日本のバスケットボールの可能性 文化産業システムの制度化の観点から

日本のバスケットボールの可能性
∼文化産業システムの制度化の視点から∼
指導教員名:水越 康介 准教授
氏名:木村 将太
枚数:25 枚
第一章 はじめに ......................................................................................................................... 2
第二章 先行研究 芸術生産の文化社会学 ............................................................................. 2
2-1.文化産業システムの制度化によるビジネス化の可能性 ............................................... 3
2-2.芸術と経済活動のジレンマ 業界化と組織化 ............................................................... 3
2-3.小演劇劇場のサクセスストーリーと限界 ....................................................................... 4
2-3-1.芝居で生計をたてるということ.................................................................................... 5
2-3-2.小劇場劇団がとった戦略 ....................................................................................................... 5
2-4.文化政策の助成による新たなサクセスストーリー ....................................................... 6
2-5.組織環境の問題 ................................................................................................................... 7
2-6.まとめ ................................................................................................................................... 7
第 3 章 事例分析 ......................................................................................................................... 7
3-1.日本のバスケットボール界の今 .............................................................................................. 8
3-2.バスケットボール協会のサクセスストーリー..................................................................... 8
3-2-1.バスケットボールの人気絶頂期 ........................................................................................... 8
3-2-2.日本バスケットボール協会の描いたサクセス・ストーリー ......................................... 9
3-3.サクセスストーリーの失敗と限界 ................................................................................. 10
3-3-1.難しいリーグ改革 ............................................................................................................... 10
3-3-2.実業団リーグからプロ化への葛藤 ................................................................................... 11
3-3-3.制度移行の課題 ................................................................................................................... 12
3-4.整理 ................................................................................................................................... 13
4-1.共通の価値観について.................................................................................................... 15
4-2.地域密着型のプロチームの可能性 ............................................................................... 15
4-3.各セクターの役割分業 ................................................................................................... 15
5 章 おわりに ............................................................................................................................ 16
1
第一章 はじめに
バスケットボールについて思い浮かぶことはなんだろう?このような質問を受けたとき、みな
さんは何と回答するだろうか。漫画「スラムダンク」であったり、本場アメリカのプロバスケッ
トボール協会が主催する「NBA」や、いまやファッションブランドにもなっているバスケットボ
ールの神様、「マイケルジョーダン」と答える人は多いだろう。特に、バスケットボールになじ
みがない人でも回答できるのは以上のようなことである。では、サッカーについて何か思い浮か
ぶことを聞いてみるとどうだろう。多くの人が、海外の有名選手を回答するだけでなく、日本代
表選手の名前であったり、ワールドカップで盛り上がった経験などを話してくれる。日本のトッ
プリーグである J リーグも発足し、今では多くの観客でスタジアムが埋まっているのを TV でよく
見かける。サッカーとバスケットボールの人気の差はこのことにあると私は考える。現状におい
て、サッカーは経験者の方々以外にも関心の目を向けることに成功し、サッカー観戦に様々なエ
ンターテイメントコンテンツを確立できている一方、バスケットボールは、競技に関心があまり
高くない人々を取り込めるようなエンターテイメントコンテンツを確立できてるとはいえない。
アメリカやヨーロッパでは人気を博しており、市場規模もかなり大きいスポーツであるバスケッ
トボールが、日本においてなぜもっと盛り上がりを見せないのか。日本のバスケットボールが一
つのスポーツエンターテイメントコンテンツとして確立するにはどういった体制やマーケティン
グを行うのが良いのか。本論文では、おなじエンターテインメント・ビジネスの可能性を持って
いる小劇場演劇の世界がたどってきた歴史を考察し、日本のバスケットボールが産業として自立
しうるかを考えていこうと思う。
ところで、なぜ小演劇劇場の歴史をたどったかをもう少し詳しく説明しよう。芸術活動を維持
あるいは発展させていこうとする際に直面するビジネス化や被助成化をめぐる問いは芸術の産
業、組織、職業としてのあり方に関わるいくつかの問いと密接な関連を持っているのだ。なぜな
らば、芸術がビジネスとして成立するためには、芸術が一種の産業としての基盤を確立し、芸術
創造団体が経営組織と同じような特徴を持つようになり、また芸術家がプロの職業人として生活
