Information of Ligne Roset

Information of Ligne Roset : SPECIAL EDITION Ⅱ
ショップインテリアの演出からファニチャの創作まで、
フランスを中心に活躍する新進気鋭デザイナー
“Didier Gomez” ベールに包まれていた彼の真実が
明らかになります。
今回の ‘Information of Ligne Roset’ では、日本で初
めて彼への独占インタビューに成功。これまで誰も知
りうることができなかった彼の「素顔」が明らかになり
ます。
ヨーロッパを代表するインテリアブランド ‘Ligne
Roset’ 彼の Roset 社創作チームへの参加は、次の世界の家具を生み出すものとして 、今最も注
目を集めています。
彼のインタビューを行ってくれた Mrs. Maya Todeschini はこう語ってくれています。
これは、2 時間以上続いた、大変楽しく、心地よいインタビューでした。
Gomez 氏は有名なデザイナーだけではなく、チャーミングで、特に暖かい人でした。
また、内緒ですが、彼は写真よりもずいぶんハンサムです。
彼はパリの中心部で、バスティーユ地区の近くの美しく、広々としたアパート(ロフトタイプ)に住
んでいます.そこは、以前工場として使われており、かなりの広さで、Gomez 氏がガーデンに変え
た中庭があります。インテリアデコレーションは、シンプルで落ち着きがあり、エレガントです。
彼は忍耐強く私の質問全てに答えてくれました。彼自身、デザインに限った話題よりも、彼の生い立
ちや生活に対する一般的な彼の哲学などを話す事に、より興味を示していたようです。より現実的で
実用主義的な Pascal
Mourgue に比べると、Gomez 氏は芸術的なタイプです。
何といっても、彼はかつてプロのオペラ歌手で、熟達したピアノ奏者です!(彼のリビングルームに
は、大きなコンサートピアノがあります)非常に教養のある人で、彼のアイデアは芸術、音楽、文化、
歴史の幅広い知識からきています。彼はまた、国際人としての多岐にわたる教養も持ち合わせていま
す。常に旅行に行き、外国やその文化を愛しています。モロッコやケニア、日本のようなアジア諸国も。
Gomez 氏は完全に独学であるという事実は、私にとって最も印象的なことでした.彼は一度もデザ
イン学校に行ったことがなく、インテリア建築学の卒業証書も持っていません。彼は直感(本能)、
彼自身のテイストに従い、正しいコンタクトで、成功していったのです。
この事は未来ある若者たちにも希望を与えてくれます。Gomez 氏のデザインへのアプローチはとて
も面白いと思います.独創的で、個性的だけではなく、常識があって、人情がある。
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彼の Roset 社との関係はとても密接しています。彼は本当にこの会社を尊敬しており、彼らは真の
パートナーシップを築いています。
最後に、インタビューは私にとって大変楽しい経験となりました。Gomez 氏は一緒に働くには素晴
らしい人に違いありません。聡明だけれど、謙虚で、素晴らしいユーモアのセンスがあります。
誕生日と生誕の地を教えてください
1953 年 1 月に生まれで、水瓶座、中国の星占いによると竜らしいです。私はフラン
スの中央部、Vichy 市に近い Bourbon(ブルボン)の田園地方(le
Bourbonnais)の
中心部で生まれました。
ご両親のことについて聞かせていただけますか?
私の両親はスペインから来ました。彼らはスペイン内乱直後、フランスに移住しま
した。彼らはフランコ(スペインの軍人、内乱の総統)に対抗していたので、国を去
らなければならなかったのです。フランスに来てから、彼らはナチスに対してフラン
スレジスタンス(抵抗)となりました。ですから、彼らは 4 年間スペイン内乱戦争で
耐え,4 年間はレジスタンスでした。8 年間も隠れた生活をしなければならなかったの
です!
彼らはとても困難な人生を歩んできました。私の父は戦争のため、職業をあ
きらめなければならなかった。彼はそのことでかなり苦しみました。
あなたのお父様はどのようなお仕事をされていたのですか?
彼は医学を勉強し始めていました。が、戦争が始まるとすぐに止めさせられました。
それから彼は会計士になりました。彼は実際、望んでいない人生を強制されたのです。
成功できなかった事実に苦しんでいました。これ事は私にとって非常に影響を及ぼし
ました。 常に思っていました「 40 年間も幸せでない人生を後悔しながら、どうやって
過すことができるのだろうか?」と・・・
私の両親は、戦後、一度も全てをやり直す勇気を持ちませんでした。 彼らは疲れ果
てていたのです。 わかりますか? 内乱戦争は、異常なくらい苦しい経験を強いられ
るのです。私の父の家族全員は、フランコ(スペインの軍人、政治家、スペイン総統)
賛成派だったのです。彼と彼の兄だけがフランコに対立していたのです。 つまり、彼
自身の家族内でさえも、戦争が起こっていたのです。
あなたのお父様はとても勇敢な方だったのですね…
ええ、確かにそうでした。 しかし、彼はそのことで高い代償を払いました。 彼は
彼自身の政治的な考えのために、人生で多くの事を失ってきたのです。 彼はそれに気
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づき、とても悲しみました。しかし、私の両親について、自慢な点が一つあります。
それは、両親が本当にお互い、とても愛し合っていたことです。 それは本当に素晴ら
しいことだと思いませんか!
ご両親は、あなたのプロとしての成功をとても喜ばれているに違いないでしょう…
ええ。私は、彼らが出来なかった成功に到達できました。 私は運命の敵討ちをした
のです。つまり、彼が落としてきたものを取り返すことです。 私が大きくなった時、
父が幸せでなかったことを知りました。だから、成功したい!もっと良くなるために、
人生を変えたいと強く願望したのです。
フランスでの幼年時代、外国人に対してかなり人種差別があったのでは?
そうですね。 私が小さい頃はたくさんありました。 彼らはスペイン人の名前を「汚
いスペイン人」「ペンギン」(フランス語でスペイン人を表わす言葉)などと呼んでい
ました。 我々が郊外の中心部に住んでいたことを覚えていますか? 当時 外国人は、
ほとんどいませんでした。
ご兄弟はいらっしゃいますか?
妹が一人います。 上手くやっていますよ。彼女はパリに住んでいて、エールフラン
ス航空の客室チーフを仕事としています。私たちは全然違いますが、とても仲良くや
っています。
あなたのキャリアについてお聞かせください
16 歳の時、家を出ました。 フランスの高校卒業試験しかパスしていませんが、大
学で勉強を続けようとは思いませんでした。 私は子どもの頃から音楽が好きでした。
だから音楽家になろうと決心したのです。 このことを両親に伝えた時、とても怒りま
した。私の考えに反対し、
「もし音楽家になりたいのなら、一人でやれ、何も手助けし
ないぞ!」と言われました。 この会話をした 10 分後、私は荷物をまとめて家を出た
のです。 お金がなかったので、ヒッチハイクをしなければなりませんでした…。 し
かし、私は自分の夢を選んだとはいえ、援助してくれない両親にとても腹が立ちまし
た。 私は音楽の先生に、ドイツで音楽の先生になることを勧められたので、ドイツに
行きました。 彼は、ドイツの素晴らしい声楽の先生の一人でした。 私はシュトゥッ
トガルトで声楽とピアノを彼について勉強しました。 ケルンでさらに勉強を続け、つ
いにミュンヘンの芸術学校で、声楽部門で芸術学校賞を取りました。 その後、エージ
ェントを見つけ、プロとして歌い始めました。 私は生計を立てることができました。
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しかし、その他に絵も描いていました。 そして建築や家具にとても興味を持ったので
す。
もともとあなたの家では、芸術的な雰囲気があったのでしょうか? ご両親が音楽やアート、
美しい物を好むようにあなたに教えられたのですか?
