III. スピリチュアルケア(1) - 特定医療法人 葦の会【オリブ山病院】

沖縄のキリスト教主義病院で考える
“ホスピスの精神とは何か”
2002年 厚生労働省は緩和ケア診療加算を新設
2007年 がん対策基本法の成立
2008年 がん拠点病院に「がん診療に携わる医師に対する
緩和ケア研修会の開催指針」を通知
2011年 第1回沖縄県緩和ケア研修会が開催された。
疼痛緩和に重点が置かれていること、全人的ケアについて
もマニュアル化されたものだが取上げられている。
研修会に参加して、私は“スピリチュアリティについての考察
を欠くがん終末期医療に、ホスピスの精神は何であるのか”
の疑問を感じた。
*
特定医療法人葦の会 宮城航一
II. 沖縄“ホスピスを考える会”
• 1995年 オリブ山病院にホスピス病棟開設
1983年
年にホスピスケアは
ホスピスケアはスタートしている
スタートしている
III. スピリチュアルケア(1)
• 「人が尊厳をもって生を全うすることができるためには、激痛
の緩和がまず第一に必要である。痛みのコントロールはホス
ピスが最重要視している働きの一つである」(柏木哲夫先生)
• 2002年 AMCにホスピス病棟開設
• がんが告知されない時代が続き、ホスピスの認知
度がまだ十分でなかった。
• 講演会の開催、ホスピス講座の開催などを実施
• 柏木哲夫先生、柳田邦男さん、山崎章郎さん、鎌田
實さんらが講演
• スピリチュアル・ペインとは「自己が消滅しこの世と決別する
ことの寂しさ、死ぬときはどうなるかの恐怖」、「人生の意味
が分からない」、「死後どうなるか不安で怖い」といった痛み
のこと。
III. スピリチュアルケア(2)
III. スピリチュアルケア(3)
人はスピリチュアルな存在
•
人は、神など居るものかと思っていても、やすやすと致死的運命であるこ
とを突きつけられると、自分の小ささと、自分がいかに無力な存在である
かを思い知らされ、神を呪い、あるいは反対に神の前に謙虚になり自分
の不完全性に思いつくに至る。
•
そして私たちは、このような致死的な病気になったのには“何か”の計画
や意志が働いているのではないかと考えます。この場合の“何か”の計画
や意志の“何か”は超越的な存在、神を指している。
•
キューブラー・ロスの死を受容するまでの5段階の「取引」の相手も神に
外なりません。
•
スピリチュアリティとは「人生の危機に直面して生きる拠り所が揺れ動き、
あるいは見失われてしまったとき、その危機的状況でなお生きる力や希
望を見つけ出そうとして、自分の外の大きなものに新たな拠り所を求める
機能のことであり、また危機の中で失われた生きる意味や目的を自己の
内面に新たに見つけ出そうとする機能のことである」と説明されている
(窪寺俊之)
•
私はいくら自己の内面、こころを探っても、最終的には神に肯定されるの
でなければ、自己の生きる意味、目的、価値の根拠は得られないと考え
ています。
•
致死的運命を告知されると、これまでの生きる意味を再構築しなければ
なりません。そして生きる意味はがん患者が自ら見出さなければならな
いのです。
1
III. スピリチュアルケア(4)
IV. 死生学の勧め
•
がん患者に私たちの思う“よい死”、“死の受容”が押しつけになってない
だろうか?
•
私たちに本当にスピリチュアル・ペインをケアできるのでしょうか?
•
キューブラー・ロスは、「わたしの知るかぎり、お助けできるあらゆる手段
は尽くしましたが、なおあなたを気持ちよくさせてあげる、できるだけの手
段は続けます」といってやることがきわめて重要で、患者はそれで一縷の
希望を持ち続け、最後まで手を尽くしてくれる医師を友とみなし続けるも
のであると述べている。(死ぬ瞬間)
•
癌になって、あたふたと「人生の意味」を考えるのでは
なく、健康な若い時代から「死の学び」を通して、今の生
き方を考える学問を「死生学」と言う。
日本人は「生き様主義」、「潔い死」を美化する傾向が
強い(窪寺俊之)
スピリチュアリティとは、自分の小ささ、無力な存在であ
るかを知って、神の義、愛に対峙することによって導か
れる新しい歩む過程ではなかろうか?
柳田邦男は「『死の医学』への日記」の中で癌終末期患者のQOLを確保
するための最高到達目標は「人生の完成の支援であろう」と述べている。
V. 祖先崇拝にみる死生観
V. 祖先崇拝にみる死生観
桜井徳太郎のマブイの性格
• ユタは沖縄の文化的背景に基づいたスピリチュアルケ
アワーカーという意見がある。
•
①飛翔性が強くどこまでも飛んで行く
•
②憑着性に富み、いたるところのあらゆるものに取り憑く。
• 死霊(シニマブイ)の性格(桜井徳太郎)
•
③無限に分化し、分化霊は憑着物に残留する。
• 與古田孝夫氏の意識調査
•
④最も強く死場所に憑着して機能する。
• 死霊は供養により祖霊神となる。供養を欠くと死霊は怨
霊化する。
•
⑤位牌や遺体・遺骨、その所在地や居住場所に遺留する。
•
⑥生霊を吸引したり、それに憑着する。
• 祖先崇拝の苦難理解は!
