日本における本格的なギリシア悲劇上演は、 東 京大学ギリシャ悲劇研究

劇・ドラマ 2007.10.15
日本におけるギリシア悲劇
﹃
オイデ ィプ ス王﹄上演に始まる。 これ以前にも'
京大学ギ リ シ ャ悲劇 研究会 によ る 一九 五八年 の
れ'日本 では 「
本場 のギリシア悲劇」として喧伝
ス王﹄など三本を持 って来日し、テレビ放送もさ
七 四年 には、ギリシア国立劇場が ﹃
オイデ ィプ
イデ ィブ ス王﹄ によ ってギリシア悲劇上演を開始
した。
劇 で上演された'八三年 の ﹃
王妃クリテムネスト
若 い登場人物たちに鳳蘭や永島敏行らを配して帝
す る のが、scoT によ って利 賀村 で、次 いで
た。 この方向 での鈴木 のギリシア劇 の頂点に位置
の女﹄は後に早稲田小劇場 の公演として再演され
はらみ つつ表現され' ここに独特 の日本的 「
ギリ
北野 雅弘
大正期 の芸術座 の公演を始め、ギ リ シア悲劇が
されたが、テキストの思 い切 った簡略化、大げさ
ス、仮面の使用 (
途中から)など、その目標とす
そ の後も何度 か来 日し て いるが、成功 した のは
に応えるも のではなか った。ギリシア国立劇場は
ウ ス家 の崩壊﹄
)
。
ラ﹄ である (
帝劇版 のタイトルは ﹃
悲劇∼アトレ
シア悲劇」が誕生す る ことにな った。﹃
ト ロイア
舞台 で全く知られ ていなか ったわけ ではな いが、
な演技など'ギリシア悲劇に対する日本人 の期待
日本における本格的なギリシア悲劇上演は、東
なテキストクリティークに基づく翻訳、歌う コロ
十三年間で十 一回に及んだ研究会 の上演は'充分
る 「
古代様式 の復元」 の意気込みに満ち、学術性
九十年代以降だと言 って良 いだろう。
ベトナム反戦運動 の高まり のなか、サルトル版を
典」としての地位が確立した。六十年代後半には、
ら の上演 によ って、日本 でのギリシア悲劇 の 「
古
座は翌年 には ﹃
アンティゴネ﹄を上演する。 これ
ね、学問的にも問題 のな いも のにな った。くるみ
た っては京都大学 のギ リ シア研究者 と検討を重
テキ ストは山崎 正和 によるも のだが、翻訳 にあ
くるみ座が ﹃
オイデ ィプ ス王﹄を上演した。 この
ろう。 これに刺激をうけて、関西でも、六 一年に
典劇志向と 一線を画した上演を生み出した。他方、
り、ギリシャ悲劇研究会に始まる教養主義的な古
的風土と原作テキ ストとの衝突を試みたものであ
一部に変更を加えた この上演は、和 風の衣裳'演
歌、男性 の暴力と野卑 の強調によ って日本 の大衆
らも大岡信 の脚色 により物語を大幅 に切り詰め、
を開始した年 でもある。松平千秋訳に基づきなが
彼 のその後 の重要なテー マになるギリシア劇上演
アンド ロマケによ って ﹃
ト ロイアの女﹄を上演し'
のメネラオ ス、白石加代子の へカベ、市原悦子の
七 四年は、鈴木忠志が岩波ホールで、観世寿夫
さらに強まり、辻村ジ ュザブ ロー の衣裳を用 い、
トル ロールに用 いた七八年 の ﹃
女王メデ ィア﹄ で
ギリシア劇 のスペクタクル士
心
向は平幹 二朗をタイ
演に配した ﹃
オイデ ィプ ス王﹄を上演する。峠川
七六年には蟻川幸雄も市川染五郎 (
当時)を主
レクトラとクリテムネストラによる死体陵辱で両
ギ ストス殺害 の後にアガメムノン殺害を描き、 エ
でのオレステスの回想と いう枠組みを用 い'アイ
ジ ュしたも ので、直静的な物語進行を避け、裁判
まざ まな作品から アトレウ ス家 の悲劇を コラー
から ﹃エウメ ニデ ス﹄ に至る三人の悲劇作家 のさ
﹃
王妃クリテムネ ストラ﹄ は、﹃
ト ロイアの女﹄
と芸術性 の両方を追究 した画期的なも のだ った。
中心に ﹃
ト ロイアの女たち﹄が俳優小劇場を初め
ド」として確立される演技様式によ って緊張感を
ギリシア悲劇 の古典的様式性は、「
スズキ ・
メソッ
ギリシア悲劇 の事実上 の日本初演と言 って良 いだ
とする幾 つもの劇団によ って取りあげられ、また、
意識に貫かれたものだ。
者 の類似を強調するなど、ポ ストドラ マ演劇的な
七 一年には、
観世栄夫 の 「
冥の会」が、
山崎版 の ﹃
オ
3
劇 ・ドラマ 2
0
07
.
1
0.