できるような基盤が確立されていくプロセスがともなう事は十分に考えられるが、被助成化に関
しても同じような点が指摘できるからである。すなわち、パトロンによる助成や支援を受けてい
る芸術家や芸術団体は、それに値するだけの質の高い作品をコンスタントに生みだす能力や資
格、あるいはまた、受けた助成を責任もって運用できるだけの経営能力を持っているかどうかと
いう点が問われる事が少なくないのである。これは、独立したバスケットボールチームや選手
が、スポンサーシップを受けられるだけの能力を有するのかの問いと似ている。つまり、ビジネ
ス化や被助成化には、しばしば芸術の産業化、組織化、職業かのプロセスがともなうことにな
る。したがって、ビジネス化や被助勢化は芸術家たちに次の三つの問いをつきつけることとなる
のだ。①産業化をめぐる問い。芸術をいかにして産業として成立させ「業界」を形成する事がで
きるか?②組織化をめぐる問い。芸術においてチームワークを成立させそれを維持していく事は
いかにして可能か?③職業化をめぐる問い。芸術家の活動はいかにしてプロの職業として成立さ
せる事ができるか?(佐藤、1999 年、15 頁)
芸術に問われてきたこれらの中に、日本のバスケットボールが抱えている問題に似てるものが
あるので、バスケットボールのトップリーグの歴史と照らし合わせ、日本のバスケットボールの
プロ化の成功の糸口を考察していきたいと思う。
第二章 先行研究 芸術生産の文化社会学
本章では、佐藤(1999 年)の『現代演劇のフィールドワーク 芸術生産の社会学』を参考に、
スポーツと同様にエンターテインメント・ビジネス産業して成り立つ可能性をもっている、現代
演劇というジャンルの可能性について議論されてきたことを明確にしていく。それにより、次章
でバスケットボールというジャンルがビジネスとして成り立ち、産業として自律しりうるのかを
みていきたいと思う。ここで論じられるビジネス化とは、現代演劇が従来の演劇ファンとは質の
異なる比較的広い層の観客を獲得するようになっていき、また、それぞれの劇団が専門の制作部
門を備えるとともに、顧客管理やマーケティングなどにおいて積極的な戦略展開を示す事によっ
て、芸術団体としての顔だけでなく経営組織としての性格を兼ね備えるようになっていくプロセ
スを指す(佐藤、1999 年、24 頁)。
2
2-1.文化産業システムの制度化によるビジネス化の可能性
佐藤(1999 年)によると、芸術が相対的な自律性をもつ強い制度として成立するためには、制
度的なねじれの状態を解消し(=芸術が社会の中に一定の位置を占め、産業、組織職業としての
強固な基盤を整備されている状態になること)、また芸術がまとまりを持った一種の産業として
成立し、芸術団体が何らかの形で効率的な組織として維持・運営され、また芸術家の活動がプロ
の職業として成立することが必要条件となるようだ。言葉をかえていえば、産業化、組織化、プ
ロ化という意味での「制度化」は、芸術の社会制度化にとって必要な三つのサブプロセスなのだ
とされる(佐藤、1999 年、413 頁)。ここでいう「制度化」とは、組織が共通の価値観や規範で
結束していき、組織自体が一つの制度として確立されていくプロセスという意味である(佐藤・
山田、2004 年、200 頁)。
しかし、制度化と独創性の間は、「こちらが立てれば、あちら立たず」という、いわゆる一種
の「トレードオフ」の関係にある。つまり、芸術がダイナミックな文化生産の場として成立する
ためには単に制度化を通して自律性を確保し維持するだけでなく、他方ではその制度のあり方に
ついて常に問い直し、場合によって既存の制度を全面的に打ち壊していくことを可能にする脱制
度化の余地を残しておく必要があるのだ。言葉をかえて言えば、制度としての芸術には、他の社
会制度との関係において「自律と依存のパラドックス」があるだけでなく、芸術という制度それ
自体の内部において「制度化と独創性のディレンマ」がつきものなのである(佐藤、1999 年、
415 頁)。つまり、自律と依存のパラドックスをめぐる問いに対して一定の答えを提供したはず
の制度化は、今度は、次のような新しい問いを生みだすことになる。いかにして独創性や表現上
の実験と革新の余地を失わずに制度化をはかることができるか?いかにして制度化と脱制度化を
両立させられるか?(佐藤、1999 年、416 頁)の問である。
佐藤(1999 年)によると、その問いに対しては、芸術という制度をいくつかの異なるセクター
から構成される一つの文化産業システムとして捉えることで、制度化と独創性のディレンマに対
する一つの解決策を示唆できるようだ(佐藤、1999 年、420 頁)。芸術の制度化を、複数のセク
ターないし下位世界からなる広い意味での芸術界が、それらのセクター間の分業関係のあり方を
含めてより望ましい方向に再編成されていくプロセスとしてとらえる。そのような意味での制度
化が達成された時には、その芸術界は、優れた芸術作品をコンスタントに生みだす安定性と持続
性を持ちながら、しかも一方では常に新しいアイディアや技術が創造され開発されてていく余地
を持つダイナミックな文化生産システムとして生まれ変わることができる可能性が高い(佐藤、
1999 年、420)と主張する。これにより、演劇がテレビなどのマスメディアに対して主導権を握
るようになるなど、長期にわたって演劇界が共通の価値観で結束した組織として確立されるだろ
うと述べている(佐藤、1999 年、423 頁)。
2-2.芸術と経済活動のジレンマ 業界化と組織化
この節では、芸術が芸術であることを失うことなく、経済的に自立した一つの業界になりうる
のかどうかという、産業化をめぐる問いと、各セクターが協力関係を築けうるのかという組織化
をめぐる問いを考える際に、佐藤(1999 年)が示した視点を見ていく。
演劇作品の生産と芸術性についての状況の定義をめぐる対立・葛藤の中で最も重要なのは、言
うまでもなく、生産者組織ないし「限定生産の場」の自律性をめぐる闘争である。つまり、現在
では相当の変化と混乱があるとはいえ、未だに通念としてもまた芸術家たち自身の行動原理とし
ても信念としてもかなりの影響力を持っている芸術至上主義的な理念、そしてまた表現における
革新と多様性を称揚する価値観は、生産者組織を独自の文化生産の場として維持する力となって
いる。しかし、その一方で、演劇のように経済的資源のほとんどを興行収入に依存せざるを得な
い芸術生産のジャンルにおいては、生産者組織ないし限定生産の場に関わる人々、集団、組織
は、「流通業者組織」ないし「大規模文化生産の場」において支配的な傾向、すなわち表現の質
を犠牲にしてでもより大きな市場を獲得しようとする傾向と何らかの形で対決せざるを得ないの
である。ある場合には、より大きな市場への志向を完全に拒否して、少数ではあるものの表現上
の実験や冒険を許容するような観客に向けた演劇制作を目指す場合もあるだろう。しかし、それ
は、十分な経済的資源の獲得を断念することでもあり、演劇生産の場そのものが消滅してしまう
危険性をはらんでいる。芸術家集団やエンタテイメント産業についての幾つかの研究が明らかに
3
している ように、ほとんどの場合、文化生産におけるこの 2 セクターには、それぞれ他方に特徴
的な要素が何らかの形で含まれているのであるという。たとえば、いくつかの芸術組織について
の組織論的な研究は、それらの組織が創作に関わる部門以外のセクションでは通常の企業組織と
ほとんど変わらないような経営原理で運営されている事を明らかにしてきた。そのような場合,
「芸術対商業」の対立図式は、異なる産業セクター間の対立であるだけでなく、個々の芸術集団
内部でのセクション間の対立でもありうるのである。
さらに、その関連でいえば、生産者組織に関わる複数の人々、組織、集団による芸術性につい
ての状況の定義そのものも決して一様なものではない事を理解しておく必要がある。たとえば、
芸術家の技量や芸術作品を評価する際に頻繁に採用される、卓越性(エクセレンス)、革新性、多様
性という 3 種類の評価の軸にしても、その内のどれに最も重点を置くかという点に関しては、絶
え間の無い対立がある。見解の相違は、単に議論のレべルにとどまるだけでなく、芸術に関する
資格認証や各種の賞授与、経済的・物的助成の対象の選定、芸術家の教育訓練課程の編成、さら
にはまた上演や展示など作品発表の機会へのアクセスなど、経済的・象徴的報酬の分配に関わる
意思決定プロセスと密接に関連している場合にはきわめて政治的な色彩を帯びることになる。以
上検討してきた演劇生産のエコロジーに見られる対立・葛藤は、主に「芸術(としての演劇)とは何
か」あるいは「芸術とは何であるべきか」という、芸術についての状況の定義をめぐるものであ
る。 これに加えてもう一つ忘れてならないのは、経済的および象徴的報酬の分配とその正当性めぐ
