フルメタル・パニック!

フルメタル ・ パニック!
~ Last-Engage ~
霧野知秋
サークル・クロスロード
陸上自衛隊の装備体系にアーム・スレイブが加わったのは意外と早く、一九九○年代の初め
び名は全く使われていない。私たちは主従機士のことを単に﹁エーエス﹂と呼んでいた。
襲﹂という言葉を嫌ったらしい。もちろん他の大半の装備の愛称と同じように、部内でその呼
一般的にはアーム・スレイブのことを︿強襲機兵﹀と訳すが、時のお偉いさんたちが﹁強
ちなみに主従機士とはアーム・スレイブの陸自における正式呼称だ。
の併用により、その外見以上に機敏な動きを取ることが出来る。
全高約八メートル。人型のその機体はずんぐりしているが、マッスルパッケージと油圧駆動
その中にある格納庫に、九六式主従機士が眠っていた。
飛んでいたが、実態は単なるスペースの問題だった。まあこの業界ではよくあることだ。
立川や富士ではなくこの練馬に部隊が置かれたことについては、専門誌などで色々と憶測が
を始め様々な部隊が駐屯している。
元々振武台と呼ばれ、陸軍予科士官学校が置かれていたというこの地には、東部方面総監部
中隊第一小隊があった。
第一主従機兵
東京都練馬区と埼玉県朝霞市の境界に設けられたこの駐屯地に、私の部隊 ――
陸上自衛隊練馬駐屯地。
あった。
私が明野の主従機士操縦過程を終え、初めて着任した部隊で出会ったのも、この九六式で
ム・スレイブの決定版として開発した九六式主従機士。
ス レ イ ブ 運 用 の 基 礎 を 築 い た 傑 作 機、M 6︿ ブ ッ シ ュ ネ ル ﹀
。そして三菱が第二世代型アー
少数機導入され評価試験を受けたM4。三菱重工業でライセンス生産され、陸自のアーム・
センス生産を経て国産化への道を歩むこととなった。
この国の兵器の通例として、アーム・スレイブも初めは米国製のものを購入し、そしてライ
なっている。
なり、アーム・スレイブの配備数は九八年の今、対戦車ヘリコプターのそれを上回る数にまで
ゴルバチョフ書記長が赤の広場で暗殺され、米ソが新たなる冷戦を開始したことも追い風に
関係者が想像したよりずっとスムーズに進んだ。
中東やアフガニスタンでアーム・スレイブが確たる戦禍を挙げていることもあり、その導入は
全く新しい装備であったため、その導入の際には隊内でも様々な綱引きがあったと聞くが、
のことである。
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﹁機内バッテリー充電値確認﹂
びかけた。
﹁ああ、おはようございます﹂
中から声が返ってくる。
そしてしばらくすると、中から壮年の男性の顔が現れた。この機で一番偉い人
と話してくれた。
- ︿サベージ﹀の可能性が高いらしいです﹂
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﹁国籍不明のAS?﹂
﹁目撃者の証言によると
Rk
﹁八王子の山奥で国籍不明のASが目撃されたとか﹂
私が聞き返すと、機付長は少し戸惑った姿勢を見せたが、
﹁あの話って?﹂
﹁あの話、聞きました?﹂
機付長は﹁ちょっと﹂と私を物陰に引き込むと囁きかけてきた。
﹁ありがとうございます﹂
ました﹂
﹁おはようございます、陸曹。左のスティックの反応が若干甘めですが、一応調整はしておき
そのままクレーンを降ろすと、私の元に走ってやってきた。
に乗り込む。
機付長は﹁よっと﹂と言うと操縦席から身を乗り出し、その前に設けられたクレーンの荷台
を担当するため、必然的に個々の機体の癖やバランスは機付長が一番詳しくなるのも自明の理。
状況に応じて必ずしも同じ機体を使わないときも多い。反対に機付長はずっと同じ機体の整備
一番偉いのは操縦員である私たちではないのと聞かれることもあるが、私たちはそのときの
機付長だ。
――
一回りして戻ってきた私は、両手でメガホンを作ると、九六式の操縦席に座っている人に呼
﹁おはようございます。機付長﹂
わりはない。
自分が搭乗するものを自分で確かめる。これは飛行機でも戦車でもアーム・スレイブでも変
動くところは自分で触ってみて、その感触を確かめる。
間接部にゴミが挟まっていないか、油圧系の油漏れはないか、機体表面に妙な傷はないか?