そうです。 今ではそのことにとても感謝しています。 私の両親は地味なバックグ
ラウンドな人生でしたが、彼ら自身が人生ですることができなかった全てのことを私
たちにさせてくれました:音楽、スポーツ、外国語、旅行… 私たちの学校はこのよう
な事を行っていたので、非常に高額でした。
あなたのご両親は、とても心の広い方だったのですね
本当にそうですね。 彼らは、形に捕らわれなかった。彼らは全てにオープンでした。
そして素晴らしいユーモアの持ち主でもありました。しかし、私が職業として音楽を
選んだ時、彼らは恐りました。私はたったの 16 歳でした。特別何も訓練を受けていま
せんでした。
両親は勉強することをかなり制限されてきたことに、とても苦しんで
きたので、私に絶対良い教育を受け、博士号( Diploma)を取ってほしかったのです。
彼らにとって、良い教育を受けることが最も重要だったのです。 だから、私が音楽を
選んだ時、彼らは絶望しました。 私が人生を台無しにし、失敗するだろうと恐れたか
らです。
あなたは、実際、失敗者にならなかったですね。 幸運にも、彼らが間違いでしたね!
そうですが、彼らも正しかったでしょう。なぜなら、多くの博士号(Diploma)取
得者でも、失敗者になりますからね。
その後、どうされましたか?
最終的に、パリに戻ることに決めました。家具会社を始めるために、仲間と働き始
めました。 この会社は「First Time」という会社で、1978 年のことでした。
どうして、音楽の職業を辞めたのですか?
音楽家になることを不幸に感じたからです。 常に私の演奏について気を遣っていま
した。もしあなたがオペラ歌手だったら、神経質になることは許されません。なぜな
ら人々は、すぐにあなたの声の調子からわかってしまうからです。 歌うとき、不安な
気持ちを隠すことはできません。 とても難しい職業です! また、音楽ツアーに参加
するとき、本当に孤独です。 飲むことも、パーティーをすることもできません。 声
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に影響を及ぼすからです。 多くの時間をホテルの部屋で一人で過ごします。 20 歳の
人には、全然楽しくない人生でした!
私は修道士のように感じました。 不幸せでした。 だから音楽環境が嫌いになりまし
た。人々は全然オープンではなく、とても心が狭かったのです。 彼らは個々の楽器を
演奏するだけで、何も知らなかった。
「First Time」社について、聞かせてください
そうですね。1978 年に私の情熱を、もっと具体的に何かデザインする方へ注ぐこと
についに決心したのです。 パリに戻ったとき、インテリアデコレーションとデザイン
の間にかけ橋が存在しないという事実にぶつかりました。ありふれたものや、とても
凝っていたり、伝統的で派手なもの、フラワー柄などのインテリア装飾があり、一方
では、Knoll などプラスチックのような素材を使用したとてもアバンギャルドな 1970
年代スタイルのデザインもありました。 その中間には何もありませんでした。 そこ
で、コンテンポラリーデザインだけれど、クラシックがルーツである家具を紹介する
ことにしました。それはモダンでした、1970 年代のデザインとは全く異なるもの、そ
してインテリアデコレーションの世界からも全くことなるものでした。
あなたのプロジェクトをどのようにして実現したのですか?
とても不思議でした。どうしたらこのような事が起こり得るのでしょう? 本当に…
たった 20 歳の時だから、そのようなことができたのですよ!(笑いながら)イエロー
ページを電話帳から取って、
「大工」
、
「製鉄所」など、私がデザインした家具を製造出
来る人々を調べたのです。 それから訪問し、何時間も彼らを悩ませ、とうとう私のた
めに家具を製造してくれることを受諾してもらったのです。 私はお金をもっていなか
ったので、代わりに出来上がった家具を置き去りにしなければなりませんでした。 た
だ彼らに言ったのは、
「私はお支払いできませんが、みててください、必ずこの家具を
売りますよ!」
彼らは私に 3 ヶ月くれました。もしこの期間内に販売することがで
きなかったら、私は支払をしなければならないと言われました。 しかし、ショップは
すぐに成功し、即ヒットしたのです!
それはほとんど一日中盛況だったのです。 1978 年のようなことはありません。 その
衝撃はまるで爆弾のようでした。 何も宣伝しませんでしたし、全て口伝えでした。 ほ
とんど無茶で、全く驚くべきことでした。
どんな種類の家具をそこで販売したのですか?
とても純粋なラインのソファーやテーブルです。それはデザインにおいて、ほとん
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ど東洋的でした。とてもシンプルでした。ソファーは全てホワイトで、1978 年には珍
しかったのです。ソファー用のホワイトファブリックはなかったので、衣類用ファブ
リックを使用しなければなりませんでした。
全てこのように制作していたったので
す。 また、カーペット、ランプなども販売しました。それは素晴らしい経験でした。
あなたがもし 20 歳のならば、このような事の意味を理解出来ず、ただやるだけでしょ
う。 私は何の不安も心配もなかったのです。 歌うことは私を非常に悩ませましたが、
家具をデザインすることは、単純に楽しかったのです。それは娯楽の形、脱出の意味
でした。それがそんなに大きな重要性をもたらすとは驚きました。 マスコミがすぐに
追いかけてきました。 ショップがオープンした後、記事が全ての雑誌に掲載されまし
た。 インテリアデコマガジンだけでなく、女性誌そして「Le Monde」のような日刊
新聞さえも半ページさいてくれました。「Le Figaro」(フランス日刊新聞)も同様です
「L'Express」
(ウィークリー)も、誰しもが…。 そして我々はエージェントさえ持っ
ていなかったのです。 そう、これは巨大になり、狂人的になりました。 我々は家具
のコンテナをまるまる販売しました。
その時、まだ一人だったのですか?
いいえ、スタッフを雇い、工場も建てました。 驚くべきことでした。 私は約 10 年
前に会社を離れました。 私の株を売りましたが、芸術的な指導者として残りました。
会社の発展が産業的になりすぎたので、私はそこにとどまりたくなかったのです。 私
の仲間も去りました。 新しい取締役は真の実業家でした。彼らが引継いだ当時、すで
に年間約 3,000∼4,000 ピースのソファーを製造していました。本当にたくさん製造し
ていました。 「First Time」社は、いまだに存在していますが、私はもう彼らとは働
いていません。それは今では燃え木のようなものです。美しい冒険だったと言うべき
でしょうか。
どうやってインテリアデザイナーになったのですか?
たくさんの人々が私の家に来て、自分たちの家も装飾して欲しいと言ってきました。
私の家も、新聞に掲載されました。 そう、私は全くトレーニングを受けず、インテリ
アデザインという活動を開始したのです。 自分自身で全てを学んだのです。
つまり、あなたは本当に独学なのですね!
