2)GCIB-TOF-SIMSによる 有機ELの駆動劣化解析

●[特集]有機エレクトロニクス(2)GCIB-TOF-SIMSによる有機ELの駆動劣化解析
[特集]有機エレクトロニクス
(2)GCIB-TOF-SIMSによる
有機ELの駆動劣化解析
表面科学研究部 柴森 孝弘
1.はじめに
駆動に伴う輝度劣化は有機エレクトロルミネッセンス
(有機EL)デバイスにとって大きな課題の一つである。
有機分子劣化の観点から輝度劣化のメカニズムを明らか
にするには、有機薄膜積層構造の各深さ領域における分
子構造変化を捉えることが重要である。
しかし、有機薄膜積層構造について、分子を直接観測可
図1 試料構成
能で、深さ方向分析が可能な分析手法はほとんどなく、薄
膜の斜め切削と飛行時間型二次イオン質量分析法(TOFSIMS)などを組み合わせる方法が行われてきた 1,2︶。
ただし、この方法では斜め切削の再現性や深さ方向分解
能、空間分解能などに課題があった。
近年、エッチングガンとしてArのガスクラスターイ
オンビーム(GCIB、Ar1000+~ Ar3000+など)を使用する
と、残存ダメージの少ない(1nm以下)エッチングが可
能であることがわかってきた3︶。このGCIBをエッチング
ガンに用いたTOF-SIMSデプスプロファイル分析(以降
GCIB-TOF-SIMS)では、従来より使用のエッチングガ
ン(Cs+ やO2+ など)では困難な、有機分子に関する深
さ方向分析が可能である。
図2 輝度減衰曲線
ここではGCIB-TOF-SIMS分析を、駆動劣化前後の有
機EL素子について適用し、評価を行った分析事例につ
2.2 有機EL試料へのGCIB-TOF-SIMS分析の適用確認
いて紹介する。
図3に未劣化品のGCIB-TOF-SIMSデプスプロファイ
ルを示す。Alq3,α-NPD, 2TNATAの各層において分子
イオンがおおよそ一定の強度で得られ、また、層の境界
2.Alq3/NPD/2TNATA系OLEDの駆動劣化解析
で強度がシャープに低下し、積層構成であることが十分
捉えられた。なお、図3中で[Alq3]などは分子イオン
2.1 試料構成および駆動劣化条件
を表す(以降も同様)
。
有機EL素子(ガラスITO/2TNATA(30nm)/α-NPD(40
nm)/Alq3(60nm)/LiF/Al:ガラス封止)を定電流駆動(初
期輝度2000cd/m2)により、初期輝度に対して50%輝度
劣化させた(図1,2)
。未劣化品、50%劣化品について、
GCIB-TOF-SIMS分析を行った。TOF-SIMS測定には、
ION-TOF社製TOF.SIMS.5を用い、GCIB(エッチング
イオン)としてはAr2500+を用いた。測定の都合上、Al陰
極を剥離後、測定に用いた。なお、これまでに同一構成
、
の有機EL素子について、フォトルミネッセンス(PL)
液体クロマトグラフィー質量分析法(LC/MS)などで
劣化品の解析をした結果、PL、LC/MSともにAlq3の強
度低下が観測され、Alq3の分解が示唆されていた₄︶。
12・東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)
図3 GCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル
(未劣化品、正2次イオン) ●[特集]有機エレクトロニクス(2)GCIB-TOF-SIMSによる有機ELの駆動劣化解析
図3のプロファイルでのAlq3 層(GCIBエッチング有
であると考えられる。また、α-NPD層、2TNATA層、
り)と、Al陰極剥離後のAlq3膜表面(エッチング無し)
各界面についても、劣化前後で比較を行ったが、明確な
の ス ペ ク ト ル を 図4に 示 す。 強 度 比 は 異 な る も の の、
違いは認められなかった。
GCIBエッチング有りではエッチング無しと同様に、
[Alq2]+,
[Alq]+ など分子構造に対応するイ
[Alq3]+,
オン種が強く検出された。他の層についても分子構造
に対応するスペクトルが得られ、これらのことから、
GCIBエッチングによるダメージは比較的小さく、有機
分子の劣化の詳細な解析が可能であると考えられる。
x10
5
2. 5
Al
q]
[Alq
1. 5
(a)
[Alq2]
[AlqOH]
1. 0
q 3]
[Alq
0. 5
50
100
150
200
250
Intensity
x10 6
30
00
350
400
m/z
450
q2]
[ A lq
図6 GCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル
