トルコ・ボスポラス海峡調査団

トルコ・ボスポラス海峡調査団 報告書
2010 年 7 月 18 日~7 月 24 日
(社)九州経済連合会
目
次
1.調査団の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
(1)スケジュール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
(2)参加メンバー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
2.トルコ共和国の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
3.ボスポラス海峡の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
4.訪問記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
(1)ボスポラス海峡横断鉄道トンネル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13
(2)トルコ・トヨタ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
(3)JETROイスタンブール事務所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26
(4)バルタリマン日本庭園・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
(5)ボアジチ大学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32
(6)在イスタンブール日本国総領事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35
(7)カッパドキア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
1.調査団の概要
(1)スケジュール
○主要スケジュール
日
程
7/18(日)
移動スケジュール
福岡発→ソウル→イスタンブール着
宿泊地
イスタンブール
7/19(月・祝)
イスタンブール
7/20(火)
イスタンブール
イスタンブール発→ネヴィシュヒル着
カッパドキア
7/21(水)
→カッパドキア
カッパドキア→カイセリ発→イスタン
イスタンブール
7/22(木)
ブール着
7/23(金)
イスタンブール発
7/24(土)
ソウル→福岡着
機中
○調査スケジュール
日
程
スケジュール
大成建設プロジェクト本部事務所
ウスクダル駅工事現場
7/19(月・祝) ボスポラス海峡横断鉄道トンネル工事現場
トルコ・トヨタ(TMMT)
JETROイスタンブール事務所
バルタリマン日本庭園
7/20(火)
ボアジチ大学
在イスタンブール日本国総領事
7/21(水)
カッパドキア
7/22(木)
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(2)参加メンバー
No.
団
氏
名
団
役
職
長
福田 浩一
1
企業・団体名
株式会社 山口銀行
代表取締役頭取
員
2
古田 賢造
株式会社 アクシス
代表取締役社長
3
古田 德見
株式会社 アクシス
総務部長
4
奥原 征一郎
アジア特殊製鋼 株式会社
代表取締役会長
5
木下 勝之
アジア特殊製鋼 株式会社
取締役社長
6
川久保 賢隆
株式会社 片岡計測器サービス
代表取締役社長
7
川久保 雄太
株式会社 片岡計測器サービス
8
清原 生郎
関門港湾建設 株式会社
代表取締役社長
9
林 一夫
株式会社 北九州経済研究所
主任研究員
10
坂本 達宣
有限会社 坂本石灰工業所
代表取締役社長
11
永倉 悛六郎
株式会社 佐電工
代表取締役社長
12
村上 博史
株式会社 シモセン
代表取締役社長
13
松村 久
下関唐戸魚市場 株式会社
代表取締役社長
14
末永 汎本
弁護士法人 末永法律事務所
弁護士
15
砂田 泰彦
株式会社 スナダフーヅ
会長
16
伊藤 登
株式会社 創舎
代表取締役社長
17
喜久田 宏
株式会社 創舎
相談役
18
喜久田 朱美
株式会社 創舎
19
杉山 晶等
太陽産業 株式会社
代表取締役社長
20
杉山 松枝
太陽産業 株式会社
総務部長
21
江藤 三郎
株式会社 電通九州
統括局長
22
藤田 敏彦
冨士商 株式会社
代表取締役社長
23
森繁 博治
株式会社 朋友商事
代表取締役社長
24
柳屋 芳雄
株式会社 ヤナギヤ
代表取締役社長
25
塩見 侃三
株式会社 山口経営研究所
代表取締役社長
26
林 泰四郎
山口合同ガス 株式会社
代表取締役社長
27
齋藤 宗房
山口トヨタ自動車株式会社
代表取締役社長
28
西尾 正嗣
株式会社 山田事務所
取締役
事 務 局
