講演内容 - 山梨総合研究所

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第3回 環境・健康ビジネス研究会
2015 年9月8日(火)16:30~18:30
山梨総合研究所 6F会議室
テーマ1.エコノミストにはわからないギリシャ危機
講師:広岡裕児氏(ジャーナリスト)
 ギリシャの国民生活
EU、ECB(欧州中央銀行)それにIMFのいわゆるトロイカはギリシャ支援の条件として、
ギリシャ政府に緊縮財政を強いたが、2010 年から始まった緊縮財政により、国民生活は悪化の一途
をたどっている。2010 年では、ギリシャ人の年間家計収入の中位値は EU15 カ国の 68%程度であっ
たが、2013 年には 46%に落ち込んでいる。
2010
2011
2012
2013
2014
ギリシャ
11,963
10,985
9,460
8,377
EU15カ国
17,637
17,638
18,267
18,219
7,680
図表-ギリシャの世帯年間収入中位値(社会保障移転後)
(出典)Eurostat
失業率は 2014 年には 27.2%、25 歳から 29 歳では 41.1%、15 歳から 24 歳では 51.5%と若
者雇用の場がない。以前は公務員の雇用で吸収したが、公務員の整理も進められ、そこから出た失
業者を吸収できる民間の力は全くない。民間でも倒産、解雇が続出している。そのため、ドイツなどに
職を求める若者もいるが、手に職を持たない、会話もできない人はつらい。
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2014
8.7%
7.8%
8.8%
10.8%
15.1%
21.5%
26.8%
27.2%
図表-ギリシャの失業率(各年 1 月現在)
(出典)Eurostat
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 債務危機の発生
ギリシャを始め、スペイン、ポルトガル、イタリア、アイルランドの国債が急落し、ユーロ解体と騒がれた
2010 年の欧州債務危機は、2009 年 10 月ギリシャの政権交代を機に、新政権が、前政権のEU
への報告(財政赤字、累積債務)に誤りがあると発表したことから始まった。
1999 年のユーロ発足時、債務残高 GDP 比 60%以下、財政赤字比3%以下の基準を満たせ
なかったギリシャは、翌 2000 年に単年度財政赤字2%、債務残高 106.1%の特例でイタリアが合
格したのを受け、翌 2001 年にイタリアと同程度の申告をしてユーロ導入が認められた(ただしこの数
値は粉飾されていた)。ドイツ、フランスの銀行は、ユーロ建てで利回りの良いギリシャ国債を購入し、
企業、住宅ローン、消費者ローンに貸し付けた。2004 年のオリンピック開催によってバブルが膨らみ、
2008 年のリーマンショックでバブルが崩壊した。
そこに、EU への報告のゴマカシが発覚したしたため、マスコミ、大手投資銀行は国債デフォルトを煽
って、市場はパニックに陥った。2012 年の秋、欧州中銀が危機に陥った国債を無制限に市場で買い
支えるという総裁の発言で、ギリシャ債務危機は一応収束した。
図表-ギリシャ GDP の変化
(出典)http://www.gr2014.eu/fr/greece/greek-economy
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ところが、2015 年には IMF などへの債務返済期限が近づく中、EU、IMF、欧州中銀とギリシャ国の
間でつなぎ融資といった支援計画を巡っての交渉が続いた。6 月 22 日、ギリシャが提案した改革案
は図表の通りである。「税制改革」、「年金改革」、「企業利益税改革」などが列記されている。この
提案に対し、トロイカは 50 万ユーロ以上の企業利益への 12%の特別課税、VLT(インターネットカジ
ノ等)への課税、4G、5G 通信認可料を拒否した。チプラス政権の企業増税案を拒否する一方
で、年金、社会保障の減額や付加価値税を上げるように提案した。周知のように、トロイカの提案を
巡って国民投票が実施され、反対多数で否決された。GREEXIT(ギリシャのユーロ離脱)が一時期騒
がれたが、ギリシャ国民はユーロ離脱は経済破綻にいたるために、厳しい緊縮策を受け入れるほかな
かった。
2015 年 8 月のギリシャ支援合意の中で、会社が倒産した場合、管財人は従業員の未払い賃金
よりも、銀行への返済を優先することになった。現代社会の富の源泉は人の労働ではなく、資本であ
るから、銀行を優先して守るのである。グローバル化した資本主義社会では経済成長によって、庶民
の生活が向上することはなくなった。欧州では経済合理性からも、国境を越えて労働力を求めること
が出来るようになった今日、労働の社会的ダンピングが起きるのは当然だからである。
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図表-6 月 22 日のギリシャ提案(×はトロイカが拒否した項目)
 難民問題
ヨーロッパ諸国では、経済成長期には、労働力として生活水準の低い東南欧やアラブ諸国からの
移民を求めてきたが、経済的格差、社会的な疎外、移民排斥事件などを生み出してきた。
2015 年の EU はシリアからの難民問題が社会問題として全面に出てきた。難民・移民の 80%はギ
リシャ・イタリア経由であり、2015 年上半期では、ギリシャ経由 68,000 人、イタリア経由 67,500 人と
昨年の 83%増となっている。これに IS に共鳴した無差別テロなども発生し、EU 各国は難民の受け入
れを渋るようになっている。必要な移民・難民の受け入れは経済界にとっては経済的合理性を持つも
のの、政治的にはますます困難になっている。
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図表―難民・移民
(出典)frontex
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テーマ2.香港の都市の発展とハウジング施策
講師:小畑晴治氏(日本開発構想研究所理事)
 香港の都市化
香港は人口約700万人。アジア有数の観光地で、年間訪問客数は約 2,500 万人である。
H26年の香港から日本への訪問客数は 93 万人、人口比では第1位となっている。
香港発展の歴史は、日本の幕末・明治維新以降と重なり、アヘン戦争で勝利した英国が植民地
化した 1842 年当時は、数千人の寒村であった。英国人は香港島北西部の九竜半島を見渡せるビ
クトリアピークの丘に総督府の施設や居留地を建設した。貿易中継基地としての役割が重要になる
につれ、中国本土から移民が流入し、10 年後の 1853 年には 4 万人、1881 年には 16 万に、1931
年には 85 万人に達した。
 スラム対策としての集合住宅の大量建設
第 2 次大戦後は、中華人民共和国の「竹のカーテン政策」で貿易が急減し、中継貿易も伸び悩
んだが、中国の大量難民によって中心市街地周辺にスラムが形成された。大火災で多くの犠牲が出
たため、1953 年に総督府は中~低所得者向けの集合住宅の大量建設に着手した。また、「難民ア
パート」を建設し、福祉施策を実施した。
香港では、公共賃貸住宅が中堅市民の都市居住に大きな役割を果たしてきたという評価がある。
他方、1980 年代になると、サッチャーやレーガンの新自由主義の行革が始まり、世界の公共住宅政
策に影響を与えていった。
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 少子高齢化対応の団地再生
1990 年代以降も香港の経済成長は目覚しく、1997 年 7 月の「返還」とほぼ同時に発生した「ア
ジア通貨危機」を乗り越えた。超高層の民間マンション建設が急増し、公共賃貸団地の役割が低下
していくように見えたが、公共賃貸団地は少子高齢化対応の団地再生を実施している。その方針は
以下の通り。

