黄金虫 - ReSET.JP

黄金虫
THE
GOLD-BUG
Allan
Poe
エドガー・アラン・ポー Edg
ar
佐々木直次郎訳
おや、おや! こいつ気が狂った
みたいに踊って
ぐ
も
か
ラント蜘蛛に咬まれたん
だな。
﹃みんな間違い︵1︶﹄
もうよほど以前のこと、私はウィ
リアム・ルグラン君という人と親
しくしていた。彼は古いユグノー
︵2︶の一家の子孫で、かつては
富裕であったが、うちつづく不運
のためすっかり貧窮に陥っていた。
その災難に伴う屈辱を避けるため
に、彼は先祖の代から住み慣れた
ニュー・オーリアンズ︵3︶の町
を去って、南カロライナ州のチャー
ルストンに近いサリヴァン島に住
むことになった。
この島は非常に妙な島だ。ほと
んど海の砂ばかりでできていて、
長さは三マイルほどある。幅はど
ねばつち
あし
こでも四分の一マイルを超えない。
くいな
水鶏が好んで集まる、粘土に蘆が
しげ
一面に生い繁ったところをじくじ
く流れる、ほとんど目につかない
ような小川で、本土から隔てられ
ている。植物はもとより少なく、
またあったにしてもとても小さな
ものだ。大きいというほどの樹木
は一本も見あたらない。島の西端
ようさい
にはモールトリー要塞︵4︶があ
り、また夏のあいだチャールスト
じんあい
ンの塵埃と暑熱とをのがれて来る
人々の住むみすぼらしい木造の家
が何軒かあって、その近くには、
しゅ
いかにもあのもしゃもしゃした棕
ろ
櫚︵5︶の林があるにはあった。
しかしこの西端と、海岸の堅い白
いなぎさの線とをのぞいては、島
マー
全体は、イギリスの園芸家たちの
ル
おお
非常に珍重するあのかんばしい桃
ト
金嬢の下生えでぎっしり蔽われて
かんぼく
いるのだ。この灌木は、ここでは
しばしば十五フィートから二十
フィートの高さにもなって、ほと
そう
んど通り抜けられないくらいの叢
りん
林となって、あたりの大気をその
かぐわしい芳香でみたしている。
この叢林のいちばん奥の、つま
り、島の東端からあまり遠くない
ところに、ルグランは自分で小さ
な小屋を建てて、私がふとしたこ
とから初めて彼と知りあったとき
には、そこに住んでいたのだった。
私たちは間もなく親密になっていっ
いんとんしゃ
た。︱︱というのは、この隠遁者
には興味と尊敬の念とを起させる
ものが多分にあったからなのだ。
私には、彼がなかなか教育があっ
て、頭脳の力が非常にすぐれてい
ミザンスロピー
るが、すっかり人間嫌いになって
いて、いま熱中したかと思うとた
ゆううつ
ちまち憂鬱になるといった片意地
な気分に陥りがちだ、ということ
がわかった。彼は書物はたくさん
持っていたが、たまにしか読まな
かいがら
こんちゅう
かった。主な楽しみといえば、銃
さかなつ
猟や魚釣り、あるいは貝殻や昆虫
学の標本を捜しながら、なぎさを
伝い桃金嬢の林のなかを通ってぶ
らつくことなどであった。︱︱そ
しゅうしゅう
の昆虫学の標本の蒐集は、スワン
メルダム︵6︶のような昆虫学者
せんぼう
にも羨望されるくらいのものだっ
た。こういった遠出をする場合に
は、たいていジュピターという年
寄りの黒人がおともをしていた。
彼はルグラン家の零落する前に解
放されていたのだが、若い﹁ウィ
だんな
ル旦那﹂のあとについて歩くこと
を自分の権利と考えて、おどかし
ても、すかしても、それをやめさ
せることができなかった。ことに
しんせき
よったら、ルグランの親戚の者た
ちが、ルグランの頭が少し変なの
だと思って、この放浪癖の男を監
視し後見させるつもりで、ジュピ
がんこ
ターにそんな頑固さを教えこんで
おいたのかもしれない。
サリヴァン島のある緯度のあた
りでは、冬でも寒さが非常にきび
しいということはめったになく、
秋には火がなくてはたまらぬとい
まれ
うようなことはまったく稀である。
しかし、一八︱︱年の十月のなか
ばごろ、ひどくひえびえする日が
あった。ちょうど日没前、私はあ
と き わ ぎ
の常磐木のあいだをかきわけて友
の小屋の方へ行った。その前三、
四週間ほど私は彼を訪ねたことが
なかった。︱︱私の住居はそのこ
ろこの島から九マイル離れている
チャールストンにあって、往復の
便利は今日よりはずっとわるかっ
たた
た。小屋に着くと、いつも私の習
とびら
慣にしているように扉を叩いたが、
なんの返事もないので、自分の知っ
かぎ
ている鍵の隠し場所を捜し、扉の
錠をあけてなかへ入った。炉には
気持のいい火があかあかと燃えて
いた。これは思いがけぬ珍しいも
のでもあり、また決してありがた
がい
からぬものでもなかった。私は外
とう
套を脱ぎすてると、ぱちぱち音を
ひじ
たてて燃えている丸太のそばへ肘
か け い す
掛椅子をひきよせて、この家の主
人たちの帰ってくるのを気長に待っ
ていた。
暗くなってから間もなく彼らは
帰ってきて、心から私を歓迎して
くれた。ジュピターは耳もとまで
口をあけてにたにた笑いながら、
ばんさん
晩餐に水鶏を料理しようと忙しく
立ち働いた。ルグランは例の熱中
する発作︱︱発作とでも言わなけ
ればほかになんと言おう? ︱︱
かか
に罹っていた。彼は新しい種類の、
世にまだ知られていない二枚貝を
発見したのだが、そのうえまた、
ジュピターの助けを借りて一匹の
かぶとむし
甲虫を追いつめて捕えたのだ。そ
の甲虫を彼はまったく新しいもの
と信じていたが、それについてあ
す私の意見を聞きたいというので
あった。
﹁で、なぜ今夜じゃいけないのか
ね?﹂と、私は火の上で両手をこ
すりながら尋ねた。甲虫なんぞは
みんな悪魔に食われてしまえ、と
心のなかで思いながら。
﹁ああ、君がここへ来ることがわ
かってさえいたらなあ!﹂とルグ
ランが言った。﹁だがずいぶん長
く会わなかったし、どうして今夜
にかぎって訪ねてきてくれるって
ことがわかるもんかね? 僕は帰
ちゅうい
りみちで要塞のG︱︱中尉に会っ
て、まったくなんの考えもなしに、
その虫を貸してやったんだ。だか
ら君にはあすの朝まで見せるわけ
にはゆかんのだ。今晩はここで泊
りたまえ。そしたら、日の出に
ジャップを取りにやらせるよ。そ
りゃあ実にすばらしいものだぜ!﹂
﹁何が? ︱︱日の出がかい?﹂
﹁ばかな! 違うよ! ︱︱その
こがねいろ
虫がさ。ぴかぴかした黄金色をし
くるみ
ていて、︱︱大きな胡桃の実ほど
の大きさでね、︱︱背中の一方の
端近くに真っ黒な点が二つあり、
もう一方のほうにはいくらか長い
アンテニー
のが一つある、触角は︱︱﹂
ティン
・
・
・
﹁錫なんて︵7︶あいつにゃあちっ
へえ
とも入っていねえんでがす、ウィ
めえ
ル旦那。わっしは前から言ってる
んでがすが﹂と、このときジュピ
ターが口を出した。﹁あの虫はど
こからどこまで、羽根だきゃあ別
だが、外も中もすっかり、ほんと
の黄金虫でさ。︱︱生れてからあ
んな重てえ虫は持ったことがねえ﹂
﹁なるほど。としてもだな、ジャッ
じ
め
プ﹂とルグランは、その場合とし
ま
ては不必要なほどちょっと真面目
すぎると思われるような調子で、
こ
答えた。﹁それがお前の鳥を焦が
す理由になるのかな? その色は
ね﹂とここで彼は私の方へ向いて、
︱︱﹁実際ジュピターの考えももっ
ともだと言ってもいいくらいのも
のなんだ。あの甲から発するのよ
や
りももっとぴかぴかする金属性の
つ
光沢は、君だって見たことがある
まい。︱︱が、これについちゃあ
あすになるまでは君にはなんとも
意見を下せないわけだ。それまで
にまず、形だけはいくらか教えて
あげることができるよ﹂こう言い
ながら、彼は小さなテーブルの前
へ腰をかけたが、その上にはペン
とインクとはあったけれども、紙
はなかった。彼は引出しのなかを
捜したが、一枚も見当らなかった。
﹁なあに、いいさ﹂ととうとう彼
は言った。﹁これで間に合うだろ
う﹂と、チョッキのポケットから、
フールズキャップ
ひどくよごれた大判洋紙らしいも
ののきれっぱしを取り出して、そ
の上にペンで略図を描いた。彼が
そうしているあいだ、私はまだ寒
けがするので、火のそばを離れず
にいた。図ができあがると、彼は
立ち上がらないで、それを私に手
渡しした。それを受け取ったとき、
高い︵8︶うなり声が聞え、つづ
いて扉をがりがりひっかく音がし
た。ジュピターが扉をあけると、
ルグランの飼っている大きなニュー
ファウンドランド種の犬が跳びこ
んで来て、私の肩に跳びつき、し
きりにじゃれついた。いままで私
が訪ねて来たときにずいぶんかわ
いがってやっていたからなのだ。
犬のふざけがすんでしまうと、私
なが
は例の紙を眺めたが、実を言えば
友の描いたものを見て少なからず
面くらったのであった。
﹁なるほどね!﹂と私は、数分間
そいつをつくづく見つめた末に、
・
言った。﹁こりゃあたしかに奇妙
・
な甲虫だよ。僕には初めてだ。こ
ずがいこつ
どくろ
れまでにこんなものは見たことが
・
ない︱︱頭蓋骨か髑髏でなければ
・
ね。僕のいままで見たもののなか
では、なによりもその髑髏に似て
いるよ﹂
おう
﹁髑髏だって!﹂とルグランは鸚
むがえ
鵡返しに言った。︱︱﹁うん、︱
か
︱そうだ、いかにも紙に描いたと
ころでは幾分そんな格好をしてる
な、たしかに。上の方の二つの黒
め
い点は、眼のように見えるし、え、
そうだろう? それから下にある
長いのは口に見えるし、︱︱それ
だえんけい
に、全体の形が楕円形だからね﹂
﹁たぶんそうだろう﹂と私は言っ
た。﹁しかしだね、ルグラン、君
は絵が上手じゃないねえ。とにか
く、その虫の本物を見るまで待た
なくちゃならん、どんなご面相を
しているのか知ろうと思ったらね﹂
﹁そうかなあ﹂彼は少しむっとし
・
・
て言った。﹁僕はかなり描けるん
・
・
・
だがね、︱︱少なくとも描けなく
・ ・
ちゃならんのだ、︱︱いい先生に
教わったんだし、自分じゃあそう
ひどい愚物でもないつもりなんだ
から﹂
﹁しかし、君、それじゃあ君は茶
化しているんだよ﹂と私は言った。
・
﹁こりゃあ、ちゃんとした普通の
・ ・
頭蓋骨だ。︱︱実際、生理学上の
・
・
この部分に関する一般の考えにし
・
たがえば、実に立派な頭蓋骨だと
言ってもいいね。︱︱そして君の
甲虫というのが、もしこれに似て
るのなら、それこそ珍無類の甲虫
ヒン
にちがいない。そうだな、この暗
ト
示でぞっとするような迷信が一つ
hominis︺
︹scaraboe&us
こさえられるぜ。きっと君はその
虫を
caput
︵人頭甲虫︶とか、何かそういっ
たような名をつけるだろうね。︱
︱博物学にはそういうような名前
がたくさんあるからね。ところで、
君の話したあの触角というのはど
こにあるんだい?﹂
﹁触角!﹂とルグランが言った。
彼はこの話題に奇妙に熱中してい
るようだった。﹁触角は君には見
えるはずだと思うんだが。僕は、
実物の虫についているとおりにはっ
きりと描いたんだし、それで十分
だと思うんだがな﹂
﹁うん、そうかねえ﹂と私は言っ
た。﹁きっと君は描いておいたん
だろう、︱︱でもやっぱり僕には
きげん
見えない﹂そして、私は彼の機嫌
を損じないようにと、それ以上な
にも言わないで、その紙を彼に渡
した。が、私は形勢が一変してし
まったのにはすっかり驚いた。彼
の不機嫌には私も面くらったし、
・
・
・
︱︱それに、甲虫の図はと言えば、
・
ほんとうに触角などはちっとも見
・
・
・
えなくて、全体が髑髏の普通の絵
・
にたしかにそっくりだったのだ。
彼はひどく不機嫌に紙を受け取
り、火のなかへ投げこむつもりら
しわ
しく、それを皺くちゃにしようと
したが、そのときふと図をちらり
と見ると、とつぜんそれに注意を
ひきつけられたようであった。た
ちまち彼の顔は真っ赤になり、︱
さお
︱それから真っ蒼になった。数分
すわ
間、彼は坐ったままその図を詳し
く調べつづけていた。とうとう立
ろうそく
ち上がると、テーブルから蝋燭を
すみ
取って、部屋のいちばん遠い隅っ
こにある船乗りの衣類箱のところ
へ行って腰をかけた。そこでまた、
紙をあらゆる方向にひっくり返し
てしきりに調べた。だが彼は一こ
とも口をきかなかった。そして彼
の挙動は大いに私をびっくりさせ
た。それでも、私はなにか口を出
したりしてだんだんひどくなって
くる彼の気むずかしさをつのらせ
ないほうがよいと考えた。やがて
うわぎ
彼は上衣のポケットから紙入れを
取り出して、例の紙をそのなかへ
ライティング・デスク
丁寧にしまいこみ、それを書机の
なかに入れて、錠をかけた。彼の
態度は今度はだんだん落ちついて
きた。が最初の熱中しているよう
な様子はまったくなくなっていた。
それでも、むっつりしているとい
ぼうぜん
うよりも、むしろ茫然としている
ふ
ようだった。夜が更けるにしたがっ
て彼はますます空想に夢中になっ
しゃれ
