日本語の主語省略の特徴と原因 ――社説、小説、シナリオを対象に

 日本語の主語省略の特徴と原因
――社説、小説、シナリオを対象に
学校: 上海外国語大学
学生: 朱恵 答弁主席:張厚泉(教授) 指導教師:凌蓉(準教授)
評閲教師:皮細庚(教授)
毛文偉(準教授)
謝辞
本稿の完成にあたり、多くの先生方に大変お世話になりました。いろいろと親切なご支援と
お励ましをいただきました。ここで心から、感謝の意を述べさせていただきます。
研究活動全般にわたり、ご指導とご配慮をしてくださった指導教官の上海外国語大学の凌蓉
先生に深く感謝いたします。また、貴重なご教示をしてくださった皮細庚教授、毛文偉準教
授にも、深く感謝いたします。最初から最後まで、論文全体の作成を守っていただき、行き
届いたご指導のおかげで、論文を完成することができました。先生から学んだものには、学
問のほかに、学者としての学問を探求する態度もあります。
そして、上海外国語大学在学中、すばらしい講義をしてくださった先生方にもお礼を申し上
げます。先生方のおかげで、日本語というものは、勉強するものだけではなく、研究するも
のでもあると認識しました。
最後に、以上のような優秀な先生方、先生方のすばらしい講義に接するチャンスを与えてく
ださった上海外国語大学に、心から感謝の意をのべさせていただきます。上海外大の学生に
なったことを、光栄に存じております。
要旨
英語や中国と比べて、日本に主語がより多く省略されていることは、もはや学界の一般認識
である。外国人日本語学習者にとって、日本語を使う際に如何にして主語を省略すべきか、
どのような時に主語を省略するかなどは、実に、把握しにくい難点である。その難点を少し
でも解くために、本稿は、社説、小説、シナリオを研究対象として、違う文体に、主語省略
の頻度と特徴はどうなっているかについて研究した。三上章(1970)と久野暲(1978)などの研
究に基づいて、日本語の主語省略の特徴を7
種類まとめた上で、研究を進め、主語省略の原因も分析してみた。
本稿では、主語省略について、新しい主語省略の特徴を4種類発見した。それぞれ、動詞省略
による主語省略、主語提出による主語省略、不定人称の主語省略、コンテキストから推測で
きる主語の省略である。
主語省略の頻度については、社説や小説より、シナリオのほうが遥かに多いことがわかった
。また、各主語省略の特徴においても、文体間の差異が生じる。社説では、政治や世論に多
く言及するから、不定人称が主語になることがよくあり、不定人称の主語省略が多い。小説
は、一人称文であるかどうかによって、主語省略の頻度も主語省略の特徴も大きく変わる。
シナリオは、会話文であるから、社説と小説の地の文に発生しにくい敬語や授受表現による
主語省略、目の前のモノを主語とする時の主語省略が可能になる。
日本語の主語省略の原因としては、(1)簡潔に書くため、(2)表現を柔らかくするため、
(3)読み手の視点を作者の視点に統一するため、(4)述語の部分を強調するため、(5)集
団意識を持たせるため、などの五つが挙げられる。
キーワード:
主語省略 主語省略の頻度 主語省略の特徴 主語省略の原因
摘要
与英语、汉语相比,日语中的主语省略现象更加普遍,这可以说是学界内的共有认识。对
于我们非母语日语学习者来说,如何适当地省略主语,如何在有需要的地方省略主语,是个比
较难把握的问题。本论文取社论、小说、剧本三类文体为对象,研究不同文体中日语主语省略
频率和主语省略特征的差异。本研究先以三上章(1970)和久野暲(1978)的研究成果为基础
,概括了7条日语主语省略的特征,在此基础上进行三种文体的研究和对比,并且,对日语主语
省略的原因作适当分析。
在研究过程中,另发现4条主语省略的特征。它们分别是:动词省略引起的主语省略、主语
提起引起的主语省略、不定人称主语的省略、基于文意的主语省略。
在主语省略频率方面,研究发现,剧本的主语省略频率远高于社论和小说。在主语省略特
征方面,也发现了不同文体间的差异。社论多言及政治和舆论,所以主语经常是不定人称,因
此不定人称的省略高于小说和剧本。小说因是否为第一人称作品而在主语省略频率和特征两方
面有很大差异。因为剧本是对话,所以由于敬语、授受关系引发的主语省略,以及主语为眼前
