃないのか
﹂
﹁私が義手のメンテナンスをしてやると言ってるんだ。
それに比べれば私に貸した金なんて安いものだろ
││まったく。
この言葉は聞こえていないだろう。
じっさい彼らの魂がどこにあるのかわからない。
死んだ人間がどこに行くのかは魔法使いすら手に余る問題だ。
そこに彼らの霊体はない。
﹁また来るよ﹂
背中越しに交差点に声をかける。
踵を返し。交差点を後にする。
ながっていた。
日御碕御影、蒼崎橙子、サマセット・クロウリーは変質者の輪でつ
日御碕と橙子は友人同士らしい。
る﹂とのことだった。
﹁ところでどこで施術するのか﹂と問うと﹁日御碕の事務所を借り
﹁意外にセコいなお前﹂
﹁わかった。それで利子分は返済ということにしよう﹂
?
だがただそう伝えたかった。そういう気分だった。
395
?
?
﹂
設定│香港、マカオ編
・﹁お前の神は何だ
﹁お金様だ﹂
映画﹃サンダーアーム﹄のジャッキー・チェンのセリフ。
以上。
・夜叉
中国はじめアジアの伝承に登場する妖怪。
鬼面を持ち、刀などの武器を携えて描かれることが多い。
男性の物はヤクシャ、女性の物はヤクシニーとも呼ばれる。 水に関わるものであること、緑色の姿なども伝承によるもの。
あとは全部私の創作です。
・香港の食事
適当な店に入ってもまず外れがありません。
デパートのフードコートで一番安いやつを頼んでもちゃんとした
ものが出てきます。
ちなみに劇中でアンドリューと凛が食していたものに注釈すると。
・雲呑麺
ワンタン麺。
広東料理のメジャー料理の一種。
日本の麺に比べると細い。
・魚生粥
白身魚のお粥のこと。
メジャーな広東料理の一種。
・又焼飯
チャーシュー飯。
ご飯に叉焼が添えられたシンプルな料理。
私は基本的に西洋かぶれなので旅行先は欧米が多くアジアは香港
とシンガポールしか行ったことがないのですが
香港の料理は本当に何を食べても美味でした。
396
?
・尖沙咀
香港最大の繁華街。
国際都市香港らしく世界中のものが手に入るといっても過言では
ない場所。
観光するならこのエリアに泊まるのがベスト。
・中環
香港最大の経済エリア。
高層ビルがニョキニョキ立っている。
観光名所ヴィクトリアピークがあるのもここなので観光客もよく
見かける。
・澳門
マカオ特別行政府。
香港と同じ中国の一国二制度地域。
カジノと歴史的景観で名高い観光業の街。
香港人にとって﹁深圳に住んで香港で働きマカオで遊ぶ﹂のが最高
の生活らしいです。
・香港人の英語力
香港は1997年に中国に返還されました。
しかし旧宗主国の文化的影響は強くチップの習慣や右ハンドル左
側通行の交通などは英国統治時代そのままの風習として残っていま
す。
公用語も中国語︵広東語︶と英語の2か国語と定められ街中では至
る所で英語の表記を見ます。
が結構英語は通じないです。
もちろん空港やホテルでは通じますし駅でも大きなところなら大
抵通じます。
でもそれ以外の場所での英語通用度は保証できないです。
ちなみに香港には結構な数のフィリピン人が出稼ぎに来ているら
しいです。
私は香港滞在中に近所のコンビニ︵サークルK︶によく行ったので
すがそこでよく応対してた店員が東南アジア系の人で、
397
彼女はきれいな英語を話しました。
恐らくフィリピンからの出稼ぎなのでしょう。
はい。フィリピンは英語が第二公用語で実際通用度も高いんです
よね。
そんなわけで劇中で小さな相棒となるショーン少年の家にはメイ
ドがいるという設定にしましたがそのメイドはフィリピン人の設定
です。
・日御碕御影
またしても出てきたオリジナルキャラ。
最初は蓮っ葉な口調の女人形遣いという橙子さんをさっと拭いて
ぼかしたようなキャラでもともとは自作﹃magus hunte
r﹄の登場人物でした。
がリライトに際して設定を大幅に変えてお目見えとなりました。
以上。また出てくるかどうかは未定です。
・桜、幸せになってくれ
桜に幸せになってほしくてこういう結末になりました。
まだソウケンという大敵がいますがきっと乗り越えるでしょう。
︵その過程を書く予定はありませんが︶
398
オルレアンの大英雄
フランス救国の救世主の話をしよう。
数合わせで選ばれた穴埋めマスターの俺が
人理救済などという大それた任務について2つ目の特異点。
かの侍はそこで伝説となった。
第1の聖杯、オルレアン。
復讐者として闇に落ちて召喚された聖処女ジャンヌ・ダルクは自分
を裏切った祖国を滅ぼすべく大量の竜種を召喚してかの地を蹂躙し
ていた。
冬木の特異点の後、召喚に応じてくれたキャスター、クー・フー・
リンにとって
ワイバーンを始めとする竜種は相性の悪い敵であり苦戦を強いら
れていた。
だが、俺たちはその時まだ知らなかった。
後にオルレアンの救世主として語られることになる雅な侍がワイ
﹂
バーン達の天敵であることを。
﹁アンサズ
次の手を考えあぐねている俺の眼前で彼は素早く動いた。
どうすれば⋮。
子ではそう長く持たないだろう。
盾となり竜種達の強力な攻撃から皆を守っているマシュもこの様
なのは間違いない。
槍兵への未練を口にしながら詠唱を続けるがこのままではジリ貧
るんだが﹂
﹁ルーンだけってのもやっかいなもんだな。槍さえあればどうにかな
しかし、竜の固い鱗に覆われた皮膚を傷つけることはできない。
何度目かになるキャスターの炎のルーンがワイバーンを包む。
!
399
幕間の物語
×××××××××××××××××××××××××××××××××
後列から飛び出してきた紫を基調にした羽織の剣士は鋭く正確に
竜達の鱗の隙間を断ち切り、次々と撫で切りにしていく。
﹁ふ、遅いな﹂
彼はそう言いつつ敵をあざ笑うかのように爪による攻撃をただの
鋼にすぎない得物でいなし、消耗を最小限に抑えながら敵陣深くに切
り込んでいく。
﹁⋮すごい﹂
マシュがそう感嘆の声を上げた時には
地平を覆い尽くさんばかりにいた竜たちは皆完全に沈黙していた。
﹁マスター、ここはあらかた片付けたようだな﹂
あれほどの激戦の後にも関わらず、アサシンのサーヴァント・佐々
木小次郎はいつもの飄々とした口調で俺に言った。
﹂
俺がああ、と肯定の返事を返そうとした瞬間マシュの切迫した一言
巨大竜種接近、ファブニールです
が俺の耳に入った。
﹁先輩
マシュの声の方向に視線をやる。
﹁秘剣﹃燕返し﹄
﹂
無形の位から刀を振り上げ独特の構えをとる。
﹁さて、ここが勝負どころよな﹂
間合いまで3歩、2歩、1歩。
いつもと変りのないトーンで無形の位のまま敵へと歩みを進める。
﹁ふむ、あれが奴らの親玉といったところか﹂
傍らの侍が動く。
そこには空を覆い尽くすような巨大な竜種が立ちふさがっていた。
!
その後、カルデアとの通信で全員から﹃お前の切った燕は一体どこ
ら﹂
⋮⋮やれやれ、あの日の燕に匹敵する難敵にはいつ出会えるものや
﹁図体だけで存外にあっけない相手であったな。
マシュの告げた事実に対して小次郎はいつもの調子でこう言った。
﹁ファブニール、完全に沈黙しました﹂
3つの斬劇を同時に放つ回避不能の魔剣がファブニールを襲う。
!
400
!
の幻想種だ﹄というツッコミが入ったのは言うまでもない。
401
星1同盟の絆
人理修復の戦いを続ける狭間、時折現れるイレギュラーな特異点が
ある。
モノによってひずみの大きさはまちまちで重要度も違う。
だけどひずみがあるなら正さなければならない。
ある日小さなひずみのイレギュラーな特異点に俺は
6人のサーヴァントを伴って行った。
反逆の闘士、スパルタクス
雷光の怪物、アステリオス
近代最高のスパイ、マタ・ハリ
神童、アマデウス
大英雄、アーラシュ
オルレアンの救世主、佐々木小次郎
の6人だ。
目的はこの地に現れた聖杯のようなものを手にする事。
その目的を果たすべくひずみの中心地に向かって歩みを進めた。
道中、ワイバーンの群れやデーモンといった強力な敵たちに
消耗しながらもひずみに向かって行進を続ける。
﹁ここが拙者達の目的地のようだな。この巨人が門番というわけか﹂
小次郎は眼前の巨大な敵、魔獣バイコーンを前にそう呟いた。
その台詞を合図に闘いの火ぶたが切って落とされた。
彼ら6人にとってあまり相性の良くない相手だ。
アマデウスとマタ・ハリの妨害も効果は薄く。
小次郎の剣技もアーラシュの浴びせる矢もその肉体を貫くには足
りない。
スパルタクスとアステリオスの強靭な膂力による一撃は少しずつ
相手の身を削っているように見えたがこのパーティーに長期戦は
厳しい物がある。
勝つためにはアステリオスのあれを使うしかない。
念話でスパルタクスに語りかける。
402
スパルタクスは既にその考えに至っていたらしい。
﹁アステリオスの宝具開放に時間を稼がなければ。
││壁が必要だな﹂
一同がそれに同意する。
﹁まず私ね﹂
﹁次は僕だな﹂
﹁その次が拙者か﹂
﹁次が私だ﹂
﹁最後が俺だ
な。とっておきの1発をお見舞いしてやる﹂
もはや言葉は不要だ。
打ち合わせはせずとも各々やるべきことは分かっている。
マタ・ハリとアマデウスが出来うる限りの妨害で時間稼ぎをし、小
﹂
次郎とスパルタクスも肉体を盾にアステリオスを守る。
流 星 一 条
﹁ステラ
アーラシュの大地を割る一矢が炸裂するも未だ敵は健在だ。
次々に散っていく仲間たち。
﹁ぼくひとりになっちゃった﹂
そう呟くアステリオスの脳内に言葉が飛び込んでくる。
﹁案ずるなアステリオス、この私がついている。共に圧制者に愛を﹂
﹁俺も付いてるぜ﹂
﹁拙者もついているぞ﹂
﹁おっと、僕を忘れないでく
れよ﹂﹁私も付いてるわよ﹂
カルデアに召喚されたサーヴァントの霊基の大本はカルデアに保
存されている。
それ故にレイシフト先での消滅は完全な消滅を意味するのではな
く
時間がたてばカルデアで再召喚が可能となる。
彼らはカルデアからロマンの助けでアステリオスの脳内に直接激
励を送っているのだ。
﹁スパさん⋮こじろうさん⋮ステラさん⋮へんたいかめん⋮ママ﹂
﹁お前いい加減俺の名前覚えろや﹂﹁概ね合っておる﹂
といったツッコミを背に勝負にでる。
彼らが盾になって稼いだ時間でアステリオスは宝具の開放が可能
になった。
さらに俺は礼装の力でありったけの強化をその身に与える。
403
!
﹁さあ、行くぞ。アステリオスお前の迷宮を見せてやれ﹂
﹁いく⋮ぞ﹂
その一言と共に展開された万古不易の迷宮がバイコーンを覆った。
404
G殺しの英雄
どうなされました。マスター﹂
﹁ゲオル先生⋮⋮﹂
﹁おや
﹁出たんだ。ヤツが⋮⋮﹂
カルデアの食堂で腹ごしらえをしていた俺は﹁ヤツ﹂を目撃してし
まった。
カサカサと動く黒光りする﹁ヤツ﹂だ。
﹁ヤツ﹂を目撃してしまったのだ。よりにもよって食堂で。
俺は食事を途中で切り上げると近くの席で食後の紅茶を楽しんで
いた聖人ゲオルギウスに助けを求めた。
俺は﹁ヤツ﹂の出現したテーブルの下の一画を呼び指す。
﹁⋮⋮これは驚きました﹂
と言ってドラゴン殺しの聖人は目を見開いた。
﹁私の知る限りチャバネゴキブリは摂氏0℃以下では生きられないは
ずですが。
﹂
どうやって雪山の中にあるこのカルデアまでやって来たのでしょ
う
﹁興味深い。一枚撮っておきましょう﹂
この聖人は現代に召喚されてからカメラを気に入っている。
最初は俺が渡したコンパクトデジタルカメラを使っていたが今で
はハイエンドのデジタル
アスカロン
﹂
一眼レフに望遠、標準、広角とレンズを一通り揃え最近では構図に
も凝っているという。
⋮⋮じゃなかった。
罪ありき
!
いいから倒してください﹂
これは失礼しました。汝はG
!
﹁先生
﹁おっと
!
て飛び込んで来た。
光に包まれた﹁ヤツ﹂は││委細構わずゲオルギウスの顔面めがけ
ドラゴン殺しの聖剣がまばゆい光を放ち、﹁ヤツ﹂を直撃する。
!
!
405
?
﹁詳しいですね。先生﹂
?
﹁⋮⋮まさか。この私が倒されるとは⋮⋮。マスター、どうかご無事
で﹂
ゲオルギウスの倒れる音が食堂に響き渡る。
ただ事では無い。その音で判断にしたに違いない。
食堂に居合わせたサーヴァントたちが俺の元に集まって来た。
彼らの視線が一点に向かう。
﹂
その視線の先には││黒光りする﹁ヤツ﹂がいた。
﹁どっせい
まず真っ先に反応したのは弁慶だった。
マスターである俺を守らんと﹁ヤツ﹂の前に立つはだかる。
﹁ヤツ﹂は飛翔すると弁慶の顔面に停まった。
弁慶が硬直する。
﹂
10秒⋮⋮20秒⋮⋮30秒。
弁慶から反応が消えた。
││まさか。
恐る恐る弁慶の顔を見る。
﹁死んでる⋮⋮﹂
﹁これが⋮⋮スパルタだぁあ
腕を揮っている。
彼はサーヴァントながらおかん体質で非戦闘時は主に厨房でその
そう言って厨房からエミヤが現れた。
﹁一体何の騒ぎだ﹂
﹁計算違いか⋮⋮申し訳ありませんごぶぁ⋮﹂
殿のレオニダスが一人奮戦するも敵は強力過ぎた。
スパルタ兵が1人、また1人と散っていく。
しかし﹁ヤツ﹂は委細構わず突っ込んでくる。
る。
レオニダスは俺を守らんと300人のスパルタ兵を召喚し壁を作
次に動いたのはレオニダスだった。
!!
エミヤの千里眼が﹁ヤツ﹂を捕らえる。
その頬を一筋の汗が伝う。
406
!
﹁マスター⋮⋮私の心眼が告げている。そいつには勝てない﹂
ブーンという音と共に奴が飛翔する。
エミヤは回避行動をとったが││間に合わなかった。
﹁深手を負ったか⋮⋮﹂
明らかにただ事ではない。
歴戦の英霊を次々と屠っていくG。
いったいこのG何者なんだ
観測した
バネゴキブリだ
幻想種に転生したチャ
シバがそのGから凄まじい魔力を
それはただのチャバネゴキブリじゃない
!
先輩﹂
﹁お役に立てて何よりです。先輩﹂
マシュはにっこり笑って言った。
﹂
﹁⋮⋮ありがとう。やっぱり君は最高だよ。マシュ﹂
﹁ヤツ﹂は乾坤一擲の一撃の前に活動を停止した。
│﹁ヤツ﹂に向かって振り下ろした。
彼女は死屍累々の屍の山をまたぐと近くにあった新聞紙を丸め│
やがて俺の眼前に迫った﹁ヤツ﹂の存在に気付いた。
うな顔で見ていたが
マシュは食堂に横たわるサーヴァントたちの死体の山を不思議そ
﹁何やってるんですか
そう決意したその瞬間、食堂の扉が開いた。
サーヴァントを呼ぶにはもう令呪を使うしかない。
その距離がじりじりと詰まっていく。
1歩⋮⋮2歩⋮⋮。
Gはすでに俺の眼前間近まで迫っている。
ドクターから告げられたのは恐るべき事実だった。
だから雪山の中でも生き延びられたんだ
!