てゆき、私がどんな洒落を言って
もそれから覚ますことができなかっ
た。私は前にたびたびそこに泊っ
たことがあるので、その夜も小屋
に泊るつもりだったが、なにしろ
あるじ
主がこんな機嫌なので、帰ったほ
し
うがいいと思った。彼は強いて泊っ
て行けとは言わなかったが、別れ
るときには、いつもよりももっと
心をこめて私の手を握った。
それから一カ月ばかりもたった
ころ︵そのあいだ私はルグランに
ちっとも会わなかった︶、彼の下
男のジュピターが私をチャールス
トンに訪ねて来た。私は、この善
良な年寄りの黒人がこんなにしょ
げているのを、それまでに見たこ
とがなかった。で、なにかたいへ
んな災難が友の身に振りかかった
のではなかろうかと気づかった。
﹁おい、ジャップ﹂と私が言った。
﹁どうしたんだい? ︱︱旦那は
どうかね?﹂
﹁へえ、ほんとのことを申します
と、旦那さま、うちの旦那はあん
まりよくねえんでがす﹂
﹁よくない! それはほんとに困っ
たことだ。どこが悪いと言ってい
るのかね?﹂
﹁それ、そこがですよ! どこも
わり
悪いと言っていらっしゃらねえだ
・
・
が、︱︱それがてえへん病気なん
・
でがす﹂
・
﹁たいへん病気だって! ジュピ
ター。︱︱なぜお前はすぐそう言
とこ
わないんだ? 床に寝ているのか
い?﹂
﹁いいや、そうでねえ! ︱︱ど
こにも寝ていねえんで、︱︱そこ
か
が困ったこっで、︱︱わっしは可
え
哀えそうなウィル旦那のことで胸
がいっぺえになるんでがす﹂
﹁ジュピター、もっとわかるよう
に言ってもらいたいものだな。お
前は旦那が病気だと言う。旦那は
どこが悪いのかお前に話さないの
か?﹂
﹁へえ、旦那さま、あんなこっで
気が違うてなぁ割に合わねえこっ
でがすよ。︱︱ウィル旦那はなん
ともねえって言ってるが、︱︱そ
んならなんだって、頭を下げて、
肩をつっ立って、幽霊みてえに真っ
蒼になって、こんな格好をして歩
きまわるだかね? それにまた、
しょっちゅう計算してるんで︱︱﹂
﹁なにをしているって? ジュピ
ター﹂
﹁石盤に数字を書いて計算してる
んでがす、︱︱わっしのいままで
見たことのねえ変てこな数字でさ。
ほんとに、わっしはおっかなくなっ
てきましただ。旦那のすることにゃ
あしっかり眼を配ってなけりゃな
んねえ。こねえだも、夜の明けね
えうちにわっしをまいて、その日
いちんち
一日いねえんでがす。わっしは、
けえ
旦那が帰って来たらしたたかぶん
殴ってくれようと思って、でっけ
か
え棒をこせえときました。︱︱だ
ば
けど、わっしは馬鹿で、どうして
え
もそんな元気が出ねえんでがす。
か
︱︱旦那があんまり可哀えそうな
様子をしてるで﹂
﹁え? ︱︱なんだって? ︱︱
うん、そうか! ︱︱まあまあ、
そんなかわいそうな者にはあんま
り手荒なことをしないほうがいい
せっかん
と思うな。︱︱折檻したりなんぞ
しなさんな、ジュピター。︱︱そ
んなことをされたら旦那はとても
たまるまいからね。︱︱だが、ど
うしてそんな病気に、というより
そんな変なことをするように、なっ
たのか、お前にはなにも思い当ら
ないのかね? この前僕がお前ん
とこへ行ってからのち、なにか面
・
白くないことでもあったのかい?﹂
・
・
﹁いいや、旦那さま、あれからあ
・ ・
とにゃあなんにも面白くねえことっ
・
てごぜえません。︱︱そりゃああ
・
れより前のこったとわっしは思う
んでがす。︱︱あんたさまがいらっ
しゃったあの日のことで﹂
﹁どうして? なんのことだい?﹂
﹁なあに、旦那さま、あの虫のこっ
でがすよ、︱︱それ﹂
﹁あの何だって?﹂
﹁あの虫で。︱︱きっと、ウィル
旦那はあの黄金虫に頭のどっかを
か
咬まれたんでがす﹂
﹁と思うような理由があるのかね?
ジュピター﹂
つめ
﹁爪も、口もありんでがすよ、旦
那さま。わっしはあんないまいま
しい虫あ見たことがねえ。︱︱そ
け
ばへ来るもんはなんでもみんな蹴っ
たり咬みついたりするんでさ。ウィ
ル旦那が初めにつかまえただが、
ぱな
すぐにまたおっ放さなけりゃなん
なかっただ。︱︱そんときに咬ま
れたにちげえねえ。わっしは自分
じゃああの虫の口の格好が気に食
わねえんで、指では持ちたくねえ
と思って、めっけた紙っきれでつ
かまえましただ。紙に包んでしまっ
て、その紙っきれの端をそいつの
口に押しこんでやりましただ、︱
︱そんなぐあいにやったんでがす﹂
﹁じゃあ、お前は旦那がほんとう
にその甲虫に咬まれて、それで病
気になったのだと思うんだな?﹂
﹁そう思うんじゃごぜえません、
︱︱そうと知ってるんでがす。あ
の黄金虫に咬まれたんでなけりゃ
あ、どうしてあんなにしょっちゅ
こがね
う黄金の夢をみてるもんかね? めえ
わっしは前にもあんな黄金虫の話
を聞いたことがありますだ﹂
﹁しかし、どうして旦那が黄金の
夢をみているということがお前に
わかるかね?﹂
﹁どうしてわかるって? そりゃ
あ、寝言にまでそのことを言って
なさるからでさ、︱︱それでわか
るんでがす﹂
﹁なるほど、ジャップ。たぶんお
前の言うとおりかもしれん。だが、
じゅらい
きょうお前がここへご入来になっ
たのは、どんなご用なのかな?﹂
﹁なんでごぜえます? 旦那さま﹂
こと
﹁お前はルグラン君からなにか伝
づけ
言を言いつかってきたのかい?﹂
﹁いいや、旦那さま、この手紙を
持ってめえりましただ﹂と言って
ジュピターは次のような一通の手
紙を私に渡した。
﹁拝啓。どうして君はこんなに
長く訪ねに来てくれないのか?
ブリュスクリー
僕のちょっとした無愛想など
に腹を立てるような馬鹿な君で
はないと思う。いや、そんなこ
とはあるはずがない。
この前君に会ってから、僕に
は大きな心配事ができている。
君に話したいことがあるのだが、
それをどんなぐあいに話してい
いか、あるいはまた話すべきか
どうかも、わかり兼ねるのだ。
僕はこの数日来あまりぐあい
がよくなかったが、ジャップめ
は好意のおせっかいからまるで
耐えがたいくらいに僕を悩ませ
る。君は信じてくれるだろうか?
︱︱彼は先日、大きな棒を用
意して、そいつで、僕が彼をま
いて一人で本土の山中にその日
こ
を過したのを懲らそうとするの
だ。僕が病気のような顔つきを
していたばかりにその折檻をま
ぬかれたのだと、僕はほんとう
に信じている。
この前お目にかかって以来、
ひょうほんだな
僕の標本棚にはなんら加うると
ころがない。
もしなんとかご都合がついた
・
ら、ジュピターと同道にて来て
・
・
・
くれたまえ。ぜひ来てくれたま
・
・
・
え。重大な用件について、今晩
・
お目にかかりたい。もっとも重
大な用件であることを断言する。
敬具
ウィリアム・ルグラン﹂
この手紙の調子にはどこか私に
非常な不安を与えるものがあった。
全体の書きぶりがいつものルグラ
ンのとはよほど違っている。いっ
たい彼はなにを夢想しているのだ
ろう? どんな変な考えが新たに
彼の興奮しやすい頭にとっついた
・
のだろう? どんな﹁もっとも重
・
大な用件﹂を彼が処理しなければ
ならんというのだろう? ジュピ
ターの話の様子ではどうもあまり
いいことではなさそうだ。私はた
び重なる不運のためにとうとう彼
がまったく気が狂ったのではなか
ろうかと恐れた。だから、一刻も
おおがま
ぐずぐずしないで、その黒人と同
行する用意をした。
ちょう
波止場へ着くと、一梃の大鎌と
すき
三梃の鋤とが我々の乗って行こう
とするボートの底に置いてあるの
に気がついた。どれもみな見たと
ころ新しい。
﹁これはみんなどうしたんだい?
ジャップ﹂と私は尋ねた。
だんな
﹁うちの旦那の鎌と鋤でがす、旦
那さま﹂
﹁そりゃあそうだろう。が、どう
してここにあるんだね?﹂
﹁ウィル旦那がこの鎌と鋤を町へ
行って買って来いってきかねえん
でがす。眼の玉がとび出るほどお
あし
金を取られましただ﹂
﹁しかし、いったいぜんたい、お
前のところの﹃ウィル旦那﹄は鎌
・
・
や鋤なんぞをどうしようというの
かね?﹂
・
﹁そりゃあわっしにゃあわからね
えこっでさ。また、うちの旦那に
だってやっぱしわかりっこねえに
ちげえねえ。だけど、なんもかも
みんなあの虫のせえでがすよ﹂
ジュピターは﹁あの虫﹂にすっ
かり自分の心を奪われているよう
なので、彼にはなにをきいても満
足な答えを得られるはずがないと
いうことを知って、私はそれから
ボートに乗りこみ、出帆した。強
い順風をうけて間もなくモールト
ようさい
リー要塞の北の小さい入江に入り、
そこから二マイルほど歩くと小屋
に着いた。着いたのは午後の三時
ごろだった。ルグランは待ちこが
れていた。彼は私の手を神経質な
アンプレスマン
熱誠をこめてつかんだので、私は
びっくりし、またすでにいだいて
あおじろ
いたあの疑念を強くした。彼の顔
すご
色はもの凄いくらいにまで蒼白く、
深くくぼんだ眼はただならぬ光で
輝いていた。彼の健康について二
こと三こと尋ねてから、私は、な
かぶと
にを言っていいかわからなかった
ちゅうい
ので、G︱︱中尉からもう例の甲
むし
虫を返してもらったかどうかと尋
ねた。
﹁もらったとも﹂彼は顔をさっと
真っ赤にして答えた。﹁あの翌朝
返してもらったんだ。もうどんな
ことがあろうと、あの甲虫を手放
すものか。君、あれについてジュ
ピターの言ったことはまったくほ
んとなんだぜ﹂
﹁どんな点がかね?﹂私は悲しい
・
・
・
・
・
・
予感を心に感じながら尋ねた。
・
﹁あれをほんとうの黄金でできて
じ
め
いる虫だと想像した点がさ﹂彼は
ま
この言葉を心から真面目な様子で
言ったので、私はなんとも言えぬ
ほどぞっとした。
﹁この虫が僕の身代をつくるのだ﹂
と彼は勝ち誇ったような微笑を浮
べながら言いつづけた。﹁僕の先
祖からの財産を取り返してくれる
のだ。とすると、僕があれを大切
にするのも決して不思議じゃある
まい? 運命の神があれを僕に授
けようと考えたからには、僕はた
だそれを適当に用いさえすればい
いのだ。そうすればあれが手引き
となって僕は黄金のところへ着く
だろうよ。ジュピター、あの甲虫
を持ってきてくれ!﹂
﹁えっ! あの虫でがすか? 旦
那。わっしはあの虫に手出しした
かあごぜえません、︱︱ご自分で
取りにいらっせえ﹂そこでルグラ
ンは真面目な重々しい様子で立ち
上がり、甲虫の入れてあるガラス
箱からそれを持ってきてくれた。
それは美しい甲虫で、またその当
時には博物学者にも知られていな
いもので、︱︱むろん、科学的の
見地から見て大した掘出し物だっ
た。背の一方の端近くには円い、
黒い点が二つあり、もう一方の端
近くには長いのが一つある。甲は
非常に堅く、つやつやしていて、
みが
見たところはまったく磨きたてた
黄金のようであった。この虫の重
さも大したもので、すべてのこと
を考え合せると、ジュピターがあ
あ考えるのをとがめるわけにはゆ
かなかった。しかし、ルグランま
でがジュピターのその考えに同意
するのはなんと解釈したらいいか、
私にはどうしてもわかりかねた。
﹁君を迎えにやったのはね﹂と彼
は、私がその甲虫を調べてしまっ
たとき、大げさな調子で言った。
﹁君を迎えにやったのは、運命の
神とこの甲虫との考えを成功させ
るのに、君の助言と助力とを願い
たいと思って︱︱﹂
﹁ねえ、ルグラン君﹂私は彼の言
葉をさえぎって大声で言った。
﹁君はたしかにぐあいがよくない。
だから少し用心したほうがいいよ。
寝たまえ。よくなるまで、僕は二、
三日ここにいるから。君は熱があ
るし︱︱﹂
﹁脈をみたまえ﹂と彼は言った。
私は脈をとってみたが、実のと
ころ、熱のありそうな様子はちっ
ともなかった。
﹁しかし熱はなくても病気かもし
れないよ。まあ、今度だけは僕の
言うとおりにしてくれたまえ。第
一に寝るのだ。次には︱︱﹂
﹁君は思い違いをしている﹂と彼
かか
は言葉をはさんだ。﹁僕はいま罹っ
ている興奮状態ではこれで十分健
康なのだ。もし君がほんとうに僕
の健康を願ってくれるなら、この
興奮を救ってくれたまえ﹂
﹁というと、どうすればいいんだ
い?﹂
﹁わけのないことさ。ジュピター
と僕とはこれから本土の山のなか
へ探検に行くんだが、この探検に
は誰か信頼できる人の助けがいる。
君は僕たちの信用できるただ一人
なのだ。成功しても失敗しても、
君のいま見ている僕の興奮は、と
しず
にかく鎮められるだろう﹂
﹁なんとかして君のお役に立ちた
いと思う﹂と私は答えた。﹁だが、
君はこのべらぼうな甲虫が君の探
検となにか関係があるとでも言う
のかい?﹂
﹁あるよ﹂
﹁じゃあ、ルグラン、僕はそんな
ばかげた仕事の仲間入りはできな
い﹂
﹁それは残念だ、︱︱実に残念だ。
︱︱じゃあ僕ら二人だけでやらな
くちゃあならない﹂
﹁君ら二人だけでやるって! こ
の男はたしかに気が違っているぞ!
