自己懲罰の裁判記録-過程と変奏:アンリ・マティス展より

「自己懲罰の裁判記録-過程と変奏:アンリ・マティス展より」『あいだ』 107号、2004年11月20日、23-31頁
あいだのすみっこ不定期漫遊連載 第29回
自己懲罰 の裁判記録 一 刊躍 と変奏
アンリ ・マティス展 olより
搬
難
(いなが しげみ/国 際日本文化研究センター,
総合研究た罰鬼人→
マテ ィスの燕尾服
あいかわ らず特別展 となれば大層な人出
でにぎわ う,上 野は国立西洋美術館でのこ
と。公務で定例の東京出張のあいまに時間
を見つけ,律 義 に列を作 る観衆の流れ に沿
つて展示作品を 「
拝観」 していた ら,前 を
行 くご婦人おふた りが,ふ いにくす くす と
笑 い始めた。
9月 10日よ り開催のマティス展は創作家
の没後50年を記念する。副題に 「
過程 と変
奏」 という英語 Pr∝ess/Variationが 当
て られているが,そ の小さな事件が発生 し
たのは,第 2部 「
プロセス (制
作の過程)」 の
第 1室 にあたる 「
制作の現場 (マティスのアト
しき,自 いベールに身を包んだ女性がひと
り件んでいて,流 し目よろしく異邦人の画
家を見下ろして いる。彼女 と同様の服装の
女性が,廟 の右手にも遠景で描かれて いて,
その大小の反復がいかにもモロ ッヨらしい
(という紋切り型)に 奉仕 しているだけに,両
者 に挟 まれたフランス人画家の姿は,ま す
ます 目障 りな障害物 と映 じて しまう。いっ
たいマティスは何故 これほど妙な自画像 を
描 いたのか。
今,「目障 り」という表現を使 ったが,こ
こにこの走 り描きの素描の意図を解 くひと
つの鍵があるだろう。そ う,我 々が得て し
て見慣れている中近東の風物には,現 地の
リエ)」 を通過 しているところだった。何だ
ろうと見ると,1913年 ,モ ロッコ旅行中に
服装を纏った現地の人々は登場 しても,当
時か の地を植民地支配 し,あ るいは支配 を
屋外で制作に取 り組むマティスが,自 分の
姿を描 いたデ ッサ ンだった *2。 肥満 しつ
つあった身体を支えるにはいささか窮屈な
企てて いた西洋人たちの姿は,め ったに出
現 しない。 「目障 り」だか らだ。仮に出現
するとなれば,そ れにはエジプ トのツタン
カー メン発掘のハ ワー ド ・カー ターさん以
折 り畳み式の脚立に腰を降ろしたマテ ィス
は,右 手に見えるマ ラプー (い
わゅる聖人励
を描き取るのに余念がな い。そ してその衣
装 というのがふるっている。燕尾服に山高
帽という出で立ちで,あ た りの風物にはまっ
下の出で立ちを模倣するか,そ れを意図的
にナチスの時代に転用 したス ピルバー グ映
画の 「
イ ンデ ィー ・ジョー ンズ」 シリーズ
第 2作 (でしたかしら?)の ような趣向に範を
た く溶け合いようもない違和感が,簡 素な
筆遣 いの画面か らも強烈に匂って くくる。
取 らねばなるまい。サファリー帽に自妙の
麻の植民地服,と いうコステュームに身を
左手には,後 になって描き加えられたと思
固めて,支 配者然たる風格がさまになって
あいだ10723
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アンリ ・マティス
いれば,ス ティール写真 に収まって も恥ず
か しくない。それを自人女性モデルに転用
した図像は,近 年まで例えばエル メスのよ
うなブラン ドや化粧品業界の広告写真に,E
濫 していた。そ こにくると,山 高帽はまだ
バナマ帽か もしれないか ら許容限度内とは
いえ,そ れをあろうことか燕尾服と組み合
わせたマテ ィスの珍妙な出で立ちは,こ の
場 のあるべ き身嗜み (デコール)に 対する,
の鉦の描 き方は,キ ャラクターの 日玉の描
き方をも連想させる。燕尾服がそれを纏 う
マティスとは別人格を勝手に獲得 し,主 人
の知 らぬまに背後の現地女性 と視線 を交わ
