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明治5年博覧会資料について
資料紹介
明治5年博覧会資料について
橋本
唯子*
はじめに
1.博覧会をめぐる概況
2.出品一覧からわかること
3.その後の博覧会
おわりに
はじめに
さまざまな産物や文化財を集めて展示を行い人々に公開する催し物の源流は、江戸期の物産会にあ
る。これは本草会・薬品会とも称し、自然物を一堂に会して知識の交流とともに庶民への啓蒙を行う
ものであったが、時代を経て見世物化するなど、次第に意義を失っていくとされている1)。
一方、近代の本格的な博覧会の嚆矢は、明治5年(18
72)3月、湯島聖堂で行われた文部省博物局
主催のものであるとされる。その後全国的にも広がり、京都2)や金沢3)などでも行われているが、福
井でも明治5年6月に開催されており、これが「東西京(東京および京都―筆者注)
」の博覧会を踏
まえて開かれたものであることが資料から明らかとなっている4)5)。研究史では、明治1
0年以降5回
にわたって行われる内国勧業博覧会についての検討は比較的多くなされているが、その前史にあたる
博覧会については議論が十分に尽くされているとは言い難い。また資料の残存状況も断片的であり、
詳細は不明である点も多い6)7)。
今回、この福井の博覧会にどのようなものが出品されていたか、上田重兵衛家文書の資料(K00
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1)と山内勘兵衛家文書の資料(J0094‐00631)をつなぎあわせることによってほぼ全容が判明
したため、本稿ではこれらを紹介することとする。これによって第一回内国勧業博覧会開催へと続い
ていく博覧会のあり方を考察するとともに、このような博覧会が福井の産業振興にどのような影響を
もたらしたかについて検討したい。
1.博覧会をめぐる概況
博覧会については、大久保利通が建言して第一回内国勧業博覧会が開催されたことが知られている
が、大久保は建言のなかで、博物館(明治8年に博覧会事務局を博物館と改称している)について、
「古今ノ物品ヲ一場ニ蒐集網羅シテ」陳列し、
「普ク衆人ノ縦観ニ供シテ智見ヲ拡充シ技芸ヲ開達」す
*福井県文書館古文書調査専門員
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るものであるとしている8)。
一般的な博覧会のイメージは、今日の
万国博覧会に通じるような物見遊山的な
「文明開化」の一環として想起されるが、
大久保が立案した内国勧業博覧会におい
ては外国の輸入品を出品せず、原則とし
て国内の物産に限定していることが特徴
である。大久保は殖産興業を目的とし、
将来的には海外への輸出に堪えうる製品
を生みだすことをもって博覧会の開催を
企図していたといえよう。また内国勧業
博覧会には、後述するようなそれ以前の
博覧会に多い骨董品類の出品を排除して
いる。ここに大久保の、産業を奨励する
写真1
「(博覧会開催ニ付書付)」
(片岡五郎兵衛家文書 A0027‐10066)
明治6年に福井東御堂(東本願寺別院)において博覧会を開催する
よう依頼があった旨が記されている。明治6年の博覧会についての
資料はほかになく、詳細は不明である。
意図が確立しているといえよう。
ただし、大久保の思いに反して、博覧
会が当時の人々の間に浸透するには時間
が必要だった。たとえば仏師高村光雲は、
第一回内国勧業博覧会への出品を依頼された師匠が、どのようなものを製作すればよいか困惑しつつ
も、弟子である幸吉(光雲)に製作を託したようすを伝えている9)。
このように、明治1
0年の段階でなお博覧会の意義が十分理解されていない状況であったことを考え
ると、それ以前の博覧会が人々に好奇の目で迎えられたことは想像に難くない。また入場者のみなら
ず、主催者側においてもそれは同様である。福井県文書館に寄託されている資料には、明治6年に福
井で計画された博覧会について記した部分にルビがふられていることがわかる(A0
027‐10066)。ま
た出品一覧からみても、明治5年の福井博覧会は、油桐や奉書紬といった特産品や地場産業にかかわ
るものよりも古鏡や絵巻物などといった類が多く、その点では内国勧業博覧会に結実するような殖産
興業の役割を担っていると明言できる部分は少ない。しかしながらそれらが近世的な産業振興の意識
と連続しながら、
「博覧会」という聞きなれない名称のイベントとして新たな時代の息吹をもたらし
たことは重要である。資料によれば、この博覧会は6万人強という多くの観覧者を呼び込んだ。これ
だけの集客のために、当時どのような手段で広報されたのかは不明だが、この一大行事が人々の間に
肯定的に受容されたことがうかがえよう。
2.出品一覧からわかること
ここで明治5年に福井で行われた博覧会についてみてみよう。まず開催の目的は、注4)の資料か
