白髭神社と白鬚神社と白髯神社

白髭神社と白鬚神社と白髯神社
しらひげ神社には、白髭神社というのがあるし、白鬚神社というのもある。さらに、数は
少ないが白髯神社というのもある。ネットで調べてもらえばすぐにそのことに気がつくで
あろう。向島のしらひげ神社は、白鬚神社である。それらはそれぞれどう違うのだろう?
私は、以前に、日向薬師にお参りに行ったときに、日向のしらひげ神社の鳥居の額が白髯
神社となっていたのでびっくりした。それまでの私の理解では、関東には白髯神社という
のはない筈で、そのことに驚いたのであった。そしてそのとき、日向のしらひげ神社の鳥
居に白髯神社という額が架かっていることに疑問を呈しておいた。今ここでは、その疑問
について、一連の考察を加えたい。
そのまえに、以前のホームページを再掲しておきたい。以下のとおりである。
日向(ひなた)薬師
[参道入り口の石造] [階段を登る] [山門] [ もう少しだ!]
やっと着いた!
[本堂1] [本堂2] [本堂3] [本堂4] [本堂5] [行基か空海か?] [かわいい祠] [立派な鐘楼] [鳥獣供養塔] [境内で一服] [山田の風景] [バス停は近い]
高麗王若光は 大磯へ上陸し花水川を
り日向に移住したといわれる。日向山に巡錫して
きた行基が薬師三 尊を彫ろうとして良材がなく、若光は数尺の香木を与え協力したとい
う。日向には、バス乗り場の近くにし らひげ神社がある。是非、機会があればその神社
ヘ行き、若光に想いを馳せて欲しい。 白髭神社へ行こう!行こう!行こう! なお、日向薬師を詳しく知りたい方へ!
源義高 (清水冠者)
日向薬師・ハイキングコース
日向薬師の公式ホームページ
日向薬師の彼岸花(UTube)
伊勢原市について
日向薬師のしらひげ神社の額
しらひげ神社には、白髭神社と白鬚神社と白髯神社がある。ひげはひげでも、髭は口ひ
げ、鬚はあごひげ、髯はほおひげ。おおむね関東では白髭神社であり関西は白鬚神社か白
髯神社である。
関東では、しらひげの神といえば高麗王・若光のことだから白鬚である。まずこのこと
を説明しよう。
埼玉県日高市新堀にある高麗神社はこの高麗若光を祭って
いる。 明治以降は高麗神社と 称されるようになったが、
かっては、白髭大明神とも称されていたようだ。しかし、
これ は俗称であって、若光を大明神の名で呼ぶなら本来は
「白鬚大明神」が正しい。 高麗家菩提寺は高麗神社の近く
にある「聖天院」である。その菩提寺に若光の石造があっ
て、若光の「ひげ」はあごひげ、すなわち鬚であることが
わかる。
訓読みで、「髭」は「シ」、「鬚」は「シュ」、「髯」は「ゼン」だが、日本語で「ひ
げ」と発音した場合、口ひげなのか顎ひげなのか、それとも頬ひげなのか区別がない。し
たがって、「髭(シ)」という言葉を、口とか顎とか頬の区別をしないで、単に「ひげ」
の意味で使うことも少なくないようだ。しかし、文字で表現する場合、口とか顎とか頬の
区別をして、「髭」という文字と[鬚」という文字と「髯」という文字を使い分ける人と
そういう区別はしない人がいるようだ。ここに混乱が生じる。かって、若光が「白髭大明
神」と地元の人が呼び習わしてきたのは、そういう言葉の使い分けをしてこなかったとい
うことであろう。奥多摩の白髭神社は、埼玉県日高町の高麗明神を勧請して祀ったもの
で、祭神は王若光であるが、関東の場合、白髭神社といえばまず若光をお祀りしてあると
考えて良いだろう。江戸時代の高麗郡には白髭神社が二十七社あったらしい。
向島のしらひげ神社は、ネットでは白髭神社と呼んでいる人が多いけれど、地元では白鬚
神社で通っている。 大祭のときの法被(ハッピ)には「鬚」という字が使われているの
で、まずそれを確認し てください。
https://www.youtube.com/watch?v=134_z5C4T7o
高麗王・若光が大磯に上陸して、やがては高麗(現在の埼玉県入間郡日高町)に落ち着く
の だが、一時、日向に住んでいたことがあった。先に述べたように、日向山に巡錫してき
た行基が薬師三尊を彫ろうとして良材がなく、日向の若光が数尺の香木を与え協力し
た・・・・・という伝えが伊勢原には伝わっているのである。だとすれば、しらひげは白
鬚でなければならないのではないか。日向の白髯神社の御神体は「白髯明神」、すなわち
若光である。長いあごひげをたくわえ、異国の冠をつけた木像の姿で祀られているそうで
すので、本来、「鬚」という字を使わなければならない。にもかかわらず、地元の人が漢
字の意味を厳密に考えないで、「髯」という字を使ってしまったのであろう。私もいろい
ろ考えてみたが、そういうことしか思いつかない。ここが漢字の難しいところだ。私はそ
う思う。
全国に白髯神社は多い。ここでは長野市の鬼無里(きなさ)の白髯神社に触れておこう。
長野市の白髯神社の創建は、白鳳13年(685)である。向島の白鬚神社は天暦5年
(951)の創建だから、長野市の白髯神社の方が65年ほど古い。
天武天皇がこの地に皇居を移す計画を立て、その鬼門鎮護の守護神として「猿田彦大明
神」を勧請したのが始まりと伝えられている。詳しい話は省略するが、ここでは、ともか
く白髯神社というの確かにあるということを確認していただければ結構である。
では次に、しらひげ神社の総本山である白鬚神社について触れておきたい。しらひげ神社
の総本山である白鬚神社は、滋賀県高島市の琵琶湖の湖岸にある。この総本山は、現在、
白鬚神社ということになっているけれど、当初は白髯神社であったようなのである。ま
ず、写真を見てください。
確かに白鬚神社となっていますね!
高島のしらひげ神社の創建は垂仁天皇の頃と伝えられいるが、史実のほどはたしかでない
の で、ここでは長野市の白髯神社より相当昔に高島のしらひげ神社は創建されていたとご
理解いただければ結構。 長野市の白髯神社は高島のしらひげ神社から分祀されたもので
あるので、長野市の白髯神 社が存在しているということは、当時、高島のしらひげ神社は
「白髯神社」と呼ばれてい たことを推察させる。 したがって、高島のしらひげ神社は、
白髯神社であり、白鬚神社である。全国の白髯神社 と白鬚神社は約300社ほどある
が、それらの全部が高島の「比良大明神」の分霊社であ る。