私は九六式の周りをぐるりと巡りながら、各部を目視で確認していく。
私も﹁おはよう﹂と挨拶を返すと、九六式に歩み寄った。
私のことを見つけた整備員が挨拶する。
﹁おはようございます﹂
格納庫に入ると、油で汚れた整備員たちが機体の最終チェックを行っていた。
﹁全駆動系油圧確認﹂
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﹁はあ?﹂
- ︿サベージ﹀はソ連製の第二世代型アーム・スレイブだ。世代的には九六式と同じに
なるが、なぜそんなのものが八王子の山中で目撃されたのだろう?
常識的に考えると全くあ
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マッスルパッケージは戦闘時の損傷などに備え、ブロック単位で簡単に交換できるように
機付長が渋い顔をする。
﹁今から換装するとなると、半日仕事になりますよ﹂
訓練用に分け、通常は訓練用を使用することで消耗を抑えていた。
命が短くなるという特性を持っている。そのため多くの軍ではマッスルパッケージを実戦用と
されていた。このマッスルパッケージは通電の量を増やすとパワーが増大するが、その反面寿
される第二世代型のアーム・スレイブはこのマッスルパッケージと油圧駆動の併用方式が採用
マッスルパッケージは通電により伸縮する形状記憶プラスチックのことであり、M6に代表
﹁マッスルパッケージ。実戦用の奴、載せられませんかね?﹂
﹁はい?﹂
私は機体を見上げるとつぶやいた。
﹁マッスルパッケージ﹂
私は機付長に礼を述べると、再び九六式の前に戻る。
﹁そうですか。お願いします﹂
﹁が、念のため私の方でも調べてみます﹂
私は頭を振ると、
﹁残念ながら私は何も聞いていません﹂
えただけでも頭が痛くなる。
たことがあるが、今度は日本国内。そこかしこに人やモノが溢れている中での対AS戦闘。考
過去に東南アジア某国にPKFで派遣された部隊がソ連製のASと交戦したという話は聞い
まるで冗談のような想定だ。
しかし日本国内で︿サベージ﹀と実戦?
が増す。
なるほど、そういうことなのか。それに司令部の人間が絡んでいるのであれば、噂も信憑性
私たちの小隊には昨日から待機命令が下されていた。
日からてんやわんやしているみたいで﹂
﹁いや、私もたちの悪い冗談だと思ってるんですけどね。ただ、司令部の連中とかがそれで昨
私がそう言うと機付長は頭を振って、
りえないことだ。
Rk
整する必要があるのだ。
なっている。ただ戦闘用のものに換装すると機体全体のバランスが変わってしまうので、再調
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﹁やっぱり無理ですか﹂
機付長に中枢制御システムの起動を報告すると、私は自己診断モードを起動させる。
︽登録を確認しました。おはようございます、二等陸曹。ご命令を︾
再びメッセージが流れる。
能な限りコンピュータが誤作動を起こす要因は排除するに越したことがない。
だが、コンピュータの補助がなければ自立することすら難しいアーム・スレイブである。可
コマンドを起動させたらしく、最終的に操縦兵への処分はなかったと聞く。
調査報告書によると、どうやらその卑猥な言葉がマスター・モードの中に仕込まれていた裏
がタンゴを踊りだしたなどという事例も米軍からはもれ聞こえてくる。
戦闘機動中に興奮して叫んだ卑猥な言葉をコマンドと捉えられ、いきなりアーム・スレイブ
我々の間ではまだ装備化に十年は掛かるだろうと予想されていた。
最 近 に な っ て 米 軍 で 採 用 が 始 ま っ た と い う 音 声 入 力 シ ス テ ム は ま だ 不 安 定 な 部 分 も 多 く、
私は手元のコントロールスティックを動かすと、名前と階級、そして認識番号を入力する。
そして最後に、︽名前と階級、認識番号を登録ください︾というメッセージが表示された。
立ち上がる。
モニタが一瞬光を放つと、コンソールにコントロールコマンドが流れ、中枢制御システムが
み、メインスイッチを押した。
私はカバンの中からメモリディスクを取り出すと、コンソールの下にあるスロットに差し込
ため、外から見ても全く変わった所はない。
機付長は言ったとおり、四十五分で作業を終わらせていた。とはいえプログラム上の変更の
小隊に対し出動準備命令が下ったのだ。
それから一時間後。私は九六式の操縦席に座っていた。
そう、整備員への差し入れを買いに行ったのだ。
機付長に機体を預けると、私はひとまずその場から離れた。
﹁了解です﹂
﹁そうですね。大体小一時間程度あれば﹂
﹁プログラムの変更にどれ位掛かりますか?﹂
ジ﹀を前にして、なすすべもなく撃破されたくはない。
私はうなずいた。もちろん機材を勝手に弄ることは許されたことではない。だが︿サベー
