大徳寺文書にみえる料紙とその利用

大徳寺文書にみえる料紙と そ の 利 用
はじめに−中世人と紙1
日本の文化は紙の文化ともいわれている。紙は時代とともに変化し、その
僧堂サマ
障子紙/四十文 西浄障子紙﹂
四十文
銀銭紙﹂
池 田
帳紙/九十六文
︵1491︶年八月一日
相々紙﹂
疏席︵御所
宗温近江在庄用途日記︵m23
暦 廿文 中紙大円鏡︵上料︶/六文
同疏紙/五十文
﹁開山忌入日/八十六文 杉原/五十文 西浄懸紙 六十六文
﹁鳩芙蓉/廿文
0︶
﹁廿二文
/四百文
帝﹂
播磨小宅三織方算用状︵m70
明応七 ︵1498︶ ︵戊午︶ 潤十月十日 興禅寺領在庄納下帳
杉原雑帝﹂
二月朔日
︵莫亥︶十月廿九日 龍翔寺開山式百年忌
大高旦紙︵座牌︶ /四百文 小高旦紙︵印紙︶/武百五十文
連子障子、借 物帳以下︶ /七百三十二文 杉原三束、真前引物︵共︶
﹁童貰三百五十文 紅梅檀紙/萱貫五百十文 厚紙三束︵高立、法堂風呂
納下帳︵恥2318︶
︹史料5︺文亀三年︵1503︶
杉原一帖﹂﹁廿二文 中紙二帖﹂
︹史料4︺明応十年︵1501︶
﹁五十三文
︵m2363︶
︹史料3︺
ノ用/十l一文
﹁三十二文 雄愕/廿七文 雄吊二帖/什文 雄昏二帖/百六十文 席絹
60︶
︹史料2︺延徳三
疏紙
﹁正月買物/六百文 檀席/人文
紙一帖﹂
表情や性質も幾分変容を示すものであることを確認しておく必要がある。ま
﹁十二月分下行/七十文
五十文
誕生︶﹂
た、一棟ではない紙の物性を科学的に明らかにすることには、困難をともな
うことが多いのも事実である。さらに、日本独自の感覚的な所産である風合、
色合、地合など審美的要素も紙を考えるうえでは、重要視しなければならな
い要件であることはいうまでもない。そのうえで、紙の用途に付随する機能
性をも考慮に入れた上で、放そのものの紙質を判断することが必要不可欠で
あるといえる。
そこで、前述した料紙調査および分析に関する諸条件を考慮しながら、こ
こでは、わが国を代表する禅宗寺院である大徳寺に伝来した古文書にみえる
料紙とその利用とについて注目し、併せて中世における紙について概観して
みたい。
一、大徳寺文書にみえる料紙
はじめに論述する上で、大徳寺文書中において確認できる料紙に関連する
史料を年代順に掲げてみると、
中紙帳料﹂
方丈障子紙
簗︵スワウタウサ︶﹂
冬至紙銀銭/武百八十文
施餓鬼紙/三十五文
銀銭紙/五十二文
︹史料1︺文安三年︵1446︶龍翔寺年貢銭納下帳︵m231−︶
﹁四月分下行/四十文
帳紙﹂
﹁七月分下行/百五十文
﹁八月分下行/二十文
﹁十一月分下行/二十文
71
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︵99−EⅧ︶
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︵96∩コ︻∴
﹁暴剖
︵S191︶些唯些
︹和様首︺
張轟﹂
︵CJTL9−︶些畔些
︵99−EⅦ︶
﹁顎功茹芸W
︹St雁首︺
ロマ湛軸薯﹂
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︵∠9−EⅧ︶
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︹史料22︺天正六年︵1537︶拾月廿八日 祥瑞寺領田島日録︵恥166
6︶
﹁カヂ田﹂﹁コゾノ木﹂
の史料を確認することができた。
これらの史料のうち、史料1から史料16において紙名として確認できるも
のは、1引合、2杉原紙、3美濃紙、4厚紙、5中紙、6雑紙、7檀紙、8
帳紙である。その他、﹁銀銭紙︵伽藍の守護や死者の供養に献ずるために、
るといえることから、格式の高い上質の料紙と考えられる。また、胡椒紙が
胡板を包む紙であるという前提で、その利用を考えてみると、胡椒のもつ貴
﹃鹿苑日録﹄
重性とものを包むという機能性とを考慮する必要があることから、料紙その
ものはある程度の厚みと柔軟性とがあったと想像できようか。
なお、﹃蔭涼軒日録﹄永享十一年間正月廿三日粂など、また
杉原紙︰
天文六年八月八日粂などに布施や贈答用として﹁引合﹂が散見する。
2
紙の一帖は中紙の二倍の値段であり、杉原紙が中就よりも上質の料紙といえ
杉原紙は、史料4・5・7・8・9・11にみえる。史料4によれば、杉原
れるものの、基本的には紙の品質、紙の厚薄、紙の利用などに基づいて大徳
る。史料5では、杉原紙の一束は二百四十四文であること、杉原紙一束は厚
銀紙で作った貨幣︶﹂﹁施餓鬼紙﹂などのように個別・具体的な名称も認めら
寺文書中にみえる料紙を大別できそうである。また、史料17から史料22まで
