ストラスブールに学ぶ交通体系等

ストラスブールに学ぶ交通体系等
夏梅
都市計画の中の交通体系
建一
(ストラスブールを中心に)
日本各地の近代交通体系は、京都で日本初の市電が運転され、戦後昭和30年から40年前半にピークがあり、
その後車社会への移行により次々と路面電車は廃止されていった。
欧米でも同じ状況が発生したが、一部の都市では、市内中心部の交通体系の見直しが計られ、路面電車の復活
が観られる。代表的な国がドイツであり各都市で元気な電車が人々を運んでいる。今回視察した都市はその代
表的な街である。
ストラスブールも他の都市と同じように第2次世界大戦後のモータリゼーションの波により市の中心地も車
があふれる時代を経験した。市の中心部に人の流れを作る為、鉄道の計画がもちあがり、地下鉄と路面電車の
2案が提案された。
最終的に人の顔が見える路面電車(LRV)の案が採用され、先行していた南ドイツの都市を参考したよう
で、ハイデルベルグのように路線毎に時代を感じさせる通常床高さの電車はみられずスマートな車体が街の中
を走行していた。
1.初期投資は税金が投入されているが、現在の収支は
黒字運営がされている。
2.路面電車は、複線で敷設されており、3両又は4両
編制、運転手のみの“ワンマン運転”(女性の運転手
もおられました)駅での駅員の姿はみられず、運転員
と整備関係者以外は、人員の配置が少ない様子。車両
整備工場の見学を整備工場の正門で交渉したが、予約
が無ければだめと、断られた。
3.基本的なコンセプトは、街の中心より車の乗り入れを禁止し路面電車とバスで人の流れを作り出した。路
面電車の駅にはバス停留所と駐車場を配置し、トラム アンド
バス、パーク アンド
ライドの方式と
した。人員が配置されている駐車場には有料駐輪場もみられる。
4.路面電車の整備と併行して市内中心部での
車の締出しを実施、市中心部付近は乗り入れ
許可車両以外、中心部付近にて U ターンさ
せられる。中心部付近への乗り入れはゲート
でカードキーを挿入、障害物が通行可能状態
になり進行してゆく。滞在中、中心部へ向か
う郵便集配車がゲートを、カードキーで通過
していった。車を締出した中心部では自転車
と歩行者のみとなり、路面電車の停留所では
人が溢れていた。
4
5.路面電車は低床式の為車椅子での乗りこみも自力で可能であり、またラツシュ時以外は自転車の電車内持
込も可能との事。体験乗車中も大学へ行くと思われる学生が自転車と共に乗り込んできていた。
乗車方式は停留所の券売機で切符を購入後、路面電車の扉に設置されているボタンを、押し扉を空け乗り
こむ。自動扉ではなく、ボタンを押さなければ扉は開かないので、乗車時は注意を。
車内検札はあるが、各都市で延べ12時間近く乗車したが、検札を見たのは一回のみでした。
また中心部の運転間隔を短くする為 C ラインと D ラインをAとBラインに相乗りさせラツシュ時の運転
間隔を3∼5 分以内としている。
“
車と比較して、路面電車が便利で安い ” のイメージを徹提しており、40ユーロで近郊は乗り放題で
あり、週末は家族4人が同じパスで乗車出来るなど、利便性と安価制をアピールしていた。
路面電車の試乗で、住宅地の中の始発駅まで行きましたが、都市によっては、旧の本山前程度の道路幅の所を
電車と車、自転車、そして人々が行来していた。(この場合は進行方向が一方通行電車は単線でした)
駐車台数:
駅周辺のみで
4300 台分を用意
Park
運行時間:
午前 4 時 30 分より深夜 0 時 30 分まで
and Ride用
運行延長
路面電車:
A
バ
319
ス
車両規格:
電
源
:
Line 13Km
/
B Line 12Km (各路線に C
Km
3両編成
36編成
33M*2.4M*3.1M
4両編成
17編成
43M*2.4M*3.1M
直流
D line 相乗り)
38.5 Ton
700V
