富士山の詩 う

入賞作品集
うた
富士山の詩
鳴沢村文化協会
『富士山の詩』の発刊によせて 鳴沢村文化協会長 渡邊 政司
鳴沢村の﹁富士山の詩﹂の発刊にあたり皆様方のご協力に感謝申し上げます。
文化協会では、平成6年度から﹁富士山の雄大さをいつも心に感じていてもらいたい。いつまで
も鳴沢の富士山を忘れないでほしい。﹂こんな願いを込めて﹁富士山の詩﹂を毎年募集しておりまし
たが、沢山の﹁富士山の詩﹂が集まり、発刊することになりました。この度、鳴沢村の﹁富士山の詩﹂の
発刊に合わせるかのように富士山が国の史跡に指定されることになりましたことは、どちらも文
化を蓄積してきた成果であり、感慨深い思いがあります。
富士山は、古くから多くの人に親しまれ、万葉集に﹁日本の鎮めの神﹂とも詠われ、古くから信仰
の対象とされてきました。またその姿は、朝に夕に、四季などによって変化し、さまざまな趣を見せ
てくれる、親しみ深い存在です。また富士山は、山頂から麓までの高低差により、様々な動植物を有
する恵みの山と同時に、他と群れない孤高の自主独立峰でもあります。ここに載せた﹁富士山の詩﹂
は、自主独立した富士山と自分の姿を比べてみた詩が多かったようにも感じます。
子供たちの純粋な心で詠んだ詩は、私たちの胸を打つと同時に、様々なものの捉え方・考え方・自
然を大切に思う気持ちを新たに呼び起こしてくれます。いつも身近にあり、何気なく見ている富士
山ですが、この詩のように素直な気持ちで畏敬の念を込めて崇めたいものです。
人の創り出す〝文化〟は、多くの人の記憶となり次世代へと受け継がれて蓄積され、形づくられる
ものです。この﹁富士山の詩﹂をきっかけにして鳴沢村の文化財︵神座風穴・白大竜王碑・弓射塚・樹
型等︶にも興味を持って頂ければ、郷土への愛着が更に増すのではないでしょうか。
これからも﹁富士山の詩﹂を通して、鳴沢村の富士山の自然や歴史文化の尊さ・環境保全への意識
がより一層高められ、富士山の世界文化遺産登録に向けて弾みがつくことに大いに期待します。
富士山の白いいき
﹁ハァー ・・・・・・﹂
わたがしみたいな 白いいき。
﹁ハァー ・
・・・・・﹂
むねがいたくなるほど
大きな口を開けて はいてみる。
﹁ハァー・・・・・・﹂
いきの向こうに富士山が見える。
富士山も 寒そうだ。
まっ白になっている。
空に浮かんだ あのでっかいくもが
富士山の 白いいきなのかな?
寒い朝の鳴沢村。
ほっぺを赤くした元気なまどかさんの深呼吸の姿が見える。
効果的な終わり方がよい。
〝いきの向こうに富士山が見える〟
〝あのでっかいくもが富士山の白いいきなのか〟
鳴沢小 三年 渡辺 まどか
鳴沢小 五年 渡辺 一光
日常性の中で、毎日、富士山と対面しているから、だからこそ、堂々としている富士山が好きだといえるのですね。
﹁おはよう﹂
気持ちよさそうに顔を出している
﹁今日もがんばれよ﹂
と、励ましてくれる
いつも ぼくを見守ってくれているようだ
目の前で
デーンとかまえている富士山
堂々としている富士山が好きだ
富士山
寸評
寸評
一席
二席
富士山
富士山よこ目に ごてん場へ、
富士山せなかに いなとりへ、
ふりかえると もういない。
下田から戸田へぬける。
見えた見えた 富士山が。
もうすぐ もうすぐ うち。
夜、
うちについた。
もうみえない。
次の朝、
窓をあけると、
そう、
これが、
わたしの富士山だ。
これが、
いつもの富士山だ。
鳴沢小 四年 渡辺 かりん
鳴沢小 五年 渡辺 武
鳴沢村から見た富士山こそ いつもの富士山 わたしの富士山。山梨県人の富士への思いがじんわりつたわる。
まどにはまる富士山一日の変容を素朴にあらわしていて良い。
但し、
コンパクトにまとめられ山の大きさが見えなくなる。惜しい
まどの中に 富士山がある
朝は 雲が円をえがいている
昼になると 雲が風にとばされた
夕方になると 夕日で赤にそまった
夜は まっくらで なにも見えない
星がきれいにかがやいていた
富士山
寸評
寸評
三席
佳作
富士山だけ
涙でいっぱいの目に
富士山が映った
ただ富士山は
わたしを見つめた
にらめっこするように
富士山をにらんだら
富士山は
笑ってくれた
涙いっぱいで見つめた富士山。 にらめっこしたら笑ってくれた。
