賃貸不動産所有者(オーナー)の事業継続

シリーズ
業 種 別 B C P のあり方
第6回
賃貸不動産所有者(オーナー)の事業継続
小山 和博
インターリスク総研 前回は、賃貸不動産管理業の事業継続計画について検
えについては、費用、効果、リスクのバランスをよく考慮
討を行ったが、ある方から質問をいただいた。
「賃貸不動産
しなければならない重要な判断になる。古い建屋を補強す
管理業とオーナーの間の賃貸不動産管理契約には、物件の
るよりも、建替えに踏み切る方が不動産経営上有利な場面
滅失により契約は終了する旨の条項が含まれていることが
もあるだろう。必要に応じて、賃貸不動産管理業、弁護士、
多い。震災により物件が滅失した場合でも賃貸不動産管理
建築士、税理士、保険代理店といった専門家のアドバイス
業に一定のサービスを期待することはできるのか」という
を受け、判断することを勧める。
ものである。
耐震診断を実施し、その結果、瑕疵がないことを証明で
このような条項が含まれていることが多いかどうかにつ
きれば、以下に紹介するような損害賠償請求リスクは十分
いて、筆者は参考とすべき資料を持ち合わせないが、その
回避できる。そもそも適切な耐震補強を行っていれば、建
ような契約になっていれば、契約は終了することになるだ
屋が地震により倒壊する可能性は相当程度まで下げること
ろう。
ができる。リスクマネジメントの観点から目指すべき姿で
このような事情を考慮すると、オーナー自身が自らの不
ある「そもそも事件・事故を発生させないこと」を実現する
動産事業を継続するための方策を検討しておかなければな
ことができる。
らない。そこで、今回は、視点を変えて、オーナー自身の事
業継続について検討する。なお、オフィスビルもしくは賃貸
耐震性確保のコスト
住宅(貸家およびマンション)を個人所有している事例が多
具体的な耐震診断の結果、耐震補強措置が必要になれ
いことから、この 2 つを対象とする。また、問題となった事
ば、その場合の費用は木造アパートでも数百万に上ること
例が多いことから、今回の想定リスクは地震とする。
がある。また、マンションやビジネス用の雑居ビルであれ
ば、耐震診断だけでもその費用は数百万から一千万円超に
建屋の耐震性確保がオーナーの事業継続の基礎となる
なることがある。この費用がオーナーの耐震診断への取り
不動産賃貸借契約の趣旨に立ちかえって、オーナーの義
組み意欲を大きく削いでいることは事実である。
務を改めて考えると、その中核となるのが「建物や土地を
東京都の都市整備局が 2013 年 5 月に公表した「マンショ
使用収益させる義務」
(民法 601 条)である。そして、この
ン実態調査結果」によれば、東京都内の旧耐震基準により
建物には、瑕疵がないことが求められる(工作物責任、民
建築されたマンションのうち、耐震診断を行っているマン
法 717 条)
。よって、使用収益させる建屋に瑕疵がないかを
ションは、分譲で全体の 17.1%、賃貸マンションでは全体
確認しておくことが非常に重要である。これを可能にする
の 6.8%にとどまる。この調査で、耐震診断を実施しない理
のが、いわゆる「耐震診断」である。特に耐震基準が改正さ
由として挙げられたのは表 1 の通りであった。
れた昭和 56 年 5 月 31日以前に建築確認が行われた建屋に
この調査では、旧耐震基準で建築された分譲マンション
ついては、耐震診断を実施することを強く勧める。
の耐震診断に反対する意見についても調査を行っている。
また、耐震診断の結果に応じた補強措置もしくは建て替
その中で最も多い意見は「資産価値が低下する」であった。
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表1:耐震診断を実施しない理由(複数回答)
分譲マンション(回答数 981)
賃貸マンション(回答数 1,604)
改修工事の費用がない(50.1%)
改修工事の費用がない(45.3%)
診断費用がない(32.5%)
診断費用がない(33.7%)
診断に関する関心等が低い(31.0%)
診断方法が分からない(23.6%)
出典:マンション実態調査結果(2013年3月、東京都都市整備局)
をもとに当社で再構成
以前、筆者が賃貸不動産オーナーの集まりに出講した
また、この判決では、
「仲介業者は建物の構造上の安全
際、
「もともと古い建物であれば、もらっている家賃も安い。
性については建築士のような専門的知識を有するものでは
地震があれば壊れるリスク込みでお互い賃貸借している。
ないから、一般に、仲介業者は仲介契約上あるいは信義則
