脳研究と生態学的妥当性

脳研究と生態学的妥当性
岡ノ谷 一夫
(千葉大学文学部/科学技術振興事業団さきがけ研究21)
1. 行動学から始めよう
1.1 ティンバーゲンの4つの質問
動物行動への学問的な興味はAristotelesまでさかのぼるが、これを初めて近代科学の俎上に乗せた
のは、Darwinであった。Darwinの業績というと、進化論によりヒトと動物の形質が連続であることを
指摘した点がよく知られているが、続いて出版された著書において認知と行動、感情について見ても
ヒトは動物と連続線上にあることを強調している (Darwin, 1871; Darwin, 1872)。ダーウィンはいわば
「種の起源」で動物とヒトの体の連続性を、「人間の進化と性淘汰」で行動の連続性を、「ヒト及び
動物の表情について」において感情と精神生活の連続性を論じたのであった。
それまで動物行動への興味は、長らく博物学的な伝統に収まっていた。即ち動物の行動の逸話的記
述に始終していたのである。しかしDarwinの業績や他分野の実験科学的方法に影響され、20世紀に入
るとHeinroth, Lorenzなどによる動物行動の科学的研究がはじまった。中でもTinbergenは、動物行動の
科学的な研究方略を体系化したことで知られている(Tinbergen, 1963)。
Tinbergenは動物行動の理解には4つ質問が必要であるという。その行動を可能にする生理学的な仕
組み即ちメカニズムの理解、その行動が個体に発現するようになった過程即ち発達過程の理解、その
行動が個体にもたらす適応度即ち機能の理解、そして、その行動の系統発生即ち進化の理解である。
前半の2つは行動の至近要因の問題であり、後半の2つは行動の究極要因の問題である。
Tinbergenのこのような提案にも関わらず、20世紀後半における動物の行動の研究は、行動主義心理
学(Behaviorism)と動物行動学(Ethology)という2つの陣営で研究されるようになった。前者は、観察可
能な行動のみを対象とするのが心理学であり、心は心理学の対象から除外されるべきであるとした。
この陣営はオペラント条件づけ(後述)をツールとして、統制された条件下における動物行動の学習
による変容過程を研究対象とした。後者は自然場面における動物行動の発現機構について、本能行動
を中心に研究した。
行動主義心理学は行動の至近要因のごく一部しか対象とせず、進化的・生態学的な妥当性を一切考
慮しようとしなかった。動物行動学(現代の行動学との区別のため、以下、古典的行動学とする)は
行動の究極要因を探ろうと試みたが、適応に関する理論を持っておらず、淘汰の単位を個体群である
と考えていた。
このように、これら2つの陣営は、動物行動を全く異なる側面から研究して来た。このため、1960-80
年の20年間は、動物行動の心理学的な研究と生物学的な研究とが互いの知見を交換しあうことが少な
く、動物行動研究は閉塞状況にあった。ある行動が学習によるものなのか、本能によるものなのかに
論点は集中した。
1.2 行動学の近代化と細分化
動物行動の至近要因である機構と発達を中心に研究してきた研究者の中から、動物の自然な行動を
研究するにあたり、より実験的に厳密な方法を取り込むグループが生じてきた。こうしたグループは、
神経生理学的な方法を容易に取り込んで、動物行動の神経科学的な研究である神経行動学
(Neuroethology)が成立した。この分野では、コウモリのこだま定位、フクロウの音源定位、電気魚の
混信回避行動など、特に動物の定位行動のメカニズムを明らかにした研究がよく知られている(Carew,
1
2000; Hauser & Konishi, 1999)。
一方、行動の究極要因である適応と進化に重きを置く研究者たちは、ダーウィンの自然選択の概念
をより精緻化しながら、動物行動を適応度から考える行動生態学(Behavioral Ecology)を体系化した
(Krebs, 1987)。
これらとは独立に、オペラント条件づけにより行動の基本原理を知ろうとした行動主義心理学は、
心を再び心理学の対象としようとした認知主義の台頭により、1980年代より次第に勢力を失っていっ
た。しかしオペラント条件づけという強力なツールによる動物の認知研究はその後も価値を失わず、
むしろ行動主義の呪縛から自由になって進化モデルを受け入れることにより、比較認知科学
(Comparative cognition)という新しい分野として成立するようになった(藤田, 1998)。
1.3 新しい統合の流れ
そして現在再び、行動学の統合が起こりつつある。Griffinに招聘されRockfeller大学のスタッフとな
ったMarlerは、神経科学、行動学、心理学、生態学など動物行動に関連するあらゆる分野に興味を持
ち、動物コミュニケーション研究のリーダーとなった。Marlerの影響のもと、多くの研究者が垣根を
越えた研究に携わるようになった(Hauser & Konishi, 1999)。
こうしたコミュニケーション研究の中から、適応の理解のためには、動物の心を問題にする必要が
あることが認識されるようになった(Krebs, 1987)。他者の心的状態を推測する能力は適応的であると
いう考え方である。この中から、他者の心を推測する能力が自己に向けられた結果、自己の心が生じ
たという考えも出てきた。このような動向は意外なことに発達心理学に影響を与え、後述する心の理
論と呼ばれる枠組みが作られるようになった(Baron-Cohen, 1995)。ヒトを対象とした神経科学の分野
でも、心の理論を担う脳部位についてのイメージング研究が行われている。さらに、動物が心の理論
を持つかどうかに関する研究もさかんであり(Hauser, 2000)、これらの研究は神経行動学にも影響を及
ぼしつつある(岡ノ谷, 2000)。
1.4 国内の行動学の現状
ティンバーゲンの4つの質問は古典的行動学を体系化したが、行動学の進展にともない、究極要因
