自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ

平成 23 年 10 月 9 日
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
VOL1
住み慣れた我が家で最期を迎えたい
「普通は病院で死ぬのでは?」そう考える人が多いのではないのでしょうか。テレビ
ドラマなどでも見られるように、現在では末期がんや重度の病気になると病院に入院し
枕元には医療機器が置かれ医師や看護師に囲まれ、そして家族や友人は病室のドアの前
で最期の時を待っているのが一般的な最期の迎え方となってしまっています。
みなさんは自分の最期をどこで迎えたいかと考えたことはありますか。「できれば住み
慣れた家で死にたい」「自宅で家族に見守られて死にたい」などと思っている人もいる
のではないでしょうか。
でも現実は?
厚労省が出している在宅死亡率と病院死亡率の年次推移では 80 数%が病院で亡くなっ
ています。がんの場合は 90 数%が病院です。在宅死は、10%に過ぎないという調査委結
果が出ています。50 年ほど前までの日本では病院や施設で死を迎えるということは稀な
ケースで、8 割以上の日本人が住み慣れた家、つまり自宅での最期を迎えていたのです。
1980 年の総理府の調査では 95%の高齢者が「家で死にたい」と答えていました。その後
次第に数は減り、1995 年の総務庁の調査では 45%になってしまいました。
家族に迷惑をかけたくないという思い
なぜ、今は、本人が希望していても、在宅で死を迎えることが困難となったのでしょ
うか。なぜ自宅で最期を迎えたいと考えている人は多いのに病院で最期を迎えることに
なるのでしょうか。それは家族に迷惑をかけたくないという思いから来ている場合も多
いように感じます。自宅で死を迎えるということは、最期を迎えるまでの療養生活を、
自宅で家族が看護することになるということです。核家族化や少子化が進んだ現代では、
介護をする人が限られてしまい、介護者の負担も増大しています。一昔前は当たり前だ
った在宅で最期を迎えられるということは、現代では希少価値があることなのかもしれ
ません。
家でもターミナルケアはできる
医療の問題については、疼痛や呼吸困難などの症状のコントロールを図るというのが
在宅緩和ケアの前提になります。実は、医療の問題の解決は、他の問題に比べて簡単で
す。医療の問題というのは、ある意味教科書もたくさんありますし、最近は、医療従事
者を対象とした看取りの看護や医療についての勉強会は多く、当ステーションでの教育
も時間を割いて行っています。在宅でも、点滴をしたり、モルヒネなどを使って疼痛コ
ントールを行ったり、酸素を使用したりなどもできます。
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
VOL2
訪問看護ステーション
エルハートナースケア
一番問題なのは介護の問題
在宅で最後までご本人の生活をきちんと支えるという介護の問題は大きな課題です。
介護の問題については、介護スタッフがきちんと看取りまでやれるようになるためには、
大きな問題点がたくさんあると思います。介護保険によるヘルパーや医療保険による訪
問看護のサービスを利用しても、それらは、生活の中で点でしかありません。その点の
サービスを線で結ぶのはご家族です。いくらサービスを利用しても、ご家族の不安や負
担は大きなものがあると思います。在宅で最期まで過ごしたいと考えておられる方には、
ご家族を始め、本人を取り巻く医療・介護チームの連携を密にすることが一番大事だと
考えています。
家で看取る場合の利点
・家族としての自分の役割がある(父親・母親・祖父母・娘・息子などとして)
・生活の場で治療を行うことができる
・QOL の向上
※1
・生活のリズムが自由で自然に過ごせる
・最期まで自分らしく生活できる
・病院とは違い家族が好きな時間に顔を見たり、話すことができる
・住み慣れた家で家族と一緒に最期を迎えられる
・病院よりも費用がかからない。
※1
QOL(キューオーエル)/クオリティーオブライフ
Quality Of Life
人生の内容の質や社会的にみた生活の質のこと。つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活
を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。
家で看取る場合の問題点
・医療者が近くにいないため不安がある
・吸引などの医療行為を家族が行わなければならないこともある
・家族に精神的にも肉体的にも負担が掛かってしまう
・家族の息抜きの時間がとりにくい
・介護が長期化すると介護者が疲れる
・医療者が臨終に立ち会えないことがある
・容態変化に合わせて訪問を随時調整する必要がある。
・仮に電話で緊急呼び出ししても、到着まで時間がかかる。
・その意味で在宅では本当の意味での緊急対応はできない。待つ覚悟が必要。
・家族、介護者がそれを理解しある程度自力で対処できる必要がある。
病院死の場合の利点
・医療者が近くにいるので安心できる
・24 時間体制で看護してもらえる