大きな存在って、
こうなのですね。
いつも富士山に はげまされるという鳴沢の子どもはしあわせ
この日の富士山は 仲直り富士ですね。
友達とけんかした日の帰り道
ふじ山を見た
ふじ山に雲がかかって
にこにこ笑っているように見える
まるで 私に
﹁元気をだせよ。﹂
と 笑いかけているようだ
私もつられて笑った
ふじ山は毎日毎日ちがう顔をして
私をはげましてくれる
よし 明日は友達と仲直りするぞ。
ふじ山の笑顔
寸評
寸評
一席
二席
鳴沢小 六年 渡辺 明日香
鳴沢小 五年 望月 希実子
富士山
富士山が見える日。
私の心ははずむ。
こぶしの光の向こうに、桜の花の向こうに、
かすんでいる春の富士山。
やせて背が高くなった夏の富士山。
ちょんぼりと白いぼうしをかぶり、
まもなく長い冬がやってくるよと
告げている秋の富士山。
ずっしりと雪におおわれ、
こうごうしい雪の富士山。
あこがれの富士山の四季おりおりが 無駄のない描写で表現されていますね。
冬のふじさんのうつくしいすがたが よくあらわされていますね。
とてもすなおな作者の心が あらわれています。
ふじさんは、
おしゃれをしているね
かわいいぼうしかぶっている
青いふくもきている
はれているときは
ピカピカのふくで
まぶしいよ
あしたはどんなふくをきるの?
ふじ山
寸評
寸評
三席
佳作
鳴沢小 六年 小林 真由良
四季おりおりの
どの富士山を見ても
私の心ははずむ。
富士山は私のあこがれ
富士山は私の希望。
鳴沢小 一
わたなべ まこ
年 佳作
これからも
ずっと
いつもいっしょ。
ねえ、
富士山。
雄大な富士といつもいっしょ あなた達が未来の鳴沢を背負うのです。
富士山は
いつもいっしょ。
生まれた時から
いつもいっしょ。
七五三も、
入学式も、
いつもいっしょ。
母さんみたいに
いつもいっしょ。
家族のように
いつもいっしょ。
いつもいっしょ
寸評
鳴沢小 五年 渡辺 かりん
富士山
ふじ山には、
いろんな顔がある。
雪をいっぱいかぶっているときの顔、
夜、山小屋のあかりをつけているときの顔
雪のぼうしをかぶっているときの顔、
ときどき顔をみせないときもある。
雲のむこうで、
どんな顔をしているのかな。
おこって頭から火をふかないで、
おねがい。
いつもぼくたちを見守っていてね。
鳴沢小 三年 渡辺 玄人
ふじ山は、
いつも見ていてくれる。 鳴沢小 三年 梶原 功一
かなり客観的に富士山の顔を見ていますね。
噴火の恐れも抱きながら、静かな富士山にねがいをこめる思いが後の四行ににじんでいます。
功一君が ふじ山をしっかり見て生活しているのですね。 だから、
ふじ山も見ていてくれるのです。
ぼくが、
まい日、
べん強を、
しているのも、
先生に、
おこられているのも、
まい日、
やきゅうのれんしゅうを
しているのも、
ふじ山は、見ている。
ぼくが、
友だちと、
けんかをしているのも、
見ている。
そんなとき、
ふじ山は、
おしえてくれた。
﹁あやまりなさい﹂
と、
おしえてくれた。
ふじ山は、見ている
寸評
寸評
一席
二席
三席
佳作
富士山
富士山、
かさ雲
白いもはもはの
きれいなぼうし
富士山
とってもおしゃれ
ことばすくなだけれど すなおでよい。
ボーッとしている時に
正面に 富士山が見えた
美しい。
輝いている。
それは季節によってちがうけれど
それは寒さや暑さによってちがうけれど
そんな富士山のそばにいる私は幸せだ
富士山
寸評
鳴沢小 二年 渡辺 裕加里
鳴沢小 六年 渡辺 愛子
ふじ山の日の出
暗い夜道を登る。
山小屋の明かりをめざして、
みんなについていく。
いき会う人たちとあいさつをかわす
山に登る人たちが、
みんな友だちのようだ。
ふじ山に登ってみると、岩と赤土だらけ。
いつになったらちょう上につくのかな。
ねむりたいよう。
やすみたいよう。
あたりが明るくなった。
みんなが日の出る方を見ている。
ぼくも見る。
鳴沢小 三年 三浦 隆嗣
いきをこらえて日の出をまつ。
オレンジ色の光がさしこんだ。
わくわくする。
出た出た。
お日さまが。
鳴沢小 四年 三浦 真輔
日本中の誰もが いや 世界中の人々が ふじ山の日の出には あこがれているでしょう。うらやましい!
