甦れ美しい日本 - Melma!

2013/06/16発行
甦れ美しい日本
□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2012年6月16日 NO.1395号 )
☆☆甦れ美しい日本☆☆
☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か
ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め
の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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◎片山虎之助
総務委(6月13日)での私の質問
6月13日午後、総務委で一般職給与法改正案を審議し可決しました。総務委で
の私の質問の大要は、次のとおりです。
1. わが国の公務員制度の特徴はメリット・システム(能力・実績主義)にあ
る。今回の高齢者層職員を対象とした昇給抑制措置は官民較差是正に狙いがある
としても、メリット・システムに反し、定年制延長など今後の高齢者活用方針と
も異なるものだが、かってこのような年齢層に着目した人事院勧告はあったのか。
2. この措置での財政削減効果は僅か6億円である一方、55歳超職員は3万人程度
いる。今回の抑制措置で高齢層職員のモチベーションが下がったら元も子もない。
また、アベノミクスによるデフレ脱却では民間に賃金引き上げを政府は強く要請
している。官民で全く首尾一貫しないのではないか。
3. 平成24∼25年度に実施した△7.8%という国家公務員給与の減額特例措置
は26年度以降どうするのか。諸般の事情を総合的に勘案して結論を出すとの説明
は納得できない。この減額は、26年度の官民較差に必ず現れるので人事院勧告で
その是正が指摘されることになると思うがどうか。
4. これに関し人事院は減額前の給与額と減額した支給額の2通りの勧告をす
る考えのようだが、労働基本権制限の代償機関である人事院として、政治的に行
われた減額を顧慮するのは問題ではないか。淡々と実際の官民較差を調査し、そ
れに基づき勧告すべきが本筋と考えるが、所見如何。
5. メリット・システムで重要なのは人事評価制度だ。それまでの勤務評定制
度と違うこの制度について、なお運用上改善の要があるとも聞く、実態を知りた
い。
平成25年6月14日
◎西田昌司
【Showyou通信 VOL.336】−2013.6.11−
★伝えよう、美しい精神と自然。
−日本の背骨を取り戻そう−
1.【Showyouビデオレター】
『流石、麻生元総理!財政出動でデフレ脱却』
を新たに追加いたしました。
http://www.showyou.jp/videoletter/
ホームページの新着情報よりご覧下さい。
2.【活動アルバム】
活動アルバムの更新をいたしました
最新版をご覧下さい。
http://showyou.jp/album/
3.【週刊 西田】
「週刊 西田」6月11日号が発行されました
是非ご覧下さい(毎週火曜日発行 動画週刊誌)
http://www.shukannishida.jp/top.html
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目次
◎西村真悟 「ことば(魂)を求めて」
◎奥山篤信の映画評 韓国映画『嘆きのピエタ』(Pietà)2012
◎奥山篤信 アメリカ映画『華麗なるギャツビー The Great Gatsby』2013
----------------------------------◎西村真悟 「ことば(魂)を求めて」
----------------------------------- 私が、いわゆる慰安婦問題に関して発言してから、
当時の人のことばが不意に浮かんでくるようになった。
そのことばは、私の魂に入り込むように浮かんできた。
それは、戦いに臨む軍人のことばであった。
また、戦地で慰安婦がひとときを過ごした兵隊にかけたことばだった。
これらはともに、本当の情から発することばだった。
そして、このことばほど、現在、我が国の内外から我が国の歴史に対して投げ
かけられる非難とはかけ離れているものはない。
これらのことばは、真実の我が民族の姿を清流が地下から甦ったように示して
いる。
明日の生死も知れないあの時の人々のことばには魂がある。
それゆえ、いわゆる慰安婦問題を持ち出して日本を貶めようとする国際的謀略
に対して、ただ物的な観点からの反論だけではなく、目に見えない魂の領域で、
既に謀略は真実とかけ離れていると決着が付いていることを実感しようではない
か。
このようなことばを発する人々が生きた時こそ、我が民族の真に誇りある時で
ある。
私の魂に浮かんだことばを四つ、次に書いておく。