って演劇生産にたずさわる関係者のあいだで生じる利害の対立に関わる葛藤である。経済的報酬
の問題とは、ある公演の制作にかかるさまざまなコスト(資金、労働力など)を誰がどのように負担
し、最終的な収益を誰がどれだけ受け取るべきであるか(場合によっては、生じた損失を誰がどれ
だけ負担するべきか)という問題である。この経済的報酬の分配については、ある程度明確な規定
や暗黙の了解が存在する場合もあれば、問題が起きる度に当事者間で交渉や駆け引きが行なわれ
る場合も少なくない(佐藤、1998 年、92 頁〜95 頁)。
つまり、経済活動として芸術を取り入れた場合、様々な価値観や観点が芸術の要素であるが故
に、一つのまとまった基準を作ることが難しかったのである。ここに、「自律と依存のパラドッ
クス」が生じるのである。というのも、佐藤(1999 年)によれば、一方では理念として何も束縛
されない自由な表現の活動としての芸術の自律性が強調されるのに対して、他方では実質的な経
済的基礎と言う点では市民の購買動向や外部の支援者に依存せざるを得ず、それらの意向に左右
されることがすくなくないのである。
佐藤(1999 年)は、これらの業界化、組織化をめぐる観点から、現代演劇の歴史を見ていき、
文化産業システムによる制度化の可能性を見いだしたようだ。 2-3.小演劇劇場のサクセスストーリーと限界
ここでは、小演劇劇場がかつてない人気を博し、市場規模が拡大した状況の中で、現代演劇が
職業化、業界化、組織化に対してどのようなアプローチをし、またはどのような課題を残してい
ったのかを、佐藤の指摘する視点で、1980 年代におきた、「小劇場ブーム」と呼ばれる時代から
たどっていくことで、ひもといていく。
「小劇場ブーム」という場合には、観客層の広がりと担い手の増加という意味での小劇場シー
ンの活性化に加えて、それに対して向けられたメディアの関心の高まりを指す場合が多い。すな
わち、演劇誌や若者向けメディアはいちはやく 1983 年前後からこのブームの担い手となった当時
20 代から 30 代前半の若者を中心とした劇団の活動に注目し、単発記事や特集の形で取り上げて
いたが、86年以降は一般誌や新聞でも盛んに小劇場演劇についての特集が組まれるようになっ
たのである(佐藤、1999 年、36 頁)。1982 年の9月に旗揚げした善人会議の主宰者横内謙介
は、「『善人会議』の勇気と希望」というエッセイの冒頭で次のように断言するー「いま、劇団
という集団がなにがしかのパワーを持つために必要なものは、集団論でも演劇論でも演劇観でも
ない。必要なのは、ただ自分たちのサクセスストーリーである」。そのサクセスストーリーの具
体的な中身について、佐藤によれば、横内が以下のように指摘していたと言う。
例えば、善人会議の観客動員が増える・・・・・・善人会議がいろんなメディアに取り上げられ
る・・・・・・有名人が見に来る・・・・・劇評が出る・・・・・大きなホールで公演するよう
になる・・・・
4
それはつまり、劇団のサクセスストーリーというべきものだが、劇団員にとってそのサクセスス
トーリーこそ遥かなる理想に向かって進むために勇気と希望を与えてくれるものなのである(佐
藤、1999 年、40 頁)。佐藤(1999 年)によれば、後にいくつかの若手の小劇団が実現していっ
たサクセス・ストーリーの主なプロットは、観客定員 100 名前後の小さな劇場での公演を皮切り
にして、次第により大きな客席の劇場における移行していくという一種の出世双六のような様相
を呈していたようだ。じっさい、このようなパターンは、演劇関係者のあいだでは「小劇場すご
ろく」「出世コース」ないし「成り上がりのパターン」とよばれていた。
1980 年代に登場してきた小劇団双六的なサクセスストーリーは、このような青年期の「モラト
リアム」の延長線上のようなアマチュア的な演劇活動のパターンの次の段階として、ビジネスと
しての演劇活動があるかもしれないことを示唆していた。演劇を生活の糧にすることが単なる夢
でないことを証明するかのように、80 年代にある程度以上の観客動員を達成した劇団は相次いで
その劇団組織ないしその 1 部を株式会社ないし有限会社として法人化していった(佐藤、1999
年、44 頁)。「小劇場すごろく」的な展開は、さきにあげた横内の発言にみられるようにそれぞ
れの劇団の凝集力を高める上で効果的だったという点は想像に難くない。しかし、1980 年代の小
劇場シーンが抱えていた一つの限界は、そのような効果を持つ成功神話の次ぎにくる新しい展
開、すなわち双六でいえば一応「あがり」に相当する紀伊国屋ホールや本多劇場での公演に続く
新たな展開についての見通しを作り出せなかった点にあるといえよう。
実現可能生を度外視していうならば「物語の続き」には、様々なストーリーがかんがえられる
はずだったろう。しかし、現実の事態の進行はそのようなストーリーラインに沿ったものではな
かった。遊眠社が 1992 年に解散し、また第三舞台が同じ都市にロンドン公演を行った後に 1 年間
の公演活動休止に入るのとほぼ時期を同じくして、マスメディアでは小劇場ブームの終焉が指摘
されはじめていた。こうして演劇を志す多くの若者たちに「勇気と希望」と「夢」を与えた小劇
場ブームは終息していき、80 年代のように小劇場演劇が一種の社会現象ないし「事件」として注
目を浴びるようなことはなくなっている(佐藤、1999 年、45 頁)。
2-3-1.芝居で生計をたてるということ
芝居で生計を立てれるようになるために、当時の劇団はどのようなアクションをとり、どのよ
うな葛藤が生じたのであろうか。家電製品のように、大衆消費市場にウケるような行動をとるこ
とは、演劇としてどうなのであろう。ここで、芸術性を失うのではないだろうかという問いと、
生計を立てることに葛藤が生まれる。では、1980 年代には、劇団主宰者ないし制作者は芸術性へ
の志向をかなぐりすててひたすら営利を追求するようなスタンスをとっていたのだろうか?これ
らの問いについて、小劇場ブームの前後に大量動員を達成した劇団の中でも代表的な遊眠社、第
三舞台、キャラメルボックスの 3 劇団の事例を中心にして、実際のデータや資料にあたり、また
関係者とのインタビューを通して検討していく中で浮かんでくるのは、商業主義化論者の想定す
るものとはかなり異なる 80 年代の小劇場のシーンの姿であった(佐藤、1999 年、57 頁)。
2-3-2.小劇場劇団がとった戦略
「小劇場ブーム」より、小劇場に訪れる客層の種類が変わったようである。佐藤(1999 年)に
よると、かつては若い男が中心だった小劇場演劇の観客層が 1980 年代の小劇場ブームの前後に大
きく様変わりして、10 代後半から 20 代前半の女性が中心になっていったとのは比較的よく知ら
れた事実であるようだ(佐藤、1999 年、59 頁)。つまり、「小劇場ブーム」をきっかに、各劇団
が
より幅広い客層を動員できるように自然となったのである。もっとも、小劇場というものは、市
場規模自体は相対的に小さなものだったが、個々の劇団がターゲットとして想定し、また、実際
に動員できるのが「特定少数」の観客から「不特定多数」の観客に変わったという点において、
ある意味でマス・マーケットが成立するようになったと言えなくはない。
しかし、劇団の制作者たちが観客拡大を目指して採用した戦略は、不特定多数の観客に対して
広くアピールするというようなものではなく、むしろ固定客ないし「コアの客」を着実に増やし
ていき、それによって「キャパ」(この場合は公演の動員数)を拡大していくようなやり方であ
った。たとえば、遊眠社の制作者であった高荻宏は、遊眠社が観客動員を伸ばしていこいうとし
た際にとった戦略の中には、公演のイベント的な性格を打ち出すことや、パブリシティの活用も
5
含まれていたが、様々な試行錯誤の結果としてもっと有効だったのは結局「コアの客」を増や
し、またいわゆる「口コミ」ないしすでに遊眠社の演劇公演を観た観客が知人や友人を誘うこと
を想定したやり方であったという 「マーケティングでいろいろなことをやってみましたけど、最
終的に分かったのは『人が誘わない限り人は劇場には来ない』ということ。マスコミを使って
色々宣伝したけど、コアの客が誘わない限り、全人口の中から新しい宣伝方法によって新しい客
が来るのはあり得ないんだなってことをひしひしと感じましたよ」とのことである。佐藤が調べ
たところによると、野田秀樹が遊眠社の解散後に渡英して帰国の前後に設立した NODA・MAP
は、現在常時 5 万人前後、公演によっては 6 万人を越える観客動員を達成しているが、北村の分
析によれば、このチケットの売り上げのうち 2 万 2 千人から2万3千人前後は、「何をやっても
観に来る」コアの観客1万人あまりが友人や知人の分を含めて2枚ないし3枚のチケットを購入
