QOD=「死の質」

解答作成のヒント
記事は、QOD=「死の質」という考えに基づき、患者本人が望む最期を迎
えられるようにするための医療現場の取り組みを紹介しています。これは、
「救
命・延命」中心の医療、すなわち、「医師の仕事は患者の病気や怪我を治療し、
患者の命を少しでも長らえさせることだ」という考えに基づくこれまでの医療
のあり方に疑問を投げかけるものです。
このような医療に対する意識の変化は、記事中の「そんな時代(=多死社会
を迎える時代)に、救命・延命、そして病院中心の医療でいいのか。タブーと
されてきた『いかに死ぬか』を大切にした医療に真剣に取り組まなければ」と
いう大島伸一さんの言葉に端的に表れているといえるでしょう。
したがって、小論文の答案を作るにあたっては、このような記事に書かれた
医療の変化を踏まえ、自分がそれに賛成するのか(=救命・延命だけでなく本
人が望む最期を尊重することが大切だ)、反対するのか(=医療の役割はあくま
で救命・延命にあるべきだ)を考えてみるとよいでしょう。
さて、ここでどちらの立場をとるかが小論文の評価に関係ないことは言うま
でもありませんが、今回は、
「本人の望む最期を実現することが重要だ」という
記事の内容に「賛成」する立場からの解答を考えていきたいと思います。
「賛成」論の注意点
課題文に「賛成」する立場で答案を書くときに注意しなければいけないこと
は、いくらあなたが記事の内容に共感したとしても、その内容を「そのままな
ぞる」だけの答案になってはいけないということです。これでは、受験生が「自
分なりの考え」を深めた跡が見られないため、小論文で高い評価を得ることは
できません。
では、記事の内容に賛成しつつも、そこから「自分なりの考え」を深めるに
は、どうすればいいでしょうか。具体的には以下のような方法が考えられます。
① 課題文の結論に賛同しつつ、課題文に示されたのとは別の視点から、その
結論に至るための「根拠」を示す。
② 課題文の結論に賛同しつつ、課題文の記述の中から自分なりの「疑問」を
見つけ、それを掘り下げてみる。
まず、①の切り口で考えてみましょう。今回の記事においては、自然な過程
として死を受け止めて穏やかな死を迎える人がいるのに対し、救命・延命中心
の医療は、かえって患者自身を苦しめる(例:家族と離れた病院での療養、苦
痛を伴う処置)ということが、
「本人が望む最期を叶える医療」への転換を求め
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る中心的な論拠といえます。したがって、これ以外に「本人が望む医療」を重
視すべき理由を書くとすれば、例えば、以下のような論拠が考えられます。
・延命重視の医療が、かえって患者の死への不安や恐怖を増大させる。
・
「望まない延命治療」に投じられる医療費の増大が、本当に延命治療を希望す
る人への公的経済支援を難しくしている。
一方、②の視点から、課題文に「疑問」を投げかけるとすれば、どのような
ものが考えられるでしょうか。私が記事を読んで最も気になったのは、意思表
示の「手段」に関する問題です。
すなわち、記事は、家族が遠方に住むなどの事情で、家族との日常的なコミ
ュニケーションすら途絶えがちな事例や、
「家族に負担をかけたくない」という
理由で終末期の自分の望みを諦めてしまう例を紹介しています。しかし、医療
現場におけるQODを向上させるための取り組みとしては、あくまで「家族と
の話し合い」の重要性を強調するに留まり、上記のような家族とのコミュニケ
ーションが困難なケースに対する根本的な解決策は示されていません。したが
って、この点を掘り下げてみると、課題文に賛同しつつも、課題文から一歩踏
み込んだ議論が展開できそうです。
もちろん、記事をよく読み、思考を深めていけば、他にもいろいろな「課題
文に書かれていない根拠」や「課題文に対する疑問」が思い浮かぶと思います。
ただし、小論文は限られた字数で自分の意見を述べなければいけないものです
から、
「思いついたこと」を箇条書きのように述べるのでは、全体としてまとま
りのない答案になってしまいます。したがって、実際に答案を書く上では、思
いついたアイデアの中から自分が最も言いたい論点を絞り込む作業も必要にな
ります。
そこで、今回の解答では、①で挙げたいくつかの論拠は置いておき、②で紹
介した課題文に対する「疑問」を生かす形で解答を構成していきたいと思いま
す。つまり、
「終末期医療の意思表示」に関して、家族とのコミュニケーション
という〈私的〉領域だけに頼ることの限界を指摘し、もっと多くの人の意思を
汲み上げることが可能な〈公的〉な意思表示のあり方を検討することを議論の
軸としたいと思います。
「前提」の確認
まず、最初の段落では、
「本人の意思を尊重すべき」という議論を導く上での
前提を確認しています。それは、
「死生観の多様性」ということです。気をつけ
なければいけないこととして、記事が紹介するQODの理念は、決して「延命
治療を拒否した自然死だけが人間の幸せな死に方だ」などと決めつけるもので
はありません。実際、記事には、終末期に延命のための医療を望まない人が 81%
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に達したという調査結果も紹介されていますが、
「延命か、自然死か」という選
択は、そのような「多数決」で答えの出るものではありません。そして、私た