(50% 劣化品、主成分および分解物)
(b)
1.0
1.E+00
0.8
0.6
0.4
劣化品(領域①
①)
劣化品(領域②
②)
劣化品(領域③
③)
未劣化品
1.E-01
Al
q]
[ A lq
[ A lqO H]
q3]
[ A lq
0.2
50
100
150
0
200
250
300
350
400
450
図4 エッチング有無でのAlq3層のスペクトル比較
(a)GCIB エッチング有り、(b) エッチング無し
m/z
Normalized intensity
I nt ensity
2. 0
1.E-02
1.E-03
1.E-04
1.E-05
1.E-06
2.3 駆動劣化前後の比較
50%劣化品のプロファイルを図5に示す。未劣化品(図
[Alq3]+
[Alq2H2]+
AlO2H2+
C2H5+
C4H9+
図7 Alq3層の強度比較
3)ではAlq3層内で分子イオン[Alq3]+が一定の強度であ
るのに対して、50%劣化品(図5, 6)では表面近傍(0~
Alq3層について、50%劣化品(図6の領域①~③)、未
10 cycle:図6の領域①)で強度が大きく低下し、10~30
劣化品での強度比較を図7に示す。劣化品の領域③(Alq3
cycle(図6の領域②)でも強度が低下している。したがっ
層のうち陽極側)では各イオン種の強度が未劣化品と類
て、Alq3層のうち陰極側の領域でAlq3の分解が進行して
似していることから、この領域ではAlq3の分解は進行し
いると考えられる。
ていないと考えられる。一方、領域①,②では、前述のよ
うな分解物が存在している。
以上より、GCIB-TOF-SIMS分析により、陰極/有機
層界面近傍においてAlq3の分解が進行し、Al酸化物など
の分解物が生成していることがわかった。このAlq3の分
解により電子注入効率の低下が想定されることから、こ
の分解が今回の有機EL素子での輝度低下の原因の一つ
であると考えられる。
3.りん光系OLEDの駆動劣化解析
図5 GCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル
(50% 劣化品、主成分)
3.1 試料構成および駆動劣化条件
各層の主成分の他、不純物成分を含め、図6にプロファ
りん光系OLEDについて同様なGCIB-TOF-SIMSによ
イ ル を 示 し た。50%劣 化 品 の 領 域 ① で は、AlO2H2 、
る駆動劣化解析を行った。長期駆動に伴う輝度低下の原
CxHy+ が強く、領域②では[Alq2H2]+ が強い傾向が認め
因の一つとして、素子中微量水分による有機成分の構造
+
られた。各領域のスペクトル解析結果も踏まえると、
変化が考えられる。本系では含酸素構造に着目し、水分
[Alq2H2]+の増加はそれぞれAl酸化物、
AlO2H2+、CxHy+、
由来の構造変化を各層ごとに捉えることを試みた。発光
炭化水素系の成分、Alq2Hまたは類似成分の寄与である
層はCBPとIr︵ppy︶3からなる構成であり、その他の試料
と考えられ、これらの検出成分はいずれもAlq3の分解物
構成は図8に示した。
・13
東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)
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3.2 駆動劣化前後の比較
初期品について、GCIB-TOF-SIMS分析による各層主
成分の深さ方向分布を図10に示す。各層において主成分
はおおむね一定強度となり、有機分子のデプスプロファ
イルが十分に得られていると判断される。ここでは図は
省略するが、主成分の分布を駆動劣化前後で比較する
と、駆動に伴う変化は認められなかった。
図10 GCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル
(初期品、主成分)
図8 試料構成
このりん光系OLEDを定電流駆動にて駆動劣化させ、
各層のスペクトルをデータ処理にて取り出したのち、
GCIB-TOF-SIMS測定に用いた。駆動劣化条件を表1に
同一層ごとに試料間で比較したところ、各層のスペクト
示す。また、駆動劣化時の輝度減衰曲線を図9に示す。
ルは試料間でほとんど一致していた。詳細な比較を実施
劣化品A(初期劣化)では輝度95%、劣化品B, C(長期
したところ、EMLホスト成分のCBPに対してカルバゾー
劣化)では輝度34%まで劣化させた。また長期劣化につ
ル基の付加した分子(CBPカルバゾール付加物)
、水酸