の研究は行動生態学へ、至近要因の研究は神経行動学へと分化していった。その後の統合の流れは日
本にまで入らず、前者はフィールド屋、後者は脳屋となり、日本国においては両陣営の間にほとんど
交流がない。しかし、特に最近の小鳥の歌の神経行動学においては、究極要因を視野に入れた研究か
ら実り多い成果が得られている。これらの成果をいくつか紹介し、行動学の再統合について考えたい。
その前に、行動学の統合のために知っておくべき基礎概念を解説しておく。
2. 行動学の統合のための基本概念
2.1 比較認知科学に由来する基本概念
比較認知科学とは、条件づけなどをツールとして、動物の認知機能を測定しようとする分野である。
初期の比較心理学がヒトを頂点において動物の知能を一直線上に並べようとしたのに対し、比較認知
科学は個々の動物の生態学的な要請と認知機能の適応を考えようとする。
オペラント条件づけ
動物が様々な行動を自発し、偶発的に報酬を得ると、その行動を生起する頻度が上昇する過程をオ
ペラント条件づけと言う。例えば、犬が偶発的に飼い主の手のひらに前足をのせた際、飼い主がこの
犬をほめたとすると、この犬が飼い主の手のひらに前足をのせる頻度が増加するであろう。オペラン
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トとはOperationから来た造語で、行動が報酬を得る道具として獲得される過程であるから、道具的条
件づけとも言う。報酬を用いて行動の生起頻度を変えることを強化という。
オペラント条件づけの過程を測定するための装置として、スキナーボックスと呼ばれるものがある。
この装置は、動物がようやく入る程度の広さの箱で、内側には反応を計測するための仕組み(レバー
やボタンなど)と、餌を与えるための仕組みが入っている。この装置に空腹の動物を入れ、偶発的に
スイッチが押された時に餌を与えることを繰り返すと、動物はそのうち自発的にスイッチを押すよう
になる(実森&中島, 2000)。
動物精神物理学
刺激と感覚の関数関係を測定する心理学の一分野を精神物理学(Psychophysics)という。ヒトを対象
とした精神物理学は、刺激に対するヒトの言語表出を指標とするが、動物精神物理学ではオペラント
条件づけを用いて、刺激に対する動物の反応を測定する。
たとえば、空腹のハトをスキナーボックスに入れ、透明なボタンを押すと餌が供給されることを学
習させた後、ボタンの裏側からいろいろな波長の光を投射する。赤色光の際にはつつくと餌がもらえ
るが、緑色光の際には餌がもらえない。このようにしばらく訓練すると、ハトは緑色と赤色を弁別す
るようになる。弁別完了後、波長の違いを変化させることで、たとえば赤色光のどの程度の違いが見
分けられるかを調べることができる。動物精神物理学は、単に動物の知覚を測定するにとどまらず、
記憶や認知の測定まで応用範囲を広げていくこととなった(実森&中島, 2000)。
刺激等価性
「奇跡の人」という映画をご存じであろうか。視聴覚障害を持ちながら、言語を習得したヘレン・
ケラーと、その教師であったサリバンの物語である。映画の最後の場面で、ヘレンの頭の中で、水の
感触と水を表す手話が結びつき、「物には名前がある」ことが理解される瞬間は感動的である。
言語を操作するには、物には名前があることを知らねばならない。そのためには、ある刺激が他の
刺激と連合するだけでは不十分である。たとえば、犬が見えたときに「イヌ」というだけでは不十分
で、「イヌ」と発話されたときに犬が思い浮かばれなければならない。つまり、「AならばB」が成
立すると、自動的に「BならばA」が成立しなければならないのである。
刺激等価性はSidmanにより体系化された概念である(Sidman, 1994)。Sidmanによれば、「Aならば
A」(反射律)、「AならばBが成り立つとき、BならばA」(対称律)、「AならばB、Bならば
Cが成り立つとき、AならばCも成り立つ」(推移律)の3つが成り立って初めて、刺激等価性が成
立したと言えるとした。刺激等価性は、自閉症児でも成立するが、言語が操作できない精神遅滞児で
は成り立たない。また、言語を制御する脳部位の損傷で成り立たなくなることがある。こうしたこと
から、刺激等価性が成立するかどうかと、言語を獲得できるかどうかには、深い関係があると考えら
れている。ヘレン・ケラーにおいては「水の手触り」と「水を表現する手話」が等価関係になった時、
初めて言語が獲得されたのである。
当然のことながら、刺激等価性が動物で成立するかどうかを検討した研究は山ほどある。しかし、
ポジティブな報告は、アシカとセキセイインコでしかなされていない。多くの動物は推移律と反射律
を成立させるが、対称律を成立させる動物種はほとんどないのである。アシカとセキセイインコに共
通しているのは、複雑な社会関係を形成することである。刺激等価性が成立するか否かは、一般的な
知性の問題ではなく、社会的な要請の問題であろう(山崎, 1999)。
心の理論
比較認知科学が行動主義から解放されたことにより、厳密な実験的手法にもとづきながら心を対象
とした研究が可能になってきた。こうした研究の指針となっているのが、「心の理論」という考え方
である。即ち、動物が他者の行動の背景には心があることを仮定することを、「心の理論」を持つと
いう。
心の理論は4つの下位の認知的モジュールで実現される(Baron-Cohen, 1995)。これらは、それぞれ視
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線検出、意図検出、共同注意、心の仮定を行う機能を担う。心の理論研究では、「偽信念課題」がよ
く使われる。この課題は、たとえば次のような手順で用いられる。AとB、2名のいる場面で、Aが
お菓子をカゴに隠し、退出する。Aのいないところで、Bがお菓子をカゴから出し、ハコに隠す。さ
て、Aが戻ってくるとどこを探すか?