はい、その通りです。一度もデザインやインテリア装飾の学校に行ったことがあり
ません。この分野において、正式な教育は全く受けていません!(笑いながら)私の
仲間も何も博士号を取っていません。 しかし、少し言わせてください。我々の職業に
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おいては、学校で全く勉強 しない方が良いのではないかと思います。 学校はその種
の活動において、多くの害を教えるだけだと私は思います。
どんな害ですか?
まず、デザインやインテリアデコスクールは生徒に文化や一般教養について、何も
教えません。 しかし、家具をデザインするためには、教養や日本のような外国の文化、
あるいは 18 世紀のフランスの文化を知る必要があります。歴史について知る必要があ
るのです。しかし、フランスのシステムでは、生徒はこのような事を学びません。 そ
して彼らは一人の教授の世界に監禁されるようになるのです。そして何人かの教授は、
本当に悪魔です!
彼らは生徒にスキルを伸ばすことを教えません。かわいそうです
が、多くの生徒が学校を離れる時、何も知らないのです。 例えば、生徒達はコンピュ
ーターの使い方を知りません。おかしいなことですが、パリではコンピューターで補
助したデザインを教えるデザイン学校はありません。学校を卒業した生徒にすぐにそ
れらを教えるのは、私達 プロです。 ほとんどは、英語も学びません。 また、彼らが
学校にいる間、家やオフィスなどのデザインの仕方は学ばないのです。 如雨露やフラ
ワーベースなどのような、美しいが無益なオブジェの創り方だけを教わります。 彼ら
は本当に現実性からかけ離れているのです。 恐ろしい! 生徒は学校を離れた時、た
いていひどくがっかりします。そして現実の世界に直面します。 多くの人は決して乗
り越えられません。 彼らは最後にはデザインから離れてしまいます。 彼らはファブ
リックや家具、あるいは何かそのようなものを販売するセールスマンとなってしまい
ます。 悲惨です。彼らは全く予期しなかった現実に飲み込まれてしまうのです。 普
通、デザインに引き付けられる人々は感受性が強く、創造的な人々です。 彼らはとて
も苦しいネガティブな経験をしてしまうのです。
生徒達を助けるために、何ができますか?
例えば、家具見本市で授与される賞はとても重要です。新しい才能の発見を与えて
くれます。 個人的に、私は出来る限り若者を援助します。 もちろん、才能を持って
いる者… 私は彼らのスポンサーで、援助し、ロゼ社のような会社に紹介します。 デ
ザインコンペの準備を手伝います。 私はそれが義務だと思っています。 多くの人々
が私の人生において、私を援助してくれました。 そして私は、この知識を次へ渡さな
ければならないと感じています。 私が受けたことを何か返さなければ。しかし、我々
の職業が常にマスコミによって偽って伝えられるということは残念なことです。 人々
は、デザイナーになるということは、結局 Philippe Starck のような人になることと思
っています。冷たいティーポットをデザインした彼は、ロックスターのような生活を
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しています! しかし、我々の職業の現実は、とても違っており、多くの異なる面を持
っています。 また、商業的、産業的な局面があります。 誰もそれを若者に教えませ
ん。 彼らは、とりわけ美術館のために Radj Design がデザインし、恐らく 3 個だけ
サンプルを製造したオブジェと、大量消費者のために 1000 個も製造される ROSET の
家具との間に、何の違いも見出せないでしょう。 私は常にデザインもまた、産業であ
ると若者に説明します。しかし、彼らは産業の意味が何であるのか、製造工程の意味
が何であるのか、わからないのです。 そして、彼らは最後には、製造不可能な、組立
て不可能なものをデザインするのです。例え才能がある人でも、生計を立てることが
できません。 誰も彼らに真実は教えないのです。
同じような問題が他の国でもあるのでしょうか?
いいえ。例えば、アメリカ合衆国では状況はとても異なります。デザインの Parsons
School は私が良く知っている学校です。 生徒は実際、デザインエージェンシーでどの
ように働くのか学びます。 彼らはそこで、トレーニングコースを受けます。 彼らは
家、オフィス、ショップのデザイン方法を学びます。 彼らは現実的なことを学びます。
あなた自身にとって、モデル的な人がいますか?
はい。実際、数人の方にはたくさんのことを教わりました。 例えば、Angelo Donghia
(彼はもう亡くなりました)というアメリカ人のデコレーターがいます。 ジャーナリ
ストが私に彼のことを話してくれたとき、私は「First Time」社を始めたばかりでし
た。彼に会うために、アメリカへ行くことを決心しました。彼は当時、アメリカで最
も有名なインテリアデコレーターでした。 しかし、彼はとてもすばらしかった。
彼に会いに行った時、我々は何時間も話をしました。このようなことはフランスでは
決してありえません! 我々は何度も会い、密接した友達になりました。 彼は私に沢
山のことを教えてくれました。 例えば、1930 年代の装飾的なアートを紹介してくれ、
アメリカ在住のフランス人デザイナー、Jean-Michel Frank の作品を紹介してくれま
した。 彼は有名でしたが、実際、フランスでは知られていませんでした。Angelo は、
又、John Dickinso のような、90 歳で信じ難い場所、以前消防士のバラック式建物だ
ったところへ住んでいる人を紹介してくれました。それは壮大でした。 巨大なロフト。
Dickinson は美しい家具をデザインしました。 実際そのような種類の家具は今日もフ
ァッショナブルです。 私はそのような人々にとても印象づけられました。 Dickinson
は逆に、Jean-Michel Frank のようなフランスの人々によって影響を受けたのです。
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あなたのデザインコンセプト(概念)を話してください
私が賞賛する人々は皆、純粋なライン、細部に渡るセンス、エレガンスさを好みま
す。アイデアは実際、フランスから来ました。Jean-Michel Frank が良く言ってたの
は、デザインはセンチメートルではなく、ミリメートルであると。 私は彼が正しいと
思います。衣類のデザインをするように。もしここにセンチメートルあるいは、ボタ
ンを追加すれば、大きな差が生まれます。完全に商品の性質が変わります。 そして、
そこが私の職業について好きな部分です。小さな詳細が、全ての違いを生み出すとこ
ろです。私の概念は、2 脚のチェアーのように、非常にスペクタクルな事をするデザイ
ナーの概念とは異なります。 彼らはオリジナル性があり、スペクタクルさを探してい
ます。 私のアプローチはとても異なります。私は存在する、クラシックな形状を取り
入れます。 例えば、天板と 4 脚からなるテーブルなど。 このベーシックな形とクリ
エイティブなバリエーションを取り入れます。 私はいつも存在する言葉で仕事をしま
す。 そして、細部、カラー、素材や寸法は全て異なるように創れます。 つまりこれ
は、私が空気で満ちた風船のテーブルを決してデザインしないという意味です。 私は
アプローチを尊重しますが、私自身の作品にそうしたいと要求しているのでは、絶対
にありません。
デザインの傾向やファッションについてどう思いますか?
