新しいガラスの開発をめざして

Res. Reports Asahi Glass Co., Ltd., 59(2009)
UDC:666.1.01
1. 新しいガラスの開発をめざして
Aiming to Create New Glasses
伊藤節郎*
Setsuro Ito
ガラスの起源は定かではないが、約5000年前には、既に人類はガラスを手にしていたと
考えられている。ガラスは、当初、そのきらめく輝きから宝飾品として取り扱われていた
が、長い歴史の中で夥しい種類のガラスと様々な製法が開発され、現在、建築物や車輛の
窓材、容器や食器、光学部材、鏡、ディスプレイや太陽電池の基板、光通信ファイバーな
ど、日常生活に必要不可欠な材料として広く使われている。中でも、特に、レンズ、窓ガ
ラス、電球用ガラス、光ファイバーなどの大発明は、ガラスという素材が人類の生活や考
え方を一変させたという点において特筆に価する。これらの大発明は、均質、等方、透明
というガラスの特徴を活かして成されてきたが、今後、更なる発展のためには、ガラスの
本質をさらに詳しく知り、ニーズにマッチした役に立つガラス材料の開発が必要である。
本特集では、ガラスの本質とは何かを考え、機能性ガラスを設計するための諸技術を紹
介する。
Although nobody knows when glass was discovered, most people believe that glass
has been used for more than 5000 years. During the long history, numerous kinds of
glasses and various processes have been invented. Among them, especially, the
inventions for lens, window glass, light bulb and optical fiber made extremely significant
contribution to mankind, because such inventions changed human life style and
philosophy.
Glass is well known to have excellent characteristics such as transparency, formability,
processability, complete isotropy and ability to accommodate diverse chemical
component. These characteristics can further be improved using phenomena such as
phase separation and crystallization. Furthermore, as the long history demonstrated,
glasses are environmentally friendly and their raw materials are abundantly available on
the earth. Hitherto, knowing such characteristics, glasses have been produced and used
widely as daily necessities and they are hard to replace with other materials. In the
future, to continue the development of advanced and useful glasses, we have to know
deeply and widely the nature of glass and to create new functions.
In this volume, we will introduce new approaches to develop advanced glasses as well
as new techniques and processes.
1.
はじめに
現在、世界中で年間数千万トンにも及ぶ膨大な量
のガラスが作られている。それらは、様々な機能を
持ち、建築、車輛、エレクトロニクス、光通信、エ
ネルギーなどの様々な分野で生活必需品として広く
使われている。それらのガラスに必要な機能は、こ
れまで、基本的にはガラスの組成を設計することに
*
中央研究所 特別研究員(E-mail:[email protected])
Research Center Fellow
−7−
旭硝子研究報告 59(2009)
よって、物性を制御して作られてきた。しかし、品
質や機能への要求が益々高まり、さらに環境やエネ
ルギー問題への関心が高まりつつある現在、従来の
手法だけでは、多様なニーズに適合し且つ社会に役
立つガラスをタイムリーに開発していくのは困難に
なりつつあるように思われる。より高品質で優れた
機能を持つガラスを開発するためには、ガラスとは
何かを基本に立ち返って考え、ガラス物性と組成や
構造との関係を解明することが重要である。そのた
めには、ガラスの本質を明らかにし、新しいガラス
材料設計技術、すなわち、組成設計や構造設計技術
を開発することが望まれる。また、ガラスの機能や
構造を評価する新しい技術開発が必要である。さら
に、消費エネルギーを低減しながら高品質で新しい
機能を持つガラスを作成する技術開発が必要であ
る。
本誌においてガラス開発に関する技術を特集する
にあたり、先ず、本項で上記内容について概説する。
2.
ガラスの本質
2.1 ガラスとは
Figure 1に示すように、物質は高温から温度が下
がるにつれ体積が連続的に減少するが、気体から液
体、液体から結晶固体への相変化に際しては体積が
不連続に変化する。しかし、ある種の物質では液体
から固体への体積変化が連続的に生じ、非晶質状態
のままで固体となる場合がある。液体から非晶質固
体への体積の連続的な変化をガラス転移と呼び、こ
の温度領域以下の状態をガラス状態という(1-3)。すな
わち、ガラスとは、ガラス転移現象を示す非晶質固
体と定義される。したがって、ガラスは結晶と違っ
て、熱力学的に安定な状態にないこと、及び長距離
の規則性がない無秩序な構造であることを特徴とす
る物質である。前者の理由から、ガラスは外部から
Fig. 1
Glass Transition.
