第 34 号

八 戸 高 専 図 書 館 報
2003.2
№34
第 34 号
平成 15 年 2 月 3 日発行
Hachinohe National College of Technology
Library Bulletin
№34 Feb.2003
目
八戸工業高等専門学校
図 書 館 委 員 会
次
1.情報化社会における図書館………………………………校
長
柳
沢
栄
司
……2
久 保 田
優
……3
福
田
真
林
……4
2.特集「校内読書感想文コンクール」
・受賞作品紹介
校長賞
「ハリー・ポッターと賢者の石
―夢と憧れと、ゲンジツ」
…………………………………………… L5
図書館長賞
「マクベスを読んで」………………………… L2
図書館委員会賞 「『ぼくのそらをさがしに。』を読んで感じたこと」
…………………………………………
L8
北
村
寿
子
……5
「『青春の夢と遊び』を読んで」…………
Z4
岩
舘
裕
一
……5
「高瀬舟を読んで」……………………… L3
高
橋
憲
吾
……6
「『罪と罰』を読んで」……………………
L4
佐
藤
清
政
……7
・講 評…………………………………………………総合科学科
太
田
徹
……7
総合科学科
齋
子
……8
進
……9
麻
3.東北新幹線八戸駅開業記念パネル展示について
……………………………建設環境工学科
齊
藤
4.新刊紹介(リクエストにより購入した書籍)…………………………………………………………10
5.編集後記
・………………………………………………………………………………………10
昨年 12 月東北新幹線八戸駅開業を記念して
図書館で行われたパネル展示の様子
展示された“はつかり”と“はやて”のミニチュア
(佐々木有先生より借用)
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八 戸 高 専 図 書 館 報
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情 報 化 社 会 に お け る 図 書 館
校 長
柳 沢 栄 司
若者の活字離れが言われて久しいが、我が校の
る。読書という作業は、文字を認識して内容を理解
学生諸君に関してどのような傾向にあるのかデータ
するので映 像 をみるのと違 って、時 間 が掛 かるもの
がないので判 らないが、恐 らく従 来 に比 べると読 書
である。時間を掛けて認識して理解するので、記憶
量 は減 っているのではないかと想 像 している。昔 と
に残 りやすく知 識 として定 着 しやすい。本 を読 むこ
違って今は、情報化社会であり、インターネットや携
とは、知 識 を広 げるのに最 も適 した方 法 なのであ
帯 端 末 の機 能 が充 実 してきているばかりでなく、C
る。
DやDVDなど多様なメディアが存 在するようになっ
情報化社会ではぺーパーレス化が進み、書物が
たために、本 を頼 る機 会 が減 りつつあることは確 か
無 くなるような錯 覚 があったが、実 際 には出 版 物 は
なようである。しかし、活 字 の文 化 は、古 くからの伝
増 えるし書 類 の量 も増 して、先 進 国 でのパルプの
統 があるが故 もあって、現 在 でも中々廃 れないメデ
消 費 量 は増 える一 方 なのである。これは、どんなに
ィアである。かつて、書 物 は貴 重 な情 報 源 であった
社 会 の情 報 化 が進 んでも、文 字 による情 報 つまり
ので、人々のために書物を収集保管し、閲覧できる
書物や印刷物の持つ役割は、多少変化することは
ようにするために図 書 館 ができたのである。図 書 館
あっても決 して廃 れないことを意 味 している。このこ
は人 間 の英 知 の集 積 であり、知 識 の宝 庫 なのであ
とは、高 度 情 報 化 社 会 においても、図 書 館 の役 割
る。16 世紀末の哲学者フランシス・ベーコンは、「知
は従 来 に比 べて大 きな変 化 はないことを示 唆 して
識は力なり」と言っているが、今の時代でもこれは変
いる。日本でも先進的な図書館では、図書のディジ
わらない真実である。ちなみに、ベーコンは、17 世
タル化 が進 められ、メディアもDVDやCD−ROM
紀の初頭に出版された書物の中で、自然科学の合
など様 々な媒 体 によるディジタルコンテンツなどが
理 性 を認 識 して思 想 面 での位 置 づけを与 え、その
提 供 されている。本 校 の図 書 館 でも、多 様 なメディ
応用である工学や技術 が人間社会 を豊かにすると
アによる学習が可能になっているが、まだ衛星通信
指摘してくれた偉大な哲学者である。
システム(SCS)やマルチメディア教 育システムのよ
知識は、技術者にとっても宝物である。今の世の
うな高度な設備は、残念ながらまだ整備されていな
中 では、知 識 はなくともインターネットのように情 報
い。しかし、先 に述 べたように、図 書 館 の本 来 の機
を得る手段を持ちさえすればよいと主張する人がい
能である書物による知識の伝達機能の重要性を考
るかも知れない。しかし、情報は知識 の源泉にはな
えれば、本 校 の図 書 館 はもっともっと利 用 されるべ
るが、肝 心 の受 け手 が情 報 の内 容 を理 解 しなけれ
きであり、現状でも利用し尽くされている状況とは考