•
⑦願望を達成できないまま死去した者の死霊は、怨霊化して遺族に祟りや障りを
およぼす。
•
⑧慰霊供養の儀を施行しないと、その霊威はいっそうたかまる。
V. 祖先崇拝にみる死生観
V. 祖先崇拝にみる死生観
與古田孝夫のフィールド研究
2001沖縄県民意識調査報告書
「ユタに悩み事を相談しますか?」
•
沖縄県中部のK村の50-60%以上、R大生の60-70%以上の者が死後の
霊魂の存在を肯定した。
•
多くのものに神の存在を感じたり祀ったりといった汎神論的意見について
も、K村住民の70%以上、R大生では70-80%以上が理解できると回答し
た。
•
この調査結果から、與古田孝夫は「これは祖霊信仰を媒介とした伝統的
な信仰・宗教観が依然根強く沖縄の人々に浸透していることを示すもの
であり、このことは祖霊信仰の担い手であるユタなどの土着の民間巫者
を存続せしめる宗教風土の存在を示す証左になると思われる」と述べて
いる。(日本社会精神医学会誌、1997年)
•
•
2001年12月、県内の20歳以上の男女、1500人にアンケートした、2001
沖縄県民意識調査報告書によると「ユタに悩み事を相談しますか?」とい
う問いに対して「よく相談する」は2.5%、「たまに相談する」は16.9%で
あった。肯定的に答えた者は19.4%であった。
•
肯定的に答えた者の男女別では、男性16.5%、女性21.8%であった。
•
年齢別では、年齢が高い人にユタに相談にいく傾向があり、また地域差
がみられた(離島で高く、沖縄本島南部、北部で低い)。
これは同時に、ユタの人たちが民間の祖霊信仰を担い、維持・推進して
いるということである。
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V. 祖先崇拝にみる死生観
V. 祖先崇拝にみる死生観
死霊は祖霊神となる見方に疑問を呈する見解
死霊は祖霊神となる?
•
1766年の頃、水納島では「墓」をつくることがなく、死者は方々に埋葬し、その葬地に対する
祭祀が全く行われていなかった(赤嶺政信)。
•
近世期琉球には、位牌や祖先崇拝に係わる行事および祭祀対象としての祖先の墓が、王
府の意向を受けた地方役人によって普及していくといった状況があった。このことは、王府
の指導者たちがその政策の中に儒教倫理を積極的に取り入れ、それによって政治秩序の
整備を図ろうとした(赤嶺政信)(1650-1750頃)
•
首里・那覇の旧家では、三十三年忌以後の命日の供養が続けられ、王家にあっても三十三
年忌以後も菩提寺において供養が続けられた(平識令治)。
•
ムートゥヤー(元屋)では神棚が一番座、仏壇は二番座に置かれる。神棚に祀られているの
は門中の系譜とは関係のない神である。このように神の世界と祖霊が空間的に峻別されて
いる(赤嶺政信)
•
「現在の沖縄で祖先祭祀が篤くとりおこなわれているということが、直ちに、原琉球・古琉球
でも祖先祭祀が篤かったろうと即断すること自体に問題がある。『おもろそうし』のなかには、
祖先崇拝の思想が極めて乏しい」(安良城盛昭)
• 野辺送りが済んだ死者は神となる(津堅島:仲松弥秀)。
• 死ねばただちに神になる(宮古池間島:仲松弥秀)
• 死んで7年後の洗骨が終わると死者はグソーに赴いて神へ
と昇化する(桜井徳太郎)
• 三十三回忌を経て神になる(沖縄本島:仲松弥秀)
• 死後七代目に神になる(折口信夫の「琉球の宗教」) 七世
生神(中山世鑑)
V. 祖先崇拝にみる死生観
祖先崇拝の苦難・苦悩理解
•
死霊は供養を受けることによって租霊神になると信じられているので日本・沖縄
では年忌供養を大切にする。もしも供養を行うものが不在の場合、死霊は無縁仏
となり、怨霊化し、社会に祟りや障りなどの災厄を与えると信じられている。
•
沖縄では苦難・苦悩を御願(祈願)不足によるとする伝統がある。果たして粗霊神
は超越的存在であろうか? ユタのハンジは生きる意味、目的、根拠を与えてく
れるのだろうか?
•
祖先崇拝は、逆に私たちが「人生の意味」、「真の人生の完成」を考えることを妨
げているのではないだろうか?
VI. キリスト教の苦難理解
矢内原忠雄先生にみるキリスト者の終末
*
病気(胃癌)による徹底的無力化は
私をこのドン底にまで突き落としたのである。
十字架の贖いによる罪の赦しと潔き心が与えられたこと。
義なる神、十字架による贖罪
VI. キリスト教の苦難理解
私たちは、死を含めた人生の苦難・不幸に意味を見出すことができる
でしょうか?
*
私たちは“苦難を通して、己の限界性に気付き、自分の無力を認め、
苦難を神の試練と受け止めるところに新しい人間としての出発がある
のです。
*
私は「神を抜きにして、人生の苦難や死を受け入れることはできない」
と考えています。
*
人は死を前にして絶望・虚無的になる弱い存在です。自分の力で人
生を完成させることは不可能です。死は私たちを神の前に引き出し、
人生の苦難は神との関係で意味をもつことを自覚させます。この消息
は最終的に人生の完成は私の欠けるところを十字架との出会いに
よって埋めていただくことによって「真の人生の完成」へと導かれると
いうことです。
*
これがキリスト教の魂の救いだと考えています。
VII. キリスト者の死の受容
• キリスト者にとっての死の受容は、“自分の最期を神に委ね
ようと心に決めたとき”であると考える。
• 医療者としては、罪と死の解決という課題を負っているという
視点をもってがん終末期患者の傍に居て差し上げることが
キリスト教主義病院におけるスピリチュアルケアであろう。
• 伊藤邦幸先生における医療伝道論
– 伝えるに値するもの、私たちが自らを捧げるに値するものがあればこ
そ、伝道を志して人の前に立つわけです。他人に分ち与うべく私が
持っているよろこびが全くないなら、相手の前に出て行く意味はあり
ません。
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