ドイツの精神はどこに宿るのか?

南ドイツ新聞
文芸欄
(2015 年 3 月 3 日(木))
ドイツ、バイエルン州、ミュンヘン
9頁
ドイツの精神はどこに宿るのか?
フライブルク大学のフッサール=ハイデガー講座が脅かされている。これは恥ずべきことだ。
マルクス・ガブリエル
2008年から2009年まで私はニューヨークのニュースクールで教鞭を執った。そこで
はかつて、マルティン・ハイデガーの二人の弟子であるハンナ・アーレントとハンス・ヨナスが
講座を担当していた。私はドイツに戻ることに決めたが、それを思い止まらせようと、アメリカ
人の或る有名なヘーゲル研究者が私にこう言った。「何故帰られるのですか?ドイツの精神(ガ
イスト)は今やまさにアメリカに宿っているのですよ!」彼が念頭に置いていたのは、ドイツ古
典哲学者たちとの対決が主にアメリカに委譲されているということである。想像できようか、ア
メリカの諸大学にて全てがより良く為されているが故に、我々ドイツ人はカント、ヘーゲル、ニ
ーチェ、フッサール、そしてハイデガーを等しくアメリカに引き渡して、むしろアメリカ人現代
哲学者たちに関する諸論文を好んで書きたがる、ということを。それと関連して、致命的なまで
の感情移入や敗北主義的な小心によって、哲学の場所としてのドイツが脅かされている。そして、
まさにこうした空気の中で、フライブルク大学は今やその偉大な哲学的伝統を放棄しようとし
ている。つまり、エドムント・フッサール及びマルティン・ハイデガーの講座が廃止されようと
しているのである――論理学及び言語分析哲学のジュニア・プロフェッサー職のために。
フライブルクを脅かしているのは、裏工作や田舎染みた大学政治の陰謀によって操られた動
きの内にある、自殺行為とも言える哲学の自己廃止である。まさにその哲学によって、フライブ
ルクは国際的に名を馳せることになったにもかかわらず、である。その口実とされているのは、
ハイデガーが――ナチズムへの掛かり合い故に――あまりにも問題を孕んでいる人物であると
いうこと、そしてフッサール研究のためには講座は必要ないということである。しかし、ハイデ
ガーにはナチズムへの掛かり合い以上のものが付随している。ここでは、ただ事例的にマルティ
ン・ハイデガーに対する批判的な影響作用史と結びついている名前を挙げておこう。アーレント、
ハンス・ヨナス、エルンスト・トゥーゲントハット、サルトル、メルロ=ポンティ、デリダ、レ
ヴィナス、フーコー、ハーバーマス、ローティ、ブルデュー、ヒューバート・ドレイファス、ガ
ダマーである。この一覧表には時代批評に従事した第一級のユダヤ人思索者が名を連ねている。
彼らにとって、ハイデガーを読むことがハイデガーを崇拝することと等しいわけではないとい
うことは、早くから明らかだったのである。
『黒ノート』を理由にハイデガーから逃れることはできない。求められているのは批判的研究
1
である。
国際的な現代哲学の高いレベルにおいてハイデガーという事例を歴史的-批判的に究明するこ
とをせず、どうやら我々は100巻に及ぶ彼の全集の前で目を閉じようとしているらしい。ハイ
デガー論争に別れを告げ、そして他の者たちに、とりわけアメリカ、フランスあるいはアジア諸
国の人びとに、批判的再検討を任せてしまうのである。その代わりにフライブルクでは言語分析
哲学を重点的な研究領域として構築しようとしているが、そんな事ではどのみち諸々の名高い
研究拠点と肩を並べることはできない。そして、そのようなやり方では、我々はハイデガーから
逃れることはできないのである。この度の一連の出来事はドイツにおける哲学の問題点を示す
徴候である。つまり、聖像破壊がゆき過ぎて、不健全なまでになっているのだ。我々は伝統をわ
がものとするような仕方でこれを克服することを怖れているのであろうか?