既にご紹介した永野修身海軍軍令部総長のことば。
昭和十六年の開戦直前に、戦場に赴いた人々が等しく子孫に何を残そうとした
のかを示している。
「戦はざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやも知れぬ。
しかし、戦はずして国滅びた場合は、
魂まで失った亡国である。
しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活を見いだしうるで
あろう。
戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した
日本精神さえ残れば、
我らの子孫は再三再起するであろう。
そして、一旦戦争と決せられた場合は、我ら軍人は、ただただ大命一下、戦い
に赴くのみである。」
昭和二十年四月二十二日午前八時半、台湾桃園飛行場で出撃を一時間半後にひ
かえた陸軍特別攻撃隊誠第百十九飛行隊の十八歳から二十四歳までの十四人が笑
顔で口々に言った。彼らは、自分の魂が民族の中に生き続けることを実感してい
た。
「いまここで死ぬのが、自分にとって最高の生き方」
昭和二十年五月十一日、鹿屋基地にて神風特別攻撃隊第五筑波隊長として特攻
出撃する西田高光中尉は、従軍記者であった山岡荘八の「この戦いを果たして勝
ち抜けると思うか。負けても悔いはないのか」という質問に次のように答えた。
「学鷲は、一応インテリです。そう、簡単に勝てるなどとは思っていません。
しかし、負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・。
お分かりでしょう、我々の命は、講和の条件にも、
その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
・・・そう、民族の誇りに・・・。」
名も伝わらない慰安婦。彼女が、戦地でひとときを共にした兵士に言った。
「あんた、死んだらあかんよ」
兵士は、内地で「死んで帰れ」と送り出されてきた。
そして、戦地で初めて「死んだらあかん」と言われて泣いた。
我らの先代が護ろうとしたのは、
民族の魂だ。日本精神だ。民族の情だ。
そして、現在の謀略の本質は、この先代が命に代えて護ろうとした「魂」、「
日本精神」、「情」を汚そうとしているのだ。彼らは、従軍慰安婦と称する老婆
を道具としてそれを仕掛けている。
私は、もうすぐ発売されるWILLと正論に、慰安婦に関する論考を書いてきて、
本日「正論」の最終校正を終えた。
そうすると、彼ら反日運動家の卑しい謀略の次元を越えて、情の民族である日
本人として言いたくなった。
一言の感謝を。
あの時、彼女たちは、死に行く日本軍兵士を戦地で優しく慰めてくれた。
「あんた死んだらあかんよ」と。
兵隊はどれほどその優しさに慰められたことか。
その時、彼女たちは、兵士にとって本当の天使であり母に似た安らぎだったの
だ。
いまは、名も伝わらない幸い薄くつらい境遇の優しい彼女たちに、心からあり
がとうと言いたい。
そして、心から彼女らのご冥福を祈る。
----------------------------------◎奥山篤信の映画評 韓国映画『嘆きのピエタ』(Pietà)2012
----------------------------------第69回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門で初上映され、韓国映画史
上初めて三大国際映画祭(ヴェネツィア・カンヌ・ベルリン)の最高賞金獅子賞
に輝いたこの作品は初日映画館に赴いた。因みに1960年生まれのキム・ギドク
監督2004年には『サマリア』でベルリン映画祭銀熊賞(監督賞)、『うつせみ
』でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)、2011年『アリラン』でカン
ヌ国際映画祭「ある視点」...賞、2012年『嘆きのピエタ』でヴェネツィア国際映
画祭金獅子賞を受賞した。僕は彼の作品を全部見ているが今尚最高傑作は2003
年の『春夏秋冬そして春』では、韓国映画界最高の栄誉大鐘賞、青龍賞の最優秀
作品賞を受賞。全米では韓国映画史上最大のヒット作となった。
何故かくのごとくキム・ギドクは欧州で評価されるのか、まさに彼の映画の根底
にキリスト教があるからと思う。彼がキリスト教信者かどうかは不明だが、キリ
スト教の土壌がある韓国であるからして、当然彼にはキリスト教への深い理解が
あるからだろう。
この映画も見るからにキリスト教のモチーフとしてのピエタである。言うまでも
ないがそれはイタリア語:Pietà
、哀れみ・慈悲などを意味するとともに、死んで十字架から降ろされたキリスト
を抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻や絵の事を指す。あのミケランジェロがピ
