文化理解を目的とする東洋美術の鑑賞教育(3)

文化理解を目的とする東洋美術の鑑賞教育(3)
―メディアの観点による浮世絵版画へのアプローチ―
新井
義史
北海道教育大学岩見沢校絵画研究室
Appreciation education of the Orient art to understand culture (3)
― Approach to Japanese print by viewpoint of media―
ARAI
Yoshifumi
Department of Art Education, Iwamizawa Campus, Hokkaido University of Education
概要
本稿では、浮世絵版画が制作された当時の文化的背景ならびに大衆による受容状況を考察し、加えて2
点 の 鑑 賞 事 例 を 検 討 し た 。「1.大 衆 文 化 の中 の美 術 とメディア」では、庶 民 向 け商 品 としての展 開 が始 まった江 戸 期 の
美 術 状 況 について述 べた。「2.江 戸 期 の出 版 と印 刷 技 術 」では、錦 絵 制 作 の背 景 となった当 時 の出 版 状 況 と印 刷 技 術
を扱 った。これらの考 察 を通 じて、浮 世 絵 版 画 は大 衆 文 化 の中 で発 生 し、そして大 衆 の嗜 好 に合 わせて制 作 販 売 され
た実 用 品 であり、今 日 のジャーナリズムの活 動 にきわめて近 いものであることを指 摘 した。「3、鑑 賞 事 例 」では、浮 世 絵 版
画 の生 産 と受 容 に触 れうる鑑 賞 指 導 の具 体 例 を提 示 する目 的 で、 内 容の読み取 り例 を示 した。
は じ めに
関心ある情報を伝えるためのメディアであったと
浮 世 絵 版 画 は 、日 本 を 代 表 す る 美 術 分 野 の ひ と
いえる。
つである。今の私たちは、通常の絵画作品を鑑賞
通 常 の「美 術 の造 型 」すなわち一 般 的 な絵 画 作 品 と
するのと同様に、浮世絵版画も美術館で額縁に入
して、浮 世 絵 版 画 を鑑 賞 することはもちろん可 能 である。
れられた状態で目にする場合がほとんどである。
しかし、そうした鑑 賞 の仕 方 のみでは文 化 史 的 位 置 づ
現在では、浮世絵版画が「芸術作品」であること
けからいえば偏 向 した理 解 の仕 方 であるともいえる。
これまで浮 世 絵 版 画 の鑑 賞 では、ほとんどコミュニケ
を疑う人はほとんどいないだろう。
しかし、それが生産された当時には、制作目的
ーションの問 題 としての扱 いがなされてこなかった。メデ
や美的内容はかなり特殊なものであった。江戸の
ィアとしての観 点 から浮 世 絵 版 画 にアプローチすること
人々にとっての浮世絵版画は、庶民のために大量
は、当 時 の文 化 と、そこに生 きる人 々の生 活 を垣 間 み
生 産 さ れ た「 商 品 」で あ り 、今 で い え ば ポ ス タ ー ・
ることを可 能 にする。 さら にその視 点 から は、海 外 でも
チラシ・パンフレットのような日常生活の消耗品
評 価 され活 況 を呈 している我 が国 のポップカルチャー
であった。したがって、美術作品である以前に、
(アニメ、マンガ、ゲーム)との間 に、多 くの共 通 点 を見 い
1
だすことが可 能 である。
の需要に応じてきた。
メディアの観 点 による浮 世 絵 版 画 へのアプローチは、
応仁・文明の乱以後、商工業により富を蓄えた
日 本 の伝 統 文 化 理 解 のための教 育 方 法 の一 つである
「町衆」による独特な文化の形成から、その後、
と同 時 に、現 代 日 本 の大 衆 文 化 のルーツ理 解 のため
大 都 市 の「 町 人 階 級 」 を担 い 手 とし て 発 展 し た 、 江 戸
の手 法 にもなりうるものと考 える。
時 代 の「大 量 消 費 」の「大 衆 社 会 」に向 けては、美 術 品
に関 しても「大 量 生 産 」が求 められることになった。
本稿では、まず芸術の大衆化傾向の中で、作品
以 下 、近 世 の「大 衆 化 現 象 」の中 で、そのあり方 を変
が量産化され店頭で販売されるようになった江戸
化 させていった美 術 品 の状 況 に関 して述 べる。
時代の状況について述べた。ついで、当時最先端
の情報メディアであった出版の状況と浮世絵版画
(2) 庶 民 アート=民 画
の制作システムの特殊性について述べた。その後
に、鑑賞事例として、錦絵の制作過程および絵草
西洋美術史の解説では、その多くの部分が油彩
紙屋の店頭を描いた2点の浮世絵作品からの読み
を中心とした「絵画」のジャンルで占められてい
取りを行った。これらの作品は、浮世絵版画が生
る。それに対して日本美術史では、造型ジャンル
み出され、大衆によって消費されていた当時の状
が絵画以外にも多様なことが特徴的である。西洋
況をリアルに物語るものである。これはメディア
美術史に親しむ者にとっては、この点が日本美術
の観点からの鑑賞教育の場においても実際に活用
を理解し難く感じられる理由でもある。
屏風絵や水墨画は室内調度品であり鑑賞画でも
できる作品であろう。
あ っ た 。陶 芸 や 石 庭 に し て も 茶 道 や 禅 と 結 び つ き 、
1,大 衆 文 化 の中 の美 術 とメディア
かつては生活の一部分であった。こうした日本美
(1)需要 者 層の 変 化
術史の諸造形ジャンルに共通しているのは、その
ほとんどが「実用」に即した造形であるという点
絵 画 は長 く、公 家 および上 級 武 士 が独 占 的 に享 受
である。
してきたものであった。市 民 の 新 興 諸 勢 力 の 登 場 以 前
日本美術史を「用」の観点から捉え直す試みを
には、絵画の需要者は社会の上流階級の僧侶・貴
行った中で、水尾は次のように述べている。
族・武家であった。彼らは知識階級であり学問や
「 お よ そ 人 間 の 物 を 作 る 行 為 は『 用 』に 発 す る 、
教養があり、彼らにとっての絵画は、信仰のため
そして現実の生活の『用』に即するものとして生
あるいは精神を高めるためのものであった。
室 町 後 期 以 後 、都 市 の商 工 人 が経 済 力 と教 養 を身
活の造形が営まれ、宗教的生活の『用』に即して
につけ始 めることにより、絵 画 の需 要 層 が拡 大 した。し
宗教の造形が行われ、それらの『用』から離れた
かし、高踏な学問の素養を欠く江戸の町民階級が
も の と し て 美 術 の 造 型 が 生 じ る 。」 1)
欲していたものは、学問や教養を必要とせず、本
扇絵、団扇絵、大津絵、泥絵、絵馬など、民衆
能や感覚で直ぐに理解できる簡単で美しいもので
の生活の装飾や娯楽や信仰の用に供するために、
あった。ましてや社会の汚い部分や暗い側面を採
民衆みずからの手で生み出した絵画は、
「 民 画 」と
り上げることは無く、人々の夢を楽しく美しく視
呼ばれる。民間の職人的な画工により、不特定多
覚化して喜ばせる必要が、商品としての錦絵に求
数の一般大衆を顧客として制作され、広範な層の
められていた。
共感を求めて描かれて、しかも生活人が自ら身銭
を切って買い求めるようなタイプの造型が民画の
