228 6.4 つながりの感性を増幅する地域 SNS の効果 経済学者の神野

6.4 つながりの感性を増幅する地域 SNS の効果
経済学者の神野直彦が、スウェーデンのストックホルムから 100 キロほど離れた小さな
町を訪問した時のことである476。ヨーロッパのどこにでもあるような小さな商店街に来て
いる町の住民は、「田舎だから物価が高い」とこぼしていた。ストックホルムはそう遠くな
いのだから、どうして買い物に出かけないのかと訊くと、住人たちは「そんなことをした
ら地元の商店が潰れてしまう。商店街が消えて困るのは町の住民で、なかでも車に乗れな
い子供やお年寄りだ。だから少々高くても日用品は地元で買う」と語ったという。地域共
同体(コミュニティ)は、人間が生を受けてから成長し、老いて死ぬまでのすべての機能
がふくまれている生活空間である。この包括的な機能が満足できなくなると、地域共同体
は崩れ始めて住民の流出が起こる。しかしここでは、代々受け継がれている地域共同体が
しっかりと生きているから、多くの先進国が苦悩しているような町の空洞化は起こらない。
日本の 1.2 倍の国土に約 900 万人が住むスウェーデンでは、低所得者層、高齢者、障害
者、失業者など、社会的弱者もあるレベル以上の生活をすることが保障しながら、経済的
な発展をバランスよく実現されている。日本では、「高福祉高負担の北欧型社会の代表」の
ように語られることが多いが、単なる重税の下にお金を分配しているのでは国民は続かな
い。「社会科学の実験国家」としてモデルとして成功してきた大きな理由には、地域開発グ
ループ(local development group)と呼ばれる、地域共同体の存在があった。
19 世紀後半のスウェーデンでは、隣国デンマークから学んだ「フォルク・ローレッセ
(folkrorelse)」という学習サークル運動が国内各地で起こった。当初は、広く国民生活に密
着した社会交流の機会としての運動であったが、次第に、禁酒運動、自由教会運動、労働
運動、成人教育運動、スポーツ運動、年金生活者団体や障害者団体による運動など、さま
ざまな具体的地域の課題が、メンバーシップの下で議論・実践されるようになった。そし
て、1990 年代の経済不況に伴いこれらの学習サークルが急増し、次第に全国・地方のグル
ープが連携して構造化されて、現在の地域開発グループが生まれた。
スウェーデンでは日本の市町村にあたる「コミューン」という行政単位があり、その数
は約 300。地域開発グループは自主的にグラスルーツ(草の根)で組織され、その数は約
4000 以上に上る。地域開発グループは、生活単位ごとにコミューンの機能を補完するサブ・
コミューンとしての位置づけにある。
こうした地域開発グループの目的は、地域経済の再生だけでなく、人間の絆を強め、地
域社会の民主主義を活性化することである。ヨーロッパの社会経済モデルでは、人の絆は
社会を支える社会的インフラと位置づけられていて、人の絆を強めれば重化学工業を基軸
とする産業構造から、情報産業や知識産業を基軸とした「知識社会(knowledge society)」
への転換が促進され、経済の活性化も可能になると考えられている。スウェーデンでは、
地域住民の自発性と、政府の政策、企業の経済民主主義的経営を有機的に関連づけて産業
構造を転換させており、その原動力は、地域社会の構成員によるグラスルーツの運動にあ
るのが大きな特徴である。
個性豊かな地域の文化を大切にしながら、地域開発グループなど住民による自発的な活
動によって人の絆を強化しつつ、地域全体の元気を創出しているスウェーデンの事例に接
476
神野直彦,2002,『地域再生の経済学』,中公新書,p.88
228
すると、「金太郎飴」と表現されるように、固有の地域文化が希薄化して画一的地域社会の
集合体として同質社会が形成されている日本の現状に憂鬱になる。日本から支えあいの地
域共同体が姿を消しつつあるのは、決して日本国民が個人的に自立しているからではない。
逆に、人間は自立するがゆえに連帯する。日本では個人が自立していなかったゆえにコミ
ュニティが崩され、政府によって永年の中央集権体制が築かれたのである。
米国の心理学者アブラハム・マズローが唱えた学説に「欲求段階説」がある。人間の欲
求は,5 段階のピラミッドのようになっていて,底辺から始まって,1段階目の欲求が満た