ら、以下のとおりである。それによると東西京で行われた博覧会は盛大であったが、当管内から会場
に赴いたのは「万分ノ一ニモ不及」ので、
「澳国博覧会(明治6年開催のウィーン万国博覧会―筆者
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明治5年博覧会資料について
注)エ御差出ニ相成ル当国所産ノ物品御取調ノ席」で申し合わせ、
「御管内所有ノ物品寄セ集メ此会
ヲ設ケ博覧ノ一斑ヲ示シ聊カ智見ヲ開キ文明ノ世ニ報」るためであった。ここから、ウィーン万国博
覧会出品を契機に福井での博覧会が計画されたことがわかる。ウィーン万国博覧会では、機械などの
先端技術では対応できなかった明治初年の日本が、逆に欧米では珍しい日本固有の古美術品を重視す
ることによって、その文化的価値をアピールした10)。ここから、福井博覧会に古器類が多くなったこ
とが推測されよう。
出品物は、第一号から第九号まで区分されている。その分類は、たとえば大久保が建議書で示した
ような明確なものではなく、またその分類表が残存していないため詳細は不明であるが、大まかに分
けると第一号は石造物や奇石、第二号は木製物など、第三号は陶磁器や工芸品、第四号は銘菓類、第
五号は医療品、第六号は糸製品、第七号は舶来珍品、第八号は歴史的事物、第九号は自然物の珍品と
いったものである。
出品一覧からとくに注記すべきものを掲げると、次のごとくである(出品物の表記は資料の記載に
よった)
。
・蝦夷アツシ織杼
アツシとはアイヌ語「アットゥシ」であり、オヒョウなどの木の内皮の繊維を織ったもののこ
とである。杼とは別名シャトル、織物を織る際に経糸の間に緯糸を通すため使用する道具のこと
である。出品者久貫吉郎平については今のところ詳らかとならないが、北前船の交易によって蝦
夷地からアットゥシがもたらされている例があり、また蝦夷人物図も同人による出品であること
から11)、北前船主もしくはそれにかかわる人物であることが推測される。
らんじゃ
・蘭麝酒
蘭麝酒は現在も青木蘭麝堂で作られている健康酒である。他地域にも販路は広がっていたよう
であり、たとえば年代は不明だが、
「越前東郷青木醸造蘭麝酒愛知郡特約販売(中略)一久商店」
と記された引札が滋賀県内に残っていることがわかっている12)。
・キンストレーキ
これは医学所「済世館」のキュンストレーキ(紙製人体解剖模型)のことと考えられ、現在福
井市立郷土歴史博物館に男女2体が残されている。フランスの解剖学者オズー作とされ、日本に
現存するのは金沢大学に1体、長崎大学に1体の計4体のみとされている。女性体は明治2年
(1
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69)に購入されたものと伝えられていて13)14)、この博覧会の呼び物の一つとなったといえよ
う。
出品者名にある、
「沈木獅子彫」を出品している志摩雪齋とは、志摩乗時の弟子にあたる島雪斎の
たいまい
ことである15)16)。また!瑁亀・朝鮮古菓子器・文徴明書双幅を出品している三崎玉雲は、福井藩の侍
医を務めた時期もある医業を修める家柄の人物である17)。
このほかにも出品者として記されている人物の多くは、士族もしくは地方名望家であり、出品物は
彼らのコレクションであるケースも想定される。その意味では、個人の収集品を展覧する江戸期の物
産会に近い側面もあるが、同時に第六号では糸製品が出されていて、その出品者の多くはコレクター
ではなく製造者であると考えられる。このような点に福井におけるその後の繊維業勃興の端緒をみる
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ことができる。
3.その後の博覧会
博覧会の推移について簡単に述べておきたい。明治初年の福井においては、明治10年にも同様の博
覧会が開催されたことがわかっている18)。また明治11年には、御泉水邸庭園(現・養浩館庭園)を公
じゅすいえん
園として開放した「聚翠園」開園に際して展覧会を開いている19)20)。
内国勧業博覧会は国内各地で開催されたが、明治36年(1
903)の第五回(大阪)を最後として、明
治という時代の終焉と軌を一にするように役割を終えた。それに代わるように、共進会・品評会とい
った名称で、より専門性の強い分野に特化した催し物が多く行われ、それらが産業振興において一定
の役割を果たしていく。また万国博覧会は、たとえば戦後の大阪万博に代表されるように、パビリオ
ン型の集客を第一としたものとして定着し、今日私たちが思い描く「博覧会」のイメージを作り出し
ているといえよう。福井では、大正期に松平試農場で農産品評会が行われるなど21)、特色あるイベン
トが多く開催されている。
ところで、福井で「博覧会」という名称の最も印象深いものは、昭和27年(1
952)の復興博覧会で
あろう。これは、戦災と福井地震という大きな災禍からの復興をスローガンに開催されたものである。