物时的省略,这些在社论和小说中难以出现的省略特征,在剧本中得以实现。
关于主语省略动机,则可归纳为:简洁表达、柔化文章、视点一致、突出谓语、集团意识
。
关键词:
主语省略 主语省略频率 主语省略特征 主语省略原因
日本語の主語省略の特徴と原因
―社説、小説、シナリオを対象に
目次
1. 序論
………………………………………………………………………1
1.1本研究の動機と目的……………………………………………………1
1.2先行研究
………………………………………………………………2
1.2.1主語の定義 ………………………………………………………2 1.2.2主語省略の特徴
…………………………………………………3
1.2.3主語省略の特徴の判断基準………………………………………7
1.3本研究の研究範囲
……………………………………………………9
1.3.1本研究における主語の認定 ……………………………………9
1.3.2本研究における主語省略の特徴の認定 ………………………9
1.4研究方法
……………………………………………………………10
2. 社説における主語省略
2.1主語省略の頻度
…………………………………………………12
………………………………………………………12
2.2主語省略の特徴の新発見
2.3主語省略の特徴
……………………………………………12
………………………………………………………14
2.3.1 トピックの一貫性
2.3.2 不定人称
……………………………………………14
………………………………………………………15
2.3.3 主語省略の種類
………………………………………………16
3.小説における主語省略 ……………………………………………………17
3.1主語省略の頻度
………………………………………………………17
3.2主語省略の特徴の新発見
3.3主語省略の特徴
……………………………………………18
………………………………………………………19
3.3.1三つの特徴への集中
…………………………………………20
3.3.2コンテキストからの推測と不定人称 …………………………20
4.シナリオにおける主語省略
4.1主語省略の頻度
……………………………………………22 ………………………………………………………22
4.2主語省略の特徴 ……………………………………………………24
4.2.1主語省略の多様性
…………………………………………24
4.2.2言語化しなかったシーン ……………………………………25
4.2.3目の前のモノ …………………………………………………26
5.文体間主語省略の差異と原因 …………………………………………28
5.1文体間主語省略の差異
……………………………………………28
5.1.1主語省略の頻度の差異 ………………………………………28
5.1.2主語省略の特徴の差異 ………………………………………29
5.2日本語の主語省略の原因
…………………………………………30
6.結論 ……………………………………………………………………34
参考文献 ……………………………………………………………………36
1.序論
1.1本研究の動機と目的
意味を伝えるのに有効な手段の一つと思われている主語省略は、一部の言語に限る現象で
はなく、ある程度の普遍性がある。Chomskyの生成文法は人類の言語には普遍性のある文法
法則があると主張している。Chomsky(1981)のEPP(All
clauses
have
a
subject)は、すべての文が必ず主語を持つという論理である。EPPは一見して主語省略の
合理性を否定しているように見えるが、それを同じChomsky(1995)の観点、つまり「文の形
成は語彙とロジックの部分からなっている」と合わせて分析してみると、そうでもないこ
とが分かる。なぜかと言うと、言語には、形があって聞えたり見えたりする文字もあるし
、形がなく、ロジック的に存在している部分もあるため、主語は形的に省略されても、ロ
ジック的には存在していると理解できるからである。そうすると、EEPは主語省略の普遍性
を否定しないどころか、かえって見えない主語の存在を支持していると言えよう。主語の
