アート・アニメーションにおける音表現

アート・アニメーションにおける音表現
久里洋二《G線上の悲劇》,コ・ホードマン《シュッシュッ》,ヤン・シュヴァンクマイ
エル《男のゲーム》,イジー・バルタ《見捨てられたクラブ》
Critical Essay: Sound Representation of Art Animation
Yoji Kuri “G-string”,
Co Hoedeman “Tchou-Tchou”,
Jan Svangmajer “Men’s game”, Jiri Barta
“Abandoned Club”
中村 滋延
Shigenobu Nakamura
Art Animation is defined to be different from
commercially-based animations such as Disney or
Miyazaki Hayao, so that it is easier to have new
approach to art representation. These new trials cover
not only visual images but also music or sounds.
Here, I introduce four of the Art Animation works,
which I consider have new attempts at sound
representations. These works are selected among a
number of DVDs I have collected since 2002. For each
work, I will discuss mainly the methods of sound
representation. The titles of those works are following:
1. Kuri, Yoji “G-string” 1969, Works of Yoji Kuri,
Pionner, PIBA-3036;
2. Hoedeman, Co “Tchou-Tchou” 1972, NFB Film
Works Co Hoedeman, Pioneer, PIBA-1343;
3. Svangmajer, Jan “Men’s game” 1988, The
Wonderland of Jan Svankmajer, iMAGE
FORUM VIDEO. DAD99001;
4. Barta, Jiri “Abandoned Club” 1989, The
Labyrinth of Darkness and Lights, iMAGE
FORUM VIDEO. DAD0104.
has meant.
Co Hoedeman’s “Tchou-Tchou” is a narrative work.
In this sense, the music plays an important role to tell
the audience the contents of this work. Besides, the
music produces the core character of this work.
In the work of Jan Svangmajer “Men’s game”,
concrete-sounds are utilized. The concrete-sounds
clarify the settings of the story. Also the music
characteristics of the concrete-sounds contribute to the
structure of the time axis.
In the work of Jiri Barta “Abandoned Club”,
sounds play an important role to differentiate or
combine between imagination and real world, and to
add the sense of reality to the imagination world.
ビデオソフトが DVD 化されていることと関連している
のかどうか不明であるが,ここわずか数年の間にアー
ト・アニメーションの名作が DVD ビデオとして次々と発
売されている。短編が主流であるアート・アニメーショ
ンにおいては,ランダムアクセス可能な DVD ビデオはた
For each critical essay, the main contents are below:
1.
2.
3.
4.
5.
Basic information,
The focusing points,
The analysis,
The examination based on the analysis,
Conclusion.
しかに扱いやすいメディアであろう。アート・アニメー
ション先進国と言われるチェコや旧ソ連,カナダの名作
を質の良い画像で,しかも手近で見ることができるのは
まことにありがたい。
アート・アニメーションの定義はあいまいである。ア
ニメーション映画の中で,ディスニーや宮崎駿などに代
Yoji Kuri’s “G-string” was based on the music of
Toshi Ichiyanagi. In this work, the image representation
completely traces the music representation. However,
that trace does not necessarily mean the outlook
similarities between image and music representations.
That makes this work avoid having the monotonous
tone and also lets the audience conclude what this work
表される商業映画アニメーションとは対極にあるものを
指す。短編が主流で,多くの作品が上映時間 10 分から
20 分程度である。商品としての採算を無視して作られる
ことが多いので,芸術表現上の新しい試みが行いやすく,
アートとしての表現欲を満たすことのできる領域である。
芸術表現上の新しい試みは映像表現のみならず,音表
現においてもなされている。
で毎週新作アニメーションを発表するという信じられな
い活動も行った。
2002 年から筆者が収集した多くの DVD ビデオの中から,
音表現において新しい試みがなされていると思われるア
1.2. 論述の焦点
ート・アニメーション作品を 4 つ取り上げて,それぞれ
《G線上の悲劇》は一柳慧の音楽をそのままサウンド