エネルギーを加えられると容易に構造を変えて、よ
り安定な状態へ移行し、常に構造が変化し続ける。
特に、Fig. 1に示すように急冷したガラスは徐冷ガ
ラスに比べて高温状態の構造が凍結されるので、よ
り不安定な状態になり容易に構造変化を起こしやす
い。一方、後者の理由から、透明性、脆さ、物性の
連続性などの特性が現れ易い。しかし、ガラスだか
らといってこれらの特性を持つとは限らないし、逆
にこれらの特性を持つからといってガラスであると
も限らない。
一方、ある物質がガラスになるかどうかは、その
物質の液体の結晶化速度、すなわち、結晶核生成速
度及び結晶成長速度に依存する(4-5)。一般に、結晶化
速度は液体の粘度に依存するので、高粘度の液体ほ
ど結晶化速度が小さくなり、ガラス化しやすくなる。
逆に、液体の冷却速度が結晶化速度よりも大きくな
れば、どんな物質でもガラスになり得ることになり、
これまで、酸化物だけでなく、金属、プラスチック、
さらには水や希ガスでさえも、ガラスになることが
知られている。
しかし、ガラス転移やガラス構造については、最
先端の科学技術を駆使しても、未だに不明な点があ
り、ガラスの本質を明確に記述できないのが現状で
ある。第2章にガラス転移に関する詳細を譲る。
2.2 ガラス構造と均質性
ガラスは一般に、無秩序で均質な構造を持つ物質
であると考えられている。これはマクロには正しい
が、ナノオーダーになると必ずしも正しくないと考
えられるようになり(6)、実際、光散乱法やAFM(原
子間力顕微鏡)でガラス中の不均質性が観察されて
いる(7-10)。
ガラス構造には短距離構造と長距離構造がある。
短距離構造は最近接の原子の配位構造を示すもの
で、X線回折や中性子線回折の解析から、結晶構造
と類似の構造であることが知られている。例えばケ
イ酸塩ガラスではSiO4四面体からなる基本構造を有
する。一方、長距離構造はガラスの不均質性と直接
関連するものであると考えられるが、電子顕微鏡や
その他の先端機器を使っても、現状ではその構造を
正確に知ることができない。そこで、分子動力学な
どにより計算科学的手法により、その構造を知る試
みが進められている。Figure 2に分子動力学で得ら
れた窓ガラスの構造を示す。網目修飾イオンが多い
部分と網目が多い部分が偏在しており、ガラス構造
はナノオーダーでは不均質であることが分かる(11)。
ガラスの本質的な不均質性は光ファイバーを除い
ては、これまであまり大きな問題にならなかったが、
ナノテクノロジーの発展とともに、より高度な機能
を求めるには、不均質性制御の重要性が指摘され始
めている(12,13)。変形流動、破壊、緩和、エッチング、
結晶化、分相などの種々の現象が、この不均質性に
関係していると考えられる。
一方、ガラスの溶融温度とガラス構造の関係も指
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Res. Reports Asahi Glass Co., Ltd., 59(2009)
Fig. 2 Network structure of the glass in the
system of Na2O-(Mg, Ca)O- Al2O3-SiO2
(Similar to the composition of the
commercial window glass).
