主を信じないユダヤ人たちの4つの罪

主 日集会 2014.5.11
主を信じないユダヤ人たちの4つの罪
人間が神の御子を受け入れることができない原因を、主はここでその根源にまでたどっておられる。この人々の
内側に「神に対する愛」がなかった。もし神を愛していたなら、神が遣わされたお方を受け入れていたことだろう。
ふくい んしよ
主イエスを拒絶したことで、主の御父に対する愛が全く欠如していることを彼らは露呈してしまったのである。
ヨハネ福音書5:39-47
せいしよ
なか
えいえん
おも
せいしよ
しら
せいしよ
5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、
しようげん
わたしについて 証 言しているのです。
え
こ
5:40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
ひと
えい よ
う
5:41 わたしは人からの栄誉は受けません。
し
かみ
あい
主は御父の名によって来られた。つまり、御父の御心をなし、御父に栄光をもたらすため、そしてあらゆること
5:42 ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。
ちち
な
き
う
い
ひと
5:43 わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人
ひと じ しん
な
く
ひと
う
い
えい よ
う
ゆい いつ
かみ
えい よ
もと
しん
5:44 互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることが
できますか。
ちち
まえ
うつた
おも
うつた
5:45 わたしが、父の前にあなたがたを 訴 えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを 訴
もの
のぞ
える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。
しん
しん
しよ
しん
しん
5:47 しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるで
しょう。」
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歴史家スティアの記録によると、主の昇天後の百年の間に、少なくとも64人の偽キリストが起こり、程度の差こそ
あれ、信じる者が出たとのことである。
ひ
は神の賞賛よりも「同胞の賞賛」に心が惹かれていたのである。もしユダヤ教から離れたら、友人が何と言うだろ
うか、彼らは恐れた。主イエスに従って行った場合に、山と襲いかかる非難や苦しみに耐えて行くことを 躊 躇した。
他の人が何と言うか、どうするか、ということを恐れている限り、救いにあずかることはできない。主イエスを信
じるためには、他のだれの賞賛にも増して、神の賞賛を願わなければならない。唯一の神から来る栄誉を求めなけ
ればならない。
(5:39)ギリシャ語・英語/行間訳
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る意味では、主の後に現れ、ユダヤ国家の賞賛を求めた数々の偽キリストのことを言っておられたのかもしれない。
ちゆうちよ
わたしのことだからです。
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イエスはここで、ほかの人がその名において来れば、ユダヤ人はその人を受け入れるだろう、と予告された。あ
ここで主は、ユダヤ人がどうして主を受け入れることができなかったか、もう1つの理由を述べておられる。彼ら
か
5:46 もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのは
evrauna/te
げんこう
において御父に従うために来られた。もし人間が本当に神を愛していたら、その言行のすべてをもって神に喜ばれ
ようとしていたお方を愛したことだろう。
がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
たが
(3)神の栄誉ではなく、人の栄誉を求める
わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がそ
の人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。互いの栄誉は受けても、唯一
の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか。(43-44節)
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concerning
eternal
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(4)モーセの書に対するまことの信頼の欠如
わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者
は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたし
を信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。しかし、あなたがたがモーセの書を
信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう(45-47節)
主には、このユダヤ人たちを御父に訴える必要はなかった。もちろん、彼
【祈りながら考えよう】
らに不利な告発をしようと思えばそれはたくさんあった。しかし、主にはそ
(1)ユダヤ人たちは聖書を読んでいるのに、なぜいのちを得るために主のもとに来ようとしな
いのですか。
の必要がなかった。「モーセの書いたもの」で、告発するには十分であったか
(2)主を信じないユダヤ人たちには神に対する愛がないと、なぜ言えますか。
りにしていた。これらの聖書がイスラエルに与えられたことを彼らは自慢に
(3)主を信じないユダヤ人たちを訴えるのはモーセであると、なぜ言えますか。
セのことばに従わなかった点にあった。
【解
説】
(1)主に行こうとする意志の欠如
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わた
しについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来よ
うとはしません(39-40節)
ユダヤ人たちはいのちを得るためにキリストのもとに来ようとしなかった。人々が救い主を受け入れない本当の
理由は、福音が分からないからでもなく、イエスを信じることがとてもできないというためでもない。信頼するこ
とを不可能にするようなものは、何1つ主イエスの側にはない。本当の問題は人間自身の「意志」にある。人間は救
ご しよ
らである。このユダヤ人たちは旧約聖書、ことにモーセ五書をことのほか誇
思っていたのである。しかし、問題は、46節にあるように、彼らがそのモー
旧約聖書を読むにせよ、新約聖書を読むにせよ、私たちが読んでいるのは
神のことばそのものなのである。もしユダヤ人たちがモーセのことばを信じ
旧約聖書の写本
ていたのであれば、主イエス・キリストのことばも信じたことだろう。モーセはキリストの来臨について書いたか
らである。その一例は申命記の次の聖句にある。
「代わりに神様は、イスラエル人の中から私のような預言者を起こされます。 その預言者の言うことを聞き
なさい。……イスラエル人の中から、あなたのような預言者を立てよう。 わたしが言いたいことはみな、
その者に語らせる。」(申命記18:15,18/リビングバイブル訳)
これらの節の中で、モーセはキリストの来臨を預言し、ユダヤ民族に対して、来臨した時にキリストに聞き従う
い主よりも罪を愛するのである。自分の悪い生き方を捨てたくないのである。
ようにと命じている。そして主イエスが来られたのであるが、ユダヤ人は主を受け入れなかった。そこで、イエス
(2)神へのまことの愛の欠如
は、彼らを御父に訴えるのはモーセである、と言われた。彼らはモーセの言っていることを信じるふりをしながら、
わたしは人からの栄誉は受けません。ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちに
は、神の愛がありません(41-42節)
モーセが命じたとおりにしなかったからである。
主がこの世に来られたのは、世の人の賞賛を受けるためではなかった。主は世の人の賞賛はどうでもよく、ただ
もしユダヤ人がモーセの書いたものを信じようとしないなら、イエスのことばを信じる可能性は低い。主イエス
は、旧約聖書の権威をはっきり証言しておられる。破壊的な聖書批評に少しでも耳を傾けてはならない。旧約聖書
と新約聖書には非常に密接な関係がある。古代キリスト教の神学者アウグスティヌス(354-430)は、これを簡
御父の賞賛を求めておられた。
潔にこう述べている。「新約は旧約の中に隠され、旧約は新約の中に現されている」。
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