について音表現に焦点をしぼって論述する。作品名は;
トラックとして用いたアート・アニメーション作品であ
る。つまり,音楽が先にあり,それに合わせて久里洋二
1. 久里洋二《G線上の悲劇》1969,
『久里洋二作品集』
Pionner, PIBA-3036
2. コ・ホードマン《シュッシュッ》1972,『NFB Film
Works Co Hoedeman』 Pioneer, PIBA-1343
が映像を制作したのである。他にも武満徹や林光の音楽
に対しての同様の関係の作品を久里洋二は制作している
(武満《愛》1963,林《切手の幻想》1960,など)。しか
し,この作品は他の同様の関係の作品から較べると群を
3. ヤン・シュヴァンクマイエル《男のゲーム》1988,
抜いた作品になっている。どのように「群を抜いている
『シュヴァンクマイエルの不思議な世界』iMAGE
のか」にいたる議論の途中過程として,音楽に映像がど
FORUM VIDEO, DAD99001
のように合わせているのか,そしてそのことが結果とし
4. イジー・バルタ《見捨てられたクラブ》1989,
『闇
と光のラビリンス』iMAGE FORUM VIDEO, DAD0104
てどのような表現を生み出しているか,これらに焦点を
しぼって論じる。
であり,いずれもアート・アニメーションとしてよく知
1.3.作品の分析
られた作品である。それぞれの作品についての論述の項
1.3.1.音素材の種類
目は以下のとおりである:
1960 年代の一柳の音楽は当時の前衛・実験音楽的とい
われる要素に満ちたものである。調性も拍節もなく,楽
1. 基本情報
器奏法ではノイズを発生する特殊奏法がふんだんに用い
2. 論述の焦点
られ,音は時に電気的に変調されている。この曲の場合,
3. 作品の分析
前半では:
4. 分析結果に基づく考察
5. 考察のまとめ
・ 弦楽器(バイオリン)の特種奏法による持続音(音
要素a)が延々と続き,
なお,それぞれの評論は独立したものであり,本稿はい
わば「評論集」である。
・ その持続音には,時々ノイズや声によるアクセント
(音要素b)が加えられ,
・ 細かい動きの音型反復による持続音群(音要素c)
に時々変化する。
1.久里洋二《G線上の悲劇》1969,『久里洋二作品
集』Pionner, PIBA-3036
1.1.基本情報
久里洋二(1928− )は日本のアート・アニメーションの
草分け的存在で,1960 年代初頭から現在に至るまで活発
な創作活動を行っている。海外の映画祭などでもその作
品はしばしば紹介され,受賞も数多い。また,活動当初
より,武満徹や一柳慧などの当時の前衛・実験作曲家や,
オノ・ヨーコ,詩人谷川俊太郎などとのコラボレーショ
ンも積極的に行ってきており,領域を越えてその活動は
よく知られている。70 年代,「11PM」というテレビ番組
後半では:
・ 持続音は鳴りを潜め,様々なノイズや声のアクセン
ト(音要素b)や,
・ 断片化された持続音(音要素aの変種)や,
・ 断片化された持続音群(音要素cの変種)などが,
非周期的に無秩序に次々と出現する。
つまり,前半を持続音中心の「静的」外見として,後半
を複数要素の混合という「動的」外見として,それぞれ
とらえることができる。なお,多様に存在するかに思え
る音素材は,上記の3要素(音要素a,b,c)にまとめ
ることができる。
素cの持続音群の関係には類似的なものはない。
類似性の存在によって,特に前半部分における持続音
と水平に伸びる1本の線との類似的関係によって,音楽
の構造が視覚化され,分かりやすくなり,対象への鑑賞
1.3.2. 映像素材の種類
者の集中を高める。その集中は無変化のままでは“飽き”
この作品では、映像の時間軸上の推移は完全に音楽の
によってやがて途切れてしまう。その“飽き”を回避さ
時間軸上の推移をなぞっている。つまり両者の時間的推
せるのが,引用画像の唐突な出現である。この引用画像
移は同期しており,一致関係にある。こうした一致関係
は写実的な画像であり,その写実性によって具体的な意
は時間的なものだけではなく,構成要素についても見ら
味を鑑賞者に考えさせる。
「考える」という能動性を誘発
れる:
することってよって対象へのさらなる集中を刺激する。
また,幾何学的図像の出現も,その異質性から来る驚き
・ 持続音(音要素a)には,細い1本線がほぼ水平に,
時にジグザグしながら,左から右へ進む映像(映像
要素a)が対応する。
によって,“飽き”を回避させる。
なお,この幾何学的図像は,1本の線が引用画像に突
き当たった際,その引用画像の内部の様子として出現・
・ アクセント(音要素b)には,引用画像と、その画
登場する。ただし,この関係は多少分かりづらい。不注
像の一部から噴出するような動き(映像要素b)
(久
意に見ると,この幾何学的図像は何の脈絡なく唐突に出
里洋二独自のアニメキャラクターで描かれている)
現してきたように思われる。この幾何学的図像は何度か
とが対応する。なお,引用画像は他者の作成した写
出現し,またその都度,形や色彩を変えて出現するので,
実的なデッサン的絵画か写真である。
音楽的な反復・変奏の原理に近づいて,作品全体に統一
・ 持続音群(音要素c)には,コンピュータによって
生成されたかのような幾何学的図像(映像要素c)
と多様をもたらす要素のひとつとして認識でき,唐突な
出現そのものは記憶のかなたに追いやられる。
が対応する。
1.4.2. 時間軸上の変化
映像の時間的推移は音楽の時間的推移にしたがってい
る関係上,前半に較べて後半では映像の出来事の時間的
密度も上がってくる。それに加えて,映像のフレーム内
の画像としての構成をとらえてみても,画面での要素の
数や,要素が画面に占める割合が後半では増えている。
1.4.3. 久里的キャラクターの回避
久里洋二はそのアート・アニメーションに対して様々
な実験的手法を導入してきた。しかし,その基本となる
のは,漫画家としての彼が描く人物のキャラクターを中
図 1:久里洋二のアニメキャラクター
1.4.分析結果に基づく考察
1.4.1. 音と映像の関係
前述(1.3.2.)の一致関係は本来的には恣意的なもの
である。ただし,音要素aと映像要素aとの関係は外見
的な類似性によって容易にその関係を認識し得る。また,
音要素bと映像要素bの「噴出する動き」との関係も類
似性を少しは認識できる。しかし,映像要素bの引用画
像と音要素bの関係,映像要素cの幾何学的図像と音要
心とした描画アニメーションである。それらのキャラク
ターはそれなりに魅力的なのではあるが,そのキャラク
ターがメインになって動き始めると,鑑賞者はキャラク
ターとその動きによってもたらされる「ストーリー」
「内
容」の方に集中への対象が偏ってしまい,アート・アニ
メーション本来の「形とその動き」
「フレーム内の画像と
しての構成」
「音と映像による意味やイメージ」への集中
が薄まってしまうことが多い。この作品では久里本来の