多額の赤字を生む結果となったことなど、課題を多く残したが、一面では「繊維博」という別名を掲
げたように、福井の地場産業・繊維業を内外にアピールしたものである22)。
おわりに
福井で行われた明治5年の博覧会は、翌年開催されるウィーン万国博覧会などを背景に、古器珍品
を陳列して集客をもくろむ傾向が強かったとはいえ、福井ならではの名産を意識し、またそれらを内
外に知らしめるという役割において一定の成果を得たといえよう。地域の特殊性を評価し、それを広
報していくといった手法は、現在の地域ブランド化事業に通じる概念である。福井県では、
「ふくい
ブランド」と銘打って地域産業の活性化を目指しているが23)、それらの萌芽がすでにあった点を評価
する必要がある。このように第一回内国勧業博覧会以前の博覧会は、近世的な物産会の様相を持った
過渡的なものとする評価が一般的であるが、それらが果たした役割については未だ検討不足であると
言わざるを得ない。これらを克服する今後の課題として、新規資料のさらなる発見が求められる。
加えて第一回内国勧業博覧会以前の博覧会の出品目録をみることによって、各地で催された博覧会
に、福井から出品されている形跡があることがわかる。たとえば明治7年に開かれた金沢博覧会には、
三好助右衛門が、福井博覧会にも出品している宮本武蔵画山水双幅ほか9品を出しているが24)、これ
らがどのような経緯で依頼されたのか、またそれ以外の博覧会への出品の有無など、博覧会をめぐる
ネットワークのあり方については今後の研究を俟ちたい。
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明治5年博覧会資料について
以下翻刻にあたって、使用字体は原則として常用漢字
奇石 三品 斯波氏
を用いた。
馬糞石 富田
万余粮 妻木氏
上田重兵衛家文書(K0
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銀鉱石 川口治右衛門
博覧会 壬申六月十一日ヨリ同二十日マテ
朝□石 片山平三郎
足羽県下 東本願寺掛所
白□英 八木治助
南蛮鉦 竹内謙介
第一号
古銅獅子香炉 安田十平
蝋石彫孔子古像 学校
古銅鈬 岡部弥右衛門
木彫関羽古像 孝顕寺
古銅床置 吉田喜十郎
同 黄石公像 池田作平
紫銅大香炉 牧野
□□孝子像 諸耕平
□屐 空念所帯 東郷孝七
宜徳文昌星像 柿原喜楽
鉄扇 高田屋藤三郎
木彫八丸古像 正玄五郎三郎
古銅灯籠 竹内庄平
摂州国分寺瓦 松平氏
喚鐘 諸新平
交趾同 佐々木三蔵
孔雀石 山田十郎太郎
青磁同 慶松
鉄双□ □田土三郎
□老木像 相阿弥作 長谷川市郎平
紫石硯 勝沢氏
文殊像 高泉伝来 宝蔵寺
古硯 半井氏
蛭子 斑鳩作 鏡屋市右衛門
水晶硯 天井甚七
養老 同作 三宅屋丈太由
高尾硯 米屋保蔵
霊昭女 雲慶作 片山平三郎
松根石硯 赤尾勘七
芭蕉翁 許六作 青柳九左衛門
埋木硯 勝沢氏
布袋古木像 三崎氏
東福寺古瓦硯 松枝作蔵
瀬戸助作自像 酒井氏
東山石用作硯 楠屋喜左衛門
天然木獅子 板屋甚七
半鐘形硯 中島十郎平
□ 龍虎 石田村高島
海馬 大谷屋喜介
古木狛狗 大虫社家
乾方鰒 山本氏
霊芝如意 室屋与三郎
同 小判魚 秋田屋彦三郎
松子毬 一枝 天井勘七
同 山椒魚 小島吉右衛門
竹紋石 岩本屋喜平
同 白花蛇 高橋庄吉
磁石 金屋健治郎
同 海蛇 孫治郎
達□石 山本平太郎
魚虎 石原虎雄
陰陽石 三好市太郎
海草根 長五尺許 室屋与三郎
名石 数品 小島春庵
ヤガラ魚 松平氏
鍾乳石 横山小湖
瀬戸助作茶碗 同
!石 勝沢氏
古唐津履形建水 近藤円七
天然山字石 山田五郎兵衛
青磁経筒 坂井太之介
□化石 広田
大宰府古瓦 石原友之介
信夫石 戸田弥太郎
古銅印 小川孫三郎
大湖石 片山平三郎
高麗履 正山豊六
鈴石 富田亭治郎
紙工菓物 五木屋忠蔵
松皮化石 妻木
躑躅古鞍 治郎平
亀甲石 竹内謙介
一節切苗 馬来田氏
撫牛石 駒屋羽江
凝水乳石 三輪伊助
燕石 奥村
赤狼毫 鷲田直
大黒石 蛭子石 小川孫三郎
石山本願寺瓦 八木治助
□石 矢根石 馬来田氏
箒架千余年物 奥村
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海柳 発坂屋喜平
交趾獅子香炉 同
猿胎子 川端甚右衛門
唐物座屏 東郷孝七
山姑髪毛 斯波
蝋石細工八曲座屏 松平氏
$羊角 加藤修輔
麦藁細工座屏 布目五郎平
鉄樹 柘植氏
無柱橋雛形 大工安右衛門
古代神酒器 大虫社家
琉球蒔絵盆 三好市太郎
蝦夷アツシ織杼 久貫吉郎平
麋角 平田太平
瑠璃筆筒 楠屋嘉左衛門
千年竹 茗荷村三助
古墨 三崎氏
天狗ノ爪 馬来田氏
第三号
馬面 馬鎧 木村氏取次
乾鯱 今立氏
笈形卓 白挽香炉 華蔵寺
犀角馬上杯 大月氏
沈木獅子彫雪齋作 志摩雪齋
雲丹貝香合 山田十郎太郎
木馬 布袋像 同
唐彫竹文凾 川口太右衛門
売茶翁像 同
朝倉家物扠子 心□寺
香木 銘龍涎香 浄明寺
茶碗木椀 同
百万塔 松平氏
