悲劇の王ゼデキヤ

悲劇の王ゼデキヤ
旧約単篇
列王記の福音
悲劇の王ゼデキヤ
列王記下 24,25 章(朗読 25:1-7)
列王記のフィナーレ。前々回の表題が「エルサレムの夕映え」でしたから、
今日の所はさしずめ「エルサレムの日没」でしょうか。かつてはソロモンの
栄華で古代世界に名を馳せたダビデ王家も、ゼデキアの処刑と共に没落して、
ユダヤ人にとっては殆ど信仰の対象になりかけたヤハヴェの神殿も灰燼に帰
します。ユダ王国の終焉と宗教の幻滅です。列王記はこれを民族全体の不信
仰と罪への裁きとして見るのです。
私はジョージ・ベックマンさんからは、旧約聖書は教えてもらいませんで
したけれど、音楽、特にイタリア・オペラについて多くの刺激を受けました。
学生時代に本や楽譜を貸して頂いたり、それに、伺った説教の中にもよくオ
ペラの話が出ました。その中でも特にお好きな曲目はヴェルディの歌劇「ナ
ブッコ」とお見受けしましたが、ナブッコといいますのは、ネブカドネツァ
ルをイタリア読みするとナブコドノゾル……略して“Nabucco”です。オペ
ラの第 1 幕はエルサレムのソロモン神殿の内部、列王記で言うとこの新共同
訳に「エルサレムの陥落」と標題がついている 25 章です。バビロンの王ネブ
カドネツァルに率いられるカルデア人の軍勢がどっと攻め入って来るところ
が第 1 幕のクライマックスになっています。音楽之友社の名曲解説全集によ
ると、「怒ったナブッコは神殿に火を放たせる。その劫火の中に毅然として
指揮をとるザツカーリア、焼け落ちる神殿のスペクタクルな場面で幕が降り
る」とあります。日本ではあまりやりませんけれど、一度は舞台を見たいな
と……テレビでも良いんですけれど……思っています。
このオペラは創作された人物もいて、例えばその燃え落ちる神殿の中から
救い出される人質の王女フェネーナとか……ナブッコの娘ということになっ
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ています。その人質に恋をして命を救う若者イズマエーレは王の甥という設
定でテノールですが、このヒーローのモデルは 25 節に出るイシュマエルでし
ょうね。列王記最後の頁では総督ゲダルヤを暗殺してエジプトへ逃げます。
序曲の前に印刷してある登場人物のリストではユダヤ王セデーチアの甥とな
ってますが、台本を書いた Solera の想像です。セデーチアはもちろんゼデキ
ヤのイタリア語読みです。第 2 幕は列王記とは関係がありませんが、面白い
ことにダニエル書 4 章から、ネブカドネツァルが一時的に精神異常になるく
だり、そして最後に理性が戻っていと高き紙を称えるという結末を織り込ん
でいます。
私たちが今日取り上げるのは、オペラでは顔を出さないゼデキヤなんです
が、その前にこの燃え落ちる神殿の場から 12 年さかのぼる B.C.597 年、ヨヤ
キン王の時の最初の悲惨な破壊の場面から読みます。24 章の 8 節の所に「ユ
ダの王ヨヤキン」という見出しが出ていますが、ヨヤキンとゼデキヤの関係
は前王ヨヤキンの方が甥で、カルデア人の傀儡に立てられる次のゼデキヤの
方がおじです。年寄りの方が利用し易かった訳ですか……。
8.ヨヤキンは十八歳で王となり、三か月間エルサレムで王位にあった。そ
の母は名をネフシュタといい、エルサレム出身のエルナタンの娘であった。9.
彼は父が行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。
10.そのころ、バビロンの王ネブカドネツァルの部将たちがエルサレムに攻
め上って来て、この都を包囲した。 11.部将たちが都を包囲しているところ
に、バビロンの王ネブカドネツァルも来た。 12.ユダの王ヨヤキンは母、家
臣、高官、宦官らと共にバビロン王の前に出て行き、バビロンの王はその治
世第八年に彼を捕らえた。 13.主が告げられたとおり、バビロンの王は主の
神殿の宝物と王宮の宝物をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが
主の聖所のために造った金の器をことごとく切り刻んだ。 14.彼はエルサレ
ムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにす
べての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧
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しい者だけであった。 15.彼はヨヤキンを捕囚としてバビロンに連れ去り、
その王の母、王妃たち、宦官たち、国の有力者たちも、捕囚としてエルサレ
ムからバビロンに行かせた。 16.バビロンの王はすべての軍人七千人、職人
と鍛冶千人、勇敢な戦士全員を、捕囚としてバビロンに連れて行った。 17.
