放射線滅菌処理による樹脂製品のトラブル解析

The TRC News,
201608-06 (August 2016)
放射線滅菌処理による樹脂製品のトラブル解析
構 造 化 学 研 究 部 山口 陽司、沢井 隆利、井上 敬子
有機分析化学研究部 小野田 資
要 旨 樹脂製品の滅菌に放射線滅菌処理が広く利用されているが、変色による商品価値の低下及びラ
ジカルの発生による材質の劣化や医薬品の安全性への影響などが問題になっている。本稿では、樹脂
製品の γ 線滅菌によって発生する着色及びラジカルの分析事例について紹介する。
放射線滅菌で問題となる事象を表 1 にまとめた。放
1. はじめに
射線滅菌では、材質への影響が大きいため、いろいろ
な問題が発生する。最近の報告では容器からの溶出物
滅菌とは、芽胞を含む微生物すべてを殺滅し、無菌状
やラジカルがバイオ医薬品中に含まれるタンパク質の
態にすることである。滅菌法には、熱を使う高圧蒸気
酸化・変性の要因となることが議論されている 2)。
滅菌、ガスや薬品により微生物を死滅させる酸化エチ
レンガス滅菌、放射線滅菌、過酸化水素ガスプラズマ
表 1 放射線滅菌で問題となる事象
滅菌、濾過滅菌などがある 1)。
要因
リスク
放射線滅菌は、主に被滅菌物の素材や包装が熱や薬
脱色、着色、臭気の発生
商品価値の低下
品滅菌に対して耐性がない場合に使用される。この滅
強度の低下、硬度の増加
性能・機能の変化
溶出物の増加
医薬品の有効性、安全性への影響
ラジカルの発生
医薬品の安全性への影響
材質の酸化劣化
菌法の利点は、注射器など大量生産の医療機器を比較
的短時間で連続的に滅菌できることである。一方、樹
脂製品に放射線を照射すると着色したり、ラジカルが
3. ポリプロピレン(PP)の変色解析
発生することが知られている。
本稿では、樹脂製品の γ 線滅菌によって発生する着
3.1 γ 線照射した PP の色の変化
色及びラジカルの分析事例について紹介する。
γ 線照射後の PP 片について色の変化を図 1 に示す。照
2. 放射線滅菌で問題となる事象
射直後では黄変が僅かに生じ、
照射 13 日後には退色し
た。
放射線滅菌は、多種多様な製品を大量生産する場面で
急速に広まっている。医療器具の他、薬品、食品、農
産物にも用いられる滅菌法である。
放射線滅菌では、歴史的に高い信頼性を持つ γ 線滅
菌が多く使用されているが、線源の安定供給や迅速な
滅菌処理の必要性などから電子線滅菌を採用するケー
図 1 γ 線照射した PP 片の色の変化
スも増加している。
1
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3.2 UV-Vis 測定
図 2 に γ 線照射した PP の UV-Vis スペクトルを示す。
未照射において 276 nm 付近に見られる吸収は、フェ
ノール系酸化防止剤に由来する可能性があり、γ 線照
射によって吸収波形が変化していることからフェノー
ル系酸化防止剤が変性している可能性が考えられる。
また、長波長側に吸収が広がっていることから、樹脂
の劣化が生じている可能性が考えられる。
図 4 黄変成分の UV-Vis スペクトル
3.4 黄変後の退色
次に、PP の黄変後の退色原因を調べるため、DQ の標
準溶液に光照射して退色現象を解析した。
図 5 に DQ のクロマトグラムを示す。
光照射 2 hr 後、
DQ のピークが減少し、ジ-t-ブチルベンゾキノン(DBQ)
の生成が観測された。10 hr 後、溶液は完全に退色し、
DQ のピークの消失が確認された。これより、PP の黄
変後の退色は、光による DQ の分解が原因であること
図2
が検証された。
PP の UV-Vis スペクトル(線量:25 kGy)
3.3 HPLC/PDA 測定
UV-Vis 測定により添加剤の変性が示唆されたため、黄
変した PP について添加剤抽出成分の評価を行った。
