「世界宣教の歴史」 中村 敏

読書感想文
「世界宣教の歴史」
中村 敏
関西聖書学院
1年
奥田
昭
「世界宣教の歴史」
中村
敏
ハドソン・テーラーと彼が設立した中国内地伝道団
世界宣教の歴史、第一の感想は、神の御計画の偉大さ、確かさ、神の御手の業の遠大さ、
今も働いておられる神の栄光を感じないわけにはいかなかった。歴史を支配される神が、
ますますその御こころをあらわしておられることである。世界宣教史は福音がどのように
世界に広がり、もしくは停滞したのか、そこにどのような要因があったのかを歴史的な出
来事を取り扱うことだが、先生の著並び講義は世界宣教を運動としてとらえ、着実なキリ
スト教の進展の主要な流れに注目し、そこにかかわった出来事と人物に焦点を合わせてお
られたからである。
次に、宣教とはなにかの定義であるが、現在福音派が広く受け入れる、1974 年のローザ
ンヌ会議でなされた「神がその民を遣わして、なさしむるあらゆるものを含む包括的な用
語である。それゆえそれは、伝道と社会的責任を含む」とする。語源的なルーツである、
「派
遣されて、神の国を宣言し、伝えること」を加味すれば一層明確になるだろう。ただ、「遣
わ」される事に関しては、地理的、文化的、民族的な壁を超えることがもとめられるのは、
いわゆる国内の働き人と異なる奉仕であることも、確認していかねばならないことだろう。
宣教について、まずなさねばならないことは、初代教会がおこなったペテロやパウロが
おこなった宣教について顧みることがもとめられる。なぜなら、キリスト教の歴史におい
ては、いつの時代においても、「初代教会へ帰れ」が旗印であるからである。したがって、
そこでの宣教もそのことがもとめられるであろう。初代教会については、その多くが当然
のことながら聖書にその記事、情報が求められる。宣教の力の共通点は、
1、終末意識、それも強烈な。猛烈な迫害、弾圧のなかでイエスの再臨が望みであった。
2、御言葉信仰、いまだ新約聖書が整ってはいなかったが、イエスのことばへの信仰。
3、聖霊への依存、聖霊の力への信頼、それ抜きにはなにもなしえない。
4、非世俗化、世俗化されず土着化する。文化に迎合せず、文化を変える。
21 世紀、終末の時代にふさわしい、時代状況、それも地球的規模で。そのなかで、
「主の
こられるまで」なにをなさねばならないのか、今また、
「初代教会へ」のとするならば、上
記4点を、今日の時代状況のなかで普遍化することがまず第1の作業として成さねばなら
ないだろう。そのなかで、ハドソン・テーラーと彼が設立した中国内地伝道団をとりあげ、
小文をまとめてみることにする。
彼は「17 歳の時、明確に回心し、中国宣教への召しを確信した」とありますが、家庭の
雰囲気が両親とも信仰者であった。父が「メソジスト教会の信徒説教者」であったことは、
メソジスト創設者のジョン・ウエスレーの「世界はわが教区なり」の世界宣教の精神を受
け継ぎ、息子に対しても幼い頃より教育されたでしょうし、熱心な「よく祈る」母ととも
にそのような家庭教育がなされていたのだろう。したがって、「小さいときから世界宣教に
開かれた雰囲気で育った」とはよほど、
「主」が小さいときより、彼を宣教に導いておられ
たのだろうか。しかし、確かに導かれるのは「主」だが、その導きに素直に応答した信仰
は少年にしては見上げたものだ。彼は、1854 年「22 歳」の時上海に行くが、17 歳から 5
年の間、召しに応答すべく、祈り、準備したのだ。また、彼は中国伝道に必要な語学を、
中国現地の上海で学んだ。また、彼は今日の技術宣教師にあたる医療を研究した。こらは、
支援体制がないなかで必要なことであった。26 歳のとき結婚する。
主はどのように人物をもちいられたか。彼の宣教に到る経緯でなんら特別な賜物(タラ
ント)をもっていたわけではない。しかし、幼少よりの両親の信仰生活からの影響で、神
に対する素直な、幼心をもって、神よりの召しにたいして従順な心をもっていたことだけ
わたしかである。宣教の歴史においては、二三の例外を除いて、外見的にはごく普通な人
を神は選ばれます。
「愚かな者」
「この世の弱い者」
「この世の取るに足らない者」を「神は
選ばれ」たのです。
「これは、神の御前でだれをも誇らせないため」(第 1 コリント1-2
7~28)だったのである。
次に当時の中国事情である。中国へ最初のプロテスタント宣教師ロバート・モリソンが
中国の広東にわたったのは、1807 年である。当時は清王朝が繁栄した時代であった。彼は
最初の旧新約聖書全体の中国語訳聖書を翻訳している。宣教の種はプロテスタントの陣営
からも蒔かれたのである。1842 年、中国がアヘン戦争に敗北し、香港をイギリスに割譲し
ている。清王朝が没落の時代にさしかかるのである。日本では 1853 年ペリーがアメリカ艦
隊を率いて、浦賀に来航している。中国、日本が騒然としているなか、1854 年彼は上海に
到着し、1865 年に中国内地伝道会を設立している。同設立については、1860 年彼が健康を
害し、一時本国イギリスに帰り、「聖書翻訳と中国宣教の方策の検討に多くの時間を費や」
すことが。できたことも万事を益をとして下さる主の働きがあったのであろう。とにもか
くにも準備は整った。
次に彼の宣教は個人が一人でなすものではなく、集団で、そして伝道方針を掲げたこと
である。その基本方針は、
1
超教派組織にして、特定の団体に依存することを避けたことである。
2