訪問都市の設備比較
都市名
開業年
軌間(mm)
路線延長(km)
車両数
ストラスブール
1994
1435
26
54
シュッツガルト
1868
1000/1435
118
214
フライブルグ
1901
1000
23
73
カールスルーエ
1877
1435
94
189
ハイデルベルグ
1885
1000
80
109
フランクフルト
1872
1435
121
372
※出典
路面電車とまちづくり
5
RACDA編著
学芸出版社
<その他の都市で学ぶ>
フライブルグ(Freiburg)
ドイツ南西部の山地シュヴァルツヴァルト(黒い森)の西端にあり、この地方の文化の中心地をなし、中世ゴシック様
式の大聖堂や15世紀創立の大学で有名な古い町。スイス、フランスとの国境に近く交通の要衝として発展し
てきた。
町の創建は12世紀初頭にさかのぼるが、14世紀半ばから430年余りオーストリア・ハブスブルグ家領であつた
ためか、旧市街には何かしら優美さも感じられる。ベルンを真似て造られたといわれるアーケート ゙付の建物や、
もともと防火と清掃用の造られた道わきの疎水が町の表情を形作っている。116M の高さにそびえる大聖
堂は13世紀から300年をかけて完成され、その塔はドイツ・ゴシックのなかにあって極めつきの美しさを
誇る。14世紀に由来するステンドグラスは同業組合(ツンフト)や都市貴族の寄進したもので、それぞれの紋章が
付されている。328段を登りつめた塔からは、市街のみならず、周囲の山々、遠くはライン河を挟むフラン
ス領ヴァージュ山地まで見渡せる。
大聖堂周辺には、第2次大戦で消失しながらも原型どおりに再建された聖マルテイン教会や商館(カウフハ
ウス)旧市門など多くの歴史的建造物が集まっている。
市周辺はワインで有名なカイザーシュトウール山、あるいは南東に下りテイテイ湖から、現代音楽祭りで有
名なドナウエシンゲンヘ。ワイン産地や温泉地、森の中に点在する湖などを巡る道が、文字どおり縦横に走っ
ている。
カールスル−エ(Karlsruhe)
バーデン・ヴュルテンベルグ州北西部にあって、西はライン河に河港をもち、南はシュヴァルツベルグの北辺に接する中規模
の都市。ハイデルベルグの南50km に位置し、連邦最高裁や原子力研究所が置かれている。
18世紀の初頭というからバロツクの理念に従つたのだろうが、時のバーデン辺境伯カール・ヴイルヘルム
―<カールの安らぎ>を意味する都市の由来―は、社会階層を象徴的に表現する町を造ろうと計画した。太陽と
もいうべき城の、八角塔を中心にして放射状に道路を通し、家臣と市民層の住居を順に配置したのである。
そののち市域の拡大にともない、19世紀初頭には、建築家フリードリツヒ・ヴァインブレナーによって、都市全体を新
古典的なモニュメントにしようという総合計画が立てられた。第2次大戦中の爆
撃のため、その計画による統一的な都市景観は失われたものの、道路網は
ほぼ変わり無く保たれている。
一様式名としても喧伝されたヴァインブレナー の建築はいくつか残っている。
プロテスタント教会、カトリツク教会、市庁舎、辺境伯館、造幣局がそれである。
その他
城、交通博物館、州立美術館なども訪れてみたい。
現在は市域に含まれるが、市の中心部からわずか離れたところに、原カール
スルーエとも呼ぶべきドウルラツハがある。12世紀末から500年余り、辺境伯
の城はここにおかれていた。1700年前後の古い家並みが残り、中世の市門も見られ、郊外はもう森の中へ
と続いている。
カールスルーエの南隣、エトリンゲンにまた、中世の市の遺構、18世紀の城や市庁舎、道化の泉と呼ばれる噴泉、教会
などが残っている。
6
マイカー放棄のまちづくり
ドイツのまちづくり(学芸出版社
著者
春日井道彦
99 年)
フライブルグのフォーボー団地―車所有から放棄までの3段階モデルを提供
ドイツではいま、車から開放された団地づくりが議論されている。マイカー放棄を宣言した人だけが住む住宅