図 3 に PDA(Photo Diode Array)検出器による PP 抽
出液の HPLC 測定結果を示す。低波長領域に紫外線吸
収剤、可塑剤、フェノール系酸化防止剤による非常に
強い吸収が観測され、可視光領域に黄変成分と見られ
る微弱な吸収が観測された。図 4 に黄変成分の UV-Vis
スペクトルを示す。HPLC 保持時間及びスペクトルパ
図 5 黄変成分(DQ)のクロマトグラム
ターンから黄変成分は、テトラ-t-ブチルジフェノキノ
(280 nm 検出)
ン(DQ、図 6 の構造式参照)と同定された。
3.5 PP の着色原因
以上の結果より、PP の着色原因は黄変物質(DQ)の
生成であると考えられる。
図 6 に変色スキームを示す。
詳細な解析より、変色の原因となった添加剤は、図 6
に示すフェノール系酸化防止剤と同定された。
4 項で PP 中のラジカルについて述べるが、観測され
黄変成分
たラジカル種を考慮すると、
今回の試料の着色要因は、
ラジカルではないと考えられる。
図 3 PP 抽出液の HPLC/PDA 測定結果(縦拡大図)
2
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図 6 変色スキーム
4. 各種樹脂材料のラジカルの評価
4.1 γ 線照射直後の樹脂の色
γ 線照射直後の樹脂片の色を図 7 に示す。照射線量は
図 8 ポリプロピレンの ESR スペクトル
全試料とも 50 kGy である。塩化ビニルとアクリルは著
しく着色した。
4.3 ポリスチレン
H
C
CH2
n
図 9 にポリスチレンの ESR スペクトルの経時変化を示
す。この試料では照射直後より g=2.0043 付近に 1 本線
の信号が観測された。信号の g 値(ピーク位置)より、
図 7 γ 線照射直後の樹脂片の色
このラジカルはアルキル型ラジカルではなく、ポリス
チレンの酸化変性物もしくは添加剤に由来する酸素上
4.2 ポリプロピレン
のラジカルに起因する可能性が考えられる。
CH3
C
CH2
H
n
図 8 にポリプロピレンの ESR スペクトルの経時変化を
示す。ポリプロピレンでは、照射直後に炭素ラジカル
と過酸化ラジカルの信号が重なって観測された。炭素
ラジカルは、不対電子の近傍に存在する複数の水素核
による超微細構造から図 8 中に示すアルキル型ラジカ
ルと同定された 3)。一方、過酸化ラジカルは炭素ラジ
カルが大気中の酸素と反応して生成したものと考えら
れる。
図 9 ポリスチレンの ESR スペクトル
4.4 塩化ビニル
アルキル型ラジカルは 3 日後までに速やかに消失した。
H
C
Cl
過酸化ラジカルは比較的安定なラジカルとして 13 日
後も残存することが確認された。
CH2
n
図 10 に塩化ビニルの ESR スペクトルの経時変化を示
す。塩化ビニルでは樹脂のポリエニル型ラジカルに起
因すると考えられる 1 本線の強い信号が観測された 4)。
4 本線の微弱な信号は、BHT(ジブチルヒドロキシト
3
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ルエン)などのフェノール系酸化防止剤に起因する可
4.6 ラジカルの減衰挙動
能性が考えられる。ポリエニル型ラジカルは、不対電
図 12 に、各種樹脂のラジカル発生量の経時変化を示
子が共役二重結合に非局在化して安定化するため、13
す。ラジカル発生量は、多いものから、塩化ビニル>
日後も比較的強く観測された。照射直後に見られた著
アクリル>ポリプロピレン>ポリスチレン の順にな
しい着色は、ポリエンの生成が原因と考えられる。
った。放射線に安定な材料であるポリスチレンは、ラ
ジカル発生量が最も少なかった。一方、著しい着色が
見られた塩化ビニルは、ラジカル発生量が最も多かっ
た。ポリプロピレンでは、炭素ラジカルと酸素が反応
して生成した過酸化ラジカルが比較的安定なラジカル
