真菌感染症分野が直面している薬剤耐性の現状

今日の話題
真菌感染症分野が直面している薬剤耐性の現状
農業から医療,越境する薬剤耐性
本邦において(深在性)真菌症治療に使用される抗真
域に L98H アミノ酸置換を導入する変異を保持したア
菌薬は,アゾール系,キャンディン系,ポリエン系,ピ
ゾール耐性株が,複数の患者より分離されたと報告され
リミジン系の 4 クラス 8 剤に限られている.真菌感染の
(3)
た(ただし分離年は 2002∼2006 年)
.この変異を含む
早期診断の困難さも相まって,主要な真菌症のカンジダ
遺伝子配列(
症,アスペルギルス症,クリプトコックス症の治療成功
再構成株を作製したところ,
率は低い.さらに,主要な抗真菌薬に対する耐性株の検
倍以上に増大し,すべてのアゾール剤に耐性化したこと
出が近年増加傾向にあり,深刻な状況に直面している.
から,この変異と耐性化の関係性が証明された(図 1).
現時点で,薬剤耐性株の検出と治療成功率の間に明確な
最も重要な点は,これらの株が分離された患者のうち少
相関が示されていないが,持続的な投薬が耐性化の要因
なくとも 4 人はアゾール薬による治療を受けていなかっ
と考えられており,治療経過とともに起因菌の薬剤耐性
たことにあり,感染時にはすでにこの変異(耐性化機
をモニターする必要性は高い.しかしながら最近にな
構)を獲得していたと考えられた.
り,投薬履歴と関係のない耐性株が欧州を中心として検
出され始め,環境要因による抗真菌剤への耐性化問題が
顕在化してきた.
病原性真菌
TR34/L98H)をクローニングして
の遺伝子発現が 8
論 文 中 で Mellado ら が 考 察 し て い た よ う に,
が環境中でアゾール系化合物による暴露を経験
し耐性を獲得したとの推測を支持する状況証拠が,その
による肺アスペルギ
後いくつかの研究グループにより提示された.1)花壇
ルス症は,多くの場合でアゾール薬による治療が第一選
やコンポスト,茶畑などの外環境,および病院の外周や
択となるため,この薬に耐性化することは治療戦略の大
内部の空調などからも,TR34/L98H 変異をもつ耐性
株が検出された (4)(オランダの土壌からの分
きな制限となる.1997 年に初めてアゾール耐性
株が検出されて以来,治療過程で生じる耐性株
離頻度は 12%).2)医療用アゾール薬と化学構造が類
は現在世界各地で報告されている.本邦でも臨床分離株
似した脱メチル化阻害剤(DMI 剤)がアゾール農薬と
のうち 1.75∼7.1%がアゾール薬に耐性を示すデータが報
して作物保護,木材保護に世界中で広く使用されてい
告された
(1, 2)
.これらの耐性化メカニズムは詳細に調べ
る (4)(世界の農薬総売上の 1/3 以上を DMI 剤が占める)
.
られており,多くの場合は薬剤標的分子の Cyp51A タン
3)TR34/L98H 変 異 を も つ
パク質(ラノステロール 14-α-脱メチル化酵素)にアミ
DMI 剤にも耐性を示す (4).4)DMI 剤耐性株として環境
ノ酸変異が導入され,薬剤親和性の低下が阻害効果低減
中から分離されたミドリカビ病菌(
の原因と考えられている.2007 年オランダの Mellado ら
のグループによって,
遺伝子のプロモーター領
域に 34 bp のタンデムリピート(TR),およびコード領
株 は, 複 数 の
)
,リンゴ黒星病菌(
星病菌(
),モモ灰
)などの株にも,ラノステ
ロール 14-α-脱メチル化酵素遺伝子(
)のプロモー
図 1 ■‘環境由来’アゾール薬耐性
に見いだされた耐性機構
化学と生物 Vol. 53, No. 5, 2015
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ター領域にさまざまな長さのタンデムリピートが発見さ
(5)
れ,
が高発現していた .上記の事実はいずれも
直接的な証拠ではないものの,DMI 剤に暴露された植
し,省力的な医療用抗真菌薬の開発を進められる可能性
がある.
有望な例として,真菌特異的なシグナル伝達経路であ
が環境中に散
る浸透圧応答(HOG)経路に作用する農薬有効成分フ
布された(残存する)アゾール農薬にさらされることで
ルジオキソニルが挙げられる (7).この化合物はピロール
耐性を選択的に獲得した可能性を示唆している.この農
環を有し,外用水虫薬の成分として用いられるピロール
薬原因説にはまだ議論の余地があるが,確実に言えるこ
ニトリンと似た構造をもつ.モデル糸状菌
物病原菌のケースと同様に,
とはすでに環境中に一定数の医療用アゾール薬耐性を示
す株が存在するということだ.
現 時 点(2014 年 11 月) で TR34/L98H 変 異 を も つ
が日本で検出されたという報告はない.しか
における解析から,ヒスチヂンキナーゼ分子
NikA を標的として下流の HOG 経路を異常に活性化させ
ることで,細胞機能を破綻させ生育阻害するという作用
機序が示されている (8).フルジオキソニルおよびピロー
し,オランダからの報告に端を発して欧州ではイギリ
ルニトリンは
ス,フランス,ドイツなどほかにも多数の国で,そして
効果を示し,HOG 経路の異常活性化も確認された (9).