人物キャラクターの登場頻度がきわめて少なくなってい
る。それを埋めるかのように写実的な引用画像がアニメ
ーションの素材として扱われ,また「ストーリー」
「内容」
音楽の担当はノーマン・ロジャー(Normand Roger)であ
る。
との関係がきわめて稀薄な幾何学的図像が多く出現する。
2.2.論述の焦点
音・音楽がこの作品において内容を伝えるためにどの
1.5.考察のまとめ
この作品では映像が音楽をなぞるという時間軸上の推
ように用いられているかについて焦点をしぼって論じる。
移をわかりやすさの基盤にしながらも,音楽と映像の外
ただしストーリーは比較的単純なため,鑑賞者の関心は
見的な類似性を一部に留めているだけで,多くはそうし
内容理解よりも,映像と音・音楽の「ありよう」そのも
た関係から自由になっている。このことが鑑賞者の能動
のに向かうだろう。そこには演出のための「隠し味」以
的な集中を導くことになる。
上の音・音楽の用法があるようにも思われる。
“原作”とも言うべき一柳の「音楽」に対応した結果
ではあるが,時間軸上での変化をもたらすために,出来
2.3.作品の分析
事の時間的・空間的密度を前半と後半で明らかに対比さ
2.3.1.あらすじ
せている。そのことで鑑賞者にとっては形式的把握がし
筋書きは「街の中で男の子が女の子と出会い,仲良く
遊ぶうちに,二人を狙う大蛇に遭遇する。大蛇に襲われ,
やすくなっている。
久里本来の人物キャラクターの登場頻度を極めて押さ
二人は隠れ,逃れ,大蛇と戦い,大蛇をやつけるために
えることによって,また引用画像や幾何学的画像を多用
策略を練る。次の日の朝,二人は大蛇をてなずけ,大蛇
することによって,「内容」「ストーリー」への鑑賞者の
を遊園地の機関車にしてしまい,それに乗って楽しく遊
集中を,アート・アニメーションの構成要素そのものへ
ぶ。」というものである。
向けている。
(例えば,久里が武満徹の音楽に合わせて制
登場人物は街(それも大都会)が舞台になっているに
作した《愛》1963 では,久里様式の人物キャラクターの
もかかわらず,男の子と女の子の二人だけである。その
みで描かれるため,音楽的な感興が薄められ,男女の愛
二人と大蛇の他には毛虫やてんとう虫,小鳥が登場する
のドタバタストーリーになってしまっている。)
のみである。この登場人物の少なさはこれら男の子と女
(平成 15 年度科学研究補助金基盤 C(2)助成による購入
の子の世界との関わりの狭さを(まさに子どもの世界)
資料)
表しており,二人に襲いかかる大蛇は,大人たちの干渉
や近くのいじめっ子を象徴しているように思われる。
2.コ・ホードマン《シュッシュッ》1972,
『NFB
Film Works Co Hoedeman』 Pioneer, PIBA-1343
2.1.基本情報
コ・ホードマン(Co Hoedeman 1940―
)はオランダ生
まれのアニメーション作家であり,1965 年以降カナダの
NFB(1) で主に立体アニメション作品を制作している。
《シュッシュッ》は積み木を素材にした立体アニメー
ションである。積み木遊びをする子どもを見て霊感を得
図2:
《シュッシュッ》の制作にあたるコ・ホードマン
てつくられた。おびただしい数の素材を丹念につないで
いく作業の跡に圧倒される。
「ストーリー」のある“ナラティブ”な作品である。
2.3.2.音素材の種類
この作品に用いられている音・音楽は:
ただし,セリフも語りもないために,
「内容」を伝えるた
めに音・音楽が非常に重要な役割を演じているように思
a 電気的変調加工音による「雰囲気醸成」
われる。
b 動きの「音楽的描写」(打楽器)
c ライトモチーフ(2) 用の「音楽」(旋律楽器)
..
d「もの音」(3) (打楽器)
音楽的一貫性が稀薄なことである。
e「話し言葉」(スライド式リコーダー)
ーでなぞったものである。
eの「話し言葉」は,その抑揚をスライド式リコーダ
の 5 種類に分類することできる。aの「雰囲気醸成」を
2.4.作品の分析結果に基づく考察
除いてはいずれも楽器を用いた音楽的演奏によるもので
2.4.1.音素材の特徴と機能
ある。
aの「雰囲気醸成」は,作品冒頭の街並を写すシーン
aの「雰囲気醸成」は,作品冒頭の街並を写すシーン
と大蛇が登場するシーンに用いられる。
bの「音楽的描写」は毛虫とてんとう虫の動きにつけ
られた音楽が代表的なものであり,これらはライトモチ
ーフとしても機能する。
と大蛇が登場するシーンに共通して用いられている。子
どもにとって,街は自分たちを守ってくれる世界でなく,
大蛇に象徴される恐ろしい外の世界であることを,音に
よって示している。
bの「音楽的描写」はcの「音楽」とは異なり,その
音楽は複数のものが様々に登場するが,繰り返し用い
類似性によってモデルと直結している。そのことによっ
られて,cのライトモチーフ用の「音楽」として機能す
てライトモチーフであると感じることも出来る。したが
るのは,
「子どものテーマ」(譜例 1),
「遊びのテーマ」(譜
って,モデルが映像のフレーム内に現れていなくても,
例 2),「大蛇のテーマ」,「戦い準備のテーマ」の4つで
その音を鳴らすだけで,画面に現れていないそのモデル
ある。
の存在を示すことが出来る。
「子どものテーマ」は作品全体の主テーマというべき
cのライトモチーフ用の「音楽」はシーンの内容を明
もので,冒頭のタイトルバックの音楽でもあり,移調さ
らかにするために,シーンと音楽テーマとを対応させて
れ,変奏されて何度も出現する。
用いる。シーンと音楽テーマとの関係は恣意的であるが,
特定の音楽文化(この場合は西洋音楽文化)を背景にし
ていれば,その関係に類似性を感じることが出来る。ま
た音楽の反復出現は,その音楽にシーンとの関係で特定
譜例 1
「遊びのテーマ」は比較的ゆったりしたテンポで,男
の子と女の子が楽しく遊ぶシーンに出現する。
の意味を生じさせ,音楽テーマとしてそれが機能するこ
とを可能にする。
なお,こうした「音楽」は,演奏途中での休止によっ
て急に途切れることがある。音楽をそれ自体の表現力だ
けでなく,音楽をいわば「オブジェ化」(4) して,音楽を
どのように扱ったかということで意味を生じさせている
(ゴダールが頻繁に用いた技法である)。
..
dの「もの音」は発音源の動きに同期してなされる。
しかしいわゆる「音楽的」様相を示していない。したが
って“ミッキーマウジング”(5) ではない。このことが,
譜例 2
「大蛇のテーマ」は,はじめにはギターによる和音の
連続として出現し,後の出現時にこの和音の上にフルー
トを軸にしたジャズ即興演奏風の音楽が展開される。
対比的にbやcの存在を浮かび上がらせる。
eの「話し言葉」はスライド式リコーダーを使うこと
によって,音楽的表情の面で,bやc,dの音・音楽と
明瞭に区別される。
「戦い準備のテーマ」は行進曲風の歯切れのよい音楽
で,大蛇をやっつける準備を二人が行なう時に出現する。
..