省略は中国語でも、日本語でも、英語でも見られる現象であるが、各言語はそれぞれの特
徴を持っているので、どれぐらい省略が出来るかということにおいては、差が生じる。三
者の中に日本語の省略頻度が最も高く、次は中国語で、英語の省略可能性は比較的に低い
という順番は、一般の認識となっている。1
今まで、日本語の主語省略に関する研究は少なくない。その中で一番よく取り上げられ
る問題点は、なぜ日本語では主語の省略現象が多く生じているかということである。それ
について、整った授受動詞や、発達した敬語体系、主語指向性を持つ語彙、などの三つが
挙げられる。
本稿は、外国人学習者が日本語の主語省略をよりよく認識し、よりよく使うために、こ
れまでの研究成果を踏まえて、日本語の主語省略の特徴と、何のために省略されるのかと
いう原因を研究してみたい。
ただし、異なる文体には異なる表現意図と表現特徴があるため、主語の省略は各文体の
特徴と関連していると考えられる。今度の研究対象は社説、小説、シナリオの三つに絞る
ことにする。研究を始める前に、この三文体の主語省略について、以下のように予測する
1
たとえば、杨传鸣(1997)、崔崟(2009)、张桐赫(2009)など多くの研究では、主語の省略頻度は、日本語が
英語や中国語より高いと書かれている。
0
。
A.社説は大衆に正確に事態を伝え、作者の個人的な見方を述べる文である。確度を求め
るため、主語省略の頻度が低いと予測される。
B.小説においては、シナリオと重複しないために、本稿では、会話文を考察対象とせず
、地の文のみを考察する。小説の地の文は、社説より自由な文体のように見えるため、主
語省略の頻度が高くなるだろうと思われる。また、作者の個性が入っているため、社説に
見られない主語省略の特徴が現れるのではないかとも予想される。
C.シナリオにおいて、本稿では地の文を抜いて、会話文だけを考察の対象とする。会話
文は、社説や小説と比べて、まるで違う文体なので、主語省略の頻度にも、特徴にも、大
きな特色が発見できるのではないかと予測される。
1.2先行研究
1.2.1主語の定義 研究を始める前に、まずはっきりしなければならないことは、本研究の主語をどう定義す
るかという問題である。
鈴木重幸(1992)は、「主語と述語は(中略)文の成立の基本的なモメントであって、基本
的にはそれだけで文が成り立つ」と述べている。本研究は、以上の鈴木氏の「主語説」に
基づいて、一つの文を「主語」と「述語」の二つの部分に分けて分析し、主語の省略を把
握する。
また、日本語には主題と主語の違いがある。詹凌峰(2004)は、日本語の主題には、主語
から成る主題、目的語からなる主題、他の成分からなる主題があると述べている。本稿で
は、主語からなる主題も「主語」と見なす。そのため、文に主語がなくても、主語からな
る主題さえあれば、その文を主語省略文と見なさない。以下のような、時間や場所からな
る主題も「主語」として扱う。
(1)きのうは雪が降った。(詹凌峰 2004)
最後に、実際の用例の主語をどうやって確認するかということである。普通、「ハ、ガ、
1
モ」などは主語のマークと見られているが、一度実施してみれば、単に形態上から主語を
把握してはいけないことが分かった。例えば、「ご飯は食べた」の「ご飯」には主語マー
クがあるが、文の主語ではなく目的語である。そのような、マークが付いていても必ず主
語であるとは言えない例は少なくない。例えば、「窓から山が見える」の「山」は、主語
ではなく対象語である。それに反して、「として」などは、主語のマークには見えないが
、確実に文の主格を支持している例もある。たとえば「私としてはそう考える」。したが
って、研究の正確度を確保するために、文の組み立てだけではなく、意味との両面から本
研究の「主語」を選別する。
1.2.2主語省略の特徴
本稿の言う主語省略の特徴は、省略された主語が何の文法要素によって省略されたのか
という意味で、いわゆる省略の可能性である。先行研究としては、三上章(1970)と久野
暲(1978)が挙げられる。三上章(1970)は省略の5細則を持ち出した。そのうちの4細則
が主語省略に関するものである。2
a.主題“何々ハ”は次々の文まで勢力を及ぼすから、第2文以下が略題になることがある。