ば価 値 はなく、受 け手 が情 報 のその内 容 を記 憶 し
えられない。
て始めて知識となって活用が可能になるのである。
今 年 度 は、読 書 感 想 文 の募 集 が再 開 され、多 く
例えば英語の辞書を引いて、単語の訳の中から正
の学生諸君から応募があったのは頼もしい限りであ
しい意 味 を見 出 せたとしても、それを覚 えて正 確 に
る。若い時に読書の習慣を身に付ければ、インター
英語の文章が理解できて、その単語が使えるように
ネットの情 報 のような人 づての皮 相 な知 識 ではなく、
ならなければ意味がないのと同様である。今 日のよ
自分のしっかりした考えに基づいて判断し行動でき
うな情報社会であっても、数学で公式を覚え、物理
る基礎的な知識が自然に備わって来るものである。
で現象の数理的な意味を覚え、国語で漢字を覚え
これからの予 習 復 習 の時 間 あるいは自 由 時 間 に、
ることは、特 に学 生 諸 君 にとっては重 要 なことなの
是非、図書館を有効に利用して、専門知識とともに
である。知 識 を得 るには記 憶 することが必 要 である
社会人として必要な教養を貪欲に吸収し人間性を
が、記憶するためには確実に理解したり反復して覚
深めて頂きたいと思っている。
えたりする必要があるので、ある程度の時間が掛か
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特集「校内読書感想文コンクール」
今年度は、しばらくぶりに図書館委員会主催の校内読書感想文コンクールを実施した。夏休み明けに応募してもらい、集ま
った読書感想文の一次審査を図書館委員会で、また二次審査を国語科の先生方が行い、校長賞1作、図書館長賞1作、図書
館委員会賞4作の受賞が決定した。10月2日の校長講和の後、体育館にて図書館長から受賞者に、賞状と賞品が贈られた。
受 賞 作 品 紹 介
ハリー・ポッターと賢者の石 ―夢と憧れと、ゲンジツ
L5
魔 法 、人 が一 度 は夢 見 る物 。無 論 、僕 も「もし魔
法を使えたら」と思ったことは幾度となくある。この本
は、そんな僕を夢あふれる世界に引き込んでしまっ
て、放してくれない。これも魔法の成せる技なのだろ
うか。
この物 語 の主 人 公 、ハリー・ポッターは優 れた魔
術 師 を親 に持 つが、そんな恵 まれた環 境 とは裏 腹
に、一歳を境に、十一歳になるまで、実に十年の間、
母 の妹 夫 婦 、つまり叔 母 のペチュニア・ダーズリー
の家で、迫害とも言える日々を送る事となる。
「児 童 に対 し、暴 力 を加 える事 。または児 童 を明
らかに不当 な環境に陥 れ、児童 が自明に享受 でき
る人 権 を奪い、精 神 的 に迫 害 する事 。」これはユニ
セフの児童虐待の定義だが、このような意味からす
れば、ダーズリー一 家 の、叔 父 バーノン、叔 母 ペチ
ュニア、その息 子 ダドリー等 のとってきた対 応 は児
童虐待に他 ならない。筆者もそのつもりで書いたの
だろうが、僕 は、こんな嫌 われ者 のダーズリーの
人 々の気 持 ちも多 からず分 かる様 な気 がする。何
故なら、深い親交もなく、会った事もないものを親族
だからと言って同じ屋根の下で「今日から一緒に暮
らそう。」と言 えるだろうか。僕には到 底できない。ま
して、ペチュニア叔母さんは、姉であるハリーの母、
リリーを毛 嫌 いしていた。そんな状 況 下 で、暴 力 、
虐待は別にしても、同じ屋根の下、完全に円満に、
突然転がり込んできたハリーが生活できないのは目
に見えている。それは何故か。
ダーズリー一 家 は、この本 に出 てくる誰 よりも、
我々に近い存在だからである。
筆 者 が、彼等 一 家 を描く為 に、主 人公 を善 とした
時の悪を描くのではなく、ごくありふれた社会に生き
る人 々の有 り様 を何 度 も提 示 することで、この一 家
を嫌わせて、読者がハリーにシンパシーを覚える様
に書き進められている。この彼等一家に込められた
『姑 息 でありふれた社 会 性 』―つまり、自 己 防 衛 の
久保田
優
意識や、差別の意識、見栄や虚栄心、非常識への
嫌悪や常識への依存心は、我々の誰でも持ってい
る物 だ。だから、僕 は彼 等 の気 持 ちが全 く分 からな
い事 はないし、読 者 達 も一 家 に、恐 怖 の対 象 への
嫌 悪 感を抱くより、人 間の悪 い意味での人 間らしさ
に、また、ハリーに向 けての、彼 等 のする事 なす事
に、腹が立ち、苛立つのを抑えられないのではない
だろうか。主 人 公 ハリーの両 親 を殺 した、ハリーの
宿 敵 闇 の魔 術 師 ヴォルデモート、彼のような、物 語
の絶 対 の悪 への憎 しみとはまた違 う念 を僕 は一 家
に対して持っている。
かくして、両 親 の死 を機 に新 しい家 族 と共 に、抑
圧 されながらも逆 らうことなく、実 に十 年 と言 う長 い
時 間 をダーズリー一 家 と過 ごしたハリー。寝 起 きは
階 段 下 の物 置 の中 。食 事 はいつも好 きなものはダ
ドリーにとられ、お腹一杯食べられない。身につける
物 は皆 、お古 で、眼 鏡 も壊 れていても新 しいものを
買ってもらえなかったから、壊れている物をどうにか
使 っていた。家 でも学 校 でも、従 兄 弟 のダドリーを