訪問看護ステーション
エルハートナースケア
・容態の変化に対してすばやく対応してもらえる
・最期まで諦めずに治療を行っているという実感がある。
病院死の場合の問題点
・家族との時間がとりにくい(家族がいつでも面会することができない)
・自宅とは違い好きなように生活することができない
・自分も家族も医療者に対する遠慮がある
・病院の規則や時間に拘束されるので不自由がある
・天井を見て過ごすことが多い。
・最期の時に家族がそばにいられず、医療者が周りにいることになることが多い
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
VOL3
在宅での看取りを可能とする要因
①家庭内の条件
・本人と介護する家族が「何としてでも在宅死、看取り」を希望している
・現在在宅で一般的に行われているもの以上の医療処置や、延命処置は希望しない
(基本的には何もせず自然に任せる)
・家族、他人、業者を問わず基本的にほぼ常時介護力を確保できる
・家族ないし看取る人の中心人物がある程度理解力を持っている
・療養し死を迎えるにふさわしい環境である
・経済的に可能である
②外部の条件
・24 時間体制で往診してくれる訪問診療医がいる。
(疼痛コントロール等の緩和治療を行ってくれる医師の存在は大きいです。
)
・24 時間 365 日対応可能な訪問看護を確保できる。
(訪問看護師が末期癌などの様々な苦痛を緩和するための知識と経験と技術を持っ
ており、その指導体制があるステーションがベストです。
)
・迅速かつ臨機応変にケアプランを機動的に組み替えられるケアマネジャーを確保で
きる。
③費用
在宅でかかる費用は、病院の入院費より安いです。
大きく分けて、
・訪問診療費
・医療機器の費用
・薬剤費
・訪問看護費(末期がんの場合は医療保険)
訪問看護ステーション
エルハートナースケア
・ヘルパー(介護保険)
・ベッドなどのレンタル
・おむつ代などの衛生物品代
※場合によっては、自費のヘルパーや家政婦などを導入されている方もいます。
在宅での看取りが難しい場合(上記条件を満たせた上で)
・制御不能な激しい痛みや吐血、出血などの劇的な症状が出た場合
・介護者が疲労困憊してしまったとき
(このような場合は一時入院して体制を立て直すか、病院での看取りになる)
・家族の意見が分かれた場合
・本人が入院を希望した場合
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
VOL4
自分の最期は自分で決める
本当は、少しでもお元気なうちに、自身のこれからの過ごし方や、最期の場所をご夫
婦やご家族などで、話し合われるのが一番良いように思います。本人の意思決定が出来
なくなったときに、ご家族が本人の人生の大事な終着点について決定しなければならな
いというのは、かなり辛い決断に感じています。
自分らしい生活を
末期がんや重度の病気になれば入院すると考えるのは確かに当たり前のように感じま
すが、できることならば病気であっても自分らしく生活がしたい、家族と一緒に貴重な
時間を過ごしたいと思っている人は多いのではないでしょうか。病院で病気と闘うのも
正しいと思いますし、自宅で闘うのも一つですし、闘わずに、家でゆったりとした気持
ちで過ごすのもその人の生き方です。
家と病院、どっちの最期が満足?
私がこれまでに在宅でお看取りをされた方すべてが、家で看取って良かったとおっし
ゃっていました。ご家族の悲しみも計りしれませんが、どのご家族も、誇らしげなお顔
をされているのが印象的でした。もちろん病院に搬送され亡くなられた方も、病院に良
くしてもらえて良かったとおっしゃっている方が多いです。どこで最期を迎えても、携
わった医療関係者が、ご本人やご家族を支えることによって、その人らしく過ごせるこ
とが大切だということだと思います。在宅でも病院でも、心ある医療従事者は、
「これは
本当に本人のためになっているのだろうか」と自問自答し、最期を迎える方が穏やかな
時間を持つ事ができ、自分らしくいられる時間を過ごす事ができるよう、提供する医療、
看護のことを常に考えています。
それぞれのドラマを大切に
訪問看護ステーション
エルハートナースケア
私自身、終末期の在宅ケアとして、末期癌、老衰、呼吸器疾患などなど、幅広く経験
させていただきました。それぞれに本人の思いや家庭の事情があり、ひとつひとつにド
ラマがあり、どの方も忘れることなく心に残っています。
在宅でたくさんの方々の最期の場面に立ち会わせていただき、皆さまがそれぞれの形で
「命の大切さ」を私達に教えてくださいます。
滅多に考えることはないとは思いますが、死は平等に誰にでも必ず訪れます。
自分の最期をどこでどうやって過ごすかについて、真剣に考える時があってもいいので
はないかと、最近とても強く思うのです。
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
エピソード1
エピソード1
老衰の方のお看取り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この夏、90 代のある方が亡くなりました。