︱︱だが待ちたまえ、︱︱君は
どのくらいのあいだ留守にするつ
もりなんだ?﹂
﹁たぶん一晩じゅうだ。僕たちは
いまからすぐ出発して、ともかく
日の出ごろには戻って来られるだ
ろう﹂
﹁では君は、この君の酔狂がすん
でしまって、甲虫一件がだ
︵ちぇっ!︶、君の満足するよう
に落着したら、そのときは家へ帰っ
て、医者の勧告と同じに僕の勧告
に絶対にしたがう、ってことを、
きっと僕に約束するかね?﹂
﹁うん、約束する。じゃあ、すぐ
出かけよう。一刻もぐずぐずしちゃ
あおられないんだから﹂
気が進まぬながら私は友に同行
した。我々は四時ごろに出発した、
︱︱ルグランと、ジュピターと、
犬と、私とだ。ジュピターは大鎌
と鋤とを持っていたが、︱︱それ
をみんな自分で持って行くと言い
き
張って肯かなかったのは、過度の
勤勉や忠実からというよりも、そ
のどちらの道具でも主人の手のと
どくところに置くことを恐れるか
ららしく、私には思われた。彼の
がんこ
態度はひどく頑固で、みちみち彼
くちびる
の唇をもれるのは﹁あのいまいま
しい虫めが﹂という言葉だけであっ
がんどう
た。私はというと龕灯︵9︶を二
つひきうけたが、ルグランは例の
甲虫だけで満足していて、それを
むちなわ
鞭索の端にくくりつけ、歩きなが
ら手品師のような格好でそいつを
くるくる振りまわしていた。私は
友の気のふれていることのこの最
後の明白な証拠を見たときには、
どうにも涙をとめることのできな
いくらいであった。しかし、少な
くとも当分のあいだは、あるいは
成功の見込みのありそうななにか
もっと有力な手段をとることがで
きるまでは、彼のしたいままにさ
せておくのがいちばんいい、と考
えた。一方、探検の目的について
め
彼にさぐりを入れてみたが、まる
だ
で駄目だった。私をうまく同行さ
せることができたので、彼はさし
て重要でない問題など話したくな
いらしく、なにを尋ねても﹁いま
にわかるさ!﹂としか返事をして
くれなかった。
我々は島のはずれの小川を小舟
で渡り、それから本土の海岸の高
地を登って、人の通らない非常に
荒れはてた寂しい地域を、北西の
方向へと進んだ。ルグランは決然
として先頭に立ってゆき、ただ自
分が前に来たときにつけておいた
目標らしいものを調べるために、
ところどころでほんのちょっとの
あいだ立ち止るだけだった。
こんなふうにして我々は約二時
間ほど歩き、ちょうど太陽が沈み
かけたときに、いままでに見たど
こよりもずっともの凄い地帯へ入っ
たのであった。そこは一種の高原
で、ほとんど登ることのできない
山の頂上近くにあった。その山は
ふもと
麓から絶頂まで樹木がぎっしり生
えていて、ところどころに巨岩が
散らばっていて、その岩は地面の
上にただごろごろころがっている
らしく、たいていはよりかかって
いる樹木に支えられて、やっと下
の谷底へ転落しないでいるのだ。
さまざまな方向に走っている深い
峡谷は、あたりの風景にいっそう
せいぜん
凄然とした森厳の趣をそえている
のであった。
我々のよじ登ったこの天然の高
いばら
おお
台には茨が一面を蔽っていて、大
鎌がなかったらとても先へ進むこ
とができまいということがすぐわ
かった。ジュピターは主人の指図
によって、途方もなく高い一本の
ゆりの木の根もとまで、我々のた
めに道を切りひらきはじめた。そ
のゆりの木というのは八本から十
かし
本ばかりの樫の木とともにこの平
地に立っていて、その葉や形の美
しいこと、枝の広くひろがってい
ること、外観の堂々たることなど
の点では、それらの樫の木のどれ
よりも、また私のそれまでに見た
まさ
どんな木よりも、はるかに優って
いるのであった。我々がこの木の
ところへ着いたとき、ルグランは
ジュピターの方へ振り向いて、こ
の木によじ登れると思うかどうか
と尋ねた。老人はこの問いにちょっ
とためらったようで、しばらくの
あいだは返事をしなかった。とう
とうその大きな幹に近づいて、ま
わりをゆっくり歩きまわって、念
入りにそれを調べた。すっかり調
べおえると、ただこう言った。
﹁ええ、旦那、ジャップの見た木
で登れねえってえのはごぜえませ
ん﹂
﹁そんならできるだけ早く登って
くれ。じきに暗くなって、やるこ
とが見えなくなるだろうから﹂
﹁どこまで登るんですか? 旦那﹂
とジュピターが尋ねた。
﹁まず大きい幹を登るんだ。そう
すれば、どっちへ行くのか言って
やるから。︱︱おい、︱︱ちょっ
と待て! この甲虫を持ってゆく
んだ﹂
﹁虫でがすかい! ウィル旦那。
︱︱あの黄金虫でがすかい!﹂と
しりご
その黒人は恐ろしがって尻込みし
ながら叫んだ。︱︱﹁なんだって
あんな虫を木の上まで持って上が
らにゃなんねえでがす? ︱︱わっ
しゃあそんなこと、まっぴらだ
あ!﹂
﹁ジャップ、お前が、お前みたい
な大きな丈夫な黒んぼが、なにも
しない、小さな、死んだ甲虫を持
つのが怖いんならばだ、まあ、こ
ひも
の紐につけて持って行ってもいい
さ。︱︱だが、なんとかしてこい
つを持って行かないんなら、仕方
がないからおれはこのシャベルで
お前の頭をたたき割らねばなるま
いて﹂
﹁なんでごぜえます? 旦那﹂
ジャップはいかにも恥ずかしがっ
て承知しながら、言った。﹁しょっ
けん
ちゅう年寄りの黒んぼを相手に喧
か
・
・
嘩してばかりさ。ちょっと冗談を
・
言っただけでがすよ。わっしがあ
の虫を怖がるって! あんな虫ぐ
れえ、なんとも思うもんかねえ?﹂
そう言って彼は用心深く紐のいち
ばん端をつかみ、できるだけ虫を
自分の体から遠くはなして、木に
登る用意をした。
アメリカの森林樹のなかでもっ
L
Tul
とも荘厳なゆりの木、つまり
iriodendron
ipiferum︵訳注﹁ゆりの
木﹂の学名︶は、若木のときには、
幹が奇妙になめらかで、横枝を出
さずにしばしば非常な高さにまで
おう
生長する。しかし、年をとるにつ
こぶ
れて、樹皮が瘤だらけになり、凹
とつ
凸ができる一方、たくさんの短い
枝が幹にあらわれるのである。だ
から、いまの場合、よじ登る困難
は、実際は見かけほどひどくない
のであった。大きな円柱形の幹を
りょうひざ
両腕と両膝とでできるだけしっか
り抱き、手でどこかとび出たとこ
ろをつかんで、素足の指を別のに
かけながら、ジュピターは、一、
二度落ちそうになったのをやっと
また
は
まぬかれたのち、とうとう最初の
き
大きな樹の股のところまで這い登っ
てゆき、もう仕事は実質的にはすっ
かりすんでしまったと考えたらし
かった。地上から約六、七十フィー
・
トばかり登ったのではあるけれど、
・
木登りの危険は事実もう去ったの
だ。
﹁今度はどっちへ行くんでがす?
ウィル旦那﹂と彼は尋ねた。
﹁やっぱりいちばん大きな枝を登
るんだ、︱︱こっち側のだぞ﹂と
ルグランが言った。黒人はすぐそ
の言葉にしたがって、なんの苦も
なさそうに、だんだん高く登って
ゆき、とうとう彼のずんぐりした
姿は、そのまわりの茂った樹の葉
のあいだから少しも見えなくなっ
てしまった。やがて彼の声が、遠
くから呼びかけるように聞えてき
た。
﹁まだどのくれえ登るんでがすか
い?﹂
﹁どれくらい登ったんだ?﹂とル
グランがきいた。
﹁ずいぶん高うがす﹂と黒人が答
すきま
えた。﹁木のてっぺんの隙間から
空が見えますだ﹂
﹁空なんかどうでもいい。がおれ
の言うことをよく聞けよ。幹の下
の方を見て、こっち側のお前の下
の枝を勘定してみろ。いくつ枝を
越したか?﹂
﹁一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、
︱︱五つ越しましただ、旦那、こっ
ち側ので﹂
﹁じゃあもう一つ枝を登れ﹂
しばらくたつとまた声が聞えて、
七本目の枝へ着いたと知らせた。
﹁さあ、ジャップ﹂とルグランは、
明らかに非常に興奮して、叫んだ。
﹁その枝をできるだけ先の方まで
行ってくれ。なにか変ったものが
あったら、知らせるんだぞ﹂
このころには、哀れな友の発狂
について私のいだいていたかすか
な疑いも、とうとうまったくなく
なってしまった。彼は気がふれて
いるのだと断定するよりほかなかっ
た。そして彼を家へ連れもどすこ
とについて、本気に気をもむよう
になった。どうしたらいちばんい
いだろうかと思案しているうちに、
ジュピターの声が聞えてきた。
﹁この枝をうんと先の方までゆく
のは、おっかねえこっでがす。ずっ
てえげえ
と大概枯枝でがすよ﹂
﹁枯枝だと言うのかい? ジュピ
ター﹂とルグランは震え声で叫ん
だ。
﹁ええ、旦那、枯れきってまさ、
めえ
︱︱たしかに参ってますだ、︱︱
この世からおさらばしてますだ﹂
﹁こいつあいったい、どうしたら
いいだろうなあ?﹂とルグランは、
いかにも困りきったらしく、言っ
た。
﹁どうするって!﹂と私は、口を
出すきっかけができたのを喜びな
がら、言った。﹁うちへ帰って寝
るのさ。さあさあ! ︱︱そのほ
うが利口だ。遅くもなるし、それ
に、君はあの約束を覚えてるだろ
う﹂
﹁ジュピター﹂と彼は、私の言う
ことには少しも気をとめないで、
どなった。﹁おれの言うことが聞
えるか?﹂
だんな
﹁ええ、ウィル旦那、はっきり聞
えますだ﹂
・
・
﹁じゃあ、お前のナイフで木をよっ
・
くためして、ひどく腐ってるかど
うか見ろ﹂
﹁腐ってますだ、旦那、やっぱし﹂
としばらくたってから黒人が答え
・
た。﹁だけど、そんなにひどく腐っ
てもいねえ。わっしだけなら、枝
のもう少し先まで行けそうでがす
よ、きっと﹂
﹁お前だけならって! そりゃあ
どういうことなんだ?﹂
・
﹁なあに、虫のこっでがすよ。とっ
・ ・
ても重てえ虫でさ。こいつを先に
落せば、黒んぼ一人ぐれえの重さ
か
だけにゃあ、枝は折れますめえ﹂
ば
﹁このいまいましい馬鹿野郎!﹂
とルグランは、よほどほっとした
ような様子で、どなった。﹁なん
だってそんなくだらんことを言う
んだ? その甲虫を落したが最後、
お前のくびをへし折ってくれるぞ。
こら、ジュピター! おれの言う
ことが聞えるか?﹂
﹁聞えますだ、旦那。かわいそう
な黒んぼにそんなふうにどならな
くてもようがすよ﹂
﹁よしよし! じゃあよく聞け!
︱︱もしお前が、その甲虫を放
さないで、危なくないと思うとこ
ろまでその枝をずっと先の方へ行
くなら、降りて来たらすぐ、一ド
ル銀貨をくれてやるぞ﹂
﹁いま行ってるところでがす、ウィ
ル旦那、︱︱ほんとに﹂と黒人は
すばやく答えた。︱︱﹁もうおお
・
・
・
・
・
・
かた端っこのとこでさ﹂
・
﹁端っこのところだって!﹂と、
そのときルグランはまったく金切
り声をたてた。﹁お前はその枝の
端っこのところまで行ったと言う
のか?﹂
﹁もうじき端っこでがすよ。旦那。
︱︱わあ! おったまげただ! ・
・
木の上のここんとこにあるのあな
・
んだろう?﹂
﹁よしよし!﹂ルグランは非常に
喜んで叫んだ。﹁そりゃあなん
だ?﹂
しゃれこうべ
﹁なあに、髑髏でごぜえますよ。
︱︱誰か木の上に自分の頭を置い
からす
て行ったんで、鴉がその肉をみん
なくらってしまったんでがす﹂
﹁髑髏だと言ったな! ︱︱上等
上等! ︱︱それはどうして枝に
結びつけてあるかい? ︱︱なん
でとめてあるかい?﹂
﹁なるほど、旦那。見やしょう。
やあ、こりゃあたしかになんと不
思議なこった。︱︱髑髏のなかにゃ
くぎ
でっけえ釘があって、それで木に
くっついてますだ﹂
﹁よし、ジュピター、おれの言う
とおりにするんだぞ。︱︱わかる
か?﹂
﹁ええ、旦那﹂
﹁じゃあ、よく気をつけろ! ︱
め
︱髑髏の左の眼を見つけるんだ﹂
﹁ふうん! へえ! ようがす!