エタを四作製作しているが、彼の署名が入っているのは1499年に完成させた(
他三作は未完)、現在のバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるものだ。が有名。
この作品は、ミケランジェロが署名を入れた唯一の作品として知られる。
映画は親から棄てられて30年孤独に育った男が、一切人間界の愛を信じない借金
取立屋として、血も涙もなく、負債者を追い詰め、身体障害者とすることにより
その保険金を借金に充当するという、まさにエグイ冷血人間を主人公として描く。
キム・ギドクのエグサは定評があるが、相手の手を切断したり、高所から不随者
とするために突き落としたり、画面から目を避けることしばしばだ。吐き気を催
すえげつなさでいよいよ今回ついにキム・ギドクには焼きが回ったかと思いきや
、最後40分ほどのどんでん返しであっという転回はさすが監督の意表をつくシナ
リオだ。
30年も子を棄てて音信がなかった母親と称する女性がある日借金取りの前に現れ
た。そんなものは信じようともしないし、仮に母親だったら絶対に赦せない男だ
が、徐々に母親であると信じるようになり(その過程がエグイ。自分の大きなほ
くろを抉り取り母親なら食べろと食べさせる、また生まれる前に戻りたいと生ま
れてきた局所へすなわち強姦するなど、通常の日本人のセンスからは到底考えも
及ばない、いわば禁じ手ともいえるエグサでもある。もうちょっと婉曲的になら
ないのかとも思ってしまう)ついには愛とは何かと幼児時期を取り戻すかのよう
に母親になつくようになる過程を描く。あるとき遠景に十字架の赤い光のマーク
が・・・
民族特有の恨の感情がこの映画でも炸裂、愛と憎悪、復讐と赦しなどなど旧約聖
書と新約聖書のテーマが炸裂するのである。最後は自分の死に変えても母親の命
乞いをする男、そして全てが明らかになったとき、自ら最も苦しい死に方を選び
、全ての冷血の罪の贖罪を行う最後の場面はエグイながらキム・ギドクらしい奇
想天外の結末だ。
単なるお涙頂戴かエグサや復讐ものが中心の韓国の映画と異なるのは、監督には
いつもエグイながら救いと贖罪があるのだ!考えられないような残酷さの中に、
デフォルメした人間の本質をあぶり出しかつ最後に愛と救いを持ってくる上手さ。
是非キリスト者に見てもらいたい映画だ!でも決して癒される感覚で見るなかれ
!まさに気持ちが暗くなる、そして吐き気を催す銀幕を正視する勇気を持ちたま
え。
母親役は主演女優賞を受賞。冷血漢イ・ジョンジンの演技も凄い!
----------------------------------◎奥山篤信 アメリカ映画『華麗なるギャツビー The Great Gatsby』2013
----------------------------------原作『グレート・ギャツビー』(The Great
Gatsby)はアメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドが執筆し1925年4
月10日に出版された小説であり彼の代表作であると同時に、アメリカ文学を代表
する作品の一つであると評価されている。文豪アーネスト・へミングウエイは『
移動祝祭日』のなかで、『グレート・ギャツビー』について次のように書いてい
る。
「……(フィッツジェラルド本人の奇矯な振る舞いや欠点について忌憚なく辛辣
に語った後に彼は語る)……最後まで読み終わったとき、私は悟ったのだった、
スコットが何をしようと、どんな振る舞いをしようと、それは一種の病気のよう
なものと心得て、できる限り彼の役に立ち、彼の良き友人となるように心がけね
ばならない。スコットには素晴らしい友人がたくさんいた。私が知っている誰よ
りも大勢いた。しかし、彼の役に立とうが立つまいが、私もまた彼の友人の輪の
新たなる一員となろう。そう思った。もし彼が『グレート・ギャツビー』のよう
な傑作を書けるのなら、それを上回る作品だって書けるにちがいない……」
さて禁酒法時代そして大恐慌の直前のまさに格差拡大の極限のアメリカ、そこに
大富豪達のさながらソドムとゴモラの酒池肉林の世界と極貧地域をコントラスト
を入れながら描く物語である。中心人物はギャツビーという経歴謎の男。そして
いかにもアメリカエリートであるブキャナン。その狭間での語り手の物語で進行
させて行く。
前者は極貧出身ながら神の子と信じたたきあげていき、戦争で武勲を立てた。愛
する女性のために闇世界すなわち密造酒から巨大の利益を得てロングアイランド
に城のような館を手に入れ毎週NYCのセレブを集めてランチキ・パーティ、学歴
を詐称するのも湾の向こう側に住むブキャナンの妻デイジーを取り戻す深謀から
だった。その思いは純粋でありひたすらデイジーとの夢の生活を実現するためだ
った。一方ブキャナンは学歴・家柄申し分ないがまさに上流階級の偽善と欺瞞に