いては駆動電流値の異なる2条件にて実施した。
基の付加した分子(CBP酸化物)の分子量関連イオン、
カルボン酸またはエステルに特徴的なCHO2-、窒素と酸
表1 駆動劣化条件
劣化条件
(輝度減衰率)
素を含む有機物に共通のCNO- の4点について、劣化品
電流(mA)
(長期劣化)で初期品よりも強度が増加する傾向が認め
られた。なお、CBPカルバゾール付加物などについては
初期品
初期品(100%) 劣化品A
初期劣化(95%)
0.74(3倍加速)
劣化品B
長期劣化(34%)
0.74(3倍加速)
劣化品C
長期劣化(34%)
低倍加速 0.49(2倍加速)
精密質量の値、同位体比の一致などから当該成分由来で
あるとの判断を行った。
初期品、劣化品B(長期劣化)について、これらの成
分の深さ方向分布を図11に示す。EMLにおけるCBPカ
ルバゾール付加物、CBP酸化物のプロトン脱離分子(図
[CBP+O-H]- と示し
中にそれぞれ[CBP+Cz-2H]-、
た)の強度は、劣化品Bで初期品よりも高い傾向が認め
られた。その他、CHO2-、CNO- についても劣化品Bで
初期品よりも強度が一桁程度高いことがわかる。なお、
[CBP+O-H]-についてはEMLのみ
[CBP+Cz-2H]-、
で検出され、EML以外では妨害イオン(ピーク位置の重
なるイオン種)の寄与である。
また、EML層内でのこれらの分解物の分布を見ると、
EMLのうちHBL側やHTL側の界面近傍などのみではな
く層全体で強度が増加している。このことから、駆動劣
図9 輝度減衰曲線
14・東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)
化に伴う分解物の生成はEMLのうち特定の界面近傍で
はなく、層全体で進行しているとわかる。
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図13 長期駆動に伴う推定構造変化
図11 GCIB-TOF-SIMS デプスプロファイル
(初期品および劣化品B、分解物比較)
4.おわりに
本稿では、GCIB-TOF-SIMS分析を駆動劣化前後の有
機EL素子について適用し、評価を行った分析事例につ
いて紹介した。いずれの系でも特定層中の有機物の変化
を捉えることができ、他の分析では得られない知見を取
得できた。GCIB-TOF-SIMS分析では積層膜のうち特定
層のみの有機物情報を取得可能という優位性が大きいと
考えられる。今後は、他の手法との組み合せも含め、よ
り詳細な駆動劣化解析に取り組んでいきたいと考えてい
る。
図12 EML での検出強度の試料間比較
5.謝辞
EML中 で の こ れ ら の イ オ ン 種 の 積 分 強 度 を 読 み 取
3項のりん光系OLEDに関しては、次世代化学材料評
り、4水準間で比較した結果を図12に示す。初期劣化(劣
価技術研究組合(CEREBA)との共同研究に基づき、実
化品A)では初期品と違いが認められず、長期劣化の2
施いたしました₅︶。この場を借りて、御礼申し上げます。
水準(劣化品B,C)では前述のCBPカルバゾール付加
物やCBP酸化物が初期品に対して1.5倍程度増加してい
ることがわかる。CHO2-、CNO-については初期品に対
6.参考文献
して1桁程度増加する傾向が認められた。また、Ir錯体
由来のイオン種については駆動劣化前後で強度変化がな
1)永井直人,Analytical Sci., 17 suppl., i671,(2001)
く、Ir錯体の分解の進行は認められなかった。
2)柴森孝弘,関 洋文,松延 剛,中川善嗣,第65回
以上より、GCIB-TOF-SIMS分析を適用することで、
応用物理学会学術講演会,2004,3p-ZR-20
駆動劣化(長期駆動)後のEML中において、ホスト材
3)松尾二郎,表面科学,31,564,(2010)
料(CBP)の分解物としてCBPカルバゾール付加物や
4)宮本隆志,大久保賢治,田口嘉彦,竹田正明,古島
CBP酸化物が増加していることがわかった。これらの分
圭智,村木直樹,有機EL討論会第9回例会予稿集,
解物の生成について推定構造変化を図13に示した。今回
2009,S5-1
の系では、酸素供給源は素子中の残留微量水分(有機膜
中やITO上)と推察される。
5)宮口 敏,片木京子,吉岡俊博,筒井哲夫,有機EL
討論会第17回例会予稿集,2013,S3-4
■柴森 孝弘(しばもり たかひろ)
表面科学研究部 表面科学第三研究室 研究員
趣味:キャンプ、焚き火
・15
東レリサーチセンター The TRC News No.122(Mar.2016)