ええっと、眼なんてちっとも残っ
ていねえんでがすが﹂
﹁このまぬけめが! お前は自分
の右の手と左の手の区別を知って
るか?﹂
﹁ええ、そりゃあ知ってますだ、
︱︱よく知ってますだ、︱︱わし
まき
が薪を割るのが左の手でがす﹂
﹁なるほど! お前は左ききだっ
けな。で、お前の左の眼は、お前
の左の手と同じ方にあるんだぞ。
とすると、お前にゃあ髑髏の左の
眼が、というのはもと左の眼のあっ
たところだが、わかるだろう。見
つけたか?﹂
ここで長い合間があった。とう
とう黒人が尋ねた。
﹁髑髏の左の眼もやっぱり髑髏の
左の手と同じ側にあるんでがすか
い? ︱︱でも髑髏にゃあ手なん
てちっともねえだ。︱︱なあに、
かまわねえ! いま、左の眼を見
つけましただ。︱︱ここが左の眼
だ! これをどうするんでがすか
い?﹂
かぶとむし
﹁そこから甲虫を通しておろすん
だ。紐ののばせるだけな。︱︱だ
が、気をつけてつかんでいる紐を
はなさんようにするんだぞ﹂
﹁すっかりやりましただ、ウィル
旦那。この穴から虫を通すなあわ
けのねえこっでさあ。︱︱下から
見てくだせえ!﹂
この会話のあいだじゅう、ジュ
ピターの体は少しも見えなかった。
が、彼のおろした甲虫は、いま、
紐の端に見えてきて、我々の立っ
ている高台をまだほのかに照らし
ている落陽の名残の光のなかに、
みが
磨きたてた黄金の球のようにきら
きら輝いていた。甲虫はどの枝に
もひっかからないでぶら下がって
いて、落せば我々の足もとへ落ち
おお
て来たろう。ルグランはすぐに大
がま
鎌を取り、それで虫の真下に直径
三、四ヤードの円い空地を切りひ
らき、それをやってしまうと、ジュ
ピターに紐をはなして木から降り
て来いと命じた。
ちょうどその甲虫の落ちた地点
くい
に、すこぶる精確に杭を打ちこむ
と、友は今度はポケットから巻尺
を取り出した。それの一端を杭に
いちばん近いその木の幹の一点に
結びつけてから、彼はそれを杭に
とどくまでのばし、そこからさら
に、木と杭との二点でちゃんと確
定された方向に、五十フィートの
距離までのばした。︱︱そのあい
だをジュピターが大鎌で茨を刈り
取る。こうして達した地点に第二
の杭が打ちこまれ、それを中心に
して直径四ヤードばかりのぞんざ
いな円が描かれた。それからルグ
ちょう
すき
ランは、自分で一梃の鋤を取り、
ジュピターに一梃、私に一梃渡し
て、できるだけ速く掘りにかかっ
てくれと頼んだ。
実を言うと、私はもともとこん
な道楽には特別の趣味を持ってい
なかったし、ことにそのときには
進んで断わりたかったのだ。とい
うのは、だんだん夜は迫って来る
し、それにこれまでの運動でずい
ぶん疲れてもいたから。しかし、
のがれる方法もなかったし、また
拒絶してかわいそうな友の心の平
静をみだしたりすることを恐れた。
もしジュピターの助けをほんとに
頼りにできるなら、私はさっそく
この狂人を無理にも連れて帰ろう
としたろう。だが、その年寄りの
黒人の性質を十分にのみこんでい
るので、私が彼の主人と争うよう
なときには、どんな場合にしろ、
私に味方をしてくれようとは望め
ないのであった。私は、ルグラン
かね
が金が埋められているというあの
南部諸州に無数にある迷信のどれ
かにかぶれていて、また例の甲虫
を発見したことのために、あるい
はおそらくジュピターがそれをし
きりに﹁ほんとうの黄金でできて
いる虫﹂だと言い張ったことのた
めに、彼の空想がいよいよ強めら
れているのだ、ということを疑わ
なかった。いったい、発狂しやす
い人間というものはそういう暗示
には造作なくかかりがちなもので、
ことにそれが前から好んで考えて
いることと一致する場合にはなお
さらである。それから私はこの気
の毒な男が甲虫を﹁自分の身代の
手引き﹂だと言ったことを思い出
した。とにかく、私はむしょうに
いらいらし、また途方に暮れた。
が、しまいにはとうとう、やむを
あきら
得ぬことと諦めて気持よくやろう
︱︱本気で掘って、そうして早く
ま
この空想家に目のあたり証拠を見
せつけて、彼のいだいている考え
のまちがっていることを納得させ
てやろう︱︱と心に決めたのであっ
た。
角灯に火をつけて、我々一同は、
こんなことよりはもっとわけのわ
かった事がらにふさわしいような
熱心さをもって仕事にとりかかっ
た。そして、火影が我々の体や道
具を照らしたとき、私は、我々が
どんなに絵のような一群をなして
いるだろう、また、偶然に我々の
いるところを通りかかる人があっ
たら、その人には我々のやってい
ることがどんなにか奇妙にも、お
かしくも見えるにちがいない、と
いうことを考えないではいられな
かった。
わきめ
二時間のあいだ我々は脇目もふ
らずに掘った。ほとんどものも言
わなかった。いちばん困ったこと
な
は犬のきゃんきゃん啼きたてるこ
とだった。犬は我々のしているこ
とを非常に面白がっているのだ。
しまいにはそれがあまり騒々しく
なったので、誰か付近をうろつい
ている者どもに聞きとがめられは
しまいかと気づかった。︱︱いや、
もっと正確に言えば、これはルグ
ランの気がかりであったのだ。︱
︱なぜなら、私としては、どんな
邪魔でも入ってこの放浪者を連れ
かえることができるならむしろ喜
んだろうから。とうとう、そのや
かましい声をジュピターがたいへ
んうまく黙らせてしまった。彼は、
いかにもしかつめらしく考えこん
だような様子をしながら穴から出
つ
て、自分の片方のズボン吊りで犬
の口をしばりあげ、それから低く
くすくす笑いながら、また自分の
仕事にかかった。
その二時間がたってしまうと、
我々は五フィートの深さに達した
けれども、やはり宝などのあらわ
れて来そうな様子もなかった。一
同はそれからちょっと休んだ。そ
して私はこの茶番狂言もいよいよ
おしまいになればいいがと思いは
じめた。しかしルグランは、明ら
かにひどく面くらってはいたけれ
ど、もの思わしげに額をぬぐうと、
またふたたび鋤を取りはじめた。
それまでに我々は直径四フィート
の全円を掘ってしまっていたのだ
が、今度は少しその範囲を大きく
し、さらに二フィートだけ深く掘っ
た。それでもやはりなにもあらわ
れて来なかった。あの黄金探索者
は、私は心から彼を気の毒に思っ
たが、とうとう、顔一面にはげし
い失望の色を浮べながら穴から這
い上がり、仕事を始めるときに脱
うわぎ
ぎすてておいた上衣を、のろのろ
といやいやながら着はじめた。そ
のあいだ私はなにも言わなかった。
ジュピターは主人の合図で道具を
寄せはじめた。それがすんでしま
くつご
い、犬の口籠をはずしてやると、
我々は黙りこくって家路へとつい
た。
その方向へたしか十歩ばかり歩
のろ
いたとき、ルグランは大きな呪い
の声をあげながら、ジュピターの
ところへ大股につかつかと歩みよ
えりくび
り、彼の襟頸をひっつかんだ。びっ
くりした黒人は眼と口とをできる
だけ大きく開き、鋤を落して、膝
をついた。
﹁この野郎!﹂ルグランは食いし
ばった歯のあいだから一こと一こ
とを吐き出すように言った。︱︱
﹁このいまいましい黒んぼの悪党
め! ︱︱さあ、言え! ︱︱お
れの言うことにいますぐ返事をし
ろ、ごまかさずに! ︱︱どっち
が︱︱どっちがお前の左の眼だ?﹂
﹁ひぇっ! ご免くだせえ、ウィ
ル旦那。こっちがたしかにわっし
の左の眼でがしょう?﹂とどぎも
・
を抜かれたジュピターは、自分の
・ ・
右の眼に手をあてて、主人がいま
にもそれをえぐり取りはしないか
と恐れるように、必死になってそ
の眼をおさえながら、叫んだ。
﹁そうだろうと思った! ︱︱お
れにゃあわかっていたんだ! し
めたぞ!﹂とルグランはわめくと、
黒人を突きはなして、つづけざま
に跳び上がったりくるくるまわっ
たりしたので、下男はびっくり仰
天して、立ち上がりながら、無言
のまま主人から私を、また私から
なが
主人をと眺めかえした。
﹁さあ! あともどりだ﹂とルグ
ランは言った。﹁まだ勝負はつか
ないんだ﹂そして彼はふたたび先
に立って、あのゆりの木の方へ行っ
た。
﹁ジュピター﹂と、我々がその木
の根もとのところへ来ると、彼は
言った。﹁ここへ来い! 髑髏は
顔を外にして枝に打ちつけてあっ
たか、それとも顔を枝の方へ向け
てあったか?﹂
﹁顔は外へ向いていましただ、旦
那。だから鴉は造作なく眼を突っ
つくことができたんでがす﹂
﹁よし。じゃあ、お前が甲虫を落
したのは、こっちの眼からか、そ
れともそっちの眼からか?﹂︱︱
と言いながら、ルグランは、ジュ
ピターの両方の眼に一つ一つ触っ
てみせた。
﹁こっちの眼でがす、旦那。︱︱
左の眼で、あんたさまのおっしゃっ
たとおりに﹂と言って黒人の指し
たのは彼の右の眼だった。
﹁それでよし。︱︱もう一度やり
直しだ﹂
こうなると、私は友の狂気のな
かにもなにかある方法らしいもの
のあることがわかった。あるいは、
わかったような気がした。彼は甲
虫の落ちた地点を標示する例の杭
を、もとの位置から三インチばか
り西の方へ移した。それから、前
のように巻尺を幹のいちばん近い
点から杭までひっぱり、それをさ
らに一直線に五十フィートの距離
までのばして、さっき掘った地点
から数ヤード離れた場所に目標を
立てた。
その新しい位置の周囲に、前の
よりはいくらか大きい円を描き、
ふたたび我々は鋤を持って仕事に
とりかかった。私はおそろしく疲
れていた。が、なにがそういう変
化を自分の気持に起させたのかちっ
ともわからなかったけれど、もう
いや
課せられた労働が大して厭ではな
くなった。私は奇妙に興味を感じ
てきた。︱︱いや、興奮をさえ感
じてきた。おそらく、ルグランの
すべての突飛な振舞いのなかには、
なにかあるもの︱︱なにか先見と
か熟慮とかいったような様子︱︱
があって、それが私の心を動かし
たのであろう。私は熱心に掘った。
そしてときどき、期待に似たよう
なある心持で、不幸な友を発狂さ
せたあの空想の宝を、実際に待ち
うけている自分に、ふと気がつく
もうそう
ことがあった。そういう妄想がすっ
かり私の心をとらえていたとき、
そして掘りはじめてからたぶん一
時間半もたったころ、我々はふた
ほ
たび犬のはげしく吠える声に邪魔
された。前に犬が騒ぎたてたのは
あきらかにふざけたがりか気まぐ
れからであったが、今度ははげし
い真剣な調子だった。ジュピター
がまた口籠をかけようとすると、
犬ははげしく抵抗し、穴のなかへ
つめ
跳びこんで、狂ったように爪で土
をひっかいた。そして数秒のうち
に、一塊の人骨を掘り出したが、
がいこつ
それは二人分の完全な骸骨をなす
もので、数個の金属性のボタンと、
ちり
毛織物の腐って塵になったのらし
く見えるものとが、それにまじっ
ていた。鋤を一、二度打ちこむと、
ナイフ
大きなスペイン短剣の刀身がひっ
くり返って出た。それからさらに
掘ると、ばらばらの金貨や銀貨が
三、四枚あらわれた。
これを見ると、ジュピターの喜
びはほとんど抑えきれぬくらいだっ
た。が、彼の主人の顔はひどい失
望の色を帯びた。しかし、彼はもっ
と努力をつづけてくれと我々を励
ましたが、その言葉が言い終るか
つまさき
終らぬうちに、私はつまずいての
ながぐつ
めった。自分の長靴の爪先を、ば
らばらの土のなかに半分埋まって
かん
いた大きな鉄の鐶にひっかけたの
だ。
我々はいまや一所懸命に掘った。
そして私はかつてこれ以上に強烈
な興奮の十分間を過したことがな
い。その十分間に、我々は一つの
長方形の木製の大箱をすっかり掘
り出したのだ。この箱は、それが
完全に保存されていることや、驚
けんろう
くべき堅牢さを持っていることな
どから考えると、明らかになにか
ある鉱化作用︱︱たぶん塩化第二
水銀の鉱化作用︱︱をほどこされ
ているのであった。長さは三フィー
たが
ト半、幅は三フィート、深さは二
たんてつ
フィート半あった。鍛鉄の箍でしっ
びょう
かりと締め、鋲を打ってあって、
こうし
全体に一種の格子細工をなしてい
る。箱の両側の、上部に近いとこ
ろに、鉄の鐶が三つずつ︱︱みん
なで六つ︱︱あり、それによって
六人でしっかり持つことができる
ようになっている。我々が一緒に
なってあらんかぎりの力を出して
みたが、底をほんの少しばかりず
らすことができただけであった。
こんな恐ろしく重いものはとうて
い動かせないということがすぐに
わかった。ありがたいことには、
ふた
蓋を留めてあるのは二本の抜き差
かんぬき
しのできる閂だけだった。不安の
あまりぶるぶる震え、息をはずま
せながら︱︱我々はその閂を引き
あたい
抜いた。とたちまち、価も知れぬ
ほどの財宝が我々の眼前に光りき
らめいて現われた。角灯の光が穴
さ
のなかへ射したとき、雑然として
積み重なっている黄金宝石の山か
さんらん
ら、実に燦爛たる光輝が照りかえ
くら
して、まったく我々の眼を眩ませ
たのであった。
それを眺めたときの心持を私は
書きしるそうとはしまい。驚きが
主だったことは言うまでもない。