自宅で亡くなることが非常に難しくなったこの現在において、とても尊厳のある最期を
迎えられたと思っています。
それは、その方が今まで過ごして来た人生そのものと言っていいのかもしれません。
亡くなる前日まで、食事はおいしそうに自力で摂取し、娘さんの介助があったものの排
せつの半分はトイレで行っていました。最期の朝、娘さんと共にお風呂に入って、
「あり
がとう、お嬢さん、お世話になりました。
」と言葉を残し、意識が無くなりました。その
後すぐに私に電話があり、日曜日の早朝でしたが 20 分でかけつけ、訪問した時には、息
を引き取られた後でした。訪問診療の先生にご連絡したところ、あまりに突然の急変だ
ったので、電話の向こうで先生が絶句しているのを感じました。
利用者様は、私達に対して、いつも丁寧に接してくださり、訪問後には「ありがとうご
ざいました。ますますのご活躍を祈っています。
」とおっしゃるような粋な方でした。
病院から退院後、1 年以上に渡る介護で、娘さんの疲労の蓄積もあったのですが、
「ここ
まで介護してきたからには、最期は家から送り出してあげたい」とおっしゃっていて、
見事ご自宅からお見送りすることができました。
在宅での訪問看護を 10 年以上経験してきた私ですが、
最期の最期に言葉を残された方は、
お目にかかったことがありませんでした。その方らしい本当に粋な最期だったと思いま
す。
後日、娘さんがステーションにごあいさつに来られ、
「これからは、母の介護の経験を
生かし、私自身の人生を歩んでいきたいと思います。
」と晴れ晴れとした笑顔で手を振っ
て帰られたのが印象的でした。
★自宅で看取るということ・自宅で死ぬということ
エピソード 2
訪問看護ステーション
エルハートナースケア
エピソード 2
末期癌の方のお看取り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先日、60 代の方がお亡くなりになりました。癌を患い長いこと闘病されており、ご本
人様は、生きる希望を最後まで持ち続けていました。
私達は、週 3 回の訪問看護を通して、ベッド上で体を拭いたり、洗髪をしたり、むくみ
のマッサージを行ったりなどをしていました。気管切開をしているため、言葉を話すこ
とが出来ない方でしたが、ご家族も本人も先進医療を含め、癌に良いといわれることは、
いろいろ試してご病気と正面から向き合っていました。夏を過ぎたころ、残酷ながら、
癌の進行が勝り、全身黄疸が出てしまい、余命一週間と宣告されてしまいましたが、
それから一カ月以上も状態に変化無く、奇跡的だと医師から言われるほどで、寝たり起
きたりの日々ですが、大好きな落語のテープを聞いたり、テレビを観たりするなど、普
段通りに過ごされていました。しかしだんだんと胃ろうからの食事も拒否するようにな
り、少しずつ眠っている時間も長くなってきました。それからしばらくして、身の置き
所の無い痛みが出てき、モルヒネの持続点滴を開始し、痛みはゼロになり緩和されたも
のの、もう本当に余命数日程度と宣告されたある日、訪問すると、にこにこ出迎えて下
さり、ホワイトボードに「会えなくて寂しかったよ」と書いて下さいました。その表情
からは、癌を受け入れ、自分の運命を受け入れ、残された時間を穏やかに過ごしたいと
いう気持ちが伝わってきたように感じました。
ご家族には、これから起こり得るであろう旅立ちへの経過を説明し、ご家族が出来る
ことをお話ししました。聴覚は死の直前まで機能していること、意識はなくとも、名前
を呼びかけたり、感謝の気持ちを伝えたり、たくさん話しかけることで、反応は無くて
も伝わるということ、そして、手を握って、体をさすり、大切な人のぬくもりが感じら
れることで、安心して眠ることが出来、精神的にも落ち着き、癒されることをお話しし
ました。
亡くなる前日、訪問した際、お客様がいらしてて、皆でベッドを囲み、ご本人の周りで、
賑やかに昔話をしました。奥様との馴れ初めや、お子さんたちが小さかったころの思い
出話をしていると、血圧が 40 台でほとんど意識が無かったのに、うっすら目を開け、顔
をゆがめ、涙を流されました。翌朝、眠ったまま静かに息を引き取り、ご自宅で、ご家
族と一緒に最期の死後の処置をさせていただきました。大好きだった洗髪を行い、お元
気だったときに着ていたお気に入りのシャツとジーンズにジャケットをお着せすると、
「まるで今にも起きてきそうね。
」と娘さんの笑顔が見られました。奥様が「もう少し早
く治療を開始していたら、死ななかったかも。お父さんの運命だったのね。
」とおっしゃ
っていました。ご家族としては、こうしてあげれば良かった、あんなこともしてあげた
ら助かったのではないかと思うのは、当然の心理ですし、最愛の人の最期を受け入れる
のは、簡単なことではありません。何も考えられなかったり、ただただ辛かったりする
と思います。
でも決して、なにもできなかったわけではありません。こんなに穏やかなお顔で旅立た
れたということは、ご家族の力があってこそです。ご家族と共に病気と闘い、病気を受
け入れ、精神的にもご家族の介護が何よりの支えになったと思います。そして、数々の
素敵な思い出があるからこそ、穏やかなお顔で旅立たれたのだと思います。
訪問看護ステーション
エルハートナースケア