この一連の場面を見せられた子供たちは、3歳以下では、大多数がハコを探すという。自己の知覚
が普遍的であり、他者の個人的な知覚について理解できていないのである。これが4、5歳になる、
カゴを探すと答える子供が増えてくる。しかし、多くの自閉症児ではこの課題をパスできない。自閉
症とは、他者の行動に心を仮定する能力の欠如を含むのかもしれない。
こうした課題を動物に課す際には、動物の注視反応を指標とする。心の理論を持つ動物では、戻っ
てきたAがハコを探すと、カゴを探すときに比べ注視時間が増えるはずである。類人猿のチンパンジ
ーはこの課題により心の理論を持つことが示されたが、旧世界ザルのニホンザルはそうではなかった。
しかし、新世界ザルのタマリンでは心の理論を持つことが示された。したがって、心の理論を持つか
どうかは、単に系統発生の問題ではなく、その種がどのような社会形態を持つかに依存するのではな
いかと思われる(Hauser, 2000)。
2.2 行動生態学に由来する基本概念
行動生態学は、Lorenz, Tinbergenなどの古典的動物行動学が、近代的な適応・進化の概念を取り入
れて刷新されたものである。
包括適応度
古典的動物行動学では、群淘汰の概念が支配的であった。すなわち、動物行動はその個体が属する
グループの適応度を高めるものであると考えられてきた。しかし、ハヌマンヤセザルにおける子殺し
やアマサギにおける兄弟殺しなど、この考えでは説明がつかない現象が報告されるようになると、群
淘汰に代わる概念が必要となってきた。
Hamiltonは、社会性昆虫の理論的研究から、血縁淘汰説と包括適応度の概念に到達した。これらの
考え方を一般向けにしたのが、Dawkins (1976)の利己的遺伝子という表現である。動物は種のために
行動するのでなければ、個体のために行動するのでもない。その動物を構成する遺伝子をより拡散さ
せるために行動するのである(伊藤, 1993)。
性淘汰
Darwin(1859)の自然淘汰説についてはよく知られている。生物個体には遺伝的なばらつきがあり、
それにより環境への適応度が異なることで個体の生存が左右され生物の形質が変化していく、という
考えである。Darwin はしかし、これとは別に性淘汰というアイデアも提出している(Darwin, 1871)。
高等動物の形質のうち、生殖に関わるものには、それ自体適応に不利なものもある。インドクジャク
のオスの長い飾り羽は、Darwin も引用する例である。あの羽のおかげで、オスは捕食者から逃れるの
に大きな不利をこうむっている。それではなぜあのような羽が進化してしまったのか? あのような
羽をもつことがメスに好まれ、その結果たとえ捕食の危険が高まってもそれを補えるほど、長い羽を
持ったオスの繁殖成功度がそうでないオスの繁殖成功度を上回るのである。
さてそれでは、なぜメスはそのような形質を好むようになったのか?Darwin はこの説明に困窮した
が、彼の考えを精緻化した説が提出されてきた。これらが Fisher のランナウェイ仮説と Zahavi のハン
ディキャップ原理である(伊藤, 1993)。
ランナウエィ仮説では、進化した形質自体に適応的な機能を仮定しない。オスの特定の形質を好む
というメスの形質が集団内に一定規模以上広がると、その形質はメスに好まれるというただそれだけ
の理由で進化する。なぜ好まれるのかに理由はいらない。なぜならば、その特定の形質をもつオスと
配偶することにより、メスはその形質を受け継ぐ息子を産むことになるからである。この過程は、い
ったんはじまっるとその形質の不適応度が限度を超えるまで持続する(伊藤, 1993)。
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Zahavi のハンディキャップ原理では、コミュニケーションに関わる形質がその個体の優良さを示す
ものであると考える。オスが自分が優良であることをアピールする信号は、正直な信号でなければな
らない。なぜなら、偽りの情報を伝える信号であればすぐに淘汰されてしまうからである。自己が優
良な個体であることを示す信号が正直な信号であるためには、優良さの度合いに応じて信号の生成に
コストがかかることになる。これがハンディキャップである(Zahavi & Zahavi, 1997)。日常的な用語と
してのハンディキャップとは隔たりがあるから注意が必要である。
Baldwin(ボールドウィン)効果
信号の形成に個体発生的な、つまり一世代での学習要因が関わってくるようになると、信号の進化
は Darwin 的な過程のみでは説明できなくなってくる。つまり、学習によって成立する行動変異が異
なる適応度を生ずるようになることで、遺伝的形質に変化が起こるのである。より広義には、行動が
変化することにより新しい淘汰圧が生じて遺伝子型を変化させることをボールドウィン効果という