インド,イラン,中国のアジア地域からも報告され始め
したがって,本経路は植物病原糸状菌のみならず,ヒト
(6)
に対しても優れた生育阻害
ている .これらの地域で分離された株の遺伝系統を比
病原真菌においても抗真菌剤のターゲットとして機能す
較すると,欧州の株間では遺伝的なバリエーションは比
ることが示唆された.本経路を標的とする新たな化合物
較的小さく,TR34/L98H 変異の発生は共通の祖先を有
探索は,シグナル伝達下流因子の発現応答を利用したレ
(4)
すると推測できる .一方でインドやイランの分離株
ポーターシステムの導入により,効率的な評価アッセイ
は,これらの地域で独立に変異が発生したのか,あるい
が可能となっており,新規候補化合物の発見が期待され
は欧州系統株が拡散される過程で交雑を繰返した結果で
る (10).
あるのか結論は出ていない.2009 年には,新たなタイ
農業分野で使用される DMI 剤が,垣根を越えて医療
プ の‘環 境 由 来’ ア ゾ ー ル 薬 耐 性 株(TR46/Y121F/
用アゾール薬の耐性をもたらすことは,薬剤耐性細菌の
T289A)がオランダで検出され,続いてベルギー,イ
来歴をたどれば予期できた事象かもしれない.今後わが
ン ド, タ ン ザ ニ ア と 広 が り を 見 せ て い る (4). 前 述 の
国でも,DMI 剤使用土壌における耐性株発生や,海を
TR34/L98H 変異を保有する株とは遺伝系統が遠く離れ
越えて飛来するアゾール耐性
ており,独立して発生した耐性株と考えられる.このよ
注視する必要がある.その一方で,農薬からの抗真菌薬
うに,ある地域で発生した耐性株は短期間のうちに国境
創製という境を取り払った視点も生まれており,継続的
を越えて拡散し,さらに新たな機構をもつ耐性株が今後
な新規薬剤創出に有効なパイプラインとなるかもしれな
も断続的に出現していく脅威にわれわれはさらされてい
い.
る.
真菌症治療のオプションを増やすべく,新たな抗真菌
薬の開発研究が世界中で進められている.しかし,ヒト
と同じ真核細胞であることから薬剤標的が限られてしま
い,真菌に特異的な細胞壁合成(キャンディン系)やエ
ルゴステロール合成(アゾール系)以外の新たな作用機
序を狙った阻害剤の開発は困難を極めている.翻って農
薬に目を向けると,数多くの薬剤が抗菌剤として登録さ
れており,DMI 剤以外にも多様な活性を示す薬剤を見
つけることができる,これらの抗菌剤には,作用機序の
よくわかっていないものも含まれており,
に対して卓越した生育阻害活性を示す化合物も存在す
る.したがって,農薬およびその類縁化合物をリードと
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株に対して
1) M. Tashiro, K. Izumikawa, A. Minematsu, K. Hirano, N.
Iwanaga, S. Ide, T. Mihara, N. Hosogaya, T. Takazono, Y.
Morinaga
:
, 56, 584
(2012).
2) K. Kikuchi, A. Watanabe, J. Ito, Y. Oku, T. Wuren, H.
Taguchi, K. Yarita, Y. Muraosa, M. Yahiro, T. Yaguchi
:
, 20, 226 (2014).
3) E. Mellado, G. Garcia-Effron, L. Alcazar-Fuoli, W. J. G.
Melchers, P. E. Verweij, M. Cuenca-Estella & J. L. Rodriguez-Tudela:
, 51, 1897
(2007).
4) A. Chowdhary, S. Kathuria, J. Xu & J. F. Meis:
, 9, e1003633 (2013).
5) R. Becher & S. G. R. Wirsel:
,
95, 825 (2012).
6) E. Vermeulen, K. Lagrou & P. E. Verweij:
, 26, 493 (2013).
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7) K. Kojima, Y. Takano, A. Yoshimi, C. Tanaka, T. Kikuchi
& T. Okuno:
, 53, 1785 (2004).
8) D. Hagiwara, Y. Matsubayashi, J. Marui, K. Furukawa,
T. Yamashino, K. Kanamaru, M. Kato, K. Abe, T.
Kobayashi & T. Mizuno:
,
71, 844 (2007).
9) D. Hagiwara, A. Takahashi-Nakaguchi, T. Toyotome, A.
Yoshimi, K. Abe, K. Kamei, T. Gonoi & S. Kawamoto:
, 6, e80881 (2013).
10) 阿部敬悦,古川健太郎,水谷 治,藤岡智則,長谷川史
彦:抗カビ剤のスクリーニング方法,特開 2006-280372
(2006).
(萩原大祐,千葉大学真菌医学研究センター)
プロフィル
萩原 大祐(Daisuke HAGIWARA)
<略 歴>2000 年 早 稲 田 大 学 理 工 学 部 卒
業/2006 年名古屋大学大学院生命農学研
究科博士課程修了/2007 年東北大学日本
学術振興会特別研究員(PD)/2010 年中央
大学理工学部 NEDO 博士研究員/2011 年
千葉大学真菌医学研究センター特任助教,
現在に至る<研究テーマと抱負>病原真菌
の薬剤耐性機構,環境応答機構の解明<趣
味>家庭菜園,読書,スターバックスめぐ
り
Copyright © 2015 公益社団法人日本農芸化学会
化学と生物 Vol. 53, No. 5, 2015
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