浮世絵版画は、芝居と遊里を主題とするその享
特徴でもある。
楽性および秘戯画の量産などにより、好色性・退
廃性を本質とみる傾向もある。しかし、絢爛たる
水尾はそこで、庶民的な民画の典型的な例とし
高価な錦絵から、ごく廉価な安絵に至るまで、商
て浮世絵を取り上げているのであるが、それは、
品としての種類も多く、あらゆる段階の町人たち
上層階級のために奉仕する絵画や、天才画家の個
2
性発現のために描かれる絵画と異なり、著しく工
が、 史 料 の 上 か ら 具 体 的 に 確 認 出 来 る の は、 室 町 時
芸的な性格を持っていると指摘する
代 に入 ってからとされる 4)。
2)。
庶民がその需要者になり、出来事・ 事件 などを
京 や堺 などの町 中 にある「見 世 =店 」で買 い求 められ
取材し、広く公表・伝達した浮世絵版画の作者は
る商 品 としての屏 風 や扇 は「町 物 」と呼 ばれた。屏 風 屋 、
職人=画工であった。浮世絵版画は絵画による表
扇 屋 はそれぞれを専 門 に扱 う見 世 である。このような見
現でありながらも、民衆への情報提供を目的に多
世 では扇 絵 や貝 絵 、掛 幅 や屏 風 などの実 用 的 美 術 品
量に描かれ、しかも安価で売られたメディアであ
を一 種 のレディメード(既 製 品 )として制 作 ・販 売 してい
った。
た。その多 く は、複 雑 な知 識 を必 要 とし ない画 題 が選
択 された 5)。
(3) 「師 宣 工 房 」による肉 筆 浮 世 絵 の量 産
ところで、これら既 成 美 術 品 の「町 物 」の購 入 品 に対
浮 世 絵 は桃 山 時 代 の 洛 中 洛 外 図 等 の風 俗 画 に源
して、「下 品 (かひん)」なる価 値 付 けを行 った記 述 が散
を持 つ。たくましい姿 態 を備 えたいわゆる寛 永 風 俗 画
見 される。 「 下 品 」 と呼 ばれる 品 々 は高 級 品 (= 上 品 )
のほとんどは、貴 族 や武 家 の注 文 であったと考 えられる。
ではなく、安 価 なものであるということを言 っているわけ
しかし、それらは次 第 に同 一 図 様 のものが多 数 描 かれ
であり、絵 画 でいえば宮 廷 の絵 所 絵 師 の作 るような「上
るようになり、しかも小 形 屏 風 が増 加 するようになった。
品 」 の 対 概 念 で あ り、 一 般 庶 民 の 需 要 も 満 た すよ う な
そのことは鑑 賞 者 が武 家 のみではなく、一 般 庶 民 の内
品 々であった。
の富 豪 者 にも拡 大 されてきたことを意 味 している。それ
がさらには注 文 者 の比 率 が逆 転 し、やがて肉 筆 風 俗
(5)「仕 込 み絵 」の特 徴
画 は町 人 の独 占 物 になった。
江 戸 時 代 に入 り、宮 廷 や寺 社 に所 属 していた御 用 絵
17 世 紀 半 ばには、「寛 文 美 人 」と呼 ばれている美 人
師 たちには変 化 が生 じた。所 属 の絵 所 が解 散 縮 小 す
像 の掛 軸 画 が流 行 した。この美 人 画 は、無 背 景 のひと
る中 で、多 くの絵 師 が町 絵 師 として民 間 に流 出 してい
り立 ちを特 徴 とし てい る。 の びや か に描 か れた 寛 文 美
かなければならなかった。大 都 市 の市 中 には小 規 模 の
人 はその後 の浮 世 絵 の前 史 にあたるとされている。
民 間 絵 画 工 房 が誕 生 し、不 特 定 多 数 の顧 客 を相 手 に
肉 筆 美 人 画 の流 行 に応 えたのが「菱 川 工 房 」であっ
絵 を商 品 として商 う「絵 屋 」(新 興 の美 術 店 )という名 の
た。菱 川 師 宣 は、自 身 が主 宰 する工 房 において「菱 川
新 しい職 種 が誕 生 した。
師 宣 ブランド」の大 量 の肉 筆 画 を世 に送 り出 してこの需
絵 屋 とは、特 定 の客 の注 文 を待 たず、一 定 量 の既 製
要 に応 じた。さらには大 量 生 産 が可 能 な木 版 画 という
品 としての絵 画 作 品 をあらかじめ用 意 しておかねばな
表 現 手 段 によ り、単 価 の低 い浮 世 絵 版 画 を作 成 し 販
らない。そのためには、売 れ行 きの良 さそうな絵 の作 画
売 することを可 能 にした。
を町 絵 師 に大 量 に依 頼 する必 要 がある。そうした作 品
師 宣 は、肉 筆 浮 世 絵 、絵 本 挿 絵 から一 枚 摺 りの大 判
は「仕 込 み絵 」、「仕 入 れ絵 」と呼 ばれた。
の版 画 まで描 き、さらに丹 絵 (墨 摺 版 画 に鉱 物 性 で赤
特 定 の鑑 賞 者 を予 期 せずして制 作 されるような絵 画
色 の丹 で手 彩 色 した)を開 発 するなど、流 派 としての菱
というものは、従 来 はほとんど考 えられなかった。 した
川 派 を形 成 すると共 にこれに続 く浮 世 絵 師 たちの活 動
がって、「仕 込 み絵 」には従 来 の絵 画 とは異 なる幾 つか
を呼 び起 こした。師 宣 の死 後 、「漆 絵 」を経 て改 良 を加
の特 質 が 見 ら れ る 。 小 林 忠 は、 江 戸 時 代 の庶 民 向 け
えられ黄 ・紫 ・緑 などの絵 の具 を用 いて手 彩 色 した「紅
絵 画 =仕 込 み絵 の特 徴 を以 下 のようにまとめている
絵 」は、一 日 に二 百 枚 程 刷 り上 がり、若 衆 たちを売 り子
6)。
として売 りさばかれたという 3)。
1)通 俗 的 な主 題 への偏 向
人 々の関 心 と欲 求 の最 大 公 約 数 的 な題 材 を採 り上
げることで、 身 近 に触 れうる 通 俗 的 な題 材 に限 定 され
(4)「見 世 =店 」による既 製 美 術 品 販 売
がちであった。とりわけ享 楽 的 、好 色 的 な歓 楽 として遊
「美 術 品 」に関 して人 々が店 で買 い物 をしている実 態
3
里 と芝 居 町 という当 時 の二 大 悪 所 に取 材 する傾 きが強
情 勢 から 読 み 取 り、絵 師 に制 作 を依 頼 し た。売 れ そう
かった。流 行 現 象 に極 めて敏 感 に反 応 する。高 位 の遊
にないものを制 作 することはまず無 く、あえて損 が見 込
女 や人 気 役 者 など、彼 らによって先 導 される最 新 の服
まれるようなものには手 を出 さなかった。
飾 、デザイン、髪 型 、化 粧 法 などが早 急 に紹 介 された。
浮 世 絵 版 画 が常 に人 気 作 家 の様 式 に統 一 されてし
2)廉 価 にするために
まったことの裏 には、売 れ筋 のブームに乗 っかることが
第 一 に廉 価 であることが優 先 され、その上 で内 容 へ
最 も安 全 な選 択 であるという、版 元 にとっての商 業 的 な
の努 力 が加 えられた。当 初 は肉 筆 画 の量 産 が図 られ、
理 由 があった。
版 画 という複 製 手 段 の利 用 へと進 んだ。そこでは図
こうした事 情 は、現 代 のマンガ界 ・歌 謡 界 ・大 衆 小 説
の代 用 にとどまらず、独 自 の美 術 特 質 が自 覚 された。
の世 界 などと通 じ合 うものがある。マス文 化 に特 有 な現