(Deacon, 1997)。ボールドウィン効果がどのように鳥のコミュニケーション信号を変化させるか考えて
みよう。ある種の鳥類のメスが複雑な囀りを好む傾向を持つとする。囀りが学習により獲得されると
すれば、それ以外は全く同じ資質を持つ個体でも、複雑な囀りを学んだ個体のほうがそうでない囀り
を学んだ個体よりも高い適応度を持つことになる。こうして囀りは文化的伝達により次第に複雑にな
る。するとここで、複雑な囀りを学習しやすいかどうかという形質に変異が生ずれば、囀り自体が遺
伝的変動を選択する淘汰圧となる。鳥の囀りの複雑さは、このように学習と遺伝の相互作用から進化
してきたと考えられる。
メキシコマシコという鳥では、オスのみが赤い羽色をもち、赤さの度合いには個体差がある。カロ
チンを含む食物の摂取量が多ければ多いほど、赤い羽色を持つことができる。つまり、赤さは行動に
より変容する属性である。野外において赤い鳥であることは、捕食者に目立ちやすくハンディキャプ
となる。したがって赤い鳥がそうでない鳥と同様に生存するためには、その鳥は優れた資質をもつ必
要がある。メスは赤さの際だつオスを好み、これとつがおうとする。メキシコマシコにおいては、行
動により変容する属性をメスが選択することで、ボールドウィン効果が生じていることが考えられる。
実際、赤くなりやすい性質はヒナをよりよく世話する形質と相関した。さらに、赤い父から産まれた
子供はより赤くなりやすいことがわかった(Alcock, 1997)。これらの結果から、メキシコマシコが赤く
なるのは何を食べるかに依存するが、赤くなりやすいことに関連するさまざまな形質は、行動と遺伝
の相互作用から進化してきたのであろう。
2.3 神経行動学に由来する基本概念
生得的解発機構 (Innate releasing mechanism)
この概念は古典的動物行動学の概念であり、これが現在このままの形で摘要されることはほとんど
ない。にもかかわらず、行動学の発展の上では無視できない概念である。初期の神経行動学は、この
概念の神経科学的実体を把握しようとする動きから始まった。
動物の行動のうち、定型的な順序で生ずる一連の行動のことを固定的行動パターン(fixed action
pattern)と呼び、これを解発(release)する刺激を鍵刺激(sign stimulus)と呼ぶ。鍵刺激により固定的行動
パターンが解発される仕組みを生得的解発機構と呼ぶ(Alcock, 1997)。
たとえば、トゲウオのオスは繁殖期に入ると縄張りを作り、腹部が赤くなる。発情した同種のオス
が進入すると、激しく攻撃を加えこれを追い払う。この行動は、精巧に作られたモデルでも、腹部が
赤くないと解発されない。しかし、ただの棒状のものでも、その下半分を赤く塗っておくだけで攻撃
行動が誘発される。この場合、赤さが攻撃行動を誘発する鍵刺激なのである。
感覚マップ
生物学的に妥当な環境がどのように動物の脳内で表象されているのか。これも神経行動学の大きな
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テーマである。初期の神経行動学では、動的な環境世界は、動物の脳内に静的なマップを構成してい
ると仮定していた。この仮定のもと、動物にさまざまな刺激を提示し、脳内の単一神経細胞の電気的
応答様式を探り、マップを構成するという手法が1970年代より一般化していった。こうした手法によ
る大きな成果として、先に述べた動物の定位行動の研究があげられる。この仮定は、脳内表象の第一
近似として妥当なものであり、初期の神経行動学に活発な研究をもたらした。近年ではしかし、表象
の動的特性に目が向けられ初めている(Carew, 2000)。
フィードバック制御
目的物に手を伸ばす等の筋肉制御にあたり、運動出力を感覚入力と比較しつつ動作が可能となる。
このような方法は、機械制御系のアナロジーからフィードバック制御と呼ばれる。初期の神経行動学
では、感覚フィードバック(sensory feedback)情報を伝える神経系を切除することで行動がどう変容
するかを調べ、内在的なリズムとフィードバック制御を分離しようとする試みがなされた。魚類の遊
泳や鳥類の発声についての研究がよく知られている。近年、この概念は神経回路網理論の諸概念に影
響され、動物の学習行動を可能にする神経系の働きを強化学習や誤差逆伝搬学習により説明しようと
する試みがなされている。こうした試みの中で、もっとも成功したものは、鳥の囀り学習を強化学習
で説明したものである(Brainard & Doupe, 2000)。
刻印づけ(または刷り込み)
動物行動学でもっとも有名な概念といえば刻印づけ(imprinting)であろう。アヒルやニワトリ、ウ
ズラなど離巣性の鳥類は、孵化後すぐ目に入った動き回るものを、自己をケアしてくれる同種として