..
dの「もの音」はものの動きが必然的に発する“具体
音”を楽器(打楽器)で,動きに忠実に描写したものであ
..
る。bの「音楽的描写」との違いは,dの「もの音」は
2.4.2.音素材としての音楽
この作品において用いられている音・音楽はaの「雰
囲気醸成」の電気的変調加工音を除いてすべて楽器演奏
によって生み出される。このことは,bからeまでの音・
音楽を組み合わせてまとまりある音楽として演奏するこ
作家である。そのアニメーションの技法は多様で,その
とが出来ることを意味する。例えば,毛虫とてんとう虫
中でも実写コマ撮りアニメや粘土アニメーションに優れ
の動きに基づく「音楽的描写」は順次の出現の後,一つ
た作品が多い。特にリアルな造形で知られる粘土アニメ
のまとまりある音楽として同時に演奏される。
ーションは,その素材性を活かして一般人の想像を超え
圧巻は最終シーンである。ここでは,
「大蛇のテーマ」,
る展開を実現することで知られている。時にはその衝撃
「子どものテーマ」,毛虫とてんとう虫の動きの「音楽的
性のために上映禁止の措置さえ取られたこともあったよ
描写」,スライド式リコーダーによる「話し言葉」がすべ
うだ。
て組み合わされたひとつの音楽として演奏される。まさ
にファイナーレを形作る。内容的な盛り上がりを,音楽
的な盛り上がりとして表現する。内容的盛り上がりは「融
合」であり,それは音楽の「ありよう」としても反映さ
れている。
2.5.考察のまとめ
作品に用いられている音・音楽は,それが描写するも
のとの関係性から5つに分類することが出来る。それら
の音・音楽は1種類を除いては楽器によって発音・演奏
される。具体音はほとんど用いられていない。
音・音楽とそれが描写するものとの関係には類似性に
基づいているものが多く,描写内容を特定しやすい。し
たがって,音・音楽は映像を意味的に強調するように機
能している。また,音楽をオブジェ化して扱っていると
ころもあり,その「扱い方」が意味を生じさせていると
ころもある。
音・音楽の多くが楽器で発音・演奏されるということ
は,異なる音・音楽を組み合わせてさらにまとまりある
「音楽」として演奏することを可能にする。そうした組
み合わせは「内容」を形成し,またその「内容」を超え
図3:
《男のゲーム》より破壊される「男」の顔
3.2.論述の焦点
わずか 15 分ほどの上映時間にもかかわらず,この作
品には様々な映像表現技法が使用されている。このこと
は一見しただけで明らかである。その上で少し注意深く
音を聴くと,特定の映像表現技法が特定の音表現と結び
ついていることに気付く。そこで,この結びつきに注目
してそれがどのような効果をあげているのか,また特定
の音表現がなぜ必要とされたのか,これらに焦点をしぼ
って論述する。
た組み合わせによる「音楽そのもの」として享受するこ
とを可能にする。
(平成 15 年度科学研究補助金基盤 C(2)助成による購入
資料)
3.3.作品の分析
3.3.1.あらすじ
自宅でビールを飲みながらテレビでサッカー観戦をし
ている「男」が試合に感情移入していく様子を描いてい
る。ビールに酔いテレビ観戦に集中する「男」の様子,
3.ヤン・シュヴァンクマイエル《男のゲーム》1988,
サッカーの試合の様子,観客の様子,それを伝えるニュ
『シュヴァンクマイエルの不思議な世界』iMAGE FORUM
ース映像,などが実写映像と切り絵アニメ―ションと粘
VIDEO, DAD99001
土アニメーションによって描かれる。サッカー選手の顔
3.1.基礎情報
はすべてその「男」の顔に変わっていき,
「男」が試合の
ヤン・シュヴァンクマイエル(1934―)はチェコのプ
中に感情移入している様子がありありと伝わってくる。
ラハ生まれ,1964 年より短編のアート・アニメーション,
サッカーの試合は殺し合いゲームになり,殺しあうたび
長編『アリス』『悦楽共犯者』などの傑作 30 作品余りを
に点が加えられていく。スポーツ観戦が気分を攻撃的暴
手がけ,いまや世界を代表するアート・アニメーション
力的にさせる様子(まさに戦争の代用)がコミカルにか
切り絵アニメーション+実写映像=殺された瞬間,再
つシニカルに描かれている。
び切り絵アニメーションに変わる。殺された選手は担架
3.3.2.映像素材の種類
で運ばれ,棺桶に入れられる。葬儀屋が棺桶の蓋を釘で
映像素材は映像表現技法の違いによって以下の7種類
とめる。ただし釘を打つ手は実写である。
実写映像による「男」の部屋(空想)+粘土アニメー
に分けられる。
(6)
複数の写真によるフラッシュ・バック =この作品は,
ション=作品の後半,
「男」の“妄想”によるサッカー試
「男」の部屋に貼られた様々なサッカーチームの整列写
合は競技場を飛び出して「男」の部屋で展開される。狭
真のフラッシュ・バックからはじまる。そのことでその
い部屋の中で複数の「男」がサッカー試合のために登場
部屋がサッカーフリークの男の住いであることを印象づ
し,暴れる。その部屋で殺される選手は粘土アニメーシ
ける。サッカー写真のフラッシュ・バックは,その後,
ョンの「男」の顔である。
試合中の選手たちのボールを蹴る足もと,試合中の選手
たちの顔,試合中の選手たちの上半身,などと素材を換
えて出現する。この作品ではサッカーの試合の実際の様
子は,こうしたサッカー写真のフラッシュ・バックの形
でしか出現しない。
3.3.3.音素材の種類
音素材は映像素材に対応する形で以下の7種に分けら
れる。
サッカー試合の実況放送の早回し再生=サッカー写真
実写映像による「男」の部屋(現実)=次に,部屋と
のフラッシュ・バックに合わせてサッカー試合の実況放
その中にいる「男」が映される。
「男」はビールを飲みな
送の早回し再生が重なる。フラッシュ・バックと早回し
がらテレビを見る。テレビ画面はモノクロであり,機械
としてのテレビのブラウン管に映されている。このシー
再生は時間の短縮ということで類似の関係にある。
..