3)趣 向 の変 化
象 として理 解 してよいだろう。
奥 村 政 信 の始 めた「浮 絵 」(西 洋 画 法 の摂 取 応 用 )、
常 套 的 な表 現 を避 ける機 知 的 な「見 立 て」「略 (やつ
2、江 戸 期 の出 版 と印 刷 技 術
し)」(誰 もが知 る有 名 な故 事 や逸 話 を原 点 に選 び、当
(1)営 利 出 版 の開 始
世 風 俗 の情 景 に翻 案 )など、常 に新 鮮 なスタイルの変
「印 刷 」という行 為 は、「販 売 」という経 済 的 活 動 を伴
化 が要 求 された。
って社 会 に供 給 する「出 版 」という形 態 へと発 展 してい
4)様 式 の混 交
く。日 本 にお いて、出 版 事 業 が初 めて登 場 したのは、
高 い世 評 の作 家 の様 式 を他 から取 り入 れたり、注 目
寛 永 年 間 (1622~1644)京 都 においてで あった。この
を集 めた傾 向 にいっせいになびく。剽 窃 や模 倣 も頻 繁
頃 までは、そもそも当 時 の社 会 の中 で書 物 に接 するの
に行 われた。その結 果 、流 行 はきわめて短 期 サイクル
は貴 族 や 知 識 層 だけであり、 一 般 的 な書 物 は写 本 を
で回 転 した。
行 うことで充 分 とされており印 刷 本 は一 段 下 に見 られて
いた。主 に印 刷 を行 っているのは文 化 人 や寺 社 といっ
(6)市場 原 理に基づく情 報の流 通・発 展
たところであり、どちらかといえば社 会 事 業 という意 識 が
抱 かれており、営 利 性 は薄 かったと考 えられる。その後 、
浮 世 絵 版 画 の歴 史 は、時 代 ごとに横 に切 ってその断
層 を積 み重 ねるように成 立 している。一 人 の人 気 作 家
出 版 の中 心 は大 阪 に移 り、さらには文 化 の中 心 地 とな
が現 れると、その人 気 作 家 に様 式 が統 一 されてしまっ
った江 戸 に移 った。
たという。享 保 年 間 は政 信 一 人 の様 式 に統 一 され、明
都 市 人 口 の増 加 、商 業 の発 達 と現 金 を所 有 する 庶
和 年 間 は春 信 、寛 政 年 間 は歌 麿 一 人 に塗 りつぶされ
民 の急 増 などにより、江 戸 における大 衆 消 費 文 化 が発
てしまった。
生 した。多 くの人 々が豊 かな食 文 化 や観 劇 を楽 しむよ
うになり、 現 在 につながるい わゆる日 本 の大 衆 文 化 が
人 気 作 家 のスタイルは直 ぐに他 の浮 世 絵 作 家 に模 倣
出 発 したのもこの時 代 であった。
され、流 行 のスタイルとして同 時 期 を埋 め尽 くした。とり
吉 宗 時 代 から普 及 し始 めていた寺 子 屋 の普 及 により、
わけ浮 世 絵 版 画 を、実 用 的 な文 化 の観 点 から見 た場
合 には、商 業 ベースに乗 った大 衆 文 化 そのものであっ
文 学 に縁 遠 かった中 流 以 下 の武 家 や町 人 階 級 も読 み
たといえる。
書 き出 来 るようになった。庶 民 の識 字 率 の急 上 昇 に合
わせ て、 出 版 物 も 急 増 し、 出 版 業 を中 心 とした 情 報 メ
浮 世 絵 版 画 は絵 師 の芸 術 性 を自 由 に発 露 する よう
ディア・マスコミ世 界 が形 作 られてきた。
な代 物 ではなかった。浮 世 絵 版 画 が採 り上 げた題 材 は、
文 学 ・演 劇 ・音 曲 とも密 接 に関 連 し、庶 民 ・町 人 ・都 市
それまではもっぱら手 書 の本 (写 本 )であったものが、
生 活 者 といった大 衆 の嗜 好 に合 わせて制 作 する必 要
商 業 的 印 刷 出 版 の始 まりにより、多 くの部 数 を複 製 さ
があった。
れた図 書 が生 み出 されるようになった。かつてはほとん
どのような内 容 のものが売 れる物 であるのか、商 品 と
どが漢 字 で表 記 された「物 之 本 」であったものが、元 禄
して売 り上 げが見 込 める物 であるのかは、版 元 が社 会
期 へと至 る間 に庶 民 文 学 が隆 盛 し、ひらがなを主 体 と
4
した挿 絵 入 の小 説 本 や随 筆 本 の「仮 名 草 紙 」が出 版 さ
純 粋 に絵 を楽 しみたいという庶 民 の願 いに応 え、版 元
れるようになった。井 原 西 鶴 や近 松 門 左 衛 門 などの人
は挿 絵 を、 本 の一 部 とし てではなく「 一 枚 絵 」 とし て木
気 作 家 が登 場 し「好 色 一 代 男 」以 降 の一 連 の作 品 を、
版 印 刷 し、出 版 するようになった。そして、庶 民 の日 常
それまでの仮 名 草 紙 と区 別 して浮 世 草 紙 と呼 ぶように
生 活 を描 いた 一 枚 絵 はいつしか「浮 世 絵 」と呼 ばれる
なった。 浮 世 には世 間 一 般 という意 味 と、色 事 、好 色 と
ようになった。
いった意 味 がある。
(4)出版 物 の多様 性
(2)江戸 地 本としての草 双紙
①「版 本 」
西 鶴 が没 した頃 から、浮 世 草 紙 に代 わって出 版 文 化
江 戸 期 の印 刷 ・出 版 物 の呼 称 には説 明 が必 要 だろう。
のリーダーシップをとったのが、江 戸 の生 んだ独 自 の出
一 般 的 に木 版 で印 刷 された書 物 などは「版 本 」と呼 ば
版 物 「地 本 」の「草 双 紙 」であった。「草 双 紙 」は、寛 文
れた。また、手 書 きによる 写 本 に対 応 する用 語 としては
年 間 (十 七 世 紀 後 半 )、「赤 本 」に始 まり、時 代 が下 る
「刊 本 (かんぽん)」がある。これは印 刷 本 の総 称 であり、
につれて「黒 本 」、「青 本 」に、そして大 ブームをおこし
意 味 としては版 本 と同 様 である。
た「黄 表 紙 」およびその合 本 形 式 である「合 巻 」へと発
②「一 枚 摺 」
展 した、大 衆 向 け出 版 物 の総 称 である。
それに対 して、浮 世 絵 版 画 のように、一 枚 で独 立 して
草 双 紙 は、絵 が主 体 で文 は付 け足 しのようないわば
鑑 賞 するための印 刷 物 は「一 枚 摺 」または「一 枚 絵 」と
大 人 の絵 本 で ある 。 本 文 と 挿 絵 が同 一 の ペ ー ジの 中
呼 んだ。また、版 本 の挿 絵 などを指 す場 合 もある。丹 絵 、
で同 時 進 行 する。もともとは子 ども向 けに作 られた短 編
紅 絵 、紅 摺 絵 、錦 絵 などはこの一 枚 摺 に含 まれる。二
集 で、次 第 に大 人 も楽 しめる読 み物 へと発 展 した。絵
枚 ・三 枚 と画 面 が続 く物 もこの中 に含 める。「揃 物 」はシ
がストーリー同 様 に大 切 で、別 名 を「絵 双 紙 」と言 われ
リーズ化 したものを指 している。
今 日 の「 マンガ」に近 い。浮 世 絵 師 の多 く が草 双 紙 の
③「墨 摺 絵 」(すみずりえ)
挿 絵 を描 いている。
浮 世 絵 版 画 最 初 期 の様 式 で墨 一 色 だけを用 いて摺