(2)鯨はケモノだ。魚ではない。
b.ある文で注意の焦点にあたった名詞は、自然に次の文の主題に成り上がることがある。
その名詞は何格であってもよい。
(3)鯨が潮を吹いている。とてもでっかいやつだ。
c.条件句が主題を形成することがある。
(4)そんなことを言うと、人に笑われる。
2
例文を含むaからbまでの部分の出所は、三上章『文法小論集』(1970:p155-162)である。
2
d.話手と相手との目前にあるモノは言い表されないことがよくある。たとえば、両者が商
品を前にして、例5のように話す。
(5)―なんだろう。
―やっぱり、お菓子らしい。
aについては、主語重複を回避するための主語省略と理解できる。bとcは、一見して違うよ
うに見えるが、共通しているところがある。三上(1970)は「焦点に当たる名詞」と言っ
たが、実際には動詞や形容詞である可能性もある。さらに、次の例6のように、文全体が名
詞化して後文の主語になることもありうる。
(6)冬の星は怖いほど鋭く光り輝く。<冬の星が怖いほど鋭く光り輝くのは>3どうしてな
んだろう。(『少年』北野武)
三上(1970)のc「条件句は主題を形成する」について、その条件句というのは、上の例6
の下線部分のような独立した文ではないが、名詞化して後句の主語に転化する形は、bと似
ている。なお、条件句もいつも句ごとに後句の主語になるわけではない。cのように、焦点
に当たる一部だけが主語になることもある。たとえば例7を見てみよう。
(7)兄の方をちらっと見ると、<兄は>下を向いたままだった。(『少年』北野武)
例7では、条件句の一部である「兄」が、後句の主語になり、省略された。要するに、bとc
は両方とも、前の「焦点」にあたる部分が後の主語になる時の主語省略である。ただし、a
と区別するために、その「焦点」は前文(句)の主語であってはいけない。そのため、そ
んなbとcを、前文(句)の焦点に当たる主語以外の部分を後文(句)の主語になる時の主語
省略として、同様に理解できる。便宜のため、「前部の焦点」と名づけよう。dは、「目
3
< >は、復元された主語及びその助詞をあらわす。
3
の前のもの」と名づける。次に、久野(1978)の論説を見てみよう。
久野暲(1978)の論説は三上と違って、「視点」の角度から主語省略を説明した。以下は
久野の2例である。
(8)
突然、覆面をした数人の男が、太郎に殴りかかって来た。<太郎は>必死に防戦しながら、
逃げる機会をうかがった。(『談話の文法』久野暲)
(9)花子が太郎と公園を散歩していると覆面をした数人の男が太郎に殴りかかって来た。*4<
太郎は>必死に防戦していたが、とうとう殴り倒されてしまった。(『談話の文法』久野暲
)
例8の「太郎」は省略できるが、例9の「太郎」は省略できない。久野の説明では、例8の書
き手の視点は「太郎」にあるのに反して、例9の視点は「花子」にあることが原因である。
要するに、主語は書き手の視点と一致する場合に限って省略できるということである。久
野はさらに一歩進んで以下のような公式を考え出した。E(x)=1,
Eはempathy(自己同一化)の意味で,E(x)=1は主語と書き手の視点が完全に一致すること
を意味し、E(x)=0は主語と書き手の視点が完全に違うことを意味する。E(x)が高ければ高
いほど、主題が省略されやすい。
(10)僕の家内が花子の家に遊びに行っていたら、太郎が花子に会いに来たそうだ。家内
の話によると<花子は>どうしても会いたくないと言って、太郎を追い返してしまったそう
だ。(『談話の文法』久野暲)
例10の話し手は太郎より花子の立場にあり、E(x)値が高いため、構文の「花子」が省略さ
れるようになった。要するに、主題xのほかに主題Yが現れる時、E(x)>
4
*は誤用という意味である。以下は同様である。
4
E(y)なら、YよりXの方がより省略されやすい。E(x)<
E(y)なら、Yのほうがより省略されやすい。その上で、久野暲は主語省略の法則を以下の四
つにまとめた。5
a.
反復主題省略 第一文と第二文の主題が同一である場合は、第二文の主題を省略できる。これは三上法則
の「主題“何々ハ”は次々の文まで勢力を及ぼすから、第2文以下が略題になることがある
」とほぼ同じである。
b.
