イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響

イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響
The Impact of Islamic Moral to
the Saudi Education
アルジール・ムハンマド・ハサン
ALZEER Mohammad Hassan
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1.道徳の定義とその重要性
「人間生活に秩序立てるもの」として道徳を定義する。そして社会にお
ける行動やその目的に影響を与えるので、それは社会が是認する内容で
あるということにもなる。アリストテレスは道徳を、教育で生まれる理
性的な側面と、慣行から生まれる習性の側面に分ける。それらはまた、
誠実さ、信頼性、信用、公正、忠誠などの美徳を意味する。
道徳は見る人の哲学、思想、信条などによって異なる定義が成り立つ。
マクドーガルは「感情の完結的で上昇的なしくみ」であるとする。ジョン・
デューイーは「精査する行為のすべてで、それは評定、熟慮、願望、擁
護などの行動を含むが、その行動には近いものも遠いものも含む」と言
う。
またその重要性は言うにおよばず、人間文明の建設に枢要なもので、
復興、進歩、団結などを生み出す。
西洋では世俗主義が横行したが、現在は益々宗教に根ざした道徳的価
値を復権させようという傾向が強くなっている。その理由は、特に青年
層における不安や動揺あるいは混乱状態が目立つので、それらに対処す
る喫緊の必要が生じているからである。
2.イスラームの真髄としての道徳とその特徴
イスラームは生活の実際的で包括的な方法である。それは信条、思想、
原則、そして制度であるし、それらはクルアーンと預言者伝承に明らか
である。ムスリムはそれらを学んで習得する必要があるが、その公私に
わたる生活で適用が求められる。自分自身の処し方と周囲の人たちとの
関係も含む。したがって、イスラームの道徳はムスリムにとって達成す
るよう努め、強くて偉大なアッラーの満足を得ようとする行動の実際的
応用的な規範なのである。
ここからイスラームの真髄として基本的に道徳的な性格があるという
事実に到達する。むしろ道徳そのものなのである。なぜならば、それは
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イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響
ムスリムにとって行動上、従うべき方法であり、預言者の妻アーイシャ
が人に問われた際に次のように答えている。「彼の行いはクルアーンその
ものです」
。そして、クルアーン全体は善良さへの呼びかけであり、悪行
を避け禁止するものに他ならない。それはまた、生活改革の方法であり、
信者の行為を向上させようとする恒常的な努力である。それはイスラー
ム的教育の基本目的そのものである。
イスラーム道徳の諸特徴として、次の諸点が挙げられる。
ア . 創造主から人類に対する導きとして降ろされた啓示にその源泉があ
ること。クルアーンは「最善の言葉」であり、従って最善の道徳でも
ある。
イ . 2 つの側面で人間的な様相を帯びていること。
・自らが実際に応用・適用すること。
・人の生活の全側面における秩序であり、それは自分自身であり、
すべての団体、階層、所属、人種、宗教を含む他人との関係でも
ある。
ウ . 信仰や信条と結びついていること。ムスリムにとっては知識を行動
に結び付けなければ信仰も十分とは言えない。クルアーンにもある。
「時間に懸けて誓う、本当に人間は、喪失の中に居る。信仰して善行
にいそしみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの
外は」
(時間章103:1-3 )
。ムスリムが行動の原則を適用することは、
イスラーム道徳の条件と言える。預言者(祝福を)に、どのような信
者がより好ましいのか、と尋ねられ、それに対する答えは、「道徳的
に優れた者だ」というものであった。人々はアッラーの僕として誰
が一番好ましいか、と預言者(祝福を)に問うたのに対し言われた。
「道徳上優れた者である」また「われに一番好ましく、復活の日にわ
れに一番近く座っている者は、道徳的に一番優れた者である」。
エ . 帰依の行為・儀礼との関係
イスラームの道徳はムスリムの実際上の行動規範である。それは信
仰および習得した道徳上の諸原則の実践となる。ムスリムのすべて
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の行いは、そのままアッラーに対する儀礼行為でもあり、それらは
イスラーム道徳の原則と観念に規定されている。その源泉はクルアー
ンと預言者伝承である。その内容は、アッラーが定められた事柄を
実行するということになる。
オ . イスラーム法(シャーリア)の応用であり、その性格は包括的である。
ムスリムの帰依の行為は全生活を含み、生きることと死ぬこと全体