29
筬島 修三
社団法人 九州経済連合会
社会資本部長
30
小早川 隆
中国経済連合会
部長
- 2 -
2.トルコ共和国の概要
[位
置]
- 3 -
[歴
史]
○ ビザンチン帝国(330 年~1453 年)
4 世紀、アナトリア半島はローマ帝国の支配下にあったが、ローマ帝国が東西に分
裂したことにより、ビザンチン(東ローマ)帝国の領土となる。330 年にコンスタン
チヌス 1 世がビザンチウム(現在のイスタンブール)に遷都し、
「コンスタンティノ
ープル」と命名。そして、ユスティニアヌス 1 世の時代に最盛期を迎え、スペインか
らエジプトまで広く勢力下に置いた。
一方、モンゴル高原を拠点としていたトルコ民族は 9 世紀後半に中央アジアに移動
し、セルジューク朝を開く(首都はコンヤ)。そしてアナトリアにも進出してビザン
チン帝国と対峙した。
1071 年にビザンチン帝国はマラズギルトの戦いで破れ、以後アナトリアの歴史にト
ルコ民族が入ってくる。
○ オスマン帝国(1299 年~1922 年)
初代スルタン(皇帝)、オスマン 1 世がアレクサンドリアなどを次々に支配し、地中
海世界に大帝国を築いた。1453 年にメフメット 2 世がコンスタンティノープルを攻め
落としてビザンチン帝国は滅亡し、コンスタンティノープルの名称をイスタンブール
と改めた。その後、勢力を西へと拡大していき、16 世紀スレイマン 1 世の時代に最盛
期を迎える。オスマン帝国の支配は、アジア、ヨーロッパ、アフリカに及んだ。
○ トルコ共和国(1923 年~)
オスマン帝国末期は、欧州列強に押されて縮小を続け、「欧州の病人」と呼ばれた。
第一次世界大戦でドイツ側につき敗戦。ギリシャ、英国などによる侵略のため国家存
亡の危機に直面したが、初代大統領ケマル・アタテュルクに率いられ祖国解放戦争に
より侵略を阻止し、トルコ共和国を成立させた。
- 4 -
[概
況]
国家名称
トルコ共和国(Republic of Turkey)
面
積
77 万 4,815k㎡
人
口
7,256 万人(2009 年中央) *平均年齢は 28.8 歳
首
都
アンカラ(人口:465 万人)
*日本の約2倍
経済都市
イスタンブール(人口:1,290 万人)
言
語
トルコ語(ウラル・アルタイ語系)
宗
教
イスラム教 99%、他にキリスト教、ユダヤ教など
その他
3 大都市(イスタンブール、アンカラ、イズミール)に約 2000 万人が
集中し、GDP の約 40%を創出。
[基礎的経済指標]
[政
実質 GDP 成長率
-4.7% (2009 年)
名目 GDP 総額
6,154 億 8,289 万ドル (2009 年)
一人あたり GDP(名目)
8,723 ドル (2009 年)
消費者物価上昇率
6.3% (2009 年)
失業率
14.0% (2009 年)
治]
政体
共和制
元首
アブドゥッラー・ギュル 大統領
一院制(550 議席、任期 5 年)
議会制度
主な政党別議席数:与党:公正発展党(AKP/336)、野党:共和人民党
(CHP/98)、民主主義者行動党(MHP/69)(2009 年 1 月 29 日現在)
首相 レジェップ・タイープ・エルドアン (AKP 党首)
副首相兼国務相 アリ・ババジャン
副首相兼国務相 ビュレント・アルンチ
国務相 ハヤーティ・ヤズシュ
エネルギー天然資源相 タネル・ユルドゥズ
内閣(主要閣僚)
財務相 メフメト・シムシェク
商工相 ニハト・エルギュン
外務相 アフメド・ダヴトオウル
国務相(EU 加盟交渉主席) エゲメン・バウシュ
貿易担当国務相 ジェヴト・ユルマズ
・ 政教分離(世俗主義)
その他
・ 歴史的に、国軍がアタチュルク主義(世俗主義)を支持する強
力な政治的勢力となっている。
- 5 -
[日本との関係]
日本との貿易
日本の輸出(A): 1,597
(通関ベース)
日本の輸入(B): 399
収支(A-B): 1,198
(2009 年、単位:100 万ドル)
一般機械(28.2%)、輸送機械(自動車、同部品等)
(22.1%)、
日本の主要輸出品目
電気機器(16.0%)
*カッコ内は 2009 年の構成比
食料品(41.8%)、衣類品(15.2%)、一般機械(11.6%)
日本の主要輸入品目
*カッコ内は 2009 年の構成比
日本側の大幅な出超。貿易構造は、日本が主として機械機
対日貿易上の特徴
器を輸出し、トルコから銅鉱や天然ホウ酸などの原料品、
トマトピューレ類やたばこ、魚介類などの食料品、アパレ
ルなどの繊維製品を中心とした工業製品を輸入する形に
なっている。
企業数:現地法人 63 社(支店 11、駐在員事務所 16、100%
出資 29、合弁 6 など)(2008 年 10 月現在)
日系企業進出状況
企業名:トヨタ自動車、いすゞ、本田技研工業、ブリヂス
トン、矢崎総業、カゴメ、YKK など
1,346 名
在留邦人
(アンカラ管内 256 名、イスタンブール管内 1,090 名)
(2008 年 10 月 1 日現在)