地区である。車のない団地ともいう。
ブレーメンの車のない団地計画の失敗(1992)
計画戸数
約210戸
入居希望者
4人(97 年計画打切り)
失敗理由;
都心から遠い
価格高い
車放棄を強調
経済不況
フライブルグの場合
フォーボ‐団地は92年撤退のフランス軍基地の跡地
都心まで3キロ
路面電車が06年現在のバス路線に変わる予定
近い将来 S-バーン(近郊電車)の駅が近くに来る予定
98 年現在
小学校
1
保育園
農作物市
総面積
住宅総数
2000戸
企業用地
従業員数
商店
1
幼稚園
2
日常食料品店
38 ヘクタール
第 1 期工事
850 戸
600
国境ライン川
7
ストラスブールに学ぶ交通体系等
内田美和子
ストラスブールは、パリから東へ400㎞、ドイツとの国境に位置するアルザス地方の中心都市であり、フ
ランス第6の都市である。人口数25万5,000人、周辺27市町村(総人口43万 5,000人)で構成
されるストラスブール広域共同体の中核都市でもある。広域共同体内の雇用のうち、5万のポストは非居住者
であり、ストラスブール市・広域共同体・その他の地域間で多くの移動が発生する。その移動の74%がマイ
カーによるものであり、公共交通利用率11%、自転車その他15%と低い利用率であった。また、車の交通
量はここ20年間
年平均3%の割合で伸び、主要幹線道の交通量の半分は都心と関係ない通過交通であった。
その結果、中心市街地は衰退の一途をたどり、車の渋滞と、それに伴う環境の悪化のみが深刻化し、人々の足
も次第に遠のいてどんどん空洞化していった。
この車社会を打破するきっかけになったのは、1989年の市長選挙であった。緑の党出身のトロットマン
女史がコストの安い路面電車による交通まちづくりをマニフェストに見事当選を果たし、中心市街地の活性化
を図るための手段のひとつとして、トランジットモール(中心市街地のメインストリートなどで一般車両を制
限し、道路を歩行者とバスや路面電車などの公共交通機関に解放することで町の賑わいを創出しようとするも
の)を導入し、路面電車の建設に着手した。市内にあった駐車場は
撤廃し、反対に市外に新設し、車の中心市街地への通り抜けを禁止
したトラフィックセル(各方面から市街地近くまで車で入れるが、
ある地点で引き返さなければならないシステム)を導入し、199
4年のEU議会の所在地に因んでユーロトラムと命名された、流線
型の車体、大きな窓とドア、静かな走行と超低床型の世界一ファ
ショナブルなトラムを走らせることにより、市街地を人々で溢れる
ようにし、見事にまちの顔を復活させたのである。平行して郊外駅
におけるパークアンドライド(P+R)やバスアンドライド(B+R)システムを導入して、中心市街地へ向
かう車をトラムやバスに転換させ、市街地を歩行者と自転車のための空間として確保したのである。
そのための、思い切った運賃政策(1時間有効で同方向、乗降自由な切符 約140円・24時間有効な1
日切符
約400円・P+R利用者は駐車料金で乗員全員に都心までの往復切符を無料で配布等々)では当然、
経営は赤字である。近年はラインの増設(A線∼D線)とトラムの利用客の増でトラム自体の運賃収入は黒字
ではあるが、建設費や運営費にかさむので国・地方自治体・交通目的税(従業員9人以上の企業が負担する地
方税)によって補填されている。
ストラスブールはEUの欧州会議を初め欧州レベルの国際機関
を多数擁すると共に、ビジネス、行政、文化、教育などの分野でも
大きな役割を果たしている。中心市街地はイル川に囲まれた中の島
地区で、ユネスコ世界遺産に登録された“プティット・フランス”
と呼ばれる美しい木組みの16世紀の家並みがあり、世界各国から
の観光客で賑わっている。
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