10(50)

長野市立東北中学校 校長室
NO.10(50) 平成28年6月14日(火)
今回は、中学時代から始めたバスケットボールについての思い出を紹介します。
<青春の香り>
これまでにも色々なところで紹介してきましたが、私は、中学1年生から大
学4年生まで10年間バスケットボールをやってきました。部活の中で真っ先
に思い浮かぶのは、
「甘酸っぱいレモン」と「サロメチール」です。ゲームでの
ハーフタイムの時には、タッパーに入った砂糖漬けされた輪切りのレモンをよ
くかじったものです。甘酸っぱかったけど、疲れたときには最高でした。
そして、ふくらはぎなどがけいれんすると、オレンジ色のチューブ型のサロ
メチールを塗りたくったものです。何ともいえないこの2つの「香り」を今でも思い出します。まさしく
「青春の香り」です。
<最大の思い出>
中学時代最大の思い出は、最後となった試合が自分のミスで負けたことです。初めて人前で泣きました。
忘れられない思い出です。
私の中学時代最後の試合は、中信大会での1回戦でした。自分たちの代までは中信大会へ進むことさえ
難しい学校だったので、中信大会への出場は嬉しかったのですが・・・。しかし、最後となったその試合
は最悪でした。私のミスで負けたようなものだからです。ノーマークのドリブルシュートを私が何本も外
してしまったのです。中学時代、スピードには自信があったので、ドリブルで相手を抜くまでは良かった
のですが、肝心なレイアップシュートを何度か外してしまったのです。私は、自分のせいで負けたと申し
わけなく思い、かなり落ち込みました。今でも当時の仲間とお酒を飲むと、必ずといっていいほど「あの
試合、負けたのは奥田のシュートミスだったよな」という話題になります。今では笑ってやり過ごせます
が、当時はかなり落ち込みました。
<人生を決めたシュートミス>
これまでの人生を振り返ってみると、最後の試合を自分のシュートミスによって負けた思い出が、ひょ
っとしたら、私の生きる原動力になっているのかもしれないと今は思えるのです。決しておおげさなこと
ではありません。
このままバスケを終えるわけにはいかない。何とかバスケでいい思い出を作りたい
この思いが、私に高校・大学とバスケを続けさせました。そして、大学4年生になった私は
できるなら一生バスケと関わっていたい。
そのためには、指導者になればいいんじゃないか・・とすれば・・教師になろう
こうして今の道に繋がっていくのです。しかも、新卒で赴任した学校では男子バスケ部の顧問をさせて
もらったのですから恵まれていました。そこから、男バスを2つの学校で10年間、女バスを2つの学校
で12年間指導してきました。中学最後の試合でのシュートミスが私の人生を決めたと思っています。
<三人のライバル>
私がバスケの話をするときに欠かせないのは高校時代のライバルの話です。
高校時代の私には、三人のライバルがいました。三人とも同じガードというゲームメイクするポジショ
ンで、高校時代何度も対戦しました。インターハイ出場を決める県大会の決勝で対戦したこともあります。
しかも三人とも教員になりました。一人は、高校の指導者で、今や県内に敵なしの全国でも有数の指導者
です。一人は高校の教師になり、審判の道を極め、長野県バスケット界に大きく貢献しています。現在は、
高校で校長をしています。一人は、中学校の教師になり、しかも同じ長野市に住んでいるので、彼の指導
する中学校とは何度も対戦しました。県大会の決勝でも対戦したこともあります。
三人とも私にとっては最強のライバルであり、バスケを愛する最高の仲間でもあります。彼らのおかげ
で私はバスケを続けることができ、指導者として自分自身の力を磨く努力をすることができました。この
三人のライバルだけでなく、バスケを通じての多くの人との出会いはかけがいのないものです。
<誰のためにやってるんだ!>
次は、顧問の先生についての思い出です。中学一年生の時の顧問の先生は、バスケをほとんど知らない
美術科の先生でした。優しくて、面白くて楽しい先生でした。二年生になって、日体大(日本体育大学)
を卒業したばかりのバリバリの体育科の先生が顧問になりました。しかもバスケット専門で、自分でも教
員チームのエースとして活躍されていた先生です。当然のことですが、練習の雰囲気が180度変わりま
した。とにかく厳しかったです。怖かったです。半端ない練習でした。一年の時はほとんど無かった休日
練習が毎週行われるようになりました。その休日練習では、歩くこともできないくらい疲れてしまい、学
校近くの友達の家でいったん休んでから帰ることが何度かありました。
その顧問の先生の口癖が「誰のためにやってんだ!」でした。何度も大きな声で「誰のために練習して
んだッ!」と檄を飛ばされました。そして必ず「自分のためだろうがッ!」と続きました。鬼コーチに負
けまいと必死に食らいついていきました。今でも時々、バスケット関係者の飲み会で顔を合わすことがあ
りますが、鬼コーチの前では、昔と同じように背筋が伸び、直立不動です。
いい思い出だけではありません。苦しかったことや辛かったことなどもたくさんありました。でも、最
後までやれたこと、途中で諦めなかったことが、私にとって大きな自信になっています。
朝、放課後可能な限り、部活動で頑張る皆さんの姿を応援に行きます。そして、私も一緒になって戦っ
ている気持ちになりたいと思っています。頑張ろう東北中!
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今回は「アンと青春」を紹介します。著者は坂本司さんです。
東京のデパ地下にある和菓子屋『みつ屋』でバイトする梅本杏子(アンち
ゃん)は、食べることが大好きな女の子です。そのアンがバイトをしながら
「働く」ことの厳しさや人間関係の難しさ、人に喜んでもらえたときの喜び
などの感情がわかりやすく描かれていて、生きがいや生きることの意味を見
いだしていく青春物語です。季節に合った美味しそうな和菓子がたくさん登
場するので、和菓子好きな人は是非読んでみてください。
印象に残った文を紹介します。
アンがバイト先の店長に言われた言葉です。
「自分で仮説を立てて、調べて、推理して。それを実行するのは、すごく良
いことだわ。これは、どんな仕事にも使える技術よ」