なのである。またそれらは創造主との関係も規定し、人々との諸関
係も規定している。しかもそれはきわめて詳細に渉っている。
3.サウジアラビアにおける教育
サウジアラビアにおける教育の歴史は、イスラームの登場した初期に
遡る。サウジアラビアは新しい国であるとしても、それが目指すところは、
クルアーンが降ろされた当初のイスラーム国家のあり方を復興すること
にある。
アブドゥルアジーズ国王は教育の基礎を、クルアーンと預言者伝承に
定められた。そこから教育上の諸価値や道徳的諸原則を導き出そうとい
うのである。また組織、立法、あらゆる行動規範も同様である。国家統
一という進むべき方向の見地からも、それは初代国王にとって最善の助
けとなり、同時に様々な地域や部族の国民全体にとって治安と安全をも
たらすものであった。
当初は三過程の発展を経た。
ア . クルアーン塾、モスクの私塾、学者の塾といった段階
イ . マッカとマディーナにおける公立学校
ウ . 伝統的教育の存続とサウジ東部と西部に多く見られた私立学校の新
教育導入の並存
1925年、教育庁が設立されたが、それが新教育の本当の初めとなった。
その後、
1953年には教育省となり発展と拡張の段階に入る。教育大臣には、
ファハド・ビン・アブドゥルアジーズ前国王が任ぜられ、引き続き普及、
拡大、そして教育の提供源と専門分野の多様化へと突き進んできた。急
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速に縦方向と横方向の拡大は進み、教育省に加え、他の公的機関、女性
教育機関、民間機関が参画した。多数の学校、大学、専門校などが、幾
多の分野で国の各地方に設けられた。
4.サウジアラビア教育におけるイスラーム道徳教育
サウジアラビアにおける教育がイスラームに基本的に依拠することは、
明らかでありそれは根本的なものである。教育政策であれ、教育内容で
あれ、あるいは研究や学習の素材といった事柄も含む。上記の依拠は以
下の点でまとめられる。
ア.教育政策
・教育政策の目的
目的については、教育政策の第二部に出てくる。
「 28 ― イスラームを正しく完璧に理解することが目的である。また
それを根付かせ広めることにある。イスラームの価値観や教
え、理想などを示し、種々の技能を身に付けさせることにあ
る。建設的な行動を育み、経済的社会的文化的に社会を発展
させ、社会建設の有益な一員となるべく個々人を育てる」
「 32 ― ムスリムをクルアーンに沿った人材とし、
「私が送られたのは、
道徳の尊厳を全うするためである」と言う言葉どおりに人格
を形成させること」
教育政策は教育の各段階の道徳的な目的を定めている。
・保育園と幼稚園の目的
「 64 ― 天性に根ざす一神教の教えの方向性を形成すること」
「 65 ― 子供が良く礼儀を守り、イスラームの美点と正しい方向を吸
収するよう、善良な家族と共に過ごし、好ましい模範を見る
ようにさせること」
・初等教育の目的
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「 73 ― 正しいイスラームの信条が児童の心理に焼き付けられ、完結
的なイスラームの教育で人格が形成され、肉体と知性が鍛錬
されるように図ること」
・中等教育の目的
「 8 ― イスラームの信条が生徒の心理に植付けられ、その行動の柱
となり、アッラーへの愛と篤信と畏怖をその心に育てること」
・高等教育課程の目的
「 94 ― アッラーへの忠誠の実現を図り、アッラーに誠実な行動を取
り、全面的にイスラーム法に則ることを目途とし、政策とし
ては、学校は若者たちを教え、宗教、共同体、国家のために
なる最良の人材とすること」
・大学・大学院レベルの目的
「 109 ― アッラーへの忠誠の信条を成長させ、イスラーム文化を学
び強くて偉大なアッラーに対する責任を感じさせ、本来の
知的現実的な素質が有益であるようにさせること」
イ.教育内容
サウジアラビアが特に強調する教育政策の基本は、初等、中等、高等
の全レベルを通じて宗教が基本であり、イスラーム文化が全教育課程の
基本的な学科になるということである(第11条参照)。
教育課程には専門的な科目があり、それは例えば神学、法学、伝承学、
クルアーン解釈学、イスラーム史、行動道徳などで、どれもイスラーム
の諸価値を学習させるものである。それは学習者の全生涯、全行動に規
範を与えるが、これはイスラームが家族及び社会における全般的な諸関
係を定めていることによる。
5. イスラーム道徳教育の学習者に対する影響と結果
サウジアラビアのイスラームによる道徳教育はいくつかの積極的で知
的にも有益な影響を与えている。またイスラームの道徳的な規範は、現
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イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響
実の諸結果にも影響を与えている。
それらは多大で、ここにそれを言い尽くすことは容易でないので、若
干の例に触れるにとどめる。特にイスラーム社会に貢献し、また非イス
ラーム社会とも共生しなければならないので、世界に通用する真実と善