!
!
﹁とんでもないことが分かったぞ
切迫した声でドクター・ロマンのアナウンスが聞こえる。
﹂
聞こえるかい
?
﹁ぐだ夫くん
?
?
407
!
!
ロード・エルメロイⅡ世との事件簿
失踪
﹁相談ってほどじゃないんだけど﹂
私の友人で首都警察の刑事であり仕事仲間でもあるエミリー・オー
スティンは
躊躇いがちにそう切り出した。
彼女の﹁相談﹂を端的にまとめるとこの街のとある地区で行方不明
者が増加しているとのことだった。
大都市に失踪者、行方不明者はつきものだ。
市域人口が800万人を超えるこの街では隣に住んでいる住人の
顔を知らない人間も珍しくない。
隣の部屋の住人の孤独死が隣人の死臭が漂う時点になって発覚す
るなどという心温まる事態も
﹂
彼女が逡巡した理由はその情報ソースにあった。
エミリーがこの件に関心を持つきっかけとなったのはとある記者
からの情報だった。
ファルコというその記者はもともとはガーディアンだがフィナン
408
ありうるほどだ。
失踪人捜索は君たち警察の領分
しかしエミリーが指し示したその地区││ワンズワース地区はロ
ンドンの平均値の2倍という
尋常ならざる数値を示していた。
﹁明らかに異常だな﹂
そう一言、私は感想を述べた。
続けて疑問を述べた。
﹁しかし、なぜそれを僕に相談する
だろ。
めらいがちに話すんだ
それに統計的事実が明らかになっているのにどうしてそんなにた
?
﹁オーケー。じゃあ、まず2つ目の疑問に答えるわね﹂
?
シャルタイムズだかで
真面目な記事を書いていた記者で、そしてエミリーとは恋人関係に
あった。
真面目なエミリーと真面目なファルコは蜜月の関係を築いていた。
しかしそれはファルコの真の姿ではなかった。
ある日の仕事帰り。エミリーとファルコはソーホーのなかなか気
の利いたバーで何杯かの
ショートカクテルを酌み交わしていた。
ドライマティーニを5杯ほど空にしたところでファルコは突然こ
う言ったそうだ。
﹁エミリー。僕は本当の自分を騙し続けていた。
これからは自分に正直に生きるよ﹂
その1月後、ファルコは誰もが名前を聞くと背筋を伸ばすような名
前の新聞社を辞め
﹂
エミリーはデートの度に明らかなガセネタについて熱っぽく語り
かけてくるファルコに
ついていけなくなり2人の関係を終わりを迎えた。
ちなみに彼の兄も記者であり海の向こうのニューヨークで同じよ
うに高尚な記事を日夜
デッチ上げている。
﹂
さらにファルコ兄は私の友人でニューヨーク市警の刑事で魔術使
いのパトリック・ケーヒルと友人だ。
世界は狭い。
そして血は争えないようだ。
﹁ふむ。2つ目の理由はわかった。では1つ目の理由は
﹁うん。彼の││ファルコからの話なんだけどね。
?
409
誰もが名前を聞くと眉を顰めるタブロイド紙に移籍した。
以降、
﹂
﹁タイタニック号の生き残りを氷山で発見
﹁鮮明写真ビッグフット発見
!
と言った創意工夫に満ちた高尚な記事を生産している。
!
ワンズワースの失踪者が急増してるエリアなんだけど
││銀色のマネキンみたいな動く人形が目撃されてるんだって。
﹂
ファルコ曰く﹃失踪人が急増してるその原因は神かけてそのマネキ
ンだ﹄って。
ねえ、これってあなたの領分でしょ
目的の人物は意外にも手隙だった。
職場ではなく自宅にいると言う。
横道を一本入る。
トに入りさらにそこから
駅を出るとタワーブリッジロードを突っ切ってドルイドストリー
地下鉄でロンドンブリッジ駅に向かう。
今日は休暇を取っているとのことだった。
だったが運のいいことに
件 の 人 物 は そ の 職 務 ゆ え に 多 忙 な の で 捉 ま る か ど う か は ダ メ 元
ある人物が存在することを思い出した。
現在いる知人で1人協力してくれる可能性が
ならば1人でまずは調べてみようかと考えたが、このロンドンに今
とにかく今回は彼らに協力を仰げない。
それだからこそ私は彼らの事を気に入りお節介を焼いている。
身内の安全を研究に優先するなど実に魔術師らしくない発想だが
1月ほど休学して間桐桜に付き添うらしい。
が、彼らは今、不在だ。
かと一緒に仕事をするのも悪くないと思うようになった。
彼らとの交流は心地良く、彼らと何度か仕事を共にするうちにに誰
あの若い2人の友人だ。
理由は衛宮士郎と遠坂凛。
好んできたが最近は人を頼ることも多くなった。
て以来、私は一人で仕事をすることを
パートナーであり最後の親族でもあったユアン伯父さんを亡くし
?
ドックランズと呼ばれるこの一帯のエリアは再開発中の場所であ
410
××××××××××××××××××
りそもそもの人通りが少ない。
が、この横道を入った先はその点を考慮しても異界だ。
人通りがない。
それどころか人の気配や人が現れそうな予感すらない。
これから私が訪問する人物が言うにはここは自然発生的に出来た
結界らしい。
ちなみにその話は結界はもともとブッディズムの用語だとかそも
そも人を遠ざけるという概念は
魔術よりも日常の脳機能に分類すべき事柄だと続いた。
なかなか興味深い話ではあったが詳細は忘れてしまった。
そういう話を逐一覚えていられるかどうかが時計塔の講師になれ
る人間となれない人間の差なのだろう。
目的の建物はすぐに分かった。
以前よりも煉瓦に絡みついたツタが伸び、隙間から飛び出す雑草が
勢力を増しているような気がする。
好奇心に駆られた5歳児が指で一押ししたら崩れ落ちそうなほど
の朽ち果てようだ。
英国人は家を大事にする人種だ。
大都市ロンドンでも古い建物はさして珍しくない。
それでもこの建物は中々だ。
好奇心から以前に訪問した際、管理人に聞いたところ産業革命の頃
にはすでに存在していた
というが納得だ。 あくまで感覚値だがサミュエル・ジョンソン博士の家と同程度には
古い気がする。
迂闊に触ったらその瞬間に塵芥になりそうな古ぼけたドアを恐る
恐る空ける。
入り口の隣にある管理人スペースでロッキンチェアに座って気持
ちよさそうに船をこぐ管理人の
老婆を横目にロビーを突っ切り螺旋階段を上がる。
目的の部屋は2階だ。
411
ドアの前に立ち礼儀としてノックする。
ドアを開けたのは目的の人物ではない別の人物だった。
フードをかぶった小柄な女性だった。
﹂
年の頃は我が友人、遠坂凛と同じぐらいだろうか。
﹂
確か目的の人物の内弟子だ。
││名前は。
﹁グレイだったね
﹁はい。えっと⋮⋮マクナイトさん⋮⋮でしたっけ
﹁正確にはアンドリュー・ウォレス・マクナイトという名前だがね。
ウォレスと呼ばれたことは両親にも伯父にも無い。
アンドリューでもマクナイトさんでも好きに呼んでくれ﹂
﹁よかった。人の名前を覚えるのは苦手で⋮⋮﹂
そう言って少女はフードの下で微かに笑みを見せた。
素朴ないい笑顔だった。
よろしい。素朴と素直と無鉄砲は若者の特権だ。
デ ジャ ヴ
ま と も に 言 葉 を 交 わ し た の は 初 め て だ っ た が 私 は 彼 女 に 好 感 を
持った。
││が同時に。
フードの下から覗いたその顔に強烈な既視感を感じた。
││私は彼女の顔を見たことがある。
ここではない別のどこかで。
﹂
││いったいどこだったか⋮⋮
﹁⋮⋮あの
⋮⋮ああ、師匠のことですか。
私はその思考をいったん遮断し目的の人物の名前を告げた。
﹁ウェイバー
中はそれなりの面積があったが年代物の書物からカビたパンの欠
壁は所々漆喰が剥げ、天井にはシミが散見される。
その瞬間、盛大に埃が舞いあがった。
グレイに扉を開けてもらい中に入る。
奥にいらっしゃいます﹂
?
412
?
?
グレイはフードの下から戸惑いの視線を私に向けた。
?
片、複数種類の家庭用ゲーム機に占拠され
足の踏み場に困るほどだった。
私 が む さ 苦 し い ユ ア ン 伯 父 さ ん と 生 活 し て い た ハ ッ ク ニ ー の フ
ラットも相当な代物だったが
ここもいい勝負だ。
昔、彼は私のフラットにしばしば遊びに来たが、その度に部屋の散
らかり具合を批判していた。
そ の 時 は 育 ち の い い お 坊 ち ゃ ま 的 発 想 か ら 批 判 し て い た も の と
思ったがどうやらその真なる正体は同族嫌悪だったらしい。
目的の人物は6フィートを超える長身を縮こまらせて奥のソファ
に寝転がっていた。
ソファのサイドにあるテーブルには日本製の携帯ゲーム機と飲み
かけのブラックティー、食べかけの
フィンガーサンドイッチが載っていた。
この状況から導き出される推理は1つ。
ゲームをしての寝落ちだ。
グレイは床に散乱する物品を破損しないよう慎重にその人物に近
寄ると
来訪者││つまり私だが││が来たことを告げた。
目的の人物が目を開けたことを確認し私は言った。
﹁悪かったなウェイバー君。いまはロードエルメロイⅡ世だったな
ウェイバー・ベルベットに会いに来たと君の内弟子に告げたら不思
議な顔をされてしまったよ﹂
その人物は眉間にしわを寄せ﹁うん﹂とも﹁むん﹂ともつかない唸
り声をあげると││見た通りに寝起きらしい││
こちらを一瞥することもなく言った。
﹁別に構わん。好き好んで名乗っている名前じゃない。
そもそもお前にロードなどと呼ばれたら調子が狂う﹂
魔術の総本山はここロンドンに所在する時計塔だ。
ロー ド
そしてロードエルメロイⅡ世ことウェイバー・ベルベットはその
時計塔に十二ある学科のうちの一つを統べる君主だ。
413
本来ならば私のようなヤクザな魔術使いなど何の縁も生じるはず
のない存在なのだが
些細なきっかけから私は彼と交友を持つようになった。※
現在の彼との関係を距離感で表現するのであれば知人以上友人未
満というところだろう。
現在における私と彼の主な交流は魔術研究の資材を求める依頼人
と資材を調達する便利屋で
時折ビデオゲームに興じる同行の士で、ごく稀に酒を酌み交わす仲
で。
そして今日は事件に対するアドバイスを提供するホームズとそれ
を拝聴するレストレードだ。
﹁早速だが君の意見を聞かせてほしい﹂と切り出し
私はエミリーから伝え聞いた事件のあらましを話した。
﹃グレイ。ついでだ。君も聞いておけ﹄という師匠の鶴の一声で辞去
い
﹂と部屋
414
しようとしたグレイも同席した。
彼は世界中の不機嫌の2割ほどを集めたような難しい顔をして私
の話を聞いていた。
いつもの反応だ。
か
私が話し終えると世界中の不機嫌の3割ほどを集めたような難し
い顔になり葉巻に火をつけた。
これもいつもの反応だ。
口内で煙を弄び紫煙を燻らせる。
い
?
何やら沈思黙考中のようだ。
い
私は自前のリッチモンドを取り出し﹁ドゥユーマインド
の主に許可を求めた。
彼は目を細めて私に一瞥くれた。
解り辛いがこれは彼なりの許可の合図だ。
私は安物のオイルライタ│でタバコに火をつけた。
?
﹁マクナイト。その銀色のマネキンみたいな動く人形とやらが目撃さ
﹂
れた通りの名前はなんだったか
もう一度教えてくれるか
?
火を点けるや否や考える男は沈思黙考を止めた。
私は目撃情報の会った通りの名前を彼に告げた。
その近所の人間でなければまず用のないような場所だ。
﹂
﹁お前はその通りの名前を聞いてどんな感想を持った
﹂
﹄という疑問だ
﹁そうだな。まず最初に浮かんだのは﹃どこだそれは
﹂
﹁お前のことだ。当然それがどんな場所かは調べただろう
﹁勿論だ﹂
﹁調べた感想は
﹂
﹁グ レ イ。マ ク ナ イ ト が 収 集 し た 情 報 か ら ど ん な 推 論 が 立 て ら れ る
人物の方を向いた。
今度はぬるくなったブラックティーを啜り部屋にいるもう一人の
そして偉大なる時計塔の講師はまた沈思黙考した。
﹁ダサい。何もないただの住宅地﹂
?
?
な﹂
?
完全に不意打ちだったらしい。
オー ト マ タ
﹂
オー ト マ タ
フードから微かに覗く彼女の表情からどうようが読み取れる。
﹁自動人形でしょうか
﹂
?
ぼそぼそと釈明した。
いが││に
グレイがその4人目││人ではないのでその言い方は正確ではな
だが誰も驚かない。全員がその正体を知っているからだ。
この場にあるまじき4人目の声だ。
突然、陽気な声が湧いた。
頭悪いんだからさ
﹂
﹁イッヒヒヒ。そんなこと聞いたって、こいつにわかるわけないだろ
﹁⋮⋮すみません。そこまでは﹂
としていると思う
﹁悪くない推測だ。では、失踪事件の首謀者は自動人形で何をしよう
?
!
415
?
?
!?
﹁⋮⋮拙が頭悪いのは嘘じゃないですけど﹂
ウェイバーが﹁まったく﹂とこぼした。
よくある光景らしい。
アッドだったか
﹂
﹁まったく﹂とこぼすとそれに続けて何かを第4の声の主に言おう
とした。
﹁それ、君の使い魔だな
先んじて私が声を発した。
突然、ウェイバーがコートとマフラーを引っ掴んで立ち上がった。
﹁では、行こうか﹂
す﹂と消え入りそうな声で言った。
グレイはフードの下から驚きの表情を見せ﹁ありがとうございま
第4の声はそれきり沈黙した。
ぴしゃりとそう言った。
いてもらいたいね﹂
気の利いたジョークか生産的な意見、疑問が無いのであれば黙って
僕は皮肉を言うし批判もするがただ貶すだけの行為は大嫌いでね。
﹁彼女は頭が悪いわけではない。ただ知識と経験が足りないだけだ。
私はグレイの右手、声の元に意識を向けた。
?
﹂
私はその単純な言葉の意味を探り当てかねたがやがて結論に達し
た。
﹁君も来るのか
拙もですか
になるだろう﹂
﹁え
﹂と少女は戸惑いの声をあげた。
?
いつもの光景らしい。
﹁わかった。同行してもらうことは想定外だったが来てくれるなら心
強い﹂
そういう私の前にゲーム機のコントローラーが差し出された。
﹁その前に一勝負だ。お前も知っての通り最近日本人の弟子が出来た
416
?
﹁時計塔にもフィールドワークは必要だ。グレイにとってもいい勉強
?
しかしすぐに納得││もとい諦めたようだ。
?
が日本人の癖にゲームに無知でな。
相手に飢えていた。協力する報酬がわりと思って付き合え﹂
私はだだ一言答えた。
﹁安い報酬だな﹂
※エピソード﹃マンハッタンの小聖杯﹄を参照ください
417
永久
フラットを出る頃、弱々しい冬の英国の日差しはすっかり翳ってい
た。
﹁一勝負﹂と彼は言ったが案の定一勝負では終わらなかった。
5回の対戦が行われ結果は私の全敗だった。
それでもまだ足りないのかウェイバーは﹁もう一勝負だ﹂と宣った
が
﹁師匠、文字通り日が暮れそうです﹂という弟子のありがたい一言によ
り勝負は打ち切りとなった。
ロンドンブリッジ駅から地下鉄に乗りワンズワース・タウン駅に向
かう。
帰宅時間帯を過ぎた地下鉄は空いていた。
ワンズワース・タウン駅で下車する。
﹂
?