唐彫竹筆筒 東郷孝七
青磁香炉 勝沢氏
!瑁亀 三崎玉雲
古鏡 七ッ屋清十郎
同 上田氏
同 竹内謙助
第二号
同 雌雄 三村屋平次郎
小紋石 楞□寺
□中村甚平
鯨白骨 耳骨 榎並氏
□仝皮 片山平三郎
頭骨 眼珠 同
茄子柄豆柄太鼓胴 橘氏
蜂集木古額 多喜田氏
一角 大月氏
"#眼古額 山崎屋利作
亜墨利加大麦 試験 河野次郎右衛門
水晶% 朝倉彦三郎
フロイセン小麦 同 同
瑪瑙% 大谷寺
古□万里焼大徳利 竹内庄平
対生竹 平泉氏
交□茶壷 宮川力三郎
銀杏木乳 吉野屋治三郎
同信楽焼 並瀬戸焼 金津屋佐久助
亀甲竹 赤尾勘七
同朝鮮焼 同
天然木□□ 松野太郎平
同瀬戸 酒井氏
山水鏤竹 朝倉彦三郎
蒔絵花紙台 松平氏
三叉竹 天井甚七
□蝋燭 大月氏
古銅大花瓶 東郷孝七
□鮮古菓子器 三崎玉雲
堀部安兵衛鎗 忠見伝三
丹生郡大虫村産金砂 山西多右衛門
同吉良氏邸宅図並連署趣意書
上田無腸涼炉 七ツ屋清十郎
同贈忠見氏遺書
造扇機械 高田屋藤三郎
庵守□添一巻書 九郎右衛門
□大黄花活 高一尺二寸八分 廻二尺八寸六分 浜屋
武林唯七鎗 輪違弥一郎
安五郎
本多作左衛門甲冑 丸岡旧藩
古代瓦缶 広瀬四郎左衛門
同夜討甲冑 鎖衣 同
蒔絵大杯 寺崎孫四郎
桑切大庖丁 白山麓牛首村
鉄刀木蒔絵硯箱文台 松平氏
亀甲形木 寺崎孫四郎
□蒔絵刀掛
池大雅書屏風一双 中川治郎八
鶉籠形蒔絵重箱
頼三樹書屏風同 柿原喜楽
紫檀蒔絵硯箱 朝倉彦三郎
古洋画麝香狩図屏風 杉田氏
蒔絵鞍伊賀乗吉作 柿屋外吉
沈金彫卓 長谷川市郎平
相生竹花活 児玉孫左衛門
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明治5年博覧会資料について
鯨肉 青木万貞
元結 数品 片山平三郎
髑□杯 伊藤但一郎
鳥白鉈鞘 陽報会社
光琳自作重箱 山田五郎兵衛
島木綿 甚左衛門
雷神伝来柄香炉 法興寺
白木綿 二品 長畝村
富士形置物 青木万貞
島木綿 二品 奈良屋清与門
明代赤絵香炉 梅田伝兵衛
素麺 丸岡堀幸助
□ラノ木 道丸卯左衛門
同三品 鶴屋安兵衛
□喜瓦缶 河野次郎右衛門
綿帽子 陽報会社
行基自作壺 心月寺
生絽 粟田部産 小川屋喜三郎
宗和作茶扠 広善寺
鎌研砥 大野産 陽報会社
丁子風炉銀釜附 吉田喜十郎
栢石大野牛ヶ谷村産
黒檀蒔絵食籠
緑青石 勝山産
書院錺象牙細工
茶 十三品 金津屋佐助
蒔絵煙草盆 岩井吉右衛門
白山這松 大野会所
自指時計盤 小川平吉
煉化石 笏谷製
鴻齋作印匣 志摩吉三郎
信夫石 大谷村 大野会所
□象牙根付 島田祐三郎
花紋石 同
竹彫食籠 七ッ屋清十郎
白山産硫黄 牛首村
火浣布
檜笠雪沓 陽報会社
馬脳細工物 二品
藁草履 大野産 金塚村
測量儀 白崎露岸
蓑 同 木根橋村
蛇払 陽報会社
第□号
蒲田蓑 大野郡 中島村
紙類 九品 四ヶ村製
蓑 金津産 正山豊六
落雁菓子利休煎餅 綿六
蕨 大納村産 大野会所
菓子厳氷 仙花堂
ベンガラ土 陽報会社
同越ノ雪 扇形羽二重昆布 菓子忠
笏谷石ノ卓香炉 木戸市与門
割氷 其外菓子類 同
杉箸 数品 大野産 大野会所
□□産苛布二段 道丸卯左衛門
荒砥 安本谷産 大野郡上丁村
橡実 山本屋喜兵衛
雪刎同 同
白蚊帳地 稲津屋新兵衛
呉座 陽報会社
蘭麝酒 三品 青木春平
氷豆腐 大野産 稲津屋新兵衛
紙類奉書 伊達絞 山田五右衛門
色壁土 清水端村
尺長藁漉 雪白鳥子 雲紙 行燈紙 書院紙 元結紙
陶器十七品 笏谷焼
本手 縮緬 杉原
小蝋燭 片山平三郎
編笠 徳光村
晒大蝋燭一丁ニ付量七斤 同
三国製雛人形 今市屋久三郎
極製晒油梅花油香鬢付 片山平三郎
同泥塑人形 新保屋久兵衛
油桐実 武周村
匂鬢附 三品 布施田屋甚助
海胆 鮎川浦徳兵衛
蒲萄汁 油屋重兵衛
泥型人形 大野製 権田次郎与門
銘酒 五品 松岡水野仁平
木如意 三 番匠屋清次郎製
燧石 並ニ燧鉄 牛首村
奉書紙九品 大虫村 河合加治馬
煙草 八品 陽報会社
山葵菓子 佐々木孫兵衛製
鯨細工紙入 七津屋清十郎
綿温石 菅田□製
大野産香茸 山本屋喜兵衛
長柄紙 楢原村
同蚊帳染地二品 稲津屋新兵衛
茜染木綿糸 機屋猪兵衛
扇 数品 七津屋清十郎
油団 二品 島屋正太郎
艾 二品 陽報会社
挽臼 砥石 小和清水村
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桜皮煙草入 二品 喜左衛門
同 未年機械挽糸 粟田部会社
苛裂織麻裂織 数品 田畑屋七郎平
試験種天印勝山産糸 陽報会社
柳石 砥石 陽報会社
同 地印 同
角間石 大野郡三谷村
福井挽糸 和久屋庄右衛門
味見台砥石 二品 大野会所
今庄細糸 牛首細糸 小川屋喜三郎
鳥白籠 二品 小宇坂村
粟田部細糸 同カラ糸 同
大野手挽糸 高田屋次右衛門
第五号
試験蚕種繭同糸 □掛屋八十八
男キンストレーキ 医学所
真綿 大屋理平
女キンストレーキ
穴馬産真綿 北沢重太郎
骨骸体
同 山繭 竹内次右衛門
器械 四十三品 病院薬局