行のための改革や敬虔さと篤信のための協力に努めている諸例を挙げる
こととする。その最も重要な影響は以下である。
ア.個々人の要求を道徳的精神により満たす
一般的に学生及び学習者は価値や美点、道徳心で満たされ、生存に滋
養を与えたいという気持ちを持っているものである。この目的が達成さ
れ、その心が信仰の価値で満たされ、その行いがイスラーム法に則った
ならば、その精神的成長が実現し、さらには肉体的知的にも完結される。
道徳的な諸原則と美徳の諸価値が達成されるのである。それは純粋で完
全な人格の形成ということでもある。それは信仰上も無謬であり、責任
感と権利と義務のバランス感覚にも満ちている。
イ.個人と社会に与える安心と安定
イスラームの道徳的諸価値で精神を満たすことによって、バランスの
とれた成長が可能になる。それは心理的葛藤の障害を生じたり周囲との
矛盾をかこったり、さらには犯罪や迷惑行為に走ることを防ぐ。正しい
道徳教育は、個々人を不安や混乱に陥らないようにさせ、それらが社会
を脅かすことも防ぐことになる。そしてアッラーがお望みの通り、個人
と社会に貢献する人材を作り出すのである。正しい道のりであり、それ
に従って言動も規範を順守し、アッラーの教えにも従うこととなる。畏
怖と篤信が心と理性(頭)を満たして、争いを避け安定を個人と社会にも
たらす。そして平安と安全の精神が広まるのである。
ウ.イスラーム法に則る国家への信頼と忠誠
このようなイスラームの道徳教育の根本は、イスラーム法である。相
互信頼と国家、社会への忠誠心に満ち、欺瞞と不信仰、暴力と罪深いテ
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ロの道に迷い込まないようにさせるのである。それらの悪徳が生じるの
は、イスラーム法の無知と悪い環境からである。悪行、不信、過ちの輩
はそれらを悪用するのである。若者はそれらの間違った観念に陥らない
ようにすべきである。破壊的な思想や、誤りの方向性、破滅的な活動は
避けなければならない。
エ.対話文化の深化とその普及
イスラームには知恵と警告に満ちた論理的な対話という手法を尊ぶ重
要な一面がある。議論を良くし、それを通じて対話文化を深め、客観的
で論理的な討論を尊重するのである。個人、社会、そして異文化の人た
ちとの対話である。クルアーンに言う。
「われとあなた方の間で平等な言
葉に来なさい」
。このことは預言者伝承でも同じである。論理と証拠、理
性、意見などによって、真理に到達するのである。そして課題につき合
意点を見出す。かくしてイスラームの教育方法は、相対性を重んじる文
化を創出し、論理的な基礎に基づく批判は回避しないようにさせるので
ある。
オ.寛容と中庸
イスラームに依拠して教育が構成されるならば、非ムスリムとの関係
でも寛容と公正の原則に従うこととなる。と言うのもそれは、クルアー
ンで命じられているのである。そしてイスラームの寛容さと中庸である
こと、他宗教の人たちにも公正であることを身に付けることになる。こ
れらは本当に、イスラーム信仰上の高潔さ、公平さ、平等性を物語る実
例でもある。
約束を守り、契約を犯さないことなどは、この寛容性他の道徳的諸原
則の筆頭に挙げられる。現実的な具体例として、他宗教の人たちとの契
約履行、
公正さの維持と不正さの除去が挙げられる。使徒の言葉にもある。
「約束を守らずそれを違え、あるいは実行不可能なことを約束し、結果と
してその一部を不履行とする人でなければ、私が彼を復活の日に覆って
あげよう」
(アブー・ダーウード伝)
。
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イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響
寛容さと赦しに関して、クルアーンに言う。「信仰するものたちに言え。
アッラーの日を望まないものでもゆるしてやれ。なぜなら、現世での彼
らの所業に応じて、アッラーは彼ら一団に来世で報いられるのだから」
(跪
く章45:14 )
。
「
(それで主は仰せられた。)かれらから逸れて去りなさい。
だが、
平安あれと(挨拶して)言いなさい。やがて彼らも知るであろう」
(金
の装飾章43:89)
。
「だからあなたは情け深く寛容に赦してやるがいい」
(ア
ル・ヒジュル章15:85 )
。
「寛容を守り、道理にかなったことを勧め、無
知の者から遠ざかれ」
(高壁章7:199 )
。慈悲深き御方の僕とは、「また無
知の徒が話しかけても、平安あれ、と言う者である」
(識別章25:63 )。
『二真正伝承集』
(編者注:クルアーンに次ぐイスラームの教えの中心と
なる書物)でイブン・マスウードはムハンマドの次のような話を伝えて
いる――ある預言者は、同じ部族の人々に殴られた。しかしその予言者
はその顔の血をぬぐいながら言った。アッラーよ、彼らは知らないのだ
からお赦しなされるように、と。
クルアーンにも次のように言っている。「アッラーがあなた方を赦され
ることを望まないのか」
(御光章24:22 )。
カ.生活と人間性全体への積極性