オーナーからすれば、耐震診断は百害あって一利なしだ」
(※)上も建物の構造上の安全性については安全性を疑う
との指摘を受けた。不動産賃貸物件管理業の方からもオー
べき特段の事情が存在しない限り調査する義務まで負担
ナーの意識について同様の話をいただくことがある。
しているものではない」として、不動産仲介業者の責任を
否定している。つまり、この裁判例の趣旨に従えば、もとも
建物に瑕疵があることによるリスク
と瑕疵がある建屋を貸していて、被害が生じた場合、責任
民法 717 条は、
「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵が
はオーナーだけにあることになる。
あることによって他人に損害が生じたときは、その工作物
の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を
負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な
※信義則とは、人は社会共同生活の一員として,ある一定の事情のもとでは相手
方から期待される信頼を裏切ることのないように,誠意を持って行動すべきであ
るとする民法の基本原則をいう。民法1条 2 項に定められている。
注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければな
らない」として、所有者の無過失責任を定めている(工作
さらに、神戸地裁平成 10 年 6 月16 日判決は、昭和 39 年
物責任)
。この責任は建物に瑕疵があれば成立し、過失の
6 月に建築され、2 度の増築が行われたホテルにおいて、近
有無は問われない。
「寝た子を起こすな」という議論は結
隣の木造建屋に倒壊などの被害が出ていないにもかかわ
局のところ誰にとっても不本意な事態を引き起こしかね
らず、昭和 44 年に増築された建屋の 4 階∼ 6 階で天井が崩
ない。
落し、下敷きとなって 2 名が死亡した事例について、オー
神戸地裁平成 11 年 9 月 20 日判決は、昭和 39 年に建築
ナーに約 1 億円の損害賠償を命じた。オーナーは不可抗力
され、もともと十分な耐震性を有していなかった賃貸マン
を主張したが、判決は「被災増床以外の本件建物や近隣の
ションが阪神・淡路大震災により震度 7 の揺れに見舞われ、
古い木造家屋が倒壊していないという状況を踏まえて、不
一階部分が押しつぶされ、住人が死亡した事例について、
可抗力(中略)を認めることはできない」とした。この裁判
マンションの建屋自体の瑕疵を認め、賃貸人・所有者に対
例では、賠償額の減額は認められなかった。
して工作物責任を認めた。賠償額は、原告 7 名に対して合
このような責任を回避するために、賃借人から「倒壊時
計 1 億 2900 万円である。この判決では、
「建物の設置の瑕
の責任を負わない」旨の念書を交わすことを勧める向きも
※
疵と想定外の自然力 とが競合して損害発生の原因となっ
あるようだが、民法(特に 90 条、公序良俗に反する契約は
ている場合は、損害の公平な分担という損害賠償制度の趣
無効となる)や消費者契約法の趣旨に照らして、このよう
※
旨からすれば、損害賠償額の算定に当たって、右自然力
な合意の効力には疑義がある。オーナーはこのようなリス
の損害発生への寄与度を割合的に斟酌するのが相当であ
クがあることを知らないことが多いため、詳説した。
る」として、全損害額のうち 5 割の賠償を命じている。
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※判決文中の自然力とはいずれも地震動を指す
耐震性確保にあたっての注意点
③物件ごとの役割分担の確認
耐震診断については、耐震診断の依頼先は、国民生活セ
通常、住人の安否確認と物件の被害状況の確認などは
ンターや各地の消費生活センターへの相談事例が多発して
賃貸不動産管理業の事業継続計画の中で優先業務に含ま
いる現状を踏まえると、信頼できる事業者に依頼すること
れていることが多いが、物件の委託契約の内容によって
が重要である。一般財団法人日本建築防災協会は、国土交
は、オーナーが自ら取り組まなければならない場合があり
通大臣が指定する耐震改修支援センターであり、相談窓口
得る。
などをホームページ上公開しているので、見積もり依頼に
特に、委託費節減のため、清掃を自分で行ったり、管理
あたっての参考になる。
会社を通さず直接発注したり、あるいは、設備の保守点検
高額な費用についても、近年は、助成金や補助金、固定