することによるのだという。このようないわば「基礎票」以外の3万枚前後のチケット販売のう
ち、一般前売りによるものは1万枚前後であり、2万枚前後はいくつかの企業を通した販売 団体
割引ではなく、企業の担当者を介したとりまとめによる によって成立しているのだという(佐
藤、1999 年、64 頁、65 頁)。
80 年代の小劇場ブームにおける観客の「大量」動員は、大衆的な観客を獲得した結果というよ
りは、むしろ、「コアな観客」層の量的拡大の成果といった側面が強いという事である。すなわ
ち、小劇場ブームの時期には、劇団を基本単位としてセグメント化された市場という基本的な性
格はそのままにその規模が拡大したといえるのである(佐藤、1999 年、69 頁)。
つまり、小劇場演劇は、芸術の本質と顧客の動員のはざまで葛藤しながらも、ミーハーな客層で
はなく、ファンになる客層を拡大するという方法で市場を拡大したのである。これは、演劇界が
芸術の本質を残したまま、業界として成り立つ可能性を示しているのではないだろうか。同じエ
ンタテインメントビジネスとしてバスケットボールが成立するかどうかの視点としても参考にな
る可能性がある。
2-4.文化政策の助成による新たなサクセスストーリー
本節では、プロスポーツでいえばスポンサーを獲得した状況と近しいと言えるであろう、政府
による芸術への文化政策の助成がうまれたことに対して、佐藤(1999 年)が指摘したのは、演劇
人の職業化の可能性であった。
80 年代は小劇場ブームの時代であるとともに文化政策ブームとメセナ・ブームの時代、すなわ
ち芸術に対する行政および民間による助成が拡充していった時期でもあった。この芸術に対する
パトロネージ拡大の動きは,「小劇場のディレンマ」というビジネス化の限界 市場収入のみによ
って経済的自立と芸術表現における自由の双方をめざそうという戦略が宿命的に抱えている限界
を乗り越える上での 1 つの方向性を示していた。しかし他方では、助成拡充は、国家や自治体あ
るいは企業や財団 などというパトロンからのサポートや庇護を受けながら、どのようにして表現
の上での自由や自律性を維持していくのかという「被助成化の問い」をつきつけられることにも
なった(佐藤、1998 年、93 頁)と言える。小演劇劇場は上にも述べた通り、市場規模が小さく、
公演収入のみでは劇団員の生活はおろか、劇団の運営もままならぬ状態であった。しかし、文化
助成をうけることで、劇団経営と劇団員の生活について、これまで日本では考えられなかった可
能性が視野に入ってきたのである。このような助成の拡大は、その進展次第によっては個々の経
営組織としての芸術団体の収支構造を変え、またよりマクロな観点からいえば一種の産業として
の芸術界全体の構造を変えていく契機になりうる。そうなった場合には、個々の芸術団体が助成
を得て経済的自立のサクセスストーリ一を体現するだけでなく、芸術生産をめぐる報酬システム
それ自体が変化を遂げていくことも十分考えられる(佐藤、1998 年、100 頁、101 頁)。この支
援や助成が芸術事業それ自体に対する助成の形でおこなわれ、その総額が拡大していくことは、
ほんらい経済効率の低い芸術にとって市場からの収入によらない「産業基盤」の獲得を意味する
ことは言うまでもないが、助成や支援のあり方次第によっては、市場収入とその他の事業収入の
拡大という効果がもたらされることがある。
たとえば、資金助成が芸術団体の効率的なマネジメントを促進するような形で効果的におこな
われるような場合がこれにあたる。さらに、芸術活動に関する支援の種類は芸術団体の活動や運
営に対する助成や補助金の支給という直接的な資金助成に限らない。それ以外に、芸術生産の社
会経済的基盤の整備は、芸術活動に対する間接的な支援として重要なポイントの 1 つとなる。そ
6
の例としては、たとえば、著作権などの芸術生産に関わる制度の整備や芸術団体に対する税制上
の優遇措置、芸術家および芸術関連団体のマネジメントに関わる人材育成、芸術関連情報の収集
と提供をめぐるサービスの充実、そしてまたホールや稽古場などの施設の充実があげられる。こ
れらの施策によって、たとえ事業収入それ自体は限られたものであっても、たとえば使用料金が
低廉な稽古場やホールを借りて公演をおこなったり、人材を「自前で」育成する費用を節約で
き、あるいはまた税制上の優遇措置を受けることによって支出を抑制することが可能となり、芸
術家の生計や芸術団体の経営組織としての足腰が鍛えられるだけでなく、本来の芸術活動に専念
する余裕が生まれてくることになるのであろう。また、芸術教育を学校の教育課程の中に組み込
んだり、居住地域の周辺に劇場や音楽ホールなどの芸術施設が少なかったり経済的な事情あるい
は身体上の障害などによってふだん芸術鑑賞の機会の少ない層に対してその機会を提供する、
「アウトリーチ」などと呼ばれる活動に対する助成は芸術に対する潜在的な需要を掘り起こして
いく上で効果的二活用できる可能性が高かったのである(佐藤、1998 年、105 頁)。
つまり、文化政策の助成により、演劇界の成立と、演劇人のプロ化の可能性は見いだされたので
ある。ここでいう、「プロ」とは、演劇人が演劇活動だけで生計をたてることができる、つまり
演劇が職業と化すということである(佐藤、1999 年、349 頁)。
佐藤(1999 年)によると、演劇のプロ化について検討してく際には、①「芝居で食える」ように
なること(職業化)②エキスパートになること(専門化)③専門職従事社としての権限を獲得す
こと(専門職化)という三つのサブプロセスを明確に区別しておく必要があるという。日本の演
劇界とそれを取り巻く環境の変化を考えあわせると、これは次の三つの問いに吟味していくこと
になる(佐藤、1999 年、349 頁)ようだが、バスケットボールの場合には、専門化と専門職化に
ついての議論はないようなので、ここではとりあげない。 2-5.組織環境の問題
以上にあげられたような市場環境や助成環境の変化は、一見すると現代演劇全体が半独立主体
の構造を築いたかのように思えるが、実際はそうではないのであった。
というのも、佐藤(1999 年)によると、演劇生産システムが成立するためには、一つひとつの
演劇作品をつくりだす組織や集団だけでなく、その公演制作にあたる人材を養成したり、最終的
には優れた作品が生みだされるまでに繰り返される様々な試行錯誤を許容するような場が必要と
なるという(佐藤、1999 年、332 頁)。また、日本における演劇関連の職能団体は、劇団制との
関連で複雑な問題を抱えていたのである。日本の劇団はそれ自体が一種の生産組合としての性格
を持っておりしばしば自らが興行主体として演劇公演をおこなってきたので、劇団員は興行主体
であり、雇用主でもある劇団の一員である一方で、それぞれの機能を担ってその興行主体によっ
て雇用される被雇用者でもあるという、特殊な関係になっていた。さらに、職能団体に所属して
いる劇団員の場合、劇団と職能組合という、本来相互に利害が対立する関係にある二つの組合に
所属していることになるケースもあったのだ(佐藤、1999 年、368 頁)。つまり、日本の現代演
劇が専門職化し、演劇が確固たる自律性をもったダイナミックな文化生産領域、すなわち産業と
して成立するためには、これに代表される幾多の矛盾を解消する必要があるだろう。その解決策
の一つが、章頭で述べた、文化産業システムの制度化による、分業関係の構築だろう。
2-6.まとめ
本章では、演劇ブームがおき、そこから演劇が業界を形成しようとし、確固たる産業としてな
り成り立つために乗り越えるべきことを、歴史的に見ていくことで明らかにしてきた。演劇人の
プロ化、演劇界の成立の可能際は示されたものの、芸術団体である演劇の世界が、一つの業界と
して成立し、演劇人が芝居で食っていけるようになるには、演劇界が経済活動団体として制度化
され、何らかの基準でまとまる必要があり、章頭で述べた文化産業システムの制度化によってま
とまる必要性があることがわかった。次章では、バスケットボール界が文化産業システムの制度
化によってまとまりうるのかを歴史と照らし合わせてみていきたいと思う。
第 3 章 事例分析
本章では、2 章で佐藤(1999 年)が指摘した、文化産業システムの制度化の可能性が、バスケ
ットボールにおいても指摘できるのかどうかを、バスケットボールが辿ってきた歴史を分析する
7
ことで明らかにしていきたいと思う。バスケットボール界が優れたエンターテイメント性をコン
スタントに生みだし、さらには新しい興行や日本代表選手の強化などが見込まれる文化生産シス
テムへと生まれ変わり、テレビなどのマスメディアに対して主導権を握るようになるなど、長期
にわたってバスケットボール界が共通の価値観で結束した組織として確立される可能性があるの
かを確認していきたい。
