2013.6.25 車愛順 インターネット公共圏のあり方を問う -中間

2013.6.25
車愛順
インターネット公共圏のあり方を問う
-中間組織とネット言説に対する実証分析を通して-
1. 問題関心と研究目的
本研究は母国である中国における民主主義の実現可能性に対する関心から始まった。
一党制社会主義国家としての統治を保つべく、未だ続く言論弾圧、表現の自由の剥奪やインターネット上での
様々な規制が続く中国においても、インターネット・メディアの利用は著しい。
ビジネスに係わる用途の他、そもそも政府や社会に対する不満や怒りの捌け口となっている。
そこで中国での民主主義の実現可能性をインターネット公共圏に見出せるのではと思い、インターネット公共圏
の存在のあり方について研究することにした。
情報ネットワーク社会の到来と共に、インターネット環境は目覚しく変わって来た。
従来のマス・メディアに代表された世論も、すでにインターネット・メディアの影響を無視できない時代になってき
ている。自然に多くの公共圏関連研究がインターネット空間に集中された。
尚、インターネットの潜在的能力を問う研究は多く存在するが、研究そのものの妥当性が問われ、また、インタ
ーネット空間ゆえの弊害が多いため、インターネット公共圏研究はもう一歩を踏み出せずにいるように思われる。
したがって、今日のインターネット公共圏のあり方を明らかにしたい。
本研究は、インターネット公共圏のあり方を問うものである。
目的は、今まで多く研究、議論され、多岐に渡る主張を持つインターネット公共圏の、情報ネットワーク社会での
あり方を明らかにすることにある。
具体的に、インターネット公共圏関連諸先行研究を整理、考察することによって、インターネット公共圏研究の現
状を把握し、その方向性を模索すると共に、他方、中間組織とネット言説に対する実証分析を通して、インターネッ
ト公共圏の今日のあり方を明らかにし、公共圏再建の可能性を問う。
尚、研究対象は東アジアの日韓中とする。
2.公共圏理論に関する諸研究
2-1 ハーバーマスの公共圏概念
『公共性の構造転換(1962)』と『コミュニケーション的行為の理論(1981)』
「公共圏」はハーバーマスの思想に一貫する中心的概念であり、本研究では「社会や政治、その他様々な問題
をめぐって市民が議論し(コミュニケーション的行為を行い)、公的意思=世論を形成していく空間」として用いる。
ハーバーマスは市民が担う自立的な公共性を「市民的公共性」と名づけ、問題点を指摘しつつも理想視した。尚、
これは「民主主義的な理想」の体現である(長崎 2008)と、批判される基となる。
公共圏の成立原理 : 平等性、公開性、自律性
2-2 「公共圏」概念の理解-東アジアに根付く、相反する理解
今までの研究でも問いかけたことのある問題だが、韓国におけるオンライン・コミュニケーション研究では「インタ
ーネット=公共圏」という図式を当然であるかのように捉える傾向があり、これを前提にし、ある社会現象、もしくは
社会行動までに達したオンライン・コミュニケーションを捉えている研究が多い。すなわち、オンライン・コミュニケー
ションの場が公共圏であるかどうかは直接論じられていない。
これは日本においても言えることである。(栗岡 2010、長崎 2008)
反面、中国におけるオンライン・コミュニケーションは強いて言えば「ビジネスチャンスを見出す空間」、「知識人
が唯一権力に対抗できる場」的なイメージが大きく、「公共圏」として捉える研究はほとんどない。
このような状況において、まずは原点に戻り、「公共圏」概念が東アジアにおいて語られ得るかを問う必要があ
るように思う。「公共圏」というヨーロッパ発の概念が、そもそも発展の歴史も、文化も、政治的体制も異なる東アジ
アにそのまま適応存在すると言えるだろうか。存在するとすれば、東アジアにおける「公共圏」とはいかなるものな
のか。
これまでの研究(車(2010))からも、韓国における「公共圏」概念に対する理解は西洋とは大きく違うことがわか
った。韓国のみならず(各国における違いはあっても)、東アジアを統合してみた場合も同じことが言える。
西洋の Public と Private 概念 VS. 東アジア伝統的な公と私概念
藤田(2009)は
「東アジアでは、私の事柄をプライバシーだと主張すると、あまりいい感じをもたれない。私はプライバシーと異なっ
て、公の聖なる目的のためには開示されることを持って良とする。それでいて、公は自らを不可視の領域に置くの