部屋の中のもの音としてのテレビの音声=「男」の部
ンはきわめて現実感が強い。なお,テレビ画面には試合
屋にあるテレビから聞こえてくるサッカー試合の観客の
の様子は一切映されず,そこに映されるのは熱狂する観
熱狂する歓声やラッパの音。ただしこれがテレビから聞
..
こえてくるもの音として扱われていることがすぐに分か
客の様子や表情だけである。
テレビ画面=テレビ画面はやがて機械としてのテレビ
るのは,同時に部屋の中で「男」が立てるもの音(例え
とは関係なく作品画面全体に大写しされる。ここでのテ
ばビールの栓を抜く音,水道でグラスを洗う音,など)
レビ画面も試合の様子は映されず,熱狂する観客の様子
と混じって聞こえるからである。
や表情だけがモノクロで映される。同じテレビ画面であ
っても,作品画面全体に大写しされるこのテレビ画面は,
サッカー観戦の観客の歓声やラッパの音=テレビ画面
..
が全面に映し出される時には「男」の立てるもの音は聞
「男」の視点がとらえたものである。
こえず,テレビ内の現実音である観客の歓声やラッパの
切り絵アニメーション=実際のサッカー試合は写真の
音が聞こえる。音量は増大する。
フラッシュ・バックの形でしか出現しないのに対して,
ケテルビー作曲『ペルシャの市場にて』から「王女の
「男」の内面で展開されるサッカー試合は切り絵アニメ
登場」
「隊商」=切り絵アニメーションによるサッカー試
ーションで表現される。切り絵アニメーションによるサ
合にあわせて,ケテルビー作曲『ペルシャの市場にて』
ッカーは敵味方の選手も審判もすべて「男」の顔である。
から「王女の登場」
(譜例3)
「隊商」
(譜例4)のうちの
これは「男」の“妄想”である。
いずれかが鳴らされる。これによって切り絵アニメーシ
粘土アニメーション=切り絵アニメーションによるサ
ョンの動きは舞踊のようになめらかになる。
ッカー試合の中で一人の選手(顔はもちろん「男」の顔)
がクローズアップされる。クローズアップされた途端に
切り絵アニメーションは粘土アニメーションに変わる。
粘土アニメーションの特性を活かす形で,「男」の顔は
様々な方法によって破壊される。この破壊によってその
選手は殺されたことになる。そして殺されるたびに相手
方に点数が加算される。
譜例 3
なお,①から⑦の数字は状況の単純な出現順序を意味
しているのではない。この作品では状況設定がめまぐる
しく変わる。しかも状況設定の数が限られているから,
ひとつの状況設定は間に異なる状況設定を挟んで何度も
出現する。それは音楽におけるロンド形式を思い起こさ
せる。
譜例4
ひとつ状況設定はそれほど長くは続かない。しかしそ
..
顔を破壊する時のもの音=粘度アニメーションによっ
の状況設定は視聴者には明確に意識される。それには音
表現の力が大きいと考えられる。状況設定と映像表現の
て「男」の顔が様々に破壊される際に出る音が鳴らされ
関係は表現としての恣意性に満ちたものであるが,音表
る。破壊する道具によって,音の種類は変わる。
現は状況設定と緊密な類似関係によって結び付けられて
..
いるからである。そのために,この作品においてもの音
釘を打つ音=殺されたサッカー選手たちが入れられる
..
棺桶の蓋に葬儀屋が釘を打つ時のもの音。
が重要視され,多用されているのである。
..
音楽の使用はもの音の使用に比べて制限されている。
応援歌とサッカー選手が動き回る音=サッカー場を飛
び出した選手達が「男」の部屋でサッカー試合を繰り広
音楽はケテルビー作曲『ペルシャの市場にて』から「王
げる際,応援歌が鳴り響く。
女の登場」と「隊商」の 2 種の旋律と,サッカー応援歌
..
の3つしか使用されていない。そのうち応援歌はもの音
3.4.分析結果に基づく考察
的な扱いを受けて,状況設定と類似関係にある。ケテル
3.4.1.状況設定と映像と音の関係
ビー作曲『ペルシャの市場にて』からの 2 種の旋律は元
先の分析で明らかなように,状況設定ごとに映像表現
の標題音楽的意味(7) からも完全に切り離されて,切り絵
技法は異なっている。さらにそれに対応して,音表現も
アニメーションの動きを強調するために用いられている。
状況設定ごとに変わっている。その関係を整理すると表
この切り絵アニメーションによる状況設定は「 男」の“妄
1のようになる。
状
①
況
設
定
実際のサッカー試合(テレビ観戦を通し
映
像
表
現
複数の写真によるフラッシュ・
て「男」が得ているサッカー試合の印象) バック
音
表
現
サッカー試合の実況放送の早回
..