し,ひ そひそ とあ らぬ密談を交わ している
ようにさえ見える。それほどにまで強烈な
視線を背中に感 じればこそ,画 家は後ろを
ほとん ど意図的で挑発的な風俗壊乱行為で
振 り返る心理的余裕 もな く,ひ たす ら己に
課 した絵画制作 という枠組みに自らを開 じ
込めて,不 器用 にぎこちな く 「
固まって」
あ り,錯 乱 し,倒 錯 した振るまいだった こ
とが判明する。
しまう。
画家の姿勢に ことさら強ばった固着感が
自嘲する藝術家
これが幾分かの 自嘲を込めた戯画 (カリカ
チュア)で あった ことは,意 図的な早描きか
感 じられるのは,画 面右手遠方の自衣 と左
手手前の自衣 とが, 寸法を対比させつつ画
面全体を包んで いる,と い う画面構造 と無
縁ではな い。想像 を退 しくすれば, こんな
らも裏付けられるだろう。マテ ィスの燕尾
服 の腰 の部分に位置する左右ふたつの銀は,
情景も想定できよう。当初聖人廟の右手に
ひとりの女性が現れたので,マ ティスはそ
ことさら強調 されていて,そ れが構 図の う
えで,画 面左 の現地の女性のふたつの黒い
眼 と呼応 して,画 面のえもいえぬ滑稽さを
高めて いる。 とりわけコミック (マンガ)の
の姿を画面右端に描きこんだ。だが,画 家
が作業を続けているあいだに,い つ知 らず
彼女は画家の傍 らにまで近づいてきて,背
読解格子に親 しんだ観衆な ら,こ のふたつ
ぁぃだlo卜
24
後か ら不思議そ うにその営みをのぞき込む
ような仕草も見せぬまま,通 り過ぎようと
していた。とすればこの戯画には時間の経
過が累積 されているのか もしれない。絵巻
物で いうところの異時同図法というわけだ。
それが画面に動きと緊張感を与え,構 図の
うえで,画 家を周囲か ら囲撓 しつつ,画 家
に無言の圧迫を加える。 とい うのも,当 初
観察対象であったはずの女性が,ふ と気づ
くと画家を観察する主体 へ と変身 していた
か らだ。彼女に右代表される現地の人々の
衆人監視 の下で,も はや自由な身動きもま
るイスラーム圏にあって,絵 を描 くという
行為がいかに常軌を逸 した愚行であるかを,
モ ロッコ旅行者マティスは痛いほど自覚 し
た。だがそれは,彼 自身の体験 のみによる
ものという以上に,西 洋 の伝統を一身 に体
現 した この芸術家にあっては,自 分に先立
つ何世代 ものフランス画家たちの体験 に織
り込まれた教訓を,我 が身を通 して再演 し
たものだったろう。
務 としての絵画制作に没頭する素振 りを見
せつつも,そ れが虚勢を張った見栄への逃
それよ り80年 まえの1832年 にモ ロ ッコ
を訪れた ドラクロワは,屋 外でデ ッサンす
るなど命懸 けで,投 石の対象となるだけで
な く,時 には鉄砲玉に晒 される,と パ リの
避で しかないことを痛切に意 識するマティ
ス。芸術家 としてのプライ ドと優位 をあっ
友人あてにいささか誇張 まじりの報告を認
めていた。だが ドラクロワの作品か らは,
けな く覆 される屈辱の体験が,こ こには画
家の 自意識過剰― 自分の滑稽さへの 自覚―
投石の対象 となる西洋人の姿は注意深 く取
り除かれる。 こうした観察主体 の隠蔽が,
描写の うえでの作為を隠蔽 し,描 かれた情
景に 「
真実 らしさ」を付与する。 ドラクロ
まな らず,ひ たす ら自らが自らに課 した義
を対象化する作業 として結実 している。
さらに言えば,実 際にマティスが燕尾服
を着て屋外に出たかどうかは,は なはだ疑
わ しい。燕尾服 とは,西 洋人としての自負
の象徴であ り,か つ最高の正装が最悪の違
和感を与えるという落差をこのうえな く効
果的 に実現する道化衣装 として,画 家が こ
偽?)を ,こ とさらに強調 した。 さらに,
そ こに齋された虚偽の 「
真実 らしさ」 には,
の戯画のために意図的に選んだ舞台装置だ
ったはず。 これは現実のモ ロッコでの居心
万古不易にして永遠なる相が授けられ,か