通商航海条約(1930 年署名)
、査証免除取極(1957 年署名)、
二国間協定
航空協定(1989 年署名)、投資保護協定(1992 年 2 月署名)、
租税協定(1993 年 3 月署名)
2010 年はエルトゥールル号事件(※)から 120 年の大きな節
その他
目にあたるため、「2010 年トルコにおける日本年」として
様々な行事が開催されている。
※エルトゥールル号事件・・・1890 年にトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県紀州沖で遭
難した際、付近の住民が乗組員を救助し、その後日本の軍艦で
丁重に送還した。この出来事がトルコ人の心を打ち、両国の友
好の原点となったとされている。
- 6 -
3.ボスポラス海峡の概要
黒海
ボスポラス海峡
アジア側
ヨーロッパ側
マルマラ海
· イスタンブールはアジアとヨーロッパの2つの大陸にまたがるトルコ最大の都市であ
り、かつてビザンチン帝国、オスマン帝国の首都であったことから、歴代帝国の遺跡
や文化財が数多く残されている。「イスタンブール歴史地域」は世界遺産に登録されて
おり、世界有数の観光地となっている。
· イスタンブールの中心を貫くボスポラス海峡は南北に細長く、北は黒海、南はマルマ
ラ海につながっており、黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝である。
· 海峡の長さは約 30km、幅は最も狭い地点で約 760mである。長さや最狭部の幅、海
峡の両岸が市街地である点などは関門海峡に類似しており、特に橋を背景にした景観
- 7 -
はよく似ている。
· 1973 年に長さ 1,074mの第一ボスポラス大橋が完成し、ヨーロッパとアジアが直結す
ることとなった。更に 1988 年に第1ボスポラス大橋の北 5.5kmの地点に、長さ 1,090
mの第2ボスポラス大橋が円借款と日本の技術により建設された。
· 現在、ボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルの建設が円借款を用いて進められ
ており、大成建設JVが一括受注している。
· 交通の要衝であるボスポラス海峡は軍事的にも重要な地だったことから、海峡沿いに
は城塞や宮殿などが多く残っている。また、プールやクルーザーなどを備えた豪邸の
ほか、レストランなども多く見られる。
· ボスポラス海峡沿いの見所を海からクルーズ船に乗って眺める「ボスポラス・クルー
ズ」が、イスタンブール観光の目玉のひとつとなっている。海峡のアジア側とヨーロ
ッパ側に交互に止まりながら走る定期観光船のほか、プライベートなミニクルーズや
ディナークルーズを専門に扱うクルーズ船も多数運航している。
海峡から見たヨーロッパ側市街地
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停泊中の豪華客船
トプカプ宮殿
- 9 -
ドルマバフチェ宮殿
第1ボスポラス大橋
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城塞(ルメリ・ヒサル)
海峡沿いの豪邸
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第2ボスポラス大橋
海峡沿いのレストラン
- 12 -
4.訪問記録
(1)ボスポラス海峡横断鉄道トンネル
日
時:2010年7月19日(月) 9:00~10:30
訪問先:大成建設プロジェクト本部事務所
対応者:大成建設株式会社 常務
[概
近江秀味氏
要]
大成建設プロジェクト本部事務所を訪問し、ボスポラス海峡横断鉄道トンネル建設工事
の概要説明を受けた。その後、ウスクダル駅およびトンネルの工事現場を視察した。
[マルマライプロジェクト]
· イスタンブール市はアジア側とヨーロッパ側に
またがっており、ボスポラス海峡によって隔てら
れている。現在、ボスポラス海峡を横断する交通
手段は 2 本の道路橋と海上フェリーだけであり、
市民は慢性的な交通混雑に悩まされている。
· マルマライプロジェクトは、慢性的な交通混雑を
解消すべく、ボスポラス海峡を横断する海底鉄道
トンネルにより、イスタンブールのヨーロッパ側
の鉄道とアジア側の鉄道を接続するもので、円借
近江常務
款を用いて進行中である。
· アジア側 43.4km、ヨーロッパ側 19.3kmの郊外区間の鉄道整備と、海峡を横断する
13.6kmのボスポラス海峡横断鉄道建設工事からなる計画で、完成すればアジア側と
ヨーロッパ側の鉄道が地下鉄でつながり、国鉄と地下鉄が相互乗り入れする形となる。
· 当初は 2009 年に完成する予定であったが、工事中に多数の遺跡が発掘されたために大
幅に工期が遅れ、2013 年に完工予定となっている。
· ボスポラス海峡を海底トンネルで結ぶ構想はオスマン帝国時代の 1860 年からあり、当