江 戸 地 本 には、この他 に「洒 落 本 」(遊 里 を舞 台 にし
られたもの。寛 文 ・延 宝 期 (1661~81)に江 戸 で始 まっ
た江 戸 小 説 本 。60~80 ページの中 に略 画 風 挿 絵 が 2
た。
~10 図 入 る)、「人 情 本 」(江 戸 町 人 の恋 愛 話 で 48 ペ
④「錦 絵 」
ージものが多 く安 価 。口 絵 に登 場 人 物 をあしらった錦
一 枚 摺 の市 販 木 版 画 が完 全 な多 色 摺 りの段 階 を迎
絵 が2~3 枚 入 り、本 文 には墨 一 色 の挿 絵 入 )、「滑 稽
え た 以 後 のも のを指 す 。 多 色 刷 りの 際 の 色 ズレ は「 見
本 」(絵 は巻 頭 に1~2 枚 。本 文 は文 字 がぎっしり詰 ま
当 」の完 成 により解 消 した。明 和 2年 (1765)の好 事 家
った読 本 )、「読 本 」(仇 討 や御 家 騒 動 、英 雄 伝 説 など
や趣 味 人 の間 の絵 暦 (絵 入 りの暦 で新 年 の挨 拶 に配
を扱 った文 主 体 の読 み物 )などがあった。これらは草 双
ったも の) 発 行 ブ ーム を 契 機 とし て 作 ら れ た 多 色 摺 版
紙 とは呼 ばない。
画 は、錦 のように美 しいという意 味 で、その名 を呼 ばれ
ることとなった。
(3)草双 紙 から浮 世絵 版画へ
⑤「摺 物 」
草 双 紙 は、近 世 期 全 般 を通 じて、もっとも広 く大 勢 の
用 途 からの呼 称 としては「摺 物 」がある。これは木 版 で
読 者 に読 み継 がれてきた文 芸 ジャンルであった。近 世
複 数 摺 ったものであり、非 売 品 の一 枚 物 を指 す。個 人
小 説 の一 ジャンルとして異 例 な息 の長 さを保 った理 由
出 版 物 で新 年 の挨 拶 用 や催 し物 案 内 、役 者 の襲 名 披
は、継 続 的 な需 要 に支 えられた商 品 価 値 を維 持 すべく、
露 などに用 いられた。絵 暦 もこの類 である。個 人 出 版 の
時 世 の流 行 に 合 わ せ て体 裁 と内 容 とを変 化 させ 続 け
ため取 り締 まりを逃 れ、費 用 も度 外 視 しているために贅
たからにほかならない。
を尽 くした摺 りを行 うものが多 かった。
やがて、これらの挿 絵 が庶 民 の人 気 を呼 ぶようになる。
⑥「引 札 」
5
商 店 が開 店 の挨 拶 や大 安 売 りの時 に宣 伝 のために
日 本 でも江 戸 時 代 の初 期 に一 時 、活 版 印 刷 が行 わ
配 ったもので、現 在 のチラシ(広 告 )にあた る。越 後 屋
れたが、すぐに姿 を消 し、木 版 印 刷 だけになった。かな
(三 越 の前 身 )が、天 和 3年 (1683)、日 本 橋 駿 河 町 に
と漢 字 による日 本 語 の印 刷 には、膨 大 な数 の活 字 が
開 店 した折 りに出 したものがよく知 られている。一 般 に
必 要 である。少 ない字 数 のアルファベットとは異 なり、
江 戸 では引 札 (ひきふだ)、上 方 では散 (ちらし)と称 され
日 本 語 の活 版 印 刷 はあまりにも大 変 だったというのが
た。明 治 初 期 頃 までは、一 色 か二 色 で刷 り上 げた粗 雑
その大 きな理 由 であった。
なチラシであったが、明 治 十 年 ごろから、多 色 石 版 によ
さらに、活 字 印 刷 の場 合 には一 旦 印 刷 した後 は版 組
る広 告 ポスタ ーの影 響 を受 けて、きらびや かな錦 絵 の
を解 いていることから、 増 刷 時 に再 度 新 しく活 字 を組
技 術 を引 札 に応 用 し始 め、近 代 の商 業 広 告 デザイン
み直 さなくてはならない。本 の需 要 が増 した時 代 になる
へと引 き継 がれた。
と逆 に不 便 さが増 加 し、結 局 のところ版 木 に直 接 彫 る
⑦「掛 物 絵 」
方 式 の「整 版 」にとって代 られるようになった。
大 判 錦 絵 を上 下 2 枚 つないだ掛 軸 の代 用 品 とした版
整 版 技 術 は奈 良 朝 時 代 に中 国 から伝 来 したもので
画 。絵 草 子 屋 に注 文 することによって簡 単 な表 装 仕 立
ある。整 版 の方 法 は、薄 い紙 に本 文 を清 書 して版 下 を
てをした。
作 り、それを裏 向 きに板 に貼 り付 けて上 から彫 刻 し、そ
⑧その他
の版 木 に墨 をつけ、上 から紙 をあてて馬 楝 でこすって
「団 扇 絵 」
印 刷 した。寛 永 以 降 、古 活 字 版 に代 わって再 び盛 ん
団 扇 に貼 るために作 られた版 画 で、役 者 絵 や美 人 画
になり、江 戸 時 代 を通 じて広 く行 われた。
のものが主 流 。季 節 物 であるが、生 活 用 品 であったた
この技 術 により挿 絵 が簡 単 に入 るようにもなった。寛
め、人 気 の役 者 やその年 の大 当 りした芝 居 の一 場 面 、
永 末 期 頃 (1640 頃 )には伝 統 的 な整 版 が復 活 し、以
これから大 入 を狙 う芝 居 の一 場 面 が描 かれて売 出 され
降 、幕 末 に至 るまで木 版 印 刷 が主 流 となり江 戸 の出 版
たりした。改 印 も団 扇 絵 独 自 のもので、一 般 の浮 世 絵
文 化 を支 えてきた。
とは、流 通 経 路 が異 なっていた。
木 版 印 刷 の最 大 の特 徴 は、レイアウトが自 在 であるこ
「玩 具 絵 」
とだろう。平 安 時 代 から絵 巻 物 が作 られていた日 本 で
子 供 の遊 戯 用 ・鑑 賞 用 に作 られた玩 具 としての浮 世
は、画 面 には絵 と文 字 が同 居 するのが当 たり前 であり、
絵 のこと。芝 居 の一 場 面 をプラモデルのように組 立 てる
活 版 印 刷 では対 処 の仕 様 がなかったことだろう。
組 上 絵 (立 版 古 )、切 り離 して着 せ替 え人 形 のようにし
日 本 人 には、安 価 で早 く出 来 て修 正 も可 能 な木 版
て遊 ぶきせかえ絵 、色 々な姿 の女 性 の裏 表 両 面 を 描
印 刷 が適 していたのであろう。江 戸 時 代 の出 版 物 のほ
き、これを切 り抜 いたものを貼 りあわせて遊 ぶ姉 様 絵 な
とんどは木 版 印 刷 である。色 を重 ねた多 色 摺 に加 えて、
どの細 工 絵 や、動 物 を題 材 にした擬 人 絵 、絵 双 六 、絵
仮 名 、漢 字 さらにルビ付 き文 字 まで自 在 に彫 ることが
加 留 多 など、その種 類 は多 様 である。
出 来 る上 、再 版 が可 能 であった。木 版 印 刷 は活 字 印
刷 と比 べて利 便 性 と経 済 性 が高 かったといえる。
(5)木版印 刷 の利便 性
(6)多色 刷りの工夫
西 洋 では活 字 を用 いた「活 版 印 刷 」が発 達 し、日 本
では手 彫 りによる「木 版 印 刷 」が発 達 した。このことが浮
師 宣 による、独 立 した一 枚 絵 のいわゆる浮 世 絵 版 画
世 絵 版 画 の誕 生 には大 きく関 係 したとされる。
が登 場 して以 来 、鳥 居 派 や奥 村 政 信 や西 村 重 長 など