摘され、液相温度付近で溶融されたガラスと液相温
度よりかなり高い温度で溶融されたガラスの長距離
構造が異なることも示唆されている(14)。この構造の
違いが、熱力学的な問題であるのか速度論的な問題
であるのかは不明であるが、いずれにしろ、溶融温
度により均質性が異なることも起こり得ることを考
慮しておくことが大事である。
れている(16)。また、ガラス構造は仮想温度(冷却中
に液体の構造が凍結された温度)に強く依存するの
で、仮想温度の異なるガラスは組成が全く同じでも
特性が異なることを十分考慮しておく必要があ
る(17-19)。
ガラスの緩和現象、取り分け熱収縮は、現在、大
型ディスプレイ用基板ガラスや光学ガラスを製造す
る上で最も重要で且つ制御が厄介な特性の一つであ
る。基板ガラスでは、熱収縮が大きくなるとディス
プレイ画面に高精細な映像を形成することが困難に
なるので、各社が熱収縮を抑制するためにガラス転
移点(Tg)の高いガラスの開発にしのぎを削ってい
る(20)。一方、光学ガラスでは、構造緩和によって密
度が変化し、その結果屈折率が変化するため、精密
な徐冷によって厳密な屈折率制御が行われてい
る(21)。
通常、構造緩和には、Tg近傍での緩和とTgより
はるかに低い温度での緩和がある。前者の緩和はガ
ラス網目構造の組み換えに由来すると考えられてい
る。一方、後者の緩和の原因は、ガラス中の非架橋
酸素や水の動き、陽イオンの配位数の変化あるいは
網目構造の変形などに起因すると考えられている
が、未だ不明な点が多い。科学的観点からも、また、
工業的観点からも、そのメカニズムの解明が強く望
まれている現象である。
3.
2.3 ガラスの構造緩和
一般に、ガラス転移点以下の温度でガラスを長時
間保持しておくと、次第に収縮していく。これは構
造緩和と呼ばれる現象で、高温で凍結された不安定
なガラス構造がより安定なガラス構造へと変化する
ために生じる現象である。この現象は、既に130年
ほど前、温度計効果として知られ、室温に置かれた
温度計が徐々に収縮し、Figure 3に示すように、そ
のゼロ点が数十年間に約0.5度程度ずれたことが報告
されており(15)、以後緩和に関する多数の報告が知ら
組成設計技術
新しいガラスを開発する上で最も重要なことは、
目標の物性を持つガラス組成を如何に設計するかで
ある。ガラスは先に述べたように、無秩序な構造を
形成するため、少量であれば如何なる元素でも溶か
し込むことができ、しかも組成を連続的に変えるこ
とができる。このため、比較的限られた組成領域で
あれば、物性を下式のように線形で表すことができ
る。すなわち、成分 i の物性係数 fi と濃度 Ci の積を
全成分について総和することによってガラスの物性
Fが表される。
F=∑fiCi
Fig. 3 Time dependence of zero point displacement
of a thermometer fabricated from glass.
(Phys. Chem. Glasses: Eur. J. Glass Sci.
Technol. B, 48, 291-295 (2007).)
物性係数は種々の組成範囲において、その値が提
案されており、また、INTERGLAD(22)などの膨大な
ガラスデータベースから目的とする組成域の係数を
自分で構築することも出来る。従って、通常、組成
を決めれば比較的容易に物性を予測することが可能
である。しかし、ガラス組成によっては、物性が線
形に変化せず非線形に変化する場合がある。例えば、
複数のアルカリ種を含むガラスではアルカリ量に
よって物性が一様に変化せず極大値や極小値が現れ
る混合アルカリ効果(23)、あるいはB2O3やGeO2を含む
ガラスにおいてBやGeの配位数が組成によって変化
するホウ酸異常(24) やゲルマン酸異常(25) などの現象
が知られている。これらの非線形現象が生じる場合
−9−
旭硝子研究報告 59(2009)
には、上式から物性を予測することは困難であり、
非線形物性を予測できるニューラルネットワーク
法(26)が組成設計には適している。さらに今後は、物
性から組成を予測することが望まれ、遺伝的アルゴ
リズムを用いた組成設計技術が必要とされ、開発が
進められつつある。詳細を第3章に譲る。
4.