福井製蚕種紙二枚 酒井氏
舶来薬品 五十三品
大野製蚕種紙二枚 伊勢屋市兵衛
国産薬品 薬種屋会社
大野奉書紬二品 大坂屋七太郎
白山熊胆 猪胆
#$地奉書紬二品 小川屋喜三郎
猿胆 狗肝 竹節人参 浜防風
奉書紬二品 節奉書紬二品
黄柏 五味子 !角子 鬼糸子
接骨木花 黄蓮 松脂 蓮肉
第七号
独活 茅根 熟艾 録□
龍玉女扇面唐団扇 三好市太郎
細辛 白□蚕 艾葉 甘茶
白銀香合 長又与門
牛房子 荊艾 当薬 青木香
大竹盆 東郷孝七
桑白皮 槐木 木通 厚朴
金銭 岩井吉与門
車前子 枇杷葉 蔓荊子
太宰書経済録六冊 沢田儀平
蜀椒 忍冬 白山黄□ 桔梗
集古十種全部 岡崎左喜助
蜀羊泉 桃仁 杜松子 美活
名木名葉数品 武生増永
辛異 天木蓼 猪苓 蜀葵根
伊斯巴尼亜国古銀銭 山田五郎平
前胡 金銀花 杜松木 防巳
ゼーラシヤ国古銀銭 阿魯沙国古金
舛麻 白述 蛇床子 葛根
交趾大瓶 田胡荘左衛門
呉茱萸 蒲公英 泥菖根
古銭奇品五十銭 内藤龍蔵
!菜 茵" 苦参 半夏
同 四百六十銭 柿屋外吉
瓜蒂 小蓮□ □苓 川骨
同 九十五銭 慶松熊太郎
同 二百十六銭 山田荘三郎
舶来和産共百五十二品薬種屋会社
同 百八銭 田胡荘左衛門
同 五百六十銭 小川孫三郎
山内勘兵衛家文書(J0
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西洋銀貨三十品 山田又左
博覧会 壬申六月十一日ヨリ同二十日マテ
皇国古今貨幣百四十四品 同
足羽県下 東本願寺掛所
第八号
第六号
継体天皇御冠並ニ御装束 福井石坂町
松岡手挽糸 酒井氏 堀江氏
新田左中将 自筆巻軸 山田十郎太郎
仝 車挽糸 仝前
同 轡 脇屋竹治郎
今庄青白手挽糸 牧野氏
同兜三條小鍛治作銭身 高村高取次
畠中村産手挽糸 万屋平三郎
太田道灌愛玩千鳥琵琶 南蛮製銭之身
粟田部在産カラ糸 仝
魚鱗具足明珍小左衛門作
砂子坂村産糸 香具屋次郎兵衛
武田信玄兜 丸岡
松岡産糸鯖江産糸 福井挽細糸
同書 松田八郎
粟田部在青白糸 大和屋善助
同兜 猿胎子 大野
同 生糸 仝
家康公長刀 華蔵寺
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明治5年博覧会資料について
同鉄砲 金来配 蘆田氏
隠元禅師将来梵経 大野会所
団扇 古鏡 北條氏直笛
白山白蓬 白山雷鳥羽
多田満仲鏡 亀井六郎兜
土佐光貞画軸 竹屋長右衛門
佐々成政刀来国行作 □牛尾
金谷自画自筆一代記 山本氏
豊太閤軍配団扇 国枝氏
一休和尚書巻 蕪村画帖
同書短冊一牧 高田氏
仇英蜀桟道図 多田庄三郎
畑時能兜 糸崎寺
水晶三箇紫石英 松平氏
秀康卿所持金銀扇二本 金屋健治郎
古筆紫檀棚
松平忠昌太刀 片山平三郎
一休和尚書巻 東郷孝七
朝倉義景 太刀 長刀 心月寺
古代神供台 香具屋治郎平
吉光作刀 " 大月氏
薫其昌書巻 梅田伝平
小鍛治宗近作刀 大谷伊三郎
朝倉家依頼朱印数通 慶松太郎三郎
大原安綱作刀 長谷部氏
和漢裔鑑 小島春庵
横笛!篥 大同年中竹 山口清香
嘉吉年中神供台 大虫社
砂金石獅子置物 天然木小卓
唐製鳥籠 江芸閣月琴 米屋六松
京都東大寺経卓 香具屋治郎平
唐土古代太鼓 宇治茶摺鉢
唐土琵琶 万安橋碑石摺 酒井氏
大石良雄手翰 八木安平
閑齋初鷹琵琶 島田治郎三郎
武林唯七□貝 片山平三郎
法橋光琳作印籠 多田庄三郎
同短冊 片霧三郎平
水晶六箇 四寸三歩ヨリ八歩マデ 駒屋羽江
尊円親王巻軸 古墨 三崎氏
鸞羽箒 松井耕雪
尹大納言師賢卿書巻 増田治助
雨雪点金鼎形香炉 同
源義経書巻 牧田氏
瑚珊珠 七ツ屋清蔵
定家卿書巻 三国屋長助
国札手鑑 駒屋羽江
漢代織物 永楽屋多助
木村長門守書翰 山田又左
古渡金襴織物 同
同 巻軸 青木万貞
柴田勝家制札 西光寺
宝積書手鑑 慶松太郎三郎
管公書巻 小川平吉
伝教大師書巻 牧野源五郎
道元禅師巻軸 宝慶寺
周之冕巻軸 山田仁右衛門
大高源吾巻軸 天井治郎三郎
定家卿書巻 脇屋竹治郎
武林将来古鏡 片霧氏
伊達政宗手簡 斯波有造
大雅堂画帖 赤尾勘七郎
第九号
古筆 坪田与三右衛門
奇鳥羽奇筆数品 松井取次
同 海福氏
奇管筆名葉数十品笏 同
同 手鑑 山田仁右衛門
異貝名木 奇石数百品 増永保二郎
八景弐紙 鍋屋文助
名木二十八品 奇石類五品
聖蹟図 学校
日下部太郎 米国石碑並ニ及第金板写真 八木
英一蝶画軸 鷲田直
人形人参男女二根 山口
中納言有末卿一代物語六冊 村上勘六
海馬 青鸞羽箒 同
悪源太義平笛 朝日助左衛門
化石 八木
隠元禅師竹如意 松田八郎
亜鉛 綿屋
並頭蓮 平泉氏
白狐玉 糸生与三右衛門
大塔宮袈裟切 松風琵琶
池大雅作根付 糾村赤松勘与門
白玉線香立 牧野氏
神代鈴四品 三谷嘉助
管公書巻 山崎屋利作
雲丹貝 鮎川徳平
同 安養寺
蝋石画屏 天井
尊朝親王書巻 三好助七
細字四品 山口藤平
尊円親王式紙 山本平太郎
肉付猩々毛 天井治郎平
−6
3−
福井県文書館研究紀要1
0 2
0
1
3.