時の構想は海底ではなく水中トンネルであった。また、100 年前には海底トンネルの構
想もあった。150 年来の夢が、ようやく実現しようとしている。
- 13 -
アイリリクチェシュメ
路線図
[ボスポラス海峡横断鉄道トンネル建設工事]
· ボスポラス海峡横断鉄道トンネル建設工事は、カズリチェシュメ駅からアイリリクチ
ェシュメ駅の総延長 13.6km部分で、延長約 9.4km のシールドトンネル、ボスポラス
海峡部約 1.4km の沈埋トンネル、4 駅舎の建設などからなる大規模プロジェクトであ
る。
· トンネルのうちボスポラス海峡部の約 1.4kmの区間は、世界最深(最大深度 -60m)
となる沈埋トンネルで、当会の会員企業である関門港湾建設株式会社も高度なグラブ
浚渫技術を用いて建設に参画している。
· 沈埋トンネル工法とは、あらかじめ作っておいた函体(沈埋函)を海に浮かべて沈設
地点まで曳航し、沈設を順次繰り返しながら、函体を接合することで、海底に連続し
たトンネルを構築する工法である。本工事では、11 個の沈埋函を使用している。
· 陸上のトンネルはトンネル・ボーリング・マシンで掘削する。掘削すると同時にセグ
メントと呼ばれるリングを連続的に構築するシールド工法を採用している。このシー
ルドトンネルは、海峡の下で特殊な接続構造を用いて沈埋函と接続する。
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プロジェクトの概要
施
主
トルコ共和国
運輸通信省 鉄道・港湾・空港建設総局
施
工
大成・Gama・Nurol 共同企業体
入札日
2003 年 10 月 3 日
契約調印日
2004 年 5 月 6 日
着工日
2004 年 8 月 27 日
契約金額
約 1,023 億円
資金調達
日本国際協力銀行(JBIC)
契約工期
56 ヶ月(~2009 年 4 月 48 日)
→ 110 ヶ月(~2013 年 10 月 28 日)
→ 約 1,530 億円
工事の内容
● 延長約 13.6kmの軌道および付帯構造物の設計および施工
・沈埋トンネル
:1,387m
・シールドトンネル:総延長 18,720m(9,360m×2)
・山岳トンネル
:シルケジ駅(プラットフォーム部(250m)、中央通路
部等)、渡り線、避難連絡通路
・開削駅舎
:イェニカプ駅(760m)、ウスクダル駅(310m)、
シルケジ駅入り口
・地上駅舎
:カズリチェシュメ駅(225m)
・その他構造物
:開削トンネル、橋梁、換気建屋
● 駅舎建屋、設備・電気工事の設計施工
● 既存トルコ国鉄(TCDD)の移設
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断面図
[沈埋トンネル工法の手順]
① 海に面したドックで沈埋函の下半分を構築し、引き続き洋上で上半分を構築する。
② 海底を台形に浚渫する。
(60mという深度で流れがある中で作業できる設備が現地にな
かったため、関門港湾建設の浚渫船を日本から運んできて浚渫を行った。
)
③ 船上から遠隔操作するロボットを使って、浚渫した海底に基礎となる石を敷き詰める。
④ 沈設地点まで専用の船で沈埋函を曳航し、沈埋函の空洞部に海水を入れて重みをつけ
(潜水艦と同じ仕組み)、少しずつ沈めていく。
⑤ 沈埋函を沈設する。GPS およびマルチビームにより正確な函体位置や海底地形を監視
し、超音波により函体間の相対位置を計測することで、適切な位置管理を行う。
(ボス
ポラス海峡では黒海からマルマラ海に向けて一方的に潮が流れており、底部では逆の
流れがあるが、浚渫した溝の部分は流れが比較的穏やかなため、安定した沈設が可能。)
⑥ 沈埋函同士を接続する際には、接合部のゴムを密着させジャッキで引き寄せた後、接
合部の空間の水を抜く。これにより水圧により強力に接合できる仕組みとなっている。
その後、鉄筋コンクリートで接合する。
⑦ 両側をブロックで固めて埋め戻す。上部には、洗掘防止(水で流れるのを防ぐ)、被覆
防護、走錨防止(船の錨による損傷を防ぐ)の工事を行う。
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沈埋トンネルの平面・縦断図
沈埋トンネルの概要
沈埋トンネル延長
1,387m
函体数
11 函体
函体構造
鉄筋コンクリート
函体長
98.5m~135m
水深
最大約 60m
函体幅
15.3m
函体高
8.6m
沈設方法
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接合方法
完成時標準断面図
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ウスクダル駅の地下プラットホーム部分
トンネルの内部
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シールドトンネルと沈埋トンネルの接合部
ウスクダル駅の地上部分