くして植民地状況とい う時間軸の介入を阻
地 の悪さを,タ ンジールの情景に仮託 した,
画家の心象風景であ り,ま た現地で滑稽を
演 じるほかない自分の姿を,突 き放 して分
析 しつつ,戯 画へ と偽装する ことでや り過
止する。そのひとつの指標が貨幣経済の浸
透だろう。 ドラクロワは,「絵画芸術 に対
ごす,代 償行為の実演であった。
ごみを取 り除 くことができる」 と報告 して
いる。 ところがその50年後の1883年にアル
ジェ入 りしたル ノワールは,英 国人が金で
特権的観察者の 自己懲罰
いささか大袈裟な物言 いをしてみよう。
ミシェル ・フーコーが 『
言葉 と物』(1967)
の冒頭で,ベ ラスケスの 《ラス ・メニーニ
ャス》を詳細に分析 し,そ こに近代 と言わ
れる時代の視線の権力構造を読み込んだな
ら,そ の表象 の文化 の崩壊を告知する見取
り図が,は か らずもこのマテ ィスのモ ロッ
コでの走 り描 きには盛 られていた,と 。現
実を再現する絵画を軽視 し,と りわけ生物
や人間の表象に対 しては偶像禁令 に照 らし
て潔癖なまでの拒絶反応を示す ことさえあ
ワも 《アルジェの女》o834)を制作 した際
には,こ れが船長の計 らいで特別に実見で
きた情 景だった という 「
事実」(あるいは虚
する偏見は大きいけれど,そ こか しこです
こしばか り金銭を与えれば,か れ らのしり
モデルを釣るものだか ら,自 分にはとても
手が出な い,と 零す ことになる。 ここには
半世紀のあいだにいかにオリエ ン ト表象が
商品化されたかの,貴 重な証言がある。だ
が こうした貨幣流通 に伴 う経済変貌は,悠
久の東方世界を描 くべ き画面か らは検 閲 ・
削除されるのを常とした。
ここには 3つ の検間がなされて いる。視
の
線 支配者たる西洋人画家の除去,「絵」
を作るための芸術的作為 の隠蔽,そ して現
地 の歴史的変遷の消去 ― これ は リンダ 。
あいだ107-25
ノック リンが 「
想像 の東方」と題する論文
(『
絵画の政治学』所収,坂上桂子訳,彩樹社,1996)
の連作が解明の鍵となる。
に提出 していた, 絵 画のオ リエンタ リズム
を支える 3 箇 条の文法だった。すでに明 ら
かなとお り (そしてロジャー・ベンジャミンの指摘
植民地主義のオダリスク
オダリスクといえば,元 来は トルコの後
宮に棲息する奴隷女を指すが,西 欧ではア
ングルの 《グランド・オダリスク》など代
表として多くの画家が,異 国情緒の豪奢な
意匠に飾 り立てられて裸体を晒す美女を描
くための日実に用いてきた。ヴィクトル ・
ユゴーの 『
にもあるよう
東方詩集』(182の
に続いて,本展覧会カタログで天野知香も周到に指摘
するとおり),モ ロッコを舞台 としたマテ ィ
スの 自己戯画は,こ れ ら3箇 条 の秘匿すべ
きコー ドを,自 覚的 に暴露 した。それ も,
きわめて規則的に規則破 りを犯 している点
で, ここには単に 「
規則 を逸脱」(天
野)し
た とい うには止まらない,画 家の確信犯的
犯行/反 抗を認定できるだろう。ちなみに
タンジール滞在中のマティスはゾラー とい
う名の少女をモデルに雇 って 肖像を描 いて
いるが ,「発覚すれば彼女は兄弟 の手でな
ぶ り殺 しだ」 との自党はあり,翌 年再度訪
ねてみると彼女は娼婦になっていた,と い
う。そ うした物語 も,自 嘲の戯画の裏 には
隠 されて いた。イス ラー ム圏で絵 を描 く
「
罪悪」を自覚 したマテ ィス。その彼は帰
国後,こ の経験 をいかに 「
加工」鯖神分析
の意味で)し てゆくのだろうか。オダ リスク
アンリ ・マティス 赤いキュロットのオグリスク 1921
あぃた1"26
に,そ れは地中海で海賊に捕らえられてア
ラブ圏に売り飛ばされた自人女性といった
夢想をも誘って,西 欧世界の性的な代償幻
想をかき立てた。マティスにとっての東方
というテーマにあっても,オ ダリスクの変