﹁構いません﹂
の出力を増すことは可能だと思います。ただ、かなり扱いづらくなりますよ﹂
﹁そうですね。換装自体は無理でも、制御プログラムの変更で、訓練用のマッスルパッケージ
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自己診断モードは九六式の機体に備えられた様々なセンサが異常値を示していないか、コン
動けるだけのスペースを確保する必要が出てくる。そのため、通常アーム・スレイブは操縦者
体に反映させるものであった。もちろん一対一で動作を反映させると、操縦席の中に操縦者が
その操作の基本は腕や脚の動きをセンサーで読み取り、それをそのままアーム・スレイブの機
アーム・スレイブはその名のとおり、人体を覆う外骨格から発展した装備である。そのため、
︽機体制御システム起動。バイラテラル角三・四︾
システムの起動コマンドを入力した。
APUからの電流が正常に流れていることを確認すると、私はコンソールに向かい機体制御
での起動を通常としているのだ。
米軍の機体はAPUを内蔵しているが、国内での運用を基本とした我が九六式は、外部電源
私がスイッチを押すと、電源車からの電流が機体に流れ出した。
﹁投入開始﹂
﹃電源投入開始﹄
電源車に積まれたAPU︵アシスト・パワー・ユニット︶が爆音を立て動き始める。
﹃APU起動﹄
コンソールに外部電源の表示が映し出される。
﹁了解﹂
﹃電源ケーブル接続完了﹄
その先にはディーゼルエンジンを搭載した電源車の姿が見える。
機付長が合図すると、整備員たちが機体に太いコードが繋いだ。
﹃エンジン始動準備﹄
私はチェックを終えたことを機付長に報告する。
一通りのチェックが終わるまで五分あまり。
私は手にしたアンチョコに従い、チェックを始めた。
コンソールにチェックリストが流れていく。
他の部分はコンピュータにチェックを任せるというシステムが導入されたのだ。
起動までに丸一日掛かるとも言われている。そのため重要な部分のみ人間がチェックし、その
アーム・スレイブのシステムは複雑で、全てのチェック項目を人間がチェックしていると、
ピュータがチェックするモードだ。
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最適なバイラテラル角は操縦者によって異なる。また、他にも操縦系や火器管制系にも操縦
ある。
の動きを何倍かに増幅して反映させることになっていた。その増幅の割合がバイラテラル角で
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第二世代型のアーム・スレイブはそれを予め記憶することで、操縦者が変わっても最適な動
者によって固有の癖がある。
えられた。
ここだけは何度チェックしてもしすぎることはない。そう明野で教官たちから口すっぱく教
ハッチが閉じたわ空調が効かないわだと洒落にならない。
一度ハッチを閉じると、NBC戦用に内部は密閉されるからだ。
最後に環境維持系のシステムをもう一度チェックする。
﹁環境系システムチェック﹂
事故に繋がる。そのため、始業前点検はうるさく言われていた。
十分に整備がされていることは分かっているが、いざ動き出してからおかしな動作をすると
同様に右手、両足の動作をチェックする。
﹁ライトアームチェック﹂
機付長は問題ないと大きくうなずいた。
スティックのボタンを押すと、指を広げ、そして握る。
機付長の指示に従い、前に、後ろに。ひじを曲げ、肩を回す。
九六式の左手が私の動きを増幅し、大きく動いた。
私は周囲の様子を確認した上で、左腕に軽く力を入れる。
﹁レフトアームチェック﹂
赤外線モードに切り替えると、機付長の身体が赤く光っていた。
私が上下左右を見ると、それに追随してセンサユニットも上下左右に動く。
れる。
頭部のセンサユニットが鈍いモーター音と共に動き出し、正面下のモニタに映像が映し出さ
︽センサユニット起動。外部モニタをONにします︾
﹁センサユニット起動。外部モニタON﹂
ていく。
そんなことを漫然と思いながら、私は続けて火器管制ユニット、機体診断ユニットを起動し
ログラムを育てているようなものだ。
最近の若い隊員の中では、
﹁究極の育てゲー﹂とか言う者もいるらしい。確かに私はこのプ
だ﹂という思いしかない。
だが、アーム・スレイブの操縦しかしたことのない我々にとっては、﹁まあこんなものなん
のもいると聞く。
機甲科出身の操縦者などの中には、﹁機体が自分に合わせる﹂このシステムを嫌っているも
そのために前もって操縦者を登録する必要があるのである。
作が行えるようになっていた。
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