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(2)トルコ・トヨタ
日
時:2010年7月19日(月) 13:00~15:00
訪問先:トルコ・トヨタ(トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ターキー㈱)
対応者:社長
[概
オルハン・オゼル氏、副社長 北澤伸康氏
他
要]
アダパザル市にあるトルコ・トヨタ(トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・タ
ーキー㈱)を訪問し、同社の概要について説明を受けるとともに、工場内を視察した。
イスタンブール市
アダパザル市
(イスタンブール市より
約 140km)
[トルコ・トヨタの概要]
· 1990年にトルコのサバンジ財閥との合弁企業として輸入車の販売からスタートし、
1994年からカローラの生産を開始。
· 2000年10月に製造と販売を分離し、生産・輸入を行うトヨタ・モーター・マニ
ュファクチャリング・ターキー(TMMT)とトルコ国内販売を担当する代理店を設
立。2001年10月にTMMTは日本出資100%の会社となった。
· 2009年4月には、生産累計100万台を達成。
- 21 -
· 年間生産能力は約15万台。7時~17時、および17時15分~3時15分の2軸
で稼働しており、トヨタ生産方式の特徴のひとつであるジャスト・イン・タイム方式
(必要なものを、必要なときに、必要なだけ作る方式)をとっている。
· 現在、オーリスおよびバーソの2車種を製造し、ヨーロッパを中心に40カ国以上に
輸出している。2009年の生産台数は約7万2千台(2006年の17万7千台か
ら大幅に減少)。
· トルコ国内におけるトルコ・トヨタの自動車生産台数は、ルノー、フィアット、フォ
ードに次いで4位となっている(2009年)
。
· 従業員数は、生産台数減に伴い期間工をゼロにし、現在3,000人弱。製造現場は
高専卒、オフィスは一流大卒の優秀な人材を確保しており、日本語も300名以上が
堪能である。
トルコ・トヨタの概要
会社名
Toyota Motor Manufacturing Turkey(TMMT)
所在地
トルコ共和国 サカリヤ県 アダパザル市
設立
1990年7月
生産能力
年産15万台/年 程度
生産車種
オーリス、バーソ
敷地面積
約90万㎡
生産開始時期
1994年9月
従業員数
約3,000人
[質疑応答]
Q.この工場で生産した自動車のうち、輸出される割合はどの程度か。
A.約95%を輸出しており、主にヨーロッパ向け。
Q.ヨーロッパ向けの生産拠点はこの工場以外にどこにあるか。
A.英国、フランス、チェコ、トルコの4工場で分担してヨーロッパ向けの製品を製造
している。
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Q.4つの製造拠点のうち、トルコの生産能力は何番目か。
A.最も生産能力が高いのは英国、次いでフランス、チェコ、トルコの順。
Q.イスラム教徒の従業員には、お祈りの時間を認めているのか。
A.トルコは政教分離の政策をとっており、入社の際に勤務時間中にお祈りはしない旨
の了解を取っている。
Q.日本と同じように、従業員の提案制度を実施しているのか。
A.改善提案制度を実施している。ただし、まだ内容的には思い付き程度のものが多く、
採用にまで至るものは少ないため、仕組みの改善を検討中。
Q.イスタンブール市内の渋滞が激しいが、道路事情によるものか、車が多すぎるのか。
A.両方である。イスタンブール市は1千万人以上の人口を抱えているが、ボスポラス
海峡に橋が2つしかないため、そこがボトルネックになって非常に渋滞する。しか
し、ここ(アダパザル市)のような田舎ではまったく渋滞はない。
Q.95%が輸出向けとのことであったが、今後トルコ国内向けを増やしていく計画が
あるか。
A.当初はトルコの国内市場向けの車だけを作っていたが、ヨーロッパで多く売れる車
を作る方針に転換したため、トルコ向けに特化した車は現在作っていない。その代
わりに、日本などからトルコ向けの車を輸入している。将来的には、トルコに適し
た車も生産したいと考えている。なお、トルコでは商用車に対する税制上の恩典が
あるため、商用車タイプの乗用車が多い。
Q.トルコでのトヨタのシェアはどの程度か。
A.5~6%程度。トヨタは基本的に乗用車しか売っていないのが弱みである。
Q.世界的な経済危機のトルコへの影響について、現地にいてどう感じているか。また、
ヨーロッパについてはどう思うか。
A.トルコの近年のGDP成長率は高く、インフレ率も6~8%程度であり、トルコリ
ラもドルやユーロに対して堅調で、景気が悪いという実感はあまりない。特にイス
タンブールなどの大都市では、経済は堅調である。
中国、インドなどの自動車販売は既に回復傾向にあるが、ヨーロッパが最も回復が
遅れている。ヨーロッパについては、2~3年は厳しい状況が続くのではないかと