418
ワンズワースはロンドン南西部に位置する主に住宅街で構成され
たエリアだ。
ロンドンは古都であると同時に現在進行形で再開発の進む街であ
り、古きと新しきが同居している。
老朽化したものはさっさと壊すのが生まれ故郷の香港の流儀だっ
たため移り住んだ当初はこの
ハ イ・ ス ト リ ー ト
街並みに不思議な感覚を覚えたものだった。
ワンズワースの目抜き通りはその﹁新しき﹂の方だ。
洒落たレストランやバーが軒を連ね中々雰囲気は悪くない。
ハ イ・ ス ト リ ー ト
だが残念ながら銀色の人形が目撃されたのはそう言った場所では
ない。
﹂
我々は目抜き通りを突っ切り目撃証言のあったハリス・ストリート
を目指した。
﹁何か感じるか
﹁今のはどっちに言ったんだ
偉大なる時計塔の講師が疑問を発した。
目抜き通りを突っ切り住宅地に差し掛かるころ
?
﹁君たち両方にだ﹂
グレイは﹁⋮⋮すいません。拙には何とも﹂とぼそぼそと答えた。
彼女からはかなり強力な魔力を感じるが魔力の扱い事態は未熟ら
しい。
かく言う私も特に何かを感じはしなかったがとりあえずの見解を
述べた。
﹁今のところは何も感じないな。ロンドンという土地自体のマナと術
者の魔力が混ざっているせいかもしれないが
⋮⋮﹂
そう冴えない一次回答を述べた瞬間、体を違和感が走った。
同じ場所にいるはずなのに何かがズレているこの感覚。
これは⋮⋮
﹁結界だな。どうやら3流タブロイド紙のガセネタのあらさがしで終
わりではなさそうだ﹂
419
おめでとう、エミリー。君の相談はとりあえず無駄骨ではなかった
ようだ。
さらに通りを進む。
見た目には何もないただの住宅地だ。
ロンドンにおける平均的な密度で建物がならび平均的なデザイン
の家が建っている。
道すがら所々にアルファベットが書き連ねられていた。
私はウェイバーを呼びその言語らしきものの検分を頼んだ。
ウェイバーは文字を一瞥すると自分が答える前にまず私に見解を
問うた。
グレイにも見解を問うたが彼女はただ﹁⋮⋮すいません﹂とぼそぼ
そ謝罪するだけだった。
よろしい。無知もまた若者に許された特権だ。
﹂
﹁ドイツ語に見えるが僕の知っているどのドイツ語とも違うな﹂
﹁それで
うむ。さすがは時計塔の講師だ。
?
私のようなヤクザな魔術使い相手でも教師の役目を忘れられない
ようだ。
﹁ドイツ語という言語は話されている地域の狭さに反して地域差の激
ホッ ホ ド イ チュ
しい言語だ。
こ れ は 標準ドイツ語 で は な い し ス イ ス ド イ ツ 語 で も オ ー ス ト リ ア
ドイツ語でもない。
オランダ語でもない⋮⋮﹂
さらに書かれた文字を検分し読み進める。
その未知の言語には所々、ゲルマン系言語ではない別系統の言語と
思われる言葉からの借用語が混ざっていた。
私はロシア語とウクライナ語ならば齧ったことがあるしラテン系
言語もなんとなくわかる。
このドイツ語のようでドイツ語でない言語にはそう言った言葉か
らの借用語が混ざっているようだった。
手
繰
れ
ad﹂
420
うむ。これであれば見当がつく。 ﹁⋮⋮イディッシュ語か﹂
﹁ご名答。さすがだ﹂
スペル
時計塔の名物講師は口の端を持ち上げて微かに笑った。
呪文はその術者がどの文化圏に根差した者であるかの大いなるヒ
ントとなる。
イディッシュ語はアシュケナージ系・ユダヤ人の文化に由来するも
のだ。
するとこの騒動を引き起こした術者はユダヤ文化に根差したバッ
クグラウンドの持ち主か。
﹁さて、マクナイト。次の課題だ﹂
彼は完全に教師モードに入っているようだ。
よろしい。ここまで来たらとことん付き合おう。
﹁結界の解析をしてくれ﹂
﹁良いだろう﹂
を
私は屈みこみいつもの詠唱を口にした。
糸
﹁tharraingt sa t
é
細く穿った魔力を周囲に流す。
解析は器用貧乏な私が唯一得意と言える魔術だ。
﹂
かなり広範な結界だがある程度の精度で解析できそうだ。
﹁マクナイトさんにお任せするんですか
グレイは我々の話についてこられないらしくポカンとしていたが
天下の時計塔の講師が
ヤクザな魔術使いに何かを頼んだことに軽い驚きを覚えたらしい。
﹁いいんだ。これで。こと才能に限って言えばこの皮肉屋のお喋り男
は私より数段上だ﹂
ほんの少し彼の瞳が細められた。
才能という言葉を口にするとき。いつも彼は同じ反応をする。
そこには夜空に輝く星││手を伸ばしても決して届かないものだ
││についてでも語るような
熱っぽい心のひだが見え隠れしている。
解析は得意だがこの結界の範囲は中々のモノらしい。
感覚値だが1マイル以上はあるものと思われた。
さすがにこれは骨が折れる。
しかし私は秀才で、そして十分な経験値がある。
段々とその全体像が見えてきた。
そして得も言われぬ違和感を感じた。
﹂と問うた。
表情から私の奇妙な感覚を悟ったらしい。
ウェイバーが﹁どこが奇妙だ
さすがの観察眼だ。
高度な魔術師でなければ構築はおろか設計することすらできない
﹂
だろう﹂
﹁だが
より正確に言えば結界の構成自体は見事なものだが無数の虫食い
のような穴がある、
車検を怠ったスクラップ寸前のメルセデスベンツのような⋮⋮﹂
421
?
﹁⋮⋮恐らくこの結界、相当な広範囲にわたるものだ。
?
﹁だが、その割にはずいぶん綻びが多いな。
?
そこまで言ったところで気づいた。
周囲が闇に包まれている。
英国の冬の夜は暗くて冷たいが夜の闇ですら輝いてしまうような
漆黒の闇に。
グレイは戸惑っていたが偉大なる時計塔の講師は落ち着き払って
いた。
﹁結界のへそに入ったようだな。私たちは今、ロンドンのハリスス
トリートに居ながらそうではない
微かにずれた位相のハリスストリートにいる。結界の外からここ
を認識することはできないだろう﹂
うむ。それはまずい。
これでは格好の的だ。
﹁なぜかは分からないが妙に綻びの多い結界だ。綻びをついてみる。
恐らく脱出できるだろう﹂
音でもない。気配でもない。
だが確かに何かいる。
それは闇をすり抜け文字通りその銀色の手を伸ばしてきた。
その手はまずウェイバーに向かって伸びた。
422
私は早速、結界の穴を探した。
よし。やはりほころびが多い。
楔を打ち込めば簡単に突き崩せそうだ。
私は結界の粗さがしに集中した。
一方、ウェイバーは別のモノに集中していたらしい。
﹁いや。それは後でいい。
はい﹂
それより。グレイ﹂
﹁え
﹁来るぞ﹂
来るぞって何がですか
?
闇の向こうから何かが近づいてくる。
﹁え
﹂
少女はフードの下で大きな眼を見開いた。
完全に不意打ちだったらしい。
?
?
オー ト マ タ
私はとっさにファイティングナイフを取り出すと魔術で強化しそ
の手を打ち払った。
この感触、水銀性の自動人形と見た。
オー ト マ タ
思った以上に弱い力だった。
自動人形の遠隔操作などそう簡単にできる代物ではない。
この術者は相当な術者だ。
それゆえにこの弱さはどうにも腑に落ちない。
2度、3度とその手を打ち払う。
やはり弱々しい。
人形自体は極めて頑丈で何度ナイフで打ち払ってもかすり傷すら
つかない。
しかし人形の力は妙に弱い。
結界と言い何かがアンバランスだ。
一体、この術者の意図は何なのだ
そう私が思考を巡らせていると隣にいたグレイが動いた。
﹂
﹁⋮⋮アッド﹂
﹁おうさ
朧な燐光に包まれたちまちその形状は大鎌のそれへと変化してい
た。
目くらましなどではない純粋な瞬発力。
私の強化した視覚ですら捉えられない文字通り人間離れした一閃
は人形の片腕を切り落としていた。
師匠、マクナイトさん﹂
人形はどこかへと去っていった。
﹁ご無事ですか
﹁すいません。あまり見せるなと師匠に言われているもので⋮⋮﹂
少女はフードに下で伏し目がちになっていた。
⋮⋮しかし、驚きだな。﹂
﹁ああ。ありがとう。
私は驚きのあまり言葉を失いながらまずは言うべき言葉を述べた。
少女は大鎌を基の礼装に戻すと言った。
?
423
?
彼女の右袖に収まった箱から魔力が迸った。
!
﹁ああ。見せない方が良い。
ゴッ ズ ホ ル ダー
その魔力、どう見てもただの魔術礼装の範囲に収まるものじゃな
い。
見る人間が見れば伝承保菌者だと一発で解る。
師匠の判断は正しいな﹂
﹁よし。もういいぞ。ここから出よう﹂
沈黙を守っていた当の師匠がそれを破った。
理由は分からないが彼なりに考えがあるのだろう。
それに私とて人の結界に閉じ込められているのは趣味ではない。
その言葉に従うこととした。
綻びに魔力を込めたナイフを楔として打ち込む。
結界は思いのほか簡単に崩壊した。
深い闇は晴れ、冬のロンドンの薄暗がりが戻って来た。
﹂
424
﹁では。行こう﹂
そう言うと彼は颯爽と歩き出した。
私と彼の内弟子は彼の思考に置いてけぼりだ。
﹁ウェイバー、待ってくれ。少しは説明してくれないか
﹁⋮⋮あの、すいません。師匠。拙には何のことかさっぱり﹂
未熟な少女はもっと分かっていないようだった。
それなりの経験がある私が分からないのだ。
ふむ。さっぱりわからない。
私の稚拙な強化魔術でも十分あの人形に傷をつけるのに事足りた﹂
も堅い物質だ。
お前なら当然知っているものと思うがダイヤモンドはこの世で最
人形に傷をつけた。
形状に加工したものに強化をかけて
具体的に言うと私の魔力を込めた金剛石をシャープナーのような
ダイヤモンド
﹁君たちの攻防の隙をついてあの人形に魔力でマーキングをした。
いった様子で語りだした。
彼は﹁やれやれ﹂と言いながら││しかし歩みは止めず││渋々と
?
﹁あの人形はおそらく術者の工房に戻る。追跡すれば首謀者のことが
わかる。簡単な理屈だ﹂
なるほど。シンプルだが悪くない作戦だ。
だが妥当と思えない。
﹂
﹁ウェイバー。君が何をしようとしているのかは分かった﹂
﹁だが⋮と続くんだろ
そう言って彼は目を細めた。
君のことを悪しく言うつもりは
仕方あるまい。あまりあまり言いたくはないが肝要なところだ。
﹁だが、その方法で追跡可能なのか
ないが
在だろう。
君のマーキングなど容易く探知して無効化されるのではないか
?
名称がつくことは決してないであろう没個性的な一軒家だ。
といった
英国人は家を大事にする人種だが﹁湿っ地屋敷﹂や﹁ウナギ沼の館﹂
古くも新しくもない家。
ただそれだけだ。
なかなか良い家と言えなくもない代物だった。
2階建てで趣味も悪くない。
それなりに大きな家だった。
ほどなくして一軒の家の前にたどり着いた。
ハリス・ストリートをウェイバーに導かれるままにひたすら歩く。
できない﹂
﹁その心配はいらない。私の推測が確かならこの術者にそんな芸当は
私の些か不躾な疑問い対し、彼はこともなげに言った
﹂
これほどの結界を使った術者ならば間違いなく僕よりも各上の存
れば君に劣るものは一つもない。
僕はいいところ1流半の半端ものだが、単純に魔術の能力だけであ
術者としては君はいいところ2流だ。
?
尋常ならざる魔力が漏れ出ていることを除けば、だが。
425
?
間違いない。ここは首謀者の工房だ。
﹁入るぞ﹂
そう言って先頭を行くウェイバーがドアを開けた。
仮にも敵の工房だ。無防備に過ぎると思ったが彼には些かの躊躇
いもなかった。
私とグレイは示し合わせ臨戦体勢を保って後に続いた。
中に入る。
まず最初に目についたのは、横たわる幾人もの人々だった。
何人かは見覚えがある。
エミリーから見せてもらった資料にあった失踪者だ。
さらに部屋を見渡す。
部屋の片隅には夥しい量の水銀がちょっとした水たまりを作って
いた。
数分前に我々を襲撃した人形のなれの果てだろうか。
﹁ここではないな﹂
上の階に向かう。
先導するウェイバーが先に到着し。
そして足を止めた。
その視線が何かカギとなるものを捉えたようだ。
視線をそのままに彼は我々に語り掛けた。
﹁魔術は本来秘匿されるべきもの。これほどの結界を創れる術者なら
ば心得ているはず。
にもかかわらず目撃者が発生した。結界に綻びがあったせいだ。
歪な結界、不完全な秘匿。そこから導き出される答えは一つだ﹂
ウェイバーは視線で﹁上がってこい﹂と促した。
グレイと共に階段を上がりその視線の先を見る。
そこには白骨化した死体が横たわっていた。
死体の周りには今日、散々目にしてきたイディッシュ語の文字が書
き連ねられている。
││ということは
﹁この哀れなヨリックが首謀者か﹂
426
﹁ああ。これで綻びだらけの結界に説明がつく。
丁寧に構築された結界は魔力さえ充足されれば起動には問題ない。
だが高度な結界は繊細な代物だ。メンテナンスを怠ると徐々に綻
びはじめる。
おそらく、この術者はロンドンにたどり着いた時点でもう余命いく
ばくもない状態だったんだろう。
﹂
それで、自分が動かずとも自動的に起動してくれるような結界を考
えた﹂
﹁そのカギが失踪者ということですか
グレイはようやく思考が追い付いたらしい。
素朴な疑問を発した。
﹁ああ。結界を維持するには魔力を流し続ける必要がある。
無いものは他所から持ってくるのが魔術の基本だ。
まず、体が動くうちに周囲に結界を張り、人気の少ない場所。
例えばこの住宅街に結界のへその部分を置く。
オー ト マ タ
結界のへそに入った人間は異相空間に魔術的に隔離されそれを引
き金に自動人形が起動する。
人間を誘拐させて連れ帰り、魔力を奪う。
術者が魔力を生成できなくなっても自動人形の人さらいは続くか
ら、魔力は補充され続ける。
そんなところだろう﹂
﹂
私の連絡で駆け付けたエミリーに現場を引き渡し、以降は警察の預
かりとなった。
我々は聴取を受けると解放され帰路に就いた。
冬のロンドンには夜の闇が到来していた。
﹁あの白骨化した術者だが見当はついているのか
﹁あくまで噂レベルの話だが⋮⋮﹂
葉巻の煙を弄び吐き出すと彼はつづけた。
﹁ア ト ラ ス 院 で と あ る 研 究 を し て い た 魔 術 師 が 発 狂 し 失 踪 し た ら し
?
427
?