私はとにかくトレンディーなものは嫌いです。 家はトレンディーでも、ファッショ
ナブルでも無くてもよいのです。 家はファッションの反対であるべきです。 私はこ
の事に本当に戦っています! ファッションは毎年変化します。 しかし、家は隠れ家
であるべきで、あなたの存在のルーツを与える場所であり、1 年だけでなく、10 年続
くべきです。 もしカントリーホームを建てるのなら、きっと一生続く方法で家具を揃
えるでしょう。 同じソファー、テーブル、シェルフなど。 ファッションとは反対で
す。 家は穏やかで、落ち着きがあって、平和な場所です。 また、家具が家のほとん
どのスペースをふさいだり、家具自身が芸術的な物になってしまうことも嫌いです。
それ自身に注目されすぎてしまうからです。 家具が家のスペースを食べてしまうと、
息ができなくなります。
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モロッコはあなたに大きな影響を与えたのですか? あなたがその国に本当に引き付けら
れていると聞きましたが…
一般的に、人々は外国の文化に魅了され
ますが、特に私にはモロッコです。私の両
親の故国アンダルシアに似ているのです。
私の両親の面白い話をしましょう。私が 8
歳の時、アンダルシアに休暇を取りに行き
ました。 グレナダのアルハンブラ、有名
なアラビア宮殿に行きました。 私は生き
ている限り、決してこの経験を忘れないで
しょう。 宮殿には美しいウォータープール、ガーデンがあります。世界で最も美しい
アラビアのモニュメントです。本当に驚きました。とても強く印象つけられました。
私は一度もあんなに卓越したものを想像したことがない。 今まで慣れ親しんできたも
のや、存在するものとはまったく違っていたのです。 両親も喜んでいました。 両親
は「 ここはなんて美しい所だろう。 閉まる時間になったら、隠れよう。」と言いまし
た。
(笑いながら)監視人が公園を閉めましたが、私たちは隠れてそこに残り、ある公
園で一夜を明かしたのです。 星の下、戸外で寝ました。 たくさんの噴水がありまし
た。 ジャスミンやオレンジフラワーのような花の香りを嗅ぐこともできました。 翌
朝までその公園に泊り、オープン時間 8:00AMに帰りました。 この経験は決して忘れ
ないでしょう。 私が初めてモロッコに行ったとき、同じようなフィーリングを感じま
した。そこは本質的にアンダルシアの文化と同じでした。 子供ながら、その文化を完
璧に愛してしまったのです。 私にとって、ピュアな詩のようでした。 私が唯一知っ
ているのは、フランスの城です。 そこはとても厳粛で、とても暗いのです。 同様に、
アジアやインドにも大変興味を持っています。
あなたの家具で、私が思い浮かぶ点が一つあります。 座面がかなり低いですよね。
日本を思い出させます…
ええ、その通りです。私は平面が好きです。水平であることにとても意味があるの
です。アメリカの建築家 Frank Lloyd Wright が日本へ旅行した後、日本のとても広
く、水平なリビングは、人々を落ち着かせ、静寂で、平穏な気持ちにさせると、かつ
て言ってました。一方、垂直はパワーのサイン、引き立てるサインです。水平になっ
ている場所、そしてそこの低い場所、あるいは床に座ったりすると、常に静寂さを感
じることは事実です。 高い、垂直なモニュメントは男性パワー、戦いのサインです。
パリの L'Arc de Triomphe (凱旋門) が良い例です。パワーの実証です。
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日本スタイルの家をどう思いますか?
日本のリビングの世界は、我々西洋の世界よりも、よりモダンで、より我々の生活
に適応しているように思います。 ソファー、ローテーブル、その他、西洋の家にある
あらゆる種類の家具に必要としますね。 とても水平的です。 これらのもの全てに私
たちにとって必要なリビングの姿があります。
NOMADE ソファーはこの考えを表現してますか?
はい、モロッコを表現しています。 ピローとマットレスだけがある家を夢見ますね。
もし何か必要だったら、周りを動くだけ。 こ
のようなリビングは人間性に近づくように
なると思います。 我々の伝統, つまり 18 世
紀あるいは 19 世紀からきているものよりも
近いです。 実際、我々の伝統はかなり新し
いです。18 世紀まで、ダイニングルームと
いうようなものはなかった。現在、全てが堅
苦しくて、人々は物事が常にそのようになる
と思っています。 もはやそれでは、現代の
リビングに順応しません。 今日、人は食事
中ずっとテレビを見ます。 また、同席して
いるとき、ダイニングルームでは食べている
ような気はしません。 堅苦しすぎます。 生活習慣が本当に変化しています。 そして
家具製造者はその事に対し、敏感ではなく、とても偏った考えに固執しているのです。
ROSET社とは仕事を何年間していますか?
4 年です。 Roset 社が私にコンタクトを取ってきました。 当時彼らは非常にクラシ
ックなものを持っていました。 ご存知のとおり、Roset 社は 4、5 年も長い道のりを
歩んできたのです!
それは Roset の古いカタログ、4 年くらい前のものをご覧にな
れば、わかるでしょう。 Roset 社は2タイプの家具をその時製造していました。 とて
もトラディショナルな物と Peter Maly のような人たちがデザインしたとてもモダン
なもの。 それらは全てドイツ市場向けにデザインされたものでした。 ご存知のとお
り、ドイツはコンテンポラリー家具の最も大きな市場です。 そして、中間なものは何
もありません。 しかし、Roset 社は中間分野も確立されるべきだと感じました。モダ
ン、コンテンポラリー家具、フレンチスタイル、エレガントでクラシックなルーツを
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持つもの…だから私は、彼らと一緒に活動を始めたのです。
我々の協力関係はとても成功しています。 現在、私のモデルは、Roset 社の中でベス
トセラーになっています。Tichka, Nomad, French line, Fugue, Opium など…これら
全てのモデルがとても良く売れています。 この衝撃を全然予期していませんでした。
そしてこれらのモデルが全ての国でそんなに売れるとは思っていませんでした。 ドイ
ツでさえもです。 初め、ドイツは私の家具を欲しがりませんでした。 彼らは絶対売
れないと思っていたのです。 ソファーは低すぎるし、座面の固さは不十分だし、モデ
ルは厳格ではなし…と言っていました。 しかし、ドイツ人は最後には好きになってく
れました。 ドイツ人は規則、偏見でいっぱいなのです。 しかし、消費者のニーズや
スタイルは、近年変化してきています。
たくさんのデザイナーがとても固く、厳格
なモデルを提案します。 しかし、私は消費者に対する、そして人間性の欠点に対する
思いやりを感じさせるデザインをおこします。 もし、あなたが完璧にしようとする傾
向があるならば、それは人間らしさとは反対です。 人間の弱さは人間の本質と同じほ
ど重要です。たとえ身体でさえも。 完璧な体格の人は全く面白味がない。小さな欠点
が大切です。例えば鼻が大きすぎるなど。私が仕事をするとき、家具をデザインする
ときこの事を意識します。 私は人々に優しい、歓迎される、魅力のある何かが欲しい
のです。 包み込む何か、ソフトな何か…人々が意気消沈してる時や悲しんできる時、
慰める、包み込む何か…
あなたの作品の名前はあなた自身がつけるのですか? 例えば NOMADE のように…
最初はそうでしたが、最近ではそうではないですね。 残念ですが…時々Roset 社が
選んだ名前に全く賛成できないこともあります。例えば、Dauville という名前。 私は
嫌いです。私の哲学とは全く矛盾しています。 しかし、これは私のせいだと言われま
す。私はしばしば忙しくて、名前について考える時間がありません。それで最後には
彼らが選らんでいるのです。私はモデルだけでなく、名前も案出すべきですね。
(笑い
ながら)後で文句を言うべきではないですね。
アイデアが浮かんだとき、Michel Roset とディスカッションしますか?