はじめとし、その友人からいじめられていた。周囲も
誰一人、ダドリーの暴力からハリーを救おうとせず、
見 て見 ぬふりをしていた。そんな毎 日 にも、彼 の十
一 歳 の誕 生 日 が近 づいた時 、同 時 に転 機 が訪 れ
た。全 部 あるうちのほんの少 しではあるが、真 実 を
知ったのだ。そして、学 用 品を揃えた、魔法使いハ
リーは、ホグワーツに正式に入学する。
この時 から、ハリーを取 り巻 く環 境 の劇 的 な変 化
も去 る事 ながら、ハリー自 身 も、大 きく変 わっていっ
たのだ。先ず友達を作った。親友もできた。そして、
何 より、自 分 を表 現 できる様 になった。抑 圧 されて
育 ったとは思 えない程 、立 派 に成 長 したハリーは、
自分の居場所を見出していく。そんなハリーに勝て
る訳 もなく、再 び会 ったヴォルデモートは復 活 の機
会 を逃 し、またも退 散 を余 儀 なくされる。ハリー達 も
ただでは済まなかったが、賢者の石をヴォルデモー
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トの魔手から守り、そして彼を追い払ったのだ。しか
し、この物語の面白さは、仇を討とうとする主人公の
勇気でも、強大な悪に立ち向かう勇者の武勇でも、
魔法世界の夢あふれる幻想でもない。流れ行くスト
ーリーの間 に張 り巡 らされた伏 線 である。そのおか
げで、何度読み返しても、また再び読み始めても新
しい発 見 があり、その新 鮮 さは失 われる事 はない。
きっと、物 語 を一 字 一 句 、もらさず暗 唱 できる様 に
なるまで、この物語は楽しめる事だろう。
最 後 に、僕 が感 じたのは少 しではあるが、悲 しさだ
った。夢あふれた物語の奥底に、悲しさとか、辛さと
いった、ネガティヴな感 じを覚 えた。それはきっと、
筆者の過去を知っていたからでしょうが、ダーズリー
一 家 の中 のハリーが描 かれているところでは、彼 を
取り巻く環境はまるで、少し前の筆者の置かれてい
た状 況 のようだと思 う。美 味 しい物 はおろか、お腹
一杯食べる事もできない。新しい服だって好きに買
えない。そして、生活保護を受けていると言うだけで
冷たくあしらわれ、助けてくれる人も居ない。自分を
自分で守らなくてはいけない。自分の子供も守らな
くてはいけない。しかし、筆 者 が自 分 を重 ねたハリ
ーも魔法界に行き、自分の居場所を確立していく。
本 の中 で、ハリーがヴォルデモートを退 け、賢 者 の
石 を守 り、最 後 に夏 休 み前 のあいさつを三 人 で交
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わした瞬間、筆者はつかんだ。成功という、大きな、
大きな幸せのしっぽを。
本を一通り読み終えて思う事だが、人間界のハリ
ーに今までの自分を重ねて描いた筆者は、魔法界
のハリーに大きくて、たくさんの希望を持たせたのだ
と思う。自分の事も自分でできない自分自身に対し
て、何 に関 しても結 果 を重 視 する、冷 たい社 会に、
そして、人 間 の人 間 らしさに。それらの大 きな希 望
を乗せたハリーが魔法界で活躍し、成功し、自分の
居 場 所 を見 つけ、ハリーのハリーらしさを確 立 して
いく。希望を乗せた張本人の筆者も成功している。
そう、彼 女 は今 、大 成 功 している途 中 で、文 字 通 り、
成功『している』のだ。
僕はこの物語をただの勧善懲悪のシナリオと思っ
ていない、ハリーの、そして、筆 者 の『自 身 の自 立 』
という物語だと思っている。つまり、大きな『成長』の
物 語 。その中 で、筆 者 の辛 い過 去 を背 負 ったハリ
ーは、筆者の大きな、大きな希望を背負って、自分
の居場所を探していく……。
七年続くこの大作の中で、この物語が終わる時、
ハリーが大 きく成 長 しているのだろうと思 いつつ、こ
の物語の最後を読み終えた自分もハリーのように強
く、大きく成長していて欲しいと思う。
マ ク ベ ス を 読 ん で
L2
悲惨な最後だった。マクベスは話の主人公でありなが
ら、最後には皆にうらまれ、殺されてしまったのである。
私がマクベスを読もうと思ったきっかけは、ただ「シェ
イクスピア」という人の作品を一つでも知りたかったから
だ。特に何を読みたいという思いもなく、適当にページ
をめくった。そして、何となくマクベスを読み始めた私は
大きな衝撃を受けた。
マクベスは悪魔に未来を予言された。一つめの予言
があたり、彼は領主になった。二つめの予言は彼が国
王になるというものだった。そのために、彼は国王を殺
した。予言どおり、彼が国王になったのだ。マクベスは
国王のことを信頼していると私には感じられた。その国
王を自らの手で殺したのだから、私は、きっと悪魔たち
がマクベスに悪い魔法でもかけたのだ、と思っていた。
けれど、今はそうではないと思っている。
私は、この物語は人間の心の弱さを象徴しているよう
に思った。マクベスは、国王になるため、国王を殺した。
それは決して悪魔が命令した事ではなかった。彼の心
の中の弱い部分がそうさせたのだと思う。国王になって
からも、心の弱さに負けて、結果、国を荒らしてしまった
のだと思う。
では、心の弱さとは何だったのだろうか。例えば、私
福 田 真 林
はよく、気がきかないと言われる。それは、今さえ良けれ
