1 サケ科魚類におけるオスを誘引する排卵メス尿中の性フェロモンの精製

サケ科魚類におけるオスを誘引する排卵メス尿中の性フェロモンの精製と単離
Purification and isolation of a sex pheromone in ovulated female urine that attracts
males in salmonid fish.
代表研究者 北海道大学大学院水産科学研究科 研究員 山家秀信
19 年4月1日現在 東京農業大学生物産業学部アクアバイオ学科 講師
Postdoctoral Fellow, Graduate School of Fisheries Sciences, Hokkaido University,
Hidenobu Yambe. Present address: Department of Aquatic Bioscience, Faculty of
Bio-industry, Tokyo University of Agriculture
Summary
Over the last 20 years, steroids and prostaglandins have been identified as sex
pheromones in several fishes. So far, no other type of sex pheromone has been
unambiguously identified in fishes. Most recently, we reported a novel sex pheromone
in fish. The urine of ovulated female masu salmon contains a male-attracting
pheromone. Bioassay-guided fractionation led to an active compound that was
identical to L-kynurenine. L-Kynurenine is a major metabolite of L-tryptophan in
vertebrates. This pheromone elicits a mature male-specific behavior at even picomolar
concentrations; its electrophysiological threshold is 10-14 M. This is the first amino acid
that has been found to act as a sex-attracting pheromone in vertebrates.
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はじめに
魚類は繁殖期になると雌雄が相互に認知し繁殖行動を示す。この現象には視覚の
他、異性の識別に関わる性フェロモンの存在が示唆されてきたが、物質レベルで証明
された例は少ない。このような物質が判れば、生物学的関心を誘うだけでなく、有用魚
種の増殖事業への応用も期待される。これまでキンギョをはじめとするコイ科魚類にお
ける研究により、魚類の性フェロモンはステロイドやプロスタグランジンであるとの概念
が確立していた 1,2,3) 。そのようなフェロモンの多くをホルモン様フェロモンと呼ぶ。それ
に基づき世界各国でサケ科魚類の性フェロモンについて研究されてきたが、いずれも
多くの矛盾点があり確証が得られていなかった。
極東アジア固有の水産有用種であるサクラマスは、秋になると河川上流において雌
1 匹に対し雄複数匹が集まり産卵を行うことが知られている。本種は遡河回遊型のもの
と河川残留型のヤマメという2つの生活史を持つ。そこで私達は、その生活史が実験
に大変有利である事に着目し、大きく成長する回遊型から大量の尿を得てフェロモン
成分を分離し、小型で扱いやすい河川残留型の雄を用いて行動試験を繰り返し行っ
た。先ず、Y字型選択水路を用いて雄誘引フェロモンが従来示唆されてきた 排卵雌
(筋子ではなくイクラ状の卵を持つ)の体腔液(排卵すると体腔上皮から大量に産出さ
れる液体)ではなく尿に含まれることを証明し、従来報告されている性フェロモン物質と
は異なることも示した 4) 。次に、行動試験と天然物化学的手法を用いて本種の性フェロ
モンの同定を行った。
成果の概要
サクラマス排卵雌尿中の性フェロモンは 成熟雄の興奮と誘引行動を引き起こす。こ
のフェロモンを単離するため簡易行動試験法を開発した。排精している成熟雄はフェ
ロモンを嗅ぐと興奮して胸鰭を激しく動かし転回または前進する。この行動を点数化す
ることでフェロモン活性の強度を確認しながらフェロモンの単離精製を進めた。
排卵雌尿を3段階のクロマトグラフ ィーに供し簡易行動試験により活性画分をスクリ
ーニングした。先ず 1)逆相系フラッシュクロマトグラフィーに供しエタノール水溶液で 4
画分に分け活性画分を特定した。次にその画分を 2)セファデックスLH20 によるゲル
濾過で 18 画分に分け活性ピークを決定し、3)更にそのピークを集めて逆相HPLCに
より活性物質を単離した。薄層クロマトグラフィー、紫外線吸収スペクトル(図1)、質量
分析、核磁気共鳴スペクトル、Marfey 法(光学異性体の分析法)による分析を経て、こ
の化合物はL-キヌレニンであることが判明した(図2)。なお、HPLCによってキヌレニ
ン量を推定すると、排卵雌尿中に約 10-4 M含まれ、未熟雌雄と成熟雄の尿に比べて
約 50-110 倍の濃度であり(図3)、排卵雌の体腔液では検出限界値付近であった。
単離された天然キヌレニンと合成キヌレニンに対して成熟雄は同じ行動反応を示し、
未熟雄や排卵雌はキヌレニンに殆ど反応しないことから、その行動は成熟雄特異的で
あるといえる(図4)。実験水路中におけるL-キヌレニンに対する行動閾値は 10-12 M程
度と推定された。また、電気生理学的手法によるフェロモンの嗅覚応答閾値は成熟雄
で 10-14 Mとなり、性的に不活性な雄や排卵雌より 1,000~100,000 倍も敏感であった(図