ルグランは興奮のあまりへとへと
になっているようで、ほとんど口
もきかなかった。ジュピターの顔
はちょっとのあいだ黒人の顔とし
てはこれ以上にはなれないほど、
あおじろ
死人のように蒼白くなった。彼は
きも
あっけにとられて︱︱胆をつぶし
そで
ているらしかった。やがて彼は穴
ひざ
のなかに膝をついて、袖をまくり
ひじ
上げた両腕を肘のところまで黄金
のなかに埋め、ちょうど湯に入っ
て好い気持になってでもいるよう
に、腕をそのままにしていた。と
ためいき
うとう、深い溜息をつきながら、
ひとりごと
独言のように叫んだ。
﹁で、こりゃあみんなあの黄金虫
からなんだ! あのきれいな黄金
虫! わっしがあんなに乱暴に悪
口言った、かわいそうなちっちぇ
めえ
え黄金虫からなんだ! お前は恥
ずかしくねえか? 黒んぼ、︱︱
返事してみろ!﹂
とうとう、私は主従の二人をう
ながして財宝を運ぶようにさせな
ければならなくなった。夜はだん
ふ
だん更けて来るし、夜明け前にな
にもかもみんな家へ持ってゆくに
は、一働きする必要があったのだ。
が、どうしたらいいかなかなかわ
からず、考えるのにずいぶん長く
時間がかかった。︱︱それほど一
同の頭は混乱していたのだ。とう
とう、なかにある物の三分の二を
取り出して箱を軽くすると、どう
にか穴から引き揚げることができ
いばら
た。取り出した品物は茨のあいだ
に置いて、その番をさせるために
犬を残し、我々が帰って来るまで
は、どんなことがあってもその場
所から離れぬよう、また口を開か
ぬようにと、ジュピターから犬に
きびしく言いつけた。それから我々
は箱を持って急いで家路についた。
そして無事に、だが非常に骨を折っ
たのちに、小屋へ着いたのは、午
前一時だった。疲れきっていたの
で、すぐまたつづけて働くという
ことは人間業ではできないことだっ
た。我々は二時まで休み、食事を
とった。それからすぐ、幸いに家
のなかにあった三つの丈夫な袋を
たずさえて、山に向って出発した。
四時すこし前にさっきの穴へ着き、
残りの獲物を三人にできるだけ等
分に分け、穴は埋めないままにし
て、ふたたび小屋へと向ったが、
二度目に我々の黄金の荷を小屋に
あけぼの
おろしたのは、ちょうど曙の最初
きぎ
の光が東の方の樹々の頂から輝き
だしたころであった。
一同はもうすっかりへたばって
いた。が、はげしい興奮が我々を
休息させなかった。三、四時間ば
かりうとうとと眠ると、我々は、
まるで申し合せてでもあったよう
に、財宝を調べようと起き上がっ
た。
箱は縁のところまでいっぱいに
なっていて、その内容を吟味する
のに、その日一日と、その夜の大
部分がかかった。秩序とか排列と
かいったようなものは少しもなかっ
た。なにもかも雑然と積み重ねて
え
あった。すべてを念入りに択り分
けてみると、初めに想像していた
ばくだい
よりももっと莫大な富が手に入っ
たことがわかった。貨幣では四十
五万ドル以上もあった。︱︱これ
は一つ一つの価格を、当時の相場
表によって、できるだけ正確に値
ぶみしてである。銀貨は一枚もな
かった。みんな古い時代の金貨で、
種類も種々様々だった。︱︱フラ
ンスや、スペインや、ドイツの貨
幣、それにイギリスのギニー金貨
︵10︶が少し、また、これまで
見本を見たこともないような貨幣
す
もあった。ひどく磨りへっている
ので、刻印のちっとも読めない、
非常に大きくて重い貨幣もいくつ
かあった。アメリカの貨幣は一つ
もなかった。宝石の価格を見積る
ダイヤモンド
のはいっそう困難だった。金剛石
は︱︱そのなかにはとても大きい
立派なものもあったが︱︱みんな
ルビ
で百十個あり、小さいのは一つも
エメラルド
ない。すばらしい光輝をはなつ紅
ー
玉が十八個、緑柱玉が三百十個、
サファイア
これはみなきわめて美しい。青玉
オ パ ー ル
が二十一個と、蛋白石が一個。そ
れらの宝石はすべてその台からは
ずして、箱のなかにばらばらに投
げこんであった。ほかの黄金のあ
いだから択り出したその台のほう
は、見分けのつかぬようにするた
かなづち
めか、鉄鎚で叩きつぶしたものら
しく見えた。これらすべてのほか
に、非常にたくさんの純金の装飾
品があった。つまり、どっしりし
た指輪やイヤリングがかれこれ二
百。立派な首飾り、︱︱これはた
しか三十あったと記憶する。とて
も大きな重い十字架が八十三個。
ぶどう
非常な価格の香炉が五個。葡萄の
葉と酔いしれて踊っている人々の
姿とを見事に浮彫りした大きな黄
ばち
金のポンス鉢が一個。それから精
つか
巧に彫りをした刀剣の柄が二本と、
そのほか、思い出すことのできな
いたくさんの小さな品々。これら
の貴重品の重量は三百五十ポンド
を超えていた。そしてこの概算に
は百九十七個のすばらしい金時計
が入っていないのだ。そのなかの
三個はたしかにそれぞれ五百ドル
の価はある。時計の多くは非常に
古くて、機械が腐食のために多少
ともいたんでいるので、時を測る
ものとしては無価値であった。が、
どれもこれも皆たくさんの宝石を
ちりばめ、高価な革に入っていた。
この箱の全内容を、その夜、我々
は百五十万ドルと見積った。とこ
ろが、その後、その装身具や宝石
類を︵いくつかは我々自身が使う
のに取っておいたが︶売り払って
みると、我々がこの財宝をよほど
安く値ぶみしていたことがわかっ
たのだった。
いよいよ調べが終って、はげし
しず
い興奮がいくらか鎮まると、ルグ
ランは、私がこの不思議きわまる
なぞ
謎の説明を聞きたくてたまらない
でいるのを見て、それに関するいっ
さいの事情を詳しく話しはじめた
のだ。
か
﹁君は覚えているだろう﹂と彼は
かぶとむし
言った。﹁僕が甲虫の略図を描い
て君に渡したあの晩のことを。ま
どくろ
た、君が僕の描いた絵を髑髏に似
ていると言い張ったのに僕がすっ
かり腹を立てたことも、思い出せ
るだろう。初め君がそう言ったと
きには、僕は君が冗談を言ってい
るのだと思ったものだ。だがその
後、あの虫の背中に妙な点がある
のを思い浮べて、君の言ったこと
にも少しは事実の根拠がないでも
ないと内心認めるようになった。
でも、君が僕の絵の腕前を冷やか
しゃく
したのが癪だった。︱︱僕は絵が
上手だと言われているんだからね。
︱︱だから、君があの羊皮紙の切
れっぱしを渡してくれたとき、僕
しわ
はそいつを皺くちゃにして、怒っ
て火のなかへ投げこもうとしたん
だ﹂
﹁あの紙の切れっぱしのことだろ
う﹂と私が言った。
﹁いいや。あれは見たところでは
紙によく似ていて、最初は僕もそ
うかと思ったが、絵を描いてみる
と、ごく薄い羊皮紙だということ
にすぐ気がついたよ。覚えている
だろう、ずいぶんよごれていたね。
ところで、あれをちょうど皺くちゃ
にしようとしていたとき、君の見
ていたあの絵がちらりと僕の眼に
とまったのさ。で、自分が甲虫の
絵を描いておいたと思ったちょう
どその場所に、事実、髑髏の図を
認めたときの僕の驚きは、君にも
想像できるだろう。ちょっとのあ
いだ、僕はあんまりびっくりした
ので、正確にものを考えることが
できなかった。僕は、自分の描い
た絵が、大体の輪郭には似ている
ところはあったけれども︱︱細か
い点ではそれとはたいへん違って
いることを知った。やがて蝋燭を
すみ
取って、部屋の向う隅へ行って腰
をかけ、その羊皮紙をもっとよく
吟味しはじめた。ひっくり返して
みると、僕の絵が自分の描いたと
おりにその裏にあるのだ。そのと
きの僕の最初の感じは、ただ、両
方の絵の輪郭がまったくよく似て
いるということにたいする驚きだっ
た。︱︱羊皮紙の反対の側に、僕
ずがいこつ
の描いた甲虫の絵の真下に、僕の
め
眼につかずに頭蓋骨があり、この
頭蓋骨の輪郭だけではなく、大き
さまでが、僕の絵によく似ている、
という事実に含まれた不思議な暗
合にたいする驚きだった。この暗
合の不思議さはしばらくのあいだ
ぼうぜん
僕をまったく茫然とさせたよ。こ
れはこういうような暗合から起る
普通の結果なんだ。心は連絡を︱
︱原因と結果との関連を︱︱確立
ひ
しようと努め、それができないの
ま
で、一種の一時的な麻痺状態に陥
るんだね。だが、僕がこの茫然自
失の状態から回復すると、その暗
合よりももっともっと僕を驚かせ
た一つの確信が、心のなかにだん
わ
だんと湧き上がってきたんだ。僕
・
・
・
は、甲虫の絵を描いたときには羊
・
皮紙の上になんの絵もなかったこ
めいりょう
とを、明瞭に、確実に、思い出し
はじめた。僕はこのことを完全に
確かだと思うようになった。なぜ
なら、いちばんきれいなところを
捜そうと思って、初めに一方の側
を、それから裏をと、ひっくり返
してみたことを、思い出したから
なんだ。もし頭蓋骨がそのときそ
こにあったのなら、もちろん見の
がすはずがない。この点に、実際、
説明のできないと思われる神秘が
あった。が、そのときもうはや、
僕の知力のいちばん奥深いところ
では、昨夜の冒険であんなに見事
に証明されたあの事実の概念が、
ほたるび
蛍火のように、かすかに、ひらめ
いたようだった。僕はすぐ立ち上
がり、羊皮紙を大事にしまいこん
で、一人になるまでそれ以上考え
ることはいっさいやめてしまった。
君が帰ってゆき、ジュピターが
ぐっすり眠ってしまうと、僕はそ
の事がらをもっと順序立てて研究
することに着手した。まず第一に、
羊皮紙がどうして自分の手に入っ
たかということを考えてみた。僕
たちがあの甲虫を発見した場所は、
島の東の方一マイルばかりの本土
の海岸で、満潮点のほんの少し上
のところだった。僕がつかまえる
か
と、強く咬みついたので、それを
落した。ジュピターはいつもの用
心深さで、自分の方へ飛んできた
その虫をつかむ前に、樹の葉か、
なにかそういったようなものを捜
して、それでつかまえようと、あ
たりを見まわした。彼の眼と、そ
れから僕の眼とが、あの羊皮紙の
切れっぱしにとまったのは、この
瞬間だった。もっとも、そのとき
はそれを紙だと思っていたがね。
それは砂のなかになかば埋まって
いて、一つの隅だけが出ていた。
それを見つけた場所の近くに、僕
ロング・ボート
は帆船の大短艇らしいものの残骸
を認めた。その難破船はよほど長
いあいだそこにあるものらしかっ
た。というのは、ボートの用材ら
しいということがやっとわかるほ
どだったから。
さて、ジュピターがその羊皮紙
を拾い上げ、甲虫をそのなかに包
んで、僕に渡してくれた。それか
ら間もなく僕たちは家へ帰りかけ
ちゅうい
たが、その途中でG︱︱中尉に会っ
ようさい
た。虫を見せたところ、要塞へ借
りて行きたいと頼むのだ。僕が承
知すると、彼はすぐにその虫を、
それの包んであった羊皮紙のなか
へ入れないで、そのまま自分の
チョッキのポケットのなかへ突っ
こんでしまった。その羊皮紙は彼
が虫を調べているあいだ僕が手に
持っていたのさ。たぶん、彼は僕
の気が変るのを恐れて、すぐさま
獲物をしまってしまうほうがいい
と考えたんだろうよ。︱︱なにし
ろ君も知っているとおり、あの男
は博物学に関することならなんで
もまるで夢中だからね。それと同
時に、僕はなんの気なしに、羊皮
紙を自分のポケットのなかへ入れ
たにちがいない。
僕が甲虫の絵を描こうと思って、
テーブルのところへ行ったとき、
いつも置いてあるところに紙が一
枚もなかったことを、君は覚えて
いるね。引出しのなかを見たが、
そこにもなかった。古手紙でもな
いかと思ってポケットを捜すと、
そのとき、手があの羊皮紙に触れ
たのだ。あれが僕の手に入った正
確な経路をこんなに詳しく話すの
は、その事情がとくに強い印象を
僕に与えたからなんだよ。
きっと君は僕が空想を駆りたて
・
ているのだと思うだろう、︱︱が、
・
僕はもうとっくに連絡を立ててし
まっていたのだ。大きな鎖の二つ
の輪を結びつけてしまったのだ。
海岸にボートが横たわっていて、
・
そのボートから遠くないところに
・
・
・
頭蓋骨の描いてある羊皮紙︱︱紙
・ ・
ではなくて︱︱があったんだぜ。
君はもちろん、﹃どこに連絡があ
るのだ?﹄と問うだろう。僕は、
頭蓋骨、つまり髑髏は誰でも知っ
きしょう
ているとおり海賊の徽章だと答え
る。髑髏の旗は、海賊が仕事をす
るときにはいつでも、かかげるも
のなのだ。
僕は、その切れっぱしが羊皮紙
であって、紙ではないと言ったね。
羊皮紙は持ちのいいもので︱︱ほ
とんど不滅だ。ただ普通絵を描い
たり字を書いたりするには、とて
も紙ほど適していないから、大し
て重要ではない事がらはめったに
羊皮紙には書かない。こう考える
と、髑髏になにか意味が︱︱なに
か適切さが︱︱あることに思いつ
・
いた。僕はまたその羊皮紙の形に
も十分注意した。一つの隅だけが
なにかのはずみでちぎれてしまっ
ていたけれど、もとの形が長方形
であることはわかった。実際、そ
れはちょうど控書として︱︱なに
か長く記憶し大切に保存すべきこ
とを書きしるすものとして︱︱選
ばれそうなものなんだ﹂