紙一束のおよそ半分弱の値段であること、杉原紙は贈答用に用いられている
文である。史料8では、書状や折紙の案文などに用いられていることがわか
ことが知られる。史料7でも、贈答用に利用されており、一束当たりが三百
は、紙に関わる職人などがみえている。
二、料紙の利用とその特徴
る。史料9でも、折紙の案文として文書料紙に使われている。史料11では、
香典帳などに使われている。なお、史料5にみえる﹁香典帳料紙﹂もおそら
前述した1引合から8帳紙までの料紙について、それらの料紙が大徳寺の
寺内においてどのように具体的に使われていたのか、史料に即しながら順次
く杉原紙であると思われる。
紙の半額である。用途は主に寺院の帳簿用紙や案文あるいは贈答用に用いら
このように、杉原紙の品質は中紙よりも上質で、値段は中紙の二倍で、厚
みていくことにしたい。
1 引合︰
いられている。史料7では、官銭請取用に使われている。史料8では、転位
利用されないで、他の料紙が用いられたことになる。ただし、書状や折紙の
利用されていることである。とするならば、書状や折紙の料紙には杉原紙が
引合は、史料6・7・8・10・11にみえる。史料6では、疏席の料紙に用 れたことが知られる。注目されるのは、書状や折紙の正文ではなく、案文に
の請取用に使われている。史料10では、引合紙は一枚二文で、杉原紙の単価
正文に使用される具体的な料紙に関しての記載は確認できない。
、つである。
く、種類が豊富で、いくらか黄味の余色が残る白さと張りがある放といえそ
現存する大徳寺文書中の帳簿類に使用されている杉原紙の特徴は、やや薄
と比べると、極めて高価な紙であることがわかる。史料11では、胡椒紙とし
て利用されている。
まず、疏紙は仏祖や高僧に表白する款徳文を認めるための宗教用の料紙で
あり、また請取用は大徳寺側よりも上位の発給者に対して出される料紙であ
73
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も妄工鬼面再
れはおそらく紅梅色に染められてた色紙の檀紙と想像される。この ﹁紅梅檀
して最初に挙げられている。史料5には、﹁紅梅檀紙﹂なる檀紙があり、こ
大にては難治間、中紙と申候物を納候也﹂とあり、中紙が布施物としても利
紙﹂は鎌倉時代中期に成立した ﹃飾抄﹄ ﹃今物語﹄
なお、﹃園太暦﹄貞和元年四月八日粂には﹁兼又布施内紙事、船形さのみ
用されでおり、やはり中程度の紙であるとみて大過なかろう。ただし、どの
には
各自の座に掛けてある役名と名とを書いた名札のことであり、また印紙とは
また、大高檀紙は座牌、小高檀紙は印紙に使われている。座牌とは僧堂の
﹁箔、洲流し、名したへ、紅梅などの檀紙﹂と装飾料紙のひとつとして
にもみえ、﹃とはずがたり﹄
料紙における中程度の経であるか判断できるだけの情報はない。また、﹃蔭
あげられている。
雑紙︰
涼軒日録﹄長幸二年正月四日粂に贈答用としてみえる。
6
三文と十五文と幅があることを確認できる。雑紙にも品質の違いがあるのか、
大高檀紙は回向用の料紙に用いられており、一枚五十文である。請状とは招
牌用の料紙に用いられている。その値段は一枚およそ十四文である。他方、
小紋片に寺号を印刷した紙のことである。史料11では、小高檀紙は請状、座
あるいは産地の遠いによるものであろうか。史料3・7には、﹁杉原雑昏﹂
請の書状で、回向は各種法要において念諦・諷経の功徳を祈念の対象にふり
雑紙は、史料2・3・7・8にみえる。史料2では、一帖当たりの値段十
とあるものの、この雑紙に冠された﹁杉原﹂が紙の産地名を示しているもの
むけることを表白した文を意味する。
帳紙︰
帳紙は、史料lZ・14・15にみえる。史料14には、﹁典座帳紙﹂と具体的な
厚手のものである場合は多いことから、厚紙とも注記されることがある。
なお、帳紙はこのように記録などの帳綽に使用される保存性の高い料紙で、
帳簿用紙であることが確かめられる。
用途が記され、典座が僧衆の座位に関して書きとどめておく内容を記録する
8
る。
なお、﹃商涼軒日録﹄文明十七年四月十四日粂には﹁水色高檀紙﹂とみえ
清く、たおやかな紙であるという紙質によっているといえようか。
の料紙とは区別されていたと想定できる。それは、檀紙の特徴である白く、
このように、檀紙は主要な宗教的行事においてのみ利用される料紙で、他
であるのかは判断しきれない。もしも産地の名を記したものであると推定で
きるのであれば、産地名ごとの雑紙の存在を指摘できることになろう。それ
とともに、杉原紙には品質上の差異があることを認められることになる。
史料7によれば、杉原雑紙は寺内で年中に使用されている。史料8には、
二月、はふに維紙一帖、
日記、請取などの料紙として雑紙の利用が確認できる。なお、≡ロ継卿記﹄
