Privilege Given to the Disciples (弟子の特権)

Privilege Given to the Disciples (弟子の特権)
~Transcendental listening experience~
日時:2013 年 9 月 17 日
夜
場所:銀座書斎
鑑賞作品:モーツアルト作:レクイエム 二短調
生井先生からご提案いただいたように、私自身「厳格に一秒を刻むこと」の精神について、
身体の奥深くまで浸透したと感じることができませんでした。「この地球に存在する一個の
個人として、一秒、二秒、三秒・・・と厳格に一秒を刻むとは、どのようなことなのか」
を、生井先生の公式サイトの「銀座書斎日記」に掲載されている「一秒の価値」をもとに
思索いたしました。
恥ずかしいのですが、モーツアルトのレクイエムを鑑賞するのは、初めてでした。レクイ
エムに関する知識が少しでもあったほうがいいのかとも思いましたが、音楽の技術的なこ
とを鑑賞するわけではないので全く知識のない状態で鑑賞することにしました。初めて経
験するからこそ、存分に身体で感じたいと思いました。
また、鑑賞前の英語稽古では生井先生から「
『生きる意味』について、
『生きること』と『死
ぬこと』について深く思索してください」と助言をいただきました。レクイエムを鑑賞し
ながら「生」と「死」の二つのことについて思索する土台になったと思います。その後、
席を移動して銀座書斎の奥にある、特別な空間でレクイエムを鑑賞いたしました。生井先
生は、部屋のライトを消してロウソクを灯してくださいました。
私は、レクイエムは死者を送る曲だと漠然と考えていたので、最初に、荘厳さの中にある
寂しく美しいしらべを聴いて、死者の世界へ入ったように感じました。目を閉じると、ほ
んのりとロウソクの優しい光を感じ、音楽に合わせた合唱の声は、私を様々な世界へと導
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いていくようでした。様々な音と一緒に、一つの楽章が終わるごとに、深い森に、花が咲
く野原に、海や空へ、静かな雪の夜、雷が響く雨の中、夜の星空の下、自分自身が風とな
って、地球のあらゆるところを旅していました。その中で、
「川の流れのように時がすすむ」
こと、「ひとりである」こと、「自分の足で進む」こと、
「自分が今ここにいる」ことなどを
感じました。
特に印象に残ったことは、
「すぐ隣に死がある」と感じられたことです。音楽と一緒にどん
なところを旅していても、どんなに優しい風景の中にいても、「死」を感じる瞬間がありま
した。その「死」は、楽曲が進むにつれて恐ろしいものではなく、「死」はすぐそばで私を
祝福しているように感じました。
「死」を感じるからこそ、今生きていることが奇跡であると実感します。だからこそ、こ
の今の一秒をどのように過ごすのかを思索し、その価値を感じられるのだと思います。こ
の一秒の価値について実感できることは、一個の存在者として非常に幸運なことです。だ
から、「死に祝福されている」と感じたのかもしれません。
私は、「死」自体は恐ろしいものではないと思います。今も昔も「死」について様々な解釈
がされている理由のひとつに、生きている私たちが最終的に向かう絶対に逃れられない運
命に対する不安があるのだと思います。でも「死」は、いつか来る遠い未来にあるのでは
なく、
「生」のすぐ隣にあります。
「死」があるからこそ、今ある全てのものが愛おしく感
じられます。また「死」は、
「生」を全力を尽くして全うした者には、安らぎと癒しを与え、
「生」を無駄に過ごし欲に翻弄されるような者には、恐怖を与えるものではないかとも思
いました。
レクイエムを聴いていると、宇宙の存在、地球の歴史から考えて本当に塵のような自分を
感じる一方で、与えられた「生」が貴重なものであることも感じました。死ぬその瞬間に
何を思うのか、その時にならないと本当のことは分かりませんが、死の瞬間も今のこの瞬
間も同じ精神でいられるように一秒一秒を刻むことが、厳格に時を刻むことかもしれない
と感じました。
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レクイエム鑑賞のお話を頂いたその日、台風が去った直後の夕日です。
厳しい雨と風の後に自然からプレゼントされた美しい景色です。
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