キリスト教と禅 あるシスターとの日々

<禅
談>
キリスト教と禅
あるシスターとの日々
笠倉
玉溪
昨年11月の土曜日の午前中、四ツ谷にある桜美林大学の公開講座で座禅の
呼吸で書く「禅書道」講座の講師を務めてきました。月1回ですが、とても
充実した良い講座です。皆さん、熱心に且つ楽しく取り組んでいます。最初
にいす坐禅もしています。
今回の手本は「高棲」という2字を楷書、行書、草書の3つからそれぞれ
書いてもらいました。中国の隠者の理想のような言葉ですが、もちろん禅の
修行をしている私の解釈はそうではありません。俗世間を離れて悠々と隠遁
するという個人の安寧は、仏教では人間の完成が10段階あるとしたら、8く
らいで、さらに進むとそこから娑婆に帰ってくるのです。
自我が空じられているということは、もはや心は我に捉われず自由である
ので、自他の境界線がなく、自ずと皆と共に有り、皆で生きているこの場で
一緒に涅槃に行きましょう、と能動的に生きている菩薩の姿、社会の様々な
囚われの中にいても、それに縛られない姿、これこそ禅的な「高棲」だと思
います。そうした思いも込めて筆を持つと、実に清々しい心になります。
講座を終えて外に出ると、素晴らしい秋の晴天でした。銀杏も色づき始め、
本格的に寒くなるほんの手前の貴重な日差しが降り注ぐ日でした。
世界は美しい……胸に誰かの暖かい手が触れているようでした。
私は生徒さん達と別れて、その天気に押され、長年ずっと気にかかってい
たところへ今日こそは行こうと決心して市ヶ谷まで並木道を歩きました。
そして20年ぶりに懐かしい門をくぐり、古く重い大きな木の扉を開けまし
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た。
そこはカトリックの修道院です。一歩入ると、20年前と何も変わらない清
らかな空気感で満たされた静かなところでした。
どうしてもお会いしたかった目当ての方は、すでに3年前に亡くなったと、
出迎えてくれたシスターが教えてくれました。やはりそうだったか、と本当
は会いたかったのかまだ会いたくなかったのか、自分の心をつかみきれない
ままお御堂に上がり、20年前に遡り、そして今までの事を思い返し、感謝と
ご冥福の祈りを捧げました。
その当時、
「人間禅」の道場に上智大学の門脇神父が時折いらっしゃり、講
演をされたり、磨甎庵老師とお話されたりとの交流がありました。門脇神父
はローマ法王に謁見できる日本でも数人の方のお一人で、しかも禅の老師で
もあり、本郷で禅道場を開いておられました。
私も何度か伺いましたが、聖体拝領は座禅が終わると座っている私たちの
口に順々に入れてくれるというような、実に興味深い体験をすることができ
ました。
私は縁あって禅を学生時代から始めましたが、キリスト教には強い関心が
あって、どうしても勉強したいと思っていました。西洋の文化、政治、すべ
てはキリスト教を知らなければ根本的には理解できないと思っていましたし、
たとえばルネッサンスの素晴らしい絵画を見ても、これはキリスト教の理解
なしにはわからないとつくづく残念に思ってきました。
そこで、門脇神父とは何回かお目にかかっていましたので、ある日上智大
学まで訪ねて、禅を全うしたいけれど、世界宗教の理解なしに禅を全うする
ことはできない気がする、キリスト教を学ぶことが私には必要です、どうし
ても学びたい、どこで誰に教えを乞うのが良いでしょうか、と尋ねました。
すると門脇神父が、私よりもあなたにふさわしい方がいらっしゃるのでご
紹介しましょう、とおっしゃって、その場で電話をして話をつけて下さった
のが、市ヶ谷の援助修道会のシスター岡本でした。
この方は、当時65歳くらいでしたが、髪も染めていませんし、大変小柄で
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痩せていて、今思うと65歳は決してお婆さんではないのですが、当時の私に
はすでにお婆さんに見えました。お茶の水女子大を卒業後しばらく教師をさ
れ、信仰の道に入られたということでした。いかにも知性的な方で、門脇神
父の下で座禅もされて、禅のことにも理解がありました。
私の記憶にシスターの笑った顔はありません。きわめて厳格で、仏教で言
うなら隠遁した行者のような感じでした。
毎週1回朝9時に行き、昼まで聖書を読み、解釈を伺い、私も考えを述べ、
お昼は独りでお弁当を食べ、1時までお御堂で祈りを捧げます。聖書の内容
を頭ではなく心で受け止め、その内容を無言で心の深いところまで静かに染
み込ませていく作業でした。そして午後もう一度2時間ほど聖書を学びまし