﹁しかしだね﹂と私が言葉をはさ
んだ。﹁君は、甲虫の絵を描いた
・
・
・
ときにはその頭蓋骨は羊皮紙の上
・
になかったと言う。とすると、ど
うしてボートと頭蓋骨のあいだに
連絡をつけるんだい? ︱︱その
頭蓋骨のほうは、君自身の認める
ところによれば、︵どうして、ま
た誰によって、描かれたか、とい
うことはわからんが︶君が甲虫を
描いたのちに描かれたにちがいな
いんだからねえ﹂
﹁ああ、そこに全体の神秘がかかっ
ているんだよ。もっとも、この点
では、その秘密を解決するのは僕
には比較的むずかしくはなかった
がね。僕のやり方は確実で、ただ
一つの結論しか出てこないのだ。
たとえば、僕はこんなふうに推理
していったんだ。僕が甲虫を描い
たときには頭蓋骨は少しも羊皮紙
にあらわれていなかった。絵を描
きあげると僕はそれを君に渡し、
・
君が返すまでじっと君を見ていた。
・
だから君があの頭蓋骨を描いたん
じゃないし、またほかにそれを描
くような者は誰も居合わさなかっ
た。してみると、それは人間業で
描かれたんじゃない。それにもか
かわらず描いてあったんだ。
ここまで考えてくると、僕はそ
のときの前後に起ったあらゆる出
・
来事を、十分はっきり思い出そう
・
と努め、また実際思い出したのだ。
気候のひえびえする日で︵ほんと
に珍しいことだった!︶炉には火
がさかんに燃えていた。僕は歩い
てきたので体がほてっていたから、
す
テーブルのそばに腰かけていた。
い
だが君は椅子を炉のすぐ近くへひ
きよせていた。僕が君の手に羊皮
紙を渡し、君がそれを調べようと
したちょうどそのとき、あのニュー
やつ
ファウンドランド種のウルフの奴
が入ってきて、君の肩に跳びつい
な
た。君は左手で犬を撫で、また遠
ざけながら、羊皮紙を持った右の
むとんじゃく
手を無頓着に膝のあいだの、火の
すぐ近くのところへ垂れた。一時
はそれに火がついたかと思ったの
で、君に注意しようとしたが、僕
が言いださないうちに君はそれを
ひっこめて、調べにかかったのだ。
こういうすべての事がらを考えた
・
とき、僕は、熱こそ羊皮紙にその
頭蓋骨をあらわさせたものだとい
うことを少しも疑わなかったんだ
よ。君もよく知っているとおり、
ヴェラム
紙なり皮紙なりに文字を書き、火
にかけたときにだけその文字が見
えるようにできる化学的薬剤があ
るし、またずっと昔からあった。
アクア・リージア
不純酸化コバルトを王水に浸し、
その四倍の重量の水に薄めたもの
が、ときどき用いられる。すると
ひ
緑色が出る。コバルトの※︵11︶
を粗製硝酸に溶かしたものだと、
赤色が出る。これらの色は、文字
を書いた物質が冷却すると、その
のち速い遅いの差はあっても、消
えてしまう。が、火にあてると、
ふたたびあらわれてくるのだ。
僕はそこで今度はその髑髏をよ
くよく調べてみた。と、外側の端
のほう︱︱皮紙の端にいちばん近
い絵の端のほう︱︱は、ほかのと
・
・
・
・
ころよりはよほどはっきりしてい
る。火気の作用が不完全または不
平等だったことは明らかだ。僕は
た
すぐ火を焚きつけて、羊皮紙のあ
らゆる部分を強い熱にあててみた。
初めは、ただ髑髏のぼんやりした
線がはっきりしてきただけだった。
が、なおも辛抱強くその実験をつ
づけていると、髑髏を描いてある
場所の斜め反対の隅っこに、最初
や
ぎ
は山羊だろうと思われる絵が見え
ッ
るようになってきた。しかし、もっ
キ
とよく調べてみると、それは仔山
ド
羊のつもりなのだということがわ
かった﹂
﹁は、は、は!﹂私は言った。
﹁たしかに僕には君を笑う権利は
ないが、︱︱百五十万という金は
笑いごとにしちゃああんまり重大
だからねえ、︱︱だが君は、君の
鎖の第三の輪をこさえようとして
いるんじゃあるまいね。海賊と山
羊とのあいだにはなにも特別の関
係なんかないだろう。海賊は、ご
承知のとおり、山羊なんかには縁
はないからな。山羊ならお百姓さ
んの畑だよ﹂
・
ド
﹁しかし僕はいま、その絵は山羊
・
ッ
じゃないと言ったぜ﹂
キ
﹁うん、そんなら仔山羊だね、︱
︱まあ、ほとんど同じものさ﹂
﹁ほとんどね。だが、まったく同
・
じものじゃない﹂とルグランが言っ
・
た。﹁君はキッド船長という男の
話を聞いたことがあるだろう。僕
じぐち
はすぐこの動物の絵を、地口の署
名か、象形文字の署名、といった
ようなものだと見なしたんだ。署
ヴェラム
名だというわけは、皮紙の上にあ
るその位置がいかにもそう思わせ
たからなんだよ。その斜め反対の
隅にある髑髏も、同じように、印
章とか、印判とかいうふうに見え
た。しかし、そのほかのものがな
に一つないのには、︱︱書類だろ
うと自分の想像したものの主体︱
︱文の前後にたいする本文︱︱が
ないのには、僕もまったく弱った
ね﹂
﹁君は印章と署名とのあいだに手
紙でも見つかると思ったんだろう﹂
﹁まあ、そういったようなことさ。
実を言うと、僕はなにかしらすば
らしい好運が向いてきそうな予感
がしてならなかったんだ。なぜかっ
てことはほとんど言えないがね。
つまり、たぶん、それは実際の信
念というよりは願望だったのだろ
う。︱︱だが、あの虫を純金だと
言ったジュピターのばかげた言葉
が僕の空想に強い影響を及ぼした
んだよ。それからまた、つぎつぎ
・
に起った偶然の出来事と暗合、︱
・
︱そういうものがまったく実に不
思議だった。一年じゅうで火の要
るほど寒い日はその日だけと、あ
・
るいはその日だけかもしれんと、
・
思われるその日に、ああいう出来
事が起ったということ、また、そ
の火がなかったら、あるいはちょ
うどあの瞬間に犬が入って来なかっ
たなら、僕が決して髑髏に気がつ
きはしなかったろうし、したがっ
て宝を手に入れることもできなかっ
たろうということは、ほんとに、
ほんの偶然のことじゃないか?﹂
﹁だが先を話したまえ、︱︱じれっ
たくてたまらないよ﹂
﹁よしよし。君はもちろん、あの
世間にひろまっているたくさんの
話︱︱キッド︵12︶とその一味
の者が大西洋のどこかの海岸に金
ばくぜん
を埋めたという、あの無数の漠然
うわさ
とした噂︱︱を聞いたことがある
ね。こういう噂はなにか事実の根
拠があったにちがいない。そして、
その噂がそんなに長いあいだ、そ
んなに引きつづいて存在している
・
・
・
・
ということは、その埋められた宝
・
がまだやはり埋まったままになっ
・ ・
・
ているという事情からだけ起りう
ることだ、と僕には思われたのだ。
もしキッドが自分の略奪品を一時
隠しておいて、その後それを取り
返したのなら、その噂は現在のよ
うな、いつも変らない形で僕たち
の耳に入りはしないだろう。君も
気がついているだろうが、話とい
うのはどれもこれもみんな、金を
捜す人のことで、金を見つけ出し
た人のことではない。あの海賊が
自分の金を取りもどしたのなら、
そこでこの事件は立消えになって
しまうはずだ。で、僕はこう思っ
た。キッドはなにかの事故のため
に︱︱たとえば、その場所を示す
控書をなくしたといったようなこ
とのために︱︱それを取りもどす
手段をなくしたのだ。そしてその
ことが彼の手下の者どもに知れた
のだ。でなければ彼らは宝が隠し
てあるなどということを聞くはず
がなかったんだろうがね。そこで
彼らはそれを取り返そうとしきり
にやってみたが、なんの手がかり
もないので失敗し、その連中が今
日誰でも知っているあの噂の種を
まき、それからそれが広く世間に
ひろがるようになったのだ、とね。
君は、海岸でなにか大事な宝が掘
り出されたということを、いまま
で聞いたことがあるかい?﹂
﹁いいや﹂
ばく
﹁しかしキッドの蓄えた財宝が莫
だい
大なものであることはよく知られ
ている。だから、僕はそいつがま
だ土のなかにあるのだと考えたん
だよ。で、あんなに不思議なぐあ
いにして見つかったあの羊皮紙が、
それの埋めてある場所の記録の紛
失したものなのだという、ほとん
ど確信と言えるくらいの希望を、
僕がいだいたと言っても、君はべ
つに驚きはしないだろう﹂
﹁だがそれからどうしたんだい?﹂
﹁僕は火力を強くしてから、ふた
たびその皮紙を火にあててみた。
が、なにもあらわれなかった。そ
どろ
こで今度は、泥のついていること
がこの失敗となにか関係があるか
もしれん、と考えた。だから羊皮
なべ
紙に湯をかけて丁寧に洗い、それ
すず
から錫の鍋のなかへ頭蓋骨の絵を
下に向けて入れ、その鍋を炭火の
かまど
竈にかけた。二、三分たつと、鍋
がすっかり熱くなったので、羊皮
紙を取りのけてみると、なんとも
うれ
言えないほど嬉しかったことには、
行になって並んでいる数字のよう
はんてん
なものが、ところどころに斑点に
なって見えるんだね。それでまた
鍋のなかへ入れて、もう一分間そ
のままにしておいた。取り出して
みると、全体がちょうど君のいま
見るとおりになっていたんだ﹂
こう言って、ルグランは羊皮紙
をまた熱して、私にそれを調べさ
せた。髑髏と山羊とのあいだに、
赤い色で、次のような記号が乱雑
に出ている。︱︱
53‡‡†305))6*;
4826)4‡.)4‡);
806*;48†8¶60))
85;1‡(;:‡*8†8
3(88)5*†;46(;
88*96*?;8)*‡(;
485);5*†2:*‡(;
4956*2(5*︱4)8
¶8*;4069285);)
6†8)4‡‡;1(‡9;
48081;8:8‡1;4
8†85;4)485†52
8806*81(‡9;48;
(88;4(‡?34;48)
4‡;161;:188;
‡?;︵13︶
﹁しかし﹂と私は紙片を彼に返し
ながら言った。﹁僕にゃあやっぱ
なぞ
り、まるでわからないな。この謎
を解いたらゴルコンダ︵14︶の
宝石をみんなもらえるとしても、
僕はとてもそれを手に入れること
はできないねえ﹂
﹁でもね﹂とルグランが言った。
﹁これを解くことは、決してむず
かしくはないんだよ。君がこの記
号を最初にざっと見て想像するほ
どにはね。誰でもたやすくわかる
だろうが、この記号は暗号をなし
ているのだ。︱︱つまり、意味を
持っているのだ。しかし、キッド
について知られていることから考
えると、彼にそう大して難解な暗
号文を組み立てる能力などがあろ
うとは僕には思えなかった。僕は
すぐ、これは単純な種類のもの︱
キイ
︱だが、あの船乗りの頭には、解
がなければ絶対に解けないと思わ
れるような、そんな程度のもの︱
︱だと心を決めてしまったんだ﹂
﹁で君はほんとうにそれを解いた
んだね?﹂
﹁わけなしにさ。僕はいままでに
この一万倍もむずかしいのを解い
たことがある。境遇と、頭脳のあ
る性向とが、僕をそういう謎に興
味をもたせるようにしたのだ。人
間の知恵を適切に働かしても解け
ないような謎を、人間の知恵が組
み立てることができるかどうかと
いうことは、大いに疑わしいな。
事実、連続した読みやすい記号が、
一度それとわかってしまえば、そ
の意味を展開する困難などは、僕
はなんとも思わなかった。
いまの場合では︱︱秘密文書の
・
場合では実際すべてそうだが︱︱
・
第一の問題は暗号の国語が何語か
ということなんだ。なぜなら、解
釈の原則は、ことに簡単な暗号と
なると、ある特定の国語の特質に
よるのであるし、またそれによっ
て変りもするんだからね。一般に、
どの国語かがわかるまでは、解釈
を試みる人の知っているあらゆる
プロバビリティ
国語を︵蓋然率にしたがって︶実
験してみるよりほかに仕方がない。
だがいま僕たちの前にあるこの暗
号では、署名があるので、このこ
とについてのいっさいの困難が取
りのぞかれている。﹃キッド﹄と
しゃれ
いう言葉の洒落は英語以外の国語
ではわからないものだ。こういう
事情がなかったなら、僕はまずス
ペイン語とフランス語とでやりは
じめたろうよ。スパニッシュ・メ
イン︵15︶の海賊がこの種の秘
密を書くとすればたいていそのど
ちらかの国語だろうからね。とこ
ろがそういうわけだったから、僕
はこの暗号を英語だと仮定した。
ごらんのとおり、語と語とのあ
いだにはなんの句切りもない。句
切りがあったら、仕事は比較的や
さしかったろう。そういう場合に
は、初めに短い言葉を対照し、分
析する。そしてもし、よくあるよ
うに、一字の語︵たとえばaとか、
Iとかいう語だね︶が見つかった
ら、解釈はまずできたと思ってい
いのだ。しかし、句切りが少しも
ないので、僕の最初にとるべき手
段は、いちばん多く出ている字と、
いちばん少ししか出ていない字と
を、つきとめることだった。で、
すっかり数えて、僕はこういう表
を作った。
8 という記号は 三十三 ある
; 〃 二十六
4 〃 十九
‡︶ 〃 十六
* 〃 十三
5 〃 十二
6 〃 十一
†1 〃 八
0 〃 六
92 〃 五
:3 〃 四
? 〃 三
¶ 〃 二
︱ 〃 一
さて、英語でもっともしばしば
出てくる字はeだ。それからao
idhnrstuycfglmw
bkpqxzという順序になって