活 版 印 刷 は、一 文 字 だけが彫 られた凸 版 を並 べてい
の巨 匠 たちは、黒 一 色 の墨 摺 絵 から少 しでも美 しい表
くことにより、1ページ分 の版 を作 る方 法 であり、活 字 組
現 を目 指 し、丹 絵 ・紅 摺 絵 等 の工 夫 をこらしてきた。し
版 や活 字 版 とも呼 ばれる。近 代 的 活 版 印 刷 技 術 は
かし、いずれも多 色 刷 の木 版 技 術 を開 発 するまでには
1440 年 頃 ドイツで発 明 され、グーテンベルグ(ドイツ)に
至 らなかった。
よってまとめられ西 洋 の三 大 発 明 の一 つとなっている。
6
その原 因 として挙 げられるのは、浮 世 絵 の出 版 をあず
錦絵を出版する全ての主導権は「版元」にあっ
かる地 本 問 屋 つまり当 時 の版 元 の多 くが零 細 な経 営
た。版元が人気の出そうなテ-マを選定して絵師
であったことに加 え、投 機 的 な出 版 にのみ心 血 を注 い
に作画を依頼する。出来上がった版下絵を彫師が
でいた点 にある。多 色 刷 という新 技 術 の開 発 は、多 大
版木に起こし、版元と絵師が摺師の元を訪れ、色
な経 費 と手 間 のかかるため、なおざりにされてきた。
校正のための試し摺りを行う。試し摺りが了解さ
れ れ ば 、 200 枚 ぐ ら い の 単 位 で 摺 師 が 摺 っ て 作 品
フルカラーの印 刷 技 術 を開 発 したのは「巨 泉 連 」と呼
ばれる狂 歌 のグループである。彼 らは、年 始 に交 換 し
が完成する。版元はその錦絵を宣伝し、店頭で販
知 恵 を競 い合 う「絵 暦 」を作 ることにも熱 中 していた。江
売する。
戸 時 代 は太 陰 暦 が用 いられており、大 の月 (29 日 )と
当時の大版元といわれているのは、仙鶴堂鶴屋
小 の月 (28 日 )とがあり、どの月 が大 か小 かが分 かるカ
喜右衛門、須原屋茂兵衛、蔦屋重三郎、和泉屋市
レンダーのようなものが存 在 した。
兵衛である。彼らは文化的な関心が高く、時流を
絵 暦 はそれを謎 かけにして絵 で表 したものである。絵
先取りする企画・編集の能力があり、しかも優れ
暦 は、多 数 と交 換 する必 要 があることから、版 画 による
た絵師と腕のいい職人達をネットワ-ク化するだ
多 色 摺 りの技 術 が必 要 だった。美 しい絵 暦 を作 るため
けの資力と経営感覚があったと言われる。
に種 々模 索 し、フルカラー印 刷 「吾 妻 錦 絵 」を生 み出 し
このような版元と絵師の関係は、今日の出版社
たのが「巨 泉 連 」であった。
と漫画家あるいはイラストレーターとの関係に似
彼 らのメンバーには、絵 師 である鈴 木 春 信 、発 明 家
て い る 。当 時 の浮 世 絵 師 は、今 日 の私 たちがイメージ
でもある平 賀 源 内 や主 催 する旗 本 の「巨 泉 」こと大 久
している 芸 術 家 ではなく、 むしろ製 品 を製 造 する立 場
保 甚 四 郎 、他 に武 士 、商 家 、彫 師 、摺 師 、そして普 通
におかれている職 人 という存 在 に近 いことがわかる。
の庶 民 がいた。エレキテルなど数 多 くの発 明 をした平
浮世絵版画の制作プロセスにおいて、絵師の力
賀 源 内 がメンバーだったことは、多 色 摺 り技 術 の完 成
と彫師・摺師の関係がどのようなものであったの
に大 きな貢 献 をしたことだろう。
かはいくぶん誤解されているようである。浮世絵
位 置 合 わせの技 法 である「見 当 」の導 入 により、複 数
師として名を残すことができたのは「絵師」だけ
の色 版 を色 ズレなしに印 刷 することが可 能 になった。さ
であり彫師・摺師たちの多くはその日暮らしの貧
らにいわゆる錦 絵 に見 られる多 色 摺 のさまざまな技 術
しい職人に過ぎなかったのであるが、彼ら彫師・
が工 夫 された 。中 間 色 を出 す重 ね 摺 り、盛 り上 がった
摺 師 は 、 単 に絵 師 の描 いた原 画 を忠 実 に再 現 するだ
感 じを出 すキメ出 し、凹 凸 による模 様 を浮 き立 たせる空
けの立 場 にいたわけではなかった。そうした彫 師 の例 を
刷 りなどが考 案 されて、版 画 というメディアに技 術 革 新
脇 本 は次 のように紹 介 している。
がもたらされた。
「春 信 の美 人 は封 建 時 代 の日 本 女 性 のあらゆる好 姿
とあらゆる美 徳 とを練 り合 わせて、それに息 を通 わせた
(7)大量生 産 のためのシステム
ものだが、面 白 いことにそれは一 人 の彫 師 の独 特 の磨
一枚の浮世絵版画の制作には、絵師および彫師
きを春 信 の原 画 に加 えた場 合 に限 るのだった。春 信 は
と摺師、そしてこの 3 者を統括した版元が存在し
彫 師 を二 人 (親 子 )抱 えていた。一 人 は市 井 の典 型 的
た。北斎など今日よく知られた名前は、浮世絵の
な美 人 に仕 立 て上 げるのだが、もう一 人 の方 の手 にな
「絵」、それも墨の線だけを描いた「絵師」のこ
れば退 廃 色 を帯 びた堕 落 的 な美 人 に化 するのだった
とを指している。
。 7)」
当時の出版文化の担い手は版元である。版元と
すなわち、彫 師 の力 の相 違 により、原 画 が磨 き上 げら
は 、出 版 の ス ポ ン サ - で あ り 、企 画 立 案 者 で あ り 、
れたり堕 落 したりしたわけである。これは摺 師 の場 合 に
販売元であった。現代風に言えば、出版・印刷・
も言 えることである。色 使 いの冴 えや暈 しの入 れ方 のほ
販売を一手に扱う「出版社」であろう。
とんどは、摺 師 の技 術 や力 量 にかかっていた。彫 師 は
7
頭彫と胴彫とに、摺師は色摺師と墨摺師とに分か
版資本である地本問屋が、絵師に版下絵の制作を
れている場合もあったという。
依頼し、それをもとに彫師が版木を彫り、摺師が
彫師や摺り師の名は浮世絵版画の画面に出てい
摺り出すという分業の課程を経て生み出される商
ることは少ないが、錦絵が誕生した明和二年
品であった。
( 1765)や 幕 末・明 治 期 に は し ば し ば 名 前 が 彫 り
錦 絵 の制 作 と流 通 に関 して、大 久 保 は次 のように述
込まれていることがある。
べている。「原 則 的 には錦 絵 は版 元 が利 潤 追 求 のため
浮世絵版画は、墨摺絵の単純な作業から次第に
に生 産 する商 品 である。この点 を忘 れ て、錦 絵 に対 し
技術を錬磨して複雑なプロセスを経る錦絵へと発
て芸 術 第 一 主 義 的 な見 地 のみから解 釈 をほどこすと、
展した。これらは、さまざまな技術を持った職人
本 質 を大 きく見 誤 るおそれがある。出 資 者 の意 向 により、
たちに手による分業体制により成し遂げられた技
主 題 のみならず、ときには図 様 もでも左 右 される例 があ
であり商品である。
ることを考 えるならば、錦 絵 を読 み解 く際 の姿 勢 には、
「創作版画」の流れをくみ、複製品でありなが
そうした背 景 事 情 をも念 頭 においた柔 軟 さが要 求 され
らもオリジナリティを主張する今日の版画作品と