学習する。この過程には孵化後しばらく最適な時間帯(敏感期;sensitive period)があり、これ以降
では学習が困難になる。また、いったんある刺激が刷り込まれると、他の刺激は刷り込まれにくくな
る(非可逆性;irreversibility)。刷り込まれる対象は、当初恣意的なものであると考えられていたが、
その後の研究で同種としての属性を備えている刺激のほうがより強固に刷り込まれることがわかっ
た。
同様な過程は、鳴禽類の囀りの感覚学習にも見られる。鳴禽類は、求愛やなわばり防衛に用いる囀
りを生後初期の敏感期に記憶する。近縁種間で卵を入れ替える実験を行うと、たとえばジュウシマツ
に育てられたキンカチョウはジュウシマツの囀りを学習する。しかしながら、もしこの過程で本来の
自種の囀りを聴く機会があれば、そちらのほうをより効率よく学習する。
刻印づけや囀り学習の過程で、脳内の関連する部位におけるシナプス頻度の変化が生ずることがわ
かっており、脳の可塑性を研究する題材として注目されている(Carew, 2000)。
3. 新しい研究動向
3.1 究極要因から至近要因へ
性淘汰と脳神経系の変異
まず、性選択による鳥の歌の進化を考えることで脳神経系の変異について説明しようと試みる研究
を紹介する。Catchpoleらは、一夫多妻制のヨシキリ類で、歌のレパートリー数と獲得したメスの数に
正の相関があることを発見した。同様に他の種のヨシキリ類で、歌のレパートリーが多いほどつがい
形成の時期が早いことが見つかった。8種のヨシキリ類についてみると、レパートリー数が多い種の
ほうが、高次歌制御中枢であるHVcの容積が大きかった(Catchpole, 2000).
他方Hamiltonらは歌を聞き分けるメスの神経系に着目した。Hamiltonらは、コウチョウのオスの歌
をメスに聴かせ、メスの交尾誘発反応の有無を基準にして歌を2つのカテゴリーにわけた。いっぽう
はメスの交尾誘発反応を頻繁に誘発する歌、他方はあまり誘発しない歌である。これらの歌をあたら
に7羽のメスに聴かせ、魅力的な歌とそうでない歌との識別力を交尾誘発姿勢の回数を指標にして求
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めた。この結果と、大脳の歌学習に関わる神経核のうちメスにもあるもの(lMAN)の体積とが相関
し、lMANの体積が大きいほど選り好みがはっきりしていることがわかった(Hamilton et al, 1997)。
このような研究は、性選択の理論を神経系の変異から検証しようとするものである。高次歌制御神
経系の容積が大きくなることは、一定の頭蓋容積内においては他の機能に費やされる脳容量を圧迫す
ることになる。したがって、複雑な歌はハンディキャップ原理によりメスに好まれることになる。同
様に、オスの資質を正しく判別するためには、メスも相応のコストを払わねばならないのである
(Okanoya, 2001)。
3.2 至近要因から究極要因へ
遺伝子発現を指標とした歌学習の進化
鳴禽類のオスは、縄張りを保持するため、また、メスに求愛するために囀りを用いる。種によって
は、隣接する縄張りを持つ個体が複数おり、かつ、それぞれの個体が複数の囀りレパートリーを持っ
ている。このような種では、たくさんの種類の囀りを記憶しておかなければならない。なぜなら、隣
接する個体が他の個体に入れ替わったことに気づかないでいると、再び縄張りを侵害される危険があ
るからである。縄張りを作らない種においても、コロニーの仲間認識のために構成員の囀りを記憶し
ておく必要がある。
鳴禽類の大脳の一部、NCM領域の神経細胞では、新奇な囀りを聴いた際に特異的な遺伝子が発現す
ることがわかった(Mello et al., 1992)。この遺伝子はおそらく、新奇な歌を記憶する際の神経ネットワ
ークの書き換えに必要なタンパク質をコードすることに関連した遺伝子であろう。実際、30分以上
にわたり同じ囀りを聴かされると、遺伝子発現はストップする。囀りの新奇性が無くなり、記憶が定
着したのであろう。しかし、新しい囀りを聴かせると再び遺伝子発現が起こる。この部位は、新奇性
フィルターなのである。記憶の神経科学的研究は、ラット等の海馬を用いた空間記憶の研究に限定さ
れていたが、鳥の囀り記憶を対象とすることで、ヒトの宣言的な記憶のモデルとすることが可能であ
ると思われる(池渕, 2000)。
遺伝子発現を指標とした研究は、歌学習の進化史を再構築する研究にもつながっている。歌学習は、
アマツバメ目、スズメ目、オウム目のそれぞれで独立に進化したと考えられてきた。しかし、遺伝子
発現を指標とすると、歌学習に関わる神経核の位置関係はほとんど同一であることがJarvisらにより
示された(Jarvis, et. al., 2000)。これを手がかりに、近い将来歌学習を可能とした前適応はなんだったの
かが理解されるであろう。
脳神経系の変化から行動の機能の推測へ