危惧している
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組立工場の様子
工場で説明を受ける調査団一行
- 24 -
右側より福田団長、齋藤団員、オゼル社長、北澤副社長
現地生産1号車の前で記念撮影
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(3)JETROイスタンブール事務所
日
時:2010年7月19日(月) 18:30~19:00
場
所:スイスホテル
会議室
対応者:JETROイスタンブール事務所
[概
所長 石原圭昭氏
要]
JETROイスタンブール事務所より、トルコにおけるビジネス環境等について説明を
受けた。
[トルコ経済の状況]
· 2002年に親イスラムのエルドアン政権となって2期目で
あり、公正発展党(AKP)の単独政権で政治運営が安定し
ていることが、2000年代にトルコ経済が順調に成長した
バックグラウンドとなっている。
· トルコは90年代に財政破綻の危機にあったが、エルドアン
政権下でIMFの支援による緊縮財政と構造改革がうまくい
った。
石原所長
· 2005年にEU加盟交渉が始まったことで信用力が上がり、外資がたくさん入って
きた。
· IMFの支援とEU加盟交渉が、トルコ経済が成長しBRICsに次ぐ新興国と言わ
れるようになった大きな要因である。
· 1996年にEUと関税同盟を結んだことにより、トルコは東欧と同様にヨーロッパ
の「生産工場」となり、自動車を中心に外資が入ってくるようになった。ただし、ト
ルコはいわばEUの組立工場であり、付加価値の高い物は輸入している。そのため、
慢性的な貿易赤字となっており、経済が好調になるほど経常赤字が大きくなる傾向が
ある。
· 失業率は高く、常に10%を超えている。経済成長が4~5%程度をキープしていか
ないと失業率は下がらないのではないか。
- 26 -
· 政策金利は6.5%と高く、1年半前は16.75%であった。金利が高く企業が国
内の銀行から借りるのが難しいため、外資からドルやユーロを借りることが多い。
· 金利を高くすることでお金を集めている国であり、インフレを抑えたいという意図も
あるため、先進国のように政策金利を低く抑えることは難しい。
· トルコの日系企業(日本人駐在の企業)は58社あり、そのうち15社が製造業で、
そのほとんどが自動車関連。その他のトルコ人が経営する会社も含めると、日系資本
が入った企業は100社程度。
· 最近、日系企業の販売会社の設立や駐在事務所を現地法人に変える動きが多く見られ
る。今後、トルコを中東・アフリカのヘッドクオーターにする企業が増えていくと思
われる。
[トルコの政治動向]
· 今後のトルコ経済がどうなるかは、政治動向に大きく左右される。
· トルコでは国軍がアタチュルクの流れを受け継いでおり、世俗主義勢力を支持してい
る。国軍は、政権がイスラム寄りになるとクーデターを起こし、政情が安定してくる
と次の政権にバトンタッチするということをやってきた。しかし、EU加盟交渉に悪
影響を与える懸念があるため、国軍は政治介入しづらい状況となっている。
· トルコの大統領は拒否権を持っており、大統領が世俗主義派であった2007年まで
は、国会がイスラム寄りの法案を出すと大統領が拒否権を発動してきた。しかし、現
在のギュル大統領はエルドアン政権に近いため、政治的バランスが親イスラムに寄っ
ている。
· 2008年に検察当局は、与党の公正発展党(AKP)が政教分離の原則(世俗主義)
に背きトルコにイスラムの原則を持ち込もうとしているとして、同党の解党訴訟を起
こしたが、憲法裁判所はこの訴えを棄却した。
· エルドアン政権はビジネス最優先のプラグマティズムを貫いており、従来は世俗主義
派を支持していた財閥がエルドアン政権を支持している。
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· 2011年には総選挙があり、エルドアン政権が勝つと予想されている。しかし、野
党の共和人民党(CHP)が盛り返して、公正発展党(AKP)が単独過半数を取れ
ないと、政治的に不安定になることが懸念される。
· トルコでは世俗主義を憲法で定めているが、現在、憲法改正の動きがある。大統領の
ほか憲法裁判所もエルドアン政権寄りになっていることが懸念材料である。
· イスラム寄りか世俗主義派かにかかわらず、政治が安定するかどうかがトルコへの投
資の判断材料となろう。
[質疑応答]
Q.日系企業が進出する際、トルコならではの難しさはあるか。
A.税関などでの法律的な運用は十分ではなく、途上国並みである。また、トルコ人は人
当たりが良く付き合いやすいが、ビジネスの話になると非常にシビアな面があるとい
う印象を受ける。
石原所長(右)と福田団長(左)
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(4)バルタリマン日本庭園