ることになる 8)」
は、この点で大きく異なることを理解する必要が
(9)絵師の位 置づけ
あろう。
錦 絵 の絵 師 たちの多 くは専 門 的 絵 描 きなどではなく、
(8)「創作 版画」との相 違
職 人 とし ての 町 絵 師 であ っ た。 彼 ら の浮 世 絵 師 とし て
大量生産が可能な木版画という表現手段により
の作 家 生 命 は、庶 民 の人 気 に左 右 され、人 気 を失 った
浮世絵は単価の引き下げに成功した。しかし、こ
絵 師 はまたたくまに消 え失 せてしまう存 在 だった。それ
うして生まれた「浮世絵版画」を理解しようとす
は今 日 のマスコミの世 界 における人 気 作 家 と同 様 の存
る際に、今日の我々が考えている「美術品として
在 であった。
の版画」と浮世絵版画とは種々相違することに留
しかし、歌 麿 や北 斎 、広 重 など、その中 でも抜 きんで
意したい。
た者 が個 性 的 な創 造 力 を発 揮 して歴 史 に残 った。彼 ら
私たちが、通常「版画」と呼び表しているもの
の表 現 は、大 衆 が求 める写 実 の要 求 に充 分 応 えるも
は 、「 油 彩 画 」「 日 本 画 」 に 対 応 す る 「 版 画 」 で あ
のであった。しかしながら、その背 後 に横 たわる、過 去
り、材料技法的な区別を指すものである。
の貴 族 文 化 の「雅 」の美 につながる敏 感 なる精 神 性 を
また、今日の版画制作は、版表現が持っている
働 かせ得 た者 であるがゆえに、今 日 に至 っても芸 術 と
表現特性を生かして、個人作家の意志を表現する
しての位 置 を占 めているのだということも出 来 るだろう。
絵画ジャンルの一つとして認知されている。そこ
3、鑑 賞 事 例 (錦 絵 の制 作 と流 通 )
には絵画作品の量産化のための手段あるいは印刷
浮世絵版画は「版元」から「絵師」への注文に
技術の一つという意識は薄い。
日本において版画が、純粋な美術作品として価
よ り 制 作 さ れ 、絵 双 紙 屋 の 店 先 で「 販 売 」さ れ た 。
値 づ け ら れ る よ う に な っ た の は 、明 治 40 年( 1907)
これらは主に「町人」と呼ばれた社会階層により
に山本鼎らにより始められた「創作版画」の活動
消費された。家庭に持ち帰られた浮世絵版画は、
が一般にも認知されるようになって以後のことで
見られた後は反古紙のごとくに扱われたとも言わ
ある。今日の版画作品は、一人の作家が「自画・
れる。
こうした当 時 の人 々の浮 世 絵 版 画 の受 容 状 況 を感
自刻・自摺」するものであり、その面では、純粋
じ取 り、あわせて浮 世 絵 版 画 の制 作 現 場 にも触 れうる
美術の絵画制作と同質に理解されている。
ような理 解 のあり方 として、以 下 に2点 の鑑 賞 事 例 (内
しかしながら、浮世絵版画は絵師が版下絵から
容の読み取 り例) を示 した 9)。
彫り・摺りまでを一人で手がけるのではない。出
8
図1 喜多川歌麿「江戸名物錦画耕作」(絵師・版木師・どうさ引)1803年頃
図2 歌川豊国(3代)「今様見立士農工商・職人」1857年頃
図3 右図拡大
図4 歌川豊国(3代)「今様見立士農工商・商人」1857年頃
図7 左図拡大
図6 中図拡大
図5 改印・絵師名・版元印
②中図
(1)「 江 戸 名 物 錦 画 耕 作 」( 錦 絵 の制 作 )
中図には、版木に版下を貼り付けたところと、
錦 絵 の制 作 プロセスを描 いたものとして良 く知 ら れ て
木槌を振り上げた彫りの最中の様子、および彫刻
い る の は 、歌 麿 の「 江 戸 名 物 錦 画 耕 作 」
( 図 1 )お
刀を研いでいる 3 人の姿が描かれている。
よ び 豊 国「 今 様 見 立 て 士 農 工 商・職 人 」
( 図 2 )で
出版許可印の改印を捺してもらった版下絵が、彫
ある。これらは美人画風に描いた3枚続きの大判
り師に渡されると彫り師は裏返して版木に糊付け
錦絵である。ただし、人物の姿の多くが共通して
する。版下絵は薄紙に描かれているために反転し
おり、歌麿の図を豊国がコピーしたものであるこ
た状態で透けて見える。本図では、その透けた状
とは明白である。
態が描かれている。彫り師がこれを彫ったものが
ところが、この両者には場面の扱いに違いがあ
主版(墨版)である。この時点で絵師が描いた原
る。歌麿の右図が絵師による版下絵描きの場面で
画は消滅する。
あるのに対し、豊国の右図は、板木師による版の
主 版 を 渡 さ れ た 摺 師 が 主 版 の 墨 摺 を 10 数 枚 摺
彫刻の場面である。また、歌麿の左図はドウサ引
る 。こ れ が「 校 合 摺( 校 正 用 の 刷 り の こ と )」と 呼
の場面であるのに、豊国の左図は刷場の場面とな
ばれる色版彫刻用の版下になるもので、一旦絵師
っている。彫りとドウサ引の場面は 2 者に共通し
のもとへ戻される。絵師は校合摺に対して版木別
ているのだが、版下描きと摺りの場面は、いずれ
の「 色 ざ し( 色 指 定 )」を 行 う 。こ の 時 に 着 物 の 模
か一方にしかないのである。
様などを描き込む場合もある。
3 枚続絵のためにこのような場面選択になった
中図では、右の女が主版を担当し、左の女が色
とも推測されるが、2 者の画面を併せて見ること
板を彫っているところを表している。色版の彫り
で、錦絵の制作プロセスを完結させることが出来
は大胆に浚う部分が多いことから、大きめの鑿を
る 。こ こ で は 、歌 麿「 江 戸 名 物 錦 画 耕 作 」3 枚 に 、
使用する場面が多い。
豊国の左図を付け加えて読み取っていきたい。
③左図
①右図
摺 りの際 の下 準 備 として、ドウサを引 いている者 、そ
本図には 3 人の人物がいる。筆を握った右手で
れを吊 して干 している者 とが描 かれている。木 版 画 の
頬杖をついているのが絵師である。絵師の背後に
多 色 刷 りが可 能 になった背 景 には、複 数 回 の刷 りに耐
は芥子園画伝が収蔵されている木箱が置かれてい
えられる丈 夫 な和 紙 が大 量 生 産 されるようになったこと
る 。絵 師 の 手 前 で 版 下 図 を 手 に 見 入 っ て い る 者 と 、
があげられる。
絵師に茶を運んできた女中が描かれており、まさ
錦 絵 には、一 般 的 には奉 書 紙 が使 用 された。奉 書 紙
に今、絵師が版下絵を仕上げたばかりであるよう
は楮 を原 料 とした紙 肌 のきめが細 かく軟 らかくしかも強
な 雰 囲 気 が 感 じ ら れ る ( 図 3 )。
靭 で厚 味 もある純 白 の和 紙 である。室 町 末 期 (十 六 世
版下は、墨の線だけで明瞭に描かれており、着
紀 )から儀 式 用 紙 として、武 家 や公 家 用 に愛 用 された
物の模様などは描かれていない。版下は、彫刻の
ことからこの名 がつけられた 10)。
ための直接原稿で、板に直接張り込まれる。細部
④豊国の左図
に関しては彫師の技量に委ねられていることもあ
本 図 には摺 りに用 いる道 具 類 が詳 しく描 写 されてい
り、あまり細部までは書き込むことはしなかった
