PDFファイル 14KB - 福田徳三研究会

20100614 一橋大学学園史研究会レジメ
①
関一の一橋大学学問史における位置づけの重要性
(1)福田徳三・佐野善作と並び一橋大学の学問の基礎を築いた「東京高商三羽烏」
福田徳三
経済
佐野善作
金融政策
関一
交通政策
都市政策
(2)学問の業績を長期的視野のもとに行政に実践した我が国では稀有な学者市長
②
関一が大阪市に移籍しなければ東京高商校長となり、校風が変っただろう
渋沢栄一、教官、学生の引き留め運動の意味
水島銕也は神戸高商校長として、校風を築いた
③
大正・昭和初期時代、大阪市は東洋のマンチェスターといわれ工業の大発展期
(1) 都心部から郊外に市民の大移動
(2) 物資の移動のための交通大系の整備の必要
(3) 社会問題、労働問題など工業化、都市化に伴う問題の発生
この問題に対処できる人材としてグランドデザインを描ける関一を高級助役にスカウトし
た池上四郎市長の慧眼(もし関一を擁しなければ、御堂筋も地下鉄もなかったであろう)
④
大阪市長時代の大正14年、大阪市域の第二次拡大によって、大阪市の人口は東京市
を上回る<大大阪>時代を迎える
大大阪に相応しい都市の品格「都市格」の重要性
関東大震災による帝都復興計画を策定した東京市長
⑤
後藤新平と双璧
関一が明治30年代ベルギー・ドイツに留学中、交通政策・都市計画・社会政策を学
んだことの意義
学問とは何か、教育とはどうあるべきか、未来を担う世代に学者はなにをすべきか
これやこの都市計画の権威者は
知るも知らぬも大阪の関(本歌
⑥
蝉丸)
一橋大学学園史における関一の記述が少ない
渋沢栄一や教官の反対を振り切って大阪市に移籍したことによるのか
『如水会報』大正13年∼昭和6年の調査では福田徳三に比べ関一の記述が少ない
大塚融 2010
孫・關 淳一(1935 年 8 月 13 日 - )は第 17 代大阪市長(2003-2007)。医学博士。大阪
市出身。
大阪在住の関一の教え子に飯島幡司
1888‐1987
東京高商卒
大阪出身
関一の教え子。 神戸高商教授を経て大阪鉄工所(現
日立造船)専務。昭和
7 年朝日新聞に入り論説委員となり,のち朝日放送の社長(1952.9-1959.5),会長。カトリ
ック教徒として日伊親善につくした。
筆名は曼史。著作に日本紡績史 (創元社、昭 24)
■■
学園史編集の意義
学内の教官や学生だけでなく一橋大学以外の学者や卒業生に大学のあり方や
学問とは何かを考える絶好の機会
大学での学問と高校あるいは独学の学問とはなにが違うかを教えること
大学史を講座に持つことの意義
大塚融 2010