た。それを丸1年続けました。
祈りは私にとっては座禅と同じでした。祈りとは三昧です。しかし数息観
とは違い、念仏のように三昧の中に他力の特徴が入り込み、無であること、
つまり我を空じることがそのまま何かによって満たされるというような感覚
を伴うものだということが理解でき、また感じられました。
長年ライターとして関わってきた浄土宗や真宗からもほぼ似たようなこと
を知りましたので、私の座禅は、何かに向うという「何か」を立てることは
ありませんが、
「そのまま」という仏教の思想を元にした座禅であっても、時
に「そのまま」の中に、安らぎを感じる方向の座禅をすることがあります。
「祈
り」にもいろいろな方向があるのですが、安らぎの方向への座禅を自分の中
で見い出したのは、ここでの経験があったからのように思います。
私にとっての座禅は、公案を工夫する時の座禅と、数息観によって集中し
その結果無に向う座禅と、安らぎと暖かみに包まれる座禅と3通りあります。
このように最初から私には確信がありましたが、キリスト教はほとんど禅
に通じていました。シスターは禅についても知っておられるので、毎回ある
時は衝撃的な驚きや、ある時は公案そのものだと感じたり、ある時は釈尊と
同じところ、ある時は民族性や地域性から来る違いが感じられたりと、様々
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に学ぶことができたと思います。
たとえばこういう調子でした。
最初の勉強の日のことでした。聖書の冒頭にマリアが聖ガブリエルから受
胎告知を受ける有名なシーンがあります。現代人は処女懐胎などあり得ない
のでキリスト教は信じられない、という人もいますが、マリアという人物そ
のものにずーっと近づいて行ってみると、当時未婚のまま妊娠するというこ
とは共同体から捨てられ、場合によっては死につながる重大な事件でした。
しかしマリアは、そのことを告げられると「お言葉通りこの身になりますよ
うに」と言うのです。
シスターは私に、「これをあなたはどう思いますか?」と尋ねました。
私は、「迷いは良い悪い、好き嫌いなど、自分の感情判断から起こるも
のです。マリアの信仰は神の前に一切自分中心という我がありません。あ
る意味我を空じた禅者のようです。空に救済があるのですから、マリアは
すでに救われた人だったということがわかります。」と答えました。
シスターは「そうです。だからこそマリアは選ばれたのです。一瞬たり
とも疑わない、揺らがない彼女でなければならなかったのです。こういう
人だからイエスの母になったのです。信仰とは何か、の具体的な姿をマリ
アに見ることができるのです。ではヨゼフを見てみましょう。未婚で妊娠
した女を結果娶って一緒に逃げる男、彼の信仰について見てみましょう。」
と、こういう感じでした。処女懐胎という不可思議なテーマに振り回され
ないで聖書を読んでいくことができるという、私にとっては最適な先生で
した。
また最初の宿題はこうでした。「あなたの人生をできるだけ細かく思い
出してきて下さい。楽しいことも辛かったこともすべてです。」
次の週、そのことを話しますと、「あなたの人生の至るところに神の恩
寵があったことに気づきましたか?」と。
これは「恩寵」という言葉ではありますが、仏教でいう「縁起」に宿る
もの、観音経にいう「依怙」にもつながります。禅ではともすれば「仏性」
が単にあるもの、という動きのない受け取り方をしがちですが、仏性の光
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明を思えば、同じことだと言えるのではないかと思います。
当時もですが、今になって経文を詳しく読んでいきますと、この時の
ことがどれほど役に立っているか、と思います。
お礼はいらないとおっしゃるので、毎週花束を持って行きました。行き
がけに花屋さんで季節の花を選んで花束を作るのも楽しいことでした。
そしてある日、事が起こりました。
1年たった時、私はイエスの素晴らしさを知るごとに禅も深まる気がし
て、もっと修道院の内側へと関わった方が良いのではないかと思い始めて
いました。いつまでもこのようにただお世話になりっぱなしでいるのも申
し訳ない気がしていたのです。
それで、私は「会費をお支払いするような立場になったらどのくらいの
お金が必要ですか?」と聞きました。
なにせ「人間禅」は安い会費のため道場維持が大変です。
それなのに、その修道院だけみても、市ヶ谷という都心に広い敷地と、
素晴らしい建物、そして多くのシスターの生活を一生見られる財力はどこ
からきているのかしら?