ち一人一人の死生観はそのように周囲が決めつけることのできない、多種多様
なものだからこそ、
「本人の意思」の確認・尊重というQODの考えが重要にな
るのです。
アイデアの提示
では、実際にそのような個人の多様な死生観を尊重するにはどうすればいい
でしょうか。先ほど紹介した疑問に戻るなら、家族という〈私的〉領域に頼ら
ない〈公的〉な意思表示、ということはどうすれば実現できるでしょうか。そ
れを具体的に示すのが今回書こうとする答案で最も重要なポイントになります。
ただし、そのための具体的な方法を自分で一から構築するのは困難です。そこ
で、現在日本で行われている〈公的〉な意思表示のあり方を確認し、考えるヒ
ントを探してみましょう。
◇遺言書
自分の死後の遺産相続などに関する意思を書面で残すのが遺言です。重要な
のは、このような遺言書は一定の法的拘束力をもつということです。つまり、
(法
的に有効な)遺言書が残されている限り、遺族はそれを無視して勝手な遺産配
分を行うことはできません。実際、
「遺言書はあくまで参考程度。本人の死後の
ことは最終的には遺族が決めます。」というのでは、自分の死後の希望を真剣に
考え、書面に残そうとは思いにくいでしょう。ただし、このような「遺言」は
あくまで「死後」の遺産相続などの意思を残すためのものであり、終末期医療
に関する意思を遺言で示すことはできません。
◇臓器移植に関する意思表示
皆さんが持っている健康保険証等の身分証には、臓器提供に関する自分の意
思を記載する欄があるのをご存じでしょうか。「心臓停止」、あるいは、いわゆ
る「脳死」に陥ったときのそれぞれについて、自分の臓器(心臓、肺、肝臓…
など)を、臓器移植を必要とする人に提供したいか/したくないかの意思を表
示できる記入欄です。
ただ、今回の「終末期医療に関する意思表示」という問題に当てはめて考え
ると、
「人工呼吸器の使用を希望するか?」
「胃ろうの処置を希望するか?」
「病
院と家のどちらでの治療を希望するか?」などの多種多様な内容を、カードの
中の限られたスペースに「選択式」で記入するのは「多様な死生観の尊重」と
いう目的にはあまりそぐわないかもしれません。
◇リビングウィル
「リビングウィル(生前の意思)」とは、終末期における延命治療を拒否し、
尊厳死(自然死)を望む人々が、そのような自らの意思を元気なうちに書面に
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残して、周囲の人間にも周知しておく活動です。ただし、問題としては、この
ようなリビングウィルの表示は、
「遺言書」のような法的な拘束力はもたないと
いうことです。つまり、このような意思表示は、
「本人はこう考えていた」とい
う証拠にはなるものの、その意向を家族や医師が本当に尊重してくれるかの保
証はないのです。
また、法的な枠組みがないということは、どのような希望は通って、どのよ
うな希望は無効なのか、という明確な線引きもないということです。当然、
「本
人の意思の尊重」といっても、患者のあらゆる「死」に対する希望を無制限に
叶えるわけにはいきません。実際、現在の日本では、記事にあるような、延命
治療を拒否して自然な死を選ぶ「尊厳死」の希望は認められつつあるものの、
「病
気が苦しいので、薬物の投与によって命を絶つ」といった「安楽死」は、殺人・
自殺幇助等とみなされ、まず認められることはありません。
このように見てみると、現在ある「リビングウィル」の考えを生かしつつも、
「遺言書」のような法的な拘束力をもたせるのが、
〈公的〉な意思表示の仕組み
としては妥当ではないかという考えに至ります。そこで、解答例では、上記で
示した現在の「リビングウィル」の問題を踏まえながら、それを法的に整備す
ることの重要性を強調することで、自分の意見として提示しました。
まとめ
「死」は「生」の終着点として、誰にでもいつかは訪れるものです。だから
こそ、いつか訪れる死に漠然と脅えるのではなく、あえてそのときを見据えて、
自らの希望を考えておくこと(そして、その意思がきちんと尊重されるという
安心感をもつこと)は、
「死」に行き着くまでの自らの「生」をも見つめ、それ
を豊かにしていくことにもつながるのものだといえます。解答例では、このよ
うな、
「QOD(クオリティー・オブ・デス)」=〈死の質〉と、
「QOL(クオ
リティー・オブ・ライフ)」=〈生の質〉のつながりを示唆することで、まとめ
の段落としました。
実際、現在、超党派の議員グループの間で、
「尊厳死」を容認する法案を国会
に提出するための議論が進んでいます。
<参考>
・「尊厳死法案 現実味 自民PT、各党に議論要請へ 法制化に賛否、成立は
不透明」(読売新聞 2013 年 12 月 29 日朝刊)
・「『尊厳死法案』提出へ 生命倫理議論 参院主導で」(読売新聞 2014 年 1 月
30 日朝刊)
「尊厳死」
「自然死」を巡る議論には、まだまだ賛否両論があり、早急な結論
の出せる問題ではありません。しかし、このような議論が活性化すること自体
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が、私たち一人一人が「生」と「死」という問題に改めて向き合うきっかけに
なるのなら、それだけでも十分に価値のあることだといえるのではないでしょ
うか。
(青山奈津)
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