主語を先行詞とする主題省略 「Xガ……。Xハ……。」の「Xハ……」は省略できる。
それも、主語重複を回避するための省略と見る。 c.新主題省略 「Yガ……X。Xハ……。」の「Xハ」は省略できる。第一文、第二文とも、Xの目から見た記
述か、YよりもXの視点から見た記述である場合に限り、省略できる。
d.
異主題省略 「Yハ……X……。Xハ……。」の「Xハ」は、話者の視点が完全にYのそれと一致し、第二文
もYの目から見たXの記述である場合に限り省略できる。
cとdは視点による省略である。一人称で書かれる文で省略される一人称と、非一人称文に
おける書き手の視点に近い非一人称の省略は、それに属する。ただし、後者は、よく主語
重複による省略などで判断すると予測される。視点による非一人称の主語省略は、書き手
の視点に近いから省略できると説明したが、主語を復元する根拠を支持する力が比較的に
弱いため、その場合は、主語重複による省略などを優先的に判断する。
三上(1970)と久野(1978)に基づいて、主語省略の特徴を以下の4種類にまとめてみよ
う。
ア 主語重複の回避
イ 前部の焦点
ウ 視点一致
エ 目の前のモノ
その他、日本語において主語の省略現象が頻繁に現れ、そのうち、人称の省略が一定の
5
久野暲 1978
『談話の文法』:114-115
5
量を占めている。その原因について、多用される授受動詞や、発達する敬語体系、述語の
主語指向性の三つが、多くの学者によって指摘されている。ここで、崔崟(2009)を紹介し
よう。
a. 謙虚を表す時の第一人称省略と尊敬を表す時の第二三人称の省略が多い。
(11)<xxさんは>今度大阪へ転勤されるそうですね。
b. 授受動詞によって人称が推測できるためよく省略される。
(12)<私が>先生にアルバムを差し上げました。
c. 述語の主語指向性について崔崟(2009)は人称別について次のように説明した。
c1.述語には発話者の意志、感情、願望を表す言葉がある場合、第一人称が省略されやすい。
(13)あなたにお会いできてほんとうにうれしい。
c-2. 述語は命令、勧誘、依頼、許可、疑問を表すときに、第二人称が省略されやすい。
(14)食後に服用すること。
c-3述語は伝聞、様態、比況などを表す場合、第三人称が省略されやすい。例えば
(15)もうすぐ始めるって。
本稿は、研究対象である社説と会話文抜きの小説、会話文のシナリオを分析したら、目の
前のモノを主語とするときの主語省略、敬語と授受関係による主語省略はシナリオだけに
現れていると分かる。要するに、その三つの省略は会話ではないと発生しにくい。したが
って、この3種類の主語省略の特徴は、社説と小説の章では、検討しないことにする。
6
1.2.3主語省略の特徴の判断基準
1.2.2にまとめた7種類の主語省略の特徴が、社説と小説、シナリオでどのように反映して
いるかを分析してみたら、予想通りにまとめられないことが分かった。その原因は、一つ
の主語省略文が複数の主語省略の特徴を有するところにある。要するに、主語省略の特徴
の優先順が問題になる。例を挙げよう。
(16)あの浮かれた世相が頭をよぎったのは、①「さとり世代」という言葉を知ったからで
ある。②<さとり世代は>ネットの世界で誕生し、広がっている。③<さとり世代は>本紙教
育面の「いま子どもたちは」でも、4日までの連載で取り上げた。(朝日新聞:2013/5/6)
例16の①はその文の主語ではないが、焦点ではある。そうすると、②はイ類「前部の焦点
」に当たる主語以外の部分を主語とする時の主語省略であるが、③にいたっては、やや複
雑になる。①に対して③はイ類(前部の焦点)で、②に対して③はア類(主語重複の回避
)になる。そのような場合、本稿は省略された前文の主語を復元してから、分析を行う。
それは、②は形式上に省略されたが、意味上は、欠かせない部分として存在しているため
である。そういう意味上の存在があるからこそ、次の文は主語が省略されたまま成り立つ
と考える。たとえば、例16の第二文を変えて、以下のように書き直すと、③の省略が不自
然に感じられる。
