決断 すべての責任をその身に負い、6,000人の命を救った男

好きです清和
鍛えられているから美しい
学校だより
№15
君津市立清和中学校
平成25年10月12日
文責
◇
日本のシンドラー
決断
杉原千畝
渡邉 由希夫
「命のビザ」◇
すべての責任をその身に負い、6,000人の命を救った男
第二次世界大戦中の出来事です。ヨーロッパでは、ナチスドイツがユダヤ人の大量虐殺を行っている最
中。そのような状況の中でたった一人で、約6,000人ものユダヤ人を救った日本人がいました。その
人の名は、杉原千畝(すぎはら ちうね)さん。そして、彼のもう一つの名前は「日本のシンドラー」。
シンドラーとは、映画「シンドラーのリスト」でも知られているオスカー・シンドラーのこと。シンド
ラーは第二次世界大戦中、多くのユダヤ人を救ったことで有名な人物です。
第二次世界大戦中、杉原さんは、リトアニアという小さな国の日本領事館領事代理をしていました。そ
の頃、ポーランドではナチスによる「ユダヤ人狩り」が激しくなっていました。ユダヤ人は、近隣のヨー
ロパ諸国に助けを求めますが、どこにも受け入れてもらえません。そこで彼らが考えたのが、ソ連から日
本を経由して第三国に逃れるという方法でした。
彼らの考えたルートは、列車でウラジオストクまで移動し、そして船で日本に上陸、その後、日本から
他国に移動するというとてつもない計画でした。
しかし、それには多くの問題がありました。それは「ビザ」の発行。彼らが助かるためには、日本の通
過ビザをもっていることが条件だったのです。
1940年7月、早朝、カーテンを開けると杉原さんのいる領事館の前に、ヨレヨレの服装をした老若
男女の人々(ユダヤ人)が100人くらい立っていたそうです。
杉原さんは、日本に「ビザを発行していいか」という電報を送ります。しかし、当時の日本はドイツと
の間に同盟を結んでおり、外務省はビザを発行することでドイツを刺激しない方針をとります。当然、外
務省の答えは「ノー」でした。
しかし、杉原さんは悩んで悩んだあげく、人道主義、博愛精神第一という考えから、命令に背きビザを
発行することを決意します。
そして、休む間もなくビザを書き続けます。手を痛めながら、1枚でも多く、一人でも多く、日々増え
続けるユダヤ人のために・・・・。
1ヶ月後、杉原さんがいるリトアニア領事館は閉鎖されることになります。それでも彼は出国までの間、
滞在先のホテルでもビザを書き続け、そして、リトアニアを出国する列車が発車するその時までビザを書
き続けたそうです。こうして、彼の書いたビザは2,000枚以上。家族や子供を含むとビザを受け取っ
たのは6,000人以上とされています。
こうして、様々な苦難、困難を乗り越え、ユダヤ人たちは日本の福井県敦賀市にある敦賀港に辿り着き
ます。「敦賀の町が天国に見えた。」そうです。
その後、彼らは上海、オーストラリア、アメリカ等にたどり着き、後にイスラエルを建国します。
さて、杉原さんはその後どうなったと思います? 杉原さんは、ヨーロッパで収容所生活を終え、19
47年に無事帰国します。しかし、外務省に出向くと「君のポストはもうないのです。退職していただき
たい。」と勧告されます。いわゆるクビになり、路頭に迷うことになります。47歳の時の出来事です。
晩年、杉原さんはこう言っています。「命令に背いたことは、外交官としては間違ったことだったかもし
れない。しかし、私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにはできなかった。大したことをしたわけでは
ない。正しいと思うことをしただけです。ただ、どうしてあと一日早く決断できなかったのかと。そうし
たらもっと多くの人が助けられた。それだけが心残りです。」1986年 杉原さんは永眠します。それか
ら14年後、2000年10月 日本政府は公式に杉原さんの名誉回復を発表します。
イスラエルにある杉原さんを讃える記念館には「記憶せよ、忘るるなかれ」という言葉が刻まれている
そうです。2011年3月11日、東日本大震災が発生し、地震と津波による甚大な被害が世界中に報道
されるや、内外のユダヤ人社会から、第二次世界大戦時にユダヤ難民の救済に奔走した杉原さんの事績を
想起すべきとのアピールがなされたそうです。
イスラエルの有力紙『エルサレム・ポスト』は「在日ユダヤ人共同体が協力し、すべてを失い窮状にあ
る人々の救済を始め、日本への募金のための口座を開いた」と報じました。
また、米国のユダヤ人組織は、「1940年、杉原領事夫妻は身職を賭して通過ビザを発行し、6,00
0人のユダヤ人の命を助けて下さった。いまこそわれわれがその恩義に報いるときである」と。杉原さん
の「命のビザ」の精神は、73年たった今もなお助けられたユダヤ人たちに受け継がれているのです。
すごい日本人がいたものです。みなさんもこれから、重大な決断を求められる場面に出会うかもしれま
せん。そのような時に冷静に判断し、自分の信念に従い正しい決定ができたらすばらしいと思いませんか。