し再生(もの音化された話し言
葉)
②
テレビ観戦している「男」の部屋
実写映像
..
部屋の中のもの音としてのテレ
ビの音声
③
テレビ画面の中の熱狂する観客
実写映像(ただし,テレビ画面
の中の出来事である事を示すた
サッカー観戦の観客の歓声やラ
..
ッパの音(もの音)
めにモノクロ)
④
「男」の妄想としてのサッカー試合
切り絵アニメーション
ケテルビー作曲『ペルシャの市
場にて』から(音楽)
⑤
粘土アニメーション
..
粘土の顔を破壊する時のもの音
殺されたサッカー選手を棺桶に入れる
切り絵アニメーション+実写映
..
釘を打つ音(もの音)
葬儀屋
像
妄想としてのサッカー試合がスタジア
実写映像+粘土アニメーション
妄想としてのサッカー試合で殺される
「男」の顔のクローズアップ
⑥
⑦
ムを抜け出して「男」の狭い部屋で繰り
広げられる
表1
応援歌とサッカー選手が動き回
..
る音(もの音)
..
想”であるから,現実音としてのもの音は必要ないので
回る音(⑦)が何度も用いられる。
ある。
..
3.4.2.もの音の音楽性
..
もの音は類似関係を基づいているため,その選択には
3.5.考察のまとめ
この作品では状況設定ごとに特定の映像表現技法と音
表現が結びついている。特に状況設定と音表現の結びつ
工夫が必要とされないように思われるが,けっしてそう
きは類似関係をもとにしているため,状況設定の性格を
ではない。この作品においてはその選択においてすぐれ
..
た工夫の跡が見られる。それはもの音の音楽性に着目し
音が明確にする。この類似関係は必然的に音表現の中心
..
をもの音にする。
..
しかし,もの音はその意味性だけで選択されるのでは
..
なく,もの音の音楽性が加味されて選択される。なぜな
..
らば,状況設定の時間軸上の配置は,もの音の音楽性の
て選択されているところである。
例えばリズムの面において:
・ サッカー試合の実況放送の早回し再生(①)では,
相違にもとづく時間軸上の構成を考慮したものになって
速いテンポの細かいリズムの連打というような音
いるからである。
楽的性格が見られ,
(平成 14 年度九州芸術工科大学特定プロジェクト研究
..
・ 粘土の顔を破壊する時のもの音(⑤)では,ゆっ
助成による購入資料)
くりしたテンポで非周期的なリズムというような
音楽的性格が見られ,
・ 釘を打つ音(⑥)では,中庸のテンポで周期的な
リズムという音楽的性格が見られ,
これらの音楽性の相違をもとに時間軸上で組み合わされ
て変化を生み出すのである。
またサッカー試合の観客の熱狂を感じさせるものとし
て用いられているテレビ画面での歓声やラッパの音,サ
ッカー応援歌は:
..
・ 部屋の中のもの音としてのテレビの音声(②)で
..
は,部屋の中のもの音と混じり合うために音量が
押さえられたやや動きの少ない音響テクスチュア
という音楽的性格が見られ,
・ サッカー観戦の観客の歓声やラッパの音(③)で
は,テレビ画面の中の世界に入り込んだために音
量も大きく,音の密度もやや高い音響テクスチュ
アという音楽的性格が見られ,
・ 応援歌とサッカー選手が動き回る音(⑦)では,
応援歌の力動感とサッカー選手の立てる足音など
によって音の密度が非常に高い音響テクスチュア
という音楽的性格が見られ,
それらの性格を活かして時間軸上に配置されている。配
置は,後半に盛り上げるという構成にしたがっており,
作品の後半部分はもっぱら応援歌とサッカー選手が動き
4.イジー・バルタ《見捨てられたクラブ》1989,
『闇
と光のラビリンス』iMAGE FORUM VIDEO, DAD0104
4.1.基本情報
イジー・バルタ(1948−)はヤン・シュバンクマイエ
ルと並んでチェコを代表するアート・アニメーション作
家である。実写コマ撮りアニメとパペットアニメ(人形
等を1コマづつ動かして作るアニメーション)に優れた
作品が多い。代表作は,他に《手袋の失われた世界》1982,
《笛吹き男》1985,《最後の盗み》1987,など。
《見捨てられたクラブ》1989 はマネキン人形を素材に
したパペットアニメとして非常に斬新なものである。
4.2.論述の焦点
マネキン人形を素材とするという点で特異なアート・
アニメーションである。その特異性は想像世界と現実世
界の区別を曖昧にしかねないマネキン人形の性格にある。
想像世界と現実世界の差は,マネキンが動くか動かぬか
で決定される(当然のことながら,動かないのが現実世
界で,動くのが想像世界である)。しかし,そこに音表現
が加わると,その差はあいまいになってくる。じつはそ
のところにこの作品の表現上の妙味がある。
そこで,想像世界の中の現実性の描写,現実世界の中
の現実性の描写,想像世界と現実世界の区別の曖昧さの
演出,などに音表現がどのようにかかわっているかに焦
点に絞って論じる。
そのマネキンが複数で人の目につかない場所に置かれ
4.3.作品の分析
たままになっているとすれば,そしてそのことを知れば,
4.3.1.あらすじ
マネキンたちがその場所で生活を営んでいると想像をめ
チェコのプラハの街の一角,倉庫代わりの廃屋の中に
ぐらしたくなるのではないか。例えば,この物語の舞台
数体のマネキンが捨てられたままになっている。それら
となっているような倉庫代わりの廃屋に我々が足を踏み
のマネキンたち(後述のマネキンたちと区別するために
入れて放置されたままのマネキンたちを見れば,おそら
「オールド・マネキンたち」と呼ぶ)は,じつはそこで
く,寸前まで実際にマネキンたちが動き生活をしていた
生活を営んでおり,平穏に毎日を暮らしている。その生
のではないかとリアルに想像するだろう。まさにこの想
活が,新しく闖入してきた(つまり新たに廃屋に捨てら
像を契機にして物語りがはじまる。
れた)パンク・マネキンたちによって乱される。パンク・
マネキンたちは傍若無人に乱痴気パーティを繰り広げる。 4.3.3.音素材の特徴
オールド・マネキンたちは抗議に立ち上がる。そして二
..
