景徳鎮窯の発展南宋時代(1127

景徳鎮窯の発展
南宋時代(1127-1279 年)
・ 景徳鎮窯の白磁
五代に越州窯の一派として発展しはじめた景徳鎮窯は北宋初期に白磁窯へ
脱皮し、青みを帯びた白磁を完成させた。中国では「影青」と呼ばれる。
基本は日常生活で用いるために作
られたもの。国内だけでなく、アジ
ア全域に輸出された。
“影青”是人们对宋代景德镇烧制的具有独特风格的瓷器的俗称,由于它的
釉色介于青白之间,青中带白、白中闪青,加之瓷胎极薄,所刻划的花纹迎光照之内
外皆可映见,因此被称为“影青”。 “影青”的造型非常丰富,主要有盘、碗、洗、
盏、钵、盒、瓶、壶、罐、枕、注子、博山炉、动物、堆塑人物等等。 从窑址调
查和纪年墓出土情况来看,“影青”瓷草创时期是在宋太祖建隆至宋真宗大中祥
符年间。
元時代(1279-1368 年)
・ 景徳鎮の青花磁器
シルクロードを通じたイスラム圏との貿易により、青く発色する酸化コバル
トの入手が容易となったため染付け(中国語で青花)磁器の生産が始まった。
白磁の生地に酸化コバルト顔料で
直に絵付けをし、その上から釉を
かけて、酸素が不十分な状態で焼
成すると濃い藍色の模様を持つ磁
器となる。これらの青花磁器はト
ルコやエジプトの遺跡からも大量
に発見されており、東西交易にお
ける重要な輸出品となったことが
わかる。日本でも青花牡丹唐草文
盤(元、景徳鎮窯 大阪市立東洋
陶器美術館所蔵)は重要文化財に
指定されている。
景德镇青花瓷的烧造始于北宋时期(公元 960~1127 年)。到了元、明(公元
13~17 世纪)两代,青花瓷器的逐渐流行和对外贸易的不断扩大,使得景德镇青
花瓷在生产技术和规模上都得以进一步提高。清代(公元 1644~1911 年)是青花
瓷的鼎盛时期,景德镇青花瓷以其烧造精致而独占鳌头,成为中国近代青花瓷的
代表。新中国建立后,在景德镇设立了人民瓷厂专门生产青花瓷器。
明時代(01368-1644 年)
青花(染付け)と五彩(色絵)を基本に多様な技法を駆使した作品が多く作ら
れ、空前の繁栄を見せた。景徳鎮では官窯と民窯が競い合い洗練された作品が
生まれた。
明朝 官窯の青花磁器
・ 後期の万歴(1573-1620)年間以
降は五彩磁器が特に盛んになり、
主役の座につくことになる。
・ 明朝末期の民窯の青花にはヨーロ
ッパに輸出された皿類、日本から
の注文による古染付と亀甲や丸文
つなぎの幾何学的模様を持つ上質
な茶道具が多い。
在景德镇民窑对日本外销的瓷器中,却
出现了一路署“五良大甫吴祥瑞造”款
的青花瓷器,制作极其精良,相对于官
窑精品也毫不逊色,被日本称作“祥瑞”
或“祥瑞手”。当时日本从中国进口的
青花瓷被分作“祥瑞”、
“染付”、
“吴须”
三等,祥瑞是其中的上品,得到了极高
的评价和地位。
五良大甫 呉祥瑞造
五彩魚藻文壺
清時代(1644-1912 年)
・ 南京赤絵:日本に多く輸出された花鳥山水を細密に描いた皿、鉢などの製品。
日本の伊万里焼などに大きな影響を与えた。
豆彩束蓮文鉢 東京国立博物館所蔵
雍正年間(1723-35)の景徳鎮官窯で製作された豆彩の代表作
粉彩梅樹文皿(古月軒と呼ばれる技法を用いる)
東京国立博物館所蔵
粉彩はヨーロッパで流行していた無線七宝の技術を取り入れて康煕末年に始
まった新しい上絵付法である。この作品は粉彩の技法が完成に達した雍正年間
(1723-35 年)に宮廷用に特別に作られた精品で,「琺瑯彩」あるいは「古月軒」
とも呼ばれる。素地を景徳鎮窯で作り,北京の宮廷内の工房において,選ばれ
た名工によって絵付けされたといわれている。画風は精巧細緻をきわめ,きわ
めて格調高く,清朝官窯を代表する傑作の一つに数えられる。
・ 清朝の官窯
1681 年に清朝の官窯が開かれ、民窯の熟練工を招くなどして技術を導入
した。康煕・雍正・乾隆年間を通じて緻密な技巧と高い品格を持つ端麗な磁
器が生み出された。
・ 粉彩、古月軒という技法
・ 康煕年間後期に創始された粉彩は白磁の上に白い琺瑯質の釉を施し、それを
キャンバスとして多彩の色絵を描く技法。
古月軒は粉彩の技法の一種で、清朝の陶磁器が到達した最高峰といえる。純
白の地肌に花鳥山水を精密に描き、詩句を添えて落款を押す、雅趣に富む珠
玉のような絵付け磁器である。
所谓"古月轩",是指一种清代(公
元 1644~1911 年)的工艺美术品。
"古月轩"始于清代康熙年间(公元
1662~1723 年),它以珐琅彩在玻
璃胎上施以彩绘,经高温烧制而
成。过去因其工艺难度极高,所以
只在皇家御窑中制做极小的器具,
如鼻烟壶、烟碟等。
瓷器装饰技法的一种。又称
“瓷胎画珐琅”,后人称“古月
轩”,国外称“蔷薇彩”。使用外
来颜料,色种多,色彩控制准确;
画面有立体感,工巧精细、富丽堂
皇。盛于清代康熙、雍正、乾隆时
期,专充“内廷秘玩”。
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