である。私の開放と公の閉鎖である。この点、公と私の開放性と閉鎖性は、パブリックとプライベートの開放―閉鎖
関係とは、逆の関係となっている。」
と指摘する。
下記は藤田の上記指摘、及び「公-私関係の動態モデル」(藤田(2009))を用いて作成した東アジア、西洋の
「公-私」概念理解の比較表である。ここにおいてハーバーマスの「公共圏」理論の位置を確認することにする。
表1
西洋発のハーバーマス「公共圏」概念と東アジアの理解
東アジアにおける理解
モデル
<公私闘争モデル>
西洋における理解
<公私分割モデル>(聖俗二元論)
モデル
主義主張、及びそれに基づく議論が重視
Public
システム(国家行政・資本主義経済)
開放的
ハーバーマスの公共圏
世俗世界
自由で批判的な討論の場&マスメディア機能(媒介)
生活世界(コミュニケーション的合理性)
対面的な議論(当時のコーヒーハウス)
公
「真理」と「正義」の
閉鎖的
Private
聖なる価値の実現
公-私関係は手続きを経て議論可能
「道徳」、「正義」⇒宗教の世界
閉鎖的
聖の世界
宗教戦争
私
性悪説、利己的
開放的
回避
⇒制限が必要
和の強調、和諧社会
政教分離、宗教の自由、近代国家
闘争の回避
表でも見られるように、東アジアにおける「公-私」概念の理解は、ハーバーマスの「公共圏」概念の理解とは捉
える脈絡やその意味合い、及び焦点もが大きく違う。
儒教という思想
上記東アジアの理解を造りあげた根底にあった思想の一つには「儒学」があり、重なる部分もあるが、西欧的視
角から大きな枠組みで捉えられている「儒教文化」も、西洋の「公共圏」概念の東アジアでの存在を問う時に克服し
なければならない、無視できない要因と言える。
中国における「孔子」ブーム
・2010 年 1 月公開
「孔子」の映画化
・中国語教育機関「孔子学院」-全世界 88 ヶ国、282 校設立
・学級学校における「儒学」の学び
科挙制度の廃止(1905 年)から再び儒教に目を向けたのは、儒教が世界に順応する人間型を教育し、社会的な
緊張関係を最小化するのに役立つと思ったのではないかという意見が多い。(しかし残された課題は多い。)
知識人の中でも儒教の合理性を西欧的な合理性と比較し、アジアの近代化に寄与できるのではと期待する者も
いる。
このように、根底に相反する理解を持つ環境の中で、ハーバーマスの「公共圏」概念を捉えることができるだろう
かという疑問が浮かぶ。しかし、近年東アジアも産業化-民主化の影響の中で、Public-Private の洗礼に晒され
て来た。文化の発展と共に強く根付いていた従来とおりの公私の理解とは別に、「私の個別化と公の共通化」も多
かれ、少なかれもたらされている。したがって、これら社会制度的変化も分析の一要因とし、「公共圏」概念を捉え
ることにする。
2-3
公共圏に関する諸研究
インターネット公共圏に対する研究、議論は正に多岐に渡り、違う対象や角度から多く論じられてきた。
・従来の公共圏理論の研究 : ハーバーマスの公共圏理論の提示とそれに対する批判が中心
・90 年代以降、情報ネットワーク社会の出現 : ・技術的革新によるデータの大量蓄積と検索が可能
・コミュニケーションの範囲も拡大
・社会問題が起こる可能性も増大
⇒インターネットの特性(平等な立場にいる市民主体の自由なコミュニケーションが、常に開かれているインタ
ーネットという討議の場において行われる)から、インターネット空間に公共圏の再建の可能性を見出す研
究が始まるようになり、他の要素をも取り組みながら大きく肯定的、否定的な主張に分かれる。他方、イン
ターネット公共圏に対する諸研究を根底から見直すべきという議論もある。
●マス・メディアのコミュニケーション前提のメディア論で公共圏理論を展開した研究:
○花田(1996):マス・メディアにおけるジャーナリズム機能の復活に公共圏の再建を見出そうとした。
○阿部(1998): 公共圏そのものに内在する権力メカニズムに着目し、ヘゲモニー概念を導入して権力闘
争の場として公共圏を捉えた。
⇒従来のマス・メディア論の領域のみでの検討、且つ実証的な調査研究の裏づけがない。
●それに対し、従来のマス・メディアと新興インターネット・メディアを比較し、その相違点について論じることによっ
てネット上での公共圏の変化を示唆した研究:
○吉田(2000): インターネットが社会に与える影響を考える。
インターネット空間の両義的な性質を明確に捉え、仮想社会(メディア空間)と現実社会(社会的実践空間)と