この作品における音素材のほとんどはもの音である。
組のマネキンたちの入り乱れての戦いが始まる。戦いの
音楽もわずかながら使用されるが,それらはマネキンの
後,パンク・マネキンたちを打ち破ったオールド・マネ
一人が奏でる狂ったハープの音であったり,ラジオやテ
キンたちはパンク・マネキンの文化を取り入れた新たな
レビから聞こえてくる音楽という設定であり,物語の中
生活をはじめる。
の現実音という扱いである。
..
もの音の多くはマネキンたちが動く際に出る音である。
例えば,手足を動かす際に出る音,廊下を歩く音,修理
するために壊れたラジオやテレビをたたいている音,な
ど。つまり動きに同期し,
「インの音」(8) として存在して
いる。本来マネキンは動かない。したがって音をたてな
い。音が鳴ることはマネキンが動いていることを強烈に
主張することになる。そしてそのことは「マネキンたち
の生活」という想像世界が物語りとして描かれているこ
とを意味している。
図4《見捨てられたクラブ》より,
オールド・マネキンたちは抗議に立ち上がる。
4.3.2.映像素材の特徴
だが,時々この想像世界は中断される。その時,マネ
..
キンたちがたてるもの音は消える。沈黙が支配した後に,
..
生身の人間たちに関係するもの音が聞こえてくる。それ
らは廃屋の外を走る市街電車の警笛と走行音であり,廃
この作品の特徴はマネキンたちがアニメーションの主
屋にパンク・マネキンたちを捨てに来た運送業者たちの
人公であることにある。マネキンは単に「見立て」とし
作業の音である。その音によって想像世界は現実世界に
て機能しているだけではなく,マネキンという性格その
戻され,物語は中断される。物語を再開するためには,
ものが物語の内容に深く関わっているからである。
ふたたび市街電車の走行音が聞こえ,それが廃屋を揺ら
マネキンが他の人形と異なるのは,その大きさがかな
し,その揺れが棚を揺らし,棚の揺れがそこに置かれた
らず人間の等身大であるということである。人間の服を
目覚し時計を落下するのを待たねばならない。目覚し時
そのまま着て,日常生活の一瞬のポーズをとらされ,人
計の落下がマネキンたちを動かし,想像世界が物語とし
の目にさらされている。それは愛でる対象ではなく,眺
て展開される。
める対象である。眺めることによって人間はマネキンに
この想像世界と現実世界は,時にその区別が曖昧にな
自己の外見に対するイメージを投影する。したがってマ
る瞬間がある。それは廃屋に住みついた鳩と猫が登場す
ネキンは他の人形以上に生身の人間に近いはずである。
る瞬間である。鳩と猫は現実世界である。鳩はマネキン
しかし,
「人の目にさらされる」場所に置かれている限り,
たちの想像世界とまったく交わらない。鳩はマネキンた
人間との親近性を意識することはほとんどない。
ちのたてる音とは関係なく羽ばたいている。マネキンた
ちも鳩を無視している。鳩の羽ばたき音はマネキンたち
(9)
にとっての現実音
ではない。つまり物語りの中の現実
音ではない。その点で面白いのは猫の存在である。猫は
マネキンたちの動きを感じている。マネキンたちも猫を
..
意識して,猫のたてるもの音に耳をそばだてる。そして
..
そのもの音がその鳴き声とともに猫によるものとわかっ
であり,はずれた弦が風によって他の弦に触れて鳴る音
としてとらえることも可能である。
「マネキンたちの生活」という想像世界の中に忍び込
..
んだ現実世界のもの音。現実世界にひそむ想像世界にお
ける現実音としての音楽。こうした両義性を端的に表し
ているのがこのハープによる“音楽”である。その意味
た時には,猫を追い出すために小道具を投げつけたりす
でこの音はこの作品における持続低音のような役割を果
る。その時,猫は驚いて逃げる。実は,この時に,マネ
たしていると言えるだろう。
キンたちが想像世界と現実世界の両方を生きていること
がわかるのである。
4.5.考察のまとめ
この作品は「マネキンたちの生活」という想像世界を
4.4.分析結果に基づく考察
4.4.1.現実世界と想像世界
舞台に繰り広げられる。その想像世界に現実感をもたら
..
すのがマネキンたちのたてるもの音である。しかしこの
この作品は,プラハの街の一角の倉庫代わりの廃屋と
想像世界は,マネキンという人形の性格のせいで,現実
いう現実世界を舞台にしている。このことは,冒頭にプ
世界にきわめて近いところにある。時に二つの世界の区
ラハの街が映し出され,廃屋が街の喧騒とともに映し出
別がきわめて曖昧になるところにもこの作品の特徴があ
され,市街電車の音が大きく鳴り響くことで明らかであ
る。そのことについても音表現が大きく関係する。例え
る。しかし廃屋の中に入ると,外部の音はほとんど遮断
ば,猫のたてる音。それは現実世界の音でありながら,
される。このことによって現実世界が急に遠のいてしま
想像世界のマネキンたちはその音に反応する。例えばハ
う。
ープの音。それは楽器であるがゆえに想像世界の音楽と
..
も,現実世界のもの音ともとらえることが可能である。
次に展開されるのは,
「マネキンたちの生活」という想
像世界である。この想像世界が現実性を持って視聴者に
..