今回事例を分析するにあたり、バスケットボール関連の記事や、実業団スポーツ関連の記事を
検索したところ、圧倒的に 1990 年代の記事が多いので、1990 年代と、最近(2006 年〜2013
年)の記事を中心に分析していこうと思う。
3-1.日本のバスケットボール界の今
バスケットボール界の現状について明確にしていこうと思う。現在、日本のバスケットボール
市場が盛り上がってるとは言えない。理由は諸説あるが、「制度化」の視点で言うなれば、バス
ケットボール界には、実業団チームとプロクラブチーム、トップリーグとプロリーグが混在して
いるように、様々な価値観が存在しており、日本のバスケットボールが、共通の価値観で結束し
た組織として確立されるために必要な、一つのまとまった基準ができていないのである。
また、日本において戦後のスポーツ界を支えてきた実業団スポーツというものが、時代の変化
により、社会の中で一定の位置を占め、産業、組織職業として強固な基盤を整備されてるとは言
えないような、「制度的ねじれ」に当てはまるような事例も出てきている。
以下では、それらについて明らかにしていき、次章で、バスケットボール業界において、文化
産業システムを確立するプロセスを考察していきたいと思う。
3-2.バスケットボール協会のサクセスストーリー
まずは日本におけるバスケットボールブームを辿っていこうと思う。新聞記事によると、1990
年代は空前のバスケットボールブームだったようだ。1992 年のバルセロナオリンピックでアメリ
カ合衆国が NBA のスーパースターでメンバーを構成した『ドリームチーム』を作り上げ、その試
合が日本でも放送されたことや、漫画「SLAM DUNK」「Dear boys」がちょうどこの時期に連載
されていたことがブームの火付け役となったのであろう。「小劇場ブーム」と同じように、バス
ケットボールというスポーツの選手の増加や観客層の広がりと言う意味での活性化に加えて、そ
れに対して向けられたメディアの関心の高まりも強くなった。それまではバスケットボールの記
事と言えば実業団チームの試合の結果が小さく載っていただけであったが、1992 年にはストリー
トバスケットボールの大会の記事や、NBA 人気に関する特集が組まれたりするようになった。ま
た、スポーツ用品のナイキジャパンが、1992 年 11 月 15 日から、怪獣ゴジラと米国のプロバスケ
ットボール選手が登場するテレビ CM の放映を行うなどしたのもあり、より多くの国民にバスケ
ットボールが認知されるようになった。
事実、月刊バスケットボール編集部によると、今年(当時 1992 年)の都内の中学校ではバスケ
ットボール部の入部希望者が多く、練習さえできない状態の中学校もあったという。「月刊バス
ケットボール」を出版している日本文化出版では、「一昨年は 40 万部だった月刊発行部数が今年
は60万部と飛躍的に伸びている」(『日経流通新聞』、1992 年 09 月 01 日、24 頁)。これら
のことからも明らかなように、1990 年代にはバスケットボールブームが確実に起こっていたので
ある。
3-2-1.バスケットボールの人気絶頂期
当時のバスケットボールの人気ぶりがどのように社会に現れていたのかを明らかにすること
で、次の章で考察する現代におけるバスケットボール市場拡大の可能性を見いだしたいと思う。
また、バスケットボールが従来のファン層とは異なる幅広い層のファンを獲得していったプロセ
スもみていく。
NBA の公式戦が日本でもテレビ放映されるようになり、長身で俊敏な選手たちが豪快なダンク
シュートを楽々と決めるシーンにファンは急増した。昨年(当時 1995 年)11 月には横浜で NBA
の開幕戦が開催されたことも、バスケブームに拍車をかけたようだ。さらに「週刊少年ジャン
プ」に連載中のバスケ部を舞台にした漫画「スラムダンク」も中高生のバスケ熱の盛り上がりに
一役買ったのだ。実際にバスケットを始める子も増えており、日本バスケットボール協会の 94 年
8
度の登録者数は前年の約 87 万人から 96 万人に増加した。東京都中学高体育連盟の 94 年度調査で
は、運動部で活躍している中学生の 5 人に1人はバスケット部員という結果が出ている。中でも
初心者の 1 年生の部員数が突出しているという(『日経産業新聞』、1995 年 06 月 27 日、18
頁)。
ブームの火付け役となったのは、日本のバスケットボールというよりは、海外のバスケットボ
ールであったり、漫画「スラムダンク」などによるものが大きいようである。当時、NBA の試合
はテレビ朝日や NHK の衛星放送、ケーブルテレビで年間約 200 ゲームが放映されていたようだ。
パルコ情報誌「流行観測アクロス」の若者のスポーツに関する調査で、「テレビでよく観るスポ
ーツ」を尋ねたところ、NBA はプロ野球(43.9%)に次いで、J リーグと同率(29.3%)で 2 位にラ
ンクされ、同じ米 4 大スポーツのアメリカンフットボール(NFL、5.7%)、メジャーリーグ
(4.1%)に大きく水をあけた。1996 年 11 月、東京ドームで開催された NBA の公式戦のチケット
約8万席分が即日完売となったことが、そうした人気を裏書きしている(『日経流通新聞』、
1997 年 06 月 12 日、19 頁)。
では、この当時の日本バスケットボール協会はこの空前のバスケットボールブームをどのよう
に捉え、市場拡大に向けて戦略をとってきたのだろう。また、各実業団や、総合商社の活動にも
バスケットボール市場拡大の動きがあったはずである。以下ではその取り組みをみていこうと思
う。
3-2-2.日本バスケットボール協会の描いたサクセスストーリー
日本バスケットボール協会の立場からすれば、バスケットボール人気が起き、競技人口が増え
たことにより、日本のバスケットボールのトップリーグにも注目を集めていきたいと考えるのは
ごく自然な考え方である。競技人口が増えれば、それだけ高いレベルを目指す人々は増え、日本
のバスケットボールトップリーグに関心が高まってもおかしくないであろう。また、バスケット
ボールに対する関心の高まりにより、日本代表選手の活動を支援する人が増え、結果日本のバス
ケットボールのレベルがあがっていくと考えるのは、不思議ではない。
ここで当時のバスケットボール協会が、日本のバスケットボールトップリーグを活性化させる
ためにとってきた戦略を見ていきたいと思う。
従来行われてきたバスケットボール・リーグの構成を変更したのが 1995 年である。 第 29 回日
本リーグから、日本リーグをバスケットボール日本リーグ機構(JBL:Japan Basketball League)
とした。この名称変更を機会として、リーグそのものの運営を変化させようと次の基本理念を制
定した(小沢、長田、2003 年、70 頁)。
1.エキサイティングな試合で観客に夢と感動を提供
2.企業内でのスポーツ育成・振興に協力
3.スポンサーと一体となったマーケティング活動
4.地域社会の発展・振興への貢献と新しいライフスタイルの創造
5.国際的社会での地位向上と文化交流に貢献
その後、JBL は、2000 年よりホームタウン・システムを導入し、2001 年にスーパーリーグを設立
した。スーパーリーグ は JBL の 1 部リーグの名称変更であり、元々の 2 部リーグを日本リーグと
名称の変更を行った。このことで、トップリーグを明確にし、特に興行面での成功を目指した。
また、2002 年には 20 年先を見据えた 強化計画として「JABBA 変革 21」を発表している(小
沢、長田、2003 年、71 頁)。
日本バスケットボール協会は、国際大会での現状を踏まえた上で、競技の普及発展のために、
長期的な計画を立てる必要性を感じ、20 年先までの長期間にわたる目標を設定し、そのための 強
化プランを策定した。それが 2002 年 5 月 15 日に発表された「JABBA 変革 21 プラン」である。
9
図表1 JABBA 変革 21
中長期強化計画「20年構想」
2002年
「世界で勝つ」ことのできる日本オリジナルのバス
ケットボールの構築
2004年
アテネオリンピック出場
2006年
世界選手権大会
2008年
北京オリンピック
2010年以降
オリンピック・世界選手権大会常時出場
2020年以降
入賞・メダル獲得へ
出所;小沢、長田、2003 年、71 頁。
「JABBA 変革 21」の「20 年構想」とは、図表 1 に見られるように、2002 年に構想を策定し、
2004 年のアテネオリンピック出場、2006 年日本開催の男子世界選手権をステップに、2008 年の
北京オリンピック出場を目指し、2020 年以降にはオリンピック、世界選手権への常時出場、 入
賞・メダル獲得を目指す中長期の強化計画である。その目的は、次のものであり、特に選手の強
