本学の願い 学長 大江 憲成 感話 共感と表現

■4月御命日勤行講話
本学の願い
学長 大江 憲成
■感話
共感と表現
こんにちは。新学期になってから初めての御命日勤行です。
今、4名の学生代表の方々から感話をいただきました。この感話が、あえて言えば、こ
の御命日勤行の一番素晴らしいところです。昔の御命日勤行には感話の取り組みがありま
せんでした。学生はこの壇上で先生方がお話しされるのをただ聞いているという形だった
のですが、ある時から御命日勤行に「感話を取り入れよう」ということ提案いたしまして
実行に移されました。その時から、学生の皆さん方が御命日勤行に積極的に参加していく
ことが始り、非常に熱気のある集いになったのを記憶しております。
今皆さん方が経験された雰囲気そのままであります。
いつも思うことですが、私たちは、参加したい、そして現に生きている中で思うこと感
じることを共有したい、そしてさらに共有したことをお互いに表現していきたいと、こう
いう動きを私たちの存在そのものが持っております。つまりその生きるということは、出
遇うし、共感するし、そして表現していくと、こういうことが相まって、人間の、生きる
という全体が成り立っているんじゃないかということを私自身現在も強く思っています。
そういうことを視点に置きますと、この感話がある面ではこの集いのメインであるとお
考えになっていただけたらと思います。1年生の方は初めてのことだろうと思います。こ
れだけ多くの学生諸君、教職員、事務職員の方々も含めて全学が一堂に会するというのは
滅多にないことです。月1回の集いですが、大切にしていただき、共に生きるとはどうい
うことなのか尋ねて下さったら有り難いことであります。
■御命日
出遇いと出発
「御命日」という言葉も初めての方もおられるかもしれません。また「家で御命日のお
勤めがあります」とか「今日は御命日でお寺さんがお参りに来られます」というようなこ
とで「御命日」という言葉を昔から聞いておられた方もあろうかと思います。「御命日」
というのは、ある関係のある大事な方が亡くなられて、その亡くなられた事実を軽く考え
ずに深く大切に受け止める、そういう日ということであります。従いまして、私たちのお
父さんやお母さん、あるいはおじいさんやおばあさんなどが亡くなられていく、そうした
時に「あぁ、死んじゃった」では済まされません。亡くなられた日は、単に「死亡年月日
○○○」じゃないわけで、やはりそこに「御命日」と、「御」がつくのです。その事実に
深く頭が下がって、亡くなられた方々に対して決してそれで終わってしまうのではなくて、
そこにはいよいよ出遇っていくという、「出遇い」があるのだということです。その出遇
いが明らかになっていけば、人間はただ亡くなって終わってしまうということには終わら
ない。さらに受けとめていかねばならない大事な教えがあり、その展開がずっとあるとい
うことです。
私たちは経験上「死んだらおしまい」と内心思っております。だけど同時に私たちは存
在の奥底で、「死んだらおしまい」ではすまされない、満足できないものをもまた抱えて
います。
人生には解決しなくてはならない多くの課題があります。友だちとの思い通りにならな
い関係とか家族のこと、お金や健康のことなどさまざまです。
しかし、その「死んだらおしまい」というニヒリズムをいかに乗り越えていくかという
ことが、実は何にもまして人間の一番の課題、もっとも根源的な課題であります。そうい
うことで、この「御命日」という言葉、その「命」の事実に頭が下がると。そしてその大
きな出遇いを確認し続けて、そこから自分の歩みをさらに起こしていく、生き続けるんだ
と、こういう出遇いと出発という意義をもつものが「御命日」ということの意味です。
■建学の精神
九州大谷短期大学には「建学の精神」があります。本学がこの地に立てられた精神、意
義であります。その精神を基礎にして本学全体の教育が行われているのです。それは親鸞
聖人が明らかにして下さった浄土真宗です。浄土真宗という言葉は宗派を表す言葉のよう
でありますが、そうではなく本来は、ちょっと難しいかも知れませんが、浄土の真実を生
活の「宗」、中心にいただいていく歩みであります。有名になることが生活の中心である
かもしれません。またお金をたくさん稼ぐことが中心かも知れません。人間は生きていく
中で、なにがしか中心を持とうとして生きています。しかしどれも崩れていったり当てが
外れたりして、人生そのものが揺れ動き、意義が見つかりません。
しかし、その中にあって、一言では言い表せなくってかすった程度の表現しかできない
のですが、この私はどんなにちっぽけに見えようとも、実は量り知れない深さと拡がりを
もって、つまり実に広大な世界を背景にして、今、ここに、こうして生きているのだとい
うことを人生の基礎にいただいていく、自覚的な歩みがあるのです。
この建学の精神の象徴であります宗祖親鸞聖人の御命日が 11 月 28 日です。年に一度そ