ハイデガーの政治的過誤については以前から周知の通りであるにもかかわらず、フッサール
とハイデガーは世界的に見ても20世紀の最も重要な哲学者という地位の候補者とみなされて
いる。両者は目下、分析哲学に由来するアングロアメリカの哲学において、そして、その心の哲
学、存在論及び形而上学において、再評価されている。この二人の思索者たちがフライブルクの
名声を決定付けている。彼らのために国際色豊かな客員研究員たちがブライスガウに集まり、そ
の地の名高いドイツの大学にて現象学と解釈学の最新の状況を知ろうとするのである。
こうした諸々の趨勢はフッサール=ハイデガー講座にて展開され、そして哲学分野を越えて
広く精神諸科学に影響を与えている。フランスでは、現象学が今日まで指導的な役割を担う論陣
であり、この事はサルトルからジャン=リュック・マリオンまで、そしてさらに彼らを越えて届
いている。アメリカでは、ハーバードからイエール、そしてバークレーといったほぼ全ての著名
な大学にハイデガーの専門家がいる。解釈学は、哲学を精神諸科学と接触させ続けようとする、
これまでで最新の偉大な試みであった。ハンス=ゲオルク・ガダマーが――彼はハイデガーの多
くの傑出した弟子の一人だが――解釈学者として指摘していたことは、我々が生活世界を自然
、、
、、
科学的には決して完全には説明しえないため、生活世界を(自然科学とは異なる仕方で)理解し
なければならないということである。このことはあらゆる対話や古典的な哲学者の著作の読解
にあてはまる。アナクロニズムを、また、過去のものや未知のものに乱暴な先入観を投影して押
し付けるようなことを避けるためには、自らの時代、自らの立場との対決が不可欠である。こう
した反省の遂行のために、現象学と解釈学があるのだ。
『黒ノート』の出版によって、マルティン・ハイデガーの反ユダヤ主義的な信条は、これまで
よりさらに明確に提示された。しかし、それはただ以下のことを意味しうるだけであろう。つま
り、とうに周知であったナチズムへのハイデガーの掛かり合いは、今や入手可能となったこの文
書を手がかりにした適切な仕方で、さらに究明されなければならないということである。その政
治的な態度決定によって、ハイデガーはどの程度哲学的思索者としてもまた腐敗していたので
2
あろうか?この問いは、いつでも論争を喚起してきたハイデガーとの対決と同様に、古いもので
ある。今や漸くその疑問を学術的に取り扱うことができるようになった。実際のところ、ハイデ
ガーに関するこうした研究はドイツ内ではまだ着手されていなかったのである。
しかし、フライブルク大学はむしろ好んでフッサール=ハイデガー講座を廃止しようとして
いる。フランクフルター・アルゲマイネ新聞が数日前にそれについて報道したが、フライブルク
大学の学部長(彼自身、哲学畑の人なのだが!)はその際、当該講座(の教授職)が分析哲学の
ジュニア・プロフェッサー職に変更される予定であるということを認めた。これは恥ずべきこと
であり、その背後には学内では周知のいかにも講壇風の内輪もめが隠されている。バーデン新聞
によれば、若手研究者の援助が目的だというナンセンスな弁明が試みられているらしい。
これは簡単に見破ることのできる皮算用である。一つの講座に共同職員ポストが配置され、そ
のポストに就いた若手研究者は教授職に必要な能力を身につけることができる。加えて、その講
座の所有者が一人いる。それ故、現在計画されているようなただ一つのポストではなくて、その
配置に応じて少なくともまる二つのポストが生じる。では、何故講座(の教授職)を若手研究者
たちで埋めるべきではないのであろうか?その資格を彼ら若手は学位取得・教授資格取得・出版
を通して得るではないか。実情は次の通りである。則ち、正当化できるような事象上の根拠を欠
いたまま、フッサール=ハイデガー講座は、現象学及び解釈学もろとも抹消されかけているのだ。
陰謀の詳細は鼻をつまむような下らないものだ。事態をことさら醜くしているのは、現在の講
座所有者であるフィガール氏が――彼は世界的知名度のある創造的な現象学者にして解釈学者
なのだが――ドイツ学術振興協会(DFG)の特別研究領域の助成金申請に共同で参加し、これに成
功している事実である。彼がその為に大学当局に要求した条件は、年金受給開始年齢を越えた6
5歳から67歳までの期間も在職して精神科学上の討議に従事する事である。大学法規に照ら
して、ここには何の問題もない。また、この事は、大学当局が認可して、その成功によって当局
自身が利益を得ている助成金の申請書類に記されているのだ。ギュンター・フィガール氏はそれ
で法的手段に訴えたのである。この件は法廷で審議中である。
残された希望は、フライブルク大学当局がその義務を全うして、フライブルクを哲学の世界に
おいて決定的に周縁化してしまうような陰謀に対して対抗することである。そしてより良いの
は、国際的に定評のある重点的研究領域の拡充であろう。フライブルクで例えば以下のように事
が運ぶのである。歴史的-批判的なハイデガー研究に重点を置いた現象学・解釈学のために、フ
ッサール=ハイデガー講座の公募が行われ、国内外からのトップクラスの志願者たちが簡単に
見出される、というように。
マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel)
ボン大学の認識論及び近現代哲学の教授。最近ズールカンプ出版から著書『新実在論』を出版。
3