奏は重要な意味をもつ。観衆のクスクス笑
いが発生した壁面から直角に折れたところ
に,問 題作が 2点 無造作に並べ られていた。
1921)と
《
赤いキュロットのオダリスク》〈
《模様 のある背景の装飾的人体》(1925-61
である。
《赤 いキュロッ ト》は,マ ルセイユで
1922年に開催された植民地博覧会を前にし
て,当 時の国立美術館館長であった レオ ン
ス ・ベネディッ トの肝入 りで国家 に購入さ
れた,と い う来歴をもつ。ベネディッ トは
フランス東方趣味絵画協会の会長も務めて
お り,マ ティスの寄与は,国 家事業たる植
民地経営への美術的な支援 として,公 権力
のお墨付きを得た ことになる。 これまたカ
タ ログの田中正之の解説にもあるとお り,
ケネス ・シルヴ ァーが 『
身体の精神』o9∞)
と題する,博 士論文を下敷きに した著作で
最初 に指摘 した ことだ。大胆にして怠惰な
姿を晒す女性モデル。甘美な主題 と,緊 張
感を欠いた構図,そ していか にもぞんざい
で怠情にす ら見える投げや りな筆遣い。そ
こに,モ ロッコ遠征でのきまりの悪 さを,
フランスの保養地ニースという安全地帯で
再演するという退行現象,あ るいは第一次
世界大戦後 のブルジ ョワ的平穏への退却を
重ね読みすることも,無 理ではない。アン
グルか ら ドラクロワ,さ らには近年まで存
命だったルノワール らの織 り成すオダ リス
クの系譜を踏襲する ことは,過 去の伝統 ヘ
の安易な追従であり,異 国趣味オ リエ ンタ
リズムヘの無批判な迎合,さ らには享楽的
な主題 と紛い物の装飾意匠に頼った,造 形
的追求 の放棄ではないか。そんな批判にも
マティスは晒されていた。 甘美な主題 と緊
密さを欠 いた構図,ぞ ん ざいともみえる筆
遺 い。それ らはいずれ も,タ ンジールでの
自己戯画 に見 られた自己懲罰か らの居直 り
とも見紛 う。
紋様のなかの構築的なオダ リスク
そ うした20年代前半のオダ リスクを経過
したマテ ィスは,20年
代半ばに至って,ふ た
たび構築的な人体造形
を目指すようになる。
そのひとつの頂点をな
し,と 同時に幾多の間
題を含むのが,お 隣に
並んだ 《模様 のある背
景の装飾的人体》だっ
た。 これ も天野知香が
適切 に解説するとお り,
当時の用法か ら見れば
「
模様 のある」(Orne―
mental)と
は,個 別の付
加的飾 り付けを意味す
る言葉であり,「装飾的」
ldCoratlf)と
は全体の布
置における統一性 への
配慮を意味 した言葉 と
いえよう。 日本語では
容易に区別のつかな い
ふたつの用語をあえて
同居 させたところにも,
マテ ィスの意図を探る
べ きだろう。色彩 と線
による自律的な造形の
アンリ・マティス 模様のある背景の装飾的人体 1925-6
営みにとっては,と も
あいだ10727
すれば付加的な要素 に過ぎないとして貶め
られがちな模様や装飾。 しか しそれ らがあ
えて結び付けられれば,ど れだけの造形的
課題 を芸術家に突き付けるか。おそ らくは
誰よ りもよくその困難を弁えて いればこそ,
マテ ィスはその困難 に立ち向か って見せた。
作品発表当時か らフランスの批評家たち
には,人 体表現 の不備をあげつ らう傾向が
見 られる。一方,新 大陸の批評家たちは,
総 じてそ こに造形性 と装飾性との熾烈な葛
藤を見 いだ している。1931年にニュー ヨー
ク近代美術館で回顧展を組織 したアルフレ
ッ ド ・バーは,そ れまでオダリスクに付き
まとった 「
小綺麗な 自然主義」への反動 と
して本作を高 く評価 した。 この展覧会を見
た コロンビア大学 のマイヤー ・シャピロは,
そ こに建築的 。造形的な人体 と,そ れをも
圧倒 しかねない模様か らなる非造形的パタ
ー ンとの相克 と相互侵食を見て取 り,造 形
性 と装飾性が ともに共存不可能な衝突のも
とで犠性を強いられて いる様を記述 した。
こうした観察 を受けて,や がてクレメン