日の出を見る君の姿がうかんできます。
とても正直に ふじ山と対話している真輔くん。
さいごの
﹁だからぼくはわるいことをしたくない。﹂│││ がとてもよい。
富士山は、
いつもみんなを見ている。
ぼくは、
そんな富士山を見ていない。
ぼくは、
ちょっとなさけない。
でもぼくがやったことは、
ぜんぶみている。
だからぼくは、
わるいことをしたくない。
富士山
寸評
寸評
一席
二席
富士山
ふじ山
白いゆきのぼうし
にあうよ。
ふじ山は、
せがたかくて大きいね。
ぼくも、
もうちょっと
せがたかくなりたいな。
鳴沢小 一
わたなべ ゆうた
年 鳴沢小 六年 渡辺 まどか
もっと大きくなりたいゆうたくんの のぞみをかなえてくれそうな ふじ山をちかくで見られるのはしあわせね
ただ見上げる富士山でなく、行動して立ちむかう対象としての
富士山が
﹁富士登山﹂というかたちで うたわれたのが良いですね。 ただひたすら
何も考えずに登った。
見上げれば青い空
さわやかなこの風
行きかう人々
みんな私を応援してくれている。
﹁やったあー﹂。気がついたら頂上。
ただひたすら
さか立ちをして富士山を持ち上げてみた。
何も考えずに登った。
目の前に 大きな頂上が見える。
歩いても歩いてもつかない。
そこに頂上が見えているのに。
富士登山
寸評
寸評
三席
佳作
﹁のんびりふじさん﹂
ふじさんは、
いいなぁ、
鳴沢小 三年 今井 大亮
はぁ、
ふじさんは、
いいなぁ。
けれども ふじさんを、
ゴミで、
よごすと、
そのうち、
ふじさんがおこって、
見ているだけで いいんだ。
のんびり 立っているだけで いいんだから。 のんびり ねているだけで いいんだ。
学校にも、会社にも、
ときどき 目をさまして、
人間が、
のぼるのを、
行かなくっていいんだ。
そして、上下や、
左右をながめながら、
毎日、休日を、
たのしむのか。
ぼくも、
ふじさんみたいに、
のんびりしたいなぁ。
ふんか しちゃうぞ。
だから ゴミをすてないで。
いつまでも、
ふじさんを、
のんびりさしておこうよね。
大亮君のおおらかな姿が見えるような大亮君の のんびりした無邪気な声が聞こえるような詩です。
﹁のんびりふじさん﹂
は四連の長い詩です。
でも冗漫にならずに、悠然とした富士山の姿と大亮君の思いやねがいをしっかりあらわしています。
鳴沢小 二年 わたなべ あすか
どっしりとしたふじ山が いつも見つめていてくれる鳴沢村のあすかさん。
だからあすかさんもふじ山を見つめるとき ふじ山の気ぶんがわかる。
しあわせなふじ山とあすかさんの結びつきが あたたかく つたわってきます。
いつものふじ山って
わらっているみたい。
雨がふっていると
ないているみたい。
よこに雲のつばさがあると
おこっているみたい。
ふじ山が
雲のぼうしをかぶっていると
おでかけにいくみたい。
夕やけのふじ山は、
てれているみたい。
わたしは、
いつものわらっているのがすき。
ふじ山 気ぶん
寸評
寸評
一席
二席
傷だらけの富士山
紅葉台へ、
のぼった。
目の前には、
富士山が広がっていた。
だれかに、
かじられたような、
傷がいっぱいあった。
それは、
道やゴルフ場だった。
富士山が、
﹁助けてくれ﹂
と、
いっているようだ。
富士山がかわいそうだ。
幸輝君の大好きな富士山をしっかり見つめたのですね。
大好きな山だから傷の痛みが自分の痛みのように わかったのでしょう。