日
時:2010年7月20日(火) 10:00~11:00
訪問先:バルタリマン日本庭園(茶室修復完成披露式典)
出席者:イスタンブール市
カディル・トプバシュ市長
在イスタンブール日本国総領事館 林克好総領事
[概
下関市
中尾友昭市長、関谷博市議会議長
調査団
福田団長
要]
· イスタンブール市内にあるバルタリマン日本庭園の茶室の修復が完成したことを受け
て、披露式典が開催された。茶室の修復にあたっては、イスタンブール市と姉妹都市
の提携を結んでいる下関市が技術支援を行った。
· 式典には、イスタンブール市長、在イスタンブール日本国総領事、下関市長、下関市
議会議長、福田団長が出席したほか、イスタンブール日本人会、地元市民など大勢の
参加者があった。
· 下関市長および下関市議会議長より、茶室修復が完成したことに対し、お祝いの挨拶
があった。これを受け、イスタンブール市長が下関市の支援に対する謝辞を述べられ
た。
· 平成 19 年にイスタンブール市より下関市に対しトルコチューリップの球根5万球が贈
呈されたお礼として、下関市よりバルタリマン日本庭園に対し、畳、四つ目垣、日本
瓦、灯篭などの記念品が寄贈された。
· 式典後、日本人学校児童による合唱、下関市民訪問団による和太鼓などが披露された。
· また、茶室において行われた初茶会セレモニーに福田団長と清原団員が参加した。
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完成した茶室
水屋
炉
準備室
小間
立席
襖
玄関
広間
床の間
障子
茶室の見取り図
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式台
式典の様子
茶会の様子
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(5)ボアジチ大学
日
時:2010年7月20日(火) 11:30~12:30
訪問先:ボアジチ大学
対応者:ボアジチ大学
[概
文理学部歴史学科
日本語常勤講師 所司真理子氏
要]
ボアジチ大学のメインキャンパスを訪問し、概要説明を受けるとともに、キャンパス内
を視察した。
[ボアジチ大学の概要]
· ボアジチ大学は、イスタンブールにあるトルコを代表する
国立大学である。オスマン帝国末期の1863年にアメリ
カ人が創設したカレッジを前身としており、1971年に
国立総合大学として設立された。
· 工学部、経済学部、教育学部、外国語学部、文理学部があ
り、学生総数は約1万1千人である。
· アメリカン・カレッジとして創設された伝統を継承し、す
所司先生
べての授業が英語で行われている。
· 諸外国の大学と姉妹大学提携を結ぶなど、大学の国際化に力を入れており、1988
年からは文理学部歴史学科に日本語講座が開講されている。
· 様々な国との交換留学制度があり、日本では、当会の会員企業である山口銀行の支援
により下関市立大学に留学生を受け入れているほか、関西外国語大学、慶應義塾大学、
東京工業大学、東京外国語大学、静岡県立大学、筑波大学、早稲田大学との交換留学
制度がある。
· サークル活動も盛んで、音楽、写真、文芸、スポーツ、マンガ、登山、社会奉仕など
約35のサークルがあり、サッカー選手、俳優、歌手、政治家など多くの有名人を輩
出している。
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· キャンパスは3箇所に分かれており、イスタンブール市のヨーロッパ側に2箇所、ア
ジア側に1箇所となっている。その名にふさわしく(「ボアジチ」とはトルコ語でボス
ポラス海峡を意味している)
、メインキャンパスは市中心部からやや離れた高級住宅地
のボスポラス海峡を見下ろす高台に位置する。
· メインキャンパスには、図書館、コンサートホール、女子寮、男子寮などの建物があ
り、その多くは1863年に建てられた歴史的建造物で、メンテナンスを重ねながら
使用されている。
キャンパスの位置
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メインキャンパスから望むボスポラス海峡
芝生広場での記念撮影
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(6)在イスタンブール日本国総領事
日
時:2010年7月20日(火) 19:00~20:30
訪問先:在イスタンブール日本国総領事公邸
出席者:在イスタンブール日本国総領事館 林克好総領事 他
[概
下関市
中尾友昭市長、関谷博市議会議長 他
調査団一行
福田団長他(計30名)
その他
イスタンブール日本人会メンバーなど
要]
在イスタンブール日本国総領事館の林総領事より、総領事公邸でのレセプションに招待
され、下関市関係者等とともに出席した。
[林総領事のコメント]
· トルコは世界有数の親日国であり、本年はエルトゥールル