ばいい、自分さえよければいい、という軽い考えがどこ
かにあるからだと思う。けれど、一度注意されても、同じ
ようにくり返してしまう。それも心の弱さの一つだと思う。
この間だって、ずっとひどい人だと思っていた人よりも、
実は、自分のほうがひどいことをしていたということに気
がついた。それまで、自分は全く見えていなかった。そ
れだって、自分の欠点を認められない心の弱さだと思う。
マクベスも、王を殺すことの罪の大きさや、後のことを考
える前に、自分が国王になりたいという欲望や、悪魔の
予言があるから大丈夫だ、という間違った勇気から、王
を殺してしまったのだと思う。それが、彼の弱さだったと
思う。結局、マクベスは滅びた。実際、彼のようなひどい
人生を送った人達もいると思う。私達に必要なのは、正
しく判断できる強さだと感じた。
この物語を読んだ直後は、私はマクベスをあわれむ思
いよりも、自分も彼と同じだと気付き、少し嫌な気持ちに
なった。しかし、今は自分なりに前向きに受け止めてい
る。マクベスは死んでしまったけれど、私はまだこの先も
生きていくのだ。過去の失敗にとらわれすぎてはいけな
いと思う。心の弱さから逃げずに、向き合って一つずつ
克服することで、マクベスとは違う人生を送れると思う。
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「ぼくのそらをさがしに。」を読んで感じたこと
L8
もしも、期待に胸を膨らませ希望を抱き明日が来
ることだけを想って毎日を過ごしていたのに、それ
が打ちくだかれたとしたら立ち直ることができるだ
ろうか、前に進むことができるだろうか…。
この本を読んで改めて私は「自分」と向きあって
みようと思った。この世には二人としてまったく同
じ人間というのは存在しない。だが私達は小さな集
団を作り、その集団と少しでも違う考えを持った人
や個性的な性格の人がいると話をしなかったり相手
にしないなどの行動をとりがちだ。しかしいざ自分
がその立場に立たされると、周りに腹を立て嘆き悩
みこんでしまうだろう。はたしてそうやって嘆き悩
み苦しんだ人の何人がこの小さな蝶のように「自分
が自分であるために」自分を、進むべき道を、自分
が今ここにいる意味を探そうと考え前に進むことが
できるのだろうか。私にはたぶんできない。私は、
自分が認められないことを嘆き、今までしてきたこ
と全てを否定し、ここに存在することすら止めてし
まいたいと願ってしまうと思う。事実、私は以前何
度も悩んでいたことがある。だから私は、この小さ
な蝶をすごいと思った。この子は強い、私ならとっ
くに挫折してしまうようなことを乗り越えた。この
子のように強くなりたい、心の奥からそう思った。
この子は生まれてきたことを恨むのではなく、今の
状況を受け入れ、その上で自分を探す旅に出た。認
めたくない事実を拒むことならば誰にでもできる。
受け入れて納得することは強い人にしかできないこ
とだと思う。今私の周りを見てみると、間違ってい
ることを認めず己を正当化しようとする人の多さが
目につく。ふと自分もその一人ではないかと考えて
みた。考えているうちに悲しくなってしまった。あ
てはまることがいくつかあったからだ。そして「こ
の子はなんてけなげな人だろ」と感じた。たまにこ
の世の不幸を全て背負った顔をして「私ってかわい
そう」と言っている人がいる、私はその人に言いた
い「本当の苦しみを知っているの、自分の存在を否
北 村 寿 子
定される悲しみを味わったことがあるの?」と。確
かに人それぞれ悩んでいることが違い、悩み方も違
う。だがいつまでも悩んではいられない。悩んでい
るうちにも時間は過ぎて、毎日太陽が昇り沈んでい
く。悩むことも大切だが悩みながらでもいいからこ
の子のように、自分の存在を知ることそして探す勇
気が必要だと思う。やはり悲しみながら毎日を過ご
すよりは、笑って毎日を暮らす方が誰だっていいは
ずだ。
人は自分の在り方を知るために、自分の生き方を
探すために、生きるのではないかとこの本を読んで
思った。この短い文章の中に、とても重くて濃いこ
とが秘められていると私は感じる。本当に短い。短
いがその言葉一つ一つからその裏にこめられたメッ
セージがひしひしと心に語りかけてくるのだ。たっ
た数文字の文なのに、気持ちが同調し、辛かった想
いが少しずつ溶かされていった。長々と言葉を重ね
並べるよりも、一単語で表現する方が数倍難しい。
そのたった数個の単語で読み手を感動させることは
さらに難しい。そして短い文章は読み手やその時の
心境によって受けるイメージがまったく変わってし
まう。悲しんでいた時に読んだらば頑張る力を、悩
んでいた時に読んだらば恐れない勇気を、元気のあ
る時に読んだらば周りの人に気を配ろうという気持
ちを、私はもらった。一言でこんなにも受け取り方
が違うのかと驚いてしまった。たった一言で人を傷
つけも、癒せもすることを改めて痛感した。わかっ
てはいても私はいつも人を傷つけることを言ってし
まう。わかっているということと実行するというこ
とは天と地の差があることをも感じた。同じ「言葉」
を言う口ならば傷つける言葉ではなく癒す言葉を言
えたらいいのにとよく思う。もっと周りに気を配っ
て傷つけないようになっていきたい。悪い所を少し
ずつ直して、自分を磨いて、前に進みたい、この蝶
のように「自分」を探すために。
「青 春 の 夢 と 遊 び」 を 読 ん で