いる。しかしeは非常に多いので、
どんな長さの文章でも、一つの文
章にeがいちばんたくさん出てい
ないということは、めったにない
のだ。
とすると、ここで、僕たちはま
ず手初めに、単なる憶測以上のあ
るものの基礎を得たことになるね。
表というものが、一般に有益なも
のであるということは明白だ、︱
︱が、この暗号にかぎっては、僕
たちはほんのわずかしかその助け
を要しない。いちばん多い記号は
8だから、まずそれを普通のアル
ファベットのeと仮定して始める
ことにしよう。この推定を証拠だ
ててみるために、8が二つ続いて
いるかどうかを見ようじゃないか。
︱︱なぜかというと、英語ではe
が二つつづくことがかなりの頻度
であるからだ、︱︱たとえば、
‘meet’‘fleet’‘s
peed’‘seen’‘bee
n’‘agree’などのように
ね。僕たちの暗号の場合では、暗
号文が短いにもかかわらずそれが
五度までも重なっているよ。
そこで、8をeと仮定してみよ
・
う。さて、英語のすべての語のな
かで、いちばんありふれた語は、
‘the’だ。だから、最後が8
になっていて、同じ配置の順序に
なっている三つの記号が、たびた
び出ていないかどうかを見よう。
そんなふうに並んだ、そういう文
字がたびたび出ていたら、それは
たぶん、‘the’という語をあ
らわすものだろう。調べてみると、
;48
だ。
そういう排列が七カ所もあって、
その記号というのは
だから、;はtをあらわし、4は
hをあらわし、8はeをあらわし
ていると仮定してもよかろう。︱
︱この最後の記号はいまではまず
十分確証された。こうして一歩大
きく踏み出したのだ。
しかも、一つの語が決ったので、
たいへん重要な一点を決めること
ができるわけだ。つまり、他の語
の初めと終りとをいくつか決めら
れるのだね。たとえば暗号のおし
という組合せのあるとこ
まい近くの︱︱最後から二番目の
;48
ろを見よう。と、そのすぐ次にく
る;が語の初めであることがわか
る。そうして、この‘the’の
後にある六つの記号のうち、僕た
ちは五つまで知っているのだ。そ
こで、わからないところは空けて
おいて、その五つの記号をわかっ
ている文字に書きかえてみようじゃ
eeth
ないか。︱︱
t
ここで、この‘th’が、この
初めのtで始まる語の一部分をな
さないものとして、すぐにこれを
しりぞけることができる。という
わけは、この空いているところへ
当てはまる文字としてアルファベッ
トを一つ残らず調べてみても、t
h
がその一部分となるような語
ができないことがわかるからなん
ee
だ。こうして僕たちは
t
に局限され、そして、もし必要な
らば前のようにアルファベットを
一つ一つあててみると、考えられ
ゆいいつ
る唯一の読み方として‘tree’
という語に到達する。こうして
︵で表わしてあるrという字をも
う一つ知り、‘the
tree’
という言葉が並んでいることがわ
かるのだ。
;48
の組合せが
この言葉の少し先の方を見てゆ
くと、また
・
・
あるから、これをそのすぐ前にあ
・
る語にたいする句切りとして用い
tree
;4
る。するとこういう排列になって
いるね。
the
(‡?34
the
つまり、わかっているところへ普
tree
thr
通の文字を置きかえると、こうな
the
the
る。
h
‡?3
さて、未知の記号のかわりに、
th
空白を残すか、または点を打てば、
tree
こうなるだろう。
the
r・・・h the
すると‘through’という
言葉がすぐに明らかになってくる
が、この発見は、‡、?、3であ
らわされているo、u、gという
三つの文字を僕たちに与えてくれ
るのだ。
それから既知の記号の組合せが
ないかと暗号を念入りに捜してゆ
くと、初めのほうからあまり遠く
すなわち
eg
ないところに、こんな排列が見つ
かる。
83(88
ree
これは明白に‘degree’と
いう語の終りで、†であらわして
あるdという文字がまた一つわか
るのだ。
この、‘degree’という
語の四つ先に
;46(;88*
という組合せがある。
既知の記号を翻訳し、未知のを
前のように点であらわすと、こう
なるね。
th・rtee・
この排列はすぐ‘thirtee
n’という言葉を思いつかせ、6、
*であらわしてあるi、nという
二つの新しい文字をまた教えてく
れる。
今度は、暗号文の初めを見ると、
53‡‡†
という組合せがあるね。
前のように翻訳すると、
・good
go
となるが、これは最初の文字がA
で、初めの二つの語が‘A
od’であることを確信させるも
のだ。
混乱を避けるために、もういま
では、わかっただけの鍵を表の形
式にして整えたほうがいいだろう。
それはこうなる。
5 は a を
表わす
† 〃 d
8 〃 e
3 〃 g
4 〃 h
6 〃 i
* 〃 n
‡ 〃 o
︵ 〃 r
; 〃 t
? 〃 u
だから、これでもっとも重要な
文字が十一︵16︶もわかったわ
けで、これ以上解き方の詳しいこ
とをつづけて話す必要はないだろ
う。僕は、この種の暗号の造作な
く解けるものであることを君に納
得させ、またその展開の理論的根
どうさつ
拠にたいする多少の洞察を君に与
えるために、もう十分話したのだ。
だが、僕たちの前にあるこの見本
なんぞは、暗号文の実にもっとも
単純な種類に属するものだと思い
たまえ。いまではもう、この羊皮
紙に書いてある記号を、解いたと
おりに全訳したものを、君に示す
glass
ことが残っているだけだ。それは
こうだよ。
good
bishop's
‘A
in
in
for
mi
northeast
thirteen
the
hostel
seat
d
evil's
degrees
the
ty-one
and
nutes
by
north
ma
branch
and
in
limb
seven
th
shoot
eye
tree
t
fr
out.’
f
thr
bee-line
of
from
si
de
left
east
he
death's-hea
a
the
d
the
the
om
ough
feet
shot
ifty
はたご
︵﹃僧正の旅籠悪魔の腰掛けにて
ひだりめ
良き眼鏡四十一度十三分北東微北
どくろ
東側第七の大枝髑髏の左眼より射
き
る樹より弾を通して五十フィート
外方に直距線﹄︶﹂
﹁だが﹂と私は言った。﹁謎は依
やっかい
然として前と同じくらい厄介なよ
うだね。﹃悪魔の腰掛け﹄だの、
﹃髑髏﹄だの、﹃僧正の旅籠﹄だ
たわごと
のというような、こんな妄語から、
どうして意味をひっぱり出すこと
ができるのかね?﹂
﹁そりゃあね﹂とルグランが答え
た。﹁ちょっと見たときには、ま
だ問題は容易ならぬものに見える
さ。まず僕の努力したことは、暗
号を書いた人間の考えたとおりの
自然な区分に、文章を分けること
だった﹂
くとう
﹁というと、句読をつけることだ
ね?﹂
﹁そういったようなことさ﹂
﹁しかしどうしてそれができたん
だい?﹂
﹁僕は、これを書いた者にとって
は、解釈をもっとむずかしくする
ために言葉を区分なしにくっつけ
て書きつづけることが重要な点だっ
たのだ、と考えた。ところで、あ
まり頭の鋭敏ではない人間がそう
いうことをやるときには、たいて
いは必ずやりすぎるものだ。文を
書いてゆくうちに、当然句読点を
つけなければならんような文意の
切れるところへくると、そういう
連中はとかく、その場所で普通よ
り以上に記号をごちゃごちゃにつ
めて書きがちなものだよ。いまの
場合、この書き物を調べてみるな
ら、君はそういうひどく込んでい
るところが五カ所あることをたや
すく眼にとめるだろう。このヒン
トにしたがって、僕はこんなふう
good
glass
に区分をしたんだ。
‘A
bishop's
the
in
in
thirteen
degre
︱︱
d
hostel
seat
the
evil's
and
forty-one
es
minutes
no
nort
by
︱︱
and
bra
heast
︱︱
main
rth
︱︱
lim
side
seventh
east
nch
b
throug
from
︱︱
the
the
of
from
eye
shoot
left
tree
bee-line
death's-head
a
the
h
feet
the
fift
out.’
shot
y
︵﹃僧正の旅籠悪魔の腰掛けにて
良き眼鏡︱︱四十一度十三分︱︱
北東微北︱︱東側第七の大枝︱︱
髑髏の左眼より射る︱︱樹より弾
を通して五十フィート外方に直距
線﹄︶﹂
﹁こういう区分をされても﹂と私
は言った。﹁まだやっぱり僕には
わからないね﹂
﹁二、三日のあいだは僕にもわか
らなかったよ﹂とルグランが答え
た。﹁そのあいだ、僕はサリヴァ
ビショップス・ホテル
ン島の付近に﹃僧正の旅館﹄とい
う名で知られている建物がないか
と熱心に捜しまわった。むろん、
ホステル
﹃旅籠﹄という古語はよしたのさ。
が、それに関してはなにも得ると
ころがなかったので、捜索の範囲
をひろげてもっと系統的な方法で
やってゆこうとしていたとき、あ
る朝、まったくとつぜんに頭に浮
ビショップス・ホステル
んだのは、この﹃僧正の旅籠﹄と
いうのは、島の四マイルばかり北
方にずっと昔から古い屋敷を持っ
ていたベソップという名の旧家と
なにか関係があるかもしれない、
ということだった。そこで、僕は
そこの農園へ行って、その土地の
年寄りの黒んぼたちにまたいろい
ばあ
・
・
ろきいてみた。とうとう、よほど
・
・
年をとった一人の婆さんが、ベソッ
・ ・
プの城というような所のことを聞
いたことがあって、そこへご案内
することができるだろうと思うが、
それは城でも宿屋でもなくて高い
岩だと言ってくれた。
僕は骨折り賃は十分出すがと言
うと、婆さんはしばらくためらっ
たのち、その場所へ一緒に行って
くれることを承知した。大した困
難もなくそこが見つかったので、
それから婆さんを帰して、僕はそ
の場所を調べはじめた。その﹃城﹄
がけ
というのは崖や岩が雑然と集まっ
ているところのことで、そのなか
の一つの岩は、ずっと高くて、ま
た孤立していて人工的なふうに見
えるので、たいへん目立っていた。
僕はその岩のてっぺんへよじ登っ
たんだが、さて、それからどうし
たらいいかということには大いに
途方に暮れてしまったね。
さんざんに考えこんでいるうち
に、僕の眼はふと、自分の立って
いる頂上からたぶん一ヤードくら
い下の岩の東の面にあるせまい出っ
張りに落ちた。この出っ張りは約
十八インチほど突き出ていて、幅
は一フィート以上はなく、そのす
くぼ
く
ぐ上の崖に凹みあるので、われわ
す
れの祖先の使ったあの背を刳った
い
椅子にあらまし似ているんだ。僕
はこれこそあの書き物にある﹃悪
魔の腰掛け﹄にちがいないと思い、
もうあの謎の秘密をすっかり握っ
たような気がしたよ。
﹃良き眼鏡﹄というのが望遠鏡以
外のものであるはずがないという
ことは、僕にはわかっていた。船
乗りは﹃眼鏡﹄という言葉をそれ
以外の意味にはめったに使わない
からね。そこで、僕は望遠鏡はこ
・
・
・
・
・
こで用いるべきであるということ、
・
・
・
ここがそれを用いるに少しの変更
・ ・
をも許さぬ定まった観察点である
ということが、すぐにわかったの
だ。また、﹃四十一度十三分﹄や
﹃北東微北﹄という文句が眼鏡を
照準する方向を示すものであるこ
とは、すぐに信じられた。こうい
う発見に大いに興奮して、急いで
家へ帰り、望遠鏡を手に入れて、
また岩のところへひき返した。
出っ張りのところへ降りると、
一つのきまった姿勢でなければ席
を取ることができないということ
がわかった。この事実は僕が前か
らもっていた考えをますます確か
めてくれたのだ。それから眼鏡の
使用にとりかかった。むろん、
﹃四十一度十三分﹄というのは現
視地平︵17︶の上の仰角を指し
ているものにちがいない。なぜな
ら、水平線上の方向は﹁北東微北﹂
という言葉ではっきり示されてい
るんだからね。この北東微北の方
向を僕は懐中磁石ですぐに決めた。
それから、眼鏡を大体の見当でで
きるだけ四十一度︵18︶の仰角
に向けて、気をつけながらそれを
上下に動かしていると、そのうち
かなた
にはるか彼方に群を抜いてそびえ
しげ
ている一本の大木の葉の繁みのな
すきま
かに、円い隙間、あるいは空いて
いるところがあるのに、注意をひ
かれた。この隙間の真ん中に白い
点を認めたが、初めはそれがなん
であるか見分けがつかなかった。
望遠鏡の焦点を合わせて、ふたた
ずが
び見ると、今度はそれが人間の頭
いこつ
蓋骨であることがわかった。
これを発見すると、僕はすっか
なぞ
り喜びいさんで、謎が解けてしまっ
たと考えたよ。なぜかと言えば、
﹃東側第七の大枝﹄という文句は、
木の上の頭蓋骨の位置を指すもの