5)。行動と嗅覚共に D 型には反応しなかった。なお、雄が嗅覚で匂いとして感じるの
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に必要なキヌレニンの最低濃度は、満水の 25m プールに僅か 0.78 g(100 万分の1g
以下)程を溶かしたレベルに匹敵する。また便宜上、止水とする河川を想定した 50cm
x 2m x 200m のプールに1匹の雌が1回排尿(約2mL)し均一に拡散すれば、実際に
雄が反応行動できる最低濃度になる。
尿中と同濃度のキヌレニンは、尿に対して 8 割程のスコアを示すことから副成分の存
在が考えられた。そこで、排卵雌尿に若干含まれるキヌレニン前駆体のホルミルキヌレ
ニンの他、プロスタグランジンF2α、シスタチオニン、チロシンとキヌレニンとの混合溶
液を行動試験に供したが、活性の相乗効果は確認されなかった。反応の良い個体を
用いれば充分なスコアを示すことから、キヌレニンがフェロモン主成分と考えて妥当で
あろう。排卵雌、未熟雌、成熟雄における尿中イオンを調べたところ、主要陽イオン 5
種に変化は無かったが、主要陰イオンでは、7 種のうち硫酸イオンが排卵雌尿で有意
に増加することがわかった。したがって、尿中キヌレニンイオンのカウンターイオンは硫
酸イオンである可能性が高い。
キヌレニンはトリプトファンの中間代謝物であり哺乳類の尿からも検出される5) 。また、
キヌレニンは昆虫や脊椎動物における眼の色素として同定されてきた他、その関連物
質は哺乳類における脳内の神経伝達を調整することが知られている。さらに、ヒト女性
では生理周期中のホルモン動態がトリプトファン代謝に様々な影響を及ぼす6) 。一方、
魚類ではトリプトファンを投与した雌の最終成熟が促進されることも報告されている。サ
クラマスの性フェロモン分泌時期には 体内で様々なホルモンが合成・分泌されている
ことから、次のような仮説が考えられる。サクラマスは、産卵のため遡上すると絶食状態
に入ることから、最終成熟に向かうホルモン動態の下で、先ず糖原性アミノ酸であるトリ
プトファンを糖新生に用いながら産卵期に移行し、次いで代謝産物のキヌレニンをフェ
ロモンとして利用しているものと推察される。
おわりに
キヌレニンは、これまで世界中の研究者が魚類のフェロモンとして想定してきた ステ
ロイドやプロスタグランジン等と異なる。サクラマスはその繁殖生態に有利なフェロモン
物質を利用するよう進化したと考えられる。つまり、本種は春に遡上し群れずに河川生
活する上、河川残留雄も多く存在する。そのため、離れて散在する雄にも届くよう、より
水溶性の高いアミノ酸をフェロモンとして利用しているかもしれない。今後、キヌレニン
の受容体や分泌に関わる知見を集積することにより、ホルモン様フェロモンとは異なる
性フェロモン機構を提示できる他、増養殖現場での応用や脊椎動物における性フェロ
モンの進化の解明にも繋がると考えられる。
謝辞
代表研究者の無給研究員時代に研究費をくださった秋山記念生命科学振興財団
に心より感謝申し上げる。また、協同研究者であった北村章二(中央水産研究所内水
面研究部日光庁舎 上席研究官[当時])、神尾道也(東京大学 博士課程[当時])、
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山田美穂(中央水研日光 研究補助員[当時])、松永茂樹(東京大学 教授)、伏谷伸
宏(東京大学名誉教授)、山崎文雄(北海道大学名誉教授)各位の他、試験魚を提供
してくれた北海道立水産孵化場、中央水研日光の鹿間俊夫技官と中村英史技官に
御礼申し上げる。なお、本研究の 主な成果は Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 103,
15370-15374 (2006)に発表された。
参考文献
1)Dulka, J.G., Stacey, N.E., Sorensen, P.W. & Van Den Kraak, G.J. A steroid sex
pheromone synchronizes male-female spawning readiness in goldfish. Nature 325,
251-253 (1987).
2)Sorensen, P.W., Hara, T.J., Stacey, N.E. & Goetz, F.W. F-prostaglandins function
as potent olfactory stimulants that comprise the postovulatory female sex pheromone
in goldfish. Biol. Reprod. 39, 1039-1050 (1988).
3)Li, W. et al. Bile acid secreted by male sea lamprey that acts as a sex pheromone.
Science 296, 138-141 (2002).
4)Yambe, H., Shindo, M. & Yamazaki, F. A releaser pheromone that attracts males in
the urine of mature female masu salmon. J. Fish Biol. 55, 158-171 (1999).
5)Tarr, J.B. Measurement of urinary tryptophan metabolites by reversed-phase
high-pressure liquid chromatography. Biochem. Med. 26, 330-338 (1981).
6)Brien, S., Martin, C. & Bonner, A. Tryptophan metabolism during the menstrual
cycle. Biol. Rhythm Res. 28, 391-403 (1997).
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