Life Notes 『第2章 自分史と米国での25年 42』

2010年3月16日(火)
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東京匝司千葉日報その他<人生ノート>
た。
「ニューヨークから移った
ウエーが一直線に貫いてい コロラド山脈を目指すハイ 出ないかですぐ砂漠となり、 ある。そこは、町を出るか ア大学リヴァ-サイド校が よく知られるカリフォルニ 人口は約1 0万人。日本でも から10 ㌔ほど東にあり、 はできない。ロサンゼルス 不思議の地を通り過ぎること メリカ生活を語る上で、この
リヴァ-サイド。水田のア
学校法人城西大学理事長幼聯御-碑
水田宗子の人生ノート…
5人の子どもを育て、親しい 和4)年から約年まで1 0年余、
い境界の地、と例えられるか て人の住む世界とそうではな いました。文明と砂漠、そし 時は、地の果てに来た、と思
いユートピアでした」 は私にとってはかけがえのな もしれません。しかし、そこ
水田はそこで、1971(昭
境界の地リヴアーサイド
になって、水無し河になって 水流が次第に地下に潜るよう ごろからか、サンタアナ川の
く評価したアレクサンダー・
った。彼はチャップリンも高 ァ-サイド校にあることを知
それが、20世軽削半のいつ
た。 系人のコミュニティーもあっ
れ、堅剛は農業に従事する日 る。アボカドの栽培でも知ら キストオレンジの本社もあ で発展した地域で、あのサン れるオレンジの栽培と農業 川の支流、サンタアナ川が流
もいえます」 イドは〟牧歌的な小宇宙″と 時を過ごした。「リヴァ-サ 友人を迎え、実り多い学究の
実は、もともとはコロラド
ートマンの未整理資料がリヴ 詩人で映画人のサダキチ・ハ 早川雪舟などと活躍した日系
そんな因縁で水田は、竪削、
なっていた。 優や映画関係者の保養地とも リゾートで、ハリウッドの俳 はパームスプリングス並みの 地でもある。しかも、かつて 栽培が簡単にできる豊穣な土 ら、水さえやれば樹木や野菜 の降らない乾燥地でありなが 域として栄えた。ほとんど雨 しまう。それでいて、農業地
1.rtじ..ら
の4(昭和は)年に没した. 浴び、この地で太平洋戦争中 うたかたのスポットライトを
を続けた。 そしてカリフォルニアと放浪
ア、ボストン、ニューヨーク カに渡ってフィラデルフィ ンブルクとベルリン、アメリ 母と死別、長崎、ドイツのハ まれた。しかし、3歳でその
そして最後にハリウッドで
来た商人と日本女性の間に生 末、ドイツのハンブルクから
なった。
盗賊)で盗賊を演じて有名に コルダの名作(バグダッドの
明治維新の1860年代
数奇な生涯だ。 で比較文学の太田三郎先生か
実は水田は、「垂要子犬らサダキチ・ハートマンにつ
カリフォルニア砂漠のオアシスで
(特別編集委員・斎藤柳光)
した」 すが、感慨深いものがありま 娘さんを訪ねたことがありま ろは写真屋さんをしていた を過ごしています。そのこ
ィブアメリカンの妻と晩年 キチ・ハートマンがネイテ 居住地があり、ここでサダ アメリカン(インディアン) ーションというネイティブへ出ると、メランゴ・リザベ
ていたのである。 東洋文化熱の興隆にl役買っ 世畦剛半のアメリカにおける たり、香を広めたりして、20 能などを勝手気ま に英訳し は芭蕉をはじめとする俳句、 話す。サダキチ・ハートマン いてお聞きしていました」と
「リヴァ-サイドから砂漠