3
奇貝百品 小島
張瑞図書 同
唐鏡 佐々木
探幽富士図 同
牙人形 吉川常三郎
尚信文王武王図 内田周平
髑髏置物 室屋吉平
豊道生書 青木万貞
孔雀石牙獅 西光寺
池大雅画 天井治郎三郎
太古衣服 慶松
趙子昂騎馬図 三好市太郎
豊太閤外套 金屋
観音図隠元本庵賛 神谷惣路久
牙秘戯 永丸屋
探幽画 島田治郎三郎
掛物屏風之類
日蓮上人書 松宮与七郎
文徴明書双幅 三崎玉雲
秀吉公手簡 七津屋清十郎
陳世英画山水双幅 同
夢窓国師書 富田宗七郎
陳衛復画 秋田屋彦三郎
道元禅師自画讃 宝慶寺
趙子昂画 同
管公自画像 大野伊藤理平
兆典司渡唐天神 同
時頼画 平泉操
伊藤仁齋自筆孔雀石記 山田十郎太郎
徽宗皇帝鷹図 坂井太之助
堀部父子肖像 双幅 忠見伝三
元信画 坂井太之助
近世俳人張交屏風 永正寺
人丸古像 青木春平
兆典司羅漢 滝谷寺
元信画 三幅対 梅田伝平
蝦夷人物図 久貫吉郎平
雪舟画 三幅 同
近世名家書簡 屏風 中根氏
光琳画 三幅 同
楠公書翰 坪田与三右衛門
鄭板橋自画讃 津田彦三郎
杉本普齋画讃 大工理平
趙子昂額字 小林有作
小栗宗丹画 同
張即之書 同
馬遠画幅 田中円八郎
建凌岱画三幅 福田伝蔵
邦達山水幅 朝倉彦三郎
梅崖山水図 同
建凌岱画幅 勝沢氏
大雅 扇面 同
兆典司布袋画 酒井氏
淇園画 同
狩野祐勢画 諸新平
紫野梅翁書 金崎勘四郎
徽宗皇帝画 鷲田土三郎
趙子昂馬図 石森屋百蔵
蘆雪若仲画対幅 同
定家卿書 三国屋長助
宗代画老子寿老対幅 同
元信画 吉村久市
秀吉公自筆六宇名号 瓶屋嘉平
原在明富士画 谷屋伊平
曙覧書 正玄五郎三郎
兆殿司羅漢 法養寺
孟昶画像 畳屋長兵衛
千代女自画讃 同
守景画三笑図 鰐屋太与門
半江山水図 森田三郎
石川丈山書 山田五郎兵衛
頼三樹屏風 柿原喜楽
道元禅師観音図 山口清香
探幽画 三崎氏
沈子和山水双幅 福田伝蔵
青蓮院宮 双幅 常山勘六
楠正成公自筆 増田次助
秋江画 双幅 安田十平
新田公画 野尻米三郎
元信白梅画 服部直一
清人画額 三好市太郎
舜挙画布袋図 三好市太郎
南海竹画 妻木
沈石田山水 同
雪操画墨竹図 同
茶山画山陽讃 同
牧渓筆羅漢 五幅 性海寺
馬遠山水 同
後陽成院御筆天神号 同
鉄翁雨亭逸雲 三幅 同
秀康卿筆 同
日蓮真跡 赤尾勘右衛門
狩野九郎治郎画羅漢十一幅 同
牧渓観音 同
明人松所虎図 中島十郎平
兆殿司羅漢 双幅 安養寺
−6
4−
明治5年博覧会資料について
参議佐理卿書 同
頼山陽自画讃 香具屋次郎平
中将姫曼陀羅 西光寺
蕪村霞!画讃 同大雅讃 鉄翁蘭竹画
朝倉義景書 心月寺
漢寿亭侯環印図 田中円八郎
兆殿司寒山拾得 同
馬遠画松陰高士図 同
沢庵和尚書 諸新平
文徴明画許初讃 双幅 同
一休和尚書 慶松熊太郎
管公自画 教重寺
林丘寺宮書 同
周之冕画 武生奥村
普明院宮光子内親王書 同
伝教大師真跡 三谷嘉助
周之冕画 山田仁右衛門
藤田東湖書 土居原山口
大石良雄手簡 八木安平
定家卿横物 高田氏
油絵麝香狩図 屏風 杉田清
祇南海書 屏風 長又与門
観音古画像 同
寂蓮法師 書幅 玉屋五郎平
二品親王御書 三好助七
黄檗費隠 書幅 勝沢義一
大石良雄書翰 同
周信画幅 同
宮本武蔵達磨図 能勢尚九郎
伊藤蘭嵎 書幅 同
同画山水双幅 三好助右衛門
馬元金画関羽像 山本正
秀康卿書 同
近衛三藐院殿 本阿弥光悦合軸 同
恵心僧都書 常山勘六
伊達政宗手簡 仝
大塩平八郎書 柿原喜楽
柯亭九十二歳画
大石良雄手簡 勝沢氏
水虎真写 同
玉景陽□沐闇羽画像 大津屋孫三郎
一休和尚書 天井次郎平
五儒手簡 仁齊東涯白石徂徠春台 山本氏
真柄左馬助誓書 真宗寺
張瑞図書 双幅 酒井氏
朝倉義景礼状 同
子昂花鳥図 双幅 兆殿司布袋
同貞景手簡 同
定家卿慈鎮和尚合軸
長谷川藤五郎免許状 同
牧渓画東坡蘆鷹図 三幅
蕪村自画讃 山田荘三郎
竹田杏檀図 内田周平
鄭成功書 白崎庄十郎
堀部父子画像 双幅 忠見氏
伊藤仁齋書 八十島九平