だが、余命いくばくもないこの術者にはそれが難しい。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
い。
スペル
その人物の研究内容は魔術による自動防御システムの構築だった
そうだ。
その魔術師は元々ユダヤ教のラビの家系だったそうだ。
﹂
なんとなく見当はついていたがイディッシュ語で表記された呪文
を見た時に確信に至った﹂
﹁あの術者そこまでして何をしたかったのでしょうか
今度はグレイが疑問を挟んだ。素直な生徒だ。
﹁恐らく気づいてしまったのだろうな。
人の一生は儚すぎると。
えなかった。そういう事だろう﹂
﹁その、師匠も興味あるのでしょうか
うむ。またしても素朴な疑問だ。
名物講師は何と答えるのだろう。
﹂
パピリオ・マギア
不老不死、とか⋮⋮﹂
あの術者にとって自身という存在は肉体を含めてのものしかあり
延命は可能だが延命できるのは人格だけだ。
記憶を移し替えれば
君の言う通り例えばホムンクルスの肉体を作って蝶 魔 術で人格と
ら肉体に黄金比を宿していたらしい。
その術者の噂は僕も知っているが、彼の家系の魔術師は生まれなが
﹁肉体の唯一性にこだわったのだろう。
その先を私が引き取った。
﹁延命するという選択肢はなかったのでしょうか
それを形にした。失われゆく自らの生の代わりにな﹂
永遠性を見出し
自らが研究してきた自動防衛にシステムに人の身にはありえない
?
そう彼は言った。そして言葉が続いた。
﹂
﹁仮に私が外法な術を使って1万年ほど生きたとしよう。
1万年後に私はどうなっていると思う
?
428
?
﹁私が魔術に世界に身を置いている理由は知の探究だ﹂
?
マクナイト﹂
﹁すみません。拙には見当もつきません⋮⋮﹂
﹁お前はどうだ
﹁肉体を若く保つ術はあるが魂の老化を防ぐ術はない。
1万年も生きたら目の前の皿に乗っているものがポリッジなのか
3歳児のゲロなのかの見分けもつかないだろうな﹂
うむ。我ながら良いウィットだ。
彼はその例えに心底感動したらしい。
﹁ハア⋮⋮﹂と今世紀最大の溜息をついた。
﹁相変わらずお前は上品だな﹂
﹁それはどうも﹂
ありがたい。時計塔の名物講師お褒めの言葉を頂くとは私も捨て
たものではないらしい。
﹁⋮⋮まあとにかくだ。そんな自分が何者なのかもわからないような
状態で知の探究など出来るはずもない。
だったらさっさと天寿を全うしたほうがマシだ。
この皮肉屋のお喋り男風の例えを使うなら⋮⋮そうだな﹂
そこで一度、ウェイバー・ベルベット流の沈思黙考に入った。
慣れないアンドリュー・マクナイト式の例えを考えているらしい。
ような状態を生きてるとは言えない。
少なくとも私はそう思う﹂
いい答えだ。
内弟子の少女はフードの下で小さくクスリと笑い声を立てた。
よろしい。気に入った。返礼をしなければ。
﹁一杯やるか
﹂
?
ルを摂取した。
現場からハイ・ストリートまで戻り中々気の利いたパブでアルコー
﹁お前の奢りだな
彼は私をしっかりと見据えて言った。
ロンドンプライドとサルの小便の違いが分かるうちに﹂
?
429
?
﹁そうだな、ロンドン・プライドとサルの小便の違いも判らなくなった
××××××××××××××××××××××××××××
私とウェイバーはサンドイッチとパイを注文し5パイントのロン
ドン・プライドを飲み干した。
未成年の上になれない酒のせいでグレイは瓶一本のサイダーで酔
いつぶれた。
酒を勧めるには時期尚早過ぎたか。
協力を仰いだ以上それがスジであるため私が全額払った。
よし。これは後日エミリー経由で首都警察に請求しよう。
店を出るとすでに地下鉄は終わっていた。
大通りに向かいタクシーを探すことにした。
よし。これも後日エミリー経由で首都警察に請求しよう。
虚弱体質のウェイバーに変わり、私が酔いつぶれたグレイをおぶっ
た。
彼女の右袖で毒舌な彼女の礼装は奇怪な笑い声を立てていた。
﹁紳士として告げる。黙ってくれ﹂というと声はやんだ。
タクシーを捕まえ、3人で並んで後部座席に体を押し込む。
まずはグレイの寮に向かってもらった。
席次はグレイ、私、ウェイバーの順だ。
夜の街灯が窓からチラチラと我々を照らす。
つくまでひと眠りしようかと思ったが思いのほか明るくて眠れな
かった。
何気なく街灯に照らされた少女の顔を見る。
何の下心もないただの気まぐれだ。
フードをかぶってはいるが昼間にウェイバーのフラットで見た時
よりもはっきりと顔の造形が分かる。
デ ジャ ヴ
ほのかに酔いが回った頭はふわふわと宙を漂い││私は突如それ
に気がついた。
昼間にウェイバーのフラットで彼女の顔を見た時の既視感の正体
だ。
アー
サー
王
所
縁
の
地
私はこの顔を以前、別の場所で見ている。
││セント・マイケルズ・マウントで垣間見たあの少女だ。
あの少女の顔だ。
430
﹁どうした
﹂
若き友人、遠坂凛も中々に敏いが年の功かウェイバーはそれ以上
だ。
特に隠し立てするようなことでもない。
私はセント・マイケルズ・マウントで垣間見た幻の事を語った。
彼はいつもの仏頂面を驚愕に変えていた。
﹁間違いない。お前が見たのはお前の予想通りの人物だ﹂
グレイの出身地はこのブリテンにも冠たる最も伝統ある霊園の一
つだった。
アーサー王の墓所の一つと言われている田舎町にある。
アー サー 王
彼は対霊体のプロフェッショナルを求めて彼の霊園を訪れ彼女と
対面した。
そして驚愕した。
﹁私も控えめに言って驚いた。あいつの顔は私が見た剣の英霊││
に生き写しだったんだからな﹂
今日は驚きの連続だったが、今この瞬間が最大の驚きだった。
私はただ一言感想を述べた。
﹁この世は神秘に満ちているな﹂
ブ リ テ ン 最 高 の 英 雄 と 瓜 二 つ の 少 女 は 静 か に 寝 息 を 立 て て い た。
431
?
設定│英国の風物について9
・英国の家
英国は地震と無縁の土地で建物が保存されやすく、国民性としても
家を大事するというものがあります。
故に新しい建物が毎日のように建設されているロンドンも例外で
はなく古い家は結構見かけます。
観光名所の一つとなっているサミュエル・ジョンソン博士の家もそ
の一つ。
サミュエル・ジョンソンは18世紀に活躍した文献学者、詩人、批
評家で﹃英語辞典﹄の編纂で知られた人物。
その人物の住んでいた家ですので18世紀から存在している建物
です。
所在地は地下鉄のチャンサリーレーン駅の近くでエリア的にはホ
ルボーン、高層建築が立ち並ぶシティの近所のエリアです。
そんな場所に当然のように古い家が建っている、実にロンドンらし
い光景を見ることができます。
また、英国人は格式、歴史のある家に名前を付ける風習があります。
作中で名前を出した﹁ウナギ沼の館﹂は小説﹃黒い服の女﹄に出て
きた邸宅の名前、
﹁湿っち屋敷﹂は﹃思い出のマーニー﹄から借用しました。︵原作はイ
ギリスの小説︶
こういう通称の通ってるお屋敷は住所表記の際、通りや番地に続い
てお屋敷の名前が表記されるそうです。
・﹃ロード・エルメロイⅡ世の事件簿﹄の登場人物たち
ウェイバー、グレイ、アッド。
全部公式に登場したキャラクターです。
このエピソードを書くために一巻だけ読みましたがオリジナルF
ateシリーズとはだいぶ趣が違い驚きました。
ちなみにウェイバーの住んでいるアパートの所在地、グレイの出自
432
などすべて原作通りです。
・ワンズワース
ロンドン南西部にあるエリア。
行ったことないので何割かは想像です。
映画﹃ラブアクチュアリー﹄に出てきた首相官邸の職員がここに住
んでいる設定で劇中で﹁dodgy end︵ヤバいところ︶﹂と評し
ていたのが印象に残っており舞台としました。
・ハイ・ストリート
学校で習うアメリカ英語での﹁ダウンタウン﹂に相当するイギリス
英語の表現。
目抜き通りとか繁華街と考えていただければよろしいかと。
・イディッシュ語
作中で表記した通りアシュケナージ・ユダヤ文化特有の言語。
学術的にはドイツ語の一方言扱い。
ヘブライ文字を使用する表記が伝統的でアルファベット表記は比
較的新しい書記法らしいです。
ここではアルファベット表記としておきました。
・ヨリック
シェイクスピアの﹃ハムレット﹄に出てくるキャラクター。
より正確に言うと墓場の場面でヨリックというキャラクターの髑
髏のみが出てきます。
・ポリッジ
お粥のこと。
より正確にはオートミールとバターとミルクで作られるお粥状の
ドロっとしたナニカ。
ただし今日においてはアジア料理のお粥も便宜上﹁ポリッジ﹂と訳
されているので今日においては事実上お粥全般のことを指すようで
す。
・ロンドンプライド
ロンドンのフラーズ醸造所で作られているロンドンの地ビール。
433
100年以上の歴史がある。
私これ、好きです。
434
幕間の物語│2
マスターの秘密
﹁留守か﹂
今日、ドクターからイレギュラーな特異点が同時に2つ発生したこ
とを知らされた。
俺はパーティーの編成等戦略上の相談のためもう一人のマスター
であるぐだ子の部屋を訪れていたが、生憎彼女は席を外していた。
カルデアに来て以来、この部屋には何度が入っているが簡素な部屋
だ。
本棚を見ても神話や英雄譚、魔導書などマスターとしての任務に関
連するものばかりだ。
ふと一冊のノートが分厚い魔導書の間に挟まっているのに気付い
た。
﹂と赤字で書いてある。
﹂だった。
?
435
なぜこんなところにノートなんか挟んでいるのだろうか。
何気なく手に取ってみると ﹁見るな
恥ずかしい日記か何かだろうか。
﹁ところでそちらの美しい三次元の方はどなたでござるか
黒髭を召喚したその時、同席していたぐだ子を見た黒髭の第一声は
デュフデュフ言って喜んでいる。
に気持ち悪くして
黒髭などぐだ子に話しかけられると気持ち悪い笑顔をいつも以上
ちなみにだがぐだ子はかわいい。
黒髭コレクションの漫画でも借りていたのだろうか。
そういえば最近、黒髭とぐだ子が話しているのを何度か見かけたが
それもかなり本格的な漫画だった。
中身は意外なことに漫画だった。
俺も男の子なんだ。見るよ。
ごめん、ぐだ子。
俺の心にムクムクとイタズラ心が湧き上がってきた。
!
ああ、そういえばダヴィンチちゃんにも何か相談してたな。
画材の調達でも相談してたんだろうか。
そんなことに思いを巡らせながらページをめくる。
舞台は中世初期と思われるどこかの城だった。
そして漫画には俺も知っている人物、円卓の騎士ランスロットとガ
ウェインが⋮⋮
そうとした思えない人物が描かれていた。
﹁いけません。ランスロット卿。この転輪する勝利の剣︵エクスカリ
バー・ガラティーン︶は
王の聖剣の姉妹剣⋮⋮そして王に捧げたもの。そのようなことは
どういう意味だ
なりません⋮⋮﹂
え
﹁ランスロット卿⋮⋮﹂
﹁ガウェイン卿⋮⋮﹂
すると2人は顔を近づけ⋮⋮
バタン
﹁⋮⋮腐ってやがる﹂
見てはいけない。否
見なければいけない
!
トリスタンも出てきた。
の闇の深さを感じさせるものだった。
インがランスロットの股間のランスロットをムグムグしたりと作者
困るが、堅いのは性格だけだはないのだな﹄と言ってみたり、ガウェ
堅物ぶりは時に
ランスロットがガウェインの股間のガウェインに触りながら﹃卿の
いていた。
ページを進めるランスロットとガウェインの睦みあいはさらに続
俺は仲間としてぐだ子のすべてを受け入れる。
!
この剣は我が王のもの⋮⋮そして貴公のもの。これでおあいこだ。
﹁ガウェイン卿。ならば私の無毀なる湖光を貴公に捧げよう。
そしてなぜ、この漫画のガウェインは頬を赤らめているんだ
?
思わず俺はその薄い本を閉じた。
!
436
?
?
トリスタンは﹁二人だけで快楽に耽るとは││私は悲しい﹂と言う
と
その先は三人でくんずほぐれつ
もうわけがわからないよ⋮⋮
ページを更に進める。
なことをし始めた。
今度は日本の武家屋敷風の建物で2人の男が肩を寄せ合っていた。
こちらも俺の知っている人物。
アーチャーのエミヤとアサシンのエミヤだ。
アサシンのエミヤを召喚した時、あのクールなエミヤが珍しく取り
乱していた。
そのあとぐだ子と2人がかりでエミヤから聞き出したがあの2人
は平行世界では親子だったらしい。
﹁いけない。キリツグ⋮⋮平行世界での話とは言え我々は親子。
そしてマスターにこの身をささげた剣だ﹂
﹁分かっているよ、士郎。
でもね、僕はもう親子の関係じゃ我慢できないんだ⋮⋮﹂
﹁じ い さ ん ⋮⋮ わ か っ た。こ の こ と は ア イ リ ス フ ィ ー ル と イ リ ヤ ス
フィールには内緒だ﹂
﹁ああ⋮⋮僕らだけの秘密だ﹂
すると2人は服を脱ぎ■自主規制■な状態になった。
その先はアサシンのエミヤとアーチャーのエミヤの濃厚な絡み合
いだった。
﹁シロウ、大きくなったのは体だけじゃないんだね⋮⋮﹂
アサシンのエミヤがアーチャーのエミヤの股間のエミヤを触りな
がら言う。
﹁││あなたは変わらないな﹂
﹁ああ、うれしいよシロウ。君とこんな関係になれる日がくるなんて
⋮⋮﹂
ガタッと背後で音がする。
振り返ると俺の背後でぐだ子が顔を真っ赤にしてプルプル震えて
いた。
437
×××
﹁み、見たな⋮⋮﹂
ぐだ子は俺の手から秘蔵のノートをひったくるとそのままベッド
に飛び込み
殺して
いっそ殺して
﹂
悶絶しながらのたうちまわたった。
﹁いやー
!
﹂という怨嗟の言葉を残し俺は部屋から追い
!
人のうわさも75日。
がんばれ、俺。
しまった。
﹁それは先輩が悪いです。罰だと思って我慢して下さい﹂と言われて
マシュに包み隠さずすべてを話し相談すると
ぐだ子。これが君なりの仕返しなんだな⋮⋮
おかげで俺がホ●だという噂が流れている。
流布させたと白状した。
が■アーン♡■なことをしているモノをぐだ子と制作してこっそり
俺はモゴモゴと口ごもる黒髭を問いただすと俺と男サーヴァント
こういう時に影にいるのが誰か大体想像がつく。
を置いていることに気付いた。
サーヴァントたち、特に男のサーヴァントが俺と話すとき妙に距離
それから数日。
出された。
﹁必ず復讐してやる
俺はただ平謝りするだけだった。
こっぴどく叱られた。
言 う ま で も な い が そ の あ と 幾 ら か 冷 静 さ を 取 り 戻 し た ぐ だ 子 に
!
あと70日ぐらいの辛抱だ。
438
!
サーヴァントの相性
人理修復の戦いを続ける狭間
時折現れるイレギュラーな特異点がある。
物によってひずみの大きさはまちまちで重要度も違う
だけどひずみがあるなら正さなければならない。
今回はその小さな特異点が2つ同時に発生した。
この世界に残った最後のマスターである俺とぐだ子はそれぞれに
パーティを編成して
レイシフトする準備を整えていた。
俺の率いるパーティーはセイバークラスのサーヴァントたちだ。
理由はセイバークラスにとって相性のいいエネミーが多数観測さ
れているためだ。
ローマの軍師、ユリウス・カエサル
﹁あ の ⋮⋮ 作 戦 は
﹂
﹂
ブリーフィングとかしなくていいんでしょうか
?