ト ・グリー ンバ ー グは,マ ティスの彫刻家
としての立体 への関心が,絵 画の平面性 と
衝突 した現場 として この作品を認識 した。
人体の量感は奥行きを要求するのに,背 景
の平面的な紋様 に阻まれて,画 面か ら突き
出て しまう。 ところが一見 目障 りな絵筆の
安逸か,そ れとも 緊張感か
晩年 になってオダ リスクの連作 に触れた
マティスは,そ こに見 られる 「くつろいだ
けだるさ,事 物や人々を覆 うけだるさの雰
囲気の下には,さ まざまな要素のあいだの
相互作用やお互いの関わ り方か ら生まれる
特殊な絵画的緊張があるのです」 と語って
いる。だが 「
絵画的緊張」 に関心を集中す
ることで,そ の陰 に見過 ごされてきた問題
があった。それが 「
植民地主義的オ リエン
タリズム」の問題にはかならな い。 《
模様
のある背景 の装飾的人体》 の横 にさりげな
く置かれた 《
赤 いキュロッ トのオダリスク》
は,そ のことを無言の うちに語って いた。
マテ
マ リリン ・リンカー ン ・ボー ドは 「
ィスのオダ リスクにおける神話とイデオ ロ
ギーの構築」と題する有名な論文 (1989で,
この問題 に踏み込 んでいる。オダ リスクと
いうテーマの陰 には,女 性裸体を藝術表現
の日実に用 い,西 欧男性の眼差 しの下に制
御 し,支 配 しよ うとする欲望が隠 されてい
た。それが西欧列強による植民地支配 の構
図と重な りあうことを見るのは容易い。 と
はいえボー ド論文は俗流フロイ ト主義に沿
って,ひ たす らマティスの画業を男性によ
る女性支配 という雛型に還元 し尽 くそ うと
する。そのためかえって見過 ごされている
物質性 も豊かな痕跡が,画 面の表面性を意
識させるため,突 き出ようとする人体を強
引に画布 の表面か ら逃がすまいとする。画
事柄だが,か かる支配志向は,女 体に装飾
的な調度や装身具 を寄 り添わせる ことで,
「くつろぎ」を得ようとする,画 家の制作
け
意図とも矛盾はしまい。作品が醸 し出す 「
布 という物質的な表面 と,錯 覚 としての奥
行きの拒絶 と。 この両者のあいだに無理や
だるい雰囲気」は,男 性藝術家のエロチ ッ
クな志向のみな らず,そ れに同調す る批評
り挟み込まれた線 と色彩 とは,シ ャピロも
言 うように,人 体 の量感 と紋様の装飾性 と
のせめぎ合 いゆえに,お 互いにはみ出 し,
家や,(一 部の)女 性を含めた観衆の共有 し
た,植 民地帝国最盛期の怠惰な価値観をも
露呈させるか らだ。 《赤 いキュロッ トのオ
ダリスク》 は,そ うしたイデオ ロギー的批
干渉を起 こして歪み,傷 つけあう。画面の
中央 を占める構築的な脱性化された人体は,
加筆訂正の傷痕 を負いなが らも,と りわけ
その頭部に輪郭のよ うな影を投げる塗 り跡
を媒介 として背景に結合され,絨 毯の斜線
の暗示する不安定な空間のうえに,辛 うじ
て引っ掛かって いる風情である。
あいだ10728
判を容易に被る作品だった。
だが考えてもみれば,こ うしたオダ リス
ク (女
奴隷)趣 味批判を躾すために,男 性藝
術家やそ の取 り巻き的批評家たちが長 らく
利用 してきたのが,《模様 のある背景の装
飾的人体》 に典型的な 「
絵画的緊張」だっ
たのではなかったか。よ リー般的にいえば,
(彫塑という立体的な次元を二次元に押 し
込めよ うとする)造 形的探求の真摯さこそ
が,藝 術家を植民地主義的価値観か ら救済
ルメの証言だ。 またセザ ンヌは筆を画布に
置く度に成就 されてゆく 「
実現」にふョlon)
を語ったが,そ れは行き着 くべ き完成状態
し,女 性蔑視の嫌疑か ら免罪するための弁
解 に用立て られてきたのだか ら。結局のと
をあらか じめ設定する可能性を自らに拒絶
する選択でもあった。マテ ィス もその延長
上に作品制作を開始する。1908年の 「
画家
ころ,《赤 いキュ ロッ トのオダ リスク》 に