はい。 時々、私がやりたいというまさにピッタリのアイデアが
浮かびます。そして、Michel が賛成したり、反対したりします。 し
ばしば対立や討論になります。
私は自分の観点を守ります。 時々とても激しく討論することもあ
ります。 Michel もまた、とても強い意見を持っています。 もし
私が彼らに賛成した場合、一緒に取りかかれます。 もしそうでな
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ければ、私も強く対立します。 我々の関係はとても補助的です。 Michel Roset は多
くの才能を持ち、彼は家具の世界で非常に型にはまっておらず、とてもオリジナリテ
ィがあります。 彼はあらゆる事について、人々に対して、状況に対して、我々の職業
に対してとても独創的な意見を持っています。 私は彼から本当に多くの仕事について
学びました。 Michel と彼の兄は卓越した専門家です。 とても敏感で、非常に賢く、
物事を分析する能力があります。 そのような人々と仕事をすることはとても面白い。
時々、Michel も素晴らしいアイデアを出します。 彼は非常に直感的で、鋭い第六感
を持っています。彼は商品や、人に対して驚異的な直覚のセンスを持っています。 彼
はまた、私に多くを期待したり、要求したりします。そして、これがとても重要であ
ると知っています。 しばしばあまり要求しない企業経営者と会います。 その場合、
品質水準を賦課するために、戦わなければなりません。 私の Roset 社との関係はます
ます重要なものになってきています。 ただ単に仕事をする関係だけではありません。
真の人間の出会いです。 Michel は 他の企業経営者のように、単純ではありません。
彼は断然優秀です。 お互い出会えて、我々はラッキーでした。 我々の関係は将来さ
らに発展すると思います。 両者にとって重要です。 我々は共通な部分を持っていま
す。考え方、デザインへの哲学、世界へのビジョン、将来のビジョン…我々はいつも
これらのことを話します。
あなたの職業に、あるいはあなた自身に印象を与えた人が他にいますか?
Yves Saint-Laurent や Pierre Berge ですね。 彼らはとの出会いはとても衝撃的で
した。Saint-Laurent と仕事を始めた時、インテリアデコレーターとして働き始めて
ました。Saint-Laurent ショップ全店をデザインしました。 そしてバスチーユ劇場の
Pierre Berge のオフィスをデザインしました。彼はその時取締役でした。 Berge はア
フリカの家具を欲しがっていました。彼は本当にアフリカが好きでした。 私にとって、
決定的な出会いでした。彼はきわめて欲求の高い人で、とても教養のある人でした。
彼は私にたくさんのことを教えてくれた。彼は私の選択にもっと注意深くなるように
なれと教えてくれました。 それまで、私は主に直感で働いていました。 私は自分自
身に、なぜそれを選んだか、なぜ他よりもそのアプローチを選んだのか問うことはあ
りませんでした。しかし、彼は私に、問い返して、理由を考えさせるようにさせまし
た。それで私のデザインは反対ではなく、推論の結果となりました。
そして、
Saint-Laurent との出会いも非常に重要でした。 彼は何時どこでも新しいファッショ
ンのコレクションをデザインすると私に説明しました。そのことが彼のデザインに最
も反映していると。彼は最初、頭の中で映画のようにコレクション全体を想像しまし
た。 それから書き留めて、デザインしました。 ただ何かをデザインする人のように
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ではなく、気まぐれに何も考えないでするのではなく。それは知的で、計算された考
えです。 それは私の仕事の仕方を変えました。 それが 1980 年代の中頃です。 もし
あなたがインテリアデザイナーならば、たくさんのことを考えなければなりません。
デザインする家のコンセプトについてなど。 オフィスも同じです。 例えば、もし Luis
Vuitton ショップをデザインするのならば、ブランド理念を考えなければならない。 そ
してそれと一体にならなければならない。 会社のマネージャーは仕事を私に任せる
と、しばしば何も私に説明しません。しかし、私はいつもそのオフィスで働く人々の
ことを考えます。彼らが気に入る環境を作りたいし、彼らにそこで快適に過ごして欲
しいと思うからです。いつもそんなことを考えます。 Vuitton への最新のプロジェク
トで、旅行というテーマでショップをデザインしました。3つの室内中庭を創りまし
た。アフリカ風、アジア風、そしてヨーロッパ風。オフィススペースは中庭の周りに
創り、異なるカラー、家具、アートを使用しました。また、人々が集まったり、おし
ゃべりしたり、コーヒーを飲む場所がたくさんあります。オフィスは孤立していませ
ん。働いたり、毎日の生活がミックスする場所がそこにはあります。 仕事はただ分離
して働くのではありません! その事について、私自身とても興味を持っています。
人々の生活を改善する方法−それが私の仕事の基本です。 もし少し優しく、人々にと
ってより愉快に生活できれば… だから、私は地下鉄や駅、公共のスペースで仕事をす
るのです。 どこでもとても活動的です。 もし、もっと親切さや優しさ、楽しみを公
共の世界にも創り出せたら、素晴らしくなるでしょう。
そういう意味では現代建築、モダンアーパート地区などと呼ばれるものの多くは、反人間
的ですね。人々は古くて、クラシックなスタイルを非難します。
そうですね。 実際クラシックスタイルに引かれる人々は、モダンデザインや建築に
思い違いをもたらします。 もしモダンアパートの建物をみると、本当にぞっとします。
誰もそこに住みたくないです。天井は 2.5mの低さで、とても小さなキッチン、窓のな
いバスルーム。私にとって、それはモダンではない! 私にとっての現代性とは、我々
の生活、食事、入浴など、とても異なる方法でスペースのフィーリングを表現するこ
とです。
私はこのことについて、とても失望しています。私は 5 年間も、家の建築
業者にあらゆる種類のプロジェクトを異なるモダンアパートのデザインと共に、提出
してきました。 しかし、いつも私の提案は断られます。 このような建設会社は、モ
ダンリビングすべてについて、いかなる非難をも受けることを嫌がるからです。私は
人々が快適になるモダンなアパートをデザインすることに大変興味があります。 そう
すれば、人々は押し付けられてというよりむしろ、アパートのビルに住むために選ぶ
ようになるのです。 とにかく、我々は 1950 年代と同じような間違いをアパート建築
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に対してしているのです。 不十分な防音、ひどい窓、バルコニー無し、ちっぽけな
部屋… 例えばバルコニーをつけるには、もうそんなにコストはからない。 そして、
これは住居者にとても楽しみを与えることができます。毎日の生活に大きな差を生み
出します。
ソファーも同じ事がいえます。人々はソファーはどうであるべきかにつ
いて、アイデアを思い付きます。 しかし、もし何か変えたければ、たくさんの反対を
受けるでしょう。人々は変化を嫌います。 人々の本当のニーズを分析することは、我々
の担当です。人々が嫌いなことは何かを見つけることから始めなければならないので
す。しかし、それは簡単なことです。 それから人々の要求することは何か見つけなけ
ればなりません。 それは簡単ではありません。 なぜなら、人々は常にそれを公式に
できないからです。彼らの心を読まなければなりません。 時々私は、顧客が要望した
ものとはまったく異なるものを提案します。 しかし、しばしば彼らはそれを最後には
好むようになります。 これも私の仕事です。 人々はファッショナブルなもの、今 ”
流行している”物の後ろに隠れたがる傾向があります。 人々は実際欲しいものを表現
することに慣れていないのです。
どうすれば、今日の生活をより良いものにできますか?