迫ってくるのは,もの音のおかげである。マネキンたち
..
がたてるこのもの音は物語りの中の現実音である。音を
音がもたらす,あるいは音そのものが持つこうした両義
たてる動作が画面の中に現れ,その動作と音が同期して
助成による購入資料)
性が,この作品の存在に深く関わっている。
(平成 14 年度九州芸術工科大学特定プロジェクト研究
いるため,現実音であることがすぐに理解できる。しか
し現実世界に立脚すれば,存在しない音である。ところ
..
が,猫の存在がこのもの音を現実世界のものと錯覚させ
..
..
る。猫がマネキンたちのたてるもの音を現実世界のもの
音として聞いてしまうからである。
..
4.4.2.“音楽”ともの音
この作品の特に前半に比較的頻繁に聴こえるのがハー
プによる“音楽”である。マネキンの中の一人が壊れた
ハープにもたれかかって,それをかき鳴らすのである。
「マネキンたちの生活」という想像世界の中においてそ
れは現実音としての音楽である。しかし実際には音楽と
もいえない単なる音の連なりである。
この音楽ともいえない単なる音の連なりは,それゆえ
..
に現実世界におけるもの音として聴くことも出来る。例
えば,ハープにもたれかかったマネキンのはずれかかっ
た腕が弦に断続的に触れる音としてとらえることも可能
註
(1) The National Film Board of Canada(カナダ国立映画制作
庁)は,1939 年にカナダ政府によって設立された国営の映
画制作スタジオ兼配給機関。1941 年,アニメーションスタ
ジオが開設され,ノーマン・マクラレンが参加し,様々な
実験的な技法を用いて数多くのアニメーションを制作。NFB
のアニメーション作品群の特徴は,作家の個性が存分に発
揮されていること,それぞれが独特の技法を駆使して制作
に時間をかけていること,商業主義に左右されない芸術性
が高い作品が多いということである。また,イギリス系,
フランス系,イヌイット(エスキモー)系など,言葉の異
なる国民の誰もに内容が伝わるようにと,ナレーションや
台詞に頼らず,画面だけで内容が理解できるような構成に
なっており,言葉の壁を超えて万国共通にコミュニケーシ
ョンができる作品が多いことも特徴である。
(2) ライトモチーフはドイツ語の Leitmotiv のことであり,R・
ワーグナーの後期のオペラに見られる作曲技法で,音楽上
の動機によってある人物,場面,想念を表すものである。
ライトモチーフはそのままのメロディで使われるのではな
く,その場面の性格に応じてある程度変形される。日本語
で示導動機と呼ばれることもある。
.
(3) 映画の中の音は構成要素としての性格から,話し言葉,も
.
の音,音楽の 3 種類に分けることが出来る。話し言葉は映
画の中ではセリフと存在し,実際に音声化されたものであ
る。音楽はそれ自体で自立する意図的に組織化された音響
..
であり,楽器や人声によって具現化される。もの音は,話
し言葉でもなく音楽でもないすべての音を指す。それは自
然現象や人工環境が発するあらゆる音であり,人間の動き
によって発せられるあらゆる音である。
(4) ここでいうオブジェ化とは,音楽それ自身が持つ構造や形
..
式を無視して,
「その音楽」というものとして音楽を扱うこ
とを意味する。したがって,オブジェ化されると,音楽の
構造を無視して突然音楽が中断されたりする。その場合,
「中断された」という意味が新たに派生する。
(5) ミッキーマウジングとはディズニーのアニメーション「ミ
ッキーマウス」に」代表されるような,映像の中のキャラ
クターの動作を音楽が描写し,その動きを強調するような
手法を指す。その際,映像と音楽は完全に同期している。
なお,その音楽は“音楽”として構造的に自立している。
(6) ここではフラッシュ・バックをリズミカルなモンタージュ
の意味で用いている。本来は,現在のシーンにインサート
される過去のシーンを指す。サイレント期の映画において,
すばやい画面転換の連続を指して用いられ,それが転位し
てリズミカルなモンタージュの意味でも用いられるように
なった。
(7) ケテルビーの『ペルシアの市場』では,隊商がペルシャの
ある街に入ってきて,出て行くまでの様子を,特に市場を
中心に描写している。市場には王女も姿を現す。したがっ
て,『男のゲーム』とは直接的な関係は何もない。
(8) 「インの音」とは映画の中の音のうち,音の発生源が画面の
中に存在している音を指す。
(9) 現実音とは映画の中の現実で発せられていると想定できる
音を指す。その音の発生源が画面の中に存在していれば,
つまり「インの音」であれば,それが現実音であることは
すぐに理解できる。音の発生源が画面の中に存在していな
くても,それが映画の現実の中に明らかに存在していると
想定できる場合,音の発生源は画面の外にあるはずだとい
うことで「フレーム外の音」と呼ばれる。現実音の反対概
念は「注釈音」であり,これは映画の中の現実にはないと
想定される音で,映画の内容を視聴者に理解させるために
特別にならされる音を指す。いわゆる「オフの音」である。
参考文献:
ジェイムス・モナコ(岩本憲次他訳)
『映画の教科書』フィルム
アート社,1983
ミシェル・シオン(川竹英克他訳)
『映画にとって音とはなにか』
勁草書房,1993
J・オーモン,A・ベルガラ,他(武田潔訳)
『映画理論講義』勁
草書房,2000
中村滋延「映像と音」,『映像表現の創造特性と可能性』角川書
店,2000,PP102-111
ヤン・シュヴァンクマイエル(赤塚若樹編集訳)
『シュヴァンク
マイエルの世界』国書刊行会,1999
Liz Faber and Helen Walters, ANIMATION UNLIMITED Innovative
Short Films Since 1940, Laurence King Publishing Ltd, 2004