宣教師の資質の基準を設け、霊的な資質に最も重きを置いた。知的、社会的資質と
いういわば、肉的なものを排除した。
3、経済的には、負債をつくらないこと強調した。これは、働き人が無報酬の時、月も
あることを意味する。
これらの事項は成功した宣教団体に共通するものである。「自立」の精神である。いたず
らに、団体、資金を他に依存せず、自由な宣教活動を保証しようとするものである。彼は、
「神の事業が、神の方法でなされるならば、決して神からの補給を欠くはずはない」とい
う確信に立っていたからである。とりわけ、2つの聖句が会の支えになったと言う。
「主の山には備えがある」
(創世記22:14)
「ここまで主が私たちを助けてくださった」
(第 1 サムエル7:12)
次に実際上の伝道方針は次のようなものであった。
1 伝道の対象地はあくまで中国内地を目標とした。
2
宣教の目的は福音を伝えることでそれ以外のことは、なるべく遠ざかることにし
いわゆる社会責任としての社会事業等に主力をそそがず、教会建設すらも第一義
としないものであった。
3
宣教師はなるべく中国化した。同時に日常生活を中国人と同じようにする同化す
ることをもとめた。
4
中国を本部として、本国は連絡事務所を置くのみとした。現地決定の立場を通し
た。
5 会の資金はすべて自由献金により、会費や予約献金もとらなかった。
特に2、については、1974 年のローザンヌ会議でなされた定義である、
「宣教は伝道と社
会的責任を含む」とする趣旨から離れが、彼の時代は 1865 年以降であり、ローザンヌ会議
とは時間的差がありすぎ、その影響は最小ものだろうし、むしろ同会の方針のほうが、そ
の後の成果と比べても正しいと評価されるであろう。キリスト教は、内向きになると停滞
し、外向きになると前進する。初代教会も宣教については、教会堂建設という形式的な内
向きなことを目的にしたのでないことは明らかである。目標はあくまで、
「個人の回心」す
なわちイエスの十字架による救いである。エルサレムから、ローマへ、とにもかくにも外
へ、前へ進んだ。キリスト教は本来、外向き、前向き運動なのである。したがって、同会
は初代教会の精神は貫かれているのである
なお、歴史的な成果については、
1866 年、22 名(子どもを含む)で始まったが、30 年後の
1895 年には、宣教師 641 名、中国人伝道者 462 名、伝道所 260 箇所、信徒数5211名
を数えるまでに成長した。また、20 年後
1916 年には、宣教師 1017 名、(これは中国全土の宣教師の20%にあたる)
、中国人伝
道者 2760 名、信徒数は 30070 名に膨れ上がるのである。
(これは中国全土の信徒数の 7
分の1にあたる)
同会は当初の目標どおり、奥へ、奥へとすすみチベット、ビルマ、ベトナムに隣接す
る辺境の雲南省まで宣教は進出するのである。同会からの宣教師ポラードは同地域のモ
ン族の宣教に 29 年をささげ、新約聖書をモン語に翻訳するが同地はリバイバルのような
状況になるのである。また、山岳族への宣教、カレン族等に対してもリバイバルが起き
るのである。
しかし、1900 年の義和団事件から、迫害は始まるが、そんな中、1905 年彼は奉仕の最
中、突然召されるのである。そして、1945 年の中華人民共和国の成立により同会のみな
らず、中国内のキリスト教団体は致命的な打撃を受ける。1951 年中国から外国人宣教師
全員に対し退去命令が出る。同会の中国国内の宣教活動はピリオドが打たれる。なお、
国外退去させられた宣教師たちは、日本、フイリッピン、タイ、香港等に移り、宣教活
動を続けることとなる。同会はその後、名称を変え、国際福音宣教教団(OMF)とし、
同じ理念でアジヤの諸地域で宣教活動を行うことになる。同会は 19 世紀の欧米の信仰復
興運動の波から生まれたものである。ハドソン・テイラーという卓越して指導者のもと
で徹底した「フエイス・ミッション」の信仰のスピリットを実行したのである。
かれが蒔かれた宣教の実は、2006 年の現在、中国においてどのようになっているのだ
ろうか。世界経済の中で、人口 13 億、生産力世界第 2 位、日本を追い抜き、ナンバー1
アメリカに迫ろうとする巨大国家である。世界経済は中国を抜きに語れたれない実力を
もつ。社会主義は表向きで、中身としての資本主義を推し進める道具でしかない。しか
し、驚くべきことは、その人口 13 億の内、少なく見積もっても 6000 万人、ある統計で
は 1 億を超えるイエスを信じる信仰者が、いると言うことである。もちろん中国政府、
権力者の迫害、弾圧はすざましとも言われている。したがって、家の教会と言われる、
いわば秘密組織の形で、正規の教会の形をとらずになされて行き、現在もそのかたちを
とっている。政府公認の教会組織「サンジャイ」は、政府公認の牧師が教える、真の聖
書的教えから離れた、極めてリベラルな教え、たとえばイエスを単なる優れた道徳家と
みるような教える教会はあるが。しかし、中国へ最初のプロテスタント宣教師ロバート・
モリソンから始まり、ハドソン・テーラーと彼が設立した中国内地伝道団の蒔いた宣教
の種が実がかくもすざましく開花するとは。
「30 倍。60 倍、100 倍」になったのだ。も
ちろん戦いはこれからもつづくであろう。しかし、ハドソン・テーラーと彼が設立した
中国内地伝道団の基本的精神と1、終末意識、2、御言葉信仰、3、聖霊への依存、4、
非世俗化、を貫くかぎり中国の宣教はこれからも前進するだろう。