の相互浸透課程に着目し、インターネットの普及による社会変容をテーマとする「情報ネットワーク社会論」を展
開することで、インターネット空間の中での公共圏構築の可能性を模索した。
○干川(2001):
デジタル・ネットワーキングが行われる社会的空間としての公共圏は、情報が流通し言論が形成されるコミュニケーション
空間と、個々人のボランタリーな活動やNPOの組織的な活動が行われる非営利的実践活動空間とが合わさって構成され
ている。(干川 2001:78)
干川は、吉田の「仮想社会と現実社会」公共圏論を批判的に継承し、デジタル・ネットワーキングによる公共
圏構築の可能性や課題を考察する上で、インターネット空間でのデジタルな情報流通とボランティアやNPOの
社会的実践活動の相互浸透、融合の中で展開される国内外でのデジタル・ネットワーキングの実態を取り上げ、
実証研究を行っている。
●メディア環境の複合化に伴う、異なるメディア間における言説の相互参照関係を考察し、言説空間と公共圏の
変容、乃至新しい公共圏の創出可能性について議論した研究
○遠藤(2001,2004):「間メディア性」という視点
……。つまりメディアは単純に交代するのではなく、次から次へと積み重なってきているのです。……私は、その積み重なっ
たメディアの相互関係を「間メディア性」と呼び、その働きが活発化している現代の社会を「間メディア社会」として捉えるため、
「間メディア社会研究会」を立ち上げました。従来の対人コミュニケーション、新聞や雑誌などの印刷メディア、そしてテレビや
映画などの映像メディアに、ネットが加わってそれぞれのメディア間で情報がやり取りされる時代が現代です。その結果、情報
の流通量が格段に増え、関わる人が増え、意味の深みがましていく社会が、「間メディア社会」なのです。そして、重要なのは
それらの積み重なったメディアが相互に大きく影響し合っていることです。……間違えないでいただきたいのは、「間メディア」
は、これまでもよく言われてきた「マルチメディア」や「クロスメディア」などの概念とは異なることです。……「間メディア」は、どう
しようという意図を働かせるのではなく、いまのメディア社会の状態を考えるスタンスです。「クロスメディア」などが戦略的であ
るに対して、「間メディア」は観察・分析的な立場であり、我々がそういう社会に生きていることを考えていこうという立場です。
-情報通信学会の遠藤に対する会員インタビューにおいて
今日のメディア環境を考えるにあたって、……問題とすべきは、「複合メディア環境におけるメディア間の相互参照」にある。
(遠藤 2004:61‐62)
○金(2003)は遠藤の「間メディア性」観点に基づき、異なるメディア間における言説の相互参照関係を実証
的に分析し、マス・メディア空間とネット空間を共有するネットワークとしての「結合的小公共圏」という観点を提
示している。
……メディア環境はそれが属している社会的コンテクストと常に相互作用をしており、ネット上に形成されている公共圏が可変
的であることは言うまでもない。
こうしたネット上で見られる公共圏の多元的出現とそのダイナミックな動きが社会に及ぼし得る影響を従来のマス・メディア論
やインターネット公共圏論など断片的観点で捉えることは難しくなってきている。ゆえに、われわれは複合的メディア環境を理解
しつつ、そこで生じている公共圏を明らかにし、それが社会に及ぼす影響を議論しなければならない。(金 2003)
電子新聞 vs.その内部に設けられた討論空間 BBS *尚、「結合的小公共圏」は韓国の実証研究のみで見られた。
*金(2001)では新聞とネット上の BBS を対象に相互参照関係を分析した。
●複合化メディア社会における公共性の確立に向けて、マス・メディアやインターネット空間に加え、「自発的中間
組織」を注目した研究
○辻ら(2011)は
ハーバーマスの公共性概念である「公共圏」は、インターネットの構造的特性のため、個人の自律性を前提とす
るかぎりインターネット上では実現できないとし、その特性がゆえに活発化している中間組織(趣味のサークル、
NPO、市民団体、宗教団体 etc.)を注目し、公共性の確立を図ろうとした。
インターネット上インターネット・コミュニケーションは、断片化された個人を特定および不特定多数の他者に晒してしまうことか
ら他社との関係に不確実性が必然的に生み出され、よって電子的コミュニケーション行為では自律した個人を想定することに限