天文三年正月二十九日粂には﹁左兵衛佐母に薫物
坊主に墨一丁、遣候了﹂とあり、雑紙が贈答物としても利用されている。
このように、雑紙は寺内において日常的に使われる料紙の代表で、その用
途も日記から請取状など日々の生活の必要性から多岐にわたっているといえ
る。
なお、﹃鹿苑日録﹄天文六年正月九日粂に﹁美濃紙﹂とともに﹁美濃雑紙﹂
檀紙︰
がみえ、元和八年正月八日粂には﹁奈良雑紙﹂が確認される。
7
檀紙は、史料1・5・11にみえる。史料1では、正月の買物品のひとつと
75
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∴−.〓
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文庫主任学芸員で
﹃人物叢書
金沢貞顕﹄
︵吉川弘文飽︶
の著者である永井
②紙の重さは、実際に重量の他に、坪量や密度についても注目していくこ
とが求められる。これらは紙の強度や機能性を考える上における基本的な数
313︶。宍倉氏は﹁紙漉き
晋氏による論考が発表された︵﹃金沢文庫研究﹄
③紙の厚さは、紙料のくみ込みと捨て水との関係から、漉き手に遠いによ
値である。密度は④紙のしまり具合とも深く関係してくる。
﹁金沢貞顕書状の料紙につ
の技術にみる中世の古文書﹂において、中世の抄紙技術における半流し漉き
という新たな抄紙方法を提起され、他方永井氏は
らず漉き手の手前側が厚くなりがちであり、紙の漉いた方向が明らかになる。
で、特定の武家個人が用いた文書料紙を個別具体的に検討した上で新
いて﹂
した厚さの状態は紙の四周の厚さを測定することが明らかにできる。それゆ
逆に漉き手の癖によって左右の厚さのバランスが悪いものもみられる。こう
両氏の料紙研究には多くの学ぶべき点があるものの、料紙の特徴に関する
え、紙の厚さの平均値を求めてしまうと、紙の厚さの実態を示さないことに
たな知見を披渡している。
見解には少なからず異論がないわけではない。確かに一紙として全く同一の
なる。
⑥紙の平滑性とは、紙の用途からみる面態の表現であり、直接的には書き
よっても影響を受ける。紙のやわらかさに置き換えることができる。
水分が少ない方が硬くなることから、乾燥用の刷毛の硬軟や乾燥時の温度に
⑤紙の堅さは、紗漉き、竹貸漉き、萱賓漉きの順で紙は硬くなる。また、
具合は就の吸水性、浸透性つまり墨にじみとも関係してくる。
てくる。つまり、加圧の力が大きいほど、緊蹄度が進むことになる。しまり
紙の脂で紙が締まる。また、紙床の締め加減によって紙のしまり具合が異なっ
④紙のしまり具合は、緊縮度と言い換えることができ、斐紙、三桂紙、樽
料紙はないわけであり、種々の文書料紙に関する諸見解を統一していくこと
は確かに難しい作業であるものの、早急に共通項を見い出していく努力が必
要であろう。
また、中世人の紙に関する認識や意識は、放そのものの外見つまり見た目
と、触った感じとが大きな比重を占めていたと考えられる。とするならば、
料紙研究においても中世人の見た目とは何か、触った感じとは何か、という
点を検討することが必要不可欠になってきている。
そこで、料紙論を展開するに際しては、見た目と触った感じとは、具体的
にどのような要素から成り立っているものなのか、明らかにしていくことが
まず、見た目には、①紙の大きさ、②紙の重さ、③紙の厚さ、①紙のしま
で滑らかな木肌に当たった面が滑らかに仕上がるからである。しわや凸凹が
強調しなかった。つまり、乾燥するときに板面に紙を張り、刷毛でこするの
やすさ、刷りやすさということになる。ただし、和紙はことさらに平面性を
り具合、⑤紙の堅さ、⑥紙の平滑性、⑦紙の強さ、⑧紙の弾性、⑨紙の表裏
あるのが紙としてはあたりまえであるという感覚である。しかし、情報伝達
求められることになるといえよう。
差、⑩の透明性、⑪紙の光沢、⑩紙の地合、⑱紙の色合、⑭紙の鳴り、とい
の道具としての紙における平滑性は、例えば書写と印刷というような紙面の
使い方をも左右することになる。そのため、澱粉や膠などによる表面サイズ
う具体的な観点がある。
それぞれの観点をより具体的に述べてみると、
が行われている場合がある。
引張りの強さが紙の強さを代表している。繊維の強さと繊維どうしの絡み合
⑦紙の強さは、紙をひっぱたり、破ったり、裂いたりして調べられるが、
①紙の大きさにおいて、紙の縦・横については繊維の縦に配列した方向を
もって経とし、これに直行する方向を棟とする。つまり、費目の方向を横、
糸目の方向を縦とすることになる。
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