ガラスの2大特性
一般に、酸化物ガラスには、「透明であり、脆い」、
という2大特徴がある。従って、透明という長所を
活かし、脆いという短所を克服することがガラス開
発には重要である。
4.1 透 明 性
透明とは、通常、人間の目で見て物体の向こう側
にあるものがクリアーに見えることである。すなわ
ち物体を通過した可視光の強度が高く、且つ散乱度
合いが小さいことを意味する。Figure 4(a)に示すよ
うに、ガラスに入射した光は、先ず表面で反射され、
残りが内部に侵入する。ガラス中に遷移金属イオン、
例えば、鉄イオンなどが不純物として存在すると光
吸収が生じ、さらに異物が存在すると光散乱が生じ、
光が減衰しながら裏面に到達する。裏面で再度反射
減衰した後、残りの光が外部に出射していく。
Figure 4(b)に全透過率と波長との関係を示す。酸化
物ガラスの基本的な光吸収は、紫外領域のバンド間
の電子遷移と赤外域の結合の振動による吸収によっ
て決まるが、これらの吸収を制御することによって
紫外線や赤外線をカットしたり、あるいは透過させ
たりするガラスが開発されている。また、微量の
種々の遷移金属あるいは希土類元素をドープして可
視光領域に吸収を生じさせることによって、自動車
や建築用の着色ガラスが製造されている。さらに、
分相や結晶の微粒子を析出した光散乱を生ずるガラ
スは柔らかな光を提供する装飾用や建築用ガラスと
Fig. 5
Fig. 4 Principle of transparency (a) and
transmittance of glass as a function
of wavelength.
して使われている。
一方、屈折率は組成によって決まり、ガラスデー
タベースINTERGLADによれば、Fig. 5に示すよう
な屈折率とアッベ数(分散の逆数)の関係を示す膨
大な種類のガラスが知られている。しかし、高屈折
率で高アッベ数(低分散)のガラスには限界があり、
これを乗り越えるためには、コーティングや表面微
細加工などを施した新規なコンセプトのガラス材料
開発が不可欠である。さらに、最近では、光の強度
が変わることによって屈折率が変化する、いわゆる
非線形光学ガラスが注目されている(27)。このガラス
は、光スイッチ、波長変換、光遅延などの素子とし
て、次世代の光通信分野で必要不可欠な材料として
期待されている。詳細は第4章に譲る。
結局、ガラスの透明性は、屈折率、光吸収、光散
乱によって決まり、これらを制御することによって、
Refractive index vs Abbe number for glasses.
−10−
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Fig. 6 Scratched surface of less brittle glass (LB) and
window glass (SL).
光ファイバー、無反射ガラス、着色ガラス(28)、マイ
クロレンズなど各種の光制御ガラスが作られてい
る。
進することなどが重要であることが分かりつつあ
る(33)。Figure 6に、脆さの異なるガラスの引っ掻き試
験の結果を示す。脆さの低いガラスは、クラックが
発生し難いことが分かる。
4.2 脆 さ
ガラスは実用材料の中でも最も大きい強度を持つ
材料の一つである。その理論強度は、20GPaを超え
ることが知られている(29)。最近、シリカガラスのナ
ノファイバーを用いて、ほぼ理論強度に匹敵する強
度が得られたことが報告された(30)。しかし、それに
も関わらず、バルク状ガラスの実用強度は、通常、
理論強度の1/100以下に過ぎない。その原因は、ガ
ラス表面に存在するミクロな傷のためである。ガラ
スの場合、傷の先端は極めて鋭いので、小さな外部
応力でも、傷の先端には原子間結合力を超える応力
集中が発生し、破壊が進行する。このミクロの傷の
大部分は、ガラスを製造中あるいは使用中に硬い異
物と接触して生じるものであるが、あまりに小さい
ため観察が困難で、傷の発生を完全に防ぐことは非
常に困難である。
これまで、ガラスの破壊を防ぐために、風冷強化、
化学強化、エッチング、研磨、コーティングなどの
種々の方法が採用されてきた。破壊の起源が、大き
なガラスの中の局所的なミクロな傷であるにも関わ
らず、上記手法ではガラス全体を処理しなければな
らず、大変な労力とエネルギーが掛かる。さらに、
そのような方法が適用出来ないガラスの場合もあ
り、本質的に傷のつき難いガラス(31)や傷の進展し難
いガラス(32)が必要とされている。前者は脆さに、後
者は破壊靭性に関係付けられ、それぞれの物性と組
成との関係が調べられている。
さらに、ガラスの仮想温度の違いにより上記物性
が異なることから、ガラス構造もそれらの物性に密
接に関連しているものと思われる(第5章参照)。
特に、ガラス構造と応力下で生じる緻密化や流動と
の関係を明らかにすることが重要である。しかし、
ガラス構造の観察が困難な現在、ガラスの変形や破
壊がナノオーダーでどのように進行するのかは未だ
不明である。近年、分子動力学などの解析によれば、
上記の物性を向上させるためには、特に、網目構造
を多くし、且つ適度な量の非架橋酸素を網目構造中
に組み込むこと、さらに網目修飾イオンの移動を促
5.