顧原画 禹之鼎 画幅 山本平太郎
信尹公自筆 渡唐天神 池田作平
雪村羅漢三幅 沈石田画 同
田野村小虎山水 七津屋清十郎
趙子昂騎馬幅 三好市太郎
弘法大師書 八木次助
一休和尚書 東郷孝七
房玄齢像古画 同
大徳寺 書 朝倉彦三郎
興意画屏風 松平氏
柳沢淇園著色画 三幅 同
丹羽長秀画像 顕本寺
金箋紙邦達画山水 同
近衛公御筆管公画讃 東郷孝七
清人画関羽像 大津屋孫三郎
足羽県下 博覧会社
注
1)
『国史大辞典』
「物産会」より。
2)京都では、湯島聖堂博覧会に先がけて明治4年(1
8
7
1)1
0月に京都博覧会が開催されている。これは「東京遷都
後の沈滞ムードを盛り返すこと」を目的として開催された(國雄行『博覧会と明治の日本』吉川弘文館、2
0
1
0年)
。
政府主催の博覧会は湯島聖堂が始点である。京都では翌明治5年3月にも第一回京都博覧会が開催された。
3)金沢では明治5年9月に「金沢展覧会」が開催され、その後明治7年6月に「金沢博覧会」が成巽閣で開かれて
いる(本康宏史『からくり師大野弁吉とその時代』
(岩田書院、2
0
0
7年)
)
。
4)上田重兵衛家文書(K0
0
0
4
‐
0
1
1
6
1)
。
博覧会 開場 東本願寺掛所
来ル六月十一日ヨリ同二十日マデ十日ノ間
−6
5−
福井県文書館研究紀要1
0 2
0
1
3.
3
朝七字ヨリ午後四字マテ
開場見物人謝儀礼物ヲ不受
口演
今春東西京ニ於テ博覧会盛大ニ行ハルト雖モ当御管内ノ人員拝見ニ出ル者万分ノ一ニモ不及因テ今般兼テ御布告
有之候澳国博覧会エ御差出ニ相成ル当国所産ノ物品御取調ノ席社中申合セ御管内所有ノ物品寄セ集メ此会ヲ設ケ
博覧ノ一斑ヲ示シ聊カ智見ヲ開キ文明ノ世ニ報ン事ヲ希フ也
壬申(明治五年―筆者注)五月
足羽県 博覧会社
右開場エ差出方規則
一銘々所蔵ノ品物差出スベキ名品奇品何ニテモ其品物ノ名ヲ記シ前以テ差出スベシ品物ノ分ハ追テ日限ヲ定メ受
取場所ヲ定メ可及通達候事
但シ品物名記差出シ方県下ノ分ハ東本願寺掛所エ出スベシ在方ノ分ハ郡長詰所エ差出スベシ
一品物持出シノ節ハ受取切手引替ニ相渡スベシ会終テ品物返済ノ時モ右受取書引替ニスベシ
但シ在方ノ分遠近共里数ニ応ジ相当ノ賃銭可相渡事
尤モ持主ニテ取替置キ返済ノ上□返共可払候事
一差出シノ品物預リ中大切ニ守護シ返済ノ節別ニ礼物ハ不添博覧会品物録摺立相添申スベシ
右博覧会取設ニ付有志ノ銘々相倶ニ助力シ盛大ニ可相成□□候也
5)
『撮要新聞 第一号』明治5年8月より、
○当六月中本県治下有志ノ輩申合庁ノ許可ヲ得同所東本願寺掛所ニ於テ博覧会ヲ設ケ州内産出ノ物品ヲ始メ新古
貨幣珍器類夥敷陳列シ同月十一日ヨリ二十日マデ衆人ヲシテ縦観セシム頗ル盛会ナリ日々来リ観ルモノ左ノ如シ
但シ十八十九二十日ノ三日ハ本堂ニ於テ理化学器械試験ノ縦観ヲ許サル
十一日 二千六百人
十二日 三千六百十二人
十三日 四千五百三十七人
十四日 六千七百七十七人
十五日 六千〇四十三人
十六日 六千四百六十二人
十七日 五千六百七十二人
十八日 八千九百五十人
十九日 七千七百四十人
二十日 八千九百九十八人
(ママ)
総計 六万千三百九十六人
6)
『日本の博覧会 寺下勍コレクション 別冊太陽日本のこころ1
3
3』
(平凡社、2
0
0
5年)には、巻末に「日本の博覧
会年表」として明治4年から平成1
7年までの博覧会の会場・主催者や入場者数などが示されているが、この中に
福井での明治5年の博覧会は記述されていない。
7)東京文化財研究所編『明治前期府県博覧会出品目録 明治四年∼九年』
(中央公論美術出版、2
0
0
4年)には明治
4年から9年までの6年間に全国の府県で開催された博覧会のうち、出品目録の所在が判明した4
2件の博覧会に
ついて、出品目録が翻刻されているが、ここにも福井での明治5年の博覧会は記述されていない。
8)大久保利通「三条公に呈せし建議書」1
8
7
5年8月1
4日(
『大久保利通文書』6、日本史籍協会、1
9
6
9年)所収。
9)高村光雲『幕末維新懐古談』