バビロンの王はヨヤキンに代えて、そのおじマタンヤを王とし、その名をゼ
デキヤと改めさせた。
これが第 1 回のバビロン捕囚です。B.C.597 年。軍人と技術者を連れ去る
のは、私も 44 年前に満州で見ました。ソ連がシベリアへ連行したのですね。
でも昔のオリエントではもっと広範囲に、指導者や貴族、有力者……置いと
けば将来の禍根になりそうな人間を全部、根こそぎ大移動させて、とても帰
れないような地に植民させたものです。結局、政治的にも経済的にも再建不
能にするのが目的だったのです。今日ならたとえばソ連はアフガニスタンで
どんな方法を取ったか。中国はチベツトで何をしたか。人のことを言うより、
日本もアメリカも例に漏れないのす。罪を持った人間が変わらない限り、や
ることは同じです。「豹はその皮を変えようか」という言葉がエレミヤ書に
ありますが……(13:23)。
18.ゼデキヤは二十一歳で王となり、十一年間エルサレムで王位にあった。
その母は名をハムタルといい、リブナ出身のイルメヤの娘であった。 19.彼
はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った。
20.エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその
御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻し
た。
このあたりと平行するエレミヤ書の後半、21 章から後を読みますと、この
列王記の最後の 2 頁がもう少し詳しく描かれております。列王記のフィナー
レを読んだ勢いでエレミヤ書の後半をお読みになれば、とても面白く読める
と思います。エレミヤは迫り来る滅亡を、「あなたがたの罪に対する主の裁
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きとして受け止めよ。謙虚にバビロンの軛を負え。これは主の意志である」
と教えるのですけれど、ゼデキヤは南のエジプトを頼みに反旗を翻すのです。
こうしてエルサレムは完膚なきまでにたたき潰されます。
1.ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツ
ァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。2.
都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。 3.その月の九日に都の中で
飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、 4.都の一角が破られた。カルデア
人が都を取り巻いていたが、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁
の間にある門を通って逃げ出した。王はアラバに向かって行った。 5.カルデ
ア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いついた。王の軍隊はすべて
王を離れ去ってちりぢりになった。 6.王は捕らえられ、リブラにいるバビロ
ンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。 7.彼らはゼデキヤの目の前で
彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足
枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。
目の前で自分の子供たちが殺される所を見せられて、その恐ろしいシーン
が網膜に固定したままで、ゼデキヤは盲目になります。目をえぐられたので
すから、網膜も喪失ですけれど、メモリーには最後の入力として残りますね。
残酷です。ワープロでもそうですが同じ見出しでユーザー辞書に入れたもの
でも、最後に入れたものがいつでも最初に呼び出されます。これはワープロ
人間が感じ取るゼデキヤの痛みです。
この後、町の破壊と、そして第 2 回のバビロニアへの捕囚が描かれます。
日本軍がフィリピンで行った「死の行進」を思い出しますが、その何倍でき
かないくらいの距離です。エルサレムを出た全員が健康な体でバビロンのキ
ャンプに着いたとは考えられません。王はどうなったか? バビロンにたどり
ついて、間もなく死亡したものか。ゼデキヤの名は列王記の頁から忽然と消
えます。
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8.第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バ
ビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、 9.主の
神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、
火を放って焼き払った。 10.また親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍を
あげてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した。 11.民のうち都に残っていた
ほかの者、バビロンの王に投降した者、その他の民衆は、親衛隊の長ネブザ
ルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。 12.この地の貧しい民の一部
は、親衛隊の長によってぶどう畑と耕地にそのまま残された。
13.カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」
を砕いて、その青銅をバビロンへ運び去り、 14.壺、十能、芯切り鋏、柄杓
など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。 15.また親衛隊の長は、
火皿、鉢など、金製品も銀製品もすべて奪い取った。 16.ソロモンが主の神
殿のために作らせた二本の柱、一つの「海」、台車についていえば、これら
すべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。 17.一本の柱の高さは十八
アンマで、その上に青銅の柱頭があり、その柱頭の高さが三アンマ、柱頭の
周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。
もう一本の柱も格子模様の浮き彫りまで同様に出来ていた。
18.親衛隊の長は、祭司長セラヤ、次席祭司ツェファンヤ、入り口を守る者
三人を捕らえた。 19.また彼は、戦士の監督をする宦官一人、都にいた王の
側近五人、国の民の徴兵を担当する将軍の書記官、および都にいた国の民六
十人を都から連れ去った。20.親衛隊の長ネブザルアダンは彼らを捕らえて、
リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行った。 21.バビロンの王はハマ
ト地方のリブラで彼らを打ち殺した。こうしてユダは自分の土地を追われて
捕囚となった。
バビロンの王はこの後、ゲダルヤを総督に任命して占領地の治安を維持し
ようとします。私が北京で小学生のとき、北支派遣軍がやはり同じようなこ
とをやっていました。王兆銘という人を主席にして形だけの中国人の政府を
作ったものです。私は 6 年生でした。フィリピンではラウレル、満州では Last
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Emperor の傅儀さんでした。ゲダルヤもそういう不幸な人として利用された
のかとも思えますけれど、エレミヤ書の 40 章で預言者エレミヤの理解者とし
て協力しているところを見ると、この人はただの傀儡ではなかったのでしょ
う。国を思う心と、エレミヤと同じ信仰で民族の未来を見て、「今はカルデ
ア人に服して、神の鞭を受けよ。希望を 50 年後に見よ! 主は我らを捨て給
わない」、そう教えたのかも知れません。そのゲダルヤの悲劇的最期……。
22.バビロンの王ネブカドネツァルは、彼が残して、ユダの地にとどまった
民の上に、シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤを総督として立て
た。 23.すべての軍の長たちはその部下と共に、バビロンの王がゲダルヤを
立てて総督としたことを聞き、ミツパにいるゲダルヤのもとに集まって来た。
それはネタンヤの子イシュマエル、カレアの子ヨハナン、ネトファ人タンフ
メトの子セラヤ、マアカ人の子ヤアザンヤとその部下たちであった。 24.ゲ
ダルヤは彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデア人の役人を恐れて
はならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは
幸せになる。」 25.ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの孫でネ
タンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いて来てゲダルヤを打ち
殺した。彼と共にミツパにいたユダの人々もカルデア人も打ち殺された。26.