代表されるオダリスク表 象一般を,男 性藝
術家 による女体所有の欲望の証拠 として断
罪することは,《模様 のある背景の装飾的
人体》をその造形的達成ゆえに植民地主義
のノー ト」段階のマティスは,自 分が見据
える外界を画面 に写像するにあたって,両
v alence)の
者の 「
等価性」(6q面
大切さを語る。
といって も,外 界と対応する情景を画面に
的か ら救済 しようとする試みと,表 裏一体
で しかない。
再現する ことは,も はや問題外である。外
界と画布 とのあいだにはいかなる関係もな
い,と きっば り断った うえで,マ ティスは
無計画な制作と裁判記録としての作品
「
私の行 く道は前もってまった く分か ら
な い。私は導かれるのであって 自ら方向を
外界 のモデルにあるさまざまな色彩のあい
だの関連性 と,画 面のなかのさまざまな色
彩のあいだの関連性 とに注 目し,そ の両者
のあいだの 「
等価性」に留意す るように,
定めるのではな い」。自らの制作方法につ
いて,後 年のマティスはそう語っている。
当た り前ではないか,と いう感想をとか く
日本の読者は持ちがちだが,こ こには西欧
における藝術観を転倒させる含みがある。
というのも19世紀末まで支配的だったアカ
デミーの理念に従えば,藝 術作品 とはあく
までも頭脳が得た着想を,そ の計画に沿っ
て物質的に実現する ことによって完成され
るべ きものであるか らだ。画家の目が見据
えている外界を画布 のうえに転写する方法
が ,ア カデ ミーの教程 のように一定の調理
法よろしく固定されている限 り,制 作途上
で暗中模索 に陥るのは,構 想の成就に失敗
したに等 しい事態だった。そ うした作業上
での構想練 り直 しといった無作法をあ らか
じめ回避するために,全 体下絵 の制作か ら,
場合によっては完成作よ りも綿密な部分下
絵 の作成,さ らには下絵の縮尺計測 と本画
への転写,と いった面倒な手続 きが踏まれ
て,サ ロン出品の 「
由
大機械」匈βtt mι
")
も成就 したわ けだ。
それと比べれば,マ ネか らセザ ンヌにい
たる画家たちの作品制作は,い わば設計図
な しにぶっつけで建築を棟上げする無謀さ
を自らに課 してきた。マネは絵を描 くたび
に,ま るで一度 も絵など描 いた ことがな い,
という態度で画布に立ち向ったとは,マ ラ
と弟子に説 いていた。
後年には,先 の引用に続いて,制 作を導
くのは,画 家 自らではな く,「内的な躍動」
に心身を委ねるのだ,と 語って いる。内的
というのが,画 家の精神の内奥なのか,そ
れとも画面の内的な運動感覚を指すのかは
微妙だが,マ ティスが制作を,変 貌の過程
として捉えていることは明白だろう。画面
を成立させる点や線そ して色彩,さ らには
物質的な筆跡などといった要素が競合し,
作用 しあい,刻 々と生まれてゆく軋鞣や葛
藤そ して乖離。そ うした 「
内的な躍動Jを
まえに,画 家は筆を加え,色 彩を置 くこと
によって さらなる撹乱要因を画面に持ち込
みなが ら,そ れによって軋鞣や葛藤を調停
し,乖 離 をくい止めようとする。物事を解
決 しようとしてかえって面倒な事態をしょ
い込む,と い う悪循環 にも似た事態 も含め,
この倒錯 した過程 (processtls)は
,訴 訟沙汰
の係争 (prOces)の
真っ只中に身を置 く経験
と酷似 している。
か くして画面は一片の裁判記録の集積よ
ろしき様相を呈することになる。 これは美
術館で完成作 としての 「
傑作」をあ りがた
く鑑賞する,と いった鑑画態度を,根 底か
ら問い直す契機 となるだろう。 というのも,
いわゆる完成作が,裁 判判決の論告に相当
あいだ10729
するな らば,マ ティスの作品では,結 審 に
至るまでの関係者の錯綜 したや り取 りの総
録 として留める役割を果たす。それだけで
はな く,抹 消された線描の痕跡は,人 物 の
体が,画 面に重ねて塗 り込め らていて,観
