2 - 三菱電機伊丹ラグビー部OB倶楽部

 2 2015年2月14日(07)
於:三菱総合グランド
練習情報
今日は良い天気でした。みんなに出て来いと叱咤する編集部がサボッテしまいました。来週は6時30
分の電車で鶴見緑地に向かいます。草津の赤パン福永もちょっと遠いけど頑張って出て来ましょう。今日
のグランドは先週と同じ23名の参加、これはすごいわ、なにが魅力なんやろ~船越OBにいたっては神
戸地区出勤日なのに休暇を取得してまでも参加するなんて信じられる?出席簿には◎入れておきます。そ
して現役チームの元木君がこれまたOBに混ざって一緒に練習しました。現役は誰も来てへんこんなん
信じられる?そして今日のグランドを賑わしてくれたのは、橋口先生率いる中学生ラガーが6名も参入
してまぁまぁにぎやかな練習になりました。
練習ですがいつもの4列パスを広く間隔を開けると、パスが届かんしタイミングが悪くなんともヘタ
クソで練習が停滞したようです。そして鬼ごっこから、ディフエンスをつけてのアタック&ディフエンス
締めに赤主体、紺白のニチームを編成してコンビネーションで終わりました。大勢おると楽しい練習にな
ります。
*本日の参加者は下記の通りです。
小出、石嶋、桑田、宮薗、岩永、桑原、川口、押川、山本、井下、馬形、船越、山崎、田上、中川(啓)、戸間、赤木、
梶原、福本、古谷、繁村、首藤、橋口、元木(現役)の24名 *松岡、中川(潤)、吉川、南、がサボッテも船越、戸間、赤木、橋口が出て来て良い循環です。気になるのは
あ奴とあいつが出て来ない会費を持って出て来いよ!来週からこれでもか!といじくります。
◎2015年度のお金集め ①傷害保険 ②OB会費 ③現役支援カンパ
またまた伊丹近郊の、かっての名HOから、カンパが届きました。また京都製作所のOBからもカンパに
賛同の声が,本当にありがたいことです。
余談 『崔玄棋(ちえひょんぎ)君の名前覚えていますか?』(「ぎ」と言う字が見つからない当て字)
2011年の会報12月増刊号で紹介した。全国中学生作文コンテストで、内閣総理大臣賞を受賞し
た彼です。今年の花園優勝校、東福岡の7番FLで出場していました。2012年正月、花園大会閉会式で
、
優勝校東福岡に彼の兄が並んでいました。ラグビー日本協会の森喜朗会長が挨拶の中で中学生作文コン
テストを取り上げ、『崔君はどこに手を上げて』手を上げた崔君に『君は良い弟さんがいるね』編集部はこ
のお兄ちゃんを探しました。居たね!筑波大学ラグビー部に3番プロップ、崔(東福岡高)2回生?浪人
して入学したのかな? たぶんですが間違いないと思います。まぁ~この兄弟スゴイわ!
読んでない人も居られると思うので再掲載します。
2011年12月24日(65)
第 31 回全国中学生人権作文コンテスト入賞作文を、名古屋支部 石崎OBから入手しました。
まぁー読んで見て!・・・・(原文のまま)
内閣総理大臣賞
『絆』
福岡県・九州朝鮮中級学校 中級部3年
崔 玄棋 (ひえ ひょんぎ)
大人は皆、同じ言葉をぼく達に発した。
『ちゃんと全員でフォローしてやらんね』
ラグビーをするぼく達にとって、それはチームプレーとして当たり前のことだけど、その
言葉には違う意味も込められていた。
健太のことだ。
健太には右手首から先がない。生まれつきだとぼくは聞いた。病気のせいでそうなったと。
だから成長も遅い。
健太とは小学校の時から同じラグビースクールで共にプレーしてきた。体も小さく、体重
も軽い健太だが、激しく辛い練習に弱音も吐かず、寒い日も暑い日も一緒にラグビーボール
を追いかけてきた。
自分で出来ることは自分でやる。ぼく達も、そんな健太を当たり前のように待つ。手が不
自由だからと特別扱いなど決してしなかった。だから、健太のミスには遠慮なくダメ出しも
するし、本気で言い合いになり最後はケンカになることもあった。健太は言い出したら引かな
い。小さな体で食いついてくる。どんなに言い争うことがあっても、練習や試合が終われば、
ぼくも健太も笑顔に戻るのだ。
中学にあがってからの健太は、病気のせいで背骨が歪曲したまま成長しているそうだ。
痛みとの闘いが始まった。顔をゆがめて、悔し気にグランドの隅で練習を見学する健太の
姿を見ることが多くなった。
それからは、グランドだけの健太ではなく、身の回りの細々したことも手助けするように
と、回りの大人達は以前にも増して言うようになった。
それは本当に健太の望んでいることなんだろうか・・・・・・。
健太が頼みもしないのに、彼のやるべきことを先取りした時の、少し淋しそうな健太の『あ
りがとう・・・』をぼくは知っている。大人達の心配もわかるが、ぼく達が必要以上に手助
けすることは、彼を少しずつキズつけて、彼の居場所やすべきこと、そして生きる力をも奪
っているようにしか思えないのだ。
ただ、このことを健太本人に面と向かってたずねたことはない。でも、ぼくにはわかる気
がする。共にグランドを走りまわり一つのボールを追いかけて、パスをつなぐと健太の考えて
いることが。
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今年の梅雨明けを待たずして、ぼく達は夏のジュニアラグビー福岡大会で敗退した。
どしゃぶりの試合が続いた中で、こんな場面があった。一進一退の激しい攻防が続く中で
健太にパスがつながった。その瞬間、ボールは健太の手からこぼれ落ちた。
『ノックオン』
嫌な空気が流れてもおかしくない場面だった。だが、次の瞬間ぼくは死にもの狂いで次の
展開へと走り出していた。『健太が落としてしまったのなら仕方がない。あいつが中学3年間
絶対に妥協することなく常に全力でラグビーに取り組んできたことは他の誰よりも知ってい
る。だから必ず取り返してやろう。』
後になって、チーム全員が同じ気持ちで駆けだしていたことを知り、嬉しかった。
それは決して健太の右腕が不自由だからではない。かけがえのない大切な仲間だからだ。
県大会のノーサイドの笛がグランドに響きわたった時、小さい頃から紡いできたぼく達の
チームは解かれ、高校で新たなチームへと別々の道を進んでゆくことになった。小さい頃から
通っていたラグビースクールの引退式を終え、皆で遊びながら進路のことを健太と話し合って
いた時、ぼく達の前で言った。
『高校でもラグビーするよ。』
決してゆらぐことのない決意だった。
健太とパスをつなげばわかる、本当に大切なことが。 (了)
お仲間のみんなどうですか・・・・・・ 会報編集部
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