る。向 こうに向 かって傾 斜 している摺 台 、馬 連 、刷 毛 、
ようである。
絵 の具 皿 など が、 ど のよ う な配 置 で使 用 さ れ た のか が
版下は、この時点で出版規制の一環として定め
良 く分 かる。
ら れ た「 改 印 」チ ェ ッ ク を 受 け た 。
「 改 印 」は 、自
西 洋 では早 くから油 性 インクによるプレス機 印 刷 が発
主規制であり、問屋仲間である版元の中から選任
達 した。しかし、日 本 においては馬 連 による手 摺 りの技
された行事と呼ばれる立場の者により行われた。
法 が近 代 まで出 版 の主 力 として存 続 した。
9
摺 りは錦 絵 制 作 において極 めて重 要 な役 割 を占 めて
本 図 は 3 枚 続 絵 であるが、改 印 は 3 図 のいずれにも
いる。とりわけ、一 文 字 ぼかし当 てなしぼかし、拭 きぼか
入 れられている。なお、中 図 には「横 川 彫 竹 」も記 され
しなど、ぼかしの技 法 は空 間 性 に深 みを持 たせ、しかも
ている。彫 竹 は当 時 最 も有 名 な彫 師 の一 人 であり、
デリケートな味 わいをもたらした。用 紙 ならびに版 をも湿
「名 所 江 戸 百 景 」など の広 重 のも のを多 く 手 がけた 人
らせることから、正 確 に複 数 の色 を合 わせて印 刷 するた
物 であった。
めには高 度 の技 と熟 練 を必 要 とした。摺 りの技 術 の進
暖 簾 の前 には町 人 の女 が立 ち話 をしている。右 の女
歩 は錦 絵 の芸 術 性 を飛 躍 的 に高 めたと言 って良 いだ
は胸 に幼 子 を抱 きかかえ、左 の女 は背 中 に幼 女 (赤 い
ろう。
着 物 である ことから)をおぶ っている。 手 に持 った 丸 め
た筒 は、 今 買 った ばか り の 錦 絵 で あ ろう か 。 錦 絵 が 町
(2 )「 今 様 見 立 士 農 工 商 ・ 商 人 」( 販 売 )
民 の子 女 にとっても身 近 な存 在 であったことが読 み取
「 今 様 見 立 士 農 工 商・商 人 」
( 図 4 )は 、下 谷 に
れよう。
あった地本問屋の店頭を描いたもので、大判錦絵
②中 図
三枚続の極彩色の錦絵である。本図は、三代豊国
中 図 と左 図 からは、店 内 の様 子 を詳 しく知 ることがで
の 安 政 四 年 ( 1857) 作 で あ り 、「 今 様 見 立 士 農 工
きる。二 人 の客 と三 人 の店 員 とが見 える。
商・職人」と同じ揃物に属す。印刷図部分のサイ
左 図 の店 先 には、武 家 の姫 君 であろうか、赤 い長 振
ズ は 縦 35×横 25 セ ン チ で あ る 。
袖 をまとった子 女 が役 者 絵 に見 入 っている(図 6)。浮
「魚栄」は魚谷栄吉の略で、実際に下谷新黒門
世 絵 版 画 は、店 頭 で手 にとり間 近 に眺 めて選 んで買 う
町上野広小路に存在した。魚栄は、広重の「名所
物 であったことが分 かる。
江戸百景」を出版した版元としても知られおり、
女 性 の着 物 に比 べ帯 の巨 大 さに驚 かされる。帯 は、
同時に店先で小売りも行っていた。人物はすべて
桃 山 の紐 状 から次 第 に広 さを加 え、寛 文 頃 には 10 セ
が 女 性 で 描 か れ た て お り 、タ イ ト ル に「 今 様 見 立 」
ンチ、元 禄 頃 に 20 センチ幅 へと広 がり、安 永 ・天 明 期
と あ る よ う に 、 一 種 の 「 見 立 絵 」 で あ る 11)。
には 40 センチにもなった。この女 性 の結 びは「やなぎ」
①
という二 重 に回 して残 りの長 い部 分 を二 つ折 りにして下
右図
げる形 であろう。
本 図 の背 景 には一 枚 物 の藍 染 めの長 暖 簾 が掛 けら
れ、大 きく「東 錦 絵 」と白 抜 きされている。浮 世 絵 という
店 内 に い る 二 人 に つ い て は、 大 久 保 氏 の 記 述 を 参
言 い 方 が一 般 化 し た のは 明 治 以 降 で あり 、 当 時 は 東
考 にしたい。
錦 絵 と呼 ばれていた。東 錦 絵 は江 戸 の特 産 品 として地
「長 火 鉢 の前 に煙 管 を手 に座 すのは魚 栄 のおかみで
方 へのお土 産 にうってつけの名 産 であった。
あろうか。その傍 らには美 麗 な色 摺 の袋 に入 った新 版
暖 簾 の左 右 には「新 板 そうし品 々」「けい古 本 」と書 か
の合 巻 が束 になって積 み上 げられている。女 が袋 から
れている。「新 板 そうし」は「新 版 草 双 紙 」で新 発 売 の絵
合 巻 を出 しておかみに見 せており、その傍 らの解 かれ
双 紙 という意 味 であろう。したがって、魚 栄 で扱 ってい
た風 呂 敷 包 みには板 に挟 まれた分 厚 い紙 の束 が入 っ
る 商 品 が錦 絵 をはじ め 草 双 紙 、 浄 瑠 璃 や 長 唄 など の
ているが、これは新 版 の錦 絵 に違 いない。女 はおかみ
稽 古 本 を取 り扱 っていることが分 かる。
に商 品 の説 明 をし ているよ う に見 え るが、 彼 女 は 実 は
画 面 右 下 隅 には、 赤 地 に 絵 師 の 名 前 を 示 す 「 豊 国
別 の版 元 からの遣 いであり『本 替 え』と呼 ばれる版 元 同
画 」とあり、その右 下 に「下 谷 魚 栄 」の版 元 名 が記 され
士 の商 品 の交 換 のために訪 れたとみなされている。
ている。また、左 側 の白 地 の二 つの円 には「極 」の略 字
12)」
と「 巳 八 」らし き字 が読 み取 れる(図 5)。 これは錦 絵 が
「本 替 え」は版 元 同 士 が商 品 を交 換 し合 うもので品 揃
自 主 検 閲 の 検 問 を 経 て、 内 容 に 問 題 が 無 い こ とを 示
えを増 やした り在 庫 整 理 のた めでも あった。 本 図 の背
す「改 印 (あらため印 )」である。「巳 八 」印 は干 支 の文
景 には「妙 々車 」「豪 傑 譚 」と読 める札 が下 がっている。
字 と月 を表 す数 字 とで構 成 されている。
それぞれ「童 謡 妙 々車 」「児 雷 也 豪 傑 譚 」のことである
10
が、いずれも魚 栄 が版 元 ではない。
②
(3)浮 世 絵 版 画 は、江 戸 の庶 民 にとって関 心 ある情
左図
報 を伝 達 するためのメディアであり、生 活 の中 に浸 透 し
本 図 には奥 女 中 らしき客 に店 員 が応 対 している場 面
ていた日 常 の文 化 の一 部 であった。
が描 かれている。店 の奥 には色 鮮 やかな錦 絵 がところ
(4)もともとは人 々の間 でメディアとして機 能 していた
狭 しと並 べられている。竹 バサミを使 って上 下 二 段 に吊
ものが、職 人 たちの高 い技 術 を集 積 することにより、美
し、さらにその下 には傾 斜 した板 を用 いて並 べられてい
しさや楽 しさを味 わう対 象 へと至 った。すなわち当 初 は
る。武 者 絵 (上 段 右 3 枚 )、役 者 絵 、名 所 絵 などが並 べ
「メディア」であったものが次 第 に「アート」へと進 化 して