衆は好むと好 まざるとにかかわ らず,そ れ
らを一挙に透視することを強いられるか ら
周囲に漂 う気韻生動のアウラのような量 と
化 し,形 態を背後か ら浮き立たせるという
卓抜な副次的効果を収めうる。 ロー レンス ・
ゴウイングの呼ぶ 「
透明な繭 [コクーン]Jが ,
だ。そ こにあるのは奇麗事の結果だけでは
な い。進行過程で犠牲にされた要素や排除
された選択肢が,そ の前歴をちらつかせて
いる。それが マティスの作品に頻出する一
種の 「
雑音」だ。引き直 して掻き消 した線
が痕跡 として画面 に残 り,塗 りつぶ した色
これに相当するだろう。 さらには人物 の形
態 の内部に残存する一見邪魔な輪郭 の痕跡
は,人 体 の可動域 を暗示 し,あ るいは外か
らはみえない解剖学的な骨組みをそれ とな
彩が上塗 りの下か ら透けて見える。わざと
ぞんざいに引かれた冗談のような描線や塗
りむ らに苛立つ観衆 もあれば,輪 郭線とは
く透視することで,モ デルの存在感をいや
ましに訴えるのみな らず,と りわけ木炭デ
ッサ ンの場合 には,結 果としてモデ リング
の陰影 の代用 とな り,モ デルの顔 に表情の
なぜか一致 しな い色斑の配置に,見 てはい
けな い不手際を感 じて,沈 黙のうちにや り
彩をあたえ,そ の身体の量塊把握を助けて
くれる例 も認め らえる。通常の画家な ら,
過 ごした批評家 もある。完成状態か ら遡れ
ば失敗で しかなかったはずの選択を,な ぜ
そ うして偶然に得 られた結果に満足 して,
それを一種 の名人藝,お 得意 の表現手法 と
目障 りな爽雑物 として,画 面に残すのか。
とりわけ小学校 の教員にとっ てみれば,
マティスの作品など,無 計画に物事を始め
するところだろう。
るところか らして困 り者。加えて,き ちん
と仕上げる癖を身につけ損なっただけでは
な く,消 しゴムを使わせて も,失 敗をきれ
いに消す どころか,か えってせ っか く出来
上がったもの を汚 く汚 して しまう,だ らし
な い悪童の見本のようなもので,こ れでは
とても優等生向きのお手本としては,お 勧
めできない代物だろう。
た しかに,許 容範囲の限界を弁えて,そ
の臨界以内では,わ ざと手抜き工事をし,
初歩的な失敗を演 じてお目こぼ しにあずか
るのも,天 才 と認知された人格な らではの
特権であ り,ま たそ うしたお茶 目は,か え
って 「
天才」に付け足 しの卓越性 の刻印を
付与 し,名 人な らではの個性の遊戯 として
歓迎す らされる。マテ ィスの 「
だらしなさ」
にも, こうした 「
気 まぐれの特権」を幾分
かは認めることもできよう。だが,全 てを
そ こに解消するのは到底無理だろう。
もちろん,人 物 の輪郭を決定するうえで,
うっす らと透けてみえる修正の跡は,画 家
の葛藤 の軌跡を画面に封 じ込め,制 作 に費
や された時間の厚みを,画 面に重層的に記
あいだ10730
して 自家薬籠 に入れ,何 度 となく反復活用
裁判の勝ち負け
だが,こ の選択 を自らに禁ずるのだか ら,
マティスは食えな い。制作過程を撮影 した
写真を順を追って観察 してゆくと判明する
のは,あ や うい均衡のうえに初めて成立 し
た秩序に背を向け,ひ とたび成立 した作品
の完結性 に容赦な く 「
不可」を突き付ける,
秩序破壊者 じみたマティスの強情 さ,そ し
て自作にたいする容赦ない冷酷さだ。 一応
は完成作 とされる作品の表情を見て も,形
態 の縁か ら垣間見える下塗 りの色彩や,掻
き落とし損ねた消去不能な描線は,と きに
その絵画的効果を説明できるが,と きに説
明を拒絶するよ うな状態で放置されて いる。
そ こには,ロ ザ リン ド ・クラウスも 『
視覚
的無意識』o994:題名はフレデリック・ジェイム
ソンの 『
政治的無意識』のもじり)で 述べ るよ う
に,(1)絵 画としての完結性 に疑問符を突
き付ける異質な要素の間入,(2)有 機的に