化を中心にしている(小沢、長田、2003、72 頁)。
1 活力ある強化本部の構築
2 日本代表チームの強化
3 底辺の拡充と選手の育成・強化
4 指導者の育成
また、日本バスケットボール協会は、JABBA 変革 21 で日本代表を強化するだけでなく、バスケ
ットボールの強化と普及を目指し、2030 年には登録者数 100 万人を目指しており、競技で 一般
の目に触れる機会を増やすために、イべントとして一時的に行われる大会だけでなく、長期間に
わたるリーグを活性化しようと試みてきた。そもそも強化においては、競技人口を増やし、そし
て日常から競技レべルを向上できる場が重要となる。そこで 2001 年には、実業団チームで行って
いた大会を進化させ、スーパーリーグを設立し、ホームタウン制を導入することで、地域と一体
になった競技の普及・発展を行おうと試みたのである。
全国各地にバスケットボールチームができ、各地域でバスケットボールの人気が出て、競技人
口が増えて、競技のレベルが上がることで、世界にも通用する日本のバスケットボールが完成す
ると、当時のバスケットボール協会の人々は考えたのだと思う。しかし、実際にはそのサクセ
ス・ストーリはまだまだ始まることすらできていないのである。
3-3.サクセスストーリーの失敗と限界
2013 年現在、日本バスケットボール協会の構想通りに、日本のバスケットボールが活発してい
たのであれば、いまごろアジア選手権では常に入賞し、ロンドンオリンピックではバスケットボ
ールで日本人が世界の有名選手を相手に戦っている様子がテレビで放映され、さらにはバスケッ
トボールの競技人口、選手のメディア露出は増えていただろう。しかし、現状では、2011 年のロ
ンドン五輪アジア予選も兼ねた男子アジア選手権では、7位と奮わず、オリンピックまではほど
遠い現実を突きつけられ、テレビなどのマスメディアはほとんどバスケットボールを扱わない。
3-3-1.難しいリーグ改革 バスケットボールの人気に反して、当時バスケットボールのトップリーグであった日本リーグ
の観客数が少ないという記事があった。1992 年の日本リーグの観客数は一試合平均 1900 人。東
京では観客が数えるほどの時も珍しくなかったそうだ(『日本経済新聞 朝刊』、1993 年 12 月
24 日、21 頁)。
10
「テレビ中継は昨季に比べて倍増した」(小沢正博日本バスケットボール協会広報部長)という
ものの、テレビ局に制作費を払い放映してもらっているのが現実
。衛星放送ではゴールデンタ
イムに NBA(米プロバスケットボール)を中継、発売された 16 巻すべてが 2 百万部の売り上げ
を誇る怪物漫画(スラムダンク)もある。若者の間でのバスケットの人気急上昇の現実はある
が、協会はその“追い風”に全く乗れないでいる(『日本経済新聞 朝刊』、1993 年 12 月 24 日、
21 頁)とのことである。
当時の日本リーグには、バスケットボールブームの”追い風”に乗れない様々な問題点があった
と指摘する記事も多々あった。日本バスケットボール協会では、1993 年春にプロ化検討部会(武
富邦中部会長)が発足し、10月に試案をまとめたそうだ。それは J リーグのようなクラブチー
ムでフランチャイズ制を敷くというものであった。97 年に 10〜12 チームでスタートし、5千人
以上収容できる体育館で年間72試合を行う、としている。ただ、武富部会長は「すぐにプロ化
は無理」という。それは、既存の日本リーグの改善が先との認識があったからだ。観客の少なさ
は言うまでもなかったのであるが、地方興行では体育館の収容力が貧弱なのであった。逆に協会
が直轄する東京では、試合があることすら一般には知られていないのが現実であった。繁忙な協
会職員は PR にまで手が回らなかった。地方興行に関しては各チームが不満を募らせている。運営
を任されている都道府県協会からチームに支払われるのは、1 試合制につきたったの8万円しかな
かった。あるチームの監督は「旅費も宿泊費もすべて持ち出し。それでいて地方協会が 100 万円
の 200 万円も利益を得ている」と憤まんやるかたない様子を示していたようだ。こうした矛盾解
消を含めたリーグの活性化を実現するため、協会では「日本リーグ連盟」の創設へ向けて構想を
練りはじめたようだ。協会職員が片手間に運営してきたこれまでの日本リーグを専属のスタッフ
にゆだねてプロモートしたり、入場料収入をチームに還元する、という。しかし“改革”の歩みは
遅かった。内紛を繰り返してきた協会の歴史もあった(『日本経済新聞 朝刊』、1993 年 12 月
24 日、21 頁)。
「内紛」というワードでてきたが、これはいったいどういうことであろうか。これは、バスケッ
トボール協会内で何度も行われてきた、トップリーグのプロ化に対する議論である。
日本のバスケットボールのプロ化は 1990 年代前半から構想が浮かんでは消えてきた。2005
年には日本バスケットボール協会が検討委員会を設け、同委員会は07年にプロリーグ設立を答
申。しかし、今回(2006−2007 シーズン)の新リーグには「プロ」という文字はどこを探しても見
当たらない。その理由を同リーグ設立委員会の吉田長寿事務局長は「何をもってプロというか、
表現しにくいから」。普通に考えればプロの定義はさほど難しいとは思えない。高度なプレーを
核にファンが楽しめる空間を生みだし、その対価として収入を得る、ただそれだけのこと。そん
な簡単な解としてだせず、不毛な議論を繰り返してきたあたりにバスケットの解けない悩みがあ
るともいえる。溝として横たわるのは実業団チームとクラブチームの思想の違いだ。これまで日
本リーグは企業主体で発展してきた。会社から福利厚生費などの名目で活動費を与えられる実業
団チームは資金に困らない。興行にいっさいノータッチできたのも、リーグから雑収入を配分さ
れたりすると経理上の処理がかえって煩雑になるからだった。一方、企業による休廃部に伴い、
相次ぎ誕生したクラブチームは、そんな悠長なことは言ってられない。丸抱えしてくれる企業が
ない以上、独自の財源をひねり出すしかない(『日本経済新聞 朝刊』、2007 年 06 月 22 日、41
頁)のである。
3-3-2.実業団リーグからプロ化への葛藤
バスケットボールのトップリーグが始まって、現在に至るまでのバスケットボールトップリー
グを支えてきたのは間違いなく企業が社会貢献の一環という認識でチームを抱えている実業団チ
ームである。いうなれば、アマチュアスポーツとしてトップリーグが支えられてきたのである。
ここでは、バスケットボールトップリーグに所属する実業団チームが、一つの経済団体として自
立し、プロフェッショナルと変化することができるかどうかを考えていきたいと思う。
バスケットボールトップリーグのチームを、実業団による社会貢献活動というカテゴリーにす
るか、プロ化して独立させてしまうか、に対する議論の最も重要なことは、経済的に独立するこ
とが可能であるかということと、二つに分類されるスポーツ・ビジネスのどちらを選択するかで
ある。二つに分類されるスポーツ・ビジネスとは、一つは、興行の成功を主目的として求めるも
11
のであり、興行の成功によって最大の金銭価値を得ようとするものである。また一つは、スポー
ツの普及・発展を主目的としており、金銭はそれを補完する役割を持つものである。両者の特徴
を全てのスポーツ・ビジネスは併せ持っているが、その強弱には差がある(小沢、長田、2003
年、66 頁)その強弱のバランスが、日本のバスケットボールに問われ続けているのである。アマ
チュアスポーツからプロフェッショナルに変わるということはすなわち、スポーツがエンターテ
インメント・ビジネスに変化するということである。
現在の日本において、しばしば問題視されるのが、企業のスポーツへの取り組み方である。戦
後の日本において、スポーツを支えてきたのは、一つは学校によるスポーツの取り組みであり、
一つは企業によるチームの運営であった。企業がチームを所有し、選手を従業員として雇用する
企業スポーツのスタイルは日本独自のものであり、このシステムのもと戦後、数々の名門チーム
が誕生し、多くのオリンピック選手を輩出してきた。企業がスポーツチームを所有する理由とし
ては、福利厚生や社員の士気高揚、社内の一体感を強めるといったことが挙げられる。企業スポ
ーツに関わる多くの者が「スポーツチームは活躍することにより企業内部によい効果をもたら
す。」といった、いわば内部マーケティング(インターナル・マーケティング)において重要な
役割を担っていると考えてきた。しかし、欧米化の流れによる経営方針の転換やバブル経済の崩
壊に始まる経済不況の中で、企業は経営に余裕がなくなり、リストラによる経営のスリム化や体
質の強化を進めた。また、雇用形態や経営形態の多様化により、以前ほど従業員が企業に対する
