原子力産業の仕組みはロスチャイルドが作った

原子力産業の仕組みはロスチャイルドが作った
ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンが 1895 年にX線を発見したことから原子力産業
はスタートしました。翌年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルが、偶然にもウラン鉱石か
ら発する天然の放射線を発見します。放射能の量を表す単位「ベクレル」は彼の名にちなんで
います。
その後、ピエールとマリのキュリー夫妻が放射性物質の研究を行い、ポロニウムとラジウム
を発見しました。彼らが「放射能(Radioactivity)」という用語を作り、原子力エネルギー研究の
先駆けとなります。
この研究に目をつけたのが金融王ネイサン・ロスチャイルドの曾孫アンリ・ロスチャイルドで
す。アンリはキュリー夫妻のスポンサーとなってラジウム研究所を建て、キュリー基金を設
立しています。これから伸びる可能性のある分野には惜しげもなく投資し、
産業として育て、やがて投資に見合う利益を回収するのがロスチャイルド一族です。
1866 年、南アフリカで農夫がダイヤモンドを発見すると、相次いで金鉱も発見され、南アフ
リカはゴールドラッシュに沸きました。良質なダイヤモンドを産出するキンバリー鉱山一帯
を握っていたセシル・ローズの「デビアス」に、ナサニエル・ロスチャイルド(金融王ネイサンの
三男)が融資をし、のちにデビアスは世界のダイヤモンドを独占支配するダイヤ・シンジケート
を築いていきます。(何故潤沢な資源を抱えながら彼らが裕福になれないのかが分かりますよ
ね。)
セシル・ローズが他界すると、アーネスト・オッペンハイマーがロスチャイルド家の支援を受
け、鉱物会社「アングロ・アメリカン」を設立。現在も南アフリカを支配するオッペンハイマー
財閥の始まりです。
発掘した金や銀を精製するには水銀が必要となります。その水銀が豊富なアルマデン鉱山は
スペイン王室が所有していましたが、ユダヤ十二大富豪と言われるワイスワイラー家が事業
を行っていました。
ちなみにアンリ・ロスチャイルドの妻はワイスワイラー一族のマティルド・ワイスワイラーで
す。アルマデン鉱山は亜鉛(ジンク)も豊富に産出し、これがのちにロスチャイルド家のリオ・
ティント銅山と合併し、1962 年にウラン・シンジケートの支配者「リオ・ティント・ジンク」が
誕生します。
金あるいはダイヤモンドのために鉱山を採掘すれば、当然、他の鉱物資源も同時に産出され
ます。ダイヤモンドの「デビアス」、金の「アングロ・アメリカン」、そしてウランなどの非鉄金
属を扱う「リオ・ティント・ジンク」、この三社がロスチャイルドによる鉱物支配の主要企業で
す。原子力産業は、ウランなどの鉱山事業の利益を目的として誕生したものと言ってもよい
でしょう。
1939 年、原爆製造のマンハッタン計画がスタートします。ウランの調達は、アフリカのベル
ギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われま
したが、3カ所ともロスチャイルド一族の支配下にある鉱山でした。
マンハッタン計画の監督を務めたのが、ロスチャイルド一族で、のちにハンブローズ銀行の
会長となるチャールズ・ハンブローです。CIA の前身である諜報機関 OSS を設立した超大物
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であり、南アフリカの鉱山を握る「ブリティッシュ南アフリカ社」の重役でもありました。
マンハッタン計画は、核物理学や資源確保という面で国際的な作戦計画であり、そのリーダ
ーは、のちに国際原子力機関(IAEA)を創設するベルトラン・ゴールドシュミット(何故か wiki
に無い)でした。このベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルド卿
の再従妹ナオミ・ロスチャイルドです。
米国原子力委員会(AEC)の初代委員長として、核兵器と原子力の平和利用を強力に推進したル
イス・L・シュトラウス(原発マフィアの中曽根康弘の大勲位を没収せよ←リンク先でシュトラ
ウスの事を少し詳しく説明してます。)は、ロスチャイルド商会の米国代理店であるクーン・
ローブ商会の共同経営者であり、1950 年から 53 年までロックフェラー兄弟基金の財務担当
顧問でした。
ルイス・L・シュトラウスの資金源となっていたのが、ウォールストリートの投機家であり、
ロスチャイルド一族の鉱山王グッゲンハイム財閥と組んでウラン鉱山への投資・開発を行っ
ていたユダヤ人大富豪バーナード・バルークです。バルーク家は 18 世紀からロスチャイルド
家と深い関わりを持つユダヤ人指導者のファミリーで、バーナードは「アグダス=イスラエル・
ユニオン」というユダヤ系結社の代表を務めていました。
バーナード・バルークは、原爆開発の有力な支援者としてマンハッタン計画を指導し、大統領
顧問として原爆の対日使用を積極的に勧めた人物です。戦後は国連原子力委員会の米国主席
代表となり、すべての核技術を国際的な管理下に置くことを提案し、それが国際原子力機関
(IAEA)の設立につながります。
マンハッタン計画に参加した科学者の多くはユダヤ人でした。
ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人レオ・シラードは、原爆のアイデアを思いつき、同じユダヤ