されると,1段階上の欲求を志すというものである。欲求段階説は、人間性心理学や動機
づけの理論を進展させたと評価されているが、個人的見解あるいはごく限られた事例に基
づいた人生哲学に過ぎず、普遍的な科学根拠や実証性を欠いているのではないかという批
判もある。しかし、集団の中での個人の行動を段階的に説明するには大変判りやすい理論
である。
図 6-19 欲求段階説における5階層モデル
Wikipedia「自己実現理論」を参考に、筆者(2009)が作図
第二次世界大戦後の福祉政策の充実によって、先進国では飢餓的貧困問題がほぼ解決し
「生理的欲求」や「安全の欲求」という低次の欲求は充足された。そして段階的により高
次の欲求が芽生え「社会的欲求」
「自我の欲求」
「自己実現の欲求」を満たそうと動き出す。
この過程では、欠乏欲求を十分に満たした経験のある者は、欠乏欲求に対してある程度耐
229
性を持つようになる。そして、一部の宗教者や哲学者、慈善活動家などのように、成長欲
求実現のため欠乏欲求が満たされずとも活動できるようになるという。晩年にマズローは、
「自己実現の欲求」のさらに高次に「自己超越の欲求」があるとした。そして、自己実現
を果たした人の特徴として、客観的で正確な判断、自己受容と他者受容、純真で自然な自
発性、創造性の発揮、民主的性格、文化に対する依存の低さ(文化の超越)、二元性の超越
(利己的かつ利他的、理性的かつ本能的)などを挙げている。自己実現を果たした人は少
なく、さらに自己超越に達する人は極めて少ない。本来「真の自立」といわれるのは、こ
の段階に達した人たちのことであり、スウェーデンの地域開発グループの仕組みは、自立
した人材を育成・供給する地域の装置としての役割を担っていると言える。
古くから学習サークル運動を促進してきたり、外交努力によって二度の大戦を乗り切っ
たような、ユニークな歴史と文化的背景を持つスウェーデンの仕組みを、そのまま他国に
持ち込むにはいささか無理がある。その国にはそれぞれ独自の歴史や文化があり、自発し
た住民自身がその素晴らしさや深さの価値を再評価することによって、初めて地域づくり
の仕組みは動き始める。すなわち他国にこのモデルを移管するには、地域単位に住民同士
の信頼を醸成し連携を促しながら、具体的な地域課題をテーマとする議論や活動を活性・
深化させ、真に自立した住民たちによって実践される課題解決へのアプローチを、行政が
政策的に支援したり、地域全体の協働作業として創発させる仕組みが必要である。地域 SNS
は、単に個人間コミュニケーションを活性化するだけでなく、リアルとバーチャルを共鳴
させながら地域活性効果をもたらすことから、地域開発グループに代わる役割が果たせる
のではないかと期待されている。
一般に地域 SNS は、会員の招待がないと参加できず、参加者は名前やプロフィールを事
前に登録するエリアを限定したコミュニティ型ウェブサイトである。Web2.0 技術によって
急速に進む情報通信技術の融合がもたらした利便性と、招待制や地域限定からできる信頼
性や安心感を活かして、荒れるネット社会の中にオアシスのような空間を構築することに
成功している。しかし、現在、400 サイトを越える地域 SNS が稼動していると言われてい
る中で、利用者の伸び悩みやコミュニケーションの停滞に悩まされている運営者は少なく
ない。地域 SNS は従来の情報ツールと異なり、設置しただけである程度の効果が認められ
るものではなく、サイトの運用や設置された環境に大きく影響を受けるからである。まだ
十分には研究が進んでいないが、持続可能な地域 SNS を実現するには、利用者間の信頼関
係を醸成しながら互恵的相互扶助意識を育むことで、サイト全体に賑わいと安らぎが共存
する「ゆりかご空間」を成立させることが重要なポイントとなる。
米国の政治学者ロバート・パットナムによる『哲学する民主主義』を契機に、90 年代後
半からソーシャル・キャピタルという概念が多くの研究者の強い関心を集めている。パッ
トナムはソーシャル・キャピタルを「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効
率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」と定義している。
そしてソーシャル・キャピタルが豊かなら、人々は互いに信用し自発的に協力することで、
