Ebina International Society NO.105 号 EIS

2009 年 6 月発行
Ebina International Society
NO.105 号
EIS
えびな国際交流の会(EIS)は海老名市近郊に在住の海外の方々をお招きし、お互いの
文化を理解し,助け合い、親しく交流する事を目的としたボランティア Group です。
どなたでも入会歓迎です! ご一緒に国際交流を楽しみませんか?
We EIS is organized by volunteers in Ebina City. We want to reach out to
foreign people to help and understand each other. How about joining our EIS !
自由広場:
June Bride
今月の目次
6月は日本人にとっては、あのじとじとした梅雨の入りにつながり,余り良い印象の
月ではありません。一方英語では雨は”April Shower"と言って4月につながります。
恐らくイギリスの4月の天候の急変から来ているのでしょう。
★自由広場
では英語で6月と言えば皆さんご存知のように"June Bride"と言うことになります。
1頁
★総会
この言葉の背景には諸説あるようですが、June が結婚をつかさどるローマ神の J uno が語源で
「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」となったようです。
・アンケート
★Reno 便り
他の説には古代のローマでは3-4-5月と結婚禁止月(ほんとかなー)だったそうで、6月に
2-3 頁
4-5 頁
★私と三味線 6 頁
「待ってましたー」と結婚ラッシュになったと言うのも有りますが、もっと現実的なのは6月に結婚
★新時代の風
すれば秋の収穫時に新婦が出産・授乳で期待している大切な労働力を失うことを防げる為と
★Information 8 頁
7頁
言う恐ろしい説もあります。ヨーロッパでも農村では嫁さんを労働力と理解していた時代があった
のですね。
何れにせよ、祝祭日が一日も無く毎日梅雨の雨がしとしと続く6月の日本で"June Bride"
と声高に叫んでいるのは、汗だくの礼服で出席しなければならない参列者を無視して一組でも
二組でも結婚式を契約して売り上げ増を目論むホテルや結婚式場ではないでしょうか?
( S. I
)
S.I さん6月号にふさわしい投稿ありがとうございました!
ア!私の結婚記念日過ぎてしまいました。今年も反省~
(騒動馬)
投稿先:[email protected]
創立 1991 年 11 月
会員数 57 名(09 年 5 月現在)
えびな国際交流の会(EIS)
http://tiny-world.com/index3.html
2009年度 「えびな国際交流の会・総会」を開催
2009年度の総会は 5 月 24 日にサポートセンターにて開催されました。 総会終了後にゲストの
厚木ユネスコ協会の井上さん(慶大生)による「アフリカでの植林」の講演が行われました。
日 時: 2009年 5 月 24日(日曜日) 11時~14時
場 所: えびな市民活動サポートセンター(サポセン) 出席者:会員19名、Guest 6名
議 長 小林 庸氏 選出
議 題 1 2008年度活動報告、2008年度会計報告および会計監査結果報告
2 2009年度活動計画(案)および 2009年度予算(案)
3 役員改選(総務)
4 家族会員新設
審議結果 * 2008年度活動報告および決算、会計監査報告は原案通り承認されました。
* 2009 年度活動計画および予算は原案通り承認されました。
* 新役員(総務)に甲 千恵さんが就任されました。
* 家族会員の新設は承認されました。
2009年度 行事推進委員登録者
1
One World day インタビュー
2
海外研修生との交流
3
会報作成・発送
4
親睦会 (New Year Party)
5
異文化交流(工芸・料理教室等)
●印
●高橋
リーダー
(アイウエオ順)
薫: 石黒、小野、小林 庸、佐藤博司、清水、杉山、高橋信子、寺田
浜津、福村、松政、村上、菅野、村田
●佐藤博司:
石黒、小野、小林 庸、高橋薫、寺田、西澤、浜津、福村
丸山、宮武、柳田、松下
●佐藤博司:
甲 千恵、高橋 薫、寺田、竹林
●寺田よし江:
新井、池田、石黒、大森、 菅野、小野、小林、 佐藤かよ子、清水
高橋薫、福村、松政、松下、宮武、村上、山口、吉澤、丹野
●丸山佳代子:
石黒、鷲見、高橋薫、寺田、中島和子、中島益栄、西澤、福村
松宮、松下、柳田、山口、堀川、宮武
6
英会話教室の促進
7 Kids English Class
●竹林義之:
小野、小林、佐藤かよ子、佐藤桂子、佐藤博司、清水、杉山
竹下、寺田、丹野、西澤、福村、松政、松宮、堀川、石島、柴崎
●清水聡子:
一川 、佐藤博司、松政、三辻
8
ホームスティ
●丸山佳代子:
9
サポセンフェスタ(市政への協力)
●高橋
薫: 石黒、小林、佐藤博司、清水、寺田、福村、宮武、矢島
ホームページ維持管理
●高橋
薫
10
鷲見、福村
* まだ登録されていない方はご連絡願います。積極的な参加をお願いいたします。
講演「アフリカでの植林」 厚木ユネスコ協会・井上さんのお話
井上さん達・日本人ボランティア Groupがアフリカで約1ケ月間植林を
行った際の、現地人との交流の様子をお聞きして感動いたしました。
若い学生の皆さん達が国際ボランティア活動に活躍している様子は
素晴らしい事です。 厚木ユネスコ協会員5名と副会長にも出席して頂き
ましたので、今後ユネスコ協会と EIS との交流も進めたいと思います。
「井上美恵子さんの貴重なお話」
2
会報のアンケート結果
EIS 会報へのアンケート(無記名)結果をご報告いたします。会報 EIS News は、お仕事などでイベン
トに参加できない方々と会員間をつなぐ唯一のツールとして重要ですので、この結果を反映すべく編集
部一同今後も楽しい会報発行を目指します。アンケートご協力ありがとうございました。(回収27通)
1. 会報はよく読んでいますか?