人でドイツから米国に亡命したアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領
に原爆開発を促す手紙「アインシュタイン書簡」を送ったことで有名です。この手紙がきっか
けとなって米国の原爆開発はスタートしました。
「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンは、ハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家
の家に生まれ、1930 年に渡米。コンピュータの動作原理であるストアードプログラム方式を
考案しました。マンハッタン計画には軍事顧問として参加し、爆薬を 32 面体に配置すること
により核爆弾が製造できることを 10 カ月にわたる計算により導きました。また、地面ではな
く空中で爆発させた方が原爆の破壊力が増すことも計算により導いています。
原爆を長崎に投下する指示を出したのは、このノイマンでした。
「原爆の父」と言われるニューヨーク生まれのユダヤ人ロバート・オッペンハイマーは、ロスア
ラモス研究所の所長に就任して、マンハッタン計画を主導しました。
オッペンハイマーは「原爆投下は日本に警告なしに行われるべきだ」と反日的な強硬論を主張
した人物です。
1945 年 7 月にロスアラモスで世界初の原爆実験に成功したとき、
狂喜して「我は死神なり! 世界の破壊者なり!」と叫びました。
ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人エドワード・テラーは、核分裂だけの核爆弾から核融合を用
いた水素爆弾へと核兵器を発展させるべきだと主張し、
1952 年には水爆実験に成功しました。
1954 年に起きた「第五福竜丸事件」の際に使用された水爆はテラーが作ったものです。
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「水爆の父」テラーは歴代政権の核戦略、防衛政策に影響力を行使し続け、レーガン政権時代
には「戦略防衛構想(SDI)計画」を推し進めています。
その他、ノーベル賞(※1)を受賞した多くの著名なユダヤ人科学者がマンハッタン計画に参加
しています。「近代量子論の父」ニールス・ボーア(1922 年ノーベル物理学賞受賞)、ジェームズ・
フランク(1925 年ノーベル物理学賞受賞)、ハロルド・ユーリー(1934 年ノーベル化学賞受賞)、
ユージン・ウィグナー(1963 年ノーベル物理学賞受賞)、リチャード・ファインマン(1965 年ノ
ーベル物理学賞受賞)、ハンス・ベーテ(1967 年ノーベル物理学賞受賞)などです。
一方、冷戦の相手国であるソ連の原爆開発にもロスチャイルド=ユダヤ人脈が密かに関与して
いました。「ソ連の原爆の父」と呼ばれたユダヤ系科学者ユーリ・ハリトン博士によれば、ソ連
の核開発はドイツからの亡命したクラウス・フックスがスパイした情報をもとに、米国製原爆
を真似てつくったものだったということです。
クラウス・フックスはドイツ共産党に入党していましたが、ナチスの弾圧を恐れてイギリスに
亡命。1943 年に渡米してマンハッタン計画に参加し、その極秘情報をソ連政府に流していま
した。また、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーやニールス・ボーア博士もソ連スパイに
情報を提供していたことが明らかになっています。
このクラウス・フックスを操っていたのがイギリスの「ケンブリッジ・サークル」という秘密組
織でした。「ケンブリッジ・サークル」とは「ソ連の二重スパイ組織」であり、ケンブリッジ大学
出身のキム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクレーンの
4人がメンバーとして知られ、イギリス諜報部や外務省、英国放送協会(BBC)、あるいは王室
にまで潜入し、KGB に情報を送り続けていたのです。
この「ケンブリッジ・サークル」の黒幕と目されていたのが英国諜報部員でもあったイギリス
家当主ヴィクター・ロスチャイルド卿でした。
1947 年に極秘計画であるマンハッタン計画が終了し、過去7年間で原爆開発にかかった費用
が 22 億ドルに達していたことが明らかになりました。その後、冷戦が深刻化するなかで、原
子力予算は年間 10 億ドルから 20 億ドル(7300 億円)と膨らんでいきました。
ちなみに 1940 年の日本の一般会計予算は 60 億円、1945 年で 220 億円です。原子力業界に
とって、まさに原子力は「金のなる木」。決して手放したくはないでしょう。
以上 、知らない方が幸せかもしれない 原発大震災の超ヤバイ話より参照
※1)ユダヤ王ロスチャイルドとノーベル家がノーベル平和賞を決定するのである。戦争と平和
はこの黒い貴族たちが決定する重要事項である。中立国とは黒い貴族たちの最終的な避難国
である。彼らは死の嘆きを交わしつつ割れ目や亀裂を平和の地に作ろうとする。そして乱を
演出して平和を取り戻す。その時に、ノーベル平和賞や経済学賞を用意する。
彼らの『平和』に貢献した者たちへの褒美のために。
ノーベル産業とは武器銃火器を敵と味方両方に支援(売却)する産業。拠点がスイスにあります。
お分かりですね。何故永世中立国か何故占領された事が無いのか。
ノーベル賞の歴史は戦争の歴史といっても過言ではない。
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