に決っているし、また﹃髑髏の左
眼より射る﹄というのも、埋めら
れた宝の捜索に関して唯一の解釈
しか許さないものだったから。僕
は、頭蓋骨の左の眼から弾丸を落
す仕組みになっているので、また、
幹のいちばん近い点から﹃弾﹄
︵つまり弾丸の落ちたところ︶を
通して直距離、あるいは別の言葉
で言えば一直線を引き、そこから
さらに五十フィートの距離に延長
すれば、ある一定の点が示される
だろう、ということを悟った。︱
︱そして、この地点の下に貴重な
・
・
・
・
・
・
品物が隠されているということは、
・
少なくともないとも言えぬことだ
と考えたしだいなのさ﹂
﹁なにもかもすべて、実にはっき
りしているね﹂と私は言った。
めいり
﹁また巧妙ではあるが、簡単で明
ょう
瞭だよ。で君はその﹃僧正の旅籠﹄
を出て、それからどうしたんだ
い?﹂
﹁もちろん、その木の方位をよく
見定めてから、家へ帰ったさ。だ
が、その﹃悪魔の腰掛け﹄を離れ
るとすぐ、例の円い隙間は見えな
くなり、その後はどっちへ振り向
いてもちらりとも見ることができ
なかったよ。この事件全体のなか
で僕にいちばん巧妙だと思われる
のは、この円く空いているところ
が、岩の面のせまい出っ張り以外
のどんな視点からも見られない、
という事実だね。︵幾度もやって
・
みて、それが事実だということを
僕は確信してるんだ︶
この﹃僧正の旅籠﹄へ探検に行っ
たときには、ジュピターも一緒に
ついてきたが、あいつは、それま
での数週間、僕の態度のぼんやり
していることにちゃんと気がつい
ていて、僕を一人ではおかぬよう
にとくに注意をしていた。だがそ
の次の日、僕は非常に早く起きて、
うまくあいつをまいて、例の木を
捜しに山のなかへ行ったんだ。ず
いぶん骨を折った末、そいつを見
せっかん
つけた。夜になって家へ帰ると、
やっこ
奴さんは僕を折檻しようというん
だよ。それからのちの冒険につい
ては、君は僕自身と同様によく知っ
ているはずだ﹂
﹁最初に掘ったときに﹂と私が言っ
た。﹁君が場所をまちがえたのは、
ジュピターがまぬけにも頭蓋骨の
左の眼からではなくて右の眼から
虫を落したためだったんだね﹂
﹁そのとおりさ。そのしくじりは
﹃弾﹄のところに︱︱つまり、木
くい
に近いほうの杭の位置に︱︱二イ
ンチ半ほどの差ができた。そして、
・
・
もし宝が﹃弾﹄の真下にあったの
なら、この誤りはなんでもなかっ
たろう。ところが、﹃弾﹄と、木
のいちばん近い点とは、ただ方向
の線を決定する二点にすぎなかっ
たのだ。むろんその誤りは、初め
は小さなものであっても、線をの
ばしてゆくにしたがって大きくな
り、五十フィートも行ったときに
は、すっかり場所が違ってしまっ
たのさ。宝がどこかこの辺にほん
とうに埋められているという深い
・
確信が僕になかったなら、僕たち
・
の骨折りもすっかり無駄になって
・
・
しまうところだったよ﹂
・
﹁頭蓋骨を用いるという思いつき
︱︱頭蓋骨の眼から弾丸を落すと
いう思いつき︱︱は、海賊の旗か
らキッドが考えついたことだろう
と、僕は思うね。きっと彼は、こ
きしょう
の気味のわるい徽章で自分の金を
取りもどすことに、詩的調和といっ
たようなものを感じたんだぜ﹂
﹁あるいはそうかもしれん。だが
僕は、常識ということが、詩的調
和ということとまったく同じくら
い、このことに関係があると考え
ずにはいられないんだ。あの﹃悪
魔の腰掛け﹄から見えるためには、
その物は、もし小さい物なら、ど
・
・
うしても白くなくちゃならん。と
ころで、どんな天候にさらされて
も、その白さを保ち、さらにその
白さを増しもするものとしては、
人間の頭蓋骨にかなうものはない
からな︵19︶﹂
﹁しかし君の大げさなものの言い
かぶとむし
ぶりや、甲虫を振りまわす振舞い
といったら︱︱そりゃあ実に奇妙
きてれつだったぜ! 僕はてっき
り君が気が狂ったのだと思ったよ。
で、君はなぜあの頭蓋骨から、弾
丸ではなくて、虫を、落させよう
と言い張ったんだい?﹂
﹁いや、実を言うと、君が明らか
に僕の正気を疑っているのが少し
しゃく
じ
め
けむ
癪だったので、僕一流のやり方で、
ま
真面目にちょっとばかり煙に巻い
こ
て、君をこっそり懲らしてやろう
と思ったのさ。甲虫を振りまわし
たのもそのためだし、あれを木か
ら落させたのもそのためなんだ。
君があれを非常に重いと言ったの
で、木から落すというその考えを
思いついたのだ﹂
﹁なるほど。わかったよ。ところ
で、僕にはもう一つだけ合点のゆ
かぬことがある。あの穴のなかに
がいこつ
あった骸骨はなんと解釈すべきだ
ろうね?﹂
﹁それは僕にだって君以上には答
えられぬ問題だよ。しかし、あれ
を説明するのにたった一つだけもっ
ともらしい方法があるようだな。
︱︱僕の言うような凶行があった
と信ずるのは恐ろしいことだがね。
キッドが︱︱もしほんとうにキッ
ドがこの宝を隠したのならだよ。
僕はそうと信じて疑わないが︱︱
彼がそれを埋めるときに誰かに手
伝ってもらったことは明らかだ。
だが、その仕事のいちばん厄介な
ところがすんでしまうと、彼は自
分の秘密に関係した者どもをみん
な片づけてしまったほうが都合が
いいと考えたんだろう。それには、
たぶん、手伝人たちが穴のなかで
つるはし
せっせと働いている時に、鶴嘴で
二つも食らわせば十分だったろう
よ。それとも、一ダースも殴りつ
けなければならなかったか、︱︱
in
the
その辺は誰にだってわからんさ﹂
︵1︶ “All
Arthur
Mu
Wrong”︱︱イギリスの俳優
で劇作家の
rphy︵一七二七︱一八〇五︶
の喜劇。一七六一年初演。一八三
六年にニューヨークでも上演され
た。
︵2︶ Huguenot︱︱十
六、七世紀頃のフランスの新教徒。
一六八五年にルイ十四世によって
ナント勅令が廃棄され、新教が禁
ユ グ ノ ー
止されると、多くの新教徒がアメ
Orleans
リカの植民地に移住した。
︵3︶ New
︱︱ミシシッピ河の海に注ぐあた
Moultr
りのルイジアナ州にある都会。
︵4︶ Fort
ie︱︱チャールストン港の防御
のために一七七六年に建てられ、
しゅんこう
William
Moult
まだ竣功しないうちにアメリカ軍
の
rie︵一七三一︱一八〇五︶大
こも
佐がここに立て籠ってイギリス軍
を防いだので、その名が付せられ
た。ポーは青年時代に軍隊にいた
ようさい
ときしばらくこの要塞に勤務して
いたことがある。
︵5︶ Palmetto︱︱南
State”と言われる
カロライナ州は一名“Palme
tte
しゅろ
Swammer
ほどだから、この棕櫚がよほど多
いのであろう。
︵6︶ Jan
dam︵一六三七︱八〇︶︱︱オ
ランダの有名な博物学者。ことに
こんちゅう
しゅうしゅう
︹ante
昆虫学者として、その蒐集と著述
とが知られている。
︵7︶ ルグランが
tin
nnoe&︺︵触角︶と言いかけ
たのを、ジュピターは
すず
︵錫︶のことと思い違いをしたの
intradu
であろう。ボードレールは“Ca
lembour
isible”だと書いているが、
日本語でもやはり訳されないこと
は同様である。
︵8︶ この﹁高い﹂loud
という語は、ステッドマン・ウッ
ドベリー版には﹁低い﹂low
となっているが、ハリスン版、イ
ングラム版、その他の諸版にはみ
な前者になっている。ボードレー
ルの訳本もその意味に訳してある。
ステッドマン版はこの語をグリズ
よ
ウォルド版に拠ったのであろうか。
しかし、ここでは前者をとること
にして、意味がまったく反対になっ
lanter
ている相違なので特に注をしてお
く。
︵9︶ dark
ふた
n︱︱光をさえぎる蓋のついてい
る角灯。
︵10︶ guinea︱︱十七
世紀後葉アフリカ西海岸のギニー
地方に産する金で初めて鋳造され
た往時のイギリスの金貨。一八一
三年以降は鋳造されなかったのだ
から、この物語の書かれた当時に
もすでに、一般に流通していなかっ
たのである。
ちんでん
︵11︶ 鉱物を溶解するときに
るつぼ
Ki
炉床または坩堝の底に沈澱するも
の。
︵12︶ William
dd︵一六四五?︱一七〇一︶︱
︱十七世紀の末の有名な海賊。ス
コットランドに生れ、初め剛胆な
船長として世に知られていたが、
のち海上生活を退いてニューヨー
クに隠退中、その船舶操縦術の手
o
に認め
Earl
Bellamont
腕を時の植民大臣
f
られ、当時アメリカの沿岸および
そう
インド洋に横行していた海賊を剿
めつ
滅せよとの命を受けて、一六九六
年に“Adventure”号の
船長としてイングランドのプリマ
ス港から出帆し、ニューヨークへ
行き、それからマダガスカル島へ
航した。その後間もなく彼自身が
うわさ
海賊になったと噂が立った。一六
九九年にアメリカの海岸へ帰り、
やがてボストンで逮捕されて部下
と共にイングランドへ送られ、海
賊を働いたことを否認したが、船
かど
員の一人を殺害した廉で、九人の
こうけい
部下と共に絞刑に処せられた。こ
れより前、彼はニューヨークの東
方ロング島の東にあるガーディナ
ア島に一部分の財宝を埋めておい
たが、それはのちに発掘された。
その没収された財宝の総額は約一
万四千ポンドに達するものであっ
た。しかし、﹁キッド船長の宝﹂
が大西洋のどこかの海岸にまだ埋
められているという噂は、その後
も永く世間に伝えられていた。
︵13︶ この暗号文のうち一カ
所は、ステッドマン・ウッドベリー
版およびハリスン版が、他の諸版
degree
と異なっている。他の諸版の“f
orty-one
degrees”になっ
s”に当る記号が“twenty
-one
ているからである。︵初めから四
8*;:⋮⋮⋮⋮⋮
1‡(;:⋮⋮⋮⋮⋮
が
十四番目
⋮;)
⋮︶これは、のちに注18におい
てしるすような理由で、たぶん、
作者自身が一八四五年出版の彼の
﹃物語集﹄にのちの刊行の準備と
すいこう
して自筆で推敲の筆を加えたとき
に、書き直したものであろう。ス
テッドマン・ウッドベリー版、ハ
リスン版は、そのポーの自筆を加
えたいわゆるロリマー・グレアム
本を参照して、それに拠ったので
ある。しかし、ハリスン版の訂正
個所はまちがっているし、またハ
リスン版、ステッドマン版ともに
あとの記号の数のところが訂正暗
号に合っていないので、この訳本
ではあとのほうの数字を訂正した
りすることは避けて、普通の諸版
のもとの暗号を用いることにした。
他の諸版にもそれぞれ小さな誤り
があるので、以下暗号に関するか
ぎり、諸版から妥当と思うところ
を取ることにする。
︵14︶ Golconda︱︱
ふる
インドの南部にある旧い町。金剛
ma
石の市場として有名であった。
︵15︶ Spanish
in︱︱往時、南アメリカの北海
岸のオリノコ河またはアマゾン河
の口からパナマ海峡に至る一帯の
地方や、カリブ海のこれに接した
ばくぜん
部分を、漠然と指した名称。スペ
インと南アメリカとの航路に当り、
昔さかんに海賊が出没した。
︵16︶ この﹁十一﹂は、ステッ
ドマン版、イングラム版、ハリス
ン版等の標準版にはみな前の行の
﹁?〃u﹂を除いて﹁十﹂となっ
ているが、これはたぶん作者自身
の誤りであろう。﹁?〃u﹂を加
えて﹁十一﹂となっている版もあ
るので、それにしたがう。
う
︵17︶ 実際に見得べき水と空
との分界線。
︵18︶ この﹁四十一度﹂は、
ハリスン版とステッドマン・ウッ
ドベリー版では、すべて﹁二十一
度﹂となっている。事実、﹁四十
一度十三分の仰角﹂で見て、﹁は
かなた
るか彼方に﹂見える大木というの
は、あまりに高過ぎて不自然、あ
るいはむしろ不合理であろう。し
かしこの変更は注13で書いたよ
うに、暗号文の記号と共に、おそ
らく、ポーがのちの刊行本のため
の用意にときどき筆を加えておい
たいわゆるロリマー・グレアム本
の、自筆の書き入れに拠ったもの
らしく、まだ決定的な、あるいは
完全な、訂正ではないので、この
訳本ではすべてもとの﹁四十一度﹂
にしておいた。
うんぬん
︵19︶ 以上の頭蓋骨云々に関
する二節の対話は、普通の諸版に
は全然ない。ボードレールの訳本
にもない。同じくロリマー・グレ
アム本にポーがのちに書き加えて
おいた部分であろう。
底本:﹁黒猫・黄金虫﹂新潮文庫、
新潮社
1951︵昭和26︶年8
月15日発行
1995︵平成7︶年10
月15日89刷改版
1997︵平成9︶年11
月25日93刷
※︵1︶∼︵19︶は訳注番号で
す。底本では、直前の文字の右横
に、ルビのように小書きされてい
ます。また数字は縦中横になって
います。
入力:福田直子
校正:鈴木厚司
2004年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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