逆に、脳神経系の研究からそれまで不明であった歌の機能が推測された例がある。キンカチョウに
は、メスに向かってうたう求愛の歌(DS)と、それと全く同じ音響構造をもつが単独で歌われる歌(US)
とがある。USの機能については諸説紛々であったが、Jarvisらは、歌をうたう際の遺伝子発現の研究
から、USをうたうときにのみ大脳基底核が関与することを発見した(Jarvis, et. al., 1998)。大脳基底核
は、運動パターンを精緻化する必要があるときに活動する。つまり、USをうたう際には、実際にうた
われた歌の聴覚フィードバック情報と、歌をうたうために出した運動指令との誤差を、実時間で計算
しており、歌をより精緻化するための活動が起こっていることを示唆する。DSをうたう際には、歌へ
のメスの反応をモニターするのに忙しく、歌の精緻化学習を同時に行うことが難しいのであろう。
Okanoyaらは、ジュウシマツがうたう際に、実時間の聴覚フィードバックが必要であることを発見
した (Okanoya & Yamaguchi, 1997)。聴覚フィードバックを剥奪されたジュウシマツは、歌の時系列構
造を維持できなくなってしまうのである。それまでは、成鳥がうたう際には聴覚フィードバックが不
要であると考えられていた。この発見とJarvisらの発見が結びつき、成鳥は聴覚フィードバックに依
存して歌の維持を行っているとの仮説が生まれた。
この仮説をエレガントに証明したのがDoupeのグループである。幼鳥が歌を学習する際に必要とさ
れる脳神経系を破壊し、同時に聴覚フィードバックを剥奪すると、驚いたことに聴覚フィードバック
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剥奪の効果が消失し、歌に変化が生じない。歌の発達段階における学習と、成鳥の歌の維持とは実は
同じメカニズムで説明できることが示されたのである(Brainard & Doupe, 2000)。
これらの研究は、脳神経系に生ずる変化を指標として行動の機能の発見に至ったものである。至近
要因の研究から究極要因への研究へ貴重なアイデアが供給できることを示している。
3.3 4つの質問とジュウシマツの歌
最後に私自身のジュウシマツの歌に関する研究を紹介したい。私の研究グループでは、ジュウシマ
ツの歌の複雑さとそれを制御する脳の仕組み、その発達過程、その進化と機能について総合的な研究
を進展させている。これらの研究を通して、至近要因の研究が決して究極要因と乖離して進められる
べきではないことを強調し、行動学の再統合を提案したい。
ジュウシマツはペットとしておなじみの白っぽくて可愛らしい小鳥である。この鳥は野生にはいな
い。約250年前、九州の大名が中国南部から輸入したコシジロキンパラという野鳥が祖先である。
ペットとして日本で飼育されているうちに数々の変異が生じ、ジュウシマツとコシジロキンパラは外
見ではまったく異なる小鳥のようになってしまった。
小鳥の歌は、おもにオスによってメスへの求愛のためにうたわれる。小鳥の歌は一般に固定的な要
素配列を繰り返して構成されるが、ジュウシマツの歌にはダイナミックな変化が聞き取れる。私は、
このダイナミックな変化はある種の「文法」であると考え、この歌がどのように作られるのかを分析
してきた。
歌の文法的解析
ジュウシマツの歌はさまざまな形をした複数の歌要素(エレメント)がいろいろな組み合わせによ
り「チャンク」をなし、これらのチャンクがさらに組み合わさって複数の「フレーズ」をなす。これ
ら「フレーズ」がさらに組み合わさり、歌をつくるのである。こうした構造は大きな個体差があり、
父親から息子へとバリエーションを含んで学習される。
このような歌の階層構造に至るには、まず個体の歌を最低2分間録音し、これをソナグラム(周波
数x時間表示)に変換する。ソナグラム上で同じ形態をしたエレメントに同じアルファベット小文字
をふり、ソナグラムのデータを記号列に変換する。これらの記号列のなかからチャンクをなすエレメ
ントを探し、それぞれのチャンクを他の記号(たとえばアルファベット大文字)で置き換えて、縮約
された記号列を産出する有限状態文法を作ることができる。
歌文法の至近要因
このような階層性を持った歌は、ジュウシマツの大脳のなかでどのように表現されているのだろう
か。ジュウシマツ大脳に同定されている3つの歌制御神経核、NIf、HVc、RA が歌の階層構造に対応
していると仮定して、破壊実験を行った。
NIf は一次聴覚野であるフィールド L2 に隣接した神経核で、L2 から聴覚情報を、視床から運動情
報を受け取り、両者を統合する部位であると考えられている。この部位を両側破壊すると、複雑な遷
移パターンを持った歌が線形な歌に変化してしまった。この部位はしたがって、フレーズレベルの多
義性を司っていると考えられる。このような変化は片側破壊では生じなかった(Hosino & Okanoya,