エコロジーの動きが大きな差を作りますね。 自然へ、我々のルーツへ戻るというア
イデア。私にとって、それが本当の改良ですね。 洗練された航空機の空間、あるいは
そのようなものよりももっと、現代性の表現法ですね。 我々には、生活を便利にする
テクノロジーの発達がありますが、自然の価値観、静けさ、気軽さ、空間に戻ること
も欲します。それが人々の望みなのです。 無菌で、自動クリーニングされるキャビン
に住むことを望んでいません。 テクノロジーはこれを可能にするでしょうけどね!
Jules Verne(有名なフランス人作家)は今世紀初期にこのビジョンを持っていました
が、彼は間違っていました。
将来のデザイン傾向についてどう思いますか? 自然に戻りますか?
はい。 エコロジーが重要な場所を占めるようになるでしょう。 しかし、人間の価
値もこわれやすいようです。 家具はシンプルで、柔らかく、自然であるべきです。 あ
なたを穏やかに感じさせるもの。 プラスチックのようなモダンで、ハイテクな素材を
使用していないもの。 また、ランプのようなアクセサリーはよりモダンでチープであ
るべきです。簡単に変えられるもの。基礎の家具だけは、シンプルでナチュラルであ
るべきです。
どのような種類の素材が使用されるのでしょう?
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木ですが、その他樹脂のような合成素材など。 多くの開発が樹脂で行われてます。
木のような天然素材と混合できる面白い新素材がたくさんあります。しかし、木はま
すます重要になるでしょう。人々には自然、木の落ち着きが必要です。なぜなら、我々
は皆、大都市の騒音や汚染に苦しんでいるからです。 また、例えスペースがほとんど
なくても、明かりや空間の感覚も重要なことです。
あなたにとって、家の中において、重要なことは何ですか?
まとめて言うと、私にとって一番重要なことは、上手にデザインされた空間の中の、
光度、スペース、そして優しさです。また、物の調和もですね。 私は “全体の外観”
を表現することは嫌いです。 なぜなら、一つの傾向のみを含むからです。 様々なス
タイルを調和し、新しい家具と一緒に、前から持っていた物を使用することは大切で
す。 家族の家宝、旅行のお土産、もらったギフトなどもインテリアデコレーションの
一部にすべきです。家はパズルのようであるべきです。あなたが好きなものを集合さ
せる。 あなたの過去、旅行、人生を表現するもの全てを。 どの家も他と違うのは、
このためなのです。私にとっては、本当の現代性を表現すること。それはたくさんの
デザインの中の、ある一つのタイプを表現することではありません。
個人の家のためにインテリアデコレーターとして働くことが、まだありますか?
ごくまれにね。 時々、クライアントが自分の趣味とテイストが良く似ていると感じ
る時にはやりますが、とても稀ですね。
有名な俳優などとは、もう一緒に仕事をしないのですか?
以前は、たくさんやりました。 だけど、そのような種類の仕事には良い思い出があ
りません。 このような人々は、とても難しく、私自身気分を台無しにされた。 莫大
なエゴ! かつては、有名な人々に感銘を受けましたが、彼らを知った時、とてもがっ
かりしました。 一人だけ例外なのは、ハリソン・フォードです。彼は俳優になる前、
大工でした。彼は自分の家の家具を全て組立てました。 私が彼のためにデザインした
家具全てを彼も一緒に組立てました。 彼は例外でした…
パリに住んでいて、快適ですか? この街が好きですか?
私は本当にパリが好きですが、それは私がしばしば不在だからでもあります! たく
さん旅行します。 郊外に自分の家を所有しています。もちろんモロッコにも家があり
ます。 だから、しばしば離れるのです。 もしこのライフスタイルをもっていなけれ
ば、間違いなく、パリには住まないでしょうね。 私の郊外の家はノルマンディーにあ
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り、パリからそんなに遠くありません。 そして、毎月モロッコに行きます。これは私
にとって、とても大事なことなのです。 私の人生の大部分はモロッコです。 ただの
休暇ではありません。そこで仕事をし、デザインもします。ファックスとその他電子
機器があれば、どこでも好きな場所で仕事ができます。 私は外出していても、事務所
に常に連絡を入れます。 しかし、旅行について一番重要な事は、心を開くことです。
私はモロッコにたくさんの友人がいます。 住民は私と非常に違います。 彼らに会う
たび、私に物事を正しい釣り合いで見ることが出来るようにしてくれます。 我々はた
くさんの事について、話をします。人々の本性が何なのか、何を必要としているのか、
気づきます。彼らはたくさんの問題を抱えています。私自身の問題は彼らに比べると、
本当にバカげたように思えます。 それは本当に大切なことです。 物事を正しい釣り
合いで見続けるために、他の人々の日常生活に触れなければならない。
友情があなたにとって、とても重要なのですね…
そうです。歩んできた人生から、そして社会的背景から、たくさんの友達がいます。
それは私にとって、重大なことです。 私はとても広い友達の輪を持っています。ある
人は失業者で、ある人は有名人で、ある人は俳優、作家など…。全て非常に異なるタ
イプの人間です。また、たくさんの若者と相互に影響しあってもいます。私は、社会
に興味があります。世界が、未来がどうなっていくのか。
あなたの職業について考えを話してください。
専門的な成功が人生において最も大切なことだとは思いません。重要なことは、あ
なたが本当にやりたいことを実現し、その道で成功することです。あなたのプライベ
ートの生活で成功することです。 私にとって、物質的な成功はあまり意味をなさない。
私が仕事を始めた時は、お金を稼ぐ計画など立てませんでした!ただ起こっただけで
す。わたしはデザイナーになるために、この道を選び、ラッキーだっただけです。 タ
イミングが良かったのです。 しかし、成功したかったので、決して何もしませんでし
た。 何年間も、そんなにお金をもっておらず、地味な生活を送っていました。 しか
し、これは私にとって全く苦痛ではありませんでした。 物質的な側面は、あまり気に
しませんでした。しかし今、私の歳で成功していなかったならば、おそらくパリを離
れ、外国に住んでいるでしょう。違う文化の中で、人間関係がよりシンプルなところ
で。もっと時間がある、もっと太陽がある生活の中で・・・
外国の文化にとても魅せられているのですね…
本当にそうですね。仕事を辞めたら、パリを離れると思います。間違いなく。
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例えば、私は南米に興味があります。人々がスペイン語を話す場所。結局、スペイン
は私の祖国なのですね。でも、一般的に文化の違い、人々の生活がどのように違うの
か理解することに、興味がありますね。 優先順位がどのように違うか、興味あること
が私達とどのように違うのか…。
パリはとても攻撃的な街だと思います。人々は通
りでも互いに不親切だし、他人の事は全く気にしていないし、礼儀はないし、丁寧で
ないし。 このことは本当にショックですね。 人々は時々、野蛮ですしね。 モロッ
コでは、人々はとても親切で、いつでも助け合う用意が出来てます。彼らは他人を尊
重しています。 我々は人間らしさを完璧に失っていると思います。それを続けること
ができません!だから、多くの人は最終的にパリを離れてしまうのです。 75%のパリ
人は街から出て行くことを夢見ています。人生に質がない。 高いし、窮屈だし。 も
し今みたいな仕事をしていなかったら、とっくの昔に出ていってますね!