最近召喚に応じたベディヴィエールはただオロオロするだけだ。
439
ケルトの戦士、フェルグス・マック・ロイ
フランス元帥、ジル・ド・レェ
円卓の騎士、ベディヴィエール
彼 ら で パ ー テ ィ ー を 組 ん だ 理 由 は た ま た ま 他 の セ イ バ ー が オ ー
バーワーク気味で魔力不足だったからだ。
とはいえ彼らも強力とまでは言えずともそれなりに格の高いサー
ヴァントたちだ。
戦力的には問題ないだろう。
だが、レイシフト前から俺は不安いっぱいだった。
なぜなら
酒と女はまだか
﹁最適な人材の運用とは呼べんなこれは﹂
﹁マスター
!?
﹁おお⋮⋮ジャンヌ⋮⋮ジャンヌ⋮⋮﹂
!
誰も一切、会話をしようとしない。
?
大きくため息をつく。
﹂
こっちのパーティーを率いることになったのはぐだ子に負い目が
あるからだ。※
自業自得とはいえこれは堪える。
もう一方のパーティーをみる。
反逆の闘士、スパルタクス
雷光の怪物、アステリオス
近代最高のスパイ、マタ・ハリ
神童、アマデウス
大英雄、アーラシュ
オルレアンの救世主、佐々木小次郎
の6人だ。
﹁アステリオス、クッキー焼いたの。食べる
﹁⋮⋮うん。ありがとう。ママ﹂
小次郎
君も反逆者であったか
﹂
!
アマデウス﹂
﹁アーラシュ。新しい曲を思いついたんだ。タイトルは﹃僕のケツに
イボ痔ができた﹄だ﹂
﹁お前は本当に下品だな
あの、私も同行しますので⋮⋮﹂
﹁先輩、心中お察しします。
マシュは俺と俺の率いるパーティーを見て言った。
胃がキリキリしてきた。
あ、ヤバい。
セイバー軍団は相変わらず目も合わせようとしない。
﹁⋮⋮ああ、ありがとう。⋮⋮マシュ﹂
﹁先輩。レイシフトの準備が完了しました﹂
そこにサーヴァントに転身したマシュが戻って来た。
ようなほんわかした目で彼らを見ていた。
こちらのパーティを率いるぐだ子はというと⋮⋮まるで保護者の
!
440
?
﹁スパ殿。レイシフト前に手合わせ願いたいのだが﹂
﹁おお
!
﹁ははは。相変わらず話の通じぬ御仁だ。しかし、それもまた良し﹂
!
ああ、ありがとう。俺の後輩ちゃん⋮⋮
あと、ごめんねベディヴィエール。
次は円卓組と組ませるから⋮⋮
﹁じゃあ、みんな行きましょう﹂
レイシフトの準備完了の報を聞いたぐだ子が向こうのパーティー
に号令をかけた。
思い思いに過ごしていた彼らだが号令がかかると誰からともなく
作戦会議を始めた。
﹁では、いつも通り切り札はアステリオスの迷宮だな。
私は宝具展開までの時間を稼ぐ盾になろう﹂
﹁じゃあ、私とアマデウスは妨害ね﹂
﹁拙者は撹乱しながらの露払いだな﹂
アステリオス﹂
﹁じゃあ俺は一発こっきりの取って置きをお見舞いしてやる。
最後は任せたぜ
﹁うん⋮⋮ありがとう、ステラさん﹂
﹁お前、言い加減俺の名前覚えろや﹂
アーラシュの発言に対し﹁大体合ってるじゃないか﹂というアマデ
ウスのツッコミが入る。
パーティーを率いるぐだ子は笑顔でそのやりとりを見ていた。
それを見ていたマシュが一言、感想を漏らした。
﹁先輩、サーヴァントの相性って不思議ですね⋮⋮﹂
※エピソード﹁マスターの秘密﹂をご参照ください。
441
!
だ。
﹁レオニダス⋮⋮朝4時だよ
﹂
?
﹂
﹁唐突ですがサバイバルに行きましょう
レッツサバイバル
!
カルデアに常駐するサーヴァントの一人、スパルタ王レオニダス
﹂
!!!!!
レオニダスVS大自然
希望の朝が
実に気持ちのいい朝ですね
!!
﹁あったらしい朝が来た
おはようございます
!!!!
目を覚ますと半裸の筋骨隆々とした男が立っていた。
暑苦しい声で目が覚めた。
マスター
!
﹂
サバイバルです
か説明してもらえるかな
﹁ですから
サバイバル
レッツサバイバル
﹂
!!!
まあ理屈はわからないでもない。
とのことだった。
けるトレーニングをしましょう。
だからカルデアのシュミレーターを使いサバイバル技術を身に着
師匠が常に同行しているわけではない。
たが
思わぬバカンスとなったあの時はスカサハ師匠の知恵で生き延び
カルデアからの通信が途絶える可能性もある。
特異点では何が起きるかわからない。
レオニダスの言い分をまとめると下記の通りだ。
の高い暴挙の理由を拾い上げた。
レオニダスの言葉にならない言葉から俺はどうにかこの筋肉密度
1画を使ってどうにか宥めると
興奮して300人のスパルタ精鋭を呼び出したレオニダスを令呪
!!
?
やっぱり説明になっていない。
!
﹁待って。いったん落ち着こう。とりあえず話を聞くから何がしたい
説明になっていない。
!
だが、レオニダスにサバイバル技術と言われても嫌な予感しかしな
442
!!!
!
い。
本人は認めたがらないがレオニダスは脳筋だ。
しかも彼の行動は全てがスパルタ基準だ。
とても真似できる気がしない。
しかしいったんこの手の主張を始めたレオニダスを止める手段を
俺は知らない。
﹁わかった。ドクターとダヴィンチちゃんに相談してみるよ⋮⋮﹂
俺はただ溜息交じりにそう答えるしかなかった。
まず、ダヴィンチちゃんとドクターロマンに事情を説明した。
意外にも2人は乗り気だった。
﹁あまり無茶はしないでね﹂
という言葉ともにサバイバルに適したシュミレーション環境を用
意してくれるとのことだった。
では、次は道連れだ。
何人かの手隙のサーヴァントに声をかけた。
結果は全員ノーだった。
アンデルセンなど俺とレオニダスの姿を見た瞬間に光の速さでど
こかに行ってしまった。
こうなったら頼れるのはあの2人だ。
﹁へえ⋮⋮そんなんだ。頑張って﹂
まずもう一人のマスター、ぐだ子を誘った。
すると彼女はただ一言そう言って白目を剥いた。
どうやら俺と同じ目にすでに遭っていたらしい。
ご愁傷様だ。
当然、返事はノーだった。
俺たち3人の運命共同体のもう1人、マシュは首を縦に振ってくれ
た。
ああ、ありがとう俺の後輩ちゃん。
君は最高だ。
臆面もなく感謝の言葉を述べると
443
×××××
レッツマッスル
﹂
﹁いえ⋮⋮先輩のお役に立ててうれしいです﹂とちょっと照れていた。
ナイス後輩力。
準備は整った。
では行きましょう
!!!
というか整ってしまった。
﹁さあ
まず着いたのは平原だった。
!!
マスター
問題です
2、3日かな
﹂
レオニダスのテンションは高い。
﹁さあ
マシュ殿
パーフェクトアンサーです
サバイバルの上で食料の確保は急務
急務です
!!! !!
そしてレオニダスは相変わらずテンションが高い。
ナイス後輩力だ。
大体そのぐらいが限界と思われます﹂
タイムリミットなので
﹂
災害などで生き埋めになった場合72時間が救出までの一般的な
1日ごとに人は衰弱します。
﹁そうですね。1週間生き延びた例はありますが、何も口にしないと
俺の大雑把な回答にマシュが補足を加える。
?
!!!!!?
サバイバルという事で無難にそれらしいマップが選ばれたらしい。
﹁さて
!!!
人はどのくらい飲まず食わずでも生きていられると思いますか
!!
!!
あんなところに美味しそうな食料があるではありませ
!!!!
﹁はい
つまり
んか﹂
⋮⋮おや
!
聞かず
﹂
やはりテンションの高いレオニダスは俺とマシュが静止するのも
﹁いただきマッスル
!!!!!!
﹁あの、レオニダス。それバイコーン⋮⋮﹂
嫌な予感しかしない。
レオニダスの目線の先を見る。
?
444
!
!
?
!
雄たけびを上げてバイコーンにとびかかった。
数分後、バイコーンは大雑把な焼肉になっていた。
気の進まない食事を終えるとさらに歩く。
今度は森林に入った。
キノコです
キノコ
ヘルシーです
﹂
!!!!!!!!
1本の木の根元でレオニダスが足を止めた。
﹁マスター
ベジタブルです
!!
存知ですか
﹂
見た目とか
?
ありますが
食べられるキノコと毒キノコの見分け方をご
?
安全な方法とは⋮⋮﹂
﹂
﹁なぜそのようなまどろっこし真似をするのですか
じゃあどうやって見分けるの
レオニダスはポカンとしていた。
﹁え
!
レオニダスは部厚い胸板を張って言った。
?
食べてみればいいのです
食べて平気ならば食用キノコ
!
﹁簡単ですよ
体調を崩したら毒キノコです
!
﹂
何も体に異常がなければ食用キノコと判断できると聞いたことが
小さく裂いて舌の上に30分ほどのせて
タマゴタケは見た目はグロテスクですが高級食材です。
ニセクロハツは見た目はシイタケそっくりですが猛毒ですし
﹁見た目で判断するのは危険ですね。
無知な俺に変わりマシュのフォローが入る。
﹁さあ
!
﹂
﹁ところで、マスター
ありがとう、マシュ。
マシュがフォローを入れる。
食べられるキノコならば大きな収穫ですね﹂
﹁キノコは低カロリーで高たんぱくな食品です。
テンション高い。
!!!!
!
!!!?
!
445
?
嫌な予感しかしない⋮⋮
?
人間には自然治癒能力というものがあります。
レッツマッスル
﹂
スパルタ兵は皆これで判別しておりました
さあ
!
今度は水辺を目指した。
水辺を目指し歩き続けると体よく川にたどり着いた。
我々は食料の確保に成功しました
水の確保は死活問題ということになります
﹂
トレーニングができなくなります
!!!!!!!
中々きれいな水に見える。
﹁マスター
人間の体は60パーセントが水分
水を飲まねば衰弱し
!!!!!
!!!!
レオニダスはあまり納得していない様子だったが引き下がり
ありがとう。俺の後輩ちゃん。
結局キノコの見分けはマシュの必死の説得で取りやめになった。
!!!
我がマスターよ
ここで問題です
﹂
!!!!!
﹁そうですね。
沼や池など水が滞留しているところはいけません。
ボツリヌス菌が発生している可能性が高いです。
彼はポカンとしていた。
レオニダスを見る。
これならパーフェクトアンサーだろう。
ナイスだマシュ。
煮沸できればより安全いいですね﹂
土壌の成分で水が濾過されている可能性が高いので。
す。
﹂
流れのある場所、特に水が地面から湧き出しているところがいいで
?
が確かに水の確保は大事だ。
﹁さて
考えてください
!!!!
レッツマッスル
!!!!!!
!!
水分の確保はどのように行うか
シンキングタイム
暑苦しい⋮⋮
!!!!
なぜトレーニングできるかどうかを基準にするのかはわからない
つまぁり
!!!
しかし
!!! !!
!!!!!!
﹁そうだな。川とか飲める水がある場所を探すことかな
!!!!!
446
!
!
違うの
﹂
レオニダスは申し訳なさそうな顔をして引き下がった。
サバイバルの仕上げです
いかに屈強な肉体を持とうと
良かったレオニダス。脳筋だけど紳士だ⋮⋮
﹁さて
!!
人の住んでいるところを探さなければいけません
﹂
﹂と恐る恐る聞くと予想の
﹁なぜそのようなまどろっこしい真似をするのですか
え
じゃあレオニダスはどうするの
もう嫌な予感以外何もしない。
﹁え
斜め上をいく答えが返って来た。
﹁飲尿です
排出したての尿は無菌で飲んでも安全
さらにぃ
﹂
自分の体から出た水分を補給しまた排出する
計算通りです
これぞ永久機関
すばらしい
?
﹁あの、レオニダス⋮⋮引いてる、マシュが引いてるよ﹂
ここはレオニダスの人格にかけよう。
ここは俺がしっかりしないと。 今度はマシュが絶句した。
これがスパルタクオリティか⋮⋮
!!!
をどうやって探すのでしょうか
私にも想像がつきません⋮⋮﹂
マシュが申し訳なさそうにそう答える。
レオニダスは立派な大胸筋を張り上げて言った。
﹁すべての道はローマに通じるという諺をご存じでしょうか
まさか⋮⋮
!
え
!!
﹁ローマ⋮⋮文明⋮⋮すなわち人が住んでいる場所
ひたすら歩けばたどり着く
!!!!
﹂
!?
?
全ての道は人の住んでいる場所に通じているのです
ならば
!!!
447
!!!!!
文明のない場所でそう人間は長く生きられません。
つまぁりぃ
!!!!
﹁はい。そうですね。ですが、レオニダスさん。人の住んでいる場所
!!!
?
?
!
!!!!
!
!!!
!!
?
?
!
?
すばらしい
計算通りです
﹂
!!!!!!
スパルタってすごい。
睡魔にかき消される意識の端っこで
俺は疲れきってベッドに潜り込んだ。
カルデアに戻り、マシュに﹁ありがとう﹂と﹁お疲れ様﹂を言うと
レオニダスは渋々従った。
ドクターとダヴィンチちゃんから物言いが入り中止となった。
め
レオニダスのサバイバルトレーニングはあまりにも無茶過ぎたた
!!!!!
俺は心からそう思った。
448
××××
闇に潜むもの
要求
2月の凍てつくように寒い日。
私は暖房のきいた小汚いエミールのホテルの小汚い部屋の小汚い
ベッドで惰眠を貪っていた。
小汚いベッドの中で私は奇怪な夢を見ていた。
2人の人物の諍いだ。
片方はライオンの頭をした人物でトーマス・アルバ・エジソンを名
乗り、もう片方はサイバーパンクの
主人公のような風貌でニコラ・テスラを名乗っていた。
2人は交流と直流どちらが優れているかで争っていた。
その争いは口喧嘩から殴り合いのケンカへと発展していた。
これは夢だ。
449
私はそれがはっきりとわかった。
明晰夢というやつだ。
我ながらなかなか面白い夢だと思った。
結末はどうなるのだろう
私はしぶしぶ3コール目で電話にでた。
事を選べない。
どちらもあまり話すのに気が進まない相手だがフリーランスは仕
番号は女性のほうのものだった。
片方は男性で片方は女性だ。
在しない。
私に日本から電話をかけてくる人物は思い当たる限り2人しか存
る。
国際電話だ。局番は+81、つまり日本からの電話ということにな
ディスプレイを見る。
私は渋々目をさました。
そう思考に耽っているとモバイルフォンの着信音が鳴った。
?
﹁シキ、僕が悪かった。頼む。まだ殺さないでくれ。やり残したこと
があるんだ。
君が僕のどの発言を怒っているのか││正直心当たりがありすぎ
て見当がつかないが
アンディさん﹂
とにかく謝罪する﹂
﹁何の話ですか
﹂
電話の声の主は私の予測していた相手、両儀式ではなかった。
その娘の方だった。
アンドリュー、これはまずい。
﹂
上手く釈明しないとレッドカードだ。
﹁この番号をどこで
﹁光溜さんに教えてもらいました。
││あの、お母様に殺されるってどういう意味ですか
お母様はアンディさんのことをお友達だって言ってましたよ
﹁若いころに君のママとよく交わしたジョークだ。
シキに会う度に僕は言ったものだ。
﹄ってね﹂
﹃君は美しすぎてショックで心臓発作を起こしてしまいそうだ。
僕を殺す気か
よし。我ながらうまく躱した。
いことがあるんだろう
﹁ところで、こうして電話してきたということは僕に何かしら聞きた
﹁ありがとう。アンディさん﹂
作を起こしているよ﹂
電話で良かった。君と面と向かって話していたら今頃僕は心臓発
﹁ああ。君の愛らしさもお母様に似てショック死級だ。
﹁アンディさんは面白いですね﹂ 無邪気に笑ってくれた。
童女は電話口の向こうで
狂暴の権化のような母親とは見た目以外何一つとして似ていない
?