2000)。
NIf からの入力は HVc につながる。右 HVc の全破壊では、破壊後2週間ほどで歌は完全に術前の
歌と同じに回復した。しかし左 HVc の全破壊では歌は単純なノイズ列になり、回復しなかった。そ
こで左 HVc を部分的に破壊(20-50%)すると、歌の各要素の形態は保持されたが、特定のチャンク
が消失した。しかし、破壊部位と消失チャンクとの間には相関がなかった。したがって、HVc はチャ
ンクレベルの分散表象を持っていると仮定できる(宇野、岡ノ谷, 1998)。
HVc は太い神経束により RA へと連絡される。右 RA の破壊では、歌エレメントのうち基本周波数
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が低い(1kHz 以下)ものがいくつか消失した。また、左 RA の破壊では反対に基本周波数が高い(2kHz
以上)ものがいくつか消失した。この結果から、RA ではエレメントレベルの歌表象があり、さらに左
右で表象されるエレメントの音響特性が異なることがわかった。
複雑な歌の機能
ではなぜ、このように複雑な「文法」様行動がジュウシマツにおいて進化したのであろうか。ジュ
ウシマツの歌は、オスによってメスへの求愛のためにうたわれる。このように、雌雄間で交わされる
信号は、メスの好みによって性淘汰を受け進化したものが多い。したがって、ここでも、「ジュウシ
マツの歌はメスの好みにより複雑化した」という仮説を検討した。
あるジュウシマツの歌を分析し、これを産出する有限状態モデルをソフトウエアで作りだした。さ
らにこれを編集して、単純な歌しか作らないモデルも準備した。ジュウシマツのメスを一羽ずつ竹か
ごで飼育し、それぞれに壺巣と巣材を与え、一日に2時間、複雑な歌または単純な歌とを聴かせ、壺
巣に運ばれた巣材の数を指標として歌の好みを測定した。
この結果、仮説のとおり、複雑な歌を聴いたメスジュウシマツは、単純な歌を聴いたグループより、
活発に巣作り行動をすることがわかった(岡ノ谷、鷹島、1997)。さらにこれらのジュウシマツの血中
エストラダイオールレベルを測定すると、複雑な歌を聴いたグループでのみ性ステロイドが有意に増
加していることがわかった。複雑な歌はメスに好まれるだけではなく、メスの生殖行動を活発にする
のである。
複雑な歌をうたうことは、自然界ではハンディキャップになる。そのような歌をうたうことは、単
純な歌をうたうことに比べ捕食の危険を増すであろうし、うたうことに費やす時間が採餌の時間を削
ることは明らかである。実際、うたっている個体にフラッシュ光をあてる実験により、複雑な歌をう
たう個体ほど、うたっている最中に危険なことがおきても対処しにくいこともわかった(中村、岡ノ
谷、2000)。つまり、そのようなハンディキャップにも関わらず複雑な歌をうたう個体は、生存力一
般に優れているはずである。以上が複雑な歌がなぜメスに好まれるのかの説明として妥当であると思
われる。
歌の発達と進化
オスのジュウシマツは、生後35日くらいから自発的に歌を発しはじめるが、この段階では個々の
エレメントを特定できない。生後70日くらいの幼鳥の歌になるとようやくエレメントが特定できる
ようになる。しかし、この時点で観察される歌の産出規則は、その個体が成長してうたう歌の産出規
則とは異なる(岡ノ谷、池渕、1999)。したがって、ジュウシマツの歌においてはまずそれぞれのエレ
メントの構造が発達し、そのあとこれらエレメントの配列規則が決まってくるのである。
ジュウシマツの歌は、複雑な遷移規則をもち多義性のあるエレメント間推移をもつが、中には単純
な歌をうたうものもいる。祖先種であるコシジロキンパラの歌は基本的に線形であり、いつも同じ順
序でエレメントが配置されている。歌の複雑さは、進化の過程で、メスの好みにより生じたものであ
ろう(Honda & Okanoya, 1999)。
歌認知のアルゴリズム
ジュウシマツの歌は、メスによる複雑さへの好みが淘汰圧となり、大脳の離散的な神経核により階
層的に制御するシステムを使って進化したと考えられる。このような階層性を持った行動がどのよう
な神経活動によって可能になるのか、非常に興味深いところである。そこでまず、HVcにおいてジ
ュウシマツの歌のチャンク構造に対応するような生理学的な仕組みが存在するかどうかを検討した。
ジュウシマツのオスから歌を収録し、これを編集して約3秒間の刺激を作成した。また、この刺激
をもとに、個々のエレメントを切り離し、エレメントの出現順のみ逆転させた刺激も作成した。HVc
のマルチニューロン活動を記録し、正順序刺激と順序逆転刺激への反応の比率を比較すれば、この部
位での聴覚選択性がエレメントレベルなのかチャンクレベルなのかを検討することができよう。
ジュウシマツの歌の複雑性には個体差が大きい。ほとんど常に一定の要素配列でうたうものもあれ