もし今日、他の職業を選ぶとしたら、何をしますか?
オペラ監督でしょうね。 いつも憧れてます。過去にあるオペラを監督したことがあ
りました。 オペラが好きですし、オペラについて、たくさん知っています。
モーツァルト、ワーグナーが好きですね。いつでもオペラを聞きますし、いつもその
場面がどのようだったか想像します。 オペラを観に行った時、しばしばがっかりしま
すね。いつも、
『私だったらもっと良い演出をする、違うようにするのに!』と思いま
す。多分、いつかオペラ監督になるでしょう。
将来の計画は?
私の人生において決定的な時が来るでしょう。大きな変化をもたらすような感じが
します。 正しい選択をすることはとても大切ですね。 さもなければ、歳を取って、
がっかりしてしまう。
(笑いながら) 歳を取り過ぎる前に、対応しなければならない。
ちょうどケニアから帰ったばかりです。 友人を訪ねてきました。壮大で、信じられな
いところでした。 私は小さな村にいました。とても美しかったです。 私のフランス
人の友人がそこに住んでおり、ホテルを経営しています。 私はフランス人の女性で、
全てから離れ、ケニアに大きな畑を購入した人にも会いました。 彼女は今まで農業な
どやったことがなかった。彼女たちはとても勇気があります。しかし、勇気を持たな
い限り、決して何も起こらないし、決して変われません。 自分自身の運命をコントロ
ール出来る人々、本当にしたいことを選ぶ人々を賞賛します。 時々は失敗もします。
しかし、もし何もしなければ、決して何も知らないままでしょう。 リスクを負うこと
は、大切なことです。私の父は戦後、何度かチャンスがあったにもかかわらず、彼は
何もしなかった。何も無いのはありえないことなのです。
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具体的に、あなたの仕事の何を変えたいですか?
もっとインテリアデザインをしたいですね。 それが幸せですね。オフィスでたくさ
んの建築を手掛けますが、私が本当に好きなのはデザインです。 キッチン、バスルー
ム、リビングスペース、家具などをデザインすること…
Roset 社と一緒に働くことについてはどうお考えですか?
それは私にとって、とても重要なことですね。そうすることにより、現実に近づき、
人々の毎日の生活に近づいていられます。 私自身、芸術作品のように見られるファッ
ショナブルな家具をデザインすることに興味ありません。 製造者、販売者と一緒に、
市場があるところで働きたいですね。 それが現実性に近づくことなのですから。
日本はどうですか?
ぜひ、日本で仕事したいですね! きっと日本経済は、まもなく回復するであろうと
確信しています。 とにかく、未来はアジアにかかっています。私はそう確信していま
す。中国については分かりませんが、必ず力強くなるでしょう。 アメリカはますます
衰退していくでしょう。私はアメリカが嫌いですね。 以前は好きでした。ニューヨー
クに何年もオフィスを構えていました。 かつては毎月そこへ行っていましたが、耐え
られなくなりました。 物の考え方、価値観が好きではありません。お金を稼ぐ、家を
持つ、車を持つ、犬を飼うなどのことが成功であるという…そして生産的で、健康で
あるなど。 本当に反動的です。
あなたのデザインのコンセプトを要約してもらえますか?
私にとって、それは伝達の形ですね。 人々をより快適に、幸せにさせる方法ですね。
「私の創作」を他の人に押し付けるのではない。あるいは、
「背後にある何かを子孫の
ために残しなさい」というのではない。デザインするとは、人々にとってより良い生
活状態を創り出すという意味です。謙虚さを残し、社会に役立ちたいです。 そして、
人々に思いやりや愛を感じさせるものです。
もし家族のために自由にアパートをデザインできたとしたら、どんな感じになりますか?
完全にオープンで、移動できる空間になるでしょうね。仕切りは何もない。少し遊
牧のような。何も固定していない。 私の家とは反対のようにね。(笑いながら)
同
じリビングゾーンでリラックスし、テレビを見て、読書、食事をする。 別々の部屋で
あるべきではない、私はそう考えます。また、移動式の家具をデザインします。 簡単
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にまわりを動くことができる。マットレス、ピローなど。 そして、家具は多機能であ
るべきです。そこでテレビを見る、仕事をする、食事、電話をかけるなど。 家のなか
で、どんな行動を取るか研究することが大切です。 そして、それらに適するような家
具をデザインする。唯一仕切りをしたいゾーンは、ベッドルームやバスルームのよう
な、くつろぎゾーンです。キッチンはオープンで、家の中心にあるべきです。それが
私の理想の家ですね。 まったく今住んでいる家とは反対の種類ですね!
Roset 社はこのアイデアについてどう思うでしょう?
家具製造者で私のアイデアを受け入れる人は誰もいない。 Roset 社もね!
彼らに話続けてから 3 年になりますが、彼らは賛同しませんね。 このようなコンセプ
トを彼らが紹介する前に、成り行きをうかがいたいのです。 私は彼らに多機能で、移
動型の家具を提案しました。例えば、ベッドがソファーに変形する。そしてピローの
ように移動できる。テーブルが食事にも、読書にも、作業にも使用できるなど…
それはまさに日本人のコンセプトですね! 日本の伝統では、
「移動式家具」を使用します。
きっと、かなり似ているでしょうね。しかし、モロッコの人々も同じコンセプトを
持っています。ピローを使い、食事には低いテーブルを使う…彼らはダイニングルー
ムを持っていないのです。このことについてかなり考えました。『どうやったら我々、
西洋のコンテンポラリーなライフスタイルにこのタイプのリビングを順応させること
ができるか?』ってね…デザイン家具で全てのことを行えますか? しかし、家具メー
カーの間で多くの反対に出くわしました。そのようなアイデアに対応する準備がまだ
出来ていないのです。
『Nomade』プログラムは移動式リビングというあなたのコンセプトを表現しています
か?
多少はね。 しかし、私の理想からまだかなり遠いですね。 Nomade はまだ固定さ
れた要素があります。 私は移動出来る要素が欲しかった。クッションやマットレスか
ら成る家具で、取り外せるような。これは若者にとても人気があると思い間ます。
そして、もしスペースがほとんどなければ、理想なタイプの家具となるでしょうね。
伝統的な家具のミニチュアバージョンよりも移動式の家具を使うでしょうから。
ベッドもデザインしていますか?