Z4 岩 舘 裕 一
「青春」という言葉を最近聞いたことがあるだろ
うか。この本では、「青春の夢と遊び」についてさ
まざまな文学を例に考察されている。
そもそも、「青春」とは何なのだろうか。辞書に
よると、「若い時代。人生の春にたとえられる時期。
希望を持ち、理想にあこがれ、異性を求め始める時
期。」と書いてある。筆者は、子供から大人になる
までの時期、青年期を「青春」と述べている。つまり、
一般に学生時代は「青春」なのだろう。
では今自分は、辞書によるように希望を持ち理想にあ
こがれているだろうか。答えは簡単で自分は夢を持って
いない。自分が何をしたいのかわからない。まず、夢に
ついて考えたいと思う。筆者は覚醒している状態で自分
の将来について漠とした希望や願いを持つことを「青春
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の夢」と述べている。そして現代の青年は現実の壁に当
たって挫折することが多いという事実を知り夢多い生活
をしているようではないと述べている。このことは自分に
当てはまると思う。小学生の頃はサッカー選手になりた
いとか親の仕事を継ぎたいとか夢があった。しかし、現
実の壁に当たり、夢は夢で現実を上手く処理していこう
と考えるようになった。そして今、夢を持っていな
い。筆者は「夜見る夢」についても述べている。こ
の二つの夢は関連はあるが同じではない。しかし、
「夜見る夢」もひとつの現実として大切にしてみて
はどうだろうかと述べている。この本の中で筆者は
「夢を生きる」という言葉を使っている。「夜見る
夢」もひとつの現実として受け止め考えていくとい
うことらしい。僕には「夜見る夢」が意味のあるも
のとは思えない。しかし、実際に青年期に見た夢が
その人の人生を方向づけたと言っていいほどの夢も
あるらしい。その夢を生きることは、理想や願いと
しての夢の場合とそれほど異なるものではなく相当
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に意味を持つことであり、「夢を生きる」ためには
大変な努力が必要であるという。
この本は自分には難しかったと思う。本の後半で
筆者は、遊びの中で学ぶ人間関係や遊びの仕事化、
遊び半分などさまざまな青春の遊びについてや青春
における別離の在り様についても述べているが、た
ぶん筆者の言いたいことの半分も理解していないと思う。
「青春」について今まで考えたことがないし、簡単に理
解できるものではないので当たり前だという感じである。
最後にこの本を読んで考えたことをまとめたい。率直に
いうと残りの高専生活を楽しみたい。そして「夢を生き
る」努力をしたい。ここでの夢は「青春の夢」である。そ
れは現実を上手く処理していくのではなく、現実の壁に
当たっても夢を持っていきたいと思ったからである。そ
のためにも、勉強するときはする、遊ぶときは遊ぶとけじ
めをつけていきたい。そして、年をとって振り返ったとき
に「青春」していたと思えればこの本を読んだ意味が少
しはある気がする。
高 瀬 舟 を 読 ん で
L3 高 橋 憲 吾
喜助が、弟の喉を切る場面がある。ここだけ見れば
喜助はただの殺人者である。しかし、喜助は殺人者で
はないと思う。なぜなら、弟がそれを望んだからであ
る。そう、安楽死である。
例えば自分は医者で、目の前に病気の患者がいる。
その病気は治る見込みがなく、患者は病気による肉体
的苦痛と精神的苦痛を受けている。患者はそれらの苦
痛から一刻も早く解放されたいと思うだろう。そうな
れば、どのような行動をとるだろうか。自ら命を絶つ。
安楽死という道を選ぶだろう。「死」というのは、人
間が生きていく上で最も恐怖を感じるもの。それを患
者は選んだのだ。それを患者は望んだのだ。医者とし
ては、病気を治してあげたい。しかし、患者が望んで
いるのであれば、僕は安楽死させる。しかし、現在の
日本の法律では安楽死は認められていないため、この
行為は罪となる。安楽死させるということはどういう
ことなのか。
安楽死の最大の効果は、耐える必要のない苦痛から
の解放だろう。患者の病気は治らなく、後少しの命。
患者は死ぬまでの間、病気と闘わなければならないの
だ。死が近づくにつれて痛みも増すだろう。肉体的苦
痛である。結果が見えているのにも関わらず、闘わな
ければならない。無意味に等しい。人は常に自分の価
値を見つけながら生きていくものだ。少なくとも僕は
そう思う。それなのに患者を待っているのは「死」の
み。これでは価値を見つけられない。つまり希望や夢
がないのである。もし、これが治る病気だったとしよ
う。生きて自分の価値を見つけようとする患者は、生
きようと努力する。回復することは、患者、家族、医
者、皆が望んでいることである。
次に、患者側の経済的負担が挙げられる。入院費、
治療費、詳しいことはわからないが相当かかるだろう。
患者の心境としては複雑なものだ。自分が今生きてい
られるのは、家族が費用を出してくれているからだ。
しかし、いくら出してもらっても結果は同じだ。この
まま生きていても、無駄な費用となってしまうだろう。
自分の死後、残された家族は経済的困難な生活を送る
ことになるかもしれない。患者は死ぬまでの間、ずっ
とこう思っているだろう。精神的苦痛である。
一番大切なのは、患者の死ぬ権利を尊重することだ
ろう。日本では、安楽死を肯定している医者は少ない