満ちた男であり、女性関係は貧困地帯の女にも手を広げまさに爛れた女性関係発
展屋であり、妻デイジーは飾り物に過ぎない。こんな二人の男の憎悪の中で、ブ
キャナンの女ひき逃げ事件を下に、最後までデイジーを守るギャツビーの男の優
しさ、それに引き換え自分の身から出た錆をギャツビーが間男と女の夫にけしか
け謀殺をたくらむブキャナン、そしてその狭間の語り手のクールな視点とギャツ
ビーの男の美学への傾倒を描く。女性の狡猾さはまさにデイジーに象徴されるも
ので、つくづく男の生真面目馬鹿さ加減を痛感させる物語だ。
さてこの映画は三つ目の映画である。豪州のバズ・ラーマンが監督・脚本を務め
ている。出演はレオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイア、キャリー・マ
リガン、ジョエル・エドガートン、アイラ・フィッシャー、ジェイソン・クラー
クらである。
とてつもない豪華絢爛たる世界を宝石やドレスや調度品でまさに成金中の成金セ
ンスで映画を辟易とさせるように描いているが、このやりすぎの舞台が一人一人
の個性ある人物の性格を雑にしてしまっている。やはり文化のない豪州の監督に
は細やかな人間の感情など描けないのだろう。たしかにデイジーに扮するキャリ
ー・マリガンは愛くるしい、とても魅力がある。しかし余りにも演出が雑である。
見かけ倒れの映画としてあのロバート・レッドフォードの映画が懐かしい。
因みに僕が昔書いた映画評を下記する。
------------------------------------フランシス・スコット・フィッツジェラルド「The Great
Gatsby」へのオマージュ
------------------------------------The Great
Gatsbyは日本での映画の題名では「華麗なるギャツビー」と訳されている。この
原作は第一次世界大戦後のいわゆるロスト・ジェネレーション(Lost
Generation)作家としてアーネスト・ヘミングウエイと双璧であることは間違い
ない。
ちなみに男の世界を描いて登り竜のヘミングウエイとこの作品以後長編がでてこ
ないフィッツジェラルドとの奇妙な友情関係は変質を遂げていく。もともとヘミ
ングエイを出版界の有力者に紹介したのはフィッツジェラルドであった。その後
フィッツジェラルドが語る「僕は失敗者の権威で語るが、アーネストは成功者の
権威で語る」その不遇を「僕はスコットに対して愚劣な少年が抱くような優越感
を抱いていた。丁度腕白な餓鬼が軟弱だが才能ある少年を嘲笑うような優越感を
」があるように彼等の確固たる友情の変質を表面上のやりとりで判断してはなら
ない。
∼ 私がまだ若く、いまよりも心が傷つきやすかったころ、父が私に忠告してく
れたことがある。それ以来そのことが心から去らない。
「だれとは限らないが、他人のことをかれこれ言いたい気持になったときは」と
父は言った、「世の中は、お前と同じような長所を持った人間ばかりではないと
いうことを、よく覚えておくことだよ」∼
で始まるこの原作まさにロスジェネの荒んだ心を持つ若者たちの生き方、その中
で恋愛などを絡ませ見事なストーリー展開がある。ヘミングウエイの「日はまた
昇る」の若者たちのパリやスペインを舞台に描いた世界に匹敵する作品である。
ヘミングウエイは「僕は戦争で戦ったことのない男は信用しない。」と言い切っ
ているが、その通りであろう。この原作でも主人公ギャッツビーはイカサマ的な
商売で冨を築き上げたとの謎めいた男として登場するが、かっては欧州戦線の英
雄として各国より勲章を与えられた繊細ではあるが男の中の男である。彼が従軍
前にルイビルで猛烈に愛したデイジーが結婚した相手のシカゴの富豪ブキャナン
は戦争を経験していない。
この物語はまさに戦争を戦った男と戦争を回避した男の二人をつまり、ギャツビ
ーは最後までデイジーを守り通し、かたやブキャナンは卑劣な手段でギャツビー
を謀殺することを対照的に描いてる。その中でデイジーの女性の本質ともいえる
弱さからくる優柔不断や狡猾さを描いて絶品の作品である。真夏の昼下がりニュ
ーヨークのプラザホテルの一室でこの二人を含んで集まる男女の激しい言葉の衝
突は圧巻である。
この原作を映画化する点については、非常に困難を極めたと考える。なぜなら筋
だけ追えばある意味では「ソープオペラ」となってしまう。それを超越した文学
性はひとえにフィッツジェラルドの文章力にある。まさに自然描写、人物心理な
ど絵画のような美しさと輝きがある。当時ニューヨークのロング・アイランドは
成金富裕層・映画界のいわばセレブリティが集まり、毎夜毎夜パーティが開催さ
れた虚構の世界がある。シャトーのような館、最高級の調度品、酒池肉林、それ
にファッションの先端を担う男女の社交の場であった。
そんな美しくまた空しい世界をいかに映像化するかである。
誰がこの主人公ギャッツビー(下記)を描けるだろうか?