1
5
ルトの ﹃
オイデ ィプ ス王﹄ の影響が感じられる壮
大きな門を利用した空間設計にか つてのライン ハ
年の ﹃
オイデ ィプ ス﹄再演 (
平主演)は、階段と
様式美を作り上げた。また、築地本願寺 での八六
イデ ィプ ス王﹄を上演する。それらはか つての演
﹃
バ ッカイ﹄にもとづく ﹃
デ ィオ ニュソス﹄、﹃
オ
し、そ の後、spAC とともに、﹃エレクトラ﹄
、
打 った 一九九六年 の ﹃エレクトラ﹄ で上演を再開
scoT から離れた後、ギ リ シア劇 からやや距
離を置 いて いた鈴木 は、宮城 と の共 同演出 と銘
心理から行動を動機づける方法は、ギリシア悲劇
我とし て理解する ことはできな い。そ のために'
場人物は神話的な原型を持ち、彼らを近代的な自
はいわば永遠 の今 目性を持 っている。しかし、登
間の愛憎と犯罪を扱 った作品が多く、そのテー マ
福 田訳によるも のとしてはへ最近 では'二〇〇四
麗なも のにな った。
りも様式性を前面にだす ことにな った。彼は ﹃
オ
出よりもさらに動きを抑制し、暴力的な大衆性よ
メディアが赤 い布を 口から吐き出すグ ロテスクな
七十年代から八十年代にかけては、 この二人が
たが、人物 の苦悩 の途轍もな い巨大さは、それを
劇場遺跡 である エビダウ ロスの夏 の演劇祭 で、テ
ピール ハウ スでも演出し、彼らはギリシアの古代
イデ ィプ ス王﹄
を、
デ ュッセルドルフのシャウシ ュ
イやジ ロドゥなど の改作版を得意としてきた原因
はじめ、新劇が、ギリシア悲劇そのも のよりアヌ
の上演にと って必ず しも効果的 ではな い。 四季を
ギリシア悲劇は、鈴木が強調するように、家族
年に平幹 二朗主演 の 「
幹 の会」 の上演がある。
日本 のギ リ シア悲劇上演を代表す る存在 にな っ
え ってギリシア悲劇を敬遠させたように見える。
表現する適切な方法を持たな いその次 の世代にか
捲川も'今世紀に入 ってギリシア悲劇上演 の新
つとして鈴木 の ﹃
オイデ ィプ ス王﹄を上演した。
の﹃
アンティゴネ﹄とともに'テバイ四部作の 一
たも ので、それぞれは他と矛盾がな いようにダイ
トレウス 7族をめぐる十作 の悲劇を 一つにまとめ
ド ・バートンの ﹃
グリークス﹄だろう。 これはア
この傾向 のも っとも徹底 した試 みがリチ ャー
こうした改作上演は五十年代前半まで遡る。
のク ・ナウカは、九 五年 の ﹃エレクトラ﹄'九九
しいシリーズを始める。野村寓斎主演 の﹃
オイデ ィ
ジ ェスト化' コロスはほとんど舞台効果にまで地
は このあたりにあるだろう。四季 の原点 でもある
オイデ ィ
年の ﹃
女王メデ ィア﹄
、 二〇〇〇年 の ﹃
プ ス王﹄
、
大竹しのぶ主演 の﹃エレクトラ﹄'﹃
メデ ィ
理化された。﹃
グ リーク ス﹄ は九十年 に文学座が
位をひき下げられ'登場人物 の行動は心理化、合
ルゾプ- ロスの ﹃
バ ッカイ﹄
、ヴ ァレリー・
フォー
シア悲劇をその演目の中に継続的に取り入れてき
プ ス﹄' 二〇〇 四年 の ﹃アンティゴ ネ﹄と、ギリ
ア﹄
、藤原竜也主演 の ﹃
オレステス﹄と いう精力
キ ンの ﹃
テバイ攻め の七将﹄、アンナ ・
バド-ラ
た。特にその ﹃
女王メデ ィア﹄は、原作 のはらむ
的な上演を支 え ているのは山形治江 によ る翻訳
て神話的な 「
大きさ」を表現しようとする宮城聡
フェミ ニズ ムと帝国主義 の問題を露骨に浮きだた
だ。上演を念頭に置 いていな い全集訳に基づき高
その中 で、
語りと動きを分ける 「
二人 1役」によ っ
せ、それを、緊張をはらみ つつも感性的に美しい
橋睦朗 の 「
修辞」によ って美文調に仕上げた以前
のシリーズと異なり、山形 の翻訳は演劇 の言葉と
時に劣らぬ活況を呈している。鈴木は、 二〇〇五
ギリシア悲劇上演は、ギリシャ悲劇研究会 の初演
ここ数年、蟻川と鈴木 の積極的な活動もあり、
日本初演を行 い、蟻川が十年後に再演した。
けでなく ヨー ロッパ でも大きな成功を得た。ク ・
動きや苦楽と結び つけると いう離れ業 で、日本だ
ナウカは、劇場 での上演をほとんど行わず、倉庫、
して自然 で分かり易い日本語にな っており、その
年 に静 岡 で、 ほとんどギ リ シア悲劇だ けの演劇
点 では八三年 の昂の ﹃
オイデ ィプ ス﹄上演 のため
フェスティバルを主催したが、 これは若 い世代 の
いう点 でも ユニークな劇団だが、 これもギリシア
演劇人がギリシア悲劇を見直し取り組むき っかけ
庭園、博物館など、独自 の演技空間を追究すると
ロスを虐待して新劇風に近代化してはおらず、捲
にな った。今年も'新国立劇場 での連続上演など
に作られた福 田恒存 の翻訳 に近 いが、福 田はピ コ
ク ・ナウカ の上演 は、鈴木 に再びギ リ シア悲
川のスペクタクル志向と上手く噛み合 っている。
悲劇 の成功と結び ついているだろう。
劇 に取り組ませる こと にな った。白 石加代 子が
4
の刺激的な試みが続 いている。今世紀 のギリシア
悲劇がど のようなものになるのか、未だ確たる方
向は見えな いが'楽しみでならない。
(
きたの まさひろ 群馬県立女子大学教授)