が、欧米では積極的安楽死や、自殺を含めた死ぬ権利
を認めるべきだという主張も出ている。安楽死とは別
に尊厳死というものがある。尊厳死は、医療関係者だ
けでなく、一般にも肯定する意見が増え、日本医師会
では、尊厳死を容認した。尊厳死とは、本人が事前に
自らの意志で単なる延命のための治療を拒否するこ
とである。長く生きることではなく、自分らしい生き
方をまっとうし、人生の意味を追求して死ぬというこ
とを重視した生き方である。こうした考えは、徐々に
広がり最近では、高齢者の医療や福祉の現場でも盛ん
に強調されるようになった。
自分はいつどこで死を迎えるのだろうか。それはい
くら考えても出てくることのない答えである。この本
を読んで生と死について考えさせられた。最後に一つ
自分に言えることは、自分の価値、生き方を見つけ、
無限ではないこの人生を歩んでいきたいということ
である。
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「 罪 と 罰 」 を 読 ん で
L4 佐 藤 清 政
今年の夏休みの間に読んだ「罪と罰」は、自分に
とって人間の矛盾点を改めて深く考えさせられた作
品となった。それは主人公、ラスコ−リニコフの思
想にとても強く印象付けられている。
ラスコ−リニコフの思想、それは「英雄の条件」
である。人を殺しても英雄と崇められるなら、殺人
を認められる人間というものが存在するのではない
か。ラスコ−リニコフの思想も決して間違っている
とは言いきれない。何故なら殺人者と英雄は、実際
に紙一重だからである。映画俳優チャーリー・チャ
ップリンも、映画の中でこう言っていた。「人を一
人殺せば犯罪者なのに、人を百人殺すと英雄になる
というのはおかしいことではないかい?」と。
そこで私は殺人者と英雄の相違点を考えることに
した。
殺人者と英雄の共通部分は人を殺す点である。こ
れが殺人者と英雄の紙一重を作る要因になっている。
では異なる点とは何なのだろうか。それは「秩序」
という点にあると私は思う。殺人者とは秩序を乱す
存在である。その秩序を同等の行為によって回復さ
せた人間が英雄なのである。戦争など相手が自国の
秩序を乱す存在として定義付けられた空間では、英
雄とは極めて肯定されやすい存在となる。
ラスコ−リニコフは殺人をしても英雄にはなれな
講
かった。たとえ相手が街中から嫌われる金貸しでも
である。法という秩序が保たれた空間では、人を殺
して英雄になるということはまずないだろう。たと
えラスコ−リニコフが住んでいた街に幾分か秩序が
欠落していたとしても、自分自身がその秩序をさら
に乱してしまっただけで、決して英雄的に秩序を取
り戻すことは不可能なのだ。
英雄無き現代、必ずしもそれが味気や希望の無い
社会ではない。秩序というものが約束された楽園な
のである。ラスコ−リニコフは自分が殺人を犯した
ことで、やっとその楽園に気付いたのである。最近
は少年が犯行の殺人事件が多いが、彼らはラスコ−
リニコフのように何かに気付くことができたのだろ
うか。「人を殺す必要がある」なんて豊かな日常の
どこで必要があるのだろうか。ラスコ−リニコフは
自ら己の理念を証明するために人を殺したが、彼ら
にはおおよそそんな気概や苦汁的決断すらなく、た
だの興味や利己主義が招いた結末にしかならない。
少なくても彼らには、彼ら自身が「人を殺す必要」
を生み出していると気付いてもらいたい。私達がす
べきことは過去に英雄が残したこの秩序を、これか
らもずっと守っていくことである。
評
総合科学科
校長賞作品の「ハリー・ポッターと賢者の石」は
文章的によく組み立てられている。久保田君はつぎ
のように論を進めている。この小説は単純な勧善懲
悪の作品ではない。作者は、ハリーを迫害する養家
の人々を「ごくありふれた社会に生きる人々の有り
様」として繰り返し描くことで「この一家を嫌わせ
て、読者がハリーにシンパシーを覚えるように」意
図している。実は、ハリーを取り巻く辛い環境は、
小説家として成功する以前の作家自身の置かれた環
境であった。作者は、不遇な世界から逃れ自分の居
場所を見つけ自立したいという自身の希望を、ハリ
ーの成功に託したのだ。このように作品を解釈した
上で、久保田君は、そのような託し方は「悲しい」
とする。「夢あふれた物語」を、その「奥底に、悲
しさとか、辛さといったネガティヴな感じ」を持つ
ものととらえる点で、この感想文は自分の読みを示
し得ている。
太 田
徹
「高瀬舟を読んで」は、作品を安楽死問題という
点で読もうとしている。高橋君は、安楽死を「耐え
る必要のない苦痛からの解放」ととらえる。死が眼
前に迫り確定しているのに肉体的苦痛と闘い続ける
のは「無意味に等しい」ことであり、安楽死によっ
て、無駄な経済的負担をかけるのではという患者の
精神的苦痛を回避することもできるし、死に際して
の尊厳も守られる。このように安楽死を肯定する考
えが主張されている。感想文であるから書き方は決
まっていないが、弟殺しの冤罪を背負わされながら
それを宿命として淡々と受け止めようとする町民と、
末端支配者としての役人との間に生じた一瞬の交流
に人間の尊厳を描こうとした原作品の意図に、もっ
とからませて主題を論じてほしかった。
「『罪と罰』を読んで」は、英雄は人を殺しても
許されるという主人公ラスコーリニコフの思想に焦
点を当てたものである。佐藤君は、英雄と殺人者の