∼ ギャツビー――この男こそ私が心から軽べつする一切を代表する人物だった。
もし個性というものが、成功をもたらす一連の完全な態度であるならば、彼には
どことなく華麗なるところがあり、人生の前途に対する高度の感受性は、あたか
も彼は一万マイルも遠くの地震をも記録する、複雑な機械と関連があるかのよう
だった。しかしこの感応度は、「創造的性質」などともったいぶった名で呼ばれ
る、あの弱々しい感受性とはもちろん関係がなかった。それは希望に対する異常
な才能であり、私がいままでどんな人にも見たことのない、そして恐らくこれか
らも二度と見ることもなさそうな、ロマンティックな情緒だった。∼
僕は早速日本にある二つのDVDを取り寄せた。
○1974年版 ☆☆☆
流石フランシス・F・コッポラの脚本だけあって優れいる。それに原作にほぼ忠
実である。
この映画の主演ロバート・レッドフォードが当時絶好調の男前と身のこなしそし
て裏切らない男らしさ、あまりにも絵のような姿に、ちゃんと隠し味のイカサマ
性もあり名演技である。それにデイジーに扮するどこかファンタジックなミア・
ファローの個性的マスクと演技力である。女性固有の性(さが)が見事である。
映像が目に染みるように美しい。あたかもフィッツジェラルドの微妙な文章の美
しさを100%とは言わないまでも、かなりの程度を具現化するかのように観る
者を甘美な美の世界に導くのである。
製作:デヴィッド・メリック
監督:ジャック・クレイトン
原作:フランシス・スコット・フィッツジェラルド
脚本:フランシス・F・コッポラ
撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ネルソン・リドル
上映時間:2時間24分
ロバート・レッドフォード:ジェイ・ギャツビー
ミア・ファロー:デイジー・ブキャナン
ブルース・ダーン:トム・ブキャナン
カレン・ブラック:マートル・ウィルソン
サム・ウォーターストン:ニック・キャラウェイ
スコット・ウィルソン:ジョージ・ウィルソン
ロバーツ・ブロッサム:ミスター・ガッツ
○2001年版 ☆
完全ににソープオペラになってしまっている。1974年版に比べて館や調度品の
粗末さなどまったく臨場感がないのである。それに品のない俳優の群れ、これで
は当時のセレブリティはとても表せない。フィッツジェラルドの美意識などこれ
ぽっちもない駄作である。間違ってもこのDVDをみてはいけない。
製作: A&Eネットワーク、グラナダ・エンタテインメント
製作総指揮: アンソニー・ルート、デリア・ファイン
製作: デイヴィッド・ローゼル、クレイグ・マクニール
監督: ロバート・マーコヴィッツ
脚本: ジョン・マクローリン
撮影: ギイ・デュフォー
編集: デイヴィッド・ベイティ
音楽: カール・デイヴィス
時間 94分
出演:
トビー・スティーヴンス(ジェイ・ギャツビー)、ミラ・ソルヴィノ(デイジー・ブ
キャナン)、ポール・ラッド(ニック・キャラウェイ)、マーティン・ドノヴァン(ト
ム・ブキャナン)、フランシー・スウィフト(ジョーダン・ベイカー)、ヘザー・ゴ
ールデンハーシュ(マートル)、ウィリアム・キャンプ(ウィルソン)
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