﹁助けてくれ﹂といっている。
富士山の悲鳴が私にも聞こえそうです。
鳴沢小 五年 渡辺 幸輝
鳴沢小 四年 小林 しほり
あこがれの富士山をとてもナイーブにうたいあげています。
入選作にしたい とても ととのった作品ですが、他の入選作に比べると、主張の迫力に欠けますので、佳作になります。
この山は、私たちの宝物。
この山は、
みんなの宝物。
この山は、世界一の山では ないけれど、
私の中では 世界一の山。
どこに 行ってもない山。
どこを さがしてもない山。
ここだけの 場所にある。
美しさは 世界一の山。
どこへ行っても 自まんのできる 富士山。
世界一の宝物
寸評
寸評
三席
佳作
富士山
日本で
世界で
宇宙で
たったひとつの
大切な山
富士山。
日本人の心
寡黙ですが修正なし おっしゃる通り。
冬は寒いのか ……
ではなくて寒いだろうねと冬の寒さを共感してあげるのね。
だから、﹁だけど冬の君が一番美しいよ。﹂
とたたえてあげられるのでしょう。
富士よ 幸せかい?
幸せだろ。
春は さくらや わか葉にかこまれ
夏は 雪なんか 少しもない。
秋は いいだろう。
まっかな葉が きみをいっぱいにつつむ
冬は 寒いだろうね。
だけど 冬の君が 一
美しいよ。
番 富士よ
寸評
寸評
一席
二席
鳴沢小 六年 庭田 野乃子
鳴沢小 三年 渡辺 圭
富士山
富士山は、
動かない。
しゃべらないけれど、
富士山を見ていると
おだやかな気もちになる。
富士山は
やさしい心を
もっているんだ。
鳴沢小 六年 渡辺 茜
鳴沢小 四年 小松 麻由
きっとを抜いて、
一行あけて さいごを、もっているんだ。と断定的に読んでごらん。あなたの言いたいことが強くつたわるよ。
﹁かくれんぼ﹂という題でしたが
﹁かくれんぼ富士﹂
にしたらどうかしら。
天気のわるい日 かくれんぼをする。
大きな体なのに みつからない。
どこにかくれているの?
辺りを見まわしても どこにもいない。
はれてきたよ。
あ、見つけた富士山。
富士山。
かくれんぼ富士
寸評
寸評
三席
佳作
ふじ山
ふじ山は きゅうか山。
人びとは ふじ山を あいしている。
でも ふんかすれば 人びとは 死んでしまう
ある人は ふじ山をこわがり
ある人は ふじ山をあいする
まるで 平和な気もちと
おそれる気もちが
いっしょにいるようだ。
あなたは ふじ山をとても たしかな目で見ている。
あなたは ふじ山のことを ふかくかんがえている。
ふじ山の心の中を くんでいる。
鳴沢小 二年 わたなべ あや
鳴沢小 四年 シャイアン コジャー
鳴沢のふじ山とあやさんのおとうさんに会ってみたいなと思わせてくれる。
子どもらしい語りかけが力強い。
ふじ山は、
日本一の王さまだ
鳴さわのふじ山は
みたことがない人がみたら
びっくりするぞ
雪のふじ山は
とくにきれいだな
おとうさんみたいに大きいぞ
ふじ山
寸評
寸評
一席
二席
富士山
富士山には たくさんの友だちがいる。
富士山に 白くて きれいなぼうしを
プレゼントしてくれる 雪。
富士山と いっしょに みんなを
見守ってくれる 太陽。
富士山と 同じ色をして
富士山のすぐ上にいる 大きな空。
鳴沢小 六年 渡辺 裕加里
そして いつも 富士山を 見ている
日本のみんな。
いつも きれいな 景色を
ありがとう。
友だちはみんな
富士山が 大好き。
富士山を一つだけ孤立させないで富士山をつつむ自然の