単身向けに 40,000 戸以上を 1994 年から 5 年間供給する。今後の高齢者住宅供給は
単身用住戸で行われるべきとの方向を選択。

なれ親しんだコミュイティの外の施設ではなく、「コミュニティの中でのケア」を最優先する。家族
ケアの伝統習慣を勘案する。

高齢者のニーズは民間市場でまかなうべきとの政府の考えを勘案しつつも、公的賃貸で優
遇し、不十分な民間住宅の改善を促す。

高齢者の多くが単身、もしくは他の高齢者と一緒に暮らすことになると、コミュニティ支援ニー
ズが増大することに配慮する。
 日本の団地再生へのヒント
香港の郊外団地の視察体験から、以下の点に関心を覚えた。
① 公的賃貸住宅団地が、周辺を含む地域の交通や商業・医療福祉の核として機能している。
賃貸団地の周辺に上流層向けの民間分譲マンションが開発されている。
② 主要鉄道路線から離れた団地群のエリアにLRTが敷設され、停車場の隣接地に商業
施設(生鮮食料品・雑貨、レストラン、ブランドショップ)が整備され、買い物難民がいない。
LRTがない団地群では中心市街地拠点を結ぶ 2 階建てバスを走らせている。
③ 団地内には、幼稚園・保育園、「青年空間(相談センター、中高生プラザ)」が設置され、
「安老院(デイケアセンター)」、「護老中心(高齢者支援センター)」が団地内各所に
設けられている。
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団地群の中を通るLRT
護老中心(高齢者支援センター)
団地
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