?
?
﹁はい。そのお母様のことで相談があって⋮⋮﹂
他ならぬマナお姫様のためだ。アンディさんは精一杯つくすよ﹂
?
450
?
?
相談の内容は実に無邪気なものだった。
式 の 誕 生 日 が 迫 っ て き て い る が 何 を 贈 っ た ら 喜 ぶ か と い う も の
だった。
何人かに相談したが昔からシキのことを知っている人間が思いの
ほか少なく、
﹁式の友達﹂である私に意見を求めるに至ったとのことだった。
私の知る限り式と比較的良好な関係を保っていて付き合いもそれ
なりに長い人間は少ない。
黒桐幹也もとい現在は両儀幹也、黒桐鮮花、硯木秋隆、目下どこに
いるかわからない蒼崎橙子
あとは⋮⋮あとは私か。
色々あったが結局のところ何かと式には世話になっている。
礼儀として毎年クリスマスカードとネンガジョウぐらいは送って
いるが誕生日の贈り物などしたことがない。
451
ふむ。まあ一応彼女は﹁トモダチ﹂ではある。考えても良さそうだ。
たしか彼女は刃物││特に日本刀に対してひとかどのこだわりが
あったはずだ。
狂暴の権化たる彼女らしい趣味だ。
日本刀を打てる職人は知らないが中々の業物のナイフならば打て
る職人を知っている。
亡くなった母方の祖父││注釈しておくが私の母方の祖父は日本
人だ││の親友でまだ存命中の筈だ。
うむ。折の良いことに最近、祖父の墓参りに行ったときに偶然再会
している。
矍鑠としていてまだ現役を守っているとの話だった。
﹂
我ながら悪くないアイデアに思えた。
﹁ナイフ⋮⋮ですか
相手は年端のいかない子供。私は大人だ。
もちろん、その反応は予想済みだ。
那は明らかに訝しんでいた。
一般的に妙齢の女性に贈るような代物ではないものを提案され未
?
次に何を言うべきかぐらい考えて発言している。
﹁恐らく君は知らないだろうが、シキは料理が得意でね。
特に彼女の和食はギンザあたりの料亭で出てきても不思議でない
ほどのレベルだ。
一度だけ振舞ってもらったことがあるがあの味は忘れられない。
一級品の職人が打ったナイフは波紋の美しさだけでも価値がある
からきっと喜んでくれるし
アンディさん﹂
気を良くしたらそのナイフで自慢の和食も振舞ってくれるかもし
れないぞ﹂
﹁ありがとうございます
私は知己の老職人にお願いをすることと幾らかのカンパを約束し
た。
﹁ありがとうございます﹂と丁重に礼を言う未那に対し﹁いつでも連絡
してくれ。あとミキヤ││パパによろしく﹂
と伝えると電話を切った。
電話が切れ、小汚い部屋に沈黙が戻った。
惰眠を貪るのにぴったりの沈黙だ。
その沈黙を今度はドアをノックする音が破った。
私を訪ねてくる人物は色々と心当たりがある。
知己の場合もあるし初対面の相手の場合もある。
ドアを開けると眼鏡をかけた若いアジア人の女性が立っていた。
知っている人物だ。
﹁お久しぶりね。マクナイトさん﹂
﹂
そのアジア人女性は日本語で││当然ながら知己の彼女は私が日
本語を解することを知っている
││知人に対する型通りの挨拶をした。
﹁ミス・アダシノ。なぜわざわざこの素敵なホテルに
﹂
│なぜこのような目立つ格好をしているのだろうか││
私がジェスチャーで﹁入ってくれ﹂と促すと友禅の振り袖を翻し│
少しよろしいかしら
﹁たまたま近くを通りかかってあなたのことを思い出したの。
?
452
!
?
部屋に一脚しかない椅子に腰かけた。
化野菱理は時計塔の法政科に所属する魔術師だ。
十二の学部がある時計塔の十三番目の学部﹁法政科﹂は﹁神秘の追
求﹂を目的とする他の十二の学部とは違い、
魔術と現実社会の折衝、あるいは時計塔内部の均衡の調整など、時
計塔という組織の維持安定を目的とする。
私と少々毛色は違うが﹁根源﹂を目指してない魔術師の集まりであ
り、彼女自身もまた根源探求を﹁馬鹿げている﹂と評している。
私は共通の知人であるウェイバー・ベルベットを介して彼女と知り
合い時折仕事を頼まれるようになった。
その仕事はいつもそれなり以上にやっかいでそれなり以上に高報
酬だった。
私と彼女はティーサロンで一緒のテーブルについてアフタヌーン
ティーを楽しむような間柄でも
﹂
?
良い街だぞ﹂
提示した街の名前がピンとこなかったらしい衛宮士郎に私は注釈
を添えた。
私はセント・ジョンズ・ウッドの若い友人たちのフラットを訪ねて
いた。
言うまでもないが仕事に協力してもらうためだ。
彼らがロンドンに戻ってきてくれていて助かった。
間桐桜のその後は少々気がかりだったがとりあえずうまくいって
453
パブで酒を酌み交わすような仲でもない。
彼女がここに居るのは間違いなく仕事を依頼するためだ。
?
﹁タリン。エストニア共和国の首都だ。
﹁どこだそれ
﹂
なら大丈夫でしょう
﹁あなたに調べてほしいことがあるの。ちょっと遠くだけど、あなた
彼女は私の予想通りの言葉を発した。
××××××××××××
いるらしい。
凛とは再び姉妹に戻ったそうだ。
彼女の体の傷は癒されたが心の傷は深い。
﹂
あとは時間が解決するのに期待するしかあるまい。
﹁私たち、2人とも必要なの
自然な仕草で士郎に寄り添う遠坂凛が妥当な疑問を呈した。
﹁願わくばね。僕の勘ではこの件、人手が要り様になる。
優秀な人手ならば尚いい﹂
化野菱理から伝えられた事のあらましを話す。
かの街で幽霊が一般人に目撃される現象が相次いで起きていると
いう。
タリンは今もって中世の面影を色濃く残す街だ。
公式に﹁幽霊﹂通りと呼ばれる通りすら存在する。
ヘルシンキ在住の魔術使いが下調べを済ませていたが、その魔術師
によると
土地を覆うマナの濃度が明らかに異常とのことだった。
﹂
化野菱理は事のあらましを話し終えると最後に念を押した。
﹁マクナイトさん。私たち法政科の仕事はご存じよね
﹂
?
フィールドワークもいい経験だと前向きだったよ。
二世に相談済みだ。
﹁時計塔の研究の件ならウェイバー君に⋮⋮失礼、ロード・エルメロイ
勿論、説得の材料ぐらい準備済みだ。
凛は難色を示した。予想通りの反応だ。
﹁私は時計塔の研究が遅れてるし、士郎も助手とバイトが⋮⋮﹂
私に﹁ノー﹂と言う選択肢はなかった。
これは依頼というより要求と言った方がいい。
法政科の権力は絶大だ。
事象は解消されなければならないわ。今回も期待してるわよ﹂
ばその結果起きた
﹁魔術は秘匿されるべきもの。誰かが大規模な魔術を使ったのであれ
﹁魔術と現実社会の折衝、あるいは時計塔内部の均衡の調整だろう
?
454
?
今回ももちろん報酬は出る。エーデルフェルト嬢のパートタイム
ジョブも割は良いようだがこの仕事の報酬も中々だぞ。
経費別で1人あたり6000ユーロを提示された。
市から予算が出るそうだ﹂
凛の眼の色が変わった。そして指折り暗算を始めた。
以前にも見た光景だ。
﹂と拳を握りしめ力強く頷いた。
彼女は﹁よし
凛は早くもアイマスクをして毛布をかぶり寝息を立てていた。
小ぶりな航空機が離陸する。
賢明な判断だ。
睡眠をとるという選択を取っていた。
凛は席に着くや否や﹁お休み﹂と早速カロリー消費を抑えるために
シートピッチは狭いし機内食は有料だ。
つまりサービスもそれ相応ということだ。
らLCCとして運営されている。
エア・バルティックはラトヴィアのフラッグ・キャリアでありなが
苦渋の決断をした。
でも節約したかったため
今回も依頼主から旅費に関して十分な補助が出ているが幾ばくか
香港の一件での散財が原因だ。
理由は我々の懐具合だ。
を選択した。
今回はガトウィック空港からラトヴィアのリガを経由していく便
フルト空港を経由するが
一般的にはヒースローからヘルシンキ・ヴァンター空港かフランク
ロンドンからタリンへの直行便はない。
港行のエア・バルティック航空652便に乗っていた。
我々は午前11時出発のロンドン・ガトウィック空港発リガ国際空
﹂
﹁士郎、行くわよ
!
!
通路を挟んだ隣の先から士郎が呟いた。
455
××××××××××××
﹁アンドリュー。ありがとう。仕事の紹介⋮⋮正直助かったよ。 そろそろ和食を食卓に出すのを諦めようかと思ってたところだっ
たんだ﹂
私は﹁どういたしまして﹂を言う代わりに答えた。
﹁君も寝ておけ。カロリー消費は貧乏の大敵だ﹂
私はそのアドバイスを即座に実行に移した。
456
古都
リガで2時間30分の乗り継ぎ待ちをしタリン行の便に乗り換え
る。
到着する頃には完全に日が暮れていた。
ありがたいことにエストニアの物価は英国に比べるとかなり安い。
ロンドンなら微妙な3つ星のチェーンホテルに泊まれる程度の額
で4つ星ホテルに泊まれる。
エストニアはソビエト連邦に属していた国だが地理的には北欧に
位置する。
この時期のエストニアは摂氏マイナスまで気温が下がり日照時間
も短い。
1月から3月は雪に閉ざされる。
つまり完全なオフシーズンだ。
おかげでかなり上等なホテルに不当な程安価な価格で宿泊できた。
本来ならば節約すべきところだが人生苦ばかりでは耐えられない。
中 世 に 建 て ら れ た 豪 商 の 館 を 改 装 し た と い う 気 の 利 い た ホ テ ル
だった。
若い二人は勿論喜んでいた。
凛 と 士 郎 に は ダ ブ ル ル ー ム を 私 は シ ン グ ル ル ー ム を 宛 が っ て も
らった。
チェックインを済ませると我々はロンドンを経ってから何も口に
していないことに今更ながら気づいた。
空腹を満たすためホテルのレストランで簡単な食事をとった。
豆のスープと黒パン。一人8ユーロ。
エストニア料理はマイナーだがなかなかイケる。
物価は上昇傾向にあるとはいえロンドンに比べれば格安だ。
大量に供せられた黒パンは歯ごたえがあり満腹中枢を心地よく刺
激してくれた。
私は食事を終えると若い二人の同行者に今夜は裸の総合格闘技は
控えておいた方がいいと忠告し返事を待たずに部屋に引っこんだ。
457
その日は即座に眠りについた。
翌日。タリンはあいにくの曇り空だった。
朝六時という些か早すぎる時間に目を覚ました私はまず、部屋のテ
レビをつけた。
エストニアは小国であり、エストニア語は少数言語だ。
テレビをつけると英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語と様々な
言語の番組を見ることが出来る。
BBCニュースにチャンネルを合わせる。
キャスターによるとロンドンは今日も曇りらしい。
エストニアは終日曇りか雨とのことだった。
今日は私とって曇りの日のようだ。
ホテルはタリン旧市街中心部付近という絶好の立地だった。
現場までは徒歩数分のロケーションだ。
すばらしい。人生悪いことばかりではない。
ロビーで衛宮士郎と遠坂凛に合流した私は朝食を済ませると観光
兼調査のためホテルを後にした。
タリン旧市街はシーズンオフながら中々に賑わっていた。
カメラを手にした人々があちこちで写真を撮っている。
観光地らしい平穏な光景だ。
││こんなモノが見えてしまわなければの話だが。
﹁どう見ても異常ね。これ﹂
我々の中でも最も魔力的勘に優れる遠坂凛は一言そう感想を述べ
た。
我々三人はまず、旧市街の中心地市庁舎を目指した。
文字通りのこの地の中心たる場所だ。
レストランやバー、エストニア名物のアーモンド菓子を売る屋台な
どの観光施設が多く並ぶこの場所だが
458
持ち込んだパソコンでエストニア現地の天気を調べる。
××××××××××××
平穏な観光地の光景に夥しい数の亡霊が同居していた。
中世風の服装に身を包んだ亡霊たちは虚ろな目で広場を彷徨して
いた。
﹁ああ。そうだな。タリンはドイツとデンマークとロシアに長年にわ
たって蹂躙されてきた土地で
土地に根付いたマナは濃い部類だが、これは明らかに異常だ。
一般人の幽霊目撃が相次いでいる理由はこれで明白。問題は原因
が何かだな﹂
私も彼女の感想に対して感想を返した。
我々魔術師がラジオだとすると魔術回路を持たない一般人はただ
のアンプだ。
時折、アンテナを持たないアンプが何かの拍子に電波を拾うことが
ある。
﹂
その﹁何かの拍子﹂が今回は土地のマナの以上濃度だ。
﹁士郎。あなたはどう
﹁昨 日 ホ テ ル に つ い た と き か ら 妙 な 感 じ が ず っ と し て た け ど わ か っ
た。
この街そのものが結界だ。この街に入った瞬間に結界に入ったん
だ﹂
衛宮士郎は優れた異能を持つが純粋な魔術師としての能力は心許
無い。
町
しかし結界の探知には優れた勘を持つ。
下
ならばやるべきことは一つだ。
﹁結界の起点を探そう﹂
我々はまず市庁舎を起点にローワータウンを回った。
若い二人の同行者は初めて来たこの街に興味津々の様子だった。
あまり一般的知名度が高いとは言えないがタリンは魅力的な街だ。
旧市街には中世の街並みが極めて良好な保存状態で残されており
世界遺産にも登録されている。
高く聳える尖塔、美しい漆喰の壁、赤で統一された丸い屋根。
ヨーロッパの建物は似ているようで地方ごとに個性がある。
459
?
バースやオックスフォードやケンブリッジのようなイングランド
の古都とは全く異なる個性。
若者の瑞々しい感性は敏感に反応しているようだ。
ここは年長者らしく教授してやるべきだろう。
﹁シロウ、リン。あの建物を見てくれ﹂
我々は市庁舎を北上しピック通りに差し掛かっていた。 私は一軒の家屋を指示した。
﹁このピック通り25番地はこの街最大の名所だ。
﹂という返答が二人同時に帰ってきた。
なんとあのピーピング・トムが住んでいた家がある﹂
﹁誰それ
日本でのピーピング・トムの知名度は低いらしい。
下町の北端、太っちょマルガレータに到達する。
生憎、私の魔術回路は﹁これ﹂という感触を捉えていなかった。
これほどの規模の結界だ。
維持するには結界に魔力を供給する呪刻を複数刻まなければなら
ない。
しかしローワータウン側にはそれらしきものは見当たらなかった。
﹁これはあくまで感想なんだけど﹂
凛が口を開いた。
彼女の表情は観光客のそれから魔術師のものに戻っていた。
﹁この一帯の魔力││どこかからこぼれてきたものっていう感じがす
る。
魔力を大量にため込んだ器みたいなものがあって、そこからこぼれ
てきたモノが滞留してる││そういう感じ﹂
彼女の魔術師としての能力は桁違いだ。
の
手
恐らくその﹁感想﹂は正しいのだろう。
山
すると下町側が起点ではないようだ。
我々はトームペア城を有するトームペアを目指した。
トームペアは石灰岩でできた丘の上にある文字通りの山の手だ。
かつて権力者は高台から市民たちの生活を見張っていたらしい。
地図を手に丘を登る。
460
?