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ば、たいへん複雑な有限状態規則でうたうものもある。常に一定の要素配列でうたうということは、
歌全体がひとつのチャンクとなっているということである。このような歌をうたう個体のHVcニュ
ーロンにおいては、より複雑な歌(より細かい多くのチャンクを持つ歌)をうたう個体のものより、
正順序刺激に対する選択性が高いことが予想される。歌の複雑性の順に選択性データを配列すると、
確かにそのようになっていることがわかった(中村、岡ノ谷, 2000;Nakamura & Okanoya, submitted)。
まとめ
以上の研究から、ジュウシマツの歌は、メスの聴覚系と生殖システムをより効率よく刺激するため
に複雑化し、その結果として文法をもったのではないかと考えられる。もちろん、ジュウシマツの文
法は私たちの言語の文法とは異なり、それによって意味を多様化させるものではない。しかし、ジュ
ウシマツの歌文法の存在は、「形式的な文法は意味とは独立に進化し得る」ことを示している。
4.構成的脳研究へのインプリケーション
さて、ここまで動物の心研究の動向を概観してきたが、このような研究は構成的な脳研究にどう貢
献できるであろうか。
4.1 具体的貢献
動物の行動研究により明らかにされた様々な事実は直接的に構成的脳研究に貢献するであろう。例
えば、鳥の囀り学習の研究により、大脳基底核と大脳皮質がどのように相互作用し、どのような誤差
修正を行うのかが明らかになってきた。動物システムにおける強化学習の実現様式の詳細を学ぶこと
で、特にロボティックスへの貢献が期待できる。
刺激等価性という考えかたは、シンボル処理のためのアーキテクチャに直接的に取り込まれるべき
である。心の理論についても、そのようなモジュールをロボットに組み込むことでどのような行動が
可能になるのかを調べる研究も始まっている。
ボールドウィン効果は、当然 GA に組み込まれて行くようになるであろう。
4.2 方法論的貢献
動物の行動研究はより大局的にも構成的脳研究に貢献する。初期の人工知能研究は、コンピュータ
をアナロジーとするシンボル処理万能の考え方で行き詰まり、神経系をアナロジーとするコネクショ
ニズムで再生した。これからの構成的脳研究は、動物の心研究がいかに閉塞状況を抜け出したかに学
ぶべきである。
すなわち、これからの構成的脳研究は、生成的エソロジーを目指すべきである。そのためには、人
工知能を進化させる環境を用意し、コミュニケーションの必要を用意し、性淘汰のメカニズムを導入
すべきである。人工知能に競わせ、捕食圧を加え、恋をさせるべきである。心が進化すべき環境を用
意しなければ、心が進化するはずはない。どのような環境で心が進化していったか、その結果どのよ
うな神経構築が必要とされていったか、新しいエソロジーが答えを供給していくはずである。
5. おわりに
5.1 質問は無限にあるが問うべき質問は限られている
動物行動の研究は、恣意的な問題設定に陥りやすい。世の中には質問は無限にあるが、問うべき質
問は限られている。例えば、象が自転車に乗れるかどうか等は、どうでも良い疑問であり、自転車の
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作り方に依存するのみである。極端な例だが、実際このような研究はよく見られる。研究者は、無限
の質問から知るに値する質問を選択せねばならない。そのためのフィルターとなるのが進化的妥当性
である。
我々の行動は進化の産物であり、様々な淘汰の過程を経て成立した、適応度を増加させるための仕
組みの一つである。我々以外の動物に心的体験があるとすれば、それもまた適応のためツールである。
したがって、動物の心を研究するためには、どのような淘汰の歴史がありどのような適応的な内的過
程が生ずるのかを、必ずや問わねばならない。
5.2 とはいえ適応が万能ではない
しかし、これだけでは適応万能主義に陥る。行動を成立させるシステムは、神経系という実体を持
つ。祖先から受け継がれてきた神経構築をもとに、新たな適応を探らねばならない。必要に応じてす
べてを変化させることはできないのだ。したがって、動物の行動を研究する上で、神経系という至近
要因を理解することも不可欠である。どのような神経系がどのような適応を可能にするのか、必要な
適応を成立させるにあたり、神経系はどのような制約のもとにどのような解決法に至ったのか。至近
要因で得られた知見は、究極要因を考える上での制約事項として知っておかねばならない。
6. 引用文献
注:よく知られた研究についてはオリジナル論文よりも総説または解説書を引用している場合が多い。
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