自律 した ものであるべき,と される絵画存
在にた いする棄損行為,さ らには,(3)画
布に傷 を負わせ る暴力沙汰によって,行 為
者たる画家の身体性 を刻印する契機,と で
も解釈するほかな い否定性が見え隠れする。
とはいえ作品制作 とは,モ デル との生き身
の愛 の営みを昇華 して,そ れを永遠 の相 に
作品として献納する代償行為である。 (そ
して古典的にはこの代償行為が,芸 術家の
マティスはこの裁判に勝ったのか,そ れ と
も負けたのか。柄にもな く陪審員をラiき受
けさせ られた観衆は,い かに表決すべ きな
のか。タンジールで 自らの営みを自嘲 して
みせたマティス。その彼は,没 後半世紀 を
さもな くば犯罪的な性行動を合理化 し,罪
状 を転嫁するための理屈となった)。 とす
れば,嗜 虐趣味の自傷行為 ともみえる作品
[1藷 醤臭え写 lI思 選:ξ ボl写 ),1
を見る,と はその制作の揺 らぎの思わぬ振
棄損 も,過 剰なる愛情表現 としての加虐趣
味の,ひ とつの変異体 と理解 し得るだろう。
幅に翻弄され,動 揺 し続けるばか りの鑑 賞
者たる自分の軌跡を,生 涯を通 じて何度 と
取 り敢えずの決着をつけよ う。マティス
の作品を裁判記録だとして,で ははた して
な く見つめ直す経験なのだろうか*3。
[注]
キ1 マティス展 Hen五Matisse:Proce$/Vaiation
国立西洋美術館 2004年9月 10日-12月 12日
*2
このデッサンをわざわざ将来した点ひとつとっ
ても,開 催者の見識と展覧会にかけた情熱が推し量れ
る。私事にわたるが,こ の作品は,拙 著 『
絵画の東方』
(1999)の扉絵に利用しようと企てながら,版 権の問題
で諸めた経験がある。以下,Fマ ティス展』カタログ
の天野知香,「l中正之氏ほかによる貴重な論稿を参照
させて戴いた。賛同するところ,意 見を異にするとこ
ろなど,よ り詳細に展開する心算だったが,果 たせな
かつた。一言お断りし謝意を表する。
*3
時期を同じくして,東 京 ・京橋のプリデス トン
美術館ではザオ ・ウーキー展が開催されている (2004
年10月16日2005年 1月16日)。 マティスの最晩年に
パリで活躍を始めた北京生まれの画家,趙 無窮の,画
期的な回顧展といってよい。会場は,天 丼の低さとい
う制約を逆手に取って,お そるべき緊張感ある空間を
実現しており,そ の古典的な安定感は,奇 しくも1992
年のニューヨーク近代美術館 (MoMA)に おけるマ
ティス展,1999年のジャクソン ・ポロック展を窃彿と
させた。出品作には 《アンリ ,マティスに棒ぐ (02_
02.86)》 も含まれているが,こ れは表題を見ずとも,
マティスの問題作 《コリウールのフランス窓》(1914:
国立西洋美術館で展示中)を 意識した作品と知れる。
本文で言及の暇なく,こ こに注記する。ザオ ・ウーキ
ーなど腕達者な才人に過ぎない,と の (フランスの一
部にある)日 さがない世評は妥当するか否か。その試
金石は,マ ティスとの見比べから得られよう。上野の
帰り,平 日午後8時 まで開館の利点を突いて,是 非,
観衆もまばらな夕刻に京橋へ,と お勧めせずにはいら
れない。
逆に国立西洋美術館では,立 地上の制約とはいえ,
会場がいかにも手狭な印象が惜 しい。高い天丼がその
持てる効果を発揮しておらず,か えって観衆に閉塞感
を与えている。また展示室の繁雑な仕切りが,自 然な
導線を遮っており,階 段の上下もいたずらに鬱陶しく.
車椅子での観客への配慮はなされているものの,煩 瑣
な印象が拭えない。唯一の救いは,最 後の切り紙の展
示室の壁の透き問から,第 5室の 《
金魚鉢のある室内》,
《
窓辺のヴァイオリニス ト》それに 《コリウールのフ
ランス窓》を垣間見ることのできる設定が工夫されて
いた点だろう。
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