ガラス欠点の解析
我々が日常使用するガラスの多くは透明なガラス
である。従って、ガラス中に異物が存在すると微小
であっても眼で簡単に認識され不良品となる確率が
高い。例えば、100 mm程度の泡、未溶解物、脈理な
どは裸眼で簡単に認識できる。しかし、エレクトロ
ニクス用に使用されるガラスでは、眼には見えない
程度の微小な欠点でも問題となる場合が多く、益々
高品質なガラスが求められている。従って、欠点の
抑制は歩留まり向上に極めて重要であり、「欠点を
制するものはガラスを制する」とまで言われる。し
かし、これらの欠点は、体積から言えば、ppbの
オーダーであり、何時どのようにして発生したのか
を明らかにすることは非常に困難である。その原因
を突き止めるためには、先ず、その欠点が何である
かを同定することが重要である。そのためには、顕
微鏡観察による形態観察、EPMA(電子線マイクロ
アナライザー)などによる異物中の組成分析、泡中
のガス分析などが必須である。近年、機器の能力
アップとデータの蓄積により、ガラス製造工程で
時々刻々と成分が変化していく異物でも、室温のガ
ラス中の異物の解析から、その発生原因を推定でき
るようになりつつある。第6章に詳細を譲る。
6.
ガラスの構造評価技術
ガラス構造評価には、X線回折、X線小角散乱、
EXAFS(X線吸収端微細構造)、XPS(X線光電子分
光)などを測定する各種の機器が使われてきた。核
磁気共鳴(NMR)法、赤外分光法(IR)あるいはラ
マン分光法も広く使われて来たが、近年、機器の性
能アップにより、これらの手法はガラス構造の解明
に大きく貢献している。NMRは、古くからB2O3ガラ
スの構造解析に利用されてきた(34)が、現在、ガラス
網目構造を形成するホウ素、アルミニュウム、ケイ
素などを取り巻く酸素多面体の基本単位構造やそれ
−11−
旭硝子研究報告 59(2009)
らの配位数の解明に威力を発揮している(第7章参
照)。特に、ボロシリケートガラスやアルミノシリ
ケートガラスなどの骨格構造の解明に役立ってい
る。また、赤外分光は、ガラスの仮想温度の同定(35)
やガラス表面と内部のOHとの違いを識別できるよ
うになり、ガラス構造評価に新たな指針を与えてい
る。また、ラマン分光法で、シリカガラス中のSiO4
四面体からなる3員環や4員環の構造が明らかにさ
れている。これらの機器は常に進化しており、より
高品質な情報を得ることが、ガラス開発にとって極
めて重要である。
7.
ガラス表面
ガラスの表面付近は、多かれ少なかれ内部とは異
なる性質を有している。特に、表面近傍ではガラス
構造の乱れや組成の変質により、内部とは異なる性
質を示すことが多い。例えば、フロート法で作製さ
れたガラスの表面近傍は、上面(Top面)と下面
(Bottom面)で組成が異なり、特に、上面近傍では
Naが欠乏し、下面では錫が富裕するガラス層が存在
(36)
。しかし、錫の分布は一様ではなく、
する(Fig. 7)
ガラス中の遷移金属との間で複雑な酸化還元現象を
生じていることが推測される。このような表面構造
を持つガラスは、言い換えれば、多層ガラスという
ことも出来る。さらに、表面近傍では水が容易にガ
ラス中に浸入し、特性を大きく変える場合がある(37)。
詳細を第8章に譲る。
一方、表面近傍は内部に比べ構造緩和が起こりや
すいため、仮想温度が低くなりやすい傾向があるこ
とが知られている(38)。表面近傍における上記の組成
や構造の違いは、特に、傷の発生、研磨、エッチン
グ、接着、コーティング、帯電などの機械的、化学
的あるいは電気的性質に大きな影響を与えるので、
ガラスを使用する際には常に表面状態を考慮する必
Fig. 7 Sn profile of the Tin side for soda-lime-silica
float glass.36)
要がある。
8.