界がある。
(辻ら 2011)
インターネットという電子的な場は、情報の集合体自体が生身の個人を切り離して独り歩きし、変化していくコミュニケーション
空間である。このような電子的な場では、個人の理性と責任を含意する自律性は成立し得ない。しかしながら、インターネット上
で個人の自律性を期待できないとしても、公共性への期待も非現実的だろうか。……インターネットを一つのコミュニケーション
手段としてみた場合、その最大のメリットは、時間と空間の制約をこえて個々人が情報発信者として意思表示を自らできることに
あり、インターネットだからこそ可能な、あらたな公共性を設定できるのはないか。
ここで注目したいのが、インターネットを介して活発化している中間組織の存在である。
(辻ら 2011)
○北郷(2006)はこの研究で公共性の担い手の歴史的変化という観点から、現代の新たな公共圏モデルを
考察している。その中で権力や貨幣の媒介するシステム世界から相対的に自律する公共圏として市民運動、
非営利団体、ボランティア組織等を捉えることができるとする。
…アソシエーション結合をオルターナティブ公共圏に取り込むことで、この新たな圏を「協同的」公共圏と呼び、公的領域と私的
領域の中間にある非営利、非政府空間と位置づけ、国家・企業及び共同体・その公共圏からも自由な圏であると考える。
(北郷 2006)
●上記の流れとは別に、インターネット公共圏議論を根底から見直すべきという議論もある。
○長崎(2008)は「現代日本と幻影の公共圏」において
ハーバーマスの「市民的公共圏」という理想が現代において有効性を失っていること、そしてインターネット公
共圏論の多くが市民的公共圏に依拠して展開されていることを示すことで、日本の公共圏論の盲点を指摘し、
公共圏についての理念的な再考を促すことを目指した。
情報化によって生じる衝突を意識していれば、安易に「市民参加」や「双方向コミュニケーション」に賛同することはできないは
ずである。しかし、複数の小公共圏の並存と小公共圏間のコミュニケーションという見方を提示している論者で、そこに生じる衝
突という問題に取り組んでいる者は少ない。
(長崎 2008)
と述べ、今後の公共圏のあるべき姿について考える際、コミュニケーションのあり方が大事だと強調している。
他、栗岡(2010)のインターネット上で交換される情報の質に着目し、医療にかかわる言説を素材に「公共圏」形
成がいかに可能かを検討した研究がある。
インターネット公共圏における多くの研究は異なる立場のコミュニケーションを促進するというよりは、むしろ他の
立場を排除して一定の傾向を持つ政治的な主張群を流通させるという意図に導かれ、一定の効果をもったと評価
し、公共圏として成立するにはほど遠いと結論付けた。
(栗岡 2010)
3.研究の方向性
上記のように、諸研究の流れを見ると、インターネット空間に対する公共圏形成可能性は肯定論から否定論に流
れるようだが、インターネット空間そのものを否定するのではなく、ハーバーマスの市民的公共圏たる適応への批
判が多いように感じる。
したがって、まず、ハーバーマスの市民的公共圏概念が東アジアにおいて適応可能かを東アジアの各国の文
化や思想、発展の歴史など諸要素を交えながら検証する。
次に、複合化メディア社会において、インターネット空間や中間組織を含む小公共圏群概念を取り入れ、日本と
韓国において各自実証研究を行い、その小公共圏群の中でのインターネット公共圏のあり方を明らかにする。
最後に日本、韓国両国で得られたインターネット公共圏のあり方を中国サイドに適応し、中国におけるインター
ネット公共圏のあり方を検証する。
情報ネットワーク社会における国境を越えたコミュニケーションが新たな公共圏を生み出せるかは、社会に生き
る人々が自由・平等の現実を目指した「話し合い」を粘り強く続けていけるかにかかっている。しかし、人々の日常
会話は必ずしも公的な議論へと広がることなく、個人的な愚痴に終始しがちだ。政治問題や社会政策について議
論を交わしたとしても、それが現実政治への働きかけの契機になるとは容易には感じられない。このような情況に
おいて、中間組織を含むインターネット空間でのコミュニケーションにその役割を期待し、研究を進めることにする。
参考文献
阿部潔(1998) 『公共圏とコミュニケーション』 ミネルヴァ書房
遠藤薫(2001) 「現代メディア社会におけるヘテロフォニーと間メディア性」『三田社会学』(6):pp.85-120.