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八 戸 高 専 図 書 館 報
違いは、殺人行為によって秩序が破壊されるのかそ
れともその反対かで分けられるとする。そして、『罪
と罰』の主人公は罪を犯したことで秩序の本当の価
値に気づいたが、最近の少年犯罪は単なる秩序の破
壊にすぎず、ラスコーリニコフのような気概もない
と結論している。「ナポレオンのように自分は人を
殺すことができるか」という問いがラスコーリニコ
フを殺人へ追い詰めていくストーリーは、有名であ
№34
る。ドストエフスキーの原作では、主人公が煩悶に
疲れ果て、そのような英雄思想は下劣でけがらわし
い、本当はそんなことは最初から分かっていたんだ
と殺人をあきらめたまさにその瞬間に、殺人への本
当の道が始まっている。物語中で主人公が語った思
想を論じるだけではなく、主人公を動かす原作者の
思想に突き進んでほしい。
総合科学科
「マクベスを読んで」 福田真林
図書館長賞作品の「マクベスを読んで」は、極めて
簡潔な文章表現を用い、率直に自身の心にわき起こっ
た思いを述べることに長けている。『マクベス』は『ハ
ムレット』『オセロー』『リア王』と並ぶシェイクス
ピアの四大悲劇のひとつである。世界的な名作として
名高く、日本でも数多く舞台などで上演されている作
品である。本来は勇猛果敢で正しい心を持つ武将・マ
クベスが魔女の予言に野心を掻き立てられて、王を暗
殺し、自身が王位に着く。しかし、自分自身の犯した
罪による自責の念により、錯乱し破滅してゆくという
ストーリーである。魔女の予言から野心を抱くマクベ
スについて、福田さんは「悪魔たちがマクベスに悪い
魔法でもかけたのだ、と思っていた。」読了直後の思
いを綴っているが、作品を噛みしめた上で、「この物
語は人間の心の弱さを象徴している」「決して悪魔が
命令したことではなかった。彼の心の中の弱い部分が
そうさせたのだと思う」と感動を新たに述べている。
「人間の心の弱さ」に焦点を当て、マクベスと自分自
身とを重ね合わせながら「マクベス」という作品の奥
に秘められたテーマを読み解いている。本作品は戯曲
であるから、セリフとト書きしかない独特な形態の作
品であるが、福田さんは登場人物の心の動きなどをし
っかりと捉えることができている。難しい文章表現は
全く用いていないが、その分、素直に作品に向かった
跡がみられるすがすがしい作品である。
齋
麻 子
また、言葉について「人を傷つけも、癒せもする」と
述べ、言葉が持つ力の偉大さを感じている。しかし、
残念なことに、本作品自体がどのような内容をもち、
どのような言葉を綴っているのかという、具体的な解
説が施されていない。そのため、他者に本作品の良さ
を伝える力に欠けている。自己の感動を自己完結の形
で述べるのではなく、他者に自己の感動を伝えること
を心がけ論じてほしい。
「『ぼくのそらをさがしに。』を読んで感じたこと」
北村寿子
『ぼくのそらをさがしに。』という作品は詩を綴っ
たような絵本である。短い言葉で独特な作品世界を描
き出している作品であるため、この手の作品について、
自身の感動を他者に伝えることは極めて難しい。北村
さんは「短い文章の中にとても重くて濃いことが秘め
られている」ことに着目し、「たった数文字の文なの
に気持ちが同調し、辛かった想いが少しずつ溶かされ
ていった。長々と言葉を重ね並べるよりも、一単語で
表現する方が数倍難しい。そのたった数個の単語で読
み手を感動させることはさらにむずかしい。」と短い
文章による表現の難しさを的確に捉え、論じている。
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「『青春の夢と遊び』を読んで」
岩館裕一
『青春の夢と遊び』は心理学者として著名な河合隼
雄の作品である。本書は、文学作品そのものではなく、
有名な文学作品の中に描かれる「青春の夢と遊び」に
ついて、心理学の側面から読み解いた作品である。よ
って、「読書感想文」の対象として適した作品とは言
いがたい。しかし、「青春」とは何か、「夢」とは何
かという、本書のキーワードとなる言葉についての定
義を再確認し、本書のテーマに沿って自己を問い直し
ている。夢について「自分は夢を持っていない。自分
が何をしたいのかわからない。」とし、「現実の壁に
当たり、夢は夢で、現実を上手く処理していこうと考
えるようになった。そして今、夢を持っていない」と
夢を持たなくなるに至った理由を内省している。本書
で論じられている「将来の夢」と「夜見る夢」との相
違点などを的確に捉えた上で、再び自己に戻り、「現
実を上手く処理していくのではなく、現実の壁に当た
っても夢を持っていきたいと思った」と、自己の心の
動きを詳細に述べている。岩館君は、「たぶん筆者の
言いたいことの半分も理解していない」と自己の理解
力を評価しているが、前述のように読書によって受け
た影響を詳細に論じ、自己のあり方を問い直している。
書籍が人間の人生において時として大いなる影響を
もたらすということを実践的に文章の中に表現した
と言えよう。ただ一つ残念なのは、文章全体が自己反
省に終始しており、著者・河合隼雄がどのように文学
作品を取り上げ、掲げたテーマについて考察している
のかを推察することができない文章となっている。で
きれば、具体例を一つでも挙げてもらえたら、本作品