環境保護と省エネ技術
材料開発は常に新しい機能を求めて進められてい
るが、モノ作りにおいては、それだけでは不十分で
ある。近年、環境保護と省エネが強く求められ、ガ
ラス製造においては、鉛、砒素などの毒性物質を極
力使用しないこと、資源の少ない物質を有効に利用
すること、製造時のエネルギー効率を上げ化石燃料
の利用を低減しCO 2 排出を削減することが重要課題
となっている。特に、ガラス製造プロセスにおいて
は、原料を1600℃付近の高温で均質に溶融する必要
があるが、原料粉体への熱伝達効率が悪く、且つ融
液の粘性が高いため均質化に時間がかかるなどの理
由で、多量のエネルギーが必要になっている。この
ため、エネルギー効率の良い溶融技術が求められて
いる。弊社AGCでは、NEDOのエネルギーイノベー
ションプログラム「革新的ガラス溶融プロセス技術
開発」に参画し、組成が均質な100 mm程度の微粒子
を気相中で溶融する方法で、エネルギーを半減させ
る事が可能な従来とは全く異なる新奇な溶融技術を
開発しつつある。第9章に、この新しいガラス溶融
技術の概略を紹介する。
9.
ガラス技術における特許
研究開発活動では上記の技術を始め、各種の基盤
技術を基に実際に商品化を目指すわけであるが、そ
こには技術の視点だけではなく、事業の視点が大き
な役割を持ってくる。
商品化の大前提として、市場がその材料を欲して
いるということが挙げられる。市場が望まなければ
どんなに素晴らしい材料が開発できたとしてもそれ
は商品とはならない。また、経済合理性が成り立つ
ことが必須である。市場がその材料にどれだけの価
値を認め、対価を払ってくれるかで価格が決まり、
それに見合った製造コストでモノ作りが出来るかが
要件となってくる。このように、企業の研究開発行
為では「技術視点」と「事業視点」のバランスが常
に適正に保たれていることが重要である。さらに、
最近では特に、「環境・省エネ視点」を考慮した開
発が強く求められている。したがって、常にこれら
の3視点を見据えたモノ作りこそが、企業や社会の
持続的発展に必要である。そのモノ作り技術を磐石
にするためには、新しい素材や製造技術、市場の動
き、社会の動向を把握することが大事であり、その
ためには特許が極めて重要に思われる。
以下にガラス関連の過去10年間の特許の動向を示
す。Figure 8は、ガラス組成の特許件数である。過
去数年、組成に関する特許件数はほぼ一定で変化が
ない。しかし、詳細に眺めると、シリケート系ガラ
スから、非シリケート系ガラスの開発が活発化して
いる。希土類元素などを含む光学ガラスの開発が増
加しているためと思われる。Figure 9は、ガラスナ
−12−
Res. Reports Asahi Glass Co., Ltd., 59(2009)
Fig. 8
Fig. 9
Patent trend concerning about glass composition.
Patent trend concerning about glass nano-technology.
謝 辞
本稿を執筆するにあたって貴重なご助言を頂いた
前田敬氏、及び特許に関する貴重な資料を収集して
下さった大崎康子氏に深く感謝いたします。
−参考文献−
Fig. 10 Patent trend concerning about glasses for
solar battery and LED.
ノテクノロジーに関する特許件数である。ガラス溶
融に関する開発は常に続けられているが、最近、プ
レス成形技術の開発が増加しつつある。マイクロレ
ンズやガラスの微細加工技術の開発が進んでいるも
のと思われる。Figure 10は太陽電池とLED(発行ダ
イオード)関連の特許件数である。エネルギー問題
の解決のため、これらの分野の開発が急増している
ことが窺える。
特許はその時々の時代の流行を反映しているとと
もに、将来へ向けての研究開発の方向を示している
ともいえる。ガラスの地道な技術開発と共に、時代
が何を求めているかを確実に把握しながら研究を進
めることが大事である。
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