―――(2002) 「コンピュータ・メディア媒介された小公共圏群と間メディア性の分析-小泉政局においてネット「世
論」と既存マスメディアはどのように相互参照したか」『ネットワーク社会』(2005):pp. ミネルヴァ書房
―――(2004) 『インタネットと<世論>形成‐間メディア的言説の連鎖と抗争』 東京電機大学出版局
北郷裕美(2006)「対抗的公共圏の再定義の試み‐オルターナティブな公共空間に向けて」『国際広報メディアジャ
ーナル』 第 4 号, pp.111-125 北海道大学
金相集(2003) 「インターネットにおける新しい公共圏創出の可能性-韓国の電子新聞における BBS の様相を中
心に‐」『日本社会情報学会学会誌 』 15(2), pp.39-51
日本社会情報学会
栗岡幹英(2010)「インターネットは言論の公共圏たりうるか‐ブログとウェキペディリアの内容分析」『奈良女子大
学社会学論集』17 巻, pp.133-151 奈良女子大学社会学研究会
米倉律・山口誠(2008)「韓国における「デジタル公共圏」‐放送、ネット、市民の新たな関係性」『放送研究と調査』
辻智佐子、辻俊一、渡辺昇一(2011) 「インターネット・コミュニケーションにおける公共性研究に関する一考察」
『城西大学経営紀要』 7, pp.33-51
城西大学経営紀要編集委員会
長崎励朗(2008)「現代日本の幻影の公共圏」『京都大学生涯教育学・図書館情報学研究』(7), pp.27-42 京都大
学大学院教育学研究科生涯学習教育学講座
花田達朗(1996) 『公共圏という名の社会空間-公共圏、メディア、市民社会』 木鐸社
干川剛史(2001) 『公共圏の社会学‐デジタル・ネットワーキングによる公共圏構築へ向けて‐』 法律文化社
吉田純(2000) 『インターネット空間の社会学‐情報ネットワーク社会と公共圏‐』 世界思想社
情報通信学会 会員インタビュー (2010)
http://www.jotsugakkai.or.jp/member/interview-endo.html
<補足資料>
1.韓国、中国におけるオンライン・コミュニケーション事情
韓国、中国共に自国で開発したポータルサイトを”好んで“利用する。中国においては特に、世界中で好んで利
用されているポピュラーなポータルサイトに対応する、見た目もほぼ同じオンライン環境を造り上げている。国内で
暮らすには不便を感じないほど、多く開発されていると言えよう。
・韓国
Daum、Naver、サイワールド
*韓国ではオンライン・コミュニケーション使用の特性上、カフェや掲示板などコミュニケーションの場的な機能が充実して
いない、備わっていない or 有料の多くの海外ポータルサイトは、韓国から撤退を容疑なくされた。
・中国
Twitter⇒新浪微博、勝訊微博
Facebook⇒人人網、QQ 空間
Youtube⇒優酷、土豆
Google⇒百度、捜狐
ツイッター(Twitter)
ツイッターはパソコンだけでなく、携帯電話などの移動器機での利用も可能なため、海外での利用も多く、必ずし
も国内のサイトに登録する必要ないまさに境界線のない自由空間と言える。実ユーザー数が特定できないのが現
状だ。
中国における 2 種類の「ツイッター」 ― Twitter(中国名:推特)と微博
中国にはツイッターの中国語公式サイトがないため、どの言語サイトから登録しているかは不明、またグレートフ
ァイアウォール(GFW)と呼ばれる検閲の壁が存在し、政府のインターネットアクセスブロッキングシステムによって
ツイッターの公式サイトへのアクセスがブロックされているので、中国国内には原則的にユーザーが居ないことに
なっている。また、ツイッターはその公式サイトにアクセスしなくても、数多く存在する「つぶやく」ことができる第三
者のアプリケーションやサイトの中からブロックされていないものを選び、つぶやくことができるという利点もある。
厳しい検閲にもかかわらず、多くのユーザーは技術的なテクニクやソフトウェアを使い、その検閲の壁を越えて
いる。しかし使うほど政府当局に目を付けられ、ブロックされる場合が多く、常にアップグレードとブロックのサイク
ルを反復している。尚、ユーザー層はコンピューターやソフトウェア知識を持つ者に限るという弱点がある。