Roset 社のために、ベッドのデザインも始めます。ぜひやりたいですね。今までベッ
ドをデザインしたことはありませんので。
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Roset 社との仕事はどうですか?
Roset 社との仕事は好きです。しかし、彼らは伝統的な組織内にとどまっています。
大きな会社で、基本的な革命は受け入れようとしません。 ほんの少しの変化だけです。
彼らは家具について、従来の考えに従います。ここフランスでは、伝統が重さを持ち
ますから…厳格な国です。しかし、昨年変化がありました。 インターネットで、新し
いテクノロジーで人々はよりオープンになってきています。 人々は我々の時代が変化
していると気付いています。 特に新世紀に入ってから。 Roset 社も気付いてます。 し
かし、まだ彼らは受け身的すぎます。 彼らは様子を伺う傾向があります。一般的に、
Roset 社は私のアイデアは あまりブルジョア ではないと感じています。私の移動式リ
ビングのアイデアを受け入れるには、彼らの顧客はアッパークラスすぎるのです。彼
らが正しいかどうか分かりません。 家具が周囲を移動できることは重要です。空間も
同じことです。 同じ部屋で常に働く、あるいは食事したくないですね。時々変更する
ことが大事です。
あなたの新作コレクションはいかがですか? Opium など。
Opium はコンテンポラリーソファーです。デザイ
ンにとても満足しています。しかし、コンセプト
はまだ伝統的だと思います。 Roset 社でも他のタ
イプの家具を開発したいと考えています。
『Fugue、
Opium のようなプログラムを、もっと移動式の他
の家具の側でなぜ販売しないのか?』Roset 社に
言い続けていることです。これらの家具のタイプ
は合わないことはありません。 しかし、彼らは私
の言うことを聞こうとしません。 言いたい批評が一つあります。Roset 社には、非常
に狭いスペースの人々向けの家具がありません。そして、大多数の人がとても小さな
家に住んでいます。 これらのタイプの空間には、移動式家具がよりもっと適していま
す! Roset 社の家具はとても大きく、どっしりしています。 小さな家にはフィットし
ません! サイズを縮小して、家具を小さく作ることが解決策ではなのです。わざと小
さく作った時、醜くなります。 全体的にに新しいタイプをデザインした方が良いでし
ょう。
日本人はあなたの考えを受け入れられるかもしれないですよ。伝統的に、日本の家にはあ
まり家具がありません。 そして全て移動することができます。
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私のアイデアと日本文化の間には似ている点がたくさんあります。 もし家具をほと
んど持っていなければ、空間の感覚を創り出し、呼吸することができます。 このよう
な家具プログラムをしたいと思います。 多分、日本人とですかね? 日本人は興味を
示すと思いませんか?
そう思いますよ!
本当に、そうしたいですね。 誰も他のデザイナーはそのことについて考えてないで
す。 みんなチェアー、ソファー、ランプをデザインすることに忙しいので、誰もリビ
ングスペースの編成について考えようとしません。 基本的な点について考えることが
大切なのに!
その通りです! コンピューター革命によって、どこでも仕事をすることが出来ます。
いたる所で仕事をすることができます。家具もこの変化に対応すべきです。
そうでうね。人々はこのタイプの生活を表現する家具を
購入することができるようになるべきですね。 簡単に変
形できるスペースで、いかなる場所でも仕事ができ、生
活ができる。それがカギですね。 一部屋のアパートに住
んでいる友人を訪問するといつでも、殴られた感じがし
ますね。 家具がまったく彼らのライフスタイルに適して
ないのです。 彼らは小さなソファー、テーブル、オフィ
スを持っています。全て狭苦しいように見えます。 窮屈
です。 私はとてもついてますね。いつも大きな家に住ん
できました。 しかし、大多数の人はそうではないことを
知っています。 家具メーカーがこの問題をもっと真剣に考えないなんて、ばかげてい
ますね。
今までにあなたの哲学をどこかで著述して表わしたことがありますか? 人々はあなたの
考えにどう反応しましたか?
うーん。 残念ながら、人々は私を凝った有名人の家を装飾する「贅沢なインテリア
デコレーター」と同じように思っているみたいです。人々の間では、私にはこのイメ
ージがあるようです。 人々は私が真剣だとは思ってくれません。 私はそれに囚われ
た身なので、このイメージから脱するのは、難しいのです。 だから、私の考えを人々
に話すとき、しばしば彼らは驚きますね。 しかし、私の考え方も変わってきていると
言わなければならないです。 私が 25 歳の時、人々の家を飾ることを楽しんでいまし
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た。 私は郊外出身で、装飾的なものは何でも感動しました。 しかし今、より基本的
なこと、より人々に役立つことをしたいです。例えば、公共空間、一般の人々が利用
する空間のデザイン等をもっとしたい。
あなたの次回作品はどうですか? Roset 社と何かプロジェクトがありますか?
Roset 社との1つのプロジェクトは少しいつもと違います。コレクションの「ひどい」
モデルを全て削除する事を手伝います。そしてそれらを、上手くデザインされたクラ
シックなものに代えていきます。 古いモデルのうち何点かは、新しいコレクションと
矛盾しています。 Roset 社は Mourgue、Thibault Desombre, 私のような人々による
デザインを保持し、家具は 15 年前のものです。このことは本当に彼らにとって問題と
なってきています。そして、これらの古いモデルはあまり売れてもいません。 例えば、
Pallas のソファーは恐ろしい。本当にひどい。 だから今年は、Roset 社を「コレクシ
ョン一掃」するために手助けしたいのです。それは新しいモデルをたくさん創り出す
よりも大切です。もし毎年新しいコレクションを発表したり、毎シーズン新しいプロ
ジェクトを創り出したら、人々を圧倒してしまいます。 消費者はそれを免れようとし
ます。 なぜなら、毎年新しい家具を購入し続けることもできませんから! 「生活す
る」ための、そして彼らに時間を与えるチャンスがあるコレクションを与えた方がよ
Roset 社と私の間には、真の協力体制があります。 私はただ単に物の
いでしょう。
デザインを彼らのためにしていません。一緒に芸術的な方向を明確にしていきます。
彼らのショップも一緒に手助けしたいです。 例えばもし彼らがインテリアデザインを
たくさん改良すれば、ショップはよりもっと美しくなります。 我々は、 近い将来モ
デルとなる「本当の」ロゼショップをパリに創る計画です。 しかし、まだ場所を見つ
けていません。
あなたのビジョンが日本のロゼショップで実現することを願ってます。
私もそうです。 日本とよりもっと密接に仕事をすることを本当に楽しみにしていま
す。どうか彼らに私のメッセージを伝えてください。 日本と一緒に新しいコレクショ
ンを開発することに興味があります。 日本人と特別なコンタクトは持っていません。
贅沢なブランドを輸入する大きな会社とのみです。 私は若くて、もっとダイナミック
な会社と仕事をしたいのです。 日本の文化にもっと近づきたいです。とても魅力を感
じる国です。
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Didier Gomez インタビュー
March/07/2001
パリ市内の彼の自宅にて
インタビュー:Mrs. Maya Todeschini
監
修:村上
寛・有光
発行所:リーンロゼ京都
24
徹