全頁を読む(21人)
気に入りの記事のみ読む(5人)
時々読む (1人)
全然読まない (0人)
2.紙面カラー版 A4 サイズになりました。
以前より読みやすくなった(26人)
変わらない (0人)
旧版がよい (1人)
3. どの記事がお気に入りですか?(複数回答)
4.発行回数は?
① 現在の偶数月発行がよい
記
事
回 答
イベント実施報告
13件
旅行記
18
23件
② 毎月発行希望
0
③ 3ケ月1回の発行で良い
4
5.紙面頁数は?
海外駐在者便り
9
① 現在が適当
新時代の風
9
② 増頁希望
2
新会員の声
7
③ 少なくてよい
0
趣味紹介
4
インフォメーション
自由広場(コラム)
25件
6.全体のイメージは?
8
①
8
堅くなく読みやすくなった
25件
② もっとくだけた方が良い
1
③ 機関紙らしい方が良い
1
7.文字大きさ、写真の掲載量は?
* 文字大きさ、写真の量は90%以上の方が現行通りで良いとの回答でした。
8.外部の方からの投稿の可否
*
外部の方からの投稿は75%の方が歓迎する、21%の方がどちらでも良いとの回答でした。
9.EIS ホームページの閲覧
* 見た事がない(10名)、
最近は見ていない(5名)、 ホームページで会報も見た(8名)
10.会報へのご意見・希望記事など(総括)
(1)海外の方からの日本の感想や、日本とのつながりが多い国、新興国などの情報記事を期待。
(2)国際交流に関した記事、交流のある団体からの寄稿を希望したい。
(3)イベントを増やしたり、会員の日常の様子・体験談など多数の方の寄稿を望む。
(4)読みやすくなり、内容も充実して楽しく読ませていただいております。
「編集部:会報がよく読まれ、カラー化で読みやすくなったとの回答も多く、ホームページに新設したばか
りの会報を閲覧している会員も予測より多い結果でした。
数多くの方々の寄稿が望まれていますので、会員の皆様方からの投稿・ご支援を今後ともよろしく
お願い申し上げます。ありがとうございました」
3
Reno 便り
(完結篇)
曽根
亮子
EIS の皆様こんにちは。私は今年の2月末に主人とお腹の子と共に帰国しました。
リノでの生活はトータルで3年ほどでした。今回でリノ便りは完結編になります。
ネバダ州立大学リノ校に留学している学生は100人ほどですが、リノに暮らす日本人家族は
意外と少なく10家族ほどでした。当初は誰一人知り合いもなく心細い思いでしたが、同じアパ
ートに住んでいた日本人家族と知り合いになり、どこのスーパーでこの野菜を売っているなどの
日常必要な情報から、銀行のこと、車の免許取得や税金の申告等の英語ではなかなか理解できな
いし本にも書いてないことを皆さん親切に教えてくれて大変助かりました。
また日本人の輪が広がって奥様同士ランチしながらおもいっきり日本語でおしゃべりして
ストレスを解消したことや何家族か集まってバーベキューや釣りをしたのも楽しい思い出です。
WalMart はじめスーパーでは醤油やソース類、麺つゆなどの調味料は手に入りますし種類も
豊富です。豆腐はハードタイプばかりですが揃っています。私が学生時代にアイダホ州に短期留
学した当時は醤油も何も日本の物はなくて困ったのと比べると随分簡単に日本食材が手に入る
ようになったものだと驚きました。これはおそらく寿司ブームの影響かと思います。
リノでも数多くの寿司屋がありました。但しおいしくて新鮮な店はめったにないですし、悪くす
るとお腹をこわすことになります。他には韓国系と中国系のスーパーがあり、私も月に1,2度
は利用し、お米やごぼう、里芋などの野菜や冷凍された納豆やシュウマイなど米系スーパーでは
手に入らない食材や日本のお菓子を買いました。それでも一番困るのは新鮮な魚が手に入らない
ことと薄切りのお肉が売っていないことでした。そのため年に数回、シエラネバダ山脈を越えて
車で2時間のサクラメントや4時間かかるサンフランシスコやサンノゼの日系スーパーへ買出
しに行くのが楽しみでした。ただ、夏はいいのですが、秋から春にかけては雪のために山越えに
