あなたがたはわたしを何者だと言うのか

年間第 21 主日(Lectio Divina A 年)
8 月 24 日 年間第 21 主日
あなたがたはわたしを何者だと言うのか
マタイによる福音書 16 章 13 ~ 20 節
13
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者
だと言っているか」とお尋ねになった。14 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エ
リヤだ』と言う人もいます。ほかに、
『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
15
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」16 シモン・ペトロが、
「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バ
ルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
18
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力も
これに対抗できない。19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上
でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」20 それから、イエスは、御自分
がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
他の朗読:イザヤ 22:19 ∼ 23 詩編 138:1 ∼ 3, 6, 8 ローマ 11:33 ∼ 36
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イエスの時代の多くのユダヤ人は、イスラエルを圧政から解放し、地上に神の国を築くメシア、あ
るいは油注がれた「王」を遣わすという神の約束を信じていました。これが実際にどのように成就さ
れるのかはっきりしていませんでしたが、新しい王は確かに、ヘロデ、ローマ当局そして最終的には
皇帝にも脅威になっていたことでしょう。
この革新的な話題を弟子たちと議論するために、イエスは遠くの町、イスラエルの北東地方にある
フィリポ・カイサリアを選びます。イエスは、「人々は人の子のことを何者だと言っているか」と聞
くことにより、間接的にこの質問をします。人々は、イエスは、洗礼者ヨハネやエリヤやエレミヤと
同じような、ある種の預言者だと思っていますが、確かではありません。それでイエスは、弟子たち
はどう考えているかを尋ねます。
ペトロは、イエスは「メシア、生ける神の子です」と答えます。イエスは、御父が彼にこの秘密を
現したのだと告げて、ペトロをほめます。この告白をする中で、ペトロは神が油注がれた新しい王に
忠誠を誓うことを宣言しているのです。しかしながら、「生ける神の子」という称号はメシアという
言葉を補った旧約聖書の言葉であるということに注意する必要があります。ペトロが返事をしたとき、
ペトロ自身は「神の子」が神性を持っていた、あるいはイエスが三位一体の中の 1 人であることは理
解していなかったでしょう。
それからイエスは、ペトロがイエスの新しい御国の人々、すなわち教会の礎になるであろうと宣言
します。神が選んだ王に忠誠を誓うことを宣言する、この新しい共同体の人々は、正にこの弟子たち
から始まるのです。
イエスは、陰府の力もこの新しい共同体の人々には対抗できない、と宣言します。イエスはまた「天
の国の鍵」とも呼ばれる権能を弟子たちに与えます。そして最後に、しばらくの間はご自分がメシア
であることを誰にも話さないように命じます。
Meditatio …黙想する
弟子たちは、イエスがメシアであると明らかになった後で、どのように感じたでしょうか。彼らの、
年間第 21 主日(Lectio Divina A 年)
イエスに耳を傾ける姿勢は変わったでしょうか。使命はより危険な状況になりました。イエスは確実
にヘロデやローマ人たちと衝突する方向にあったからです。
誰もが、
イエスの「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という質問に答えなければなりません。
あなたの答えは何ですか。
人間的な欠点があっても、教会の礎としてイエスはペトロを選びました。このことから私たちは何
を学ぶことができますか。
あなたは教会と、神が教会に与えた権能についてどう思いますか。あなたは、喜んで権能を受け入
れますか。あなたは、それを神の方法で行っていますか。
Oratio …祈る
イエスに対してのより深い知識と愛をくださるように、神に願いましょう。教会共同体の中で、あ
なたが自分の役割を果たすのを助けてくれるように神に祈りましょう。
Contemplatio …観想する
ローマ 11 章 33 ∼ 36 節をよく黙想してみましょう。
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解
し尽くせよう。
『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。
だれが主の相談相手であっただろうか。
だれがまず主に与えて、
その報いを受けるであろうか。』
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にあ
りますように、アーメン。」