階段を上っていると背に悪寒が走った。
半報後ろを歩いていた士郎と凛を見る。
彼らは無言で頷いた。
トームペア側はローワータウン側以上の有様だった。
そ こ に は 我 々 こ ち ら 側 の 人 間 に と っ て は 発 狂 し そ う な 光 景 が 広
がっていた。
血みどろの死霊たちが闊歩している。
ここはこの世なのかそれとも向こう側なのか曖昧になるような光
景だ。
トームペアはローワータウンに比べると人通りが少ない。
それゆえに死霊の密度の濃さがより際立っていた。
我々三人はあまりの光景に絶句していた。
最初に冷静さを取り戻したのは凛だった。
やはり女は強い。
461
﹁下町側に戻りましょう﹂
彼女はそう一言、簡潔に次の行動を指し示した。
地理的にもフェリーで簡単に来ることのできるタリンは彼の主要
ストニア語も堪能だ。
アルヴァはフィンランド人だが北欧すべての言語を操り、英語とエ
に仕事をしている。
アルヴァ・サロネンは私と同じ万屋の魔術使いでヘルシンキを根城
私は同行者たちを紹介し再会の握手を交わした。
長身で金髪碧眼の男は私に手を差し出した。
﹁アンディ。よく来たな﹂
我々はその人物とホテルのロビーで落ち合い面会した。
ヘルシンキ在住のその人物にはすでに連絡をつけていた。
具体的には先んじて調査を行った魔術に話を聞くことだ。
行動として情報を収集することにした。
いったんローワータウン側のホテルに戻った我々は妥当なる次の
我々に反対する理由はなかった。
××××××
な仕事場の一つとなっている。
アルヴァは自分の分析結果をまず我々に話した。
概ね我々の調査結果と同様の物だった。
そのうえで彼はさらに別の観点からも調査を行っていた。
﹁アンディ、ついでで調べた﹂
そう言って彼が差し出したのはネット上のニュース記事をプリン
トアウトしたものだった。
リーガ、ヘルシンキ。
タリンと地理的に近接する都市で複数人の人間が昏倒する事件が
起きていた。
それもこの一か月の間に。
﹁一般人から魔力を奪ったのね。
足りないものは他所から持ってくる。誰だか知らないけどとこと
ん魔術師ね﹂
﹂と私が問うとアルヴァはしばし黙り込んで腕
462
凛はそう一言私見を述べた。
﹁他に何かないか
ん﹂
﹁夜にトームペアに行ったか
﹁正直怖くて、試していない。
?
あんたらは荒事得意なタイプだろ
行ってみてくれないか﹂
?
﹂という疑問に彼はかぶりを振った。
││ひょっとしたらこの結界の本当の姿は夜に現れるのかもしれ
空気の肌触りが奇妙というか、悪寒の激しくなるような感覚だ。
る。
込んで調査したんんだが、深夜になると街の雰囲気が変わる気がす
﹁この前、法政科のお偉いさんから頼まれて二晩ほどこの街に泊まり
彼は言った。
﹁あくまで感覚なんだが﹂
組みをし、やがて口を開いた。
?
旅人
トームペアは昼間でもさほど人通りは多くない。
タリンはロンドンのような不夜の街ではなく、深夜営業の店でも零
時前には閉まる。
アルヴァから情報を得た我々三人は夜の真夜中のタリン旧市街を
歩いていた。
アルヴァの行っていた通り。確かに昼間と雰囲気というか空気の
密度が違うように感じる。
暗く静まりかえったトーム公園を突っ切り、のっぽのヘルマンに差
し掛かる。
そこはすでに異界だった。
ラヴクラフトであれば名状しがたい何かと形容しそうなどす黒い
魔力が漏れ出している。
463
魔力的勘に人一倍優れる遠坂凛も結界に対する天性の勘をも持つ
衛宮士郎も
﹂
事の異様さに気付いているようだ。
﹁いくぞ、いいな
中世風の鎧や鎖帷子に身を包んだ騎士たちが武器を手に殺しあっ
わしい表現だった。
血で血を洗うという形容表現があるが、それはまさにこの場にふさ
夥しい量の血だった。
それは血だった。
昼間見た以上の惨事だった。
││異常な光景と共にだが。
││果たしてそれは見えてきた。
登り切ればアレクサンドル・ネフスキー聖堂が見えてくるはずだ。
濃い瘴気が漂ってくる。
壁の階段を上る。
士郎の心強い言葉を受けてのっぽのヘルマンを横目に見ながら城
﹁ここまで来たんだ。覚悟ぐらい出来てる﹂
?
ている。
片方の軍は旗を掲げそこには克明に十字が描かれていた。
彼らはデンマークからやって来た十字軍だ。
もう一方はエストニアの軍隊だろう。
彼らは何をしているのかは明白だ。
戦争をしているのだ。
だが、彼らにそれをやらせているのは││この血なまぐさい歴史を
何の目的でやっているのだ
結界を作って再現しているのは
一体誰が
その動機が全く分からない。
飛んだ。
甲冑を着てロングソードを持ったその霊体は││私の目前で弾け
私は完全に虚を突かれたいた。
霊体の殺意は生きている人間にも向くらしい。
亡霊の一体がこちらに向かってきた。
私以外の二人も呆けていた。
私は呆けていた。
一体この事件の首謀者は何を望んでいるのだ
?
いま直ぐに
﹂
一番最初に冷静さを取り戻した遠坂凛がガンドを放っていた。
﹁ここを離れましょう
!
のように夜の闇に溶けた。 男は何か認識不可能な言語のようなものをぶつぶつ呟くと││煙
金髪で長身の男だった。
男だった。
││振り返ると人が立っていた。
││ふと気配に気づいた。
我々全員が息を切らしていた。
降り切ったところで一息つく。
城壁の石段を息せきながら降りる。
を引き返す。
彼女の号令でアレクサンドル・ネフスキー聖堂に背を向け、元の道
!
464
?
?
それはほんの数秒の間に起きた出来事だった。
だがその数秒はブラックホールの重力のように重く長く感じられ
た。
同行した二人は真っ青な顔のまま黙っていた。
こういう時は年長者の対応が一番早い。
私は現実的対応策として一人の人物に電話を掛けた。
こちらは深夜だが向こうはまだ夕刻の筈だ。
目的の人物は5コールで出てくれた。
ヤツが現れた。
君にも来てほしい。可能ならマシューの旦那も││いや、ありった
けの人出を連れてきてくれ。腕の立つ人手をな﹂
﹁壮観ね⋮⋮﹂
恐怖の体験からわずか二晩後。
我々は再びタリン旧市街のトームペアに赴いていた。
そこで見た光景に遠坂凛は苦笑交じりに感想を述べた。
確かに壮観だった。
筋骨隆々とした十数人の大男たちが、手に手に火器を装備してい
る。
明らかに堅気でない男たちだ。
坊や﹂
巨大な筋肉の群れをかき分けてほっそりとした目の覚めるような
美女がこちらに向かってきた。
﹁ありがとう。君の仕事の速さはさすがだな。アンナ﹂
﹁ハイ、アンドリュー。││おやあんたも一緒なのかい
﹁ああ。また会えてうれしいよロセッティさん﹂
彼女の父マシュー・ロセッティは古株の魔術使いで顔が広くこの業
ている。
アンナ・ロセッティは腕利きの魔術使いでニューヨークを拠点にし
握手を交わした。
赤毛の美女アンナ・ロセッティ私と挨拶を交わし、士郎とは再会の
?
465
﹁アンナ、単刀直入に要件を言う。
×××××××××××××××
界での信頼も厚い。
その娘であるアンナもそうだ。
彼女の人脈を頼りに招集をかけてもらったわけだ。
これだけの人手が必要な理由は簡単。
この事象の原因は結界だが結界があまりにも大きいため崩すにも
物量が必要だからだ。
さらにこちらに敵意を向けてくる霊体の群れもいる。
それらをいなしながら一般人が寝静まっている時間帯にことを解
決するにはとにかく人手。
人海戦術だ。 私はアンナと話し合い荒くれ者の魔術使いたちに3人一組で行動
してもらうことを決めた。
結界の探知役、結界を壊す役、霊体を散らす役だ。
私は同行の若い二人と組むことになった。
﹂
﹂
466
士郎が探知役、凛が壊す役、私は霊体を散らす役だ。
﹁さて。人を集めたのはいいけど、説明は誰がする
﹁もう一発喰らいたい
﹁⋮⋮痛いじゃないか。褒めたんだがね﹂
メイウェザーでも一発でマットに沈みそうな見事な一撃だった。
次の瞬間私の腹部に見事なボディブローが決まっていた。
││なによりこの中で一番キンタマがデカそうだ﹂
﹁君が適任だ。君はハンターたちから信頼されているし
私はウィットを込めて回答した。
だ。
一通り対応を話し合うとアンナが最終判断として私に意見を仰い
?
﹁聞いてくれ。これからやることは至ってシンプルだ。
悶絶する私を横目にアンナが説明しはじめた。
﹁みんな。良く集まってくれた﹂
よろしい。いつもの反応だ。
凛は残念なモノを見るような眼で私を見ていた。
士郎は困り顔をしていた。
?
この異常事態の原因は旧市街に張り巡らされた結界だ。
結界内を回って結界に魔力を供給する呪刻を破壊する。
この規模の結果だ。呪刻はいくつあるかわからない。
三人一組のチームに分かれて分担してやろう。
﹂
呪刻の探知役、呪刻を破壊する役、亡霊の襲撃から探知役と破壊役
を守る役だ。
何か質問は
誰からも問いはなかった。
アンナには不思議と人を従わせる言葉がある。
軍隊に入っていれば優秀な指揮官になっていただろう。
﹁確認だが単独行動はするな。かならず三人以上で組んでくれ。
じゃあ、3時間後にここに集合だ。死ぬなよ﹂
その言葉で荒くれ者たちは散会した。
私は同行の二人と準備に入った。
﹂という士郎の素朴な問いに私は答えた。
私は竹刀袋││祖父の遺品だ││から一本の金属棒を取り出した。
﹁それは何だ
﹁銀製のスティックだ。もともとはどこかの貴族のお屋敷で火かき棒
として使われていたものだが
骨董市で買い取って使いやすいように手を加えた。
﹂
﹁では、タリン旧市街夜のウォーキングツアーと行こう﹂
﹁││ホント。あなたといると退屈しないわね﹂
凛がそう、ありがたい評価を下してくれた。
士郎が呪刻を探し、凛が解除。
私は二人が各々の作業に集中できるよう露払いをする。
我々の作業は順調だった。
魔術使い軍団のアヴェンジャーズ招集も効果覿面だっだ。
タリン旧市街は1マイル半四方ほどの狭いエリアだ。
467
?
?
銀は祝福された物質だからな。霊体を祓う効果がある。君たち、準
備はいいか
?
若い二人は頷いて答えた。
×××××××××××××××
﹂
三時間もすると彷徨う亡霊の数は減り、土地を覆う瘴気は薄くなっ
てきていた。
﹁シロウ、まだ何か感じるか
そろそろ撤収のころ合いと思った私は士郎に確認を込めて聞いた。
﹁││ああ。残念だけどまだ一番重要な部分が残ってる﹂
士郎は自らの感じた感覚について語った。
﹁呪刻を一個消すたびに、それがどこか別の場所に集約されていくよ
うな感覚を感じた。
最初のうちは気のせいだと思ったんだけど、結界が崩れ始めてはっ
きりわかった。
││その集約先に一昨日の夜見た﹃アイツ﹄がいる﹂
﹁アイツ﹂つまりこの事態を引き起こした張本人。
あの血の気の引くような圧倒的な存在。
できれば対面したくないが我々の任務は事象の解消だ。
その原因がどこにいるかわかるならば対面しなければいけない。
この中でもっとも現実的思考力のある凛に意見を求める。
﹁││仕方ないわね﹂
彼女は何秒か考え込むとそう答えた。
士郎の先導で石畳の道を歩く。
昨日スタート地点にしたアレクサンドル・ネフスキー聖堂の前で士
﹂と私が問うと﹁残念ながらね﹂と彼は答えた。
郎が足を止めた。
﹁登るのか
旧市街の全貌を見渡せる絶好のロケーションだが登るたびに悪寒
が強くなってくる。
長く急な階段を上がり鐘楼にたどり着く。
昼間は観光施設として解放されているが夜中にもちろん人はいな
い││はすだった。
そこに﹁ソレ﹂は居た。
二晩前に見たあの男だ。
男は黒ずくめで金髪で長身で碧眼だった││ように思えた。。
468
?
アレクサンドル・ネフスキー聖堂の長い石段を登る。
?
その眼は碧眼に見えたがそれ以上にどす黒かった。
下水の底に沈んだ泥水すら明るく見えそうな││そんなどす黒さ
だった。
私は完全に硬直し、同行した二人も硬直した。
聖杯戦争を勝ち抜いた二人すらも硬直していた。
⋮⋮1分だったか、1秒だったか、1時間だったか。
完全に感覚が狂い、100年と10秒の違いも分からなくなってい
た我々には
一体それがどれほどの時間だったかわからない。
とにかくしばらくか一瞬か沈黙が続いた後、男が言った。
﹁この地ではこれが限界か⋮⋮﹂
そういうと黒ずくめの巨体は夜の闇に溶けて行った。
た。
﹁何なの、アレ⋮⋮﹂
どこか遠くで凛が呟いたように感じた。
その日を最後にタリンの怪奇現象はプッツリと途絶えた。
街はただの観光地にもどり荒くれ者の魔術使いたちは引き上げて
行った。
我々は経過観察のために3日ほどさらにとどまったが奇怪なこと
は何も起きなかった。
﹂
3日間を人の金での観光という最高に有意義に過ごし、我々は帰路
についた。
﹁アレって結局何だったのかしら
ねえ、アンドリュー。あなた何か知ってるんでしょ
空港の待合室。
特に隠すことでもない。私は用意していた説明を頭から述べた。
彼女は敏い。私の振る舞いで気づいたのだろう。
呈した。
経由地のフランクフルト行きの便を待っていると凛がそう疑問を
?
?
469
後にはまるでもともと何もなかったかのように、夜の闇だけがあっ
×××××××××××××××
実在するの﹂
都市伝説でしょ。
﹁ジャーニーマンを知っているか
﹁え
││ウソ
﹁実在するんだよ。これが。
﹂
?
相対したのは初めてだがね﹂
﹂
﹁待 っ て、土 地 の 怨 念 を 再 現 す る な ん て 異 常 な 術 よ ね
なっていないの
封印指定に
僕自身、ジャーニーマンに遭遇するのはこれで2度目だ。目の前で
その度に僕らヤクザ者の魔術使いが対処してきた。
ションを開催し
ヤツはほぼ5年のサイクルで現れ、どこかの土地で恐怖のアトラク
?
﹂
?
﹁││つまり
﹂
発狂して奇怪な行動に走るようになったと言われている﹂
正教会の神父で
﹁いくつかある噂の一つに過ぎないがジャーニーマンは元もとロシア
だった。
今度は士郎から疑問が向いた。魔術師らしくない、彼らしい質問
﹁なあ、アイツ。何のためにそんなことをしてるんだ
凛は黙りこんだ。﹁信じられない﹂という様子だった。
彼は語っていたよ﹂
﹃僕が人生で唯一恐怖した瞬間はジャーニーマンと相対した時だ﹄と
るがクロウリーですらできたのは結界の解体だけだ。
興味を示したサマセット・クロウリーが自ら現場に赴いたことがあ
に委託するようになった。
いつごろか解析を諦め、事象の解消のみをヤクザ者のフリーランス
みたがことごとく失敗した。
それ以来、ジャーニーマンの術に関心を持った魔術協会は解析を試
ジャーニーマンが初めて目撃されたのはクリミア戦争の時だ。
﹁魔術協会は匙を投げたのさ。
?
