“猫は猫を支え、犬は犬を助ける。なぜ、私たち女性はお互いを支え、助け

CARE International Japan
“THE TOP 10 MYTHS”
2011 年 3 月 9 日
Kang Tongbi の物語
“猫は猫を支え、犬は犬を助ける。なぜ、私たち女性はお互いを支え、助け合わないのでしょう
か。”
物心つく前から、中国の女性に権利を与えるという Kang Tongbi の使命は始まっていました。彼
女の父であり、光緒帝に変法を上奏した康有為は、中国の伝統を否定し、娘に纏足を施しませ
んでした。このことで、彼女はその時代の多くの女性を制限していた文字通りの、そして比喩的な
束縛から解放され、前向きな人生を送ることができたのです。
纏足は何百年も続いた中国の上流階級の風習でした。幼い少女の足の指を折って、足の下に
曲げ、きつく縛ります。結果として生まれる小さな足は当時「三寸金蓮」として文学において崇め
られ、上流階級、富裕層、そしてセックスアピールの証でした。しかし、纏足によって、女性は永
久に外観を損なわれ、歩行が困難となったのです。
この体を不自由にさせる風習を終わらせ、そして中国の女性を自由にするという Kang の情熱が
高まったのは、家族が国外追放になった後でした。Kang はアメリカ合衆国に移住し、そこですぐ
さま、中国移民と追放になった同胞を組織し始め、父親の団体である中国維新会(保皇会)の女
性部としてまとめました。
あるニューヨークトリビューンの記者は、1903 年に Kang がまだ 15 歳か 16 歳で初のニューヨーク
支部を立ち上げた当時、集まった英語圏の人々に対して、彼女が中国の女性のために何を成し
遂げたいかについて説明をしている内容を、こう引用しています。「私は、中国の女性たちに新
聞を読んで欲しいのです。物事を知って欲しいのです。物事が正しい方向へ進む手助けをし、
主要な教育を受けて欲しいのです。」
その後、Kang は Barnard 大学に進学しました。そして、学校側の特別な計らいにより、在学中は
社会改革のため広く世界を回ることができました。
卒業後、Kang は上海に戻って、中国初の女性向け新聞を編集し、纏足を終わらせるために尽力
しました。また「将軍を倒せ!男女同権万歳!」のスローガンを掲げる上海女性協会の支援も行
っていました。1911 年、中国は纏足を禁止しました。Kang は 1969 年に亡くなる前に、父親の伝
記も出版しています。その父こそ、彼女に中国を進む足を残してくれた人でした。
現状は?:
中国の急速な経済成長は、多くの女性の進出と時期を同じくします。中国では 70%の女性が賃
金労働を行っています。世界的な平均は 53%です。