民は皆、上の者から下の者まで、また軍の長たちも、カルデア人を恐れて、
直ちにエジプトに出発した。
このレジスタンスの首領イシュマエルをヒーローに仕立てたのがヴェルデ
ィのオペラ「ナブッコ」ですが、実際のイシュマエルはオペラのようにはカ
ッコ良くはなくて、空しくエジプトに埋もれたのかも知れません。ヴェルデ
ィとソレーラがこの人物に民族の英雄を見てテノールのアリアをたっぷり歌
わせたのに対し、エレミヤ書の目は厳しくて、ゲダリヤ暗殺を「悪事」(41:
11)と断じています。エレミヤ書も彼が無事エジプトに亡命できたとは書い
ていなくて、途中アンマン人のもとへ避難するところで消えています。アン
マン人に殺されなかったとしても、せいぜいアンマン人の傭兵隊長くらいで
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終わったか……。これではオペラにはなりません。信仰の視点、霊的視点と、
人間の英雄主義・民族主義の視点の違いです。エレミヤ書は主の意志を見据
えています。
最後は 12 年前の捕囚で連れて行かれた前王ヨヤキンが、バビロンで名誉回
復されて王宮に迎えられるいきさつが語られます。おじのゼデキヤが目をえ
ぐられて、異郷に客死したのと比べますと、まだしも幸運とも言えます。で
も列王記上の 1 章から読んできた読者としては、ダビデ家の栄光、ソロモン
の繁栄が、結局バビロン王宮の「太鼓持ち」か道化師的存在になって、エビ
ル・メロダクに可愛がってもらっているラストは、いかにも寂しい感じで幕
になります。むしろ屍を野山にさらしている方がまだ潔い……というのは、
これは日本人の感傷でしょうか。ちなみに、ケンブリツジ注解のロビンソン
はこの幕切れの中に、私とは反対に一条の光を見ているようで、次のように
書いているのが印象的でした。
「ゲダルヤの物語はユダの情勢が絶望的なことを示している。(だが、こ
のヨヤキンの解放によって)編集者は次のことを指摘しているように思われ
る。つまり、バビロン捕囚に連れ去られたユダヤ人にとって希望があるとい
うこと、また、契約の民の将来はすべて彼らから生ずるに違いないというこ
とであった。」あなたの評価は……このフィナーレの評価ですけれど……。
27.ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の第十二の月の二十七日
に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに
情けをかけ、彼を出獄させた。 28.バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バ
ビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。 29.ヨヤキンは獄
中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなっ
た。 30.彼は生きている間、毎日、日々の糧を常に王から支給された。
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《 まとめと感想 》
この列王記という作品は、1 章はソロモン王の即位から始まっていました。
エルサレムの王の威光が神の祝福のシンボルであるとすれば、正に最高の所
です。それに神殿もそうです。
しかしこの下 25 章はエルサレムの最低の瞬間です。ソロモンの神殿は掠め
られて、焼き払われる。王は盲目にされてバビロンに連れ去られる。エルサ
レムの栄光ついに地に堕つ! 神の民としてのイスラエルが、罪の故に失敗に
終わった! でもダビデに与えられた主の約束はどうなるのか? 詩篇 89 の
テーマです。
まさにここの所で列王記は、預言書の希望とつながって行く訳ですが、そ
の主題をイザヤ書の 40 章から読んで終わります。
1.慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。
2.エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。
3.呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
4.谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
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神の民も失敗し、聖なる神殿も役に立たなかった後に、イエス・キリスト
によってその「神の民」「聖霊の宮」とされた私やあなたの中に、神は新し
い事業をお始めになったのであります。
(1989/11/12,交野)
《研究者のための注》
1.この 25,26 章に現れるネブカドネツァル王は、新バビロニア王朝の創立者(B.C.625)
ナボポラサルの長子ネブカドネツァル二世で、新バビロニアの最盛期を築いた。ネブ
カドネツァル一世は別の時代(1124-03)に属し、二世ほど重要でない。
2.ゼデキヤの時の祭司は、祭司長セラヤと次席祭司ツェファンヤ(王下 25:18,エレ 21:
1)の名が見え、この人たちはリブラで処刑されている。Solera の台本に登場する祭
司ザッカーリアのモデルは正典本文中には見られない。
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