の日を大切に忘れず「報恩講」という集いを持ちます。本学で一番大事な確認の日であり
ます。一方また、毎月の 28 日が「月の御命日」と申しまして、毎月その日をやはり大事に
していくということであります。ただ学校の込み入ったスケジュールがありますので、28
日きっかりその日にお勤めできないという現実があり、こういう毎月1回水曜日を御命日
勤行の日と定めています。
■ある尊いはたらきに身を置く
全学、これだけの多くの人が一堂に会するということは滅多にありません。そうします
と私語が聞こえてくる場合があるんですね。人間は何かしゃべりたいんですね。「何をし
ゃべってるの?」といってもたいして内容はないんですけれども、ブツブツブツブツ言い
たくってたまらない。これは年をとっていく方がかえって私語が多くなるような気もいた
します。ただこの集いでは、ただ「自分が一人になる」。そして、一人になって友のこと
ばに耳を傾ける。向こう側からの呼びかけに耳を済ませる。あるはたらきに対座する、身
を置く、そうすることで、わが身にありながら今まで気付きもしなかった大切なことに気
付いてくるのです。先程、安武先生が言われていた「出遇いということは、誰かの出遇い
ではなくって、それを通しながら自分の中の出遇いというものを確認していくようにして
下さい」と言われたのは、心に残る言葉であります。
それでこうやって共に集まりながら、しかも一人になって、そして、ある「はたらき」
に身を置く、そのはたらきは学生の感話を通してのはたらきであったり、あるいは「お正
信偈」のお勤めの向こう側からのはたらきであったりいたします。向こう側からはたらき
かけてくる「あるもの」ですね、これが非常に重要です。私たちは、日常、こちら側の思
いでもって自分を見たり、あるいは未来を考えていったりいたします。「私ってもう駄目
ね」とか、あるいは「生きとっても結局何もないじゃないの」「死んだらおしまい」と、
こういうのは全部こちら側の思いで自分自身や未来を考えています。決め込んでいます。
ところがその考えの「埒外」、「向こうからのはたらき」に出遇うということが、もし人
生において成立するならば、自分の思いこみ、「私ってもう駄目」とか「生きとっても何
もないじゃないの」とか「死んだらおしまい」とかいうこちら側からの答えが破られてさ
らに深く生きていくことが出来るのであります。
■出遇いとその深さへの目ざめ
学生の感話のテーマはこの集いで感話が始められてからずっと「出遇い」です。これか
ら出遇いを軸にしていろんな感話が語られてまいります。「友だちの言葉に出遇って」と
か、あるいは「先生の一言に出遇って」とかさまざまです。語られる出遇いは語っている
人個人の経験した出遇いに違いないのですが、それを私たちが我が身自身にじっと受け止
めてまいりますと、「そう言えば自分自身にも」と気づいてくる出遇いが知らされてまい
ります。出遇いの切り口はそれぞれ違うかもしれませんが、出遇いの深層、質みたいなも
のが掘り起こされ共有されてくるように思われます。人ごとでは済まされない出遇いの深
さであります。この出遇いの深層へのうなづき、質の共有が、実は私たち人間の関係の回
復へと繋がっているのではないかと思うのです。つまり、出遇い、共感しながら、そして
さらに、共に生きる、そういう出来事が、孤独であるとしか思えない私一人に、はからず
も立ち現れてくるのではないかと思われます。そうであればこそ、私たちはそれぞれ生き
方もものの考え方も人生の中身も違うのですが、それを越えて、なおかつ友でありうると
言いうるものが、私たちのところに開かれてくるのではないかと思います。
今日、学生諸君のいろいろな感話を聞かせていただきました。その中で、「違いがある
から」とか、「違いがあっていいんだ」とか、「それが認められるクラスが私たちに成立
していた」とか、「声優志望で入学したんだけれども、芝居をすることの大切さに出遇っ
た」とか、いろいろ感話されていました。つまり、自分はこう思っていたんだけれど、そ
うじゃなかったということに気がつく。そういう気づかされてくる出遇いというものは、
本当に人生の宝物だろうと思います。
その中でこそ、みんな違いながら輝くということがあるんじゃないかと。
■ダイアナ・ロスとホイットニー・ヒューストン
昨日京都出張がありまして、朝早く京都へ出かけて行って、何やかや大切な話し合いが
ありまして、夜 11 時頃この大谷に帰ってきました。今ではいつも京都は日帰りで、早く走
る新幹線が恨めしい…ということですが、帰ってきました。帰ってきて眠たくてたまらな
かったのですが、テレビをポッとつけたらダイアナ・ロスが…知ってるかな、知らないで
しょうね…。それとホイットニー・ヒューストン、知っています? その 2 人の歌があっ
ていて、あぁ懐かしいなと思って聴きいっていたんです。もうダイアナ・ロスは 10 年以上
前の、それからホイットニー・ヒューストンが 20 年くらい前の歌でしたけれども、みんな、
アフロヘア?