﹁││つまり、狂人の行動に理由などない。そういうことだ﹂
?
470
?
?
帰りのフライトは快適だった。
エコノミークラスだがシートッチは狭くないし機内食も出る。
経由地のフランクフルト空港もすこぶる快適だった。
ロンドンに着き若い二人と別れると、仮住まいであるエミールのホ
テルにチェックインする。
荷物を下ろし部屋のベッドに寝転がるとモバイルフォンが鳴った。
+81。日本からの電話だ。
慎重をきして小粋なジョークなしで電話をとった。
電話の主は両儀家の母親の方。私の旧友、両儀式だった。
式は娘からの││正確には私からのアドバイスを受けた娘からの
プレゼントを事のほか喜んでいた。
彼女からの感謝の言葉に﹁ああ、喜んでくれてよかった﹂と私は型
通りの言葉を返した。
少し雑談すると私は﹁では﹂と辞去の言葉を発した。
﹂
﹂
471
﹁また来いよ。未那もお前に会いたがってたぜ﹂
﹂
﹁そうだな。では君とミキヤがマナの弟か妹を生産する行為を休んで
いる日を事前に教えてくれ。
お邪魔になると悪いからね﹂
﹁││お前。余計な一言を添えないと会話できないのか
﹁性分なのでね。では、また﹂
電話を切ると今度は扉を誰かがノックした。
このパターン、既視感のあるパターンだ。
私は法政科の魔術師、化野菱理を迎え入れた。
﹁やはり来たか。入ってくれ﹂
良そう通り友禅の振袖をきた女性が扉口に立っていた。
?
﹁ミス・アダシノ。君は今回の件の首謀者に見当がついていたんじゃ
ないか
お得意の推論
彼女が座るや否や私は言った。
﹁どうしてそう思うのかしら
?
﹁推論などというものではない。ただの印象だ。
?
?
君は底知れない人だ。どんな能力なのか見当もつかないが魔眼持
ちなのだろう
﹂
君のような優れた術師が見当もついていないものを依頼するよう
な浅はかなことはしない。
そう思っただけだ﹂
彼女は何も答えなかった。
この沈黙は肯定の沈黙に思えた。
﹁ねえ、この世界は神秘に満ちているわよね
﹁ああ、そうだな﹂
ロンドンには夜の闇が迫っている。
ていた。
ヒーターで滞留した空気に彼女が残した不思議な香の匂いが漂っ
た。
彼女はクスリと笑うと来た時と同じように振袖を翻し去っていっ
﹁じゃあ、これからもよろしくね。マクナイトさん﹂
?
あの闇の中に、まだ私も知らないような闇すら輝くような闇がある
のかもしれない。
なぜかふとそう思った。
472
?
あだしのひしり
設定│エストニア紀行
・化野菱理
オリキャラではありません。
﹃ロード・エルメロイ二世の事件簿﹄のキャラクターです。
設定は基本、原作準拠です。
・タリン
エストニア共和国の首都。人口およそ42万人。
ラトヴィア、リトアニアと合わせてバルト三国と通称される。
旧ソヴィエト連邦の構成国の一つですが地理的には北欧に近く、現
在は通貨もユーロが
使われています。
エストニアと言われても全くピンと来ないと思いますが旧ソヴィ
エト連邦でありながらエストニアは結構裕福な国でバルト三国では
随一の経済力を誇ります。
特に産業として有名なのがITでエストニアと言われてピンと来
なくても﹁Skype﹂と言われれば多くの方がご存じなのではない
でしょうか。
そう。実はSkypeはこのヨーロッパの小国で誕生しているの
です。
国内のどこに行くにも一日で行けてしまうような小国で見どころ
がそんなにあるわけではありませんが首都タリンの旧市街は見もの
です。
この旧市街はヨーロッパの旧市街でもとくに保存状態が良く、中世
の頃に建てられたレンガ造りの建物が当時さながらの状態で残って
います。
街がコンパクトで歩きやすくただブラブラ街歩きしたいという趣
味の方には特におすすめです。
・エストニア料理
旧ソヴィエト連邦であるためロシア料理の影響が強いです。
スープ類が豊富でボルシチ︵ロシア料理と思われがちだが実はウク
473
ライナ発祥︶
eat soup
︵スープを食べる︶
豆のスープなど食べごたえのしっかりとしたスープが美味しいで
す。
英語でスープを飲むこと
見当たりませんでした。情報が古かったのでしょうか。
のことでしたが
地球の歩き方によるとその場所にピーピングトムの銅像があると
いの家の娘の動向をピーピング︵監視︶していたそうです。
タリンのピック通り25番地に住んでいたピーピングトムは向か
話。
一人その姿をこっそり覗いていたのがトムという男だったという逸
した時、他の町民がゴダイヴァ夫人を気遣って野次馬を控える中ただ
由来はゴダイヴァ夫人が町民のために一糸まとわぬ姿で町を闊歩
英語で﹁覗き魔﹂﹁デバガメ﹂のこと。
・ピーピングトム
ワークラフトが供されることも多いです。
噛みごたえのしっかりした黒パンが主食で、添え物として蒸したザ
想で作られていることが分かります。
と言いますがヨーロッパのスープは基本的に﹁食べるもの﹂という思
"
ちなみに﹁デバガメ﹂は﹁出っ歯の亀太郎﹂という人物に由来しま
す。
474
"
ハードボイルドワンダーランド
襲撃
ある凍てつくように寒い日の夕暮れ。
私は夕食を取りに出ようとホテルの出口に向かっていた。
するとホテルのレセプションでオーナーのエミールと我が友人、衛
宮士郎が何やら話していた。
﹂とこの素晴らしい宿泊施設を訪
﹁アンドリュー。いいところに来た﹂
私が士郎に﹁一体どうしたんだ
問してきた理由を問おうとすると
給
料
男
会
社
員
あんた何してる人なんだって聞いたら、その客はサラリーマンだっ
﹁今日、珍しく日本人の客が来たんだ。
先んじてエミールが私に問いかけた。
?
本当か
﹂
ここは年長者らしく場を納めなければならないな。
﹁エミール。サラリーマンというのはだな⋮⋮﹂
エミールは姿勢を正しこちらを向いた。
士郎は不安そうに私の方を向いた。
﹁明治維新で滅んだサムライという身分の代わりに作られた日本独特
の職業だ。
彼らは企業に雇われて会社の上層部に謀反を起こそうとしている
社員がいないか監視する。
﹂
謀反を起こそうとした社員を見つけたらその社員にセップクを命
じるんだ﹂
﹁セップ⋮⋮何だって
エミールが聞き返した。
?
475
て言ってたんだが
サラリーマンって一体何だ
?
こ の 少 年 の 説 明 だ と サ ラ リ ー マ ン は オフィスワーカー の 意 味 だ っ
て言うんだが
?
士郎はいつものように困った顔をしていた。
?
﹁セップク。自分で自分の腹を切る行為だ。セップクは日本人にとっ
て最も名誉ある死に方で謀反を計画した人間は極刑に処せられるが
慈悲として切腹する権利が与えられる。サラリーマンは切腹の際
の介錯人を務める。
苦しまないよう腹を切ったらその社員の首をサムライソードで刎
ねるんだ。だからサラリーマンは例外なく剣術の達人だ﹂
﹁アンドリュー。間違った日本観教えるなよ⋮⋮﹂
﹁サラリーマンはオフィスワーカーのことですよ﹂と士郎はさらに重
ねて説明したが言葉を意味通り受け取ってしまう性質の
部屋で話そう﹂
エミールはやはり納得していない様子だった。
﹁さて、ここに来たのは僕に用だろう
私は尚を得心いかない様子であるエミールを尻目に士郎を連れて
部屋に向かった。
粗末な部屋に入り、ドアを閉める。
﹂
s h o t e l. A s s
oon as practicable. Andrew
士郎はベッドに手を当ていつもの詠唱を唱えた。
今や気心知れた相棒となった士郎は即座に意図を理解した。
貧相なベッドをひっくり返しその後ろに隠れる。
胃の奥から嫌なものがこみ上げてくるのを感じた。
書いた覚えがないということだ。
その紙片に書かれた筆跡は私そっくりだったが私はそんなメモを
だが問題があった。
シンプルないい文章だ。
そう紙片に書かれていた。
リュー︶
︵シロウへ。エミールのホテルに来てくれ。可及的速やかに。アンド
"
476
?
'
私が椅子を勧めると士郎は座りながら一葉の紙片を渡した。
To Shirou
﹁これ、置いたのあんただろ
?
M e e t m e a t E m i l
"
同
調
開
始
﹁trace on﹂
強化。基本となる魔術の一つだ。
士郎の魔力を込められたマットレスは貧相な羽毛と布の塊から堅
牢な盾となり
飛び込んで来た無数の鉛玉をはじいた。 マットレスから逸れた銃弾は花瓶を粉々にして窓ガラスをぶち破
り古臭いだけのみすぼらしい部屋を
ニキ・ド・サンファルのモダンアートのような芸術的空間に変貌さ
せていた。
私は聴力を強化し部屋の外に意識を向けた。
││廊下に五人。
││下の階に更に数人。
敵は明らかに統率のとれた組織だ。
恐らく装備も安物ではない。
477
我々は機械が苦手な凛のことを慮りメモというアナログな手を使
うことがある。
﹁可及的速やかに﹂などいかにも私の好みそうな表現だ
敵は我々のことをよく調べているようだ
銃弾で蜂の巣にされかける覚えは山ほどある。
バックにいるのは私が怒りを買った魔術関係の誰かで間違いある
まい。
だが直接の下手人は近代兵器を使っている。
魔術関係者ならばこんな手は使わないはず。
ドンバチ騒ぎを起こすなら結界ぐらい張りそうなものだがそれを
しないところを見ると
襲撃者は魔術関係者ではないようだ。
﹁シロウ﹂
銃弾の音に消されないよう声量を上げて行った。
﹂
﹁盾を前面に置いたまま入り口まで移動するぞ﹂
﹁その先は
﹁僕が隙を作る。君の得意の近接戦闘の出番だ﹂
?
士郎は私の言葉に強く頷いた。
強化したマットレスの盾を前面に置いたまま前進し
外れかけていたドアを蹴り破って飛び出すと魔術を行使した。
閃光魔術。
基本的な魔術の一つだ。
敵は魔力抵抗のない一般人。
効果覿面だった。
武装軍団の群れに士郎は飛び出していった。
手にはいつもの中華剣ではなく二振りの日本刀が握られていた。
以前に見せてもらったことがある。
鈴鹿午前の振るった宝剣。大通連、小通連だ。
衛宮士郎の投影魔術は特別性だ。
武器そのものだけでなく武器を振るっていた英雄の経験までも投
影することが出来る。
ライフルとナイフは高級品だが格好はラフなTシャツの上にチェ
ストリグ。
良質な装備に加えて恐らく高度な訓練を受けている。
士郎が飛び出した途端ナイフに持ち替ていた者がいたが同士討ち
を避けるためだろう。
このような狭い場所で銃弾を放てば跳弾で仲間が思わぬ負傷をす
る可能性もある。恐らくそこまで計算しての行動だ。
478
常人離れした身のこなしで二対の刀を振る。
﹂
武装集団は瞬きの間に意識を刈り取られていた。
﹁峰打ちだぞ
﹂
?
ドアの後ろに身を隠しながら士郎が当然の疑問を口にした。
﹁あいつら何者だ
まったく。小粋な会話の時間も持たせてもらえないのか。
が不人気で良かった││に飛び込みドアに強化をかけた。
我々はほぼ同時に空き部屋となっていた隣の部屋││このホテル
下の階から複数の足音が駆け上がってくる。
﹁だと思ったよ﹂
?
軍服を着ていない軍事作戦を敢行するとなる者となると││恐ら
く傭兵と呼ばれる類いの者だろう、
問題は誰に雇われたかだが││私一人が対象ならば心当たりが多
すぎて見当がつかなかっただろう。
だが今回の敵は明らかに士郎のことも対象範囲に含めている。
となると敵は相当絞れる。
銃弾が夏の通り雨のように降ってくる。
強化をかけたドアの後ろで銃弾をやり過ごした私は、カチリという
弾丸がつきる音を鋭い聴覚で捉えると、ヒップホルスターから
H&K USPを引き抜き、壁面の強化がかかっていない部分に向
かって5発の弾丸を放った。
壁の向こうで誰かがうめき声をあげて倒れる音が二つ聞こえた。
膝を狙ったがうまくいっただろうか。
しかし五発中二発か。
あろう敵に向かって語りかけた。
倍払うから攻撃を止めてをも
﹁依頼主の名前は知らん。報酬は百五十万ドルだ。あんたら一人につ
きな。
﹂
﹂
となるとあんたら二人を見逃すには六百万ドルが必要になる。
払えるのか
声が返って来た。
中西部訛りの北米英語だった。
﹁ああ。勿論。五百年ローンでいいか
私の弁舌は火に油を注いだだけだった。
交渉決裂。
私のジョークが気に入らなかったらしい。
返答の代わりに銃弾の雨が降って来た。
?
?
479
ペナルティーキックのキッカーだったらブーイングを浴びせられ
る成功率だ。
﹂
﹁ホーエンハイムにいくらで雇われた
らえないか
?
銃弾の雨の切れ目に私は壁の向こうでマガジンを交換しているで
?
とにかくこの状況は不味い。
さて次の策は││という私の思考は室内はに不自然な風切り音で
遮られた。
壁の向こうで人が切り裂かれる音が聞こえ、続けて人が倒れる音が
した。
風を使った攻撃魔術だ、
こんな芸当が出来る人間を私は一人しか知らない。
そして壁の向こうから予想通りの人物の声がした。
﹁手打ちになったかと思ったが。ホーエンハイムの妄執もなかなかの
ものだな﹂
声の主、風宮和人はそう言った。
彼はドアを開け穴だらけになった部屋に入って来た。
﹁悪いことをしたな。マクナイト君。衛宮士郎君。示談が完全ではな
かったようだ﹂
480
魔術の名門ホーエンハイムといざこざを起こした一件の後、私は火
消しを権力者である風宮に頼んでいた。
彼とは友人ではないが貸しがある。
快くではなかったが彼は引き受けてくれた。
そのため表向きは私と士郎が破壊したホムンクルスは誤解による
戦闘から風宮家の術者が破壊したものとなっていた。
︵※エピソード﹁未完成ロマンスの結末﹂をご参照ください︶
ミスター・カゼノミヤ﹂
﹁ギ リ ギ リ の 危 険 な 状 況 で 現 れ る と は。あ な た に も ヒ ー ロ ー 願 望 が
あったということですか
﹂
もはやあれは無形文化財だ。あれほど食材を乱暴に扱えるのは西
でも食して帰るさ。
﹁私自らが出向いたのが何よりの謝罪の証しだ。ウナギのゼリー寄せ
﹁もう行かれるのですか
そしてそのまま我々に背を向けた。
そう何の感慨も感情も感じられない口調で彼は言った。
を察知するのが遅れた。それだけだ﹂
﹁複数個所を経由してならず者の傭兵を雇ったようだ。おかげで動き
?
?
側社会では君たち英国人とオランダ人ぐらいだ。誇っていいぞ﹂
彼は何事もなかったかのように去って行った。
﹁シロウ。巻き込んで済まなかったな﹂
﹂
﹁いや、アンドリューは悪くない。あの時、あんたが止めても俺は行動
してた﹂
﹁それもそうだな。││ところで怪我はないか
﹁ああ。大丈夫だ﹂
﹂と聞くと﹁ならば家
﹁それは良かった。リンに聞かせる怪我の口実を考えなくて済むな﹂
﹁これから夕食を取りに出るが君はどうする
に食べに来いよ﹂とありがたい申し出をしてくれた。
私はありがたく受けることにした。
穴だらけの壁から真冬の寒気が吹き込んでいた。
﹁今夜も寒くなるな﹂と私は思った。
481
?
?