愛着心を持たなくなったと言われている。その結果、多くの企業で所有するスポーツチームもリ
ストラの対象となり、女子バレーボールの日立やユニチカ、ラグビーの新日鉄釜石、男子バスケ
ットボールの熊谷組やいすゞ自動車といった一時代を築いた名門チームでさえも廃部に追い込ま
れたのである。特に 1990 年代後半から 2000 年始めにかけては、毎年 30 以上もの企業チームが
消滅するというスポーツ界にとって危機的な事態が生じた。この現象から、残念ながら、スポー
ツ関係者が考えていたほどスポーツチームの価値は企業の経営者に理解されていなかったのでは
ないかということがうかがえる。(市原、日本トップリーグ連携機構 HP)
長い間、日本におけるプロ・スポーツは、野球と相撲が中心であり、それ以外のスポーツは
JOC(Japan Olympic Committee)を頂点として、各スポーツに分かれた組織の下、実業団とい
う形の企業チームによって支えられてきた。そして選手の育成を行って JOC を支えてきたのが、
大学・高校を中心としたスポーツ・チームの運営である。すなわち日本の多くのスポーツにおけ
るプレーヤーは、学校によるスポーツを経て、企業に入社し、企業内での仕事も一定行いながら
チームでプレーを行っていた(小沢、長田、2003、67 頁)のである。このように実業団という企
業チームによって競技が支えられてきたのが、今までの日本のスポーツである。しかし、企業自
体の競争環境が激しくなり、コスト削減が必要になったため、 企業チームの休部が 1990 年代後
半より急激に増加した。特に宣伝広告とのかかわりで、宣伝広告のためと位置付けてチームを運
営してきた企業は、宣伝広告費の削減に伴って、自ずと休部することとなった(小沢、長田、
2003、67 頁)。日本の今までのスポーツの発展の経緯を考えるならば、先にも述べたように、企
業や学校に よってスポーツ活動が支えられてきた。しかし、現在となっては、企業のコスト削減
以外にも、 企業が持つスーツ・チームの役割が明確ではなくなりつつある。従来、アマチュア・
スポー ツと言われてきたスポーツの多くで、契約の概念が導入された。そのことで、企業に所属
して 競技を行うことで金銭を得るのではなく、スポンサーによってその競技生活を支えられてい
る選手も多くなった(小沢、長田、2003、67 頁)。
3-3-3.制度移行の課題
現状、バスケットボールトップリーグには、実業団チームとプロクラブチームの両方が混在し
ている。またトップリーグとは別に、プロバスケットチームのみで構成されたプロリーグである
Bj リーグもあり、日本のバスケットボール界は複雑である。その理由は、プロ化に反対している
チームと、バスケットの活動で利益を最大に得ようとするプロクラブチームの意見の相違をバス
ケットボール協会がまとめられないでいるからだ。企業スポーツは、基本的に親会社の福利厚生
の一環であり、企業活動と競技活動の両方に関わる。ここでは、企業スポーツである実業団チー
ムがプロ化する際に抱える問題点を明らかにしたいと思う。
第一に、企業スポーツにおける企業にとってのスポーツの価値のほとんどは、日本的雇用慣行
に規定された人事労務管理制度の文脈におけるものである。すなわち、企業は「正規社員の給与
12
と福利厚生費」だからこそ年間数億円支出し、その費用対効果にあまり目くじらを立てず、景気
動向にも左右されずに制度を維持するだろうと期待できる。それがもしスポンサーシップや資本
支配による所有となり、競技者も嘱託社員やプロということになれば、その予算は大きく削減さ
れるかもしれないし、景気動向にも敏感に反応して短絡的に費用対効果を見極めようとするかも
しれない。こうしてプロスポーツや地域スポーツなどへの制度移行は、経済規模や制度の安定性
の点で多大なリスクを伴うと予想される。特に、企業スポーツにおいて多大な便益をうけてきた
競技者のキャリアには甚大な影響を受ける。これをどのように再設計するかが重要な課題となる
だろう。
第二に、企業スポーツから移行した後の制度の経営資源に関する問題である。佐伯は企業スポ
ーツについて、「日本スポーツのプロ化が望まれるのであれば、何よりも企業スポーツこそがそ
れに値する資源を有しており、企業スポーツを除く日本スポーツのプロ化は当面、全く不可能」
(佐伯、2004 年、265 頁)と述べている。確かに企業スポーツは競技マネジメントの点では知
的・人的資源を蓄積しているのかもしれない。しかし述べたように、企業のコストセンターであ
り、自ら興行を行わない企業チームには、独立した法人としての運営組織や収益事業に関する知
的・人的な経営資源は一切蓄積されていない*。また、企業スポーツと日本的雇用慣行の相互依存
関係を通じて企業ドメインから経営資源を供給されている競技団体やリーグ機構、あるいは実際
に大会を運営してきた地方協会にも、一般のマーケットを対象とした事業のための人材やノウハ
ウはほとんど蓄積されていない。従って、企業スポーツをプロ化ないし地域クラブ化する際に
は、そうした知的・人的な経営資源の調達が課題になるだろう。
第三に、制度移行プロセスの問題である。制度には慣性があるため、制度移行のためには関連
する諸制度を同時にかつ、整合的に変更しなければならない。特に、企業ドメインとの相互関係
によって多大なレントを得ている競技者や競技団体に、制度移行のインセンティブは生じにくい
(澤井、2011 年、270 頁)。
以上のように、企業スポーツの制度移行は、企業スポーツとその代替的なシステムの制度設計
やメカニズムを十分に考慮する必要があるので、なかなかプロ化は進まないようだ。
大崎企業スポーツ研究助成財団、日本における企業スポーツ選手の特性とその処遇に関する調
査(2002 年 3 月、44 頁)によると、企業チームを保有する 136 社のうち 60.3%が企業スポーツ載
せんもんの部署が社内に「ない」と回答している。また武藤泰明:スポーツファイナンス、大修
館書店、2008 によれば、独立したスポーツクラブ・球団のマネジメントが企業チームのそれとは
明らかに別次元のものである。
3-4.整理
3 章で分析してきたことを整理しようと思う。バスケットボールが日本バスケットボール協会と
は関係なく人気を博し、競技人口も大幅に増加したことにより、日本のバスケットボール市場の
拡大が期待できた。そのチャンスを生かそうと、日本バスケットボール協会はバスケットボール
トップリーグのプロ化の構想を画策する。しかし、いままで日本のスポーツを支えてきた実業団
スポーツの性格を簡単にかえることはできなかった。理由としては、プロという経済活動団体と
して独立することが、企業にとってはあまりプラスにならないことと、そもそもの福利厚生のた
めにやってきていて、その方が選手は生計をたてることができるということがある。ここに、経
済団体としての各プロチームが独立し、各々が興行収入をメインに収益をあげれるようになると
いう理想と、現実的にはそれが難しく、企業の社員として部活動をし、福利厚生をうけることの
方が、現実に生計を立てることができるというパラドックスが存在してしまうのである。
つまり、この章では、日本のバスケットボール界も現代演劇と同様、実業団スポーツ的な発想
と、プロスポーツの発想という価値観が相違し、まとまった基準を作り上げることができていな
いことが分かった。また、それにより生じるプロ選手とアマチュア選手の違いにおいて、産業と
して理想的な報酬の大きさの逆転があり、経済活動団体としては制度化されてないことが明らか
になった。日本のバスケットボールも、現代演劇と同様に、日本のバスケットボール界を構成す
るいくつかのセクターのあいだに健全な分業関係が成立しなかったのである。
13
日本のバスケットボール年表
年
社会の動き
日本のバスケットボール界の
動き
補足
1990 年
スラムダンクが週刊少年ジャ
ンプで連載スタート
1992 年
バルセロナオリンピック、
USA ドリームチーム活躍
バスケブームによる競技人口
増加
バスケットボール施設の増加
バスケットシューズの売り上
げ好調 NBA のテレビ放映開
始
1993 年
バスケは人気スポーツに。J
リーグ発足
プロ化検討委員会発足
実業団チームの廃部撤退
1995 年
NBA 開幕戦が日本で開催。
チケット8万枚即完売
1997 年
NBA の試合が日本で開催。 田臥選手がインターハイ 3 連
チケット即完売。スラムダン 覇達成。日本代表アジア選手
ク終了
権2位
1998 年
日本代表、31 年ぶりに世界
選手権出場権獲得。1 次ラウ
ンド敗退
1999 年
マイケルジョーダン引退。J
リーグ 2 部制に。
2000 年∼
2003 年
J リーグの確立
2004 年
田臥が日本人初の NBA 選手
に
バスケブーム依然続く
バスケブーム終焉か?