各種の公共政策も十分な効果を上げると述べている。地域開発グループにとっても、地域
SNS にも、潤沢なソーシャル・キャピタルの醸成と可視化が、成功への必須要素であり、
時代から与えられた使命である。
現代人には、ことに日本人にとっては、ソーシャル・キャピタルは決して新しい概念で
230
はない。18 世紀のヨーロッパでは文化的仲間組織としてカフェやサロンや読書クラブが、
正規のヒエラルキー的規範とは別の社会空間を構成し、地域共同体としての基盤を担って
きていた。日本では「講」と呼ばれるテーマ別の地域住民による自発的なつながりが、縦
社会の中に緩やかな横ネットワークを重層的に形成して活性し、社会的バランスを維持し
てきた。しかし、明治以来の急速な西洋化の流れや、敗戦による価値観の変化、日本的な
ものや伝統的なもの一般の否定、それに加えて科学技術の進歩によって社会の変化に伝統
的な縁のあり方が即応しなくなったことが考えられる。結果として、そもそも日本人が持
っていた「おたがいさま」に代表される互恵的相互扶助と「もったいない」という感性に
表れる美と礼節の絆は希薄化し、それらに代わって行き過ぎた個人主義や拝金主義が台頭
したことによって、数多くの社会問題が生まれる源泉となっている。すなわち、ソーシャ
ル・キャピタルの活性への取り組みは、ことさら新しい仕組みを構築するということでは
なく、過去長い間地域に根ざして維持・発展し、さりげなく社会を支えていたネットワー
クの智慧を再評価し活用するという視点が求められている。
地元の商店街を教育の舞台として学校と地域が連携し、高校生たちが社会デビューを目
指す伊丹市立伊丹高校情報科1年生の「伊丹商店街活性化プロジェクト」は、まさに地域
の潜在資源としての人的つながりを可視化しつつ、地域力(エンパワーメント)の向上を実現
する、教育とまちづくりを融合させた画期的な取り組みである。地域力は、そのエリアに
存在する個人の能力の総和ではない。その能力は隣人たちとのつながりの質によって、プ
ラスにもマエナスにもなる。他者との紐帯(つながり)が良好であればあるほど、潜在し
ているパワーが指数的に増加し、全体力となる。まるで、アインシュタインの相対性原理
の解説で見かける有名な方程式に模して、E(地域力)=m(個人の能力)×C2(つなが
りの二乗)、という関係が成り立つようにも感じる。これまで「関係性の力」は、あまりに
過小評価されすぎてきたようである。
情報科の授業のゴールは、高校生になったばかりの純粋無垢な生徒たちを、地域社会の
中に立派にデビューさせることである。そのプロセスの中で若者たちは、さまざま感激や
感動と出会い、多くの障害や課題と対峙する。成功が約束された線路の上を、車両を連ね
て安全に目的地まで運ばれるのではなく、自分たちで悩み、解決しようとするポジティブ
な思考と行動が求められる。その中で、地域の信頼関係を理解し社会の規範を身につける。
次第に、目先にある個店の利益だけを追いかけるのではなく「まちの商店街を地域に取り
戻す」という視点の大切さが見えてくるのである。
高校生たちに求められるのは、情報技術を習得することだけではなく、コミュニケーシ
ョン能力を養うことである。そのために生徒たちは、Excel や Word や Powerpoint という
情報ツールの操作を、課題として覚えさせられるのではなく、同僚や商店主とのコミュニ
ケーションの道具として必要に迫られて、教師のサポートのもと、自ら自発し友人たちと
協力しながら体得していく。
高校に入学したばかりの生徒たちのほとんどは、地域社会とコミュニケーションできる
共通言語を持っていない。もちろん、地元の商店街を地域装置として意識したこともない。
そんな生徒たちがまず商店主から学ぶのは、地域共同体の一員としての地元への愛着と、
その意識を支える地域への帰属意識としての公共心である。生徒たちは、1年間を通して
コミュニティに参加していくことで、教室では学ぶことのできない地域の現場の温かさや
231
厳しさ、地域を支えてきた「規範」の大切さを実感する。そして若者たちは授業のキャッ
チフレーズである「伊丹がすきやねん!」という言葉に埋め込まれた「空間の履歴」が語
りかけてくる、地域の真心に心揺り動かされるのである。
図 6-20
図 6-21
商店街の商店主との打ち合わせ風景
ハロウィンイベントの様子
2008.4.24 にビバ伊丹商店街で筆者が撮影