の魅力が伝わったのではないだろうか。
2003.2
八 戸 高 専 図 書 館 報
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東北新幹線八戸駅開業記念パネル展示について
建設環境工学科
齊 藤
進
図書館委員会では、12月1日の東北新幹線
回に分けて行われた。高専祭期間のパネル展示
八戸駅開業を記念して、新幹線関連のパネル展
では学生図書委員会が準備、会場係、片付けな
示を行うことを6月の委員会で決定した。当初
どを担当し 、また、河 村教官の「 メデイア社会
は図書館委員会単独の事業として計画してい
論」を選択している学生の模造紙ワークの展示
たが、後に学校全体の東北新幹線八戸駅開業記
やパワーポ イントによ る研究発表 も行われた 。
念事業の一環としてパネル展示を行うことに
12月の開業後のパネル展示は、図書館のロビ
なり、同時に高専祭においても学生図書委員会
ーと入り口付近の中のスペースを利用して長
と共催でパネル展示を行うこととした。展示は
期にわたって行われた。高専祭期間はかなり多
(1)鉄道部門と(2)歴史・環境部門に大別
くの見学者が訪れていたが、12月の図書館で
し、鉄道部門では、盛岡∼八戸間の工事、構造
の展示に訪れた見学者の人数は把握できてい
物、駅舎、車両、八戸∼青森間の工事に関する
ない。
内容とし、また、歴史・環境部門では、八戸駅
近年、図書館には本を中心とした業務だけで
開業に至る歴史的経過や開業に伴う八戸駅周
なく、情報発信としてのセンターや文化的事業
辺の環境の整備や変化に関する内容とした。鉄
の担い手としての役割が期待されている。今回
道部門では写真パネル、地図、航空写真、レー
のパネル展示は「本校の図書館を情報発信の場、
ル締結装置の模型などを、日本鉄道建設公団八
文化的事業の場としよう。」との意図から行わ
戸鉄道建設所から借用し、また歴史・環境部門
れたものである。今年度限りでなく来年度以降
では、関連する過去の新聞記事や事業PRパン
も継続的にこのような企画が実施されること
フレットを収集・整理して展示用パネルを作成
が望まれる。
した。
パネル展示は10月19日∼20日の高専祭
(担当:阿部
恵,齊藤
進)
期間と12月1日∼20日の開業後期間の2
高専祭期間中に行われたパネル展示の様子
パワーポイントによる研究発表
(いずれも昨年 10 月 19 日に放送された NHK ローカルニュースより)
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八 戸 高 専 図 書 館 報
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新刊紹介(リクエストにより購入した書籍)
図書館内の投書箱に入れられた、リクエストの投書を参考に、次の書籍を今年度購入しました。
・「マクロ経済学・入門」
福田慎一, 照山博司著.
-- 有斐閣
・「スティグリッツ入門経済学」
薮下史郎 [ほか]訳.
-- 東洋経済新報社
・「誰がケインズを殺したか : 物語で読む現代経済学」W.カール・ビブン著.
--日本経済新聞社
・「日本経済図説」
宮崎勇, 本庄真著.
・「基礎有機化学」
H. ハート著 ; 秋葉欣哉, 奥彬共訳. -- 培風館
・「生体膜のダイナミクス」
八田一郎, 村田昌之担当編集委員.
・「感性バイオセンサ : 味覚と嗅覚の科学」
-- 岩波書店
都甲潔編著.
-- 共立出版
-- 朝倉書店
・「旨いメシには理由 (わけ) がある : 味覚に関する科学的検証」都甲潔著. -- 角川書店
・「図解でわかるインターネットのすべて : TCP/IP&セキュリティ」小泉修著.
--日本実業出版社
・「図解よくわかるディジタル IC 回路の基礎 : ディジタルとアナログから演算回路まで」
松田勲, 伊原充博著.
・「新ゴーマニズム宣言 SPECIAL 戦争論」
小林よしのり著.
-- 技術評論社
-- 幻冬舎
・「バンク・バン・レッスン」
高橋いさを著.
-- 論創社
・「阿修羅城の瞳」
中島かずき著.
-- 論創社
・「インストール」
綿矢りさ著.
-- 河出書房新社
・「海辺のカフカ」
村上春樹著.
-- 新潮社
・「東京タワー」
江國香織著.
-- マガジンハウス
・「三毛猫ホームズの『卒業』」
赤川次郎著.
-- 角川書店
・「風の万里黎明の空」
小野不由美著.
-- 講談社
・「理由」
宮部みゆき著.
-- 朝日新聞社
・「クロスファイア」
宮部みゆき著.
-- 光文社
・「TRICK : トリック」
堤幸彦監修.
-- 角川書店
・「TRICK2 : トリック 2」
堤幸彦監修.
-- 角川書店
・「風の海迷宮の岸」
小野不由美著.
-- 講談社
・「東の海神西の滄海」
小野不由美著.
-- 講談社
編
集
久しぶりに復活した校内読書感想文コンク
ール、東北新幹線八戸駅開業記念パネル展示な
ど、今年度は図書館委員会のイベントがいろいろ
ありました。充実した年度だったと思います。担
当された教職員の方々、参加した学生さんはお
後
記
疲れまでした。
今年度2回目の図書館報を、無事発刊するこ
とができました。原稿をお寄せくださいました
皆様に、深く感謝申し上げます。
(K)
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