「は~っ」と思ってね。白人も黒人も一緒になって手を叩いて歌っていま
した。何だったかな、“EVERYDAY IS A NEW DAY”とか“EVER LOVING DAY”だったか
な。いろんな歌を歌っていました。それで、昔の私の若い頃のことを思い出しました。60
年代後半から 70 年代にかけて学生生活を送ったんですけれども、それ以前には、アメリカ
の白人社会に受け容れられる模範的な黒人俳優にシドニー・ポワチエという人がいました。
白人の価値観で生きていく黒人を演ずるわけです。ところが、70 年代頃から、それに異義
を申し立てる、“black is beautiful”、「黒って素敵」っていうことかな、そういうような動
きが出てきました。単一な価値観ではなくて、いろんな多様性のある、それこそ「違いが
あって素晴らしい」というような動きが出てきまして、そういう雰囲気の青春時代を送っ
てきたんですけれども、ダイアナ・ロスもだいたい私よりちょっと若いくらいの世代で、
彼女の歌を聴いておりました。今日感話であったように、いろんな違いが認められる、そ
ういう世界でありたいということに尽きるかと思いますけれども。
そのダイアナ・ロス
さんと、もう一人のホイットニー・ヒューストンさん。共に黒人女性なのです。非常に素
晴らしかった。それで、ある聴衆の一人が、白人の男性だったのですが、質問するんです
ね、
「あなたは非常に素晴らしい歌を歌ってくださいました。ところで、あなたはこれまで
どういう家庭でどういう生涯を送ってきたんですか?」
こういうような質問をしたのです。そうしたらダイアナ・ロスさんが、あんまり答えた
くないような感じでしたが、「父はですね、3 回も 4 回も職を変えましたね」と返答しまし
た。すると聴衆のその男がさらに鈍感さに輪をかけて、「そういう境遇でありながら、あ
なたが現在のあなたを築いてきたということは、あなたの意志が強かったんでしょうね」
と質問をしました。すると「さぁどうでしょうかね」という言い方で答えていました。
■悩みあればこそ
一連のトーク全体はそれ自体としてはおもしろかったのですが、考えてみるとそのダイ
アナ・ロスさんにしろ、生まれとか、あるいは生きてきた境遇というのは人に言えないよ
うなものを抱えていた。非常に苦しいものを抱えていたに違いないのです。だけど、その
時私が素晴らしいと思ったのは、有名になったから素晴らしいというよりも、彼女が否応
なしに抱えて生きていかざるを得ない悩みですね、その悩みを自分のものとして受け止め
て、そして人生の深さへとひっくり返して歌にしたということであります。まぁそういう
素晴らしさが、彼女だけではなくどうも人間にはありそうです。
悩みを消し失わずして、悩みを智慧に変える。そこに悩みは悩みのままで輝くんだと、
これは仏陀の言葉です。違いがあって素晴らしいんですけれども、その違いは私たち一人
ひとりにとっては否応なく生きていかなくてはならない悩みですね。だけどその悩みを手
掛かりにしてこそ、一人ひとりが一人ひとりのままで輝くんだと。いろんな色合いを持っ
て人間はここにこうして生きている、だから素晴らしいんだ。悩みあればこそ、というこ
とが言えてくるのではないかということを、その時思いました。
今日もまたいろんな貴重な感話をして下さってありがとうございます。こういう形で御
命日勤行は 1 年間続いてまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。終わります。
(2010年4月14日)