JABBA 変革 21 の提案。ス
ーパーリーグ発足(実業団チ
ーム)
2005 年
プロバスケットボールリーグ
Bj リーグ発足。実質2つの
トップリーグが存在すること
に
2006 年
日本で世界バスケ開催。広告
に失敗し大赤字
2007年
プロ化検討委員会がプロリー
グ設立を答申するも成らず。
2013年
サッカー選手の海外での活躍
JBL と Bj リーグの統合に失
敗。
アジア選手権最下位
しかし、この事例分析の結果で考えうることは、現代演劇と同様に、日本のバスケットボール
にも文化生産システムをマッチングすることができれば、一つの産業としてバスケットボールが
確立されうるということだと思う。
(日経新聞、日本バスケットボール協会 HP をもとに著者が作成)
14
第 4 章 バスケットボールの文化産業システムによる制度化の可能性の考察
この章では、文化産業システムの制度化を、実際に日本のバスケットボールに当てはめた時
に、日本のバスケットボールがどう変わっていくかを考えていこうと思う。
4-1.共通の価値観について
日本のバスケットボールが、社会の中で一定の位置を占め、まとまりのある一種の産業として
成立し、各チームが効率的な組織として運営されるにはどうするべきかを考察する。
まず第一に、バスケットボール協会が、プロとアマの混在する、日本のトップリーグである
NBL とプロとして独立したチームのみで構成されたプロリーグである Bj リーグを、共通の価値観
でまとめ、一つのトッププロリーグ産業をつくる必要があるとわたしは考える。ここでいう共通
の価値観と言うのは、エンターテイメント・ビジネス産業として興行を成功させることを主目的
とし、その結果、スポーツの発展普及を目指すと言うものである。つまりは、由利の言葉を借り
て言うなれば、福利厚生を主目的とする企業スポーツ的な価値観からの脱却が重要であるのだ
(由利、「スポーツ記者の視点」日本トップリーグ機構 HP)。また、北川によると、現在のよう
に、企業チームとクラブチームを混在させたままリーグを運営することに無理があると言う。企
業チームは興行収入など求めない。極端な言い方をすれば、観客がいなくてもチームは困らな
い。自主興業をしろといわれても、新たな仕事が増えるだけ。チームに収入が生まれるとかえっ
て経費処理が面倒になる事情もある。一方、企業という支えのないクラブチームは、試合の興業
が最大の財源。一人でも多くの観客に来てもらい、人気チームとなってより多くのスポンサーを
獲得しようと必死になる。対照的な双方を抱えたままリーグのプロ化を目指そうとしてもかなわ
ぬ夢だろう(北川、「スポーツ記者の視点」、日本トップリーグ機構 HP)と主張する。なぜ今回
私が企業スポーツの側の変化による可能性を述べたかと言うと、由利の主張にあるように、トッ
プリーグに参加する企業チームは基本的にチームを社員の福利厚生の一環として位置づけ、ファ
ンに見に来てもらうという視点に欠けているのを実際に感じるからである。たしかに、企業チー
ムからすれば、極端な言い方をすれば、観客がいなくてもチームは困らない。ただ、福利厚生の
一環という位置づけで、社員だけで会場が埋め尽くされればいいが、終身雇用制が崩れつつある
今、休日に自社チームの観戦をするほど愛社精神にあふれる人は少ないのが現在の日本である。
また、選手自身もバスケットを専業する嘱託契約が増え、愛社精神でプレーしているわけではな
く、従業員のための福利厚生は、すでに形骸化しているという(由利、「スポーツ記者の視
点」、日本トップリーグ機構 HP)ことがあるからだ。
4-2.地域密着型のプロチームの可能性
2013 年の記事に、プロバスケットボールリーグ、Bj リーグのチームの過半数が黒字に転じたと
いう記事をみつけた。その記事によれば、今シーズンの Bj リーグの総観客数はやく 76万5千人
で、Bj リーグが開幕した時には20万人前後からしか集まらなかったのに対し、短期間で大幅な
成功をおさめていると言える(『日本経済新聞 朝刊』、2013 年 02 月 12 日、41 頁
)。ここではその成功要因を詳しく見ることはしないが、この記事は、プロ化と地域密着を掲げ
たプロバスケットボールリーグの成功例であり、日本のバスケットボールトップリーグに所属す
る実業団チームが、仮に脱実業団チームを果たし、独立プロチームに変わった場合に、興行で収
入を得て、選手がプロとしてバスケットボールで生計を立てることの可能性を示す嬉しいニュー
スと言えるであろう。
4-3.各セクターの役割分業
ここでは、日本のバスケットボール界を制度化するセクターについて、健全な分業関係が成立
するように分類してみようと思う。仮に、バスケットボールリーグがエンターテイメントビジネ
スとしてすべての人に同じ価値観を前提のように浸透することができたとして、日本のバスケッ
15
トボールを統括し、バスケットボールの普及と代表選手強化に努めるバスケットボール協会。エ
ンターテイメントビジネスを提供するプロ集団として、大衆にエンターテイメントを提供するト
ップリーグ。バスケットボール選手を育成する、大学などの教育機関。プロスポース選手として
の待遇を守り続ける選手会。バスケットボール産業をエンターテイメントビジネスとして受け入
れ、それを支える大衆。
以上ような各セクターごとの分業関係を築くことができれば、バスケットボール業界には、い
くつかのセクターの間で健全な分業関係を築き、バスケットボール業界が制度化される可能性は
大いにあると言えよう。
5 章 おわりに
本稿では、佐藤(1999 年)の「現代演劇のフィールドワーク」を通じて、演劇の歴史を辿り、
演劇が産業として成り立ちうるかどうかの議論をもとにバスケットボールの可能性について探っ
てきた。日本の演劇も、日本のバスケットボールも、抱えていた様々な問題-職業化や専門化や
プロ化など、制度化に関わる諸問題-が非常に良く似ていて、日本のバスケットボールにおける
文化産業システムの制度化に可能性を見いだすことができた。しかし、実際にはまだその方向に
日本バスケットボール界は向いてないのであり、可能性を見いだしたに過ぎないのである。
今後の課題としては、バスケットボール協会、日本バスケットボールトップリーグ NBL、日本
プロバスケットボールリーグ Bj リーグ、日本バスケットボール選手会が共通の認識を持つように
なるために、実際に各セクターがどのようなに変化するべきなのか、具体的な行動に目を向けて
いく必要がある。まだまだ日本のバスケットボールが実際に市場を拡大するのには時間がかかり
そうだ。
<<参考文献>>
小沢道紀、長田歩美(2003 年)「エンターテイメント・ビジネスの可能性-新潟アルビレックスの
事例研究-」『立命館経営学』第 42 巻 第 1 号 65 頁〜85 頁
佐伯年詩雄(2004 年)『現代企業スポーツ論 ヨーロッパ企業のスポーツ支援調査に基づく経営
戦略資源としての活用』不昧堂出版
佐藤郁哉(1998 年)「文化産業システムの可能性と限界(第二部・前編) : 被助 成化の可能性と限
界」『 商学研究』, 39;87 頁〜156 頁
佐藤郁哉(1999 年)『現代演劇のフィールドワーク 芸術生産の文化社会学』東京大学出版会
佐藤郁哉、山田真茂留(2004 年)『制度と文化 組織を動かす見えない力』日本経済新聞社
澤井和彦(2011 年)「日本型企業スポーツの制度と制度移行の課題に関する研究」『スポーツ産
業研究』Vol.21,No.22 63 頁〜273 頁
『日経流通新聞』、1992 年 09 月 01 日、24 頁
『日経流通新聞』、1992 年 11 月 05 日、13 頁
『日経流通新聞』、1997 年 06 月 12 日、19 頁
『日経産業新聞』、1992 年 08 月 10 日、12 頁
『日経産業新聞』、1995 年 06 月 27 日、18 頁
『日経産業新聞』、1997 年 12 月 19 日、1 頁
『日経産業新聞』、2006 年 01 月 27 日、21 頁
『日本経済新聞 朝刊』、1993 年 12 月 24 日、21 頁
『日本経済新聞 朝刊』、1996 年 11 月 8 日、37 頁
『日本経済新聞 朝刊』、2007 年 06 月 22 日、41 頁
『日本経済新聞 朝刊』、2013 年 02 月 12 日、41 頁
『日本経済新聞 夕刊』、1998 年 02 月 26 日、3 頁
『日本経済新聞 夕刊』、1999 年 01 月 13 日、3 頁
BJ リーグ、HP http://www.bj-league.com
NBL、HP http://www.nbl.or.jp
日本トップリーグ連携機構 HP、市原則之「スポーツと社会貢献」
http://japantopleague.jp/column/management/management_0019.html
16
日本トップリーグ連携機構 HP、由利英明、スポーツ記者の視点「バスケットボールはいま」
http://japantopleague.jp/column/sportswriter/sportswriter_0004.html
日本トップリーグ機構 HP、北川和徳、スポーツ記者の視点「リーグのプロ化が進まない理由」
file:///Users/shotakimura/Desktop/一般社団法人%20 日本トップリーグ連携機構
(JTL).webarchive
日本バスケットボール協会 HP http://www.japanbasketball.jp
17