とり出しと、友だちみんなを含めて、富士山への愛をうたっているのが新鮮。
鳴沢小 一
かしわ木 はるか
年 一年生のはるかさんにとって、富士山が、
日本で一ばん たかいということは大きな あたらしい ちしきだったのね。
ふじさんは、
さむい。
ふじさんは、
たかい。
ふじさんは、
おしゃれ。
ふじさんは、日本で一ばんたかいんだね。
ふじさん
寸評
寸評
三席
佳作
富士山の天気予報
富士山は天気予報がじょうず。
いつも みんなに
あしたの天気をおしえてくれる。
くもををつかって
おしえてくれる。
富士山がくものわっかを
つくったら、
﹁あしたは雨だよ。﹂
もしも 何も、
つくらなかったら
﹁あしたは、
はれだよ。﹂
いつも はれだといいのになぁ。
富士山を見上げている あなたの姿が見えるぐらい素直な よい詩ですね。
鳴沢小 五年 渡辺 陽介
鳴沢小 三年 渡辺 芳美
いっぱいあった
大きいつぶ
小さいつぶ
中くらいのつぶ
いっぱいあった
今年もとりに行くんだ
はまなしをとりに ふじ山に
鳴沢村のこどもとして、暮らしと結びついたふじ山を うたいあげています。
とても好感の持てる詩です。
わたしは のぼったことがある
てっぺんちかくまで のぼった
なんでのぼったかと 言うと
ふじ山にある
はまなしを とりにのぼった
ふじ山は、
こわい
ふじ山は 高い
だって ふじ山は 一合目から十合目まであるんだ
ふじ山
寸評
寸評
一席
二席
大事な物
ふだんは
あってもなくてもいい富士山だったのに
遠くに行ったら
富士山が いなくなったことに
すぐ気がついた
大事な物がなくなった気がした
鳴沢に着いたら
大きな富士山は
大きくそこにいた
大事な物が
見つかった。
近くにあって忘れがちな大きな存在
父や母と同じような、大事な富士山なのですね。
鳴沢小 五年 小林 淳佳
鳴沢小 六年 外川 絢佳
やっぱり 富士山は
みんなの宝物
なくてはならない
存在なんだ
六年生らしい おちついた とらえ方で宝物としての富士山に向き合っていますね。
でもなんでかな
どうしてかな
富士山が 見えなくなると
さみしいよね
富士山が
こいしくなるよね
いつも見ている 富士山
朝 おきると いつもある
あるのがあたりまえ
宝物
寸評
寸評
三席
佳作
時代
人間の文化が変わっていくように
富士山も ふん火し
形を変えていく
何百年も 時を経て
まだ、
そこに
大きく たたずんでいる
富士山
鳴沢小 六年 小林 司
今見上げる富士山の姿に
﹁時代﹂
を感じるなんて、ちょっと大人っぽい感じ方が魅力でしょう。
変わっていく﹁姿﹂と、変わらない
﹁存在感﹂という二つの相反する面をとらえていて、
短さの中にも奥の深さを感じさせてくれます。
鳴沢小 六年 柏木 麻里
大きなプリンの上は
星が かがやいていた
スプーンになって
大きなプリンを キレイにしたい
﹁今、外をみた﹂
で始まる一連と、﹁今、もう一度大きなプリンを見た﹂
で始まる二連が、
しっかり呼び合っているおもしろさ。
特に二連は
﹁真っくらで見えなかった﹂
のにプリン
︵富士山︶
を心の目で見て、
星の美しさで印象を強めているところに工夫があります。
今、
もう一度
大きなプリンを見た
真っくらで 見えなかったけど
今、
外を見た
大きなプリンのような
大きい山が 私の目の前にある
クリームに かこまれ
とても おいしそうだ
おいしそうな富士山
寸評
寸評
三席
佳作