もしかして大変な喜捨が必要だったら私にでき
るだろうか、という思いで、「どういう経営になっているのですか?」と
聞いたのです。
また当時オウム事件で世の中が大揺れに揺れていて、命を預ける会に何
の調べもせずに盲目的に入信した若者たちを浅はかだと責める論調が広く
あったこともあり、よく知ってから参加すべきとの考えがごく自然に出て
きました。
シスターは「経営についてあなたに話す必要はありません。」といつも
にもまして厳しくおっしゃいました。
そして数日後お手紙が来ました。
そこには、「入信は自分の意志で望んでするものではない、神の方から
呼ばれるもの、そして確信として呼ばれたと感じるものである。それなし
に自分はできるだろうか、いくら必要だろうか、と考えるのはおかしい。」
とありました。
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そして、
「神から呼ばれたと確信できたら再び会いましょう。」とあり、
「あなたがいかに神の恩寵を得ている人間か、それをよくよく自覚してく
ださい。どうか禅の道を御精進下さい。幸せであるよう祈っています 。」
と結ばれていました。
ここにきて、自力の禅、他力の宗教との違いが鮮明になりました。
シスターとはイエスの花嫁なのです。そこに深い結びつきと誓いがある
のでしょうが、ある意味での出家者の選民の考えもあるのかもしれません。
厳しい信仰の道を歩くには、たゆまぬ大変な努力をされているのが傍目に
もよくわかりましたが、それを支えていたプライドに私の発言は踏み込ん
でしまったのかもしれません。
しかし自力の宗教である禅は、本人の強い意志によって入門を願い出
るものです。大きな目で見れば、人間の決心などというものは、導きであ
るとも言えましょう。しかしやはりその違いは大きかったようです。
さらに、中心に在るものが有る宗教と、教えは何もない、救済は己の我を
捨て切った果てにある、とする仏教では、思想の中身を純粋に取り出してみ
れば、私は同じだと思っていますが、成り立ち、歴史、様々な要因が巨大な
層を作り、動かし難いスタイルを獲得した宗教とでは、思想を扱ううちは問
題はないのですが、団体を扱い始めるとこれは触れられないものがあると思
わざるを得ませんでした。
以来、20年の間、私は市ヶ谷のあたりを通るたびに、いつ会いに行けるだ
ろうか、といつも考えていました。私が禅者としてあの頃より少しはましに
なっていること、社会人としてシスターの目から見て誠実に歩いていると見
てもらえる自分になっていること、このふたつが最低ラインでも出来ていな
いと、とても会えないと思い、20年経ってしまいました。
5年ほど前、市ヶ谷の駅から電話をして、
「シスター岡本はお元気でいら
っしゃいますか?」と聞いたことがありました。その時は「お元気ですよ。
」
というお返事だったので、本当にほっとしました。でも、
「電話を代わりまし
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ょうか?」という声には、
「いえ、結構です、お元気であるとわかっただけで
結構です。
」と言って切りました。
今回、秋の素晴らしい天気に後押しされて、相変わらず七転八倒で生きて
いるけれど、ささやかでも正直に懸命に何とか恥じない心で生きていると少
しは言えると思えて、お会いしたい心がもう止められなくてとうとう訪ねた
のでした。
しかしシスターはすでに天に召されておりました。
今、禅フロンティアで、様々な分野の方々と同じテーブルにつく事、違い
の中から純粋な共通性を見い出すことで違いを越えて共に生きる事につなが
るという事、人間世界の真の発展はそういう心の態度にあるのではないか、
それを主宰できるのは、核を持たない禅だからであるという確信、だから在
家の禅こそがやらなくてはならない、という思いは、顧みるとその頃にすで
にあったのだと思います。
きっとあのシスターでなければ、キリスト教と禅が1年もの間、同じテー
ブルで過ごすことはできなかったでしょう。
亡くなってしまったことで、否応なく私の区切りはつきました。淋しいこ
とですが、なぜか会わないままでよかったような気もします。
笑顔はたまにあったとは思うけれど、一度もいわゆる「笑った顔」を見た
ことがなかったシスターに、心からの感謝を捧げます。アーメン、そして合
掌。
■著者プロフィール
笠倉玉溪(本名/奈都)
昭和37年東京都生まれ。中央大学在学中に人
間禅白田劫石老師に入門。禅の呼吸で書く「禅
書道」主宰。大学社会人講座講師。
「いす座禅
とやすらぎのお経講座」
「座禅と写経講座」な
どを開催。日暮里・擇木道場で主宰している
「禅フロンティア」は今年6年目。講演多数。
人間禅特命布教師。庵号/慧日庵。
(埼京支部)
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