2007.10.28 にビバ伊丹商店街で筆者が撮影
このプロセスにおいて感性増幅装置としての役割を担っているのが、地域 SNS「いたま
ち SNS」と電子商店街「いたまちモール」の存在だ。生徒たちにとっては、学校内だけで
なく、商店主や地域の支援者たちが参加するリアルと連動したバーチャルな交流の場は、
体得したコミュニケーション能力を磨き、成果を発揮する格好の舞台になりつつある。
この授業を通じて「真の自立」へのきっかけを見つける生徒も少なくないが、多くはこ
れまでの学習とのギャップに戸惑いながら、自分自身の成長と闘っている。そんな中、自
立に目覚めた一部の生徒たちが、高大連携でプロジェクトに関わる関西学院大学の学生た
ちのサポートを受けながら、オピニオン・リーダーとなってさまざまな企画を牽引し、数
多くの仲間たちを巻き込んでいく。生徒たちの活躍は、シリコンバレーの再活性化を実現
した「市民起業家(Civic Entrepreneur)」の姿を彷彿とさせるものがある。
「地域」は決していまの大人たちだけのものではない。いや、これからは伊丹の高校生
たちのように、リアルな社会とバーチャルなツールを巧みに操りバランスをとりながら、
「信頼」「規範」「共働」「愛着」「公共心」という、地域社会から失われつつあった社会基
盤の再生に気づいて動き出した若者たちの手で新たに組み替えられていくことによって、
地域共同体としてのコミュニティが甦るのではないかと期待されている。
「元気のない地域に地域 SNS を導入しても、元気がないことが可視化されて余計に元気
がなくなる」という発言を、あみっぴぃ(千葉県)の運営者である虎岩雅明氏が日経地域情報
化大賞 2008 の表彰式・シンポジウムで語った。日経地域情報化大賞は、2003 年から続く
地域情報化のアワードで、全国から毎年 100 以上の実践事例がノミネートされ、大賞以下 7
∼8 件の先進事例が表彰される。地域情報化に関する実践者と研究者と支援者が一同に介し
て交流する融合の場である。2008 年度は、筆者の「OpenSNP 地域情報プラットホーム連
携プロジェクト」が大賞に、虎岩氏の「大学生がパソコンを教えることを通して、若者と
地域住民との世代間交流のきっかけ作り∼パソコンプレックス解消大作戦∼」がインター
232
ネット協会賞を受賞したのをはじめ、三陸いわて【魚】情報化チームが「三陸いわて水産
分野の情報化」で日経MJ(流通新聞)賞、厚木市が地域ポータルサイト「マイタウンクラブ」
で地域活性化センター賞に選ばれ、全 8 表彰事例のうち半数の 4 事例が地域 SNS を情報基
盤と位置づけるプロジェクトであった。これは、地域 SNS の情報ツールとしての完成度が
評価されたのではなく、それぞれの事例が見事に地域 SNS を地域課題の解決に使いこなさ
れていることと、プロジェクトのモデル性が認められたからである。
國領二郎審査委員長は、講評で「地域情報化の深まりを受け、実績を重視する審査とな
った。大賞プロジェクトは各地の地域情報化プロジェクトを連携させて全国的ムーブメン
トに編み上げた。(中略)大企業が地域に目を向け、成果を生み始めたのも地域情報化の深化
を象徴している。」と述べ、連携の可能性と大切さを説いた。虎岩氏の発言は地域情報化の
現実を見ると確かにその通りであろう。しかし、また、本研究によって「つながり」が紡
ぎあげるさまざまな効果が地域社会や地域ネットワークに能動的な影響を与えることも明
らかになった。この研究成果を地域展開すれば、元気のない地域に潜在化した元気が可視
化されて、眠れる関係性の力が覚醒するものと考える。
地域情報化の本質は、防災や暮らしから経済活動にいたるまで、住民自らの手で地域の
課題を解決しうる環境を整えることにある。地域住民が新しいメディアを駆使して情報を
獲得したり、発信したり、相互にコミュニケーションをとって連携したりすることで、そ
れが可能となるのである。この本質を見ずに、単に地方のまちで都会と同じようなブロー
ドバンドを整備することと考えたり、行政サービスをパソコンで効率化することと考えた
りしてしまうのは危険だ。それは、ますます都会のコンテンツに依存して地域の文化が失
われてしまったり、顔の見えない機械的な地域社会ができてしまったりしかねないからあ
る。地域 SNS は住民が連携して、住民自身の手で問題解決にあたる中核的な基盤になりう
ると考えられる。
233