10時間要したこともありました。
このように苦労もしましたが、逆に日本のよさを再発見するよい機会にもなりました。
特に食べ物に関しては種類、味、鮮度、どれをとっても日本ほど豊富に揃い、美味しい国はない
ということをつくづく思いました。
日系人の史跡を訪ねて
次に日系人の歴史の跡を二つご紹介します。
リノから西へ1時間半ほど行くと、かつてゴールドラッシュ
で沸いたカリフォルニアの鉱山跡がいくつもあります。
1848年にはじめて金が発見されたサクラメント郊外の
町コロマには川沿いに当時を再現した水車小屋があり今で
も子供達が砂金すくいを楽しめます。さて、そこから近い
「ワカマツ・コロニーのあった場所」
ゴールドヒルにかつて北米における日本人初の集団移民「ワカマツ・ティー・アンド・シルク・
ファーム・コロニー」がありました。
4
会津藩主松平容保に仕えたドイツ人シュネルを団長に、会津出身の彼らは日本国内で戦争に
負けた会津藩がアメリカ移住を試みた第一号でした。1869年この地でシルクやお茶の栽培を
始めましたが作物が上手く育たず短期間で失敗に終わったということです。
さてそんな中、シュネル家の子守としてやって来たのが17歳の「おけい」です。
彼女には、「ゴールドヒルの丘の上で山に落ちる夕日を眺めながら祖国を思いよく泣いていた」
などの逸話が残っていますが、気の毒なことに遠い祖国を思いながらも熱病にかかり若くして
亡くなったそうです。今では会津若松の人達の寄付によって丘の上に「おけい」のお墓が建てら
れています。私達も実際その場に立ってみて、日本に帰りたくても帰れない「おけい」の気持ち
を思ってかわいそうになりました。
もうひとつはリノから南へ5,6時間、デスバレーに行く
途中に寄った「マンザナ日系人収容所跡」です。
背後にはアラスカを除くアメリカ合衆国一高い山が望める
場所ですが、夏は43℃、冬は氷点下に下がる砂漠気候で
年中強風が吹いており、西海岸の家をただ同然で売り払い
移住させられた日系人にはかなりひどい場所でした。
「マンザナの慰霊塔の前で」
実はリノからネバダの砂漠を走って来た私達にはそれほど驚きはなかったのですが、ものすご
い強風で砂埃が舞うので車から外に出るのもやっとでした。当時のバラック長屋の中にも砂が
入り込み大変だったと記録されています。
ここには1942年から終戦まで総数 11,070 人の日系人が収容されました。
収容対象になったのは西海岸に住んでいた日系人だけで全米ではないということです。
収容所の中はプライバシーのない集団生活でしたが、後に収容所内に学校や理容室なども収容者
たちの手で作られ、また畑や日本庭園も作られました。今では国定史跡となり見学可能ですが
残っているのはゲートと日本庭園跡、そして体育館として使われていた建物が博物館になってい
ます。 日本人にとって悲惨な歴史ですが、池のある日本庭園跡を見たときに大変な逆境でも
くじけずに創意工夫で乗り切っていく日本人の逞しさを感じました。
裏手にはここで亡くなられた約100名の方を慰める慰霊塔が建っていました。
ほとんどの方は病死または老衰で2名だけ暴動が起きたときに軍警察に発砲され亡くなられた
方がいたそうです。慰霊塔の前で主人と私も手を合わせてきました。
そんな昔の日本人の苦労に比べたら今は平和ですし、私がリノに滞在したときはインターネット
で日本の情報は簡単に手に入るし電話もできるし、TV だってネットで同時放送を24時間見る
ことが可能で、部屋にいると自分がどこにいるのかわからなくなるときもあったくらいです。
世界が狭くなったと感じます。
以上でリノ便りも終わりです。これまでありがとうございました。
「編集部」曽根さん、ネバダ州でお住まいの貴重な体験談を毎回楽しく読ませて頂きました。
米国における日系人の苦労を知って、さらに平和の尊さが身にしみます。
投稿ありがとうございました。
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