号事件から120年にあたることから、官民をあげて「2
010年トルコにおける日本年」を実施している。
· バルタリマン日本庭園の茶室は、老朽化したまま放置され
ていた。「2010年トルコにおける日本年」である今年
を逃すとこのまま放置されてしまうと考え、この機会を何
とか活かしたいという話を日本人会の方々としたのが改
修の発端であった。改修を実施してくれたイスタンブール
林総領事
市と協力してくれた下関市には感謝している。
· 今後、茶室を含む日本庭園をいかに活用していくかが課題であり、春と秋の気候の良い
時期に何らかのイベントを開催したいと考えている。
· 地元の人にいかにPRして認知してもらうかが重要である。本年、日本庭園に鯉のぼ
りを泳がせたいと考えて予算要求したが、残念ながら予算が付かなかった。来年は無
理だが、再来年以降に是非ともイスタンブールの青空で鯉のぼりを泳がせたい。
· 日本庭園の活用について、地元での要望があれば、下関市にも伝える。下関市でも何
か要望やアイデアがあれば言ってほしい。お互いに連携してイスタンブール市当局に
働きかけたい。
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会場の様子
左から林総領事ご夫妻、福田団長、中尾市長、関谷市議会議長
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(7)カッパドキア
[カッパドキアの概要]
カッパドキア
カイセリ
ネヴィシュヒル
· カッパドキアはアナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯である。「ギョレメ国立公
園とカッパドキアの岩石遺跡群」は複合遺産として世界遺産に登録されており、トル
コの人気観光地となっている。
· カッパドキア一帯の地層は火山の噴火によって造られた。風雨に打たれて柔らかい部
分は浸食が進み、硬い岩の部分が残って、円錐型、尖塔型、円柱型、キノコ型などの
不思議な形の岩が形成された。
· カッパドキア地方はヒッタイト時代から交易ルートの要衝として栄えたが、その市場
や資源を狙った侵略、略奪の対象となった。こうした侵略者たちから身を守るため、
地元の住民たちは入り口を隠すことができる洞窟に住むようになったと言われている。
· 古代ローマ時代にはキリスト教徒が岩を掘って住みはじめ、天然の洞窟に手を加えて、
住居だけでなく礼拝堂や教会などを作り上げた。多くの教会の天井や壁は、みごとな
フレスコ画で飾られている。約 30 の教会が集まるギョレメの谷は野外博物館として公
開されており、カッパドキア観光の中心となっている。
· カッパドキアには、蟻の巣のように地下へと伸びる巨大な地下都市が十数か所も存在
する。1964 年に発見されたカイマクルの地下都市は 6~7 世紀頃作られたとされており、
地下 8 階の深さで、約 1 万 5 千人が生活できたと推定されている。地下には、居室、
食料貯蔵庫、ワイン蔵、貯水槽、教会、換気坑などがそれぞれ独立して掘られている。
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ギョレメの風景
ギョレメ野外博物館
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ギョレメの奇岩
ウチヒサルの砦
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「3人姉妹の岩」
パシャバーのキノコ型の岩
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「ラクダ岩」
カイマクルの地下都市
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[気球ツアー]
· 雄大なカッパドキアの景色を上空から堪能する気球ツアーが、観光客の間で人気とな
っている。
· 早朝に予約客を各ホテルでピックアップしてバルーン会社のオフィスに集合した後、
フライト地点に向かう。
· フライト時間は約1時間で、料金は1人2万円程度である。気球はかなり大きく、1
つの気球に24人が乗ることができる。
· 以前はバルーン会社は2社しかなかったそうだが、最近5~6年で観光客が急増し、
現在では10社程度が営業しているとのことであった。
· この日は約50個もの気球が上がっていた。1個の気球に20人乗っているとすると、
1日の売上は合計で2,000万円にのぼる。実際には悪天候で飛べない日もあろう
が、気球ツアーは単純計算で年間売上73億円の観光産業ということになる。
· 多数の気球が発着できる広大な平地があることに加え、何よりもカッパドキアの景観
という稀有な観光資源があってこそのツアーであるといえよう。
気球から眺めたカッパドキア
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