(岩波書店、1
9
9
5年)より、出品の結果高村の作品は最高賞である竜紋賞を獲得し、
周囲からの評価を得、また内国勧業博覧会についての理解も広がったとしている。
1
0)國雄行前掲書。
1
1)
『北前船主の館 右近家』
(福井県河野村、1
9
9
5年)には、北前船主であった右近家に、松前藩や商人の手から北
前船によって本州へと運ばれたことを示す交易品のうちに、
「アツシ」も含まれていることがわかる。
1
2)
『近江愛知川町の歴史』第三巻ビジュアル資料編(愛荘町、2
0
0
7年)所収。
1
3)
『稿本福井市史下巻』
(福井市、1
9
4
1年)より。なお男性体はこれより早い万延元年(1
8
6
0)に購入されている。
9
6
8年)には、この男女キュンストレーキが福井藩医学所で使用された後、福
1
4)
『福井県医学史』
(福井県医師会、1
井市医師会に移管継承され、戦災を免れて福井市立郷土歴史館(現・福井市立郷土歴史博物館)に寄託展示され
−6
6−
明治5年博覧会資料について
ている旨が記されている。
1
5)
『福井県史』通史編3、1
9
9
4年より、島雪斎は「寺社建築の装飾彫刻に優れた技量を発揮し、一方、置物や根付
などの小物類にも精緻で巧妙な技術を駆使した名品を残している。ことに松平春嶽の知遇を得て朝廷に紫檀の書
棚を献上し、その功で法橋の官に叙せられている。
」とある。
1
6)
『福井市立郷土歴史博物館々報』復刊第4号、昭和5
2年度春・秋季特別展展示(
「三国木彫の伝統と島雪斎」
)解
説より。
1
7)
『福井県文書館資料目録第1集 古文書1 資料群』
(福井県文書館、2
0
0
4年)より、三崎玉雲家(A0
0
5
9)所蔵
者情報、
「
「
(三崎家系図含朝倉氏系図)
」によれば、朝倉一族の朝倉二代高景の四男、三段崎(みたざき)弼景を
祖とする家で、1
6世紀の中ごろ三段崎安景の子の安指が谷野一栢の養子となり医術を修めて以来、代々医薬を業
とし、朝倉氏滅亡後は足羽郡北庄に移った。
」とある。
1
8)福井博覧会広告(福井県立図書館(石倉家旧蔵)A0
0
6
7−0
1
2
0
8)より、
福井博覧会広告
五
月十日ヨリ仝月廿九日マテ日数二十日ノ間福井旧城内(拝借願中)ニ於テ博覧会ヲ設ケ宮内省ヨリ拝借ノ
本年四
!
御物千鳥香炉 御衣ヲ始メ其外古器物産工芸ニ属スル種々様々ノ品物ヲ並ヘ立テ御一覧ノ人々ハ学問発明ノ種ニ
モナルヘキ様仕組置マスカラ男女老幼ノ別ナク必ス御出カケアランコトヲ乞フ会場内外ニハ諸代呂物正札附ニテ
売捌ク店モアリ亦見世物ノ趣向モアリ其余茶屋菓子屋弁当御支度等ノ廓モ其向キヨリ思ヒ々々ノ設モアリ其一々
ヲ御披露ニ及ヒ難ケレトモ何分古人モ百聞一見ニ如カスト云レマスカラ視ナクテ発明ハテケマセヌ開場ハ午前八
時ヨリ午後四時マテニシテ通券ハ御一名二銭御小児ハ見料ナシ
三
月
明治十年二
!
福井博覧会社
1
9)広告(福井県立図書館(石倉家旧蔵)A0
0
6
7、現在整理中であるため、資料群番号のみを記載した)より、
広告
福井元
今般聚翠園泉邸 開園ニ際シ福井有志輩申合セ該園内并本願寺別院ノ両所ニ於テ金沢博物館中御物及ヒ供 天覧タ
ル奇巧精作ノ品類其他有名ナル社寺ノ宝物等ヲ拝借傍ラ書画珍器ノ陳列煎茶席等ヲ設ケ来ル十一月五日ヨリ十日
間展覧会ヲ開設ス請諸君ノ来観アランコトヲ
明治十一年十月
福井展覧会社
2
0)旧御泉水邸の庭園「聚翠園」命名の経緯や、それに前後した邸宅の「養浩館」命名などにかかわる主として福井
在勤の旧家臣の動向については、
『福井県文書館資料叢書7 越前松平家家譜 慶永4』解説に詳しい。
2
1)
『大正四年大礼記念 農事功労者表彰 農産品評会報告』
(福井市松平試農場、1
9
1
5年)より。
2
2)
『福井県史』通史編6、1
9
9
6年より。
2
3)加藤辰夫編著『ふくいブランドとフードシステム』
(晃洋書房、2
0
1
1年)より。
2
4)前掲『明治前期府県博覧会出品目録』
。
−6
7−