を専門業者に直接発注するといった取り組みを行っている
資産税の優遇など行政からの支援も充実している。保有す
オーナーは、平時の費用負担を減らす代わりに、緊急時に
る物件が所在する市区町村のまちづくり担当部署に相談
おいても自分で対策を行わなければならない責任を負って
することもあわせて勧める。
いることに留意する必要がある。
オーナーが賃借人の安否確認に取り組む必要がある物
耐震性確保に加えて
件では、賃借人の連絡先を複数確保し、かつそれらの情報
耐震性確保に加えて、オーナーが平時から取り組んでお
を停電などの悪条件下でも速やかに取り出せる環境に保
きたい項目が3つある。
管しなければならない。
①設計図書などの保管
建築確認申請書、検査済証、設計図書の 3 つは、賃貸不
物件が滅失したかどうかはその後の事業再建に大きく影響
動産物件の状況を確実に把握するうえで重要な文書であ
前回も取り上げたが、最高裁の判例によれば、何らかの
るが、我々がリスク調査に入る際にも、これらの文書が所
事象により賃貸借契約の目的物が滅失し、その効用を失っ
在不明になっている事例が少なくない。不動産投資を始め
た場合、賃貸借契約の趣旨はもはや達成できなくなるた
る際、マンションの一室を購入するところから始める方が
め、当該契約は当然終了するとされている。損壊の程度が
おられるが、この場合でも建屋全体の設計図書などが確実
著しく、建物としての効用を失っていると判断される場合
に保管されていることを確認することをお勧めする。
は滅失となる。オーナーとしては、速やかに建屋の再建に
②管理委託契約書の締結・更新・保管
取り組むことが可能になる。
多くの場合、オーナーは賃貸不動産管理業者との間で委
ところで、滅失には至らないとしても、建物の損壊程度
託契約を締結しているが、契約書の作成や更新が行われて
が大きく、大規模な修繕が必要になる場合、建物の損傷程
いない事例が散見される。トラブルになった場合、最終的に
度、修繕費用、建物の耐用年数や老朽度、家賃の額などの
は契約書上の記述により様々な判断をせざるを得ない以上、
事情によっては、オーナーが賃貸借契約の解除を求める正
この契約書の作成と更新は確実に行わなければならない。
当事由となることがあるとされている。オーナーとして納
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小山和博(こやま・かずひろ)
株式会社インターリスク総研コンサルティン
グ第三部災害リスクグループ主任コンサル
タント。1998年慶應義塾大学法学部法律学
科卒業後、流通・サービス、会計事務所を経
て2007年より現職。専門領域は、企業およ
び官公庁の危機管理計画、業務継続計画、
感染症対策など。
得がいかないという声が上がるのは、正当事由となるかど
うかを判断するための事情に「オーナーが立ち退き費用を
賃借人に支払うか」が含まれることである。
通常の社会環境では、賃料の 6 ∼ 12 カ月が立ち退き料
相場とされている。震災のような緊急事態において、ただ
でも修理その他の費用が発生し、賃料収入が途絶している
ところに、立ち退き料まで負担しなければならないのかと
オーナーの不満の声はよく聞かれるところだが、特に住居
の場合は、借地借家法により賃借人の権利は厳格に保護さ
れており、迅速な再建をオーナーが望むのであれば、一定
やむをえないところと考えられる。
終わりに
地震が発生した場合、不動産価値は数割下がることも十
分にあり得る。加えて、賃借人の被災や賃借人からの賃料
減額請求などの減収要因、物件の修理など賃貸人が負担し
なければならない費用などが生じる。災害が発生した場合
は、政府系金融機関の融資や都道府県信用保証協会の融
資保証枠の拡大などさまざまな取り組みが政府や自治体
から打ち出されているが、それまで持ちこたえるためにも、
手元資金をしっかり確保しておくことが賃貸不動産オー
ナーとしての心得である。
また、阪神・淡路大震災や東日本大震災における賃貸不動
産に関するトラブル事例集を見ると、オーナー側の知識不足が
原因となっていると思われる事例が多い。今回取り上げた建物
の瑕疵による工作物責任はその最も深刻な事例であるが、そ
の他敷金の取り扱い、賃貸借解除の手順などオーナー側であ
る程度の知識があれば、回避できたようなトラブルを自ら引き
起こしている事例が散見される。不動産経営を継続するため
には、オーナー側も日々の勉強が必要なことを痛感する。
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