として長く残存する傾向が見られた。
図 10 塩化ビニルの ESR スペクトル
4.5 アクリル
CH3
C
CH2
COOCH3 n
図 11 にアクリルの ESR スペクトルの経時変化を示す。
図 12 各種樹脂のラジカル発生量の経時変化
アクリルでは炭素ラジカルに起因すると考えられる強
い信号が観測された。炭素ラジカルは、超微細構造よ
4.7 樹脂の劣化反応
り図 11 中に示すアルキル型ラジカルと同定された 4)。
樹脂中にラジカルが生成すると、ラジカルは樹脂中を
13 日後では、炭素ラジカルが消失し、添加剤由来のフ
移動し、添加剤にトラップされたり、大気中の酸素と
ェノキシルラジカルと考えられる信号が観測された。
3
反応して過酸化ラジカル(ROO・)やヒドロペルオキ
項で紹介した PP の着色事例と同様に、アクリルの着
シド(ROOH)を生成し、樹脂の酸化劣化が進行して
色もフェノール系酸化防止剤の変性が原因である可能
いくと考えられる。以下に、一般的な酸化スキームを
性が示唆される。
示す 5)。
開始反応
RH → R・ + ・H
成長反応
R・ + O2 →ROO・
ROO・ + RH → ROOH + R・
(ROOHは容易に分解し活性種を生成する)
ROOH → RO・ + ・OH
2ROOH → RO・ + ROO・ + H2O
RO・ + RH → ROH + R・
HO・ + RH → H2O + R・
図 11 アクリルの ESR スペクトル
このように、いったん高分子鎖上にラジカルが生成す
4
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ると酸素と反応して酸化が進行していく。γ 線による
井上 敬子(いのうえ けいこ)
樹脂製品の劣化は経時的にも進行するため、経時的な
構造化学研究部
影響にも注意して分析する必要がある。
構造化学第 1 研究室 研究員
趣味:歌うこと
5. まとめ
小野田 資(おのだ もとし)
本稿では、ポリプロピレンの変色解析事例、及び各種
有機分析化学研究部
樹脂材料のラジカルの評価事例について紹介した。変
有機分析化学第 2 研究室 研究員
色に限らず溶出物の分析は非常に重要であり、溶出物
趣味:音楽鑑賞
の同定には LC/MS/MS や NMR 分析も有用である。ま
た、ESR を用いて樹脂や添加剤由来のラジカル種を同
定すること、及び製品に残存するラジカル量を経時的
に評価することも非常に重要である。弊社では、γ 線・
電子線の照射処理から各種測定・解析までワンストッ
プで実施可能である。
放射線滅菌は、医薬品への利用も拡大してきている
が、医薬品の分野においてもラジカルや変性物による
毒性や安全性への影響は大きな問題である。今後、放
射線滅菌を利用する多種多様な分野で発生する問題に
対して現象をよく理解し、問題解決のための分析を心
掛けていきたい。
引用文献
1) 小林寛伊, 医療現場の滅菌, へるす出版 (2000).
2) K. Nakamura and K. Yoshino, Pharm Tech Japan 32(7),
93 (2016).
3) M. Iwasaki, T. Ichikawa, M. Kashiwagi, and K.
Toriyama, Polymer Letters 5, 423 (1967).
4) S. Ohnishi, Y. Ikeda, M. Kashiwagi, and I. Nitta,
Polymer 2, 119 (1961).
5) 大澤善次郎, 高分子劣化・長寿命化ハンドブック,
丸善出版(2011).
山口 陽司(やまぐち ようじ)
構造化学研究部
構造化学第 1 研究室 主任研究員
趣味:草サッカー
沢井 隆利(さわい たかとし)
構造化学研究部
構造化学第 1 研究室 研究員
趣味:ダンス
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