人間性全体に対する善、という極めて広い内容の道徳的価値がイスラー
ムでは様々な形で説かれている。これの全貌をこの限られた紙面で語り
尽くすことは出来ない。それは善行を勧め、悪行を戒めるというムスリ
ムだけではなく、人類全体であり、アッラーを除く全世界へのメッセー
ジである。またさらには人間だけではなくて、動物、植物、鉱物も対象
にする。その中で、預言者ムハンマドは慈悲として世界に送られたので、
あらゆるイスラームの美徳を体現されているのである。それは、誠実さ、
信頼性、恩恵、人類愛、正直さ、人類への献身振り、善行への願望、言
動共に忠実であること、熟練さ、恥じらい、真剣さ、努力、公正さ、寛
容さ、加害者の容認、約束履行、契約の忠実さ、広い慈恵心、十全さ、
虚飾の回避、謙虚さ、貧窮者への同情、家族や親族への思いやり、情緒、
弱者への信情、アッラーを忘れず生活に役立つ仕事を呼びかけることな
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どである。
知識と有識者の価値を評価することは、イスラームでは人目につく灯
台の明かりのようなものである。それはイスラームの善行の特徴点とし
て、影響と偉大な結果を人間の長い歴史にもたらしたのである。ムスリ
ムの学者たちは自然科学や応用科学などで成果を挙げ、天地の創造を観
察し思索し、人間心理を慮り、理性と思想を働かせるように呼びかけ、
また正しい理性と正しく伝えられた伝統との間には矛盾を生じさせな
かった。
イスラームでの最初の命令は、読め、というものであった。クルアー
ンに言う。
「読め、
『創造なされる御方、あなたの主の御名において。一
凝血から、人間を創られた』
。読め、
『あなたの主は、最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方である』。」
(凝血章96:1-5 )
またイスラームでは観察することを薦めている。クルアーンにも次の
ように示されている。
「言ってやるがいい、『天地のすべてのものを観察
しなさい』
。だが信仰しない人には、印も警告も役立たない」
(ユーヌス章
10:101 )
。
「言ってやるがいい。
『地上を旅して観察せよ。彼が如何に、最初の創
造をされたかを。やがてアッラーは、最後の(甦りの)創造をなされる。
本当にアッラーは、凡てのことに全能であられる』」
(蜘蛛章29:20 )。
正しい行いの一番最高のものとして、アッラーは次のように言われた。
「
(かれらに)言ってやるがいい。
『
(善い事を)行え。アッラーはあなた
方の行いをご存知であられる。彼の使徒と信者たちもまた(見ている)。
やがてあなた方は、幽玄界と現象界を知っておられる方に返される。そ
のとき彼は、あなた方にその行ったことを告げ知らせる』」
(悔悟章9:
105 )
。
「アッラーはあなた方のうち信仰する者や、知識を授けられた者の位階
を上げられる。本当にアッラーは、あなた方の行う一切を熟知なされる。」
(抗弁する女章58:11 )
イスラームは悪行全般及び、人の生活に害を与えるすべての物事を禁
止され、さらには地上の腐敗、環境と自然破壊を諌められている。そし
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イスラーム道徳とサウジアラビア教育への影響
て信仰箇条として、アッラー、天使、啓典、使徒、最後の日、運命の 6
項目が挙げられた。アッラーのみを崇め奉り、いかなる形であれ偶像崇
拝を回避するのである。
そして、命−特に精神と肝臓を持つ生き物の命−が定められ、守られ
ている。また、自らの命を絶つことは罪とされ、それは(地球上の)全員
を殺したと同然とされる。
ある女性が猫を捕まえたが、食べ物を与えずその猫を閉じ込め、地を
這う虫ですら自由に食べさせなかった。その女性は地獄行きとなった。
一方、アッラーは別の女性を喉が乾いてヒーヒー言っていた犬に靴で井
戸の水を汲んでやったために、御赦しになった。生きとし生けるものす
べてにとってイスラームの諸価値は貢献しうるものである。それは神的
な源泉に根ざしている。それはアッラーが導きとして被創造物に下ろさ
れたもので、慈悲であり光であり炎として生涯の道のりを示す。また正
しい道標となる。
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著者略歴
アルジール・ムハンマド・ハサン
ALZEER Mohammad Hassan
イマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学
教授。1972年同大学にてアラビア語学士号取得後、カイロ
大学文学部大学院で学び、博士号取得。1983年よりイマー
ム大学にて教鞭をとり、大学図書館長、アラビア語学部長な
どを務めた。1998年在エジプト・サウジ大使館文化アタッ
シェに任官。2005年よりアラブ イスラーム学院長、現在に
至る。近著に「アジア移民におけるハドラマウト文学入門」
ハドラマウト大学雑誌(第9号)、2006年など。
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