られている。左 端 の壁 には、「(広 重 筆 )名 所 江 戸 百
いった姿 をそこに見 ることができる。
景 」、 「 (一 陽 斎 豊 国 画 一 世 一 代 ) 源 氏 後 集 余 情 ( 極
「3、鑑 賞 事 例 」では2点 の錦 絵 作 品 を採 り上 げ、 内
彩 色 大 錦 画 二 枚 続 )」という錦 絵 の揃 物 の宣 伝 コピー
容の読み取り例 を示 した。この作 品 からは、浮 世 絵 版
が見 える 13)。
画 の制 作 現 場 と、当 時 の人 々の浮 世 絵 版 画 の受 容 状
「名 所 江 戸 百 景 」は魚 栄 の主 力 商 品 である。上 段 左
況 をリアルに感 じ取 ることが出 来 る。これは当 時 の社 会
の 2 枚 がそれにあたる。右 が「玉 川 堤 の花 」左 が「浅 草
状 況 理 解 のための読 み取 りを目 的 としており、上 記 の
金 龍 寺 」であろう。(図 7)
「(3)浮 世 絵 版 画 は庶 民 の生 活 文 化 の一 部 であった」
ことの理 解 を促 すものと考 える。
まとめ
ところで、視 覚 文 化 に関 して、現 在 の日 本 の文 化 を
「1、大 衆 文 化 の中 の美 術 とメディア」では、絵 画 の需
見 渡 した場 合 には、漫 画 、コンピューター・ゲーム、アニ
要 者 層 が上 流 階 級 から町 民 階 級 へと変 化 したことに
メ、特 撮 モノ等 、いわゆるサブカルチャーに対 する海 外
伴 い、美 術 品 制 作 はその目 的 から制 作 方 法 に至 るま
からの評 価 にはきわめて高 いものがある。これらはおそ
で、 相 当 大 き な 変 化 が 生 じ た こ と を 述 べ た 。 そ れ は簡
らく将 来 において、浮 世 絵 版 画 同 様 に日 本 を代 表 する
略 すれば、個 人 の注 文 依 頼 による単 品 制 作 から、既 製
文 化 となるであろう 。
品 の大 量 生 産 =商 品 としての美 術 品 生 産 への変 化 で
かつてのように、「メディア」と「アート」とは異 なるもの
あった。
とする認 識 はすでに薄 れつつある。今 日 では「メディア・
「2.江 戸 期 の出 版 と印 刷 技 術 」では、錦 絵 制 作 の背
アート」としての新 たな領 域 が認 知 されつつあるが、そ
景 となった当 時 の出 版 状 況 と印 刷 技 術 を扱 った。ここ
の先 駆 けとなったものが日 本 においては浮 世 絵 版 画 で
では近 世 の出 版 文 化 の多 様 化 と急 速 な発 展 状 況 の中
あったといえよう。
で、「文 字 プラス絵 」から「絵 の独 立 」そして「錦 絵 」へと、
従 来 のように、浮 世 絵 版 画 を造 形 美 の観 点 からのみ
浮 世 絵 版 画 が独 立 するまでの展 開 を追 った。
鑑 賞 することは、作 品 を歴 史 から切 り離 し、判 断 を鑑 賞
これらの検 討 の中 で特 筆 したいことは以 下 の 4 点 で
者 個 人 の主 観 に委 ねてしまうことでもあろう。しかし、浮
ある。
世 絵 版 画 をコミュニケーションの問 題 やメディアの観 点
(1)誕 生 したばかりの浮 世 絵 版 画 は単 色 のプリミティ
からアプ ロー チす ることは、 芸 術 の社 会 的 機 能 にも 着
ヴな表 現 であった。しかしその後 約 100 年 をかけ、彫 り
目 させることになる。それは、日 本 の伝 統 文 化 理 解 とり
お よび 摺 りの 技 術 が改 良 さ れ、 フルカ ラ ー の錦 絵 へ と
わけ大 衆 文 化 理 解 につながる教 育 方 法 の一 つになりう
飛 躍 的 に発 展 した。
るものと考 える。
註
(2)浮 世 絵 師 の作 業 原 理 は、まさにグラフィックデザ
イナーの業 務 とほとんど 変 わ らない。「 見 当 あわせ」 等
1 ) 水 尾 比 呂 志 、「 日 本 美 術 史 - 用 と 美 の 造 型 」、
のデザイナー用 語 など、江 戸 時 代 からの原 理 、習 慣 に
筑 摩 書 房 、 1970、 p.1
則 っているものも多 い。江 戸 時 代 に確 立 された出 版 の
2 ) 同 上 、 p.102
基 礎 スタイルは、視 覚 情 報 の大 衆 化 、マスプロ化 の幕
3)鈴 木 敏 夫 、「江 戸 の本 屋 (上 )」、中 央 公 論 社 , 1980、
開 けとなったといえる。
p.75
11
4) 中 村 興 二 ・ 岸 文 和 編 、「美 術 の流 通 」『日 本 美 術 を
学 ぶ人 のために』、2001、p.146
5)同 上 、p.164、 清 長 美 人 が好 まれたということは、18
世 紀 後 半 の 江 戸 町 民 は、 社 会 的 風 俗 のありのま ま の
写 実 、自 然 な人 間 描 写 を好 んだということができる。
6)「江 戸 庶 民 の絵 画 」『日 本 美 術 全 集 22 風 俗 画 と浮
世 絵 』小 林 忠 ・編 , 学 習 研 究 社 .1979、pp.115-117
7) 脇 本 楽 之 軒 、 「 日 本 美 術 随 想 」 、 新 潮 社 、 1966、 p
p.119―120
8)大 久 保 純 一 、「錦 絵 の制 作 と流 通 」『講 座 日 本 美 術
史 4』、東 京 大 学 出 版 会 、2005、p.347
9) 「錦 絵 の制 作 過 程 」および「錦 絵 の販 売 」の図 の読
み取 りに関 しては、同 上 、大 久 保 PP.328-336 を参 照 し
た。
10) 浮 世 絵 版 画 (錦 絵 )では丈 長 (77×52cm)、大 広
(58x44cm)各 奉 書 のほか大 奉 書 (54×39cm)、中 奉 書
(50×36cm)、小 奉 書 (47x33cm)の各 サイズ・形 状 があ
った。 今 日 では、奉 紙 は手 漉 きと機 械 漉 きがあり、
それぞれ厚 手と薄手がある。
11 ) 「見 立 て」は、本 来 あるべき時 や状 況 を変 えて、別
な人 や事 になぞらえて表 す主 題 操 作 が加 わった絵 のこ
とであり、「やつし」とも言 う
12 ) 店 内 にいる二 人 については、大 久 保 氏 の記 述 を参
考 にしたい。前 掲 書 8)、p.336
13 ) 三 代 歌 川 豊 国 は、江 戸 時 代 で最 も売 れた浮
世絵 師、50 年に渡って人気の先 頭 を保持した
彼の作品 数 は 1 万点以 上と云われている。1 点 あ
たりの発 行 枚 数 は平 均 で 500~1000 枚 ぐらいだ
ろう。最 多は 1 点で 7000 枚という 。
付記
本 稿 は、平 成 17〜19 年 度 科 学 研 究 補 助 金 基 盤 研
究 (C)「芸 術 的 アプローチによるメディア教 育 のモデル
開 発 基 礎 研 究 」(課 題 番 号 17530626、研 究 代 表 者 :
佐 々木 宰 、研 究 分 担 者 :新 井 義 史 、伊 藤 隆 介 、 佐 々
木 けいし、三 浦 啓 子 )の研 究 成 果 の一 部 である
(岩見沢校
教授)
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