もう一方の「微博」は、ツイッターを真似て中国側で造った「中国版ツイッター」で、リアルタイムで気軽に利用でき
など利便性が高く、ユーザー数もスマートフォンの普及と共に、日々増加している状況だ。したがって、「インターネ
ットの健全な発展を保証するため」に政府は、微博の実名登録を義務化するなど規制に乗り出した。
2.韓国、中国における「言論の自由」、及びネット環境
<韓国における言論>
韓国におけるインターネットは日常生活のみならず、政治参加にまで多く使われている。
根拠:韓国社会の根底にある既存メディアに対する不信感
80年代中頃までの韓国では軍事独裁政治が行われており、言論の自由も統制されていた(大統領直接選挙
権:1987年~)。そのため、軍事独裁に対する言論の自由をめぐる市民の闘争は絶えなかった。このような民主化
運動の中で、軍事政権の権力につき従い発展しながら偏った言論を行ってきたとされる「朝中東(韓国3大新聞
社)」は「言論権力」と呼ばれ、人々から批判の対象となった。韓国でインターネット新聞が既存のメディアと同じくら
いの信頼性と影響力をもつ大きな理由の一つは、この歴史にあるといえる。インターネット新聞とポータルサイト上
のニュースには、テレビや新聞などの既存メディアがもつ記事が全て載せられている。さらに、インターネット上の
情報にはニュースに対する様々な人の意見が書き込まれており、人々の政治意識を喚起し、世論に与える影響が
大きい。
<中国における言論>
中国社会の特徴―言論弾圧の歴史
中国は社会主義国家であり、「言論の自由」、「知る権利」は憲法では銘文としてしるされているが、‘国家の健
全な発展を妨げる’すべてに対する管理、規制も厳しく、実際保証されていない。市場経済の波に乗ってその体制
が大きく変わってきたとはいえ、韓国とは大きく異なる国家体制となっている。
歴代王朝での歴代統治者による書物、新聞などの厳しい管理、規制。人民の言論、思想や政事に係わる情報
の伝播は、統治を揺るがす最も大きい要因とし、当時の法律をもって罪と定めた。
革命期-党の喉舌の役割、宣伝の道具。1952 年制定された中国の初の憲法第 35 条には「中華人民共和国の公
民は、言論・出版・集会・結社・デモ行進の自由を有する」と明記されている。しかし、これらに相当するメディア領
域の法律はなく、逆に「国家の統一を害するもの」「民族の分裂をあおるもの」「国家の機密を漏洩(ろうせつ)する
もの」の放送は禁ずるという、取り締まる条文は整備が進んでいる。
1977 年胡耀邦による言論・報道の改革が打ち出されたものの、根本的な改革には至らず終わる。1989 年天安
門事件(学生の民主化運動、報道関係者の「言論・報道の自由」を求めた運動)武力弾圧により挫折。
このように中国歴史の中には、共産党の支配下であっても、メディアの自由化を求める動きはあったが、天安門
事件以降は「言論の自由」ではなく、経済面での自由「市場化」が進められるようになった。
インターネット事情-中国政府により規制される。国際的なネットワークは国家郵電部(日本の総務省に当る)が
提供する国家共用電信網を使用することとし、あらゆる団体、個人について、それ以外の電信網の使用を禁じた。
現在、外国とのインターネットによる接触は必ず中華圏のインターネットポータル業者 China.com を通さなければな
らない。もちろん、国内での使用においても「国家の健全な発展を妨げる」もの、例えば民族問題、宗教問題など
政治に係わる敏感な問題においては直ちに使用を中止される場合が多い。
中国国内からアクセスできない海外サイト:中国政府に批判的なニュースサイトやブログ、ツイッター、ユーチュー
ブ、フェースブック、Google やその傘下のサービスも含まれる。反面、経済成長に対するインターネットの役割は大
いに評価され、同じインターネットであっても経済は「右派」、政治は「左派」という、中国ならではの「原則」が適用
されている。一見開かれているかのようにも見えるが、持続的に行われる情報統制と検閲は中国インターネットメ
ディアに対する規制政策の特徴と言えるだろう。尚、このような情況下においても相対的に他のメディアより自由度
が高く、市民の不満の捌け口になり得る要素を備えていると言えよう。