(17)あの浮かれた世相が頭をよぎったのは、①「さとり世代」という言葉を知ったからで
ある。その時代に生まれた人は働くことに身を投げない。*③<さとり世代は>本紙教育面の
「いま子どもたちは」でも、4日までの連載で取り上げた。
そのため、例16の③はア類(主語重複の回避)に入る。
同様に、主語が連続的に省略される文でも、それは適用する。例18を見てみよう。
7
(18)①双方とも金がいらないわけではない。②<双方は>それでも粋がる。③<双方は>痩
せ我慢する。(朝日新聞:2013/5/5)
例18のように、主語が連続して省略する時は、③の省略特徴は②を復元した上で主語省略
の特徴を決める。要するに、③は②に基づくア類(主語重複の回避)である。例17も例18
も、前文の主語を復元すると、後文の主語省略の特徴がア類に入る例である。ところが、
一人称主語と目の前のモノが主語である場合は、前文の主語を復元しても、ウ類(視点一
致)とエ類(目の前のモノ)と判断することがある。
まずは、一人称で書かれる文、「私」を含める文の次に起きる主語「私」の省略は、ア類(主
語重複の回避)やイ類(前部の焦点)であるか、それともウ類(視点一致)であるかと言
う問題である。例えば例19を見てみよう。
(19)ぼくは兄の顔を見た。そして<ぼくは>あわてて続けた。(『少年』北野武)
後文に省略された「ぼく」は、一見してア類(主語重複の回避)でもあれば、ウ類(視点一
致)でもある。ウ類というのは、作品全体の人称にかかわるから、前文の主語が何かとい
うこととは関係ないように理解できる。しかし、例19には、「そして」で始まる後文は、
見れば前文から多く影響を受けている。前文を「兄が空を見た」に変えたら、後文の「ぼ
く」は省略できなくなる。そのため、例19はア類(主語重複の回避)である。もし前文を
変えても、後文の省略が成り立つ場合はウ類(視点一致)である。そのような判断しにくい
一人称の主語省略が、小説の中には多くある。その時には、こうして、前文の一人称を二
人称や三人称に変えて、後文の一人称がそれでも成り立つ場合は、ウ類(視点一致)とし
て判断する。成り立たない場合は、ア類(主語重複の回避)かイ類(前部の焦点)と判断す
る。
一方、シナリオではエ類(目の前のモノ)の可能性が高いため、事情が変わる。
8
(20)恵理子:<パパは>いつもそうなんだから。<パパが>臭い。(『パパと娘の七日間』)
例20の二文とも「パパ」という主語が省略された。連続主語省略に関する説明によれば、
二回目の主語省略はア類(主語重複の回避)である。しかし、例20は理恵子が目の前にいる
「パパ」と話しているから、エ類(目の前のモノ)として理解してもよかろう。しかも、た
とえ前文がなくても、理恵子は「臭い」だけを言っても不自然ではない。要するに、二回
目の省略は前文からの影響がないと言えるから、エ類(目の前のモノ)にする。反対に、前
文がなかったら、後文の主語省略がおかしくなる場合はア類(主語重複の回避)かイ類(前
部の焦点)にすればいい。
要するに、本稿では、前文の主語を復元してから文の主語省略の特徴を判断する。但し、
後文の省略された主語と前文の主語あるいは前部の焦点とも一人称、また、目の前のモノ
である場合、前文の主語あるいは焦点を変えてから、後文の主語省略の特徴を判断する。
前文の主語が変わったら、後文の主語省略が成り立たなくなる時はア類(主語重複の回避
)やイ類(前部の焦点)と判断する。それでも成り立つ時は、ウ類(視点一致)やエ類(目の
前のモノ)である。
1.3本研究の研究範囲
1.3.1本研究における主語の認定
主語は複雑で把握しにくいものである。本研究は、以下のように定義する。
A.主語とは、述語と一緒に文を成す成分である。述語から、主語の有無が判断できる。
B.主語と、主語からなる主題、時間や場所からなる主題などは本研究の「主語」の範囲に
属する。
C.「ハ、ガ、モ」などのマークだけではなく、文の組み立てと意味の両方から主語を把握
する。
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